一

鸚鵡おうむさん、しばらくね……」
 と真紅しんくへ、ほんのりとかすみをかけて、新しい火のぱっ[#「火+發」、123-4]と移る、棟瓦むねがわら夕舂日ゆうづくひんださまなる瓦斯暖炉がすだんろの前へ、長椅子ながいすななめに、トもすそゆか上草履うわぞうり爪前つまさき細く※娜たおやか[#「女+島」の「山」に代えて「衣」、123-5]に腰を掛けた、年若き夫人が、博多の伊達巻だてまきした平常着ふだんぎに、おめしこん雨絣あまがすりの羽織ばかり、つくろはず、等閑なおざり引被ひっかけた、の姿は、敷詰しきつめた絨氈じゅうたん浮出うきいでたあやもなく、そでを投げた椅子の手の、緑の深さにも押沈おししずめられて、消えもやせむと淡かつた。けれども、美しさは、よるの雲に暗くこずえおおはれながら、もみぢの枝の裏透うらすくばかり、友染ゆうぜんくれないちら/\と、櫛巻くしまきの黒髪の濡色ぬれいろつゆしたたる、天井高き山のに、電燈の影白うして、ゆらめく如き暖炉のほのおは、世に隠れたる山姫やまひめにしきを照らす松明たいまつかとゆ。
 博士はかせ旅行たびをしたあとに、交際つきあいぎらひで、籠勝こもりがちな、の夫人が留守した家は、まだよいも、実際つたの中に所在ありかるゝ山家やまがの如き、窓明まどあかり
 広い住居すまいの近所も遠し。
 久しぶりで、うして火を置かせたまゝ、気に入りの小間使さへ遠ざけて、ハタとひらきとざした音が、こだまするまで響いたのであつた。
 夫人は、さてただ一人、壁に寄せた塗棚ぬりだな据置すえおいた、かごの中なる、雪衣せつい鸚鵡おうむと、差向さしむかひに居るのである。
「御機嫌よう、ほゝゝ、」
 とつぼみを含んだおもむきして、鸚鵡の雪に照添てりそふ唇……
 籠は上に、棚のたけやや高ければ、打仰うちあおぐやうにした、まゆの優しさ。びんの毛はひた/\と、羽織のえりに着きながら、肩もうなじも細かつた。
「まあ、挨拶あいさつもしないで、……黙然だんまりさん。お澄ましですこと。……あゝ、此のあいだはとにばツかり構つて居たから、お前さん、一寸ちょいとかんむりが曲りましたね。」
 此の五日いつか六日むいか心持こころもちわずらはしければとて、客にもはず、二階の一室ひとまに籠りツきり、で、寝起ねおきひまには、裏庭の松のこずえ高き、城のもの見のやうな窓から、雲と水色の空とをながら、徒然つれづれにさしまねいて、蒼空あおぞらを舞ふ遠方おちかた伽藍がらんの鳩を呼んだ。――真白なのは、てのひらへ、むらさきなるは、かへして、指環の紅玉ルビイの輝くこうへ、朱鷺色ときいろと黄のあしして、軽く来てとまるまでにれたのであつた。
「それ/\、お冠の通り、くちばしが曲つて来ました。目をくる/\……でも、矢張やっぱ可愛かわいいねえ。」
 と艶麗あでやか打傾うちかたむき、
「其の替り、今ね、寝ながら本を読んで居て、面白い事があつたから、お話をして上げようと思つて、故々わざわざ遊びに来たんぢやないか。途中が寒かつたよ。」
 と、ひしと合はせた、両袖りょうそでかたしまつたが、こぼるゝ蹴出けだし柔かに、つま一靡ひとなびき落着いて、胸をらして、顔を引き、
いいえ、まだ出して上げません。……お話を聞かなくツちや……でないと袖をくわへたり、乗つたり、悪戯いたずらをして邪魔じゃまなんですもの。
 お聞きなさいよ。
 いかい、お聞きなさいよ。
 まあ、ねえ。
 座敷は――こんな貸家建かしやだてぢやありません。壁も、床も、皆彩色さいしきした石を敷いた、明放あけはなした二階の大広間、客室きゃくまなんです。
 外面おもての、印度インド洋に向いた方の、大理石のまわえんには、のきから掛けて、ゆかへ敷く……水晶のすだれに、星の数々ちりばめたやうな、ぎやまんの燈籠とうろうが、十五、晃々きらきらいて並んで居ます。草花くさばなの絵の蝋燭ろうそくが、月のかつらの透くやうに。」
 とえりおさへた、指の先。

        二

 引合ひきあはせ、又そでを当て、
ちょうど、まだあかしを入れたばかりの暮方くれがたでね、……其の高楼たかどのから瞰下みおろされる港口みなとぐち町通まちどおりには、焼酎売しょうちゅううりだの、雑貨屋だの、油売あぶらうりだの、肉屋だのが、皆黒人くろんぼに荷車をかせて、……商人あきんどは、各自てんでんに、ちやるめらを吹く、さゝらをる、ベルを鳴らしたり、小太鼓を打つたり、宛然まるで神楽かぐらのやうなんですがね、うちおおきいから、遠くに聞えて、夜中の、あの魔もののお囃子はやし見たやうよ、……そして車に着いた商人あきんどの、一人々々、穂長ほながやりいたり、かついだりしてく形が、ぞろ/\影のやうに黒いのに、椰子やしの茂つた上へ、どんよりと黄色に出た、月のあかりで、白刃しらはばかりが、閃々ぴかぴか、と稲妻いなずまのやうに行交ゆきかはす。
 其の向うは、わにの泳ぐ、可恐おそろし大河おおかわよ。……水上みなかみ幾千里いくせんりだか分らない、天竺てんじくのね、流沙河りゅうさがわすえだとさ、河幅が三里の上、深さは何百尋なんびゃくひろか分りません。
 船のある事……帆柱ほぼしら巻着まきついた赤い雲は、夕日の余波なごりで、鰐の口へ血の晩御飯を注込つぎこむんだわね。
 時は十二月なんだけれど、五月のお節句の、これこいそれは金銀の糸の翼、輝くにじ手鞠てまりにして投げたやうに、空を舞つて居た孔雀くじゃくも、う庭へ帰つて居るの……燻占たきしめはせぬけれど、棚に飼つた麝香猫じゃこうねこの強いかおりぷんとする……
 おなじやうに吹通ふきとおしの、裏は、川筋を一つ向うに、夜中は尾長猿おながざるが、キツキと鳴き、カラ/\カラと安達あだちはら鳴子なるこのやうな、黄金蛇こがねへびの声がする。椰子やし檳榔子びんろうじの生え茂つた山に添つて、城のやうに築上つきあげた、煉瓦造れんがづくりがづらりと並んで、矢間やざまを切つた黒い窓から、いしびやの口がづん、と出て、幾つも幾つも仰向あおむけに、星をまうとして居るのよ……
 和蘭オランダ人のやかたなんです。
 其のひとつの、和蘭館オランダかんの貴公子と、其の父親の二人が客で。卓子テエブルの青い鉢、青い皿を囲んで向合むきあつた、唐人とうじんの夫婦が二人。別に、肩には更紗さらさ投掛なげかけ、腰に長剣をいた、目の鋭い、はだか筋骨きんこつ引緊ひきしまつた、威風の凜々りんりんとした男は、島の王様のやうなものなの……
 周囲まわりに、いほどを置いて、黒人くろんぼの召使が三人で、つつしんで給仕に附いて居る所。」
 と俯目ふしめに、睫毛まつげ濃く、黒棚くろだなひとツの仕劃しきりを見た。袖口そでぐち白く手をべて、
「あゝ、一人此処ここに居たよ。」
 と言ふ。天窓あたまの大きな、あごのしやくれた、如法玩弄にょほうおもちゃやきものの、ペロリと舌で、西瓜すいか黒人くろんぼの人形が、ト赤い目で、おでこにらんで、灰色の下唇したくちびるらして突立つったつ。
「……余りつつしんでは居ないわね……一寸ちょいと、お話の中へ出ておいで。」
 と手を掛けると、ぶるりとした、貧乏動びんぼうゆるぎと云ふ胴揺どうゆすりで、ふてくされにぐら/\と拗身すねみに震ふ……はつと思ふと、左の足がもものつけもとから、ぽきりと折れて、ポンと尻持しりもちいたていに、かかとの黒いのを真向まむきに見せて、一本ストンと投出なげだした、……あたかよしほかの人形など一所いっしょに並んだ、中にまじつて、其処そこに、木彫にうまごやしを萌黄もえぎいた、舶来ものの靴が片隻かたっぽ
 で、肩を持たれたまゝ、右のびっこくろどのは、夫人の白魚しらうおの細い指に、ぶらりとかかつて、ひとツ、ト前のめりに泳いだつけ、いしきゆすつたちんな形で、けろりとしたもの、西瓜をがぶり。
 じって、
「まあ……」
 離すと、いことに、あたり近所の、我朝わがちょう姉様あねさま仰向あおむけ抱込だきこんで、ひっくりかへりさうであぶないから、不気味らしくも手からは落さず……
「島か、みつか、はたきを掛けて――お待ちよ、いいえう/\……矢張やっぱりこれは、此の話の中で、わにに片足食切くいきられたと云ふ土人か。人殺しをして、山へげて、大木たいぼくこずえぢて、枝から枝へ、千仭せんじんたにを伝はるところを、捕吏とりての役人に鉄砲でられた人だよ。
 ねえ鸚鵡おうむさん。」
 と、足をいで、かごわき立掛たてかけた。
 鸚鵡の目こそ輝いた。

        三

「あんな顔をして、」
 と夫人は声を沈めたが、打仰うちあおぐやうに籠をのぞいた。
「お前さん、お知己ちかづきぢやありませんか。もっとも御先祖の頃だらうけれど――其の黒人くろんぼも……和蘭陀オランダ人も。」
 で、木彫の、小さな、護謨細工ゴムざいくのやうに柔かに※(「ころもへん+責」、第3水準1-91-87)ひだの入つた、靴をも取つて籠の前に差置さしおいて、
「此のね、可愛らしいのが、其の時の、和蘭陀館オランダやかたの貴公子ですよ。御覧、――お待ちなさいよ。うして並べたら、何だか、もの足りないから。」
 フト夫人は椅子を立つたが、前に挟んだ伊達巻だてまきの端をキウとめた。絨氈じゅうたんを運ぶ上靴は、雪に南天なんてんの赤きを行く……
 書棚をのぞいて奥を見て、抽出ぬきだす論語の第一巻――やしきは、置場所のある所とさへ言へば、廊下の通口かよいぐちも二階の上下うえしたも、ぎつしりと東西の書もつのそろつた、硝子戸がらすど突当つきあたつて其から曲る、……本箱のいつななツが家の五丁目七丁目で、縦横じゅうおうに通ずるので。……こゝの此の書棚の上には、花はちょうしてなかつた、――手附てつきの大形の花籠はなかごと並べて、白木しらききりの、軸ものの箱がツばかり。其の真中のふたの上に……
 仰々ぎょうぎょうしく言出いいだすと、かたき髑髏しゃれこうべか、毒薬のびんか、と驚かれよう、真個まったくの事を言ひませう、さしたる儀でない、むらさききれを掛けたなりで、一しゃくずん一口ひとふり白鞘しらさやものの刀がある。
 と黒目勝くろめがちな、意味の深い、活々いきいきとしたひとみに映ると、何思ひけむ、紫ぐるみ、本に添へて、すらすらと持つて椅子に帰つた。
 其だけで、身の悩ましき人はほっと息する。
「さあ、此の本が、唐土もろこしの人……揃つたわね、主人も、客も。
 してわにの晩飯時分、孔雀くじゃくのやうなたま燈籠とうろううちで、御馳走ごちそうを会食して居る……
 一寸ちょいと、其の高楼たかどの何処どこだと思ひます……印度インドの中のね、蕃蛇剌馬ばんじゃらあまん……船着ふなつきの貿易所、――お前さんが御存じだよ、私よりか、」
 と打微笑うちほほえみ、
主人しゅじんは、支那しな福州ふくしゅう大商賈おおあきんどで、客は、其も、和蘭陀オランダ富豪父子かねもちおやこと、此の島の酋長しゅうちょうなんですがね、こゝでね、みんながね、たゞひとツ、其だけにいて繰返して話して居たのは、――此のね、酋長の手から買取つて、和蘭陀の、其の貴公子が、此のうちへ贈りものにした――うね、お前さんの、あの、御先祖と云ふと年寄染としよりじみます、其の時分はわかいのよ。出が王様の城だから、姫君の鸚鵡おうむ一羽いちわ
 全身緋色ひいろなんだつて。……
 此が、哥太寛こたいかんと云ふ、此家ここ主人あるじたち夫婦の秘蔵娘で、今年十八に成る、哥鬱賢こうつけんと云うてね、島第一の美しい人のものに成つたの。和蘭陀の公子は本望ほんもうでせう……実は其が望みだつたらしいから――
 鸚鵡は多年らしてあつて、土地の言語はもとよりだし、瓜哇ジャワ勃泥亜ボルネオなまりから、馬尼剌マニラ錫蘭セイロン沢山たんとだなかつた、英吉利イギリスの語も使つて、其は……怜悧りこうな娘をはじめ、誰にも、よく解るのに、ひとツ人の聞馴ききなれない、不思議な言語ことばがあつたんです。
 以前の持主、二度目のはお取次とりつぎ、一人も仕込んだ覚えはないから、其の人たちは無論の事、港へ出入る、国々島々のものに尋ねても、まるつきし通じない、希有けうな文句を歌ふんですがね、しらべて見ると、其が何なの、此の内へ来てから、はじまつたと分つたんです。
 何かの折の御馳走に、哥太寛こたいかんが、――今夜だわね――其の人たちを高楼たかどのまねいて、話の折に、又其の事を言出いいだして、鸚鵡おうむの口真似もしたけれども、分らない文句は、鳥の声とばツかし聞えて、そばで聞く黒人くろんぼたちも、妙な顔色かおつきで居る所……ね……
 其処そこへですよ、奥深く居て顔は見せない、娘の哥鬱賢こうつけんから、※(「女+必」、第4水準2-5-45)こしもとが一人使者つかいで出ました……」

        四

差出さしでがましうござんすが、お座興にもと存じて、お客様の前ながら、申上げます、とお嬢様、御口上ごこうじょう。――内に、日本にっぽんと云ふ、草毟くさむしりの若い人がりませう……ふと思ひ着きました。あのものをお召し遊ばし、鸚鵡のなぞをお問合はせなさいましては如何いかがでせうか、と其の※(「女+必」、第4水準2-5-45)こしもとべたんです。
 鸚鵡は、もっとも、お嬢さんが片時かたときそばを離さないから、席へ出ては居なかつたの。
 でね、此を聞くと、人のい、気の優しい、哥太寛の御新姐ごしんぞが、おゝ、と云つて、そでひらく……主人もはた、と手をつて、」
 とて、夫人は椅子なる袖に寄せた、白鞘しらさやを軽くおさへながら、
先刻せんこくより御覧に入れた、此なるつるぎ、と哥太寛の云つたのが、――卓子テエブルの上に置いた、蝋塗ろうぬり鮫鞘巻さめざやまき縁頭ふちがしら目貫めぬきそろつて、金銀造りの脇差わきざしなんです――此の日本のつるぎ一所いっしょに、泯汰脳ミンダネオ土蛮どばんが船に積んで、売りに参つた日本人を、三年さき買取かいとつて、現に下僕かぼくとして使ひまする。が、そばへも寄せぬ下働したばたらきおとこなれば、つるぎ此処ここにありながら、其の事とも存ぜなんだ。……成程なるほど、呼べ、と給仕をつて、鸚鵡を此へ、と急いで嬢に、で、※(「女+必」、第4水準2-5-45)こしもとを立たせたのよ。
 たゞたまのしるしばかり、髪は糸で結んでも、胡沙こさ吹く風は肩に乱れた、身はせ、顔はやつれけれども、目鼻立ちのりんとして、口許くちもとしまつたのは、服装なりうでも日本やまと若草わかくさ黒人くろんぼの給仕に導かれて、燈籠とうろうの影へあらわれたつけね――主人の用に商売あきないものを運ぶ節は、盗賊どろぼうの用心にきっと持つ……穂長ほながやりをねえ、こんな場所へは出つけないから、突立つきたてたまゝで居るんぢやありませんか。
 和蘭陀オランダのは騒がなかつたが、蕃蛇剌馬ばんじゃらあまん酋長しゅうちょうは、帯を手繰たぐつて、長剣のつかへ手を掛けました。……此のお夥間なかまです……人の売買うりかいをする連中れんじゅうは……まあね、槍は給仕が、此もあわてて受取つたつて。
 静かに進んで礼をする時、牡丹ぼたんはしけたやうに、花の中を廻りめぐつて、奥へ続いた高楼たかどのの廊下づたひに、黒女くろめ※(「女+必」、第4水準2-5-45)こしもと前後あとさきに三人いて、浅緑あさみどりきぬに同じをした……おもては、雪のが沈む……しろがねくし照々てらてらと、両方のびんに十二枚の黄金こがねかんざし、玉の瓔珞ようらくはら/\と、お嬢さん。耳鉗みみわ腕釧うでわも細い姿に、抜出ぬけでるらしく鏘々しょうしょうとして……あの、さら/\と歩行あるく。
 母親が※(「碌のつくり」、第3水準1-84-27)きょくろくを立つて、花の中で迎へたところで、哥鬱賢は立停たちどまつて、して……桃の花のかさなつて、影もまる緋色の鸚鵡おうむは、お嬢さんの肩から翼、飜然ひらりと母親の手にまる。其を持つて、卓子テエブルに帰つて来るに、お嬢さんの姿は、※(「女+必」、第4水準2-5-45)こしもとみっツの黒い中に隠れたんです。
 鸚鵡は誰にも馴染なじみだわね。
 卓子テエブル其処そこへ、花片はなびらの翼を両方、燃立もえたつやうに。」
 と云ふ。声さへ、其の色。暖炉だんろ瓦斯がす颯々さっさつ霜夜しもよえて、一層殷紅いんこうに、鮮麗せんれいなるものであつた。
「影を映した時でした……其のや用のおもむきを言ひ聞かされた、髪の長い、日本の若い人の、じっと見るのと、ひとみを合せたやうだつたつて……
 若い人の、やつれ顔に、血の色がさっのぼつて、――国々島々、方々が、いづれもお分りのないとある、ただ一句、不思議な、短かい、鸚鵡の声と申すのを、わたくしが先へ申して見ませう……もしや?……
 ――港で待つよ――
 と、う申すのではござりませぬか、と言ひもだ果てなかつたに、島の毒蛇どくじゃ呼吸いきを消して、椰子やしの峰、わにながれ蕃蛇剌馬ばんじゃらあまんの黄色な月も晴れ渡る、世にもほがらかなすずしい声して、
 ――港で待つよ――
 と、はねなびかして、其の緋鸚鵡ひおうむが、高らかに歌つたんです。
 かんざしゆら気勢けはいは、彼方あちらに、お嬢さんの方にして……卓子テエブルの其の周囲まわりは、かえつて寂然ひっそりとなりました。
 たゞ、和蘭陀オランダの貴公子の、先刻さっきから娘に通はすあいたたへた目の美しさ。
 はじめて鸚鵡に見返して、此の言葉よ、此の言葉よ!日本、と真前まっさきに云ひましたとさ。」

        五

真個まったく、其のことばに違はないもんですから、主人も、客も、座を正して、其のいはれを聞かうと云つたの。
 ――港で待つよ――
 深夜に、可恐おそろし黄金蛇こがねへびの、カラ/\とふ時は、[#「、」は底本では「、、」]土蛮どばんでさへ、誰も皆耳をふさぐ……其の時にはうか知らない……そんな果敢はかない、一生奴隷どれいに買はれた身だのに、一度も泣いた事を見ないと云ふ、日本の其のわかい人は、今の鸚鵡の一言ひとことを聞くか聞かないに、やりをそばめた手も恥かしい、ばつたりゆかに、俯向うつむけに倒れて潸々さめざめと泣くんです。
 お嬢さんは、伸上のびあがるやうに見えたの。
 涙を払つて――唯今の鸚鵡おうむの声は、わたくしが日本の地を吹流ふきながされて、うした身に成ります、其の船出の夜中に、歴然ありありと聞きました……十二一重じゅうにひとえに緋のはかまを召させられた、百人一首と云ふ歌の本においで遊ばす、貴方方あなたがたにはお解りあるまい、尊い姫君の絵姿に、面影おもかげさせられた御方おかたから、お声がかりがありました、其の言葉に違ひありませぬ。いま赫耀かくやくとした鳥の翼を見ますると、らるゝやうに其の緋の袴が目に見えたのでこさります。――と此から話したの――其の時のは、船の女神おんながみさまのお姿だつたんです。
 若い人は筑前ちくぜん出生うまれ、博多の孫一まごいちと云ふ水主かこでね、十九の年、……七年前、福岡藩の米を積んだ、千六百こく大船たいせんに、乗組のりくみ人数にんず、船頭とも二十人、宝暦ほうれきうまとし十月六日に、伊勢丸いせまると云ふ其の新造しんぞう乗初のりぞめです。づはとどこおりなく大阪へ――それから豊前ぶぜんへ廻つて、中津なかつの米を江戸へ積んで、江戸から奥州へ渡つて、又青森から津軽藩の米をことづかつて、一度品川まで戻つたところあらためて津軽の材木を積むために、奥州へくだつたんです――其の内、年号は明和めいわと成る……元年さるの七月八日、材木を積済つみすまして、立火たつび小泊こどまりから帆をひらいて、順風に沖へ走り出した時、一にんやぐらからさかさまに落ちて死んだのがあつたんです、此があやかしのいたはじめなのよ。
 南部の才浦さいうらと云ふところで、七日なぬかばかり風待かざまちをして居た内に、長八ちょうはちと云ふ若い男が、船宿ふなやど小宿こやどの娘と馴染なじんで、明日あす出帆しゅっぱん、と云ふ前の晩、手に手を取つて、行方も知れず……一寸ちょいと……駈落かけおちをしてしまつたんだわ!」
 ふと蓮葉はすはに、ものを言つて、夫人はすつと立つて、対丈ついたけに、黒人くろんぼ西瓜すいかを避けつゝ、鸚鵡のかごをコト/\と音信おとずれた。
う?多分の我まゝな駈落ものの、……私は子孫だ、と思ふんだがね。……御覧の通りだからね、」
 と、しもつめたい色して、
「でも、駈落ちをしたおかげで、無事に生命いのちを助かつたんです。思つた同士は、道行みちゆきに限るのねえ。」
 と力なささうに、疲れたらしく、立姿たちすがたのなり、黒棚くろだなに、柔かなそでを掛けたのである。
「あとの大勢つたら、其のあくる日から、火の雨、火の風、火のなみ吹放ふきはなされて、西へ――西へ――毎日々々、百日と六日のあいだ、鳥の影一つ見えない大灘おおなだを漂うて、お米を二しょうに水一薄粥うすがゆで、二十人の一日の生命いのちつないだのも、はじめの内。くまびきさへれないもの、長いあいだに漁したのは、二尋ふたひろばかりのふかが一ぴき。さ、其を食べた所為せいでせう、おなかの皮が蒼白あおじろく、ふかのやうにだぶだぶして、手足は海松みるの枝の枯れたやうになつて、つと見着けたのがおにしま、――魔界だわね。
 うしてつちを見てからも、島の周囲まわりに、底から生えて、みきばかりも五じょう、八丈、すく/\と水から出た、名も知れない樹が邪魔に成つて、船を着ける事が出来ないで、海の中の森のあいだを、潮あかりに、月も日もなく、夜昼よるひる七日なのか流れたつて言ふんですもの……
 其の時分、大きな海鼠なまこ二尺許にしゃくばかりなのを取つて食べて、毒に当つて、死なないまでに、こはれごはれの船の中で、七顛八倒しちてんばっとう苦痛くるしみをしたつて言ふよ。……まあ、どんな、心持こころもちだつたらうね。渇くのはつらくつて、雨のない日の続く時は帆布ほぬのを拡げて、夜露よつゆを受けて、みんなが口をつけて吸つたんだつて――大概唇は破れて血が出て、――助かつた此の話の孫一まごいちは、あんまり激しく吸つたため、前歯二つつて居たとさ。……
 お聞き、島へ着くと、元船もとぶね乗棄のりすてて、魔国まこくとこゝを覚悟して、死装束しにしょうぞくに、髪を撫着なでつけ、衣類を着換きかへ、羽織を着て、ひもを結んで、てん/″\が一腰ひとこしづゝたしなみの脇差わきざしをさして上陸あがつたけれど、うえかつゑた上、毒に当つて、足腰も立たないものをうしませう?……」

        六

「三百人ばかり、山手やまてから黒煙くろけぶりを揚げて、羽蟻はありのやうに渦巻いて来た、黒人くろんぼやり石突いしづきで、浜に倒れて、呻吟うめき悩む一人々々が、胴、腹、腰、背、コツ/\とつつかれて、生死いきしにためされながら、抵抗てむかいも成らずはだかにされて、懐中ものまで剥取はぎとられた上、親船おやぶね端舟はしけも、おので、ばら/\にくだかれて、帆綱ほづな帆柱ほばしら、離れた釘は、可忌いまわし禁厭まじない可恐おそろし呪詛のろいの用に、みんなられてしまつたんです。……
 あとは残らず牛馬うしうま扱ひ。それ、草をむしれ、馬鈴薯じゃがいもを掘れ、貝を突け、で、焦げつくやうな炎天、よる毒蛇どくじゃきり毒虫どくむしもやの中を、むち打ち鞭打ち、こき使はれて、三月みつき半歳はんとし、一年と云ふうちには、大方死んで、あと二三人だけ残つたのが一人々々、牛小屋からつかみ出されて、はてしも知らない海の上を、二十日目はつかめに島一つ、五十日目に島一つ、離れ/″\に方々へ売られて奴隷どれいに成りました。
 孫一まごいちも其の一人だつたの……此の人はね、乳も涙もみなぎり落ちる黒女くろめ俘囚とりこ一所いっしょに、島々を目見得めみえに廻つて、其のあいだには、日本、日本で、見世ものの小屋に置かれた事もあつた。一度何処どこか方角も知れない島へ、船が水汲みずくみに寄つた時、浜つゞきの椰子やしの樹の奥に、うね、透かすと、一人、コトン/\と、さびしくあわいて居た亡者もうじゃがあつてね、其が夥間なかまの一人だつたのが分つたから、声を掛けると、黒人くろんぼ突倒つきたおして、船は其のまゝ朱色しゅいろの海へ、ぶく/\と出たんだとさ……可哀相ねえ。
 まだ可哀あわれなのはね、一所いっしょ連廻つれまはられた黒女くろめなのよ。又何とか云ふ可恐おそろしい島でね、人が死ぬ、と家属かぞくのものが、其の首は大事にしまつて、他人の首をきながら切つて、死人の首へ継合つぎあはせて、其をうずめると云ふ習慣ならわしがあつて、工面くめんのいゝのは、平常ふだんから首代くびしろの人間を放飼はなしがいに飼つて置く。日本ぢや身がはりの首と云ふ武士道とかがあつたけれど、其の島ぢやげると不可いけないからつて、足を縛つて、首から掛けて、またあいだへ鉄の分銅ふんどうるんだつて……其処そこへ、あの、黒い、乳の膨れた女は買はれたんだよ。
 孫一は、天の助けか、其の土地では売れなくつて――とう/\蕃蛇剌馬ばんじゃらあまんかたが附いた――
 と云ふ訳なの……
 話は此なんだよ。」
 夫人は小さな吐息した。
のね、ね。可悲かなしい、可恐おそろしい、滅亡の運命が、人たちの身に、暴風雨あらしと成つて、天地とともに崩掛くずれかからうとする前のよる、……風はよし、なぎはよし……船出の祝ひに酒盛したあと、船中残らず、ぐつすりと寝込んで居た、仙台の小淵こぶちの港で――しもの月にひとめた、年十九の孫一の目に――思ひも掛けない、とも神龕かみだなの前に、こおつた竜宮の几帳きちょうと思ふ、白気はっき一筋ひとすじ月に透いて、向うへ大波がうねるのが、かさなつてすごく映る。其の蔭に、端麗あでやかさも端麗あでやかに、神々こうごうしさも神々しい、緋のはかまの姫が、お一方ひとかた、孫一を一目見なすつて、
 ――港で待つよ――
 と其の一言ひとこと。すらりと背後うしろ向かるゝ黒髪のたけ、帆柱ほばしらより長くなびくと思ふと、袴のもすそが波をつて、月の前を、さら/\と、かけ波のしぶきの玉を散らしながら、港口みなとぐちへ飛んで消えるのを見ました……あつと思ふと夢はめたが、月明りに霜の薄煙うすけぶりがあるばかり、船の中に、尊いこうかおりが残つたと。……
 此の船中に話したがね、船頭はじめ――白痴たわけめ、おんなに誘はれて、駈落かけおちの真似がしたいのか――で、船は人ぐるみ、うして奈落へさかさま落込おちこんだんです。
 まあ、何と言はれても、美しい人の言ふことに、従へばかつたものをね。
 七年幾月いくつきの其の日はじめて、世界を代へた天竺てんじく蕃蛇剌馬ばんじゃらあまん黄昏たそがれに、緋の色した鸚鵡おうむの口から、同じことばを聞いたので、身を投臥なげふして泣いた、と言ひます。
 微妙いみじ姫神ひめがみ、余りの事の霊威にうたれて、一座皆ひざまずいて、東の空を拝みました。
 言ふにも及ばない事、奴隷どれいの恥も、くるしみも、孫一は、其の座でけて、娘の哥鬱賢こうつけんはなむけした其の鸚鵡を肩にゑて。」
 とかごける、と飜然ひらりと来た、が、此は純白ゆきの如きが、嬉しさに、さっ揚羽あげはの、羽裏はうらの色は淡く黄に、くち珊瑚さんご薄紅うすくれない
哥太寛こたいかん餞別せんべつしました、金銀づくりの脇差わきざしを、片手に、」と、ひじを張つたが、撓々たよたよと成つて、むらさききれも乱るゝまゝに、ゆるき博多の伊達巻だてまきへ。
 肩を斜めに前へ落すと、そでの上へ、かいなすべつた、……月が投げたるダリヤの大輪おおりん白々しろじろと、揺れながらたわむれかゝる、羽交はがいの下を、軽く手に受け、すずしい目を、じっと合はせて、
「……あら嬉しや!三千日さんぜんにちの夜あけ方、和蘭陀オランダ黒船くろふねに、あさひを載せた鸚鵡おうむの緋の色。めでたく筑前ちくぜんへ帰つたんです――
 お聞きよ此を! 今、現在、私のために、荒浪あらなみに漂つて、蕃蛇剌馬ばんじゃらあまんに辛苦すると同じやうなわかい人があつたらね、――お前は何と云ふの!何と言ふの?
 私は、其が聞きたいの、聞きたいの、聞きたいの、……たとへばだよ……お前さんの一言ひとことで、運命がきまると云つたら、」
 と、息切れのするまぶたさっと、気を込めた手に力が入つて、鸚鵡の胸をしたと思ふ、くちばし※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)もがいてけて、カツキとんだ小指の一節ひとふし
「あ、」と離すと、爪を袖口そでぐちすがりながら、胸毛むなげさかさ仰向あおむきかゝつた、鸚鵡の翼に、垂々たらたら鮮血からくれない振離ふりはなすと、ゆかまで落ちず、宙ではらりと、影を乱して、黒棚くろだなに、バツと乗る、と驚駭おどろき退すさつて、夫人がひたと遁構にげがまへのひらきもたれた時であつた。
 西瓜すいかは投げぬが、がつくり動いて、ベツカツコ、と目をく拍子に、前へのめらうとした黒人くろんぼの其の土人形つちにんぎょうが、いきおい余つて、どたりと仰状のけざま。ト木彫のあの、和蘭陀オランダ靴は、スポンと裏を見せて引顛返ひっくりかえる。……あおりをくつて、論語は、ばら/\と暖炉に映つて、かっと朱をそそぎながら、ペエジひらく。
 雪なす鸚鵡は、見る/\全身、美しい血にそまつたが、目を眠るばかり恍惚うっとりと成つて、ほがらかに歌つたのである。
 ――港で待つよ――
 時に立窘たちすくみつゝ、白鞘しらさやに思はず手を掛けて、以てのほかかな、怪異けいなるものどもの挙動ふるまいた夫人が、忘れたやうに、つかをしなやかに袖にいて、するりと帯に落して、片手におくれ毛を払ひもあへず……うなずいて……莞爾にっこりした。

底本:「日本幻想文学集成1 泉鏡花」国書刊行会
   1991(平成3)年3月25日初版第1刷発行
   1995(平成7)年10月9日初版第5刷発行
底本の親本:「泉鏡花全集」岩波書店
   1940(昭和15)年発行
初出:「中央公論」
   1912(大正元)年11月
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2009年5月10日作成
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