今夜、伊勢物語を披いて居りました。そのうちふいと御誌からのお訊ねを思ひ出しましたので、とりあへずペンを取つて、只今、考へてをるがままに書いて見ることにします。
 僕がこのペンを取るまで、氣もちよく讀みふけつてゐた伊勢物語の一段はかういふのです。短いものなので、全部引用してみませう。

 むかし、男ありけり。人の娘のかしづく、いかでこの男にものいはむと思ひけり。うち出でむこと難くやありけむ、ものやみになりて死ぬべき時に、かくこそ思ひしかといひけるを、おや聞きつけて、泣く泣く告げたりければ、まどひ來りけれど、死にければ、つれづれとこもりをりけり。時は六月みなつきのつごもり、いと暑きころほひに、宵はあそびをりて、夜ふけてややすずしき風吹きけり。螢たかくとびあがる。この男、見ふせりて、
  とぶ螢雲の上までいぬべくは秋風ふくと雁につげこせ
  くれがたき夏の日くらしながむればその事となくものぞかなしき

 かういふ一段を讀んでをりますと、何かレクヰエム的な――もの憂いやうな、それでゐて何となく心をしめつけてくるやうなものでいつか胸は一ぱいになつて居ります。「宵はあそびをりて」――自分ゆゑに死んでいつた女の棺の前で、男はその魂を鎭めるために音樂などをしてその宵を過ごしてゐた。「夜ふけてややすずしき風吹きけり。螢たかくとびあがる。」もうなすわざをやめて、横になつてゐた男は、その螢に向つて、死者の魂をもう一度戻すやうに「雁につげよ」と乞ふやうな氣もちになる。昔は、雁にかぎらず、鳥はすべて魂を運ぶものと考へられて居たからである。――その次ぎの歌は、それと同じ夜に歌つたものではなく、それから數日といふもの、ずつと喪にこもつてゐた男が或夕ぐれなどにふと歌つたものでありませう。「その事となくものぞかなしき」――別に自分がしたしく逢つてゐた女と死別したのではない。だから、その事と思ひ出して悲しむ節はないけれど、自分ゆゑ死んだのだといふ事を考へるといかにも不便な氣がして、長い日ねもす思ひつづけて男はもの悲しさうになる。――そのうつけたやうな男のおもはず洩らす溜息までが手にとるやうに聞えてくるやうな一段であります。
 この一段は、古註によりますと、萬葉集卷十六の車持くらもち氏の娘子の戀夫君歌を採つて換骨脱胎して一篇の物語としたのであらうと言はれて居ります。ついでに、その萬葉集の歌といふのも引用して見ませうか。

  夫君せのきみに戀ふる歌一首并に短歌
さにづらふ 君が御言みことと 玉梓たまづさの 使も來ねば 思ひやむ わが身一つぞ ちはやぶる 神にもなおほせ 卜部うらべせ 龜もな燒きそ こほしくに いたきわが身ぞ いちじろく 身にしみとほり むらぎもの 心くだけて 死なむ命 俄かになりぬ いまさらに 君かをよぶ たらちねの 母のみことか ももらず 八十やそちまたに 夕占ゆふげにも うらにもぞ問ふ 死ぬべき我がゆゑ
  反歌
我命わぎのちは惜しけくもあらずさにづらふ君によりてぞ長くりせし
卜部うらべをも八十のちまた占問うらとへど君をあひ見むたどきしらずも

 左註によりますと、車持くらもち氏の娘が、ひさしく夫が通はないために、戀ひ焦れてその果は病氣になり、いよいよ臨終といふ際に、使をやつて夫を呼びよせたが、夫の顏を見ると、泣きながらこの歌をくちずさんで、すぐに息を引きとつた、と云ふことになつてゐます。「こほしくに痛きわが身ぞ。いちじろく身にしみとほり、むらぎもの心くだけて、死なむ命、俄かになりぬ……」と自分の運命の拙なさを歎きながら、「いまさらに君か我を呼ぶ。……死ぬべき我がゆゑ」と一種の諦念に達してゐる。伊勢物語では、男の方の氣もちを主として書いてゐるが、萬葉集の方ではどこまでも女の方の氣もちを主としてゐる。さういふ殆ど死なんとしてゐる女にこれだけの骨を折つた歌なんぞは到底詠めさうもないことだと思へるのだけれど、これをさういふ哀れな女みづからの詠としてどこまでも讀者に味はしめずにはおかない。その方が直截に人の心に響くからである。だが、ひよつとしたらこれはその不幸な若い女の死を哭し、その魂を鎭めるために近親の者がその女の心もちになつて代つて詠んだものかとも考へられる。さうやつて、その死を哭し、魂を鎭めるためにはあくまでもその死者の心と一つになり切らずにはをられぬところに萬葉びとの萬葉びとらしいところがあつたのではないか。それが伊勢物語の頃までくると、同樣に哀れな女の死に對する人々の態度もそんなには慟哭的でなく、同情的ではあるが、だんだん情緒的なものになつて來つつあるのが、この二つの例でもわかるのであります。
 午前、僕はリルケの「ドゥイノ悲歌」の一節を讀んでをりました。(これは最近芳賀檀君が非常に骨を折られて全部譯出せられました。――しかし此處には、便宜上、その一節の大意を拙譯いたして置きます。)

夭折した者たちは、もう私達を必要としないのだ。
彼等は徐かに地上の事物から離れてゆく、丁度
母から乳離れてゆくやうに。しかし
※(二の字点、1-2-22)なげかひといふわざによつてしあはせな進歩を遂げても來た、
いつも大いなる神祕を必要とする、私達の方こそ、
それらの夭折者たちなしには生存し得ないのではないか。
昔、リノスの夭折のための慟哭が、
凍えついたやうな虚無を貫いて、
はじめて音樂となつたといふ、かの傳説は空しいものであらうか。
(第一の悲歌)
 リルケがその畢生の大作、「ドゥイノ悲歌」を歌ひはじめるにあたつて、先づ胸中に絶えずおもつてゐたことの一つは、音樂の始原は美青年リノスの突如とした死に對する人々の慟哭にあつたとする希臘人たちの考へと等しく、詩歌の發生もまたあらゆる神に似た夭折者たちを哭し、その魂を鎭めんがためであつたといふ考へではなかつたでありませうか。唯、そのやうな希臘人たち乃至リルケの考へ方が私達の素朴な祖先たちのそれとやや趣を異にするのは、さうやつて愛する者の突如の喪失によつて其處に生じた空虚がはげしく震動し、それが遂に一つの旋律に變じてわれわれの恍惚となり、慰撫となり、救濟となつたといふ、いかにも自らを基準とした、彼等の西洋流な受け入れかたであります。私達の祖先らは、人の魂といふものをどこまでも外在的なものと素朴に考へて居つたやうであります。それゆゑ、それが結局は自分の慰めとなり、救ひともなることを少しも思はずに、唯、死んだ相手の魂を鎭めることのみをひたすら考へてゐたものと見えます。
 さういふいくぶんの相違はあるやうでありますが、少くとも詩歌とか音樂とかの源泉についての考へ方が、おのづから東西軌を一つにしてゐるらしいことは、只今の僕には大へん有難い發見であるといはなければなりません。
 前述の伊勢物語の一段、及びそれと關聯した萬葉集の歌一首のことを語つてゐるうちに、いつのまにかかういふリルケ詩中の希臘の傳説にまで及びましたが、かかる考への推移は僕には殆ど偶然でありました。このリノスの傳説にもつと近いものを求めようとしたら、或は古事記あたりに發見せられたでもありませう。しかし、いますぐ僕には思ひつきませんし、それを調べてみるいとまも今はないので、これで御免を蒙つておきますが、僕がこれまでかうして書いて來たのは、さういふ東西の詩歌の源泉についての考への類似にただ興味を抱いたからばかりではありません。
 ただ、或はかういふ日本の古い歌物語だの、或はかういふ西洋の輓近の詩だのを前にしながら、文學といふものの本來のすがたを屡※(二の字点、1-2-22)見なほしてみたりする事は、あまりに複雜多岐になつてゐる今日の文學の眞只中に身を置いてゐる自分のごときものにとつては、時として、大いに必要なことではないかと考へてゐるからに他なりません。少くとも、僕は、さういふ古代の素朴な文學を發生せしめ、しかも同時に近代の最も嚴肅な文學作品の底にも一條の地下水となつて流れてゐるところの、人々に魂の靜安をもたらす、何かレクヰエム的な、心にしみ入るやうなものが、一切のよき文學の底には嚴としてあるべきだと信じて居ります。考へついたままに、順序もなく書いて參つたので、甚だ意に充たず、又、御質問の趣にも添はないものになつてしまひましたが、取り敢へずお答へまで。

 追記 折口先生の説によると、敍景歌といふものは、先づ最初、旅中鎭魂の作であつた。昔、男が旅に出るとき、別れにあたつて、女が自分の魂の半分を分割して與へる。又、男も自分の魂の半分を分離してわが家に留めるものと人々に信ぜられてゐた。旅中、その妻の魂を鎭めてしづかに自分に落ち着かせるやうにと、男はその日に見た旅の景色などを夜毎に詠んだのである。さういふ歌がだんだん萬葉の中頃から獨立して、純粹な敍景そのものの歌となつていつた。しかし、すべての日本の敍景歌の中にはさういふ初期のレクヰエム的要素がほのかに痕を止めてゐるのである。――そのやうにわが國に於ける敍景歌の發生を説かれる折口先生の創見に富んだ説は何んと詩的なものでありませう。僕はこの頃折口先生の説かれるかういふ古い日本人の詩的な生活を知り、何よりも難有い氣がいたしてゐる者であることを、この際一言して置きたいと思ひます。

底本:「堀辰雄作品集第五卷」筑摩書房
   1982(昭和57)年9月30日初版第1刷発行
底本の親本:「曠野」養徳社
   1944(昭和19)年9月20日刊
初出:「文藝 第八巻第六号」
   1940(昭和15)年6月号
※初出時の表題は「魂を鎭める歌――いかに古典文学に対するかとの問に答へて――」、「雉子日記」河出書房(1940(昭和15)年7月9日)収録時「魂を鎭める歌――いかに古典を読むかとの問に答へて――」と改題、「曠野」養徳社(1944(昭和19)年9月20日)収録時本文を加筆訂正し「伊勢物語など――いかに古典を読むかとの問に答へて――」と改題。
入力:tatsuki
校正:岡村和彦
2013年1月17日作成
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