一 人形茶屋

安房北條の海岸に、家を擧つて寓居すること凡そ一箇月。那古に遊び、船形に遊び、洲崎に遊び、鷹ノ島に遊び、沖ノ島に遊び、手ぐり網の船をさへ放ちて、菱花灣上、到る處に我が遊蹤を印しけるが、取りわけて一つ我眼にとまれるものあり。人形茶屋是れ也。
 柏崎の海岸にありて、鷹ノ島と相對し、四阿の如きものに壁を付けたるが、屋根の上の中央に、木製の人形の面を置く。面の長さ二尺餘り、眞白に塗り、髮を丁字髷にす。聞く、これ主人自から作れるものなり。茶屋も亦主人自から工夫して建築せる所に係る。この主人、工匠を好み、細工道具を手にして居りさへすれば、終日厭くことを知らず。爲に商賣のさはりになるとて、細君に叱らるゝこと少なからず。人形の面の如きも、細君に隱して、こつそり細工すること二年にして出來上りたるものなりとかや。技の巧拙は問はず、其熱心と根氣とは實に感心也。而して人形茶屋の名を博して、遊客の注意を惹ける點より見るも、決して細君の叱るが如き徒勞にはあらず。殊に其名利を超脱して細工に優遊せるは、今の世の藝術家にも其比少なかるべし。

        二 天幕の一夜

五六人臥するに足るだけの天幕を持ち行きけるまゝにて、之を用ゐたること無かりしに、西村醉夢來り訪ひ、氣を吐いて曰く、寶の持腐れといふことあるが、天幕の持腐れは氣の利かぬ話也。今夜之を張らずやと。我等顏色なし。さらばとて、直ちに天幕を濱邊に張れり。之に臥したるは醉夢と余と甥一人豚兒三人なりき。醉夢も兵士として出征せし時には、露營の經驗もあれど、久しく都門の風塵に生活せる今の身に取りては、餘りに急激の變化也。翌日熱少し出でて、頭があがらざるは、氣の毒なりき。其病ひ癒えたるかと思へば、小兒を相手に、終日赤條々となりて砂の砲臺を築き、白皙の背中、爲に赤くなり、ぴり/\痛み出しけるが、終に背中より肩、兩腕へかけて、一面にぽつ/\水腫を生ず。重ね/″\の災難也。われ針を以て一々之をつぶしけるが、それも幸にして一夜にして癒えたりき。

        三 鯛の浦

いよ/\房州を引揚ぐるに際し、他は船にて都にかへし、醉夢と余と長男の三人は、安房の東海岸より上總へかけて廻り路して歸らむとて、北條より馬車に乘り、鴨川、天津を經て、小湊に達し、先づ誕生寺に詣づ。伽藍堂々、山に據り、海に俯す。小湊は實に日蓮誕生の聖地也。この地、更に鯛の浦の奇觀あり。舟を雇ふ。浪高し。大丈夫かと問へば、舟子笑つて曰く、大丈夫なればこそ舟を出す也。數日前までは、凡そ一週間に亙りて、舟を出さざりき。海に千年の我等、舟が覆へりても命に別條は無けれど、客の身が大事也。死んでもかまはぬから舟を出せといふ客もありたるが、その客は、自業自得、死んでもかまはざるかも知れざるが、名所に傷が付きて、我等の商賣がばつたり。客が何と云はうが、彼と云はうが、如何ばかりの黄金をふりまかうが、舟を出すべからざる時には、出し申さずと、子供扱ひにせられて、覺えず頭を掻く。
 舟子三人にて、やつと漕ぐ。浪のうねり大にして、舟は木葉の漂ふが如し。危礁亂立、怒濤澎湃の間、舟底を叩き、鰺數尾を投ずれば、出たりや出たり、數尺の大鯛、群りあひて溌溂として食を爭ふ。中には幾んど全身を波上に露はせるもあり。長男素早く寫眞にとりたるは好かりしが、後、陸上にて革嚢をおとして、種板を打碎きしは、いづれ波の縁を免れざりしにや。

        四 山上の病氣

天津まで引返して、清澄山に上る。頂上の見ゆる頃は、既に夜也。谷の彼方、半空へかけて、翼を張れるが如き峰黒く、燈火燦爛として亂點す。仙宮に上りたらむ心地したりき。參詣は明日にして、門前の旅店に投ず。明治二十三年、曾て此處に宿せしことあり。當時の宿泊料の受取書の余の手許に殘れるものを見るに、僅々二十錢也。二十五六年後の今日は、幾んどその三倍也。これでも、差がまだ少なし。常時奧州街道筋にては、普通十二錢五厘せしものが、今では六七十錢也。
 翌朝清澄寺に詣で、あちこち見物しける程に、醉夢俄に腹痛を催して、歩行する能はず。宿屋に引返す。醫者は無し、藥はなし。こんにやくを温めて、醉夢の腹を温めけるに、痛みやゝ薄らげる樣子也。高等文官試驗の準備の爲に、同じ宿に寓して勉強し居れる新學士、傳へ聞きて、下劑を呉れ、計らずも便宜を得たり。熱を檢しけるに、幾んど之なきやうなるに、益※(二の字点、1-2-22)安心したりき。醉夢がうと/\眠れる間に、長男をつれて、野獸園を訪へり。十數頭の鹿を飼ふ。茶亭に就いて、手を叩けば、あちこちより露はれ來たる。菓子を投ずれば、優者獨占して食ふ。弱者恐れて近づかず。近づくも、優者に角を向けられて、のそ/\退却するもあはれ也。
 再宿す。昨夜酒を求めしに、品切れなりといふ。二十年來、晩酌せざる日とては無き身に取りては、大いに物足らぬ心地したりき。今宵も品切れ也。友は病む。我も亦一種の病人也。
 醉夢の病は、幸にも一夜にして癒えたり。新學士に送られて、清澄山を去れり。安房第一の大刹、もとは天台宗、今は眞言宗なるが、日蓮の學びし處、又其日蓮が朝日に向ひて始めて南無妙法蓮華經を唱へ出したる處とて、日蓮宗の信徒の參詣する者多く、山門の側に祖師堂さへ出來居れり。農科大學の植林も盛んにして、樹木しげり、峯容秀拔、眺望もよく、げに房州第一の靈山、堂前老杉の偉大なること、天下有數也。

        五 暴風雨の一夜

天津より勝浦まで馬車に乘る。小湊を過ぐれば、『おせん轉ばし』の險あり。一路、海に臨める懸崖の中腹に通ず。馬若し一歩を誤らば、命はそれ切り也。雨いたり、風さへ強きに、一層心細く感じたりき。
 勝浦より汽車に乘り、大東に下り、大東岬に至る。風益※(二の字点、1-2-22)甚だし。雨は止みたるが、陰雲漠々、九十九里の濱は見えざりき。この大東の濱邊に筆草生ふと聞きつるまゝに、注意して見たれど、それらしく思はるゝものは見當らざりき。
 大東に引返し、汽車に乘り、一ノ宮に下る。夜既に八時を過ぎたり。海水浴場まで船を雇はむとせしに、波高ければとて、船を出さず。闇中を摸索しつゝ徒歩して、漸く一旅館に投ず。今宵は酒あり。されど風益※(二の字点、1-2-22)甚しく、大雨加はり、松林叫び、海濤咆哮し、戸鳴り、家動く。惡魔の窟に入りたらむ心地して、世にも不愉快なる一夜なりき。
 翌朝風雨なほ止まず、雨戸を開くべからず。陰鬱慘凄、益※(二の字点、1-2-22)以て惡魔の窟也。長男又腹痛を起す。されど醉夢ほどには非ず。穩臥靜養して行かずやと云へば、宿屋よりは自家がとて、まだ子供氣の家が戀しく、大雨を衝き、尻に帆かけて、逃ぐるが如くに立ち出づ。宮川の海に入る處、川に小船を浮ぶべく、砂丘偉大にして松林も偉大也。雨と風となくば、如何ばかり心ゆく處ならむを。
(大正五年)

底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年7月9日発行
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年11月28日作成
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