美術学校創立当時の話であるから、まだ話としては新しい部に属する。その頃日本画の生徒に中国の人で某というのがいた。この某という人の実際出遇ったことを、私は直接聞いたのであるから、再聞の話としても比較的信用が措ける方だ。
つまりその頃その某という日本画の生徒は、場所は麹町番町の或る家に下宿していた。自分一人では無くて友達と二人で、同じ部屋に起臥を共にしていたというような有様であったのだ。この話の目的はこの下宿のこの部屋の中にある。
この部屋の位置を言うと、この下宿に取っては表二階で、畳数は八畳だか六畳だか、其処のところはよく解らないが、何でもこの友達同志二人の学生は、この部屋に寝起きしていたのだ。その寝るには表の往来を枕にして、二つ並べて展べた褥の枕辺の方にはランプを置いて、愈々睡る時はそのランプの火を吹き消して昏くする。
ふと、夜中に目を覚すと、自分ともう一人の友達の寝ている間の、天井の上の方から、ボー……と白いような光りが、しかも恰度人間の身の丈けくらいな長さに射すのが目に見ゆる。何処か近処の光りが入ってくる意味にも考えた。その他にも色々考えた。しかし何うも合点が行かない。ところがその人間の身の丈けくらいな天井から射す白光が、連夜続けて目に見ゆるのが叶わぬというので、或る朝起きると何だろうと、もう一人の友達に不思議を立てるようになった。もう一人の友達もこれには至極同感で、実はその白い物が自分の目にも見えて、どうも気分が勝れないと言った。そこで早速下宿の主人を呼んで、この旨を聞き訊すところまで話が進む。
すると主人の話口はこうなのである。イヤ実は私の家に、九州の人で、三年あまり下宿していた大学生があった。この大学生は東京に在学中、その郷里の家が破産をして、その為め学資の仕送りも出来ないようなわけになって、大変困る貧窮なことになった。それにこの大学生は肺結核を煩っていて、日に増し悲観な厭世に陥るようになった。あれやこれやで何処か他へ宿替をするようなことになった。その時主人は、幸い物置が空いている。あすこへ畳を敷いて勉強の出来るようにしてやるから、その代わり大して構い立ては出来ないが、自分の家にいる意で、ゆっくり気長に養生でもしたらいいでしょうと、まア好意ずくで薦めた。そしてその物置へは多少の手入を加えて、つまり肺結核の大学生を置いてやることにしたという。或る日この大学生は縊死を遂げた。
その手入を加えた物置というのは、今の学生二人のいる表二階の一室で、人間の身の丈けぐらいに白い光りの見ゆるのが、その大学生が縊死を遂げた位置と寸分違わない。やっと葬送を済したのがつい二ヶ月程前であるが、折角手入を加えてただ空けておくのも何だから、お借し申したような次第であるが、さては左様でございますかという。これが『白い光り』と題した話の大略である。
もう一つの『上野の鐘』は、岩村さんのお話しの『学士会院の鐘』と好一対とも云うべきで、少し故あって明白地に名前を挙げるのは憚りあるけれど、私の極く懇意な人のそのまた姉さんのそのまた婿さんの実話である。その場所は和泉橋を入ったところの仲徒士町とだけ言っておこう。今も住んでいるのが、つまり明々白地に言うのを憚る所以でもあるのだが、その年代の調査は前同様矢張り新しい部に属する。この話の中で注目を要するのは、その私の懇意にしている人の姉さんの婿さんたるべき人で、色々な事があるけれど、正真正味の骨だけ抜いて言うと、つまり銀行員で、この人のところへ嫁がくる。この嫁の問題で少し家内がごたごたする。男一人と女二人というような配合で、一人の女に気はあるが、他の一人の女には左程気が無く、それがごたごたの原因である。つまりこの銀行員たるべき人には、自分が大変想いを寄せている女が一人あって、それを嫁に貰いたい念は山々であるのだが、その山々な念に背かなければならない。苦しい破目もあるというのは、一人の六十あまりになるおばアさんの人があって、このおばアさんの考えでは自分の身内の或る人を嫁に入れようとする。が銀行員の婿さんはその女は厭やなのだ。そして自分の好きな女と一緒になりたいのだ。この厭やな女と好きな女と、何れに決するかという問題になった時、厭やな女を遠去けて、好きな女を貰ってしまった。それが当年六十路あまりのおばアさんとは、反目嫉視氷炭相容れない。何ということ無しにうつらうつらと面白く無い日を送って、そして名の知れない重い枕に就いた。おばアさんの言うには、これは皆嫁女のなさしむるところだと怨んで死んだ。
このおばアさんが死んでから後、どういうものかこの嫁も何と無く気がうつらうつらと重い枕に就く。そして臨終の期が近づいた。その瞬間である。上野の鐘がボーン……と鳴った。その鳴ると同時、おばアさんからは怨み抜かれて、そして今息を引き懸けている嫁の寝ている天井の一方に当って、鼠ともつかず鼬ともつかぬ物の化の足音が響いた。そしてその足音は鐘の鳴った方面から始まったとまで、この話の観察は行届いている。そして鐘の音が一つボーン……と鳴ると、その怪しの足音は一方へ動く。また一つ鳴るとまた動く。そして嫁の寝ている胸の真上と覚しき処まで、その足音が来たかと思う時、その死に瀕した病人が跳ッ返えるように苦悶し始めた。臨終の席に列った縁者の人々は、見るに見兼ねて力一杯に押えようとするけれど、なかなか手に終えなかった。そして鐘の音の沈むと共に病人の脈も絶えた。意味を考えることは別問題として有の儘だけをお伝えする。これが鐘の響と女の死というような『上野の鐘』の大略で、十二時を報じた時の鐘であったという。
私もその家は音ずれてみたことがあるが、嫁の代が変ってからは何等のことも無いような風である。真箇妙なことがある。私の母の目を落す時は、私は家内と二人で母を看ていたが、母の寝ている部屋の屋根の棟で、タッタ一声烏がカアと鳴いた。それが夜中の三時であった。時間の関係からいえば、上野の鐘が十二時で、この鳥の一声が三時だから、所謂丑満刻というのでは無いが、どうもしかし穏やかで無い。
底本:「文豪怪談傑作選・特別篇 百物語怪談会」ちくま文庫、筑摩書房
2007(平成19)年7月10日第1刷発行
底本の親本:「新小説 明治四十四年十二月号」春陽堂
1911(明治44)年12月
初出:「新小説 明治四十四年十二月号」春陽堂
1911(明治44)年12月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2008年9月26日作成
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