右腕の神経痛が始まつたので、私はここ数日床の中で朝夕を送り迎へてゐる。神経痛といつても私のはごく軽微なものであるが、それでも夜間など、一睡も出来ないまま夜を明かすこともある。これは気温の高低に非常に敏感で、そのため夜になつてあたりの温度が下つて来ると激しい痛みが襲つて来るのである。丁度筋肉と骨の間に、煮滾つた熱湯を流し込まれるやうな感じで、ひどい時には痛む腕を根本ねもとからつてしまつたらどんなによからうと思ふ。それでも明け方になり、徐々に温かくなつて来ると少しずつ激痛は納まつて、とろとろと浅い眠りに入ることが出来る。昼間は夜に較べるとずつと痛みが弱く、見舞ひに来た友人などと話してゐると、どうにか気をまぎらはしてゐられる程度である。勿論、ひどくやられると夜も昼もあつたものではない。さうなると重病室へ這入つて静養するのであるが、私の神経痛などまだたかが知れてゐた。
 私はアスピリンを服用し、蒲団の中から首だけを出して毎日を過すのであるが、昼間はそんなに苦しいとも思はない。眠れなかつた翌日はうつらうつらと半睡状態で過し、どうにか眠れた翌日は窓の外を終日仰いで時を送つた。
 まだ八月の下旬に入つたばかりであるが、それでも窓外はすつかり秋めき、夜になると部屋の中へスイッチョが忍び込んで啼いたりする。
≪日あしは日毎に短くなつて≫
≪ひるがへる紙の白さに秋がたはむれ≫
≪空は湖≫
≪きれぎれに流れる雲に乗つて≫
≪風は冷気をつつんでゐる≫
≪あのふるさとの潮鳴りが≫
みづうみに奔騰する雲の泡≫
 秩序も連絡もなく、退屈になるとそんなことを口から出まかせに呟く。しかしさういふことを呟いてゐる自分を考へ出すと、私はいひやうもない侘しさに襲はれる。床に就てゐるため気が弱くなつたのであらうが、旅愁にも似たものを覚え、やがては、かうした小さな世界に隔離されたまま生涯を埋めて行く自分が思はれて、堪らなくなつて来るのだ。自分は何のために生れて来たのだらう、ただ病んで苦しんで腐つて行くために生れて来たのだらうか。幼稚な疑問と思はれるかも知れないが、かういふ疑問が執拗にからみついて来るのである。勿論このことに就いては既に考へ抜いて来たつもりでゐるし、また考へもしたのであるが、それでゐて、この疑問が襲つて来る度に以前の考へが変に白々しく感ぜられ、それでいいのか、それでいいのかと、自分の考へを嘲笑するやうに迫つて来るのである。
(未完)

底本:「定本 北條民雄全集 下巻」東京創元社
   1980(昭和55)年12月20日初版
※底本の二重山括弧は、ルビ記号と重複するため、学術記号の「≪」(非常に小さい、2-67)と「≫」(非常に大きい、2-68)に代えて入力しました。
入力:Nana Ohbe
校正:伊藤時也
2010年9月12日作成
2011年4月15日修正
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