清造はその朝になって、やっとにぎやかな町に出ました。それは、清造の生まれた山奥の村を出てから、もう九日目くらいのことでした。それまでにも、小さな町や村は通ったことがありましたが、これほどにぎやかな町に出たのはこれがはじめてです。町の両側には新しい家がならんでいました。そうしてそれらの店には、うまそうなおかしだの、おもちゃのようにきれいなかんづめだの、赤や青のレッテルをはったびんなどが、みがきたてたガラスの中にかざってありました。
すきとおるような、冬の朝の日の光に、それらの店やびんやおかしが、美しく光っていました。店の前に立てた、赤地に白くそめ出した長い旗が、氷をふくんだような朝の風に、はたはたと寒そうに鳴っていました。
ほんとうは、それはまだ、東京の郊外の、ちょっとした新開地にしかすぎません。けれども、今まで山の中にばっかり育って、あまり町を見たことのない清造の目には、それがどんなに美しくうつったことでしょう。清造はすっかり驚きました。そうしてこの町をひいていく、馬力や牛車がどんなに長くつづいているのだろう。こんなたくさんの車や人が、どこからこうして出てくるのだろう。――おまけにその間を、自動車が、ブーッ、ブッと、すさまじい音をたてて、新開地のでこぼこ道を、がたがたゆれながら、勢いよく走っていきます。清造はまったくびっくりしてしまいました。
しかし、これでやっと東京へ着いたのだ、と思うと、かれはやはりうれしくなりました。どんなに貧しい人でも、東京へさえいけば、なにか働く道もあるし、りっぱになれるということを村の人たちから聞かされていたからです。けれどもそうして働くには、どこへいって、どんな人に頼んだらいいのか清造にはわかりませんでした。
町の両側の店をのぞきながら歩いても、それらの店の人たちはみんな、朝のかざりつけにせわしそうに働いていました。ぼろぼろによごれた、きたない着物をきている、ちっぽけな子どもなんかに目もくれる人はありません。それほどみんなはせわしかったのです。往来にはつめたい風が吹いているし、今はもう暮れの売出しの時節です。
清造はだまってぼつぼつ歩いていました。お腹もぺこぺこに減っていましたが、なにか買って食べるお金なんか一文も持っていなかったのです。めし屋ののれんの中からは、味噌汁やご飯の香りがうえきった清造の鼻先に、しみつくようににおってきました。しかし清造はぺこぺこにへこんだお腹をそっとおさえて、悲しそうにいき過ぎるよりほかにしかたがありませんでした。
このにぎやかな町にはいってから、五、六町歩くうちに清造はどこの店も、自分にはまるで用のないものだということを、小さな頭にさとりました。唐物屋だの呉服店などに、どんなにきれいなものがかざってあっても、今の清造にはなんの興味もありません。金物屋や桶屋はそれ以上に用のないものでした。といって、あのうまそうなおかしだの、にしめだののならべてある店の前に立つと、ただ苦しくなってくるばかりです。
「どこにもおれには用はねえだ。」かれはそう思うと、このにぎやかな町が、にわかにさびしいものになってしまったように感じました。そうして、きのうまで歩いて来た、林だの畑ばかりつづいたいなか道が、かえって恋しくなってきました。そこでもかれはむろん、うえ疲れて歩いていました。しかし、お腹がへって、からだが疲れてふらふらしてくると、清造はどこか道ばたの木の根でも、お堂の縁にでも腰をおろして、ごろりと横になるのでした。そうしてふと目をつぶると、頭の中がしいんとして、いつも同じように、自分がいままで遊んでいた、村のはずれにある、あの大きな沼が目の前に浮かんできました。
清造はそのふるびたさびしい沼のふちに、たったひとりで遊んでいました。沼にはあしやよしの黄色い茎が枯れてかさなりあっているところや、青黒い水が、どんよりと深くよどんでいるような場所がありました。水鳥がむれて泳いでいる時も、あめんぼが勢いよく走っている時もありました。しかし清造には、この沼のあたりが、一番しずかでだれにもいじめられずに遊んでいられる場所だったのです。
清造はさびしくなると立ちよって、沼に石を投げこみました。すると、やがて大きなあわがひとつぽっくりと浮かんで、ぽっと消えると、後からまた、小さなあわが、ぶくぶくと、たくさん浮かんできます。これはなんだか、沼が清造に話をでもするように思われました。だから清造は、沼のふちに遊びにきて帰る時には、かならず石を一つ投げこんであわがすっかり浮かびきるまでながめてから、自分の家に帰るのでした。
ことしの夏、この山奥の小さな村に悪い病気がはやった時、清造の両親は一時に病気のためになくなりました。まだやっと十三になったばかりの清造は、悲しみとさびしさの中にとほうにくれてしまいました。
秋になって、百姓仕事が、少しせわしくなってから、清造は、近所の家に手伝いにいって食べさせてもらっていました。しかし、この村はどの家も、どの家もまったく貧しい暮しをしているので、どこでも清造ひとりを余計に養っておけるような家はなかったのです。
「おめえのような人間は、いまのうちに東京さいって、なにかしたらいいだ。気だても素直だから、どこさでもおいてくれべえ。こんな村に子どもひとりして暮していたってしようがない。早くいくがいいよ。」
秋の刈入れがすんで、手伝い仕事がなくなると、村のひとたちはだれも清造にこういうのでした。清造はそれを聞くと悲しくなって、沼のふちへ来て泣いていました。そうして今度は、石を二度、沼の中に投げこみました。ゆっくりと間を置いて、はじめのあわが消えてしまうと、また投げるのです。そのあわをじっと見てると、死んでいった父と母が、あわの中からなにかささやくように思われました。
清造が毎日、沼のふちに来てぼんやりして暮しているので、村の人もとうとうかまわなくなりました。食べられなくなった清造は、ついに村を出なければならなくなったのです。そうしてかれは、道を歩いて疲れてくると、横になって目をつぶりました。さびしい沼が、ふと浮かんで、ふたつのあわが浮かんで消えるのがはっきり見えました。それを見ると、かれはふしぎに元気を回復するのでした。
二
お昼ちかくまで、清造は、長い町を歩きました。町はずれのむこうの方に、汽車の通る土手の見えるへんまでくると、その町は少しさびれてきました。清造はぺこぺこにへったお腹をかかえて、もう目がまわりそうにだるいのをこらえながら歩いてくると、ふと道の片側に、いろいろな絵のかかっている店がありました。それは正月を目の前にひかえて、せわしくなった凧屋でした。凧屋の主人は、店の中にひとりすわってはり上げた凧に糸目をつけたり、骨組をなおしたりして働いていました。
清造はもう疲れきってしまったので、凧屋の前に立って、凧の絵を見るようにして休んでいました。ろうをぬったひげだるまの目は、むこうの隅でぴかぴか光っているし、すさのおのみことは刀を抜いて八頭の大蛇を切っていました。自来也や同心格子や波に月は、いせいよく、店の上にぶらさがってふわふわ動いていました。清造はそんな凧を見たのは、はじめてでした。
凧屋のおやじさんは、ただせわしそうに下をむいて熱心に糸目をつけているので、清造もおびえずに、店さきに近よって、じっと店の中のいろいろな絵をながめまわしました。くるくると目のまわるようにできている、さんばそうの凧がありました。店の中に風が吹きこんで来るとたんに、さんばそうの目がくるりとひとつまわりました。清造は、「あっ」といって驚いて目をつぶると、いきなりまた、例の沼が目の前に浮かんで来たのです。そうして、大きな大きなあわがひとつぽっかりと浮かび上がったのを見たと思うと、清造にはなんにもわからなくなってしまいました。
「小僧、どうしたんだ。しっかりしろよ。」
遠いところで呼んでいるのが、だんだん近くなって来て、太い声が耳のそばでひびくのを聞いた時に、清造は、はっとわれに返りました。気がついてみると、それは凧屋の店の裏でした。台所のわきのせまい部屋にあおむけにねかされて、枕もとに、さっき店でみたおやじさんがすわっていて、そのうしろにはあかんぼうをおぶったおかみさんが、立っていました。
「どうした、気がついたか。」
ひげの少しのびたおやじさんが笑いながら聞きました。清造にはなんのことだかわからないので、やっとからだを起しながら、あたりをきょろきょろ見まわしました。
「はは、驚いているな。おまえはな、さっき店の前に立って、凧の絵を見ているうちに、ううんといってぶっ倒れてしまったんだ。それでおれが驚いて、あわててここへかつぎこんで、介抱してやったんだ。どうした、どこかからだでも悪いのか。」
おやじさんは、顔のこわい割合にやさしい声を出して聞きました。
「ううむ。」
清造はやっと顔を横にふりました。
「ははあ、それじゃあ腹がへったんだな、え、おい、そうだろう。」
おやじさんはまた聞きなおしました。清造はしばらくだまって下をむいていましたが、
「え、おい、そうだろう。」
とまたいわれたとき、
「うん。」と思わずうなずきました。
「かわいそうじゃないか、こんなちびが腹がへって倒れるなんて。」と、おやじさんは、おかみさんの方をむきながら、
「なにか食わしてやりな。なあに、悪いことをするやつなら、ひもじくなって倒れなんかしやぁしねえ。早くなにか食わせてやれ。」
といいました。
まもなく、あたたかいおつけとご飯をおかみさんがもって来てくれました。清造は、なん日目かというより、もういく月目かで、そんなにあたたかい湯気の立つ、おつけのおわんを手にしたのでした。ご飯がすむと清造は店に来て、糸目をつけているおやじさんの前にすわっていました。
おやじさんは、下をむいて手を動かしながら、清造にいろいろなことを聞きました。
「ふふん、それでおまえは東京に出て来て、どこにも頼る人はないのか。」
と、最後に聞かれたとき、
「だれもねえだ。」
と、清造は答えました。そのとき、かれの頭には、けさがた通った町の店の人たちが、せわしそうに働くだけで、自分なんかには目もくれなかったことをふと思い出しました。
「東京って、そんな生やさしいとこじゃないよ。みんなぶっ倒しっこをして暮しているんだ。しかし、おまえみたいに帰る家もなくっちゃ困っちまう。しかたがない、わしの家も当分はまだせわしいから手伝っていな。そのうち、どこか小僧にでもいったらいいだろう。」
おやじさんは親切にいってくれました。
三
清造はその日から、小さな凧屋の小僧になりました。おやじさんは親切ないい人でした。夜になって夜なべ仕事などをしているときには、いろいろ昔のおもしろい話などを聞かせてくれました。そうして、町の中に、こんなに電信柱やなにかが立たなかった時分には、東京でも、どんなに大きな凧を上げたかを話したりして、
「しかしもう、これから凧屋はだめだ。おまえなんかも、なにかいい好きなことを考えた方がいいよ。」
といいました。それを聞くと清造は、いつも悲しくなりました。東京の市中へ使いにいって、あのものすごい雑沓に出あうと、かれは自分をどうしていいかわからないのに、この親切なおやじさんと別れるようになるのがいやだったのです。おかみさんもいい人でした。しかし、貧しい暮しをしている人は、時々自分でも思いがけないように腹をたてるものです。おかみさんにもそんなくせがありました。清造はかんではき出すような小言をいわれると、店の隅で泣いていました。そういうとき、だまってじっと目をつぶると、いつもあの沼と、沼に浮かぶあわがかならず目に浮かんできました。
お正月がすぎると、凧屋では五月ののぼりの鯉やなにかをつくりはじめました。そうして五月もすむと、今度はうちわやせんすをつくりはじめたのです。その時分、うちわの絵には、庭の池に築山があったり、ほたるが飛んでいたりするのがたくさんありました。清造はそういう絵を張っていると、いつでもあの沼のことを思い出しました。そこでかれはじっと目をつぶると、沼にはあわが浮かんで来ます。あしの葉の枯れている時もありました。はすの花の咲いているときもあるし、ほたるの飛んだ晩もあったし、氷の上に雪のつもっているときもありました。
あるとき、清造は、張りそこなったうちわの裏に、あしの枯れた沼のおもてに、大きなあわの浮かんだ絵をかいてみました。それはまったく、子どものかいた無邪気な絵でした。けれどもおやじさんはそれを見ると、
「うまい、感心だ。」といって、よろこびました。そうして、「もう一枚かいてみろ。」と、今度は新しいせんすをくれました。清造はしばらく目をつぶってから、青黒くよどんだ水の上に、大きなあわがふたつぽかりと浮かんだところをかきました。
「おまえはいまにきっと名人になれる。おれが先生に頼んでやる。」
おやじさんは自分の子のことのように喜びました。そうして、おやじさんのひいきになっている、えらい絵の先生のところに清造をつれていきました。その先生は凧屋に凧を張らせて、自分でそれに絵をかいてやるのを楽しみにしている人でした。だから、おやじさんのいうことをすぐに聞いて、自分の弟子にしました。
四
それから十何年かたちました。ある日、清造が石を投げた沼のふちにりっぱな青年が立って、じっと水のおもてをながめていました。青年はやがて石を一つとって投げました。やがて大きなあわがぽかりとひとつ浮かびました。それからつづいて小さなあわがぶくぶくとたちました。しばらくたって青年はまた石を投げました。あわはさっきと同じようにたちました。青年はいうまでもなく清造でした。かれは『沼』という題の絵を展覧会に出して、いちやくして有数な画家となりました。
清造の先生も、凧屋の老人もそれをどんなに喜んだことでしたろう。しかし、清造はそのときの喜びより、いまここにこうして来て、沼のおもてに浮かんだ昔のとおりのあわを見たときの方が、はるかに強くうれしかったのです。
そこにはかれの父も母もいるし、そうしてかれはなにかしれない力を与えてくれるものもあるような気がしたからです。
(昭3・1)