時雨に真青まっさおなのは蒼鬣魚かわはぎひれである。形は小さいが、三十枚ばかりずつ幾山にも並べた、あの暗灰色の菱形ひしがたうおを、三角形に積んで、下積したづみになったのは、軒下の石にあいを流して、上の方は、浜の砂をざらざらとそのままだから、海の底のピラミッドを影でのぞあたらしさがある。この深秘らしい謎のうおを、事ともしない、魚屋は偉い。
「そら、持ってけ、持ってけ。賭博場ぼんござのまじないだ。みを食えばかだ。」
 と雨垂あまだれに笠もかぶらないで、一山ずつ十銭の附木札にして、わめいている。
 やっぱり綺麗なのは小鯛こだいである。数は少いが、これも一山ずつにして、どの店にも夥多おびただしい。二十銭というのを、はじめは一ぴきの値だろうと思うと、ウあるいは十五だから、なりは小形でもお話になる。同じいきおいをつけても、鯛の方はどうやら蒼鬣魚より売手が上品に見えるのも可笑おかしい。どの店のも声を揃えて、
きとるぞ、活きとるぞウ。」
 この魚市場に近い、本願寺別院―末寺ととなえる大道場へ、山から、里から、泊りがけに参詣さんけいする爺婆じじばばが、また土産にも買って帰るらしい。
「鯛だぞ、鯛だぞ、活きとるぞ、魚は塩とは限らんわい。醤油しょうゆで、ほっかりと煮て喰わっせえ、ほっぺたがおっこちる。――ひとウ一ウ、ふたア二アそら二十にんじゅよ。」
 何と生魚なまうおを、いきなり古新聞に引包ひッつつんだのを、爺様は汚れた風呂敷にいて、茣蓙ござの上へ、首に掛けて、てくりてくりとく。
 甘鯛、いとより鯛、※(「魚+弗」、第3水準1-94-37)ほうぼうの濡れて艶々つやつやしたのに、青い魚が入交って、きす飴色あめいろが黄に目立つ。
 大釜おおがまに湯気を濛々もうもうと、狭いちまたみなぎらせて、たくましいおのこ向顱巻むこうはちまきふみはだかり、青竹の割箸わりばしの逞しいやつを使って、押立おったちながら、二尺に余る大蟹おおがに真赤まっかゆだる処をほかほかと引上げ引上げ、畳一畳ほどのむしろの台へ、見る間にうずたかく積む光景は、油地獄で、むかしキリシタンをゆでころばしたようには見えないで、黒奴くろんぼ珊瑚畑さんごばたけに花を培う趣がある。――ここは雪国だ、あれへ、ちらちらと雪がかかったら、真珠が降るように見えるだろう。
「七分じゃー八分じゃー一貫じゃー、そら、おかがりじゃ、お祭じゃ、家も蔵も、持ってけ、背負しょってけ。」
 などとわめく。赫燿かくやくたる大蟹を篝火かがりびは分ったが、七分八分は値段ではない、の多少で、一貫はすなわち十分いっぱいの意味だそうである。
 菅笠すげがさ脚絆きゃはんで、ざるに積んで、女の売るのは、小形のしおらしい蟹で、いちの居つきが荷を張ったのではない。……浜から取立てを茹上ゆであげて持出すのだそうで、女護島にょごのしま針刺はりさしといった形。
「こうばく蟹いらんかねえ、こうばく蟹買っとくなあ。」
 こう言うのを、爪は白し紅白か。聞けば、その脚の細さ、みどころと云ってはいくらもない、腹に真紫の粒々の子が満ちて、甲をがすと、朱色の瑪瑙めのうのごとき子がある。それが美味なのだという。(子をば食う蟹)か、と考えた。……女が売るだけにこれは不躾ぶしつけだった。香箱蟹だそうである。ことりと甲でふたをしていかにも似ている。名の優しい香箱を売る姉さんだが、悪く値切ろうものなら泡のごとく毒を噴く。
 びしゃびしゃ、茣蓙ござを着て並んで、砂つきの小鰯こいわしのぴかりと光るのを売るあねえも同じで、
「おほほだ、そんな値なら私が食う。」
 と、横啣よこぐわえにペロリとめる。
「活きものだ。活きものだ。」
 どこも魚市は気が強い。――私は見ていたが――妙なもので、ここで鯨を売ればといっても、山車だしに載せてかみしもきもしまいし、あの、おいらんと渾名あだなのある海豚いるかを売ればといって、身を切って客に抱かせもしないであろうが、飯蛸いいだこなぞもそうである……栄螺さざえ黄螺ばい、生の馬刀貝まてがいなどというと、張出した軒並を引込ひっこんで、おつに薄暗い軒下の穴から、こうのぞく。客も覗く。……
 つま屋と名づくるのが、また不思議に貝蛸の小店に並んでいて、防風芹ぼうふ生海苔なまのり、松露、菊の花弁はなびら。……この雨に樺色かばいろ合羽占地茸かっぱしめじ、一本占地茸。雨は次第に、大分寒い、山から小僧の千本占地茸、にょきりと大松茸おおまつたけは面白い。
 私がからかさを軒とすれすれにかざしてたたずんだ処は――こう言出すと、この真剣な話に、背後うしろへ松茸を背負しょっているようで、巫山戯ふざけたらしく見えるから、念のために申して置くが、売もののそれは、市の中を――右へ左へ、肩擦れ、足の踏交ふみまじる、狭い中を縫って歩行あるいた間に見たので、ちょうど立ったのは、乾物屋の軒下で、四辻をちょっと入った処だった。辻には――ふかし芋も売るから、その湯気と、烏賊いかを丸焼に醤油したじ芬々ぷんぷんとした香を立てるのと、二条ふたすじの煙が濃淡あいもつれて雨になびく中を抜けて来た。
「御免なさいよ。――つれが買ものをしてるのを待ってるんですから。」
 私とそでを合わせて立った、たちばな八郎が、ついその番傘の下になる……しじみ剥身むきみゆだったのを笊に盛ってつくばっている親仁おやじに言った。――どうも狭いので、傘のしずくがほたほたと剥身に落ちて、親仁がにがい顔をしてにらみ上げたからである。
 八郎はこの土地うまれで、十四五年久振りで、勤めのために帰郷する――私の方は京都へ行く用があった。そこで自然誘われて、雪国の都を見物のため、東京から信越線を掛けて大廻りをしたのであった。
 当国へは昨夜ついた。
 八郎の勤めというのも、その身の上も、私が説明をするより宿帳を見れば簡単に直ぐ分る。旅店で……どちらもはじめてだが、とにかく嚮導きょうどうだから……女中が宿帳を持参すると、八郎はその職業という処へ――「能職のうしょく。」としたためた。かれは能役者である。
 戸籍の届出とどけいでは、音曲教師だというから、その通りなり、何とか記しようがありそうな処を、ぶっきらぼうに、「能職。」――これに対して、私も一工夫したいようにも思ったが、年の割に頭も禿げているし、露出むきだしに――学校教授、槙村まきむらと名刺で済ました。
 霜月、もみじの好季節に、年一回の催能、当流第一人のお役者が本舞台からの乗込みである。ここにいささかなりとも、その出迎えの模様、対手方あいてかた挨拶あいさつの一順はあるべきだけれど、実は記すべき事がない。――仔細しさいは別にあるとして、私の連立った橘八郎は、能楽家、音曲教師、役者などというよりも、まことに「能職」の方が相応ふさわしい。
 紋着もんつき、羽織、儀式一通りは旅店のトランクに心得たろうが、先生、こまか藍弁慶あいべんけいの着ものに、こんの無地博多はかたを腰さがり、まさか三尺ではないが、縞唐桟しまとうざんの羽織を着て、色の浅黒い空脛からすね端折はしょって――途中から降られたのだから仕方がない――好みではないが、薩摩下駄さつまげたをびしゃびしゃと引摺ひきずって、番傘のしずくを、剥身屋むきみやの親仁にあやまった処は、まったく、「。」や、「師。」ではない、「職。」であろう。
 東京では細君と二人ぐらしで――(私は謡や能で知己ちかづきなのではない。)どうやらごく小人数の活計くらしには困らないから、旅行をするのに一着外套がいとうを心得ていない事はない。
 あの、ぼっと霧雨に包まれた山を背後うしろに、向って、この辻へ入る時だ。……
「魚市へ入るのに、外套で、ぞろりは変だ。」
 と往来でぼたんをはずすと――(いま買ものをするのを待つと云った)――この男の従姉いとこだという、雪国の雪で育った、色の抜けるほど白い、すっきりとした世話女房、町で老舗しにせ紅屋べにやの内儀……お悦という御新姐ごしんぞが、
「段々降って来るのに――勝手になさい。」
 留めるのかと思うと、脱がして、ざっと折って、黒地のしまお召の袖に引掛ひっかけて取った。
「先生――」
 ついでだから言うが、学校の教師だから、私を先生と――云う、私も時々、先生と云う。同じ事で……その紅屋のを、八郎が、「姉さん」と云うと、「兄さん。」と云う。「お悦さん。」と云うと「八さん。」と云う。従って、年も同じだと聞く。
「先生は土地のお客人だ。着ていらっしゃい。同じに脱ぐなんて串戯じょうだんです、いや串戯じゃない。」
 どうも、剥身屋の荷をかばうと、その唐桟の袖が雨垂あまだれに濡れる。私は外套で入交いれかわって、からかさをたたんだ。

 時に、辻を向うに、泥脚とすねの、びしょびしょ雨の細流せせらぎくいの乱るるがごとき中へ、はねも上げないつまをきれいに、しっとりした友染ゆうぜんを、東京下りの吾妻下駄あずまげたの素足にさばいたのが、ちらちらとまじるを見ると、人を別けた傘を斜めに、撫肩なでがたで、櫛巻くしまきりんとした細面ほそおもての見えたのは、紅屋の内儀で。年は八郎とおなじだが、五つ六つ若く見える処へ、女の一生に、四五度、うつくしいさかりがあるという、あの透通るような顔に、左の眉から額にかけて、影のようだがきずのあとがかすかにある。

 この婦人を、私は八さんにささやいて、ひそかに「三傘みかさ夫人。」と称えた。別儀ではない。――今朝、旅籠屋はたごやで、朝酒を一銚子ちょうしで、ちといきおいのついた処へ、内儀がすみやかに訪ねて来て、土地子とちっこの立役者はありながら、遠来の客をもてなしのそのお悦の案内で、町の最も高台だという公園へ、錦葉もみじに出掛けた。北国のならいであろう、大池の橋を渡って、真紅まっかに色を染めた桜の葉の中に、細滝ほそたきを見て通る頃から、ぽつりと雨がかかった。すぐに晴れようと、ロハ台に腰を掛けた、が、その上におおい掛った紅楓もみじの大木の美しさ。色はおもてを染めて、影が袖にとおる……れるどころか、次第に冷い雨脚から、三人を包んで、しずくも落さない。そこで小学校の生徒たちの二列を造って、弁当を持扱もてあつかいながら坂を下りに帰るのをたが、今日は、思掛けない雨だったものと見える。その他、遊びの人たちも、あわただしくはないが散り散りの中へまじって……御休所と油障子に大きく書いたのを、背中へ背負しょって、めれんすの蹴出けだしで島田髷しまだまげの娘が、すたすたと、向うの吹上げの池を廻る処を、お悦が小走りにと追って、四阿屋あずまやがかりの茶屋の軒下に立つと、しばらくしてじゃの目を一本。「もうけそくなって不機嫌な処だから、少し手間が取れました。」この外交家だから、二本目は、公園の坂の出口を行越ゆきこした町で、煙草を買って借りたなどはものの数でもない。三本目に至って、私たちを驚かした。それは十町ばかりも邸町やしきまち歩行あるいて出た大川端の、寂しいしもた家だったが、「私、私は、私は(何とか)町の、竹谷のめいの娘が嫁に来たうちの、縁者のおいに当るものの母親です。」談ずるのが、戸外おもてに待っている私たちに強く響いて、ひそかに冷汗になっていた処――「むふん。」と笑いながら出て来て、ばりばりと油の乾いた蛇目傘を開いた。トンと轆轤ろくろを切って、外套がいとう両名、相合傘でいた私に寄越よこして「ちょっと骨が折れました、遠い引掛ひっかかりなんですがね……つんぼ中風症よいよいのお婆さんが一人留守をしているんだもの、驚きましたわ。」「驚いた。」と八さんが言うから、私も「驚きましたなあ。」「だってね、ようやっと談判が調った処で、お婆さん、腰が立たないんでしょう。私が納屋へ入ってかきまわして持って来たんですのさ。」「肩がきがつくぜ、まるで昼鳶ひるとんびだ。」と八さんが言うと、つんと横を向いたが、たちまち白い手で袖下をすくって、「ウシ、ウシ、ウシウシ。」もののたとえにさえ云う……枯柳かれやなぎの川端を、のそのそと来た野良犬を、何と、佐川田喜六の蛙以上に可恐おそろしがる、能職三十九歳の男に「ウシ、ウシ」と嗾掛けしかけると、「不可いけない姉さん。」と云う下から、田舎の犬は正直で、ウウと吠掛ほえかかったから、八さんは、ワッと云ってげ出すと、追掛けようとする野良をからかさでばッさり留めて、橋袂はしたもとえのきぶッつかりそうな八さんを、「馬鹿だわねえ。……大きななりをして。……先生、おつきあい遊ばすのに、貴方あなた、さぞお骨が折れましょう。」そのりんとした眉が、雨に霞むように優しかった……

 いまその三傘夫人の姿が見えると、すぐうしろへ引添って、袂をすれすれに大鮒おおふなが一匹、脊筋をひるがえして、腹にきらきらと黄金きんの波を打って泳ぐのが見えた。見事な鮒よ、ぴちぴちと躍って、宙に雨脚をねるようである。それは腰蓑こしみので、笠をかぶった、草鞋穿わらじばきの大年増が、笊に上げたのを提げて、追縋おいすがった――実は、今しがた……そこに一群ひとむれうなぎなまずどじょう、穴子などの店のごちゃごちゃした中に、鮒をかした盤台の前へ立停たちどまって、三傘夫人が、その大きいのを、と指さすと、ばちゃんと刎上るのを、大年増がすくった時は、尾が二の腕に余って、私はこいだとばかり思った。
「こんなのは珍らしゅうござんすぞね、奥さん、乳の出る事は鯉のようなものではのうてね、これ第一や。今夜から、流れて走るぞね。」
「質屋が駆落をしやしまいし。」
 大潟おおがたる名物だ、と八郎が私に云った。
幾干いくらなの。」
「さあ、掛値かけねは言わんぞね。これで……さあ――」
 この掛値がまた名物だ――と八郎は話しながら、鮒は重なって泳いでいても、人ごみにからかさの雨がそそぐから、値の押合の間を、しばらく乾物屋の軒へ引込ひっこんだのであった。が、よくは分らないけれども、俳人凡兆の句の――呼返す鮒売見えぬあられかな――の風情がある。
 が、これは時雨で……買う人の姿も水際立って、そうして、反対に――一旦、値がかけ違って、内儀が足を抜いたあとを、鮒売の方が呼返して追って来たらしい。
 お悦は目ばやく私たちを見て、莞爾にっこりして、軽く手で招いた。
 値が出来たのである。
「お邪魔をしました。」
 八郎が剥身屋むきみやの親仁に軽く会釈をしたが、その語気いいかたは、故郷人ふるさとびとに対するしたしみぶりか、かえって他人がましい行儀だてだか、分らないうちに、ひさしを離れて、辻で人ごみを出る内儀と一所になった。手に提げた籠の笹の葉の中から金光がひらめいた。
「姉さん、黄螺ばいを買って下さい、黄螺を。」と八郎が云った。
「何にするの?」
「まさか独楽こまにしやしない、食べるんだね。やあひさしいもんだなあ。」
 旅店を出がけに西洋剃刀かみそりを当てた頬をてた。
「東京にはこいつが少いかして、めったにお目にかからないんです。いつか絵本を見るとね、灯をともした栄螺さざえだの、かぶとを着た鯛だの、少しわいせつなたこだのが居る中に、黄螺の女房といってね、くるくると巻いたすそを貝から長々といて、青い衣服きもの脱出ぬけだした円髷まるまげが乱れかかって、その癖、色白で、ふっくりとした中年増がいてあったが、さもうまそうに見えたのさ。」
可厭いやな兄さん。」
「いや、お客様に御馳走ごちそうするのだよ。」
「御馳走ですな。」
「ちょっと……そのだらしのない年増の別嬪べっぴんを十ウばかりお出しなさい。」
 売手は希有けぶな顔をした。が、ことば戦い無用なりと商売あきないに勉強で、すぐ古新聞に、ごとごとと包んで出した。……この中に、だらしのない別嬪が居るのだそうである。
 姿がいからといって、糸より鯛。――東京の(若衆)に当る、土地では(小桜)……と云うらしいが浅葱桜あさぎざくらで、萌黄もえぎ薄藍うすあいを流したぶりの若旦那。こう面白ずくにかさにかかると、娘の目に友染切ゆうぜんぎれで、見るものが欲しくなる。
 私も自分で値をつけて、大蟹に湯気をからめて提げた。
 占地茸しめじを一かご、吸口のゆずまで調えて……この轆轤ろくろすぼめたさまの市の中を出ると、たちまち仰向あおむけにからかさを投げたように四辻がひろがって、往来ゆききの人々は骨の数ほど八方へ雨とともに流れ出す。目貫めぬきの町の電車の停留場がある。
 ――ここは八郎と連立って、昨夜一度来て見覚えがあった、それは紅屋を訪ねたので。――訪ねてさて帰りには、お悦がちょうどこの辻まで送って来て、勝手働きのままだったから、玄関も廊下も晴がましい旅籠はたごまで送り返すのを猶予ためらって、ただ一夜――今日また直ぐ逢う――それさえ名残惜なごりおしそうに、元気なひとに似ず、半纏はんてんの袖を、懐手ふところでねながら、姿は寂しく見送ったのであったが。――察しられる。……ところで、その昨夜ゆうべの事について、ここで言いたい事が少しある。

 例の「能職」を宿帳に名のると直ぐだった。
「先生……」
 私に対して、八郎はその親しい呼び方をして、
「もう晩の九時です。すぐに一風呂浴びて、おぜんで一銚子という、旅では肝心な処ですがね、少々御無理を願いたい事があるんです。――もうお互に年を取っているんですから、いささかたりとも御心配はありませんが、ここに私を待っていてくれるおんながあるんです。――時々――貴方あなただからお話をした事がありますね、従姉いとこなんですがね。……」
 隔てない中だから、かねて、美人のそのおんなのために、魂に火を点じて、かすかに生命を消さなかったと云うのを聞いた。まことの性質は霜夜の幽霊のように沈んで寂しいのかも知れないのに、行為ふるまいは極めて蓮葉はすはで、真夏のごときは「おお暑い。」と云うと我が家に限らぬ、他家よそでもぐるぐる帯を解く。「暑い、暑い。」と腰紐こしひもを取る。「暑いんだもの。」とすらりと脱ぐ。そのしろさは、雪よりもひきしまって、玉のようであった。おきゃんで、りんとしているから、いささかもみだりがましい処がない。但しその白身で、八郎の古家ふるいえで、薄暗い二階から、銀杏返いちょうがえしで、肩で、脊筋で、半身で、白昼の町の人通りをのぞきながら、心太ところてんや寒天を呼んだのはまだしも、その素裸で、屋根の物干へ立って、はるかに公園で打揚げる昼花火をながら、八が心ばかりの七夕の竹に、短冊を結んだのには驚いた。その頃年紀としわずかに十七八で、しかも既に二人の子の母であったのだという。
 私は、早くその人を見たいと思った。誰も、この霜月の寒さに裸体になるものはない――見たいというのにいささかも遠慮はあるまい。
「御存じの不性ぶしょうものだから、時々のたよりをするでもなし、先方も同然です。今度こちらへ来たのだって、前もって知らせてはないんですから、構いはしないようなものの、血は遠くってもたった一人の身寄だし……家は多人数で、ほかのものはどう思おうとも、従姉だけは、故郷へ帰れば、きっとその家で草鞋わらじを脱ぐものと信じていてくれるんです。
 そこで、御飯前にちょっと顔を見せて来たいんです、が、このままくつろいで少しの待っていて下されば結構だし、御一所に願えればなお結構、第一汽車で国境くにざかいの峠を抜けた時、これからが故郷ですと云うと、先生は何と言いました。あの大潟と海とが空に浮いて、目一杯に田畑のひらけたはてに、人家十万余のあるのをて、(これは驚いた……かねて山また山の中と聞いたから、がけにごつごつと石をせた屋根がかさなっているのかと思ったら、割合に広い。……)とどうです。割合に広いはなさけない。私は国自慢をした覚えはなし、自慢どころか一体嫌いなんだけれど、石屋根の家が崖にごつごつはひどいや。そいつを話して従姉から先生をうらませたい。」
 ――思出しても可笑おかしい。
「望む処ですよ。」
 そこで、黒い外套がいとうで、黒い中折帽なかおれぼうで二人揃って、夜の町へ出たとなると、忍びで乗込んだようで、私には目新しい事も多いのであるが、旅さきの見聞を記すのがこの篇の目当めあてではない。
 くだんからかさに開けた辻で――昨夕、その時電車を下りて、にぎやかな、町筋を歩行あるく。規模かかりは小さくっても、電燈も店飾みせかざりも、さすがに地方での都会であったが、ちょっと曲角が真暗まっくらで、灯一つ置かない夜店に、おおき炭団たどんのようななしの実と、火が少しおこり掛けたという柿を積んだ、脊の低い影のごときばあさんが、ちょうど通りかかった時、生欠伸なまあくびを一つして、「おお寒、寒、寒やの。……ありがとうござります。なまいだなまいだ。」とつぶやくのを聞いた。が、少なからず北国の十夜の霜と、親鸞しんらんの故跡の近さを思わせた。
「あれが、本願寺……」
 と雲の低い、おおきな棟を指さしながら、
「御苦労様――この小路をちょっと曲るです。」
 と言うかと思うと八郎が、
「おや……」
 と立留まった、
「ここに、あの菓子屋、こっちが下駄屋と、あれが瀬戸物屋、茣蓙屋ござや合羽屋かっぱやと、間違いッこはないんだがな、はてな、違ったかな。」
 と少しばかり狼狽うろたえる。……
「違いはしません、――紅屋はあすこですよ。」
 と私が笑った。
「ですがね。」
「大丈夫……間違いはありません。紅屋です。」
「先生は、紅屋の鑑定家なのかなあ。まるで違ってる。これは細露地を一つ取違とっちがえた……」
「ははは、大丈夫。いらっしゃい。――あすこに紅屋の息子さんがすわっているからたしかなものです。」
 読者も思掛けなかっただろうと思う……はじめての私が、八郎の故郷のしかも親類の家を認めたのは――およそ紅屋というものを、かつて京大阪の家造やづくりで心得ていたためではない。その息子というのが、一度上京して、八郎の家に居た処へ、私がちょっと行合わせて顔を知っていたからである。
 八郎は肩をゆすった。
「ああ、串戯じょうだんじゃない――たなざらしの福助の置物という処が、硝子箱がらすばこの菊慈童と早がわりをしているんだ。……これは驚いた。半蔀はじとみ枢戸くるるどが総硝子になって、土間に黄菊と白菊か。……大輪なのが獅子咲ししざき、くるい咲と、牡丹ぼたんのように鉢植で。成程、あの菊の中から、本家、紅屋の軒看板が見えています、串戯じゃない。
 第一、この角の黒渋赤渋の合羽屋が、雑貨店にかわって、京焼の糶売せりうりとは、何事です。さあ二貫、二貫、一貫五百は何事です。」
 とそこに人立の前では、きまりの悪いほどの高声で、
「さあ、おいでなさい、何にしろ驚いた。」
「……唯今、お迎いに出ます処で。……どうもね、小路の入口に、妙なお上りさんがお二人ふたかたと思いましたよ。」
 と前垂がけのその息子が莞爾々々にこにこする。店の人たちも三人一斉いっときに礼をしたが、十鉢ばかり、その見事な菊を並べた、ほとんど菊の中にたたずんで、ほたりと笑いながら同じく一礼した、十徳じっとくを着そうな、隠居頭の柔和な老人が見えた。これが主人である。内儀は家つきの一人娘で、その十四の時、年の三十ばかり違うのに添った、婿養子で、当時は店の御支配人だったそうである。
「変った、変った。」
 と、八郎は見廻して、
可恐おそろしくハイカラになったなあ、ここはどこなんだろう。」
小父おじさん、正に御親類の紅屋です、ははは。」
「いいえさ、この菊のある処だよ、土間が広くなってさっぱり分らないね、見当が。」
「菊のありますね、その下は台所の井戸ですよ。吃驚びっくりして、ははは。大丈夫、危険はありません。父が手造りでしてね、屋根で育てたんですが、少々得意でしてね、その枝のしなった、糸咲の大輪なんぞは、大分御自慢でしてね、人様に見せたいんだが、置どころがほかにありませんから。」
 老人はまたほたりと微笑ほほえんだ。息子に、今年の春、嫁が出来て、すっぱりと店を譲ったので、隠居仕事の気楽さに、永年の望みだったのを、今年はじめて苗から育てた、と言うのである。
「おたのしみですな。」
「何の……あんた。」
「姉さんは?」
 八郎は息子を見返った。
「……ええ、台所に――お、ちょっと。」
「いらっしゃいまし。」
 すっと、そこへ、友染模様が浮出たと見ると、店口の敷居へ、結綿島田ゆいわた突伏つっぷした。
「やあ、これは、これはどうも、……何分どうぞ、唯今ただいま、はじめまして、おめでとう。お正月のようだ。」
 と八郎は一人で照れて、
「いずれあらためて御挨拶を――何は、……姉さんは、おっかさんは、……お悦さんは?」
 と、やや忙込せきこんだように云った。私は、はじめからその心を察し得た。留守ではないか、私もちょっとさみしかった。そうして、店の隅なる釣棚の高い処に、出額おでこ下睨したにらみをしながら、きょとりと円い目をして、くすりと笑う……おおきな、古い、張子の福助を見た。色はげたが、きているようで、――(先には店頭みせさきにあったのだと後で聞いた)――息子は好男子なのに、……八郎の言った福助の意味も分ったが、どこに居ても、真夜中には、ふッと抜けて、屋の棟へちょんと乗って、ここの一家を守りでもしそうで、且つ何となく、不気味だった。
 その時である。
「こっち、こっち、ほほほ。」
 と派手な声が、嫁さんの花簪はなかんざしの上を飛んで来た。
 すぐに分った、店口を入る、茶のと正面の階子壇はしごだんの下に、炭火のかッと起った台十能だいじゅうを片手に、立っていたのがすなわち内儀で。……と見ると艶々つやつやしたその櫛巻くしまき、古天井の薄暗さにも一点のすすとどめぬ色白さ。おしい事に裸身はだかではないが、不断着で着膨れていながら、頸脚えりあしが長くすらりとしていた。
「勝手が違ったね、……それでもここが可懐なつかしいや。」
 と、八郎がすぐに長火鉢の前へ膝をくと、
「そこは混雑するからさ――唯今御挨拶を――」
 と私には言いながら、八の脱いだ外套と帽子を、置戸棚のわき押束おッつくねざまに、片手業かたてわざに火鉢にかかった湯気を噴く鉄瓶を提げて、すいと二階へ上って行く。
 間早まばやな事は、二階にもう鉄の火鉢に、郡内の座蒲団ざぶとんが二枚直してあった。
「ははあ、お火鉢の方は、先祖代々だけれど、――この蒲団は新規だな。床に和合神のかけものと。」
「その菊は――お手製の、ただもんめと……」
 と、めじりの切れた目をちょっと細うして莞爾にっこりしながら、敷居際で町家まちや風の行儀正しく、私が面喰めんくらったほど、慇懃いんぎんな挨拶。
「おお、障子が新しくなって、ふすまが替った、畳も入かわって――いや、天井の隙間すきままで紙がれました。あすこから、風が吹込んで、障子の破れからあられが飛込む、畳のけばが、枯尾花のように吹かれるのがお定りだったがな、まるで他家よそへ行ったようだ。」
「それでもやっぱり、私の内さ、兄さん……」
 とさっと寂しい影がさしたが、
「兄さんが大好きで、そっちの物置の窓から、よく足をぶら下げて屋根をのぞいた、石菖鉢せきしょうばち緋目高ひめだかね……」
 と、唇か、まぶたか。――手絡てがらにも襟にも微塵みじんもその色のない、ちらりと緋目高のようなくれないが、夜の霜に山茶花さざんか一片ひとひらこぼれたようにその姿をかすめた。
「親代々、まだ続いて達者でいます。余りかわったかわったと云うんなら、あれを一つ御馳走してあげましょうか。娘の時、私の額のきずを、緋目高だと云ったお礼を兼ねてね。」
串戯じょうだんじゃあない……」
 そこで旅籠屋に膳立の出来ている事を言って今夜の馳走を断った。
「ではそうなさい。近々に兄さんの来なさるッて事が此地こっちの新聞に二三度続けて出ていましたからね、……五日ほど前にかたふなを取っておいたの。おつけの熱いのをと思ってさ。いれものが小さかったか、今朝はもう腹を見せたから、実は晩にみんなで頂いてしまったの。……私は二人前、誰かの分とも。――嫁が笑いましたよ。」
 と軽く、乳のあたりをたたきながら、
「……明後日あさってが舞台ですってね。……じゃあ打合せやなにかで、宿で大勢待ってるんでしょうね。」
「大丈夫……」
 と、なぜか八郎はぶっきら棒に、
「そんな事更になしだ。……宿の方は他人ぜず……姉さん一所においでなさい。この槙村先生と二人きりです。勿論、幹事の方から宿も指して寄越よこしたし、……これでも、こんな土地……違った……」
 と胡坐あぐら整然きちんと直して、ここで十万軒が崖にごつごつをぶちけたが、「そうでござんすとも、東京からいらしったんでは。」ためにいきおいくじけたそうで、また胡坐で、
「これでも人寄せの看板になるんですから、出迎でむかいやなんか、その支度したくもあったんだろうが、……そのくらいなら、先生を誘っちゃあ来ないんですよ。宿だって知らせやしません。――生意気を言うようだけれど、何のかのって、うるさいから。……明後日あさって――時間前にさえ楽屋へけばいんです。――若干金いくらか、旅費を出して、東京から私を呼ぶったって……この土地の人は、土地流の、土地能の、土地節の、土地謡の方が大した自慢でね、時々九段や、猿楽町……震災で焼けたけれど、本舞台へ来て見物したって、ふん、雁鴨がんかも不忍池しのばずに、何が帆を掛けてじゃい、こっちは鯨の泳ぐ大潟の万石船じゃい――何のッて言う口です。今度だって、珍らしい処を見世みせものの気で呼んだんだからね。……ただ遊びじゃあ旅銭旅籠銭の余裕ゆとりはなし、ひさしぶりで姉さんの顔は見たし、いいさいわいに来たんだから、どうせ見世ものなら一人でも多く珍らしがらせに、真新しい処で、鏡のから顔を出して、緋目高で泳いでれば可いんです。」
 八郎は熱い茶を立続けにあおって言った。不思議におもて颯爽さっそうたる血が動いた。
「でもね、槙村さん、大諸侯だいだいみょうの持もの御秘蔵というのが出るんですから、衣裳いしょうには立派なのがあります。――第一天人の面は、私どもの方でも有名なのだし、玉のかんざしかつら女飾髻おんなばさら、鬘帯、摺箔すりはく縫箔、後で着けます長絹ちょうけんなんぞも、私が小児こどものうち、一度博物館で陳列した事がありますがね、今でも目に着いています。全く三保の浦から松の枝ぐるみ霞に靉靆たなびいて来たようでしたよ。……すぐわきの築山の池に、鶴が居たっけ、なあ……姉さん。……運動場で売っていた、ふかしたての饅頭が、うまそうでたまらなかったが、買えなかった。天人の前に、餓鬼が居りゃ世話はない。」
 と云って苦笑しつつ、ほろりとした。
 橘八郎は、故郷の初の舞台において、羽衣の一曲を勤めんとするのである。
 話頭が転じた。――
 何の機掛きっかけもなかったのに、お悦が、ふと……
「……おひささん……」
 とこう言い出したのが、私の耳を打った。
「……お久さんから便りがあったのでしょう、兄さん。」
 私たちが、もう立構たちがまえをした時で。
 火鉢に中腰を浮かした膝が揺れて、八郎の顔がちょっと暗く見えた。沈んだ声で、
「……ありました、ありましたがね。」
「いいえね、……この春ごろでしたよ、ふいと店へ見えてね、兄さんの所番地はッて聞いたんですの。何でも十何年ぶりとかで、この土地へ帰って来ましたってね……永い間、北海道も、何とかッて、ずッと奥の炭坑の方に居たんですってさ。」
「僕は返事を出しません。」
 と、やや白けて言う。
「そうですか。」
「で、どんな様子をして……いや、聞くまい、薄情らしくって、姉さんに恥かしい。」
「私は何とも思いはしません。」
畑下はたしたッてどんな処です。村かしら。」
「いいえ、町ですよ、ずッとはずれの方ですけれど、……じゃあいませんか。」
「さあ、どうしようかと思って――槙村さん、聞かない振で居て下さいよ。」
「ちょっと、失礼しようかね。」
 私は言った。
「飛んでもない、いずれ先生にはあらためてお話ししますがね――そこでだ、姉さん。」
「兄さん、構わないじゃありませんか、どっちだって、逢ったって……逢わなくッたって……」
「さあ、そのどっちだってで実は弱った。」
 額をうつむけに手をあてた。
「今度来るにも、ずッと途中から気になっているんですよ。――新聞なんか見ようって柄じゃあないから、今度の事も知りやしますまい。湯屋、髪結所かみゆいどこのうわさにだって、桜が咲いた歌舞伎の方と違って、能じゃあ松風の音ぐらいなものですからね。それとも聞き知って、いまここへ訪ねて来たって、居ないと言えば、それまでだし、……職業が職業だから、そこへ掛けては他人数で隔てが出来ます。楽屋口でことわるのも仔細しさいないけれど、そうかって、実はね、逢いたくないことはないんですよ。」
「じゃお逢いなさいな、どうしてさ。」
「ところが眷属けんぞく大人数です。第一亭主がありましょう。亭主から、亭主の兄弟、そのおいだ、そのめいだ、またその兄だ、娘だ、兄のだ、弟の嫁だッて、うじゃうじゃしている……こっちが何ものだか職業も氏素性も分らなけりゃ、先方様さきさまも同然なんだから、何しろ、人の女房で見りゃ、その亭主に御承知を願わなけりゃならない……」
「それは、兄さん、仔細わけはないじゃありませんか。」
「さあ、ところがね、義理にも、お目にかかろうなぞと来た日には――」
 細君が何か言うと、
可厭いや、可厭、可厭なんだよ、そんな奴に、」
 とだだをねるような語調と態度で、
博徒ばくちうちでも破戸漢ごろつきでも、喧嘩に対手あいてえらばないけれど、親類附合は大嫌いだ。」
「ああだもの。」
「いささか過激になったがね。……手紙の様子じゃあ、総領の娘というのが、此地ここで縁着いたそうだから、その新婦か、またその新郎なんのッてのが、悪く新聞でも読んでいて――(お風説うわさはかねて)なぞと出て来られた日にゃ大変だ。」
「じゃあ、兄さんの、好きになさい。」
 が、すこしも投出した様子はない。
「お久さんだけ、一人だけよ、一人だけなら逢ってもいんでしょう、どう?」
「さあ、そう、うまく行くか知らん。……内証で呼出したりなんかして、どんな三百代言が引搦ひっからまろうも知れないからね、此地こっちは人気が悪いんだから。」
「分りました。」
 ふきこぼれる鉄瓶をトンと下ろして、
「私に任せておおきなさい。」

 翌朝――今朝は細君が、八時に旅店へ訪ねて来た。畳んだ風呂敷を持ったまま、
「兄さん、お久さんはうちへ来ます。時間はめておかないけれど。……」
「早業だなあ、町はずれだというのに、もう行って来たんですか、はやいこと、まるで女天狗てんぐだ。」
 と口では言いつつ、八郎はおのずからその深切しんせつつむりを下げた。
「一人だけ……」
 その黙ってうなずくのをて、
「で、亭主は居なかったかね。」
「居ましたとも、居たって構やあしない。……逢いたくないものは逢いたくないんだから。」
遣附やッつけましたな、いや外交家だ。辣腕らつわん辣腕。」
 とせた肩を突張つっぱりながら、
ほかには、誰も……」
「その縁着いた娘さんが帰っていますよ。トラホームで弱ってるんですって。」
 八郎はまたさっと眉を曇らせた。もっとも外へ出ると、もう、小川添の錦葉もみじで晴れたが。
 やがて公園の時雨となったのであった――

 ところで……あかき、青き、また黄なる魚貝ぎょばいを手に手に、海豚いるか三頭さんびき、渋柿をぶら提げたような恰好かっこうで、からかさの辻から紅屋の店へ入ったが、私は法然頭の老主人をはじめ、店に居る人たちの外に、別に、「いや、昨夜は――」とその店仕きりの暖簾のれんくぐる時、隅の棚の、あの福助に思わず声を掛けようとしたのには、あとで自分でも妙な気がした。なぜというに、目をきょろりと出額おでこの下から、扇子がまえで、会釈をしたように思ったからである。
「やあ、雪代さんか、」
 と、八郎が声を掛けた優婉ゆうえんおんなが居て、菊の奥を台所口から入ったお悦の手から魚籠を受取った。……品のいい、おとなしづくりの束髪で、ほっそりした胸に紅い背負上しょいあげがちらりと見えて、そのほかは羽織も小袖も、ただ夜の梅に雪がすらすらとかかったような姿であった。――あとでも思ったが、その繕わない無雑作な起居たちい嫋々しなやかさもそうだが、歩行あるく時の腰のやわらかに、こうまでなよなよと且つすんなりするのを、上手の踊のほかは余り見掛けない。ひきしまった、温かい、すっと長い白い脚が、そのまま霞を渡りつつ揺れるかと見える。同じくらいの若さの時、お悦の方はさっと脱いで雪があらわれたのだし、これはきものを透通るのであろう。「雪代さん」聞いただけで、昨夜ゆうべから八郎も言わなければ、あえて私も聞こうとはしなかった。その「お久さん。」とかいうのでない事は直ぐに知れた。雪代はお悦の娘で――主人は折から旅行中の、ある陸軍中佐の夫人だという。
「小父さん、いらっしゃい。」
 八郎はずかずかと、
「よく、来たね。」
「ええ、私今日は、接待員よ、御珍客様の。」
「うむ、沢山たんとあの先生にお酌をしてあげておくれ。――これで安心したよ。……やくざな小父さんなんぞと違って、先生だからね。学校出の令夫人おくさんだ、第一義理がある。何しろ、故郷は美人系だッてんで、無理に誘って来たんだけれど、まだ一向別嬪べっぴんにお目にかからないので、申訳のなかった処なんだよ。お前さんの顔を見て、ほんとうに安心した。――いかがです、槙村先生。」
串戯じょうだんじゃあない、串戯ですよ。いやまったくです。」
 そこで私は雪代さんの礼を受けた。
 八郎は、すぐ前の台所へ出て、ながしに立ったお悦の背後うしろから、肩越しに覗込のぞきこんでいたが、
「来て御覧なさい槙村さん――この鮒は見ものですから。」
 私はまだ馳走に呼ばれて台所を紹介された事がない。が、そんな心安だてより、鮒の見事だったのより、ちょっと話したいのは三傘夫人の効々かいがいしさで。……まないたの上に目の下およそ一尺の鮮鱗せんりん、ばちばち飜るのに、たすきも掛けない。……羽織を着たまま左の袖口に巻込んで、矢蔵のそうという形で、右に出刃を構えたが、すずしい目でじっると、庖丁の峯を返してとんと魚頭を当てた、猿の一打ひとうち、急所があるものと見える。片手おろしにうろこを両面にそいで、はじめて袖口から白い手を出して、えらおさえて、ぎりりと腹を。
「雪代、雪代。」
 その人も覗いて立った。
「水、水。」
「ほッ。」
 と言う……姿に似ない掛声で、雪代は、ギイ、ギイ、キクン、カッタンと、古井戸に、白梅のちりかかる風情で、すんなりした、その肩も腰もなびかせる。
「ははあ、床下の鉄管で引いたんだね。」
 もくもくもくと湧出わきだす水で、真赤まっかな血を洗いながら、
ねえさん、嫁さん。」
「はい。」
 と二竈ふたつべッつい大鍋おおなべの下をたきつけていた、あねさんかぶりの結綿ゆいわたの花嫁が返事をすると、
「その大皿と、丼を――それ、ねえさん、そっちの戸棚。」
 この可憐なのと、窈窕ようちょうたると、二人を左右に従えて、血ぬった出刃のさきを垂直に落して、切身の目分量をした姉御は、腕まくりさえしないのに、当時の素裸の若い女を現実した。
「槙村さん、――そこに柿の樹がありましょう。」
 八郎はながしの窓からゆびさして、
「あの一番上の枝に草鞋わらじが一足ぶら下っていたんですよ。いつか私が来た時に、五月ですね。土地子とちっこだが気がつかなかった。どうしたんだって聞くと、裏のうちへ背戸口から入った炭屋の穿はきかえたのが、雪が解けて、引掛ひっかかったんじゃあない……乗ってるんだって――」
「お目に掛けたいようですわ。」
 と私に、雪代が言った。
「しかし、この土地も開けたよ。何しろ、おっかさんが、よめさんを呼ぶのに、ねえさん姉さんは難有ありがたいよ。」
 店で息子の声がして、姉さんかぶりをちょっとはずしながら出て行く、結綿の後姿を見ながら八郎が言うと、
「……おつね――じゃ兄さんのお気に入るまいと思ってね、いえ、不断も、もうずッと奉っています。……でも、時々……お恒――とやる事。……」
 庖丁を一つ当って、
「何てったっけね、堅くさ、勿体らしくさ。」
 雪代が微笑ほほえみながら、
「……なきにしもあらず……沢山よ、ほほほ。」

「さあさあ、追立おったてを食わないうちに、君子は庖廚ほうちゅうを遠ざかろう。お客様はそちらへ――ちょっとぼくは、ここの仏間というのへ御挨拶。」――
 蔵前の違棚の前に、二人の唐縮緬友染めりんすゆうぜんの蒲団が設けてあったが、私と肩を別つようにして、八郎が階子段はしごだん下の小間こまへ入った。大方そこで一拝に及んだのであろう。雪代の手から、私が茶を受け取った時であった。
 仲仕切の暖簾のれんに、人影が、そぼ降る雨に陰気にすと、そこへ、額の抜上った、見上皺みあげじわを深く刻んだ、頬のげっそりこけた、ばさばさ乾干しなびた、色の悪いおんなの、それでも油でかためた銀杏返いちょうがえしをちょきんと結んだのがとがって、鬱金木綿うこんもめんの筒袖の袖口を綿銘仙の下からのぞかせた、炭を引掴ひッつかんだような手を、突出した胸で拝むように組んで、肩をすぼめながら、萌黄もえぎの綿てんの足袋で、畳をさぐるように出て来た。その中仕切――本格子の板戸を隔てて立った首が、ちょうど棚の福助どのと合った時、失礼だが、私はその女房が化けたかと思った。
 仏間の敷居へ、もっそりと膝をくと、
「あんさん、」
 と、べろりと赤爛あかただれに充血したまぶたで、じっ視上みあげた、その目がぽろりぽろりと、見る見る涙にふさがった。
「うむ、お久さんか。」
 八郎の顔は、いま私からは見えなかったのである。
「お達者でねえ……」
「いや、一向どうも。」
 かすれ声して、
「もう、いつか、いつかから、ほんに逢いたい逢いたいと思うて、どれだけ、何年になる事やら。」
 と、言葉尻が泣声で切れて、ひょいとねるように両袖で顔を隠した。何だかおどけたように見えつつも、私はひしと胸を打たれる。
「さあ、お当り。」
 お悦がその中へ箱火鉢をどさんと置いて、
「ずっと中へお入んなさい。――ああ、ええ、分ってます。」
 どうやら半分は、私に対して八郎が心づかいをしたのを呑込んだらしい口振くちぶりだ、と思うとはたせるかな、盆に、一銚子、で、雪代が絵姿のように、薄面影を暗い茶の間から、ほんのりとあらわれて、
「先生、あの、ちょっとお一口。」
「これはどうも、」
「お酌はへたですよ。旦那が気が利かないから、下戸げこの処へ、おまけにただもんめなんですから。」
 と、お悦は直ぐまた台所へ。
 お久という人は、やっとその火鉢の縁へ、鬱金うこんの袖口を引張ひっぱって、
「……思ったより、あんさんは若いこと。」
「うむ、何、いやどうも何だ、さっぱりだ。」
「一度お逢いした時から、もう二十四年か五年になりますね。」
「そうかなあ。……何しろ、何が何だかわけわからないんだからな、お互に。」
「いつも、ほんに、おたよりをしたいしたいと思っても、私は自分では手紙がかけず、震災のあった時なんかも、遠い北海道のはてに居て、どれほどお案じした事やら、それでも、まあ、御無事でねえ。」
「わずかに命のあるばかりさ。」
「それでも、まあお互に息災で居れば、こうやって顔を見られますぞね。ほんとうに逢いとうてねえ、何年も何年も毎晩夢に見ぬ事はないのです。その夢にかって、はっきりした顔は分らんほど遠々しゅうて、……この春も、やっとお処が知れて、たよりをしたけれど……」
 と、くいしばったような涙になる。
「いや、御不沙汰をしたよ、」
 また顔にあてたたもとをはずして、
「それはお忙しい事は知れているけれど。」
「大して忙しい事もないんだがね。名も顔も知らない御亭主のある細君のもとへは、うっかり返事は出せないよ。誰も別に悪戯いたずらをするとも思わないけれど、第一代筆だろう。きみだか何だか分りやしない。何人なんぴとに断って、おれの妻と手紙の遣取やりとりをする。一応主人たるべきものに挨拶をしろ! 遣兼ねやしない……地方いなかうるさいからな。」
「煩いぐらいで……こんなに私が思うているものを、それに、そんな、そんな内の人ではないのです。」
「そりゃ何より結構だ。……そうかい、いやにねじけてもいず、きみに邪慳じゃけんでもないのだね。」
「ただ……困ってはいるけれどね、――何にしたかて、兄妹ですもの。」
 私は酌をうけながら、ふと雪代の顔を見た。美しい人はうなずくように一重瞼ひとえまぶたを寂しく伏せた。
「何だか、縁づいた総領の娘が、病気で帰っているんだって……」
「ええ、縁があって、一昨年おととし十七で遣りましたがね、厄かねえ、秋のはじめから目を煩ろうて、ちょっと治らんもんですから、てもらうと、トラホームやッて、……それでねえ。――あんさん煙管きせるを貸してたあせ……今朝から御飯も欲しゅうない、気がせいてね、忘れて来た。」
みたまえ。……そうだ、煙草たばこるんだっけな。」
「女だてらやけれど、工場で覚えました……十四の時から稼ぎに遣られてねえ。」
「その時分だっけな、一度ちょっと夢のように逢ったのは――」
「いんね、十七でいまの家へ一度縁づいたけれど、しゅうとさんが余り非道で、厳しゅうて、身体からだ生疵なまきずが絶えんほどでね、とても辛抱がならいで、また糸繰いとくりの方へげていた時でしたわ。」
「ああ、じゃあ、それからまたよりが戻った次第わけだな。」
「おなか嬰児こどもが居たもんでねえ、いろいろ考えては見たけれど、またお姑にいじめられに……」
「で、子供たちは幾人いくたりだい。」
「えへ。」
 と罅裂えみわれたように、口許くちもとで寂しく笑って、
「十一人や。」
「産みやがったなあ! その身体からだで……」
「仕方がないもの。」
「御亭主は幾つだ。」
「六十五や。」
おッそるべくさかんだなあ。」
「それでね、六人とられてしもうて、いま五人だけですがね、ほんにね、お産のくるしみと、十月とつきなやみと、死んで行くものの介抱と、お葬式の涙ばかりで暮すぞね。……ほんにね、北海道に十六年居る間でも、一人をおんぶして、二人の手をいて、一人を前に歩行あるかせて、雪や氷の川端へ何度行った事やらね。因果とごうや。私みたいに不幸ふしあわせなものはないぞね、わらの上から他人の手にかかって、それでもう八歳やッつというのに、村の地主へ守児もりッこの奉公や。柿の樹の下や、うまやの蔭で、日に何度泣いたやら。――それでもね、十ウの時、はじめて両親はあかの他人じゃ、赤子の時に村へ貰われて来た、と聞かされた時ほど、悲しかった事はなかったぞね。実の親の家に居れば、何が何でも、このあにさんの……妹や。」
「恐縮だよ。」
「実のねえ、両親の顔も声も知らんのやけれど、自分でを持って覚えがあるぞね、たとえ、どんな辛いおもいをしようと、食べるものは食べいでも、どんなに嬉しいか、楽しいか。」
「恐縮だよ。」
「ほんに、他人に育てられてみん事には、その辛さは分らんぞね。」
「恐縮だよ。」
「それを、それを、まだろくに目もあかんわらの上から、……町の結構な畳の上から、百姓の土間へ転がされて……」
「少しお待ち! 恐縮はするがね、おっかさんは大病だった――きみのお産をして亡くなったんだ――が、きみを他所よそへ遣ったおとっさんやお祖母ばあさんのために、言訳ッて事もないが話がある。私も九つぐらいな時だ、よくは覚えていないけれど、七夜には取揚婆とりあげばばあが、味噌漬で茶漬を食う時分だ。まくりや、米の粉は心得たろうが、しらしらあけでも夜中でも酒精アルコオルで牛乳をあっためて、嬰児あかんぼの口へ護謨ゴムの管で含ませようという世の中じゃあなかった。何しろ横に転がして使うびんなぞ見た事もないんだからね。……いいかい。それに活計くらしむきに余裕があるとなれば、またどうにもなる。いま、きみは結構な町の畳からと言ったけれど、母親の寝ていた奥の四畳は破障子やぶれしょうじの穴だらけだ。しかも雪の中の十二月だ、なさけない事には熱くて口の渇く母親に、小さく堅めて雪を口へ入れたんだけれど、ふりたての雪はばさばさして歯にきしむばかりで、呼吸いきを湿らせるほどのしずくにならない。氷がないんだよ。甘露とも法雨とも、雪の雫が生命いのちの露だって、おっかさんが、頂戴々々というもんだから、若い可愛い嫁の、しかも東京で育ったのが、暗い国へ来て、さぞ、どんなにかなさけなかろうと最惜いとしがって、祖母おばあさんがね、大屋根の雪はすべる、それは危いもんだから、母親の寝ていた下屋の屋根をって、真中まんなかは積って高い、ひさしの処まで這ってで、上の雪をいて、下の氷柱つららは毒だし、板に附着くッついたのは汚し、中の八分めぐらいな雪の、六方石のように氷っているのを掻いて取って、病人に含ませるんだが、部屋の中はさすがに鉄瓶の湯気や炬燵こたつのぬくもりで溶けるだろう。階子段はしごだんを上り下りするように、日に幾度屋根へ出入りをしたか知れないとさ。観音様に見えますと云って、じっと優しいしゅうとの顔を見ながら、つぼみの枯れる口を開けた、お母さんのおもいも、察するがいよ。きみ、花を飾った駕籠かごに乗って江戸芝居を見た娘がそれだもの、何も時節だ。……冷いようだが、いや、寒いようだが、いや薄情だと言えばそれまでだが、農家で育って、子守をして、工女から北海道へ落ちたって、それほどなさけながったり、うらめしがったりする事はなかろうと思う。
 が、どうだい。
 何しろ、そんな中だもの、うまれたての嬰児あかんぼが育てられるものか。あの時、もしも縁のあった田舎へ養女に遣らなかったら、きみは多分育たなかったろうよ、死んじまったかも知れないんだ。」
「それですから、それですから、私はいっそ死んだ方がと、昨日も、今日も……」
「まあ、待ちなよ。……亭主が出来て、十一人か、こしらえているじゃあないか。贅沢ぜいたくな事を云って、親をうらむな、世間をのろうな!……とは言うが、きみの身の上は気の毒だと思う。けれども考えて見るが可い、……きみは北海道の川端か、身投げをしようとするのに、小児こどもおぶったり抱いたりしたろう。親子もろともならある意味で本望だ。
 おっかさんはそうじゃあない、もう助からない覚悟をして、うまれたばかり、一度か二度か、乳を頬辺ほっぺたに当てたばかりの嬰児あかんぼを、見ず知らずの他人の手に渡すんだぜ。
 私は、悲しい草双紙の絵を、一枚ひきちぎったように、その時の様子を目に刻んで知っている。
 夜だ――きみの父親になった男は、表のにでも待っていたろう。母親になるのが――私も猿の人真似で、涙でも出ていたのか洋燈ランプの灯がぼうとなった中に、大きな長刀酸漿なぎなたほおずきのふやけたような嬰児あかごを抱いて、(哀別わかれに、さあ、一目。)という形で、くくり枕の上へ、こう鉄漿おはぐろの口を開けて持出すと、もう寝返りも出来ないで、壁の方に片寝でいたお母さんがね、麻の顱巻はちまきかかった黒髪かみがこぼれて横顔で振向いた。――目は今……私の目にも見えない。」
 ことばが途切れた。
「――鼻筋が透徹すきとおるように通って、ほんのりと歯と唇が見えた……それなりがっくりと髪も重そうに壁を向いた処へ、もう一度、きみの母親がのしかかって嬰児あかんぼを差出すと、今度は少し仰向あおむけになったと思うと、お母さんの白い指が、雪の降止もうとするように、ちらちらと動いた、――自棄やけ鉄漿おはぐろの口が臭くってそいつを振払った、と今の私なら言うんだが、もうこのからだで泣くのにも堪えられない、思切らせておくれ、と仕方をしたんだろう。――あとは知らない。しばらくすると、戸外おもて草鞋わらじの音がびしゃびしゃと遠のいた。」
 聞く方はなきじゃくって、
「もう、怨みもどうもしませんぞね。よそで聞けば、十四五まで着られる柔かい着もの一葛籠ひとつづら、お金子かねもそれぞれ私につけて下さったそうながね、私は一度かって袖を通した事もないのです。父親はそうでもなかったけれど、草鞋わらじの音の、その鉄漿おはぐろの口は蛇体や、鬼でしたぞね。それは邪慳じゃけん慾張よくばりや。……少しは人情らしいもののあった養父てておやの方が――やっぱりどこまでも私の不幸や――早く死んでからというものは、子守で泣かせたあげくが工場へ遣られて、それが三日おき四日おきに、五銭十銭と取りに来る……月末つきずえの工賃はね、嫁入支度に預るいうて洗いざらい持って行って、――さあ、いやでも応でも今の亭主へるというと、それこそ、ほんに、抱えるほどな、風呂敷づつみもくれんぞね。どれほど肩身が狭かったやら……その裸が、またお姑の気に入らんのですがね。
 どこまで因果が続く事か。……また今度、あの娘の婿は、年紀としわかし。」
幾歳いくつだい。」
「二十一や。」
はやい奴だな、商売は。」
蒔絵まきえの方ぞね。」
「結構じゃあないか。」
「それや処がね。まだ見習いで、十分にのうてねえ、くらしはお姑さんが、おもに取仕切ってやもんですから、あんさん、それはひどいぞね――半月おきには、下駄の歯入れや、使いまわしも激しいし……それさえ内へ強請ねだりに来るがね。(母さん十日お湯へ入りません、お湯銭たあせ、)と内証で来る。湯の具までもねえ、すれきれや、(母さん、……洗いがえ買うてたあせ、)とソッと来るし……」
なさけねえ事を云う。」
 私も雪代と思わず顔を見合わせた。
「情ないどころではないのですぞ。そのあげくがトラホームや、療治は長びくし、うち中へうつるいうて、今度返されて来たですがね、病院へ遣ろうにも、それでのうてさえ、内も楽どころではない処へ。」
「もん句は亭主に言えよ、亭主に。」
 八郎の声はやや苛立いらだった。
「それを言うたかてねえ、出来るようなら可いのですけれどもねえ。」
「きみの亭主にだよ、娘の事だ。――いや婿にだよ、誰がそんな事を知るもんか。」
「そう、もぎどうに言わいでも。」
 お久という人はまた袖を顔に当てた。
「私にかて、私にかて――生れてから、まだただ一日も、一日どころか一度でも、親身のやさしい言葉ひとつ聞いた事のない私に――こんなに思いに思うて、やっと逢ったのに、」
「抱いたってさすったって何にもならない――現金でなくっちゃあ、きみたちは駄目なんじゃあないか。」
「あれ、あんなまたもぎどうな。」
「さあさあ、茶碗の一つぐらいひっくりかえったって構わない。威勢よく、威勢よく!……さあよ。」
 と結綿ゆいわたのに片端かつがせて、皿小鉢、大皿まで、お悦が食卓を舁出かつぎだした。上には知らぬ間の大鯛が尾をねて、二人の抜出した台所に、ぷんと酢の香の、暖い陽炎かげろうのむくむく立ってなびくのは、早鮨はやずしの仕込みらしい。
「兄さん――さあ、お久さん……こちらへ。……」
「それでねえ、――金銭をどうと云うではないけれどね、亭主うちのひとをはじめてに、娘のその婿もね、そりゃ謡が好きなのですぞ。……息子もねえ、一人は鉄葉屋ブリキやの方を、一人は建具屋の弟子になっているのですが、どっちも謡が大すきや。二人ともねえ、好きやぐらいか、あんさんのお弟子にもなりたいとねえ……血統ちすじは争われぬもんじゃぞね。」
 お悦が膳の上を按排あんばいしながら、これを聞くと、眉をひそめた。八郎の顔色が思い遣られる。
「婿も……やっぱり、自然とつながる縁やよって、あんさんにお逢いして、謡やら、舞とかいうものやら。」
「べらぼうめ、」
 猛然として八郎が、とがった銀杏返いちょうがえしに、膝をわして敷居を出た。
「そういう了簡りょうけんだから。……チョッ、さあ、御馳走だ。お食べと云ったら、たらふく食うんだ、遠慮をしないで、食うものはさっさと食えよ。謡どころか、お互にすき腹がぐうぐう言ってら。」

「――伯父、甥が何だ。……姪の婿がどうしたっていうんだ。他人様の大切な娘を……妙齢としごろ十七八だって。(お月様いくつ)のほかに、年紀としばかりで唄になるのはその頃の娘なんだ。謡をうたうひまに拝んでるがい。私なんざ、二十二三の中年増に、お酌を頂いたばかりで……この通り。」
 八郎は雪代の酌を受けて、うやうやしく頂いた――その癖酌を受けたのは今ばかりではない、もういい加減酔っている。実は私も陶然とうぜんとしていた。
「これ、土手で売る馬肉じゃあないが、蹴転けころの女郎の切売を買ったって、当節では大銭だろう。女房は無銭ただで貰うんだ――娘に……箪笥たんす、長持から、下駄、からかさ、枕に熨斗のしが附いてるんだぜ。きみのとこは風呂敷にもしろ、よしんば中がからだって、結びめを蝶々にしたろう。裸体はだかでそいつを引背負ひっしょったって、羽の生えた処は、天津風あまつかぜ雲の通路かよいじじゃないか。勿体なくも、朝暗いうちから廊下敷居を俯向うつむけにわせて、拭掃除ふきそうじだ。鍋釜なべかまの下をかせる、水をくませる、味噌漉みそこしで豆府を買うのも、丼で剥身むきみを買うのも皆女房の役だ。つかいはや間のひまにはお取次、茶の給仕か。おやつの時を聞けば、もうそろそろ晩のお総菜ごしらえにかかって、米をぐ。……皿小鉢を洗うだけでも、いい加減な水行みずぎょうの処へ持って来て、亭主の肌襦袢はだじゅばんから、安達あだちヶ原で血をめた婆々ばばあ鼻拭はなふきの洗濯までさせられる。暗いあかりで足袋の継ぎはぎをして、ひびあかぎれの手を、けちで炭もよくおこさないから……息で暖めるひまもなしに、鬼婆の肩腰を、さするわ、むわ、で、そのあげくが床の上下あげおろし、坊主枕のおおいまで取りかえて、旦那様、御寝げしなれだ。
 野郎一生の運が向いて、懐をはたいた、芸妓げいしゃ、女郎にれられたってそうは行かない。処を好き自由にだっこに及んで、夜の明けるまで名代みょうだいなしだ。竜宮から小槌こづちを貰ったって、振ってもたたいても媽々かかあは出ねえ。本来ならずしに納めて、高い処に奉って、三度三度、お供物を取換とっかえて、日に一度だけ扉を開いて拝んでいなけりゃ罰が当ら。……
 処を……ありがたい神仏の広大なお慈悲の思召しで、それには及ばず、世間のならい、好き自由にしてり切れるまで使っておいて、何を、ふんどしも買ってやらない、里の母親の処へ、湯銭の無心、下駄の歯入まで強請ねだらせるとは何事です。女房は何がたのみだ。せめて病煩やみわずらいの時、優しいことばも掛けられて、苦い薬でも飲ましてもらおうと思えば、何だ、トラホームは伝染うつるから実家さとへ帰れ! 馬鹿野郎、盲目めくらになってボコボコ琴でもきやがれ。何だ、妹の娘で、姪の婿のよしみをもって俺に謡を聞かせろ――まいを舞え。わるく、この酒でちらッかな目の前五六尺が処へつらを出して見ろ、芸は未熟でも張扇はりおうぎで敲き込んでるから腕は利くぞ。横外頬よこぞっぽう打撲ぶっくらわせるぜ。
 またその鉄葉屋ブリキやと建具屋の弟子だってそうだ、血統ちすじは争われぬ、縁につながって能役者が望みだ、気障きざな奴だな。役者になるひまがあったら、――お久。……」
 と口をゆがめて横ざまにた。
「お前のその蝦蛄しゃこもののようになった、両手の指を、かわがわってめろと言え。……いずれ剣劇や活動写真が好きだろう。能役者になる前に、なぜ、鉄鎚かなづちのみを持って斬込んで、あねいじめるその姑婆しゅうとばばぶちのめさないんだい。――必ず御無用だよ。そういうかたがたを御紹介とか、何とか、に相成るのは。」
「あんさんは酔ってですね。」
 と涙も忘れて、胸も、空洞うつろに、ぽかんとして、首を真直まっすぐえながら潟のふなわんさまして、はしをきちんと、膝に手を置いたさま可哀あわれである。こっちには、かに甲羅こうら――あの何の禁厭まじないだか、軒に鬼の面のごとくかかったのを読者は折々見られたであろうと思う――針を植えたかっと赤いのが、烈々たる炭火にかかって、魔界の甘酒のごとく、脳味噌と酒とぶつぶつと煮えているのに。――
「お悦さん――姉さん――私の言う事は間違ってるだろうか。」
「槙村先生にお聞きなさい。」
 私は、……いまふと妙な形容をしたのに対して、言憎いが、甲羅酒をすくってただ笑った。
邪慳じゃけんかしら、薄情か知らん、たとえば、甲羅酒のように聞こえますか。それとも雪代さんの顔……」
可厭いやだ、小父さん。」
「いや、天人だよ、大したものです。茨蟹いばらがにのようか、それとも、舞台で……明日着ける……羽衣の面のようか、と云うんだよ。」
「どっちでも可いから、何しろ、まあおあがんなさいよ。」
「名言だなあ。」
 八郎は肩をのめらした手で膝をたたいた。
「何事もこれ食うためだ。が、どっちでも可いたって、はばかりながら雪代さんの顔はめさせもしますまい。食うとなりゃ、蟹の面だ。ぐつぐつぶくぶくと煮えて、ふう、ああ、おいしそうだ。」
 とかぶさるように鼻を持って行ったと思うと、
「ニャーゴ!」
 ああ、そこへ猫が出たかと思う、私さえ吃驚びっくりした。いわんや、台所から盆を運んで、階子段はしごだんの下まで来かかった結綿は、袖をね、つまをはらりと乱して台所へ振向いた。
「あれえ、お勝手へ、野良猫どらねこが。」
 こだまを返したと見える。
 雪代がちょっと襟を合わせながら、
「おっかさんなのよ。――困るわね。」
「真に迫りましたよ。」
 と私も言った。
「だって、兄さんがぐんだもの。」
「天人からはじまって、地獄、餓鬼、畜生だ。――浅間しさも浅間しい、が、人間何よりも餌食えじきだね。私も餌食さえふんだんなら、何も畜生が歯をくように、建具屋の甥や、妹の娘の婿か、その蒔絵屋まきえやなんかののしりやしない。謡も舞も、内に転がしといて見せも聞かせもしようがね。」
 坐り直って、なぜか、八郎は憮然ぶぜんとした。
「――姉さん、ここに居る、この人が、」
 八郎は片頬かたほで妹をななめにさして、
「無心を云う警戒でもするようで浅間しいが、聞いて下さい。私たちは職業として、主要おも収入高とりだかと言えば、その全体と言わないまでも八九分までは謡の弟子だよ。弟子を取るんだよ。客さきさえ良けりゃ、盆暮の附届けだけでも――云うことは下等だがね――一年はくらせよう。……はずんで、電話を呈しよう、稽古所を承ろう。家を一軒――なぞというのは、みんな謡の弟子なんです。
 槙村さんも御存じの通り、……処を、私は弟子を取りません。私は舞台で能はるが、謡の師匠じゃあないと言うんです。お聞きの通り、近頃は建具屋の弟子小僧まで、伯父の内弟子になって楽をして食おうという不了簡を起すほど、この職業も、さかんと云えば盛だけれど、腹のくちい連中が運動がわりに声を出すんで、能を見ようッて気はちっともない。――また、素人にゃ面白くないからね。芝居や活動写真のようには行かないんです。だから御覧なさい。――明日の催しだって同じ事さ。……手ン手が手本を控えて、節づけと目張めっぱりッこで、謡ばかり聞いている。夢中で浮かれ出すと、ウウウと頭をって、羅宇らうの中をやにが通るような声を出すんだからたまりゃしません。死ぬくるしみで修業をした、舞台の、その時々のシテなんざ、まるで御連中の眼中にゃないんだから。――そうかって先方さきはお客だ、わざも未熟だし、決してもんくは言やしない、言わないかわりに、一人だって紳士方の腹こなしや、貴婦人とかいう媽々天下かかあでんか反返そっかえりだの、華族の後家の退屈しのぎなんか弟子には取らない。また取れようもないわけなんだ。能役者が謡の弟子を取るのは、歌舞伎俳優やくしゃ台辞せりふ仮声こわいろを教えると同じだからね。舞台へ立っては、早い話が、出来ないまでも、神と現じ仏とあらわれ、夜叉やしゃ、鬼神ともなれば、名将、勇士、天人の舞も姿も見しょうとする。……遊女、白拍子しらびょうしはまだしも、畏多おそれおおいが歌の住吉明神のお声だって写すんです。謡本うたいぼん首引くびッぴきで、朱筆で点を打ったって、真似方も出来るもんか。
 第一、五紋いつつもんの羽織で、おはかまで、革鞄かばんをぶら下げて出稽古でげいこ歩行あるくなんぞ、いい図じゃあないよ。いつかもね。」
 八郎はぐいあおって、
「省線電車――まあ、その電車に乗ったと思っておくれ。真夏の事でね……五十づらをてらてら磨いて、薄い毛を白髪染さ、油と香水で真中まんなかからきちんと分けて、――汗ばむから帽子をかぶりません――化粧でもしたらしい、白赤くあぶらぎった大面おおづらおとがいを突出して、仰向あおむけに薄目を開けた、広い額がてらてらして、べっとりと、眉毛に墨を入れたのが、よく見える。しゃ横縞よこじまはかま突張つっぱらかして、折革鞄おりかばんわきに、きちんと咽喉のどもとをしめた浅葱あさぎの襟を扇であおぐと、しゃりしゃりと鳴る薄羽織の五紋が立派さね。――この紋が御見識だ。何と見えます――俳優ともつかず、遊芸の師匠ともつかず、早い話が、山姥やまんば男妾おとこめかけの神ぬしの化けたのだ。……間が離れて向う斜めに、しかもっていたのを、ちょうど私のそばに居合わせた、これはまた土用中、酷暑のみぎりを御勉強な、かたぎづくりの本場らしい芸妓げいしゃを連れた、目立たない洋服の男が居て、くだん色親仁いろおやじながら、芸妓とささやいて、何だろう?――(分った、能役者だ。)と――言った。私は慄然りつぜんとして膚粟はだえあわを生じた。正にそれに相違ないのだから。……流儀は違うが、額も、鼻も、光る先生、一廉いっかどのお役者で、評判の後家――いや、未亡人――いや、後室たらしさ。
 ――あとで知ったが、その言当てた男は、何とか云う、小説家だったって――餅屋は餅屋だと思ったよ。――
 そんな脂切ったのがあるかと思うと、病上やみあがりのあおっしょびれが、頬辺ほっぺたくぼまして、インバネスの下から信玄袋をぶら下げて、ごほごほせきをしながら、日南ひなた摺足すりあし歩行あるいて行く。弟子廻りさ。(どうなすった先生。)――(あいかわらず腎臓が不可いけませんでな。)なんぞはまたなさけない。が、決して悪く言うんじゃない。絞ってふとったのも、吸われてせたのも、皆これ、お互に食うためさ。今日こんにち餌食えじきゆえです。汝一人おのれいちにんならどうにか中くらいにでも食えようが、詮ずる処、妻子眷族けんぞく、つづいては一類一門のつながりに、稼がないではいられないからだよ。
 やっと夫婦で、を拾うだけで、済んでるから、どうにか能役者の真似も出来る。……この上でも出来て御覧、すぐその日から革鞄かばんを提げた謡の師匠だ。勿論謡の師匠なら謡の師匠専門は結構だ。
 が、そうなりゃ覚悟をする。……夫として、親として、女房子を食わせるのは義務だからね。私は成るべくは謡の師匠にはなりたくない。ただしそれでもえさの足りない時は、まず女房の前へ手をついて謝まるんだ。他様よそさまの大切なお娘ごの玉のごときお身体からだを自由にいたし申訳はありません。おはぐくみ申す腕がございませんから、重々おわびの上、お身体からだだけ、お返し申上げます。女にすたりはない。いず方へなりとも御自由にお使い下さいましとね。誰がそんな中で五人七人小児こどもを産ませる、べらぼうがあるもんか。女の方は産まないたってそうは行かねえ。身贔屓みびいきをするんじゃあないけれど、第一腕力に掛けたって女は弱い、従わせられる、みんな亭主の不心得だ。
 悪くそんな奴がはびこると、たちまち、能職が謡屋をかねるような事が出来しゅったいする。私がこのままで我を通せば、餓鬼、畜生と言われても、明日の舞台は天人だ。有象無象うぞむぞうが現われて、そいつにかかずらうようになると、見た目は天人でも芸は餓鬼だよ。餓鬼も畜生も芸なら好い、が、奈落へ落ちさがるのが可恐おそろしいんだ。
 私は能役者で、今度だって此地こっちへ来たのさ。謡の師匠なら、さき様の歓迎会や披露どころか。私の方から、顔出しもすりゃ、挨拶にも廻って、魚市で、お悦さんに鮒を強請ねだひまに、祝儀づつみの十や十五は懐中ふところへ入れて帰って、トラホームの療治代ぐらい、即座に弁ずるんだが、どうだい。」
 八郎は胸をしめて妹を見た。
「きみ、分ってくれたかい。」
 お久という人は、きょとんとしていた。
「あんさんは、ようものを饒舌しゃべってや。」
むこうの山に猿が三匹)の小猿にされて、八郎はぽかんとした。
 身勝手な事を……しかも酔っていて饒舌ったのである。実は友だちの私にもよくは分らない。が、その人となりと、境遇との婦人には、私の分らないほども分らなかったろうと察しる。
「どうだい、綺麗な奥さん――いかがです、姉さん、お悦さん。」
 遠慮なく、はしをとっていて、二人とも揃って箸を置いたが、お悦さんの方は一口飲み込むと、酒は一滴もけないおんなの、白く澄ました顔色かおつきで、
「ニャーゴ!」
「こいつは不可いけない。」
「お、小父さんお客様。」
 おっかさんにてこれも敏捷すばやい!……折から、店口の菊花の周囲まわりへ七八人、人立ちのしたのをちらりとすかすとともに、雪代がはやくも見てとった。

 ――先生、先生、橘先生――これはまたどうした事で。……既に電報で再度までも申出ましたものを、御着おちゃくの時間どころか、東京御出発の御通知も下さらず、幹事一同は大狼狽おおろうばい。勿論、催能は明日に迫りましたものを、御到着にならぬという事は断じてないと信じてはおりますものの、各々気が気ではありませぬ。御歓迎なり、有志の御紹介なり、昨日きのうも三つばかり、そのための会合がお流れと申す始末――
 これから、誰彼口々の口上は、読者諸君の想像にまかせた方がい。
 ――当方で御指定いたした旅館へはおいでなくとも、先生が御宿泊なさりそうな四五軒、しかるべき旅館も探したが、お見えにならない。最早今夜に迫っては、いずれにせよ、是が非、御着に相違ないと、町中の旅籠屋という旅籠屋の目ぼしいのを、御覧の通りこの人数で――
 提灯ちょうちん五張いつはり、それも弓張ゆみはり馬乗うまのりの定紋つきであった。オーバアの紳士、道行を着た年配者、羽織袴のは、外套を脱いで小脇に挟んでいる。菊花の土間へ以上七人、軒、溝石どぶいしへ立流れて、なお四人ばかり。
 ――で、なお念のために停車場へも多人数が出ているようなわけで、やっと思いも寄らない旅店で、お名前を見つけました。それも今しがたの事で。しかも、しかるに御在宿でない。しかるにしかる処、何が何とあろうとも明日みょうにちの演能に、今夜までおいでのない法は断じてない、ただ捜せ、捜すとめて、当地第一の料亭、某楼に、橘八郎先生歓迎の席を設けて、縉紳しんしん貴夫人、あまた、かつは主だったる有志はじめ、ワキツレ囃子方はやしかたまで打揃い、最早着席罷在まかりある次第――開会は五時と申すに、既に八時を過ぎました。幹事連の焦心苦慮ひとえに御賢察願いたい。辛うじて御当家、お内儀、御新造と連立って、公園から、もみじ見物――
 という、そのお悦さんは、世話狂言の町家まちやの女房という風で、暖簾のれんを隔てに、細い格子に立ってのぞいている。
 八郎は、かまちの冷い板敷に、ひたりと膝をついたが、そのいわゆる……餅屋は餅屋か、どこに用意をしていた知らん、扇子を帯にさしながら出迎えたのを、きちんと前に置いて、酒のいきおいで脱いでいたから、着流しのそげ腰で、見すぼらしく、土間に乗出すばかり手をついて、お辞儀をしている。
 提灯は吹さらす風とともに、しきりに菊の霜に動いた。
 ――手繰たぐりしめて駆附け、顔を見てまず安心、――が、その安心をさせないで、八郎は――さような晴がましき席へは出つけませぬ、かくの通り食べ酔いまして、この上御酒宴の席へつらなりましては、明日のつとめのほどが――と誰も頼まない、酔ったのをかせにして、不参、欠席のことわりを言うのである。
 思っても知れよう、これをそのままで引取る法があるものか。
 推し返す、遣返す――突込つっこむ、突放つっぱなす。引立ひったてる、引手繰る。始末がつかない。
 私でさえ、その始末のつかぬのが道理もっともだと思った。
 中にひげのある立派な紳士が、ある公職の名のりを上げた。
「この中には、藩侯御一門の御老体も見えておられる。わしも、武士さむらいの血を引いておりますぞ。さ、おいで下さい。」
 と云った時は、
「能役者は素町人です、が失礼します。」
 と云った、八郎はぶるぶるした。
 みんな黙った。寂然しんとした。
 店に居た、息子も若いしゅも居直ったのである。
「酔覚めだよ。」
 とお悦が小さな声で、
「雪代、雪代。」
 すっと寄ると、
「あ、内の事はお嫁さんにさせないと気まずいね……姉さん、」
 嫁御は、もう台所から半身出ていた。
広袖どてらを出しておくれ、……二階だよ。」
「まあ、小父さん、お寒そうね。」
 と雪代が店へ出ると、紺地に薄お納戸の柳立枠やなだてわくの羽織を、ト、白い手で、うずくまった八郎のせた背中へ、ぞろりと掛けた。帯腰のしなやかさ、着流しはなおなよなよして、目許めもとがほんのりと睫毛まつげ濃く、つぼめる紅梅の唇が、艶々つやつやと、しずかびんの蔭にちらりと咲く。
「似合いましたなあ、ははあ、先生。」
「それでは御出席になれますまい。」
「いや、諸君は、何を言う。」
 武士の血統は気色ばんで一足出た。
「お聞きなさい――橘さん……いやしくも東京から家元同格の貴下あなたがおいでだと云うで、今夕こんせき申合もうしあい打合せのために出向いた、地謡じうたい、囃子方一同は、念のため、酒席といえども、かみしもを用意しておるですぞ、何事ですか、このさまは。」
 八郎はくれないの八口を引緊ひきしめた。梅が薫って柳がなびく。
「最早、こうなれば八郎討死うちじにです。」
「何。」
「そのかわり、明日は羽衣を着て化けて出ます。」
「何だ!」
「ああ、その菊の下は井戸ですよ。」
 お悦の高声に、一同は、アッと退いた。
 が、たちまち一団になって詰掛ける。
 私は思わず、お悦の肩を乗越した。
 ここに不思議だったのは、そのお悦の袖の下にあった、円い、白い、法然頭である。この老人は、黒光りのする古茶棚と長火鉢の隅をとって、そこへ、一人で膳を構えて、こつねんと前刻さきにから一人で、一口ずつ飲んで、飲んでは仮睡いねむりをするらしかったが、ごッつり布子ぬのこで、この時である。のこのこと店へ出て、八郎と並んで坐ると、片手を膝について、片手、てのひらななめに、その手造りの菊をこうあおぐように、
貴客方あんたがた、ちょこッとその花を見て下さらんけ。……めて下さると、何じゃ、白いのを賞めて下されば、取次ぎの白粉おしろいじゃ、いろのを賞めて下されば、内のべにじゃ。一包ずつ、お景物をさしあげる事にいたしますぞ。」
 ほたりと笑って、
「どやろか。」
 と云った。
 提灯の灯も黄に白に、菊見の客が帰ったあとで、皆が揃って座敷へ入った時、お久という人は、自分の椀小皿をきれいに食べて、箸を置いて、そうしてうしろ向きで膳の上を拝んでいた。
「御覧なさい……あの通りだ。――嘘も大袈裟おおげさも、もの好きにもしろ、お囃子方は宴会の席へかみしもを持って出たかも知れないが、いま来た十人が十人、残らず申合わせたように四角な風呂敷づつみと折革鞄を持っていたでしょう。あの中がみんな謡本さ、可恐おそろしい。……その他一同、十重二十重とえはたえに取囲んで、ここを一つ、と節をつついて、浮かれて謡出すのさえあるんです。
 その癖、明日になって、舞台で見たが可い。誰も、富士も三保の松もながめちゃあいない。気まぐれに、舞を見るものも、ごま点と首ッぴきだから、天人の顔は黒痘痕くろあばたさ。」
 八郎は恥ずるがごとく、雪代の羽織を引被ひきかぶった。

 しかり。――十五の年かれを養子にした、当流の元老にして大家だった養父も正に同じ事を歎いたそうである。上京の当時、八郎は舞台近所のある外国語学家の玄関に書生をしていた。祖父おおじ伯叔父おじおじ、一統いずれも故人だが、揃って能楽師だった母方のその血をうけて、能が好きだから、間を見ては舞台をのぞく。馴染なじみになって、元老の娘が、五つばかり年紀上としうえだが優しいおんなで、可愛い小僧だから、ついしたしんで、一日あるひ、能会の日、中食ちゅうじきの弁当を御馳走して、お茶を入れて二人で食べていた。――処へ、装束をはかまに直して、扇子を片手に、渋い顔をして入って来た、六十七の老人である。「うまく遣ってるな、坊主、能はどうだ。」と言った。大切だいじ蒲鉾かまぼこを頬張りながら、「何だか知らないが、小父さんは化けるね。」「何。」「だって、舞台じゃあ、その色の黒いしわくちゃな手首の処が綺麗で真白まっしろだったよ。」天女の扇を持った手である。元老は当日羽衣を勤めた。「そして、(富士の高嶺たかねかすかになり、あま御空みそらの霞にまぎれ、)という処じゃ、小父さんの身体からだが、橋がかりの松の上へすっと上ったよ。」「生意気な事を言やがる。」お婆さんの御新姐ごしんぞが持って来た冷酒ひやざけを、硝子盃コップで、かわりをして、三杯ぐっと飲んだが、しばらく差俯向さしうつむいて、ニコリとなって、胡坐あぐらを直して、トンと袴をたたくと、思出したように、住居すまいから楽屋へ帰った。
 おなじような事がまたあった。盲目めくら景清かげきよである。「坊主今日も化けたか。」「化けた……何だか知らない、荒磯あらいその小屋に小父さんが一人居て、――(目こそくらけれど)……どうとかして――(寄する波も聞ゆるは)……と言うと、舞台中ざあと音がしてね、いおりへ波がしらが立つのが見えた……魔法を使ったようだよ。」お婆さんの御新姐の手から冷酒を三杯たてつづけて、袴に両手をついて、じっとうつむいた。が、渋苦しぶにがい顔して、ほろほろと涙ぐんだ。「こいつを聞きたいばっかりに、おれは五十年苦しんだ。ばあさん、おごれ、うんと馳走してくれ。皆一所に飲もう。」後日、内弟子にめる時元老が聞いた――「坊主、修業をして、舞台へ浪が出せるかな。」八郎が立処たちどころに、「いけなけりゃ、バケツに水をんで置いて打撒ぶちまくよ。」
 ――「尋常に手桶ておけとも言わないで、バケツはどうだ。しかし水をちまくかわりに、舞台へ雑巾を掛けます。」と、月を経て、嬉しそうに元老が吹聴ふいちょうした。娘の婿にきまった時である。
 かくて、八郎は橘の家を継いで、家名を恥かしめはしないのである。
 人は呼んで、宗家いえもと同格とかれたたえる。

「分らないな。――まだ世界に一人のあんさんだの、たった一人の妹を言っている! 一人の妹は分ったから、一人の妹になって来い。そのもじゃもじゃと生えた身うちの手足を残らずたたき切ってよ。真ばっかりなら、蝦蛄しゃこだって大好きなんだ。六十五歳で十一人うませた親仁おやじだの、その子供だの、またその婿だのを、私が親しいと思えるか、懐しいと思えるか、考えてみるがい。――何、妹に免じて、逢うだけだって、うるさいな!……そんなことに免じなけりゃならないような何だ? 妹だ。……きょうだいは一つからだだと? 御免をこうむる。血肉も骨も筋も一つに溶け合うのは恋しい可愛い人ばっかりだ。何?――きょうだいは五本の指、嘘をけ。――私には六本指、駢指むつゆびだよ。」
 地方は電力が弱くっても、明るい電燈の下へ持出される言葉ではあるまい。が、燈明ばかり陰々とした、そこの仏間で、八郎の声が聞こえた。
 ――座敷では人顔の朦朧もうろうとするまで、蟹の脳味噌の再び煮返にえかえる中を、いつの間にか、お久という人は、帰りしなに……「ちょっと」……で八郎を呼出して、連込んだものらしい。――
「な、六本指はあやまるよ、分ったか。」
 言い棄てて、酔過ぎたか、覚際さめぎわか、蒼白あおじろい顔をして、つかつかと出て来たが、御飯に添えて小皿の小肴こざかなを、(このあたりの習慣である。)手に載せて箸をつけていた、雪代夫人をると、どしんと坐って、
「何を食べてる。」
篠鰈ささがれよ。」
「ああ、」
 とのぞいて、
「東京の柳鰈か――すらりと細い……食ってるものも華奢きゃしゃだなあ。少しおくれ、※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしってだよ。」
可厭いやな、先生。」
「何が先生だい、さあ、※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)って。」
 小指の反った白魚の目は、紅い指環ゆびわにうつして、消えそうな身を三口ばかり、歯に触りそうにもないのを、あんぐとうけて、むしゃむしゃとんだと思うと――どたりとそのすんなりした背に崩込んで、空色地に雪間の花を染模様の帯のお太鼓と、梅が香も床しいほっそりした襟脚の中へ、やたらに顔を押込んで、ぐたりとなった。
「襟脚の処が三寸ばかり、お前さんに似て美しい。」
 と耳許みみもとささやいたと思えば、背中へ倒れ込んで――その時、八郎は泣いたのだそうである。
 私は小さな料亭の小座敷で、翌夜あくるよ、雪代夫人から、対坐で聞いた。

 チーン。
 すすり泣く声がすると、りんが鳴った。……お久という人の、めんてんの足袋で帰るのを、立合わせた台所から、お悦が送り出すと、とがった銀杏返いちょうがえしを、そそげさして、肩掛もなしに、冷いえりをうつむけて、雨上りの夜道を――凍るか……かたかたかたかたと帰って行く。……

 土地に大川どおりがある。ながれに添ったのではない。優しい柔かな流に面し、大橋を正面に、峰、山を右に望んで、橋添には遊廓くるわがあり、水には蠣船かきぶねもながめだけにもやってあって、しかも国道の要路だという、とおりにぎわっている。
 この土地へ来て、第三日目――八郎が舞台に立った――その夜九時半頃、……ゆいたての円髷まるまげに薄化粧して、質実じみだが黒の江戸褄えどづまの、それしゃにはまた見られない、こうとうな町家の内儀風の、しゃんと調ったお悦と、き心に肩を揃えて、私は、――瀬戸物屋で――骨董こっとうをも合わせて陳列した、山近き町並の冬の夜空にも、沈んだ燦爛かがやきのある窓飾の前へ立った。
「……ござんせんね。」
「ありません。」
 のぞくまでの事はない。中でも目に立った、落着いて花やかな彩色いろどり花瓶はながめ一具ひとつ、まだ飾直しもしないと見えて、周囲一尺、すぽりと穴のあいたようになっているのだから。
 気の早いお悦が、別してある場合だったから、つかつかと店へ入って、
「御免なさい、」
「へい、これは。」
 亭主が居合わせた。
「お昼ごろ、つれの人と頂きました花瓶かびんなんですがね、可なり大きさのあるこわれものですから、お店で、すぐ荷造りをして頂くか、それとも一旦、宿の方までお受取りしようか、……とにかく、もう一度うかがう事になっていました……」
「はあ、いえ、それでございますがな。まあ、御新造ごしんさん、お掛けなすって。旦那もどうぞ。いらっしゃいましたよ、つい今しがた、前刻さっき旦那かたが。」
「来ましたって!」
 と私の顔を見て、
「一人で?……もっとも一人でしょうけれど、どんな風俗なりをしていました。」
 ぽんと、馬づらが煙管きせるはたいた。
「ええ、それがな、紋着もんつきの着流しで、羽織も着ないで、足袋は穿いていなさったようでやすが、赤い鼻緒の草履を突掛つっかけて……あの廊下などを穿きますな……何だか知りませんが、綺麗な大形の扇を帯に打込んで、せかせかおいでなさって、(持って行く。)と突如いきなりおっしゃる。勿論、お代済でございますし、しかし、お風呂敷か何か、と云うのに、(きそこだ、直きそこだ。)と、いかさま……川端の料理屋ででも飲んでおいでなさったという御様子で、直ぐ、お引抱ひっかかえになりますとな、可なり持ちおもりがするんでやすから、扇をつッ支棒かいぼうにして。……いやどうも、花瓶も見事でございますが、どっちが綺麗かと思うほど、扇もお見事でございましたがな。」
 といいいい、これも、怪訝けげんそうに、じろりじろりとる。……お悦がその姿で、……ここらでは今でも使う――角樽つのだるの、一升入を提げていたからである。
(――時に、ここでいまし聞いたのが、綺麗な扇を持った※(始め二重括弧、1-2-54)……友だちだから特に讃して言おう※(終わり二重括弧、1-2-55)白い手とともに舞台から消えた、橘八郎の最初の消息であった――)
 私はやや狼狽うろたえていた。

 次第を話そうが、三日目のこの朝、再びお悦さんが私たちの旅宿に音訪おとずれた。またどんな事情があって昨日きのうの幹事連が押寄せないとも限らない、早く出よう。支度をするのに、直ぐ能舞台へ出勤するのが道順だから、八郎は紋着を着た。その舞袴まいばかまを着けるのが実に早い。夜討に早具足はやぐそくだから、本来は、背後うしろへ廻って、支膝つきひざで、ちょっと腰板を当てるのが、景情あいともないそうなお悦……(早間に掛けては負けそうもない、四時半から髪結を起したと云う)が、うっかり見ていたから、八郎の袴羽織には初めて接したかも知れないのであった。
 途中を電車で、私の見物のために、一度いま話すこの大川通で下りて、橋袂はしたもとに、こずえは高く向う峰のむら錦葉もみじの中に、朱の五重塔を分け、枝は長く青い浅瀬のながれなびいた、「雪女郎」と名のある柳の大樹を見て、それから橋を渡越した。志す処は、いずれも維新の世の波に、江戸を落ちた徳川のながれの末の能役者だったという、八郎の母方の祖父おおじ伯父また叔父、続いて祖母おおば伯母おばまた叔母などの葬られた、名も寺路町てらみちまちというのの菩提寺ぼだいじであった。――父母の墓は東京にある。――
 寺と寺との間に、亡者の住居すまいに石で裏階子うらばしごを掛けたような、こけすべる落葉のこみち、しかもやぶの下で、老猫おいねこの善良なのがもし化けたら、このほかになりようはなさそうな、べろんとけて、くちゃくちゃと目の赤い、ひげをそのままの頬のしわで、古手拭をかぶった、影法師のような、穴のばあさんとかいう店で、もう霜枯だから花野は幻になった、水より日向ひなたがたよりらしい、軒につるした坊さんばなに、葉の枯れがれの小菊を交ぜて、ほとけ様は五人と、八郎が云って、五、線香を買添えた時「あんやと、あんやと。」と唱名のごとくつぶやいて、景物らしく硫黄いおうの附木を束からいでくれたのには、私は髣髴ほうふつとして、生れぬさきの世を思った。
 寺の門には、樹立こだちのもみじに、ほかほか真赤まっかに日がしたが、墓所はかしょは湿って暗い。線香の煙の、五条いつすじ、むらえる枯尾花になびく時、またぽつりぽつりと小雨がかかると。――当寺の老和尚が、香染こうぞめ法衣ころもをばさばさと音さして、紫の袈裟けさを畳んだままで、ひじに掛けた、その両手に、太杖ふとづえこごみづきに、突張つっぱって、れて烏の鳴く樹の枝下へ立つと、寺男が、背後うしろから番傘をさしかけた。
「大僧正の見識じゃの、ははは。」
 と咽喉のどかすめて笑って、
「はや、足腰もよう利かんで、さし掛傘も杖のうちじゃ。意気地はないの、呂律ろれつもよう廻らん、大分に嘘をついたからの、ははは。」
 中山派の大行者で、若い時は、名だたる美僧であったと聞く。谷々の寺にこだまする、題目の太鼓、幾寺か。皆この老和尚の門弟子もんていしだそうである。
「よう御参詣じゃ――紅屋の御新姐ごしんぞう……今ほどはまた廚裡くりへお心づけ過分にござる。ああ、そのお袴の御仁(八郎を云う)、前にある黒いかめじゃがの。それは東海道横浜にござった、葛原くずはら(八郎の母方の姓)の妹娘のこつを入れて、――仲仙道上田にござる姉娘がの、去年供養に見えた一具じゃが、寺で葬るのに墓を穿った時よ。わしが立合うて、思うには、祖父おおじ祖母おおば、親子姉妹、海山百里二百里と、ちりちりばらばらになったのが、一つ土に溶け合うのに、瀬戸もののかけまじっては、さぞいたかろう。飯に砂利をんだようにあろう、と思うたじゃでの、棄てるも勿体なし……誰方どなたぞ参詣の折には、手向の花をさされてもいと思うて、石塔の前に据置きましたじゃ。さ、さ、回向えこうをなされ。いずれも久しい馴染なじみじゃな。」
 と、ほろりとした。聞くものの袖も時雨れつつ。……

「――横浜の、ええ、叔母の娘、姉妹でね、……叔母の娘は可笑おかしいんですが、叔父は私なんぞ顔も覚えないうちに、今の墓に眠ってるんです。妹の方は――来る時、そばを通りました、あの遊廓くるわ芸妓げいしゃをしていて、この土地で落籍ひかされて、可なりの商人あきんどの女房になったんでしたっけ。何か商売上もくろみがあって、地方をしまって、横浜へ出て失敗をしましてね。亭主も亡くなって、自分で芸事を教えていました。茶だの、活花いけばなだの、それより、小鼓を打ってね、この方が流行はやったそうです。四五年前に、神田の私の内へ訪ねて来た時、小鼓まで持参して、(八郎さん一調を。)と云うじゃありませんか。しかも許しものの註文です。(何、私と一調だ、かろう。さあ素裸になりたまえ、一丁組もう、)と云ったもんだから。――勿論、年増だが、別嬪べっぴんだから取組とっくんでも可い了簡りょうけんかも知れません……従妹め、怒ったの怒らないの、それぎり出て来ない。……音信不通同様で――去年急病で亡くなりました。がその節は、私は大阪へ行っていました。
 ああ、信州の姉の方ですか。――これも芸妓げいしゃで方々を流転して、上田のくるわで、長唄か何か師匠をしている、この方は無事で、妹の骨を拾ったんです。
 横浜の新仏しんぼとけ燐火ひとだまにもならずに、飛んで来ている――成程、親たちの墓へ入ったんだから、不思議はありませんが、あの、青苔あおごけが蒸して、土の黒い、小さな先祖代々の石塔の影に、真新しい白い塔婆で、すっくりと立ってたのにはちょっと面食めんくらいました。――(八郎さん相撲……)と、今にも言いやしないか、と思って、ぶるぶるッとしましたよ。あれと取組むのは当分恐れます。」
 ――寺の帰途かえりに、八郎が私とお悦にかく話した。――

 雪女郎の柳を、欄干から見る、その袖もかかりそうな、大川べりの料亭一柳で、昼飯ひるを済ました。
 で、川通りを歩行あるきながら、ふと八郎の覗込のぞきこんだのが、前に言った、骨董屋の飾窓だったのである。
 その花瓶はながめだが、私は陶器など一向で……質も焼も、彩色も分らない。総地の濃いあいに、桔梗ききょう女郎花おみなえしすすきは言うまでもなく、一面に秋草を描いた。その葉の透間、花の影に、墨絵の影法師で、ちらちら秋の虫のようなのを、じっると、種々いろいろな露店の黒絵具である。また妙に、たべものばかり。土地がらで、鮨屋すしや、おでんはない。あめの湯、かんとう焼、白玉焼、葛饅頭くずまんじゅうあわの餅。……どじょうを串にしたのだそうだが、蒲焼かばやきなど、ひとつずつ、ただその小さな看板にだけ、売名うりな呼名をかいて、ほんのりと赤で灯が入っていて、その灯に、草の白露が、ほろほろと浮く。……
「姉さん、これは夏場、この川通かわどおりへ出る夜店そっくりだね。」
 八郎のうちは、すぐこの近所だったそうである。
「たった一度だったが、姉さんと一所に歩行あるいた――」
「ほんとうね、……夢のようだけれど、植木屋の花の中から見た所かしら、そして月夜のようだよ。」
 真中まんなかに手がついて、見ると、四角な釣瓶つるべに似て、しかも影燈籠の意匠らしい。
「ちょっとほしいなあ。」
ほしいの?」
「うむ。」
ほしいものはお買いなさいよ。」
「値がどうも。」
「聞いてみましょうか。……私もちっと持っている。」
串戯じょうだんじゃあない。まだ給金も受取らないし、手が出せないときまりが悪いや。」
「八さんは、それだから可厭いやさ、聞くだけ聞くのに、何構うもんですかね。」
 八郎はその時十歩とあしばかりげるようにしたのに、お悦はずんずん入った。少し手間取ったが、胸を反らして出て来た。
 莞爾にっこりしている。
「どうでした。」
幾干いくらだと思う。――お思いなすって、槙村先生。」
「さあ。」
「分らない。」
「五百円。」
「ええ。」
「……モ、七百円もするんですが、うしろにちょっときずがあります、緋目高一ぴきほど。ほほほ、ですから、ただそれだけで――百円という処を……だわね、……もっとも諸侯だいみょう道具ですって、それをお負け申して……九十円。」
「買おう。」――
 言った通り、荷造りを頼むなり、受取るなり――楽屋へは持って行けないから――もう一度来るとして、それから三人で舞台にむかった。
 楽園がくえんと云うのだそうである。諸侯だいみょう別業しもやしきで、一器ひとつ、六方石の、その光沢ひかり水晶にして、天然にしょうの形をしたのがある。石燈籠ほどの台に据えて見事である。そのほか篳篥ひちりきなどは、いずれあとからなぞらえたものであろうが、築山、池をかけて皆揃っている。が、いまその景色を言う場合でない。
 表入口を、松原ごしの南の町並に受けて、小高く、ここに能楽堂がある。八郎はおさない時、よく出入をして知っているので、その六方石を私に教えようとして、はじかれたように指を引いた。直ぐそれから、池の石橋を一つ、楽屋口へ行くと、映山紅つつじ、桜の根に、立ったりしゃがんだり、六七人むくむくと皆動いて出た。真中まんなかに、とがった銀杏返いちょうがえしで胸を突出しながら、額越ひたいごしじっとこちらをたのは、昨日きのうのお久という人で、その両傍りょうわきから躍り出した二人の少年が、「久の息子です、伯父さん。」「伯父さん僕です。」「橘さん、久の娘の婿ですよ。」と続いて云ったのは、色の白い、にやけた男で、しょたりと裾長に、汚い板草履は可いが、青い友染の襦袢じゅばんの袖口をぶらりと出している――弱った――これが蒔絵師まきえしで。……従って少年たちは、建具屋と鉄葉屋ブリキやの弟子だから印半纏腹掛しるしばんてんはらがけででもいるか、と思うと、はげちょろけた学生服、徽章無きしょうなしの制帽で。丸顔で色の真黒まっくろな、目のきょろりとしたのが、一人はベエスボオルの小手をめた手を振るし、就中なかんずく一人ロイドぶちの大目金を掛けたのが、チュウインガムをニチャニチャとみながら、「久の息子です。伯父さん。」「伯父さん僕です。」「ごほん、……はじめまして、はい、久の主人でやして。」大古おおぶるの黒のちゅう山高帽を脱いで、胡麻塩ごましおのちょぼりとしたひげしごきながら、挨拶したのは、べんべらものの被布ひふを着て、すすくすぶりのふさの長い中位な瓢箪ひょうたんを提げている。「御先生様。」「はい、大先生様。」と割込んだ媽々衆かかあしゅが二人、二人とも小児こどもを肌おんぶをした処は殊勝だが、その一人は、おぶったほかに、両手に小児の手を引いていた。
「あんさん、縁者の人――こちらは養家さきの兄の家内たちや――見物をさしてたあせ。……ほんに、あんさんのおかげで……今日という今日は、私は肩身が広いぞね。」
 特に、婦人にかけては、恐らく世の仁者だ、ととなえられる私でさえ、これには辟易へきえきしたのである。
 ふとお悦を見ると、額のきずあとがさっと薄化粧を切って、その色はややあおざめた。
 愕然がくぜん茫然ぼうぜん唖然あぜんとして立竦たちすくんだ八郎がたちまちうやうやしくお辞儀をして、
誰方どなたも御見物は木戸口から願います。」
 と言った。
「分りました。――兄さん、私にまかせてね、分りましたよ。あなたは黙っている事……ござんすか。さあさあ誰方もいらっしゃい。――御案内……ッてらッしゃいッ。」
 とえた声で手招きをしながら、もう石橋を飜然ひらりと越えて、先へ立って駆出すと、柔順すなおな事は、一同ぞろぞろ、ばたすたと続いて行く。
 八郎はほっと息して、
「何とも、彼とも、ものにたとえようがありますまい。――無理解とも無面目とも。……あれで皆木戸銭の御厄介です。またあの養母というのがね、つばねてその饒舌しゃべる事饒舌る事。追従笑ついしょうわらいの大口を開くと歯茎が鼻の上まではだけて、鉄漿おはぐろげた乱杭歯らんぐいばの間から咽喉のどが見える。おびえたもんですぜ。私が九ツ十ウくらいの時まで、其奴そいつが伯父伯母のめいの婿の嫁入さきのせがれの孫の分家の新屋だというのを、ぞろぞろと引率して、しなくも可い、別院へ信心参りに在方ざいかたから出掛けて来て、その同勢で、久の実家だととまり込むんです。草鞋わらじを脱いだばかりで、草臥くたびれてかまちから膝行込いざりこむのがある、他所よそ嬰児あかごだの、貰われた先方さきのきょうだい小児がき尿を垂れ散らかすのに、……負うと抱くのが面倒だから、久を連れて来ない事があります。養父ちちおやの方が可愛がって片時も離さないとこういう言種いいぐさでね。……父も祖母も、あれにあたられると思うから、相当に待遇するでしょう。いい事にして、同勢がのめずり込む、臭いの汚いの、うるさいのって――近頃まで私は、煩って寝る時というと、その夢を見たんです。」
 いや、何とも申しようのない処を、木戸口をまわりに、半身で、向うからお悦が、松を小楯こだてにおいでおいでを合図した。
 勿論、八郎を呼ぶのではない。
「おいでなさい。――御退屈でしょうが、お席が出来たようです。あの人の事だから、今の連中と一所には決してしません。」
「そんな事なぞ。……私はたのしみにしている。今日の天人の手は白いでしょう。」
 不意を打たれたように、この名誉の能職は、ふと黙った。外套から、やがて両手を、片手でその手首を、さもいたわりそうに取って、据えると、扇子持つ手の甲をじっと重たげにて、俯向うつむいて言った。
「未熟ながら、天人が雲に背伸びはしますまいが、この手首は白いどころか――六つ指に見えなければ可いと思うんです――」
 と、もの寂しそうに首垂うなだれた。
「いずれ後程。」
 楽屋口の板廊下には、松の蔭に、松の蔭に、羽織、袴が、おお、麻上下あさがみしもも立交る。
 舞台では間狂言あいきょうげんの高声が、見物の笑いとともに板に響いた。

 私は、ここに橘八郎の舞台についてはいたずらに記事を費すまい。草の花に露店の絵の花瓶はながめを写した、陶器に対すると同じ知識の程度では、専門の能職に対して気の毒だと思う。
 ただ、幸い、……いや推量のごとく、お久という人たちとは席が離れていた。もっともほとんど満員である。お悦と取ったのも、四人席を他と半ば分けて、歩板あゆみいた附着くッついた出入に近い処であった。
 橋がかりに近い、二の松の蔭あたりに、雪代の見えたのが、ひとえ天降あまくだる天人を待つ間の人間の花かと思う。
――のうそのきぬ此方こなたのにて候、何しに召され候ぞ――
 幕はあがった。揚幕あげまくの霞をづる、玉にあやなす姿とともに、天人が見はるかす、松にかかった舞台の羽衣のにしきには、脈打つ血が通って、おお空の富士の雪に照栄てりはえた。
 八郎のその化け方も不思議だが、気をつけて見ると、成程、もうその時からして専念に舞台を見ているものは数うるほどしかない。もっとも謡本を手にしないものも、まれである。
――涙の露の玉かづら、かざしの花もしおしおと――
 という頃は、低声こごえであとをつけるのが、ぶつぶつぶつ、ぼうぼうと鳴いて、羽の生えたものは、も、はちも、天人であるかのごとくに聞こえた。
――迦陵※(「口+陟のつくり+頁」、第3水準1-15-29)かりょうびんがれ馴れし、声今更にわずかなる、かりがねの帰り行く。天路あまじを聞けばなつかしや、千鳥かもめの沖つ波、行くか帰るか、春風の――
 そのあたりからは、見物の声が章句も聞こえて、中には目金の上へ謡本を突上げるのがあり、身動きして膝をたたくのがある。ああ、しかも聞け――お久という人の息子が一人、あとをつけて謡ったのを。
――シテ「いやうたがいは人間にあり、天に偽りなきものを――
 気のせいか、チョッと舌打をしたように思ったが、それは僻耳ひがみみであったろう、やっと静々と、羽衣を着澄きすまして、立直ったのをて、昨夜紅屋の霜にひざまずいて、羽織を着せられた形に較べて、ひそかに芸道の品と芸人の威を想った……時である。お久という人が、席でヌッと立って、とがった銀杏返で胸を突出して正面に向合った、途端であった。立籠む霧がえんなる小紋を描いたような影が、私の袖から歩板あゆみいたと立って、立つと思うと、つかつかと舞台へ上った。その、そのお悦の姿が、くっきりとやや小さく見えた時と、かさなり合って、羽衣の袖が扇子おうぎとともに床に落ちて、天人のハタと折敷く、その背を、お悦が三つ四つ平手で打った……と私は見たが。……
「急病だ。」
「早打肩(脳貧血)だ。」
「恋の怨みだ。」
「薄情のむくいだ。」
 と急遽きゅうきょささやき合う声があちこちして、天井まで湧返わきかえはずを、かえって、瞬間、寂然しんとする。
 もうその時、天人は、転んだ踊子が、おっかさんに抱かれるように、お悦に背を支えられて、しかししずかに、橋がかりを引いて行く。……一の松、二の松、三の松に、天人の幻が刻まれて、その影が板羽目に錦を映しつつ、藻抜けて消えたようなシテの手に、も一度肩をたたいて、お悦が拾って来た扇を渡したのが幕際であった。
 幕は消して取った。
 同時に、少し横なぐれになるまで、身にふりれて、今度は、友染のつまて、白足袋で飛ぶように取って返すと、お悦が、私の手を取るがはやいか、引出すのに、真暗まっくらになって、木戸口へついて出た。その早い事、私が第一に目についたのは、青いような駒下駄の鼻緒で、お悦はもう自分のを、自分で抜いて取って、私の下駄をポンと並べた。
 それよりして松林のたらたらりを一散に駆出した。
「御免なさい、先生。――八郎さんに逢うまでは何にも聞かずに下さいましよ。」
「?……他国ものです、方角が分りませんから、何事も貴女あなた次第です。」
 町もこの辺は場末らしい。松をいて、小高く能楽堂の電燈がすから、あのまま、つぶれたのでも崩れたのでもない。が、雷か、地震か、爆発のぜん一秒を封じた魔の殿堂の趣して、楽園の石も且つ霜柱のごとくおもかげに立つのをあとに、しばらくして、にぎやかとおりへ出た。
「少しここに隠れていましょう。」
 落人のていである。その饂飩屋うどんやへ入った時は、さすがにお悦が「おひやを、お水を。」と云った。そうして、立続けにあおって、はじめて酔ったように、……ぼっと血の色が顔に上ったのである。
「何にも言わないかわり、私は飲みますよ。」
「沢山めしあがれ、……あとで、また御馳走を。」
 ――電話で、旅宿を――それから呼出しだったが紅屋へ掛けた。八郎は勿論帰っていない。楽屋に居る筈はなかろう。居てもそこを訪ねる数ではないから。……再びお悦の導くままに。――

 かくて、川通りの骨董屋へ来たのである。
 果して八郎はここへあらわれたのであった。
 微妙な霊感と云ってもいい。……ここへ見当を着けたお悦が、まだ驚いた事には、――紅屋で振舞った昨夜ゆうべの酒を、八郎が地酒だ、と冷評さましたのを口惜くやしがって、――地酒のしかも「つるぎ」と銘のある芳醇ほうじゅんなのを、途中で買って、それを角樽つのだるで下げていたのであるから。

 掛けたか、掛けないように、お悦は、骨董店の倚子いすに腰をらして、
「そんな服装なりで、花瓶を持って、一体どっちの方へ行ったでしょうね。」
「ええ、大橋の方へ、するするとな。はあ……」
 お悦が莞爾にっこりして、
「この人通りじゃ身投みなげでもありませんね。」
 亭主の顔を見よ。その驚いたのへ引被ひきよせて、
湯呑ゆのみを一つ貸して下さい、お茶碗でも。」
「はあはあ。」
 芬々ぷんぷん薫る処を、波々と、樽からいでくれたから、私はごくごくと傾けた。美酒うまざけの鋭さは、剣である。
「おたのしみでございますな、貴女様もお一ついかがで。えへへへ。」
 と、自棄やけに、口惜くやしそうに、もう一つ出した茶碗へ、また充満いっぱいに樽の口をつけた。
「お酒だけは一滴も不可いけません。――旦那めしあがれ。……御馳走様。ほほほほほ。」

 橋手前、辻の角の、古ぼけたが、店並一番の老舗しにせらしい菓子屋へ入って、売台へ立ちながら、
「ちょっと……ああ、番頭さん、お店の方もお聞きなさい。私ね、この頃人に聞いたんですがね。お店の仕来しきたりで、あの饅頭だの、羊羹ようかんだの、餅菓子だのを組合せて、婚礼や、お産の祝儀事に註文さきへお配りなさいます。」
「へい、へい。」
「あの、能の葛桶かつらおけのような形で、青貝じらしの蒔絵まきえで、三巴みつどもえの定紋附の古い組重くみじゅうが沢山ありますね。私たちが豆府や剥身むきみを買うように、なんでもなく使っていらっしゃるようだけれど、ぬりといい、蒔絵といい、形といい、大した美術品とやらなんですとさ。」
「へーい、成程。」
仏蘭西フランスのパリイの何とかって貴族の邸の応接室おうせつまで、ヴァイオリンですか、楽器をのせる台になっているんですって。」
「へーい、成程。」
提灯ちょうちんを一つ貸して下さいな。」
「へーい、成程。」
「そこの道具屋さんで借りればかったのに、ついうっかりしたもんだから。」
「へへい、成程。――どちら様で。」
「別院わきの紅屋の家内うちですがね、どちらだって構わないじゃありませんか。」
 お悦は澄まして、その定紋つきの提灯を下げてさきへ立つと、一柳亭のわきを、川へ、石段づたいに、ぐいと下りた。大橋の橋杭はしぐいが昼見た山の塔の高さほどに下から仰がれる、橋袂はしたもとの窪地で、柳の名、雪女郎の根の処である。
「ここが暗いんですからね。――ちょっと見たい事があるんです。」
 片側川端の窓のあかりは、お悦の鼈甲べっこう中指なかざしをちらりと映しては、円髷まるまげを飛越して、川水に冷い不知火しらぬいを散らす。が、かがんで、差出した提灯の灯で見ると、ああ、その柳の根に、叩きつけたようになって、秋草の花瓶はながめががらがらと壊れていた。石に化した羽衣を、打砕いたようである。その断片の処々ところどころ女郎花おみなえしを、桔梗ききょうを、萩を、ながれさっと、脈を打って、蒼白い。
「御覧なさい。こんなことだろうと思ったんです。小児こどもの時、あの人は、この美しい柳に魅入みいられたんですか、何ですかね、ふらふらとして、幾たびもここで死のうとしたんですから――いいえ……」
 と優しい声して、
「大丈夫、かえって身がわりになったでしょうよ。この花瓶がですよ。でも、あの人の無事のお祈りのために、放生会ほうじょうえをしてきましょう。昨日は大きな鮒を料理りょうりましたから。」
 持てとも言わず、角樽を柳の枝に預けると、小褄こづまをぐい、と取ったしまった足の白いこと。――姿も婀娜あだに、ながれへ張出しの板を踏むと、大川の水に箱造りの生簀いけすがある。
「や、それを放すんですか。」
「ええ、一柳亭のですがね、する事は先へして、あとで掛け合った方が捗取はかどりますから。」
 伸上って、のぞいたが、綱でゆわえたまま、錠を下してない。
 しゃがんで、提灯をかざしたと思うと、
「あ、可厭いやな。」
 と云った。
おおきな鰻が居ますか、居ますか、なまず。」
「お退き、お退き――」
 と生簀いけすを見詰め、かぶりって、
「いいえ、私が何かしようとすると、時々目の前へ出て来るんです。……かみしもを着た、頭の大きな、おかしな侏儒いっすんぼうしですがね。」
 私は思わずあと退さがった。葉は落ちつつも、柳の茂りで、滝に巻込まれる心持ここちがした。気のまよいと思ったが、実はお悦が八郎をひっぱたいた瞬間にも、舞台の端をちょこちょこと古い福助がけて通った。
「可厭だったら。何だい出額助でこすけ。」
 声とともに、さっともつれたびんを払って、横に提灯の柄を口にくわえると、まくり手に二つ三つ生簀をゆすって、どぶんと水に浸した。鯉のねる隙もない。魔のごとき大きな黒い橋杭が、揃って、並んで、どぶんどぶん、どぶんとこだまを返した。
「さあ、参りましょう、お待遠様。八さんの居所いどころは、大抵もう知れました。」……

「……居る、居る、居ますよ。」
 提灯をフッと消す。……蝋燭ろうそくの香を吸って消える、紅い唇を、そのままに、私の耳にささやいた。
 八郎の菩提寺ぼだいじ潜門くぐりを入った、釣鐘堂の横手を、墓所はかしょへ入る破木戸やぶれきどで、生垣の前である。
「ほら、ひらきも少しいていますわ。――先生ね、あなたね、少し離れた処で、そっと様子を見ていて下さい。……後生ですから。」
「お指図通り。」
 私もここは声をひそめよう。

「兄さん、兄さん――」
「うーむ。」
「あんまりつい通りな返事だことね、うーむなんて。」
「うむ、だって。」
「もうちっと驚かなくっちゃあ。……いきなり、お能の舞台から墓所じゃアありませんか。そこへ私が暗中くらやみに出たんだもの。」
「何だか来そうな気がしていた処だからね。」
「ええ、私もここに兄さんが居そうな気がしたんですよ。兄さん、御堪忍ね。あれ、煙草たばこんでるんですね。」
「墓を手探りで、こう冷い青苔あおごけを捜したらね、燐寸マッチがあったよ。――今朝忘れたものらしい。それに附木まであるんだ。ああ、何より、先生はどうした、槙村さんは。」
 私は約束で息を呑んだ。
「先生はね、とにかく、雪代がおともをして、おもてなしをしています。」
 嘘をけ。――
「どこで。」
「一柳亭で。」
「また一柳かい。いや、それにしても可羨うらやましいな。魂を入かえたいくらいなもんだ。――もっとも、魂はどこへ飛んだか、当分わからないから、第一その在処ありかを探してかからなけりゃならないけれどね。」
「だから、お墓所へ来ているじゃありませんか。」
「まあ、そんなものか。――ああ、それにしてもうらやましい。」
串戯じょうだんはよして、ほんとうに兄さん、堪忍してね。」
「何をさ。」
「だって、あんな処で、兄さんをったりなんか。」
「いや、その事なら、かえって礼をいう。……当然のことのようだ。何だか、妹の事なり、何なり、誰かに引撲ひっぱたかれそうな気がしてならなかったからね。――一体、女形の面裡めんうちからものが見えるッて事はないのに、駢指むつゆびが真向うへ立ったんだ。」
「さあ、その事ですよ。(余計な身寄は駢指のようなものだ。血も肉も一つ身体からだになって溶け合うのは、可愛い恋しい人ばかりだ。)ッて。……あら、煙草を喫んでるから、ちらちら顔が見えて、いくら私でもきまりが悪い。」
「何、構うもんか、全くそれに違いないんだ。」
「兄さん、きっとそう。」
「確かだ。」
「そんなら、なぜ、お久さんが真向うへ立ったって、なぜ、たれそうな気がしたりなんかするんです。――それはきっと世間体で、妹や、その親類の、有象無象に冷くっては人に済まない、と思うからでしょう。」
「世間なんかどうでも可い。人間同志だからね。しかし舞台じゃ天人になってるから。」
「天人なら、餓鬼……亡者を見ても、畜生……犬を見ても、みんかんざしの花の一つだと思わなければならないかも知れませんね。そんなら、なぜ、人間そのままの時、楽屋口で、お久さんの娘の婿が、浅葱あさぎの袖口をびらつかせた時、その、たたき込んだ張扇はりおうぎとかで、人の大切な娘をただで水仕事をさせ、抱きまでして、しゅうといじめさせた上、トラホームが伝染うつるから実家さとへ帰した、横ぞっぽうを撲挫はりくじかないんです。私は撲挫けば可いと思った。撲挫いて欲しかったよ。兄さん、私はね、弱い優しいおとなしい兄さんしか知っていません。――十四で亭主を持たせられた時分だって、ああ、兄さんがもう少し強かったら、乱暴だったら、悪たれだったら、と思わない事はなかったんです。――
 芸事で気が強くなったんでしょうね。――
 昨夜ゆうべは別れてから十何年ぶりかだし、それだし、昨夜くらい、善知識とも、名僧とも、ありがたいお説教、神仏のおつげと言っては勿体ないかも知れません。夜叉やしゃ、悪魔の御託でも構わない、あんな嬉しい話を聞いた事は生れてからはじめてです。だって、余計なものは肉親も駢指むつゆびでしょう、(血と肉と一つに溶けるのは、可愛い恋しい人ばかりだ。)というんでしょう……」
「私は信じるよ。」
「信じますね、……確かですね――そうすりゃ、私かって、内の亭主は駢指です。」
 私は舌をふるった。
「お待ち、お待ち。――それは芸の上の話だよ。うぞう、むぞうにたかられると、能役者じゃいられない、謡の師匠で、出稽古に信玄袋を持って廻らなけりゃならないというんだよ。」
「舞台だけの役者だって、私は、兄さんの羽衣とかの天人の顔を見ているより、青めりんすを引撲ひっぱたくか、駢指の講釈を聞く方がどんなに嬉しいか知れやしない。あすこで、あの羽衣の姿で、面で、雲から降りたそのままで、何千かの見物に、あの講釈をしたら、どんなにかいい心持だろうのに――だのに、青めりんすは引撲ひっぱたかないし、じれったくって、自烈じれったくってたまらない処へ、また余り姿容すがたかたちが天人になっておいでだから、これなり、ふッとどこかへ行ってしまいはしないだろうかと、夢中で血迷って、留めようとして、ハッと思うと、舞台の邪魔をした私だから、私まで、駢指だと兄さんが言いそうで、かっと口惜くやしくもなるし、しゃくにも障ったし、したもんだから、つい打ったりなんかして。」
「いや、もっともだ。芸に達して、天人になり澄ましていれば、羽衣さえ取返せば、人間なんぞにかかわりはないのだけれど、まだどうも未熟でね、雑念がまじるから、正面を切ってわざの上でもきっぱりとり切れないんだ。第一、はじめ、私は不意におっかさんが出て来たかと思ったよ。お久に対する処置ぶりが間違ってでもいるために。――ちょうど桟敷のあの辺で、お母さんに抱かれて能を見た事を覚えているから。はっと思ってそれが姉さんと気がついた時は、私は、られるかと思った……すぱっと出刃庖丁でさ。……舞台へ倒れた時は、鮒になったと思ったよ。鮒より金魚だ。赤地の錦で、鏡板かがみいたの松を藻に泳ぐ。……いや、もっと小さい。緋丁斑魚ひめだかだ。緋丁斑魚結構。――おお、さかなは出来た。姉さん、姉さん、いいものを持っているんだね。」
「どこでも構わず、息つぎに、逢った処で、飲ませようと思ってさ。」
「頂こう――茶碗がない。」
「まさか、廚裏くりへも、ね。」
「飛んでもない、いまは落人だ。――ああ、いものがある。別嬪べっぴん従妹いとこ骨瓶こつがめです。かりに小鼓と名づけるか。この烏胴からすどうやッつけよう、不可いけないかな。」
「ああ、好きになさい。思った事をしないでどうするもんですか、毒になったって留めやしない。」
「そのいきおいで――とかんはどうだろう、落葉を集めて。」
「すぐに間に合いますよ。」
「さきへ、一口やッつけてと。……ふーッ、さて、こう度胸のすわった処で、一分別遣ッつけよう。私のこんな了簡りょうけんじゃ、舞台に立てば引撲ひっぱたかれるし、謡の出稽古はしたくなし、……実は、みっしり考えようと思ってね、この墓所へ逃込んだんだが。」
「よく、楽屋で騒ぎませんでしたね。」
「騒ぐ間がありゃしない。また騒いだ処で、玄人の連中は、いずれ東京へ出れば世話になろうと思うから、そっとして置いたのさ。そこは流儀の御威光です。」
「何がまた口惜くやしくって、あの花瓶を打欠ぶっかいたんです。」
「もう見て来たのか、はやいなあ、天眼通だ。……あれはね、何、買う時から打壊ぶちこわすつもりだったんだよ。あの絵に、秋草の中に、食ものばかりの露店の並んだのを見て、ふらふらとなった。――川通りの夏の夜店へ遊びに出ては、一軒々々指をくわえて欲しい欲しいと餓鬼みたいさ。買えないだろう。あの粟餅あわもちのふかしたてだの、白玉焼の餡子あんこのはみ出した処なんざ、今思出しても、つばが垂れる。小僧、立つな立つな見ていて腹はくちくならない、と言われた事さえあるんだから。
 その腹癒はらいせと、自分のさもしい根性を一所にたたき破ったのだよ、――一度姉さんと歩行あるいた時、何か買って食べさしたいと思ったが、一銭あった。……ざまあ見やがれほろびたがね、大橋のあの柳のそばに、その頃水菓子屋があって、茹豌豆ゆでえんどうを売っていた。」
「覚えていますよ。」
「袋で持つと、プンと臭い。蒸臭むれてる、と言ったら、洗って食えと言った。しゃくに障って、ちまけたら、お前さん、食べたより嬉しいと言ったぜ。」
「ええ、覚えていますよ。」
「場所が場所だし、念ばらしに一斉いっときぶちまけたんだよ。」
「その事ですよ。何だって思うままにするがいんです。」
難有ありがたい、うむそこで、分別もかんもつきそうだが、墓の前で、これは火燗だ。徳利を灰に突込つっこむのさえ、三昧燗やきばがんというものを、骨瓶の酒は何だろう、まだちっとも通らないが、ああ、うまい。」
「少しきつくと、灰が立って入るもの。」
おんなだなあ、お悦さんも。この場合に、灰が飛込むなんぞどうするものか。しかしお志は頂戴する、おんなは優しいな。」
 扇子おうぎを開いてふたをした。紺青こんじょうにきらきらと金が散る、こけに火影の舞扇、……極彩色の幻は、あの、花瓶よりも美しい。
 内証の焚火は、骨瓶の下伏せに、左右へった、が、硫黄も燃したのであろう。青くくぐって、ちらちらとおんなつまをなぶり、赤く立って男の黒小袖の膝をもてあそんだ。
「ふーッ、いい酒だ。これで暮すも一生だ。車力は出来ず、くずは買えず、――姉さん、死人焼しびとやきの人足の口はあるまいか、死骸しがいを焼く。」
「ありますよ。」
「…………?」
「市営なんのって贅沢ぜいたくなのは間に合わないけれどね、村へ行くと谷内谷内やちやちという処の尼寺の尼さんが懇意ですがね。その谷戸やと野三昧のさんまいなら今からでも。――小屋に爺さんが一人だから。兄さんが火箸を突込つっこめば私が火吹竹を吹く。……二人で吹きおこしたって構わない。」
 とすかし見ると、びんの毛がの葉にこぼれて、頬をずりに、かめの下を吹いた。が、いつかくるりとすそ端折はしょった、長襦袢ながじゅばんは、土にこぼれて、火とともに乱れたのである。(註。二人して火を吹くは焼場なりという俗信あり。)
「ちっとも構やしない、火葬場やきばですもの。……寝酒ぐらいはいつでも飲ませる。」
「面白い。いや、真剣だ。――天人にはまだ修業が足りない。地獄、餓鬼、畜生、三途さんずが相当だ。早い処が、舞台で、伯竜はくりょうの手から、羽衣を返された時、博覧会の饅頭の香気においがした……地獄、餓鬼、畜生、お悦さん。」
「ええ、そうして、強くなって、ひとが羽衣をろうとしたら、めそめそ泣かないで、ひっぱたかなくっちゃあ……」
「二人は雌雄めすおすの鬼だが……可いかい。」
「大好き。」
うちは?」
駢指むつゆびを切るんです。」
「世間は?」
「青めりんすを打撲ぶっぱたくんです。」
「――姉さん、尼さんは懇意かね。」
「小屋の爺さんとも。」
こう。」
「行きましょう。」
「槙村の知らないうちに――何しろ、さしあたり行く処は、――どこにもない。」
「あれ。」
「え。」
「来た、来た、来た、また来た、うるさい、煩いッてば、チョッ福助。」
 おんなが、這搦はいからまるか、白脛しらはぎ高く裾を払い、立ってすがるか、はらはらと両袖を振ったあおりに、ばっと舞扇に火が移ると、真暗まっくらな裏山から、さっの葉おろしするとともに、火をからめたまま、羽搏はばたいて扇が飛んだ。
「あれえ、火事。」
「飛べ、獅子しし。」
 と言うとともに、手錬てだれは見えた、八郎の手は扇子おうぎを追って、六尺ばかり足が浮いたと思うと、宙で留めた。墓石台に高く立って、端然と胸を正したのである。扇子は炎をからめて、真中まんなか金色こんじき銀杏いちょうの葉のように小さく残った。
 墓所の暗夜やみ――
「お悦さん……」
「…………」
「……火の羽衣を舞おう。もう一度舞台に立って、人間界に降りた天人を、地獄、餓鬼、畜生、三途まで奈落へして、……といって、自殺をするほどの覚悟も出来ない卑怯ひきょうものだから、冥途めいど捷径ちかみちの焼場人足、死人焼しびとやきになって、きもを鍛えよう。それからだ、その上で……
――(愛鷹山あしたかやまや富士の高嶺たかねかすかになりて、天つ御空の霞に)――
 羽衣が三保の浦に靉靆たなびくか、どうかを見るんだ、しかし、お悦さん、……」
「兄さん、口で云う事はほんとうにらなくっては可厭いやですよ。」
「勿論――しかしお悦さん……酒はこぼれやしまいね。」

 私というものは、――ここで恥を云うが――(崇拝をしているから、先生と言う。)紅葉先生の作新色懺悔しんいろざんげの口絵に、墓参の婦人を、背後うしろの墓に外套がいとうひじをついて凭掛よりかかって、じっている人物がある。先生の肖顔にがおだという風説うわさがあって、男振おとこぶりがいかにもいい。
 ――男振は論じない。私のこの場合がちょっとその趣に似ていた。困った了簡方りょうけんかたの男で、そこでいい心地になって、石塔に肱をついて、塔婆の陰からのぞいたうちに、真暗まっくらになったから、ハッと思うと、誰も居ない。――とろりとして夢を見たのであろうか。
 寺の屋根も、この墓場も、ほとんどものの黒白あやめわかたない。が、門の方の峰の森から、釣鐘堂の屋根に、霧をすべって来たような落葉のしとねを敷いた、青い光明は、半輪の月である。
 枯葎かれむぐらを手探りで、墓から迷って出たように、なお夢心地で、潜門くぐりもんを――何となく気咎きとがめがして――そっと出ると、覚えた路はただ一筋、穴の婆さんのあたりに提灯ちょうちんが一つある。
 ――来る時、この裏のやぶを潜っても、同じ墓所へ行く、とお悦が言った。――ははあ搦手からめてから出たかと思う、その提灯がほんのりと、半身の裾を映す……つまの人よりも若く、しっとりと、霧につたもみじしたくれないの、内端うちわに細さよ。
 雪代であった。夢ではない。
「ああ、先生、母から自働電話で……(大急ぎでこっちへお迎いに。)……と云うものですから――すぐ自動車が間に合いましたの。」
 母――そのお悦は、しかし、電話を掛け棄てにして、八郎とともに行くべき処へ去ったのである。
 一柳亭の奥座敷で、雪代がしめやかに話した。
「……ほんとうにこまった人ですの。申訳はありません。時々、魔がしたようになりますんです。でも、悪魔ばかりではないと見えましてね……今日なぞは、舞台で、母があの狂気きちがいらないと、小父さんは、壮士のような人たち大勢にたれる処だったらしいんですよ。――橋がかりのきわの、私の居まわりにも、羽織袴だの、洋服だので、合図をかわしていました。気がついて、はっと思いました時が、母のあの騒ぎなんです。――帰りがけにね、大勢ぞろぞろと歩行あるきます人中に、私もまじっているとはお知んなさらないものですから、……(へなちょこ伯父が何だい、あんな節のない謡なんか、ただ口を利いてるようだ。東京の謡は場違いだな、こっちから縁を切る。)と、お久さんの息子さんたちが言っていましたよ。お久さんは、しくしく泣いていなすったようでしたけれども。……
 八郎さんの奥さんに――いいえ、先生、それは大丈夫でしょうと思います……昔から、あの、店の、紅屋の福助の人形に邪魔をされますから。
 電話でも、(あの張子を、そっとうしろ向きにするか、針で目をつぶして出ておくれ、今度こそは、きっと頼んだよ。母さんの頼みだよ。)と言いました。けれども、私は決してそれはしませんでした。
 ですから、谷内谷内やちやち――ええ、おんなじ字を重ねますんです。谷内谷内の野三昧のさんまいで、兄さんと死骸を焼くんでしょう。それはほんとうで、そうして、それだけだろうと思います。
 親類うちに、お産なぞありますとね、気が向くと、京都、岡山まででも飛出して、二月三月帰らない事が度々ありました。お産の世話なんかするのも、死人焼をするのも、そんなに違いやしませんでしょう。」……
 死人を焼くのと、産の世話と、そんなに違いはしないと言う……この母にしてこの娘である。……雪の下を流るる血は、人知らぬかがりに燃ゆる。たとえば白魚に緋桜ひざくらのこぼるるごとく。――
 これは蒼鬣魚かわはぎを見て、海底の砂漠の影を想ったようなくうなものではない。
 聞く処に従うと、紅屋の内儀の貞操は、かかって、おでこの古福助のすすの頭にある。心細い道徳だが、ないよりはかろう。八郎に取っても、お久という人の一類と交渉を持たなくてはならないのなら、むしろ野三昧の人足の方がましかも知れない。いわんや、亡者を焼く烈々たる炎には、あの雪のはだが脂を煮ようものを。朱唇に煉炭を吹こうものを。――
 私にしても仮にこの雪代夫人と……
「でも、小父さんは気が弱いんですね、――あの、お久さんのえりの下が三寸ばかり、きれいで……似ているって、」
 耳朶みみたぼをほんのり染めつつ、
「私のここへ――倒れて泣いたんです。涙がね、先生、随分泣いて、まだ、しっとりとしていますわ。情の迫った涙ですもの、着換えるのがおしいんです。」
 私はあぶなくそのせなに手を当てようとした。

 翌日、朝、汽車で立つ時、雪代さんが、ひとり衣紋えもんを正して送った。
 もう一人、中学の、くちゃくちゃの制帽と服で、鍵裂かぎざきだらけで、素足に高足駄を穿いた勇壮な少年がある。酒の席などでは閑却されたが雪代夫人の弟である。
「……先生、学校でも、教師も生徒も知ってるんですよ、先生の来た事を。僕、お話をききたかったんだけれど、この姉なんぞが邪魔にしおって……」
「邪魔にはしませんよ。」
「何いってやんでえ! おかめ。」
「ああ、もう出ます――先生、くれぐれも八郎さんが言ってでした。……ほかにお見せ申すものはありませんが、是非、白山を見て下さいって。」
「先生、一番近いんじゃあ、布村って駅を出て、約千五百メエトルばかりくと、はじめて真白まっしろいただきが見えますから。――いえ、谷内谷内は方角が違うんです。」
 私は学生に手を伸べた。
「君、握手しよう――姉さんは、よその奥さんだから。」
「まあ、可厭いやですこと……」
 学生に講義する私の学問は、学校の名誉のために黙っておこう。

 白山は、藍色あいいろの雲間に、雪身せっしんの竜に玉の翼を放ってけた。悪く触れんとするものには、その羽毛が一枚ずつ白銀しろがね征矢そやになって飛ぼう。
 が、その暗く雲に包まれたふもとの底に、一ヶ所、野三昧の小屋があって、二人が火をいていそうでならない。

 八郎はまだ帰京せぬ。
 ――細君は煩っているのである。
昭和二(一九二七)年四月

底本:「泉鏡花集成8」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年5月23日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十三卷」岩波書店
   1942(昭和17)年6月22日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2011年5月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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