ここへ移って来てから、ほんとうにのびやかな時間が流れてゆく。自分の寝床――それはどんなに見すぼらしいものであっても――を持っているということが、こんなにも身心を落ちつかせるものかと自分ながら驚ろいているのである。
 仏教では樹下石上といい一所不住ともいう。ルンペンは『寝たとこ我が家』という。しかし、そこまで徹するには悟脱するか、または捨鉢にならなければならない。とうてい私たちのような平々凡々の徒の堪え得るところでない。
家を持たない秋が深うなつた
霜夜の寝床が見つからない
 そうろうとして歩きつづけていた私は、私相応の諦観は持っていたけれど、時としてこういう嘆息を洩らさずにはいられなかった。
 人生の幸福とはよい食慾とよい睡眠とに外ならないと教えられたが、まったくそうである。ここでは食慾の問題には触れないでおく。私たちは眠らなければならない。いや眠らずにはいられない。しかも眠り得ない人々のいかに多いことよ。
 眠るためには寝床が与えられなければならない。よく眠るためにはよい寝床が与えられなければならない。彼等に寝床を与えよ。
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重荷おもくて唄うたふ 山頭火
  味取観音堂に於て
松はみな枝垂れて南無観世音 耕畝
久しぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる 同
ねむりふかい村を見おろし尿する 同
(「三八九」第壱集 昭和六年二月二日発行)

底本:「山頭火随筆集」講談社文芸文庫、講談社
   2002(平成14)年7月10日第1刷発行
   2007(平成19)年2月5日第9刷発行
初出:「「三八九」第壱集」
   1931(昭和6)年2月2日発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年5月19日作成
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