眞理の概念は知識の問題の中心概念である。それだから我々は先づこの概念の檢討から始めよう。
いはゆる模寫説(Abbildtheorie)ほど今日不評判なものはないであらう。誰も自分の考へ方が模寫説であるといはれることを極端に恐れてゐる。模寫説といはれてゐるのは、我々の表象と實在との一致をもつて眞理と考へる思想である。心の外にある物が心の中に映じ、この映像が物に一致してゐるとき、それが眞理であるといふのである。かかる模寫説は到底維持され得ないと評せられる。第一、我々の感性知覺が外的實在の意識のうちにおけるそのままの繰返しであり得ないことは、心理學の知識を俟つまでもなく、日常の經驗において何人にも分つてゐることである。第二に、眞理といはれるものの中には外界の實在と一致しないものがある。數學的眞理の如きはそれである。例へば、圓は一定點から等距離にある點の軌跡であるといふが、このやうな圓は實際には何處にも見出されることができない。第三、我々が表象と實在との一致をどれほど眞面目に確かめようとしても、つねにただ表象と表象との一致が知られるのみであつて、表象と物そのものとの一致は決して知られない。我々は直接體驗の表象と記憶表象或ひは想像表象とを比較し、兩者を同一の對象に關係させることができる、しかし我々はこの對象そのものと表象とを比較することはできないのである。この種の批評が模寫説に對して普通に行はれてゐる。
模寫説は超越的眞理(transzendente Wahrheit)の見方をとつてゐる。即ち意識の外にそれを超越する實在を認め、これとの關係において眞理の概念を規定するのである。しかるにこのやうな超越的眞理の見方は極めて執拗なものであつて、到る處にその影をとどめてゐる。それは、模寫説の難點を免れようとする内在的眞理(immanente Wahrheit)の見方、即ちひとへに表象相互の一致をもつて眞理を規定しようとする場合にも、そのうちに隱されて横たはつてゐる。この場合、二つの表象が相互に一致すべきであるといふ要求は、兩者が共に同一の對象に關係させられるといふことに基礎をもたねばならない。二つの表象が相互に等しいとせられるのは、それらが第三の、それ自身は表象ならぬものに等しい故でなければならない。我々が科學的理論において形作る諸表象は、我々が經驗によつて得る諸表象と一致すべきであるといはれるとき、そこにはその根柢として、兩者において同一の實在が精神に現はれてゐる筈であるといふ思想がはたらいてゐる。このやうに模寫説は甚だ根源的な、甚だ影響の多い認識理論である。
近代の認識論は模寫説について、第一に、それは素朴な考へ方であるばかりでなく、第二に、カント以前の哲學はその認識理論においてすべて模寫説であつたと看做してゐる。このやうに見ると、模寫説はおよそ非認識論的な考へ方を代表することになるであらう。なぜなら普通に認識論的な考へ方はカントによつて確立されたものであり、カントに始まるとさへ見られてゐるからである。惟ふに、この認識論的な考へ方と模寫説的な考へ方との最も根本的な對立はかうである。即ち前者にとつては、眞理は知識の性格であつてそれ以外のものを意味しないのに反して、後者にとつては、眞理は第一次的には存在そのものの性格であり、そして第二次的に知識の性格を意味してゐる。これは甚だ重要な點である。しかるに近代の認識論はこの點を無視していはゆる模寫説に對して批評を行つてゐるのである。それが批評の對象としてゐるやうな模寫説はむしろ何處にも存しないのであり、いはば單なる認識論的構成物に過ぎない。この事情をはつきりさせることは近代の認識論的偏見を打ち破るために必要なことであるから、更に立入つて論究してみようと思ふ。
我々の認識の素朴な態度は果して模寫説的な考へ方に立つてゐるであらうか。ここに素朴といふのは、前哲學的といふことであつて、單に我々の日常の經驗ばかりでなく、また科學の立場をもいふのであり、從つてそれは一層適切に自然的な態度(nat

プラトンは知識(epist


イエスは眞理を宣べ傳へるためにこの世に來たといつた。ピラトはこれに應じて、「眞理とは何か」といふ。聖書に現はれたこの有名な物語の深い意味を汲んで、ヘーゲルは、ギリシア的世界においてプラトンが意見と知識とを對立させたのと同じことが、ここにローマ的世界において現はれた、といつてゐる。キリスト教的哲學にとつて眞理とは第一次的に存在、しかも最も實在的な存在であるところの神そのものである。神は絶對的な眞理である。人間の認識は第二次的に眞理といはれるに過ぎない。しかも如何にして人間にとつて眞理を認識することは可能であらうか。神の被造物としての人間は神との相似(similitudo)においてある存在であるからである。等しきものは等しきものによつて認識される。神と人間との關係は能産的自然(natura naturans)と所産的自然(natura naturata)との關係である。この關係は二つのことを意味するであらう。それは一方では神と人間とが相等しいといふことを、そして他方では兩者の同等がしかし絶對的な同一でないといふことを意味してゐる。このやうな存在論的關係がまた人間の認識の性質を規定する。即ち一方では、人間は眞理としての神に等しいから彼にとつて認識は可能である。けれども他方では、創造者としての神が無限なものであるのに反して被造物たる人間は有限なものであるから、人間の認識は制約的であり、そしてただ一定の條件のもとにおいてのみ彼にとつて認識は可能である。この條件はプラトンにおいての如く道徳的な條件である。もろもろの慾念から離脱することによつて初めて眞の認識は可能になる。そこには、ひとつの情操的な活動がなければならず、このものは、プラトンがすでに愛(er

このやうにしてカント以前の認識理論を一般に模寫説と見ることができるとしても、我々はその深い動機を理解することを怠つてはならない。その意味については後に述べることとして、ここになほ近代の認識論に對して、そのいはゆる模寫説に關して概括的に次のやうに言つておきたい。第一に、この考へ方は認識の理論を存在の理論のうちに排列する。眞理も第一次的には存在そのものに屬し、第二次的に人間の認識の性格であるに過ぎない。從つてそこでは虚僞は單に缺乏(privatio)と見られるのがつねである。デカルトやスピノザなどもそのやうに考へてゐる。そしてスピノザはいふ、恰も光が自己自身と闇とを共に顯はにする如く、眞理は自己自身と虚僞との標準である(Sane sicut lux se ipsam et tenebras manifestat, sic veritas norma sui et falsi est.)。第二に、かくてこの見方は人間の存在についての一定の解釋をそのうちに含んでゐる。人間と眞理であるところの存在との間には存在的に相等の關係がある。そこでギリシア人は眞に存在するものと人間の本質的な活動とを共にロゴスといふ語をもつて表はした。キリスト教的哲學の根本前提も、被造的存在(ens creatum)としての人間が神の像と相等に從つて(ad imaginem et similitudinem)造られてゐるといふことであつた。もとより人間と神とは同一ではない。プラトンにおいても人間は全智のものと無智のものとの間の中間者(metaxu)と看做された。デカルトもスコラ哲學に從つて人間を神と無との間の、即ち最高存在と非存在との間の中間者(medium inter Deum et nihil, sive inter summum ens et non ens)と考へてゐる。かやうな存在即ちそのうちに非存在を含む存在である故に、誤謬も人間に屬するのである。
さてデカルトにおいてのやうに人間の意識、殊に理性に具はる觀念に認識の源泉を求める思想は、普通に合理論(Rationalismus)と呼ばれてゐる。合理論に對して經驗論(Empirismus)といふものがある。經驗論もその起原はもとより古いが、特に近代の經驗的自然科學の影響のもとに榮えるに到つた。經驗論の根本思想は、誤つてアリストテレスのものとせられてスコラ哲學において定式化され、そして近代の經驗論者によつて繰り返されたひとつの命題、先に感性のうちになかつたところの何物も知性のうちにない(Nihil est in intellectu quod non prius fuerit in sensu.)といふ命題をもつて表はされる。かやうにして經驗論は生具觀念といふものを認めない。反對に、一切の認識を經驗から説明しようとする。我々はその古典的な例をロックの哲學において見ることができるであらう。生具觀念に反對するロックの論證は次のやうであつた。論理の根本原理である同一律や矛盾律の如きをひとは生具觀念に數へてゐる。しかるにこれらの原理は子供たちや學問的教養をもたぬ人々には知られてゐない。そして精神に眞理が生れながらに具はつてゐて、しかもそれについて精神がなんらの意識、なんらの認識をもたぬといふことは、ひとつの矛盾を許すことになるであらう。むしろ精神はもとなんらの觀念も具へざる、いはば白紙(tabula rasa)の如きものである。一切の觀念は經驗から生ずる。ロックは觀念を單純なものと複合したものとに分けて、後者はすべて前者から生ずると考へた。ところで單純觀念の由來する經驗は二種のものに、外的と内的と、ロックの言葉によると、感覺(sensation)と反省(reflection)とに區別される。感覺は身體の感覺器官によつて媒介される物體界の表象であり、反省はこれに反してこのものによつて喚び起される精神そのものの活動についての知識である。心理的發生的に見ると、感覺は反省にとつて機縁であり、前提である。感性知覺においてロックが第一次的性質(primary qualities)と第二次的性質(secondary qualities)とを區別したことは有名である。第一次的性質といふのは眞に物體そのもののうちにあり、物體からそのあらゆる状態において離れ難く從つて來る諸性質、延長、形状、不可入性、運動、靜止及び數の如きがこれである。第二次的性質といふのは色、音、味、匂、温覺の如きものであつて、これらの性質は物體そのもののうちになく、我々の心のうちにあるのみである。眼を閉ぢると色は消え、耳を塞ぐと音は失はれ、このときなほ殘るものは物體の大いさ、形状及び諸部分の運動である。そして例へば温覺は物體の知覺し得ぬ極めて小さい諸部分の甚だ活溌な運動によつて惹き起される。このやうに第二次的性質は第一次的性質から派生されたものである。ところで反省は感覺から生ずる表象内容について行はれる精神そのものの諸機能の意識を含んでゐる。これらの機能には、記憶、區別、比較、結合、命名、抽象等のものがある。單純觀念から生ずる複合觀念としては、樣態、實體、關係などがロックによつて擧げられてゐる。
いま經驗論における眞理の概念がまた模寫説的なものであることは明かである。經驗が何故に認識の源泉であるかといへば、それが實在の模寫であるためである。しかしここに注意すべきことは、近代の認識論の端初に立つといはれるロックの哲學において既に、眞理の概念が存在の概念との關係を離れ始めるに到つたことである。ロックによると、我々の認識にとつて與へられた材料は專ら感覺及び反省から來るところの單純觀念であり、我々の認識即ち我々の判斷もただこれらの我々の觀念に關係し得るのみである。肯定判斷においては一致せるものとして、否定判斷においては一致せざるものとして、相互に關係させられるのはただ我々の觀念であり得るのみである。ロックは知識(knowledge)或ひは認識は我々の諸觀念のこの一致もしくは不一致の把捉(perception)において成立すると定義してゐる。しかるに判斷はすべて言語上の命題をもつて表はされる。このやうにして眞理の二重の概念が生ずるであらう。ひとつの判斷の命題は、その言語がそこに思念された諸觀念相互の間に存するのと同じ肯定的もしくは否定的關係におかれてゐるとき、眞である。しかるにこのやうな名目的眞理についてばかりでなく、我々はまた我々の判斷の思想そのものの眞理について問ふであらう。この問に對しては、我々の觀念と我々の意識の外に實在する事物とが、言語と觀念との間に存するのと同じ關係におかれ、諸觀念の結合は、それが諸觀念によつて表はされた事物の結合に一致してゐるとき、眞であると答へられるであらう。けれどもこのとき、如何にして我々は我々の觀念と事物との一致を認識するのであるか、といふことは答へられない。ロックに始まるイギリスの經驗論の哲學はこの問を無用にする方向へ進んでいつた。先づバークレイは自體において存在する物體界の實在は間違つた想定に過ぎないとする。外的な事物も、それが存在する限り、觀念以外の何物でもない。存在するとは知覺されることである(esse est percipi.)、といふのは彼の有名な命題である。物體はただ表象の複合であり、その存在は知覺されることと同一であるならば、心の外に實在する物體を考へるのは誤でなければならぬ。しかしバークレイはなほ心的な實體を認めた。彼は自我をもつてそれに一切の表象活動が屬するところの實在であると考へてゐる。ヒュームは一歩を進めて、バークレイが櫻の實についていつたことは、自我についてもいはれ得るとした。我々の内的知覺も自我の實體についてなんら教へるのでなく、ただその諸活動、諸状態、諸屬性を示すのみである。これらのものをすべて取り去るならば、そこには自我について何物も殘存しない。自我もまた單に諸表象の束である。かやうにして存在は意識内容に解消されてしまふ。ヒュームは我々の意識内容を印象(impression)と觀念(idea)とに區別した。一は原型的なものであり、他はこの原型的なものの模象である。一切の觀念はそれだから印象の模寫であり、印象の模寫によつて生ぜぬが如きなんらの觀念もなく、印象から汲み取られる以外の内容を有するが如きなんらの觀念もない。それ故に觀念の認識價値は印象における原型に從つて評價されねばならない。もしこのやうであるならば、諸觀念を關係させる我々の判斷の眞理は、我々がそこに諸觀念に與へる關係がその原型である諸印象の間にも支配してゐるといふことによつて、認識されるであらう。
しかるにヒュームはみづから經驗論の批判者の位置にまで進まざるを得なかつた。元素的な諸印象の間の一定の關係はヒュームによると直觀的な確實性をもつて認識されることができる。その空間的或ひは時間的關係、即ち感覺内容の同時存在もしくは繼起の如きはこれである。感覺内容が現はれる空間的秩序は直接的にその内容と共に確實に與へられており、また同じやうに我々は種々の内容が同時的にもしくは相前後して知覺されてゐるかどうかについての確實な印象をもつてゐる。ところが我々の認識において極めて重要な役割を演じてゐる因果の認識においては事情が全く違つてゐる。因果の關係は知覺されない、それは個々の感覺のうちにもその諸關係のうちにも内容として見出されない。感覺の全領域においてその要求される原型として如何なる印象をも發見することのできぬこの因果の觀念は如何にして可能であらうか。因果の認識は、一定の結果が一定の原因によつて必然的に惹き起されるといふことの認識である。けれどもこのものによつて(propter hoc)といふことは知覺されず、知覺されるのはこのものの後に(post hoc)といふことだけである。我々は或るものが他のものの後に起るといふ時間的關係を知覺し得るのみである。この關係を一が他によつてといふ關係に轉釋することは、このやうに因果的に關係させられた表象内容そのものにおいては基礎附けられてゐない。そこでヒュームは次のやうに説明する。表象の同じ繼起の反覆によつて、それらが相繼いで起るのを見る習慣によつて、一の後には他を必ず表象し、期待するやうに内的に強要されるやうになる。一の表象が他の表象を喚び起すといふかやうな心理的必然性が實在的必然性として把捉されたものが、因果の觀念にほかならない。しかるにもしこのやうなものであるとすれば、表象内容の因果的結合は客觀性を有することなく、單に蓋然性を有し得るに過ぎないであらう。ひとつの現象が現はれるとき、我々はその習慣的な隨伴現象を豫期し、このものが實際にまた現はれるであらうと信ずるに過ぎないのであつて、因果の普遍妥當的な認識はあり得ないこととなる。これヒュームの認識論が遂に懷疑論(Skeptizismus)に陷つたといはれる所以である。
さて合理論と經驗論とが、いはゆる模寫説の二つの形態として、相異る方向をとつてゐることは明かであらう。プラトンはイデアの世界とゲネシスの世界とを區別した。この區別はあの叡知的世界(mundus intelligibilis)と感性的世界(mundus sensibilis)といふ名をもつてその後永く思想の歴史のうちにはたらいてゐる。合理論と經驗論との兩者が、一は主として叡智的世界に、他は主として感性的世界に、その認識の對象を求めてゐることは論ずるまでもないであらう。言ひ換へると、兩者において認識の對象として優越な意味で存在と考へられるものがそれぞれ異つてゐるのである。そしてそれに應じてまた人間において優越な意味で認識の作用としてとらへられるものが兩者において相異つてゐる。一は知性的な直觀を、他は感性的な直觀をかやうなものと看做してゐる。しかしながら、近代の認識論の初めとせられる經驗論とそれ以前の合理論との考へ方における重要な相違は、前者が認識の問題から出發して存在の問題へ行くのに反して、後者においては認識の理論が存在の理論のうちに排列されてゐるといふことである。
二 直觀と判斷
ギリシア人は既に人間の知的な作用を感性(aisth

知性的な直觀を優越な認識の作用と見た人々が認識のための道徳的條件について語つたことは、さきに記しておいた通りである。しかるに近代の認識論はもはやかやうな條件について何事も考へようとはしない。このことは、それが一方では直觀的ならぬ作用を、そして他方では直觀的なものを考へる場合にも感性的な直觀を、特にすぐれた意味における認識の作用と看做すことによるのである。けれども今日知性的な直觀を優越な認識の作用と考へる場合にもなほ道徳的條件を認識のために必要な前提として考へないといふことは何によるであらうか。我々はこの場合デカルトの哲學の劃期的な意義に思ひ及ばなければならぬ。デカルトにおいて有名なのは彼の懷疑である。すべてのものについて疑ふべきである(de omnibus dubitandum)といふことを彼は方法とした。懷疑といふのは動かし難いものを搖り動かし(eversio)、迫り來るものを押しやる(remotio)ことである。私は極めて自然に私の周圍の物が現實に存在することを知つてゐる。感官を通して受け容れられる世界は私の意志の左右し得ぬものである。いま私が煖爐に近づくとき、私は欲するにせよ欲しないにせよ熱を感じなければならず、從つて熱の感覺が私とは違つた物體、私の前の煖爐から來ると考へざるを得ない。同じやうに私はこの煖爐に向つてゐる私の存在することをいはば自然的衝動によつて信じてゐる。懷疑は我々の自然的な態度において動かし難く思はれるこのやうな現實の存在を搖り動かさうとする。懷疑は、しばしば誤つて解されるやうに、定立に對する反定立もしくは肯定に對する否定ではない。むしろそれは、デカルトによると、ひとつの假定(suppositio)であるに過ぎない。私は私の單純な、原始的な體驗に現はれる世界に對して、そのあるがままに任せておきながら、しかもその固有の力を失はせることができる。そのために私は暴力を用ゐることを要せず、それの虚僞であるのを示すことも不要である。むしろ私は私に力をもつて迫つて來る存在をそのままに押しやつて、これに對して同意することを差し控へねばならぬ。ところで懷疑が方法的意義を得るためには、懷疑は一般的に遂行されなければならない。しかし次に懷疑はまた秩序をもつて遂行されなければならない。方法的な懷疑は、疑はしく見える個々のものを一々吟味するといふ如き報いられぬ仕事をやめて、かやうなものの基礎と原理とに向ふことを我々に要求する。更にこれらのものについても我々を段階的に導いてゆかなければならない。デカルトは驚くべき確かさをもつてこの段階を辿つてゐる。彼の懷疑の最初の對象となつたのは一般に感官と關係する存在、一は感官から(a sensibus)直に受け取られるもの、他は感官を通して(per sensus)あるものである。前者は音や色の如きものであり、後者は中世の學者が imagines と呼んだもの、記憶像の如きものである。デカルトは感官と關係する特殊(particularia)の存在を疑つた後に、懷疑を一般(generalia)の存在に向けた。例へば、私がいま眼を開き、頭を動かし、手を伸してゐるといふ特殊な事實が眞でなく、私がこのやうな手や體をもつてゐることは假幻であるに過ぎないとしても、ちやうど畫家がサティルを描くにあたつてそのすべての部分を全く新しく作ることは不可能であり、却つて彼は現實に存在する動物の肢體を組み合せてあの怪物を作らねばならぬやうに、少くともこの一般、眼や頭や手そのものの存在は確實らしく見える。デカルトはかやうな一般の存在を押しやつた後に、懷疑の次の段階へ登つて尋ねた。たとひ畫家が彼のサティルを實際の動物になんら類似することなく全く空想的に描き出すとしても、彼は少くともまことの色を用ゐて制作しなければならぬやうに、これらの一般、眼や頭や手などが假幻的なものであるとしても、我々の意識の中にあるこれらの心像を作り出すために缺くことのできぬまことの色ともいふべき普遍(universalia)は眞實に存在するものと考へらるべきではないであらうか。ここに普遍といふのは、物體の普遍的な性質、延長、形状、數、空間、時間などである。從つて複合的な物體を考察する物理學、天文學、醫學などの學問が疑はしくあるとしても、最も單純で最も普遍的な對象を取扱ふところの、算術や幾何學の如き學問は確實であると結論され得ないであらうか。デカルトは最後に數學の教へる命題もまた一般的な懷疑のうちへ引き入れられねばならぬと考へたのである。
ここに我々はデカルトの懷疑の目的がどこにあつたかを知ることができるであらう。第一に、彼は懷疑を物の超越的存在に向けた。知覺や記憶はこれらの心像に類似し相應する物が我々の意識の外に實在するかのやうに我々に告げる。デカルトは我々のこのやうな自然的な考へ方を押しやるために夢の假説を用ゐてゐる。私はしばしば夢において私が現に見たり觸れたりする事實と同じ事實を同樣に明かに意識することがある。そして仔細に考へると、私は夢と現とを分つべき確かな指標を知らないのであるから、私は私の生涯の現實がひとつの夢幻でないといふことをあかしするすべを知らない。もしさうであるなら、我々の自然的な態度において確實に見える心の外の存在は十分に疑はるべき理由をもつてゐる。かやうにしてデカルトの懷疑の目的の一つは超越的なものを排してすべてを内在的に考察し得る如き立場を發見することにあつた。第二に、デカルトは懷疑を數學的對象にまで擴げる。このとき夢の假説はもはや用をなさぬ。算術や幾何學の對象は私の心の外にあるものでなく、むしろ私の意識に生具してゐるものである。私は數學を考へるとき、私の取扱ふ對象が自然的現實のうちに實在するか否かを問はない。それのみでなく、二と三との和は五である、などといふ命題は、私が眠つてゐるにしても私が覺めてゐるにしても少しも變らないのである。かやうな命題を搖り動かすために、デカルトは有名な惡魔の假説を用ゐた。假に萬能で、しかも惡意をもつた惡魔がゐて、私を誤らせるために全力を使つてゐるとしたならば、私が二と三とを加へる毎に、自分では完全な認識をもつてゐると信じてゐるにも拘らず、そのたび毎に私をつねに誤らせてゐないとは保證し難いであらう。何故にデカルトは惡魔の助を借りてまで、我々に自明のものと見える數學的認識を懷疑の中へ引き入れたのであらうか。數學の命題が確實であるといふことは我々にとつて先づいはば事實であつて、我々はこの一般的な事實についてその根源を問はねばならぬ。懷疑は事實を否定するのではなく、事實の根源に關する問を可能にするために、事實を搖り動かすのである。そこで我々はデカルトの求めるものが單なる眞理ではなく、基礎附けられた眞理であるのを認めることができるであらう。我々はあの夢の假説をもこの意味に解することができる。かやうにしていはゆる懷疑論者としてのデカルトはどこにも見出されない。彼は眞理の存在を疑つたことはなかつた。むしろ我々は彼が懷疑の存在によつて眞理の存在を論證してゐるのを見出すのである。私が疑ふといふのは何物かが私に缺けてゐるためである。しかるにもしそれとの比較において私の缺乏を知る如き完全な實在の觀念が私のうちにあるのでなければ、私は自己が疑ひ、從つて自己が缺けてゐることを知り得る理由はない、と彼は論じてゐる。完全な實在といふのは神であり、神は眞理の寶庫である。
デカルトは懷疑によつて發見された原理を「私は考へる、故に私は在る」(cogito ergo sum)といふ命題で現はした。この場合コギト(私は考へる)といふのは單に思惟することではない。表象し、思惟し、感情し、意志するすべてが含まれてゐる、一言でいふと意識することである。またそれは私が考へる故に私が存在するといふ推理でもない。意識するもの(res cogitans)としての私の存在がそこに自證されるのである。私が散歩に行くといふことは私が夢に空想してゐることかも知れない。しかしそれを私が意識してゐるといふことを私は單に空想することができぬ。なぜなら空想もそれ自身意識の一種であるからである。同じやうに、私が疑ふとしても、疑ふといふ意識は私にとつて確實である。かやうにしてデカルトのコギトは二つのことを意味するであらう。第一、それはあらゆるものを内在的にする存在の領域である。私は意識されたものを意識する(ego cogito cogitationes)といふ關係がそこにあるからである。これに關聯して、第二に、それは彼の言葉を用ゐると明晰判明に(clare et distincte)知られる存在の領域である。デカルトは意識の存在の確實性を統一的な基本的な眞理と考へた。そして私の自己意識のやうに明晰判明に知られる一切のものは眞でなければならぬ、といふことを彼は學問的方法の原理として据ゑたのである。
デカルトにおけるコギトの發見によつて我々はもはや認識の道徳的條件について語ることを要しないやうに思はれる。なぜならそれは方法的な懷疑によつて見出されるものであるからである。フッサールはデカルトのコギトは彼のいふ純粹意識(reines Bewusstsein)の領域にほかならないといつてゐる。この領域を見出すための方法をフッサールは現象學的還元(ph


意識の本性は志向性(Intentionalit


我々はフッサールの現象學においてあの生具觀念の問題が巧妙に解決されてゐるのを見るであらう。ここに模寫説的な考へ方の本來の意圖が、模寫説に陷ることなしに顯はにされるに到つたと見ることもできるであらう。この場合次のことが注意されねばならない。第一、そこでは眞理の基準は明證(Evidenz)に求められる。デカルトが既にこの道をとつてゐる。彼は明晰にして判明なる知覺(clara et distincta perceptio)をもつて眞理の標準とした。明晰とは精神にとつて直觀的に現前するもの、判明とはそれ自身において明晰にして、且つ判然と限定されてゐるものをいふ。この意味において明晰判明であり、その明證がいかなる他のものからも導かれるのでなく、專らそれ自身において基礎附けられてゐるものが元來、彼の生具觀念と稱するものであつたのである。第二、明證をもつて眞理の基準とするのは根本的には知覺説として特色づけられることができる。しかるにここにいふ知覺はもとより感性知覺のことではない。デカルトは知覺に二つのものを、感性からの知覺(perceptio sensu)と知性による知覺(perceptio ab intellectu)とを區別した。明證を伴ふのは明かに後のものであつて、それはギリシア人がヌースといつたものにほかならぬであらう。アリストテレスはヌース即ち理性は知覺の如きものであるといつてゐる。かやうな理性的な知覺において事物の本質即ちイデアは十全に與へられ(ad

經驗論的な模寫説も一種の知覺説であることには變りはない。しかしここでは知性的な知覺でなくて感性的な知覺が問題になる。それは二つの場合において問題となつてゐる存在が異るためである。一はあの叡智的世界を、他は感性的世界を認識の對象として定立する。先に述べたやうに、ヒュームは諸印象が直觀的な確實性をもつてゐるとした。これは經驗論的な認識論の根本前提であらう。しかるにこの根本前提が既に疑はしい。なぜならそこでは純粹に内在的な立場に立つことが許されてゐないからである。それのみでなく、感性的な直觀において與へられるのはつねに個々のものであり、しかるに我々の知識はつねに普遍的な、必然的な關係の把捉を求めるのである。このものは何處から來るのであるか。感性知覺において與へられる諸内容と共におのづからまたその一切の關係が與へられると考へるならば、經驗論は感覺論(Sensualismus)となる。感覺論はあらゆる認識はただ外的な、感性的な知覺からのみ由來すると説く。それは意識における諸要素の單なる共在から認識においてこれらのものの間に存在するすべての關係をも導き出さうとする。それは諸内容の間にどのやうな關係が妥當し得また妥當すべきであるにしても、このものはどこまでもそれらの諸内容に依存するといはうとするのである。けれども感覺論に反對してひとはいふことができる。最も原始的な關係、例へば比較或ひは區別の如きでさへ、個々の内容のいかなるもののうちにも、またその和のうちにも與へられてをらず、むしろそれは與へられた諸内容に對して或る新しいもの、他の種類のものとして附け加はるのである。それだからロックの如きも諸要素を關係づける諸活動、記憶、區別、比較、結合等のものを精神の諸能力(faculties)と稱し、これらの精神みづからの機能の仕方は感覺によつてでなく、反省によつて意識されると考へた。しかしロックは經驗論者としての制限のために、これらの諸活動をも受動的なものとし、感覺の内容に束縛されてゐると見た。
ロックが精神の諸能力に歸したものに我々は自己活動性を與へねばならぬやうに思はれる。このやうな自己活動的な能力は直觀に對して普通に思惟と呼ばれてゐる。しかもここにいふ思惟はギリシア的なヌースでなく、むしろディアノイア即ち比量的な悟性(Verstand)としての思惟である。かやうにして思惟をもつて特にすぐれた認識の作用と見る思想が現はれる。カントの如きはこれに數へられることができよう。カントにとつても認識の對象として問題になつたのは經驗的な存在であつた。直觀は彼においても主として感性的な直觀を意味する。そして彼は感性を受容性(Rezeptivit


認識は判斷であるといふ思想は現代の新カント學派によつて繼承されてゐるところである。判斷は表象とは異るものである。判斷においては表象においてよりも音が一層明瞭に、一層鋭く表象されるといふのではない。或る音曲に聞きとれてゐる場合、私の全努力はその音の何物も聞き落すまいとするけれども、その音について判斷を下す必要は必ずしもないのである。それのみでなく我々が判斷を下すと、判斷された内容は明かるさと鋭さとにおいて却つて減退するのがつねである。また我々は極めてぼんやりした微弱な音についても、強い、確かな、はつきりした音についてと同じやうに判斷を下すことができる。二つの音が相繼續すると判斷される場合に我々の表象する音と音との關係は、判斷を下すことなしに音の相繼續するのを聞くときのそれと、なんの變りもない。この事實は、判斷においては、表象された音に、その表象から判斷を構成すべき何物かが加はらねばならぬことを證してあまりあるであらう。しからば判斷を形作るこの新しい要素とは何であらうか。多くの人がかやうな新しい要素のなければならぬことを注意してゐる。判斷は一般的にいふと主語表象と客語表象との結合である。ロッツェによると、判斷においては主語と客語との關係の上に、この關係の妥當如何を言ひ表はすべき第二の判斷が存在しなければならない。この第二の判斷といはれる要素がそれ自身表象的なものであつてはならぬことは明かである。なぜならもしこの副判斷にして單に表象された關係しか含まないとすれば、その妥當性を言ひ表はすべき新しい第二の判斷が更に必要となり、かくて副判斷の無限の系列がなければならないからである。ベルクマンは判斷における肯定と否定を、主語と客語との間の單に表象された關係を化して判斷となすところの批評的態度であると考へた。この見解から彼は判斷を單なる理論的態度と見ないで、實踐的性質を帶び、意欲的能力の共存する精神の發現と見なければならぬといふ結論を引出してゐる。またウィンデルバントは判斷(Urteil)と價値判斷(Beurteilung)とを區別する。判斷といふのは價値判斷によつて初めて眞僞が判定されるところの純理論的な表象結合である。我々の思惟にして認識を、從つて眞理を目差してゐる限り、我々の判斷はすべて價値判斷のもとに從屬する。認識の命題はつねに判斷と價値判斷との或る種の結合を含んでゐる。それは表象の結合ではあるが、その眞理價値は肯定または否定によつて決定される、とウィンデルバントはいつてゐる。ところで判斷の本質に關するこれらの見方がなほ幾分心理學的であるのに對して、リッケルトは判斷の本質を純粹に論理的に考察するには、判斷をもつて問に對する答と見れば最も適當であると考へる。問に對する答は、その問の答へられることが可能であり、延いては求められた判斷が可能であるときには、必ず肯定または否定の形をとつて現はれる。判斷の論理的本質は問のうちにある表象的要素の肯定或ひは否定なしには考へることができない。いま認識は判斷であり、判斷の本質は肯定と否定であるから、認識するといふことは、その論理的本質において見ると、肯定または否定することである。ところで肯定或ひは否定において我々はつねになんらかの價値に對して態度をとつてゐる。純粹な理論的認識の場合においてもなんらかの價値に對してとるべき態度が問題になつてゐるのである。しかるに苟も認識の名に値する判斷は必然的な、普遍妥當的な判斷であるべき筈であるから、ここに問題となつてゐる價値も單なる快樂の如き個人的なものでなく、超個人的な、永遠なものでなければならない。それは時間的な心象として終始するところの個人的意識内容に屬することができず、これを超越すると考へられなければならぬ。かやうな超越的價値こそ、リッケルトによると、判斷の對象であり、そしてそれが認識の對象なのである。認識の對象であるかやうな價値は如何なる意味においても存在するといひ得るものではない。それはなんらか物理的な或ひは心理的なものではない。またそれはなんらかの形而上學的存在でもない。或るものが存在するといふことを我々は如何にして認識するのであるか。判斷によつてでなければならぬ。しかるにあらゆる判斷の眞理は肯定のうちに是認された價値にもとづき、專らこの價値の肯定に存するのであつて、存在の認識を含む判斷も、この例に漏れることができない。それ故に價値は論理上存在に先行すべきである。價値は存在するものでなく、却つてロッツェがプラトンのイデアを存在することなくただ妥當(gelten)するものと解したのに倣つて、妥當するといはれ得るのみである。價値は妥當の國に故郷をもつてゐる。これは感性的世界と叡智的世界とのほかにあつて、いはゆる第三帝國を形作つてゐる。
三 主觀と客觀
ライプニツはその『人間悟性新論』(Nouveaux essais sur l'entendement humain)においてロックのイデオロギーを一歩一歩批評した。ロックが生具觀念の説を攻撃した諸論據の中には、精神のうちにはそれについて精神が知らぬところの何物もあり得ないといふことがあつた。彼はこの原則をまた他の側から言ひ表はして、精神はつねに思惟するものでないともいつてゐる。これによつてデカルトの res cogitans としての精神、言ひ換へると自己の内容をつねに明晰判明に意識してゐるといふ精神は疑はしいものにされたやうに見える。ライプニツは彼のモナドロジーの思想をもつてロックとデカルトとの間に立つて獨特の位置を占めてゐる。彼が世界の實體と考へたモナドは表象する力であつた。それだからモナドはそのあらゆる瞬間において表象(perceptions)をもつてゐなければならぬ筈である。しかるに一切のモナドは、從つて物質を構成するところのモナドも、心的なものであるとすれば、これらの表象がすべて明晰にして判明であるといふことは不可能である。そこでライプニツは微小表象(petites perceptions)の説を持ち出した。微小表象といふのは意識されぬ表象である。あらゆるモナドは心的なものとしてつねに表象をもつてゐる、けれどもつねに意識された、つねに明晰判明な表象をもつてゐるわけではない。しかしその生命は、無意識的から意識的への、闇冥にして混雜せる表象から明晰にして判明なる表象への發展にある。かやうにしてライプニツは精神が單に諸表象をもつてゐる状態と精神がそれらのものを意識してゐる状態とを區別した。前者を表象(perception)といひ、後者を統覺(apperception)と稱する。從つて統覺は無意識的な、闇冥な諸表象が明晰にして判明な意識に高められ、かくて精神によつて自己自身のものとして認識され、自覺によつて占有される過程である。ところでライプニツによるとモナドは窓をもたない。モナドには窓がない故に、感性知覺を物の心に對する作用と解することは許されない。感性表象はむしろ精神が豫定調和(harmonie pr


このやうにして感性と悟性との區別は、ライプニツにおいて、明晰性と判明性との種々の程度といふことと合致するであらう。兩者は同一の内容をもつのであつて、ただ一は他が明晰に判明に所有するものを闇冥に混雜に表象するといふだけである。精神のうちへは何物も外部から入つて來ない、それが意識的に表象するところのものは既に前に無意識的にそのうちに含まれてあつたものである。精神はその意識的な表象においてもともとそのうちになかつたものをなんら作り出さない。かやうにしてライプニツは、或る意味では、即ち無意識的には、あらゆる表象は生具するものであり、そして他の意味では、即ち意識的には、人間の精神にはなんらの表象も生具してゐないと考へた。感性と知性とはこのやうにして結合される。ライプニツによると、悟性即ち關係附ける思惟の一般的命題も知覺のうちに微小表象として含まれてゐる。既に感性的表象のうちに、後には一般的根本命題として悟性の把握の明晰性と判明性とに持ち來されるところの精神の活動諸形式は、不明晰に混雜して隱されてゐる。感性と知性とのかやうな結合を表現してライプニツはいふ、知性そのものを除いて、先に感性のうちになかつたところの何物も知性のうちにない(Nihil est in intellectu quod non antea fuerit in sensu nisi intellectus ipse.)と。
カントもまた悟性と感性との、從つて叡智的世界と感性的世界との結合を企てた人と見ることができるであらう。もとより我々はカントとライプニツとの間の根本的な差異を見逃してはならない。ここに先づ二つのことを注意しておかう。第一に、ライプニツは感性と悟性との結合を考へながら、彼において問題になつてゐるのはなほどこまでも悟性の眞理であり、叡智的な存在であつて、ただこのもののためにその結合を考へたのである。物質も彼にとつては心的本質のものにほかならなかつた。彼が永久眞理(v





カントの認識論の中心問題は、如何にして認識が對象または客觀に關係し、對象性或ひは客觀性を得るかといふことにあつたのである。このことは次の二つの前提のもとにおいてはいづれも不可能である。第一に、もし對象が主觀の外にそれ自體において獨立に存在し、我々の認識がただこれに從はねばならないのであるとすれば、我々の認識は到底對象性をもつことができない。なぜならこの場合認識は對象の模寫を意味するほかなく、しかるに主觀における模寫が客觀そのものと一致してゐるか否かといふことを確かめ得るところの基準はこのとき見出されない。我々は單に表象と表象とを比較してその間の一致または不一致をいひ得るのみである。ひとつの表象と物そのものとを比較することは、物そのものがまたひとつの表象でない限り不可能であらう。第二に、もし我々の認識がすべて經驗から(a posteriori)來るものであるとすれば、我々の認識は對象性或ひは客觀性をもつことができない。なぜなら經驗は單に然かあるといふことをその場合について教へ得るだけであつて、あらゆる場合に必ず然かなければならぬといふことを示し得ない。即ちただ經驗にのみもとづく認識は蓋然性を有し得るにとどまり、普遍性と必然性とを有し得ない。しかるに認識の對象性或ひは客觀性はその普遍性と必然性とを意味してゐる。かやうにしてカントの認識論は右の二つの前提をくつがへさうとしたのである。
綜合の概念はカントにとつて最も重要な意味を有するものの一つである。綜合とは多樣の統一をいふ。既にライプニツはモナドを多樣の統一として規定した。各々のモナドはそのあらゆる状態において、一切の爾餘のものを表象し、そして表象の本質にはつねに多樣の統一化が屬してゐる。カントにおいても認識とは多樣の統一である。その統一において統一される多樣は感覺の多樣である。これは認識の内容をなすものであつて、感性によつて與へられる。認識の内容に對してこの内容を一定の關係に秩序づけて統一するには統一の形式がなければならない。ところでカントによると、感覺内容が與へられるとき、このものは既に一定の形式において與へられるのである。直觀には直觀の形式がある。空間と時間とがそれである。これらのものは物に具はつてゐる性質ではない、從つて經驗的直觀にもとづくものではない。ライプニツは空間がつねに物體の知覺において現はれることを知つたが、彼はデカルトなどのやうに空間または延長を物體そのものと同一視しなかつた。物體の實體は彼にとつてむしろ力であつた。そこで彼は合理的な、明晰且つ判明な認識は物體を力として把握するに反して、闇冥にして混雜せる、感性的な認識はそれを空間として把握すると考へた。空間は實體ではなく、むしろ心における存在(ens mentale)として現象ではあるけれども、諸實體の力の生産物としてよく基礎附けられた現象(phaenomenon bene fundatum)である。時間についても同樣にいはれ得る。このことから物體のこの空間的な現象の仕方に關係するところの力學の諸法則はなんら合理的な、幾何學的な眞理でなく、却つて偶然的な、事實的な眞理であるといふことが歸結されねばならぬ。カントはライプニツのやうに考へては算術、幾何學、力學などの認識の普遍性と必然性との根據は明かにされ得ないことを知つた。空間及び時間は經驗的直觀ではなくて純粹直觀(reine Anschauung)であると彼はいふ。その意味はそれらが直觀の形式として先驗的(a priori)なものであるといふことである。從つて認識の内容となる直觀そのものが既にカントにおいてはひとつの綜合概念であると見ることもできる。即ちそれは二つの全く相異る要素、感覺素材とこれを結合する時間竝びに空間の形式、一は經驗的なもの、他は先驗的なものから成立つてゐる。
カントによると認識は本來論理的なもの即ち判斷である。判斷は思惟または悟性の作用にもとづく。カントは、我々が直觀の多樣のうちに綜合的統一を作り出すとき、我々は對象を認識する、といつてゐる。判斷の能力である悟性がかやうな統一を作り出すのである。この統一において統一されるもの即ち認識の内容は思惟みづからの作り出すものではなく、直觀に俟たねばならぬ。しかし直觀のみでは認識の内容が與へられるのみであつて、認識はない。認識はこの内容が悟性の形式によつて統一されたとき初めて成立するのである。かくてカントの有名な言葉がある、内容なき思想は空虚であり、概念なき直觀は盲目である、と。直觀の多樣を綜合的統一において思惟する悟性の諸形式をカントは純粹悟性概念(reine Verstandesbegriffe)或ひは範疇(Kategorien)と呼んでゐる。このものは先驗的なものである。もしさうでないならば、我々の認識の客觀性即ち普遍性と必然性とは保證されることができない。ここに我々は經驗論にいふ經驗とは根本的に異るところのカントにおける經驗の概念を理解することができるであらう。カントの認識論の中心問題も經驗であつたのである。カントはいふ、經驗一般の可能性の諸條件は同時に經驗の諸對象の可能性の諸條件である、と。カントの理論哲學の核心をなすこの命題は、存在の諸條件と認識の諸條件とが相互に一致するといふことを言ひ表はしてゐる。これは何を意味するのであらうか。カントは知覺判斷(Wahrnehmungsurteile)と經驗判斷(Erfahrungsurteile)とを區別したことがある。知覺判斷といふのはただ諸感覺の空間的時間的關係が個人の意識にとつて言ひ表はされるところの判斷である。これに反して經驗判斷はこのやうな關係を客觀的なものとして、あらゆる認識する意識にとつて妥當するものとして、言ひ換へると、對象のうちに與へられたものとして主張するところの判斷である。兩者の認識論的相違は、經驗判斷においては諸感覺の空間的或ひは時間的關係が範疇によつて、即ち概念的な聯關によつて規則附けられ、基礎附けられてをり、しかるに知覺判斷にはこのことがないのによるのである。かやうにして例へば、二つの感覺の繼起は、その一が他の原因であるといふことによつて基礎附けられてゐるものとして思惟されるとき、對象的となり、客觀的或ひは普遍妥當的となる。ところで因果の概念は範疇の一つである。諸感覺のあらゆる個々の空間的時間的綜合態はこのやうな悟性の形式によつて規則的に結合されるとき初めて對象となる。經驗の對象は思惟によつて構成されるものである。それだから對象の經驗或ひは認識は可能である。我々の概念的綜合の諸形式が自然そのものを規定してそれを初めて自然として成立させる諸條件である故に、自然についての我々の普遍的にして必然的な認識は可能である。我々の認識が對象に從ふのでなく、對象が我々の認識に從ふのである、とカントはいつてゐる。かやうにしてすぐれた意味での經驗は、諸感覺の空間的時間的綜合が悟性の形式によつて規定されてゐるところの體系である。
ところでこのやうに經驗的對象界を構成すると考へられる意識は個人的な意識であることができない。もしさうであれば、認識は對象性即ち普遍性と必然性とをもつことができないからである。カントはそのやうな意識を意識一般(Bewusstsein

カントの哲學は現代に對して最も決定的な影響を與へた。新カント學派の有力な諸傾向はそれを主として認識論上の論理主義(Logizismus)の意味に徹底して解釋して自己の哲學を立てようとした。いまかかる哲學の歸結をひとつの例をもつて示しておかう。前にいつたやうに、リッケルトは認識の對象を價値であると看做した。カントにおいては認識の對象はどこまでも經驗であり、從つて存在であつた。しかるにリッケルトは存在の概念を全くぬきにして認識の對象を規定する。カントのいふ認識の對象性は、一方そして根源的には、認識は存在としての對象に關係するといふことを、そして他方その論理的意味として認識の普遍性と必然性とを意味した。從つてそれは單に論理的な意味のものでなく、却つて存在論的な(ontologisch)、むしろ論理的・存在論的な(logisch-ontologisch)意味のものであつた。カントが自己の哲學的立場を名附けたところの先驗哲學(transzendentale Philosophie)といふ語は、根源的にはギリシア語の ontologia(存在論)のラテン語譯なる philosophia transcendentalis と關係してゐる。しかるにリッケルトは對象性といふものを全く論理的な意味に解する。そして主觀の概念についても同じことが行はれる。リッケルトは主觀の概念を三樣に區別してゐる。これに客觀の三樣の概念が相應する。第一に、我々は普通に外界を客觀と看做してゐる。外界とは、我々の理解するところでは、自己以外の空間中にある世界を意味する。そしてこの外界に對立させられるものは我々の身體である。ここにいふ身體は、その中にはたらくと考へられる精神をも含めていふのである。それだからこの場合には我々の精神をも包括する身體が主觀であり、この身體を圍繞する空間的世界が客觀となる。第二に、更に身體と、これを我々に意識させる表象とを區別してみると、我々の身體もまた外界に數へられることができる。かくて自己の意識から獨立に存在すると考へられる一切のもの、即ち全體の物理的世界及びすべて他人の精神生活などは外界に含め得る。この場合外界に屬しないものと見られるのは自己の精神的自我があるばかりである。このとき自己の意識とその内容とが主觀となり、客觀とは自己の意識内容以外の、或ひは意識そのもの以外のすべてである。第三に、更に第二の場合において主觀そのものであつたところのものを主觀と客觀とに分析することができる。ここにいふ客觀とは自己の意識内容、即ち自己の表象、知覺、感情或ひは意欲等のものであり、この内容を意識するものが主觀となるのである。ところでリッケルトは眞に認識主觀と考へらるべきは第三のものをどこまでも推し進めたものでなければならぬとした。それは客觀となし得るものは盡くこれを客觀となし、如何にしても客觀とすることのできない最後の主觀である。それは如何なる意味でも存在でなく、むしろ單に一の概念、一の限界概念(Grenzbegriff)である。リッケルトはカントの意識一般をかく解した。それは純粹に論理的主觀であり、リッケルトによつて判斷意識一般(das urteilende Bewusstsein

ついでながら我々はカントの自我或ひは意識一般をフッサールのいふ純粹意識の如く解することを避けねばならぬ。純粹意識はフッサールにおいて超個人的なものでなく、また全く形式的なものでもなく、内容に充てる個人的主觀性である。そして彼によると、世界の客觀性はかかる純粹意識のただ一個によつて還元し盡すことはできぬものであつて、これを殘りなく還元するには多數の主觀の共同的還元に俟たなければならない。かかる多數主觀への還元をフッサールは間主觀的還元(intersubjektive Reduktion)と稱してゐる。なほカントとの差異は次の點にも認められる。フッサールの説はもと知覺説である。これに反してカントは認識は判斷であると考へる。そこで前者においては純粹な受動性が、後者においてはむしろ純粹な能動性が重んじられてゐる。またこのことと關係して、前者において問題となつてゐるのは主として、あのライプニツの區別に從へば、永久眞理の世界であるに反して、後者においてはむしろ事實眞理の世界が問題となつてゐるのである。カントの關心は事實眞理の普遍性と必然性とを基礎附けることに存したのである。フッサールでは永遠な本質存在(Sosein)が問題であるに對して、カントでは經驗的な現實存在(Dasein)が問題であつた。
四 認識と生
我々は認識に關する諸理論が一定の構造を示してゐるのを見てきた。どのやうな存在が問題となつてゐるかといふことに、どのやうな心的作用がその認識にとつて根源的と考へられるかといふことが相應してゐる。更にそれらのことに認識そのものの理念が相應してゐる。例へば知覺説においては眞理の概念にとつて明證の概念が決定的な意味をもつてゐる。しかるにどのやうな存在が問題になるかといふことは人間がどのやうな態度に現實的に規定されてゐるかといふことによつて決定される。例へば實踐的な態度にとつては主として時間的空間的に限定された存在が問題になる。これに反して觀想的な態度にとつては空間や時間を超越する本質またはイデアが主として關心される。なほ我々は認識の理論でさへも絶えずその根柢に人間の存在についての一定の解釋即ち一定の人間學をもつてゐるといふことを注意しておいた。ここでは先づこのことに多少立入つてみよう。
あらゆる理論は、從つて最も無前提的であると考へられる認識理論でさへもが、つねに人間の自己解釋の一定の仕方をその基礎に含んでゐる。このものはいはば自明の前提として、多くの場合無意志的に、すべての理論の根柢に横たはつてゐるのである。人間は彼等の歴史において種々の仕方で自己の本質を解釋してきた。そのうち二つのものは特に重要である。我々はその一を理性人間(homo rationalis)の人間學と、他を制作人間(homo faber)の人間學と名附けることができよう。これら二つの人間學の對立は認識理論にとつても決定的な意味をもつてゐると思はれる。
理性人間の人間學はもとギリシア市民の發見したものである。それは人間の本質をヌース或ひはロゴスと見る思想である。それはアナクサゴラス、プラトン、アリストテレスなどによつて概念的に、哲學的に形作り上げられた。後にそれはキリスト教と同化し、かくてヨーロッパの思想を永い間、強力に支配するに到つた。この人間學は人間と動物一般とを決定的に區別する。しかしそれは人間と動物とを比較して、その形態學的、生物學的乃至心理學的特徴を取り出し、これによつて兩者を區別するといふ如きことではないのである。その區別はむしろ先驗的に行はれる。それは既に前提された神の思想、及び人間の神への相似(Gottebenbildlichkeit des Menschen)の説の歸結である。生物學的にはギリシア人は種の不變を信じた。不變な人間を人間たらしめてゐるものを彼等は人間の形相(eidos)と考へ、これは永遠なロゴスと解せられた。人間におけるヌース(理性)は、この世界を動かし、その秩序を作つてゐるところの神的なヌースのひとつの部分機能である。いま我々はこのやうな人間學の主要思想を次のやうに※[「纏」の「广」に代えて「厂」、54-14]めることができる。一、人間は自然の如何なるものも有せぬ神的な力をみづからのうちに具へてゐる。人間は理性によつて他のすべてのものから自己を區別する。二、人間におけるこの力は、世界を世界に、コスモス(秩序ある世界)に永遠に形作つてゐるところの力と、存在論的に、或ひはその原理において、同一のものである。まさにそれ故に人間におけるこの力こそまた世界の認識のために眞實に適應せる力を有するものである。三、ロゴス即ち人間理性としてのこの力は、人間が動物と共通に具へてゐるところの衝動や感性の助けを借りることなしに、自己のイデア的な諸内容を實現し得る力を有してゐる。四、この力は歴史を超越し、民族とか身分とかの別なく、つねに恒常である。それは絶對に不變である。
この人間學は、デカルト、スピノザ、ライプニツ、カント、その他において、その思想の差異にも拘らず、根本ではすべて同じである。右の四つの點のうちただ一つについてヘーゲルが變革を行つた。他の三つの點ではヘーゲルも同じ思想であつたばかりでなく、むしろ彼は人間的理性と神的理性との同一を説くことによつてそれらの諸點を極端にまで押し進めたのである。ヘーゲルは理性の歴史を超越する恒常性を否定した。理性そのものが歴史を有し、歴史において發展する。理性は動かぬものでなく、却つて運動と變化がその本質に屬してゐる。これは理性人間の人間學の内部における極めて重要な、決して見遁してはならぬ變革である。歴史の概念がここにおいて最も強力な基礎の上におかれることとなつた。
第二の人間學即ち制作人間の人間學は、比較的新しい誕生のものである。ダーウィンの種の變化の學説がこれに對して顯著な影響を與へたと見ることができる。この人間學は人間と動物との間に本質的な差別を認めない。人間もひとつの特殊な動物の種類であつて、兩者の間には單に程度上の差異があるに過ぎない。人間のうちには他の一切の生物におけると同樣の諸要素、諸力、諸法則がはたらき、ただ一層複雜な組織形態をとつてゐるまでである。理性といはれるものもなんら形而上學的根源のものではない。それはなんら自律的な法則性ではなく、すでに類人猿においても見出される高等な心理作用の一層發達したものであつて、技術的知性(technische Intelligenz)といふべきものである。技術的知性といふのは環境的世界の構造の豫料によつて新しい状況に活動的に適應する能力である。この技術的知性には神經系統の諸機能が一義的に相應してゐる。我々の認識といふものは有機體における刺戟とその反應との間に絶えず一層豐富に入り込んで來るところの形象系列にほかならず、從つてまた我々の認識といふものは活動のために我々自身によつて作られた物の記號である。認識による活動は、本能が直接的にしてゐた仕事を間接的に、しかし一層效果的になし遂げるといふに過ぎない。それらの記號及びその諸結合は、生活を増進するやうな反應を惹き起すことに成功するとき眞であつて、反對の場合は僞である。かくして人間とは何かといふ問は、ここでは次のやうに答へられる。一、人間とは記號動物(Zeichentier)である。かやうな記號として彼は特に言語をもつてゐる。二、人間とは道具動物(Werkzeugtier)である。彼は道具を作る動物であつて、記號、言語認識もまたひとつの、しかも最も精巧な道具である。三、人間とは腦髓的存在(Gehirnwesen)である。彼においては他の動物とは格段の相違でエネルギーが腦髓のために費される。このやうな人間學は極めて徐々に理性人間の人間學を破つて、哲學の方面ではとりわけ近代の自然主義的及び實證主義的傾向のうちにおいてその基礎として承認されるに到つた。我々はいまこのやうな人間學を根柢としてゐる認識理論に注意を向けよう。
先づプラグマティズム(pragmatism)について述べておかう。プラグマティズムは主としてアメリカの哲學であつて、ジェームズがその代表的理論家である。イギリスのシラーのいはゆるヒューマニズムなどもこの傾向に屬してゐる。プラグマティズムといふ言葉は、ギリシア語のプラグマ即ち行動を意味する言葉から派生されたものであつて、ひとつの觀念或ひは理論の眞理性を、その論理的歸結によつてではなく、その實踐的歸結(practical consequences)によつて判定しようとする思想である。世界は一であるか多であるか、決定されてゐるか自由であるか、物質であるか精神であるか。このやうな形而上學的問題についての論爭は終結することなく絶えず繰り返されてゐる。プラグマティズムはかくの如き場合そのおのおのの觀念をそれぞれの實際上の效果を跡づけることによつて解釋しようと試みる。他の觀念でなく一の觀念が眞であるとすれば、それは我々にとつて實際上どのやうな差異をもたらすであらうか。相容れない二つの觀念がもし實踐的歸結においてなんらの差異をも示さないとすれば、兩者は畢竟同一のことを意味するのであつて、そのときには一切の論爭は無駄である。もし論爭が眞面目なものであるならば、そこに或る實際上の差異が生じ得る筈であり、そして我々はそれによつていづれの觀念が正しいかを定めることができる。眞理の標準となるのは人間の實際的生活にとつての有用性(utility)である。ひとつの思想の意味を展開しようと思へば、我々はただそれが如何なる行爲を作り出すに適してゐるかを決定しさへすればよい、その行爲が我々にとつてその思想の有する唯一の意味である。物についての我々の思想において完全な明瞭性に達するためには、我々はただそれが考へ得べき如何なる實際上の效果を含んでゐるかを考へてみることを要する。このやうな效果についての我々の觀念が、苟もそれが我々にとつて積極的な意味をもつてゐる限り、その物についての我々の觀念の全體である。かくてプラグマティズムは、あの倫理學上の功利主義(Utilitarismus)が效果の倫理(Ethik des Erfolgs)であるのに對して、效果の論理(Logik des Erfolgs)であるといひ得るであらう。プラグマティズムにとつては認識は要するに我々の行爲のための道具にほかならないから、それはまた道具主義(Instrumentalismus)として特色づけられる。
プラグマティズムは特に近代的な理論であり、その形跡は現代の種々の哲學において認められる。例へばフランスのベルグソンの哲學がまたこのやうなプラグマティズムの見方をそのうちに含んでゐる。ベルグソンはおよそ事物を考察するに二つの見方があると述べてゐる。第一の方法は物を外から、一定の觀點をとつて見る。この場合觀點の異るに應じてその見解も違つてこなければならず、しかるに觀點は無數に可能であるから、このときまた物について無數の見解が可能であらう。或る觀點から見るといふことは、物を他との關係において見ることであり、從つてその方法は分析の方法である。分析といふのはひとつの物を他の物によつて言ひ表はすことであつて、ベルグソンの比喩によると、ひとつの飜譯である。それは符號を用ゐて物を言ひ表はすのである。第二の方法は物を内から、直觀的に見る。このとき外面的な觀點は悉く退けられて、なんらの符號も用ゐられることなく、我々は直接に物と合一する。第一の方法は、どのやうに精密になるにしても、即ち、如何に多くの觀點を次から次へととり、また如何に多くの符號を使ふにしても、要するに物そのものの外廓を廻つてゐるばかりであつて、物の絶對的状態を把握することができぬ。ひとり第二の、直觀の方法によつてのみ我々は物そのものの眞相に味到し得る。二つの方法の相違はちやうど或る町を種々の方面から寫した寫眞とその町の實見との相違である。寫眞をどれ程多く集めても町そのものの眞の知識は得られないであらう。第一の方法は科學の用ゐる概念的方法であり、第二のものは絶對の學問たる哲學の方法である。ところでベルグソンは科學的もしくは概念的知識についてプラグマティズム的見解を抱いてゐる。我々の知識は主として行爲にとつて有用なもの、利用し得べきものの製作を目的とすると看做されてゐる。知性は道具、殊に道具を作る道具を製造する能力である。概念的知識は、ベルグソンに從へば、純粹に知るために知るのではない。我々の知力はつねに或る利益のために、或る實際上の要求を滿足させるために知らうとしてゐる。それはいつでも行爲との關係において物を見てゐる。それだから概念といふものは我々が物に對して行爲するための一定の型であつて、我々の行爲及び態度の種々の種類があるだけ、それだけの種類の概念的方向があるといふことができる。概念は行爲にとつてその物が如何なる意味を有するかを表はすためにその物に貼りつけられたレッテルの如きものである。
いまプラグマティズムの意味を正しく評價するために、とりわけ次の二つの點に注意することを忘れてはならない。第一に、ジェームズやベルグソンは認識の問題をただそれだけとして取扱ふことなく、それを具體的な存在の問題の中に排列しようとしてゐる。ジェームズはこのことを彼の根本的經驗論(radical empiricism)と稱する立場によつて意圖してゐる。ここにいふ經驗は自己包括的な一の全體である。知るといふことにおいて、知るものと知られるものとは共に經驗の部分である。從來の認識論の根本概念である主觀客觀はこのやうに見られねばならぬ。それみづから經驗の部分であるところの觀念は、我々を助けて經驗の他の部分と滿足な關係に入らせる限りにおいて眞となる。いな、我々が眞とする思想は、まさに我々の經驗のひとつの契機である故に、我々はその指導によつて我々の經驗の他の契機と有效な結合をなし得るのである。ベルグソンもまた知識の理論は生の理論と分離さるべきでないと考へる。彼はいふ、知性を生の一般的進化のうちに置かぬ知識の理論は、如何に知識の框が構成されてゐるか、如何にして我々がそれを擴げ或ひはそれを越え得るかを我々に教へぬであらう、と。知識は生のひとつの現はれ方にほかならない。ベルグソンは生を純粹持續に象どる。純粹持續といふのは連續的な創造的な發展であつて、その本質において緊張である。緊張があれば、その反面に弛緩があらう。弛緩があるとき、生は自己を擴散して、横斷的な空間的な關係に竝置せしめられる。このやうにして成立するものが物質の世界である。ところで概念的知識は物を竝置的な、空間的な關係において見ることを本性としてゐる。それ故に概念的知識と物質的世界とは同じ根源のものであつて、共に純粹持續の弛緩にもとづく、とベルグソンは考へる。第二に、ベルグソンの生及びジェームズの經驗はいづれも原子論的(atomistisch)に把握されてゐないことを特色としてゐる。從來のイギリスの經驗論哲學の基礎にはいつでもヒューム流の心理學が横たはつてゐた。ヒュームにおいて經驗はばらばらの感覺的要素から構成された寄木細工に過ぎない。この經驗要素たる印象は物理的な原子のやうに各自獨立の存在と明確な輪郭とをもつてゐる。そしてこれらの印象の色褪せた模寫であるところの觀念も同じやうに相互に分立的である。諸印象竝びに諸觀念の間になんらかの關係があるとすれば、それは單に考へられた關係であつて、實在するところの關係ではない。因果關係の如きも屡々反覆して繼起するところの現象を期待する精神の後天的な習慣の結果である。等しくプラグマティズム的な見方を含む思惟經濟(Denk

これら二つの思想はまたディルタイに共通してゐるであらう。ディルタイによると、感覺の多樣は結合の意識から離れては單に表象され得ないばかりでなく、むしろ存在し得ない。シュトゥンプもいふ如く、諸感覺のうちには直接にまたその秩序が内在的な特性として共に與へられてゐるのでなければならぬ。我々の經驗の内容の内における秩序或ひは形式の内在といふことは經驗の事實そのものの示すところである。比量的な思惟作用の第一次的な形式の根源を尋ねて、我々は知覺のうちに含まれ、このものの知的性質を形作つてゐるところの諸過程にまで溯ることができる。このやうな諸過程は比較、區別、結合、分離の如きものである。これらのものは基本的な論理的諸作用である。一般的にいつて、私がその背後に溯り得ぬ生そのものは、それにおいてやがて一切の經驗及び思惟が顯はになるところの諸聯關を含んでゐる。そして實にそこに認識の全體の可能性にとつて決定的な點が横たはるのである。生と經驗のうちに、思惟の諸形式、諸原理及び諸範疇において現はれる全聯關が含まれる故にのみ、この全聯關が生と經驗において分析的に示され得る故にのみ、現實の認識は存在するのである。もし現實的に表象過程が思惟過程から全く區別されてゐるとしたならば、論理的諸形式及び諸原理の單なる分析でさへもがすでに不可能であらう。表象と思惟とは二元的に對立するものでなく、そこには一つの發生的な過程がある。形式論理學は表象と思惟といふ我々の認識根源の二元性を前提してゐる。ディルタイが分析的論理學(analytische Logik)と稱するところの論理學の目的は、現實の經驗の構造聯關を分析することによつてかかる二元的な見方を越えるにある。
ディルタイはあらゆる存在は我々の體驗の事實として與へられると考へる。およそ私にとつてそこに在るものは私の意識の事實であるといふ最も一般的な條件のもとに立つてゐる。如何なる外的な物も私にとつてはただ意識の事實或ひは過程の結合として與へられてゐるのである。ディルタイはこのことを現象性の原理(Satz der Ph




マルクス主義の認識論もまた一見プラグマティズムであるかのやうである。哲學者は世界を種々に解釋しただけだ、世界を變革することが問題であらうに、といつたマルクスは、その認識理論において實踐の要素を甚だ重要視した。彼はいふ、人間的思惟に對象的眞理が適合するか否かの問題は、なんら理論の問題でなく、實踐的な問題である、と。實踐において人間は眞理を、即ち彼の思惟の現實性と力、此岸性を證明せねばならぬ。思惟、實踐から游離された思惟の現實性或ひは非現實性に關する爭は、全くのスコラ的問題である。一個のプディングの存在は、これを食ふことによつて確證することができる。このやうに眞理の基準を實踐に求める點でマルクス主義はプラグマティズムに類似してゐるやうに見える。しかしながら我々は次の點に注意することが肝要である。第一に、存在の概念における本質的な差異がそこに横たはつてゐる。ジェームズのいふ經驗は心理學的なものであり、意識の流にほかならない。ベルグソンにおいても純粹持續はその本質において意識的なものである。そしてこれら二人の思想家においては存在の歴史性といふことについての理解が缺けてゐる。ディルタイは生の歴史性について誰よりも明瞭に認識した。人間の歴史的性質は彼のより高い性質一般である、と彼は語つてゐる。しかし彼にとつても生は本質的に意識的なもの、精神生活として把握された。マルクスは經驗を重んずる。けれども、經驗は彼において心理的主觀的なものではなく、客觀的歴史的に規定された存在である。從つて、意識は彼にとつて經驗と等しくない。彼は意識を單に現實的な生ける諸個人の意識として考察する。即ち意識は歴史において活動する人間の存在のひとつの契機に過ぎず、それ自身社會的歴史的に規定されてゐる。マルクスもまた實踐を強調してゐる。けれども彼のいふ實踐は主觀的な心理的な活動ではなく、却つてそれは勞働として、現實的な人間の歴史的社會的に規定された活動である。そしてマルクスは、意識が存在を規定するのでなく、存在が意識を規定するのである、と主張する。即ち他のものが觀念論の立場にあるに對して、マルクス主義は唯物論の立場に立つてゐる。これは最も決定的な相違である。第二に、マルクス主義はその唯物論的基礎のために、必然的に感覺乃至感性をその認識理論において重んじなければならない。しかるにこれまでの唯物論は、經驗論もまた、感性を單に受動的な、受容的なものとのみ解してきた。そこでマルクスは記してゐる、あらゆる從來の唯物論の主缺陷は、對象、現實、感性がただ客觀の或ひは直觀の形式においてのみ把握されて、感性的・人間的な活動、實踐として把握されず、主觀的に把握されてゐないところにある。活動的な方面は抽象的に唯物論との對立においてむしろ觀念論(このものはもちろん現實的な感性的な活動そのものを知らないのであるが)によつて展開された。しかるにマルクスは感性を能動的な、實踐的な性質のものとして把握する。そしてこれは感性が彼において單に心理的な作用と考へられず、人間の存在のひとつの現實的な、具體的な存在の仕方と見られることによつて可能であつたのである。第三に、意識を歴史的社會的に規定されたものと解し、且つ存在が意識を規定するのであると説くことによつて、マルクス主義は認識の社會的規定性、進んでその階級性を主張する。認識は社會的意識として必然的に社會的存在を反映してゐる。そして人間の社會的存在を最も包括的に表現するところの名は階級であると考へるのである。
五 認識論
認識論といふ言葉は今日多くの人々にとつて不思議な響をもつてゐる。それは何か極めて特別なものであり、しかしそれは何か非常に難しいものであり、しかもそれは何か恐しい力をもつたものであるかのやうに思はれてゐるのである。誰もそれに近づかうと願ふ、しかし同時に誰もそれから遠ざかつてゐたいと思ふ。言葉の魔術から自由になるといふことはあらゆる科學的研究の出發點である。そこで我々は先づ認識論といふ言葉のもつてゐる魔術性を取り除かねばならぬ。
認識論と譯されてゐる言葉の原語を見ると、ドイツ語では普通 Erkenntnistheorie であり、英語では theory of knowledge といふ。これをギリシア語から構成して、ドイツ語の Epistemologie また英語の epistemology といふやうな言葉も出來てゐる。ところでこれらの言葉は古いものではない。Erkenntnistheorie といふ語はエルンスト・ラインホールトがその『人間の認識能力の理論及び形而上學』(一八三二年)において初めて用ゐたといはれてゐる。當時普通に「認識能力の理論」(Theorie des Erkenntnisverm


認識論といふ言葉が比較的新しいものであるやうに、その表はす内容をなすところの學問もまた近代のものであると見られてゐる。それは普通には、イギリスのロックやヒュームに始まり、ドイツのカントによつて根柢をおかれた、と考へられる。この方面のロックの書物は『人間悟性論』(An essay concerning human understanding, 1690.)、ヒュームの主著は『人性論』(A treatise of human nature, 1739−1740.)、カントのそれは『純粹理性批判』(Kritik der reinen Vernunft, Erste Auflage 1781, Zweite Auflage 1787.)と呼ばれた。何故に彼等によつて認識論といふ特殊な學問が初めて建設されたものの如くに見られるのであるか。一般的にいふと、それは彼等が認識の批判的研究を開始した人々であるからである。單に認識に關する理論ならばそれ以前にもないではなかつた。それは實にギリシア哲學以來のものである。しかし彼等以前の哲學における認識の理論はすべて十分に批判的でなかつた。それは獨斷論(Dogmatismus)であつたといはれる。獨斷論と批判的研究との相違は、ロック、ヒューム及びカントが認識の限界の問題を意識的に提出したといふところに、最も簡單に、最も明瞭に、現はれてゐるであらう。獨斷論は人間の認識は無限に可能であり、從つて實在そのものを認識し得るといふ立場である。それ故にこのやうな立場では、認識の理論が説かれるとしても、それは實在に關する理論即ち形而上學(Metaphysik)と結びついて説かれてゐるのがつねである。古代のプラトンの哲學、近世のライプニツの哲學などはそのよい例であらう。認識の理論が特に認識論といふ含蓄ある意味において成立するに到つたのは、形而上學に對する不信が一般的になつたことによるのである。近代の自然科學がかかる不信のために次第に道を開いた。經驗的科學として自然科學は次第に形而上學に反抗し、それから解放されることを求めた。このやうな自然科學の刺戟なくしては、認識の理論は特に認識論として現はれなかつたであらう。そこで認識論は近代の經驗的自然科學の影響のもとに生れたイギリスの經驗論(Empirismus)の哲學の内部において先づ成立した。それは非形而上學的なもしくは反形而上學的な啓蒙思想の産物と見られることができる。ここに認識の理論は實在についての理論から分れて、認識論といふ特殊な學問として獨立するやうになつた。ロックはいつてゐる、「我々の研究はそれ故に、我々の知識の起原、確實性及び範圍を研究し、それと共に信仰、意見及び承認などの根據竝びに程度等を研究する。この研究のために、心の物的條件は何であるかといふことには今は關與しない。また心の本質が何であるかといふことにも立ち入らないであらう。心の如何なる運動、或ひは肉體の如何なる變化が感官に如何なる感覺を生ぜしめるか、またそれが悟性に如何なる觀念を生ぜしめるか。さては觀念は全部物質なるものに依存してゐるか、それともただ一部分であるか。これらの問題に關する議論は、ともかく面白いことではあるが、事は思辨に屬するから、我々のなすべきことでない。」認識論が認識の問題を從來の形而上學の問題から離れて研究しようとしてゐることはこれらの言葉によつて明瞭であらう。そしてまたそこに認識論そのものの問題がロックによつて規定されてゐる。それは就中、一、認識の起原の問題、二、認識の確實性、從つて妥當性の問題、三、認識の範圍、從つて限界の問題である。これらの問題はそれ以來つねに認識論の固有な問題としてとどまつてゐる。そしてその研究の結果において一つのことはいはば既に豫め定められてゐた。我々はそれを認識論の先取的結論とも呼ぶことができよう。かかる結論といふのは形而上學の不可能といふことである。認識論はこの結論を先取する。即ち逆説的にいへば、認識論における認識の批判的研究によつて初めて形而上學の不可能が證明されるやうになつたのではなく、むしろ形而上學の不可能が他のところで、特に自然科學において、明かになつたために、認識の批判的研究としての認識論、單に認識の理論でなく含蓄ある意味における認識論、は初めて可能になつたのである。このやうにして認識の限界の問題は認識論の成立にあたつて重要な意味をもつてゐたのである。
認識論にとつて非形而上學的或ひは反形而上學的結論は先取的である。そこでカント以後の哲學、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルなどのいはゆるドイツ浪漫主義の哲學において再び形而上學的傾向が勃興して來たとき、固有な意味で認識論と呼ばれるものは姿を消してしまつた。これらの哲學において認識の問題が論じられなかつたといふのではなく、いな、そこには極めてすぐれた認識の理論が含まれてゐるのであるけれども、認識論といふものは存在しなかつたのである。なぜならそこでは認識の理論は實在の理論と再び密接な聯關において述べられたからである。ヘーゲルにおいて最も雄大な體系に組織された形而上學は、彼の死と共に瓦解し始める。そしてこのとき現はれた形而上學の批判者のうち最も有力なものはまた自然科學であつたのである。かくして再び認識論は擡頭して來た。認識の問題が實在の問題から離れて論ぜられることになつたからである。認識論が形而上學の不可能を證明すべきものとして要求されることになつたのである。
自然科學と認識論とのこのやうな因縁を考へるならば、從來の認識論が主として自然科學に定位をとり、かくして自然科學的であつたことの歴史的必然性は容易に理解され得るであらう。ロックやヒュームなどの認識論が既に自然科學的であつた。カントの『純粹理性批判』もまた自然科學、特に數學的自然科學に定位をとつてゐる。自然科學がルネサンス以來夙に形而上學の支配を脱して、獨立に發展して來たのに反して、歴史及び社會に關する科學はその後もなほ永い間形而上學の覊絆を脱せず、その影響のもとにあつた。この事情が認識論における歴史科學または社會科學の無視乃至輕視といふ、一般的傾向のひとつの重要な理由であつたであらう。いづれにせよ、認識論の自然科學への偏向といふ事實は注意されなければならない。
認識論の非形而上學的或ひは反形而上學的傾向からして、そのひとつの他の傾向、むしろ偏向が隨つて來るであらう。認識論は認識の問題を實在の問題から分離することによつて成立した。そしてこれは認識の限界の問題と自然的に結びついてゐた。認識には限界があるといふ思想を積極的に述べるとき、不可知論(Agnostizismus)が生じる。不可知論といふのは實在或ひは絶對者は不可認識的な(unknowable; unerkennbar)ものであるといふ主張である。絶對者は我々の知り得ざるものであるといふ思想は昔からないではなかつた。その顯著な例としてニコラウス・クザーヌスの哲學を擧げることができるであらう。彼によると、無限な存在としての神は一切の矛盾の一致、即ち coincidentia oppositorum である。かかる無限な存在は人間の心の三つの形態、感性、悟性、叡智のいづれによつても理解され得ない。神は我々有限な者の認識にとつて單純に限界としてとどまつてゐる。それは認識を絶した直觀をもつて、いはゆる無知の知(docta ignorantia)による神祕的な直觀をもつてのみ、理解され得るものである。ところでクザーヌスその他の場合と近代の認識論上の不可知論の場合とでは相違がある。前の場合には絶對者の規定から人間の認識への道を取つてゐる。絶對者については信仰或ひは神祕的直觀などによつて既に理解されてゐるのである。從つてそこには本來の不可知論はない。しかし絶對者の諸規定は人間の認識の尺度によつては測られぬものであると主張されるのである。しかもこのやうな不可測性の根源は絶對者の存在と人間の存在との間の存在的な關係そのもののうちに横たはつてゐると考へられる。無限な神と有限な人間との間には存在上如何なる比例もないところに、人間の神に對する關係も定められてゐる。このやうな考へ方とは反對に、認識論上の不可知論は認識の規定から絶對者への道を取る。カントはかかる道において物自體(Ding an sich)は知り得ないといふ不可知論的な方向を示してゐる。イギリスの學者ハミルトンは、カントの影響のもとに、内的經驗といふ意識の事實においてはつねにただ有限なものが有限な諸關係において我々の認識に達するのみであり、この意味において人間の知識は有限なものの經驗に限られるとした。無限なもの、絶對的なものは認識すべからざるものである。この不可知論は一方ではマンセル、他方ではスペンサーなどの哲學においてひとつの重要な役割を演じ、イギリスの哲學の上に絶えず投げられてゐる顯著な陰影である。ところで我々にとつて重要なことは、認識論的哲學がこのやうに認識の問題を實在の問題に必ず先立つべきものであるとし、前者の解決を後者の解決に缺くべからざる先決條件とするところから、進んで、實在の問題に對する、いな、一般に存在の問題に對する無頓着を示す傾向をおのづから含んでゐるといふことである。存在の問題への無關心、延いてはその積極的な除外が認識論的哲學における注意すべき偏向であると見ることができる。
かくて存在からの距離といふことはいはゆる認識論の一般的特徴である。これは認識論といふ語に論理學(Logik)といふ語が置き換へられるとき最も鋭く現はれるであらう。この置き換へはしばしば行はれ、現代において論理學といふとき、認識論を意味してゐることはしばしばである。例へば、ヘルマン・コーヘンの『純粹認識の論理學』(Logik der reinen Erkenntnis)といふ書物は認識論の書物である。このやうに論理學と認識論とが同義の學問と看做されることは極めて普通になつてゐる。
さて右の敍述から我々は次のやうにいふことができる。第一に、含蓄ある意味における認識論は自然科學と絶えず密接な關係をもつて構成された。そこで同じ認識の理論であつても、その理論の構成の地盤が自然科學でなく、歴史的社會的存在に關する科學の方へ移されることになれば、認識論といふ特殊な意味の學問はもはや次第にその存在の獨立性を失つてゆくことにならう。そして實際ヘーゲルの後、彼の形而上學は勢力を失墜しはしたが、彼の哲學の精神は科學の座標において分解され、かくして歴史科學及び社會科學の著しい發展を喚び起した。ここにこれらの科學の認識の理論が特に問題にされることとなり、それと共にいはゆる認識論は次第に解消されることとなつた。ヴィルヘルム・ディルタイの生の哲學(Lebensphilosophie)がこの傾向を代表するであらう。しかるに第二に、認識論においては認識の理論が存在の理論から游離するといふ自然的な傾向がそのうちに含まれてゐた。それだから、いまもし何等かの意味で存在の問題が再び重要視されるに到るや否や、いはゆる認識論といふ特殊なものは、他のものに變形してゆかねばならぬ。カント以前の哲學、特にデカルトの哲學に接近を求めていつたところのエドムント・フッサールの現象學(Ph

これまでに明かにして來たことは、認識論の歴史性といふことに盡きる。最近に至るまで哲學において支配的であつた認識論的傾向はそれ自身ひとつの歴史的なものである。從つてそれはそれ自身のうちに或る前提、或る先入主見、或る偏向を含んでゐる。これらのものを明るみに出すことが今や哲學そのものの發展のために要求されてゐると思はれる。私のこの小さい解説的研究はその目的のために許される限りにおいて仕へねばならなかつた。もし認識論といふものを廣い意味に解し、その歴史的制約を除いて考へるならば、かかる意味での認識の理論一般はいはば哲學と共に古く、いつの時代にも、いかなる哲學のうちにもつねに包まれてゐたところのものである。それは理論哲學一般とその範圍を同じくする。それは例へばギリシアの學問が學問を物理學、倫理學及び論理學の三つに區分したといはれる場合の論理學にあたるものであらうが、このとき論理學はギリシアの學問において近代におけるそれとは全く違つた意味をもつてゐたのである。
いまや我々は認識に關する理論をいはゆる認識論の偏見から解放しなければならない。そのためには我々は存在の問題に深く入つてゆくことが必要であると考へる。認識の問題を存在の問題のうちに排列するといふ方向へ我々は進んでゆくべきであらう。