七月十四日

ずゐぶん早く起きて仕度をしたけれど、あれこれと手間取つて七時出立、小郡の街はづれから行乞しはじめる。
大田への道は山にそうてまがり水にそうてまがる、分け入る気分があつてよい、心もかろく身もかろく歩いた。
行乞はまことにむつかしい、自から省みて疚しくない境地へはなか/\達せない、三輪空寂はその理想だけれど、せめて乞食根性を脱したい、今日の行乞相は悪くなかつたけれど、第六感が無意識にはたらくので嫌になる。
暑かつた、くら/\して眼がくらむやうだつた。
林の中でお辨当を食べる、山苺がデザートだ。
水を飲んだ、淡として水の如し、さういふ水を飲んだ、さういふ心境にはなれないが。
蕨といふ地名はおもしろい。
予定通り、二時には敬治居の客となつた、敬坊は早退して待つてゐてくれた、さつそく風呂を頂戴する、何よりの御馳走だつた、そして酒、これは御馳走といふよりも生命の糧だ。
敬坊はよい夫、よい父となりつゝある、それが最もうれしかつた、人間は落ちつかなければ人間を解し得ない、人間を解し得なければ人間の生活はない。
おはぎ餅はおいしかつた、餅そのものもおいしかつたが、それを食べる気持、それを食べさせてくれる気持がとてもおいしかつた。
生活の打開と共に句境も打開される、私も此頃多少の進展を持つたらしい。
暑くて、腹がくちくて寝苦しかつた。
      銭 二十一銭
今日の所得          行程五里。
      米 一升二合
 朝月暈をきてゐる今日は逢へる
 朝風へ蝉の子見えなくなつた
 朝月にしたしく水車ならべてふむ
・水が米つく青葉ふかくもアンテナ
 夾竹桃赤く女はみごもつてゐた
 合歓の花おもひでが夢のやうに
・柳があつて柳屋といふ涼しい風
 汗はしたゝる鉄鉢をさゝげ
 見まはせば山苺の三つ四つはあり
・鉄鉢の暑さをいたゞく
・蜩よ、私は私の寝床を持つてゐる

 七月十五日

曇、降りさうで降らない、すこし憂欝。
八時から十一時まで大田町行乞。
所得――銭四十四銭に米一升三合
午後は東御嶽観音様へ詣でる、青葉、水音、蝉がなき鶯がなく、とてもしづかな山村だつた、そこから赤郷へ河鹿聴きに出かけたが、暑くはあるし、興味もうすらいだので途中から引き返す、徃復三里の散歩だ。
山の茶屋には筧の水があふれて、ところてんが澄んでゐた。
敬治居はなか/\にぎやかである、坊ちやんが時々あばれる、繋がれた仔犬もあばれる、小さいお嬢さんがなかなか茶目公だ。
敬坊は綾木へ出張、私は一人でちび/\やつた。
水のうまさ、豆腐のうまさ、これは自慢するだけの値打がある。
暮れきつてから、敬坊がMといふ友人といつしよに、だいぶ酔うて戻つてきた、三人でまた飲んだ。
ほどよく酔うて、ぐつすり眠つた。
 朝ぐもりもう石屋の鑿が鳴りだした
 朝風につるまうとする犬はくゝられてゐる
・草も蛙も青々としてひつそり
・山は青葉の、青葉の奥の鐘が鳴る
・蝉しぐれこゝもかしこも水が米つく
 ながれをさかのぼりきて南無観世音菩薩
・山からあふれる水の底にはところてん
 御馳走すつかりこしらへて待つ蜩
・寝ころぶや雑草は涼しい風
・道筋はおまつりの水うつてあるかなかな
 うらは蜩の、なんとよい風呂かげん
 おかへりがおそい油蝉なく
 かなかな、かなかな、おまつりの夜があける

 七月十六日

かなかな、かなかな、みんみん、みんみん。
朝風はよかつた、朝飯はうまかつた。
河原朝顔の一輪が私をすつかり楽天的にした。
とめられたけれど七時出発、友情のありがたさ、人間性のよさをひし/\と感じながら。
今日の道はよい、といふよりも好きな道だつた、山村の景趣を満喫した、青葉もうつくしいし、水音はむろんよかつた、虫の声もうれしいし、時々啼いてくれるほとゝぎすはありがたかつた。
木部行乞、十一時から一時まで二時間。
歩くために歩く、歩いて歩くことそのことを楽しむ
荒瀧山、ちよつとよい山だ。
けふのおべんたうはおいしかつた、敬治君の奥さんにあつくお礼を申上げなければならない。
けふぐらゐ水をたくさん飲んだことはあまりない、まことにうまい水だつた、山の水は尊し
米が重かつた、腰が痛むほどだつた、しかしこの米のおかげで暫らく休養することができるのだ。
小野を通つて帰庵したら六時を過ぎてゐた、戻るより水を汲み火を熾し飯を炊いた、もちろん寝酒は買うて戻ることを忘れてゐない。
      銭 四十三銭
今日の所得          行程七里
      米 一升六合
此度の敬治居訪問はほんとうによかつた、敬治君にもよりよく触れたし、奥さんのよいところよくないところも解つた、敬坊万歳、どなたも幸福であれ。
この旅中に私の不注意を実証する出来事が三つあつた、敬治居で眼鏡をこわしたことが一つ、途上辨当行李をなくしたことが一つ、そしてあとの一つは帰庵して、すこし酔うて茶碗を割つたことである、こゝに記して自己省察の鍵とする。
 けふも暑からう草の葉のそよがうともしないかなかな
・山をまへに昼虫の石に腰かける
・山ほとゝぎす解けないものがある
・おのが影のまつすぐなるを踏んでゆく
・炎天の影の濃くして鉄鉢も
・石に腰かけて今日のおべんたう
 遠雷すふるさとのこひしく
・水音の青葉のいちにち歩いてきた
・けふいちにちの汗をながすや蜩のなくながれ
・雷鳴が追つかけてくる山を越える
・日照雨ふる旅の法衣がしめるほどの
・かげは松風のうまい水がふき

ぢつとしてゐることは――暑中閑坐は望ましくないこともないが――それは、今の私には、生活上で、また精神的にも許されない。
一衣一鉢、へう/\として炎天下を歩きまはるのである。
・山の鴉はけふも朝からないてゐる
・手紙焼き捨てるをお湯が沸いた
・風の枯木をひらふては一人
戻るなり、水を汲み胡瓜を切り御飯を炊く、いやはや忙しいことである、独居は好きだけれど寂しくないこともない、たゞ酒があつて慰めてくれる、南無日本酒如来である。
水と酒と句(草本塔[#「草本塔」はママ]に題す)
     ――(山頭火第二句集自序)――
私は酒が好きなやうに水が好きである。
これまでの私の句は酒(悪酒でないまでも良酒ではなかつた)のやうであつた、これからの私の句は水(れいろうとしてあふれなくてもせんせんとしてながれるほどの)のやうであらう、やうでありたい。
この句集が私の生活と句境とを打開してくれることを信じてゐる、淡として水の如し、私はそこへ歩みつゝあると思ふ。
・何か落ちたる音もしめやかな朝風
   追加二句
・なんとうつくしい日照雨ふるトマトの肌で
・夾竹桃さいて彼女はみごもつてゐる
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 七月十七日

夢のない眠り、千金にも値する快眠だつた。
毎日暑いことである、夕立がきさうでこない、ばら/\と日照雨。
街へ買物にちよつと出たが汗でびつしよりになつた、石油十銭、醤油七銭、眼鏡四十五銭、……酒まではまはらない。
茄子胡瓜、胡瓜茄子ばかり食べてゐる。
野菊(嫁菜の花)が咲きはじめた、トマトも色づいてきた。
らつきよう一升十銭、その手入で午後はつぶれた。
夕は早くから蚊帳の中、待つてゐたが樹明君はやつてこなかつた。
今夜は十七夜、宮島祭だつたらう。
・ころ/\ころげてまあるい虫
・つながれて吠えるばかりの仔犬の暑さ
・朝からはだかで蝉よとんぼよ
・夕立つや蝉のなきしきる
 夕立つや逃げまどふ蝶が草のなか

 七月十八日

朝ぐもり、蝉しぐれ、身心なごやかなり。
胡瓜の味噌煮、茄子の浅漬うまし。
緑平老から涙ぐましいほど温かい手紙がくる、さつそくビール代や新聞代の借銭を払ふ、荷が軽くなつて吻とする。
入浴、身心のび/\とする。
夕立が沛然とやつてきた、よい雨だつた、よろこんだのは草木ばかりぢやない、虫も人もよろこんだ。
夕方、樹明君が御馳走を持つてきた、酒と鑵詰と、――たのしく飲んで、酔うて、寝てしまう。
・朝風のいちばん大きい胡瓜をもぐ
・肥をやる菜葉そよ/\そよぐなり
・朝はすゞしく菜葉くふ虫もつるんで
・朝の水はつらつとしていもりの子がおよいでゐる
・日ざかり黄ろい蝶
・山のあなたへお日様見送つて御飯にする
・寝るには早すぎるかすかにかなかな
・夕凪あまりにしづかなり豚のうめくさへ
・遠くから街あかりの、ねむくなつてねる

 七月十九日

酒はよいかな、とてもよい眠りだつた、そしてよい眼覚めだつた。
兎肉とキヤベツと玉葱と胡瓜。
△犬ころ草がやたらにはびこる、その穂花が犬ころのやうな感じで好きな草だ、其中庵の三雑草として、冬から春はぺん/\草、春から夏は犬ころ草、秋はお彼岸花をあげなければなるまい、そのほかに、草苺、青萱、車前草、蒲公英。
毎日、茄子胡瓜でもあるまいから、そしてちやうど駄目になる燠があつたから、これでをはりの蕗を採つて来て佃煮にした、蕗のほろにがさには日本的老心といつたやうな味がある。
・朝風の青草食みつつ馬は尾をふる
・日影ゆるゝは藪ふかく人のゐて
・炎天の機械がうごく人がうごく(アスフアルトプラント)
    □
 ひらいてゆれてゐる鬼百合のほこり
・朝からはだかで雑草の花
 糸瓜さいて垣からのぞく
 殺された蚊でぞんぶんに血を吸うた蚊で
・風が吹きとほすまへもうしろも青葉

 七月廿日 土用入。

快い朝明けだつたが、洋燈のホヤをこわして不快になつた、ホヤそのものはヒビがはいつてゐたぐらいだからちつとも惜しくはないけれども、それをこわすやうな自分を好かないのである、もつとくはしくいへば、こわす意志なくして物をこわすやうな、不注意な、落着のない心持が嫌なのである。
夏草にまじつて、こゝそこに咲きみだれてゐる鬼百合はまつたく炎天の花といひたい矜持をかゞやかしてゐる。
露草がぽつちりと咲いてゐる、これはまたしほらしい。
晩飯はうどんですました、澄太さんのおみやげ。
ヒビのいつたホヤだつたけれどこわれて困つた、新らしいホヤを買ふ銭がない、詮方なしに今夜は燈火なしで闇中思索だつた!
何とつゝましい私の近来の生活だらう。
夜が明けて起き、日が暮れて寝る、朝食六時、十二時昼食、夕食六時、すべてが正確で平静である。
   ※(丸中黒、1-3-26)酒に関する覚書(一)
酒は目的意識的に飲んではならない、酔は自然発生的でなければならない。
酔ふことは飲むことの結果であるが、いひかへれば、飲むことは酔ふことのマヽ因であるが、酔ふことが飲むことの目的であつてはならない。
何物をも酒に代へて悔いることのない人が酒徒である。
求むるところなくして酒に遊ぶ、これを酒仙といふ。
悠然として山を観る、悠然として酒を味ふ、悠然として生死を明らめるのである。

 七月廿一日

早く眼はさめたけれど、あたりが明るくなつてから起きた、燈火がないのだから、くらがりでは御飯の仕度も出来ないといふ訳で。
朝ぐもり、日中はさぞ暑からう。
此頃は夜よりも昼を、ことに朝が好きになつた。
郵便を待つ、新聞を待つ、それから、誰か来さうなものだと待つ、樹明君はたしかに今晩来るだらうと待つてゐる。
郵便局へ出かけたついでに、冬村君の仕事場に立ち寄る、君はもう快くなつて金網機をセツセと織つてゐる、よかつた/\。
とかげの木のぼりを初めて見た、蟻の敏活にさらに驚かされた、黒蜂(? 蜂蠅といつてもよからう)はまことにうるさい。
ひとりこそ/\茄子を焼く、ほころびを縫ふ糸がなかなか針の穴に通らない、――人の知らない老境だ。
青い風、涼しい風、吹きぬける風。
四時すぎ、案の如く樹明君がやつてきてくれた、そして驚くべき悲報をもたらした。――
緑石君の変死! 私は最初どうしても信じられなかつた、そして腹が立つてきた、そして悲痛のおもひがこみあげてきた。
緑石君はまだ見ぬ友のなかでは最も親しい最も好きな友であつた、一度来訪してもらふ約束もあつたし、一度徃訪する心組でもあつた。
それがすべて空になつてしまつた。
海に溺れて死んだ緑石、――私はいつまでもねむれなかつた。
樹明君とビールを飲みながら緑石君の事を話し合つた、どんなに惜しんでも惜しみきれない緑石君である、あゝ。
樹明君が帰つてから、ひとりでくらやみで、あれやこれやといつまでも考へてゐた、……寝苦しかつた。
人生は笑へない喜劇か、笑へる悲劇か、泣笑の悲喜劇であるやうだ。
   ※(丸中黒、1-3-26)酒に関する覚書(二)
酒中逍遙、時間を絶し空間を超える。
飲まずにはゐられない酒はしば/\飲んではならない酒であり、飲みたくない酒でもある、飲まなければならない酒はよくない酒である。
飲みたい酒、それはわるくない。
味ふ酒、よいかな、よいかな。
酒好き酒飲みとの別をはつきりさせる要がある。
酒好きで、しかも酒飲みは不幸な幸福人だ
   ※(丸中黒、1-3-26)酒に関する覚書(三)
酒は酒嚢に盛れ、酒盃は小さいほど可。
独酌三杯、天地洞然として天地なし。
さしつ、さされつ、お前が酔へば私が踊る。
酒屋へ三里、求める苦しみが与へられる歓び。
酒飲みは酒飲めよ、――酒好きに酒を与へよ。
飲むほどに酔ふ、それが酒を味ふ境涯である。
・かどは食べものやで酒もある夾竹桃
・夜風ふけて笑ふ声を持つてくる
   悼 緑石二句
 波のうねりを影がおよぐよ
 夜蝉がぢいと暗い空
   追加数句
・日ざかりのながれで洗ふは旅のふんどし
・いろ/\の事が考へられる螢とぶ
・なんといつてもわたしはあなたが好きなホウタル

 七月廿二日

昼も暑く夜も暑かつた、今日も我儘ながら休養。
仕事をする人々――田草取り、行商人、等々――に対して、まことにすまないと思ふ。
朝、手紙を二通書いて出す、一つは句稿を封入して白船老へ、一つは緑石君の遺族へお悔状。
途上、運よく出逢つた屑屋さんを引張つてきて新聞紙を売る、代金弐十弐銭也、さつそく買物をする、――ホヤ八銭、タバコ六銭、シヨウチユウ四銭、そして入浴して、まだ一銭余つてゐる!
南無新聞紙菩薩、帰命頂礼。
けふも漬茄子、やつぱりうまい、青紫蘇の香は何ともいへない。
夜は寝苦しかつた。
盆踊の稽古らしい音がきこえる、それは農村のマヽヤズだ、老弱男女、みんないつしよに踊れ、踊れ。
・炎天の水のまう蛇のうね/\ひかる
 炎天の下にして悶えつゝ死ぬる蛇
・伸びて蔓草のとりつくものがない炎天
 晴れわたり青いひかりのとんぼとあるく
 いちにち黒蜂が羽ばたく音にとぢこもる
 すこし白んできた空から青柿
 青葉ふみわけてきてこの水のいろ
・蚊帳をふきまくる風の暮れると観てゐる
・すつかり暮れた障子をしめて寝る
・よるの青葉をぬけてきこえる声はジヤズ
・きりぎりすも更けたらしい風が出た
・なんぼたゝいてもあけてやらないぞ灯取虫
・落ちたは柿か寝苦しい夜や
・死ぬる声の蝉の夜風が吹きだした
・あちらで鳴くよりこちらでも鳴く夜の雨蛙
    □
・空のふかさは木が茂り蜘蛛の網張るゆふべ
・とんぼつるんで風のある空
   追加
・あの山こえて雷鳴が私もこえる

 七月廿三日

昨夜も寝苦しかつた、それは暑いためばかりではなかつた。
せつかくよう出来てゐた茄子に虫がついて、しだいに弱つてきた、どんな手当をしてよいか解らないので、灰をふりかけてやつた。
味噌も醤油もなくなつてしまつた、むろん銭はない、今日は蕗、紫蘇、らつきよう、梅干、唐辛、マヽ焼塩、――そんなものばかり食べた、何といつてもまだ米があるから、そして塩だけはあるから有難い、飯ばかりの飯、いや空気を食べてさへすましたこともあるのだから。
もろ/\の虫、いろ/\の草、さても其中庵はにぎやかである。
禅海さんからハガキが来たが、私製ハガキの規定通りになつてゐないものだから、不足税を三銭徴収された、やつと五厘銅貨で納めたが。
くもり、ばら/\雨、トマトのマヽつくしい色を食べる(じつさいうれたトマトの肌はうつくしい)。
・糸瓜やうやく花つけてくれた朝ぐもり
 をのれにひそむや藪蚊にくんだりあはれんだりして
・蝉時雨もう枯れる草がある
・昼しづかな焼茄子も焼けたにほひ
・けふまでは生きてきたへそをなでつつ
・はひまはつた虫は見つけた穴にはいつた
・へちまよ空へのぼらうとする

 七月廿四日

ようねむれた、行乞すべく早う起きたが、ばら/\降つて風模様なので見合せる。
一円ばかり欲しいな、と思ふと同時に、蝉の声はよいな、とも思ふ。
天地うるほひあり、といつたやうな感じ。
自然荘厳――自然浄土である。
△梅干のうまさよ、ありがたさよ。
いつもは雀が稀なのに(雀の緑平老に不平をおこさせたほど)今日はたくさん雀がきてゐる、十羽、二十羽、三十羽、まさか風がふくからでもなからう。
午後、樹明君来庵、魚と焼酎とをおごつてくれる、ツマは畑から、トマト、胡瓜、蓮芋、紫蘇、とても豊富である、そして飯の代りとしてウドン、たらふく飲んで食べて酔ふた、あぶない/\。
風が強い、吹きとばされさうだつた、樹明君を途中まで送つて、それから局まで行つてハガキを投凾、そしてフラ/\しながら戻る、戻つて茶を沸かし飯を食べる、なか/\酔が醒めない、ハダカで寝る、アブラムシに笑はれた。
・郵便屋さんはがきと蠅とをいていつた
・うまくのがれた蠅めが花にとまつてゐる
・風ふく身のまはりおほぜい雀がきてあそぶ
・どちらへあるいてもいぬころぐさの花
・いぬころぐさいぬころぐさと風ふく
・ほろりとひかつて草の露
・風の風車の水車水をくみあげる
・風のなかおとしたものをさがしてゐる
・風のなか買へるだけの酒買うてきた

 七月廿五日

すてきに早起して、佐波川沿岸地方を行乞すべく、湯田まで出かけたが、とう/\降りだしたので、そして止みさうもないので、残念ながら引き返した(それでも一時間あまり途中行乞することは忘れなかつた、それほど事情が切迫してゐたからでもあるし、また、それほど乞食根性に慣らされてゐるからでもある、といつてよからう!)。
よい雨、明るい雨であつた(方々で雨乞をやつてゐたくらゐだから)、まことに慈雨であり喜雨であつた。
また何か事件があつたと見えて、今朝は柳井津橋のほとりで張込の刑事に誰何された、若い、人のよい刑事だつた、私が「二三日行脚してこうと思ふのです」といつたら、「それはよい、おいでなさい」とほがらかにいつてくれた。
合羽をきたので暑かつた、この合羽もずゐぶん古いものだ。
新国道の空をもう精霊蜻蛉が飛びまはつてゐた。
今日の所得
  米 六合   銭 九銭   外に句、十三。
帰庵したのは一時すぎ、法衣をぬぐなり、水をくんで飯を炊く、ひとりもののノンキないそがしさである。
童心――句心――老心といふことについて考へる。
山のしづけさ、山のさびしさ。
蝉のうれしさ、蚋のにくさ、ことに血に飢えた藪蚊は。
よい事ばかりはない、よい事をよくない事がうらづける、それが浮世といふものだ。
昼蚊帳を吊つて休養した、あんまり年寄くさいけれど。
あたりまへの事が好きになつた、平凡のうちに見出される味が本当のものだと思ふ、昔は二二ヶ四でないことを祈つたが、今は二二ヶ四であることを願ふ。
・けふも暑からう蓮の花咲ききつた
・ここも空家で糸瓜の花か
・風が落ちて雨となつた茄子や胡瓜や
・夕立晴れた道はアスフアルトの澄んだ空
・大橋小橋も新らしい国道一直線
・やつぱりお留守でのうせんかづら
 青柳おしわけいたゞくや一銭銅貨
・しんじつよい雨がふるいちじくの実も
・よい雨の、草や小供やみんな濡れ
・雑草のよろこびの雨にぬれてゆく
・死ねない杖の二本があちこち
・はたらいてきて水のむ
・蘇鉄の芽も昔ながらの家である
・自動車が通つてしまへば群とんぼ
・むしあつい雨だれの虫がはうてでる
・血がほとばしる、わたしのうつくしい血
・草から追はれて雨のてふてふどこへゆく
・雨が洗つていつたトマトちぎつては食べ
・いつも見て通る夾竹桃のなんぼでも咲いて
・せつせと田草とる大きな睾丸
・けふも夕立てる花のうたれざま
・ぬれてなく蝉よもう晴れる
・向日葵や日ざかりの機械休ませてある(追加)

 七月廿六日

昨夜はずゐぶん降つた、今日も時々降つた、これで水も十分だらう、草にも人にも喜色が見える。
天候も定らないし、法衣も乾かないので休養読書。
トマトを食べる、トマトのうまさがすこし解つたやうに思ふ。
何となく倦怠を覚える(そのくせ食慾はちつとも減じないどころか、ありすぎるほどある、五合の飯をペロリと平らげる)、入浴したら、だいぶ気持がすが/\しくなつた(湯銭が五厘不足とは笑はせる)。
向日葵が咲いてゐる、驕れる姿だ、どことなく成金臭があるけれど嫌いではない。
酒と句、この二つは私を今日まで生かしてくれたものである、若し酒がなかつたならば私はすでに自殺してしまつたであらう、そして若し句がなかつたならば、たとへ自殺しなかつても、私は痴呆となつてゐたであらう、まことに、まことに、南無酒菩薩であり、南無句如来である。
遊歩悠々、行乞は遊歩三昧でなければならないと思ふ、いつも行乞する場合、さう思ふのである。
夜の雨はしめやかだつた、財布はいよ/\ないふだつたが!
・すつかり好きになつたトマトうつくしくうれてくる
・地べたはいあるく児のまつぱだかなり
・警察署の裏はきたない水へ夾竹桃
・灯れば青葉のしたしい隣がある
・夕立晴れたる草や木や話声がするゆふべ
   追憶一句
・ほうけすゝきのいつまでも秋ふかし
・よべの雨の水音となつて明けはなれた
 子にせがまれて蝉はいつもの柿の木に(樹明君、敬坊に与ふ)
 雨の日ねもす藪蚊とたゝかふ
  (・風の日ねもす萱の穂の散りくる)
 あぶら蝉やたらに人が恋ひしうて
・雨ふる裏田ははだかで草とる
・子のことは忘れられない雲の峰
 黒い蝶白い蝶夏草はしげる

 七月廿七日

まだ降つてゐる、まるで梅雨のやうだ、これではもう水は十分すぎるだらう、そして水を呪ふだらう、エゴイスト人間!
昨夜から今朝は涼しい、子の夢を見た、それは埓もない夢だつたが、そこにはやつぱり親としての私の心があらはれてゐた、捨てゝも捨てゝも捨てきれないもの、忘れようとしても忘れることの出来ないもの、――そこに人間的なものがある、といへないこともあるまい、人間山頭火!
△与へられるものは与へなければならない、与へるよろこびが与へられるよろこびでなければならない。
いぬころ草のさかりがすぎてつゆ草の季節となつた。
何しろ藪蚊が多いので昼も蚊帳を吊つて読書、坊主の言草ぢやないが、内は極楽、外地獄、まことに麻布一重であります。
雨、その雨を利用して中耕施肥。
今日午後、はじめて、つく/\法師の声。
樹明来、お土産は例の如し、鰺はうまいし焼酎もわるくない、酔ひつぶれて宵から熟睡。
・なか/\暮れないきりぎりすかな
・夕蝉のなくことも逢ひたいばつかり

 七月廿八日

ねた、ねた、とてもようねた。
オミキ! 昨夜の残りの焼酎一杯!
今日からまた行乞の旅へ出る、歩け、歩け、たゞ歩け、歩くことが一切を解決してくれる。……
△七月のはじめに、――
  葉の青さに青蛙ひつそり
△七月のをはりに、――
  草も蛙もあを/\としてひつそり
自然の推敲改作とでもいはうか。
  酒飲めば谷の枯木も仏なり(連句)(芭蕉)
┌こんな一句がたしかにあつたと思ふ。
└酒好きに痴人は多いが悪人は少ない。
 七月廿九日
       『行乞記』
 七月三十日

底本:「山頭火全集 第五巻」春陽堂書店
   1986(昭和61)年11月30日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:小林繁雄
校正:仙酔ゑびす
2009年1月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。