洋装の女

 どこで何をしていたのか、新聞記者の村井は、星田代二が検事の第一回訊問を受けた日、彼が警視庁へかえされたのと入れちがいに、検事局の構内に姿を現わした。しかも、彼は、今日がはじめての訪問ではないらしく、わき眼もふらず、真直ぐに、二木検事の調室に歩いて行って、特長のあるドアの叩き方をした。
 書記がドアを開いた。
「どうだった、君?」
 勝ち誇ったように、村井は微笑した。
「うむ」
 と、村井を握手で迎えながら、二木検事の理智的な額を、憂鬱ゆううつの影がかすめた。
「全く驚いたよ。山川牧太郎が星田代二だとは。七年来お尋ね者の、五万円籠抜かごぬけ詐欺犯人が、大きな面をして、この帝都の真中にのさばっていようとは、誰だって考え及ばないからね」
「そこが彼奴きゃつのつけ目だよ。隠すにはさらせ、というのは、探偵小説の第一課だからね。新聞社や雑誌社に、やたらに写真を撮らせるところなんか、大胆と云おうか、天才と云おうか、驚嘆に値するね」
「山川牧太郎時代の写真が一枚もないもんだから、ずらかる前に、野郎、入念に処分しちまってたもんだから――当局もあざやかに翻弄ほんろうされてた形だよ」
 二木検事は、今星田代二の面皮をぐことが出来たとは云え、彼はみじめな気持を味わわずにはいられないのだった。星田の面皮を剥いだのが、彼自身であったら、彼はどんなにほがらかになれたろう。又、それが、精鋭を世界に誇る日本の警察力に依ったのであっても、こんなに、みじめにならずにすんだであろう。ところが、星田の首をあげたのは、一介の新聞記者ではないか。しかも、いつも口ぐせのように当局の無能を罵倒して止まない『あづま日報』の村井ではないか。
 二木検事と村井記者は、同期の、赤門出の法学士だった。学生時代から競争相手だったこの二人は、卒業間際に一人の女性を張り合ってからは、その競争意識が感情的にコジレて行った。しかし、二人の教養は、その感情をおもてに現わすことを制した。その女性が、二木検事の妻と決した時も、村井は、内心の口惜しさをこらえて、二木夫妻の幸福を祝福したくらいだった。
 そういう次第で、『あづま日報』が、当局の無能を攻撃する度に、二木検事は、何故か、『あづま日報』の社会部次長として、事実上社会部の実権を握っている村井に、二木検事自身が、揶揄やゆされているような気がしてならないのだった。
 しかるに、村井は何故、星田代二と山川牧太郎が同一人であるという、当局の鼻を明すに十分な特種をつかみながら、それを逸早く『あづま日報』紙上に掲載しなかったろうか。そして、それを、宮部京子事件の担任検事である二木検事の手柄にしようとしたのであろうか。――二木検事のような人物にとって、このような仕打は非常に大きな侮辱であること、従って、このことは、村井にとっては、恋愛に破れて以来の、深刻な紳士的復讐を意味するのだった。
「打明けて云えば、先刻さっき君から電話がかかって来た時、僕は君の確信ありげな主張をあざわらう気持だったが、こころみに前科調書をつくって見ると、指紋がぴったり適合するではないか。あの時、ずらかる前に、うっかり残した指紋が、奴の致命的な落度となったわけだ。それにしても、僕はまだ、君が、星田代二の素性をどうして看破したか、そのいきさつを聞いていないんだけれど、よろしかったらどうか――」
 内心の侮辱を忍びつつ、これも、所謂いわゆる『教養階級』の虚飾的な外交辞令であった。
「そのことなら――僕ア、星田代二という探偵作家の出現当時から疑惑の眼を向けていたのだよ。君も、僕と星田が飲友達だってことを知っているだろうが、元来、僕が星田に近づいて行ったのも、なんとかして奴の尻尾をつかまえたいという遠大な志を抱いたからなんだ。しかし、彼とてしたたか者、なかなかどうして尻尾をつかませるようなへまをやるもんか。で、すっかり手を焼いてしまった僕は、幾度、その執拗な志を抛棄ほうきしようと思ったかわからないんだ。しかし、あの、七年前の煽情的な事件を思い出すと、投げようとする僕のうちに、又、新な勇気が湧き起るのだったんだ。ところが宮部京子事件の起る三日前の晩、君もすでに知っている通り、銀座裏のカフェで飲んでいた星田と津村と僕とは、星田に脅迫状めいた手紙を書いたとおぼしき二人連の男女に会ったんだが、その時、その洋装の女をどこかで見たような女だがと直感したんだ。しかし、いつどこで会ったのかどうしても思い出せない。ところが、あの事件――宮部京子事件の日、上野の発明博覧会場から、星田と津村と三人で、件の男女の後をつけて行く自動車の中で、ふっと僕は思い出したんだ。これは素晴らしい! と、誰もいなかったら、僕は叫び出したかも知れない。僕は内心の興奮をおさえて、理由を構えて二人と別れた。そして、後々の言い訳のために、本石町の医療機械屋にちょっと寄って、それから、真直に家に帰って、切抜帳をひっくり返して見たんだ」
「誰なんだ、その女は?」
 たまらなくなって、二木検事は先を急いだ。
浦部俊子うらべとしこ
「浦部俊子? あ、あの――馬鹿な。あの女性は君、死んでいるんだよ。君、君ァ、すこしどうかしていないか。それとも浦部伝右衛門でんえもんの娘の浦部俊子とは別の――とでも云うのかね」
「なんの、なんの。山川牧太郎に五万円かたられた浦部伝右衛門の娘の浦部俊子さ。成程、あの五万円は浦部伝右衛門の財産の殆んど全部だった。そして、そのために、俊子の縁談がこわれてしまって、彼女は房州の海岸で投身自殺をしてしまった。そのために伝右衛門は発狂して松沢村の癲狂院てんきょういんに送られてしまった。それにも拘わらず、僕は銀座裏のカフェで浦部俊子に会ったんだ。この言葉が何を意味するか、物おぼえのいい君にわからない筈はないと思うんだが」
「うむ、そうか。わかった、わかった。浦部俊子に一人の妹があった。あの娘が順調に生長していれば、丁度二十歳はたち前後、――当時の俊子と同じくらいの年恰好になる」
「そうだ、そうだ。しかも、その顔かたちが、俊子と瓜二つに生長しているんだ。切抜帳の俊子の写真とそっくりなんだ」
「すると、つまり、今度の宮部京子事件は、山川牧太郎に対する復讐なのか?」
「いや。それは分らん。実をいうと、山川牧太郎と星田代二が同一人だということすらも、今君に会って、前科調書の結果を聞くまでは、確たる信念は僕になかったのだから。だから、あの洋装の女が、果して浦部俊子の妹なりということも、ただ、僕の想像にすぎないんだ。それから、彼等が、田原町の銃砲店と、本石町の医療機械屋で何を買ったかということも、僕には不明なんだ。僕なんかが、口出しをするまでもないことだが、先ず、ここらあたりから調査の歩を進めて行ったら、何とかものになるのじゃないかね。では、これで僕は失敬するが、この特種、二木検事の談として、今日の夕刊に掲載していいだろうな」
「き、君、そりゃアちょっと待ってくれないかな」
 二木検事は再びみじめな顔つきをした。

 その同じ頃、雑誌記者の津村は、自分のアパートのベッドの上に、ネクタイを外してひっくり返っていた。
 編輯長の命令で、陸軍大臣の談話をとるために、この三四日、足手摺古木すりこぎに追っかけまわして、やっとつかまえることが出来て、っとしているところだった。
 っとして見ると、再び、探偵作家の星田代二のことが思い出された。愈々いよいよ検事局に廻されて、今日は、検事の第一回訊問の行われる日だ。あれだけ証拠の数々を突きつけられて、逃れる道があるのだろうか。サイカク――ロククウ、西鶴――六九……種に苦しんだ活動屋の思い出……洋装の女――どこかで見たような女だが……村井はどうしたろう――あれから自宅へも社へも寄り附かんというが……あっ、そうだっ!
 津村は突然おどり上った。大急ぎで、ネクタイを結び直した。――なんだ、こんなことか、どうしてこんな簡単なことに気がつかなかったろう。
 彼は大急ぎで玄関まで飛び出した。が、ふと思いついて、アパートの電話室に飛び込んだ。そして、自分の勤めている雑誌社を呼び出して、その雑誌の、映画に関する記事を専門に担当している寺尾という記者を呼び出した。
 さいわい寺尾は在社中だった。津村は、今すぐ、社に出かけて行くから、外出しないで待っていてくれるように、とたのんで、アパートの前から円タクを拾った。
「何だね、ばかにあわてて」
 寺尾は、手持無沙汰に津村を待っていた。
「君、スチールを見せてくれ。女優のスチールだ」
「スチールと云ったって、沢山あるんだから。誰の写真を探すのかい?」
「それが分ってるくらいなら……」
「すこし変だぜ」
 と、云いながら、寺尾は一抱えのスチールを戸棚から取出した。
 ペラペラとめくって行くと、五十何枚目かに、たずぬる写真はあった。――たしかに、あの洋装の女と同一人だ。
「これだっ! これ、これは何という女優かね?」
「三映キネマの如月真弓きさらぎまゆみという女優だよ。今、やっと売り出しかかっている女優なんだ。そら、いつか、君と観に行った宮部京子主演の『東京哀歌』で、ステッキガールになった少女がいたろう」
「あっ! そうか、道理で、どこかで見たことがあると思ったんだ。それじゃアなんだな、あのこの間殺された宮部京子と同じ三映キネマの女優だったんだな。うーむ」
 と、津村はうなった。

底本:「「探偵クラブ」傑作選 幻の探偵雑誌8」光文社文庫、光文社
   2001(平成13)年12月20日初版1刷発行
初出:「探偵クラブ」
   1933(昭和8)年3月号
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年4月8日作成
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