一 東京の櫻

吉野山去年のしをりの路かへて
  まだ見ぬ方の花をたづねむ
心は花に浮き立つ陽春四月、路伴れもがなと思ふ矢先、『今日は』とにこ/\顏の夜光命。待つてましたと裸男もにこ/\。挨拶もそこ/\にして語り出づるやう、『やよ聞き給へ。花は櫻、櫻は日本、日本の中にても東京附近、げに/\花の都なる哉。さてその東京附近には、吉野櫻と稱するもの多きが、櫻の中の櫻とも云ふべき山櫻は、小金井の獨得なり。小平村小川水衞所より小金井村境橋まで一里半、櫻の數は千六百五十本、幾んどみな山櫻也。而も老木也。殊に玉川上水の清流を夾めり。そのまた境橋より下、和田堀水衞所まで約四里、八重櫻相連なりて、其數三千に及ぶ。これを新武藏野の櫻と稱す。新武藏野と小金井と上下相連なりて長さ五六里とは、何と見事なものに非ずや。次に荒川土手の櫻、江北村鹿濱より千住掃部宿に至るまで、二里ばかりの土手の上、櫻の連なること千九百三十本に及ぶ。上方の半分が八重櫻にして、下方の半分が吉野櫻也。さてまた千住掃部宿より綾瀬川を渡り、鐘ヶ淵を經て、枕橋に至るまで、一里半、櫻の連なること千七百六十本、之を向島の櫻と稱す。向島と荒川土手と上下相連なりて凡そ四里、これも亦見事ならずや。次に飛鳥山の櫻、八百五十本。次に上野公園の櫻、千二百五十本。東京の櫻を賞せむとするものは、是非とも以上の六箇所を見ざるべからず。なほ櫻多き處を列擧すれば、九段の櫻が五百四十本、江戸川の櫻が三百八十本、日比谷公園の櫻が二百五十本、英國大使館前の櫻が二百八十本、芝公園の櫻が五百二十本、清水谷公園の櫻が四百五十本、淺草公園の櫻が二百三十本、山王公園の櫻が二百三十本、植物園の櫻が二百三十本、以上櫻の名所十五箇所、櫻の總數は、凡そ一萬四千本也。
 物知りの夜光命も、これには驚くかと思ひの外、『報知新聞の受賣か』と素破拔かれて、裸男大いに器量を下げたるが、『好し/\、さらば、世間に知れざる櫻の名所案内申さむ。いざ/\來給へ。』

        二 市川の桃林

本所押上町までは、市内電車に乘る。それより京成電車に乘りて、市川新田に下り、千葉街道の裏手を行く。左右は桃園也。萎みて色褪せたれど、花なほ枝に在り。紅色多きが、をり/\白色もまじる。喬松とりかこみて、桃を擁護するに似たり。夜光命、裸男の肩を叩いて曰く、『櫻の新名所へと云ひつるに、これは音に聞く市川の桃林に非ずや。よめたり/\、君が櫻の名所といふは、さきに電車の中より、ちらと見たる小利根川畔一帶の櫻雲なるべし』と、氣が付かれては仕方なし。正直に白状して曰く、『然り、今の處、いはば捨鐘也。似而非風流人は、一概に凡桃俗李とけなせど、まんざら見限つたものに非ず。まあ/\進み給へ。』
 疎籬をかこひて、人の入る能はざるやうにしたるが、時に口をあけ、茶店を設けて、客を迎ふる桃林もあり。一園の中に、二人の若紳士の酒酌みかはせるを見る。一美形之に侍す。一目直ちに藝者と見らる。夜光命ちらと見て、裸男に謂つて曰く、『桃の夭々たるものか。それにつけて思ひ出さるゝは、われ此頃京に遊びしに、途上相逢ふの女に美人らしきものなかりき。東京に歸り來れば、路上みな美人也。もとは、これがあべこべなりき。東京は金力を集中し、權力を集中し、從つて美人をも集中するに至れるか。水道の普及せるも、女の顏を美にする一因にあらずや』と云ふに、『水道の水は白粉とよく調和するかも知れず』と答へつゝ、客は二人なるに、藝者は一人のみなるかと、目を園の一方に移せば、居るは/\、桃花の奧に、蓮歩を運ぶ一美形、※(「梟」の「木」に代えて「衣」、第3水準1-91-74)娜たる後姿のみ見えて、其の顏は見えざりき。
 白旗神社の前を過ぎ、山王山不動堂の境内を通りて、八幡宮に至る。境内ひろく、木立しげる。祠畔に銀杏の大木あり、十數幹簇生して、一樹を成す。試みに抱へて見しに、七抱へありき。相傳ふ、この樹に蛇多く棲み、祭日には、必ず現はれ出づるとかや。老木は何の木にても、尊く仰がるゝ哉。實はこの老木を見たさに、わざ/\此に來りたる也。

        三 小利根川の右岸

捨鐘はこれにて濟みたり。千葉街道に出で、引返して、市川橋を渡り、小利根川の右岸を上る。堤の兩側の櫻、若けれども、花を著けたり。春水溶々、白帆浮ぶ。國府臺水に接して、積翠を凝らし、葛西葛飾の水田、茫々盡くる所を知らず。栗市の渡をわたりて、國府臺に上り、一茶店に就いて酒を呼ぶ。櫻花數十株、喬松の間にまじる。一條の櫻雲、小利根川畔に遠く相連なる。東京の方を見れば、數百千の煙突煙を吐く。十二階殊に目立ちて見ゆ。皇城まで直徑三里もあるべし。號砲の音、さやかに聞ゆ。鄰席の一群の中に、早川純三郎氏あり。裸男を認めて、來り話す。思ひがけぬ人に逢ひて、酒も一層の味を添ふ。早川氏その一群と共に去りて後、凡そ二十分、われらも發足して、栗市の渡をもとへ戻り、川に沿うて上る。上るに從ひて、櫻の木漸く大也。とぎれ/\に遊客に逢ふ。柴又帝釋天の後方にて、また早川氏の一行の川より上り來たるに逢ふ。この一行は、栗市より舟にて上りたる也。逢うて話す間もなく、この一行は帝釋天さして去り、我等は花のトンネルを行く。別れて間もなく、その一行の中に、『御兩人/\』と連呼するものあり。われら兩人の事かとふりむけば、土手の傾斜面に、若き男女相竝びてすわる。男の顏は黒く、女の顏は白し。男冷かされて、少しうつむきたるが、女はずう/\しくも手招きしながら、『新馬鹿大將』と叫ぶ。『蛇喰ふと聞けば恐し雉子の聲』の句さへ思ひ出されて、いとあさまし。
 奧州濱街道に出でて、金町に至り、電車待つ間に、葛西靈松と稱する老松を看る。田舍に置くは惜しきもの也。相對して厭くことを知らざるが、思ひの外早くも電車來りければ、心は後に殘りつゝも、之に乘りて歸路に就く。
 小利根川一に江戸川と稱す。櫻なほ若し。譬ふれば、十五六の少女にや。この日、市川橋より上を見物したるが、下には櫻樹長く相連なれり。上下數里、直ちに小利根川に接し、白帆殊に趣を添ふ。平田の眺めもよし。空澄まば、富士、箱根、秩父、日光、筑波も見ゆべし。國府臺の鬱蒼たるあり。帝釋天の壯麗なるあり。酒樓には、川魚料理を以て有名なる川甚もあり。舟にて花を眺むるの便もあり。今の處、吉野、小金井、荒川が櫻の名所の三絶と云はるゝが、ゆく/\は小利根川、必ず之に加はるべし。
(大正五年)

底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年7月9日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年9月17日作成
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