クリティシズムの哲学的意義について、私は前に色々書いたことがある。今これを拡張しようと思う。哲学的意義という規定をもう少し厳密に云えば、夫を認識論的意義と云っていいだろう。なぜ哲学的ということが厳密にいうと認識論的ということになるかは、もっと一般的な先決問題であるが、それは話しを進めて行くうちにおのずから明らかになるとしよう。クリティシズムの認識論的意義とはつまり、認識論に於ける、或いは認識論の上に立っての、クリティシズムの機能ということであろう。この点今の処想像にまかせておく他ないが、もし仮にそうとすれば、クリティシズムが終局に於て認識論そのものの一環で、他ならぬ認識理論の一機能を意味する、という主張を結論しようと企てても、大して異とするには足りないだろう。
 だがこういう結論は単に必然であるだろうばかりではなく、実際問題から云うと、今日大いに必要なのである。特にクリティシズムについての知的省察が甚だ進んでいない日本の文化世界に於ては、之が最も必要なのである。そして文化の大道乃至本道を推し進めるための洞察としては、愈々以て之は切実な必要なのである。

 芸術が一般に表現であるということは今日の常識である。芸術作品は人間性か内部的生命か、生活か生か精神かの、外部への表出であるということを誰しも疑わない。芸術家の苦心は表現にある、と多くの芸術家は告白している(H・マティスの手記の如き)。だが、そういう常識を不作為に受け容れることと、そういう見解を特に取り立てて主張することとは、必ずしも同じことではない。告白と主張とは一つではない。なぜと云うに、或る判り切ったことを特に取り立てて主張するのは、何等かの対立物がそこに意識されているからで、対立物が何であるかによって、その主張の内容も本質が変って来るからだ。主張は一つの敵本主義を仮定する。之はもはや常識の単なる受容ではない。――だが更にそういう主張それ自身が、又やがて一つの常識の内容となることも忘れてならぬ。芸術は表現以外のものではなく正に表現でなければならぬ、という主張それ自身が、実を云うと、口に出すと否と物に書くと否とに拘らず、今日の常識の一つだ。結局、常識はいざとなると主張をし始めるものなのである。云わばそれが、色々の常識を持続させる処の慣性(スコラ学者が考えた実体の慣性)のようなものである。だから右のような常識は、主張でないようで結局は主張なのである。
 一例を挙げよう。スピンガーンは近代のクリティシズムが表現の研究に帰着しつつあることを指摘する(J. E. Spingarn, The New Criticism)。アリストテレスの『ポエティカ』を始めとしスカリゲルやボアローなどに至るカノン(規矩)主義的な批評精神に反抗して、今日の新しいクリティシズムは、作品をば、規格品としてではなく何物かの自由な表現を見るようになって来ている、というのである。芸術は常に表現技術と考えられるようになっている、というのだ。実際、文典やレトリックは勿論、詩論やドラマトゥルギーさえも、文芸作品の裁判官であってはならないということが、今日のクリティシズムの常識である。文章規範的なものは文章の参考とはなっても、勿論今日、文章を裁くことは出来ない。元来クリティシズムには裁くより前に先ず理解してかかるべき義務があるとされる。何を理解するかと云えば、作品に表現された作者やその背後の時代や民族や階級の生活や思想だ。そういう意味で芸術が表現であると主張することは、少しも間違ったことではない。ただその表現とは一体何かという問題が残るだけだ。
 だがこの主張はもう少し検討を必要とする。芸術を一般にこのように表現だと主張するなら、それは何も芸術に限ったことではない筈だ。表現(之は表現物をも指す)と見られるものは芸術品だけではない。科学・哲学・宗教・意識・其の他一切の文化現象、社会現象――経済・政治・風俗・道徳――が総て表現でなくてはならぬ。生活の表現が文化であり又人間の歴史であるとしなければならぬ。現にドイツ的観念論による文化史や歴史主義系統の歴史哲学は、一貫してそういう主張を持っている。スピンガーン自身も自分がそれのアメリカ版に他ならぬことをみずから認めている。ブルクハルトがイタリヤのルネサンス国家を以て一個の芸術品と見なすのは、政治形態を一つの表現と見るからである。又より形而上的に考える人々にとっては、人間の肉体さえが一個の表現であり、行為の本質は「表現的行為」であるとも云われるのだ。
 では、芸術を一般に表現だとする主張は、芸術の観念に何等特別な性質を取り付けるものではない、とでもいうことになるのか。そういう筈はなかったろう。芸術はただの表現ではなくて、表現の技術を意味するというのだった。表現の技術(アート)であるが故に芸術(アート)だったのである。するとさっきからの主張は一つの新しいこと柄をつけ加えるわけだ。芸術は表現の技術である、何となればそれは他のことの技術ではないから、と(この際技術という言葉を単純に手法とか技法とかという意味に取っておく)。例えば芸術は鑑賞の技術でもなく、教化の技術でもなく、慰安の技術でもない、又更に認識の技術にもぞくさない。――であるが故に「表現」の技術だ、というのである。
 之が恐らく、芸術表現説の主張のいつわらぬ心事であろう。だがこうなると、前とは別な横槍が再び這入らぬわけにいかない。一体、科学も亦表現の技術を持たないか。表現されない科学的研究成果などというものは、歴史的に伝承され得ないから、元来存在し得ない。云い伝えたり書き残したりしなければ、科学的業績とはならぬ、それがなくては科学の歴史的発達は全く不可能だ。近代的な科学論文なるものは、恰もこの事情を最も明らかに自覚して書かれるものに他ならない。研究しっぱなしは少しも科学的研究ではない。研究であるためには研究成果を纏めなくてはならぬ。観察や観測、実験・計算・又文献調査、などのしっぱなしは何の意味も持たない。それを纏めることこそが研究の目標である。纏めない内は研究者自身にだって正確な成果は判らない。社会人にとっては尚のことだ。こうして纏めることが科学的研究に於ける表現でなくてはならぬ。
 なる程少し位い文章がまずくても、内容が正確で観点が高ければ、立派な科学論文である。そういう意味で表現の表現らしい点はこの際どうでもいい、だから結局今の表現は本質に於て表現ではない、と云うかも知れない。だが丁度、原稿の字は下手でも、文章がよくて描写が優れていれば、立派な文芸作品であることを妨げないのと、事情に変りはない。手書きの字は又一つの表現技術にぞくするわけで、東洋の書(ショ)はそうした一種の絵画的表現だろう。芸術的表現を描写とばかり見ることは出来ない。小説に於ても描写と説明とが適当に混在することが必要だという考え方もある(小島政二郎の小説『菊池寛』の菊池寛はそう主張する)。学術的レポートが描写を含まないとは云えない。然るに一方、一種の絵画であるらしい「ショ」は一体何を「描写」するのか。
 文芸作品の表現技術としての価値は、何も表現技術それ自体として孤立したものにあるのではなく、作者の如何なる観察・思索・調査・生活・反省・その他その他がそこに如何に表現されるかに存する筈である。科学者の如何なる観察や実験や調査が科学的成果として纏められるか、ということと事情は形式的に変らないのである。少なくとも如何なる種類の表現か――描写か説明かなど――が問題ではなくて、表現であるかないかを問題にする限りは、「ショ」と文章とが斉しく表現であるように、科学成果の発表も亦、芸術作品一般と斉しく、なぜ表現と云って悪いのだろう。
 処で、科学は認識であり之に反して芸術(や文学)は表現である、というような見解は世間に決して珍しくない。そう云いたい気持ちは誰にでも判る処であるが、そういう云い方が云い方としてあまり意味を持たないことは、右の次第で明らかとなる。つまり、そういう考え方からは、色々と困った結論が出て来るのを防ぐことが出来ない。表現というならいずれも表現であるべきだし、認識というならいずれも認識であるべきだ。如何なる意味での表現、如何なる形の表現か、又如何なる意味での認識、如何なる形の認識か、が区別のケジメであるべきだったのだ。
 だが私は今、芸術と科学との区別や又連関、乃至は芸術論などを、ここに展開する心算ではない。今は芸術が世界についての芸術的「認識」であるというリアリズムの伝統的見解を仮定するとしよう。但しここでリアリズムというのは、ただの手法の名ではなく、芸術的認識の認識論上の一見解を指すのだが、芸術をも世界の認識と見ること、認識(又認識論)という観念をばそういう形にまで拡充することは、認識論に対しても芸術理論乃至一般に文化理論上に対しても、現段階に於ける吾々の期待であり、哲学の新段階を画する規模のものと考えられるべきだろう。それであるのに、この点必ずしも人々によって充分考え抜かれているとは見られない。わずかに二三の新しい文芸学や美術論に於てこの提唱を見ることが出来るにすぎない
* 武田武志著『美術論』は初めからこういう企図に基いている。ただその美術的乃至芸術的認識の機構分析が充分でないために、リアリズムと写実との原則的区別を読者に首肯させるに充分でない。甘粕石介氏の論文「芸術の写実について」(『学芸』一九三八年第七一号)はこの弱点を指摘して若干の優れた発見を与えている。だが芸術の表現するものが、結局「生命」に帰するという落ちは、実は何等の解決ではなく、常識への還元である。芸術の認識論はかかる「生命」が抑々何を意味するか、という処から出発した筈である。芸術が認識であるという観点を根本に於て強調しない限り、今の処芸術理論の本質的な前進はムツかしいことがわかる。芸術的生命なるものが認識論的に分析されなければならないのである。
 さて芸術を世界認識の一種と仮定すれば、クリティシズムが認識=認識物の一種の検討であることは容易に首肯出来る筈である。クリティシズム=批評(批判・評論)は何と云っても芸術のクリティシズムとして最も発達しているし、重きもなしている。その芸術が一種の認識と見られる以上は、最も屡々芸術作品を論議せねばならぬ処のクリティシズムなるものは、常に認識物を、従って又認識を、検討するものだという自覚を当然持つ筈である。科学的批評と印象批評というような涯しない対立は今どうでもよい。いずれの批評に於ても、クリティシズムという一つのイズム(主義か精神か一纏りの現象かをイズムという)を形成するための心棒は必ずあるので、認識を検討するというこの建前が、クリティシズムというものの心棒でなくてはならない。
 尤も批評家がこの建前を自覚するしないは別問題で、批評家が批評の枢軸を意識しようがしまいが、現実の批評が、而も相当高度の批評が、行なわれ得ることを妨げない。そしてそれにはそれだけの理由があるので、サント・ブーヴは印象批評の巨頭であるとされるに拘らず、彼が芸術作品に於て見たものが常に人格の表現であり、つまりさっきのことを勘定に入れれば、人間による認識をばそこに常に見て取ったのだが、こうした理論が彼のクリティシズムの匿された枢軸をなしている。第一印象は後々の又二次的な印象によって変更を余儀なくされるものであるから、批評がこの枢軸の周りを動揺することは避け難い。動揺は心棒のないことから起きるのではなくて、心棒の周りから起きる。云わばこの匿された枢軸の故に、彼は優れた印象批評家ともなり得たわけだ。
 だが今は、クリティシズムの実行の姿よりも、クリティシズムという観念自身が何かということが問題であったのだから、一種の認識の検討であるというクリティシズムの枢軸は、そういう批評精神は、特に自覚されねばならず、表面に持ち出されねばならぬ。そこにクリティシズムは認識=認識物の検討であると云わねばならぬ必要が生じて来る。するとクリティシズムはそれ自身が一種の認識論的活動であるということになる。或いは少なくとも、一種の認識論を枢軸としない限り、充分の自覚を伴ったクリティシズムであるとは云えない、ということになるのである。
 私が到達したいと考えるのは、正にこういう風な結論である。こういう意味での認識論としてのクリティシズムである。尤も今まで述べて来た処が全く一つの仮定の上に立っていることを、私はゴマ化す心算はない。芸術は認識であるというリアリズム芸術理論を仮定していることを。この仮定を予め全般的に立証してかかることは物の順序から云って恐らく不可能だ。だがそうかと云って之はただの仮定ではない。すでに相当の部分に於て部分的に立証されたことから一般化された科学的な仮説なのである。この仮説を作業仮説とすることによって、却ってこの一般的な命題自身の立証に寄与出来ようというわけだ。

 云うまでもなくクリティシズムは批評主義というような何かの一主義を意味するとは限らない。まして哲学的態度の一つとして批判主義とも限らない。批評という一纏りの現象や活動が普通云うクリティシズムである。又従来最も注目を惹いている批評が文芸批評乃至芸術批評であると云ったが、この際批評の対象を文芸乃至芸術に限る理由もないので、社会科学や自然科学、社会や風俗、其の他に対する批評も厳存している事実を知らぬ者はない。クリティシズムが一般に、文化の批評・生活の批評・人生批評・であることは、M・アーノルドを俟つまでもなく、主なるクリティシズム理論家達が力説する処だ。この点後に明らかになるだろう。
 だがクリティシズムが、所謂批評主義乃至批判主義と呼ばれる哲学的態度とすら全く無関係ではないだろう、ということは、今の場合特に配慮に値いする。哲学上の批評主義はカントを以て始まると見られているが、之は大体に於て理性能力の批判のための体系を意味した。厳密に制限された意味での理性批判だけにはつきないとしても人間的理性と直接関係ある諸能力(判断力其の他)の批判を含めて、大体に於て理性能力の批判がカントの批判主義=クリティシズムの仕事であった。
 カントが人間の主体的な能力を批判することから出発したのは、実は社会に現存する文化諸領域を組織的に批判検討するためである。そういう目的がなければ、この体系はただの心理学の一種ともなっただろう。それならばカントの分析の一部は、極端に云ってテーテンスの心理学に解消され得るかも知れない。之がテーテンス心理学の如きものに止まらず、或る論理学的な機能を持ち得たのは、全く現存文化批判という目標を追求したからのことだった。心理や意識の論理的な機能を追求すると云っても併し、再び文化諸領域の批判検討という意図がない限り、今日の純粋現象学(E・フッセルルなどの)の類でも一応の必要は充たされる筈だ。実際カントの行なった分析は極めて近代現象学的なのである。――して見るとカントの批判主義の特色は、心理や意識、又多少能力心理学的な残存物である処の人間の主体的能力やの、ただの検討にあるのではなく、正にそれの批判を目標としたことにあるのだが、更に単にかかる心的能力の批判がこのクリティシズムの最後の目標だったのではなく、正に之によって社会の活きた文化諸世界の批判を企てるのを目標としたのである。そこにこれの特色が横たわっている。数学・天文学・物理学・生物学・道徳・宗教・芸術・人間歴史・更に形而上学、之がカントの見た文化諸世界であった。
 今カントのクリティシズムの個々の点を検討している場合ではない。そういうことは他の人々によってあり余るほど行なわれている。吾々の興味は彼の批判主義に於ける批評的精神、そういう意味でのクリティシズムの意図にあるのである。彼の批判主義が学究的又スコラ的(学校的)概念によって立つものではなくて、世界概念によって立つものであることは、周知の通りだが、こうした世界への関心は、同時に社会への関心をも意味している。啓蒙という課題に逸早く答えたのも彼であるし、世界市民の観念を明白にしたのも彼である。元来カントは新しい角度に於て一切の問題を提出し直し、之に対する一応の組織的な解決の方針を立てた。彼は十八世紀末葉から十九世紀初頭にかけての、最高のドイツ的なアンシクロペディストであった。だが、ロマン派的な世界や宇宙的なものに親しい筈のフィヒテやシェリングに較べて、彼が何故特にアンシクロペディストであったのか、その意味を考えねばならぬ。一般の場合と同じく彼に於ても、諸文化諸世界の組織的連関に関する興味が一個のアンシクロペディストを産み出しているのであるが、処がそのために欠くことの出来なかったのが文人批判的な社会的関心である。文化への真に切実な関心は社会に実在する文化への関心であった筈だ。諸文化に対する社会的関心が旺盛でなかったとするなら、カントの百科的クリティシズムの最後の動機を、一体吾々はどこに見つけ出すことが出来よう。――之がカントの批評的精神である。
 私はカントの先験的観念論なる批判主義に対して殆んど何等の同情を有たない。カントの体系に於ける所謂「嬌羞はにかみやの唯物論」の不徹底さや、非弁証的な形而上学や機械論の欠陥をば弁護することは出来ない。だが少なくともカントに於て可なり高く評価されて然るべきものは、そのクリティシズムの精神だろう。勿論このクリティシズムの精神は、現物としてはカント一流の形態を取って現われているから、ムヤミに之を一般化すことは慎まねばならぬ。第一、ドイツの政治的現実の貧弱さが、政治的実践の代用品として産み出したものが、この「批判」であるとも云わねばならぬ。そういう意味で云えばこの批判とは単にマイナスをしか意味しない。だが批判主義を畳の上の水練と貶したヘーゲル自身が、依然としてドイツ的現実の貧弱さから解放されてはいなかった筈だ。その彼さえが宗教に対する有力な批判的な諸流派を産んだ。「批判的批判」者をさえ産んだ。そして遂に「批判的批判の批判」者までも産むに至ったのである。ヘーゲルこそ或るプラスの意味の偉大な批評精神であったと云われようが、この批評精神の伝統は併し、正にカントのものであったことを見落してはならぬ。ヘーゲルが人間の思想史の内から、直接の格闘相手として好んでカントを選んだ理由は、決して察するに難くない。
 処でカント的批判主義が、後世の新カント派によって認識論と呼ばれるに至ったことを思い出そう。この認識論なるものは結局、主として科学的認識に就いての方法論至上主義のことにすぎず、そうでない場合は反実在主義的な一種の形而上学(?)――価値哲学――の如きものに帰する。恐らく之はカント自身の必ずしも与り知らぬ処であり、又カント自身の認識理論のスケールを著しく縮小したものと云う他あるまい。カントの認識論の最も大規模な文化的特色は、その文化批判を目標とする批評精神にあったわけだが、恰もこの文化的特色の方は稀釈されて、その代りに構成主義や論理主義という哲学教授的概念の方が技巧的に誇張されたのが、この「認識論」なのである。――だがそれにも拘らず、この認識論の唯一の取り柄は、それが依然として文化批判という目標から、あまり目を離していないということだ。斜視と萎縮の裏にではあるが、とにもかくにも、文化哲学を目指しているというのである。新カント派的批判主義が、文化批評の哲学としては、或る程度の文明批評的な仕事をなし遂げたという事実を、思い合わせねばならぬ。この点、批判主義に対する学究的批判によって往々忘れられるのだが。
 勿論この文化哲学はあまり清冽でない体臭を放っている。その体臭を文化主義と呼んでいいだろう。その淵源はカント自身にないとは云えない。例えば彼によれば、啓蒙なるものは政治を文化から捨象して了うことによって、初めて成り立つ。文化のこのアウタルキーは、カント的道徳観に於けるアウトノミー(自律)と勿論無関係ではない。このアウトノミーが後世の新カント派に於ける認識論の方法論主義や、文化価値の超越的妥当の見解やへ導く。するとつまり、こうした文化主義なるものが、新カント派風の認識論を狭隘にし歪めている当のものだということになる。そして夫が又、この認識論の目指す文化哲学そのものの評価をば根本から切り下げているわけだ。だがそれはそれとして、とに角建前だけでも文化の哲学であるという点が今意味のある処だとすれば、例えば「純粋経験の批判」に於ける所謂経験批判論や、イェルザレムの批判主義である「人間理性の社会学的批判」、などに見られる認識論と較べて、この認識論の方が初めから或る高い文化的資格をもつことを忘れてはならぬ。特に経験批判論の如きは、云わば学校概念的に云って批判に耐えないばかりでなく(『唯物論と経験批判論』を見よ)、世界概念的に文化問題の解決というスケールから云って、愈々意味に乏しいものであることが判ろう。
 かくて新カント派流に縮小されたカントの批判主義=クリティシズムが、認識論としての文化批判哲学となっていることは、吾々の問題にとって一つのヒントを与えるだろう。つまり之は、文化諸世界の組織的な原則的な批評体系が認識論だということ、クリティシズムが認識論に帰するという一事実、を示しているものに他ならぬ。ただこのクリティシズム・認識論・文化批判(文化哲学)が、夫々カント風に、且つ又新カント風に、著しく歪められ且つ萎縮せしめられているのである。――哲学的クリティシズムが現に、どういう形を取りつつあるかの一例として、之は注目に値いする事態である。
 尤も今の話は哲学体系としてのクリティシズム(批判主義)のことであったから、必ずしも一般の批評活動と一つにはならない。だが哲学体系としてのクリティシズムと批評活動としてのクリティシズムとが、別々な批評精神に基いていると想像することは、あまり尤もでない。批評活動には顕然又隠然、一貫した批評のメカニズムがあり、体系がなくてはならぬ。組織的な方法がなくてはならぬ。機動的な批評原則がなくてはならぬ。そういう原則を特に精練するものが、哲学体系としてのクリティシズムと直接関係があり得ないというなら、それは少し妙なことだ。哲学体系的クリティシズムと普通の批評活動としてのクリティシズムとの連関は、寧ろクリティシズムの認識論的本質そのものの一部をなすだろう。そういう点を明らかにするためにも、以上の例は一つの類推の役目を果すだろう。だが吾々は何よりクリティシズムが含む諸要素を分析してかからなければならない。

 一方に於て吾々は、クリティシズムを出来るだけ常識的なものと考えなければならない。人物や事物の善し悪しを論じる所謂批判・批評・品隲ひんしつのようなものを除外するならば、クリティシズムは嗤うべきスコラ用語となる。日常語と哲学用語とで同じ言葉の意味が全く別な無関係なものになるとしたら、之ほど無意味な哲学方法はないだろう。と同時に、他方吾々は之を出来るだけ科学的=哲学的な言葉に仕上げなければならぬ。クリティシズムは平常の現象である、之を理論的に洗練することが科学的労作なのである。
 さて日常現象としても理論的カテゴリーとしても、クリティシズムについてまず第一に気づく点は、それが言葉によって表現されるという周知の特色だ。字に書かなくてもよい、又実際に発音しなくてもよい、がいつでも言葉に出る用意のないものは批評とは云えない。この言語的特色をば観念という言葉で云い現わしても構わないが、音色や色彩の感覚乃至知覚も観念と呼べるとすれば、観念という言葉はやや明晰なものではなくなる。寧ろ概念とか悟性とか反省とかいう言葉の方が間違いない。一つの感覚的印象についての概念的・悟性的・反省が言葉によって云い現わされるという現象が、あらゆる場合を通じてのクリティシズムの事態である。批判はこういう次第で、(ロック風に云えば)云わば第二次的な性質を有つ。それは芸術作品が与える感性的印象をば、言葉の世界へ翻訳することによって、別の次元へ、別の秩序界へ、持って行く。作品の第一次的性質に対してクリティシズムが第二次性質である所以だ。処が、この第二次性質が同時にクリティシズムという世界の独立性と独自性を産むのである。そこで文芸批評は、往々文芸作品の従者のように見做されると同時に、文芸作品の裁判官や教師とも見られる、というわけだ。
 これは判り切った点であるようで、併しそれが約束する筈の諸結論は、必ずしも世間から過不足なしには尊重されていない。――クリティシズムは創作活動が衰えた時盛んになる、という俗説がある。併しプロレタリヤ文学の台頭と新しい文芸批評の台頭とは、世界各国に於て全く同時期であった。フランス唯物論時代は過去の最もいい例である。フランス文芸批評の伝統が打出されたのは古典作家達の盛大時と同時代であった。ドイツ・ロマン派の時代は批評と創作とが一致した時代だったと考えていい。なるほど批評は近代に至って次第に著しくなって来た文化現象なので、例えば古代ギリシアのプラスティック作品の時代には批評はなかったとも云われる。がその反証は容易に挙げることが出来よう(例えば井島勉氏「批評の芸術史的意味」――『哲学研究』二六八―九)。クリティシズムを創作活動の衰えのように見るのは、クリティシズムを創作活動と全く共通性のない本質から発するものと見るからであり、従って之を創作活動の最も卑屈な奴隷と見るか、又は逆に最も苛烈な刑執行人と見るか、する、からである。だが言葉は凡ゆる人間活動に伴っている。それは最も普遍的な表現形式だ。だから制作活動が旺盛であればあるほど、言語活動としてのクリティシズムも隆盛になる、と考えた方がはるかに自然で公平だとも云える筈ではないか。
 之に反して、この考え方と正反対な極端は、創作即クリティシズム、とするものである。「詩は詩によってのみ批判され得る」、「殆んどすべての芸術批評が余りにも一般的か或いは特殊的かでありすぎる。批評家は彼等自身の制作のうちに新しい中庸を求めなければならない。作家の創作のうちにこれを求めるべきではない。」そうF・シュレーゲルの断片は云っている。ドイツ・ロマン派に特有なこの思想は、クリティシズムと芸術的創作活動(理論的活動ならなお更のこと)との或る必然的な連関を一応示唆する点で、一個の真実を含んでいる。が併し、この連関を節度のない有機制であるかのように同一化して了う処が、ロマン派のロマン派たる所以だ。この種の言葉はアイロニーにすぎないと云ってもいい。クリティシズムと創作活動との事実上の分裂対抗をば、徒らに便宜的な調和に齎すことは誤りだろう。でもしこのロマンティークのクリティシズムのやり方から、創作的批評というような観念を導き出して来て、之をクリティシズムの本道であるかのように強いる者がいるとすれば、その誤りは愈々特徴を鮮かにするのであって、そうすればつまる処、絵画の批評は絵画を以てやる他なく、音楽を批評するには作曲し演奏しなければならぬ、ということになる。文学(ポエジー・詩)の場合だからこそ、創作=批評などと云って澄ましていられるのである。文学が偶々、言葉(概念・悟性・反省・としての観念)を乗具とする芸術であったからこそ、そう云っていられるのだ。
 創作的批評は反創作的批評(と云うのは作品に何等の理解も同情もない批評)とでもいうべきものに対しては意味を有つ言葉だが、クリティシズムというものを個々の作品又は一定限界の芸術ジャンルから自由として之にクリティシズムそのものとしての世界の独自性を賦与することをば、妨げる。つまりクリティシズムの進歩を妨げることにならぬとも限らぬ。折角クリティシズムを向上させようためのこの種の提言が、それの進歩の妨げになるようでは困る。文化に於ては「向上」必ずしも進歩ではない。文化というもののこの二重性の秘密は恰もクリティシズムの機構自身が明らかにするものだが、それは後にするとして、とに角芸術作品とクリティシズムとの間の対立相剋の関係をば一般的に無視する結果になることは、批評そのものの使命を低下することでしかない。この点注意されねばならぬ。
 クリティシズムは作品に対して、作家が実際に追求しようとしたイデーの再追求方を命じ、又、より高い天下りの理想をさえ課題として持ち出す。クリティシズムはそうした理想化を使命とする。かくて批評は創作活動の未来への運動に向かって、示唆ともなり予言とさえもなる。これが時間的な構造に於て見られるクリティシズムと創作との間の意味のあるギャップなのだ。だがそれだけではない。並列的な構造に於ては、クリティシズムは個々の作品を他の作品へ、他の芸術ジャンルの作品へ、媒介する。媒介する側のクリティシズムは、媒介される側の創作自身からは、それだけ否定的な距離を持つ。こうした間隙や間隔が、クリティシズムを創作作品の従者ともし教師ともする。クリティシズムの言語的特色、その概念的・悟性的・反省的・特徴、要するにその思惟的特徴がこれだ

* クローチェの『美学綱要』(B. Croce, Grundriss d. Aesthetik)第四章「芸術批評と芸術史」によると、「批評家の仕事は受け取られた印象が保持されると共に超克される処に初めてなり立つ。批評家の仕事は思惟にぞくする。思惟は想像を克服して之に新しい光をそそぐ。それは直覚を知覚へと変え、真実を検討し、真実と虚偽とを区別する」云々。批評=クリティシズムが思惟にぞくすることは、勿論クローチェだけの見解である筈はない。
 思うに、色々の意味での創作的批評の説が、クリティシズムと創作との距離をなしくずしに調和的に埋めたくなる動機は、創造の積極性に較べて批判の消極性が気がひけるからだろう。両者の間のギャップを均らして了わない限り、批判的なクリティシズムは常に消極と否定との精神として、メフィスト的役割を振り当てられる他ないらしいので、それを避けるために無理にもクリティシズムをば創造的で積極的と考えられる創作へ接合しようというのだ。なる程その否定性と消極性との故にカント的「批判」を批難するものは、ひとりヘーゲルには限らぬ。A・コントも亦その有力な批難者であり、彼の所謂実証主義はそれ故に積極主義という字の意味を有っていた。今日批評や批判の態度が特に社会の公式発言に於て嫌われるのも、云いがかりか理屈の形としては正にこの建前に立っている。
 だが或る意味に於て、反省は常に否定的だ。概念や悟性や理性の本質、論理の本質が、否定の大用にあることは、今日の論理学的常識と云わねばならぬ。概念のこの機能が社会的機能となったものがクリティシズムである。処で之が否定的であるということが、直ぐ様夫の消極性を意味するだろうか。決してそうではない。もし本当に消極的なものに過ぎないなら社会の誰が一体特にこの動きを嫌がる必要があろう。――考えて見ると消極的とか積極的とかいう言葉はどんな風にでも使えるので、丁度、良いとか悪いとかいう評価が子供じみたものであるように、之も一種の小児的感傷の形容詞にすぎない。否定の作用は消極と云いたければ消極だし、積極と見たければ積極だ。殆んど無用の形容詞と云わねばならぬ。でクリティシズムに於て消極的其の他と見えるものの実質は、実は否定という思惟の大用の社会的機能に他ならぬ。思惟や知性の否定機能をばただの消極として無視出来ない以上、クリティシズムの否定的機能を消極的だとして貶すことも出来ない筈ではないか。クリティシズムの機能の積極的意義について否定的な或る種の社会人は、やがて人間的知性そのものの否定者として立ち現われねばならぬだろう。否定の大用によって、クリティシズムはそれ自身の独自性を得る。或る意味に於ける否定はクリティシズムの特権である。悪口や批難は、クリティシズムのそういう否定機能の市井に於けるごく末梢的な形なのだ。
 否定にも色々ある。単に吹き消すのはその小用である。否定の大用は媒介することではなくてはならない。この場合の否定は媒介のための否定だ。論理学的抽象に於てはそう云っていいだろう。――諸文化作品の間を、作品と作者との間を、諸文化領域の間を、相互に媒介するものが、クリティシズムに独特な職能であることを注目しよう。私は今一二の場合をとってこれの例証を与えることは出来ない。何となれば総てがその例だからだ。普通、批評は一定既成の作品に関する批評でなくてはならぬと云われている。だが『戦争と平和』の批評は勿論『復活』や『アンナ・カレーニナ』との連関なしに行なわれ得ない。『戦争と平和』の批評はやがてトルストイ自身に対する批評とならざるを得ない。だがそれは又直ちにトルストイとドストエフスキーとの比較ともなる(メレジコフスキーの批評の如き)。人々はこの二人をロシア社会変動の鏡として見較べざるを得なくなる。するとドストエフスキーは又トゥルゲーネフとも較べられねばならぬ。『悪霊』は『父と子』に較べられねばならぬ。すると又更にプーシキン(『大尉の娘』のプガチョフを見よ)の如きを思い起こさねばならぬだろう。等々。かくて『戦争と平和』の批評はいつかロシア文学史の一くさりともなる。ロシア思想の歴史的社会的叙述へと近づく。そう見るとクリティシズム(評論)は芸術史や思想史の季節的な一環に他ならないのである。だからクリティシズムは、一定作品についての批評であるべきでありながら、必ずしも作品批評を終局目標とはしないものだ、とも考えられて来るのだ。
 併しこういう方向を辿っている限り、之は要するに文学史にすぎない。処がクリティシズムは文学史や芸術史のただの一環ではない。それは少なくともまず文芸学や芸術学乃至美学の内容でなくてはならぬ。と云うのはクロード・ベルナールの生理学は如何なる権利を以てゾラのものとなったか、又なり得るか。主観主義化されたヘーゲルは何故G・フロイトと肩を並べて超現実派芸術の哲学となり得るのか。解剖学はルネサンスの巨匠達の手法と思想とを如何に決定したか。P・ヴァレリはダ・ヴィンチの工学的精神を如何に機械化したか。音楽的形而上観が如何にケプラーにとって天体法則発見の動機となったか。其の他其の他。こうなると批評は芸術史や思想史ではあっても、ただのそれではなく、正に同時代の時代精神の内面的連関を探究することであり、そのためには、一つ一つの場合について文学・美術・音楽・哲学・科学・宗教・等々の間の交錯と絡み合いとを解く独特な技術をば用意せねばならぬ。即ち批評は文化史となり又文明批評となるばかりでなく、まず文化諸領域間や芸術諸ジャンル間の認識論的処理に於て、際立った眼光を養わねばならない。批評的な感覚というものがあるなら、正にこの種の眼光のことであり、それが感受を鋭くし正確にし、そこから導かれる反省を敏活にし確実にする。勤勉な歴史家が屡々最も鈍感な[#「鈍感な」は底本では「純感な」]批評家であるのは、この批評的感覚の勘を欠くからで、批評に絶対欠くべからざる教養も之を伴わずにはもはや役に立たない認識論的な分析官能というようなものが批評の最後のことを決定する。それが媒介の官能である。
 クリティシズムは常識として、個々一定の文化作品を以て自分の自然な母胎とするにも拘らず、それとの間隙と距離と対立とを発条として、この母胎を離れて一つの独自な秩序界を展開する。一つの作品から他の作品へ、一つの人物から他の人物へ、一つの時代から他の時代へ(そして歴史叙述をば論理的分析から区別するために最も大切な点となるが、――論理は歴史の要約であるとしてもこの区別は大切だ)、一つの芸術ジャンルから他の芸術ジャンルへ、又一つの文化ジャンルから他の文化ジャンルへ、何等かのエッセンスを運び歩くのが、クリティシズムというものである。花から花へ花粉を運んで歩く蜜蜂であるが、花々の蜜の味を一つ一つ楽しむ点でこの蜜蜂は昆虫よりも多少道楽者であり、花粉を運んで歩いてあわよくば実を実らせようというたくらみのある点では、昆虫よりも知性に富んでいる。文化運搬性ということが、クリティシズムの例の媒介機能の第一の現われであると云える。個々の文化作品の特殊性に基く固着と膠着とを剥離して、文化的普遍性の軌道に乗せることが、クリティシズムの否定作用と考えられたものだ。クリティシズムの合理的本質は、ここから不可避となるのである。

 クリティシズムの文化運搬性をもう少し検討する前に、一寸横道にそれねばならぬ問題に引っ懸かる。翻訳ということが矢張り一種の文化運搬であろう。翻訳とクリティシズムとの事実上の縁故については改めて述べるまでもあるまい。ごく卑近な一例を取るとして、ある外国の古典的価値のある文芸作品を翻訳するとする。と忽ち問題になるのはテキスト(本文=原文)である。吾々に与えられている各種のテキストは恐らく多くの文献学者によってテキスト・クリティク(本文批評)されたものだ。併しこの際、この文献学者はすでにそれだけ批評作家であったのだ。で、すでにこの批評の成果から無関係に翻訳しようと思っても、出来ないように出来ているのだ。R・W・チャップマンの The Textual Criticism of English Classics という短文を見ると、誤植の多いシェークスピアのテキストを好例として取り上げながら、校正論や誤植論のようなものを展開しているが、実際本文の誤植(?)は翻訳者にとってはただの誤植以上の重大さを有つことは察するに難くない。少なくとも原文の誤植は翻訳しようとする時の重大な躓きになる。と共に、又翻訳によって誤植というものは最も丁寧に訂正される機会を与えられるものでもある。
 だが翻訳とクリティシズムとの縁故は、もっと論理的な本質のものだ。それは正に認識論的な関係である。翻訳は言語的作品を外国語によって再生すること、或いは複写することであろう。かつて私は「モナリーザ」の複写を見たが、あれは恐らく、鴎外訳のアンデルセン『即興詩人』の場合よりも、原物に近いに相違ない。芸術ジャンルの相違は別としても、作品の古典的権威から云って、現物の「モナリーザ」と現物の『即興詩人』とは較べものにならぬだろう。が併し鴎外の『即興詩人』は複写の「モナリーザ」よりも、その真正さ(Echtheit)が高い。して見ると翻訳の文化的価値は、普通の複写(その道の大家も習作として複写を試みるのが常だが)の複写的近似性にあるよりも、再生的な独自性乃至創造性にあると見ねばならぬ。翻訳を妨げ不可能にさえすると云われる国語の相違が、そういうギャップや距離が、却って翻訳の文化的独自性や創造性を結果している。この点はまず注意されねばならぬだろう。
 文芸を社会科学的思想に「翻訳」するような批評はいけない、と云われる。と云うのは、所謂科学的批評や、文芸作品から思想乃至世界観だけを抽象する批評などが之だ、と或人達は決めてかかっているのである。同様に生まの思想や世界観を文学の形に「翻訳」したような作品は困る、とも云われている。広義の傾向文学や政治主義的作品や宣伝芸術がそういうものだろう。勿論之は言葉通りの翻訳ではないが、併し譬諭としても正確ではない。思想や世界観が文学の形に本当に翻訳されていれば、それは作品の成功なのであって、寧ろ翻訳されずにそのまま――生まのまま――ノサばり込んで来るからいけないのである。元来が漢代の儒教や支那仏教のものであったカテゴリーをば、近代社会のカテゴリーへまで翻訳する労を取らないで(言葉を翻訳しても駄目でカテゴリー体系が現わす思想を近代的に翻訳しなければならぬが)、そのまま現代へ持ち込むことが、現に如何に現代社会の合理的認識を妨げているかを見るべきだ。之を翻訳した上で持ち込むならば、それは東洋文化の古典として、現代人にとって文献学的に絶大な価値のある文化財となり得る。翻訳の労を取るか取らないかで、宝石も瓦礫と化する。広義の翻訳一般はこうした一種の論理学的機能であるが、普通の意味での翻訳も、思想を国語に基づく特殊性から解放し、宇宙的な世界理性による一般性の場所に於て、之を分封するという論理的操作である。場合によっては漢籍はヨーロッパ訳の方が示唆的であったりするのは、ここに原因する。翻訳によって原物は殆んど全く別の姿に変わるのではあるが、その換骨奪胎に於て必ずもののエッセンスは再生され得ねばならぬ。もしそれが原則的に不可能だと云い、本気で翻訳が文学的に不可能だというなら、世界文学などというものはあり得ないということに帰着する。バイブルはユダヤ人の文学でしかなく、ゲーテの『ファウスト』はドイツ人の文学でしかなくなる。だが新約は却ってギリシア=ローマ人の手によって彼等の言葉で書かれたのではなかったか。又イギリスのマーローやスペインのカルデロンの『ファウスト』はどうなるのか。実を云うと、世界文学は翻訳によって可能になるのではない。逆にそれは翻訳に先行し、翻訳を社会的に成功させる文化的条件をなす。世界文学は社会のインターナショナリズムによって必然にされるとも宣言されている。――すると翻訳の問題は文芸に就いて云えば、根本的には世界文学の問題である。文化一般についてはそれは世界文化の問題である。文化を世界的に運搬媒介するという問題だ。すると之はクリティシズムと大同小異の本質を備えていると云わなくてはならなくなって来る。実際、翻訳の社会的目的は文化の紹介であろう。紹介を少し具体的にやろうとすれば、いやでも批評へ赴かざるを得ない。でつまりクリティシズムなるものは、諸文化内部に於ける一切の細胞間の、広義に於ける翻訳のようなものと考えられていいわけである。
 さて話をクリティシズムの文化運搬性に帰えそう。個々の批評対象に即しないものは批評ではあり得ないが、同時に又個々の批評対象から遊離出来ないものも批評ではあり得ない。クリティシズムの文化運搬的性質から云ってそうなるのであるが、処が之によって生じるものは、クリティシズムという一つの王国の独立した秩序だった。――文化はそれぞれのジャンルに分れている。芸術理論や美学体系はこれを縫い合わせたり綴り合わせたりするだろう。だが一つの文化領域について行なわれるクリティシズムは、必然的に他の諸領域に於ける夫と同じ或るエレメントを用いなければならず、諸文化ジャンルを一貫し得るクリティシズム全体の一環でなくてはならぬ。クリティシズムは美学体系というようなものを想定せざるを得ない。アランの Syst※(グレーブアクセント付きE小文字)me des Beaux-Arts(芸術体系)などはこの際示唆に富んでいる。なるほど各文化領域はそれぞれ他の領域では通用しない特有な手法を持っている。文芸の創作手法は絵画の夫とは一見全く関係がないように見える。だから文芸評論に於ける手法の批評と絵画評論に於けるそれとは殆んど無関係なのが当然であるように思われている。そう思っている向きが少なくない。だが例えば心理主義小説の手法も超現実派絵画の手法も、一部は同じく意識と無意識との間の研究から出発している。二つの手法の間は果して無関係だろうか。もしそれにも拘らず絵筆のタッチと文章の描写力とが全然無関係な過程であるという理由から、夫々の技術的批評も亦お互いに無関係でなければならぬと云うならば、結局絵画は画家によってしか批評出来ず、小説は小説作家によってしか批評出来ないという処まで行くほかない。技術批評が唯一の批評であるというような芸術職人的批評観の是非は論外としても、この考え方によるとつまり、絵描きは本当は文芸は判らず、文学者は本当は絵が判らないということになる他ない。一つの専門の芸術家は他の専門の芸術を理解出来ない、まして素人をや。文化諸領域の間には、事実上、社会生活の上でチャンとした連関があるにも拘らず、それが一旦諸文化の批評となると、技術批評というもののまどわかしのおかげで、夫々バラバラなものになる、という次第である。これは全く変なことだ。
 諸芸術(科学も問題外ではない)の手法=技術も実は夫々の間に何等かの一定の連関がなくてはならぬ。芸術家自身がそういうことを理解していなくても、批評家の方は技術相互の関係を出来るだけ一般的な形へと追求しなければならぬ。所謂技術批評はそういう探究を含まなくては真の技術批評の名に値いするとは思えない。元来技術批評なるものは、フンダンに事々に、芸術に於ける技術とは何か、という根本問題に逢着している筈である。批評家が作品の技術的成功不成功を説得的に且つ割合一義的に評価し得るためには、芸術家自身が無意識に駆使している技術の秘密を、或る意味で分析し得なければならぬ。芸術の技術は言葉の通り一つの手先きの獲得物だが、その獲得物の例えば力学や物理学其の他という手法そのもののメカニズムは、自覚されていない。印象派の絵画手法がすでに光線と色彩との自覚的な研究の結果であるとしても、この事情に変りはない。技術は作者にとってこの意味に於ける一個の飛躍であり、因果的説明を抜きにしているという意味では象徴的なものである。それは所与としては秘義である。工芸技術などの奥義には、自分では知っていても他人には故意に隠蔽する場合もあるが(正宗の名刀の秘密の一つはモリブデンが這入っていることだとかいう)、作者自身が物理的操作を知っている限り、隠しごとの意味では秘密ではあっても、必ずしも今の場合の秘密を指さない。本当を云うと技術の秘密を凡ゆる方法を講じて分析することによって、初めてその技術の質の高低を見分けることも出来る筈で、それが最も高い意味での技術批評というものだ(高速度カメラは或る領域で最近そういう役割を果している)。――で、そうなると技術批評というものも、決して各領域の芸術に独特な孤立した秘伝にどこまでも接着しているものではいけないことになる。個々の芸術世界の秘義としての技術の特殊性を脱出して、之をより一般的な悟性領域の舞台にまで引き出すことこそが、技術批評なのだ。そうなると、従来の所謂技術批評という観念自身が相当根本から変えられねばならぬ。
 だが、批評が所謂技術批評に限るということさえ、勿論一つの云い過ぎであった。技術=手法はそんなに孤立化されて取り出されていいものではなかった。技術や手法という方法は、それを産みそれを育て、またそれによって生長させられる処の所謂世界観と、関数関係にあったことを思い出さねばならぬ。勿論文化各領域の背景をなす夫々の世界観は同じものではない。夫々でなければ見出せない世界観だ。丁度一人々々の人間の世界観が、同時代人の同社会層の、而も同じ思想傾向の人々同志の間でも、一つでないと同じである。だがそれと同じ理由で、世界観は又決して個々のバラバラのものではない。そのバライティーにも拘らず、同じ傾向の世界観は各種文化領域を通じて、やはり共通の根本特色を持っている。美術的世界観や音楽的世界観・文芸的世界観・など、世界観が一つの感情的直覚と結びついている限り、一見まるで別な形象を備えているが、それにも拘らずなお同一傾向の同一世界観であるという点がその根本になくてはならぬ。そうでなければ、なぜそれが世界観と呼ばれるのか、理由がわからぬ。世界は一つで唯一だった筈ではないか。
 云うまでもなく、各種文化領域を一貫し、而も夫々の領域の世界像世界観や更に手法にまでも浸透するようなクリティシズムは、一つの理想にしか過ぎない。だが之がクリティシズムの理念であるということは、すでに一つの現実だろう。諸芸術・諸科学・其の他の諸文化現象の間には或る具体的な共通性がある。と云うのは、これ等のものから或る抽象的な部分を抽出しなくても、共通性が活き活きとしているのであり、それが諸文化にとって有力な刺激となっているのである。諸文化領域の間には、丁度諸国民の文化の間がそうであるように、共軛性――翻訳其の他という――が存在する。クリティシズムはこれに基いて、一つの統一を得る。云わば横の一つの統一が生命あるものとなるのである。諸文化領域を一貫する統一=単位性、これがクリティシズムの世界の独立性であり、クリティシズムという独自の単位ある秩序界をなすものである。――クリティシズムの例の文化運搬的特性は、こういうことを説明する。
 だが、クリティシズムのこの云わば宇宙的統一性は、単位としてのクリティシズムは、ただの文化的寄せあつめでは不可能なことだ。クリティシズムはそのために私かに或いは公然と(それはモードやポーズの区別だが)体系を用意してかかる。体系とはシェマ(図式)ではなくて組織力のことだ。批評は動力の枢軸(シャフト)を必要とするのである。その枢軸がどういう種類のものであり、その体系がどういう傾向のものでなければならないかは別の問題としても、少なくとも之がなければ文化運搬力に於て、文化媒介の機能に於て、技術的に――然りクリティシズムは一つの最も普遍的な文化技術である――クリティシズムは動きが取れないのである。アンシクロペディストなるものは(古典ギリシアに於ける哲学者、ルネサンスに於ける普遍人、十八世紀フランスに於けるアンシクロペディスト、それから現代に於て要求される者――どれも文化的大変動期の産物であるが)他ならぬクリティシズムのこうした機構によって成り立っているのだ
* 所謂天才は、カントがこの言葉を最も特徴的に用いた処によると、悟性的な有能さではなくて感性的な有能さであった。それはアンシクロペディストのクリティシズム的悟性能力からは割合離れた観念だ。批評主義者のカントが天才を一種の芸術的官能に制限したのは、甚だ首尾一貫している。個々の芸術領域の守護神がジェニーである。アンシクロペディストとクリティシズムとにとっては、守護神は一寸見つからないかも知れない。前に触れた創作と批評とのギャップがここにも現われる。
 時に、クリティシズムの骨肉をなすこの組織や枢軸なるものは、感性理論(エステーティク――そこから美学という意味が出た)としての哲学によって現わされている。そう云う他、恐らく考えようはあるまい。クリティシズムの対象が単なる感性的なるものではなく、もっと悟性的な反省物の所産(例えば科学や哲学の如き)であっても、大体に於てこの点変更を必要としない。クリティシズムから見れば、一切の批評対象が、何等かの感受から始まる。印象から始まるのである。批評は凡て印象批評として始まる。科学的理論についても、この際必要なのはそれに対する一種の感覚や直覚である(範疇的直観という言葉をかりて所謂感性的な感性から区別してもいい)。そういう仕方で事が始まらなければ、それはクリティシズムではなくて、その対象についてのただの理論か何かであろう。クリティシズムが科学的であればあるほど、まず第一に勘を必要とする所以だ。クリティシズムが、一方に於て最も概念的でありながら他方に於て最も感性的である処の文芸を選んで、自分の温床としていることにも、だから意味があったのである(クリティシズムの対象は勿論文芸や芸術に限られてはならぬのだが)。
 だが考えて見ると、一切の哲学は実は感性理論に帰するようだ。少なくとも現実的で生々したリアリティーのある哲学は、概念そのものが極めて感性的だと云ってもいいだろう。そういう哲学に限ってその機能自身が極めて批評的であることを思い出さねばならぬ。批評性を失った哲学は学校的又は僧侶的な教義でしかなくなる。でクリティシズムの機構と哲学原則とは、双方から手をさし伸べる。恰も認識論というものは、そういう処になり立つものであった。

 クリティシズムが認識論にぞくするかどうかというような言葉の問題は、今割合にどうでもよい。必要なことは、クリティシズムの機能が何よりも認識論なものだという根本着眼である。以上述べて来た処から、この点あらためて上塗りを必要としないと思うが、念のために一つの証明(?)のようなものを与えておこう。
 認識論の意義は、その最も約束ある豊富な内容から云って、人間の思想史の要約である。尤も之は人間思想史の史的叙述と一つでない。その要約であるということが大切だ。その意味で之は論理であって歴史そのものではないのである。認識論は論理学であった。で認識論に於ては、人間の思想・認識(又文化)・の歴史的従って又社会的契機と論理的契機とが、のっぴきならぬ経緯となって織りなされる。これは人の云っている通りだ。――処で他方クリティシズムについての理論的常識はどうか。公式儀礼として再びクローチェの如きを借りるのが穏当である。「芸術の歴史的批評と美学的批評とは同一物である」、「真の芸術批評は間違いなく美学的批評である、――と共にそれは歴史的批評だ。」芸術批評が芸術史の一季節であると共に、哲学の一機能である、と云うのである。彼は真の批評をば、分類学的批評・道徳的批評・作者心理的批評・形式批評・修辞観的批評・法則批評(公式批評)・などから区別された歴史的批評であるとする(実際この種類分けは彼の歴史記述の様式の種類分けに基いている)。その歴史的批評が実は哲学的乃至美学的批評であるというのだ。そして哲学は彼に於ては論理的なものだし、歴史的批評は正常ならば当然社会的批評をも意味するわけだから、つまり彼によれば、クリティシズムは芸術の歴史的従って又社会的契機と論理的契機との同一、という処に成り立つ。クローチェは批評の機能を最後に、芸術批評から「生活批評」にまで拡大するのだから、「芸術」の、と今云ったことは、「文化・思想・認識」の、と変えてもいいわけだ。――故にクリティシズムと認識論とが、たとい形式的にしても(何となればクローチェは決してさっき云ったような認識論の充実した意味を知ってはいないから)、全く同じ契機の構造物であることが、証明(?)された。
 クリティシズムとは、結局の処、認識論的文化史哲学的文明批評、その他その他と云っていいもので、「科学的批評」という言葉は、今まで見て来たようなクリティシズムの全機能を指していなくてはならないのである。科学的批評とは、正にこの認識論としてのクリティシズムの謂であり、或いは少なくとも、認識論的機能を営む筈のクリティシズムの謂である。科学的批評とは評価の計算器のことではなくて、文化媒介の認識論的組織あるものを云うのである。ここでも、ただ漫然と科学的という言葉を使うことは許されないのだ。
 吾々は最後にクリティシズムと文化の意識との関係を考えて見る実際上の必要がある。――或る時代の或る社会に一定度の文化が存在するということと、そこに同程度の文化の意識が存在するということとは、必ずしも一つではない。あれや之やの文化の存在が直ちに文化そのものの観念を産み出すとは限らない。文化のイデーは、量的に或る程度以上の、そして質的に或る水準以上の、文化がすでに存在することによって、文化的精神がハッキリと指導的な旗印となる処にしか、実を結ばない。なるほど今日の世界のどこへ行っても文化のない土地はない。従って文化という言葉、文化という観念、の通用しない処もまずないだろう。だがその文化という観念が、どれほど生活上切実なものとして意識されているか、どれほど社会的リアリティーを認められているか、どれほど社会的権威を自覚されているか、によって、吾々は文化の意識の有無を区別することが出来る。文化があるにはあっても、文化の意識そのものが曖昧な場合には、文化は殆んど何等の社会的力とならぬから、文化の積極的な作用力から云って、それは無に等しいのだ。文化は権威を有つべきものである。と云うのは、文化は政治や社会活動の手段ではなくて、あくまでそれ自身に於て政治的にも一つの力となり、社会活動の一つの動機ともなり得ねばならぬ、というのである。文化が自由があるということも、文化が民衆の自主性に基かねばならぬということも、これ以外のことではない。だから文化という近代的概念は(教養という観念も比較的そうだが)元来、近代民主主義的のものだったのである。
 日本に於ても、今日の文化という観念は、こうした歴史上の本質を持っている。明治以前は今問題外としよう。そこでは専ら諸文化は教化という精神功利的な目標を有っていた。処が明治初年来文化の意識はまず文明開花として[#「文明開花として」はママ]現われた。これはその観念の系譜から云っても、又当時の日本の現実から云っても、ブルジョア的な観念であったことに異論はあるまい。だがルソー的な又はスペンサー的なこの観念も、日本に於ては人間性の進歩という予備観念をあまり深く用意はしていなかった。だから遂にこの文明開化という文化観念は、文化のイデーとしての指導力を充分に発揮することが出来ずに終らざるを得なかったのである。
 文化という言葉が改めて新しく登場して来たのは、世界大戦を契機としてである(文化という字は文明開化の略であるから従前から無かったものではないが)。桑木厳翼博士や土田杏村氏等の数群の文化哲学者が現われ、文化の意識に立脚して文明批評を試みたのはその時期だ。だがこの際の文化という概念は、云うまでもなくドイツ・イデアリスムスの系統のものであって、文化主義の埒を出ることが出来なかった。云わば小市民的インテリゲンチャの世界観の一支柱の類でしかなかった。而も文化なるものが何であれあまり掛けがえのない社会的実在性を認められて来なかった日本の文化伝統にとっては、之は殆んど取って付けたような流行物であったため、一部のアカデミーに於て多少物の役に立った点を除けば(社会科学や文化科学の認識論や科学クリティシズムとして――例えば左右田喜一郎博士の場合)、大衆的には極めて安価な而もやや滑稽なレッテルにさえ堕して了った。「文化」は文化住宅式なものともなり更に文化猿又式のものとさえなって了わざるを得なかった。つまり「文化」は大衆によって批判し去られた。
 文化の観念が小市民的狭隘さを脱し、それだけではなく十八世紀的な市民性をさえ脱却した処の民主性にまで到着したのは、世界を通じてごく新しい現象だが、日本も決して例外ではない。ここに文化の観念が有つ意義が著しく高められたことは、人の知る通りである。日本の現在に於ける文化の諸観念が特有の形で錯雑しているという特色については、今論じる機会ではない。ただ文化の意識(単なる文化の所有ではなくて文化の意識の所有、つまり文化の観念の高水準な自覚のことだ)、が人々にとって重大な問題をなしており、現代の極めてクリティカルな課題を形づくっているということを注意すれば足りる。前にも述べた通り、文化の単なる向上という言葉はすでに多義性を孕むに至っている。文化は単に向上するばかりでなく、進歩しなければならないと云われている。「進歩的」な向上でなくてはいけないということになる。文化の意識そのものがただの文化から抜け出して、それ自身で新しい文化尺度を産み出した結果、観念のこういう複雑さを生じて来たわけだ。
 処で、ただの諸文化自身から抜け出して或る独特な新しい文化的尺度を規正するこの「文化の意識」は、もはや個々の諸文化の夫々の付属物ではなく、そういうものから発達し結実した夫々の或る代表者的エッセンスが集結し独立化し単位化したものとして、或る独立な秩序界を構成する。文化が高いか低いかは、個々の文化面の向上度で計られる以上に、更にこの文化意識の進み方で計られねばならなくなった。今そう云ったが、つまりこの文化意識は、個々の諸文化面から駐在使的に外交団的に独立化したインター・カルチュラルな独自の秩序界をなすのである。この点をハッキリ心に留める必要がある。――今もしそうだとすれば、クリティシズムというものも亦、正にそうした特色のものであったことを吾々は思い出すだろう。諸文化から文化意識が指導的イデーとして抽出され、それが主体化され主題化されることは、諸文化に沿い諸文化に即しながらクリティシズムの組織が横断的に結成されるということに、正確に該当するわけである。で、文化意識とは、その内容から云えばクリティシズムであるということになる。或いはクリティシズムとは文化意識の活動のことだと云ってもいい。実際の処、文化と云うものの意識、近代的民主主義の自覚と文化的自由との発生地であるこの文化意識は、正しく批評精神批判的精神を以てその著しい特色としているのである。文化意識というような極めて一般的なものの水準になれば、その高低は、クリティシズムの機能の強弱優劣というようなもの以外によっては、恐らく計ることが出来まい。
 文化の理論は認識論に帰する。少なくとも認識論はそういう規模のものであることを必要とする。だが文化の理論の最も活動的な内容は、当然現実の諸文化の批評である。文化批評・文明批判・の類である。之が認識論の季節的な重大使命だ。そしてそれこそがクリティシズムの活動なのである。

底本:「戸坂潤全集 第三巻」勁草書房
   1966(昭和41)年10月10日第1刷発行
   1972(昭和47)年12月20日第6刷発行
初出:「学芸」
   1938(昭和13)年10月
入力:矢野正人
校正:岩澤秀紀
2011年10月10日作成
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