四年の三学期であつた。
 国語の教生が来て、平家物語の重盛諫言のところを教へることになつた。
 教生といふのは今年卒業する大学部の学生の中から、一番か二番の人で、卒業後の練習のため女学校へ教へに来る人のことである。
 その時の国語の教生は、私たちが一年の時の五年生で、キツネさんと呼ばれてゐた市村先生であつた。
 キツネだと云ふので、あてられては大変と皆よく予習して行つた。
 いよ/\その時間となり、先生はすまして教壇へお上りになる。後には先生の同級生が大勢(二、三十人)見学してゐる。先生は一通り読みが終つてから、
「では解釈に移ります」とおつしやつた。
 さあ腕前(下しらべの)のほど、みせてくれん、と私もノートを開いた。
 私がまだノートをひねくつてる中に、
「平山さん」といきなり呼ばれて、私は面喰らつてしまつた。第一、私の名前を知られてるなんて夢にも思つてなかつたのである。
 鳩の豆鉄砲より尚甚だしかつたに違ひない。
「どうぞ、カイダイして下さい」
 カイダイ? カイダイ?
 呼ばれておどろいたばかりぢやない。変なことを仰せつかつた。仰せつかつたが、どうしていゝのかわからない。
 私は突差に立ち上つて云つたものだ。
「カイダイ……ッて何ですか」と。
 わーツとおこる爆笑の中で、私だけは生真面目にポカンとしてゐた。
 先生もゲラ/\笑ひながら、
「カイダイといふのは本について、何時、何があつて、どういふことがかいてあるかをしらべることです」と教へて下さつた。
 今までそんなことした事もなし、きいたこともないので、私はさう云はれて初めてわかつた。カイダイッて何ですか、ときいた位だから、やつてないのは分りきつてゐる。
 やつてありません、と云つてしまへばよかつたのだが、そこで私は失敗した。
 隣のともちやんが、それどこぢやないといふ様に心配して、これをみろ、これをみろ――とばかりに私の腕をつゝついて、自分のノートを差出してくれた。あまりさゝやくので智ちやんのノートをみたが、何年とか、なんとか、かんとかと極くおぼえ書程度の簡単なもので、何と云つていゝかわからぬ。困つた顔をしてゐたが、ともちやんは親切に、
 これを云へ、これを答へろと、つゝつきとほす。私は覚悟をきめて、しどろもどろいゝ加減なことを云つてしまつた。
 あの時はトモちやんの親切をすてきれず、あんないゝ加減なことを答へてしまつたが、今思ふとなぜ正直にやつて来ませんでした、と云はなかつたんだらうとほんとに残念だ。
 カイダイッてなあに? とこつそりきかずに、折角、正直に先生にきいたのに、なぜ大事なとこで、嘘をついて、胡魔化してしまつたか、今でもあの自分の卑劣さを考へると、がつかりしてしまふ。
(昭和十六年の思ひ出)

底本:「みの 美しいものになら」四季社
   1954(昭和29)年3月30日初版発行
   1954(昭和29)年4月15日再版発行
入力:鈴木厚司
校正:林 幸雄
2008年2月27日作成
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