締切までに小生の机上に堆積したる原稿意外に多く爲めに會計擔任者と合議の上、紙數を増す事豫定より五十頁の多きに達し、從つて定價を引上ぐるの止むなきに到り候ひしも、猶且その原稿の全部を登載する能はず、或は次號にし、或は寄稿家に御返却したるものあり。謹んで其等執筆諸家に御詫申上候。
また本號の短歌は總て之を六號活字にしたり。此事に關し、同人萬里君の抗議別項(一一九頁)にあり。茲に一應短歌作者諸君に御詫び申上候。
萬里君の抗議に對しては小生は別に此紙上に於て辯解する所なし。つまらぬ事なればなり、唯その事が平出君と合議の上にやりたるに非ずして、全く小生一人の獨斷なる事を告白致置候。平出君も或は紙數を儉約する都合上短歌を六號にする意見なりしならむ。然れども六號にすると否とは一に小生の自由に候ひき。何となれば、各號は其當番が勝手にやる事に決議しありたればなり。
活字を大にし小にする事の些事までが、ムキになつて讀者の前に苦情を言はれるものとすれば、小生も亦左の如き愚痴をならべるの自由を有するものなるべし。
小生は第一號に現はれたる如き、小世界の住人のみの雜誌の如き、時代と何も關係のない樣な編輯法は嫌ひなり。その之を嫌ひなるは主として小生の性格に由る、趣味による、文藝に對する態度と覺悟と主義とによる。小生の時々短歌を作る如きは或意味に於て小生の遊戲なり。
小生は此第二號を小生の思ふ儘に編輯せむとしたり。小生は努めて前記の嫌ひなる臭みを此號より驅除せむとしたり。然れどもそは遂に大體に於て思つただけにてやみぬ。筆録に於て、口語詩、現時の小説等に對する小生の意見を遠慮なく發表せむとしたれども、それすら紙數の都合にて遂に掲載する能はざりき。遺憾この事に御座候。僅かに短歌を六號活字にしたる事によりて自ら慰めねばならぬなり。白状すれば、雜録を五號にしたるも、しまひに付ける筈なりし小生の『一隅より』を五號にするため、實は前の方のも同活字にしただけなり。敢て六號にすれば遲れますよと活版屋が云つた爲にあらず。それは一寸した口實なり。
愚痴は措く。兎も角も毎號編輯者が變る故、毎號違つた色が出て面白い事なるべく候。
末筆ながら、左の二氏より本誌の出版費中へ左の通り寄附ありたり。謹んで謝意を表しおき候。
一金五圓也 上原政之助氏
一金一圓也 柏田蕗村氏
(校了の日 印刷所の二階にて 啄木生)
一金一圓也 柏田蕗村氏
(校了の日 印刷所の二階にて 啄木生)
(明42・2「スバル」二)