あらすじ
「ふるさと」は、島崎藤村が自身の幼少期を舞台に、故郷の自然や人々との触れ合いを描いた作品です。懐かしい思い出を、まるで語りかけるように、穏やかな筆致で綴られています。山里の静寂、四季折々の風景、素朴な人々の暮らし、そして作者自身の心の揺れ動きが、美しく、時に哀愁漂う言葉で表現されています。読み終えた後、心が温まり、故郷への愛おしさが込み上げてくるような、そんな優しい作品です。
   はしがき

父(とう)さんが遠(とほ)い外國(ぐわいこく)の方(はう)から歸(かへ)つた時(とき)、太郎(たらう)や次郎(じらう)への土産話(みやげばなし)にと思(おも)ひまして、いろ/\な旅(たび)のお話(はなし)をまとめたのが、父(とう)さんの『幼(をさな)きものに』でした。あの時(とき)、太郎(たらう)はやうやく十三歳(さい)、次郎(じらう)は十一歳(さい)でした。
早いものですね。あの本(ほん)を作(つく)つた時(とき)から、もう三年(ねん)の月日(つきひ)がたちます。太郎(たらう)は十六歳(さい)、次郎(じらう)は十四歳(さい)にもなります。父(とう)さんの家(うち)には、今(いま)、太郎(たらう)に、次郎(じらう)に、末子(すゑこ)の三人(にん)が居(ゐ)ます。末子(すゑこ)は母(かあ)さんが亡(な)くなると間(ま)もなく常陸(ひたち)の方(はう)の乳母(うば)の家(うち)に預(あづ)けられて、七年(ねん)もその乳母(うば)のところに居(ゐ)ましたが、今(いま)では父(とう)さんの家(うち)の方(はう)へ歸(かへ)つて來(き)て居(ゐ)ます。三郎(さぶらう)はもう長(なが)いこと信州(しんしう)木曾(きそ)の小父(をぢ)さんの家(うち)に養(やしな)はれて居(ゐ)まして、兄(あに)の太郎(たらう)や次郎(じらう)のところへ時々(とき/″\)お手紙(てがみ)なぞをよこすやうになりました。三郎(さぶらう)はことし十三歳(さい)、末子(すゑこ)がもう十一歳(さい)にもなりますよ。
父(とう)さんの家(うち)ではよく三郎(さぶらう)の噂(うはさ)をします。三郎(さぶらう)が居(ゐ)る木曾(きそ)の方(はう)の話(はなし)もよく出(で)ます。あの木曾(きそ)の山(やま)の中(なか)が父(とう)さんの生(うま)れたところなんですから。
人(ひと)はいくつに成(な)つても子供(こども)の時分(じぶん)に食(た)べた物(もの)の味(あぢ)を忘(わす)れないやうに、自分(じぶん)の生(うま)れた土地(とち)のことを忘(わす)れないものでね。假令(たとへ)その土地(とち)が、どんな山(やま)の中(なか)でありましても、そこで今度(こんど)、父(とう)さんは自分(じぶん)の幼少(ちひさ)い時分(じぶん)のことや、その子供(こども)の時分(じぶん)に遊(あそ)び廻(まは)つた山(やま)や林(はやし)のお話(はなし)を一册(さつ)の小(ちひ)さな本(ほん)に[#「に」は底本では「こ」]作(つく)らうと思(おも)ひ立(た)ちました。あの『幼(をさな)きものに』と同(おな)じやうに、今度(こんど)の本(ほん)も太郎(たらう)や次郎(じらう)などに話(はな)し聞(き)かせるつもりで書(か)きました。それがこの『ふるさと』です。


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   一 雀(すずめ)のおやど

みんなお出(いで)。お話(はなし)しませう。先(ま)づ雀(すずめ)のおやどから始(はじ)めませう。
雀(すずめ)、雀(すずめ)、おやどはどこだ。
雀(すずめ)のお家(うち)は林(はやし)の奧(おく)の竹(たけ)やぶにありました。この雀(すずめ)には父(とう)さまも母(かあ)さまもありました。樂(たの)しいお家(うち)の前(まへ)は竹(たけ)ばかりで、青(あを)いまつすぐな竹(たけ)が澤山(たくさん)に竝(なら)んで生(は)えて居(ゐ)ました。雀(すずめ)は毎日(まいにち)のやうに竹(たけ)やぶに出(で)て遊(あそ)びましたが、その竹(たけ)の間(あひだ)から見(み)ると、樂(たの)しいお家(うち)がよけいに樂(たの)しく見(み)えました。
そのうちに、雀(すずめ)の好(す)きなお家(うち)の前(まへ)には竹(たけ)の子(こ)が生(は)えて來(き)ました。母(かあ)さまのお洗濯(せんたく)する方(はう)へ行(い)つて見(み)ますと、そこにも竹(たけ)の子(こ)が出(で)て來(き)てゐました。
『あそこにも竹(たけ)の子(こ)。ここにも竹(たけ)の子(こ)。』
と雀(すずめ)はチユウチユウ鳴(な)きながら、竹(たけ)の子(こ)のまはりを悦(よろこ)んで踊(をど)つて歩(ある)きました。
僅(わづ)か一晩(ひとばん)ばかりのうちに竹(たけ)の子(こ)はずんずん大(おほ)きくなりました。雀(すずめ)が寢(ね)て起(お)きて、また竹(たけ)やぶへ遊(あそ)びに行(い)きますと、きのふまで見(み)えなかつたところに新(あたら)しい竹(たけ)の子(こ)が出(で)て來(き)たのがあります。きのふまで小(ちひ)さな竹(たけ)の子(こ)だと思(おも)つたのが、僅(わづ)か一晩(ひとばん)ばかりで、びつくりするほど大(おほ)きくなつたのがあります。
雀(すずめ)はおどろいて、母(かあ)さまのところへ飛(と)んで行(い)きました。母(かあ)さまにその話(はなし)をして、どうしてあの小(ちひ)さな竹(たけ)の子(こ)があんなに急(きふ)に大(おほ)きくなつたのでせうと尋(たづ)ねました。すると母(かあ)さまは可愛(かあい)い雀(すずめ)を抱(だ)きまして、
『お前(まへ)は初(はじ)めて知(し)つたのかい、それが皆(みな)さんのよく言(い)ふ「いのち」(生命)といふものですよ。お前(まへ)たちが大(おほ)きくなるのもみんなその力(ちから)なんですよ。』
と話(はな)してきかせました。

   二 五木(ごぼく)の林(はやし)  

太郎(たらう)よ、次郎(じらう)よ、お前達(まへたち)は父(とう)さんの生(うま)れた山地(やまち)の方(はう)のお話(はなし)を聞きたいと思(おも)ひますか。
檜木(ひのき)、椹(さはら)、明檜(あすひ)、槇(まき)、※(「木+鼠」、第4水準2-15-57)(ねず)――それを木曾(きそ)の方(はう)では五木(ごぼく)といひまして、さういふ木(き)の生(は)えた森(もり)や林(はやし)があの深(ふか)い谷間(たにあひ)に茂(しげ)つて居(ゐ)るのです。五木(ごぼく)とは、五(いつ)つの主(おも)な木(き)を指(さ)して言(い)ふのですが、まだその他(ほか)に栗(くり)の木(き)、杉(すぎ)の木(き)、松(まつ)の木(き)、桂(かつら)の木(き)、欅(けやき)の木(き)なぞが生(は)えて居(ゐ)ます。樅(もみ)の木(き)、栂(つげ)の木(き)も生(は)えて居(ゐ)ます。それから栃(とち)の木(き)も生(は)えて居(ゐ)ます。太郎(たらう)や次郎(じらう)は一度(ど)父(とう)さんに隨(つ)いて、三郎(さぶらう)の居(ゐ)る木曾(きそ)の小父(をぢ)さんの家(うち)を訪(たづ)ねたことが有(あ)りましたらう。あの小父(をぢ)さんの家(うち)の前(まへ)から、木曽川(きそがは)の流(なが)れるところを見(み)て來(き)ましたらう。小父(をじ)さんの家(うち)のある木曾福島町(きそふくしままち)は御嶽山(おんたけさん)に近(ちか)いところですが、あれから木曽川(きそがは)について十里(り)ばかりも川下(かはしも)に神坂村(みさかむら)といふ村(むら)があります。それが父(とう)さんの生(うま)れた村(むら)です。

   三 山(やま)の中(なか)へ來(く)るお正月(しやうぐわつ)

父(とう)さんも昔(むかし)はお前達(まへたち)と同(おな)じやうに、お正月(しやうぐわつ)の來(く)るのを樂(たのし)みにした子供(こども)でしたよ。
お正月(しやうぐわつ)が來(く)る時分(じぶん)になると、父(とう)さんの生(うま)れたお家(うち)では自分(じぶん)のところでお餅(もち)をつきました。そのお餅(もち)は爐邊(ろばた)につゞいた庭(には)でつきましたから、そこへ爺(ぢい)やが小屋(こや)から杵(きね)をかついで來(き)ました。臼(うす)もころがして來(き)ました。お餅(もち)にするお米(こめ)は裏口(うらぐち)の竈(かまど)で蒸(む)しましたから、そこへも手傳(てつだ)ひのお婆(ばあ)さんが來(き)て樂(たの)しい火(ひ)を焚(た)きました。
やがて蒸籠(せいろ)といふものに入(い)れて蒸(む)したお米(こめ)がやはらかくなりますとお婆(ばあ)さんがそれを臼(うす)の中(なか)へうつします。爺(ぢい)やは杵(きね)でもつて、それをつき始(はじ)めます。だんだんお米(こめ)がねばつて來(き)て、お餅(もち)が臼(うす)の中(なか)から生(うま)れて來(き)ます。爺(ぢい)やは力(ちから)一ぱい杵(きね)を振(ふ)り上(あ)げて、それを打(う)ちおろす度(たび)に、臼(うす)の中(なか)のお餅(もち)には大(おほ)きな穴(あな)があきました。お婆(ばあ)さんはまた腰(こし)を振(ふ)りながら、爺(ぢい)やが杵(きね)を振(ふ)り上(あ)げた時(とき)を見計(みはか)つては穴(あな)のあいたお餅(もち)をこねました。
『べつたらこ。べつたらこ。』
その餅(もち)つきの音(おと)を聞(き)くと、父(とう)さんは子供心(こどもごゝころ)にもお正月(しやうぐわつ)が山(やま)の中(なか)のお家(うち)へ來(く)ることを知(し)りました。

   四 子供(こども)の時分(じぶん)

これから父(とう)さんはお前達(まへたち)に、自分(じぶん)の子供(こども)の時分(じぶん)のことをお話(はなし)[#ルビの「はなし」は底本では「はな」]しようと思(おも)ひます。
父(とう)さんの幼少(ちひさ)な時分(じぶん)には、今(いま)のやうに少年(せうねん)の雜誌(ざつし)といふものも有(あ)りませんでした。お前達(まへたち)のやうに面白(おもしろ)いお伽噺(とぎばなし)の本(ほん)や、可愛(かあ)いらしい繪(ゑ)のついた雜誌(ざつし)なぞを讀(よ)むことも出來(でき)ませんでした。讀(よ)んで見(み)たくも、なんにもさういふお伽噺(とぎばなし)の本(ほん)や雜誌(ざつし)が無(な)いんでせう、おまけに、父(とう)さんの生(うま)れたところは山(やま)の中(なか)の田舍(ゐなか)でせう、そのかはり、幼少(ちひさ)な時分(じぶん)の父(とう)さんには、見(み)るもの聞(き)くものがみんなお伽噺(とぎばなし)でした。

   五 荷物(にもつ)を運(はこ)ぶ馬(うま)

『もし/\、お前(まへ)さんは今(いま)歸(かへ)るところですか。』
父(とう)さんがお家(うち)の門(もん)の外(そと)に出(で)て見(み)ますと馬(うま)が近所(きんじよ)の馬方(うまかた)に引(ひ)かれて父(とう)さんの見(み)て居(ゐ)る前(まへ)を通(とほ)ります。この馬(うま)は夕方(ゆふがた)になると、きつと歸(かへ)つて來(く)るのです。
『さうです。今日(けふ)は荷物(にもつ)をつけて隣(となり)の村(むら)まで行(い)つて來(き)ました。』
とその馬(うま)が父(とう)さんに言(い)ひました。
『お前(まへ)さんの首(くび)には好(い)い音(おと)のする鈴(すゞ)がついて居(ゐ)ますね。』
と父(とう)さんが言(いひ)ますと、馬(うま)は首(くび)をふりながら、
『えゝ。私(わたし)が歩(ある)く度(たび)にこの鈴(すゞ)が鳴(な)ります。私(わたし)はこの鈴(すゞ)の音(おと)を聞(き)き乍(なが)らお家(うち)の方(はう)へ歸(かへ)つてまゐります。馬(うま)も荷物(にもつ)をつけて行(ゆ)く時(とき)はなか/\骨(ほね)が折(を)れますが、一日(にち)の仕事(しごと)をすまして山道(やまみち)を歸(かへ)つて來(く)るのは樂(たのし)みなものですよ。』
さう馬(うま)が言(い)つて、さも自慢(じまん)さうに首(くび)について居(ゐ)る鈴(すゞ)を鳴(な)らして見(み)せました。父(とう)さんのお家(うち)の前(まへ)は木曾街道(きそかいだう)と言(い)つて、鐵道(てつだう)も汽車(きしや)もない時分(じぶん)にはみんなその道(みち)を歩(ある)いて通(とほ)りました。高(たか)い山(やま)の上(うへ)でおまけに坂道(さかみち)の多(おほ)い所(ところ)ですから荷物(にもつ)はこの通(とほ)り馬(うま)が運(はこ)びました。どうかすると五匹(ひき)も六匹(ぴき)も荷物(にもつ)をつけた馬(うま)が續(つゞ)いて父(とう)さんのお家(うち)の前(まへ)を通(とほ)ることもありました。男(をとこ)や女(をんな)の旅人(たびびと)を乘(の)せた馬(うま)が馬方(うまかた)に引(ひ)かれて通(とほ)ることもありました。父(とう)さんの聲(こゑ)を掛(か)けたのは、近所(きんじよ)に飼(か)はれて居(ゐ)る馬(うま)で、毎日々々(まいにち/\)隣村(となりむら)の方(はう)へ荷物(にもつ)を運(はこ)ぶのがこの馬(うま)の役目(やくめ)でした。
馬(うま)が自分(じぶん)のお家(うち)へ歸(かへ)つた時分(じぶん)に父(とう)さんはよく馳(か)け出(だ)して行(い)つて見(み)ました。
『御苦勞(ごくらう)。御苦勞(ごくらう)。』
と馬方(うまかた)は馬(うま)を褒(ほ)めまして、馬(うま)の脊中(せなか)にある鞍(くら)をはづしてやつたり馬(うま)の顏(かほ)を撫(な)でゝやつたりしました。それから馬方(うまかた)は大(おほ)きな盥(たらひ)を持(も)つて來(き)まして、馬(うま)に行水(ぎやうずゐ)をつかはせました。
『どうよ。どうよ。』
と馬方(うまかた)が言(い)ひますと、馬(うま)は片足(かたあし)づゝ盥(たらひ)の中(なか)へ入(い)れます。馬(うま)の行水(ぎやうずゐ)は藁(わら)でもつて、びつしより汗(あせ)になつた身體(からだ)を流(なが)してやるのです。父(とう)さんは馬方(うまかた)の家(うち)の前(まへ)に立(た)つて、樂(たのし)さうに行水(ぎやうずゐ)をつかつて貰(もら)つて居(ゐ)る馬(うま)を眺(なが)めました。そして、馬(うま)の行水(ぎやうずゐ)の始(はじ)まる時分(じぶん)には山(やま)の中(なか)の村(むら)へ夕方(ゆふがた)の來(く)ることを知(し)りました。それに氣(き)がついては、父(とう)さんは自分(じぶん)のお家(うち)の方(はう)へ歸(かへ)りませうと思(おも)ひました。

   六 奧山(おくやま)に燃(も)える火(ひ)

父(とう)さんの田舍(ゐなか)では、夕方(ゆふがた)になると夜鷹(よたか)といふ鳥(とり)が空(そら)を飛(と)[#ルビの「と」は底本では「とび」]びました。その夜鷹(よたか)の出(で)る時分(じぶん)には、蝙蝠(かうもり)までが一緒(しよ)に舞(ま)ひ出(だ)しました。
『蝙蝠(かうもり)――來(こ)い、來(こ)い。』
と言(い)ひながら、父(とう)さんは蝙蝠(かうもり)と一緒(しよ)になつて飛(と)び歩(ある)いたものです。どうかすると狐火(きつねび)といふものが燃(も)えるのも、村(むら)の夕方(ゆふがた)でした。
『御覽(ごらん)狐火(きつねび)が燃(も)えて居(ゐ)ますよ。』
と村(むら)の人(ひと)に言(い)はれて、父(とう)さんはお家(うち)の前(まへ)からそのチラ/\と燃(も)える青(あを)い狐火(きつねび)を遠(とほ)い山(やま)の向(むか)ふの方(はう)に望(のぞ)んだこともありました。あれは狐(きつね)が松明(たいまつ)を振(ふ)るのだとも言(い)ひましたし、奧山(おくやま)の木(き)の根(ね)が腐(くさ)つて光(ひか)るのを狐(きつね)が口(くち)にくはへて振(ふ)るのだとも言(い)ひました。父(とう)さんは子供(こども)で、なんにも知(し)りませんでしたが、あの青(あを)い美(うつく)しい不思議(ふしぎ)な狐火(きつねび)を夢(ゆめ)のやうに思(おも)ひました。父(とう)さんの生(うま)れたところは、それほど深(ふか)い山(やま)の中(なか)でした。

   七 水(みづ)の話(はなし)

父(とう)さんの田舍(ゐなか)は木曾街道(きそかいだう)の中(なか)の馬籠峠(うまかごたうげ)といふところで、信濃(しなの)の國(くに)の一番(ばん)西(にし)の端(はし)にあたつて居(ゐ)ました。お正月(しやうぐわつ)のお飾(かざ)りを片付(かたづ)ける時分(じぶん)には、村中(むらぢう)の門松(かどまつ)や注連繩(しめなは)などを村(むら)のはづれへ持(も)つて行(い)つて、一緒(しよ)にして燒(や)きました。村(むら)の人(ひと)はめい/\お餅(もち)を竿(さを)の先(さき)にさしてその火(ひ)で燒(や)いて食(た)べたり、子供(こども)のお清書(せいしよ)を煙(けむり)の中(なか)に投(な)げこんで、高(たか)く空(そら)にあがつて行(ゆ)く紙(かみ)の片(きれ)を眺(なが)めたりしました。火(ひ)の氣(け)と、煙(けむり)とで、お清書(せいしよ)が高(たか)くあがれば、それを書(か)いたものの手(て)があがると言(い)ひました。松(まつ)の燃(も)える煙(けむり)と一緒(しよ)になつてお清書(せいしよ)が高(たか)く、高(たか)くあがつて行(ゆ)くのは丁度(ちやうど)凧(たこ)でもあげるのを見(み)るやうでした。その正月(しやうぐわつ)のお飾(かざり)を集(あつ)めて燒(や)く村(むら)のはづれまで行(ゆ)きますと、その邊(へん)にはびつくりするほど大(おほ)きな岩(いは)や石(いし)が田圃(たんぼ)の間(あひだ)に見(み)えました。そこからはもう信濃(しなの)と美濃(みの)の國境(くにさかひ)に近(ちか)いのです。父(とう)さんの田舍(ゐなか)は信濃(しなの)の山國(やまぐに)から平(たひら)な野原(のはら)の多(おほ)い美濃(みの)の方(はう)へ降(おり)て行(ゆ)く峠(たうげ)の一番(ばん)上(うへ)のところにあつたのです。
さういふ岩(いは)や石(いし)の多(おほ)い峠(たうげ)の上(うへ)に出來(でき)たお城(しろ)のやうな村(むら)ですから、まるで梯子段(はしごだん)の上(うへ)にお家(うち)があるやうに、石垣(いしがき)をきづいては一軒(けん)づゝお家(うち)が建(た)てゝありました。どちらを向(む)いても坂(さか)ばかりでした。父(とう)さんがお隣(となり)の酒屋(さかや)の方(はう)へ上(のぼ)つて行(ゆ)くにも坂(さか)、お忠(ちう)婆(ばあ)さんといふ人(ひと)の住(す)む家(うち)の方(はう)へ降(お)りて行(ゆ)くにも坂(さか)でした。
この田舍(ゐなか)は水(みづ)に不自由(ふじいう)なところでした。谷(たに)の底(そこ)の方(はう)まで行(ゆ)けば山(やま)の間(あひだ)を流(なが)れて來(く)る谷川(たにがは)がなくもありませんが、人家(じんか)の近(ちか)くにはそれもありませんでした。そこで峠(たうげ)の方(はう)から清水(しみづ)を引(ひ)いて、それを溜(た)める塲所(ばしよ)が造(つく)つてあつたのです。何(なん)といふ好(よ)い清水(しみづ)が長(なが)い樋(とひ)を通(とほ)つて、どん/\流(なが)れて來(き)ましたらう。父(とう)さんが輪(わ)でも廻(まは)しながら遊(あそ)びに行(い)つて見(み)ますと、流(なが)れて來(き)た水(みづ)が大(おほ)きな箱(はこ)の中(なか)に澄(す)んで溜(た)まつて居(ゐ)ます。その水(みづ)が箱(はこ)から溢(あふ)れて村(むら)の下(しも)の方(はう)へ流(なが)れて行(ゆ)きます。天秤棒(てんびんぼう)で兩方(りやうはう)の肩(かた)に手桶(てをけ)をかついだ近所(きんじよ)の女達(をんなたち)がそこへ水汲(みづくみ)に集(あつ)まつて來(き)ます。水(みづ)の不自由(ふじいう)なところに生(うま)れた父(とう)さんは特別(とくべつ)にその清水(しみづ)のあるところを樂(たのし)く思(おも)ひました。みんなが威勢(ゐせい)よく水(みづ)を汲(く)んだり擔(かつ)いだりするのを見(み)るのも樂(たのし)く思(おも)ひました。そればかりではありません。父(とう)さんが子供(こども)の時分(じぶん)から水(みづ)といふものを大切(たいせつ)に思(おも)ひ、ずつと大(おほ)きくなつても水(みづ)の流(なが)れて居(ゐ)るのを見(み)るのが好(す)きで、水(みづ)の音(おと)を聞(き)くのも好(す)きなのは、斯(か)うして水(みづ)に不自由(ふじいう)な田舍(ゐなか)に生(うま)れたからだと思(おも)ひます。
父(とう)さんのお家(うち)には井戸(ゐど)が掘(ほ)つてありました。その井戸(ゐど)は柄杓(ひしやく)で水(みづ)の汲(く)めるやうな淺(あさ)い井戸(ゐど)ではありません。釣(つ)いても、釣(つ)いても、なか/\釣瓶(つるべ)の上(あが)つて來(こ)ないやうな、深(ふか)い/\井戸(ゐど)でした。
父(とう)さんの祖母(おばあ)さんの隱居所(いんきよじよ)になつて居(ゐ)た二階(かい)と土藏(どざう)の間(あひだ)を通(とほ)りぬけて、裏(うら)の木小屋(きごや)の方(はう)へ降(おり)て行(ゆ)く石段(いしだん)の横(よこ)に、その井戸(ゐど)がありました。そこも父(とう)さんの好(す)きなところで、家(うち)の人(ひと)が手桶(てをけ)をかついで來(き)たり、水(みづ)を汲(く)んだりする側(そば)に立(た)つて、それを見る(み)のを樂(たのし)く思(おも)ひました。父(とう)さんの幼少(ちひさ)な時分(じぶん)にはお家(うち)にお雛(ひな)といふ女(をんな)が奉公(ほうこう)して居(ゐ)まして、半分(はんぶん)乳母(うば)のやうに父(とう)さんを負(おぶ)つたり抱(だ)いたりして呉(く)れたことを覺(おぼ)えて居(ゐ)ます。そのお雛(ひな)は井戸(ゐど)から石段(いしだん)を上(あが)り、土藏(どざう)の横(よこ)を通(とほ)り、桑畠(くはばたけ)の間(あひだ)を通(とほ)つて、お家(うち)の臺所(だいどころ)までづゝ水(みづ)を運(はこ)びました。

   八 凧(たこ)

山(やま)の中(なか)の田舍(ゐなか)では、近所(きんじよ)に玩具(おもちや)を賣(う)る店(みせ)もありません。村(むら)の子供(こども)は凧(たこ)なぞも自分(じぶん)で造(つく)りました。
父(とう)さんはまだ幼少(ちひさ)かつたものですから、お家(うち)の爺(ぢい)やに手傳(てつだ)つて貰(もら)ひまして、造作(ざうさ)なく出來(でき)る凧(たこ)を造(つく)りました。紙(かみ)と絲(いと)とはお祖母(ばあ)さんが下(くだ)さる、骨(ほね)の竹(たけ)は裏(うら)の竹籔(たけやぶ)から爺(ぢい)やが切(き)つて來(き)て呉(く)れる、何(なに)もかもお家(うち)にある物(もの)で間(ま)に合(あ)ひました。爺(ぢい)やが青(あを)い竹(たけ)を細(ほそ)く削(けづ)つて呉(く)れますと、それに父(とう)さんが御飯粒(ごはんつぶ)で紙(かみ)を張(は)りつけまして、鯣(するめ)のかたちの凧(たこ)を造(つく)りました。みんなのするやうに、凧(たこ)の尾(を)には矢張(やはり)紙(かみ)を長(なが)く切(き)つてさげました。
末子(すゑこ)は學校(がくかう)の先生(せんせい)[#ルビの「せんせい」は底本では「せうせい」]から手工(しゆこう)を習(なら)ひませう、自分(じぶん)で紙(かみ)の箱(はこ)などを造(つく)るのは、上手(じやうず)に出來(でき)ても出來(でき)なくても、樂(たのし)みなものでせう。父(とう)さんが自分(じぶん)で凧(たこ)を造(つく)つたのは、丁度(ちやうど)お前達(まへたち)の手工(しゆこう)の樂(たのし)みでしたよ。細(ほそ)い竹(たけ)や紙(かみ)でこしらへたものが、だん/\凧の(たこ)のかたちに成(な)つて行(い)つた時(とき)は、どんなに父(とう)さんも嬉(うれ)しかつたでせう。父(とう)さんはその凧(たこ)に絲目(いとめ)をつけまして、田圃(たんぼ)の方(はう)へ持(も)つて行(ゆ)きました。
『風(かぜ)[#「風」は底本では「凧」]よ、來(こ)い、來(こ)い、凧(たこ)揚(あが)れ。』
と言(い)つて、近所(きんじよ)の子供(こども)も手造(てづく)りにした凧(たこ)を揚(あ)げに來(き)て居(ゐ)ます。田圃側(たんぼわき)の枯(か)れた草(くさ)の中(なか)には、木瓜(ぼけ)の木(き)なぞが顏(かほ)を出(だ)して居(ゐ)まして、遊(あそ)び廻(まは)るには樂(たのし)い塲所(ばしよ)でした。[#「。」は底本では「、」]
『あゝ好(よ)い風(かぜ)[#ルビの「かぜ」は底本では「たこ」]が來(き)ました。この風(かぜ)に早(はや)く揚(あ)げて下(くだ)さい。』
と凧(たこ)が言(い)ひました。父(とう)さんが大急(おほいそ)ぎで糸(いと)を出(だ)しますと、凧(たこ)は左右(さいう)に首(くび)を振(ふ)つたり、長(なが)い紙(かみ)の尾(を)をヒラ/\させたりしながら、さも心持(こゝろもち)よささうに揚(あが)つて行(ゆ)きました。
凧(たこ)は空(そら)の方(はう)に居(ゐ)て、父(とう)さんにいろ/\な注文(ちうもん)をします。『あゝわたしは面喰(めんくら)ひそうになりました。もつと絲(いと)をたぐつて下(くだ)さい。』と言(い)ふ時(とき)には、父(とう)さんは凧(たこ)の注文(ちうもん)する通(とほ)りに絲(いと)をたぐつてやります。『今度(こんど)は左(ひだり)の方(はう)へ傾(かし)ぎさうになりました。早(はや)く右(みぎ)の方(はう)へ糸(いと)を引(ひ)いて下(くだ)さい。』と言(い)ふ時(とき)には、父(とう)さんはまた凧(たこ)の言(い)ふ通(とほ)りに右(みぎ)の方(はう)へ糸(いと)を引(ひ)いてやります。そのうちに凧(たこ)は風(かぜ)をうけて、高(たか)く高(たか)く、のして行(ゆ)きました。
『凧(たこ)さん、よく揚(あが)りましたね。そんなに高(たか)いところへ揚(あが)つたらそこいらがよく見(み)えませう。』
と父(とう)さんが下(した)から尋(たづ)ねますと、凧(たこ)は高(たか)い空(そら)から見(み)える谷底(たにそこ)の話(はなし)をしました。
『凧(たこ)さん、何(なに)が見(み)えます。ほうぼうのお家(うち)が見(み)えますか。』[#底本では「』」が脱字]
『えゝ、石(いし)の載(の)せてあるお家(うち)の屋根(やね)から、竹藪(たけやぶ)まで見(み)えます。馬籠(うまかご)の村(むら)が一目(め)に見(み)えます。荒町(あらまち)の鎭守(ちんじゆ)の杜(もり)まで見(み)えます。』
『お祖父(ぢい)さんの好(す)きな惠那山(ゑなやま)は奈何(どんな)でせう。』
『惠那山(ゑなやま)もよく見(み)えます。もつと向(むか)ふの山(やま)も見(み)えます。高(たか)い山(やま)がいくつも/\見(み)えます。その山(やま)の向(むか)ふには、見渡(みわた)すかぎり廣々(ひろ/″\)とした野原(のはら)がありますよ。何(なに)か光(ひか)つて見(み)える河(かは)のやうなものもありますよ。』
『それはきつとお隣(となり)の國(くに)です。』
父(とう)さんの生(うま)れた田舍(ゐなか)は美濃(みの)の方(はう)へ降(お)りようとする峠(たうげ)の上(うへ)にありましたから、お家(うち)のお座敷(ざしき)からでもお隣(となり)の國(くに)が山(やま)の向(むか)ふの方(はう)に見(み)えました。極(ご)くお天氣(てんき)の好(よ)い日(ひ)には、遠(とほ)い近江(あふみ)の國(くに)の伊吹山(いぶきやま)まで、かすかに見(み)えることがあると、祖父(おぢい)さんが父(とう)さんに話(はな)して呉(く)れたこともありました。
『お蔭(かげ)で、高(たか)いところから見物(けんぶつ)しました。』
と凧(たこ)が言(い)ひました。
父(とう)さんも凧(たこ)を揚(あげ)たり、凧(たこ)の話(はなし)を聞(き)いたりして、面白(おもしろ)く遊(あそ)びました。自分(じぶん)の造(つく)つた凧(たこ)がそんなによく揚(あが)つたのを見(み)るのも樂(たのし)みでした。
『凧(たこ)も見物(けんぶつ)で草臥(くたび)れました。もうそろ/\降(おろ)して下(くだ)さい。』
と凧(たこ)が言(い)ふものですから、父(とう)さんが絲(いと)をたぐりますと、凧(たこ)はフハ/\フハ/\空(そら)を舞(ま)ふやうにして、田圃(たんぼ)のところまで嬉(うれ)しさうに降(お)りて來(き)ました。

   九 猿羽織(さるばおり)

猿羽織(さるばおり)と言(い)つて、父(とう)さんの田舍(ゐなか)の子供(こども)は、お猿(さる)さんの着(き)る袖(そで)の無(な)い羽織(はおり)のやうなものを着(き)ました。寒(さむ)くなるとそれを着(き)ました。その猿羽織(さるばおり)を着(き)て雪(ゆき)の中(なか)を飛(と)んで歩(ある)くのは、丁度(ちやうど)木曾(きそ)の山(やま)の中(なか)のお猿(さる)さんが、雪(ゆき)の中(なか)を飛(と)んで歩(ある)くやうなものでした。

   十 雪(ゆき)は踊(をど)りつゝある

父(とう)さんの田舍(ゐなか)では、何處(どこ)の家(うち)でも板(いた)で屋根(やね)を葺(ふ)いて、風(かぜ)や雪(ゆき)をふせぐために大(おほ)きな石(いし)が並(なら)べて屋根(やね)の上(うへ)に載(の)せてありました。なんと、あの石(いし)を載(の)せた板屋根(いたやね)は山(やま)の中(なか)の住居(すまゐ)らしいでせう。山(やま)には大(おほ)きな檜木(ひのき)の林(はやし)もありますから、その厚(あつ)い檜木(ひのき)の皮(かは)を板(いた)のかはりにして、小屋(こや)の屋根(やね)なぞを葺(ふ)くこともありました。雪(ゆき)が來(く)ればさういふお家(うち)の屋根(やね)も埋(うづ)まつてしまひ、畠(はたけ)も白(しろ)くなり、竹藪(やけやぶ)も寢(ね)たやうになつてしまひます。
元気(げんき)な雀(すずめ)は、そんな歌(うた)[#ママ]に頓着(とんちやく)なしで、自分(じぶん)のお宿(やど)も忘れ(わす)れたやうに雪(ゆき)と一緒(しよ)に踊(をど)つて歩(ある)きます。
坂路(さかみち)の多(おほ)い父(とう)さんの村(むら)では、氷滑(こほりすべ)りの出來(でき)る塲所(ばしよ)が行(ゆ)く先(さき)にありました。村(むら)の子供(こども)はみな鳶口(とびぐち)を持(も)つて凍(こゞ)つた坂路(さかみち)を滑(すべ)りました。この氷滑(こほりすべ)りが雪(ゆき)の日(ひ)の樂(たのし)みの一つで、父(とう)さんも爺(ぢい)やに造(つく)つて貰(もら)つた鳶口(とびぐち)を持出(もちだ)しては近所(きんじよ)の子供(こども)と一緒(しよ)に雪(ゆき)の降(ふ)る中(なか)で遊(あそ)びました。積(つも)つた雪(ゆき)を凍(こゞ)つた土(つち)の上(うへ)に集(あつ)めて、それを下駄(げた)の齒(は)でこするうちには、白(しろ)いタヽキのやうな路(みち)が出來上(できあが)ります。鳶口(とびぐち)を手(て)にしながら坂(さか)の上(うへ)の方(はう)から滑(すべ)りますと、ツーイ/\と面白(おもしろ)いやうに身體(からだ)が行(ゆ)きました。もしか滑(すべ)り損(そこ)ねて鳶口(とびぐち)で身體(からだ)を支(さゝ)へ損(そこ)ねた塲合(ばあひ)には雪(ゆき)の中(なか)へ轉(ころ)げこみます。さういふ度(たび)に子供同志(こどもどうし)の揚(あ)げる笑(わら)ひ聲(ごゑ)を聞(き)くのも樂(たのし)みでした。自分(じぶん)の着物(きもの)についた雪(ゆき)をはらつて復(また)滑(すべ)りに行(ゆ)くのも樂(たのし)みでした。どうかすると凍(こゞ)つて鏡(かゞみ)のやうに光(ひか)つて來(き)ます。その上(うへ)に白(しろ)く雪(ゆき)でも降(ふり)かゝると氷滑(こほりすべ)りの塲所(ばしよ)とも分(わか)らないことがあります。村(むら)の人達(ひとたち)が通(とほ)りかゝつて、知(し)らずに滑(すべ)つて轉(ころ)ぶことなぞもありました。
父(とう)さんはお前達(まへたち)のやうに、竹馬(たけうま)に乘(の)つて遊(あぞ)び廻(まは)ることも好(す)きでした。雪(ゆき)の日(ひ)には殊(こと)にそれが樂(たのし)みでした。大黒屋(だいこくや)の鐵(てつ)さん、問屋(とひや)の三郎(らう)さんなどゝといふ近所(きんじよ)の子供(こども)が、竹馬(たけうま)で一緒(しよ)になるお友達(ともだち)でした。そんな日(ひ)でも、馬(うま)が荷物(にもつ)をつけ、合羽(かつぱ)を着(き)た村(むら)の馬方(うまかた)に引(ひ)かれて雪(ゆき)の路(みち)を通(とほ)ることもありました。父(とう)さんが竹馬(たけうま)の上(うへ)から
『今日(こんにち)は。』
と言(い)ひますと、お馴染(なじみ)の馬(うま)は鼻(はな)から白(しろ)い氣息(いき)を出(だ)して笑(わら)ひながら
『やあ、今日(こんにち)は、お前(まへ)さんも竹馬(たけうま)ですね。』
と挨拶(あいさつ)しました。美濃(みの)の中津川(なかつがは)といふ町(まち)の方(はう)から、いろ/\な物(もの)を脊中(せなか)につけて來(き)て呉(く)れるのも、あの馬(うま)でした。時(とき)には父(おう)さんの村(むら)なぞに無(な)いめづらしい玩具(おもちや)や、父(とう)さんの好(す)きな箱入(はこいり)の羊羹(やうかん)を隣(となり)の國(くに)の方(はう)から土産(みやげ)につけて來(き)て呉(く)れるのも、あの馬(うま)でした。
『雪(ゆき)が降(ふ)つて樂(たのし)みでせうね。』
と馬(うま)が言(い)ひましたが、雪(ゆき)が降(ふ)れば馬(うま)でも嬉(うれ)しいかと父(とう)さんは思(おも)ひました。山(やま)の中(なか)へ來(く)る冬(ふゆ)やお正月(しやうぐわつ)には、お前達(まへたち)の知(し)らないやうな樂(たのし)さもありますね。氷滑(こほりすべ)りや竹馬(たけうま)で凍(こゞ)へた手(て)をお家(うち)の爐邊(ろばた)の火(ひ)にあぶるのも樂(たのし)みでした。

   一一 庄吉爺(しやうきちぢい)さん

お前達(まへたち)は荒神(くわうじん)さまを知(し)つて居(ゐ)ませう。ほら、臺所(だいどころ)の竈(かまど)の上(うへ)に祭(まつ)る神(かみ)さまのことを荒神(くわうじん)さまと言(い)ひませう。あゝして火(ひ)を鎭(しづ)める神(かみ)さまばかりでなく、父(とう)さんの田舍(ゐなか)では種々(いろ/\)なものを祭(まつ)りました。
繭玉(まゆだま)のかたちを、しんこで造(つく)つてそれを竹(たけ)の枝(えだ)にさげて、お飼蠶(かいこ)さまを守(まも)つて下(くだ)さる神(かみ)さまをも祭(まつ)りました。病氣(びやうき)で倒(たふ)れた馬(うま)のためには、馬頭觀音(ばとうくわんおん)を祭(まつ)りました。歩(ある)いて通(とほ)る旅人(たびびと)の無事(ぶじ)を祈(いの)るためには、道祖神(だうそじん)を祭(まつ)りました。
父(とう)さんは爺(ぢい)やに連(つ)れられて、山(やま)の神(かみ)さまへお餅(もち)をあげに行(い)つた事(こと)を覺(おぼ)えて居(ゐ)ます。湯舟澤(ゆぶねざは)といふ方(はう)へ寄(よ)つた山(やま)のはづれに、山(やま)の神(かみ)さまが祭(まつ)つてありました。その小(ちひ)さな祠(やしろ)の前(まへ)に、米(こめ)の粉(こ)で造(つく)つたお餅(もち)をあげて來(き)ました。その邊(へん)は、どつちを向(む)いても深(ふか)い山(やま)ばかりで、爺(ぢい)やにでも隨(つ)いて行(ゆ)かなければ、とても幼少(ちひさ)な時分(じぶん)の父(とう)さんが獨(ひと)りで行(ゆ)かれるところではありませんでした。
山(やま)や林(はやし)は父(とう)さんの故郷(ふるさと)です。父(とう)さんのやうに大(おほ)きくなつても、忘(わす)れずに居(ゐ)るのは、その故郷(ふるさと)です。父(とう)さんは爺(ぢい)やに連(つ)れられて深(ふか)い林(はやし)の方(はう)へも行(い)つて見(み)ました。そこへ行(ゆ)くと爺(ぢい)やの伐(き)つた木(き)がありました。松葉(まつば)の積(つ)んだのもありました。爺(ぢい)やはその木(き)を背負(しよ)つたり、松葉(まつば)を背負(しよ)つたりして、お家(うち)の木小屋(きごや)の方(はう)へ歸(かへ)つて來(く)るのでした。
この爺(ぢい)やは庄吉(しようきち)といふ名(な)で、父(とう)さんの生(うま)れない前(まへ)からお家(うち)に奉公(ほうこう)して居(ゐ)ました。
『よ、どつこいしよ。』
と爺(ぢい)やは山(やま)からかついで來(き)た木(き)をおろしました。木小屋(きごや)のなかでそれを割(わ)りました。この爺(ぢい)やの大(おほ)きな手(て)は寒(さむ)くなると、皸(あかぎれ)が切(き)れて、まるで膏藥(かうやく)だらけのザラ/\とした手(て)をして居(ゐ)ましたが、でもその心(こゝろ)は正直(しやうぢき)な、そして優(やさ)しい老人(らうじん)でした。
爺(ぢい)やは山(やま)から伐(き)つて來(き)た木(き)を木小屋(きごや)にしまつて置(お)いて、焚(たき)つけにする松葉(まつば)もしまつて置(お)いて、要(い)るだけづゝお家(うち)の爐邊(ろばた)へ運(はこ)びました。赤々(あか/\)とした火(ひ)が毎日(まいにち)爐邊(ろばた)で燃(も)えました。曾祖母(ひいばあ)さん、祖父(おぢい)さん、祖母(おばあ)さん、伯父(おぢ)さん、伯母(おば)さんの顏(かほ)から、奉公(ほうこう)するお雛(ひな)の顏(かほ)まで、家中(うちぢう)のものゝ顏(かほ)は焚火(たきび)に赤(あか)く映(うつ)りました。その樂(たのし)い爐邊(ろばた)には、長(なが)い竹(たけ)の筒(つゝ)とお魚(さかな)の形(かた)と繩(なは)とで出來(でき)た煤(すゝ)けた自在鍵(じざいかぎ)が釣(つ)るしてありまして、大(おほ)きなお鍋(なべ)で物(もの)を煮(に)る塲所(ばしよ)でもあり家中(うちぢう)集(あつ)まつて御飯(ごはん)を食(た)べる塲所(ばしよ)でもありました。父(とう)さんの田舍(ゐなか)では寒(さむ)くなると毎朝(まいあさ)芋焼餅(いもやきもち)といふものを燒(や)いて、朝(あさ)だけ御飯(ごはん)のかはりに食(た)べました。蕎麥(そば)の粉(こ)に里芋(さといも)の子(こ)をまぜて造(つく)つたその燒餅(やきもち)の焦(こ)げたところへ大根(だいこん)おろしをつけて焚火(たきび)にあたりながらホク/\食(た)べるのは、どんなにおいしいでせう。その蕎麥(そば)の香(にほ)ひのする燒(や)きたてのお餅(もち)の中(なか)から大(おほ)きな里芋(さといも)の子(こ)なぞが白(しろ)く出(で)て來(き)た時(とき)は、どんなに嬉(うれ)しいでせう。爺(ぢい)やは御飯(ごはん)の時(とき)でも、なんでも、草鞋(わらぢ)ばきの土足(どそく)のまゝで爐(ろ)の片隅(かたすみ)に足(あし)を投(な)げ入(い)れましたが、夕方(ゆふがた)仕事(しごと)の濟(す)む頃(ころ)から草鞋(わらぢ)をぬぎました。爐邊(ろばた)にある古(ふる)い屏風(べうぶ)の側(わき)が爺(ぢい)やの夜(よ)なべをする塲所(ばしよ)ときまつて居(ゐ)ました。爺(ぢい)やはその屏風(べうぶ)の側(わき)に新(あたら)しい藁(わら)なぞを置(お)いて、父(とう)さんのために小(ちひ)さな草履(ざうり)を造(つく)つたり、自分(じぶん)ではく草鞋(わらぢ)を造(つく)つたりしました。爺(ぢい)やのお伽話(とぎばなし)はその時(とき)に始(はじ)まるのでした。
父(とう)さんはこの好(す)きな老人(らうじん)から、畠(はたけ)よりあらはれた狸(たぬき)や狢(むじな)の話(はなし)、山(やま)で飛(と)び出(だ)した雉(きじ)の話(はなし)、それから奧山(おくやま)の方(はう)に住(す)むといふ恐(おそ)ろしい狼(おほかみ)や山犬(やまいぬ)の話(はなし)なぞを聞(き)きましたが、そのうちに眠(ねむ)くなつて、爺(ぢい)やの話(はなし)を聞(き)きながら爐邊(ろばた)でよく寢(ね)てしまひました。

   一二 草摘(くさつ)みに

父(とう)さんの幼少(ちひさ)な時分(じぶん)には、お錢(あし)といふものを持(も)たせられませんでしたから、それが癖(くせ)になつて、お錢(あし)は子供(こども)の持(も)つものでないと思(おも)つて居(ゐ)ましたし、巾着(きんちやく)からお錢(あし)を出(だ)して自分(じぶん)の好(す)きなものを買(か)ふことも知(し)りませんでした。お家(うち)からお錢(あし)を貰(もら)つて行(い)つて何(なに)か買(か)ふのは、村(むら)の祭禮(おまつり)の時(とき)ぐらゐのものでした。
そのかはり、お庭(には)にある柿(かき)や梨(なし)なぞが生(な)りたての新(あたら)しい果物(くだもの)を父(とう)さんに御馳走(ごちそう)して呉(く)れました。祖母(おばあ)さんが朴(ほほ)の木(き)の葉(は)で包(つゝ)んで下(くだ)さる※(あつ)[#「熱」の左上が「幸」、50-3]い握飯(おむすび)の香(にほひ)でも嗅(か)いだ方(はう)が、お錢(あし)を出(だ)して買(か)つたお菓子(くわし)より餘程(よほど)おいしく思(おも)ひました。お家(うち)の外(そと)を歩(ある)き廻(まは)つても、石垣(いしがき)のところには黄色(きいろ)い木苺(きいちご)の實(み)が生(な)つて居(ゐ)るし、竹籔(たけやぶ)のかげの高(たか)い榎木(えのき)の下(した)には、香(かん)ばしい小(ちひ)さな實(み)が落(お)ちて居(ゐ)ました。村(むら)のはづれには「けんぽ梨(なし)」といふ木(き)もあつて、高(たか)い枝(えだ)の上(うへ)に珊瑚珠(さんごじゆ)のやうな實(み)が生(な)る時分(じぶん)には木曽路(きそぢ)を通(とほ)る旅人(たびびと)はめづらしさうに仰向(あうむ)いて見(み)て行(ゆ)きましたが、その實(み)も取(と)れば食(た)べられて甘(うま)い味(あぢ)がしました。そればかりではありません、山(やま)にある木(き)の葉(は)、田圃(たんぼ)にある草(くさ)の中(なか)にも『食(た)べられるからおあがり。』と言(い)つてくれるのもありました。
「スイ葉(は)」と言(い)つて、青(あを)い木(き)の葉(は)の生(なま)で食(た)べられるものもありました。草(くさ)では「いたどり」や「すいこぎ」が食(た)べられましたが、あの「すいこぎ」の莖(くき)を採(と)つて來(き)てお家(うち)で鹽漬(しほづけ)をして遊(あそ)ぶこともありました。
『手(て)をお出(だ)し。私(わたし)もおいしいものを上(あ)げますよ。』
父(とう)さんが石垣(いしがき)の側(そば)を通(とほ)る度(たび)に、蛇苺(へびいちご)が左樣(さう)言(い)つては父(とう)さんを誘(さそ)ひました。蛇苺(はびいちご)は毒(どく)だと言(い)ひます。それを父(とう)さんも聞(き)いて知(し)つて居(ゐ)ました。あの眼(め)のさめるやうな紅(あか)い蛇苺(へびいちご)の實(み)が甘(うま)いことを言(い)つてよく父(とう)さんを誘(さそ)ひましたが、そればかりは觸(さは)りませんでした。
父(とう)さんの幼少(ちひさ)い時分(じぶん)に抱(だ)いたり背負(おぶ)つたりして呉(く)れたお雛(ひな)は、斯(か)ういふ山家(やまが)に生(うま)れた女(をんな)でした。筍(たけのこ)の皮(かは)を三角(かく)に疊(たゝ)んで、中(なか)に紫蘇(しそ)の葉(は)の漬(つ)けたのを入(い)れて、よくそれを父(とう)さんに呉(く)れたのもお雛(ひな)でした。それを吸(す)へば紫蘇(しそ)の味(あぢ)がして、チユー/\吸(す)ふうちに、だん/\筍(たけのこ)の皮(かは)が赤(あか)く染(そま)つて來(く)るのも嬉(うれ)しいものでした。このお雛(ひな)は村(むら)の髮結(かみゆひ)の娘(むすめ)でした。お雛(ひな)のお父(とう)さんは數衛(かずゑ)といふ名(な)で、男(をとこ)の髮結(かみゆひ)でしたが、村中(むらぢう)で一番(ばん)汚(きたな)いといふ評判(ひやうばん)の人(ひと)でした。その汚(きたな)い髮結(かみゆひ)の家(いへ)のお雛(ひな)に育(そだ)てられると言(い)つて、父(とう)さんは人(ひと)に調戯(からかは)れたものです。
『やあ數衛(かずゑ)の子(こ)だ。』
こんなことを言(い)つて惡戯好(いたづらず)きな人達(ひとたち)は父(とう)さんまで汚(きたな)い髮結(かみゆひ)の子(こ)にしてしまひました。しかし、お雛(ひな)は幼少(ちひさ)い時分(じぶん)の父(とう)さんをよく見(み)て呉(く)れました。お雛(ひな)の歌(うた)ふ子守唄(こもりうた)は父(とう)さんの一番(ばん)好(す)きな唄(うた)でした。それを聞(き)きながら、父(とう)さんはお雛(ひな)の背中(せなか)で寢(ね)てしまふこともありました。
父(とう)さんが獨(ひと)りでそこいらを遊(あそ)び廻(まは)る時分(じぶん)にはお雛(ひな)に連(つ)れられてよく蓬(よもぎ)を摘(つ)みに行(い)つたこともあります。あたゝかい日(ひ)の映(あた)つた田圃(たんぼ)の側(そば)で、蓬(よもぎ)を摘(つ)むのは樂(たのし)みでした。それをお家(うち)へ持(も)つて歸(かへ)つて來(き)て、臼(うす)でつけば草餅(くさもち)が出來(でき)ました。

   一三 燕(つばめ)の來(く)る頃(ころ)

燕(つばめ)の來(く)る頃(ころ)でした。
澤山(たくさん)な燕(つばめ)が父(とう)さんの村(むら)へも飛(と)んで來(き)ました。一羽(は)、二羽(は)、三羽(ば)、四羽(は)――とても勘定(かんぢやう)することの出來(でき)ない何(なん)十羽(ぱ)といふ燕(つばめ)が村(むら)へ着(つ)いたばかりの時(とき)には、直(す)ぐに人家(じんか)へ舞(ま)ひ降(お)りようとはしません。離(はな)れさうで離(はな)れない燕(つばめ)の群(むれ)は、細長(ほそなが)い形(かたち)になつたり、圓(まる)い輪(わ)の形(かたち)になつたりして、村(むら)の空(そら)の高(たか)いところを揃(そろ)つて舞(ま)つて居(ゐ)ます。そのうちに一羽(は)空(そら)から舞(ま)ひ降(お)りたかと思(おも)ふと、何(なん)十羽(ぱ)といふ燕(つばめ)が一時(じ)に村(むら)へ降(お)りて來(き)ます。そして互(たがひ)に嬉(うれ)しさうな聲(こゑ)で鳴(な)き合(あ)つて、舊(ふる)い馴染(なじみ)の軒塲(のきば)を尋(たづ)ね顏(がほ)に、思(おも)ひ/\に分(わか)れて飛(と)んで行(ゆ)きます。父(とう)さんのお家(うち)へ飛(と)んで行(ゆ)くのもあれば、お隣(となり)の大黒屋(だいこくや)へ飛(と)んで行(ゆ)くのもあれば、そのまた一軒(けん)置(お)いてお隣(となり)の八幡屋(やはたや)の方(はう)へ飛(と)んで行(ゆ)くのもあります。ずつと坂(さか)の下(した)の方(はう)の三浦屋(うらや)という宿屋(やどや)の方(はう)へ飛(と)んで行(ゆ)くのもあります。村(むら)で染物(そめもの)をする峯屋(みねや)へも、俵屋(たはらや)のお婆(ばあ)さんの家(うち)へも、和泉屋(いづみや)の和太郎(わたらう)さんのお家(うち)へも飛(と)んで行(ゆ)きました。父(とう)さんが村役塲(むらやくば)の前(まへ)を通(とほ)りますと、そこへ來(き)て羽(はね)を休(やす)めて居(ゐ)る燕(つばめ)もありました。燕(つばめ)は役塲(やくば)の前(まへ)に建(た)てゝある木(き)の標柱(はしら)を眺(なが)めて、さも/\遠(とほ)い旅行(りよかう)をして來(き)たやうな顏(かほ)をして居(ゐ)ました。
『長野縣(ながのけん)西筑摩郡(にしちくまごほり)木曾神坂村(きそみさかむら)』とその木(き)の標柱(はしら)には書(か)いてあるのです。父(とう)さんは燕(つばめ)の話(はなし)を聞(き)いて見(み)たいと思(おも)ひまして、いろ/\に話(はな)しかけましたが、まるでこの燕(つばめ)は異人(ゐじん)でした。一向(かう)に言葉(ことば)が通(つう)じませんでした。
『もしもし、燕(つばめ)さん、お前(まへ)さんは一年(ねん)に一度(ど)づゝ、この村(むら)へ來(く)るではありませんか。遠(とほ)い國(くに)の方(はう)へ行(い)つて居(ゐ)て、日本(にほん)の言葉(ことば)も忘(わす)れたのですか。』と父(とう)さんが言(い)ひますと、燕(つばめ)は懷(なつ)かしい國(くに)の言葉(ことば)で物(もの)を言(い)ひたくても、それが言(い)へないといふ風(ふう)で、唯(ただ)、ペチヤ、クチヤ、ペチヤ、クチヤ、異人(ゐじん)さんのやうな解(わか)らないことを言(い)ひました。
燕(つばめ)は嬉(うれ)しさうに父(とう)さんを見(み)て尻尾(しつぽ)の羽(はね)を左右(さいう)に振(ふり)ながら、遠(とほ)い空(そら)から漸(やうや)くこの山(やま)の中(なか)へ着(つ)いたといふ話(はなし)でもするらしいのでした。それを國(くに)の言葉(ことば)で言(い)へば、『皆(みな)さん、お變(かは)りもありませんか、あなたのお家(うち)の祖父(おぢい)さんもお健者(たつしや)ですか。』と尋(たづ)ねるらしいのでしたが燕(つばめ)の言(い)ふことは早口(はやぐち)で、
『ペチヤ、クチヤ、ペチヤ、クチヤ。』
としか父(とう)さんには聞(きこ)えませんでした。
斯(か)うした言葉(ことば)の通(つう)じない燕(つばめ)も、村(むら)に住(す)み慣(な)れて、家々(いへ/\)の軒(のき)に巣(す)をつくり、くちばしの黄色(きいろ)い可愛(かあい)い子供(こども)を育(そだ)てる時分(じぶん)には、大分(だいぶ)言葉(ことば)がわかるやうになりました。燕(つばめ)が父(とう)さんのところへ來(き)て何(なに)を言(い)ふかと思(おも)ひましたら、こんなことを言ひ(い)ました。
『私共(わたしども)は遠(とほ)い國(くに)の方(はう)から參(まゐ)るものですから、なか/\言葉(ことば)が覺(おぼ)えられません、でも、あなたがたが親切(しんせつ)にして下(くだ)さるのを、何(なに)より有難(ありがた)く思(おも)ひます。鶫(つぐみ)といふ鳥(とり)や鶸(ひわ)といふ鳥(とり)は、何(なん)百羽(ぱ)飛(と)んで參(まゐ)りましても、みんな網(あみ)や黐(もち)に掛(かゝ)つてしまひますが、私共(わたしども)にかぎつて軒先(のきさき)を貸(か)して下(くだ)すつたり巣(す)をかけさせたりして下(くだ)さいます。それが嬉(うれ)しさに、斯(か)うして毎年(まいねん)旅(たび)をして參(まゐ)るのです。』

   一四 永昌寺(えいしやうじ)

『今日(こんにち)は。』
と狐(きつね)が永昌寺(えいしやうじ)の庭(には)へ來(き)て言(い)ひました。永昌寺(えいしやうじ)とは、父(とう)さんの村(むら)のお寺(てら)です。そのお寺(てら)に、桃林和尚(たうりんをしやう)といふ年(とし)とつた和尚(をしやう)さんが住(す)んで居(ゐ)ました。この僧侶(ばうさん)は心(こゝろ)の善(よ)い人(ひと)でした。
『お前(まへ)は何(なに)しに來(き)ました。』
と桃林和尚(たうりんをしやう)が尋(たづ)ねますと、狐(きつね)の言(い)ふことには、
『わたしはお寺(てら)を拜見(はいけん)にあがりました。』
父(とう)さんが初(はじ)めてあがつた小學校(せうがくかう)も、この和尚(をしやう)さんの住(す)むお寺(てら)の近(ちか)くにありました。小學校(せうがくかう)の生徒(せいと)に狐(きつね)がついたと言(い)つて、一度(ど)大騷(おほさわ)ぎをしたことがありました。父(とう)さんはその時分(じぶん)はまだ幼少(ちひさ)くてなんにも知(し)りませんでしたが、その狐(きつね)のついたといふ生徒(せいと)は口(くち)から泡(あわ)を出(だ)し、顏色(かほいろ)も蒼(あを)ざめ、ぶる/″\震(ふる)へてしまひました。何度(なんど)も/\も名前(なまへ)を呼(よ)ばれて、漸(やうや)くその生徒(せいと)は正氣(しやうき)に復(かへ)つた事(こと)がありました。桃林和尚(たうりんをしやう)はその話(はなし)も聞(き)いて知(し)つて居(を)りましたから、いづれ狐(きつね)がまた何(なに)か惡戯(いたづら)をするためにお寺(てら)へ訪(たづ)ねて來(き)たに違(ちが)ひないと、直(すぐ)に感(かん)づきました。
『和尚(をしやう)さん、和尚(をしやう)さん、こちらは大層(たいそう)好(よ)いお住居(すまゐ)ですね。この村(むら)に澤山(たくさん)お家(うち)がありましても、こちらにかなふところはありません。村中(むらぢう)第(だい)一の建物(たてもの)です。こんなお住居(すまゐ)に被入(いら)しやる和尚(をしやう)さんは仕合(しあは)せな方(かた)ですね。』
斯(か)う狐(きつね)は言(い)ひました。狐(きつね)は調戯(からか)ふつもりでわざと桃林和尚(たうりんをしやう)の機嫌(きげん)を取(と)るやうにしましたが、賢(かしこ)い和尚(をしやう)さんはなか/\その手(て)に乘(の)りませんでした。
『ハイ、御覽(ごらん)の通(とほ)り、村(むら)では大(おほ)きな建物(たてもの)です。しかしこのお寺(てら)は村中(むらぢう)の人達(ひとたち)の爲(た)めにあるのです。私(わたし)はこゝに御奉公(ごほうこう)して居(ゐ)るのです。お前(まへ)さんは私(わたし)がこの住居(すまゐ)の御主人(ごしゆじん)のやうなことを言(い)ひますが私(わたし)は唯(たゞ)こゝの番人(ばんにん)です。』
斯(か)う桃林和尚(たうりんをしやう)が答(こた)へましたので、狐(きつね)は頭(あたま)を掻(か)き/\裏(うら)の林(はやし)の方(はう)へこそ/\隱(かく)れて行(ゆ)きました。
桃林和尚(たうりんをしやう)が御奉公(ごほうこう)して居(ゐ)た永昌寺(えいしやうじ)は、小高(こだか)い山(やま)の上(うへ)にありました。そのお寺(てら)の高(たか)い屋根(やね)は村中(むらぢう)の家(いへ)の一番(ばん)高(たか)いところでした。狐(きつね)が來(き)て言(い)つた通(とほ)り、村中(むらぢう)一番(ばん)の建築物(けんちくぶつ)でもありました。そこで撞(つ)く鐘(かね)の音(おと)は谷(たに)から谷(たに)へ響(ひゞ)けて、何處(どこ)の家(いへ)へも傳(つた)はつて行(ゆ)きました。その鐘(かね)の音(おと)は、年(とし)とつた和尚(をしやう)さんの前(まへ)の代(だい)にも撞(つ)き、そのまた前(まへ)の代(だい)にも撞(つ)いて來(き)たのです。もう何(なん)百年(ねん)といふことなく、古(ふる)い鐘(かね)の音(おと)が山(やま)の中(なか)で鳴(な)つて居(ゐ)たのです。
永昌寺(えいしやうじ)のある山(やま)の中途(ちうと)には、村中(むらぢう)のお墓(はか)がありました。こんもりと茂(しげ)つた杉(すぎ)の林(はやし)の間(あひだ)からは、石(いし)を載(の)せた村(むら)の板屋根(いたやね)や、柿(かき)の木(き)や、竹籔(たけやぶ)や、窪(くぼ)い谷間(たにま)の畠(はたけ)まで、一目(め)に見(み)えました。そこには父(とう)さんのお家(いへ)の御先祖(ごせんぞ)さま達(たち)も、紅(あか)い椿(つばき)の花(はな)なぞの咲(さ)くところで靜(しづ)かに眠(ねむ)つて居(を)りました。

   一五 お茶(ちや)をつくる家(いへ)

雀(すずめ)が父(とう)さんのお家(うち)へ覗(のぞ)きに來(き)ました。丁度(ちやうど)お家(うち)ではお茶(ちや)をつくる最中(さいちう)でしたから、雀(すずめ)がめづらしさうに覗(のぞ)きに來(き)たのです。
『お前(まへ)さんのお家(うち)ではお茶(ちや)をつくるんですか。』
と雀(すずめ)が言(い)ひますから、
『えゝ、私(わたし)の家(うち)ではお茶(ちや)を買(か)つたことが有(あ)りません。毎年(まいねん)自分(じぶん)の家(うち)でつくります。』
と父(とう)さんが話(はな)してやりました。その時(とき)、父(とう)さんが雀(すずめ)に、あの大(おほ)きなお釜(かま)の方(はう)を御覽(ごらん)と言(い)つて見(み)せました。そこではお家(うち)の畠(はたけ)で取(と)れたお茶(ちや)の葉(は)を煮(に)て居(ゐ)る人(ひと)があります。あの莚(むしろ)[#ルビの「むしろ」は底本では「むろ」]の上(うへ)を御覽(ごらん)と言(い)つて見(み)せました。そこではお釜(かま)から出(だ)したお茶(ちや)の葉(は)をひろげて團扇(うちは)であほいで居(ゐ)る人(ひと)があります。あの焙爐(ほいろ)の方(はう)を御覽(ごらん)と言(い)つて見(み)せました。そこでは火(ひ)の上(うへ)にかけたお茶(ちや)の葉(は)を兩手(りやうて)で揉(も)んで居(ゐ)る人(ひと)があります。
『チユウ、チユウ。』
とめづらしいことの好(す)きな雀(すずめ)が鳴(な)きました。そしてめづらしいことでさへあれば、雀(すずめ)は喜(よろこ)びました。
お家(うち)では祖母(おばあ)さんや伯母(をば)[#ルビの「をば」は底本では「おば」]さんやお雛(ひな)まで手拭(てぬぐひ)を冠(かぶ)りまして、伯父(おぢ)さんや爺(ぢい)やと一緒(しよ)に働(はたら)きました。近所(きんぢよ)から手傳(てつだ)ひに來(き)て働(はたら)く人(ひと)もありました。好(よ)いお茶(ちや)の香(にほひ)がするのと、家中(いへぢう)でみんな働(はたら)いて居(を)るので、父(とう)さんも雀(すずめ)と一緒(しよ)にそこいらを踊(をど)つて歩(ある)きました。
父(とう)さんのお家(うち)ではこのお茶(ちや)ばかりでなく食(た)べる物(もの)も着(き)る物(もの)も自分(じぶん)のところで造(つく)りました。お味噌(みそ)も家(うち)で造(つく)り、お醤油(しやうゆ)も家(うち)で造(つく)り、祖母(おばあ)さんや伯母(をば)さんの髮(かみ)につける油(あぶら)まで庭(には)の椿(つばき)の樹(き)の實(み)を絞(しぼ)つて造(つく)りました。林(はやし)にある小梨(こなし)の皮(かは)を取(と)つて來(き)て、黄色(きいろ)い汁(しる)で絲(いと)まで染(そ)めました。父(とう)さんの子供(こども)の時分(じぶん)には祖母(おばあ)さんの織(お)つて下(くだ)さる着物(きもの)を着(き)、爺(ぢい)やの造(つく)つて呉(く)れる草履(ざうり)をはいて、それで學校(がくかう)へ通(かよ)ひました。さうして、この手造(てづく)りにしたものゝ樂(たのし)みを父(とう)さんに教(をし)へて呉(く)れたのは、祖母(おばあ)さんでした。
祖母(おばあ)さんは働(はたら)くことが好(す)きで、みんなの先(さき)に立(た)つてお茶(ちや)もつくりましたし、着物(きもの)も根氣(こんき)に織(お)りました。祖母(おばあ)さんは隣村(となりむら)の妻籠(つまかご)といふところから、父(とう)さんのお家(うち)へお嫁(よめ)に來(き)た人(ひと)で、曾祖母(ひいおばあ)[#「ひいおばあ」は底本では「ひいおば」]さんほどの學問(がくもん)は無(な)いと言(い)ひましたが、でもみんなに好(す)かれました。林檎(りんご)のやうに紅(あか)い祖母(おばあ)さんの頬(ほゝ)ぺたは、家中(いへぢう)のものゝ心(こゝろ)をあたゝめました。
祖母(おばあ)さんの着物(きもの)を織(お)る塲所(ばしよ)はお家(うち)の玄關(げんくわん)の側(そば)の板(いた)の間(ま)と定(きま)つて居(ゐ)ました。そのお庭(には)の見(み)える明(あか)るい障子(しやうじ)の側(そば)に祖母(おばあ)さんの腰掛(こしかけ)て織(お)る機(はた)が置(お)いてありました。
『トン/\ハタリ、トンハタリ。』祖母(おばあ)さんの筬(をさ)が動(うご)く度(たび)に、さういふ音(おと)が聞(き)こえて來(き)ます。父(とう)さんが玄關(げんくわん)の廣(ひろ)い板(いた)の間(ま)に居(ゐ)て、その筬(をさ)の音(おと)を聞(き)きながら遊(あそ)んで居(を)りますと、そこへもよくめづらしいもの好(ず)きの雀(すずめ)が覗(のぞ)きに來(き)ました。

   一六 梨(なし)や柿(かき)はお友達(ともだち)

父(とう)さんのお家(うち)の庭(には)にはいろ/\な木(き)が植(うゑ)てありました。父(とう)さんはその木(き)を自分(じぶん)のお友達(ともだち)のやうに想(おも)つて大(おほ)きくなりました。お前達(まへたち)の祖父(おぢい)さんのお部屋(へや)の前(まへ)にあつた古(ふる)い大(おほ)きな松(まつ)の樹(き)も、表(おもて)の庭(には)にあつた椿(つばき)の木(き)もみんな父(とう)さんのお友達(ともだち)でした。その椿(つばき)の木(き)の側(そば)には梨(なし)の木(き)もあつて、毎年(まいねん)大(おほ)きな梨(なし)がなりました。
あの青(あを)い梨(なし)の實(み)のなつた樹(き)の下(した)へは父(とう)さんもよく見(み)に行(い)[#ルビの「い」は底本では「ゆ」]つたものです。
『もう食(た)べてもいゝかい。』
と父さんが梨(なし)の木(き)に聞(き)きに行(ゆ)きますと
『まだ早(はや)い、まだ早(はや)い。』
と梨(なし)の木(き)は言(い)つて、なか/\食(た)べてもいゝとは言(い)ひませんでした。そして、その梨(なし)の實(み)が大(おほ)きくなつて、色(いろ)のつく時分(じぶん)には、丁度(ちやうど)御祝言(ごしふげん)の晩(ばん)の花嫁(はなよめ)さんのやうに、白(しろ)い紙袋(かみぶくろ)をかぶつて了(しま)ひました。これは蜂(はち)が來(き)て梨(なし)をたべるものですから、蜂(はち)をよけるために紙袋(かみぶくろ)をかぶせるのです。お勝手(かつて)の横(よこ)には祖父(おぢい)さんの植(う)ゑた桐(きり)の木(き)がありました。その桐(きり)の木(き)の下(した)は一面(めん)に桑畑(くはばたけ)でした。お隣(となり)の高(たか)い石垣(いしがき)や白(しろ)い壁(かべ)なぞがそこへ行(ゆ)くとよく見(み)えました。桑(くは)の實(み)の生(な)る時分(じぶん)には父(とう)さんは桑(くは)の木(き)の側(そば)へ行(い)つて
『食(た)べてもいゝかい。』
とたづねますと、桑(くは)の木(き)は見(み)かけによらない優(やさ)しい木(き)でした。
『あゝ、いゝとも。いゝとも。』
と言(い)つて呉(く)れました。父(とう)さんはうれしくて、あの桑(くは)の木(き)に生(な)る紫色(むらさきいろ)の可愛(かあい)い小(ちひ)さな實(み)を枝(えだ)からちぎつて口(くち)に入(い)れました。
土藏(どざう)の前(まへ)には、柿(かき)の木(き)もありました。父(とう)さんはよくその柿(かき)の木(き)の下(した)へ行(い)つて遊(あそ)びました。柿(かき)の木(き)はまた梨(なし)や桐(きり)の木(き)とちがつて、にぎやかな木(き)で、父(とう)さんが遊(あそ)びに行(ゆ)く度(たび)に何(なに)かしら集(あつ)めたいやうなものが木(き)の下(した)に落(お)ちて居(ゐ)ました。柿(かき)の花(はな)の咲(さ)く時分(じぶん)に行(ゆ)くと、あの甘(あま)い香(にほ)ひのする小(ちひ)さな花(はな)が一ぱい落(お)ちて居(ゐ)ます。實(み)の生(な)る時分(じぶん)に行(ゆ)くと、あの蔕(へた)のついた青(あを)い小(ちひ)さな柿(かき)が澤山(たくさん)落(お)ちて居(ゐ)ます。そろ/\木(き)の葉(は)の落(お)ちる時分(じぶん)に行(ゆ)くと大(おほ)きな色(いろ)のついた柿(かき)の葉(は)がそこにもこゝにも落(お)ちて居(ゐ)ます。父(とう)さんはそれを拾集(ひろひあつ)めるのが樂(たのし)みでした。それに他(ほか)のお家(うち)の柿(かき)の木(き)へは登(のぼ)らうと思(おも)つても登(のぼ)れませんでしたが、自分(じぶん)のお家(うち)の柿(かき)の木(き)ばかりは惡(わる)い顏(かほ)もせずに登(のぼ)らせて呉(く)れました。父(とう)さんは枝(えだ)から枝(えだ)をつたつて登(のぼ)つて、時(とき)にゆすつたりしても柿(かき)の木(き)は怒(おこ)りもしないのみか、『もつと遊(あそ)んでお出(いで)。もつと遊(あそ)んでお出(いで)。』
と父(とう)さんに言(い)ひました。

   一七 鳥獸(とりけもの)もお友達(ともだち)

山(やま)の中(なか)に育(そだ)つた父(とう)さんは、いろいろな木(き)をお友達(ともだち)のやうに思(おも)つて大(おほ)きくなつたばかりではありません。お前達(まへたち)の好(す)きなお伽話(とぎばなし)の本(ほん)や雜誌(ざつし)の中(なか)に出(で)て來(く)るやうな、鳥(とり)や獸(けもの)まで幼少(ちひさ)い時分(じぶん)の父(とう)さんにはお友達(ともだち)でした。
お家(うち)にはおいしい玉子(たまご)を御馳走(ごちそう)して呉(く)れる鷄(にはとり)が飼(か)つてありました。父(とう)さんが裏庭(うらには)に出(で)て、桐(きり)の木(き)の下(した)あたりを歩(ある)き廻(まは)つて居(ゐ)ますと、その邊(へん)には鷄(にはとり)も遊(あそ)んで居(ゐ)ました。
『コツ、コツ、コツ。』
と鷄(にはとり)は父(とう)さんを見(み)かける度(たび)に挨拶(あいさつ)します。時(とき)には鷄(にはとり)はお友達(ともだち)のしるしにと言(い)つて、白(しろ)い羽(はね)や茶色(ちやいろ)な羽(はね)の拔(ぬ)けたのを父(とう)さんに置(お)いて行(い)つて呉(く)れることもありました。
めづらしいお客(きやく)さまでもある時(とき)には、父(とう)さんのお家(いへ)[#「いへ」はママ]では鷄(にはとり)の肉(にく)を御馳走(ごちそう)しました。山家(やまが)のことですから、鷄(にはとり)の肉(にく)と言(い)へば大(たい)した御馳走(ごちそう)でした。その度(たび)にお家(いへ)に飼(か)つてある鷄(にはとり)が減(へ)りました。あの締(し)められた首(くび)を垂(た)れ眼(め)を白(しろ)くしまして、羽(はね)をむしられる鷄(にはとり)を見(み)て居(ゐ)ますと、父(とう)さんはお腹(なか)の中(なか)でハラ/\しました。これはお客(きやく)さまの御馳走(ごちそう)ですから仕方(しかた)が無(な)いと思(おも)ひましたが、近所(きんじよ)のお家(いへ)では、鬪鷄(しやも)や鷄(にはとり)を締殺(しめころ)して煮(に)て食(く)ふといふことをよくやりました。村(むら)には隨分(ずゐぶん)惡戲(いたづら)の好(す)きな人達(ひとたち)がありました。さういふ人達(ひとたち)は生(い)きて居(ゐ)る鬪鷄(しやも)の毛(け)をむしりまして、煮(に)て食(く)ふ前(まへ)に追(お)ひ廻(まは)して面白(おもしろ)がつたものです。あの赤(あか)はだかに毛(け)を拔(ぬ)かれた鳥(とり)がヒヨイ/\飛(と)び歩(ある)くのを見(み)るほど、むごいものは無(な)いと思(おも)ひました。父(とう)さんは子供心(こどもごゝろ)にも、そんな惡戲(いたづら)をする村(むら)の人達(ひとたち)を何程(なにほど)憎(にく)んだか知(し)れません。
お家(うち)の土藏(どざう)には年(とし)をとつた白(しろ)い蛇(へび)も住(す)んで居(を)りました。その蛇(へび)は土藏(どざう)の『主(ぬし)』だから、かまはずに置(お)けと言(い)つて、石(いし)一つ投(な)げつけるものもありませんでした。不思議(ふしぎ)にもその年(とし)とつた蛇(へび)は動物園(どうぶつゑん)にでも居(ゐ)るやうに温順(おとな)しくして居(ゐ)てついぞ惡戲(いたづら)をしたといふことを聞(き)きません。父(とう)さんはめつたにその蛇(へび)を見(み)ませんでしたが、どうかすると日(ひ)の映(あた)つた土藏(どざう)の石垣(いしがき)の間(あひだ)に身體(からだ)だけ出(だ)しまして、頭(あたま)も尻尾(しつぽ)も隱(かく)しながら日向(ひなた)ぼつこをして居(ゐ)るのを見(み)かけました。
この土藏(どざう)について石段(いしだん)を降(お)りて行(ゆ)きますと、お家(うち)の木小屋(きごや)がありました。木小屋(きごや)の前(まへ)には池(いけ)があつて石垣(いしがき)の横(よこ)に咲(さ)いて居(ゐ)る雪(ゆき)の下(した)や、そこいらに遊(あそ)んで居(ゐ)る蜂(はち)や蛙(かへる)なぞが、父(とう)さんの遊(あそ)びに行(ゆ)くのを待(ま)つて居(ゐ)ました。裏木戸(うらきど)の外(そと)へ出(で)て見(み)ますと、そこにはまたお稻荷(いなり)さまの赤(あか)い小(ちひ)さな社(やしろ)の側(そば)に大(おほ)きな栗(くり)の木(き)が立(た)つて居(ゐ)ました。風(かぜ)でも吹(ふ)いて栗(くり)の枝(えだ)の搖(ゆ)れるやうな朝(あさ)に父(とう)さんがお家(うち)から馳出(かけだ)して行(い)つて見(み)ますと『誰(たれ)も來(こ)ないうちに早(はや)くお拾(ひろ)ひ。』と栗(くり)の木(き)が言(い)つて、三つづゝ一組(くみ)になつた栗(くり)の實(み)の毬(いが)と一緒(しよ)に落(お)ちたのを父(とう)さんに拾(ひろ)はせて呉(く)れました。高(たか)いところを見(み)ると、ワンと口(くち)を開(あ)いた栗(くり)の毬(いが)が枝(えだ)の上(うへ)から父(とう)さんの方(はう)を笑(わら)つて見(み)て居(ゐ)まして、わざと落(お)ちた栗(くり)の在(あ)る塲所(ばしよ)も教(をし)へずに、父(とう)さんに探(さが)し廻(まは)らせては悦(よろこ)んで居(を)りました。
『あんなところに落(お)ちて居(ゐ)るのが、あれが見(み)えないのかナア。』とは栗(くり)の毬(いが)がよく父(とう)さんに言(い)ふことでした。栗(くり)の木(き)は花(はな)からして提灯(ちやうちん)をぶらさげたやうに滑稽(こつけい)な木(き)でしたし、どうかすると青(あを)い栗虫(くりむし)なぞを落(おと)してよこして、人(ひと)をびつくりさせることの好(す)きな木(き)でしたが、でも父(とう)さんの好(す)きな木(き)でした。

   一八 榎木(えのき)の實(み)

お家(うち)の裏(うら)にある榎木(えのき)の實(み)が落(お)ちる時分(じぶん)でした。父(とう)さんはそれを拾(ひろ)ふのを樂(たのし)みにして、まだあの實(み)が青(あを)くて食(た)べられない時分(じぶん)から、早(はや)く紅(あか)くなれ早(はや)く紅(あか)くなれと言(い)つて待(ま)つて居(ゐ)ました。
爺(ぢい)やは山(やま)へも木(き)を伐(き)りに行(ゆ)くし畑(はたけ)へも野菜(やさい)をつくりに行(い)つて、何(なん)でもよく知(し)つて居(ゐ)ましたから、
『まだ榎木(えのき)の實(み)は澁(しぶ)くて食(た)べられません。もう少(すこ)しお待(ま)ちなさい。』とさう申(まを)しました。
父(とう)さんは榎木(えのき)の實(み)の紅(あか)くなるのが待(ま)つて居(ゐ)られませんでした。爺(ぢい)やが止(と)めるのも聞(き)かずに、馳出(かけだ)して木(き)の實(み)を拾(ひろ)ひに行(ゆ)きますと、高(たか)い枝(えだ)の上(うへ)に居(ゐ)た一羽(は)の橿鳥(かしどり)が大(おほ)きな聲(こゑ)を出(だ)しまして、
『早過(はやす)ぎた。早過(はやす)ぎた。』と鳴(な)きました。
父(とう)さんは、枝(えだ)に生(な)つて居(ゐ)るのを打(う)ち落(おと)すつもりで、石(いし)ころや棒(ぼう)を拾(ひろ)つては投(な)げつけました。その度(たび)に、榎木(えのき)の實(み)が葉(は)と一緒(しよ)になつて、パラ/\パラ/\落(お)ちて來(き)ましたが、どれもこれも、まだ青(あを)くて食(た)べられないのばかりでした。
そのうちに復(ま)た父(とう)さんは出掛(でか)けて行(ゆ)きました。『大丈夫(だいぢやうぶ)、榎木(えのき)の實(み)はもう紅(あか)くなつて居(ゐ)る。』と安心(あんしん)して、ゆつくり構(かま)へて出掛(でか)けて行(ゆ)きました。木(き)の實(み)を拾(ひろ)ひに行(ゆ)きますと、高(たか)い枝(えだ)の上(うへ)に居(ゐ)た橿鳥(かしどり)がまた大(おほ)きな聲(こゑ)を出(だ)しまして、 
『遲過(おそす)ぎた。遲過(おそす)ぎた。』と鳴(な)きました。
父(とう)さんは、しきりと木(き)の下(した)を探(さが)し廻(まは)りましたが、紅(あか)い榎木(えのき)の實(み)は一(ひと)つも見(み)つかりませんでした。ゆつくり出掛(でか)けて行(ゆ)くうちに、木(き)の下(した)に落(お)ちて居(ゐ)たのを皆(みん)な他(ほか)の子供(こども)に拾(ひろ)はれてしまひました。父(とう)さんがこの話(はなし)を爺(ぢい)やにしましたら、爺(ぢい)やがさう申(まを)しました。
『一度(いちど)はあんまり早過(はやす)ぎたし、一度(いちど)はあんまり遲過(おそす)[#ルビの「おそす」は底本では「はやす」]ぎました。丁度好(ちやうどい)い時(とき)を知(し)らなければ、好(い)い榎木(えのき)の實(み)は拾(ひろ)はれません。私(わたし)がその丁度好(ちやうどい)い時(とき)を教(をし)へてあげます。』と申(まを)しました。
ある朝(あさ)、爺(ぢい)やが父(とう)さんに『さあ早(はや)く拾(ひろ)ひにお出(いで)なさい、丁度好(ちやうどい)い時(とき)が來(き)ました。』と教(をし)へました。その朝(あさ)は風(かぜ)が吹(ふ)いて、榎木(えのき)の枝(えだ)が搖(ゆ)れるやうな日(ひ)でした。父(とう)さんが急(いそ)いで木(き)の下(した)へ行(ゆ)きますと、橿鳥(かしどり)が高(たか)い木(き)の上(うへ)からそれを見(み)て居(ゐ)まして、
『丁度好(ちやうどい)い。丁度好(ちやうどい)い。』と鳴(な)きました。
榎木(えのき)の下(した)には、紅(あか)い小(ちひ)さな球(たま)のやうな實(み)が、そこにも、こゝにも、一ぱい落(お)ちこぼれて居(ゐ)ました。父(とう)さんは木(き)の周圍(まはり)を廻(まは)つて、拾(ひろ)つても、拾(ひろ)つても、拾(ひろ)ひきれないほど、それを集(あつ)めて樂(たのし)みました。
橿鳥(かしどり)は首(くび)を傾(かし)げて、このありさまを見(み)て居(ゐ)ましたが、
『なんとこの榎木(えのき)の下(した)には好(い)い實(み)が落(お)ちて居(ゐ)ませう。澤山(たくさん)お拾(ひろ)ひなさい。序(ついで)に、私(わたし)も一(ひと)つ御褒美(ごはうび)を出(だ)しますよ。それも拾(ひろ)つて行(い)つて下(くだ)さい。』と言(い)ひながら青(あを)い斑(ぶち)の入(はい)つた小(ちい)さな羽(はね)を高(たか)い枝(えだ)の上(うへ)から落(おと)してよこしました。
父(とう)さんは榎木(えのき)の實(み)ばかりでなく、橿鳥(かしどり)の美(うつく)しい羽(はね)を拾(ひろ)ひ、おまけにその大(おほ)きな榎木(えのき)の下(した)で、『丁度好(ちやうどい)い時(とき)。』まで覺(おぼ)えて歸(かへ)つて來(き)ました。
 
   一九 木曾(きそ)の蠅(はい)

木曾(きそ)は蠅(はい)の多(おほ)いところです。
木曾(きそ)には毎年(まいとし)馬市(うまいち)が立(た)つくらゐに、諸方(はう/″\)で馬(うま)を飼(か)ひますから、それで蠅(はい)が多(おほ)いといひます。
蠅(はい)は何(なん)にでも行(い)つて取(と)りつきます。荷物(にもつ)をつけて通(とほ)る馬(うま)にも取(と)りつけば、旅人(たびびと)の着物(きもの)にも取(と)りつきます。蠅(はい)は誰(たれ)とでも直(す)ぐ懇意(こんい)になりますが、そのかはり誰(たれ)にでもうるさがられます。こんなうるさい蠅(はい)でも、道連(みちづ)れとなれば懐(なつ)かしく思(おも)はれたかして、木曾(きそ)の蠅(はい)のことを發句(ほつく)に讀(よ)んだ昔(むかし)の旅人(たびゞと)もありましたつけ。

   二○ 蚋(ぶよ)

似(に)て、違(ちが)ふもの――蠅(はい)と蚋(ぶよ)。蠅(はい)はうるさがられ、蚋(ぶよ)は恐(こは)がられて居(ゐ)ます。蚋(ぶよ)は人(ひと)をも馬(うま)をも刺(さ)します。あの長(なが)くて丈夫(ぢやうぶ)な馬(うま)の尻尾(しつぽ)の房々(ふさ/\)とした毛(け)は、蚋(ぶよ)を追(お)ひ拂ふ(はら)のに役(やく)に立(た)つのです。父(とう)さんが幼少(ちひさ)な時分(じぶん)に晝寢(ひるね)をして居(ゐ)ますと、どうかするとこの蚋(ぶよ)に食(く)はれることが有(あ)りました。その度(たび)に、お前達(まへたち)の祖父(おぢい)さんが大(おほ)きな掌(てのひら)で、蚋(ぶよ)を打(う)ち懲(こら)して呉(く)れました。

   二一 木曾馬(きそうま)

木曾(きそ)のやうに山坂(やまさか)の多(おほ)いところには、その土地(とち)に適(てき)した馬(うま)があります。いくら體格(たいかく)の好(い)い立派(りつぱ)な馬(うま)でも、平地(へいち)にばかり飼(か)はれた動物(どうぶつ)では、木曾(きそ)のやうな土地(とち)には適(てき)しません。そこで、石(いし)ころの多(おほ)い坂路(さかみち)を歩(ある)いても疲(つか)れないやうな強(つよ)い脚(あし)の力(ちから)が、木曾生(きそうま)れの馬(うま)には自然(しぜん)と具(そな)はつて居(ゐ)るのです。
木曾馬(きそうま)は小(ちひさ)いが、足腰(あしこし)が丈夫(ぢやうぶ)で、よく働(はたら)くと言(い)つて、それを買(か)ひに來(く)る博勞(ばくらう)が毎年(まいねん)諸國(しよこく)から集(あつ)まります。博勞(ばくらう)とは馬(うま)の賣買(うりかひ)を商賣(しやうばい)にする人(ひと)のことです。木曾(きそ)の山地(さんち)に育(そだ)つた眼付(めつき)の可愛(かあい)らしい動物(どうぶつ)がその博勞(ばくらう)に引(ひ)かれながら、諸國(しよこく)へ働(はたら)きに出(で)るのです。

   二二 御嶽參(おんたけまゐ)り

『チリン/\。チリン/\。』
山(やま)が夏(なつ)らしくなると、鈴(すゞ)の音(おと)が聞(きこ)えるやうに成(な)ります。御嶽山(おんたけさん)に登(のぼ)らうとする人達(ひとたち)が幾組(いくくみ)となく父さんのお家(うち)の前(まへ)を通(とほ)るのです。馬(うま)に乘(の)るか、籠(かご)に乘(の)るか、さもなければ歩(ある)いて旅(たび)をした以前(いぜん)の木曾街道(きそかいだう)の時分(じぶん)には、父(とう)さんの生(うま)れた神坂村(みさかむら)も驛(えき)の名(な)を馬籠(まごめ)と言(い)ひました。汽車(きしや)や電車(でんしや)の着(つ)くところが今日(こんにち)のステエシヨンなら、馬(うま)や籠(かご)の着(つ)いた父(とう)さんの村(むら)は昔(むかし)の木曾街道(きそかいだう)時分(じぶん)のステエシヨンのあつたところです。ほら、何々(なに/\)の驛(えき)といふことをよく言(い)ふでは有(あ)りませんか。木曾(きそ)の山(やま)の中(なか)にあつた小(ちひ)さな馬籠驛(まごめえき)でも、言葉(ことば)の意味(いみ)に變(かは)りは無(な)いのです。丁度(ちやうど)、お隣(とな)りで美濃(みの)の國(くに)の方(はう)から木曽路(きそぢ)へ入(はひ)らうとする旅人(たびびと)のためには、一番(いちばん)最初(さいしよ)の入口(いりぐち)のステエシヨンにあたつて居(ゐ)たのが馬籠驛(まごめえき)です。
御嶽參(おんたけまゐ)りが西(にし)の方(はう)から斯(こ)の木曾(きそ)の入口(いりくち)に着(つ)くには、六曲峠(ろくきよくたうげ)といふ峠(たうげ)を越(こ)して來(こ)なければなりません。そこが信濃(しなの)と美濃(みの)の國境(くにざかひ)で、父(とう)さんの村(むら)のはづれに當(あた)つて居(ゐ)ます。馬籠(まごめ)の驛(えき)まで來(く)れば御嶽山(おんたけさん)はもう遠(とほ)くはない、そのよろこびが皆(みんな)の胸(むね)にあるのです。あの白(しろ)い着物(きもの)に、白(しろ)い鉢巻(はちまき)をした山登(やまのぼ)りの人達(ひとたち)が、腰(こし)にさげた鈴(りん)をちりん/\鳴(な)らしながら多勢(おほぜい)揃(そろ)つて通(とほ)るのは、勇(いさま)しいものでした。

   二三 芭蕉翁(ばせをおう)の石碑(せきひ)

お前達(まへたち)は芭蕉翁(ばせをおう)の名(な)を聞(き)いたことが有(あ)りませう。あの芭蕉翁(ばせをおう)の木曾(きそ)で讀(よ)んだ發句(ほつく)が石(いし)に彫(ほ)りつけてあります。その古(ふる)い石碑(せきひ)が馬籠(まごめ)の村(むら)はづれに建(た)てゝあります。美濃(みの)の國境(くにざかひ)に近(ちか)いところに、それがあります。
『朝(あさ)を思(おも)ひ、また夕(ゆふ)を思(おも)ふべし。』
と芭蕉翁(ばせをおう)は教(をし)へた人(ひと)です。

   二四 お百草(ひやくさう)

御嶽山(おんたけさん)の方(はう)から歸(かへ)る人達(ひとたち)は、お百草(ひやくさう)といふ藥(くすり)をよく土産(みやげ)に持(も)つて來(き)ました。お百草(ひやくさう)は、あの高(たか)い山(やま)の上(うへ)で採(と)れるいろ/\な草(くさ)の根(ね)から製(せい)した練藥(ねりぐすり)で、それを竹(たけ)の皮(かは)の上(うへ)に延(の)べてあるのです。苦(にが)い/\藥(くすり)でしたが、お腹(なか)の痛(いた)い時(とき)なぞにそれを飮(の)むとすぐなほりました。お藥(くすり)はあんな高(たか)い山(やま)の土(つち)の中(なか)にも藏(しま)つてあるのですね。

   二五 檜木笠(ひのきかさ)

麥藁(むぎわら)でさへ帽子(ばうし)が出來(でき)るのに、檜木(ひのき)で笠(かさ)が造(つく)れるのは不思議(ふしぎ)でもありません。
木曾(きそ)は檜木(ひのき)[#「檜木」は底本では「榎木」]の名所(めいしよ)ですから、あの木(き)を薄(うす)い板(いた)に削(けづ)りまして、笠(かさ)に編(あ)んで冠(かぶ)ります。その笠(かさ)の新(あたら)しいのは、好(い)い檜木(ひのき)の香氣(にほひ)がします。木曾(きそ)の檜木(ひのき)は[#「は」は底本では「を」]材木(ざいもく)として立派(りつぱ)なばかりでなく、赤味(あかみ)のある厚(あつ)い木(き)の皮(かは)は屋根板(やねいた)の代(かは)りにもなります。まあ、あの一ト擁(かゝ)へも二擁(ふたかゝ)へもあるやうな檜木(ひのき)の側(そば)へ、お前達(まへたち)を連(つ)れて行(い)つて見(み)せたい。

   二六 ふるさとの言葉(ことば)

山(やま)や林(はやし)は父(とう)さんのふるさとですと、お前達(まへたち)にお話(はなし)しましたらう。山(やま)や林(はやし)ばかりでなく、言葉(ことば)も父(とう)さんのふるさとです。邊鄙(へんぴ)な山(やま)の中(なか)の村(むら)ですから、言葉(ことば)のなまりも鄙(ひな)びては居(ゐ)ますが、人(ひと)の名前(なまへ)の呼(よ)び方(かた)からして馬籠(まごめ)は馬籠(まごめ)らしいところが有(あ)ります。たとへば、末子(すゑこ)のやうなちひさな女(をんな)の子(こ)を呼(よ)ぶにも、
『末(すゑ)さま。』
と言(い)つたり、もつと親(した)しい間柄(あひだがら)で呼(よ)ぶ時(とき)には、
『末(すゑ)さ』
と言(い)つたりしまして、鄙(ひな)びた言葉(ことば)の中(なか)にも何處(どこ)か優(やさ)しいところが無(な)いでもありません。
父(とう)さんの田舍(ゐなか)には『どうねき』などといふ言葉(ことば)もあります。もう仕末(しまつ)におへないやうな人(ひと)のことを『どうねき』と言(い)ひます。こんな言葉(ことば)は木曾(きそ)にだけ有(あ)つて、他(ほか)の土地(とち)には無(な)いのだらうかと思(おも)ひます。それから、『わやく』といふやうな言葉(ことば)もあります。『いたずらな子供(こども)』といふところを『わやくな子供(こども)』などゝ言(い)ひます。
ふるさとの言葉(ことば)はこひしい。それを聞(き)くと、父(とう)さんは自分(じぶん)の子供(こども)の時分(じぶん)に歸(かへ)つて行(ゆ)くやうな氣(き)がします。お前達(まへたち)の祖父(おぢい)さんでも、祖母(おばあ)さんでも、みんなその言葉(ことば)の中(なか)に生(い)きていらつしやるやうな氣(き)がします。

   二七 お百姓(ひやくしやう)の苗字(めうじ)

父(とう)さんの田舍(ゐなか)の方(はう)には働(はたら)くことの好(す)きなお百姓(ひやくしやう)が住(す)んで居(ゐ)ます。今(いま)でこそあの人達(ひとたち)に苗字(めうじ)の無(な)い人(ひと)はありませんが、昔(むかし)は庄吉(しやうきち)とか、春吉(はるきち)とかの名前(なまへ)ばかりで、苗字(めうじ)の無(な)い人達(ひとたち)が澤山(たくさん)あつたさうです。明治(めいぢ)のはじめを御維新(ごゐつしん)の時(とき)と言(い)ひまして、あの御維新(ごゐつしん)の時(とき)から、どんなお百姓(ひやくしやう)でも立派(りつぱ)な苗字(めうじ)をつけることに成(な)つたさうです。
父(とう)さんのお家(うち)にも出入(でいり)のお百姓(ひやくしやう)がありまして、お餅(もち)をつくとか、お茶(ちや)をつくるとかいふ日(ひ)には、屹度(きつと)お手傳(てつだ)ひに來(き)て呉(く)れました。あの人達(ひとたち)はお前達(まへたち)の祖父(おぢい)さんのことを『お師匠(ししやう)さま、お師匠(ししやう)さま』と呼(よ)んで居(ゐ)ました。あの人達(ひとたち)が苗字(めうじ)をつける時(とき)のことを今(いま)から思(おも)ひますと、
『お師匠(ししやう)さま、孫子(まごこ)に傳(つた)はることでございますから、どうかまあ私共(わたしども)にも好(よ)ささうな苗字(めうじ)を一つお願(ねが)ひ申(まを)します。』
斯(か)うもあつたらうかと思(おも)ひます。そして、大脇(おほわき)[#ルビの「おほわき」は底本では「おはわき」]の脇(わき)の字(じ)を分(わ)けて貰(もら)ふとか、蜂谷(はちや)の谷(や)の字(じ)を分(わ)けて貰(もら)ふとかして、いろ/\な苗字(めうじ)が村(むら)にふえて行(い)つたらうかと思(おも)ひます。

   二八 狐(きつね)の身上話(みのうへばなし)

お稻荷(いなり)さまは五穀(ごこく)の神(かみ)を祀(まつ)つたものですとか。五穀(ごこく)とは何(なん)と何(なん)でせう。米(こめ)に、麥(むぎ)に、粟(あは)に、黍(きび)に、それから豆(まめ)です。粟(あは)は粟餅(あはもち)の粟(あは)、黍(きび)はお前達(まへたち)のお馴染(なじみ)な桃太郎(もゝたらう)が腰(こし)にさげて居(ゐ)る黍團子(きびだんご)の黍(きび)です。父(とう)さんのお家(うち)の裏(うら)にも、斯(こ)のお百姓(ひやくしやう)の神樣(かみさま)が祀(まつ)つてありました。赤(あか)い鳥居(とりゐ)の奧(おく)にある小(ちひ)さな社(やしろ)がそれです。二月(ぐわつ)初午(はつうま)の日(ひ)には、お家(うち)の爺(ぢい)やが大(おほ)きな太鼓(たいこ)を持出(もちだ)して、その社(やしろ)の側(わき)の櫻(さくら)の枝(えだ)の木(き)に掛(か)けますと、そこへ近所(きんじよ)の子供(こども)が集(あつ)まりました。父(とう)さんもその太鼓(たいこ)を叩(たゝ)くのを樂(たのし)みにしたものです。
お前達(まへたち)はあの繪馬(ゑま)を知(し)つて居(ゐ)ますか。馬(うま)の繪(ゑ)をかいた小(ちひ)さな額(がく)が諸方(はう/″\)の社(やしろ)に掛(か)けてあるのを知(し)つて居(ゐ)ますか。あの額(がく)の中(なか)には『奉納(ほうなふ)』といふ文字(もじ)と、それを進(あ)げた人(ひと)の生(うま)れた年(とし)なぞが書(か)いてあるのに氣(き)がつきましたか。父(とう)さんのお家(うち)の裏(うら)に祀(まつ)つてあるお稻荷(いなり)さまの社(やしろ)にも、あの繪馬(ゑま)がいくつも掛(かゝ)つて居(ゐ)ました。それから、白(しろ)い狐(きつね)の姿(すがた)をあらはした置物(おきもの)も置(お)いてありました。その白狐(しろぎつね)はあたりまへの狐(きつね)でなくて、寶珠(はうじゆ)の玉(たま)を口(くち)にくはへて居(ゐ)ました。
『お前(まへ)さんがお稻荷(いなり)さまですか。』
と父(とう)さんがその狐(きつね)にきいて見(み)ました。さうしましたら白狐(しろぎつね)の答(こた)へるには、
『どうしまして。私(わたし)はお稻荷(いなり)さまの使(つか)ひですよ。この社(やしろ)の番人(ばんにん)ですよ。私(わたし)もこれで若(わか)い時分(じぶん)には隨分(ずゐぶん)いたずらな狐(きつね)でして、諸方(はう/″\)の畠(はたけ)を荒(あら)しました。一體(たい)、私(わたし)の幼少(ちひさ)な時分(じぶん)には、ごく弱(よわ)かつたものですから、この白狐(しろぎつね)はこれでも育(そだ)つかしら、と皆(みんな)に言(い)はれたくらゐださうです。その私(わたし)を可哀(かあい)さうに思(おも)つて、親狐(おやぎつね)は私(わたし)の言(い)ふなりに育(そだ)てゝ呉(く)れましたとか。私(わたし)は他(ひと)の言(い)ふことなぞを聞(き)かないで、自分(じぶん)のしたい事(こと)をしました。鷄(にはとり)が食(た)べたければ、鷄(にはとり)を盜(ぬす)んで來(き)ました。そんな眞似(まね)をして、もう我儘(わたまゝ)一(いつ)ぱいに振舞(ふるま)つて居(を)りますうちに、だん/″\私(わたし)は[#「は」は底本では「ば」]獨(ひと)りぼつちに成(な)つてしまひました。誰(たれ)も私(わたし)とは交際(つきあ)はなくなりました。私(わたし)の眼(め)が覺(さ)める時分(じぶん)には、誰(だれ)も私(わたし)の言(い)ふことを本當(ほんたう)にして呉(く)れる者(もの)はありませんでした。御覽(ごらん)の通(とほ)り、私(わたし)は今(いま)、お稻荷(いなり)さまの社(やしろ)の番人(ばんにん)をして居(ゐ)ます。私(わたし)のやうな狐(きつね)でも生(うま)れ變(かは)つたやうになれば、斯(か)うして社(やしろ)の番人(ばんにん)をさせて頂(いたゞ)けるのです。私(わたし)がもう若(わか)い時分(じぶん)のやうな惡戯(いたづら)な狐(きつね)でない證據(しようこ)には、この私(わたし)の口(くち)を御覽(ごらん)になつても分ります。私(わたし)がお稻荷(いなり)さまのお使(つか)ひをして歩(ある)く度(たび)に、この口(くち)にくはへて居(ゐ)る寶珠(はうじゆ)の玉(たま)が光(ひか)ります。』
とさう申(まを)しました。

   二九 生徒(せいと)さん、今日(こんにち)は

村(むら)の學校(がくかう)の生徒(せいと)が石垣(いしがき)の間(あひだ)の細(ほそ)い道(みち)を歸(かへ)つて來(き)ますと、こちらの石垣(いしがき)から向(むか)ふの石垣(いしがき)の方(はう)へ通(とほ)りぬけようとする鼠(ねずみ)がありました。丁度(ちやうど)、村(むら)では惡戯(いたづら)をした鼠(ねずみ)の噂(うはさ)が傳(つた)はつて居(ゐ)る頃(ころ)でした。いかにそゝツかしい山家(やまが)の鼠(ねずみ)でも、そこに寢(ね)て居(ゐ)る女(をんな)の人(ひと)の鼻(はな)を間違(まちが)へて、お芋(いも)かなんかのやうに食(た)べようとしたなんて、そんなことはめつたに聞(き)かない惡戯(いたづら)ですから。
學校(がくかう)の生徒(せいと)に逢(あ)つた鼠(ねずみ)は賢(かしこ)い鼠(ねずみ)でした。他所(よそ)の鼠(ねずみ)の惡戯(いたづら)から、自分(じぶん)までその仕返(しかへ)しをされては堪(たま)らないと思(おも)ひましたから、先(ま)づ自分(じぶん)の鼻(はな)を大事(だいじ)[#ルビの「だいじ」は底本では「なだいじ」]さうにおさへて居(ゐ)まして、それから斯(か)う挨拶(あいさつ)しました。
『生徒(せいと)さん、今日(こんにち)は。』

   三○ 黒(くろ)い蝶蝶(てふてふ)

ある日(ひ)のことでした。父(とう)さんはお家(うち)の裏木戸(うらきど)の外(そと)をさん/″\遊(あそ)び廻(まは)りまして、木戸(きど)のところまで歸(かへ)つて來(き)ますと、高(たか)い枳殼(からたち)の木(き)の上(うへ)の方(はう)に卵(たまご)でも産(う)みつけようとして居(ゐ)るやうな大(おほ)きな黒(くろ)い蝶々(てふ/\)を見(み)つけました。
いろ/\な可愛(かあい)らしい蝶々(てふ/\)も澤山(たくさん)ある中(なか)で、あの大(おほ)きな黒(くろ)い蝶々(てふ/\)ばかりは氣味(きみ)の惡(わる)いものです。あれは毛蟲(けむし)の蝶々(てふ/\)だと言(い)ひます。何(なん)の氣(き)なしに父(とう)さんはその蝶々(てふ/\)を打(う)ち落(おと)すつもりで、木戸(きど)の内(うち)の方(はう)から長(なが)い竹竿(たけざを)を探(さが)して來(き)ました。ほら、枳殼(からたち)といふやつは、あの通(とほ)りトゲの出(で)た、枝(えだ)の込(こ)んだ木(き)でせう。父(とう)さんが蝶々(てふ/\)をめがけて竹竿(たけざを)を振(ふ)る度(たび)に、それが枳殼(からたち)の枝(えだ)を打(う)つて、青(あを)い葉(は)がバラ/\落(お)ちました。
そのうちに蝶々(てふ/\)は父(とう)さんの竹竿(たけざを)になやまされて、手傷(てきず)を負(お)つたやうでしたが、まだそれでも逃(に)げて行(い)かうとはしませんでした。そこいらにはもう誰(だれ)も人(ひと)の居(ゐ)ない頃(ころ)で、木戸(きど)に近(ちか)いお稻荷(いなり)さまの小(ちひ)さな社(やしろ)から、お家(うち)の裏手(うらて)にある深(ふか)い竹籔(たけやぶ)の方(はう)へかけて、何(なに)もかも、ひつそりとして居(ゐ)ました。大(おほ)きな蝶々(てふ/\)だけが氣味(きみ)の惡(わる)い黒(くろ)い羽(はね)をひろげて、枳殼(からたち)のまはりを飛(と)んで居(ゐ)ました。それを見(み)ると、父(とう)さんはその蝶々(てふ/\)を殺(ころ)してしまはないうちは安心(あんしん)の出來(でき)ないやうな氣(き)がして、手(て)にした竹竿(たけざを)で、滅茶々々(めちや/\)に枳殼(からたち)の枝(えだ)の方(はう)を打(う)つて置(お)いて、それから木戸(きど)の内(うち)へ逃(に)げ込(こ)みました。
未(いま)だに父(とう)さんはあの時(とき)のことを忘(わす)れません。母屋(もや)の石垣(いしがき)の下(した)にある古(ふる)い池(いけ)の横手(よこて)から、ひつそりとした木小屋(きごや)の前(まへ)を通(とほ)り、井戸(ゐど)の側(わき)の石段(いしだん)を馳(か)け登(のぼ)るやうにしまして、祖母(おばあ)さん達(たち)の居(ゐ)る方(はう)へ急(いそ)いで歸(かへ)つて行(い)つた時(とき)のことを忘(わす)れません。
それにつけても、父(とう)さんはある亞米利加人(あめりかじん)の話(はなし)を思(おも)ひ出(だ)します。
その亞米利加人(あめりかじん)がまだ子供(こども)の時分(じぶん)に龜(かめ)の子(こ)を打(う)つた話(はなし)を思(おも)ひ出(だ)します。生(うま)れて初(はじ)めて『惡(わる)い』といふ事(こと)をほんたうに知(し)つた、自分(じぶん)で惡(わる)いと思(おも)ひながら復(ま)た棒(ぼう)を振上(ふりあ)げ/\して龜(かめ)の子(こ)を打(う)つのに夢中(むちう)になつてしまつた、あんな心持(こゝろもち)は初(はじ)めてだ、さう亞米利加人(あめりかじん)の話(はなし)の中(なか)に書(か)いてあつたことを思(おも)ひ出(だ)します。その亞米利加人(あめりかじん)が母親(はゝおや)から言(い)はれた言葉(ことば)を引(ひ)いて、あれが自分(じぶん)の『良心(りやうしん)の眼(め)ざめ』だ、自分(じぶん)が一生(しやう)の中(うち)のどんな出來事(できごと)でもあんなに深(ふか)く長續(ながつゞ)きのして殘(のこ)つたものはない、とその話(はなし)にも言(い)つてありましたつけ。 

   三一 梨(なし)の木(き)の下(した)

子供(こども)が片足(かたあし)づゝ揚(あ)げて遊(あそ)ぶことを、東京(とうきやう)では『ちん/\まご/\』と言(い)ひませう。土地(とち)によつては『足拳(あしけん)』と言(い)ふところも有(あ)るさうです。父(とう)さんの田舍(ゐなか)の方(ほう)ではあの遊(あそ)びのことを『ちんぐら、はんぐら』と言(い)ひます。
問屋(とんや)の三郎(らう)さんは近所(きんじよ)の子供(こども)の中(なか)でも父(とう)さんと同(おな)い年(どし)でして、好(い)い遊(あそ)び友達(ともだち)でした。父(とう)さんがお家(うち)の表(おもて)に出(で)て遊(あそ)んで居(を)りますと、何時(いつ)でも坂(さか)の上(うへ)の方(はう)から降(お)りて來(き)て一緒(しよ)に成(な)るのは、この三郎(らう)さんでした。二人(ふたり)は片足(かたあし)づゝ揚(あ)げまして、坂(さか)になつた村(むら)の往来(わうらい)を『ちんぐら、はんぐら』とよく遊(あそ)びました。
ある日(ひ)の夕方(ゆふがた)の事(こと)、父(とう)さんは何(なに)かの事(こと)で三郎(らう)さんと爭(あらそ)ひまして、この好(よ)い遊(あそ)び友達(ともだち)を泣(な)かせてしまひました。三郎(らう)さんの祖母(おばあ)さんといふ人(ひと)は日頃(ひごろ)三郎(らう)さんを可愛(かあい)がつて居(ゐ)ましたから、大層(たいそう)立腹(りつぷく)して、父(とう)さんのお家(うち)へ捩(ね)じ込(こ)んで來(き)たのです。問屋(とんや)の祖母(おばあ)さんと言(い)へば、なか/\負(ま)けては居(ゐ)ない人(ひと)でしたからね。
父(とう)さんはお家(うち)へ歸(かへ)ればきつと叱(しか)られることを知(し)つて居(ゐ)ましたから、しょんぼりと門(もん)の内(なか)まで歸(かへ)つて行(い)きました。お家(うち)には廣(ひろ)い板(いた)の間(ま)の玄關(げんくわん)と、田舍風(ゐなかふう)な臺所(だいどころ)の入口(いりぐち)と、入口(いりぐち)が二つになつて居(ゐ)ましたが、その臺所(だいどころ)の入口(いりぐち)から見(み)ますと、爐邊(ろばた)ではもう夕飯(ゆふはん)が始(はじ)まつて居(ゐ)ました。ところが誰(だれ)も父(とう)さんに『お入(はい)り』と言(い)ふ人(ひと)がありません。『早(はや)く御飯(ごはん)をおあがり』と言(い)つて呉(く)れる者(もの)も有(あ)りません。父(とう)さんは自分(じぶん)のしたことで、こんなに皆(みんな)を怒(おこ)らせてしまつたかと思(おも)ひました。そのうちに、
『お前(まへ)はそこに立(た)つてお出(い)で。』
といふ伯父(おぢ)さんの聲(こゑ)を聞(き)きつけました。あのお前達(まへたち)の伯父(おぢ)さんが、父(とう)さんには一番(いちばん)年長(うへ)の兄(にい)さんに當(あた)る人(ひと)です。父(とう)さんは問屋(とんや)の三郎(らう)さんを泣(な)かせた罰(ばつ)として、庭(には)に立(た)たせられました。あか/\と燃(も)える樂(たの)しさうな爐(ろ)の火(ひ)も、みんなが夕飯(ゆふはん)を食(た)べるさまも、庭(には)の梨(なし)の木(き)の下(した)からよく見(み)えました。爺(ぢい)やは心配(しんぱい)して、父(とう)さんを言(い)ひなだめに來(き)て呉(く)れましたが、父(とう)さんは誰(だれ)の言(い)ふ事(こと)も聞(き)き入(い)れずに、みんなの夕飯(ゆふはん)の濟(す)むまでそこに立(た)ちつくしました。
斯(か)ういう塲合(ばあひ)に、いつでも父(とう)さんを連(つ)れに來(き)て呉(く)れるのはあのお雛(ひな)で、お雛(ひな)は父(とう)さんのために御飯(ごはん)までつけて呉(く)れましたが、到頭(たうとう)その晩(ばん)は父(とう)さんは食(た)べませんでした。
愚(おろ)かな父(とう)さんは、好い事(こと)でも惡(わる)い事(こと)でもそれを自分(じぶん)でして見(み)た上(うへ)でなければ、その意味(いみ)をよく悟(さと)ることが出來(でき)ませんでした。そのかはり、一度(いちど)懲(こ)りたことは、めつたにそれを二度(にど)する氣(き)にならなかつたのは、あの梨(なし)の木(き)の下(した)に立(た)たせられた晩(ばん)のことをよく/\忘(わす)れずに居(ゐ)たからでありませう。

   三二 翫具(おもちや)は野(の)にも畠(はたけ)にも

父(とう)さんの幼少(ちひさ)い時(とき)のやうに山(やま)の中(なか)に育(そだ)つた子供(こども)は、めつたに翫具(おもちや)を買(か)ふことが出來(でき)ません。假令(たとへ)、欲(ほ)しいと思(おも)ひましても、それを賣(う)る店(みせ)が村(むら)にはありませんでした。
翫具(おもちや)が欲(ほ)しくなりますと、父(とう)さんは裏(うら)の竹籔(たけやぶ)の竹(たけ)や、麥畠(むぎばたけ)に乾(ほ)してある麥藁(むぎわら)や、それから爺(ぢい)やが野菜(やさい)の畠(はたけ)の方(はう)から持(も)つて來(く)る茄子(なす)だの南瓜(たうなす)だのゝ中(なか)へよく探(さが)しに行(ゆ)きました。
爺(ぢい)やが畠(はたけ)から持(も)つて來(く)る茄子(なす)は、父(とう)さんに蔕(へた)を呉(く)れました。その茄子(なす)の蔕(へた)を兩足(りやうあし)の親指(おやゆび)の間(あひだ)にはさみまして、爪先(つまさき)を立(た)てゝ歩(ある)きますと、丁度(ちやうど)小(ちひ)さな沓(くつ)をはいたやうで、嬉(うれ)しく思(おも)ひました。
南瓜(たうなす)も父(とう)さんに、蔕(へた)を呉(く)れました。
『御覽(ごらん)、私(わたし)の蔕(へた)の堅(かた)いこと。まるで竹(たけ)の根(ね)のやうです。これをお前(まへ)さんの兄(にい)さんのところへ持(も)つて行(い)つて、この裏(うら)の平(たひ)らなところへ何(なに)か彫(ほ)つてお貰(もら)ひなさい。それが出來(でき)たら、紙(かみ)の上(うへ)へ押(お)して御覽(ごらん)なさい。面白(おもしろ)い印行(いんぎやう)が出來(でき)ますよ。』
と南瓜(たうなす)が教(をし)へて呉(く)れました。
裏(うら)の竹籔(たけやぶ)の竹(たけ)は父(とう)さんに竹(たけ)の子(こ)を呉(く)れました。それで竹(たけ)の子(こ)の手桶(てをけ)を造(つく)れ、と言(い)つて呉れ(く)ました。
『こいつも、おまけだ。』
と細(ほそ)く竹(たけ)の割(わ)つたのまで呉(く)れてよこしました。その細(ほそ)い竹(たけ)を削(けづ)りまして、竹(たけ)の子(こ)の手桶(てをけ)に差(さ)しますと、それで提(さ)げられるやうに成(な)るのです。水(みづ)も汲(く)めます。父(とう)さんは表庭(おもてには)の梨(なし)の木(き)や椿(つばき)の木(き)の下(した)あたりへ小(ちひ)さな川(かは)のかたちをこしらへました。寄(よ)せ集(あつ)めた砂(すな)や土(つち)を二列(ふたれつ)に盛(も)りまして、その中(なか)へ水(みづ)を流(なが)しては遊(あそ)びました。竹(たけ)の子(こ)の手桶(てをけ)で提(さ)げて行(い)つた水(みづ)がその小(ちひ)さな川(かは)を流(なが)れるのを樂(たのし)みました。
麥畠(むぎばたけ)に熟(じゆく)した麥(むぎ)は、父(とう)さんに穗先(ほさき)の方(はう)の細(ほそ)い麥藁(むぎわら)と、胴中(どうなか)の方(はう)の太(ふと)い麥藁(むぎわら)とを呉(く)れました。
『是(これ)をどうするんですか。黄色(きいろ)い麥藁(むぎわら)でなけりや不可(いけない)んですか。』
と父(とう)さんが聞(き)きましたら、麥(むぎ)の言(い)ふには、
『ナニ、青(あを)いんでもかまひませんが、なるなら黄色(きいろ)い方(はう)がいゝ。麥(むぎ)は熟(じゆく)するほど丈夫(ぢやうぶ)ですからね。この細(ほそ)い麥藁(むぎわら)の穗先(ほさき)の方(はう)を輕(かる)く折(を)つてお置(お)きなさい。氣(き)をつけてしないと、折(を)れて、とれてしまひますよ。それから太(ふと)い麥藁(むぎわら)の節(ふし)のある下(した)のところを一寸(すん)ばかりお前(まへ)さんの爪(つめ)でお裂(さ)きなさい。これも氣(き)をつけてしないと、みんな裂(さ)けてしまひますよ。太(ふと)い麥藁(むぎわら)には必(かなら)ず一方(いつぱう)に節(ふし)のあるのが要(い)ります。それが出來(でき)ましたら、細(ほそ)い方(はう)の麥藁(むぎわら)を太(ふと)い麥藁(むぎわら)の裂(さ)けたところへ差(さ)し込(こ)むやうになさい。』
成程(なるほど)麥(むぎ)の言(い)ふ通(とほ)りにしましたら、子供(こども)らしい翫具(おもちや)が出來(でき)ました。細(ほそ)い麥藁(むぎわら)を下(した)から引(ひ)く度(たび)に、麥(むぎ)の穗先(ほさき)が動(うご)きまして、『今日(こんにち)は、今日(こんにち)は』と言(い)ふやうに見(み)えました。
父(とう)さんは、種々(いろ/\)な翫具(おもちや)が野(の)にも畠(はたけ)にもある事(こと)を知(し)りました。竹籔(たけやぶ)から取(と)つて來(き)た青(あを)い竹(たけ)の子(こ)、麥畠(むぎばたけ)から取(と)つて來(き)た黄色(きいろ)い麥藁(むぎわら)で、翫具(おもちや)を手造(てづくり)にする事(こと)の言(い)ふに言(い)はれぬ樂(たの)しい心持(こゝろもち)を覺(おぼ)えました。
畠(はたけ)の隅(すみ)に堤燈(ちやうちん)をぶらさげたやうな酸醤(ほゝづき)が、父(とう)さんに酸醤(ほゝづき)の實(み)を呉(く)れまして、その心(しん)を出(だ)してしまつてから、古(ふる)い筆(ふで)の軸(ぢく)で吹(ふ)いて御覽(ごらん)と教(をし)へて呉(く)れました。筆(ふで)の軸(ぢく)は先(さき)の方(はう)だけを小刀(こがたな)か何(なに)かで幾(いく)つにも割(わ)りまして、朝顏(あさがほ)のかたちに折(を)り曲(ま)げるといゝのです。その受口(うけくち)へ玉(たま)のやうにふくらめた酸醤(ほゝづき)をのせ、下(した)から吹(ふ)きましたら、輕(かる)い酸醤(ほゝづき)がくる/\と舞(ま)ひあがりました。そして朝顏(あさがほ)なりの管(くだ)の上(うへ)へ面白(おもしろ)いやうに落(お)ちて來(き)ました。

   三三 旅(たび)の飴屋(あめや)さん

父(とう)さんの村(むら)へも、たまには飴屋(あめや)さんが通(とほ)りました。旅(たび)の飴屋(あめや)さんは、天平棒(てんびんぼう)でかついて來(き)た荷(に)を村(むら)の石垣(いしがき)の側(わき)におろして、面白(おもしろ)をかしく笛(ふえ)を吹(ふ)きました。
なんと、飴屋(あめや)さんの上手(じやうず)に笛(ふえ)を吹(ふ)くこと。飴屋(あめや)さんは棒(ぼう)の先(さき)に卷(ま)きつけた飴(あめ)を父(とう)さんにも賣(う)つて呉(く)れまして、それから斯(か)う言(い)ひました。
『さあ、おいしい飴(あめ)ですよ。これを食(た)べて、おとなしくして居(ゐ)て下(くだ)さると、復(ま)た私(わたし)が飴(あめ)をかついで來(き)てあげますよ。』
日(ひ)に燒(や)けて旅(たび)をして歩(ある)く斯(こ)の飴屋(あめや)さんは、何處(どこ)か遠(とほ)いところからかついで來(き)た荷(に)を復(ま)た肩(かた)に掛(か)けて、笛(ふえ)を吹(ふ)き/\出掛(でか)けました。
あの飴屋(あめや)さんの吹(ふ)く笛(ふえ)は、そこいらの石垣(いしがき)へ浸(し)みて行(い)くやうな音色(ねいろ)でした。

   三四 水晶(すゐしやう)のお土産(みや)

ある日(ひ)、父(とう)さんは人(ひと)に連(つ)れられて梵天山(ぼんてんやま)といふ方(はう)へ行(い)きました。赤(あか)い躑躅(つゝじ)の花(はな)なぞの咲(さ)いて居(ゐ)る山路(やまみち)を通(とほ)りまして、その梵天山(ぼんてんやま)へ行(い)つて見(み)ますと、そこは水晶(すゐしやう)の出(で)る山(やま)でした。父(とう)さんはめづらしく思(おも)ひまして、あちこちと見(み)て歩(ある)いて居(ゐ)ますと、路(みち)ばたに大(おほ)きな岩(いは)がありました。その岩(いは)が父(とう)さんに、彼處(あそこ)を御覽(がらん)、こゝを御覽(ごらん)、と言(い)ひまして、半分(はんぶん)土(つち)のついた水晶(すゐしやう)がそこいらに散(ち)らばつて居(ゐ)るのを指(さ)して見(み)せました。
『あそこにも水晶(すゐしやう)の塊(かたまり)がありますよ。』
とまた岩(いは)が父(とう)さんに指(さ)して見(み)せました。その水晶(すゐしやう)は千本濕地(せんぼんしめぢ)といふ茸(きのこ)のかたまつて生(は)えたやうに、枝(えだ)に枝(えだ)がさしたやうになつて居(ゐ)まして、その枝(えだ)の一つ一つが、みんな水晶(すゐしやう)の形(かたち)をして居(ゐ)ました。
『こんなところから水晶(すゐしやう)が出(で)るんですか。』
と父(とう)さんが聞(き)きましたら、
『えゝ[#「ゝ」は底本では「う」]、さうです。水晶(すゐしやう)はみんな斯(か)うして生(うま)れて來(き)ます。人(ひと)は遠(とほ)いところにばかり眼(め)をつけて、足許(あしもと)に落(お)ちて居(ゐ)る寶石(ほうせき)を知(し)らずに居(ゐ)ますよ。さういふお前(まへ)さんは、この山(やま)は初(はじ)めてゞすか。よく來(き)て下(くだ)さいました。山(やま)の土産(みやげ)に、あそこに落(お)ちて居(ゐ)る美(うつく)しい水晶(すゐしやう)でも一つ拾(ひろ)つて行(い)つて下(くだ)さい。』
斯(か)うその岩(いは)が答(こた)へました。
父(とう)さんはそこいらを探(さが)し廻(まは)りまして、眼(め)についた水晶(すゐしやう)の中(なか)でも一番(いちばん)光(ひか)つたのを土産(みやげ)に持(も)つて歸(かへ)りました。

   三五 雄鷄(おんどり)の冒險(ばうけん)

若(わか)い雄鷄(おんどり)がありました。
他(ほか)の鷄(にはとり)と同(おな)じやうに、この雄鷄(おんどり)も人(ひと)の家(うち)に飼(か)はれて大(おほ)きくなりました。小(ちひ)さな雛(ひよ)ツ子(こ)の時分(じふん)から、雄鷄(おんどり)は自分(じぶん)で飛(と)べないものとばかり思(おも)つて居(ゐ)ましたが、だん/″\大(おほ)きくなるうちに、自分(じぶん)に生(は)えて居(ゐ)る羽(はね)を見(み)てびつくりしました。
雄鷄(おんどり)はまだ若(わか)くて元氣(げんき)がありましたから、こんな立派(りつぱ)な羽(はね)があるなら一つこれで飛(と)んで見(み)たいと思(おも)ふやうに成(な)りました。そこで林(はやし)の方(はう)へ出掛(でか)けて行(い)きまして、他(ほか)の鳥(とり)と同(おな)じやうに飛(と)ばうとしました。林(はやし)には百舌(もず)が遊(あそ)んで居(ゐ)ました。百舌(もず)は雄鷄(おんどり)の方(はう)を見(み)ては笑(わら)ひました。そこへ鶸(ひは)も舞(ま)つて來(き)ました。鶸(ひは)は雄鷄(おんどり)の方(はう)を見(み)て、百舌(もず)と同(おな)じやうに笑(わら)ひました。何度(なんど)も何度(なんど)も雄鷄(おんどり)は木(き)の枝(えだ)へ上(のぼ)りまして、そこから飛(と)ばうとしましたが、その度(たび)に羽(はね)をばた/″\させて舞(ま)ひ降(お)りてしまひました。
百舌(もず)には笑(わら)はれる、鶸(ひは)にも笑(わら)はれる、そのうちに雄鷄(おんどり)は餌(え)を欲(ほ)しくなりましたが、林(はやし)の中(なか)にある木(き)の實(み)や虫(むし)はみんな他(ほか)の鳥(とり)に早(はや)く拾(ひろ)はれてしまひました。誰(だれ)も雄鷄(おんどり)のために米粒(こめつぶ)一(ひと)つまいて呉(く)れるものも有(あ)りませんでした。でも、この雄鷄(おんどり)は若(わか)かつたものですから、どうかして飛(と)んで見(み)たいと思(おも)ひまして、木(き)の枝(えだ)へ上(のぼ)つて行(い)つては羽(はね)をひろげました。その度(たび)に舞(ま)ひ降(お)りるばかりでした。
雄鷄(おんどり)はもう高(たか)い聲(こゑ)で閧(とき)をつくるやうな勇氣(ゆうき)も挫(くじ)けまして、
『クウ/\、クウ/\。』
と拾(ひろ)ふ餌(え)もなくて鳴(な)きました。
そこへ山鳩(やまばと)が通(とほ)りかゝりました。山鳩(やまばと)は林(はやし)の中(なか)に聞(き)き慣(な)れない鷄(にはとり)の鳴聲(なきごゑ)を聞(き)きつけまして、傍(そば)へ飛(と)んで來(き)ました。百舌(もず)や鶸(ひは)とちがひ、山鳩(やまばと)は見(み)ず知(し)らずの雄鷄(おんどり)をいたはりました。
『もうすこしの辛抱(しんぼう)――もうすこしの辛抱(しんぼう)――』
と鳴(な)いて、山鳩(やまばと)は林(はやし)の奧(おく)の方(はう)へ飛(と)んで行(い)きました。
饑(かつ)えた雄鷄(おんどり)は一生懸命(いつしやうけんめい)に餌(え)を探(さが)しはじめました。他(ほか)の鳥(とり)に拾(ひろ)はれないうちに、自分(じぶん)で木(き)の實(み)や虫(むし)を見(み)つけるためには、否(いや)でも應(おう)でも飛(と)ばなければ成(な)りませんでした。その時(とき)になつて、初(はじ)めて雄鷄(おんどり)の羽(はね)が動(うご)いて來(き)ました。そして餌(え)らしい餌(え)にありつきました。
雄鷄(おんどり)はこの林(はやし)へ飛(と)びに來(き)て見(み)て、鷹(たか)があんな高(たか)い空(そら)を舞(ま)つて歩(ある)くのも、自分(じぶん)で餌(え)を見(み)つけに行(い)くのだといふことを知(し)りました。

   三六 たなばたさま

三月(ぐわつ)、五月(ぐわつ)のお節句(せつく)は、樂(たの)しい子供(こども)のお祭(まつり)です。五月(ぐわつ)のお節句(せつく)には、父(とう)さんのお家(うち)でも石(いし)を載(の)せた板屋根(いたやね)へ菖蒲(しやうぶ)をかけ、爺(ぢい)やが松林(まつばやし)の方(はう)から採(と)つて來(く)る笹(さゝ)の葉(は)で粽(ちまき)をつくりました。七月(ぐわつ)になりますと、又(また)、たなばたさまのお祭(まつり)の日(ひ)が山(やま)の中(なか)の村(むら)へも來(き)ました。
たなばたさまのお祭(まつり)に飾(かざ)る竹(たけ)は、あれは外國(ぐわいこく)の田舍家(ゐなかや)で飾(かざ)るといふクリスマスの木(き)にも比(くら)べて見(み)たいやうなものです。墨(すみ)や紅(べに)を流(なが)して染(そ)めた色紙(いろがみ)、または赤(あか)や黄(き)や青(あを)の色紙(いろがみ)を短册(たんざく)の形(かたち)に切(き)つて、あの青(あを)い竹(たけ)の葉(は)の間(あひだ)に釣(つ)つたのは、子供心(こどもごゝろ)にも優(やさ)しく思(おも)はれるものです。

   三七 巴且杏(はたんきやう)

巴且杏(はたんきやう)の生(な)る時分(じぶん)には、お家(うち)の裏(うら)のお稻荷(いなり)さまの横手(よこて)にある古(ふる)い木(き)にも、あの實(み)が密集(かたま)つて生(な)りました。父(とう)さんは自分(じぶん)の子供(こども)の時分(じぶん)と、あの巴且杏(はたんきやう)の生(な)る時分(じぶん)とを、別々(べつ/\)にして思(おも)ひ出(だ)せないくらゐです。巴且杏(はたんきやう)は李(すもゝ)より大(おほ)きく、味(あぢ)も李(すもゝ)のやうに酸(す)くはありません。あの木(き)は、先(さき)の方(はう)の少(すこ)し尖(とが)つて角(つの)の出(で)たやうな、見(み)たばかりでもおいしさうに熟(じゆく)したやつを毎年(まいねん)どつさり父(とう)さんに御馳走(ごちそう)して呉(く)れましたつけ。

   三八 鰍(かじか)すくひ

父(とう)さんの兄弟(きやうだい)の中(なか)に三つ年(とし)の上(うへ)な友伯父(ともをぢ)さんといふ人(ひと)がありました。この友伯父(ともをぢ)さんに、隣家(となり)の大黒屋(だいこくや)の鐵(てつ)さん――この人達(ひとたち)について、父(とう)さんもよく鰍(かじか)すくひと出掛(でか)けました。
胡桃(くるみ)、澤胡桃(さはくるみ)などゝいふ木(き)は、山毛欅(ぶな)の木(き)なぞと同(おな)じやうに、深(ふか)い林(はやし)の中(なか)には生(は)えないで、村里(むらさと)に寄(よ)つた方(はう)に生(は)えて居(ゐ)る木(き)です。漆(うるし)の葉(は)を大(おほ)きくしたやうなあの胡桃(くるみ)の葉(は)の茂(しげ)つたところは、鰍(かじか)の在所(ありか)を知(し)らせるやうなものでした。何故(なぜ)かといひますに、胡桃(くるみ)の生(は)えて居(ゐ)るところへ行(い)つて見(み)ますと、きまりでその邊(へん)には水(みづ)が流(なが)れて居(ゐ)ましたから。父(とう)さん達(たち)は笊(ざる)を持(も)つて行(ゆ)きまして、石(いし)の間(あひだ)に隱(かく)れて居(ゐ)る鰍(かじか)を追(お)ひました。
もしかして笊(ざる)のかはりに釣竿(つりざを)をかついで、何(なに)かもつと他(ほか)の魚(さかな)をも釣(つ)りたいと思(おも)ふ時(とき)には、爺(ぢい)やに頼(たの)んで釣竿(つりざを)を造(つく)つて貰(もら)ひました。
斯(か)ういふ遊(あそ)びにかけては、友伯父(ともをぢ)さんはなか/\※心(ねつしん)[#「熱」の左上が「幸」、142-2]でした。なにしろ父(とう)さんの村(むら)には釣(つり)の道具(だうぐ)一つ賣(う)る店(みせ)もなかつたものですから、釣竿(つりざを)の先(さき)につける糸(いと)でも何(なん)でもみんな友伯父(ともをぢ)[#「友伯父」は底本では「及伯父」]さんが爺(ぢい)やに手傳(てつだ)つて貰(もら)つて造(つく)りました。糸(いと)は栗(くり)の木(き)の虫(むし)から取(と)りました。その栗(くり)の木(き)の虫(むし)から取(と)れた糸(いと)を酢(す)に浸(つ)けて、引(ひ)き延(の)ばしますと、木小屋(きごや)の前(まへ)に立(た)つ爺(ぢい)やの手(て)から向(むか)ふの古(ふる)い池(いけ)の側(わき)に立(た)つ友伯父(ともをぢ)さんの手(て)に屆(とゞ)くほどの長(なが)さがありました。それを日(ひ)に乾(ほ)して、釣竿(つりざを)の糸(いと)に造(つく)ることなどは、友伯父(ともをぢ)さんも好(す)きでよくやりました。
斯(こ)の釣(つり)の道具(だうぐ)を提(さ)げて、友伯父(ともをぢ)さん達(たち)と一緒(いつしよ)に復(ま)た胡桃(くるみ)の木(き)の見(み)える谷間(たにあひ)へ出掛(でか)けますと、何時(いつ)でも父(とう)さんは魚(さかな)に餌(え)を取(と)られてしまふか、さもなければもう面倒臭(めんだうくさ)くなつて釣竿(つりざを)で石(いし)の間(あひだ)をかき廻(まは)すかしてしまひました。そしてお家(うち)の方(はう)へ歸(かへ)つて來(く)る度(たび)に、
『釣竿(つりざを)ばかりでは、魚(さかな)は釣(つ)れませんよ。』
と爺(ぢい)やに笑(わら)はれました。

   三九 祖母(おばあ)さんの鍵(かぎ)

お前達(まへたち)の祖母(おばあ)さんのことは、前(まへ)にもすこしお話(はなし)[#ルビの「はなし」は底本では「はなた」]したと思(おも)ひます。祖母(おばあ)さんは、父(とう)さんが子供(こども)の時分(じぶん)の着物(きもの)や帶(おび)まで自分(じぶん)で織(お)つたばかりでなく、食(た)べるもの――お味噌(みそ)からお醤油(しやうゆ)の類(たぐひ)までお家(うち)で造(つく)り祖母(おばあ)さんが自分(じぶん)の髮(かみ)につける油(あぶら)まで庭(には)の椿(つばき)の實(み)から絞(しぼ)りまして、物(もの)を手造(てづく)りにすることの樂(たのし)みを父(とう)さんに教(をし)へて呉(く)れました。『質素(しつそ)』を愛(あい)するといふことを、いろ/\な事(こと)で父(とう)さんに教(をし)へて見(み)せて呉(く)れたのも祖母(おばあ)さんでした。祖母(おばあ)さんはよく※(あつ)[#「熱」の左上が「幸」、145-2]い鹽(しほ)のおむすびを庭(には)の朴(はう)の木(き)の葉(は)につゝみまして、父(とう)さんに呉(く)れました。握(にぎ)りたてのおむすびが彼樣(あう)すると手(て)にくツつきませんし、その朴(はう)の葉(は)の香氣(にほひ)を嗅(か)ぎながらおむすびを食(た)べるのは樂(たのし)みでした。
この祖母(おばあ)さんと言(い)へば、廣(ひろ)い玄關(げんくわん)の側(わき)の板(いた)の間(ま)で機(はた)を織(お)りながら腰掛(こしか)けて居(ゐ)る人(ひと)と、味噌藏(みそぐら)の側(わき)の土藏(どざう)の前(まへ)に立(た)つて大(おほ)きな鍵(かぎ)を手(て)にして居(ゐ)る人(ひと)とが、今(いま)でもすぐに父(とう)さんの眼(め)に浮(うか)んで來(き)ます。祖母(おばあ)さんの鍵(かぎ)は金網(かなあみ)の張(は)つてある重(おも)い藏(くら)の戸(と)を開(あ)ける鍵(かぎ)で、紐(ひも)と板片(いたきれ)をつけた鍵(かぎ)で、いろ/\な箱(はこ)に入(はひ)つた器物(うつは)を藏(くら)から取出(とりだ)す鍵(かぎ)でした。祖母(おばあ)さんがおよめに來(き)た時(とき)の古(ふる)い長持(ながもち)から、お前達(まへたち)の祖父(おぢい)さんの集(あつ)めた澤山(たくさん)な本箱(ほんばこ)まで、その藏(くら)の二階(かい)にしまつて有(あ)りました。祖母(おばあ)さんはあの鍵(かぎ)の用(よう)が濟(す)むと、藏(くら)の前(まへ)の石段(いしだん)を降(お)りて、柿(かき)の木(き)の間(あひだ)を通(とほ)りましたが、そこに父(とう)さんがよく遊(あそ)んで居(ゐ)たのです。味噌藏(みそぐら)の階上(うへ)には住居(すまゐ)に出來(でき)た二階(かい)がありました。そこがお前達(まへたち)の曾祖母(ひいおばあ)さんの隱居部屋(ゐんきよべや)になつて居(ゐ)ました。

   四○ 祖父(おぢい)さんの好(す)きな御幣餅(ごへいもち)

木曾(きそ)の御幣餅(ごへいもち)とは、平(ひら)たく握(にぎ)つたおむすびの小(ちい)さいのを二つ三つぐらゐづゝ串(くし)にさし、胡桃醤油(くるみしやうゆう)をかけ、爐(ろ)の火(ひ)で燒(や)いたのを言(い)ひます。その形(かたち)が似(に)て居(ゐ)るから御幣餅(ごへいもち)でせう。人々(ひと/″\)は爐邊(ろばた)に集(あつま)りまして、燒(や)きたてのおいしいところを食(た)べるのです。
お前達(まへたち)の祖父(おぢい)さんは、この御幣餅(ごへいもち)が好(す)きでした。日頃(ひごろ)村(むら)の人達(ひとたち)から『お師匠(ししやう)さま、お師匠(ししやう)さま。』と親(した)しさうに呼(よ)ばれて居(ゐ)たのも、この御幣餅(ごへいもち)の好(す)きな祖父(おぢい)さんでした。
祖父(おぢい)さんは學問(がくもん)の人(ひと)でしたから、『三字文(さんもじ)』だの『勸學篇(くわんがくへん)』だのといふものを自分(じぶん)で書(か)いて、それを少年(せうねん)の讀本(とくほん)のやうにして、幼少(ちひさ)な時分(じぶん)の父(とう)さんに教(をし)へて呉(く)れました。山(やま)の中(なか)にあつた父(とう)さんのお家(うち)では、何(なに)から何(なに)まで手製(てせい)でした。手習(てならひ)のお手本(てほん)から讀本(とくほん)まで、祖父(おぢい)さんの手製(てせい)でした。

   四一 お隣(とな)りの人達(ひとたち)

お隣(とな)りの大黒屋(だいこくや)は酒(さけ)を造(つく)る家(うち)でした。そこの家(うち)でお風呂(ふろ)が立(た)てば父(とう)さんのお家(うち)へ呼(よ)びに來(き)ましたし、父(とう)さんのお家(うち)でお風呂(ふろ)が立(た)てばお隣(となり)りからも呼(よ)ばれて入(はひ)りに來(き)ました。田舍(ゐなか)のことで、日(ひ)が暮(く)れてからお隣(とな)りまでお風呂(ふろ)を呼(よ)ばれに行(い)くにも、祖母(おばあ)さん達(たち)は提灯(ちやうちん)つけて通(かよ)ひました。二軒(けん)の家(うち)のものは、それほど親(した)しく往(い)つたり來(き)たりしましたから、子供同志(こどもどうし)も互(たがひ)に親(した)しい遊(あそ)び友達(ともだち)でした。それに、お隣(とな)りの鐵(てつ)さんでも、その妹(いもうと)のお勇(ゆう)さんでも、祖父(おぢい)さんのお弟子(でし)として父(とう)さんのお家(うち)へ通(かよ)つて來(き)ました。父(とう)さんのお家(うち)の方(はう)から見(み)ますと、大黒屋(だいこくや)は一段(いちだん)と高(たか)い石垣(いしがき)の上(うへ)にありまして、その石垣(いしがき)のすぐ下(した)のところまで父(とう)さんのお家(うち)の桑畠(くはばたけ)が續(つゞ)いて居(ゐ)ましたから、朝日(あさひ)でもさして來(く)るとお隣(とな)りの家(うち)の白(しろ)い壁(かべ)がよく光(ひか)りました。
父(とう)さんはこゝでお前達(まへたち)に、自分(じぶん)の生(うま)[#ルビの「うま」は底本では「う」]れたお家(うち)のこともすこしお話(はなし)しようと思(おも)ひます。父(とう)さんのお家(うち)は昔(むかし)は本陣(ほんぢん)と言(い)ひまして、村(むら)でも舊(ふる)い/\お家(うち)でした。父(とう)さんの幼少(ちひさ)な時分(じぶん)には、昔(むかし)のお大名(だいみやう)が木曽路(きそぢ)を通(とほ)る時(とき)に泊(と)まつたといふ古(ふる)[#ルビの「ふる」は底本では「ふ」]い部屋(へや)まで殘(のこ)つて居(ゐ)ました。部屋々々(へや/\)には、いろ/\な名前(なまへ)が昔(むかし)からつけてありまして、上段(じやうだん)の間(ま)、奧(おく)の間(ま)、中(なか)の間(ま)、次(つぎ)の間(ま)、それから寛(くつろ)ぎの間(ま)なぞといふのが有(あ)りました。祖父(おぢい)さんはいつでも書院(しよゐん)に居(ゐ)ました。父(とう)さんもその書院(しよゐん)に寢(ね)ましたが、曾祖母(ひいおばあ)さんが獨(ひと)りで寂(さび)しいといふ時(とき)には離(はな)れの隱居部屋(ゐんきよべや)へも泊(とま)[#ルビの「とま」は底本では「ま」]りに行(い)くことが有(あ)りました。祖父(おぢい)さんの書院(しよゐん)の前(まへ)には、白(しろ)い大(おほ)きな花(はな)の咲(さ)く牡丹(ぼたん)があり、古(ふる)い松(まつ)の樹(き)もありました。月(つき)のいゝ晩(ばん)なぞには松(まつ)の樹(き)の影(かげ)が部屋(へや)の障子(しやうじ)に映(うつ)りました。この書院(しよゐん)から中(なか)の間(ま)へつゞく廊下(らうか)のあたりは、父(とう)さんのよく遊(あそ)んだところです。中(なか)の間(ま)はお家(うち)のなかでも一番(ばん)明(あか)るい部屋(へや)でして、遠(とほ)く美濃(みの)の國(くに)の方(はう)の空(そら)までその部屋(へや)から見(み)えました。祖母(おばあ)さんや伯母(をば)さんが針仕事(はりしごと)をひろげるのもその部屋(へや)でしたし、父(とう)さんが武者繪(むしやゑ)の敷寫(しきうつ)しなどをして遊(あそ)ぶのもその部屋(へや)でしたし、お隣(とな)りのお勇(ゆう)さんが手習(てならひ)に來(き)て祖父(おぢい)さんの書(か)いたお手本(てほん)を習(なら)ふのもその部屋(へや)でした。
お隣(とな)りの鐵(てつ)さんは、父(とう)さんのお家(うち)の友伯父(ともをぢ)さんと同(おな)い年(どし)ぐらゐで、一緒(いつしよ)に遊(あそ)ぶにも父(とう)さんの方(はう)がいくらか弟(おとうと)のやうに思(おも)はれるところが有(あ)りました。近所(きんじよ)の子供(こども)の中(なか)で、遊(あそ)んで氣(き)の置(お)けないのは、問屋(とんや)の三郎(らう)さんに、お隣(とな)りのお勇(ゆう)さんでした。この人達(ひとたち)は父(とう)さんと同(おな)い年(どし)でした。祖父(おぢい)さんは字(じ)を書(か)くことが好(す)きで、赤(あか)い毛氈(まうせん)の上(うへ)へ大(おほ)きな紙(かみ)をひろげて、夜(よ)遲(おそ)くなるまで何(なに)かよく書(か)きましたが、その度(たび)に眠(ねむ)い眼(め)をこすり/\蝋燭(らふそく)を持(も)たせられるのはお勇(ゆう)さんや父(とう)さんの役目(やくめ)でした。
末子(すゑこ)よ。お前(まへ)は『おばこ』といふ草(くさ)の葉(は)を採(と)つて遊(あそ)んだことが有(あ)りますか。あの草(くさ)の葉(は)は糸(いと)にぬいて、みんなよく織(お)る真似(まね)をして遊(あそ)びませう。お隣(とな)りのお勇(ゆう)さんもあの『おばこ』を採(と)つて來(き)て織(お)ることを樂(たのし)みにするやうな幼(をさな)い年頃(としごろ)でした。

   四二 屋號(やがう)

どこの田舍(ゐなか)にもあるやうに、父(とう)さんの村(むら)でも家毎(いへごと)に屋號(やがう)がありました。大黒屋(だいこくや)、俵屋(たはらや)、八幡屋(やはたや)、和泉屋(いづみや)、笹屋(さゝや)、それから扇屋(あふぎや)といふやうに。
笹屋(さゝや)とは笹(さゝ)のやうに繁(しげ)る家(いへ)、扇屋(あふぎや)とは扇(あふぎ)のやうに末(すゑ)の廣(ひろ)がる家(いへ)といふ意味(いみ)からでせう。でも笹屋(さゝや)と言(い)つてもそれを『笹(さゝ)の家(や)』と思(おも)ふものもなく、扇屋(あふぎや)と言(い)つても『扇(あふぎ)の家(や)』と思(おも)ふものはありません。屋號(やがう)といふものは、その家々(いへ/\)の符牒(ふてふ)のやうに思(おも)はれて居(ゐ)るものでした。

   四三 お墓參(はかまゐ)りの道(みち)

村(むら)の人達(ひとたち)――殊(こと)に女(をんな)の人達(ひとたち)の通(とほ)る裏道(うらみち)は並(なら)んだ人家(じんか)に添(そ)ふて村(むら)の裏側(うらがは)に細(ほそ)くついて居(ゐ)ました。父(とう)さんのお家(うち)の裏木戸(うらきど)から、竹籔(たけやぶ)について廻(まは)りますと、その細(ほそ)い裏道(うらみち)へ出(で)ました。祖母(おばあ)さんに連(つ)れられて、父(とう)さんはよくその道(みち)をお墓(はか)の方(はう)へ通(かよ)ひました。
お墓(はか)へ行(い)く道(みち)は、村(むら)のものだけが通(とほ)る道(みち)です。旅人(たびびと)の知(し)らない道(みち)です。田畠(たはたけ)に出(で)て働(はたら)く人達(ひとたち)の見(み)える樂(たの)しい靜(しづ)かな道(みち)です。
父(とう)さんのお家(うち)のお墓(はか)は永昌寺(えいしやうじ)まで登(のぼ)る坂(さか)の途中(とちう)を左(ひだり)の方(はう)へ曲(まが)つて行(い)つたところにありました。これが誰(だれ)だ、あれが誰(だれ)だ、と言(い)つて祖母(おばあ)さんの教(おし)へて呉(く)れるお墓(はか)の中(なか)には、戒名(かいみやう)の文字(もじ)を赤(あか)くしたのが有(あ)りました。その赤(あか)い戒名(かいみやう)はまだこの世(よ)に生(い)きて居(ゐ)る人(ひと)で、旦那(だんな)さんだけ亡(な)くなつた曾祖母(ひいおばあ)さんのやうな人(ひと)のお墓(はか)でした。祖母(おばあ)さんは古(ふる)い苔(こけ)の生(は)えたお墓(はか)のいくつも並(なら)んだ石壇(いしだん)の上(うへ)を綺麗(きれい)に掃(は)いたり、水(みづ)をまいたりして、
『御先祖(ごせんぞ)さま、今日(こんにち)は。』
と言(い)ふやうにお花(はな)を上(あ)げました。祖母(おばあ)さんがお墓(はか)の竹箒(たけぼほぎ)を立(た)てかけて置(お)くところは大(おほ)きな杉(すぎ)の木(き)の根(ね)キでしたが、その杉(すぎ)の木(き)の間(あひだ)から馬籠(まごめ)の村(むら)が見(み)えました。
お墓(はか)にある御先祖(ごせんぞ)さまは永昌院殿(えいしやうゐんどん)と言(い)ひました。永昌寺(えいしやうじ)のお寺(てら)と同(おな)じ名(な)でした。あの御先祖(ごせんぞ)さまが馬籠(まごめ)の村(むら)も開(ひら)けば、お寺(てら)も建(た)てたといふことです。あれは父(とう)さんのお家(うち)の御先祖(ごせんぞ)さまといふばかりでなく、村(むら)の御先祖(ごせんぞ)さまでもあるといふことです。
なんと、あの御先祖(ごせんぞ)さまのやうに、開(ひら)かうと思(おも)へばこんな村(むら)も開(ひら)けて行(ゆ)きますし、建(た)てようと思(おも)へば永昌寺(えいしやうじ)のやうなお寺(てら)が建(た)つて、それが父(とう)さんの代(だい)まで續(つゞ)いて來(き)て居(ゐ)ます。先(ま)づ、思(おも)へ。何(なに)もかもそこから始(はじ)まります。御先祖(ごせんぞ)さまがさう思(おも)つてこんな山(やま)の中(なか)へ村(むら)を開(ひら)きはじめたといふことには、大(おほ)きな力(ちから)がありますね。

   四四 蜂(はち)の子(こ)

地蜂(ぢばち)といふ蜂(はち)は、よく/\土(つち)のにほひが好(す)きと見(み)えまして、地(ぢ)べたの中(なか)へ巣(す)をかけます。土手(どて)の側(わき)のやうなところへ巣(す)の入口(いりぐち)の穴(あな)をつくつて置(お)きます。
蜜蜂(みつばち)、赤蜂(あかばち)、土蜂(つちばち)、熊(くま)ン蜂(ばち)、地蜂(ぢばち)――木曾(きそ)のやうな山(やま)の中(なか)にはいろ/\な蜂(はち)が巣(す)をかけますが、その中(なか)でも大(おほ)きな巣(す)をつくるのは熊(くま)ン蜂(ばち)と地蜂(ぢばち)です。熊(くま)ン蜂(ばち)は古(ふる)い土塀(どへい)の屋根(やね)の下(した)のやうなところに大(おほ)きな巣(す)をかけますが、地蜂(ぢばち)の巣(す)もそれに劣(おと)らないほどの堅固(けんご)なもので、三階(がい)にも四階(かい)にもなつて居(ゐ)て、それが漆(うるし)の柱(はしら)で支(さゝ)へてあります。こんなに地蜂(ぢばち)の巣(す)[#「巣(す)」は底本では「親(おや)」]は大(おほ)きいのですが、地蜂(ぢばち)の親(おや)といふものは小(ちひ)さな蜂(はち)で、熊(くま)ン蜂(ばち)の半分(はんぶん)もありません。あの小(ちひ)さな建築技師(けんちくぎし)が三階(がい)も四階(かい)もある巣(す)を建(た)てゝ、一階(かい)毎(ごと)に澤山(たくさん)な部屋(へや)を造(つく)るのですから、そこには餘程(よほど)の協(あは)せた力(ちから)といふものが入(はい)つて居(ゐ)るのでせう。
父(とう)さんの田舍(ゐなか)の方(はう)ではあの蜂(はち)の子(こ)を佃煮(つくだに)のやうにして大層(たいそう)賞美(しやうび)すると聞(き)いたら、お前達(まへたち)は驚(おどろ)くでせうか。一口(ひとくち)に蜂(はち)の子(こ)と言(い)ひましても、木曾(きそ)で賞美(しやうび)するのは地蜂(ぢばち)の巣(す)から取(と)つた子(こ)だけです。蜂(はち)の親(おや)は食(た)べませんが、どうかするとあの巣(す)の中(なか)からは親(おや)に成(な)りかけたのが出(で)て來(き)ます。それを食(た)べます。お前達(まへたち)はそこいらに居(ゐ)る蜂(はち)が庭(には)なぞへ飛(と)んで來(き)て花(はな)の蕋(しべ)を出(で)たり入(はい)つたりするのを見(み)かけるでせう。それからあの黄色(きいろ)い蓋(ふた)のしてある蜂(はち)の巣(す)の見事(みごと)に出來(でき)たのを見(み)かけることも有(あ)るでせう。蜂(はち)は汚(きたな)いものでは有(あ)りません。もしお前達(まへたち)が木曾(きそ)でいふ『蜂(はち)の子(こ)』を食(た)べ慣(な)れて、あたゝかい御飯(ごはん)の上(うへ)にのせて食(た)べる時(とき)の味(あぢ)を覺(おぼ)えたら、
『父(とう)さん、こんなにおいしものですか。』
と言(い)ふやうに成(な)るでせう。
ある日(ひ)、友伯父(ともをじ)さんは裏(うら)の木小屋(きごや)の近(ちか)くにある古(ふる)い池(いけ)で蛙(かへる)をつかまへました。土地(とち)のものが地蜂(ぢばち)の巣(す)を見(み)つけるには、先(ま)づ蛙(かへる)の肉(にく)を餌(え)にします。それを友伯父(ともをぢ)さんはよく知(し)つて居(ゐ)ましたから、細(ほそ)い竿(さを)の先(さき)に蛙(かへる)の肉(にく)を差(さ)し、飛(と)んで來(く)る蜂(はち)の眼(め)につきさうな塲處(ばしよ)に立てゝ、別(べつ)に餌(え)にする小(ちひ)さな肉(にく)には紙(かみ)の片(きれ)をしばりつけて出(だ)して置(お)きました。丁度(ちやうど)釣(つり)をするものが魚(さかな)を待(ま)つて居(ゐ)るやうに、友伯父(ともをぢ)さんは蜂(はち)の來(く)るのを待(ま)つて居(ゐ)ました。蛙(かへる)の肉(にく)を食(た)べに來(き)た蜂(はち)は餌(え)をくはへて巣(す)の方(はう)へ飛(と)んで行(い)きますが、その小(ちひ)さな蛙(かへる)の肉(にく)についた紙(かみ)の片(きれ)で巣(す)の行衛(ゆくゑ)を見定(みさだ)めるのです。斯(か)うして友伯父(ともをぢ)さんは近所(きんじよ)の子供達(こどもたち)と一緒(しよ)に、ある地蜂(ぢばち)の巣(す)を見(み)つけたことが有(あ)りました。地蜂(ぢばち)の巣(す)を取(と)りに行(ゆ)くものは、巣(す)の出入口(でいりぐち)へ火藥(くわやく)を打(う)ち込(こ)んで、澤山(たくさん)な親蜂(おやばち)が眼(め)を廻(まは)して居(ゐ)る間(ま)に獲物(えもの)を手(て)に入(い)れるのだと聞(き)きました。そして巣(す)を持(も)つて逃(に)げ歸(かへ)るのだと聞(き)きました。どうかすると蘇生(いきかへ)つた蜂(はち)に追(お)はれて刺(さ)されたといふ人(ひと)の話(はなし)も聞(き)きました。さうなると鐵砲(てつぱう)をかついで獸(けもの)を打(う)ちに行(ゆ)くも同(おな)じやうなものです。

   四五 青(あを)い柿(かき)

『もうお前(まへ)さんはそんなに赤(あか)くなつたのですか。』
とまだ青(あを)くて居(ゐ)る柿(かき)が、お隣(とな)りの柿(かき)に言(い)ひました。この青(あを)い柿(かき)と、赤(あか)い柿(かき)とは、お百姓(ひやくしやう)の家(うち)の庭(には)にある二本(ほん)の柿(かき)の木(き)の枝(えだ)に生(な)つて居(ゐ)ました。
赤(あか)い柿(かき)は青(あを)い柿(かき)を慰(なぐさ)めようと思(おも)ひまして、
『さう、力(ちから)を落(おと)すものでは有(あ)りません。お前(まへ)さんだつても今(いま)に、私(わたし)のやうに好(い)い色(いろ)がつきますよ。』
と言(い)ひましたら、青(あを)い柿(かき)は首(くび)を振(ふ)りまして、
『いえ、あのお猿(さる)さんが蟹(かに)にぶつけたのも、きつと私(わたし)のやうな澁(しぶ)い柿(かき)で、自分(じぶん)で取(と)つて食(た)べたといふのはお前(まへ)さんのやうな甘(あま)い柿(かき)ですよ。』
と力(ちから)を落(おと)したやうに言(い)ひました。
お百姓(ひやくしやう)は庭(には)へ見廻(みまは)りに來(き)まして、赤(あか)い柿(かき)を大(おほ)きな笊(ざる)に入(い)れて持(も)つて行(い)つてしまひました。その木(き)の枝(えだ)の高(たか)い上(うへ)の方(はう)には、たつた一つだけ柿(かき)の赤(あか)いのが殘(のこ)つて居(ゐ)ました。殘(のこ)つた赤(あか)い柿(かき)が高(たか)いところからお隣(とな)りの柿(かき)を見(み)ますと、まだ一つも色(いろ)のついたのが有(あ)りませんでしたから、
『どうしてお前(まへ)さんは、そんなに愚圖々々(ぐづ/\)して居(ゐ)るんですか。』
と尋(たづ)ねました。さう言(い)はれると、青(あを)い柿(かき)はまた力(ちから)を落(おと)したやうに、
『澁(しぶ)い柿(かき)は何時(いつ)までたつても澁(しぶ)いと言(い)ひますよ。さういへば節分(せつぶん)の日(ひ)に、棒(ぼう)を持(も)つた人(ひと)が來(き)て、『さあ、生(な)ると申(まを)すか、生(な)らぬと申(まを)すか』と言(い)つて、柿(かき)の木(き)を打(う)ちませう。その時(とき)、もう一人(ひとり)の人(ひと)が柿(かき)の木(き)に代(かは)つて、『生(な)ります、生(な)ります』と答(こた)へますね。あの棒(ぼう)で強(つよ)く打(う)たれゝば打(う)たれるほど、柿(かき)は甘(あま)くなるとかき聞(き)きました。どうも私(わたし)は節分(せつぶん)の日(ひ)に、棒(ぼう)で打(う)たれ方(かた)が足(た)りなかつたと思(おも)ひます。』と答(こた)へました。
柿(かき)の好(す)きなお百姓(ひやくしやう)の子供(こども)は青(あを)い柿(かき)を見(み)に來(き)ましたが、取(と)つて食(た)べて見(み)る度(たび)に澁(しぶ)さうな顏(かほ)をして、食(た)べかけのを捨(す)てゝしまひました。それからお隣(とな)りの赤(あか)い柿(かき)の方(はう)へ行(い)つて、たつた一(ひと)つだけ高(たか)いところに殘(のこ)つて居(ゐ)たのを長(なが)い竿(さを)で落(おと)しました。もうお隣(とな)りの木(き)の枝(えだ)には一つも赤(あか)い柿(かき)がありません。それを見(み)ると、青(あを)い柿(かき)は自分(じぶん)獨(ひと)り取殘(とりのこ)されたやうに、よけいに力(ちから)を落(おと)しました。
そのうちに、お百姓(ひやくしやう)が復(ま)た庭(には)へ見廻(みまは)りに來(き)ました。今度(こんど)は青(あを)い柿(かき)の生(な)つた木(き)の下(した)へ來(き)まして、斯(か)う聲(こゑ)を掛(か)けました。
『御覽(ごらん)、甘(あま)い柿(かき)はもう一つもなくなつてしまひました。今度(こんど)はお前(まへ)さんの番(ばん)に廻(まは)つて來(き)ましたよ。どんな柿(かき)の澁(しぶ)いのでも、霜(しも)が來(く)れば甘(あま)くなります。皮(かは)をむいて軒下(のきした)に釣(つ)るして置(お)いても甘(あま)くなります。澁(しぶ)い柿(かき)はもつとそこに辛抱(しんばう)してお出(いで)なさい。そして時(とき)の力(ちから)といふのをお待(ま)ちなさい。』

   四六 小鳥(ことり)の先達(せんだつ)

小鳥(ことり)の來(く)る頃(ころ)になりますと、いろ/\な種類(しゆるゐ)の小鳥(ことり)が山(やま)を通(とほ)りました。
鶫(つぐみ)、鶸(ひは)、※(「けものへん+葛」、第3水準1-87-81)子鳥(あとり)、深山鳥(みやま)、頬白(ほゝじろ)、山雀(やまがら)、四十雀(しじふから)――とても數(かぞ)へつくすことが出來(でき)ません。あの足(あし)の色(いろ)が赤(あか)くて、羽(はね)に青(あを)い斑(ふ)の入(はい)つた斑鳩(いかる)も、他(ほか)の小鳥(ことり)の中(なか)にまじつて、好(す)きな榎木(えのき)の實(み)を食(た)べに來(き)ました。
木曾(きそ)の山(やま)の中(なか)は小鳥(ことり)の通(とほ)り路(みち)だと言(い)ふことでして、毎朝々々(まいあさ/\)、夜(よ)のあけがたには驚(おどろ)くばかり澤山(たくさん)な小鳥(ことり)の群(むれ)が山(やま)を通(とほ)ります。その中(なか)でも、群(むれ)をなして多(おほ)く通(とほ)るのは鶫(つぐみ)、鶸(ひは)などです。
この小鳥(ことり)の群(むれ)には、必(かなら)ず一羽(ぱ)づゝ先達(せんだつ)の鳥(とり)があります。その鳥(とり)が空(そら)の案内者(あんないしや)です。澤山(たくさん)に隨(つ)いて行(ゆ)く鳥(とり)の群(むれ)は案内(あんない)する鳥(とり)の行(ゆ)く方(はう)へ行(ゆ)きます。もしかして案内(あんない)する鳥(とり)が方角(はうがく)を間違(まちが)へて、鳥屋(とや)の網(あみ)にでもかゝらうものなら、隨(つ)いて行(ゆ)く鳥(とり)は何(なん)十羽(ぱ)ありましても皆(みな)同(おな)じやうにその網(あみ)へ首(くび)を突込(つゝこ)んでしまひます。
『さあ、皆(みな)さん、お支度(したく)は出來(でき)ましたか。』
そんなことを案内(あんない)する小鳥(ことり)が言(い)つて、澤山(たくさん)な鳥仲間(とりなかま)の先(さき)に立(た)つて出掛(でか)けるのだらうと思(おも)ひます。
鳥(とり)にも先達(せんだつ)はありますね。

   四七 鳥屋(とや)

村(むら)の人達(ひとたち)に連(つ)れられて、山(やま)の上(うへ)の方(はう)の鳥屋(とや)へ遊(あそ)びに行(い)つた時(とき)のことをお話(はなし)しませう。
鳥屋(とや)は小鳥(ことり)を捕(と)るために造(つく)つてある小屋(こや)のことです。何方(どつち)を向(む)いても山(やま)ばかりのやうなところに、その小屋(こや)が建(た)てゝあります。屋根(やね)の上(うへ)は木(き)の葉(は)で隱(かく)して、空(そら)を通(とほ)る小鳥(ことり)の眼(め)につかないやうにしてあります。その小屋(こや)の周圍(まはり)に、細(ほそ)い丈夫(ぢやうぶ)な糸(いと)で編(あ)んだ鳥網(とりあみ)の大(おほ)きなのが二つも三つも張(は)つてあるのです。網(あみ)を張(は)つた高(たか)い竹竿(たけざを)には鳥籠(とりかご)が掛(かゝ)つて居(ゐ)ました。その中(なか)には囮(をとり)が飼(か)つてありまして、小鳥(ことり)の群(むれ)が空(そら)を通(とほ)る度(たび)に好(い)い聲(こゑ)で呼(よ)びました。
『もし/\、鶫(つぐみ)さん。』
この囮(をとり)になる鳥(とり)の呼聲(よびごゑ)は、春先(はるさき)から稽古(けいこ)をした聲(こゑ)ですから、高(たか)い空(そら)の方(はう)までよく徹(とほ)りました。それを聞(き)きつけた小鳥(ことり)の先達(せんだつ)が好(い)い聲(こゑ)に誘(さそ)はれて降(お)りて來(き)ますと、他(ほか)の小鳥(ことり)も同(おな)じやうに空(そら)から舞(ま)ひ降(お)りて來(き)ます。
その時(とき)、降(お)りて來(き)た小鳥(ことり)をびつくりさせるものは、急(きふ)に横合(よこあひ)から飛出(とびだ)す薄黒(うすぐろ)いものと、鷹(たか)の羽音(はおと)でもあるやうなプウ/\唸(うな)つて來(く)る音(おと)です。
『これは堪(たま)らん。』
と小鳥(ことり)の先達(せんだつ)は張(は)つてある網(あみ)の中(なか)へ飛(と)び込(こ)みます。他(ほか)の小鳥(ことり)もあはてまして、みんな網(あみ)の中(なか)へ飛(と)び込(こ)みます。鳥屋(とや)で捕(と)れる小鳥(ことり)はこんな風(ふう)にして網(あみ)にかゝりますが、小鳥(ことり)をびつくりさせたのは他(ほか)のものでも有(あ)りません。横合(よこあひ)から飛出(とびだ)した薄黒(うすくろ)いものは、鳥屋(とや)で人(ひと)の振(ふ)る竹竿(たけざを)の先(さき)についた古(ふる)い手拭(てぬぐひ)か何(なに)かの布(きれ)でした。鷹(たか)の羽音(はおと)でもあるやうに唸(うな)つて來(き)た音(おと)は、その竹竿(たけざを)を手(て)にした人(ひと)が口端(くちばた)を尖(とが)らせてプウ/\何(なに)か吹(ふ)く眞似(まね)をして見(み)せた聲(こゑ)でした。
鳥屋(とや)で捕(と)れる小鳥(ことり)は、一朝(ひとあさ)に六十羽(ぱ)や七十羽(ぱ)ではきかないと言(い)ひました。この小鳥(ことり)の捕(と)れる頃(ころ)には、村(むら)の子供(こども)はそろ/\猿羽織(さるばおり)を着(き)ました。急(きふ)に降(ふ)つて來(き)て、また急(きふ)に止(や)んでしまふやうな雨(あめ)も、深(ふか)い林(はやし)を通(とほ)りました。

   四八 爐邊(ろばた)

爺(ぢい)やが山(やま)から茸(きのこ)を採(と)つて來(き)たり、栗(くり)を拾(ひろ)つて來(き)たりする頃(ころ)は、お家(うち)の爐邊(ろばた)の樂(たの)しい時(とき)でした。
爺(ぢい)やは爐(ろ)で栗(くり)を燒(や)いて、友(とも)さんや父(とう)さんに分(わ)けて呉(く)れるのを樂(たのし)みにして居(ゐ)ました。ある晩(ばん)、爺(ぢい)やが裏(うら)のお稻荷(いなり)さまの側(わき)から拾(ひろ)つて來(き)た大(おほ)きな栗(くり)を爐(ろ)にくべまして、おいしさうな燒栗(やきぐり)のにほひをさせて居(ゐ)ますと、それを爐邊(ろばた)の板(いた)の上(うへ)で羨(うらや)ましさうに見(み)て居(ゐ)た澁柿(しぶかき)がありました。
『庄吉爺(しやうきちぢい)さん、栗(くり)の澁(しび)が燒(や)けてそんなに香(かう)ばしさうになるものなら、一(ひと)つ私(わたくし)も燒(や)いて見(み)て呉(く)れませんか。』
とその澁柿(しぶかき)が言(い)ひました。
爺(ぢい)やは父(とう)[#ルビの「とう」は底本では「う」]さんの見(み)て居(ゐ)る前(まへ)で、爐邊(ろばた)にある太(ふと)い鐵(てつ)の火箸(ひばし)を取出(とりだ)しました。それで澁柿(しぶかき)に穴(あな)をあけました。栗(くり)を燒(や)くと同(おな)じやうにその澁柿(しぶかき)を爐(ろ)にくべました。そのうちに、※(あつ)[#「熱」の左上が「幸」、178-8]い灰(はひ)の中(なか)に埋(う)まつて居(ゐ)た柿(かき)の穴(あな)からは、ぷう/\澁(しぶ)を吹出(ふきだ)しまして、燒(や)けた柿(かき)がそこへ出來上(できあが)りました。
『さあ、私(わたくし)も食(た)べて見(み)て下(くだ)さい。』
とその柿(かき)が父(とう)さんに御馳走(ごちさう)して呉(く)れるのを貰(もら)ひまして、黒(くろ)く燒(や)[#「ルビの「や」は底本では「た」]けた柿(かき)の皮(かは)をむきましたら、軒下(のきした)に釣(つ)るして乾(ほ)した柿(かき)でもなく、霜(しも)に逢(あ)つて甘(あま)くなつた柿(かき)でもなく、その爐邊(ろばた)でなければ食(た)べられないやうな、おいしい變(かは)つた味(あぢ)の柿(かき)でした。

   四九 山(やま)の中(なか)へ來(く)る冬(ふゆ)

東京(とうきやう)で『ネツキ』といふ子供(こども)の遊(あそ)びのことを父(とう)さんの田舍(ゐなか)では『シヨクノ』と言(い)ひます。山(やま)の中(なか)は山(やま)の中(なか)なりに子供(こども)の遊(あそ)びにも流行(はやり)がありまして、一頃(ひところ)『シヨクノ』が村中(むらぢう)に流行(はや)りました。どこの田圃側(たんぼわき)へ行(い)つて見(み)ても、どこの畠(はたけ)の隅(すみ)へ行(い)つて見(み)ても、子供(こども)といふ子供(こども)の集(あつ)まつて居(ゐ)るところでは、その遊(あそ)びが始(はじ)まつて居(ゐ)ました。
枯々(かれ/″\)とした裏庭(うらには)に出(で)て、父(とう)さん達(たち)は『シヨクノ』の遊(あそ)びにする細(こまか)い木(き)を探(さが)したり、それを手(て)ごろの長(なが)さに切(き)つたり、地(ぢ)べたへよく打(う)ちこめるやうに先(さき)の方(はう)を尖(とが)らせたり、時(とき)にはもう幾度(いくたび)か勝負(しやうぶ)[#ルビの「しやうぶ」は底本では「やうぶ」]をした揚句(あげく)に土(つち)のついて齒(は)のこぼれたやつを削(けづ)り直(な)したりして遊(あそ)びました。父(とう)さん達(たち)がそんな子供(こども)らしいことをして居(ゐ)る間(ま)に、爺(ぢい)やはまた木曾風(きそふう)な背負梯子(しよひばしご)を肩(かた)にかけ、鉈(なた)を腰(こし)に差(さ)しまして、木(き)の枝(えだ)をおろすために林(はやし)の方(はう)へと出掛(でか)けました。
山(やま)の中(なか)へ來(く)る冬(ふゆ)は、斯(か)うして冬(ふゆ)ごもりの支度(したく)にかゝる爺(ぢい)やのところへも、『シヨクノ』の遊(あそ)びに夢中(むちう)になつて居(ゐ)る父(とう)さん達(たち)のところへも一緒(しよ)にやつて來(き)ました。
黒(くろ)い枯枝(かれえだ)や黒(くろ)い木(き)の見(み)えるお家(うち)の裏(うら)の桑畠(くはばたけ)の側(わき)で、毎朝(まいあさ)爺(ぢい)やはそこいらから集(あつ)めて來(き)た落葉(おちば)を焚(た)きました。朝(あさ)の焚火(たきび)は、寒(さむ)い冬(ふゆ)の來(く)るのを樂(たの)しく思(おも)はせました。

   五○ 木曾(きそ)の燒米(やきごめ)

木曾(きそ)の燒米(やきごめ)といふものは青(あを)いやわらかい稻(いね)の香氣(にほひ)がします。
『お師匠(ししやう)さまが好(す)きだから。』
と言(い)つて、お勇(ゆう)さんの家(うち)からも、つきたての燒米(やきごめ)をよく祖父(おぢい)さんのところへ貰(もら)ひました。父(とう)さんのお家(うち)の祖父(おぢい)さんは好(す)きな燒米(やきごめ)をかみながら、本(ほん)を讀(よ)んで居(ゐ)たやうな人かと思(おも)ひます。
お勇(ゆう)さんの家(うち)では毎年(まいねん)酒(さけ)を造(つく)りましたから、裏(うら)の酒藏(さかぐら)の前(まへ)の大(おほ)きな釜(かま)でお米(こめ)を蒸(む)しました。それを『うむし』と言(い)つて、重箱(ぢゆうばこ)につめては父(とう)さんのお家(うち)へも分(わ)けて呉(く)れました。あの『うむし』も、父(とう)さんの子供(こども)の時分(じぶん)に好(す)きなものでした。

   五一 屋根(やね)の石(いし)と水車(すゐしや)

屋根(やね)の石(いし)は、村(むら)はづれにある水車小屋(すゐしやごや)の板屋根(いたやね)の上(うへ)の石(いし)でした。この石(いし)は自分(じぶん)の載(の)つて居(ゐ)る板屋根(いたやね)の上(うへ)から、毎日々々(まいにち/\)水車(すゐしや)の廻(まは)るのを眺(なが)めて居(ゐ)ました。
『お前(まへ)さんは毎日(まいにち)動(うご)いて居(ゐ)ますね。』
と石(いし)が言(い)ひましたら、
『さういふお前(まへ)さんは又(また)、毎日(まいにち)座(すわ)つたきりですね。』
と水車(すゐしや)が答(こた)へました。この水車(すゐしや)は物(もの)を言(い)ふにも、ぢつとして居(ゐ)ないで、廻(まは)りながら返事(へんじ)をして居(ゐ)ました。
風(かぜ)や雪(ゆき)で水車小屋(すゐしやごや)の埋(う)まつてしまひさうな日(ひ)が來(き)ました。石(いし)は毎日(まいにち)座(すわ)つて居(ゐ)るどころか、どうかすると風(かぜ)に吹(ふ)き飛(と)ばされて、板屋根(いたやね)の上(うへ)から轉(ころ)がり落(お)ちさうに成(な)りました。水車(すゐしや)は毎日(まいにち)動(うご)いて居(ゐ)るどころか、吹(ふ)きつける雪(ゆき)に埋(うづ)められまして、まるで車(くるま)の廻(まは)らなくなつてしまつたことも有(あ)りました。
この恐(おそ)ろしい目(め)に逢(あ)つた後(あと)で、屋根(やね)の石(いし)と水車(すゐしや)とが復(ま)た顏(かほ)を合(あは)せました。石(いし)はもう水車(すゐしや)に向(むか)つて、
『お前(まへ)さんは毎日(まいにち)動(うご)いて居(ゐ)ますね。』
とは言(い)はなくなりました。水車(すゐしや)も、もう屋根(やね)の石(いし)に向(むか)つて、
『お前(まへ)さんは毎日(まいにち)座(すわ)つたきりですね。』
とは言(い)はなくなりました。

   五二 炬燵(こたつ)

いろ/\な話(はなし)の出(で)る山家(やまが)のあたゝかい炬燵(こたつ)。
鳥(とり)がとまりに行(ゆ)くところは木(き)です。子供(こども)が冷(つめた)いからだを温(あたゝ)めに行(ゆ)くところは、家(うち)のものゝ顏(かほ)の見(み)られる炬燵(こたつ)です。

   五三 唄(うた)の好(す)きな石臼(いしうす)

石臼(いしうす)ぐらゐ唄(うた)の好(す)きなものは有(あ)りません。石臼(いしうす)ぐらゐ、又(また)、居眠(ゐねむ)りの好(す)きなものも有(あ)りません。
冬(ふゆ)の夜長(よなが)に、粉挽(こなひ)き唄(うた)の一つも歌(うた)つてやつて御覽(ごらん)なさい。唄(うた)の好(す)きな石臼(いしうす)は夢中(むちう)になつて、いくら挽(ひ)いても草臥(くたぶ)れるといふことを知(し)りません。ごろ/\ごろ/\石臼(いしうす)が言(い)ふのは、あれは好(い)い心持(こゝろもち)だからです。もつと、もつと、と唄(うた)を催促(さいそく)して居(ゐ)るのです。
そのかはり、すこし手(て)でもゆるめてやつて御覽(ごらん)なさい。居眠(ゐねむ)りの好(す)きな石臼(いしうす)は何時(いつ)の間(ま)にか動(うご)かなくなつて居(ゐ)ます。そして何時(いつ)までゞも居眠(ゐねむ)りをして居(ゐ)ます。
父(とう)さんのお家(うち)の石臼(いしうす)は青豆(あをまめ)を挽(ひ)くのが自慢(じまん)でした。それを黄粉(きなこ)にして、家中(うちぢう)のものに御馳走(ごちさう)するのが自慢(じまん)でした。山家育(やまがそだ)ちの石臼(いしうす)は爐邊(ろばた)で夜業(よなべ)をするのが好(す)きで、皸(ひゞ)や『あかぎれ』の切(き)れた手(て)も厭(いと)はずに働(はたら)くものゝ好(よ)いお友達(ともだち)でした。

   五四 冬(ふゆ)の贈(おく)り物(もの)

峠(たうげ)の上(うへ)から村(むら)の小學校(せうがくかう)へ通(かよ)ふ生徒(せいと)がありました。近(ちか)いところから通(かよ)ふ他(ほか)の生徒(せいと)と違(ちが)ひまして、子供(こども)の足(あし)で毎日(まいにち)峠(たうげ)の上(うへ)から通(かよ)ふのはなか/\骨(ほね)が折(お)れました。でも、この生徒(せいと)は家(うち)から學校(がくかう)まで歩(ある)いて行(ゆ)く路(みち)が好(す)きで、降(ふ)つても照(て)つても通(かよ)ひました。
寒(さむ)い、寒(さむ)い日(ひ)に、この生徒(せいと)が遠路(とほみち)を通(かよ)つて行(ゆ)きますと、途中(とちう)で知(し)らないお婆(ばあ)さんに逢(あ)ひました。
『生徒(せいと)さん、今日(こんち)は。』
とそのお婆(ばあ)さんが聲(こゑ)を掛(か)けました。お婆(ばあ)さんは通(とほ)り過(す)ぎて行(い)つてしまはないで、
『生徒(せいと)さん、今日(けふ)も學校(がくかう)ですか。この寒(さむ)いのに、よくお通(かよ)ひですね。毎日々々(まいにち/\)さうして精出(せいだ)して下(くだ)さると、このお婆(ばあ)さんも御褒美(ごほうび)をあげますよ。』
と言(い)ひました。
知(し)らないお婆(ばあ)さんは見(み)かけによらない優(やさ)しい人でして、學校通(がくかうかよ)ひをする生徒(せいと)がかじかんだ手(て)をして居(ゐ)ましたら、それをお婆(ばあ)さんは自分(じぶん)の手(て)で温(あたゝ)めて呉(く)れました。
『まあ、斯樣(こん)なかじかんだ手(て)をして、よく寒(さむ)くありませんね。そのかはり、お前(まへ)さんが遠路(とほみち)を通(かよ)ふものですから、丈夫(ぢやうぶ)さうに成(な)りましたよ。御覽(ごらん)、お前(まへ)さんの頬(ほゝ)ぺたの色(いろ)の好(よ)くなつて來(き)たこと。』
とさう言(い)ひました。
生徒(せいと)は知(し)らない人(ひと)から斯樣(こん)なことを言(い)はれたものですから、そのお婆(ばあ)さんをよく見(み)ましたら、右(みぎ)の手(て)には山(やま)からでも伐(き)つて來(き)たやうな細(ほそ)い木(き)の杖(つえ)をついて、左(ひだり)の手(て)には籠(かご)を提(さ)げて居(ゐ)ました。籠(かご)の中(なか)には、青々(あを/\)とした蕗(ふき)の蕾(つぼみ)が一ぱい入(はひ)つて居(ゐ)ました。そのお婆(ばあ)さんは、まるでお伽話(とぎばなし)の中(なか)にでも出(で)て來(き)さうなお婆(ばあ)さんでした。
『お前(まへ)さんは誰(だれ)ですか。』
と生徒(せいと)が尋(たづ)ねましたら、お婆(ばあ)さんはニツコリしながら、提(さ)げて居(ゐ)る籠(かご)の中(なか)の蕗(ふき)の蕾(つぼみ)を見(み)せまして
『私(わたし)は「冬(ふゆ)」といふものですよ。』
と生徒(せいと)に言(い)つて聞(き)かせました。夫(それ)から、こんな事(こと)も言(い)ひました。
『お家(うち)へ歸(かへ)つたら、父(とう)さんや母(かあ)さんに見(み)てお貰(もら)ひなさい。お前(まへ)さんの頬(ほつ)ぺたの紅(あか)い色(いろ)もこのお婆(ばあ)さんのこゝろざしですよ。』

   五五 少年(せうねん)の遊学(いうがく)

父(とう)さんは九つの歳(とし)まで、祖父(おぢい)さんや祖母(おばあ)さんの膝下(ひざもと)に居(ゐ)ましたがその歳(とし)の秋(あき)に祖父(おぢい)さんのいゝつけで、東京(とうきやう)へ學問(がくもん)の修業(しうげふ)に出(で)ることに成(な)りました。父(とう)さんは友伯父(ともをぢ)さんと一緒(しよ)にお家(うち)の伯父(をぢ)さんに連(つれ)られて行(ゆ)くことに成(な)りました。
『二人(ふたり)とも東京(とうきやう)へ修業(しうげふ)に行(ゆ)くんだよ。』
と伯父(をぢ)さんに言(い)はれて、父(とう)さんは子供心(こどもごゝろ)にも東京(とうきやう)のやうなところへ行(ゆ)かれることを樂(たのし)みに思(おも)ひました。父(とう)さんより三つ年長(としうへ)の友伯父(ともをぢ)さんが、その時(とき)やうやく十二歳(さい)でした。
今(いま)から思(おも)へば祖母(おばあ)さんもよくそんな幼少(ちひさ)な兄弟(きやうだい)の子供(こども)を東京(とうきやう)へ出(だ)す氣(き)になつたものですね。その時(とき)の父(とう)さんは今(いま)の末子(すゑこ)より年(とし)が二つも下(した)でしたからね。
この東京行(とうきやうゆき)は、父(とう)さんが生(うま)れて初(はじ)めての旅(たび)でした。父(とう)さんが荷物(にもつ)の用意(ようい)といへば、小(ちひ)さな翫具(おもちや)の鞄(かばん)でした。それは美濃(みの)の中津川(なかつがは)といふ町(まち)の方(はう)から翫具(おもちや)の商人(あきんど)が來(き)た時(とき)に、祖母(おばあ)さんが買(か)つて呉(く)れたものでした。
『お前(まへ)が東京(とうきやう)へ行(ゆ)く時(とき)には、この鞄(かばん)へ金米糖(こんぺいたう)を一ぱいつめてあげますよ。』
と祖母(おばあ)さんは言(い)ひました。父(とう)さんもその小(ちひ)さな鞄(かばん)に金米糖(こんぺいたう)を入(い)れてもらつて、それを持(も)つて東京(とうきやう)に出(で)ることを樂(たのし)みにしたやうなそんな幼少(ちひさ)な時分(じぶん)でした。

   五六 祖父(おぢい)さんと祖母(おばあ)さんのおせんべつ

祖母(おばあ)さんは、おせんべつのしるしにと言(い)つて、東京(とうきやう)へ出(で)る父(とう)さんのために羽織(はおり)や帶(おび)を織(お)つて呉(く)れました。
『トン/\ハタリ、トンハタリ。』
と祖母(おばあ)さんは例(れい)の玄關(げんくわん)の側(わき)にある機(はた)に腰掛(こしか)けまして、羽織(はおり)にする黄(き)八丈(ぢやう)の反物(たんもの)と、子供(こども)らしい帶地(おびぢ)とを根氣(こんき)に織(お)つて呉(く)れました。
『トン/\ハタリ、トンハタリ。』
その祖母(おばあ)さんのおせんべつが織(お)れる時分(じぶん)には、父(とう)さんが生(うま)れて初(はじ)めての旅(たび)に出(で)る時(とき)も近(ちか)くなつて來(き)ました。
祖父(おぢい)さんは、父(とう)さんに書(か)いた物(もの)を呉(く)れました。好(す)きな燒米(やきごめ)でも食(た)べながら田舍(ゐなか)[#ルビの「ゐなか」は底本では「ゐか」]で本(ほん)を讀(よ)まうといふ祖父(おぢい)さんのことですから、父(とう)さんが東京(とうきやう)へ行(い)つてから時々(とき/″\)出(だ)して見(み)るやうにと言(い)ひまして、少年(せうねん)のためになるやうな教訓(をしへ)を七枚(まい)ばかりの短冊(たんざく)に書(か)いて呉(く)れました。[#底本では「。」が脱字]それを紙(かみ)に包(つゝ)みまして、紙(かみ)の上(うへ)にも父(とう)さんを送(おく)る言葉(ことば)を書(か)いて呉(く)れました。
『これは大事(だいじ)にして置(お)くがいゝ。東京(とうきやう)へ行(い)つたら、お前(まへ)の本箱(ほんばこ)のひきだしにでも入(い)れて置(お)くがいゝ。』
と言(い)つて呉(く)れました。それが祖父(おぢい)さんのおせんべつでした。

   五七 伯父(をぢ)さんの床屋(とこや)

東京(とうきやう)をさして學問(がくもん)に行(ゆ)かうといふ頃(ころ)の友伯父(ともをぢ)さんも、父(とう)さんも、まだ二人(ふたり)とも馬籠風(まごめふう)に髮(かみ)を長(なが)くして居(ゐ)ました。友伯父(ともをぢ)さんはもう十二歳(さい)でしたから、そんな山(やま)の中(なか)の子供(こども)のやうな髮(かみ)をして行つて東京(とうきやう)で笑(わら)はれては成(な)らないと、お家(うち)の人達(ひとたち)が言(い)ひました。
そこで友伯父(ともをぢ)さんだけは頭(あたま)を五分刈(ぶがり)にして行(ゆ)くことに成(な)りました。[#底本では「。」が脱字]ところが、村(むら)には床屋(とこや)といふものが有(あ)りません。仕方(しかた)なしに、伯父(をぢ)さんが裏(うら)の桐(きり)の木(き)の下(した)へ友伯父(ともをぢ)さんを連(つ)れて行(ゆ)きまして、伯父(をぢ)さんが自分(じぶん)で床屋(とこや)をつとめました。
面白(おもしろ)い床屋(とこや)がそこへ出來(でき)ました。腰掛(こしかけ)はお家(うち)の踏臺(ふみだい)で間(ま)に合(あ)ひ、胸(むね)に掛(か)ける布(きれ)は大(おほ)きな風呂敷(ふろしき)で間(ま)に合(あ)ひました。床屋(とこや)をつとめる伯父(をぢ)さんの鋏(はさみ)は、祖母(おばあ)さん達(たち)が針仕事(はりしごと)をする時(とき)に平常(ふだん)使(つか)ふ鋏(はさみ)でした。
この伯父(をぢ)さんは若(わか)い時分(じぶん)から神坂村(みさかむら)の村長(そんちやう)をつとめたくらゐの人(ひと)でしたが、なにしろ床屋(とこや)の方(はう)は素人(しろうと)でしたから、友伯父(ともをぢ)さんの髮(かみ)をヂヨキ/\とやるうちに、長(なが)いところと短(みじか)いところが出來(でき)て、すつかり奇麗(きれい)に刈(か)りあげるのはなか/\大變(たいへん)な仕事(しこと)でした。
鷄(にはとり)は驚(おどろ)いて、桐(きり)の木(き)の下(した)に頭(あたま)をさげて居(ゐ)る友伯父(ともをぢ)さんの方(はう)へ飛(と)んで來(き)ました。そして、髮(かみ)を刈(か)つて貰(もら)つて居(ゐ)る友伯父(ともをぢ)さんの側(わき)で鳴(な)きました。長(なが)いことお馴染(なじみ)の友伯父(ともをぢ)さんが東京(とうきやう)へ行(い)つてしまふので、お家(うち)の鷄(にはとり)もお別(わか)れを惜(をし)んで居(ゐ)たのでせう。

   五八 お別(わか)れ

山家(やまが)では何(なに)かある度(たび)にお客(きやく)さまをして、互(たがひ)に呼(よ)んだり呼(よ)ばれたりします。[#底本では「。」が脱字]いよ/\父(とう)さん達(たち)が東京行(とうきやうゆき)の日(ひ)もきまりましたので、お隣(とな)りのお勇(ゆう)さんの家(うち)では父(とう)さん達(たち)をお客(きやく)さまにして呼(よ)んで呉(く)れました。その晩(ばん)は伯父(をぢ)さんも友伯父(ともをぢ)さんも呼(よ)ばれて行(ゆ)きましたが、『押飯(おうはん)』と言(い)つて鳥(とり)の肉(にく)のお露(つゆ)で味(あぢ)をつけた御飯(ごはん)の御馳走(ごちさう)がありましたつけ。
父(とう)さんはお雛(ひな)の家(うち)へも遊(あそ)びに行(い)つて見(み)ました。幼少(ちひさ)い時分(じぶん)から父(とう)さんを抱(だ)いたり負(おぶ)つたりして呉(く)れたあのお雛(ひな)の家(うち)へも、もう遊(あそ)びに行(ゆ)かれないかと思(おも)ひまして、お別(わか)れを告(つ)げるつもりもなく遊(あそ)びに行(ゆ)く氣(き)になつたのです。お雛(ひな)の父親(ちゝおや)の名(な)は數衛(かずゑ)と言(い)つて村(むら)でもきたないので評判(ひやうばん)な髮結(かみゆひ)ですとは、前(まへ)にもお話(はなし)して置(お)いたと思(おも)ひます。日頃(ひごろ)父(とう)さんはそのきたない髮結(かみゆひ)の子(こ)に育(そだ)てられたと言(い)つて村(むら)[#ルビの「むら」は底本では「む」]の人達(ひとたち)にからかはれて居(ゐ)ましたから、數衛(かずゑ)の家(うち)へ遊(あそ)びに行(ゆ)くところを誰(たれ)かに見(み)つけられたら、復(ま)た人(ひと)にからかはれると思(おも)ひました。そこで父(とう)さんはお墓參(はかまゐ)りに行(ゆ)く道(みち)の方(はう)から、成(な)るべく知(し)つた人(ひと)に逢(あ)はない田圃(たんぼ)の側(わき)を通(とほ)りまして、こつそりと出掛(でか)けて行(ゆ)きました。
數衛(かずゑ)の家(うち)は村(むら)の中(なか)でもずつと坂(さか)の下(した)の方(はう)にありました。父(とう)さんの小學校(せうがくかう)友達(ともだち)に扇屋(あふぎや)の金太郎(きんたらう)さんといふ子供(こども)がありましたが、その金太郎(きんたらう)さんの家(うち)よりもまだずつと下(した)の方(はう)でした。父(とう)さんが遊(あそ)びに行(ゆ)きましたら、數衛(かずゑ)は大層(たいそう)よろこびまして、爐(ろ)にかけたお鍋(なべ)で菜飯(なめし)をたいて呉(く)れました。それからお茄子(なす)の味噌汁(おみおつけ)をもこしらへまして、お別(わか)れに御馳走(ごちさう)して呉(く)れました。藁(わら)で編(あ)んだ莚(むしろ)の敷(し)いてある爐邊(ろばた)で、數衛(かずゑ)のこしらへて呉(く)れた味噌汁(おみおつけ)はお茄子(なす)の皮(かは)もむかずに入(い)れてありました。たゞそれが輪切(わぎ)りにしてありました。しかし父(とう)さんは後(あと)にも前(まへ)にも、あんなおいしい味噌汁(おみおつけ)を食(た)べたと思(おも)つたことは有(あ)りません。

   五九 さやうなら

お家(うち)を出(で)る日(ひ)が來(き)ました。
その前(まへ)の日(ひ)に、曾祖母(ひいおばあ)さんは友伯父(ともをぢ)[#ルビの「ともをぢ」は底本では「ともぢ」]さんと父(とう)さんを側(そば)へ呼(よ)びましてお家(うち)の爐邊(ろばた)でいろ/\なことを言(い)つて聞(き)かせて呉(く)れました。父(とう)さんはこの年(とし)とつた曾祖母(ひいおばあ)さんがお膳(ぜん)にむかひながら、お別(わか)れの涙(なみだ)を流(なが)したことをよく覺(おぼ)えて居(ゐ)ます。でも曾祖母(ひいおばあ)さんはしつかりとした氣象(きしやう)の人(ひと)で、父(とう)さん達(たち)がお家(うち)を出(で)る日(ひ)には、もう涙(なみだ)を見(み)せませんでした。
伯父(をぢ)さんに附(つ)いて東京(とうきやう)へ行(ゆ)く父(とう)さんの道連(みちづれ)には、吉(きち)さんといふ少年(せうねん)もありました。吉(きち)さんはお隣(とな)りの大黒屋(だいこくや)の子息(むすこ)さんで、鐵(てつ)さんやお勇(ゆう)さんの兄(にい)さんに當(あた)る人(ひと)でした。この人(ひと)は父(とう)さん達(たち)と違(ちが)ひまして、眼(め)の療治(れうぢ)に東京(とうきやう)まで出掛(でか)[#ルビの「でか」は底本では「でかけ」]けるといふことでした。なにしろ父(とう)さんはまだ九歳(さい)の少年(せうねん)でしたから、草鞋(わらぢ)をはくといふ事(こと)も出來(でき)ません。そこで爺(ぢい)やが小(ちひ)さな麻裏草履(あさうらざうり)を見(み)つけて來(き)まして、踵(かゞと)の方(はう)に紐(ひも)をつけて呉(く)れました。
父(とう)さんはその新(あたら)しい草履(ざうり)をはいた足(あし)で、お家(うち)の臺所(だいどころ)の外(そと)に遊(あそ)んで居(ゐ)る鷄(にはとり)を見(み)に行(ゆ)きました。大(おほ)きな玉子(たまご)をよく父(とう)さんに御馳走(ごちさう)して呉(く)れた鷄(にはとり)は、
『コツ、コツ、コツ、コツ。』
とお名殘(なごり)を惜(を)しむやうに鳴(な)きました。
その邊(へん)にはお馴染(なじみ)の桐(きり)の木(き)も立(た)つて居(ゐ)ました。その桐(きり)の木(き)は背(せい)こそ高(たか)くても、まだ木(き)の子供(こども)でして、
『いよ/\東京(とうきやう)の方(はう)へ行(ゆ)くんですか。私(わたし)も大(おほ)きくなつてお前(まへ)さんを待(ま)つて居(ゐ)ます。御覽(ごらん)、あそこにはお前(まへ)さんに桑(くは)の實(み)を御馳走(ごちそう)した桑(くは)の木(き)も居(ゐ)ます。お前(まへ)さんのよく登(のぼ)つた柿(かき)の木(き)も居(ゐ)ます。あの土藏(どざう)の横手(よこて)の石垣(いしがき)の間(あひだ)には、土藏(どざう)の番(ばん)をする年(とし)とつた蛇(へび)が居(ゐ)て、今(いま)でも居眠(ゐねむ)りをして居(ゐ)ます。私達(わたしたち)はみんなお前(まへ)さんのお友達(ともだち)です。[#底本では「。」は脱字]私達(わたしたち)をよく覺(おぼ)えて居(ゐ)て下(くだ)さいよ。』
と言(い)ひました。
父(とう)さんはその草履(ざうり)[#ルビの「ざうり」は底本では「ざいり」]で、表庭(おもてには)の門(もん)の内(うち)にある梨(なし)[#ルビの「なし」は底本では「なり」]の木(き)の側(わき)へも行(い)きました。
『まあ、好(い)い草履(ざうり)を買(か)つて貰(もら)ひましたね。その草履(ざうり)には紐(ひも)が結(むす)んでありますね。お前(まへ)さんが大(おほ)きくなつて歸(かへ)つて來(き)たら、私(わたし)もまた大(おほ)きな梨(なし)をどつさり御馳走(ごちさう)しますよ。』
とその梨(なし)の木(き)が言(い)ひました。
伯父(をぢ)さんは父(とう)さん達(たち)を引連(ひきつ)れまして、日頃(ひごろ)親(した)しくする近所(きんじよ)の家々(うち/\)へ挨拶(あいさつ)に寄(よ)りました。大黒屋(だいこくや)へ寄(よ)れば小母(をば)[#「小母」は底本では「小毎」]さん達(たち)が家(うち)の外(そと)まで出(で)て見送(みおく)り、俵屋(たはらや)へ寄(よ)ればお婆(ばあ)さんが出(で)て見送(みおく)つて呉(く)れました。八幡屋(やはたや)、和泉屋(いづみや)、丸龜屋(まるかめや)、まだその他(ほか)にも伯父(をぢ)さんの挨拶(あいさつ)に寄(よ)つた家(うち)は澤山(たくさん)ありましたが、その度(たび)に父(とう)さん達(たち)は坂(さか)になつた村(むら)の道(みち)を峠(たうげ)の上(うへ)の方(はう)へ登(のぼ)つて行(い)きました。
馬籠(まごめ)の村(むら)はづれまで出(で)ますと、その峠(たうげ)の上(うへ)の高(たか)いところにも耕(たがや)した畠(はたけ)がありました。そこにも伯父(をぢ)さんに聲(こゑ)を掛(か)けるお百姓(ひやくしやう)がありました。父(とう)さんが遊(あそ)び廻(まは)つた谷間(たにま)と、谷間(たにま)の向(むか)ふの林(はやし)も、その邊(へん)からよく見(み)えました。山(やま)と山(やま)の重(かさ)なり合(あ)つた向(むか)ふの方(はう)には、祖父(おぢい)さんの好(す)きな惠那山(ゑなざん)が一番(ばん)高(たか)い所(ところ)に見(み)えました。祖父(おぢい)さんも、祖母(おばあ)[#「祖母」は底本では「祖毎」]さんも、さやうなら。馬籠(まごめ)も、さやうなら。惠那山(えなざん)も、さやうなら。

   六〇 峠(たうげ)の馬(うま)の挨拶(あいさつ)

馬籠(まごめ)の村(むら)はづれには、杉(すぎ)の木(き)の生(は)えた澤(さは)を境(さかひ)にしまして、別(べつ)に峠(たうげ)といふ名前(なまへ)の小(ちい)さな村(むら)があります。この峠(たうげ)に、馬籠(まごめ)に、湯舟澤(ゆぶねざは)と、それだけの三(さん)ヶ村(そん)を一緒(いつしよ)にして神坂村(みさかむら)と言(い)ひました。
『名物(めいぶつ)、栗(くり)こはめし――御休處(おやすみどころ)。』
こんな看板(かんばん)を掛(か)けた家(うち)が一軒(けん)しかない程(ほど)、峠(たうげ)は小(ちい)さな村(むら)でした。そこに住(す)む人達(ひとたち)はいづれも山(やま)の上(うへ)を耕(たがや)すお百姓(ひやくしやう)ばかりでした。その村(むら)にも伯父(をぢ)さんが寄(よ)つて挨拶(あいさつ)して行(ゆ)く家(うち)がありましたが、入口(いりぐち)の柱(はしら)のところに繋(つな)がれて居(ゐ)た馬(うま)は父(とう)さん達(たち)の方(はう)を見(み)まして、
『お揃(そろ)ひで、東京(とうきやう)の方(はう)へお出掛(でか)けですか。』[#底本では始めと終わりの二重かぎ括弧が脱字]
と聲(こゑ)を掛(か)けました。この馬(うま)は背中(せなか)に荷物(にもつ)をつけて父(とう)さんのお家(うち)へ來(き)たこともある馬(うま)でした。
やがて父(とう)さんは伯父(をぢ)さんの後(あと)に附(つ)いて、めづらしい初旅(はつたび)に上(のぼ)りました。父(とう)さんが歩(ある)いて行(ゆ)く道(みち)を木曽路(きそぢ)とも、木曾街道(きそかいだう)ともいふ道(みち)でした。

   六一 初旅(はつたび)

『もし/\、お前(まへ)さんの草履(ざうり)の紐(ひも)が解(と)けて居(ゐ)ますよ。』
と路(みち)ばたに咲(さ)いて居(ゐ)た龍膽(りんだう)の花(はな)が父(とう)さんに聲(こゑ)を掛(か)けて呉(く)れました。龍膽(りんだう)は桔梗(ききやう)に似(に)た小(ちい)さな草花(くさばな)で、よく山道(やまみち)なぞに咲(さ)いて居(ゐ)るのを見(み)かけるものです。
父(とう)さんがその小(ちい)さな紫(むらさき)いろの花(はな)の前(まへ)で自分(じぶん)の草履(ざうり)の紐(ひも)を結(むす)ばうとして居(を)りますと、伯父(をぢ)さんは父(とう)さんの側(そば)へ來(き)て、腰(こし)を曲(こゞ)めて手傳(てつだ)つて呉(く)れました。慣(な)れない旅(たび)ですから、おまけに馬籠(まごめ)から隣村(となりむら)の妻籠(つまご)へ行(ゆ)く二里(り)の間(あひだ)は石(いし)ころの多(おほ)い山道(やまみち)ですから、父(とう)さんの草履(ざうり)の紐(ひも)はよく解(と)けました。その度(たび)に伯父(をぢ)さんが足(あし)をとめては紐(ひも)を結(むす)んで呉(く)れました。

   六二 木曽川(きそがは)

隣村(となりむら)の妻籠(つまご)には、お前達(まへたち)の祖母(おばあ)[#「祖母」は底本では「祖毎」]さんの生(うま)れたお家(うち)がありました。妻籠(つまご)の祖父(おぢい)さんといふ人もまだ達者(たつしや)な時分(じぶん)で、父(とう)さん達(たち)をよろこんで迎(むか)へて呉(く)れました。そこで、初(はじめ)の日(ひ)は妻籠(つまご)に泊(とま)りまして翌朝(よくあさ)また伯父(をぢ)[#ルビの「をぢ」は底本では「おぢ」]さんに連(つ)れられて出掛(でか)けました。
妻籠(つまご)の吾妻橋(あづまばし)といふ橋(はし)の手前(てまへ)まで行(い)きますと、鶺鴒(せきれい)が飛(と)んで居(ゐ)ました。その鶺鴒(せきれい)はあつちの大(おほ)きな岩(いは)の上(うへ)[#ルビの「うへ」は底本では「う」]へ飛(と)んだり、こつちの大(おほ)きな岩(いは)の上(うへ)へ飛(と)んだりして、
『どうです。妻籠(つまご)には大(おほ)きな川(かは)があるでせう。』
と言(い)つて見(み)せました。
父(とう)さんも、そんな大(おほ)きな川(かは)を見(み)るのは初(はじ)めてでした。青(あを)い、どろんとした水(みづ)は渦(うづ)を卷(ま)いて、大(おほ)きな岩(いは)の間(あひだ)を流(なが)れて居(ゐ)ました。
『これが木曽川(きそがは)ですか。』
と父(とう)さんが尋(たづ)ねましたら、鶺鴒(せいきれ)は尻尾(しつぽ)を振(ふ)つて、
『いえ、これは蘭(あらゝぎ)の山奧(やまおく)の方(はう)から流(なが)れて來(く)る川(かは)です。木曽川(きそがは)へ入(はい)る川(かは)です。』
と教(をし)へて呉れました。
吾妻橋(あづまばし)の手前(てまへ)で見(み)た川(かは)が大(おほ)きいと思(おも)ひましたら、木曽川(きそがは)はそれよりも大(おほ)きな川(かは)でした。

   六三 御休處(おんやすみどころ)

何(なん)といふ深(ふか)い山(やま)や谷(たに)が父(とう)さんの行(ゆ)く先(さき)にありましたらう。父(とう)さんは木曽川(きそがは)の見(み)える谷間(たにあひ)について、林(はやし)の中(なか)を歩(ある)いて行(ゆ)くやうなものでした。どうかすると晝間(ひるま)でも暗(くら)いやうな檜木(ひのき)や杉(すぎ)のしん/\と生(は)えて居(ゐ)るところを通(とほ)ることもありました。あゝこれが三留野(みとめの)といふところか、これが須原(すはら)といふところか、と思(おも)ひまして、初(はじ)めて見(み)る村々(むら/\)が父(とう)さんにはめづらしく思(おも)はれました。何(なに)もかも父(とう)さんには初(はじ)めてゞした。高(たか)い山(やま)の上(うへ)の方(はう)から村(むら)はづれの街道(かいだう)のところまで押(お)し寄(よ)せて來(き)て居(ゐ)る黒(くろ)い岩(いは)だの石(いし)だのを見(み)るのも初(はじ)めてゞした。
父(とう)さんが東京(とうきやう)へ出(で)る時分(じぶん)には、鐵道(てつだう)のない頃(ころ)ですから、是非(ぜひ)とも木曽路(きそぢ)を歩(ある)かなければ成(な)りませんでした。もう好(い)い加減(かげん)歩(ある)いて行(い)つて、谷(たに)がお仕舞(しまひ)になつたかと思(おも)ふ時分(じぶん)には、また向(むか)ふの方(はう)の谷間(たにま)の板屋根(いたやね)から煙(けむり)の立(た)ち登(のぼ)るのが見(み)えました。さういふ煙(けむり)の見(み)えるところにかぎつて、旅人(たびびと)の腰掛(こしか)けて休(やす)んで行(ゆ)く休茶屋(やすみぢやや)がありました。
『御休處(おんやすみどころ)』
として、白(しろ)いところに黒(くろ)い太(ふと)い字(じ)で書(か)いてある看板(かんばん)は、父(とう)さん達(たち)にも寄(よ)つて休(やす)んで行(ゆ)けと言(い)ふやうに見(み)えました。さういふ休茶屋(やすみぢやや)には、きまりで『御嶽講(おんたけかう)』の文字(もじ)を染(そ)めぬいた布(きれ)がいくつも軒下(のきした)に釣(つ)るしてありました。
樂(たの)しい御休處(おんやすみどころ)。父(とう)さんが祖母(おばあ)さんから貰(もら)つて來(き)た金米糖(こんぺいたう)なぞを小(ちひ)さな鞄(かばん)から取出(とりだ)すのも、その御休處(おんやすみどころ)でした。塲處(ばしよ)によりましては、冷(つめた)い清水(しみづ)が樋(とひ)をつたつて休茶屋(やすみぢやや)のすぐ側(わき)へ流(なが)れて來(き)て居(ゐ)ます。さういふ清水(しみづ)はいくらでも父(とう)さんに飮(の)ませて呉(く)れました。

   六四 寢覺(ねざめ)の蕎麥屋(そばや)

寢覺(ねざめ)といふところには名高(なだか)い蕎麥屋(そばや)がありました。
木曽路(きそぢ)を通(とほ)るもので、その蕎麥屋(そばや)を知(し)らないものはないと、伯父(をぢ)さんが父(とう)さん達(たち)に話(はな)して呉(く)れました。そこは蕎麥屋(そばや)とも思(おも)へないやうな家(うち)でした。多勢(おほぜい)の旅人(たびびと)が腰掛(こしか)けて、めづらしさうにお蕎麥(そば)のおかはりをして居(ゐ)ました。伯父(をぢ)さんは父(とう)さん達(たち)にも山(やま)のやうに盛(も)りあげたお蕎麥(そば)を奢(をご)りまして、草臥(くたぶ)れて行(ゆ)つた足(あし)を休(やす)ませて呉(く)れました。

   六五[#「五」は底本では「七」] 浦島太郎(うらしまたらう)の釣竿(つりざを)

寢覺(ねざめ)には、浦島太郎(うらしまたらう)の釣竿(つりざを)といふものが有(あ)りました。それも伯父(をぢ)さんの話(はな)して呉(く)れたことですが、浦島太郎(うらしまたらう)の釣(つり)をしたといふ岩(いは)もありました。それから、あの浦島太郎(うらしまたらう)が龍宮(りうぐう)から歸(かへ)つて來(き)まして自分(じぶん)の姿(すがた)をうつして見(み)たといふ池(いけ)もありました。
木曾(きそ)の人(ひと)は昔(むかし)からお伽話(とぎばなし)が好(す)きだつたと見(み)えますね。岩(いは)にも、池(いけ)にも、釣竿(つりざを)にも、こんなお伽話(とぎばなし)が殘(のこ)つて、それを昔(むかし)から言(い)ひ傳(つた)へて居(ゐ)ます。

   六六 棧橋(かけはし)の猿(さる)

『もし/\、お前(まへ)さんの背中(せなか)に負(しよ)つて居(ゐ)るのは何(なん)ですか。』
木曾(きそ)の棧橋(かけはし)といふところの休茶屋(やすみぢやや)に飼(か)つてあるお猿(さる)さんが、そんなことを父(とう)さんに尋ね(たづ)ねました。
父(とう)さんは小(ちひ)さな鞄(かばん)を風呂敷包(ふろしきづゝみ)にしまして、それを自分(じぶん)の背中(せなか)に負(しよ)つて居(ゐ)ましたから、
『お猿(さる)さん、これは祖母(おばあ)さんがおせんべつに呉(く)れてよこしたのです。途中(とちう)で退屈(たいくつ)した時(とき)におあがりと言(い)つて、祖母(おばあ)さんが呉(く)れてよこした金米糖(こんぺいたう)です。わたしはこれから東京(とうきやう)へ修業(しうげふ)に行(ゆ)くところですが、この棧橋(かけはし)まで來(く)るうちに、金米糖(こんぺいたう)も大分(だいぶ)すくなくなりました。』
とお猿(さる)さんに話(はな)して聞(き)かせました。
このお猿(さる)さんの飼(か)つてあるところは高(たか)い崖(がけ)の下(した)でした。橋(はし)の下(した)を流(なが)れる木曽川(きそがは)がよく見(み)えて、深(ふか)い山(やま)の中(なか)らしい、景色(けしき)の好(い)いところでした。街道(かいだう)を通(とほ)る旅人(たびびと)は誰(たれ)でもその休茶屋(やすみぢやや)で休(やす)んで行(ゆ)くと見(み)えて、お猿(さる)さんもよく人(ひと)に慣(な)れて居(ゐ)ました。
父(とう)さんが東京(とうきやう)へ行(ゆ)く話(はなし)をしましたら、お猿(さる)さんも羨(うらや)ましさうに、
『わたしも一(ひと)つ金米糖(こんぺいたう)でも頂(いたゞ)いて、皆(みな)さんのお供(とも)をしたいものです。御覽(ごらん)の通(とほ)り、わたしはこの棧橋(かけはし)の番人(ばんにん)でして、皆(みな)さんのお供(とも)をしたいにも、こゝを置(お)いては行(ゆ)かれません。まあ、この山(やま)の中(なか)の土産話(みやげばなし)に、そこにある古(ふる)い石(いし)でもよく見(み)て行(い)つて下(くだ)さい。これから東京(とうきやう)へお出(いで)になりましたら、その石(いし)に發句(ほつく)が一つ彫(ほ)つてあつたとお話(はな)し下(くだ)さい。その發句(ほつく)をつくつたのは昔(むかし)[#ルビの「むかし」は底本では「むか」]の芭蕉翁(ばせををう)といふ人だとお話(はな)し下(くだ)さい。』
と言(い)ひました。
伯父(をぢ)さんも、吉(きち)さんも、友伯父(ともをぢ)さんも、みんなお猿(さる)さんの側(わき)へ來(き)まして、崖(がけ)の下(した)にある古(ふる)い石碑(せきひ)の文字(もじ)を讀(よ)みました。それには、
『かけはしやいのちをからむ蔦(つた)かづら』
としてありました

   六七 山越(やまご)し

やがて、父(とう)さんは伯父(をぢ)さんに連(つ)れられて、『みさやま峠(たうげ)』といふ山(やま)を越(こ)しにかゝりました。
父(とう)さんも馬籠(まごめ)のやうな村(むら)に育(そだ)つた子供(こども)です。山道(やまみち)を歩(ある)くのに慣(な)れては居(ゐ)ます。それにしても、『みさやま峠(たうげ)』は見上(みあ)げるやうな險(けは)しい山坂(やまさか)でした。大人(おとな)の足(あし)でもなか/\骨(ほね)が折(を)れるといふくらゐのところでした。何故(なぜ)、伯父(をぢ)さんがそんな山越(やまご)しにかゝつたかといふに、早(はや)く皆(みんな)を連れて馬車(ばしや)のあるところまで出(で)たいと考(かんが)へたからです。木曾(きそ)は山(やま)に圍(かこ)まれた深(ふか)い谷間(たにあひ)のやうなところですから、どうしても峠(たうげ)一(ひと)つだけは越(こ)さなければ成(な)らなかつたのです。何(なん)と言(い)つても父(とう)さんはまだ幼少(ちひさ)かつたものですから、友伯父(ともをぢ)さんや吉(きち)さんのやうには歩(ある)けませんでした。
『さあ、金米糖(こんぺいたう)を出(だ)すから、もつと早(はや)くお歩(ある)き。』
と伯父(をぢ)さんに言(い)はれましても、父(とう)さんの足(あし)はなか/\前(まへ)[#「ルビの「まへ」は底本では「まい」]へ進(すゝ)まなくなりました。
伯父(をぢ)さんの金米糖(こんぺいたう)に勵(はげ)まされて、復(ま)た父(とう)さんも石(いし)ころの多(おほ)い山坂(やまさか)を登(のぼ)つて行(い)きましたが、そのうちに日(ひ)が暮(く)れかゝりさうに成(な)つて來(き)ました。伯父(をぢ)さんはもう困(こま)つてしまつて、父(とう)さんの締(し)めて居(ゐ)る帶(おび)に手拭(てぬぐひ)を結(ゆは)ひつけ、その手拭(てぬぐひ)で父(とう)さんを引(ひ)いて行(い)くやうにして呉(く)れました。

   六八 沓掛(くつかけ)の温泉宿(をんせんやど)

今(いま)だに父(とう)さんはあの『みさやま峠(たうげ)』の山越(やまご)しを忘(わす)れません。草臥(くたぶ)れた足(あし)をひきずつて行(い)きまして、日暮方(ひくれがた)の山(やま)の裾(すそ)の方(はう)にチラ/\チラ/\燈火(あかり)のつくのを望(のぞ)んだ時(とき)の嬉(うれ)しかつた心持(こゝろもち)をも忘(わす)れません。
その燈火(あかり)のついて居(ゐ)るところが、沓掛(くつかけ)の温泉宿(をんせんやど)でした。

   六九 乘合馬車(のりあひばしや)

沓掛(くつかけ)まで行(い)きましたら、やうやくその邊(へん)から中仙道(なかせんだう)を通(かよ)ふ乘合馬車(のりあひばしや)がありました。
それから父(とう)さんは伯父(をぢ)さんや吉(きち)さんや友伯父(ともをぢ)さんと一緒(いつしよ)に東京行(とうきやうゆき)の馬車(ばしや)に乘(の)りまして、長(なが)い長(なが)い中仙道(なかせんだう)の街道(かいだう)を晝(ひる)も夜(よる)も乘(の)りつゞけに乘(の)つて行(い)きました。やがて馬車(ばしや)がある町(まち)を通(とほ)りました時(とき)に、父(とう)さんは初(はじ)めて消防夫(ひけし)の梯子登(はしごのぼ)りといふものを見(み)ました。高(たか)い梯子(はしご)に乘(の)つた人(ひと)が町(まち)の空(そら)で手足(てあし)を動(うご)かして居(ゐ)ました。父(とう)さんは馬車(ばしや)の上(うへ)からそれを眺(なが)めて、子供心(こどもごゝろ)にめづらしく思(おも)つて行(い)きました。伯父(をぢ)さんの話(はなし)で、そこが上州(じやうしう)の松井田(まつゐだ)といふ町(まち)だといふことも知(し)りました。またそれから飽(あ)きるほど乘(の)つて行(ゆ)くうちに、馬車(ばしや)はある川(かは)の岸(きし)へ出(で)ました。川(かは)にかけた橋(はし)の落(お)ちた時(とき)とかで、伯父(をぢ)さんでも誰(たれ)でも皆(みな)その馬車(ばしや)から降(お)りて、水(みづ)の淺(あさ)い所(ところ)を渉(わた)りました。
父(とう)さんは馬丁(べつたう)の背中(せなか)に負(おぶ)さつて、川(かは)を越(こ)しました。その川(かは)は烏川(からすがは)といふ川(かは)だと聞(き)きました。
まあ、父さんも、どんなに幼少(ちひさ)い子供(こども)だつたでせう。東京行(とうきやうゆき)の馬車(ばしや)の中(なか)には、一緒(いつしよ)に乘合(のりあは)せた他所(よそ)の小母(をば)さんもありました。その知(し)らない小母(をば)さんが旅(たび)の袋(ふくろ)からお菓子(くわし)なぞを出(だ)しまして、それを父(とう)さんにおあがりと言(い)つて呉(く)れたこともありました。いくら乘(の)つても乘(の)つても、なか/\東京(とうきやう)へは着(つ)かないものですから、しまひには父(とう)さんも馬車(ばしや)に退屈(たいくつ)しまして、他所(よそ)の小母(をば)さんに抱(だ)かれながらその膝(ひざ)の上(うへ)に眠(ねむ)つてしまつたことも有(あ)りました。

   七〇 終(をはり)の話(はなし)

こんな風(ふう)にして父(とう)さんは自分(じぶん)の生(うま)れたふるさとを幼少(ちひさ)な時分(じぶん)に出(で)て來(き)たものです。それから長(なが)い年月(としつき)の間(あひだ)を置(お)いては、木曾(きそ)へ歸(かへ)つて見(み)ますと、その度(たび)にあの山(やま)の中(なか)も變(かは)つて居(ゐ)ました。しかし父(とう)さんの子供(こども)の時分(じぶん)に飮(の)んだふるさとのお乳(ちゝ)の味(あぢ)は父(とう)さんの中(なか)に變(かは)らずにありますよ。
太郎(たらう)よ、次郎(じらう)よ、お前達(まへたち)も大(おほ)きくなつたら父(とう)さんの田舍(ゐなか)を訪(たづ)ねて見(み)て下(くだ)さい。


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      ふるさとの後(のち)に

この本(ほん)は前(まへ)に出(だ)した『幼(をさな)きものに』と姉妹(しまい)のやうにして出(だ)します。あの佛蘭西(ふらんす)土産(みやげ)には、父(とう)さんのお話(はなし)ばかりでなく、佛蘭西(ふらんす)の方(ほう)で聞(き)いて來(き)たいろ/\なお話(はなし)も入(い)れて置(お)きましたが、この『ふるさと』には父(とう)さんのお話(はなし)ばかりを集(あつ)めました。この本(ほん)が出來(でき)ましたら、木曾(きそ)の伯父(をぢ)さんの家(うち)に勉強(べんきやう)して居(ゐ)る三郎(らう)のところへも一册(さつ)[#ルビの「さつ」は底本では「さい」]送(おく)りたいと思(おも)ひます[#「ます」は底本では「すま」]。
父(とう)さんはこの少年(せうねん)の讀本(とくほん)を書(か)かうと思(おも)ひ立(た)つた頃(ころ)に、別(べつ)につくつて置(お)いたお話(はなし)が一つあります。それは『兄弟(きやうだい)』のお話(はなし)です。それをこの本(ほん)の後(のち)に添(そ)へようと思(おも)ひます。
こゝにそのお話(はなし)があります。
早(はや)く眼(め)がさめても何時(いつ)までも寢(ね)て居(ゐ)るのがいゝか、遲(おそ)く眼(め)がさめてもむつくり起(お)きるのがいゝか、そのことで兄弟(きやうだい)が爭(あらそ)つて居(ゐ)ました。
そこへこの兄弟(きやうだい)の祖父(おぢい)さんが來(き)まして、
『まあ、お前達(まへたち)は何(なに)をそんなに爭(あらそ)つて居(ゐ)るのです。』
と尋(たづ)ねました。
兄(あに)が言(い)ふには、
『祖父(おぢい)さん、私(わたし)は早(はや)く眼(め)がさめました。そのかはり何時(いつ)までも寢(ね)て居(ゐ)ました。弟(おとうと)は遲(おそ)く眼(め)がさめました。そのかはり私(わたし)より先(さき)に起(お)きました。私達(わたしたち)は今(いま)そのことで言(い)ひ合(あ)つて居(ゐ)るところです。』
『私(わたし)は遲(おそ)く眼(め)がさめても、兄(にい)さんのやうに長(なが)く寢(ね)て居(ゐ)ないで、むつくり起(お)きた方(はう)がいゝと思(おも)ひます。』
と弟(おとうと)が言(い)ひました。すると、兄(あに)が言(い)ふには、
『弟(おとうと)があんなことを言(い)つて威張(ゐば)つて居(ゐ)ます。そのくせ、私(わたし)が早(はや)く眼(め)のさめた時分(じぶん)には、弟(おとうと)はまだなんにも知(し)らないでグウ/″\グウ/″\と眠(ねむ)つて居(ゐ)ました。私(わたし)は鷄(にはとり)の鳴(な)いたのを知(し)つて居(ゐ)ます。夜(よ)の明(あ)けたのも知(し)つて居(ゐ)ます。』
『そんなことを言(い)つて兄(にい)さんが威張(ゐば)つても、何時(いつ)までも兄(にい)さんのやうに寢(ね)て居(ゐ)たら、眼(め)がさめないのも同(おな)じことです。』
とまた弟(おとうと)が言(い)ひました。
祖父(おぢい)さんはこの兄弟(きやうだい)の爭(あらそ)ひを聞(き)いて笑(わら)ひ出(だ)しました。さうして斯(か)う言ひました。
『馬鹿(ばか)な兄弟(きやうだい)だ。お前達(まへたち)がそんなことを言(い)つて爭(あらそ)つて居(ゐ)るうちに、太陽(おてんとう)さまはもう出(で)てしまつたぢやないか。』
(終)
了

底本:「名著複刻 日本児童文学館 11」ほるぷ出版
   1973(昭和48)年3月初版発行
底本の親本:「ふるさと」實業之日本社
   1920(大正9)年12月5日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※疑問点の確認にあたっては、「島崎藤村全集 第十六卷」新潮社、1951(昭和26)年3月15日発行を参照しました。
入力:Nana ohbe
校正:林 幸雄
2004年1月21日作成
2004年2月19日修正
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