今年は、五十年来の不作で、我々善良なる国民は来年の三月頃から七月頃にかけ、餓死するであろうという政府の役人の仰せである。そんなことなら爆弾を浴びて死んだ方がよかったというかも知れないが、運悪く生き残ってしまったのであるから、なんとしても致し方がない。幸い、防空壕を埋めないで置いてあるから、いよいよ飢餓が迫ってきたならば壕の底へ長々と伸びて、いよいよそのままとなったら、簡単に上から土をかけて貰うことにしよう。
 そして、食い納めであるから、いなごを捕ってきてくれと、娘に命じたところ、娘は小半日ばかり稲田のなかを歩きまわって帰り来り、今年は蝗がいませんと言って、茶袋を縁先へ投げ出したのである。見れば、袋のなかに僅かに十数匹の蝗が、飛び脚を踏ん張り合って、揉み合っているだけである。米が不作の年には、蝗まで不作であるとみえる。十数匹の蝗を竹串にさして、塩をなすり、焚火に培って食べたところ、長い間動物性の蛋白質に飢えていた際であったから、素敵においしかった。
 私は、昨年の三月故郷の村へ転住してからというもの、一回も魚類や油類の配給を受けなかった。汽車の切符が買えないから、釣りには行けない。闇で鯖の乾物でも買って食べたいと思ったが、そんな手蔓てづるはない。
 そこで、娘に蝗を捕らせて食った次第であるが、動物を食べたのは数ヵ月振りだ。これで一盃あれば結構な話であるけれど、三月から十一月までに、ただの一回、僅かに二合の合成酒が配給されたのみ。
 明日から、自ら田圃へ出動して蝗を捕ることにきめた。蝗はもう霜に逢っているから羽が強くきくまい。何匹かは捕れるであろうと思う。しかし、世の中には蝗などいう虫けらは食わんと毛嫌いする人があるが、それは食わず嫌いというものだ。
 元来、蝗は関東から東北地方の人々が好んでよく食う。信州や北陸地方の人々も、酒の肴にする。支那でも盛んに食い、中央亜細亜方面では佳饌のうちに加えられてある。
 昔、京の禁裡から白面金毛九尾の狐を祈り払った陰陽博士阿部晴明は、母の乳よりも蝗が好物であったというから、彼は幼いときから蝗をむしゃむしゃ、やったものと見える。晴明は、信田の森の葛の葉という狐が生んだ子供であるという話だが、そういえば先年北軽井沢の養狐園を視察したとき、園主から狐は蝗をひどく好むという説をきいたことを記憶している。
 予言者ヨハネは、蝗と野の蜜蜂を常食にしていたという記録がある。してみると、ヨハネも狐の縁戚に当たるかも知れないが、私の隣の家で飼っている猫は、素敵に蝗が好きで毎年秋がくると、鼠を捕るのを忘れて、田圃へさまよい出ては蝗捕りを専門にやっているという話だ。では、ヨハネは猫類にも血のつながりがあったのかも知れぬ。
 ある日私が、縁先で蝗を串にさしていると、隣村から老友がやってきた。しばし私の手先をながめていたが、蝗などという気品の卑しい虫は食うものじゃない。と、抗議するのである。それほど、動物性の蛋白質に飢えているなら、わが輩が素晴らしいご馳走を進上しようと、同情ある口吻をもらすのである。
 素晴らしいご馳走とは、なんじゃと問うと、猫じゃと答えるのである。すると、わが老妻が傍らでそれをきいていて猫を食べるのはおよしなさい。猫を殺せば七代祟ると俚言があるけれど、その猫を食べれば十代も、二十代も祟るかも知れません。ああ、怖ろしい。
 その言葉に老友が答えて、奥さん我々は来年の春から夏へかけて、餓死するであろうというのであるから、遅くも田植え頃までには一家親族が飢え死に、死に絶えるかも知れません。してみると、猫が祟りたいと専ら神通力を揮ったところで、孫も子も死に絶えていないのだから祟りをどこへ持って行きようもない。つまり、猫は殺され損になるでしょう。
 とにかく、猫でも鼠でもいたちでも、蜻蛉でも蠅でも芋虫でも、食えるうちに食って置こうじゃないかということになり、老友は二、三日後を約して帰って行った。
 昔から猫のことを『おしやます』という。おしやますとはどんなところから名が出たのか知らぬが、おしやますの吸物といえば、珍饌中の珍饌に数えられてある。また一名『岡ふぐ』ともいう。
 二、三日後、老友は小風呂敷の包みを持ってやってきた。包みを解くと、竹の皮に家鶏の抱き肉のような白い半透明の肉が、一枚一枚ならべてある。
 君、これは鶏の肉じゃないか、おしやますじゃあるまい。これでは、何の変哲もないのうと期待に反した文句をいうと、いやこれは、正真の猫肉じゃ。猫肉は、犬の肉のように闇赤色に濁って、下品ではない。恰も、若鶏の如くやわらかく白く澄み、風味たとうべからずであるから、食べてみてから文句をいい給え。
 さようか、分かった。しかし若鶏の肉にも似ているが、ふぐの刺身のようでもあるのう、貴公はもう試食済みか。いや、試食どころではない、常食にしちょる。猫肉は、精気を育み体欲を進め、血行を滑らかにすると、ある本に書いてあったから、先年来密かに用いたところ、なるほど本の通りであった。
 試みに、わが輩の顔の色沢を見給え、青年からさらに遡り童顔に等しかろう。どうじゃ、わが輩の腕の筋肉の盛り上がりよう。
 ところで貴公、貴公は先年来、猫を常食にしているというが、いままでに何頭ほど食ったかな、三十数頭。よう食ったものじゃ。してみると、貴公は猫捕りの名人ちうことになるな。
 それほどのことはないがね。
 そこで、友達甲斐に一番猫捕りの秘法を伝授してくれまいか、決して、他人には口外せぬことにするから。
 秘法伝授というほど、こみ入った術はいらぬのだけれど、まず猫の習性をよく研究するがよい。君は、知っちょるか知れないが、猫の通路ちうものは一定している。そこをこくめいに観察するのが、奥の手じゃ。わが輩は、わが輩の家と隣家との境をなす竹垣の破れ目が、猫の通路であることを先年発見した。
 どら猫も、きじ猫も、三毛も、ぶちも、虎毛も、黒も、灰色猫も、どれもこれもこの破れ目を通行する。細心なる観察を続けていると、隣の屋敷からわが輩の屋敷へ侵入してくる時は、必ずその路を通るが、帰りだけは、いずれも勝手の路を選んでいるらしい。尤も、帰り路には何か盗んで、棒切れや石塊で追い払われるのであるから、お成り街道ばかり歩くわけにはいくまいな。
 そこで、わが輩が考案したのは、締め縄だ。針金の十八番線ほどのものの一方を輪にして、それを竹垣の内側の破れ目へ、吊るして置くのだ。すると、猫の奴、隣屋敷から、ひょいと体を伸ばして破れ目を飛び越える途端に、首を針金の輪へ突っ込む。苦し紛れに前進したり、もがいたりすればするほど、針金の輪が強く喉を締め、食い込んで、ついに一叫の悲鳴だにあげ得ずして、はかなき最後をとげる段取りになる。
 凄き、手腕じゃの。
 ところが、近ごろ猫の奴が少なくなったは困った。そして、近所の飼主がわが輩の挙動に着目して、うろんの眼でわが輩を見るには閉口だが、まだ一度も抗議は申し立ててこん。犬や豚と違って、猫はその筋へ登録してないのであるから、正面切ってわが輩に苦情を持ち込むちうわけには行かぬのであろうけれど、もし抗議があったらわが輩にも言い分はある。ちかごろはその抗議を密かに待っているような次第だ。
 どんな言い分を持っちょるな。
 先ごろからわが輩は竹垣の破れ目の傍らへ立札を立てた。猫族余が屋敷内へ入るべからず、もし侵したるときは、撲殺を蒙るおそれあるべし、世の飼主注意せよと書いた。猫は字が読めぬから、引き続きやってくるよ。
 手前勝手の立札じゃわい。
 だが、近時猫の奴の少なくなったのには困却したが、今夏は越後国南魚沼郡浅貝付近の山中から、またたびの実を採集して来て、これを塩漬けにして蓄え、毎夜垣の破れ目の内側へ一箇ずつ落として置くと、俄然大いに成績を盛り返したね。
 あれは、人間の酒のつまみ物にもなるな。
 なにはともあれ、おしやます鍋見参ということにし給え。
 本草綱目を繙いてみると、猫肉はその味、甘酸にして無毒とあって、食法が書いてない。倭本草には猫性を指して、気盛んなるとき爪を磨ぎ、喜ぶとき咽をならす、快きとき前足をもって面を洗う。他児を乳し、朝昼夕に変眼、鼻頭常に冷たく、死ぬとき身を隠し、またたびを好み、これをからだに塗りつける。と、あってこれにも料理の法がない。
 そこで、ありきたりのすき焼き鍋に入れ、葱と春菊と唐芋とを加役として、ぶつぶつと立つ泡を去るために、味噌を落としたけれど、少しくさみがある。本朝食鑑には、その味甘膩かんじなりとあるが、期待したほどでもなかった。
 次に、鍋に入れ水からゆでて、くさみを去るために、杉箸二本を入れて共に鍋に入れる。たぎったならば、目笊めざるに受けて、水にて洗う。別の鍋に、里芋の茎、ほうれん草を少々入れたすまし汁を作って置いて、それにゆでた猫肉を加え、再び火にかけて沸ったところを碗に分け、橙酢を落として味あったところ、これはひどく珍味であった。汁面に、細やかなる脂肪浮き、肉はやわらかくて鮒の肉に似て甘い。味は濃膩のうじにして、羊肉に近い風趣があると思う。
 さて、はからずも老友に、時節柄素敵な秘法の伝授を受けた。今晩から、猫捕りに精進しよう。北米寒地のインデアンは、食糧に困ってくると、そり犬の皮まで食ってしまうという話であるから、私は猫の皮を塩漬けにでもし蓄えて置こう。肝臓その他の腸は、焼鳥の材料に――。栄養の調子を狂わせぬように、用心して行きたい。
(二〇・一一・一九)

底本:「『たぬき汁』以後」つり人ノベルズ、つり人社
   1993(平成5)年8月20日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2006年12月2日作成
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