エー、今晩は、臨時のお好みに従いまして、御注文のとおり妖怪談を演説することになりました。なにぶん世間では、妖怪学は私の専有物であるかのごとく評判いたしまして、いずれへ参りましても、話を頼むということになると、どうか妖怪のはなしをしてもらいたいと申します。先年のことであります。私がある所へ参りました。その要件というのは、すなわち哲学館大学の資金募集のために出張いたしましたのにもかかわらず、「寄付話はやめて、どうか妖怪談をして願いたい」というのでございます。そこで私は、「今回、余が参りましたのは、演説をやるために来たのではありませぬ。寄付を願うために参りましたのだから」とお断りをいたしました。ところが彼らが言うには、「ここで妖怪談をして下さるならば、全員こぞって寄付に御賛成申すが、もし話して下さらぬならば、われわれも不本意ながら、御寄付にも賛成はできませぬ」と申したことがございますが、妖怪談というものは、さほどまでにおもしろいものではありませぬから、この辺のことはあらかじめ御承知を願っておきます。
 さて、妖怪と申しますると、なにか幽霊かのように思われますが、決して一つや二つのものではありませぬ。その種類といったら百も二百もあります。まず、私が調べたところのもののみでも四百とおりもありますから、とても一つ一つこれをお話ししておるわけには参りませぬ。まあ、そのうちのおもしろいのを一つ二つお話しいたしましょう。それにしても、皆様の御希望もありましょうから、それを伺ってと思って、諸君の希望を問うたのであります。ところが十人十種といろ、ある人は天狗てんぐはなしを、ある人はきつねの話を、またある人はお化けのお話を、ある人は霊魂のと申されまして、なにを話してよいやら一向分かりませぬから、皆様の御注文はいれられませぬ。全体、天狗のことは当地が本家本元でありますから、ただ今お話をいたしませんでも、定めし諸君らの方がくわしく御承知のことでありましょう。これはお預りといたしておきまして、なにか狐についての実験談か、あるいはまた、幽霊の話でもいたしてみようかと思います。
 さてまた、この霊魂いな幽霊を話そうやには、どうしても無限絶対ということを話さんければなりませぬ。この無限絶対を話そうというのは、はなはだ困難のこと(話せぬわけではないが、心のもとからして話さねばなりませぬから、一朝一夕のことにはまいりませぬ)であります。なお、幽霊を話すには足りませぬ。どうしても霊魂不滅ということを語らねばなりませぬ。ところが、この霊魂不滅ということは哲学において研究する事柄であって、最も難解のものであります。およそ困難といっても、これほど至難なものはありませぬ。もし、この霊魂が分かりましたならば、現在この世界にあるところの学間はみな解決したと申しても、過当の言とは申されませぬ。学問という学問は多くあるけれども、研究に研究し尽くしたる暁、必ずこの心ということになります。
 この心すなわち霊魂に至りますと、古来いくたの学者もまた学説も、みなここに至ると体屈し、ひざ折れ、拝跪問※はいきもんしん[#「てへん+潯のつくり」、U+648F、410-7]ただ天帝を祈り、神仏に祈誓するのほかなく、一人としてこの大問題を解決するの勇士はなかったのである。それほどの大問題でありますれば、容易に話されませぬ。しかるに、いずれへ参りましても、じきに申します、「霊魂の説明を願います」このような願いは無理でありますから、常に今のべたようにお断りをいたします。しかるに、多くの人々は私に向かって申します、「そんなむずかしいことはおたずねせんでもよいが、なんとか一口に分かることがありましょうがな。私どもが死んだ後があるとかないとかのお答えを聞けばよろしいのでございます」と言うが、この有無あるなしの一言がなかなか言えぬ。ただ一言、死ぬと霊はなくなるものか、あるものかと言うのみであるが、これが哲学の上で言えば、あるでもないが、ないでもないと言うよりほかはない。しかし、これではだれも承知はできませぬ。しかし、くわしく学ばんとするならば、少なくとも三年くらいは研究せねばなりませぬ。もし、諸君がしいて話せと言うならば私は申しますが、その前に私に願いがある、その願いをかなえてもらいたい。それができたら私も話しましょう。その願いというのはほかでもない。諸君は多く農の方々にてあるから、こういう願いを申します、今晩のうちにお米をまいて、明日そのみのったお米でご飯をたいてください、これができるならば私も話します。ともかくも、三年も学ばねば分からぬものを、一時間や二時間に聞こうとするのは、あたかも一年かかってできるお米を、一昼夜に作れとの無理な注文と同じことである。かようなわけでありますから、霊魂いや幽霊の話はよして、きつねについてなにかおもしろい実験談をいたしましょう。
 それについて、なおさきに申し上げておきたいことがある。こういうことは日本のみではありませぬ。西洋でも非常に盛んに言われておるということです。西洋ではこういうことを研究する会がありまして、多くの人が月に一回とか二回とか会合を開きまして、妖怪に対する研究をいたします。エー、先年、私が西洋の方へ漫遊に参りましたときにも、英国においてこれらの会が聞かれておりまして、これらの人々が申しまするには、「近日のうちに日本から妖怪博士が渡英せらるるが、この会へ招待して一場の話を願いたいものである」と言うので、私がまだ英国へ着かぬさきに、わが駐英公使のところへ願い込みました。私が英京ロンドンへ着くと、公使からそのことを照会せられました。私もおもしろいことであるから、一度行ってみたいものであると思っておりました。ところが、ちょっと不幸にも前より取り調ぶる用件がありまして、ある田舎へ行かねばなりませぬ。かれこれしておりましたときに、病気にかかり、また日子にっし定限きまりがありまして、事情再びロンドンに来ることができませなんだ。英国を去って米国へ参りましたから、ついにこの会へ出席することはできませなんだ。その後、米国へ渡りましたが、やはり米国においても、こういう幽霊研究会とか妖怪攻究会とかいって、多くの仲間がございます。一日、余がボストンへ参りましたときに、わが領事が申しますには、「この市に非常な日本贔屓びいきの男があります。この男がかねてより深く妖怪を信じ、かつまた日本人を迎うることを喜んでおりますから、一度この人を訪問してはいかん」と申しましたから、私も行ってみたいものだと思いましたから、領事に照会を頼みまして参りました。
 その人の名はウエドという人であります。家へいってみると驚くばかりであります。まず、門の作り方、家の造作、器具に至るまで、日本品をもって備え付けられ、庭園の植え込み、竹木等、みな日本種ならざるはなく、いちいち日本より舶来せるものなり、と特に五重の石の塔のごときまで配致せられ、最も私の目を驚かしたのは、庭園に注ぐべき水を運ぶために、水ニナイおけの備えられてありましたのです。その風致、あたかも小日本の観がありました。そこで、取り次ぎに主人の在不在を問いました。幸い在宅でありまして、主人は早速出迎えました。彼について客間へ通りました。もちろん金満家でございますから、家内万事整頓しておりまして、その室内の器やら間造り等、一切が日本風というので、いかに日本ずきの主人であるかが分かります。
 ときに主人が申しまするには、「先生は妖怪について非常に御研究遊ばされたと申しますが、私ももと、このことにつきましては永年研究いたしておりました。しかるに、このごろその妖怪なるものを発見いたしました」というので、余は「それはいかなることですか」主人が申すには、「さらば、ただ今その証拠をお見せ申します」と言いながら、一枚の油絵を持参いたしてきました。いかに見ましても、ただ一片の絵画に過ぎないのです。その中に幽霊の図があらわされてあるので、これが妖怪とは信じられませぬ。しかるに、彼はこの絵画をもって「これがその証拠です」と言いながら、この上に風呂敷ようのものを覆い掛けまして、これを指ではじくと画があらわれ出ずるという方法です。しかして、「何日に出よと言えばその日に出る」と言って信じております。また、一つは文字の書かれたるものにて、同じく空の室におきまして、同じく風呂敷を掛け、つめにてはじけば文字が出る。ところが、そのうち一字どうしても読めぬ字があるので、彼は「これはなんという字か」と私に問いました。私は「これは図という字でありまして、シナの文字でございます」と申しましたら、彼は大いに驚きまして、「妖怪はシナの文字まで知っておるものか……」と言いました。このほかになお、石板に文字の書かれてあるものがありまして、聞けばいかにも不思議そうでありますから、余もこれを実見してみたいと思いましたが、なにぶんにもウエド氏は今、他出前のことでありましたから、やむなく退出しました。この実験を見るには、少なくとも四、五日は当地に滞留いたしておらねば彼は帰らぬので、見ることができませぬ。しかるに、帰朝の日取りもきめあれば長々はとどまられませぬから、遺憾ながら、このことは知ることを得ませなんだが。このウエド氏は、この妖怪なるものを熱心に研究し、非常に信じておりますけれども、余にはどうしてもこのことは信ぜられませぬ。西洋人の仲間にも、この連中がたくさんございます。
 その後、ニューヨークに参りました。ところが、当所の領事の妻君が私に問いました。「わたしが、ある日狐狗狸コックリ様をやる方々の所へ参りました。そうして私は彼らに申しますのには、『貴君あなた方はわたしの父の名を聞かせてください』と申しました。すると彼らは、わたしの父の名を申しました」と言って、領事の妻君は大いに驚き、真に狐狗狸様があって、このようなことができるものであると信じておるような風で問うたのであります。この驚きはもっともであります。だれでもはじめは驚きます。しかし、そんなにおそるべきものではありますまいと思います。まず、その狐狗狸様を行うには、いろいろなやり方があります。普通、三本足のテーブルを用います。しかして、その構造は極めて動きやすく、いかなる微動もこれを感受し得るように、まず四つ脚をさって、特に三脚を用いるのであります。そうして、テーブルの上の板がやはり動きやすく、かつ回転自在に作られ、下の板も動くように作られ、かつ、台の板がまた回転するように作られてあるので、いかにも動揺しやすき構造であります。そうして、その台になる板にはABCD……の文字が書かれてありまして、この板がまわるのでございます。このとき、執術者も被術者もともに、この危うきテーブルに軽く手を触るるのである。このときに、執術者は常に被術者の顔面と文字とを熟視し、かつ、手の感覚に注意するのであります。かかる間に、対者あいての心中を判断するものです。ちょっと西洋に読心術というのがあります。この方法とほぼ同様なものです。
 この読心術には、ABC……の文字を数えつつ対手あいての心中を読む方法がございます。人は感情の動物で、物に触れ事に応じて感動しやすきものでございますから、孔夫子は「思い内にあれば色外にあらわる」と言えるごとく、被術者のすべての思いは今胸にみちみちておって、その注視する文字によりて、思いは外にあらわれ、執術者の目に手に心に通ずるのです。この心通の作用によりまして、対手の心を読了さとることができるのでございます。ゆえに、もちろんこの方法によるときは、過去経験しきたれる事実を知ることはできますけれども、未来にきたる未知の事実を知ることはできませぬ。もし、未来のことを知るならば、それはただ当座に浮かべる空想に過ぎないのです。狐狗狸様もこのとおりでございまして、過去を知るといえども、未来を問うの必要はないのです。ゆえに、まずあらかじめ、この領事の妻はその父の名を知りしならん。人としてその父の名を知らざる者は、愚狂にあらざればなきはずでありますから、必ず知っておったのでございましょう。彼女はすでに父の名を知れるがゆえに、感情として、その父の名の文字がきたれば、動かざるを得ざるものである。
 このとき、早くも執術者はこの状態を感受するのです。その様子は、まず術者は常に対手の面を注視し、かつテーブルの微動に注意するのである。かかるときに板は回りて、ある文字、夫人の前に至らば、ただちにこれはわが父の頭字なりと感ず。また、そのつぎの字なりと思惟しいするがゆえに、微動と顔色とは時々刻々、術者の脳裏に印せらるるものであります。例えば、木村なれば Kimura にて、はじめKがくれば、これわが父の姓の頭字なりと思います。同時に感動を起こします。術者は早くもこの感動を感受いたしまして、そのつぎのiもまた同じく感じ、mもuもrもaもともに感受いたしますので、その木村なることを表白するものでございます。かようのわけでございますから、決して恐ろしいことでも不思議なことでもなんでもないが、ちょっと聞くと、なんとなく不思議なようにきこえますものです。しかるに、やはりこの狐狗狸様をやる連中は、真に狐狗狸様があって、かくつげるものだと信じております。かように申しますと、狐狗狸様はだれにもできるようですが、実際はだれにもできませぬ。もちろんできるべきわけであるが、なにぶんにも心通の機微なるがゆえに、感知するの能力を養わざれば、全く不可能でございます。この能力を養うには、吾人が諸種の芸能を学ぶがごとくに、非常に大いなる練習を積まねばならぬ。あたかも撃剣のごとく、練習によりてその気合を認めるので、初めて効力ききめを生ずるものですから、素人にはできませぬのである。しかるに、撃剣家がその気合の神命なるをもって人業とはせませぬごとく、彼らの仲間では霊妙なるものがあって、つげるものであると信ずるのです。
 さて、ここにきつねについて一つお話しいたしますが、これが説明ははなはだ困難なものです。今私は、余が実験いたしました狐つきについてお話しいたします。この話は、東京の神田神保町の洋服屋の主人に、狐つきがございましたのです。この実見談ですが、ただ今この話をいたしまするのは、なんだかつじつまの合わぬ話のようですが、あたかも狐狗狸様の連中が、狐狗狸の霊を信ずるがごときものでございますから、この話をここに持ち出しましたのです。
 あるときのことでございますが、この主人が座敷におりますると、多くの狐がより集まってきまして、あちらこちらとかけ回り、くるい回るので、それを見ておりますと、なんとも言えぬほどおもしろく愉快でございました。この狐どもはおもしろそうに走り回りおると、だんだん自己の身体へとのぼってきて、ついには頭の頂上へのぼりました。そうすると、狐はこの頭の真ん中へ穴をあけました。その穴から狐どもが入り込みまして、おいおいと腹の方へと下がってゆきました。はじめのうちはおもしろがっておりました。ところが、狐どもは腹へ入ってからというものは、たえ間なく腹中をかけ回るので、ついには腹部の激痛を感ずるようになりましたので、苦しむようになりました。ところが、狐は入りかわり出かわり頭から出入するのでたえがたく、ついに非常なる苦痛と不愉快とを感ずるようになりましたから、どうかしてこれを防ぎたいものだといろいろ工夫をしたけれども、致し方がないので、呪咀まじない祈祷きとうやなんぞをしてもらいましたが、一向ききめがないので、日々苦痛は勝るのみでありました。
 すると、あるときのことでありましたが、常のごとく多くの狐がそばをあちらこちらとかけ回り、今や頭より入らんとするとき、ふと横を見るとかまがございました。ただちにこれを取るより早く、ずんぶんりと頭へかむり、黒金の山高帽子をかむったようにいたしました。狐はいろいろ工夫をしてみましたが、ついにこの釜の底を貫いて入ることはできませなんだ。それゆえに、この洋服屋の主人は大いに喜びまして、狐がくるたびに釜をかむったのでありますが、狐はたえずくる、釜は常にかむってはおられませず、どうしたらよかろうと思案いたしました。お釜はかねでつくられたものである。してみると、金なれば狐はこれを破ることはできぬものと考えましたから、金の帽子をかむれば狐は入ることができぬに相違ないというので、ただちに金の帽子を鍛冶屋かじやへ注文いたしました。その後は、寝てもさめても、常にこの金の帽子をいただいておりました。それゆえ、狐は頭からはついに入り込むことができませぬようになりましたので、彼は大いに安心いたしておりました。
 すると、狐はまた考えるのです。金の帽子をかむりおるから頭からは入られぬ、なんとか工夫をしてどこからか、入り込んでやろうではないかというので、多くの狐どもは、ここに会議を開いたのでございます。ある狐はどこそこから、あるものはいずれより、またあるものはここよりと議々した。結局、おしりから入るということになりました。これには、洋服屋の主人も大いに弱っておりました。頭は金の帽子で防げたから、金ならば狐は防げるといったところで、まさか金のさるまたや金のふんどしは掛けられもせませぬから、どうしたらよかろうかと大いに苦心考慮の結果、考えましたのはゴムのふんどし。これはどうであろうというので、これを作りてはめてみました。ところが、狐はまた、このゴムのふんどしを破って入ることはできませなんだ。まずよろしいというので、再び安心いたしました。
 ところが、狐はまた会議を開きました。もっとも、今度はおへそから入るということになりました。今度はお臍から入るのですから、これを防ぐにはなんでも金ではいかぬ、お尻がゴムで止まったのだから、今度もゴムならよからんというので、自分が洋服屋ですから、ゴムの洋服をつくってこれで防ぎました。さあこうなると、狐の方では入ることができませぬ。頭は金の帽子、お尻はゴムのふんどし、お臍はゴムの着物、もう頭の天上より足の爪先つまさきまですきまがないので、大いに困っておりました。ところが会議の決議は、寝首をしめるという恐ろしいことになりました。さあそうすると、毎夜毎夜寝ると蒲団ふとんの上から押ししめるので、その苦しさは例えようがありませぬと言うので、いろいろ考えてみるも防ごうという方法がないので、やむなく御祈祷きとうや信心をいたしたり、お呪咀まじないをいたしてもらいましたが、さらにききめがありませぬ。毎夜ねむられぬので、日夜苦痛に攻められ、防がんに策尽きて、今はただ死の運命を待つよりほかはなかったのです。
 いずれこんなときには、だれでもいろいろなことが耳へ入るものであります。どこから聞いたものか、私が狐を落とすと言う者があったので、かの人はこの苦痛を除くためには、多くの手段を尽くしても全く無効であった。しかし、背に腹はかえられぬので、私の宅へ参ることになりました。
 取り次ぎの者が私の所へ参りまして申しますには、「かくのごとき風態の狂人が参りまして、しかじかの儀にて、先生に御面会いたしたいと申しております」と言うので、いかにもおもしろ風であるし、またなにかの研究材料にもなるかも知れんと思いましたから、まず通してやれと命じました。
 すると、洋服屋はゴムの洋服を着て、金の帽子をかむったまま、余の室へ入りました。まず帽子を取って会釈し、礼儀が終わるが早いか金の帽子をかむり、「かようかようのわけで、一時もこの帽子を取っておくことはできませぬから、御免をこうむります」と申してことわりました。「その用件は」と言うと、彼は言う、「私のお願いというのはほかでもないが、どうも狐に苦しめられるので、はなはだ困却いたしました。聞けば、先生には狐をお落としなさるということでございますので、どうか狐を落として願いたいのでございます」と言うので、言葉ははっきりしておるし、わけも分かって、どうにも正気の人のようでありますが、その風態はいかにも狂人のごとくで、偽狂人のごとくであるが、全くこれは狂気であります。すでに十数年間、仕事もできず遊び暮らすので、すでに家計に苦しむようになりました。「しかし、十年来のことでもあれば、ただちに快復するということは難いが、幸い私の所に狐を落とす道具がある。その品というのは、奥州において何千年の昔のものか知らないという大きな朽ち木がありまして、古老が伝えて言うに、『この木片を持っておれば、狐につままることはない』と言うのであります。先年、私はこれをもらってきました。この木をあげるから、終始この木を持っておって、狐が来たらばこれで輪をえがけ。そうさえすれば狐は来ぬから」と言ってやりました。彼ははなはだ喜んで帰りましたが、その後なんの音信おとさたもありませぬから、どうなりましたか、ちょっとも分かりませぬが、なにしろこの人の病気は、この狐が最初目に見えたときがはじめで、だんだんおもって、ついに真の狂人となったのであります。
 いずれ、病後の疲れかなにかでございましたでしょう。だれでも身体がひどく疲れると精神もよわりますから、夢なぞを見るようになります。これがもっとひどくなりますと、普通さめておるときに、夢を見るものでございます。もちろん夢を見ておるときには、夢とは思いませぬものです。かように、さめておるときに夢みる人も、精神が狂っておるとは毛頭感ぜませぬので、ほんとうに事実が見えるものであると信じております。それゆえに、奇怪なることを言いましたり、しましたりするものです。元来、夢と申しまするものは、全くなきものを見るということはありませぬ。ある記憶せる過去の事実や経験せること、またはかつて意識したる事柄、あるいは希望せる事実等の一部一部を取捨して、一種の妄想をあらわすものでございます。ゆえに、夢そのものは過去の経験の事実ではありませんが、夢は一度己の記憶せる事柄であるということは、明らかなことであります。しかして、われわれは寝たるときのみ夢みるものであるかいなか、われわれが寝たるとき夢みるならば、さめたるときもまた夢みるべきである。しかるに、われわれさめたるとき夢みざるは、なにゆえなるか。例えば、夜間、らんたる星の光の無数なるを見るけれども、ひとたび太陽が昇ってからは、一つだに見られぬと同じことです。必ず昼間でも星はあるべきです。ある器械の力をかりてみますれば、認め得らるるものです。しかるに、昼間においてはわれわれの肉眼では見えませぬ。なにゆえでございましょう。すなわち、太陽の光あまり大なるがゆえに、比較的微力なる星は、覆いかくされたものであります。それゆえに、ひとたび日食にでもなりますと、きらきらと星は光り輝くのであります。
 さように、われわれの夢は心の中に常に潜在して、ほかの活動やまば、ただちにでんとしております。さめたるときは強きほかの刺激を受けますから、夢はかくれて出ませぬ。ひとたびこの刺激を休みますれば、ただちに夢は現れ出でます。すなわち、このかすかなる妄覚は、真実の強き刺激には耐え得られずして、消滅し去るものであります。なんによらず、静かなるときはかすかなる力も大なるがごとく、遠き所のものも近きがごとく感ずるものは、他の騒然たる障害のために覆われておったものが、その覆いから出でたのであるから、意外の感がするのであります。われわれは、この意外の感覚に、ある過去の記憶の一部分を混じて、迷わさるることがあります。
 エー、何年ほど前のことでありましたか、このような事実があります。どこでありましたか、よくは分かりませぬが、東京近傍の汽車道に狐が出まして、汽笛のまねをいたしました。車掌は前の方から汽車が来たものだと思いましたから、衝突させてはならぬというので、ただちに停車しました。ところが、どれほどたっても汽車は来ないのでありますから発車しました。ところがなにごともなかったので、これは狐が汽車の笛をまねしたものだと申しておりました。しかしながら、これは狐でもなんでもありませぬ。御承知のとおり、東京近辺には多くの線路がありまして、間断なく汽車は動いておりますので、汽笛の音も諸所でいたしますけれども、昼間のうちは騒がしいために聞こえませぬ。もし聞こえても、はなはだ遠く聞こえるものであります。しかるに、夜間になりますと静かになりますし、特に雨気でもありますと、はっきりと聞こえますもので、遠方の声も近く聞こえるものでございます。そういうわけで、ある線路の笛を聞いたもので、あまり近く聞こえたので、己の前方へ汽車が進行してきたものと聞き違えたもので、狐の業でもなんでもありませぬ。かくのごとく、寂寞せきばくたる深夜におきましては、遠方のことの近く聞こえるものであります。これらはただその一例であります。あたかも、星の光が夜見えて昼見えないようなもので、音が競争いたしまして、その力の強いのが聞こえて弱いのが消滅するのは、自然の勢いであります。
 すなわち、われわれがさめておる間は、目や耳やいろいろの感官に強い刺激を受けますから、心のうちに浮かんだる弱き夢は打ちまかされてついに消滅して、夜間、外来の刺激の比較的静かなるときに夢みるものであります。かようなわけでありますから、もし心のうちの力と外界刺激の力と同一であったならば、夢見るということはないでありましょうが、内部の力が強いと、さめておるうちにおきましても、夢を見るものでございます。事柄によりますると、この現象があります。かの熱病にかかった人のごときは、熱のために内部に非常なる刺激を与えますから、心中にある事柄が目前に現れいでて、あるいは鬼、あるいはお化けの顔なぞを見て驚き、または意外のことを口走るものであります。また、非常な心配事でもありますと、ひどく心の勢力をそのことに注ぐために、内部の勢力が強くなります。このような場合に、往々夢見ることがあります。例えば、道端に首くくりでもあって、これを見て、あー気持ちが悪かったとか恐ろしかったとか、常に思っておりまして、気の小さい人なぞは、そこを通るとその人が出たなぞということが往々あります。世間には、愛子が墓前にあらわれでたとか、親が出たとか、怨者おんじゃが出たとかいうことはたくさんあります。
 また、一事に熱注しますると、ほかの感覚力を減ずるということがございます。例えば、目に力を注げば耳の感覚は薄らぎ、耳に音声を聞き、いよいよ傾注すれば目に物を見ざるがごとく、その感覚力には分量のあるものでありまして、ものごとを忘れたときなぞに、手をくんで目を眠り、首をかたげて考えますと、考え出すことがあります。これは、手や目に費やすだけの力を心の内部に加えるものですから、考察力が一層完全なるものであります。ゆえに、内部の刺激強ければ感覚は薄弱となるもので、例えば、碁打ちなぞが碁に全力を注いで、人の話なぞは耳にも入らず、タバコの火を消さずに着物を焼いて、皮膚に火傷やけどをいたしましてはじめて感ずるというようなことは、たくさんあります。これと同じく、感覚が弱ければ心内に伝達する力も弱きがゆえに、感官のにぶきときは、内部における妄想を感ずるものです。これは心理作用の一片でありまして、また、この事柄を解釈することはできませんけれど、かくのごとき類もたくさんあります。ただ今話しました狐つきのごときも、こんなわけで心理作用によりて説明することができます。しかし、一般の狐つきがみな、かように説明することができるということは難しい。ある場合にはこんなもので、こんなものも世間には数多いことでございます。
 以上のごとく説明いたしてみると、この世界にはなにものも妖怪たるものなし。しかしながら、すでにかく言いおるものが、妖怪をつくりだすものであろうと思います。こんなはたらきが霊の妙用でありまして、この霊の作用がいかなるものをもつくりだすもので、迷いもし、悟りもし、喜びもし、悲しみもするのが心の妙で、よく万象を見、よく万象を記憶する、これすなわち心の奇々妙々なるところにして、世間では私のことを、妖怪を非認すると申すそうですが、私は決して妖怪を非認いたしませぬのみならず、大いに妖怪ありと申しますが、しかし世間にいわゆる妖怪と申すのは、まことの妖怪でなくして、その妖怪の端であります。その真の妖とはなんぞや。曰く、「心これなり」と申します。このほかに妖怪を認めませぬ。また、これ以上にさかのぼってたずねることはできませぬ。しかして、なにゆえさぐることができぬか。心はいかなるものかと探るものも、また心の作用なり。また、心はなになになりと言うも、心はありと言うもないとするも、また不思議とするも、みな心の作用なれば、ただ心が心のことを言うのでありますから、分かったと言うのも心なれば、分からぬと言うも心でありますれば、あたかも自分のまなこでは自分の眼が見えぬがごとく、また自分の力で自分を上げることはできませぬがごとく、心で心を知ることはできませぬ。そこで、仏教ではこれを妙心と申します。これほど大きなる妖怪はありませぬ。これが妖怪の親玉でありまして、人々自分自分御持参のことでありますれば、別にほかに向かって妖怪の求むべきはありませぬ。ただ、これをお話しすればたくさんでありますが、やはりこれを知らんには、多くの例を話さんければ分かりませぬから、先刻からいろいろの話をいたしました次第でございます。時間もだいぶうつりましたから、今晩はまずここで御免をこうむります。
(完)
 先生独特の玄談妙話。その写実をやや全からしめざるは、深く余の遺憾とするところ。読者諸君請う、誤認の責、羅して余が筆にあり、これをゆるせよ、これをゆるせよ。

出典 『教の友』第二二号、明治三八(一九〇五)年一〇月一日、一―一三頁、加藤禅童記。

底本:「井上円了 妖怪学全集 第6巻」柏書房
   2001(平成13)年6月5日 第1刷発行
底本の親本:「教の友 第二二号」
   1905(明治38)年10月1日
入力:門田裕志
校正:Juki
2012年6月3日作成
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