そこは心地よいまどろみの国。
夢は半ばとじた眼の前にゆれ、
きらめく楼閣は流れる雲間にうかび、
雲はたえず夏空に照りはえていた。
――倦怠けんたいの城
 ハドソン河の河幅がひろがり、むかしオランダ人の航海者がタッパン・ジーと名づけていたところでは、彼らは用心していつでも帆をちぢめ、航海者の守り、聖ニコラスに加護をねがいながら、横断したものだ。そこの東側の岸にくいこんでいる広い入江の奥に、小さな市場か田舎の港といったような町があり、ある人たちはグリーンズバラと呼んでいるが、本来はタリー・タウン(ぶらつき町)という名が正しく、また普通にはその名で知られている。聞くところによれば、この名は、そのむかしこの近隣の女房たちがつけたもので、市場のひらかれる日に亭主連が村の居酒屋のあたりをぶらついてはなれない頑固な癖があったからだという。それはともかくとして、わたしはこの事実の真偽のほどはうけあわない。ただ一応そのことを述べて、正確と厳正を期そうというわけである。この村からさほど遠くない、おそらく二マイルほどはなれた高い丘に、小さな渓谷、というよりはむしろ窪地くぼちというべきところがあるが、そこは世の中でいちばん静かな場所である。小川が滑るように流れそのせせらぎは人を眠りにいざない、ときたまうずらが鳴いたり、啄木鳥きつつきの木をたたく音が聞えるが、あたりにみなぎる静寂を破る響はそれくらいのものだ。
 思いおこしてみると、わたしがまだ少年のころはじめて栗鼠射りすうちで手柄をたてたのは、この渓谷の片側に茂っている高い胡桃くるみの木の林だった。わたしがその林のなかにはいりこんだのはちょうどひるどきで、自然はことのほか静かで、わたしは自分の銃のとどろく音にもおどろいたものだ。銃声はあたりの日曜日のような静けさを破り、こだまとなって尾をひき、怒ったように鳴りひびくのだった。世の中の騒がしさから逃れ、わずらわしいことばかり多かった人生の余暇を静かに夢みながら暮すことができる隠居所をもとめるならば、この小さな渓谷にまさるところは知らない。
 このあたりには、ものういような静けさがただよっているし、またその住民はむかしのオランダ移住民の子孫だが一風変った気質をもっているので、このさびしい谷は長いあいだスリーピー・ホロー(まどろみの窪)という名で知られていた。そして、そこの百姓息子は、この近在のどこへ行ってもスリーピー・ホローの若衆と呼ばれていた。眠気をさそう夢のような力がこのあたりをおおっており、大気の中にさえ立ちこめているようだった。移住のはじまったころ、ドイツのある偉い祈祷きとう医師がこの場所に魔法をかけたのだというものもあるが、またあるものは、ヘンドリック・ハドソン船長がこの土地を発見するよりも前に、インディアンの老酋長ろうしゅうちょうで、種族の予言者か妖術師ようじゅつしであった男が、ここで祈祷をおこなったのだとも言っている。たしかに、この場所にはいまだになにか魔力がいていて、それが善良なひとびとの心にのろいをかけ、そのおかげで彼らはいつでも幻想にふけりながらうろついているのである。彼らは、ありとあらゆるふしぎな信心に夢中になり、夢幻の境に遊んだり、幻想におちいったりするし、しばしば奇怪なものを見たり、虚空こくうに音楽や人声を聞くこともある。近隣一帯には伝説は豊富だし、幽霊のでる場所も多いし、うす暗い時刻につきものの迷信もあまたある。流星がとぶのも、隕石いんせきがひらめくのも、この谷間では国じゅうのどこよりも頻繁だし、悪夢の魔女は九人の供をひきつれて、ここで跳びはねるのが好きらしい。
 しかし、この妖術をかけられた地方につきまとう主領の精霊で、空中の魔力の総大将とおぼしいのは、首の無い騎士の亡霊である。ある人たちのいうのには、これはヘッセからアメリカに渡った騎兵の幽霊であり、独立戦争のとき、どこかの小ぜりあいで、大砲の弾丸に頭をうちとばされたもので、ときたま村の人たちが見かけるときには、夜のやみのなかを疾走し、あたかも風の翼に乗っているようだということだ。その亡霊のあらわれるところは、この谷間だけに限らず、ときには近所の街道にも及び、特に、そこから遠くないある教会の付近にはよくあらわれるのだ。じっさい、この近傍のもっとも信頼すべき歴史家たちのなかには、この亡霊についてのうわさを集めたものがあり、彼らが比較検討したうえで言明するところでは、この騎士の死体はこの教会の墓地に埋葬されているが、その亡霊は夜な夜なもとの戦場に馬を駆り、頭をさがすのである。亡霊が夜半の疾風のように速くこの窪地を通り去るのは、刻限におくれたために、大いそぎで夜明け前に墓場へ帰ろうとしているのだということだ。
 これがこの伝説的な迷信の大意であるが、この迷信が材料になって、この幽霊が出る地方にはいくたのふしぎな物語ができあがった。この亡霊はどの家の炉ばたでも、「スリーピー・ホローの首なし騎士」という名で知られている。
 ふしぎなことに、さきほど述べた夢想におちいる傾向は、この谷間に生れつき住んでいる人だけでなく、しばらくそこに住む人も知らず知らずのうちにみな取りつかれるのである。ひとびとが、この眠たげな地域に入る前にいかにはっきり目をさましていたとしても、間もなくかならず空中の魔力を吸いこんで、空想的になり、夢を見たり、幻影を見たりするようになるのだ。
 わたしはこの平和な場所にあらゆる讃美さんびの言葉をおしまない。それは、大ニューヨーク州の奥深く、あちらこちらにあるオランダ人の住む辺鄙へんぴな渓谷のなかにあり、ここでは人口も風俗習慣もかわらないのだ。休むことを知らないアメリカのほかのところでは、移住民や種々な改善が奔流のようにぞくぞく流れこみ、絶えず変化しているが、その大きな急流もこの渓谷にはまったく気づかれずに流れてゆくのだ。そこは静かな水の片隅のようなもので、急流と境を接しているのに、わらくずや泡が静かにたゆたっていたり、あるいは、波止場にでもついたかのようにゆるやかに渦巻いていたりして、かたわらを流れてゆく急流に乱されないのにも似ている。わたしがスリーピー・ホローの眠たげな森かげを歩いてから、もういくたの年月がたっているが、今もやはり、そのころと同じ樹木が茂っており、同じひとびとがその奥まったところにのんびり暮しているのではないかと思う。
 この自然界の片隅に、アメリカの歴史がはじまったころ、というのは三十年ほど前のことだが、イカバッド・クレーンという名の見あげた人物が、付近の子供たちに勉強を教えるために、スリーピー・ホローに仮り住まいをしていた。いや、その本人の言葉でいえば、「ぶらついて」いたのだ。彼はコネティカット州の生れだったが、その州はアメリカじゅうに森林の開拓者はもちろん学問の開拓者も供給し、毎年大ぜいの木樵きこりを辺境におくり、教師を田舎に出している。クレーン(つる)という苗字みょうじは彼の容姿にぴったりしていた。背は高いが、ひどく細く、肩幅はせまく、腕も脚も長く、両手は袖口そでぐちから一マイルもはみだし、足はシャベルにでもしたほうがいいような形だった。ひどくいいかげんにまとめあげたようなからだつきなのだ。頭は小さく、上が平らで、大きな耳と、大きな緑色のガラスのような眼と、しぎくちばしのように長い鼻とがくっついているさまは、まるで風見のとりが、彼の細い首のうえにとまって、風の吹く方向を告げているようだった。風の強い日に彼が丘の背を大股おおまたで歩き、洋服をばくばくと風になびかせてゆくのを見ると、貧乏神が地上におりてきたのか、あるいは、どこかの案山子かかし玉蜀黍とうもろこしの畑から逃げだしてきたのかとまちがえるかもしれない。
 彼の学校は低い建物で、大きな教室が一つきりの粗末な丸太づくりだった。窓はガラス張りのもあったが、帳面の紙をはぎあわせてあるのもあった。不在のときには、きわめて巧妙に、細枝でつくったひもでしっかりとドアの取っ手をしばりつけ、鎧戸よろいどには心張棒がかってあった。したがって、泥棒はまったくやすやすと侵入できるとしても、出るときにはいささか困惑するにちがいない。おそらくこの思いつきは大工のヨースト・ヴァン・ホーテンが鰻落うなぎおとしのからくりから借りてきたものであろう。校舎は、少々ものさびしいとはいえ気持ちのよいところに建っていた。木のおいしげった丘のふもとで、近くを小川が流れ、白樺しらかばの巨木がその片端に立っていた。眠けを誘う夏の日には、生徒たちの課業を勉強する声が、校舎から低くぶつぶつ聞えてきたが、蜜蜂みつばちのぶんぶんいう音のようだった。ときどきそれが途切れて、先生の、まるでしかっているか命令でもしているような調子の重々しい声が聞えた。また、ときには恐ろしいむちの音がしたが、おそらく先生が、だれか歩みのおそいものをうながして花咲く学問の道を進ませようとしているのだった。じつのところ、彼は良心的な男で、いつも心に例の金言を銘じていた。「鞭を惜しむと、子供は甘くなる」イカバッド・クレーンの生徒たちはたしかに甘やかされてはいなかった。
 しかし、彼が惨酷ざんこくな校長で、生徒の苦痛をよろこぶようなものであると想像されては困る。それどころか、彼の罰し方はただ厳格一方というのではなく、ちゃんと差別をつけていたのである。彼は、弱いものの背から負担をとりのぞいて、それを強いもののうえにおいた。弱々しい少年が、ちょっと鞭をふりあげただけでもびくびくすれば、大目に見すごしてやった。だが、処罰が二人前になって十分にふりかかるのは、生意気な、頑丈な、片意地な、しりの大きいオランダ人の腕白小僧だった。そういう子供は、鞭のもとで、すね、ふくれ、頑固になり、むっつり不機嫌になった。こういうことをすべて彼は「親のために自分のつとめをはたすことだ」と言っていた。苦しむほうの腕白小僧にしてみればまったくありがた迷惑なことだが、彼は折檻せっかんをしたあとでは、かならず「おまえは生きているかぎりはこのことを思い出して、ありがたく思うだろう」と言ったものだ。
 学校が終ると、彼は年長の少年のために友だちともなり、遊び相手ともなった。そして、休みの日の午後には年下の子供を家に送って行ってやったが、偶然その子に綺麗きれいな姉がいたり、あるいはその母親が善良な女房で、うまい御馳走ごちそうをつくるので評判だったりしたものだ。じっさい、彼は当然生徒たちと仲よくしなければならなかった。学校からあがる収入はわずかだったし、とても毎日のかてをもとめるにも足りないくらいだった。彼はなかなかの健啖家けんたんかで、せほそってはいたものの、大蛇のように胃袋をふくらますことができたのだ。ところが、彼は生活費を補うために、このあたりの田舎の風習にしたがって、あちこちの百姓の家に下宿し、食事の厄介になっており、そしてその子供たちを教えていたのだった。彼はこういう農家に、一軒につづけて一週間ずつ世話になっては、近所をめぐり歩いたのだが、そういうときに彼は家財をまとめて、木綿のハンカチに包んで行ったものだ。
 こういうことが彼の後援者たる田舎ものの財布に負担をかけるとなると、彼らはとかく教育費はたいへんな出費だと考えたり、先生は単なるごくつぶしだと思ったりしがちだから、そうならないように、彼はいろいろと用事をしたり、また好かれるようにしたりした。おりをみて、彼は百姓を手つだって、かるい畑仕事をしてやった。乾草ほしぐさつくりに手をかしたり、垣根をなおしたり、馬に水をのませに連れていったり、牝牛めうしを放牧場から駆りたてたり、冬の煖炉だんろに燃すまきをきったりした。そのうえ、彼は、自分の小さな帝国である教室に君臨するときの圧迫的な威厳や絶対支配権をいっさい投げうって、おどろくほどやさしくなり、気に入られるようにした。彼は子供をかわいがってやっては、母親たちの好意をかちえたが、特にいちばん幼い子供をかわいがった。そして、むかしあの猛々たけだけしいライオンが、おおらかな気持ちで、羊をだいてやったように、彼はよく子供をひざにのせ、何時間もぶっつづけに足で揺りかごをゆすったものだった。
 ほかの仕事に加えて、彼は近隣の歌の先生でもあり、若い人たちに讃美歌の歌い方を教えて、ぴかぴかの銀貨をたくさん稼いでいた。日曜日に、選りぬきの歌い手たちを引きつれて、教会の聖歌隊の場所の正面に席をしめることは、彼の虚栄心をなみなみならず満足させたものである。そこに立つと、彼は牧師から完全に勝利をうばいとったような気がしたのだ。たしかに彼の声はほかの会衆一同の声よりはるかに高らかに鳴りひびいた。そして、今でもその教会のなかでは妙にふるえる音が聞え、静かな日曜日の朝には水車用水池の正反対のほうに半マイルもはなれたところでも聞えることがあるのだが、その声はまさしくイカバッド・クレーンの鼻から伝わったものだといわれている。こうしてさまざまなやりくりをして、いわゆる「なんでもかんでもする」といううまい方法で、この立派な教育者はまずまず申し分なく暮し、頭を働かす仕事には門外漢な連中には、えらく安楽な生活をしていると思われたのだ。
 先生というものは概して田舎の女性たちには相当尊敬されるもので、のんきな紳士風の人間のように思われ、荒っぽい田舎の男たちにくらべれば、はるかにすぐれた趣味や才芸もあり、じっさい、学問ではただ牧師に及ばないだけだと考えられるものだ。だから、先生があらわれると、とかく農家のおやつのテーブルには少なからず騒ぎがおこり、菓子や砂糖漬けのご馳走がむやみと増えることもあろうし、ことによれば、銀の茶瓶を見せびらかすこともある。したがって、この学者先生も田舎の娘たちには大もてだった。日曜日の教会の境内で礼拝のあいまに、彼はどんなに彼女たちのなかで目立ったことだろうか。周囲の木々にからみついている野葡萄のぶどうの実をとってやったり、彼女たちを面白がらせるために墓石の銘を全部朗唱したり、あるいはまた、彼女らをみんな連れて近所の水車用水池の堤を散歩したりしたのだ。しかも、そのあいだ、はにかみ屋の田舎娘たちはおずおずしてうしろのほうにかくれ、彼のすぐれた上品さや応対ぶりをうらやましがっていたのである。
 なかば巡回旅行のような生活をしていたので、彼はまた歩く新聞のようなものでもあり、あちこちの噂消息をあつめて家から家へと持ちあるいた。だから、彼が来ることはいつでも歓迎された。そのうえ、彼は婦人たちにたいへんな物識ものしりとして尊敬されていた。なにしろ彼は数冊の書物を読んでいたし、コットン・マザーの「ニューイングランド魔術史」には精通していたのだ。ついでながら、彼はこの著書を深く固く信じていたのである。
 じじつ、彼には小利口で抜け目のないところと、単純にものを信じやすいところとが妙にまじりあっていた。不可思議なことを好む食欲も、またそれを消化する力もなみなみでなかった。しかも、それが両方ともに彼がこのまじないのかかった地方に住んでからいよいよ旺盛おうせいになった。どんな大きな話でも、恐ろしい話でも、彼はがぶりとのみこんでしまうのだ。彼のたのしみは、午後、学校が終ってから、学校のそばですすりないている例の小川のほとりの、ふさふさしたクローバの上に、しばしば寝ころがって、マザーの恐ろしい話を熟読玩味がんみすることだった。そして、夕闇が濃くなって、書物のページが彼の眼の前でもやのようにかすんでしまうまで、読んでいるのだ。それから帰りみちには沼や川や、ものすさまじい森のそばを通って、そのとき厄介になっている農家へ帰ってゆくのだが、この妖怪が出そうな時刻には、自然界のもの音はみな、彼の興奮した想像力を刺戟しげきした。丘の斜面から聞えてくるウィッパーウィル(原註)の鳴く声。雨蛙あまがえるの不吉な声はあらしの前ぶれだ。ふくろうのさびしい声。突然しげみの中でがさがさいうのは、鳥がおどろいて巣から飛びたつ音だ。蛍さえもひどく暗いところで鮮かにぴかりぴかり光り、ときどき並みはずれてよく光るのがみちを横ぎって流れ、彼をおどろかした。なにかのはずみで、大きな馬鹿ばか甲虫かぶとむしがまごついて飛んできて彼にぶつかろうものなら、このあわれな男は魔女のまじないにうたれたのかと思って、あやうく死ぬほどになった。そういう場合に、気をしずめたり、あるいは悪霊あくりょうを追いはらうためにただ一つ力の源になるのは、讃美歌をうたうことだった。スリーピー・ホローの善良なひとびとは、夕方家の戸口に腰かけながら、恐怖に満たされて、彼の鼻声の歌をきいたことがしばしばあった。その歌は、「長々と美しくつながり」遠くの丘やほの暗い街道から流れてくるのだった。
 もうひとつ、こわいながらも彼のたのしみだったことは、冬の夜ながを年老いたオランダ人の女房連とすごし、彼女たちが炉ばたで糸をつむぎ、焼き林檎りんごが炉にならんでぷつぷつ音を立てているとき、そのふしぎな物語に聞きいることだった。それは、幽霊の話、鬼の話、化け物の出る野原、小川、橋、屋敷、それから特に「首なし騎士」、彼女たちがときとして呼ぶところによれば、「スリーピー・ホローの早駈はやがけヘッセ人」の話だった。彼のほうもまた、むかしコネティカット州によくあった魔術や、虚空にあらわれた恐ろしいしるしや、不吉な影や音の伝説をきかせて彼女たちを喜ばせたり、彗星すいせいや流星についての推論や、世界はまちがいなくぐるぐる廻っているので、彼女たちも一日の半分はひっくりかえしになっているという驚嘆すべき事実を語っておどろかしたものである。
 ぱちぱちと火は燃えて部屋じゅうが真赤に照りかがやき、もちろん幽霊などは顔も見せようとしないところで、心地よく炉ばたにうずくまって、こんなことを話しているのはたのしかったが、それから家へ歩いてゆくときの恐ろしさはそれを償ってあまりあるほどだった。おそろしいもの影が、雪の夜のぼんやりすさまじく光るなかで、彼の通る路に待ちうけていた。荒れはてた野原の彼方かなたの遠くの窓から流れてくる光が、ちらほらとほのめいているのを、彼はどんなにさびしい思いをして見やったことだろう。雪におおわれたやぶが、経帷子きょうかたびらを着た幽霊のように彼の路を取りまいているのを見て、なんどもなんども彼はぞっとしたものだ。自分の足音が凍った地面に鳴る音にびくびくして、いくたびもからだをちぢこまらせた。そして、うしろを見ようものなら、なにか妖怪変化がすぐあとをのしのし歩いてくるのが目に入るのではないかと恐ろしい思いをした。疾風が木々のあいだを吹き過ぎると、もしや「早駈けヘッセ人」がまたもや夜ごとの徘徊はいかいにさまよいでてきたのではないかと、すっかり狼狽ろうばいしてしまうのだった。
 しかし、こういうことも夜だけの恐怖にすぎず、心の迷いで暗闇に横行するものにすぎなかった。そして、今までに彼は幽霊をたくさん見たことがあるし、ひとりで散歩したときには、いろいろな形をした悪魔に一度ならず取りかこまれたこともあった。だが、昼の光がさせば、こういう悪魔どもはすべて雲散霧消し、悪魔がいようと、また、それがどんな仕業をしようと、彼は愉快な人生をおくったにちがいない。もっとも、それは、幽霊や、悪魔や、あるいは魔法使の女を全部一まとめにしたよりも、もっと人間を悩ますあるものが、彼のゆく路を横ぎったりしなかったならばのことである。その、あるものとは、女であった。
 毎週一回晩にあつまって彼の讃美歌の指導をうけていた音楽の弟子たちのなかに、カトリーナ・ヴァン・タッセルという、オランダ人の金持ち農夫の一人娘がいた。彼女は花はずかしい十八歳の乙女だった。しゃこのように丸々とふとって、熟して柔らかで赤い頬は、まるで彼女の父のつくった桃にも似ていた。そして、彼女の評判はひろく知られていたが、それは単に美貌びぼうのためだけでなく、巨万の遺産をうけつぐことになっていたためでもある。しかも、彼女は着ているものを見ればわかるように、いささかあだっぽいところもあった。彼女の服は昔風なところに最新流行をまじえたもので、それがまことに彼女の魅力をしたたるばかりにしていた。彼女は、祖母の祖母がオランダのザールダムから持ってきた純金の装身具をつけ、昔のいきな胸かざりをつけ、さらに男性の胸をときめかすような短いスカートをはき、この界隈かいわいきっての綺麗な足とくるぶしを見せつけたものである。
 イカバッド・クレーンは女性に対してもろく、甘かったから、それほど男の心を誘うような女はたちまち彼の気に入り、特に彼が彼女の両親のやしきを訪ねてからそれが強くなったことにふしぎはあるまい。ボールタス・ヴァン・タッセル老人は、裕福な、何ひとつ不足のない、心の大まかな農夫の見ごとな標本だった。じっさい、彼は自分の農場の境界よりそとのことには目をくれようともしなければ、考えて見ようともしなかった。が、その農場では、一切がきちんとして、心地よく整っていた。彼は自分が金持ちであることに満足してはいたが、それを自慢したりしなかった。心ゆくばかりのゆたかさを誇ったが、自分の生活ぶりを得意になって見せたわけではない。彼の本拠はハドソン河の岸のオランダの百姓がたいへん好んで住むような緑濃い、奥まった、地味の肥沃ひよくなところにあった。エルムの巨木がその邸の上にひろびろと枝をひろげ、その根かたには泉があって、甘い柔かい水がごぼごぼときだして、小さな樽形たるがたの井戸からあふれ、きらきら光りながら草地のなかを通って、近くの小川に注いでいた。その小川は、はんの木や小さな柳のあいだをさらさらと流れている。母屋おもやのすぐそばに大きな納屋なやがあり、教会にしてもよいくらいだった。どの窓からも、どの割れ目からも、農場でとれた宝物がこぼれ出そうだった。そのなかでは朝から晩までから竿ざおの音がいそがしく鳴りひびき、つばめや岩つばめが軒端のきばをかすめて飛び、さえずり、屋根の上にははとがいく列もならんで、片目をあげて天気を見ているような形をしたり、頭を翼のなかにかくしたり、胸にうずめたりあるいは、恋人のそばで、からだをふくらましたり、くうくう鳴いたり、お辞儀をしたりして、日光を浴びてたのしんでいた。つやつやした、まるまる肥った食用豚は、おりのなかでのんびりと、ほしいままにえさを食べながら、ぶうぶういっていた。ときおり、まだ乳ばなれしない小豚の群が飛びだしてきたが、大気のにおいをぐためのように見えた。雪のように白い鵞鳥がちょうは堂々たる艦隊をなして、近くの池で遊弋ゆうよくし、家鴨あひるの船隊をまもっていた。七面鳥の連隊は庭で鳴きあるき、ほろほろ鳥は、その鳴き声にぷりぷりして、不機嫌な女房連のように気むずかしげに不満の叫びをあげていた。納屋の入口の前では、勇ましい雄鶏おんどりが気取って歩き、あっぱれな亭主か、勇士か、紳士のようだった。ぴかぴかした翼をはたき、心からうれしく得意になって、ときをつくり、ときどき地面を足で引っかき、それから、いつでも空腹をかかえている女房や子供たちを呼んで、自分が見つけた見ごとな餌をご馳走してやるのだった。
 先生はよだれをたらして、この壮観を見、これなら贅沢ぜいたくな冬がすごせるぞ、と思った。彼は欲ばった空想をめぐらして、丸焼きにもってこいの豚が、どれもこれも腹にはプディングをつめ、口には林檎をいれて、駈けまわっているのを頭に描いた。鳩は、うまそうなパイに気もちよく寝かしつけられて、パイの皮のなかにくるまれている。鵞鳥は自分のからだでつくった肉汁のなかを泳いでいる。家鴨は皿の上に二羽ずつきちんと並び、きれいな新婚夫婦のようであり、ねぎのソースがたっぷりとかけてある。食用豚を見ると、彼は未来のベーコンの滑らかな肌が彫りだされているように思ったし、汁の多い、風味のよいハムを想像した。七面鳥も彼の眼には、うまそうにくしざしになって、砂嚢さのうは羽の下にかくして、おそらくは、かおりのよいソーセージを首飾りにしているように思われた。それから、すばらしい雄鶏さえも、仰向けになって、添え料理の皿に横たわり、蹴爪けづめを高く上げて、あたかも生きているあいだは武侠ぶきょうの精神のおかげでえておうとしなかった助命を切望しているように見えた。
 恍惚こうこつとなったイカバッドは、こんなことを空想しながら、緑色の大きな眼をぐるぐるさせて、ゆたかな牧草地をながめ、豊穣ほうじょうな小麦や、ライ麦や、蕎麦そばや、玉蜀黍とうもろこしの畑を見わたし、赤い実が枝もたわわになっている果樹園を見、それにかこまれたヴァン・タッセルの暖かい家を見ていた。すると、彼の心は、やがてこの領地をうけつぐことになっている乙女に恋いあこがれた。彼の想像はさらにひろがって、こういうものを即座に現金にかえて、その金を広大な未開地に投資して、荒野のなかに板ぶき屋根の宮殿をつくることもできよう、などと考えた。いや、彼の性急な空想ではすでにこんな希望はかなえられて、この花の匂うようなカトリーナが、子供たちも大ぜいいっしょに、馬車の上に乗り、中にはごたごたの家財道具をいっぱい積みこんで、下にはつぼやら薬罐やかんやらをぶらさげているのだった。そして、彼自身は、ぱっぱっと走る牝馬ひんばにまたがり、子馬を一頭したがえて、ケンタッキーか、テネシーか、あるいはまたどこへなりとくりだした気になってしまった。
 彼が家に入ったとき、彼の心は完全に圧倒されてしまった。ひろびろとした家で、棟は高いが、屋根の勾配こうばいはゆるやかで、その建築様式は初期のオランダの移住民から伝えられているものだった。軒が低く突きだして、正面にヴェランダができ、天気が悪いときには閉められるようになっていた。ここには、から竿や、馬具や、いろいろな農具やら、また、近くの河で魚をとるための網がさがっていた。夏使うベンチが両側にならんでいて、片方の端に大きなつむぎ車があり、もう一方にバタつくり機械がおいてあるのを見れば、この大切な玄関がいろいろなことに使われることがわかった。このヴェランダから、びっくりしたイカバッドは広間に入った。そこが邸の中心で、ふだんは居間になっているところだった。ここでは、ぴかぴか光る白鑞しろめの器が長い食器戸棚にいく列も並んでおり、目もまばゆいほどだった。一隅に羊毛の大袋があって、紡ぐばかりになっていたし、また別の隅には、機織はたおり機械から下ろしたばかりの麻と毛とを交ぜたたくさんの織物や、玉蜀黍の穂が置いてあった。し林檎と挑とがひもでつないで、にぎやかに花づなのように壁につるしてあったが、なかに赤く光る唐がらしが点々としていた。ドアが一つちょっと開けはなしてあったので、彼がのぞくと、そこは最上等の部屋で、オランダ式の椅子いすや、黒いマホガニーのテーブルが鏡のように輝いており、まきおきは、シャベルや火箸ひばしも一式ふくめて、アスパラガスの葉のかげに光っていた。梅花うつぎと巻貝とが煖炉だんろの棚をかざり、その上には色さまざまな鳥の卵が紐に通してさげてあって、大きな駝鳥だちょうの卵が部屋の中央にさがっていた。隅の食器棚はわざと開けてあるのか、古い銀の食器や、よく手入れのゆきとどいた陶器など、莫大ばくだいな宝物が見えていた。
 イカバッドがこの楽天地を一目見た瞬間から、彼の心の平和は消えてしまい、彼の唯一ゆいいつの念願は、どうしたらヴァン・タッセルのたぐいない娘の愛情をかちえることができるかということになってしまった。しかし、このことを成しとげるために彼がじっさい直面した困難は、ふつう昔の武者修行者の運命にふりかかったものよりも大へんだった。武者修行者は、巨人とか、魔法使とか、火を吹く竜とか、あるいはそれに似たもので簡単に退治できる敵と戦いさえすればよかったし、鉄や真鍮しんちゅうでできた門を通り、鉄石の壁をこえ、城の本丸に入りこみ、意中の女がとじこめられているところに行けばよかった。こんなことをするのはたやすいもので、クリスマスのパイを切りすすんで、その中心にとどくようなものだ。そして、婦人がその武士のこころにしたがうことは言うまでもないことだ。ところが、イカバッドの切りひらいてゆかねばならぬ路は、田舎の浮気娘の心に通じていて、そのまわりには気まぐれや浮気の迷路があり、絶えず困難や障壁が次々とあらわれるのだ。それに、彼が出あわなければならない恐ろしい敵軍は、血と肉とをもった人間、すなわち、彼女を賞讃しょうさんするあまたの農村の男たちだった。彼らは、彼女の心に通ずる入口をすべて取りかこみ、たがいに相手を憤怒ふんぬに燃える眼で見はっていたが、新しい競争者があらわれようものなら、共同の目的のためにただちに結束して襲いかかってくるのだった。
 こういう連中のなかで、もっとも恐ろしかったのは、骨格のたくましい、ほえるような、威張りたがりの道楽者で、エイブラハムという男だったが、オランダ流にちぢめていえば、ブロム・ヴァン・ブラントといった。彼はこの界隈の英雄で、腕ずくと図々ずうずうしさとで名をとどろかしていた。肩幅がひろく、からだの自由がき、黒いかみの毛は短くちぢれていて、顔つきは武骨だが、嫌味はなく、道化たような、高慢なような風采ふうさいをしていた。ヘラクレスのような体格と物すごい腕力とのおかげで、彼はブロム・ボーンズ(骨っぱりのブロム)というあだ名で呼ばれ、どこへ行ってもその名で知られていた。彼は馬術については知識も腕前も大したもので有名だった。馬に乗ればそのたくみなことは韃靼だったん人さながらだった。競走や闘鶏にはいつでも第一位を占めた。権勢というものは田舎ではつねに肉体的な力があるものが獲得するものだが、彼もその権勢をもって、なにか争いがあればかならずその審判官になり、帽子を斜めにかぶって、判決をくだした。そのときの彼の態度や声の調子では、だれも反対したり嘆願したりすることはできなかった。喧嘩けんかや騒ぎといえばいつでもこいというふうだったが、気質は悪戯気いたずらっけたっぷりというほうで、悪気はあまりなく、強制的で荒っぽいのにもかかわらず、底には滑稽こっけいな茶目な色合いが強かった。彼には自分とそっくりな仲間が三、四人いて、みな彼を師表と仰いでいたが、その連中の先頭に立って、彼はあたりをのしあるき、四方数マイルにわたって、喧嘩であろうと、娯楽であろうと、どんな場所にでも飛びこむのだった。寒いときには、彼は毛皮の帽子をかぶり、その上にきつね尻尾しっぽをなびかせているので、すぐに見分けがついた。何か寄り合いをしている田舎の人たちが、この有名な頭飾りを遠くに見つけ、それが騎馬の一隊に取りまかれて跳ぶように動いているのを見ると、彼らはいつもあらしの来襲にそなえたものである。ときには彼の一味が真夜中に家々のそとを、ドン・コサック兵の一隊のように、けてゆくのがきこえることもあった。すると、老婆ろうばたちはおどろいて目をさまし、しばらく聞き耳を立て、騒ぎががたがたと通りすぎると大声をあげた。「そらそら、ブロム・ボーンズの一党だよ」近所の人たちが彼を見る目には、恐怖と、讃美と、善意とがまじりあっていた。ひどい悪戯や野卑な喧嘩が近所におこると、彼らはいつも頭をふって、ブロム・ボーンズが黒幕だというのだった。
 この乱暴な英雄は、ここしばらくのあいだ、あの花の匂うカトリーナを選んで、彼の武骨な恋の目的としていた。彼の愛のたわむれは、どう見てもくまがやさしく愛撫あいぶするようなものだったが、ひそひそ声のうわさ話によれば、彼女はまんざら彼の望みをうちくだきもしなかったということだった。じっさい、彼の進出はほかの恋敵にとっては退却せよという信号であり、だれもよろいをつけたライオンの恋路を邪魔しようなどとは思いもしなかった。だから、日曜日の夜に彼の馬がヴァン・タッセルのところのさくにつないであれば、その乗り手が家のなかで求婚しているか、あるいはいわゆる「言い寄っている」たしかなしるしであり、ほかの求婚者たちはがっかりして通りすぎ、ほかの地域に戦線を移動したのである。
 そのような恐ろしい相手とイカバッド・クレーンは争わなければならなかった。あらゆる事情を考えて見ると、イカバッドがたとえもっと頑丈な男だったとしても、この競争にはたじろいだだろうし、また、もしもっと賢明な男だったらあきらめたであろう。ところが、彼は生まれつき至って柔軟で忍耐づよかった。彼は形も心もくまやなぎのようだった。屈するかと見えても強靭きょうじんであり、曲っても決して折れず、ほんの軽い圧力でも頭を下げるが、それがなくなった瞬間、ぴんと立ち、しゃんとして、相かわらず頭を高く上げているのだった。
 公然と戦場で彼の敵と相対峙あいたいじするのは正気の沙汰さたではなかった。なにしろ敵は恋路を邪魔されて引きさがるような男でないことは、あの嵐のように女を愛したアキレス同然である。だから、イカバッドはしずかにそっと徐々に前進しはじめた。歌の先生としての資格を利用して、彼はその邸に足しげく訪れた。親の面倒な干渉はとかく恋人たちの道のつまずきの石になるものだが、彼はそれで心配することは何もなかった。ボールト・ヴァン・タッセルはのんきで大まかな人だった。彼は娘が自分のパイプよりも好きで、さすがにわかりのよい男らしく、またすぐれた父親にふさわしく、何事についても娘の好むようにさせていた。まめに働く女房も、家政を見るやら、家禽かきんの世話をするやら、いろいろと仕事があった。彼女が賢明にも言ったところによれば、家鴨や鵞鳥は愚鈍な動物で、面倒を見てやらねばならないが、女の子は自分で自分の世話はできるというのだった。このようなわけで、多忙な女房が家じゅうをかけずりまわったり、あるいは、ヴェランダの片隅で紡ぎ車をまわしたりしているあいだ、ボールト老人はもう一方の隅で夕方のパイプをくゆらしながら、木でつくった小さな戦士が両手に剣をもって、納屋の尖塔せんとうのいただきで、勇敢に風と戦っているさまを見ているのだった。そのあいだに、イカバッドはあの大きなエルムの木の下の泉のほとりや、あるいは、黄昏たそがれのなかをぶらぶら散歩しながら、娘を口説くのだった。この時刻は恋人が雄弁をふるうのにいちばん好都合なのである。
 どうすれば女を口説きおとすことができるか、わたしは知らない。わたしにとっては女はいつもなぞのようなもので、ただただ感服するばかりだった。あるものは、突けば壊れる急所がひとつしかない、中に入る入口がひとつしかないのかと思うと、また別の女には無数の通路があって、種々様々な手管でものにすることができる。この最初のほうの女を手に入れるのも手練の業であるが、あとのほうの女をしっかり逃さずにおければ、なおいっそうの軍略がある証拠である。このとりでを守るにはありとあらゆる入口や窓で防戦しなければならないのだ。したがって、千人の普通の女をかちえる男はどうやら名声を博するにあたいするだけだが、浮気女を一人でも手に入れて、完全にこれを牛耳ることができる男こそは、まさに英傑である。たしかなところ、あの恐ろしいブロム・ボーンズもこの英傑ではなかったのだ。イカバッド・クレーンが進軍を開始した瞬間から、ブロムの勢力はあきらかに衰退し、もはや日曜日の夜に彼の馬が例の柵につながれているのを見ることはなくなった。そして、ブロムとスリーピー・ホローの先生とのあいだには世にもすさまじい闘争がおもむろに展開されることになったのである。
 ブロムは生来荒々しい騎士道精神をいくぶん持っていたので、この婦人に対する権利を決めるには事件を公然の争いとして、いにしえの武者修行者のやり方にしたがって、簡潔単純な一騎打ちによろうと思ったにちがいない。ところがイカバッドは敵のすぐれた腕力を知りすぎるほど知っていたから、あえて挑戦に応じようとはしなかった。うわさに聞けば、ボーンズは鼻高々と、「あんな学校の先生なんぞは、ふたつにへしおって、やつの学校の戸棚にたたきこんでやる」と言っていたから、彼はよく気をつけて、相手に機会をあたえないようにした。このように飽くまで平和的手段に出られると、ブロムはひどくしゃくさわったが、彼がうつ手はただひとつ、田舎流のいたずらの蘊蓄うんちくをかたむけて、恋敵にさんざんのわるさをするよりほかなかった。イカバッドは、ボーンズとその一党の荒くれ騎士たちに妙な工合ぐあいに苦しめられるようになった。彼らは今まで平穏だった先生の領域を荒らし、唱歌の学校は煙突をふさいでいぶり出してしまうし、校舎には堅固に結んだ紐や窓の心張棒があったにもかかわらず、夜なかに侵入して、なにもかもひっくりかえしてしまい、あわれな先生は、近隣の魔法使どもがみんなで集会でもしたのかと思ったほどだった。しかし、もっと困ったことは、ブロムがあらゆる機会を利用して彼を恋人の面前で愚弄ぐろうしたことだった。ブロムは犬を飼ってしごく滑稽に鳴くように教えこみ、それを連れこんでイカバッドが彼女に讃美歌をおしえる向うを張ったのである。
 このようにしてしばらく時がたち、二人の競争者のあいだの情勢には実質的な影響はなかった。ある晴れた秋の午後、イカバッドは、もの思いにふけりながら、いつも彼が教室のなかのできごとを見張るときに腰かける高い椅子に王様のようにどっかとすわりこんでいた。その手に彼は専制君主の力を示すしゃくというべきむちをふりかざしていた。正義の鞭は王座の背後の三本のくぎにかけてあり、悪事をはたらくものを絶えずおびやかしていた。一方、彼の前の机の上にはさまざまな禁制品や御法度ごはっとの武器が、なまけものの腕白小僧からとりあげられて置いてあった。かじりかけの林檎りんごや、豆鉄砲やら、独楽こまはえとりかご、そのほか跳ねあがる紙の鶏がたくさんあった。見たところ、つい先刻おそろしい刑罰が加えられたばかりらしく、生徒はみな忙しそうに書物を熱心に見ているか、さもなければ、片眼で先生のほうを見ながら、たくみに本のかげにかくれてこそこそ内緒話をしている。教室全体がしんとしているのに、ひそかにぶつぶついう声がみなぎっているのだ。ところが突然その静粛を破って、黒人がひとり闖入ちんにゅうしてきた。麻屑あさくず製の上衣うわぎとズボンを着て、マーキュリーの帽子のような、ふちのない丸い帽子をかぶり、手入れも調教もろくにしてない暴れ小馬にまたがって、手綱もつけず、一本の綱であやつっていた。彼は学校の入口まで駈けこみ、イカバッドに、宴会か「縫物仕事の会」といったものが今晩ヴァン・タッセルさんのところで催されるから、それに出席するように、と招待の辞を述べた。黒人というものは、こういったたぐいのつまらぬ使いに行くと、とかく偉そうな振りをして、気取った言葉を使うものだが、この男もその例にもれなかった。彼は口上を述べてしまうと、いかにも彼の使いが重大で急ぎのことであるかのように、小川を駈けわたり、窪地くぼちを疾走してゆくのが見えた。
 今まで静かだった学校は、いまやがやがや大騒ぎになった。生徒の授業は急いでどんどん進み、些細ささいなことにはかまわなかった。すばしこい子供は半分ぐらい飛ばしてもしかられず、のろまの子供はときおりしりをひどくたたいて急がされ、むずかしい言葉をしゃにむに読まされた。本は書棚にしまわずに投げだすし、インキつぼはひっくりかえる。椅子は投げたおすやらで、学校はふだんよりも一時間も早く退けた。子供たちは小鬼の群のようにわっと飛びだし、野原でわめいたり騒いだりして、早く解放されたのを喜んだ。
 色男のイカバッドは少くとも三十分も余計にかけて化粧した。いちばん上等な黒の洋服、といっても、じつは色のあせた一帳羅だったが、それにブラッシをかけ、若がえらせ、学校にさがっていた壊れた鏡のかけらでかみの毛をなでつけた。正真正銘の騎士らしいいでたちで恋人に目通りするために、彼はそのとき泊っていたハンス・ヴァン・リッパーという年寄りの怒りっぽいオランダ人の農夫から馬を借り、威風堂々とそれにまたがり、冒険をもとめて旅立つ武者修行者よろしくのていで、駈けだした。ところで、わたしは当然、伝奇物語の真精神に従って、ここでこの主人公とその乗馬の風采ふうさいいでたちについて少々述べなければなるまい。彼のまたがった馬はよぼよぼのき馬で、年をとりすぎて、残っているものといったら、意地の悪い性質ぐらいしかなかった。やせて、毛なみはばさばさで、首は細くて醜く、頭はつちのような形だし、色のさめたたてがみや尾はもつれたうえに、いがなどがくっついて、くくれていた。片眼はひとみがなくなり、化け物のようにぎょろぎょろ光り、もう一方はまさしく悪魔のような光をおびていた。だが、この馬も、その名をガンパウダー(火薬)というのである以上は、若かった頃には熱と勇気をもっていたにちがいない。じじつ、この馬はかつては例の怒りっぽいヴァン・リッパーという主人の愛馬だったのだ。ところが、この主人は狂暴な乗り手だったから、おそらく自分の性質をいくぶん馬に注ぎこんだにちがいない。老いさらばえてやつれたりといっても、この馬には魔性がひそんでおり、その点では、この付近の若い馬などは及びもつかなかったのである。
 イカバッドはそのような馬にはあつらえむきの男だった。あぶみが短かったので、両膝りょうひざくらの前輪にとどくほど高くあがった。彼のとがったひじはばったの足のように突きだし、鞭はその手に真直まっすぐに立て、笏をもつような恰好かっこうだった。馬がからだを揺りながらのそのそ歩いてゆくと、彼の腕は、鳥が翼をばたばた羽ばたくように動いた。小さな毛織りの帽子は額があまり狭いので鼻の上に乗っているように見えた。そして、黒い上衣のすそはぱたぱたして、馬の尻尾にとどきそうだった。そのような恰好でイカバッドと彼の馬とは、ハンス・ヴァン・リッパーの家の門をよろめき出ていったのである。まったくもって、とうてい昼の日なかに出くわすようなしろものではなかった。
 先ほど言ったように、その日は晴れた秋日和あきびよりだった。空はすきとおってうららかで、自然界はゆたかな金色の衣をつけ、豊穣ほうじょうな実りを思わせるのだった。森は渋い茶色と黄色につつまれ、優美な木々は霜にうたれて、ちらほらと輝かしいオレンジ色や、紫色や、また真紅にそまっていた。かもは列をつくって空高く飛びはじめ、栗鼠りすの鳴く声が山毛欅ぶな胡桃くるみの林から聞えてくるし、うずらの笛を吹くようなさびしい声もときおり近くの麦の刈株の残った畑から聞えてきた。
 小鳥たちは別れのうたげをはっていた。饗宴きょうえんもたけなわと見えて、羽ばたいたり、さえずったり、ふざけたりして、茂みから茂みへ、木から木へと飛びまわり、周囲の色とりどりの豊富なご馳走ちそうを思うままについばんでいた。正直ものの駒鳥こまどりがいた。これは子供の狩猟家の好む鳥で、声高に愚痴をこぼしているような鳴き声だ。黒鳥はさえずりながら黒雲のようにむらがって飛んでいる。金色の翼の啄木鳥きつつきは紅のとさかと、幅のひろい黒い喉当のどあてと、すばらしい羽毛をつけている。連雀れんじゃくは、翼の先が赤く、尾羽の先は黄色く、羽毛は小さな鳥打ち帽のようだ。それから、かけす。やかましいしゃれものだ。派手な空色の上衣を着こんで、白い下着をつけ、叫び、しゃべり、お辞儀をし、ぴょいと跳ね、頭を下げ、森の歌い手たちみんなと仲のよいような振りをしている。
 イカバッドはゆっくり進んでいったが、その眼は、御馳走のたねを見のがすようなことは決してないので、うれしくなってこの楽しい秋の宝を見わたした。どこを見ても林檎があふれるほどだった。木の枝も折れるばかりに垂れさがっているかと思うと、集められて籠やたるに入れられ市場へ送りだすようになっていたり、また、うずたかく積みあげられて林檎汁しぼり機にかけるようになっているものもある。さらに先へ進むと、玉蜀黍とうもろこしの大きなはたけには、黄金色の実が葉のような包みからそとをのぞいていて、菓子やプディングがたくさんできそうだ。その下には黄色い南瓜かぼちゃがごろごろして、美しい丸い腹を太陽に向け、最上等のパイがいくらでもつくれそうである。やがて彼が馥郁ふくいくとかおる麦畑に通りかかり、蜂蜜はちみつの香を吸いこみながら見わたすと、うっとりするような期待が彼の心に忍びこんで、うまいホットケーキにバタをたっぷりつけ、蜂蜜か糖蜜をたらしたのを食べるときのことを考えた。しかも、これをつくるのは、カトリーナ・ヴァン・タッセルのやさしい、かわいい、ぽちゃぽちゃした手だ。
 こんなふうに、いろいろな快い思いや、「甘い空想」に胸をいっぱいにしながら、彼は山なみの斜面を進んでいった。そこからは、壮大なハドソン河の絶景が望まれるのである。太陽は次第に丸く大きくなって、西のほうにまわってきた。タッパン・ジーの広い水面はじっと鏡のようで、ただところどころに静かな波がおこって、遠くの山の青い影をながくのばしていた。琥珀色こはくいろの雲が二つ三つ空にうかび、風はそよりともせず、雲は動かなかった。地平線は金色に光っていたが、やがてすっきりしたうす緑色になり、それからさらに頭上の空を染める様な濃紺に変っていった。斜めになった陽の光は、河岸のあちこちにそば立つ断崖だんがいのいただきの木立のあたりにためらい、岩壁の濃い鼠色ねずみいろと紫色とをいっそう深くきわだたせていた。小船が一そうはるか遠くにただよって、潮の流れにまかせてゆっくりと河を下り、帆は垂れて帆柱にかかっていた。空が静かな水に映えて光っているので、その船はまるで空中に浮んでいるように見えた。
 夕闇ゆうやみが迫るころ、イカバッドはヴァン・タッセルの城に到着した。すでに近隣の才子佳人が大ぜい集っていた。年とった農夫たちは、鞣皮なめしがわのようなせた顔をして、ホームスパンの上衣とズボンを着て、青い靴下に、大きな靴をはき、仰山な白鑞しろめの締め金をつけていた。元気はいいが、もうしなびてしまった彼らの女房たちは、ひだのついた帽子をかぶり、胴の長いガウンを着て、手製の下衣をつけ、はさみや、針さしやら、派手なキャラコの袋を外側にたらしていた。かわいげな乙女たちも、母親同様古風な身なりではあったが、麦藁むぎわら帽子をかぶり、きれいなリボンをつけ、あるいはまた白いドレスを着ているあたりは、都会の最新流行のあらわれであった。息子たちは、裾を四角に切った短い上衣を着て、ぎょうぎょうしい真鍮しんちゅうのボタンをいく列も並べ、かみの毛はだいたい当時の流行にしたがって弁髪にむすんでいたが、特にそのためにうなぎの皮を手に入れることができればなおのことであった。鰻の皮はかみの毛にたいへん栄養になる強壮剤だと国じゅうだれでも考えていたのである。
 ところで、ブロム・ボーンズはこの場の大立者だった。彼はこの集りに来るのに、デアデヴィル(命知らず)という愛馬に乗ってきたが、この馬は彼に似て、元気はいいし、悪戯いたずら好きで、彼でなければ御すことはできなかった。じっさい、ブロムは、悪いことばかりする駻馬かんばに好んで乗るので評判が高かった。騎手がいつでも首の骨を折る心配をしなければならないような馬が好きで、柔順でよく訓練された馬なぞは、血気盛んな若者には価値がないと考えていたのである。
 この物語の主人公がヴァン・タッセルのやしきの大広間にはいってきたとき、彼の眼前にぱっと展開し、恍惚こうこつとさせた、あまたのすばらしい魅力あるものについて、わたしはしばらく述べたいと思う。それは、紅や白に絢爛けんらんと着飾った美しい乙女の群ではなく、秋の盛りの食卓にならんだ純オランダ田園風の大ご馳走であった。さまざまな、ほとんど言いつくせないほどいろいろな菓子が皿に山盛りになっている。経験をつんだオランダの女房連だけが知っているものだ。大きなドーナツもあれば、柔かいオランダ風ドーナツもある。かりかりした揚げ菓子もあれば、砂糖菓子やら、ショートケーキ、生姜しょうが菓子に、蜂蜜菓子、そのほか、ありとあらゆる菓子が総出だ。それから、林檎のパイがある。桃のパイがある。南瓜のパイがある。さらに、ハムも、燻製くんせいの牛肉もある。そのうえ、砂糖づけのすもも、桃、なし、まるめろの実が、見ごとにいく皿もならび、にしんの照り焼、とりの蒸し焼はいわずもがな。ミルクやクリームの鉢もそなわり、今わたしが数えあげたように、一切がっさい混沌こんとんとしており、しかもその真中からは大きな茶わかしが濛々もうもうたる湯気をまきあげている。いやはや、なんとも豪勢なものだ。この饗宴にふさわしいほど述べ立てていたら、わたしは息もきれるし、時間もなくなる。それに、わたしは物語を先に進めたくてたまらないのだ。さいわいにして、イカバッド・クレーンは、彼の物語を書いているこのわたしほど急いでいなかったので、ご馳走はどれもこれもしこたま頂戴ちょうだいしたのである。
 彼は親切で、深く恩に感じる人間であり、心が大きくなる度合は、腹の皮がご馳走でふくらむのに比例し、ものを食べると元気が出るのは、ほかの人が酒をのんだときのようなものだった。彼は食べながらも、その大きな眼であたりを見まわしながら、ひとりで悦に入って、いつかは自分がこの想像を絶するほど贅沢ぜいたくで豪華な場所の主人になれるのだ、と思わざるを得なかったのだ。それからまた、彼は心ひそかに考えた。もうすぐにあの古ぼけた校舎なんぞには背を向けてやるぞ。ハンス・ヴァン・リッパーのつらに向って指をならしてやるぞ。ほかのけちけちしている後援者どもにもだ。そうして、風来坊の教師がやってきて、自分を仲間呼ばわりでもしようものなら、戸口からとばしてやるぞ。
 ボールタス・ヴァン・タッセル老人は客のあいだを歩きまわっていたが、満足と上機嫌で大きくなった彼の顔は、丸く愉快で、秋の月のようだった。彼の客を歓待する挨拶あいさつは簡単だが、心がこもっていた。握手して、肩をぽんとたたいて、哄笑こうしょうし、「さあ、始めて下さい。どうぞ召しあがって下さい」と熱心にすすめるという一手だった。
 やがて、広間から音楽のひびきがきこえてきて、ひとびとをダンスに呼びあつめた。演奏するのは年配の白髪頭の黒人で、もう五十年以上もこの界隈かいわいで巡回音楽師をしていた。その楽器は古くてこわれかかっており、彼自身とおなじだった。演奏中の大部分は、二、三本のげんをひきならすだけで弓を動かすたびに頭も動かし、新しい二人組が踊りだそうとするときには、きまって地面に頭がつくほどお辞儀をし、足をふみならした。
 イカバッドは歌も得意だったが、ダンスも自慢だった。手足といい、筋といい、一つとして遊んでいるものはないのだ。彼のだらりとしたからだが全部活動し、部屋をがたがた動きまわるのを見たら、だれしも、あのありがたいダンスの守り神、聖ヴァイタスが親しく目の前にあらわれたと思ったことだろう。彼は黒人たちの賞讃しょうさんの的になった。彼らは、老いも若きも、大も小も、農場からであろうと、近所からであろうと、総出で集ってきていたのだが、今や、どのドアにも、どの窓にも、ぴかぴかした黒い顔をピラミッドのように積みあげて、大よろこびでこの光景を見つめ、白い眼玉をぐるぐるまわしながら、象牙ぞうげのような白い歯を耳から耳までむきだして、にたにたしていた。悪戯小僧どもをむちでこらす先生も、どうして元気よく嬉しくならないでいられようか。彼の意中の婦人がダンスのパートナーなのだ。そして、彼が色目をつかうたびに、彼女はやさしく微笑ほほえんでそれにこたえているのだ。ところが、ブロム・ボーンズときたら、恋と嫉妬しっとですっかりいためつけられて、ひとりで片隅にすわりこみ、怏々おうおうとしていたのである。
 ダンスが終ったとき、イカバッドがひきつけられて加わったのは、年寄りの物識ものしり連中で、彼らはヴァン・タッセル老人をかこんでヴェランダのはしに坐り、煙草たばこをふかしながら昔ばなしをしたり、独立戦争の長い物語をのんびりとやったりしていた。
 この近辺は、わたしが今話をしていることのおこった当時には、歴史に名高い物語や偉人が輩出した非常にめぐまれたところであった。独立戦争中は、イギリスとアメリカとの境界線が、この近くを通っていたので、ここは略奪の修羅場となり、亡命者や、王党側の暴れものや、そのほか、あらゆる国境の荒くれ男どもが跳梁跋扈ちょうりょうばっこしたのである。しかし、それからもういく年か過ぎ、この時分には当時の物語をする人もちょっとした都合のよいつくりごとで話に色をつけ、記憶もはっきりしないので、手柄話があれば、なんでもかまわず、自分をその立役者にしたてることができるのだった。
 ドフュー・マートリングという青ひげを生やした大男のオランダ人の話では、泥でつくった胸壁から、九ポンド弾の古い鉄の大砲をぶっぱなして、イギリスの軍艦をあやうく撃沈しかけたが、惜しくも彼の大砲が六発目には破裂してしまったということだ。それからまた、一人の老紳士が話しだしたが、この人はたいへんな金持ちのオランダ人で、かるがるしくその名は言うことができないから、名は秘めておこう。この老人は、防禦ぼうぎょの術にすぐれており、ホワイトプレーンズの戦いのとき、飛びくる弾丸を短剣で受けながし、弾丸が刃先をひゅうといってまわり、つかにかるくあたるのをたしかに感じたとさえ言った。そして、その証拠には、その剣の柄が少し曲っているところを、いつでも見せてやろうと言った。ほかにも数人おなじように戦場で手柄をたてた人がいたが、いずれも自分の功績が力あって戦争がめでたく勝利に終ったのだと言わないものはなかった。
 しかし、こういう物語も、そのあとにつづいた幽霊や化け物の話にくらべたらなんでもなかった。このあたりにはそのような貴重な伝説がたくさんあるのだ。地方色ゆたかな物語や迷信は、こういった辺鄙へんぴな、長いあいだ人が住みついていた僻地へきちでもっとも盛んになるのだが、アメリカのたいていの町や村を形づくっているのは移りあるくひとびとなので、その足の下で踏みにじられてしまうのだ。そのうえ、ほとんどどこの村でも、幽霊に元気をつけるものがなにもないのだ。幽霊が墓にはいって、ず一眠りして、寝返りをうつか、うたないうちに、まだ生存している友だちは近所を去っていってしまう。だから、幽霊が夜なかに出てきて徘徊はいかいしても、訪ねてゆくべき知合いが残っていないのである。おそらくこういうわけで、わたしたちは古くからあるオランダ人の村以外では幽霊のことをほとんど聞かないのであろう。
 しかし、この近辺に怪談が多い直接の原因はあきらかに近くにスリーピー・ホローがあることだ。空中に魔力があって、あの奇怪な場所から吹きよせてくるのだ。この魔力がひとを夢や空想におとしいれる雰囲気を吐きだし、それが一面に伝染するのだ。スリーピー・ホローの住民も数人ヴァン・タッセルの邸に来ており、例によって、怪しいふしぎな伝説をぽつりぽつり物語っていた。不遇なアンドレ少佐が捕虜になった場所に生えている大きな木のあたりで、葬式の行列が見えたとか、哀悼の叫びや、すすり泣きの声が聞えたとかいう陰気な話がいろいろ出た。じっさい、その大木はこの近所にあるのだ。白衣に身をつつんだ女の話も出た。これはレイヴン・ロックの暗い谷間に出没し、冬の夜、あらしの前には金切り声をあげるのが聞えるのだ。この女はそこで雪に埋もれて死んだのだった。しかし、さまざまな物語のうちでいちばん主だったものは、スリーピー・ホローの立役者幽霊、首なし騎士だった。最近にもいく度か、この騎士が付近を巡回している音が聞えたし、そのときの話では、教会の墓場に毎夜その馬をつないでおくということだった。
 この教会は人里はなれているので、浮かばれない死人の霊魂がいつも好んであらわれたようである。それは丘の上に建っており、まわりには南蛮さいかちやエルムが高々としげっていた。その木立のあいだから教会の瀟洒しょうしゃな白壁がしとやかに光っているありさまは、純潔なキリスト教精神が暗い幽境から輝きでるようであった。なだらかな斜面がここから下って、銀箔ぎんぱくをのばしたような湖にとどいている。その岸には高い樹木が立ちならび、木の間がくれにハドソン河一帯の青い丘が望まれるのだ。この教会の草の生えている墓地に陽の光がしずかに眠っているのを見たら、だれでも、少くともここならば死人が安らかに眠ることができるだろうと思うにちがいない。教会の一方には、樹木のしげったひろい渓谷がのびており、大きな谷川が、砕けた岩や倒れた木の幹に飛びちりながら、ごうごうと流れている。教会からさほど遠くないところで、流れが深く黒くなっているが、以前はそこに木の橋がかかっていた。そこまで行くみちも、それからその橋も、上からのしかかっている樹木にこんもりとおおわれており、そのために、この橋のあたりは昼でもほの暗かったが、夜になると、身の毛のよだつような暗闇となった。ここが、首なし騎士の好んであらわれたところで、ひとびとが彼に出くわすのもここであった。ブラウワー老人という、幽霊などはまったく信じない異端者についての話がでた。この男は、くだんの騎士がスリーピー・ホローに侵入しての帰りみちに行きあい、馬のうしろに乗せられ、やぶを通り、草むらを抜け、丘を越え、沼地をわたってけてゆき、ついにこの橋についた。そのとき、騎士は突然骸骨がいこつだけになり、ブラウワー老人を川になげこみ、木々のこずえよりも高く飛びあがり、雷鳴のようなとどろきとともに、消え去ったということである。
 すぐさまこの物語に対抗して出たのは、いかにもふしぎなブロム・ボーンズの冒険だった。彼は、「早駈けヘッセ人」などは大でたらめのいかさま師だと見くびっていた。彼が確言したところでは、ある夜、近くのシンシンという村から帰ってくるとき、彼に追いついたのがこの深夜の騎兵だった。そこで、彼は相手に競走を申し入れ、ポンチ酒を一鉢けた。当然それは彼のものになるところだった。デアデヴィルは化け物馬を完膚ないまでやっつけたのだ。ところが、ちょうど彼らがこの教会の橋まできたとき、ヘッセ人はぱっと飛びあがり、一閃いっせん火焔かえんとなって姿をかきけしたのである。
 暗闇で話をするときの、あの眠たげな低い声を聞き、ときおりパイプの光でかすかに照らされる、聞き手の顔を見ているとこうした物語はイカバッドの心に深く刻み込まれた。彼もそれに答えて、おなじように怪談をし、彼にとってかけがえのないコットン・マザーの著書からいろいろと抜萃ばっすいし、またそれに加えて、生れ故郷のコネティカット州でおこった事件をたくさん話したり、彼が夜ごとにスリーピー・ホローを散歩したときに見たおそろしい光景を語ったりした。
 饗宴きょうえんはやがて終りに近づいた。年寄りの農夫たちは家族をあつめて馬車に乗せ、それからしばらくのあいだは、あちこちの道にうつろな音をたて、遠くの丘を越えてゆくのが聞えた。娘たちのなかには大好きな恋人のうしろの添えぐらに乗るものもあり、そのたのしげな笑い声がひづめのぱかぱか鳴る音にまじって、しんとした森にこだましたが、それもだんだんかすかになり、ついには消えてしまった。今まで陽気に騒がしかった邸は今や静まりかえり、人影はなくなってしまった。イカバッドだけはまだあとに残って、田舎の恋人たちがつねづねするように、あの跡とり娘と二人だけで話そうとした。彼はいまや成功へみちびく大道を進んでいると思っていたのだ。彼が彼女と会って、どんなことがおこったか、わたしは述べまい。じじつ、わたしは知らないのだ。しかし、どうもなにかうまく行かなかったらしい。あまり時もたたないうちに、彼は出てきたが、まったく悲しそうなげっそりした様子をしていた。ほんとに、女というものは、なんたることだろう。あの少女は浮気な悪戯をしたのだろうか。あわれな先生に愛想よくしたのは、先生の恋敵を完全に征服するための単なる見せかけだったのか。これは神だけが知っているのであって、わたしにはわからない。ただこれだけは言っておこう。イカバッドがこそこそと出てきたときの様子は、鶏小屋とりごやへ鶏を盗みに行ってきたようで、とうてい美しい婦人の心をうばいに行ってきたようには見えなかったのである。先刻まであれほど何度も彼が喜んで眺めた田園の富が両側にならんでいるのに、今は右も見ず左も見ずに真直まっすぐにうまやへ歩いてゆき、思う存分力をこめて馬をなぐったり蹴ったりして、乱暴にたたきおこした。馬はここちよい場所で深く眠りこんで、玉蜀黍とうもろこし燕麦えんばくのみのっている山々や、おおかわがえりやクローバの生えた谷間を夢に見ていたのである。
 いまや夜もふけて、まさに幽霊が出そうなころだった。イカバッドは心重く、しょんぼりと、家路をたどり、タリー・タウンの上にそびえる高い丘の斜面を進んで行った。その日の午後には、彼はこの丘をあんなに楽しげに越えてきたのだった。時刻も彼と同様、陰鬱いんうつだった。はるか下のほうには、タッパン・ジーの水が暗く、ぼんやり、荒寥こうりょうとひろがり、陸のかげにしずかにいかりをおろしている帆かけ舟の高い帆柱があちらこちらに見えていた。真夜中のひっそりした静けさのなかに、番犬のほえる声が、ハドソン河の向う岸からさえ聞えてくるのだった。だが、そのほえ声もあまりにぼんやりしてかすかなので、自分はこの、人間の忠実な仲間からさえも遠くはなれているのだ、と感じるだけだった。ときたま、鶏がふいに目をさまして、長く尾をひいて鳴く声が、遠く、はるかに遠く、丘の間のどこかの農家から聞えてきた。だが、それも彼の耳もとに夢のようにひびくだけだった。生きものがいるしるしは、彼の身のそばにはなにもなかった。ただときどき、蟋蟀こおろぎがもの悲しく鳴いたり、食用がえるが近くの沼で、寝ごこちが悪くて急に床のなかで寝がえりをうったかのように、咽喉のどをならしているだけだった。
 晩に聞いた幽霊や悪鬼の話が、みんないっしょになって、彼の心にうかんできた。夜はいよいよ暗くなり、星影も空に深く沈んでゆくように思われた。それに、疾駆する雲がおりおりその星さえもかくしてしまうのだ。彼はこんなにさびしくおそろしい思いをしたのは生れてはじめてだった。そのうえ、彼が今近づいてゆくのは、たくさんの幽霊の話がまつわる場所にほかならなかったのである。路の真中に大きなゆりの木が立って、巨人のように、あたりの木立の上にそびえ、一種の道標になっていた。その枝はこぶだらけで、奇妙な形をしており、ふつうの木の幹ぐらい大きく、よじれて地面につくほど垂れさがり、それからまた空中にのびあがっている。例の不幸なアンドレ少佐がそのすぐそばで捕虜になったので、この木は彼の悲劇的な物語と因縁が深く、アンドレ少佐の木という名でひろく知られていた。ひとびとはこの木を尊敬と迷信との混った気もちで見ていた。それというのは、この木に名を残した不幸な人の運命に同情していたからでもあり、また、ふしぎな物影が見えたり、陰気な嘆き声がきこえたりするという話がこの木に伝わっているからでもあった。
 イカバッドはこの恐ろしい木に近づくと口笛を吹きはじめた。だれかが自分の口笛に答えたような気がした。だが、それは一陣の風がその枯れた枝をさっと吹きぬけただけのことだった。もう少し近くにきたとき、彼は何か白いものが、木の真中にるさがっているのを見たように思った。彼は立ちどまり、口笛を吹くのをやめた。しかし、もっとよく見さだめると、それは木が雷にうたれて、白木がむき出しになっているのだとわかった。突然、うなり声がきこえた。彼の歯はがたがた鳴り、両膝りょうひざを鞍にいやというほどうちつけた。しかしそれは重なりあった大枝が風にそよいでこすれる音にすぎなかった。彼は無事にこの木を通りすぎた。だが、新たな危険が行手に横たわっていたのだ。
 この木から二百ヤードほどのところで小川が路を横ぎり、ワイリーの沼という、沼の多い、木のこんもりした谷間に流れこんでいた。ったままの丸太が二、三本ならべてあり、この流れをわたる橋のかわりになっていた。道の一方の、小川が森に流れこむほうの側には、かしくりの木立に野葡萄のぶどうつるが厚くからみついて、あたりを洞穴のように真暗にしていた。この橋をわたるのは、世にもつらい責苦だった。まさにこの地点で薄幸なアンドレは捕まったのであり、この栗や葡萄づるのかげにたくましい郷士たちが身をかくし、彼に不意打ちをくわしたのだ。それ以来この川には幽霊が出るといわれてきたので、今でも暗くなってからひとりでここを渡らなければならない小学生は、こわくてたまらないのである。イカバッドはこの川に近づくにしたがって、心臓がどきどきしはじめた。だが、彼は大決断をふるいおこし、馬のあばらを十回も蹴りつけて、一気に橋を駈けわたろうとした。ところが、このつむじ曲りの耄碌もうろく馬は、前に進むどころか、横へそれて、垣根にわきばらをぶつけてしまった。イカバッドは遅れたために恐怖がますますつのり、手綱をぐいっとばかり反対側にひき、他方の足で力いっぱい蹴とばした。それも駄目だった。馬が飛びあがったのは事実だが、今度は道の向う側のいばらやはんの木のしげみに飛びこんだ。先生は今やむちかかとと両方使って、年とったガンパウダーのやせほそった脇腹わきばらを滅多打ちにした。馬は、鼻息もあらあらしく、真一文字に走りだした。ところが、橋のまぎわまで来ると、はたと立ちどまり、不意をくらって乗り手はあやうく馬の頭をとびこして手足をひろげたまま投げだされそうになった。ちょうどこの瞬間、橋のかたわらで、ざぶざぶ水をわたる足音が、イカバッドの鋭い耳にきこえた。川のふちの、森の暗い影に、なにか巨大な、奇態な形をした、黒いものがそそり立っていた。それは動かなかった。暗闇くらやみのなかで、からだを引きしめて、巨大な怪物が旅人に飛びかかろうとしているかのようだった。
 仰天した先生のかみの毛は、恐怖のために逆だった。どうすればよかろう。向きをかえて逃げだそうとしても、もう間に合わない。それに、とても逃げおおせるものではない。もしそれが幽霊か悪鬼だったら、風の翼に乗ることもできるのだ。そこで、彼は見せかけの勇をふるって、どもりながら訊問じんもんした。「だれだ、貴様は」返事はなかった。彼は前よりもっとふるえる声でくりかえした。なおも答えはない。もう一度彼はびくとも動かぬガンパウダーの横腹をたたきつけ、そして両眼をとじて、夢中になって、讃美歌さんびかをどなりだした。するとそのとき、この恐ろしい影のようなものは動きはじめ、ぱっと一飛び岸にかけのぼると、たちまち道の中央に突ったった。夜は暗く陰鬱ではあったが、この正体不明のものの形はいまや少しはわかった。それはからだの大きい騎士のようで、逞ましい黒馬にまたがっているらしかった。邪魔をしようともせず、さりとて、うちとけて挨拶あいさつをしようともせず、道の片側に遠ざかったまま、老ガンパウダーのつぶれている目の側について、ゆるゆると歩を進めた。ガンパウダーは今はおどろきもしずまり、おとなしくなっていた。
 イカバッドは、この得体の知れぬ深夜の道連れが気に食わなかったし、ブロム・ボーンズが「早駈けヘッセ人」と競走した冒険談を思い出したので、自分の馬を急がせ、先に行ってしまいたいと思った。ところが、不明の騎士も馬を早め、歩調をあわせた。イカバッドは手綱をひきしめ、並足にし、後におくれようとした。相手もおなじようにした。彼は憂鬱になってきた。讃美歌をまたはじめようとしたが、からからに乾いた舌が上顎うわあごにくっついてしまった。一節も歌えなかった。この執拗しつような道連れが不機嫌におし黙っているのは、なにか不可解で、おそろしかった。間もなく、ぞっとするようなことがわかった。丘の上にのぼって、彼の道連れの姿がはっきりと空にうかびあがると、背は巨人のように高く、からだはマントにつつまれていたが、イカバッドが恐ろしさにきもをつぶしてしまったのは、その騎士に頭がなかったからだ。しかし、彼の驚愕きょうがくはさらに度を加えた。その頭が騎士の両肩のあいだに乗っていなければならないのに、鞍の前輪の上に乗っているのを見たのだ。こわさがあまって、彼はもう死にもの狂いになった。ガンパウダーを雨あられとっとばし、なぐりつけ、あっという間もなく駈けだせば、この連れから逃げだせるかと思った。しかし、幽霊も彼とともに一目散にかけだした。それから、彼らは、なにがあろうとかにがあろうとかまわず、突っ走った。一飛びごとに石は跳ね、火花は散った。イカバッドが懸命になって逃げようとし、長い痩身そうしんを馬の頭の前にのりだすと、その薄っぺらな洋服は空にぱたぱたひるがえった。
 彼らはスリーピー・ホローへ曲る道についた。ところが、ガンパウダーは悪魔にかれたもののように、その道についてゆかずに、反対のほうへ曲り、丘をくだって左へまっしぐらに突きすすんだ。この道はくぼんだ砂地の木がしげっているところを四分の一マイルほど通って、怪談で名高い橋をわたり、そしてそのすぐ向うには例の緑の丘があり、その上に白亜の壁の教会が建っているのだ。
 馬がおどろいて疾走するので、乗り手のイカバッドは熟達してはいないが、まだまだこの追跡戦はあきらかに彼のほうに勝ち目があるようだった。ところが、ちょうど彼が窪地の半ばまで来たときに、鞍のしめ革がほどけて、からだの下から滑ってはずれそうになるのが感じられた。彼は鞍の前輪をつかまえ、しっかり支えていようとした。しかし、駄目だ。あわやという間に彼は老ガンパウダーの首をつかまえ、自分は助かったが、鞍は地面におち、追手の足に踏みつけられる音が聞えた。一瞬、ハンス・ヴァン・リッパーが憤激するおそろしさが彼の心にうかんだ。この鞍は彼のよそゆきの鞍だったのだ。しかし、今はつまらぬ心配ごとをしているときではない。悪魔は彼のうしろに近く迫っている。それに、(彼はじつに未熟な騎手だった)腰をすえるのにひとかたならぬ苦労をし、一方に滑ったかと思えば、また一方に滑り、ときには、馬の背骨の高い峰にごつごつあたり、そのはげしさに、彼はからだが裂けてしまうのではないかと思った。
 木立が開けてきたので、彼は教会の橋の真近かに来たと思ってほっとした。川のおもてに銀の星が映ってゆれているので、彼の考えは間違っていないことがわかった。見れば、教会の壁が彼方の木々の下にぼんやり光っている。彼は、ブロム・ボーンズと競走した幽霊がすがたを消した場所を思いだした。「あの橋に着くことができさえすれば」とイカバッドは考えた。「おれは助かる」ちょうどそのとき、その黒馬が彼のすぐうしろで息をはずませているのが聞えた。彼はその熱い息を感じたと思ったほどだ。彼がぎくりとして、また脇腹を蹴とばしたとき、老いぼれのガンパウダーは橋の上に飛びあがった。馬は橋の板を鳴りひびかせて渡り、向う側についた。そこでイカバッドはちょっとうしろをふりかえり、追手が、きまり通り、一閃の火と硫黄になって消えるかどうか見てみた。ところがそのとき、彼が見たのは、悪魔があぶみをふんまえて立ちあがり、まさにその頭を自分にむかって投げつけようとしているところだった。イカバッドは身をかわして、おそろしい弾丸を避けようとした。しかし、遅かった。弾丸は彼の頭にものすごい勢いでぶつかった。彼は真逆さまに地面にころがりおち、ガンパウダーと、黒馬と、幽霊騎士とは旋風つむじかぜのように通りすぎていった。
 その翌朝、老馬が見つかったときには、鞍はなくなり、くつわは足の下に吊るさがり、馬はまじめな顔をして主人の家の門のところで草を食べていた。イカバッドは朝食にあらわれなかった。昼食の時刻がきた。だが、イカバッドは影も形も見せない。子供たちは校舎にあつまり、川の堤をぶらぶら散歩していた。だが、先生はいない。ハンス・ヴァン・リッパーは、あわれなイカバッドとそれから自分の鞍とにふりかかった運命が少々気になりはじめた。探索を開始し、あちこち熱心に調べたあげく、一同は彼の足跡にゆきあった。教会へ行く路の一カ所に鞍が踏みつけられて、土にまみれているのが見つかった。馬蹄ばていの跡は道に食いこんで、あきらかにものすごい速さで走ったらしく、橋のところまでつづいていた。橋を渡って、川幅がひろくなり、水が深く黒々と流れているあたりの岸辺に、不幸なイカバッドの帽子が発見され、すぐそのかたわらにつぶれた南瓜かぼちゃが一つ転がっていた。
 川を捜索したが、先生の死体は発見できなかった。ハンス・ヴァン・リッパーは彼の遺産管理人として、先生がこの世でもっていた財産を全部いれてあるつつみを調べた。彼の財産は、シャツ二枚半、襟巻き二本、毛糸の靴下が一、二足、コールテンの古半ズボン一着、びたかみそり一ちょう、あちこち折りこんだ讃美歌の本一冊、それから、こわれた調子笛が一つであった。学校の書物や道具類は、村の所有物だったが、その他に、コットン・マザー老の「魔術の歴史」と、ニューイングランド年鑑一冊と、夢と易についての書物一冊があった。この最後の本には大判の洋罫紙ようけいしが一枚はさんであったが、むやみに走り書きがしてあったり、消してあったりした。いくたびやっても実らぬこころみではあったが、先生が一篇の詩をつくり、ヴァン・タッセルの世継ぎ娘にささげようとしたのだった。この魔術の書物と詩の書き散らしとは、ただちにハンス・ヴァン・リッパーの手によって焼却された。彼は、その後は自分の子供たちをもう学校にやらないことに決め、こんなものを読んだり書いたりしてもろくなことはない、と言った。先生はつい一日二日前に四半年分の給料を受けとったのだが、有り金はのこらず、失踪しっそうのときに身につけていたにちがいなかった。
 このふしぎな事件は、次の日曜日、教会でさまざまな思わくをきおこした。ひとびとはいくつもの群になって、墓地や、橋や、帽子と南瓜とが発見された場所に集り、しげしげとあたりを見まわしたり、噂話うわさばなしをしたりした。彼らはブラウワーの話や、ボーンズの話や、またほかの話も全部思い出し、それらについてとくと考え、今回の事件と比較したあげく、みな頭をふって、イカバッドは韋駄天いだてん走りのヘッセ人にさらわれてしまったのだと決めた。彼は独りものだったし、だれにも借金はなかったので、もはやだれも彼のことで頭をなやまさなかった。学校はホローの別な場所に移され、ほかの先生が彼のかわりに幅をきかすようになった。
 じつをいえば、この幽霊の冒険談はある年とった農夫から聞いたのであるが、この農夫が、その後数年してからニューヨークに行ってきて、故郷にもちかえったしらせによると、イカバッド・クレーンはまだ生きており、彼がこの近郷を去ったのは、一つには悪鬼やハンス・ヴァン・リッパーがこわかったからであり、また一つには不意にあの跡とり娘に捨てられたのが無念だったからである。彼は遠方に住居を変えて、学校で教えるかたわら法律を勉強し、弁護士になり、政治家に転じ、選挙運動に奔走し、新聞に寄稿もし、ついに民事裁判所の判事になったということであった。ブロム・ボーンズは恋敵が消えてしまってからしばらくのちに、花はずかしいカトリーナの手をとって誇らしげに祭壇にみちびいたのであった。そしてイカバッドの話が出ると、深く事情を知っているような顔つきをし、話が南瓜のことに及ぶと、愉快そうに爆笑したので、ひとびとのなかには、彼が事件をもっとくわしく知っているのだが、話そうとしないのだ、と疑うものもあった。
 しかし、田舎の老婆ろうばたちは、こういうことについては最上の審判官であるのだが、彼女らは今でも、イカバッドは超自然的な方法でふしぎにも運び去られたのだと言っている。この近辺のひとびとは冬の夜に炉をかこみ、好んでこの物語をするのである。例の橋はいよいよもって迷信的な恐怖の対象となり、そのためであろうが、近年になって道すじが変えられ、教会へ行くには水車用水池の端を通るようになった。学校は使わなくなって、間もなく朽ちおちてしまい、不幸な先生の幽霊が出るといわれたものである。農夫の子が、静かな夏の日ぐれに家路をたどるときには、しばしばあの先生の声が遠くに聞え、もの悲しい讃美歌を人影もないしずかなスリーピー・ホローで歌っているような気がしたものである。


 上述の物語は、古いマンハットー市(訳註)の市会の席上でわたしが聞いたのと、ほとんど全くおなじ言葉で述べたものである。この会には同市のオランダ人の古賢名士が多数出席した。話をした人は、快活な、むさ苦しいなりをした紳士風な老人で、霜降りの洋服を着て、顔に悲しげな影はあったが愉快そうであった。わたしが感じたところでは、貧乏にちがいなかった。だが、彼は大いにつとめて列席のひとびとを楽しませようとした。彼の物語が終ったときには、笑い声が盛んにおこり、なかなかの人気があったが、特別大笑いをして喜んだのは、二、三人の市会議員で、物語の大部分は居眠りをしていた人たちであった。しかし、ひとり背の高い、からびたような顔つきをした老紳士がいて、まゆが眼の上に張りだしていたが、この人は終始、重々しい、むしろ厳しい顔をしていた。そして、ときどき腕を組み、うつむいて、床を見つめ、あたかも心のなかで何か疑いごとを思案しているようであった。彼はいわゆる用心深い人で、笑うのはしっかりした理由があるときだけ、すなわち、理窟りくつと法則とにかなったときだけである。一同の歓声がしずまり、ふたたび静粛になったとき、彼は片腕を椅子いすひじにもたせかけ、もう片腕を腰にあて、わずかではあるが、まことに偉そうに頭を動かしながら、額をちぢめて、問いただしたことは、この物語が教えようとするのは何か、ということと、この物語は何を証明するのか、ということだった。
 話し手は、労をねぎらうための葡萄酒ぶどうしゅのグラスを唇につけようとしていたが、一瞬静止して、無限の尊敬の意をこめて質問者を見やり、やおらグラスをテーブルにおろし、口を開き、この物語がきわめて論理的に立証しようとすることは、
「人生においては、たとえどんな場合でも必ず利点や愉快なことがあるはずです。もっともそれは、わたくしどもが冗談をすなおに受けとればのことですが」
「そこで、悪魔の騎士と競走することになった人は、とかくめちゃくちゃに走るのも当然です」
「したがって、田舎の学校の先生がオランダ人の世継ぎ娘に結婚を拒まれるということは、彼にとっては、世の中で栄進出世にいたるたしかな一歩だということになります」
 用心深い老紳士はこの説明をきいて、三段論法の推理にしたたか悩まされ、十倍もひどく眉をしかめた。一方、霜降り服の紳士は、勝ち誇って、いくぶんあなどりの眼で相手を眺めたようであった。やがて相手は、それはそれでたいへん結構だ、だがなおも自分はこの物語がいささか突飛であると思う、一、二の点について自分は疑問をもっていると言った。
「おっしゃる通りです」と語り手は言った。「そのことにつきましては、わたくし自身、半分も信じてはいないのです」
D・K
原註 ウィッパーウィルとは夜だけ鳴く鳥である。この名がつけられたのは、鳴き声がそれに似ていると考えられたからである。
訳註 ニューヨーク市。

底本:「スケッチ・ブック」新潮文庫、新潮社
   1957(昭和32)年5月20日発行
   2000(平成12)年2月20日33刷改版
入力:鈴木厚司
校正:砂場清隆
2011年8月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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