〔冒頭欠〕
たいエゴイストだ。たゞ神のみ名によるエゴイストだと、君はもう一遍、云って呉れ。さうでなくてさへ、俺の胸は裂けやうとする。
純黒 俺の胸も裂けやうとする。おゝ。町はづれのたそがれの家で、顔のまっ赤な女が、一人で、せわしく飯をかき込んだ。それから、水色の車の窓の所で、瘠せた旅人が、青白い苹果にパクと噛みついた。俺は一人になる。君は此処から行かないで呉れ。〔〕
蒼冷 ありがたう。判った。判ってゐるよ。けれども俺は快楽主義者だ。冷たい朝の空気製のビールを考へてゐる。枯草を詰めた木沓きぐつのダンスを懐かしく思ふのだ。〔〕
純黒 俺だって、それは、君に劣らない。あの融け残った、霧の中の青い後光を有った栗の木や、明方あけがたの雲に冷たくれた木莓や。それでも それでも。俺は豚の脂を食べやうと思ふ。俺の胸よ。強くなれ。おさとの知れた少しの涙でしめされるな。強くなれ。
蒼冷 俺は強くならうともしない。弱くならうともしない。すべては神のなるが如くになれ。〔以下原稿なし〕

         *

蒼冷 〔〕いや岩手県だ。外山と云ふ高原だ。北上山地のうちだ。俺は只一人で其処に畑を開かうと思ふ。〔〕
純黒 彼処は俺は知ってるよ。目に見えるやうだ。そんならもう明日から君はあの湿しめった腐植土や、みゝづや、鷹やらが友達だ。白樺の薄皮が、隣りの牧夫によって戯むれに剥がれた時、君はその緑色の冷たい靱皮の上に、繃帯をしてやるだらう。あゝ俺は行きたいんだぞ。君と一諸に行きたいんだぞ。
蒼冷 俺等の心は、一諸に出会はう 俺は畑を耕し終へたとき、疲れた眼を挙げて、遠い南の土耳古玉トウクォイス天末てんまつを望まう。その時は、君の心はあの蒼びかりの空間を、まっしぐらに飛んで来て呉れ。
純黒 行くとも。晴れた日ばかりではない。重いニッ〔ケ〕ルの雲が、あの高原を、氷河の様に削って進む日、俺の心は、早くも雲や沢山の峯やらを越えて、馬鈴薯を撰り分ける、君の処へ飛んで行く。けれども俺は辛いんだ。若し、僕が、君と同ん〔な〕じ神を戴くならば、同ん〔な〕じ見えな〔以下原稿なし〕

底本:「【新】校本宮澤賢治全集 第十二巻 童話5[#「5」はローマ数字、1-13-25]・劇・その他 本文篇」筑摩書房
   1995(平成7)年11月25日初版第1刷発行
※底本の本文は、草稿による。
※本文中〔〕で括られた部分は、底本の編者により校訂された箇所あるいは底本の編者による説明である。〔〕とのみあるのは、そこにあった不要の語句が校訂の結果本文から削除されたことを示す。
 (例(校訂された箇所))重いニッ〔ケ〕ルの雲が
 (例(編者による説明))〔冒頭欠〕
 (例(語句の削除))行かないで呉れ。〔〕
※作品名「〔蒼冷と純黒〕」は底本の編者によるもの。
入力:砂場清隆
校正:noriko saito
2008年8月15日作成
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