もうそろそろ、もずが巣を営む季節が近づいてきた。私は毎年寒があけて一日ごとに日が長くなってくると、少年のころ小鳥の巣を捜すのに憂き身をやつしたのを思いだしてひとりでほほえむのである。小鳥のうちで巣をつくりはじめるのは、もずが一番早い。もずは営巣をはじめると殆どかない鳥だ。全然啼かないというわけではないが、もずはほかの小鳥の啼きまねをするのが好きであるから、営巣をはじめてから高い杉の木の葉がこんもりと茂ったなかで、雲雀ひばりの唄う声をまねているくらいで、あの彼女が持ち前のキキというきぬを裂くようなはげしい声はあげないのだ。この沈黙は、春から秋のなかばごろまで続いて、野の枯草に一霜おりる頃になると、枝から枝へ低く飛んで、人をびっくりさせるような声をたて、姿を現わす。その時分、桑の枝に小蛙が突き刺されたまま干からびているのは、あれはもずがやった仕業しわざだ。と私らは村の人から聞かされていた。もずは秋から冬一杯啼き続けていて、春がたち初午はつうまの祭りが過ぎると、急に啼きやむのだが、裏の薮に、もずの声を四、五日も聞かないのに気がつくと、私ら少年はもうもずが巣をつくりはじめたな。と合点するのであった。
 今年は、どこへ第一着につくりはじめるかなとそれを捜すのに興味を持ったのだ。学校から帰ってくると、鞄を上がりかまちへ放り出しておいて、裏の篠や鎮守の林、寺の裏の椿の木などへ走って行って、あっちこっちと捜しまわるのである。
 しかし、もずは巣をつくるのにまことに用心が不足している。人の眼につくところなど、平気で巣をかけはじめる。椿の葉の密生したところと篠薮の密生したところが、だいぶ好きらしい。それに巣の位置が低い。私ら子供の手さえ届くくらいのところへ、平気で巣を営むのだ。
 それからさらに面白いことには、巣には必ず目印をつけて置く。巣をつくり終わると、神社の拝殿か新築の家の屋根の箱棟はこむねから、お祓いの白い紙をつみ切ってきて、それを巣に吊るすのである。それは、なんのためにするのであるか人間には分からないが、もずの巣には必ずどれにも、このお祓いの紙がさがっているのをみると、多分これは目印のために吊るすのではないかと思う。だから私ら人間の子がもずの巣を捜すにはこの目印を目標としていくのだ。こんな訳で巣を捜すには大して骨は折れなかったが、もずの子は捕まえてきても育てるのがむずかしい。活き餌でなければ育たないので、捕まえてきた二、三日は蓑虫かなにか捜してきて熱心に餌飼いをするが飽きてくると蓑虫をとりに行くのがいやになって半日も捨てて置くと冷たくなって死んでしまう。
 もずの巣に興味を失うころになると、田圃たんぼの空に雲雀が唄いはじめる。大体、もずの営巣は二月の下旬から三月下旬位までであるが、四月に入れば雲雀の時代だ。
 雲雀の一番巣は四月一杯。二番巣は五月一杯。三番巣は六月で、このうち一番巣は大部分雄が孵化するから興味が深い。大きく育てても、雌の方は啼かないから無駄である。だから雌の子が多い二番巣、三番巣はあまり人が興味を持たないのである。一番巣の頃はまだ田の麦が腰をたてない。僅かに四、五寸に伸びたばかりである。雲雀の一番巣は、その低い麦の芽の柵へつくるのであるが、これを発見するのは大事業だ。容易のわざではなかった。
 どこの麦田に雲雀が巣を営んでいるかを見当つけるには、雲雀の餌をくわえて子供のところへ運んでゆく姿をまず発見しなければならないのである。餌をくわえて飛んでいる雲雀の親を発見しても、親は決して直接には巣の上へ降りない。充分、あたりを警戒したのち、巣から一町か一町半も離れたところへ降りる。そして、地上を這って行ってから子供に餌をやるのだ。だから、親の降りたところを中心として、一町か一町半のところを半径として、その近くの田圃を捜しまわるので、一つの巣を発見するのに三日も四日もかかることがあった。
 親は、子供に餌をやって置いてまた直ぐ餌を捜しに出るのだが、必ずから手では飛び上がらない。子供がお尻からだした糞をくわえて出るのである。そこで、親が糞をくわえて何処どこから飛び出すかに注目するのであるけれど、これも巣から直接には飛び上がらないのだ。やはり一町か一町半ばかり地上を歩いて行って、糞をくわえたまま飛び上がり、そこで空中から糞を落とすのである。こんなわけで親の振る舞いを空に発見しても、一春にいくつもの巣を発見することができるものではない。
 私の故郷は、上州の榛名山の麓で、長い山の裾が広く長く関東平野へ伸びゆくところの村である。麦田と桑畑が、はてもなく続いている。麦田の上を春の風がそよそよと吹いて、おだやかなかたちの榛名山が、遠く大霞を着て北の空に聳えていた。私は、蓮華草れんげそうが紅い毛氈じゅうたんのように咲いた田へ、長々と寝そべりながら、ひねもす雲雀の行方ゆくえを眺めていたことがあった。
 西の空には遙かに、浅間山が薄い煙を越後の方へなびかせていた。雲雀の雄親は子供へ餌をやる寸暇をぬすんで自慢の美声に陶酔するのであろうか。高い空で快く啼いている。黄色い蝶と、蜜蜂が忙しく蓮華の花から花へ舞っている。
 やがて、春の遅い日も夕べに近づいて上信国境の山際へ陽が落ちこもうとする。大きな丸い紅い陽が霞に隔てられて橙色に薄れてくる。何と静かな春日だろう。
 私は、とうとう雲雀の巣を捜しあてることができないで、若草の野路をいつも田圃から村の方へ歩いてくるのだ。遠い村の方へ、ちらほらちらほらと灯がつく。
 少年のことの春を、もう一度味わいたい。
(一五・三・五)

底本:「完本 たぬき汁」つり人ノベルズ、つり人社
   1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「随筆たぬき汁」白鴎社
   1953(昭和28)年10月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月2日作成
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