その藁屋根わらやねの古い寺の、木ぶかい墓地へゆく小径こみちのかたわらに、一体の小さな苔蒸こけむした石仏が、笹むらのなかに何かしおらしい姿で、ちらちらと木洩れ日に光って見えている。いずれ観音像かなにかだろうし、しおらしいなどとはもってのほかだが、――いかにもお粗末なもので、石仏といっても、ここいらにはざらにあるもろい焼石、――顔も鼻のあたりが欠け、天衣てんねなどもすっかり磨滅し、そのうえ苔がほとんど半身をおおってしまっているのだ。右手を頬にあてて、頭をかしげているその姿がちょっとおもしろい。一種の思惟象しゆいぞうとでもいうべき様式なのだろうが、そんなむずかしい言葉でその姿を言いあらわすのはすこしおかしい。もうすこし、何んといったらいいか、無心な姿勢だ。それを拝しながら過ぎる村人たちだって、彼等の日常生活のなかでどうかした工合でそういった姿勢をしていることもあるかも知れないような、親しい、なにげなさなのだ。……そんな笹むらのなかの何んでもない石仏だが、その村でひと夏を過ごしているうちに、いつかその石仏のあるあたりが、それまで一度もそういったものに心を寄せたことのない私にも、その村での散歩のたのしみのひとつになった。ときどきそこいらの路傍から採ってきたような可憐な草花が二つ三つその前に供えられてあることがある。村の子供らのいたずららしい。が、そんなのではない、もうすこしちゃんとした花が供えられ、お線香なども上がっていたことも、その夏のあいだに二三度あった。

    ※(アステリズム、1-12-94)

「お寺の裏の笹むらのなかに、こう、ちょっとおもしろい恰好かっこうをした石仏があるでしょう? あれはなんでしょうか?」夏の末になって、私はその寺のまだ四十がらみの、しかしもう鋭くせた住職からいろいろ村の話を聴いたあとで、そう質問をした。
「さあ、わたしもあの石仏のことは何もきいておりませんが、どういう由緒のものですかな。かたちから見ますと、まあ如意輪観音にょいりんかんのんにちかいものかと思いますが。……何しろ、ここいらではちょっと類のないもので、おそらく石工がどこかで見覚えてきて、それを無邪気に真似でもしたのではないでしょうか?……」
「そういうこともあるんですか? それはいい。……」私にはその説がすっかり気に入った。たしかに、その像をつくったものは、その形相の意味をよく知っていてそう造ったのではない。ただその形相そのものに対する素朴な愛好からそういうものを生んだのだ。そうしてその故に、――そこにまだわずかにせよ残っているかも知れない原初の崇高な形相にまで、私のようなものの心をあくがれしめるのであろうか? こんないかにもなにげない像ですら。……
「ときどきお花やお線香などが上がっているようですが、村の人たちはあの像にも何か特別な信仰をもっているのですか?」
 最後に私はそんなこともきいてみた。
「さあ、それもいつごろからの事だか知りませんけれど、わりに近頃になってからだそうですが、歯を病む子をつれて、村の年よりどもがよく拝みに来ます。」そういってその住職は笑った。
「あの指先で頬を支えている思惟の相が、村びとにはなんのことやら分からなくって、いつかそんな俗信を生むようになったと見えますな。」
「それはいくら何んでも……」そう言いかけたが、しかしそのまま私は口をつぐんで、これから秋になって、夜ごとに虫がすだいてきはじめるあの笹むらのなかで、相変らず、じいっと小さな頭を傾げているだろうその無心そうな像を、ふいと目のうちによみがえらせた。いつのまにこの像がこんなに自分にとって親しみのあるものになってしまったのだろうといぶかりながら。……

    ※(アステリズム、1-12-94)

 それから数年立って、私もときどき大和のほうへ出かけては、古い寺や名だかい仏像などを見て歩いたりするようになったが、そんな旅すがら、路傍などによく見かける名もない小さな石仏のようなものにも目を止めるようにしていた。そういうものの中には私の心をくようなものもかなりあるにはあったが、数年前信濃の山のべの村で見つけたあんなような味わいのあるものは一つも見出せなかった。そして、私はときどきあの笹むらのなかで小さな頭を傾げていた観音像を好んで思いだしていた。もとより旅にあってはほどよく感傷的になるのも好いとおもっている私のことだから、それが単なる自己の感傷に過ぎなくても、それもそれで好いとおもっていた。
 云ってみれば、それはそれまで何年かその山ちかい村で孤独に暮らしていた自分をもその一部とした信濃そのものに対する一種のなつかしさでもあろうし、又、こうやって大和の古びた村々をひとりでさまよい歩いているいまの自分の旅すがたは旅すがたで、そんな数年前の何か思いつめていたような自分がそういったはかないものにまで心を寄せながら、いつかそれを通してひそかにあくがれていたものでもあったのであろう。ともかくも、その笹むらのなかの小さな思惟像は、何かにつけて、旅びとの私にはおもい出されがちだった。

    ※(アステリズム、1-12-94)

 或る秋の日にひとりで心ゆくまで拝してきた中宮寺ちゅうぐうじの観音像。――その観音像の優しく力づよい美しさについては、いまさら私なんぞの何もいうことはない。ただ、この観音像がわれわれをかくも惹きつけ、かくも感嘆せしめずにはおかない所以ゆえんの一つは、その半跏思惟はんかしゆいの形相そのものであろうと説かれた浜田博士の闊達かったつな一文は私の心をいまだに充たしている。その後も、二三の学者のこの像の半跏思惟の形の発生を考察した論文などを読んだりして、それがはるかにガンダラの樹下思惟像あたりから発生して来ているという説などもあることを知り、私はいよいよ心に充ちるものを感じた。
 あのいかにも古拙アルカイックなガンダラの樹下思惟像――仏伝のなかの、太子が樹下で思惟三昧しゆいざんまいの境にはいられると、その樹がおのずから枝を曲げて、その太子のうえに蔭をつくったという奇蹟を示す像――そういう異様に葉の大きな一本の樹を装飾的にあしらった、浅浮彫りの、数箇の太子思惟像の写真などをこの頃手にとって眺めたりしているときなど、私はまた心の一隅であの信濃の山ちかい村の寺の小さな石仏をおもい浮かべがちだった。

    ※(アステリズム、1-12-94)

 一つの思惟像しゆいぞうとして、瞑想めいそうの頬杖をしている手つきが、いかにも無様ぶざまなので、村人たちには怪しい迷信をさえ生じさせていたが、――そのうえ、鼻は欠け落ち、それに胸のあたりまで一めんにこけが生えていて、……そういえば、そんなにそれが苔づくほど、その石仏のあるあたりは、どんな夏の日ざかりにもいつも何かひえびえとしていて、そこいらまで来ると、ふいと好い気もちになってひとりでに足も止まり、ついそのままそこの笹むらのなかの石仏の上へしばらく目を憩わせる。と、苔の肌はしっとりとしている。ちょっとそれを撫でてみたくなるような見事さで。――そう、いまのいままでそれに気がつかなかったのは、いや、気がついていてもそれを何とも思わずにいたのは随分迂闊うかつだが、あそこは何かの大きな樹の下だったにちがいない。――すこし離れてみなければ、それが何んの樹だかも分からないほどの大きな樹だったのだ。あの頬杖をしている小さな石仏のうえにちらちらしていた木洩れ日も、よほど高いところから好い工合に落ちてきていたので、あんなに私を夢み心地にさせたのだったろう。
 あれは一体、何んの樹だったのだろうか?……そんなことをおもいながら、私はふと樹下思惟という言葉を、その言葉のもつ云いしれずなつかしい心像を、身にひしひしと感じた。あれは一体、何んの樹? ……だが、あの大きな樹の下で、ひとり静かに思惟にふけっていたもの――それはあの笹むらのなかに小さな頭をかしげていた石仏だったろうか? それとも、それに見入りながらその怪しげな思惟像をとおしてはるか彼方のものに心をかれていた私のほうではなかったろうか?
 それにしても、あそこには、――あの何やらメエルヘンめいた石仏の前には、いまだにあの愚かな村びとどもの香花が絶えないだろうか? 子供たちがそこいらの路傍から摘んでくるかわいらしい草花だけならいいが……


一九四一年十月十日、奈良ホテルにて
 くれがた奈良に著いた。僕のためにとっておいてくれたのは、かなり奥まった部屋で、なかなか落ちつけそうな部屋で好い。すこうし仕事をするのには僕には大きすぎるかなと、もうここで仕事に没頭している最中のような気もちになって部屋の中を歩きまわってみたが、なかなか歩きでがある。これもこれでよかろうという事にして、こんどは窓に近づき、それをあけてみようとして窓掛けに手をかけたが、つい面倒になって、まあそれくらいはあすの朝の楽しみにしておいてやれとおもって止めた。その代り、食堂にはじめて出るまえに、奮発してひげることにした。

十月十一日朝、ヴェランダにて
 けさは八時までゆっくりと寝た。あけがた静かで、寝心地はまことにいい。やっと窓をあけてみると、僕の部屋がすぐ荒池あらいけに面していることだけは分かったが、向う側はまだぼおっと濃いもやにつつまれているっきりで、もうちょっと僕にはお預けという形。なかなかもったいぶっていやあがる。さあ、この部屋で僕にどんな仕事が出来るか、なんだかこう仕事を目の前にしながら嘘みたいにたのしい。きょうはまあ軽い小手しらべに、ホテルから近い新薬師寺ぐらいのところでも歩いて来よう。

夕方、唐招提寺にて
 いま、唐招提寺とうしょうだいじの松林のなかで、これを書いている。けさ新薬師寺のあたりを歩きながら、「城門のくづれてゐるに馬酔木あしびかな」という秋桜子しゅうおうしの句などを口ずさんでいるうちに、急にたてもたまらなくなって、此処に来てしまった。いま、秋の日が一ぱい金堂や講堂にあたって、屋根瓦やねがわらの上にも、めかかった古い円柱にも、松の木の影が鮮やかに映っていた。それがたえず風にそよいでいる工合は、いうにいわれないさわやかさだ。此処こそは私達のギリシアだ――そう、何か現世にこせこせしながら生きているのがいやになったら、いつでもいい、ここに来て、半日なりと過ごしていること。――しかし、まず一番先きに、小説なんぞ書くのがいやになってしまうことは請合いだ。……はっはっは、いま、これを読んでいるお前の心配そうな顔が目に見えるようだよ。だが、本当のところ、此処にこうしていると、そんなはかない仕事にかかわっているよりか、いっそのこと、この寺の講堂の片隅にほこりだらけになって二つ三つころがっている仏頭みたいに、自分も首から上だけになったまま、古代の日々を夢みていたくなる。……
 もう小一時間ばかりも松林のなかに寝そべって、そんなはかないことを考えていたが、僕は急に立ちあがり、金堂こんどうの石壇の上に登って、扉の一つに近づいた。西日が丁度その古い扉の上にあたっている。そしてそこには殆ど色の褪めてしまった何かの花の大きな文様もようが五つ六つばかり妙にくっきりと浮かび出ている。そんな花文のそこに残っていることを知ったのはそのときがはじめてだった。いましがた松林の中からその日のあたっている扉のそのあたりになんだか綺麗な文様らしいものの浮き出ているのに気がつき、最初は自分の目のせいかと疑ったほどだった。――僕はその扉に近づいて、それをしげしげと見入りながらも、まだなんとなく半信半疑のまま、何度もその花文の一つに手でさわってみようとしかけて、ためらった。おかしなことだが、一方では、それが僕のこのとききりの幻であってくれればいいというような気もしていたのだ。そのうちそこの扉にさしていた日のかげがすうと立ち去った。それと一しょに、いままで鮮やかに見えていたそのいくつかの花文も目のまえで急にぼんやりと見えにくくなってしまった。

十月十二日、朝の食堂で
 けさはもう六時から起きている。朝の食事をするまえに、大体こんどの仕事のプランを立てた。とにかく何処か大和の古い村を背景にして、Idyll 風なものが書いてみたい。そして出来るだけそれに万葉集的な気分を漂わせたいものだとおもう。――ちょっと待った、お前は僕が何かというとすぐイディルのようなものを書きたがるので、またかと思っていることだろう。しかし、本当をいうと、僕は最近ケーベル博士の本を読みかえしたおかげで、いままでいい加減に使っていたそのイディルという様式の概念をはじめてはっきりと知ったのだよ。ケーベル博士によると、イディルというのは、ギリシア語では「小さき絵」というほどの意だそうだ。そしてその中には、物静かな、小ぢんまりとした環境に生きている素朴な人達の、何物にも煩わせられない、自足した生活だけの描かれることが要求されている。……どうだ、分かったかい、僕がそれより他にいい言葉がなかったので半ば間にあわせに使っていたイディルというのが、思いがけず僕の考えていたものとそっくりそのままなのだ。もうこれからは安心して使おう。いい訳語が見つかってくれればいいが(どうも牧歌なんぞと訳してしまってはまずいんだ)……
 さて、お講義はこの位にしておいて、こんどの奴はどんな主題にしてやろうか。なんしろ、万葉風となると、はじめての領分なのだから、なかなかおいそれとは手ごろな主題も見つかるまい。そのくせ、一つのものを考え出そうとすると、あれもいい、これもちょっと描けそうだ、と一ぺんにいろんなものが浮かんで来てしまってしようがない。
 ままよ、きょうは一日中、何処か古京のあとでもぶらぶら歩きながら、なまじっかこっちで主題を選ぼうなどとしないで、どいつでもいい、向うでもって僕をつかまえるような工合にしてやろう。……
 僕はそんな大様おおような気もちで、朝の食事をすませて、食堂を出た。

午後、海竜王寺にて
 天平時代の遺物だという転害門てがいもんから、まず歩き出して、法蓮ほうれんというちょっと古めかしい部落を過ぎ、僕はさもいい気もちそうに佐保路さおじに向い出した。
 此処、佐保山のほとりは、その昔、――ざっと千年もまえには、大伴氏などが多く邸宅を構え、柳の並木なども植えられて、その下を往来するハイカラな貴公子たちに心ちのいい樹蔭をつくっていたこともあったのだそうだけれど、――いまは見わたすかぎり茫々ぼうぼうとした田圃たんぼで、その中をまっ白い道が一直線に突っ切っているっきり。秋らしい日ざしを一ぱいに浴びながら西を向いて歩いていると、背なかが熱くなってきて苦しい位で、僕は小説などをゆっくりと考えているどころではなかった。っと法華寺村ほっけじむらいた。
 村の入口からちょっと右に外れると、そこに海竜王寺かいりゅうおうじという小さな廃寺がある。そこの古い四脚門の陰にはいって、思わずほっとしながら、うしろをふりかえってみると、いま自分の歩いてきたあたりを前景にして、大和平やまとだいら一帯が秋の収穫を前にしていかにもふさふさと稲の穂波を打たせながら拡がっている。僕はまぶしそうにそれへ目をやっていたが、それからふと自分の立っている古い門のいまにも崩れて来そうなのに気づき、ああ、この明るい温かな平野が廃都の跡なのかと、いまさらのように考え出した。
 私はそれからその廃寺の八重葎やえむぐらの茂った境内にはいって往って、みるかげもなく荒れ果てた小さな西金堂さいこんどう(これも天平の遺構だそうだ……)の中を、はずれかかった櫺子れんじごしにのぞいて、そこの天平好みの化粧天井裏を見上げたり、半ば剥落はくらくした白壁の上に描きちらされてある村の子供のらしい楽書を一つ一つ見たり、しまいには裏の扉口からそっと堂内に忍びこんで、せんのすき間から生えている葎までも何か大事そうに踏まえて、こんどは反対に櫺子の中から明るい土のうえにくっきりと印せられている松の木の影に見入ったりしながら、そう、――もうかれこれ小一時間ばかり、此処でこうやって過ごしている。女の来るのを待ちあぐねているいにしえの貴公子のようにわれとわが身を描いたりしながら。……

夕方、奈良への帰途
 海竜王寺を出ると、村で大きな柿を二つほど買って、それを皮ごとかじりながら、こんどは佐紀山さきやまらしい林のある方に向って歩き出した。「どうもまだまだ駄目だ。それに、どうしてこうおれは中世的に出来上がっているのだろう。いくら天平好みの寺だといったって、こんな小っちゃな寺の、しかもその廃頽はいたいした気分に、こんなにうつつを抜かしていたのでは。……こんな事では、いつまで立っても万葉気分にはいれそうにもない。まあ、せいぜい何処やらにまだ万葉の香りのうっすらと残っている伊勢物語風なものぐらいしか考えられまい。もっと思いきりうぶな、いきいきとした生活気分を求めなくっては。……」そんなことを僕は柿を噛り噛り反省もした。
 僕はすこし歩き疲れた頃、やっと山裾の小さな村にはいった。歌姫うたひめという美しい字名あざなだ。こんな村の名にしてはどうもすこし、とおもうような村にも見えたが、ちょっと意外だったのは、その村の家がどれもこれも普通の農家らしく見えないのだ。大きな門構えのなかに、中庭が広くとってあって、その四周に母屋も納屋も家畜小屋も果樹もならんでいる。そしてその日あたりのいい、明るい中庭で、女どもが穀物などを一ぱいに拡げながらのんびりと働いている光景が、ちょっとピサロの絵にでもありそうな構図で、なんとなく仏蘭西フランスあたりの農家のような感じだ。
 ちょっとその中にはいって往って、女どもと、その村の聞きとりにくいような方言かなんかで話がしてみたかったのだけれど、気軽にそんなことの出来るような性分ならいい。僕ときたひには、そうやって門の外からのぞいているところを女どもにちらっと見とがめられただけで、もうそこには居たたまれない位になるのだからね。……
 気の小さな僕が、そうやって農家の前に立ち止まり立ち止まり、二三軒見て歩いているうちに、急に五六人の村の子たちに立ちよられて、怪訝けげんそうに顔をじろじろ見られだしたのには往生した。そのあげく、僕はまるでそんな村の子たちに追われるようにして、その村を出た。
 その村はずれには、おあつらえむきに、鎮守の森があった、僕はとうとう追いつめられるように、その森のなかに逃げ込み、そこの木蔭でやっと一息ついた。

十月十三日、飛火野にて
 きょうは薄曇っているので、何処へも出ずに自分の部屋にこもったまま、きのうお前に送ってもらった本の中から、希臘悲劇集ギリシアひげきしゅうをとりだして、それを自分の前に据え、別にどれを読み出すということもなしにあちらこちら読んでいた。そのうち突然、そのなかの一つの場面が僕の心をひいた。舞台は、アテネに近い、或る村はずれの森。苦しい流浪の旅をつづけてきた父と娘との二人づれが漸っといまその森まで辿たどりついたところ。盲いた老人が自分の手をひいている娘に向って、「此処はどこだ」と聞く。旅やつれのした娘はそれでも老父を慰めるようにこたえる。「お父う様、あちらにはもう都の塔が見えまする。まだかなり遠いようではございますが。ここでございますか、ここはなんだかこう神さびた森で。……」
 老いたる父はその森が自分の終焉しゅうえんの場所であるのを予感し、此処にこのまま止まる決心をする。
 その神さびた森を前にして、その不幸な老人の最後の悲劇が起ろうとしているらしいのを読みかけ、僕はおぼえず異様な身ぶるいをした。僕はしかしそのときその本をとじて、立ち上がった。このまま此の悲劇のなかにはいり込んでしまっては、もうこんどの自分の仕事はそれまでだとおもった。……
 こういうものを読むのは、とにかくこんどの可哀らしい仕事がすんでからでなくては。――そう自分に言ってきかせながら、僕はホテルを出た。
 もう十一時だ。僕はやっぱりこちらに来ているからには、一日のうちに何か一つぐらいはいいものを見ておきたくなって、博物館にはいり、一時間ばかり彫刻室のなかで過ごした。こんなときにひとつ何か小品でこころたのしいものをじっくり味わいたいと、小型の飛鳥仏あすかぶつなどを丹念に見てまわっていたが、結局は一番ながいこと、ちょうど若い樹木が枝を拡げるような自然さで、六本の腕を一ぱいに拡げながら、何処か遥かなところを、何かをこらえているような表情で、一心になって見入っている阿修羅王あしゅらおうの前に立ち止まっていた。なんというういういしい、しかも切ない目ざしだろう。こういう目ざしをして、何を見つめよとわれわれに示しているのだろう。
 それが何かわれわれ人間の奥ぶかくにあるもので、その一心な目ざしに自分を集中させていると、自分のうちにおのずから故しれぬ郷愁のようなものが生れてくる、――何かそういったノスタルジックなものさえ身におぼえ出しながら、僕はだんだん切ない気もちになって、やっとのことで、その彫像をうしろにした。それから中央の虚空蔵菩薩こくぞうぼさつを遠くから見上げ、何かこらえるように、黙ってその前を素通りした。

夜、寝床の上で
 とうとう一日中、薄曇っていた。午後もまたホテルに閉じこもり、仕事にもまだ手のつかないまま、結局、ソフォクレェスの悲劇を再びとりあげて、ずっと読んでしまった。
 この悲劇の主人公たちはその最後の日まで何んという苦患くげんに充ちた一生を送らなければならないのだろう。しかも、そういう人間の苦患の上には、なんの変ることもなく、ギリシアの空はほがらかに拡がっている。その神さびた森はすべてのものを吸い込んでしまうような底知れぬ静かさだ。あたかもそれが人間の悲痛な呼びかけに対する神々の答えででもあるかのように。――
 薄曇ったまま日が暮れる。夜も、食事をすますと、すぐ部屋にひきこもって、机に向う。が、これから自分の小説を考えようとすると、果して午後読んだ希臘悲劇ギリシアひげきが邪魔をする。あらゆる艱苦かんくを冒して、不幸な老父を最後まで救おうとする若い娘のりりしい姿が、なんとしても、僕の心に乗ってきてしまう。自分も古代の物語を描こうというなら、そういう気高い心をもった娘のすがたをこそ捉まえようと努力しなくては。……
 でも、そういうもの、そういった悲劇的なものは、こんどの仕事がすんでからのことだ、こんど、こちらに滞在中に、古い寺や仏像などを、勉強かたがた、僕がこころたのしく書こうというのには、やはり「小さき絵」位がいい。
 まあ、最初のプランどおり、その位のものを心がけることにして、僕は万葉集をひらいたり埴輪はにわの写真を並べたりしながら、十二時近くまで起きていて、五つか六つぐらい物語の筋を熱心に立ててみたが、どれもこれも、いざ手にとって仔細しさいに見ていると、大へんな難物のように思えてくるばかりなので、とうとう観念して、寝床にはいった。

十月十四日、ヴェランダにて
 ゆうべは少しられなかった。そうして寐られぬまま、仕事のことを考えているうちに、だんだんいくじがなくなってしまった。もう天平時代の小説などを工夫するのは止めた方がいいような気がしてきた。毎日、こうして大和の古い村や寺などを見ていたからって、おいそれとすぐそれが天平時代そのままの姿をして僕の中によみがえってくれるわけはないのだもの。それには、もうすこし僕は自分の土台をちゃんとしておかなくては。古代の人々の生活の状態なんぞについて、いまみたいにほんの少ししか、それも殆ど切れ切れにしか知っていないようでは、その上で仕事をするのがあぶなっかしくってしようがない。それは、ここ数年、何かと自分の心をそちらに向けて勉強してきたこともしてきた。だが、あんな勉強のしかたでは、まだまだ駄目なことが、いま、こうやってその仕事に実地にぶつかって見て、はっきり分かったというものだ。ほんの小手しらべのような気もちでとり上げようとした小さな仕事さえ、こんなに僕を手きびしくはねつけるのだ。僕はこのままそれに抵抗していても無駄だろう。いさぎよく引っ返して、勉強し直してきた方がいい。……
 そんな自棄やけぎみな結論に達しながら、僕はやっと明け方になってから寐入った。
 それで、けさは大いに寐坊をして、ひげらずに、やっと朝の食事に間に合った位だ。
 きょうはいい秋日和あきびよりだ。こういうすがすがしい気分になると、又、元気が出てきて、もう一日だけ、なんとか頑張ってやろうという気になった。やや寐不足のようだが、小説なんぞ考えるのには、そういう頭の状態の方がかえって幻覚的でいいこともある。
 どうも心細い事を云い初めたものだと、お前もこんな手紙を見ては気が気でないだろう。だが、もう少し辛抱をして、次ぎの手紙を待っていてくれ。何処でそれを書く事になるか、まだ僕にも分からない。……

午後、秋篠寺にて
 いま、秋篠寺あきしのでらという寺の、秋草のなかに寐そべって、これを書いている。いましがた、ここのすこし荒れた御堂にある伎芸天女ぎげいてんにょの像をしみじみと見てきたばかりのところだ。このミュウズの像はなんだか僕たちのもののような気がせられて、わけてもお慕わしい。あかい髪をし、おおどかな御顔だけすっかりこうにおけになって、右手を胸のあたりにもちあげて軽く印を結ばれながら、すこし伏せ目にこちらを見下ろされ、いまにも何かおっしゃられそうな様子をなすってお立ちになっていられた。……
 此処はなかなかいい村だ。寺もいい。いかにもそんな村のお寺らしくしているところがいい。そうしてこんな何気ない御堂のなかに、ずっと昔から、こういう匂いの高い天女の像が身をひそませていてくだすったのかとおもうと、本当にありがたい。

夕方、西の京にて
 秋篠の村はずれからは、生駒山いこまやまが丁度いい工合に眺められた。
 もうすこし昔だと、もっとびしい村だったろう。何か平安朝の小さな物語になら、その背景には打ってつけに見えるが、それだけに、此処もこんどの仕事には使えそうもないとあきらめ、ただ伎芸天女と共にした幸福なひとときをきょうの収穫にして。僕はもう何をしようというあてもなく、秋篠川に添うて歩きながら、これを往けるところまで往って見ようかと思ったりした。
 が、道がいつか川と分かれて、ひとりでに西大寺さいだいじ駅に出たので、もうこれまでと思い切って、奈良行の切符を買ったが、ふいと気がかわって郡山行の電車に乗り、西の京で下りた。
 西の京の駅を出て、薬師寺の方へ折れようとするとっつきに、小さな切符売場を兼ねて、古瓦ふるがわらのかけらなどを店さきに並べた、侘びしい骨董店こっとうてんがある。いつも通りすがりに、ちょっと気になって、その中をのぞいて見るのだが、まだ一ぺんもはいって見たことがなかった。が、きょうその店の中に日があかるくさしこんでいるのを見ると、ふいとその中にはいってみる気になった。何か埴輪の土偶でくのようなものでもあったら欲しいと思ったのだが、そんなものでなくとも、なんでもよかった。ただふいと何か仕事の手がかりになりそうなものがそんな店のがらくたの中にころがっていはすまいかという空頼みもあったのだ。だが、そこで二十分ばかりねばってみていたが、唐草文様からくさもようなどの工合のいい古瓦のかけらの他にはこれといって目ぼしいものも見あたらなかった。なんぼなんでも、そんな古瓦など買った日には重くって、持てあますばかりだろうから、又こんど来ることにして、何も買わずに出た。
 裏山のかげになって、もうここいらだけ真先きに日がかげっている。薬師寺の方へ向ってゆくと、そちらの森や塔の上にはまだ日が一ぱいにあたっている。
 荒れた池の傍をとおって、講堂の裏から薬師寺にはいり、金堂や塔のまわりをぶらぶらしながら、ときどき塔の相輪そうりんを見上げて、その水煙すいえんのなかにかしぼりになって一人の天女の飛翔ひしょうしつつある姿を、どうしたら一番よく捉まえられるだろうかと角度など工夫してみていた。が、その水煙のなかにそういう天女を彫り込むような、すばらしい工夫を凝らした古人に比べると、いまどきの人間の工夫しようとしてる事なんぞは何んと間が抜けていることだと気がついて、もう止める事にした。
 それから僕はもと来た道を引っ返し、すっかり日のかげった築土道ついじみちを北に向って歩いていった。二三度、うしろをふりかえってみると、松林の上にその塔の相輪だけがいつまでも日にかがやいていた。
 裏門を過ぎると、すこし田圃たんぼがあって、そのまわりに黄いろい粗壁あらかべの農家が数軒かたまっている。それが五条ごじょうという床しい字名あざなの残っている小さな部落だ。天平の頃には、恐らくここいらが西の京の中心をなしていたものと見える。
 もうそこがすぐ唐招提寺の森だ。僕はわざとその森の前を素どおりし、南大門なんだいもんも往き過ぎて、なんでもない木橋の上に出ると、はじめてそこで足を止めて、その下に水草を茂らせながら気もちよげに流れている小川にじいっと見入りだした。これが秋篠川のつづきなのだ。
 それから僕は、東の方、そこいら一帯の田圃たんぼごしに、奈良の市のあたりにまだ日のあたっているのが、手にとるように見えるところまで歩いて往ってみた。
 僕は再び木橋の方にもどり、しばらくまた自分の仕事のことなど考え出しながら、すこし気がふさいで秋篠川にそうて歩いていたが、急に首をふってそんな考えを払い落し、せっかくこちらに来ていて随分ばかばかしい事だと思いながら、裏手から唐招提寺の森のなかへはいっていった。
 金堂こんどうも、講堂も、その他の建物も、まわりの松林とともに、すっかりもう陰ってしまっていた。そうして急にひえびえとしだした夕暗のなかに、白壁だけをあかるく残して、軒も、柱も、扉も、一様に灰ばんだ色をして沈んでゆこうとしていた。
 僕はそれでもよかった。いま、自分たち人間のはかなさをこんなに心にしみて感じていられるだけでよかった。僕はひとりで金堂の石段にあがって、しばらくそのはなしの円柱のかげを歩きまわっていた。それからちょっとその扉の前に立って、このまえ来たときはじめて気がついたいくつかの美しい花文かもんを夕暗のなかに捜して見た。最初はただそこいらが数箇所、何かがげてでもしまった跡のような工合にしか見えないでいたが、じいっと見ているうちに、自分がこのまえに見たものをそこにいま思い出しているのに過ぎないのか、それともそれが本当に見え出してきたのか、どちらかよく分からない位のほのかさで、いくつかの花文がそこにぼおっと浮かび出していた。……
 それだけでも僕はよかった。何もしないで、いま、ここにこうしているだけでも、僕は大へん好い事をしているような気がした。だが、こうしている事が、すべてのものがはかなく過ぎてしまう僕たち人間にとって、いつまでも好いことではあり得ないことも分かっていた。
 僕はきょうはもうこの位にして、此処を立ち去ろうと思いながら、最後にちょっとだけ人間の気まぐれを許して貰うように、円柱の一つに近づいて手で撫でながら、その太い柱の真んなかのエンタシスの工合を自分の手のうちにしみじみと味わおうとした。僕はそのときふとその手を休めて、じっと一つところにそれを押しつけた。僕は異様に心が躍った。そうやってみていると、夕冷えのなかに、その柱だけがまだ温かい。ほんのりと温かい。その太い柱の深部にんだ日の光の温かみがまだ消えやらずに残っているらしい。
 僕はそれから顔をその柱にすれすれにして、それをいでみた。日なたの匂いまでもそこにはかすかに残っていた。……
 僕はそうやって何んだか気の遠くなるような数分を過ごしていたが、もうすっかり日が暮れてしまったのに気がつくと、ようやっと金堂から下りた。そうして僕はそのまま、自分の何処かにまだ感ぜられている異様な温かみと匂いを何か貴重なもののようにかかえながら、既に真っ暗になりだしている唐招提寺の門を、いかにもさりげない様子をして立ち出でた。

十月十八日、奈良ホテルにて
 きょうは雨だ。一日中、雨の荒池をながめながら、折口博士の「古代研究」などを読んでいた。
 そのなかに人妻となって子を生んだくずという狐の話をとり上げられた一篇があって、そこにこういう挿話が語られている。或る秋の日、その葛の葉が童子をあやしながら大好きな乱菊の花の咲きみだれているのに見とれているうちに、ふいと本性に立ち返って、狐の顔になる。それに童子が気がつき急にこわがって泣き出すと、その狐はそれっきり姿を消してしまう、ということになるのだが、その乱菊の花に見入っているその狐のうっとりとした顔つきが、何んとも云えず美しくおもえた。それもほんの一とおりの美しさなんぞではなくて、何かその奥ぶかくに、もっともっと思いがけないものを潜めているようにさえ思われてならなかった。
 僕も、その狐のやつに化かされ出しているのでないといいが……

十月十九日、戒壇院の松林にて
 きょうはまたすばらしい秋日和あきびよりだ。午前中、クロオデルの「マリアへのお告げ」を読んだ。
 数年まえの冬、雪に埋もれた信濃の山小屋で、孤独な気もちで読んだものを、もう一遍、こんどは秋の大和路の、何処かあかるい空の下で、読んでみたくて携えてきた本だが、やっとそれを読むのにいい日が来たわけだ。
 雪の中で、いまよりかずっと若かった僕は、この戯曲を手にしながら、そこに描かれている一つの主題――神的なるものの人間性のなかへの突然の訪れといったようなもの――を、何か一枚の中世風な受胎告知図を愛するように、素朴に愛していることができた。いまも、この戯曲のそういう抒情的な美しさはすこしも減じていない。だが、こんどは読んでいるうちにいつのまにか、その女主人公ヴィオレエヌの惜しげもなく自分を与える余りの純真さ、そうしているうちに自分でもらずらず神にまで引き上げられてゆく驚き、その心の葛藤かっとう、――そういったものに何か胸をいっぱいにさせ出していた。
 三時ごろ読了。そのまま、僕は何かじっとしていられなくなって、外に出た。博物館の前も素どおりして、どこへ往くということもなしに、なるべく人けのない方へ方へと歩いていた。こういうときには鹿なんぞもまっぴらだ。
 戒壇院かいだんいんをとり囲んだ松林の中に、誰もいないのを見すますと、っと其処に落ちついて、僕は歩きながらいま読んできたクロオデルの戯曲のことを再び心に浮かべた。そうしてこのカトリックの詩人には、ああいう無垢むくな処女を神へのいけにえにするために、ああも彼女を孤独にし、ああも完全に人間性から超絶せしめ、それまで彼女をとりまいていた平和な田園生活から引き離すことがどうあっても必然だったのであろうかと考えて見た。そうしてこの戯曲の根本思想をなしているカトリック的なもの、ことにその結末における神への讃美のようなものが、この静かな松林の中で、僕にはだんだん何か異様ことざまなものにおもえて来てならなかった。

三月堂の金堂にて
 月光菩薩像がっこうぼさつぞう。そのまえにじっと立っていると、いましがたまで木の葉のように散らばっていたさまざまな思念ごとそっくり、その白みがかった光の中に吸いこまれてゆくような気もちがせられてくる。何んといういつくしみの深さ。だが、この目をほそめて合掌をしている無心そうな菩薩の像には、どこか一抹いちまつの哀愁のようなものが漂っており、それがこんなにも素直にわれわれを此の像に親しませるのだという気のするのは、僕だけの感じであろうか。……
 一日じゅう、たえず人間性への神性のいどみのようなものに苦しませられていただけ、いま、この柔かな感じの像のまえにこうして立っていると、そういうことがますます痛切に感ぜられてくるのだ。

十月二十日夜
 きょうははじめて生駒山を越えて、河内の国高安たかやすの里のあたりを歩いてみた。
 山の斜面に立った、なんとなく寒ざむとした村で、西の方にはずっと河内の野が果てしなく拡がっている。
 ここから二つ三つ向うの村には名だかい古墳群などもあるそうだが、そこまでは往って見なかった。そうして僕はなんの取りとめもないその村のほとりを、いまは山の向う側になって全く見えなくなった大和の小さな村々をなつかしそうに思い浮かべながら、ほんの一時間ばかりさまよっただけで、帰ってきた。
 こないだ秋篠の里からゆうがた眺めたその山の姿になにか物語めいたものを感じていたので、ふと気まぐれに、そこまで往ってその昔の物語の匂いをかいできただけのこと。(そうだ、まだお前には書かなかったけれど、僕はこのごろはね、伊勢物語なんぞの中にもこっそりと探りを入れているのだよ。……)
 夕方、すこし草臥くたびれてホテルに帰ってきたら、廊下でばったり小説家のA君に出逢った。ゆうべ遅く大阪からこちらにき、きょうは法隆寺へいって壁画の模写などを見てきたが、あすはまた京都へ往くのだといっている。連れがふたりいた。ひとりはその壁画の模写にたずさわっている奈良在住の画家で、もうひとりは京都から同道の若き哲学者である。みんなと一しょに僕も、自分の仕事はあきらめて、夜おそくまで酒場で駄弁だべっていた。

十月二十一日夕
 きょうはA君と若き哲学者のO君とに誘われるがままに、僕も朝から仕事を打棄うっちゃって、一しょに博物館や東大寺をみてまわった。
 午後からはO君の知っている僧侶の案内で、ときおり僕が仕事のことなど考えながら歩いた、あの小さな林の奥にある戒壇院かいだんいんの中にもはじめてはいることができた。
 がらんとした堂のなかは思ったより真っ暗である。案内の僧があけ放してくれた四方の扉からも僅かしか光がさしこんでこない。壇上の四隅に立ちはだかった四天王の像は、それぞれ一すじの逆光線をうけながら、いよいよ神々しさを加えているようだ。
 僕は一人きりいつまでも広目天こうもくてんの像のまえを立ち去らずに、そのまゆねをよせて何物かを凝視しているかおを見上げていた。なにしろ、いい貌だ、温かでいてはげしい。……
「そうだ、これはきっと誰か天平時代の一流人物の貌をそっくりそのまま模してあるにちがいない。そうでなくては、こんなに人格的に出来あがるはずはない。……」そうおもいながら、こんな立派な貌に似つかわしい天平びとは誰だろうかなあと想像してみたりしていた。
 そうやって僕がいつまでもそれから目を放さずにいると、北方の多聞天たもんてんの像を先刻から見ていたA君がこちらに近づいてきて、一しょにそれを見だしたので、
「古代の彫刻で、これくらい、こう血の温かみのあるのは少いような気がするね。」と僕は低い声で言った。
 A君もA君で、何か感動したようにそれに見入っていた。が、そのうち突然ひとりごとのように言った。「この天邪鬼あまのじゃくというのかな、こいつもこうやって千年も踏みつけられてきたのかとおもうと、ちょっと同情するなあ。」
 僕はそう言われて、はじめてその足の下に踏みつけられて苦しそうにもだえている天邪鬼に気がつき、A君らしいヒュウマニズムに頬笑みながら、そのほうへもしばらく目を落した。……
 数分後、戒壇院の重い扉が音を立てながら、僕たちの背後にとざされた。再びあの真っ暗な堂のなかは四天王の像だけになり、其処には千年前の夢が急にいきいきとよみがえり出していそうなのに、僕は何んだか身のしまるような気がした。
 それから僕たちは僧侶の案内で、東大寺の裏へ抜け道をし、正倉院がその奥にあるという、もの寂びた森のそばを過ぎて、畑などもある、人けのない裏町のほうへ歩いていった。
 と、突然、僕たちの行く手には、一匹の鹿が畑の中から犬に追い出されながらもの凄い速さで逃げていった。そんな小さな葛藤かっとうまでが、なにか皮肉な現代史の一場面のように、僕たちの目に映った。

十月二十三日、法隆寺に向う車窓で
 きのうは朝から一しょう懸命になって、新規に小説の構想を立ててみたが、どうしても駄目だ。きょうは一つ、すべての局面転換のため、最後のとっておきにしていた法隆寺へ往って、こないだホテルで一しょに話した画家のSさんに壁画の模写をしているところでも見せてもらって、大いに自分を発奮させ、それから夢殿ゆめどのの門のまえにある、あの虚子の「斑鳩いかるが物語」に出てくる、古い、なつかしい宿屋に上がって、そこで半日ほど小説を考えてくるつもりだ。

十月二十四日、夕方
 きのう、あれから法隆寺へいって、一時間ばかり壁画を模写している画家たちの仕事を見せて貰いながら過ごした。これまでにも何度かこの壁画を見にきたが、いつも金堂のなかが暗い上に、もう何処もかも痛いたしいほど剥落はくらくしているので、殆ど何も分からず、ただ「かべのゑのほとけのくにもあれにけるかも」などという歌がおのずから口ずさまれてくるばかりだった。――それがこんど、金堂こんどうの中にはいってみると、それぞれの足場の上で仕事をしている十人ばかりの画家たちの背ごしに、四方の壁に四仏浄土を描いた壁画の隅々までが蛍光灯のあかるい光のなかに鮮やかに浮かび上がっている。それが一層そのひどい剥落のあとをまざまざと見せてはいるが、そこに浮かび出てきた色調の美しいといったらない。画面全体にほのかに漂っている透明な空色が、どの仏たちのまわりにも、なんともいえずたのしげな雰囲気をかもし出している。そうしてその仏たちのお貌だの、宝冠だの、天衣てんねだのは、まだところどころの陰などに、目のさめるほど鮮やかな紅だの、緑だの、黄だの、紫だのを残している。西域あたりの画風らしい天衣などの緑いろの凹凸のぐあいも言いしれず美しい。東の隅の小壁に描かれた菩薩ぼさつの、手にしている蓮華れんげに見入っていると、それがなんだか薔薇ばらの花かなんぞのような、幻覚さえおこって来そうになるほどだ。
 僕は模写の仕事の邪魔をしないように、できるだけ小さくなって四壁の絵を一つ一つ見てまわっていたが、とうとうしまいに僕もSさんのやぐらの上にあがりこんで、いま描いている部分をちかぢかと見せて貰った。そこなどは色もすっかりげている上、大きな亀裂が稲妻形にできている部分で、そういうところもそっくりそのままに模写しているのだ。なにしろ、こんな狭苦しい櫓の上で、絵道具のいっぱい散らばった中に、身じろぎもならず坐ったぎり、一日じゅう仕事をして、一寸平方位の模写しかできないそうだ。どうかすると何んにもない傷痕ばかりを描いているうちに一と月ぐらいはいつのまにか立ってしまうこともあるという。――そんな話を僕にしながら、その間も絶えずSさんは絵筆を動かしている。僕はSさんの仕事の邪魔をするのを怖れ、お礼をいって、ひとりで櫓を下りてゆきながら、いまにも此の世から消えてゆこうとしている古代の痕をこうやって必死になってその儘に残そうとしている人たちの仕事に切ないほどの感動をおぼえた。……
 それから金堂を出て、新しくできた宝蔵の方へゆく途中、子規の茶屋の前で、僕はおもいがけず詩人のH君にひょっくりと出逢った。ずっと新薬師寺に泊っていたが、あす帰京するのだそうだ。そうして僕がホテルにいるということをきいて、その朝訪ねてくれたが、もう出かけたあとだったので、こちらに僕も来ているとは知らずに、ひとりで法隆寺へやって来た由。――そこで子規の茶屋に立ちより、柿など食べながらしばらく話しあい、それから一しょに宝蔵を見にゆくことにした。
 僕の一番好きな百済観音くだらかんのんは、中央の、小ぢんまりとした明かるい一室に、ただ一体だけ安置せられている。こんどはひどく優遇されたものである。が、そんなことにも無関心そうに、この美しい像は相変らずあどけなく頬笑まれながら、静かにお立ちになっていられる。……
 しかしながら、此のうら若い少女の細っそりとしたすがたをなすっていられる菩薩像ぼさつぞうは、おもえば、ずいぶん数奇すきなる運命をもたれたもうたものだ。――「百済観音」というお名称も、いつ、誰がとなえだしたものやら。が、それの示すごとく古朝鮮などから将来せられたという伝説もそのまま素直に信じたいほど、すべてが遠くからきたものの異常さで、そのうっとりと下脹しもぶくれした頬のあたりや、胸のまえで何をそうして持っていたのだかも忘れてしまっているような手つきの神々しいほどのうつつなさ。もう一方の手の先きで、ちょいと軽くつまんでいるきりの水瓶すいびょうなどはいまにも取り落しはすまいかとおもわれる。
 この像はそういう異国のものであるというばかりではない。この寺にこうしてっと落ちつくようになったのは中古の頃で、それまでは末寺の橘寺たちばなでらあたりにあったのが、その寺が荒廃した後、此処に移されてきたのだろうといわれている。その前はどこにあったのか、それはだれにも分からないらしい。ともかくも、流離というものを彼女たちの哀しい運命としなければならなかった、古代の気だかくも美しい女たちのように、此の像も、その女身の美しさのゆえに、国から国へ、寺から寺へとさすらわれたかと想像すると、この像のまだうら若い少女のような魅力もその底に一種の犯し難い品を帯びてくる。……そんな想像にふけりながら、僕はいつまでも一人でその像をためつすがめつして見ていた。どうかすると、ときどき揺らいでいる瓔珞ようらくのかげのせいか、その口もとの無心そうな頬笑みが、いま、そこに漂ったばかりかのように見えたりすることもある。そういう工合なども僕にはなかなかありがたかった。……
 それから次ぎの室で伎楽面ぎがくめんなどを見ながら待っていてくれたH君に追いついて、一しょに宝蔵を出て、夢殿のそばを通りすぎ、その南門のまえにある、大黒屋という、古い宿屋に往って、昼食をともにした。
 その宿の見はらしのいい中二階になった部屋で、田舎らしい鳥料理など食べながら、新薬師寺での暮らしぶりなどをきいて、僕も少々うらやましくなった。が、もうすこし人並みのからだにしてからでなくては、そういう精進三昧しょうじんざんまいはつづけられそうもない。それからH君はこちらに滞在中に、ちか頃になく詩がたくさん書けたといって、いよいよ僕をうらやましがらせた。
 四時ごろ、一足さきに帰るというH君を郡山こおりやま行きのバスのところまで見送り、それから僕は漸っとひとりになった。が、もう小説を考えるような気分にもなれず、日の暮れるまで、ぼんやりと斑鳩いかるがの里をぶらついていた。
 しかし、夢殿の門のまえの、古い宿屋はなかなか哀れ深かった。これが虚子の「斑鳩物語」に出てくる宿屋。なにしろ、それはもう三十何年かまえの話らしいが、いまでもそのときとおなじ構えのようだ。もう半分家が傾いてしまっていて、中二階の廊下など歩くのもあぶない位になっている。しかしその廊下に立つと、見はらしはいまでも悪くない。大和の平野が手にとるように見える。向うのこんもりした森が三輪山みわやまあたりらしい。菜の花がいちめんに咲いて、あちこちに立っている梨の木も花ざかりといった春さきなどは、さぞ綺麗だろう。と、何んということなしに、そんな春さきの頃の、一と昔まえのいかるがの里の若い娘のことを描いた物語の書き出しのところなどが、いい気もちになって思い出されてくる。――しかし、いまはもうこの里も、この宿屋も、こんなにすっかり荒れてしまっている。夜になったって、おさを打つ音で旅びとの心を慰めてくれるような若い娘などひとりもいまい。だが、きいてみると、ずっと一人きりでこの宿屋に泊り込んで、毎日、壁画の模写にかよっている画家がいるそうだ。それをきいて、僕もちょっと心を動かされた。一週間ばかりこの宿屋で暮らして、僕も仕事をしてみたら、もうすこしぴんとした気もちで仕事ができるかも知れない。
 どのみち、きょうは夢殿や中宮寺なんぞも見損ったから、またあすかあさって、もう一遍出なおして来よう。そのときまでに決心がついたら、ホテルなんぞはもう引き払って来てもいい。……
 そんな工合で、結局、なんにも構想をまとめずに、暗くなってからホテルに帰ってくると、僕は、夜おそくまで机に向って最後の努力を試みてみたが、それも空しかった。そうして一時ちかくなってから、半分泣き顔をしながら、寝床にはいった。が、昼間あれだけ気もちよげに歩いてくるせいか、よく眠れるので、愛想がつきる位だ。――
 けさはすこし寝坊をして八時起床。しかし、お昼もきょうはホテルでして、一日じゅう新らしいものに取りかかっていた。――こないだ折口博士の論文のなかでもって綺麗だなあとおもったくずという狐の話。あれをよんでから、もっといろんな狐の話をよみたくなって、霊異記りょういきや今昔物語などを捜して買ってきてあったが、けさ起きしなにその本を手にとってみているうちに、そんな狐の話ではないが、そのなかの或る物語がふいと僕の目にとまった。
 それは一人のふしあわせな女の物語。――自分を与え与えしているうちにいつしか自分を神にしていたようなクロオデル好みの聖女とは反対に、自分を与えれば与えるほどいよいよはかない境涯にちてゆかなければならなかった一人の女の、世にもさみしい身の上話。――そういう物語の女を見いだすと、僕はなんだか急に身のしまるような気もちになった。これならば幸先さいさきがよい。そういう中世のなんでもない女を描くのなら、僕も無理に背のびをしなくともいいだろう。こんやもう一晩、この物語をとっくりと考えてみる。
 ジャケット届いた。本当にいいものを送ってくれた。けさなどすこうし寒かったので、一枚ぐらいジャケットを用意してくればよかったとおもっていたところだ。こんやから早速てやろう。

十月二十四日夜
 ゆうがた、浅茅あさぢはらのあたりだの、ついじのくずれから菜畑などの見えたりしている高畑たかばたけの裏の小径こみちだのをさまよいながら、きのうから念頭を去らなくなった物語の女のうえを考えつづけていた。こうして築土ついじのくずれた小径を、ときどき尾花おばななどをかき分けるようにして歩いていると、ふいと自分のまえに女を捜している狩衣かりぎぬすがたの男が立ちあらわれそうな気がしたり、そうかとおもうとまた、何処かから女のかなしげにすすり泣く音がきこえて来るような気がして、おもわずぞっとしたりした。これならば好い。僕はいつなん時でも、このまますうっとその物語の中にはいってゆけそうな気がする。……
 この分なら、このままホテルにいて、ときどきここいらを散歩しながら、一週間ぐらいで書いてしまえそうだ。

十月二十五日夜
 けさちょっと博物館にいっただけで、あとは殆ど部屋とヴェランダとで暮らしながら、小説の構想をまとめた。構想だけはすっかり出来た。いま細部の工夫などをたのしんでやっている。日暮れごろ、また高畑のほうへ往って、ついじの崩れのあるあたりを歩いてきた。尾花が一めんに咲きみだれ、もう葉の黄ばみだした柿の木の間から、夕月がちらりと見えたり、三笠山の落ちついた姿が渋い色をして見えたりするのが、何んともいえずに好い。晩秋から初冬へかけての、大和路はさぞいいだろうなあと、つい小説のほうから心をらして、そんな事を考え出しているうちに、僕は突然或る決心をした。――僕はやはり二三日うちに、荷物はこのまま預けておいて、ホテルを引き上げよう。しかし、いかるがの宿にもるのではない。東京へ帰る。そうしておまえの傍で、心しずかにこの仕事に向い、それを書き上げてから、もう一度、十一月のなかば過ぎにこちらに来ようというのだ。そうして大和路のどこかで、秋が過ぎて、冬の来るのを見まもっていたい。都合がついたら、おまえも一しょにつれて来よう、どうもいまこうして奈良にいると、一日じゅう仕事に没頭しているのが何んだかもったいなくなって、つい何処かへ出かけてみたくなる。何処へいっても、すぐもうそこには自分の心を豊かにするものがあるのだからなあ。しかし、昼間はそうやって歩きまわり、夜は夜で、落ちついてゆうべの仕事をつづけるなんという真似のできない僕のことだから、いっそこのまま出来かけの仕事をもって東京へ帰った方がいいのではないか、とまあそんな事も一とおりは考えに入れたうえの決心なのだ。
 僕はホテルに帰ってくると、また気のかわらないうちにとおもって、すぐ帳場にそのことを話し、しあさっての汽車の切符を買っておいて貰うことにした。

十月二十六日、斑鳩の里にて
 きょうはめずらしくのんびりした気もちで、汽車に乗り、大和平をはすに横ぎって、佐保川に沿ったり、西の京のあたりの森だの、その中ほどにくっきりと見える薬師寺の塔だのをなつかしげに眺めたがら、法隆寺駅についた。僕は法隆寺へゆく松並木の途中から、村のほうへはいって、道に迷ったように、わざと民家の裏などを抜けたりしているうちに、夢殿の南門のところへ出た。そこでちょっと立ち止まって、まんまえの例の古い宿屋をしげしげと眺め、それから夢殿のほうへ向った。
 夢殿を中心として、いくつかの古代の建物がある。ここいらは厩戸皇子うまやどのおうじの御住居のあとであり、向うの金堂こんどうや塔などが立ち並んでおのずから厳粛な感じのするあたりとは打って変って、大いになごやかな雰囲気を漂わせていてしかるべき一廓いっかく。――だが、この二三年、いつ来てみても、何処か修理中であって、まだ一度もこのあたりを落ちついた気もちになって立ちもとおったことがない。
 いまだにそのまわりの伝法堂などは板がこいがされているが、このまえ来たとき無慙むざんにも解体されていた夢殿だけは、もうすっかり修理ができあがっていた。……
 そこで僕はときどきその品のいい八角形をした屋根を見あげ見あげ、そこの小ぢんまりとした庭を往ったり来たりしながら、
 
ゆめどのはしづかなるかなものもひにこもりていまもましますがごと
義疏ぎそのふでたまたまおきてゆふかげにおりたたしけむこれのふるには

 そんな「鹿鳴集」の歌などを口ずさんでは、自分の心のうちに、そういった古代びとの物静かな生活をよみがえらせてみたりしていた。
 僕はようやく心がしずかになってから夢殿のなかへはいり、秘仏を拝し、そこを出ると、再び板がこいの傍をとおって、いかにもつつましげに、中宮寺の観音を拝しにいった。――
 それから約三十分後には、僕は何かかがやかしい目つきをしながら、村を北のほうに抜け出し、平群へぐりの山のふもと、法輪寺ほうりんじ法起寺ほっきじのある森のほうへぶらぶらと歩き出していた。
 ここいら、古くはいかるがの里と呼ばれていたあたりは、その四囲の風物にしても、又、その寺や古塔にしても、推古時代の遺物がおおいせいか、一種蒼古な気分をもっているようにおもわれる。或いは厩戸皇子のお住まいになられていたのがこのあたりで、そうしてその中心に夢殿があり、そこにおける真摯しんしな御思索がそのあたりのすべてのものにまでらずらずのうちに深い感化を与え出していたようなことがあるかも知れない。そうしてこのあたりの山や森などはもっとも早く未開状態から目覚めて、そこに無数に巣くっていた小さな神々を追い出し、それらの山や森を朝夕うちながめながら暮らす里人たちは次第に心がなごやかになり、生きていることのよろこびをも深く感ずるようになりはじめていた。……
 そうだ、僕はもうこれから二三年勉強した上でのことだが、日本に仏教が渡来してきて、その新らしい宗教に次第に追いやられながら、遠い田舎のほうへと流浪の旅をつづけ出す、古代の小さな神々のびしいうしろ姿を一つの物語にして描いてみたい。それらの流謫るたくの神々にいたく同情し、彼等をなつかしみながらも、新らしい信仰に目ざめてゆく若い貴族をひとり見つけてきて、それをその小説の主人公にするのだ。なかなか好いものになりそうではないか。
 行く手の森の上に次ぎ次ぎに立ちあらわれてくる法輪寺や法起寺の小さな古塔を目にしながら、そんな小説を考え考え、そこいらの田圃たんぼの中を歩いていると、僕はなんともいえず心なごやかな、いわばパストラアルな気分にさえなり出していた。

十月二十七日、琵琶湖にて
 けさ奈良を立って、ちょっと京都にたちより、往きあたりばったりにはいった或る古本屋で、リルケが「ぽるとがるぶみ」などと共に愛していた十六世紀のリヨンびとルイズ・ラベという薄倖の女詩人のかわいらしい詩集を見つけて、飛びあがるようになって喜んで、途中、そのなかで、
「ゆふべわが臥床ふしどに入りて、いましも甘き睡りに入らんとすれば、わが魂はわが身より君が方にとあくがれ出づ。しかるときは、われはわが胸に君を掻きいだきゐるがごとき心ちす、ひねもす心も切に恋ひわたりゐし君を。ああ、甘き睡りよ、われをたばかりてなりとも慰めよ。うつつにては君に逢ひがたきわれに、せめて恋ひしき幻をだにひと夜与へよ。」という哀婉あいえんな一章などを拾い読みしたりしつつ、ひる過ぎ、やっと近江おうみうみにきた。
 ここで、こんどの物語の結末――あの不しあわせな女がこの湖のほとりでむかしの男と再会する最後の場面――を考えてから、あすは東京に帰るつもりだ。
 いま、ちょっと近所の小さな村を二つ三つ歩いてきてみた。どこの人家の垣根にも、茶の花がしろじろと咲いていた。これで、昼の月でもほのかに空に浮かんでいたら満点だが。――


 J兄
 この秋はずっと奈良に滞在していましたが、どうも思うように仕事がはかどらず、とうとうその仕事をかたづけるためにしばらく東京に舞いもどっていました。それからすぐまたこちらに来るつもりでいましたが、すこし無理をして仕事をしたため、そのあとがひどく疲れて一週間ばかりたり何かしているうちに、つい出そびれて、やっと十二月になってこちらに来たような始末です。この七日にはどうしても帰京しなければならない用事がある上、こんどはどうしても倉敷くらしきの美術館にいってエル・グレコの「受胎告知」を見てきたいので、奈良には三四日しかいられないことになりました。まるでこの秋ホテルに預けておいた荷物をとりにだけきたような恰好かっこうです。
 でも、そんな三四日だって、こちらでもって自分の好きなように過ごすことができるのだとおもうと、たいへん幸福でした。僕は一日の夜おそくホテルにいてから、さあ、あすからどうやって過ごそうかと考え出すと、どうも往ってみたいところが沢山ありすぎて困ってしまいました。そこで僕はそれを二つの「方」に分けて見ました。一つの「方」には、まだ往ったことのない室生寺むろうじ聖林寺しょうりんじ、それから浄瑠璃寺じょうるりじなどがあります。もう一つの「方」は、飛鳥あすかの村々ややまみちのあたり、それから瓶原みかのはらのふるさとなどで、そんないまは何んでもなくなっているようなところをぼんやり歩いてみたいとも思いました。こんどはそのどちらか一つの「方」だけで我慢することにして、その選択はあすの朝の気分にまかせることにして寐床ねどこにはいりました。……
 翌朝、食堂の窓から、いかにも冬らしくすっきりした青空を見ていますと、なんだかもう此処にこうしているだけでいい、何処にも出かけなくったっていいと、そんな欲のない気もちにさえなり出した位ですから、勿論、めんどうくさい室生寺ゆきなどは断念しました。そうして十時ごろやっとホテルを出て、きょうはさしあたり山の辺の道ぐらいということにしてしまいました。三輪山のふもとをすこし歩きまわってから、柿本人麻呂の若いころ住んでいたといわれる穴師あなしの村を見に纏向山まきむくやまのほうへも往ってみたりしました。このあたり一帯の山麓さんろくには名もないような古墳が群らがっているということを聞いていたので、それでも見ようとおもっていたのだけれど、どちらに向って歩いてみても、丘という丘が蜜柑畑みかんばたけで、若い娘たちが快活そうに唄い唄い、はさみの音をさせながら蜜柑を採っているのでした。何か南国的といいたいほど、明るい生活気分にみちみちているようなのが、僕にはまったくおもいがけなく思われました。――が、そういう蜜柑山の殆どすべてが、ことによったら古代の古墳群のあとなのかも知れません。そんな想像が僕の好奇心を少しくそそのかしました。
 次ぎの日――きのうは、恭仁京くにのみやあとをたずねて、瓶原にいって一日じゅうぶらぶらしていました。ここの山々もおおく南を向き、その上のほうが蜜柑畑になっていると見え、静かな林のなかなどを、しばらく誰にも逢わずに山のほうに歩いていると、突然、上のほうから蜜柑をいっぱい詰めた大きなかごを背負った娘たちがきゃっきゃっといいながら下りてくるのに驚かされたりしました。ながいこと山国の寒くせさらぼうたような冬にばかりなじんで来たせいか、どうしても僕には此処はもう南国に近いように思われてなりませんでした。だが、また山の林の中にひとりきりにされて、急にちかぢかと見えだした鹿背山かせやまなどに向っていると、やはり山べの冬らしい気もちにもなりました。……
 きょうは、朝のうちはなんだか曇っていて、急に雪でもふり出しそうな空合いでしたが、最後の日なので、おもいきって飛鳥ゆきを決行しました。が、畝傍山うねびやまのふもとまで来たら、急に日がさしてきて、きのうのように気もちのいい冬日和ふゆびよりになりました。三年まえの五月、ちょうど桐の花の咲いていたころ、君といっしょにこのあたりを二日つづけて歩きまわった折のことを思い出しながら、大体そのときと同じ村々をこんどは一人きりで、さも自分のよく知っている村かなんぞのような気やすさで、歩きまわって来ました。が、帰りみち、途中で日がとっぷりとれ、五条野ごじょうのあたりで道に迷ったりして、やっと月あかりのなかを岡寺の駅にたどりつきました……
 あすは朝はやく奈良を立って、一気に倉敷を目ざして往くつもりです。よほど決心をしてかからないことには、このままこちらでぶらぶらしてしまいそうです。見たいものはそれは一ぱいあるのですから。だが、こんどはどうあっても僕はエル・グレコの絵を見て来なければなりません。なぜ、そんなに見て来なければならないような気もちになってしまったのか、自分でもよく分かりません。僕のうちの何物かがそれを僕に強く命ずるのです。それにどういうものか、こんどそれを見損ったら、一生見られないでしまうような焦躁しょうそうのようなものさえ感ぜられるのです。――で、僕は朝おきぬけにホテルを立てるようにすっかり荷物をまとめ、それからやっと落ちついた気もちになって、君にこの手紙を書き出しているのです。こんどこちらにちょっと来ているうちにいろいろ考えたこと――というより、三年まえに君と同道してこの古い国をさまよい歩いたときから僕のうちにきざしだした幾つかの考えのうちでも、まあどうやらこうやら恰好のつきだしているものを、ともかくも一応君にだけでも報告しておきたいと思うのです。

    ※(アステリズム、1-12-94)

 その三年前のこと、僕はいままでの仕事にも一段落ついたようなので、これから新らしい仕事をはじめるため、一種の気分転換に、ひとりで大和路をぶらぶらしながら、そのあたりのなごやかな山や森や村などを何んということなしに見てまわって来るつもりでした。それが急に君と同伴することになり、いきおい古美術に熱心な君にひきずられて、僕までも一しょう懸命になって古い寺や仏像などを見だし、そして僕の旅嚢りょのうはおもいがけなくも豊かにされたのでした。きょう僕がいろいろな考えのまにまに歩いてきた飛鳥の村々にしたって、この前君と同道していなかったら、きょうのようには好い収穫を得られなかったのではないかと思います。もし僕ひとりきりだったら、僕はただぼんやりと飛鳥川だの、そのあたりの山や丘や森や、そのうえに拡がった気もちのいい青空だのを眺めながら、たのしい放浪児のように歩きまわっていただけだったでしょう。――が、君に引っぱってゆかれるまま、僕はそんなものをついぞ見ようとも思わなかった古墳だの、廃寺のあとに残っている礎石だのを、初夏の日ざしを一ぱいに浴びながら見てまわったりしました。そのときはあんまり引っぱりまわされたので少し不平な位でした。しかし、どうもいまになって考えて見ると、そのとき君のあとにくっついて何気なく見たりしていたもののうちには、その後何かと思い出されて、いろいろ僕に役立ったものも少くはないようです。あの菖蒲池古墳あやめいけこふんのごときは、君のおかげで僕の知った古墳ですが、あれなどはもっとも忘れがたいもののひとつでありましょう。
 そうです、そのときはまず畝傍山の松林の中を歩きまわり、久米寺くめでらに出、それからかるや五条野などの古びた村を過ぎ、小さな池(それが菖蒲池か)のあった丘のうえの林の中を無理に抜けて、その南側の中腹にある古墳のほうへ出たのでしたね。――古代の遺物である、筋のいい古墳というものを見たのは僕にはそれがはじめてでした。丘の中腹に大きな石で囲った深い横穴があり、無慙むざんにもこわされた入口(いまは金網がはってある……)からのぞいてみると、その奥の方に石棺らしいものが二つ並んで見えていました。その石棺もひどく荒らされていて、奥の方のにはまだ石のふたがどうやら原形を留めたまま残っていますが、手前にある方は蓋など見るかげもなくこわされていました。
 この古墳のように、夫婦をともに葬ったのか、一つの石廓せっかくのなかに二つの石棺を並べてあるのは比較的に珍らしいこと、すっかり荒らされている現在の状態でも分かるように、これらの石棺はかなり精妙に古代の家屋を模してつくられているが、それはずっと後期になって現われた様式であること、それからこの石棺の内部は乾漆かんしつになっていたこと、そして一めんに朱で塗られてあったと見え、いまでもまだところどころに朱の色が鮮やかに残っているそうであること、――そういう細かいことまでよく調べて来たものだと君の説明を聞いて僕は感心しながらも、さりげなさそうな顔つきをしてその中をのぞいていました。その玄室げんしつの奥ぶかくから漂ってくる一種の湿め湿めとした気とともに、原始人らしい死の観念がそのあたりからいまだに消え失せずにいるようで、僕はだんだん異様な身ぶるいさえ感じ出していました。――やっとその古墳のそばを離れて、その草ふかい丘をずんずん下りてゆくと、すぐもう麦畑の向うに、橘寺のほうに往くらしい白い道がまぶしいほど日にかがやきながら見え出しました。僕たちはそれからしばらく黙りあって、その道を橘寺のほうへ歩いてゆきました。……

    ※(アステリズム、1-12-94)

 そうやって君と一しょにはじめて見たその菖蒲池古墳、――そのときはなんだかすさんだ、古墳らしい印象を受けただけのように思っていましたが、だんだん月日が立って何かの折にそれを思い出したりしているうちに、そのいかにもさりげなさそうに一ぺん見たきりの古墳が、どういうものか、僕の心のうちにいつも一つの場所を占めているようになって来ました。――いわば、それは僕にとっては古代人の死に対する観念をひとつの形象にして表わしてくれているようなところがあるのでありましょう。いつごろからそういう古代人の死の考えかたなどに僕が心を潜めるようになったかと云いますと、それは万葉集などをひらいて見るごとに、そこにいくつとなく見出される挽歌ばんかの云うに云われない美しさに胸をしめつけられることの多いがためでした。このごろようやくそういう挽歌の美しさがどういうところから来ているかが分かりかけて来たような気がします。
 先ず、古代人の死に対する考えかたを知るために、あの菖蒲池古墳についてかんがえて見ます。あの古墳に見られるごとき古代の家屋をいかにも真似たような石棺様式、――それはそのなかに安置せらるべき死者が、死後もなおずっとそこで生前とほとんど同様の生活をいとなむものと考えた原始的な他界信仰のあらわれ、或いはその信仰の継続でありましょう。しかし、僕たちが見たその古墳のように、その切妻形の屋根といい、浅く彫上げてある柱といい、いかにもその家屋の真似が精妙になってきだすのと前後して、突然、そういう立派な古墳というものがこの世から姿を消してしまうことになったのです。これはなかなか面白い現象のようです。勿論、それには他からの原因もいろいろあったでしょう。だが、そういう現象を内面的に考えてみても考えられないことはない。つまり、そういう精妙な古墳をつくるほど頭脳の進んで来た古代人は、それと同時にまた、もはや前代の人々のもっていたような素朴な他界信仰からも完全にぬけ出してきたのです。――一方、火葬や風葬などというものが流行はやってきて、彼等のあいだには死というものに対する考えかたがぐっと変って来ました。それがどういう段階をなして変っていったかということが、万葉集などを見ているとよく分かるような気もちがします。……
 たとえば、巻二にある人麻呂の挽歌。――自分のひそかに通っていたかるの村の愛人が急に死んだ後、或る日いたたまれないように、その軽の村に来てひとりで懊悩おうのうする、そのおりの挽歌でありますが、その長歌が「……かるの市にわが立ち聞けば、たまだすき畝傍うねびの山に鳴く鳥の声も聞えず。たまぼこの道行く人も、ひとりだに似るが行かねば、すべをなみ、いもが名呼びて袖ぞ振りつる」と終わると、それがこういう二首の反歌でおさめられてあります。

秋山あきやま黄葉もみぢしげまどはせるいもを求めむ山路やまぢ知らずも
もみぢの散りゆくなべにたまづさの使つかひを見ればひし日おもほゆ

 丁度、晩秋であったのでありましょう。彼がそうやって懊悩しながら、軽の村をさまよっていますと、おりから黄葉がしきりと散っております。ふと見上げてみると、山という山がすっかり美しく黄葉している。それらの山のなかに彼の愛人も葬られているのにちがいないが、それはどこいらであろうか。そんな山の奥ぶかくに、彼女がまだ生前とすこしも変らない姿で、なんだか道に迷ったような様子をしてさまよいつづけているような気もしてならない。だが、それが山のどこいらであるのか全然わからないのだ。……
 そんなことを考えつづけていると、突然、誰か落葉を踏みながら自分のほうに足早に近づいてくるものがある。見ると、ふみはさんだあずさの木を手にした文使ふづかいである。ふいと愛人のふみを自分に届けに来たような気がして、おもわず胸をおどらせながら立ち止まっていると、落葉の音だけをあとに残してその文使いは自分の傍を過ぎていってしまう。突然、亡き愛人と逢った日の事などが苦しいほど胸をしめつけてくる。
 そういう情景がいかにもまざまざと目の前によみがえって来るようであります。それだけで好い。その軽の村がどういうところであるかも、その歌がおのずから彷彿ほうふつせしめている。その藤原京ふじわらきょうのころには、京にちかい、この軽のあたりには寺もあり、森もあり、池もあり、いちなどもあったようであります。その死んだ愛人などもよくその市に出て、人なかを歩いたりしたこともあったらしい。そしてその路からは畝傍山がまぢかに見え、そのあたりには鳥などもむらがり飛んでいたのでありましょう、――今もまだその軽の村らしいものが残っております。その名を留めている現在の村は、やぶの多い、見るかげもなく小さな古びた部落になり果てていますが、それだけに一種のいい味があって、そこへいま往ってみても決して裏切られるようなことはありません。
 低い山がいくつも村の背後にあります。そういう低い山が急に村の近くで途切れてから、それがもう一ぺんあちこちで小丘になったり、森になったり、藪になったりしているような工合の村です。そういう村の地形を考えに入れながら、もう一ぺんさっきの歌を味わってみると、一層そのニュアンスが分かって来るような気がします。
 すこし横道にそれてしまいましたので、本題に立ちかえりましょう。僕はその人麻呂の挽歌――就中なかんずくその第一の反歌のなかに見られる、死に対する観念をかんがえて見ようとしていたのでした。

秋山あきやま黄葉もみぢあはれとうらぶれて入りにしいもは待てど来まさず

 これは巻七のくさぐさの挽歌のなかに出てくる作者不詳のものであります。非常に人麻呂の歌と似ていて、その影響をたぶんに受けて出来たものとおもわれますが、とにかくそれで見ても、こういうような愛する者の死に対する思想が、たんへん当時の人々に気に入られたということが分かるのであります。――その当時はもう原始的な他界信仰から脱して人々は漸くわれわれと殆ど同じような生と死との観念をもちはじめていたのにちがいありません。だが、自分の愛しているものでも死んだような場合には、死後もなお彼女が在りし日の姿のまま、その葬られた山の奥などをしょんぼりとさすらっているような切ない感じで、その死者のことが思い出されがちでありましょう。そういう考え方はつての他界信仰の名残りのようなものをおおく止めておりますが、半ばそれを否定しながらも、半ばそれを好んで受け入れようとしている、――すくなくとも心のうえではすっかりそれを受け入れてしまっているのであります。そうしてまた一方では、そういう愛人の死後の姿をできるだけ美化しようとする心のはたらきがある。……そういうさまざまな心のはたらきが、ほとんど無意識的に行われて、なんの造作もなくすうっと素直に歌になったところに、万葉集のなかのすべての挽歌ばんかのいい味わいがあるのだろうと思われます。
 かるの村の愛人の死をいたんだ歌とならんで、もう一首、人麻呂がもうひとりの愛人(こちらの愛人とは同棲どうせいをし、子まであった)の死を悲しんだ歌があり、それにも死者に対する同様の考えかたが見られます。「……大鳥おおとりがひの山に、わが恋ふるいもはいますと人のいへば、岩根いわねさくみてなづみ来し、よけくもぞなき。現身うつそみとおもひしいもが、玉かぎるほのかにだにも見えぬ、思へば。」――人は死んでしばらくの間は山の奥などに生きているときとすこしも変らない姿をして暮らしているものだと、老人などのいうことを聞いて、亡くなった妻恋いしさのあまりに、もしやとおもって、岩を踏み分けながら、骨を折って山のなかを捜してみたが、それも空しかった。ひょっとしたら在りし日さながらの妻の姿をちらりとでも見られはすまいかと思っていたが、ほんの影さえも見ることができなかった。――これはその長歌の後半をなしている部分ですが、ここにも人麻呂の死に対する同様の観念があらわれております。――すこしそれが露骨に出すぎている位で、いかにも情趣のふかい前の歌ほど僕は感動をおぼえません。でも、「大鳥おおとりがひの山」などというその山の云いあらわしかたには一種の同情をもちます。翼を交叉こうささせている一羽の大きな鳥のような姿をした山、――何処にあるのだか分からないけれども、なんだかそんな姿をした山が何処かにありそうな気がする、そんな心象を生じさせるだけでもこの山の名ひとつがどんなに歌全体に微妙に利いているか分かりません。いろいろな学者が「大鳥おおとりの」を枕詞まくらことばとして切り離し、「羽買山はがひやま」だけの名をもった山をいろいろな文献の上から春日山の附近に求めながら、いまだにはっきり分からないでいるようであります。勿論、学としてはそういう努力が大切でありましょうが、これを歌として味わう上からは、そういう羽買山ではなしに、何処かにありそうな、大きな鳥の翼のような形をした山をただぼんやりと浮かべて見ているだけの方がいいような気がするのです。……
 僕は数年まえ信濃の山のなかでさまざまな人の死を悲しみながら、リルケの「Requiemレクヰエム」をはじめて手にして、ああ詩というものはこういうものだったのかとしみじみとさとったことがありました。――そのときからまた二三年立ち、或る日万葉集に読みふけっているうちに一聯いちれんの挽歌に出逢い、ああ此処にもこういうものがあったのかとおもいながら、なんだかじっとしていられないような気もちがし出しました。それから僕はしずかに古代の文化に心をひそめるようになりました。それまでは信濃の国だけありさえすればいいような気のしていた僕は、いつしかまだすこしも知らない大和の国に切ないほど心を誘われるようになって来ました。……

    ※(アステリズム、1-12-94)

 そういうようにしてっとはじめて大和路に来た三年前のこと、君と一しょに見た、菖蒲池古墳のことから、つい考えのまにまに思わぬことを長ながと書いてしまいましたが、別に最初からどういうことを書こうかと考えて書き出したわけのものでもないので、これはこれとしてお読み下さい。
 ――でも、最初まあそんなものでも書こうとしかけていた僕のきょうの行程を続けてみますと、そうやって軽のあたりをさまよった後、つるぎいけのほうに出て、それから藁塚わらづかのあちこちにうずたかく積まれている苅田のなかを、香具山かぐやま耳成山みみなしやまをたえず目にしながら歩いているうちに、いつか飛鳥川のまえに出てしまいました。ここいらへんはまだいかにも田舎じみた小川です。が、すこしそれに沿って歩いていますと、すぐもう川の向うにいかずちの村が見えてきました。土橋があって、ちょっといい川原になっています。僕はそこまで下りて、小さな石に腰かけながら浅いながれに目をそそいでいました。なんだか鶺鴒せきれいでもぴょんぴょん跳ねていたら似合うだろうとおもうような、なんでもない景色です。それから僕は飛鳥の村のほうへ行く道をとらずに、甘橿あまがしおかの縁を縫いながら、川ぞいに歩いてゆきました。ここいらからはしばらく飛鳥川もたいへん好い。このまえ五月に君と一しょに歩いたときからよほど僕の気に入ったものと見えます。あのときにはあそこの丘の端に桐の花が咲いていた、このへんの道ばたには一もと野茨のいばらの花も咲いていたと、そんな小さな思い出までも浮かんでくる位なのです。……
 こんなことをまた書き出していたらきりがありません。もうおもい切ってここいらで筆をおきます。――その日の夕がた、最後のバスに乗りおくれた僕はしようがなく橘寺をうしろにして一人でてくてく歩き出しました。途中で夕焼けになり、南のほうに並んでいる真弓まゆみの丘などが非常に綺麗に見えました。それから僕はせっかくその前まで来ているのだからと思って、菖蒲池古墳のある丘を捜してそこまで上がっていって見ました。が、その古墳の前まで辿たどりついたときにはもう日がとっぷりとれて、石廓せっかくのなかはほとんど何も見えない位でした。それでも僕はバスに乗りおくれたばかりにもう一度それが見られて反って好いことをしたと思いながら、もと来た道を引っかえして再び駅のほうへ薄暮のなかを歩いてゆきました。それからまた五条野のあたりで道に迷って、やっと駅にいたときは月の光を背に浴びていたことは前にも書きました。
 もう大ぶ夜もふけたようです。あすからの旅のことを思いながら、ちょっと部屋の窓をあけてみたら、凄いような月の光のなかに、荒池がほとんど水をらしてところどころ池の底のようなものさえ無気味に見せています。僕はなんということもなしに複製で見たエル・グレコの絵を浮かべました。――こんやはどうも寝たくはないような晩だけれども、あすの朝は早いのだし、それに四時間ばかり汽車にも乗らなければならないのだから、なんとかうまくあやして自分を寝つかせましょう。
一九四一年十二月四日、奈良ホテルにて
「冬になって、雪がふったら、すぐ知らせて下さい。そのときはきっと、一人ででもやって来ますから。……」
 その山の村にとうとう居残って冬を越すことになったK君夫妻に僕はその秋のなかばその村を立ち去るとき、そう云い残していった。
「……けさほどから急に雪がふりだしていますの。この分では大ぶ積りそうですので、主人が早くお知らせした方がいいと申しますから、これからこの手紙をもって雪のなかを郵便局まで一走りいたします」
 ――万里子まりこさんからそう云ってよこしたのは、もう十二月も末近かった。
 僕はまえから雪の信濃路を見たがっていた学生のM君を誘ったり、一しょに往く筈だった妻の都合が悪かったりして、すこし出かけるのに手間どり、妻だけ二三日あとから来させることにして、漸っとその小さな冬の旅に出たのは、それから四五日たってからのことだった。……
 ゆうがた着いたその山の村には、数日まえの雪はもう殆ど消え、林の中などにところどころわずかに雪らしいものが残っているきりだった。そんな一つの林の奥に、K君たちが冬ごもりをしている山小屋がある。
「まあ、よくいらっしゃいました」その小屋の中から飛びだしてきて僕たちを出むかえた万里子さんは、一とおり挨拶がすむと、さも困ったように大きい目をしてまじまじと僕の方を見ながら言った。「――でも、もうすっかり雪がなくなってしまっていて。なんだか……」
「いやあ、雪なんぞはどうでもいいですよ。」
 僕はあわてて手をふりながら、それを遮った。
「こないだの雪は午前中ふったきりでしたの。大ぶ積ったことは積りましたけれど、午後から日があたって見る見るとけていってしまうので、あんな手紙なんか出してしまって、気が気でありませんでしたわ。――でも、まだあそこいらには少しばかり残っていますの。」
 もう薄暗くなり出している林の奥のほうにまだいくらか残雪が何かの文様もようのようにみえるのを、万里子さんはすこし気まり悪そうにして示した。
 僕はもうそんなものはどうでもよかったが、すっかり葉が落ちて林の中がどこまでも透いてみえたりするのを珍らしそうに見ているM君におつきあいして、そのまましばらく三人でそこに立って見ていた。そのうち小屋のかげからボブが飛び出してきた。
「ボブ、駄目よ。……」万里子さんはその人なつこい犬が泥足でもって僕のほうに飛びかかろうとするのを、すばやく捕まえた。
「よう。」K君が小屋の中から首だけ出して僕たちに声をかけた。「何をしているんだい。寒いだろう。」
「こないだの雪をお見せしていますの。」万里子さんはボブがもがくのをっとおさえつけながら言った。
「雪なんぞはもうありあしないだろう。」寒がりのK君はうちの中でも頸巻くびまきをしたままで、小屋から出て来ようともせずに僕たちを促した。「早くはいりたまえ。」

「さっきここの林のいりぐちで、クルツといったかな、あの、変な女を見かけたが、なんだか夏とは見ちがえるような、凄い毛皮の外套を着て、真紅なベレかなんぞかぶって、気どった風に歩いていたが、こんな冬の村に一人きりで何をしているんだろう?」僕は煖炉だんろで体が温まると、突然その不思議な女のことを思いながら言った。
「では、きょうまた見にきたのでしょうか。これで三度目ですわ、」万里子さんは急に目を大きくして、頸巻をしたまま煖炉の火を掻きまわしていたK君のほうを見た。
「なんだかよく来るね。」K君はやっと手を休めながらその話に加わった。「このすこし向うに、十一月ごろまでいた独逸人ドイツじんの一家がいてね、それがクリスマス頃になったらまた来るからと云って、一時引き上げていったのさ。――その人達がまだ来ていないかどうかと、そうやってもう二週間ぐらいも前から、毎日のようにその女が様子を見にくるのだよ。二三度、僕たちのところにも立ち寄って、何か心配そうに様子をきくので、こっちでもその度に相手になってやっていたが、問い合わせの手紙でも出したらどうかと云うと、ただ首をふっているきりなのだ。もうその家では来ないことが分かっているのだ。それだのにこの頃は一日のうちに二度も三度もやって来るんだ。いつもあの毛皮の外套をきて、紅いベレをかぶって。――そうしてその度に、僕たちの家の中をじいっと見てゆくんだ。それをまた万里子が薄気味わるがってね。……」
「結局、一人でさびしくってしようがないんだな。こっちにいる他の外人とは全然つきあわないのかい。」
「どうもその女だけけものにされているらしい。村の人にきくとあの女はしようがありませんと云って、てんで相手にならないんだ。」
「そんななのかい。――僕はどういう素性の女かよく知らないが、夏なんぞその女が奇妙ななりをして、買物袋をぶらさげながらなんだかしょぼしょぼして歩いているのを見かけては、何者だろうとおもっていたんだがね。あれで、この夏聞いたことだが、恋人がいるんだそうだ。毎夏やってくるハンガリイの音楽家でね、その男と町などで逢うと、人中だろうと何だろうと構わずに立ち止まって、黙ってその音楽家の顔を穴のあくほどじっと見つめているのだそうだよ。それがもうかれこれ十年来の意中の人なのだそうだ。」
「あの女にもそんな話がね。」K君はうなずいていた。
 「どうもこんなところに来ている外人には突拍子とっぴょうしもない奴がいるものだな。――夏あんなに見すぼらしいなりをしていた女が、冬になって誰れもいなくなると、急にすばらしい毛皮の外套なんぞを着込んで林の中をあるいていようなんて、想像もできないことだよ。だが、ああして一人っきりでもって、よく暮らしていられるものだなあ」
「本当によく暮らしているね。……」K君も考え深そうに答えた。
「だが、人のことよりか、君も寒がりのくせに、こんなところでよく我慢しているね。――どうして暮らしているだろうと、ときどき噂をしていたよ。」
「暮らそうとおもえば、どんなことをしても暮らせることが分かったよ。それに寒さだって、こういうものだと思ってしまえば、いくらでも我慢していられるね」
「でも、万里子さん。」と僕は言葉をはさんだ。「あなたの方の為事しごとは大へんでしょう?」
「そんなでもありませんわ、いまのところ何んにも困りませんの。」万里子さんはそんな事はいかにも何んでもなさそうな答えかたをした。
「そりあ困らないわけさ、一週間も同じものばかり食べさせられていても、僕はなんにも言わないんだもの。」K君はそうは言っても、すこしも不平そうではなかった。むしろ、そういう山のなかの簡素な暮らしを好んでいるようにさえ見えた。
 夕食は、しかし山のなかでは思いがけない御馳走だった。ひさしぶりに四人で鳥鍋をかこみながら身も心も温かになって、世はさまざまな話をするのはたのしかった。
 僕はこの秋から冬にかけてひとりで旅して歩いた大和路のことを話した。それからその旅のおわりに、エル・グレコの絵を見てきたことなども話した。――その倉敷という小さな町まで五時間もかかって往って、やっとそこの美術館にたどりつき、画廊にはいるなり、すぐエル・グレコの絵に近づいて見ると、それは思ったより小さなものだったが、いかにも凄い絵で、一ぺんではねつけられ、しかたなく他のゴッホやロオトレックなどを一とおり丁寧に見て歩いてから、一番最後に再びそれに近づいたら、こんどはやっと少し平静な気分でその絵に向えたことなど話しながら、エル・グレコなんぞの絵の自分たちにとって、なまやさしいものでないことをしみじみと告白した。
「それもごく小さな「受胎告知図」なんだがね。そこでは、この抒情的な画題に対していだいている僕たちの観念がものの見事に粉砕せられてしまっているのだ。天使は天使で、闇のなかから突然ぎらぎらと光を発する異常なものとして描かれているし、その天使のほうを驚いて見あげている処女の顔も何かただならぬように見える。すべてがいかにも悲劇的な感じなのだ。……こんどはこの一枚だけでもよく見てゆこうとおもって、ずいぶん一所懸命になって見てきたつもりだが、どうしてもまだその絵が分かったようで分からない。そう、分らないというより、なんだかこんな絵がこんなところに来ているのが不思議な気がしてくるのだ。なんだかそれがあるべき場所にいないような……それほど何か異様なのだ……」
「そのグレコの絵は僕も見たいね。」K君は何かじっと煖炉だんろの上の空間を見入っているらしかった。
「こうやって火をいていると夜でもちっとも淋しくないでしょう。」僕はふいと万里子さんのほうを向いて言葉をかけた。いつのまに台所からはいって来たのか、万里子さんの足もとにはボブが温かそうにうずくまりながら、僕たちの団欒だんらんのなかに加わっていた。
「――僕ははじめてここで冬を越すことになったとき、夕方になるといつも淋しくって淋しくってどうしようかとおもうのだけれど、すっかり夜になって火をどんどん焚きはじめると、もうちっとも淋しくなくなったものでしたよ。」
「本当に。」万里子さんは大きい目でしげしげと僕のほうを見かえしながら、深くうなずいた。
 それからまた煖炉を前にして、ひとしきりさまざまな話がはずんだ。……
 その夜十時過ぎ、僕たちは宿に引き上げることにした。K君たちもそこまでちょっと送ろうといって頸巻くびまきをしたり、外套がいとうをきたりしだしていた。もういいからとことわっても、一しょに小屋を出た。ボブもあとからくっついてきた。夜の空気は稀薄で、痛いように冷え切っていた。僕たちはあすは何処かもっと山の方――菅平すがだいらか、野辺山のべやまあたりまで出かけ、妻がこちらに来る頃にまた戻ってくることを約束して林のはずれで別れた。
 僕たちはそれから沈黙がちに、枯木の下を抜け抜け、僕たちの靴に踏まれて凍った土の割れる音を耳にしながら、歩いていった。するともう一つ、ときどき何処かから、それとはちがった、硬い、金属的なかすかな音が聞えて来た。
「あれは何んの音でしょう?」M君がいぶかしそうにいた。
「ああ、あれかい。あれは、君、枯枝と枯枝とが風でぶつかる音だよ。――ほら、ああやってちょっとぶつかるだけでも、ずいぶん鋭い音を立てるだろう。空気がぱりぱりになっているのだね。……」
 そう言いながら、一しょに頭上の梢をみあげていると、絶えずかすかに揺れている枯枝の網を透いて、一めんの星空だった。そうしてその星のひとつひとつが東京なんぞの空で見えるよりかずっと大きく見えた。
 突然、右手の空家の庭の一隅で、がさがさとたまった落葉がひっかきまわされるような音がきこえた。何か白いものがそこいらをひとりで駈けずりまわっていた。
「ボブ!」僕はそのほうへ声をかけて見た。
 すると、まるでその木魂こだまのように、向うの林の奥から「ボブ!」と呼ぶ声がかすかにした。
「いまのは万里子さんらしいね。静かだなあ。なんだか、こう、ひさしぶりで昔の冬に出逢ったような気もちがしてならないよ。……」
「またこちらで冬をお越しになりませんか?」M君はさもそれが何んでもないことのように言った。
「そういうこともときどきは考えている。……」僕はただそう言ったぎりだった。
 僕たちはまた凍った土を踏み割りながら、しずかに歩き出した。

    ※(アステリズム、1-12-94)

 翌日。僕たちは朝はやく小諸こもろまで往き、そこから八つが岳の裾野を斜に横切るガソリン・カアに乗り込んだ。もう冬休みになっていても、この山麓地方さんろくちほうはあまりスポルティフではないので、乗客は僕たちのほかはみんな土地の人たちらしかった。
 南佐久みなみさくの村々の間をはじめの一時間ばかりは何事もなく千曲川に沿ってゆくだけだが、そのうち川辺の風景が少しずつ変ってきて、白楊はこやなぎかばの木など多くなり、石を置いた板屋根の民家などが目立ちだした。そうしてそれらの枯木だの、家だのの向うに、すっかり晴れ切った冬空のなかに、真白な八つが岳の姿がくっきりと見えるようになって来た。
 そうやってまだ人家のおおい平原を横切りながら、ぐんぐんと雪のある山に近づいてゆく一種の云い知れない快感を満喫しながら、僕は時々、物陰などにまだ残っている雪の工合などへも目を配っていた。
「この分では、野辺山までいっても雪は大したことはなさそうだぜ。」
 僕はそんなことを口ごもったりした。
「そうですかしら。」M君はもう見当がつかないような様子をして、ただ窓の向うに白くかがやいている八つが岳のほうを見つづけていた。
 そのうち、だんだん谷間のようなところにはいり出す。しばらくはもう山々ともお別れだ。そうして急に谷川らしくなりだした千曲川の流れのまん中に、いくつとなく大きな石がころがっているのばかり目に立ってくる。そんな谷の奥の、うんくちという最後の村を過ぎてからも、ガソリン・カアはなおも千曲川にどこまでも沿ってゆくように走りつづけていたが、急に大きなカアブを描いて曲がりながら、楢林ならばやしかなんぞのなかを抜けると、突然ぱあっと明かるい、広々とした高原に出た。そうしてまだ雪もかなり沢山残っているその草原の向うの一帯の森のうえに、真白な八つが岳――そのうちでも立派な赤岳と横岳とが並んでそびえ立っていた。
「高原というのは、こうやってそこへ出た時の最初の瞬間がなんとも云えず印象的でいいな。」僕はそういう目付をしてM君の方を見た。
 やがて、野辺山駅に着いた。白い、小さな、瀟洒とした建物で――いや、もうそんなことはどうでもいいことにしよう。――それよりか、僕はその小さな駅に下りかけて、横書きの「野辺山」という三文字が目に飛びこんできた途端に、なにかおもわずはっとした。いままではさほどにも思っていなかった「野辺山」という土地の名がいかにも美しい。まあ何んという素樸そぼくな呼びかたで、いい味があるのだろう。そうして此処まで来て、その三文字をなにげなく口にするとき、はじめてそのいい味の分かるような、それほどこの土地の一部になりきってしまっている純粋な名なんだなとおもった。……
 その高原の駅に下りたのは僕たちのほかには、二人づれの猟師が一組あるきり。――その猟師たちは駅員と一しょになっておりに入れられてきた猟犬をとり出しにかかっていた。
 そこで僕たちは二人きりで駅のそとに出たが、其処はいちめんの泥濘だった。駅の附近には、一棟の舎宅らしいもののほか、二軒ばかり休み茶屋みたいなものがあったが、どちらも戸を閉ざしていた、――そんなところで一休みして、簡単に腹でもこしらえながら、それからどこをどう歩くか考えてみるつもりだった。そこへいってみれば、大体どうすればいいかがひとりでに分かってくるだろう位に、僕はいつもの流儀で高をくくっていた。
 だが、すぐ目のさきに赤岳だの横岳だのがけざやかに見えていながら、この泥濘の道ではどうしようもない。せっかくの野辺山が原もいい気もちになって歩きまわるわけにゆきそうもない。それに、もうひる近い。なんとか腹をこしらえないことには。……
「あそこに何か為事しごとをしている人たちが見えるな。あの人たちに訊いたら、すこしはこのへんの様子が分かるかもしれない。」
 僕はM君にそう言い、ひどい泥濘の中にはいり込まないように、道のへりのほうを歩きながら、旧街道らしいものの傍らで、二人の法被はっぴすがたの男がせっせと為事をしている方へ近づいていった。
 が、だんだんそっちへ近づいていって見ると、その男たちが何か荒ら荒らしい手つきで皮をいているのは兎であるのが分かってきた。そうしてまだ生ま生ましいような皮がいくつももう板に拡げて張りつけられてあるのが見え、皮をがされた肉の塊りが道ばたまでころがり出していた。
「こいつはかなわないや。一番の苦が手だ。もう一ぺん駅までひっかえして、いてみよう。」
 僕はさっさとそっちへ背を向けて、もう泥濘の中だろうとなんだろうと構わずに、その街道を突っ切りだした。そのときひょいと目を上げると、ちょうど鼻のさきに小さな道標が立っている。それでみると右が板橋、左が三軒屋。両方とも約二キロ位。――そうそう、板橋という部落はなんだか聞いたことがある。たしか、そこにはわびしい旅籠屋はたごやなんぞもあったはずだ。二粁ぐらいなら、思い切って往ってみようかと、M君と相談していると、――その板橋のほうへ通じている、片方は林で、もう一方は草原になった、真直な街道を、何処からどう抜け出したのか、さっきちらりと駅で見かけた猟師が二人、大きな猟犬を先立てながら、さっさと歩いてゆくのが見える。
「往こう。」と僕は言った。
「ええ。」M君もそれにすぐ応じた。
 僕たちはその猟師たちのあとを追うようにしてその街道を歩き出した。どこもかもひどい泥濘だが、道のへりなどにはまだすこし雪が残っている。そんな雪のうえを択んで歩き歩き、ときどき片側の枯木林を透かしながら赤岳だの横岳だのをちかぢかと目に入れたり、もう一方の、まだかなり雪が残っていそうな、果てしなく広い草原のはるかかなたを、甲武信こぶしの国境の薄白い山々がくぎっているのを眺めたりしていると、なかなか好いことは好い。日光もほどよく温かで、こうして歩いているとすこし汗ばんでくる位。――だが、ものの十分とたたないうちに、僕たちの前方を歩いていた猟師たちは、急に林の中へでもはいってしまったのか、もう影も形も見えない。そのかわりに、いつのまにか、僕たちの背後には重そうなかばんを背負った郵便配達夫がひとり姿をあらわし、黙々として泥濘のなかを歩きつづけながら、傍目もふらずに僕たちを追い越そうとしているのだった。――僕たちも何かそれにつりこまれたように、ふたりとも急に黙り合って、ぼんやりと立ち止まったまま、その郵便配達夫の通り過ぎるのを見送っていた。
 僕たちはとうとう二人きりになってしまうと、別にいそぐ旅でもないので、雪のまだかなりありそうな草原のほうへちょいとはいっていって見た。雪は、しかし、其処にもそうたんと残ってはいない。ただ遠くから見た目に何んとなくそう見えるだけのものらしい。が、そんな少しばかり雪の残った草原のまんなかに立って見ると、あちこちに一本ずつ離れ離れに立っているかばの木なんぞが、その変に枝をねじらせている工合までも、何かなつかしく思われてくる。
「こういう高原の木は、どこか孤独の相のようなものを帯びているね。」僕はふとM君にそう言ってみたが、それだけではまだなんだか言い足りないような気がした。
 それから僕たちはそのまま、その草原の雪のうえを歩いてみていたが、なかなか道がはかどらない。そこで、またさっきの街道のほうへ出ることにした。
 みると、こんどはその街道をやはり板橋のほうへ向かって、一匹の牝山羊をつれた女が、こう、すこし首をうなだれるようにして歩いてゆく。まだ若い女らしい。
 冬の真昼、ときどきまぶしく光つている雪原、風のために枝のねじれた樹木、それらのすべてを取り囲んでいる雪の山々、――そういう自然の中からひとりでに生れてきたようなその羊飼いの女。……
「まるでセガンティニの女みたいだね。」僕はおもわず小さく叫んだ。「あの首のうなだれ方までそっくりだな。」
「セガンティニは僕はあの倉敷の美術館にあるのしか知らないな。」
 M君は僕の言葉をそのまま受けいれるにはすこし自信がなさそうだ。
「そりあ知らないといえば、僕だってなんにも知らないようなものだがね、ただまあひょいとそんな聯想れんそうがうかんだんだ。」僕の方でもそんな云いわけをした。「そういえば、あそこにもアルプスの絵かなんかあったね。あれはどんな絵だったかな?」
「たしか真昼の牧場の絵で、アルプスが遠く見え、前のほうに羊飼いの女の立っているような構図だったとおもいますが。……」
「ああ、それで思い出した。なんだかこう妙にねじくれた白樺の木にその女がもたれているんだろう。……」僕はそこの美術館ではエル・グレコの絵しか見て来なかったような気がしていたが、セガンティニのような特異な絵はやはり注意して見ていたものと見える。さっき草原に立った木をなつかしそうに見ながら、何かいまにも思い出せそうでまだ思い出せずにいるものが、その殆ど忘れかけていたセガンティニの絵に描かれた白樺の木とも何か関係のありそうなことをふいと感じた。だが、それはまだ僕のうちでもはっきりとしていない。……
 僕たちはその牝山羊をつれた若い女に追いつこうとして、いそいで泥濘の街道に出て、再び道ばたの雪を拾いながら歩きはじめた。が、そんなことをしてうやっと歩いている僕たちは、泥濘のなかをも平気で歩いてゆくその牝山羊をつれた女にもずんずん引き離されてしまった。そうしていつのまにか、また僕たち二人きりにされてしまった。
 そんな調子でいくら歩いていっても、野辺山が原は尽きそうもない。もうかれこれ一時間ぐらいは歩いているだろう。腹もへってきているし、もうおしゃべりをする元気もなく、二人とも泥だらけになった靴をただ重そうに運んでいるきりになった。――そうして僕はもう口には出さずに、昔小さな本で読んだことのあるセガンティニの美しい生涯などを考えつづけていた。セガンティニには、アルプスの高原の自然のなかに――いわば人間の住める自然のぎりぎりの限界のようなところに人間を置いて描いているような絵が多いが、その絵がどれもこれも妙に人なつこい。人間の世界から離れれば離れるほど、そしてそこに描かれてあるアルプスの風景がいよいよきびしければきびしいほどセガンティニの絵のもっている人なつこさはいよいよ切実になってくる。――そこにセガンティニの絵の写真を見ただけでも、僕たちが何か心を動かされるものがありはすまいか。……そうだ、僕がさっき草原に立った木をしみじみと見ているうちに、ふいと何か思い出せそうで思い出せずにいたもの、そのために知らず知らず心を一ぱいにさせていたもの、それはそんな木の或る恰好かっこうばかりではなしに、こういう高原のなかに生を得ているすべての小さな生きもののもっている深い味なのだ。それらのものは、ちょっと見ると、何か近づきがたいような孤独の相を帯びてみえるけれど、それらのものほど人なつこいものはないのだ。それほど切実に、存在の本質にあくがれているものはないのだ。……
 そんなことを考えつづけながら、僕はもう自分の泥だらけになった靴の重たさもさほど苦にしなくなっていた。
「あそこのやぶのなかに馬が二三匹草を食べていますね。もう村が近づいてきたのではないでしょうか。」
 M君は自分の大きな身体をすこし持ち扱かい出しているように見える。
「畠もあるじゃないか。」僕はおもわず声をはずませた。「もう村に着いたようなものだ。」
 いつか僕たちの歩いている街道は草原から離れて、両側が雑木林だの畠だのに変ってきた。そうしてすこし坂道になり出した。そういう地形の変化は、もうさすがの曠野も果てようとしていることを思わせた。それに元気づき、だんだん急になるその坂道をあがってゆくと、その突きあたりに一軒の藁屋根わらやねの家が見え出し、そうしてその家の前の、ちょうど山かげになった道のほとりで、一人のせた老人がそこだけまだ一面に残っている雪をシャベルかなんかで掻きよせていた。
 そこまで坂をあがり切って、その手にしたシャベルにりかかって一息ついている老人に軽く会釈しながら、ふとそのそばを通り過ぎようとした途端、すぐ目のまえに、川を挟んだ小さな部落が見え、そうしてその中ほどには、古びた木橋が一つ、いかにも人なつこそうに、そうして「板橋」という名前をもった村の目じるしのように懸かっていた。そうしていつか私達の眼界から遠ざかっていた八つが岳が、又、ちょうどその橋の真上に、白じろとかがいていた。


「春の奈良へいって、馬酔木あしびの花ざかりを見ようとおもって、途中、木曾路をまわってきたら、おもいがけず吹雪に遭いました。……」
 僕は木曾の宿屋で貰った絵はがきにそんなことを書きながら、汽車の窓から猛烈に雪のふっている木曾の谷々へたえず目をやっていた。
 春のなかばだというのに、これはまたひどい荒れようだ。その寒いったらない。おまけに、車内には僕たちの外には、一しょに木曾からのりこんだ、どこか湯治にでも出かけるところらしい、商人風の夫婦づれと、もうひとり厚ぼったい冬外套ふゆがいとうをきた男の客がいるっきり。――でも、上松あげまつを過ぎる頃から、急に雪のいきおいが衰えだし、どうかするとぱあっと薄日のようなものが車内にもさしこんでくるようになった。どうせ、こんなばかばかしい寒さは此処いらだけと我慢していたが、みんな、その日ざしを慕うように、向うがわの座席に変わった。妻もとうとう読みさしの本だけもってそちら側に移っていった。僕だけ、まだときどき思い出したように雪が紛々と散っている木曾の谷や川へたえず目をやりながら、こちらの窓ぎわに強情にがんばっていた。……
 どうも、こんどの旅は最初から天候の具合が奇妙だ。悪いといってしまえばそれまでだが、いいとおもえば本当に具合よくいっている。第一、きのう東京を立ってきたときからして、かなり強い吹きぶりだった。だが、朝のうちにこれほど強く降ってしまえば、ゆうがた木曾に着くまでにはとおもっていると、ひるすこしまえから急に小ぶりになって、まだ雪のある甲斐かいの山々がそんな雨の中から見えだしたときは、何んともいえずすがすがしかった。そうして信濃境しなのざかいにさしかかる頃には、おあつらえむきに雨もすっかり上がり、富士見あたりの一帯の枯原も、雨後のせいか、何かいきいきとよみがえったような色さえ帯びて車窓を過ぎた。そのうちにこんどは、彼方に、木曾のまっしろな山々がくっきりと見え出してきた。……
 その晩、その木曾福島の宿に泊って、明けがた目をさまして見ると、おもいがけない吹雪だった。
「とんだものがふり出しました……」宿の女中が火を運んできながら、気の毒そうにいうのだった。「このごろ、どうも癖になってしまって困ります。」
 だが、雪はいっこう苦にならない。で、けさもけさで、そんな雪の中をいて、僕たちは宿を立ってきたのである。……
 いま、僕たちの乗った汽車の走っている、この木曾の谷の向うには、すっかり春めいた、明かるい空がひろがっているか、それとも、うっとうしいような雨空か、僕はときどきそれが気になりでもするように、窓に顔をくっつけるようにしながら、谷の上方を見あげてみたが、山々にさえぎられた狭い空じゅう、どこからともなく飛んできてはさかんに舞い狂っている無数の雪のほかにはなんにも見えない。そんな雪の狂舞のなかを、さっきからときおり出しぬけにぱあっと薄日がさして来だしているのである。それだけでは、いかにもたよりなげな日ざしの具合だが、ことによるとこの雪国のそとに出たら、うららかな春の空がそこに待ちかまえていそうなあんばいにも見える。……
 僕のすぐ隣りの席にいるのは、このへんのものらしい中年の夫婦づれで、問屋の主人かなんぞらしい男が何か小声でいうと、首に白いものを巻いた病身らしい女もおなじ位の小声で相槌あいづちを打っている。べつに僕たちに気がねをしてそんな話し方をしているような様子でもない。それはちっともこちらの気にならない。ただ、どうも気になるのは、一番向うの席にいろんな恰好かっこうをしながら寝そべっていた冬外套の男が、ときどきおもい出したように起き上っては、床のうえでひとしきり足を踏み鳴らす癖のあることだった。それがはじまると、その隣りの席で向うむきになって自分の外套で脚をつつみながら本をよんでいた妻が僕のほうをふり向いては、ちょっと顔をしかめて見せた。
 そんなふうで、三つ四つ小さな駅を過ぎる間、僕はあいかわらず一人だけ、木曾川に沿った窓ぎわを離れずにいたが、そのうちだんだんそんな雪もあるかないか位にしかちらつかなくなり出してきたのを、なんだか残り惜しそうに見やっていた。もう木曾路ともお別れだ。気まぐれな雪よ、旅びとの去ったあとも、もうすこし木曾の山々にふっておれ。もうすこしの間でいい、旅びとがおまえの雪のふっている姿をどこか平原の一角から振りかえってしみじみと見入ることができるまで。――
 そんな考えに自分がうつけたようになっているときだった、ひょいとしたはずみで、僕は隣りの夫婦づれの低い話声を耳に挿さんだ。
「いま、向うの山に白い花がさいていたぞ。なんの花けえ?」
「あれは辛夷こぶしの花だで。」
 僕はそれを聞くと、いそいで振りかえって、身体をのり出すようにしながら、そちらがわの山の端にその辛夷の白い花らしいものを見つけようとした。いまその夫婦たちの見た、それとおなじものでなくとも、そこいらの山には他にも辛夷の花さいた木が見られはすまいかとおもったのである。だが、それまで一人でぼんやりと自分の窓にもたれていた僕が急にそんな風にきょときょととそこいらを見まわし出したので、隣りの夫婦のほうでも何事かといったような顔つきで僕のほうを見はじめた。僕はどうもてれくさくなって、それをしおに、ちょうど僕とは筋向いになった座席であいかわらず熱心に本を読みつづけている妻のほうへ立ってゆきながら、「せっかく旅に出てきたのに本ばかり読んでいる奴もないもんだ。たまには山の景色でも見ろよ。……」そう言いながら、向いあいに腰かけて、そちらがわの窓のそとへじっと目をそそぎ出した。
「だって、わたしなぞは、旅先きででもなければ本もゆっくり読めないんですもの。」妻はいかにも不満そうな顔をして僕のほうを見た。
「ふん、そうかな」ほんとうを云うと、僕はそんなことには何も苦情をいうつもりはなかった。ただほんのちょっとだけでもいい、そういう妻の注意を窓のそとに向けさせて、自分と一しょになって、そこいらの山の端にまっしろな花をむらがらせている辛夷の木を一二本見つけて、旅のあわれを味ってみたかったのである。
 そこで、僕はそういう妻の返事には一向とりあわずに、ただ、すこし声を低くして言った。
「むこうの山に辛夷の花がさいているとさ。ちょっと見たいものだね。」
「あら、あれをごらんにならなかったの。」妻はいかにもうれしくってしようがないように僕の顔を見つめた。
「あんなにいくつも咲いていたのに。……」
「嘘をいえ。」こんどは僕がいかにも不平そうな顔をした。
「わたしなんぞは、いくら本を読んでいたって、いま、どんな景色で、どんな花がさいているかぐらいはちゃんと知っていてよ。……」
「何、まぐれあたりに見えたのさ。僕はずっと木曾川の方ばかり見ていたんだもの。川の方には……」
「ほら、あそこに一本。」妻が急に僕をさえぎって山のほうを指した。
「どこに?」僕はしかし其処には、そう言われてみて、やっと何か白っぽいものを、ちらりと認めたような気がしただけだった。
「いまのが辛夷こぶしの花かなあ?」僕はうつけたように答えた。
「しようのない方ねえ。」妻はなんだかすっかり得意そうだった。「いいわ。また、すぐ見つけてあげるわ。」
 が、もうその花さいた木々はなかなか見あたらないらしかった。僕たちがそうやって窓に顔を一しょにくっつけて眺めていると、なかいの、まだ枯れ枯れとした、春あさい山を背景にして、まだ、どこからともなく雪のとばっちりのようなものがちらちらと舞っているのが見えていた。
 僕はもう観念して、しばらくじっと目をあわせていた。とうとうこの目で見られなかった、雪国の春にまっさきに咲くというその辛夷の花が、いま、どこぞの山の端にくっきりと立っている姿を、ただ、心のうちに浮べてみていた。そのまっしろい花からは、いましがたの雪が解けながら、その花のしずくのようにぽたぽたと落ちているにちがいなかった。


 この春、僕はまえから一種の憧れをもっていた馬酔木あしびの花を大和路のいたるところで見ることができた。
 そのなかでも一番印象ぶかかったのは、奈良へいたすぐそのあくる朝、途中の山道に咲いていた蒲公英たんぽぽなずなのような花にもひとりでに目がとまって、なんとなく懐かしいような旅びとらしい気分で、二時間あまりも歩きつづけたのち、っとたどりついた浄瑠璃寺の小さな門のかたわらに、丁度いまをさかりと咲いていた一本の馬酔木をふと見いだしたときだった。
 最初、僕たちはその何んの構えもない小さな門を寺の門だとは気づかずに危く其処を通りこしそうになった。その途端、その門の奥のほうの、一本の花ざかりの緋桃ひももの木のうえに、突然なんだかはっとするようなもの、――ふいとそのあたりをったこの世ならぬ美しい色をした鳥の翼のようなものが、自分の目にはいって、おやと思って、そこに足を止めた。それが浄瑠璃寺の塔のさびついた九輪くりんだったのである。
 なにもかもが思いがけなかった。――さっき、坂の下の一軒家のほとりで水菜を洗っていた一人の娘にたずねてみると、「九体寺くたいじやったら、あこの坂を上りなはって、二丁ほどだす」と、そこの家で寺をたずねる旅びとも少くはないと見えて、いかにもはきはきと教えてくれたので、僕たちはそのかなり長い急な坂を息をはずませながら上り切って、さあもうすこしと思って、僕たちの目のまえに急に立ちあらわれた一かたまりの部落とその菜畑を何気なく見過ごしながら、心もち先きをいそいでいた。あちこちに桃や桜の花がさき、一めんに菜の花が満開で、あまつさえ向うの藁屋根わらやねの下からは七面鳥のきごえさえのんびりと聞えていて、――まさかこんな田園風景のまっただ中に、その有名な古寺が――はるばると僕たちがその名にふさわしい物古りた姿を慕いながら山道を骨折ってやってきた当の寺があるとは思えなかったのである。……
「なあんだ、ここが浄瑠璃寺らしいぞ。」僕は突然足をとめて、声をはずませながら言った。「ほら、あそこに塔が見える。」
「まあ本当に……」妻もすこし意外なような顔つきをしていた。
「なんだかちっともお寺みたいではないのね。」
「うん。」僕はそう返事ともつかずに言ったまま、桃やら桜やらまた松の木の間などを、その突きあたりに見える小さな門のほうに向って往った。何処かでまた七面鳥が啼いていた。
 その小さな門の中へ、石段を二つ三つ上がって、はいりかけながら、「ああ、こんなところに馬酔木が咲いている。」と僕はその門のかたわらに、丁度その門と殆ど同じくらいの高さに伸びた一本の灌木かんぼくがいちめんに細かな白い花をふさふさと垂らしているのを認めると、自分のあとからくる妻のほうを向いて、得意そうにそれを指さして見せた。
「まあ、これがあなたの大好きな馬酔木の花?」妻もその灌木のそばに寄ってきながら、その細かな白い花を仔細しさいに見ていたが、しまいには、なんということもなしに、そのふっさりと垂れた一と塊りを掌のうえに載せたりしてみていた。
 どこか犯しがたい気品がある、それでいて、どうにでもしてそれを手折って、ちょっと人に見せたいような、いじらしい風情をした花だ。云わば、この花のそんなところが、花というものが今よりかずっと意味ぶかかった万葉びとたちに、ただ綺麗なだけならもっと他にもあるのに、それらのどの花にも増して、いたく愛せられていたのだ。――そんなことを自分の傍でもってさっきからいかにも無心そうに妻のしだしている手まさぐりから僕はふいと、思い出していた。
「何をいつまでもそうしているのだ。」僕はとうとうそう言いながら、妻を促した。
 僕は再び言った。「おい、こっちにいい池があるから、来てごらん。」
「まあ、ずいぶん古そうな池ね。」妻はすぐついて来た。「あれはみんな睡蓮ですか?」
「そうらしいな。」そう僕はいい加減な返事をしながら、その池の向うに見えている阿弥陀堂あみだどうを熱心に眺めだしていた。

    ※(アステリズム、1-12-94)

 阿弥陀堂へ僕たちを案内してくれたのは、寺僧ではなく、その娘らしい、十六七の、ジャケット姿の少女だった。
 うすぐらい堂のなかにずらりと並んでいる金色こんじき九体仏くたいぶつを一わたり見てしまうと、こんどは一つ一つ丹念にそれを見はじめている僕をそこに残して、妻はその寺の娘とともに堂のそとに出て、陽あたりのいい縁さきで、裏庭の方かなんぞを眺めながら、こんな会話をしあっている。
「ずいぶん大きな柿の木ね。」妻の声がする。
「ほんまにええ柿の木やろ。」少女の返事はいかにも得意そうだ。
「何本あるのかしら? 一本、二本、三本……」
「みんなで七本だす。七本だすが、沢山に成りまっせ。九体寺の柿やいうてな、それを目あてに、人はんが大ぜいハイキングに来やはります。あてが一人で※(てへん+宛、第3水準1-84-80)いで上げるのだすがなあ、そのときのせわしい事やったらおまへんなあ。」
「そうお。その時分、柿を食べにきたいわね。」
「ほんまに、秋にまたお出でなはれ。この頃は一番あきまへん。なあも無うて……」
「でも、いろんな花がさいていて。綺麗ね……」
「そうだす。いまはほんまに綺麗やろ。そやけれど、あこの菖蒲あやめの咲くころもよろしいおまっせ。それからまた、夏になるとなあ、あこの睡蓮が、それはそれは綺麗な花をさかせまっせ。……」そう言いながら、急に少女は何かを思い出したようにひとりごちた。「ああ、そやそや、ねぎとりに往かにゃならんかった。」
「そうだったの、それは悪かったわね。はやく往ってらっしゃいよ。」
「まあ、あとでもええわ。」
 それから二人は急に黙ってしまっていた。
 僕はそういう二人の話を耳にはさみながら、九体仏くたいぶつをすっかり見おわると、堂のそとに出て、そこの縁さきから蓮池のほうをいっしょに眺めている二人の方へ近づいていった。
 僕は堂の扉を締めにいった少女と入れかわりに、妻のそばになんということもなしに立った
「もう、およろしいの?」
「ああ。」そう言いながら、僕はしばらくぼんやりと観仏に疲れた目を蓮池のほうへやっていた。
 少女が堂の扉を締めおわって、大きな鍵を手にしながら、戻ってきたので、
「どうもありがとう。」と言って、さあ、もう少女を自由にさせてやろうと妻に目くばせをした。
「あこの塔も見なはんなら、御案内しまっせ。」少女は池の向うの、松林のなかに、いかにもさわやかに立っている三重塔のほうへ僕たちを促した。
「そうだな、ついでだから見せて貰おうか。」僕は答えた。「でも、君は用があるんなら、さきにその用をすましてきたらどうだい?」
「あとでもええことだす。」少女はもうその事はけろりとしているようだった。
 そこで僕が先きに立って、その岸べには菖蒲あやめのすこし生い茂っている、古びた蓮池のへりを伝って、塔のほうへ歩き出したが、その間もまた絶えず少女は妻に向って、このへんの山のなかで採れるたけのこだの、松茸まつたけだのの話をことこまかに聞かせているらしかった。
 僕はそういう彼女たちからすこし離れて歩いていたが、実によくしゃべる奴だなあとおもいながら、それにしてもまあ何んという平和な気分がこの小さな廃寺をとりまいているのだろうと、いまさらのようにそのあたりの風景を見まわしてみたりしていた。
 傍らに花さいている馬酔木あしびよりも低いくらいの門、誰のしわざか仏たちのまえに供えてあった椿の花、堂裏の七本の大きな柿の木、秋になってその柿をハイキングの人々に売るのをいかにもたのしいことのようにしている寺の娘、どこからかときどききごえの聞えてくる七面鳥、――そういう此のあたりすべてのものが、かつての寺だったそのおおかたが既に廃滅してわずかに残っているきりの二三の古い堂塔をとりかこみながら――というよりも、それらの古代のモニュメントをもその生活の一片であるかのようにさりげなく取り入れながら、――其処にいかにも平和な、いかにも山間の春らしい、しかもその何処かにすこしく悲愴ひそうな懐古的気分を漂わせている。
 自然を超えんとして人間の意志したすべてのものが、長い歳月の間にほとんど廃亡に帰して、いまはそのわずかに残っているものも、そのもとの自然のうちに、そのものの一部に過ぎないかのように、んでしまうようになる。そうして其処にその二つのものが一つになって――いわば、第二の自然が発生する。そういうところにすべての廃墟の云いしれぬ魅力があるのではないか? ――そういうパセティックな考えすらも(それはたぶんジムメルあたりの考えであったろう)、いまの自分にはなんとなく快い、なごやかな感じで同意せられる。……
 僕はそんな考えにふけりながら歩き歩き、ひとりだけ先きに石段をあがり、小さな三重塔の下にたどりついて、そこの松林のなかから蓮池をへだてて、さっきの阿弥陀堂あみだどうのほうをぼんやりと見かえしていた。
「ほんまになあ、しょむないとこでおまっせ。あてら、魚食うたことなんぞ、とんとおまへんな。わらびみてえなものばっかり食ってんのや。……筍はお好きだっか。そうだっか。このへんの筍はなあ、ほんまによろしうおまっせ。それはやわうて、やわうて……」
 そんなことをまた寺の娘が妻を相手にしゃべりつづけているのが下の方から聞えてくる。――彼女たちはそうやって石段の下で立ち話をしたまま、いつまでたってもこちらに上がって来ようともしない。二人のうえには、何んとなく春めいた日ざしが一ぱいあたっている。僕だけひとり塔の陰にはいっているものだから、すこし寒い。どうも二人ともいい気もちそうに、話に夢中になって僕のことなんぞ忘れてしまっているかのようだ。が、こうして廃塔といっしょに、さっきからいくぶん瞑想的めいそうてきになりがちな僕もしばらく世問のすべてのものから忘れ去られている。これもこれで、いい気もちではないか。――ああ、またどこかで七面鳥のやつが啼いているな。なんだか僕はこのまますこし気が遠くなってゆきそうだ。……

    ※(アステリズム、1-12-94)

 その夕がたのことである。その日、浄瑠璃寺から奈良坂を越えて帰ってきた僕たちは、そのまま東大寺の裏手に出て、三月堂をおとずれたのち、さんざん歩き疲れた足をひきずりながら、それでもせっかく此処まで来ているのだからと、春日かすがの森のなかを馬酔木の咲いているほうへほうへと歩いて往ってみた。夕じめりのした森のなかには、その花のかすかな香りがどことなく漂って、ふいにそれをいだりすると、なんだか身のしまるような気のするほどだった。だが、もうすっかり疲れ切っていた僕たちはそれにもだんだん刺戟しげきが感ぜられないようになりだしていた。そうして、こんな夕がた、その白い花のさいた間をなんということもなしにこうして歩いて見るのをこんどの旅の愉しみにして来たことさえ、すこしももう考えようともしなくなっているほど、――少くとも、僕の心は疲れた身体とともにぼおっとしてしまっていた。
 突然、妻がいった。
「なんだか、ここの馬酔木と、浄瑠璃寺にあったのとは、すこしちがうんじゃない? ここのは、こんなに真っ白だけれど、あそこのはもっと房が大きくて、うっすらと紅味を帯びていたわ。……」
「そうかなあ。僕にはおんなじにしか見えないが……」僕はすこし面倒くさそうに、妻が手ぐりよせているその一枝へ目をやっていたが、「そういえば、すこうし……」
 そう言いかけながら、僕はそのときふいと、ひどく疲れて何もかもが妙にぼおっとしている心のうちに、きょうの昼つかた、浄瑠璃寺の小さな門のそばでしばらく妻と二人でその白い小さな花を手にとりあって見ていた自分たちの旅すがたを、何んだかそれがずっと昔の日の自分たちのことででもあるかのような、妙ななつかしさでもって、鮮やかに、よみがえらせ出していた。


 そこの小屋のなかで待っていてくれと云われるまま、しばらく五六人の馭者ぎょしゃらしい人たちの間に割りこんで、手もちぶさたそうに炉の火にあたっていたが、みんなの吹かしている煙草にむせて急に咳が出だしたので、僕は小屋のそとに出ていって、これから自分のはいってゆこうとする志賀山の案内図をながめたり、小さな雪がちらちらとふっているなかを何んとなく歩いてみたりしていた。雪の質は乾いてさらさらとしているし、風もないので、零下何度だか知らないけれど、寒さはそうひどく感ぜられなかった。そのうちに、向うのうまやの中から、さいぜんの若い馭者が馬の口をとりながら、一台の雪橇ゆきぞりを曳き出して来るのが見えた。僕は雪橇ゆきぞりというものをはじめて見た。――粗末な箱型をしたものに、ほろとはほんの名ばかりの、継ぎはぎだらけのねずみいろの布をおおっただけのものである。馭者台ぎょしゃだいなんぞもない。それもそのはず、馭者は馬のさきに立って雪のなかを歩いてゆくのである。
 その橇が自分の前に横づけになったものの、どこから乗っていいのか分からないでまごまごしていると、馭者が飛んできて、幌をもちあげながら入口をあけてくれた。ふとそのなかに茣蓙ござの敷いてあるのが目にとまったので、僕はいそいで靴をぬごうとすると、そのままあがれという。そこで僕はほんのまね事のように外套がいとうを叩いたり、靴の雪を払い落したりして、首をこごめるようにして幌の中にはいった。そのなかはまあ二人で差し向いに腰かけるのがやっと位だが、そこには座蒲団ざぶとんや毛布から、火鉢の用意までしてある。火鉢には火もどっさり入れてある。――寒いから、その火鉢に足をのせて、その上からその毛布をかけよと云ってくれる。そう云うとおりに、僕がそこにあった毛布をひろげて膝の上にかけ出すのを見とどけると、馭者は幌をすっかり下ろして、馬のほうへ飛んでいった。

    ※(アステリズム、1-12-94)

 やがて雪橇はごとんごとんと動き出した。あまり揺られ心ちのいいものではなかった。それに幌には窓が一つもついていないので、全然おもての景色の見られないのが何よりの欠点だ。――このままこうしてごとんごとんと揺られながら、毛布の中に小さくなっていたんでは、いくら寒さはしのげても、なんにも見えず、わざわざ雪のなかまでやってきたかいがない。そこで幌を少しもち上げてみたが、その位のことでは、道ばたに積みあげられた雪のほかは何んにも見えない。……
 が、さっきから首すじがすこし寒いとはおもっていたが、そこのところだけ幌の布がなんだかほころんだようになっていて、ひらひらしているのにはじめて気がついた。ためしにそれをちょっと手でもち上げて見ると、小さな窓のような工合になる。僕はこれはいいとおもって、そこに目を近づけると、ちょうど村の一番最後の家らしい、なかば雪に埋もれた一軒の茶店のようなものが通り過ぎた。ちょっとの間だったのに、もうそうとう雪が深そうだ。
 そのうちにあちこちの森だの山だのが見えて来る。細かい雪がいちめんにふりしきっているので、それもほんの近いものだけしか見えなかったが。……それでも、僕は自分が生れて初めて見るような雪の山のなかにはいり出していることを感じだしていた。だが、そうやって外ばかり眺めていると、そこから細かい雪がたえず舞いこんでくるとみえ、膝のうえの毛布がうっすら白くなっている。僕はその毛布を軽くはたきながら、すこし坐りなおして、しばらく目を休めることにした。なんにも見えなくとも、自分の身体のかしぎかたで、上りが急になったり、また、すこし楽になったりしてゆく工合がよく分かる。なんだか自分の不安定の感じが或る度を過してくると、橇のほうもいつか止まってしまっている。馬が息をつくためにしばらく休むのである。雪の中にぽつんぽつんと立っている樹木なんぞを見ても、四方から雪を吹きつけられているので、どのくらい雪が深いのだかちょっと見当がつかない。橇道はちゃんとついているらしいが、ずっと上りづめらしく、馬も、馭者も、ずいぶん骨を折っているのだろうと思った。
 又、橇がとまった。こんどはだいぶ長くとまっているな、と思っていると、雪の中から急におもいがけない話しごえが聞えだした。どうやら向うから下りてくる雪橇があって、道をゆずりあっているらしい。――「まだあとからも来るか」と向うの馭者が問うと、
「いや、もうこれが最後だ」とこちらの馭者が答えている。……そのうち僕の橇が動きだして向うの橇とすれちがおうとするとき、突然、向うの馭者が何かはげしく自分の馬を叱したので、ひょいと例の穴からのぞいて見ると、道を避けようとして片がわの積雪のなかへ深くはいり込んでしまった橇を曳き出そうとして、一しょう懸命になっている馬は、ほとんど胸のあたりまで雪に埋っていた。なんども前脚を雪のなかから引き抜こうとしてば、そこらじゅうに雪煙りをちらしていた。僕もそのとばっちりを受けそうになって、いそいで顔をひっこめたが、向うの橇はすっぽりと幌を下ろしてはいるものの、空のようだった。
 続いて、もう一台の橇とすれちがった。こんどはどうやらうまくすれちがったようだったが、それも空らしかった。
 そうやって二台の橇とすれちがって、しばらくしてから僕はふいと時計を出してみると、橇に乗ってから一時間ばかりも経っているので、ああ、もうこんなに乗っていたのかと意外におもいながら、一体、いまどのへんなのだろうと、又、例の穴に顔を近づけてみると、ちょうど自分の橇の通っているそばの、ずっと下のほうの谷のようなところを二台の橇がずんずん下りてゆくのが、それだけが唯一の動きつつあるものとして、いかにもなつかしげに見やられた。それにしても、あれがいましがた自分とすれちがった橇かとおもわれる位、そんなにもう下のほうまで往っているのには驚いた。そうしてそれと共に、僕ははじめて自分のいつのまにかはいり出している山の深さに気がついてきた。それほど自分のそれまでの視野のうちには、いつまで経っても、同じような白い山、同じような白い谷、同じような恰好かっこうをした白い木立しかはいって来ないでいたのだった。

    ※(アステリズム、1-12-94)

 僕はそれから橇のなかに再び坐りなおして、がたんがたん揺られるがままになりながら、いよいよ自分も久恋の雪の山に来ているのだなとおもった。ずいぶん昔から、いまのように、こうしてただ雪の山のなかにいること、――それだけをどんなに自分は欲して来たことだろう。べつに雪の真只中でどうしようというのでもない。――スポルティフになれない弱虫の僕は、ただこういう雪の中にじっとして、真白な山だの(――そう、山もそんなに大それたものでなくとも、丁度いま自分の前にあるような小品風なものでいい……)、真白な谷だの(――谷もあの谷で結構……)、雪をかぶったいくつかの木立のむれ(――あそこに立っているかばのような木などはなかなか好いではないか……)などをぼんやり眺めてさえいればよかった。
 ただすこし慾をいえば、ほんの真似だけでもいい、――真白な空虚にちかい、このような雪のなかをこうして進んでいるうちに、ふいと馭者も馬も道に迷って、しばらく何処をどう通っているのだか分からなくなり、気がついてみると、同じところを一まわりしていたらしく、さっきと同じ場所に出ている――そんな純粋な時間がふいと持てたらどんなに好かろう、とそんな他愛のないことだけが願わしいような、淡々とした気もちでいた。……
 僕は目をつぶって、幌の穴から見ようとすれば見えたでもあろう、そのような雪の世界をただ想像裡そうぞうりに描きつづけながら、こういう自分の雪に対するそれほど烈しくもない、といって一時の気まぐれでもない、長いあいだの思慕のようなものが、いつ、どうして自分のなかに生じて来たのだろうかと考え出していると、突然、十年ほどまえ八つが岳のふもとにあるサナトリウムで生を養っていた自分のすがたが鮮かによみ返ってきだした。冬になると、山麓さんろくのサナトリウムのあたりは毎日ただ生気なく曇っているだけなのに、山々はいつも雪雲で被われており、そんな雲のないときには、それらの山々は見事なほど真白なすがたをしていた。僕はそんな冬の日をどうしようもなしに暮らしながら、ときどき雪の山のほうへ切ない目ざしを向けるようになり出していた。そんな雪雲にすっかり被われている山のもなかを、なにか悲壮な人間の内部でも見たいように、おそるおそる見たがりながら。……
 僕は、いま、その頃の自分にはとても実現せられそうもないように見えていた、こんな雪の中にはいり込んで来ているのだと思いながら、さて、べつにどうという感慨もなかった。悲壮のようなものはいささかも感ぜられなかった。寒さだって大したことはない。むしろ、雪のなかは温かで、なんのもの音もなく、非常に平和だ。そう、たのしいといったほうがいい位だ。そりの中にいて、小さなほろの穴から、空を見あげていると、無数の細かい雪がしっきりなしに、いかにも愉しげな急速度でもって落ちてくる。そうやってなんの音も立てずに空から落ちてくる小さな雪をじいっと見入っていると、その愉しげな雪の速さはいよいよ調子づいてくるようで、しまいにはどこか空の奥のほうでもって、何かごおっという微妙な音といっしょになってそれが絶えずいているような幻覚さえおこってくるようだ。
 大きな壺に耳をあてていると、その壺の底のほうからごおっといって無数の音響が絶えまなしに涌きあがっている。――ちょうどああいった工合に何か愉しくて愉しくてならないように、無数の小さな雪が空の奥のほうで微かにごおっという音を立てながら絶えず涌いているような気がせられるのである。僕はいつまでも一ところからじっと、絶えず落ちてくる雪を見ている中に、そんな幻覚的な気もちにさえなり出していたが、急にまた坂にさしかかったと見えて橇ががたんがたん揺れだしたので、思わず自分自身に立ち返えされてしまっていた。

……雪のごとく愉しかれ。
大いなる壺のやすらかに閉ざされし内部に在りて、
すべての歌声の、よろこばしきアルペジオとなりて、
絶えず涌きあがるがごとくにあれ。

 そうしてそういうノワイユ夫人の詩の一節だけが、いつまでも自分の口のうちに、なにか永遠の一片のように残っていた。……



 客 なんともいえず好い気もちだね。すこし旅に疲れた体をやすめながら、暮れがたの空をこうやって見ているのは。
 主 京都もいまが一番いいんだ。この頃のように澄み切った空のいろを見ていると、すっかり京都に住みついている僕なんぞも、なんだかこう旅さきにいるような気がしてきてならないね。まあ、そういう気もちになるだけでもいいからな……それにしても、君はこの頃はよくこちらの方へ出てくるなあ。いつか話していた仕事はその後はかどっているのかい。何か、大和のことを書くとかいっていたが……
 客 いや、あれはあのままだ。なかなか手がかりがつかないんだ。まあ、そのうち何んとかものにするよ。……なんしろ、まだ、こういった感じのものが書きたいと、埴輪はにわをいじったり、万葉の歌を拾い読みしたりしては一種の雰囲気を自分のまわりに漂わせて、ひとりでいい気になっているぐらいのものだ。
……当分はまあ折を見ては、こうやってこちらに来て、できるだけ屡々しばしばみごとな田園と化した都址みやこあとや、西の京あたりの松林のなかなどをぶらぶらするようにしている。
 主 そうやって君は何げなさそうにぶらぶらしながら、突然、松林の奥から古代の風景が君の前にひらけるような瞬間を待っているわけなのだね。
 客 そうだよ。少くとも、はじめのうちはそうだった。だが、このごろはそういった奇蹟はあきらめている。まだ、自分には古代の研究がなにひとつ身についていないのだからね。もうすこしおとなしく勉強をする。
 主 だが、こんなことを僕から君に云うのもどうかと思うけれど、小説を書く気なら、あんまり勉強しすぎてしまってもいけないのではないかしら。ゲエテも、どこかで、こんなことを云っている。『自分はギリシヤ研究のおかげで「イフィゲニエ」を書いたが、自分のギリシヤ研究はすこぶる不完全なものだった。もしその研究が完全なものだったら、自分の「イフィゲニェ」は書かれずにしまったかも知れない。』
 客 うん、なるほどね。つまり、古代のことは程よく知っている位で、非常にういういしい憧れをもっているうちのほうが小説を書くのにはいいということになるわけか。これは好い言葉をきいた。……どうもこのごろ、自分でも悪い癖がついたとおもい出していたところだ。日本の古代文化の上にもはっきりしたあとを印しているギリシヤやペルシャの文化の東漸ということを考えてみているうち、いつか興味が動きだしてギリシヤの美術史だとか、ペルシヤの詩だとか読み出している。それはまだいい、そのうちにいつのまにかゲエテの「ディヴァン」だとか、ノワィユ夫人の詩集までが机の上にもち出されているといった始末だ。
 主 (同情に充ちた笑)まあ、ゆっくりでもいいから、あまり道草をくわずに、仕事に精を出したまえ。……そういえば、数年まえに釈迢空さんが「死者の書」というのを書いていられたではないか、あの小説には実によく古代の空気が出ていたようにおもうね。
 客 そう、あの「死者の書」は唯一の古代小説だ。あれだけは古代を呼吸しているよ。まあ、ああいう作品が一つでもあってくれるので、僕なんぞにも何か古代が描けそうな気になっているのだよ。僕ははじめて大和の旅に出るまえに、あの小説を読んだ。あのなかに、いかにも神秘な姿をして浮かび上がっている葛城かつらぎ二上山ふたがみやまには、一種のあくがれさえいだいて来たものだ。そうして或る晴れた日、そのふもとにある当麻寺たぎまでらまでゆき、そのこごしい山を何か切ないような気もちでときどき仰ぎながら、半日ほど、飛鳥の村々を遠くにながめながらぶらぶらしていたこともあった。
 主 その二上山だ。その山に葬られた貴い、お方のがらが、塚のなかで、突然深いねむりから村びとたちの魂乞たまごいによって呼びさまされるあたりなどは、非常に凄かったね。森の奥の、塚のまっくらな洞のなかの、ぽたりぽたりと地下水が巌づたいにしたたり落ちてくる湿っぽさまでが、何かぞっとするように感ぜられた。
 客 全篇、森厳なレクヰエムだ、古代の埃及エジプトびとの数種の遺文に与えられた「死者の書」という題名が、ここにも実にいきいきとしている。
 主 毎日の写経に疲れて、若い女主人公がだんだん幻想的になって来、ある夕方、日の沈んでゆく西のほうの山ぎわにふと見知らない貴いおかたのおもかげを見いだすところなども、まだ覚えている。
 客 あの写経をしている若い女のすがたは美しいね。僕はあそこを読んでからは女の手らしい古い写経を見るごとに、あの藤原の郎女いらつめの気高くやつれた容子ようすをおもい出して、何んとなくなつかしくなる位だ。
 主 あの小説には、それからもう一つ、別の興味があった。大伴家特おおとものやかもちだ。柳の花の飛びちっている朱雀大路すざくおおじを、長安かなんぞの貴公子然として、毎日の日課に馬を乗りまわしている兵部大輔ひょうぶたいふの家持のすがたは何んともいえずたのしいし、又、藤原仲麻呂ふじわらのなかまろがその家持と支那文学の話などに打ち興じながら、いつか話題がちかごろ仏教に帰依した姪の郎女いらつめのうえに移ってゆく会話なども、いかにもいきいきとしていたな。
 客 そういうところに作者の底力がひとりでに出ている。人間として大きな幅のある人だ。
 主 一方、万葉学者としてもっとも独創に富んだ学説をとなえてきた、このすぐれた詩人が、その研究の一端をどこまでも詩的作品として世に問うたところに、あの作品の人性ユマニテがあるのだね。だが、どうしてあれほどのものが世評に上らなかったのだろう。
 客 世間はそういう仕事は簡単にディレッタンティズムとしてかたづけてしまうのだ。学界の連中は、こんどは小説という微妙な形式なので、読まずともいいとおもったろうし……本当にこの作品を読んだという人は、僕の知っている範囲では、五人とはいなかったものね。
 主 僕などもその一人だったわけか。幸福なる少数者の……しかし、それはそれだ。君もいい仕事をしてくれたまえ。いい読者になってあげるから。
 客 こんどはこっちに風が向いてきたな。まあ、もうすこし待ってくれ。まだ自分でもしようがないとおもうのは、大和の村々を歩いていると、なんだかこう、いつもお復習さらいをさせられているような気もちが抜けないことだ。もうすこし何処にいるのだかも忘れたようになって、あるときは初夏の風にふかれながら、あるときは秋の雲をみあげながら、ぼんやりと歩けるようになりたい。――心におそろしげに描いてきた神々のいられた森が何かつまらない小山に見えるきりだったり、なにげなく見やっていた或る森のうえの塔に急に心をひかれ出して暑い田圃たんぼのなかをぎっていったり、或る大寺の希臘風ギリシアふうなエンタシスのあるのはげた円柱を手で撫でながら、目のあたりに見る何か大いなるもののおとろえに胸をしつぶされたり、そうかとおもうと、見すてられたような廃寺の庭の夏草の茂みのなかから拾い上げたかわらがよく見ると明治のやつだったりして、すっかりへとへとになって、日ぐれ頃、朝からみると自分の仕事からかえって遠のいた気もちになって帰ってくることが多いのだ。
 主 そういった君の日々が、そのままで君の小説になるのではないか。
 客 いや、もうそういう苦しまぎれのような仕事はこんどだけはしたくない。もっと、こう大どかな仕事ぶりをしてみたいんだ。だが、僕みたいなものには難しいことらしいな。――あれは、おととしの秋だったかな、ともかくもまあ小手しらべにと、何か小品を、ちょうど古代の人々がふいとした思いつきで埴輪はにわをつくりあげたような気もちで、書いてやろうとおもって、古代の研究がてら、大和にやってきて、毎日寺々を見て歩いているうちに、なんだか日にまし気もちが重くるしくなって、とうとう或る夕方、もうその仕事をどう云ってやってことわろうかと考えるため散歩にいった高畑のあたりの築土ついじのくずれが妙にそのときの自分の気もちにぴったりして、それから急に思いついて「曠野あらの」という中世風なものがなしい物語を書いた。
 主 あの小説は読んだよ。大和までわざわざ仕事をしにきて、毎日お寺まわりしながら、やっぱり、ああいうものを書いているなんて、いかにも君らしいとおもったよ。
 客 あれは、いまおもえば、僕のさびしいあきらめだった。それが何処かで、あの物語の女のさびしい気もちと触れあっていたのだな……
 主 そういえばそうもいえようが、あれもあれでいい。だが、僕は君の新らしい仕事を期待している。勇気を出して、いつまでもその仕事をつづけてくれたまえ。
 客 うん、ありがとう。ひとつ一生をかけてもやるかな。……それまでのうちに、これから何遍ぐらいこっちにやって来ることになるかな。どうも大和のほうに住みつこうなんという気にはなれない。やっぱり旅びととして来て、また旅びととして立ち去ってゆきたい。いつもすべてのものに対してニィチェのいう「遠隔の感じパトス・デル・ディスタンツ」を失いたくないのだ。……
 そのくせ、いつの日にか大和を大和ともおもわずに、ただ何んとなくいい小さな古国ふるくにだとおもう位の云い知れぬなつかしさで一ぱいになりながら、歩けるようになりたいともおもっているのだ。たわわに柑橘類かんきつるいのみのった山裾をいい香りをかいで歩きながら、ああこれも古墳のあとかなと考え出すのは、どうもね。
 主 しかし、君はもう大抵大和路は歩きつくしたろうね。
 客 割合に歩いたほうだろうが、ときどきこんなところでと、――本当に思いがけないような風景が急に目のまえにひらけ出すことがある。
 この春も春日野かすがの馬酔木あしびの花ざかりをみて美しいものだとおもったが、それから二三日後、室生川むろうがわの崖のうえにそれと同じ花が真っ白にさきみだれているのをおやと思って見上げて、このほうがよっぽど美しい気がしだした。大来皇女おおくのひめみこ挽歌ばんかにある「いそのうへにふる馬酔木あしびを手折らめど……」の馬酔木はこれでなくてはとおもった。そういう思いがけない発見がときどきあるね。まあ、そんなものだけをあてにして、できるだけこれからも歩いてみるよ。――だが、まだなかなか信濃の高原などを歩いていて、道ばたに倒れかかっている首のもぎとれた馬頭観音などをさりげなく見やって、心にもとめずに過ぎてゆく、といったような気軽さにはいかない。……
 それでいて、そのふと見過ごしてきた首のない馬頭観音の像が、何かのはずみで、ふいと、そのときの自分の旅すがたや、そのまわりの花薄はなすすきや、その像のうえに青空を低くさらさらと流れていた秋の雲などと一しょになって、思いがけずはっきりとよみがえってくるようなことがあったりする工合が、信濃路ではたいへん好かった。なんだか、そういったうつけたような気分で、いつの日か、大和路を歩けるようになりたいものだ。
 主 いい身分だね。そうやって旅行ばかりしていられるなんて。
 客 君なんぞにもそう見えるのかい。でも、僕はこんな弱虫だからね、不安な旅でない旅などをしたことはない。いつ、どこで、寝こむかも分からないような心細さで、旅に、出てくるのだよ。まあ、それなりにだんだん旅慣れてはきたけれど。……
 主 そうか。あんまり無理をするなよ。――ああ、もうすっかり暗くなってしまったね。すこし冷え冷えとしてきたようだから、窓をしめようね。

底本:「昭和文学全集 第6巻」小学館
   1988(昭和63)年6月1日初版第1刷発行
底本の親本:「堀辰雄全集 第3巻」筑摩書房
   1977(昭和52)年11月30日初版第1刷発行
初出:「大和路・信濃路」は「樹下」「十月」「古墳」「斑雪」「辛夷の花」「浄瑠璃寺」「橇の上にて」「死者の書」の八篇から成る。
   「樹下」:「文藝」
   1944(昭和19)年1月号
   「十月(一)」:「婦人公論」(「大和路・信濃路」の「一」として。)
   1943(昭和18)年1月号
   「十月(二)」:「婦人公論」(「大和路・信濃路」の「二」として。)
   1943(昭和18)年2月号
   「古墳」:「婦人公論」(「大和路・信濃路」の「三」として。)
   1943(昭和18)年3月号
   「斑雪」:「婦人公論」(「大和路・信濃路」の「野辺山原」として。)
   1943(昭和18)年4月号
   「橇の上にて」:「婦人公論」(「大和路・信濃路」の「雪」として。)
   1943(昭和18)年5月号
   「辛夷の花」:「婦人公論」(「大和路・信濃路」の「辛夷の花」として。)
   1943(昭和18)年6月号
   「浄瑠璃寺の春」:「婦人公論」(「大和路・信濃路」の「浄瑠璃寺」として。)
   1943(昭和18)年7月号
   「死者の書」:「婦人公論」(「大和路・信濃路」の「死者の書」として。)
   1943(昭和18)年8月号
一部所収単行本:「曠野」養徳社(「死者の書」「斑雪」「橇の上にて」の3篇所収)
   1944(昭和19)年9月20日
一部所収単行本:「花あしび」青磁社(「樹下」「十月」「古墳」「浄瑠璃寺の春」「死者の書」の5篇所収)
   1946(昭和21)年3月15日
一部所収単行本:「堀辰雄小品集・繪はがき」角川書店(「斑雪」「橇の上にて」「辛夷の花」の3篇所収)
   1946(昭和21)年7月20日、
全編初収単行本:「大和路・信濃路」人文書院
   1954(昭和29)年7月5日
※筑摩全集版の底本は、「樹下」「十月」「古墳」「浄瑠璃寺の春」「死者の書」は「花あしび」青磁社。「斑雪」「橇の上にて」は「曠野」養徳社。「辛夷の花」は「堀辰雄小品集・繪はがき」角川書店版。加えて、「大和路・信濃路」人文書院を参考にしている。
※初出情報は、「堀辰雄全集 第3巻」筑摩書房、1977(昭和52)年11月30日、解題による。
入力:kompass
校正:松永正敏
2004年2月27日作成
2010年11月2日修正
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