既に業に独語に過ぎし、されば矯激の言さへ何の憚り忌むところあらむや、敢て言ふ、性慾は自然にして、放肆なるはそが態なりと、然して歓楽そが被衣たるを遺る可からず、或は心神恍惚たり、或は衷に道念寤めて懊悩苦悶あり、情緒揺曳して悲愁暗涙あり、詩のこゝに出でゝ共に可ならざるはなし。しかも世相の真を描写すと声言して、漫りに黒暗々の淵に沈み、かの性慾の裸身を摸索し得むとするは、詩の第一義を誤りたらずや惑ひあり。抒情詩の境に言ひ及びては切りに熱情を称す、天火一度胸に燃えてこそ、幽玄の琴絃初めて高調を弾するに堪へたれ。かの油火のおもてにのみ焼けむが如きはねがふところにあらず、况してや酒間の乱舞徒らに情を激すべきかは。今のごとくにして彼と此とを一列に措くが慣ひとしもなりなば、啻に詩風の醇なるべきを※[#「褻」の「陸のつくり」に代えて「幸」、258-5]すの惧あるのみならず、悪趣味を布くの媒たらざらんや。狂念慾火を煽りて霊台に及ぼさば悔ゆともまた効なかるべし、伝へ云ふ古の狂王が一炬に聖殿を燼きて、冥界のなやみとこしへなるに似たらば、そは悲しき極みなり。
これを浮華にするを欲せず、また之を衒ふが如かるを欲せず、偏に真なる感情に拠りてこそ、わかゝりし世の命、華やかなる思想を汲まむにも、克己制慾、冷静にして至上の光を仰がむにも、危うげならぬ境地に住するを得るなれ。また『君こそはいにし世にわがものなりけめ、そは幾代隔てつとは知りあへし、さあれ今燕の翔りゆくを見て、君が頸をめぐらしつる態によりぞ、覆ひの布は脱ちたる。げにそは昔知りしところ。』といひ、はた「智慧さへ、追憶さへ、深き悲みには要むるところなし、たゞ一事の学びえて忘られぬあるのみ、この野の小草こそは一茎三花を着けたれ。」といふが如き、幽微なる感情のかげをたどりて、ほのかに神秘のにほひの薫ずるなど、かゝるゆかしき思想の、今にしてわが抒情詩を化育せば、その生ひさきの美しかるべきは期して俟つべきなり。殊にかの神秘の教ふるところに就ては、仍改めて言ふをりあるべし。
夢寐の幻想を去りて、摯実なる感情の寤むる時、人生はその意義を悉くしてさながらに迫り来らむなり。何ぞ世と相触れ相関せざるあらむ。かの世相の一面に着して、故らに性慾の陥穽を按排し、以て真実の研鑽に出でたりとなす、所謂世慾に適するや否やを知らずと雖も、かゝる人心の傾向相縁りて、暗流横溢の外に立たじとするこそ極めて人情に遠きなからんや。独語して感あり。
(新声 第四編第七号 明治三十三年十二月)