Tが私のために筮竹や※(「竹かんむり/弄」、第3水準1-89-64)木を買つて来て、自分で易を立てる稽古をするやうすすめてくれたのは、もうずゐぶん古い話であつた。お茶やお花のやうに易のお稽古をするといふのも変な言ひかたであるけれど、初めのうち私はほんとうに熱心にその稽古を続けてゐた。易の理論は何も知らず、内くわがどうとか外くわがかうだとか予備知識をすこしも持たず、ただ教へられたまま熱心にやつてみた。
 そのずつと前から、私は易を信じて事ある時には大森のK先生のお宅に伺つて占断をお願ひしてゐたので、とかとか、や、も、さういふかたちだけはどうにか知つてゐて、おぼつかない素人易者はただもう一心に筮竹を働かしたが、そのうちに筮竹をうごかすことが非常に骨が折れて来て、人に教へられたまま小さい十銭銀貨三つを擲げてその裏面と表面で陰と陽を区別し、六つの銀貨をゆかに並べてそのかたちが現はれるままをしるした。この方が大そうかんたんであつた。
 自分自身の身上相談をしたり、他人の迷ふことがあれば、それについて教へを伺ふこともあつて、私のやうなものがめくら滅法に易を立てて見ても、ふしぎに正しい答へが出た。また或るときはどうにも解釈のむづかしい答へもあつた。ある時、自分の一生のを伺つてみようと思つたが、何が出るかその答へには好奇心が持てた。若い時から中年までの私の仕事はおもに病気と闘ふことであつたから(自身の病気でなく、良人の父の病気、良人の長い病気、義妹の長い病気、義弟の病気、それにともなふ経済上の努力、私はまるで看護婦の仕事をしに嫁に来たのだと、それを一種の誇りにも思つて殆ど一生そんな方面の働きばかりしてゐた。)たぶん私の一生のは「地水帥ちすいし」が出るのではないかと心に占つてゐた時、意外にも答へは「地山謙ちざんけん」であつた。私はおもはずあつと驚いて、頭を打たれたやうに感じたのである。
けんとほる。君子終り有りきつ。○彖伝たんでんに曰く、天道はくだして光明。地道はいやしくして上行す。天道はみつるをきて謙にし、地道は盈るを変へて謙にながし、鬼神は盈るを害して謙にさいはひし、人道は盈るを悪みて謙を好む。謙は尊くして光り、いやしくしてゆべからず。君子の終りなり。」
 謙は却ち謙遜、謙譲のけんで、へりくだることである。高きに在るはづのごんの山が、低きに居るべきこんの地の下に在るのである。たぶん私は一生のあひだ地の下にうづくまつてゐなければならない。「労謙す、君子終り有り吉」といふのは地山謙の主爻しゆかうの言葉である。頭を高く上げることなく、謙遜の心を以て一生うづもれて働らき、無事に平和に死ねるのであると解釈した。何よりも「終り有り吉」といふ言葉は明るい希望をもたせてくれる。何か困るとき何か迷ふ時、私は常に護符ごふのやうに、けんは亨る謙は亨るとつぶやく、さうすると非常な勇気が出て来てトンネルの路を掘つてゆく工夫のやうに暗い中でもコツコツ、コツコツ働いてゆける。この信仰は迷信ではない、むしろ常識であると思ふが、私のやうにわかい時から夢想をいのちとして来た人間がこの平凡な教訓を一日も忘れずにゐられるのはさいはひである。六十四卦の中でこの「地山謙」だけがどのかうにも凶が出ず、その代りどのかうも謙を守つて終りをまつたくするといふ約束を持つてゐる。その堅実な地味な約束が、およそ堅実でない私のための一生の救ひでもあるのだらう。私のためにはもなくもなくもないのである。それで満足してゐよう。

底本:「燈火節」月曜社
   2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
   1953(昭和28)年6月
入力:竹内美佐子
校正:林 幸雄
2009年8月17日作成
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