今から四十年あるひは五十年ぐらゐ前の嫁入支度はたいてい千五百円から二千円ぐらゐの金で充分間に合つたのである。その二千円を今の金に計算してみるとかなりの物かも知れないが、とにかく娘が三人あつたとして、二千円づつ六千円ぐらゐならば、親たちもどうにか出すことが出来たらしい。
 およめさんの荷物は、民間では、五の荷物がごく普通であつた。三では少しさびしく、七ではちいつとばかり贅沢だつたが、だいじな一人娘なぞには親がきばつて七荷にすることが多かつた。三荷の荷物では、油単ゆたんをかけた箪笥一つ、吊台二つ。一つの方の吊台には夜具二人前を入れたもえぎ唐草の風呂敷づつみ、座ぶとん五枚、行李二つ位、もう一つの吊台には机や鏡台その他身のまはりの小物をのせる、これは沢山の物があるほどお嫁さんは調法するが、親の方が痛いから、まづ間にあへばよろしいといふところ。五荷の荷物だと、油単をかけた箪笥二つ、長持一つ、吊台二つである。長持には夫婦揃の夏冬の夜具、座ぶとん、夫婦用座ぶとん、夫婦用と客用の枕、蚊帳、たんぜん二人分が入れられる。吊台には机、本箱、鏡台、姿見、針箱、くけ台、衣桁、下駄箱、えもん竹、日がさ、雨傘、洗面器、物さし、裁ち板、張板、火のし、鏝、たらひ二つ(重なるように大小の物)、めざまし時計、大小のお重箱、硯ばこ、そろばん、膳椀、茶椀、湯のみ、お勝手用皿の大小、手あぶり火鉢二個(長火鉢は花婿の家で買つたのではなかつたかしら、今思ひ出せない)このほかカバンと行李もある。これだけだと一つの吊台にはのせきれないから、もう一つの方の台にはみ出すかもしれない。しかしそちらの吊台には、松竹梅のかざりのついたお祝ひ品が山のやうに戴せられるから、そちらも一ぱいになる。二つの吊台にこれだけ戴せるのは中々な骨折である。衣類をすこし余計持つてゐる娘はとても二つの箪笥では入れきれないから、不断着の箪笥をあとから送ることもある。当日の荷物に箪笥の数を多くすれば、五では間に合はず七荷になるから、それだけかつぐ人間の数も増える。それであとから送るといふやうな智慧を出すこともあつて、そんな智慧は大てい仲人が考へ出すことになつてゐた。
 七荷の荷物だとずつとゆつくり荷物がはいつた。箪笥三棹、長持二つ、吊台二つであるが、この場合長持一つで、吊台を三つにする人もあつた。琴、三味線もむろんこの吊台にのせる。花聟の家がせまい場合には長持を二つ置くだけの場席がないから、広すぎる古い家庭でない限り、花聟の家の方でたいていは二つの長持は辞退するのが多かつた。一つの長持でも、新婚の小さい家では、長持が玄関に置かれてひどくきうくつに見えることが多かつた。
 七荷の荷物までは普通の嫁入り荷物であつたが、貴族とか大店おほだなのお嬢さんのよめいり荷物は、十三荷があたり前の事になつてゐた。(九荷といふ荷物はなかつた。に通じるから嫌はれたらしい。十一荷では少しはんぱの数だから十三と極めたのであらう。西洋風に勘定すれば十一の方が十三よりは数がよろしいけれど、昔はそんな事は知らなかつた)さういふ大騒ぎをする嫁入りは仲人も大てい二組あつて、おもて向きのお席に坐る仲人と、事務の仲人、どちらも必要である。
 さて、箪笥の中身について探つてみると、先づ夏冬の礼服、それに伴ふじゆばん、帯、小物、喪服と黒い帯、(この中には式当日の振袖、長襦袢、丸帯、白襟、帯止等は入れてない)それから訪問に着るお召か小紋の類すくなくとも六七枚、夏のひとへ物、ちりめんと絽ちりめん四五枚、絽の中形、明石とすきやのうす物四五枚、麻のかたびら、長襦袢は絽ちりめんと平絽と麻とそれぞれ数枚、夏帯は丸帯、はら合せ帯、博多のしんなし帯なぞ、まだ単帯やなごや帯は東京にはやつてゐない時分である。羽織は黒紋付、うす色の紋付、小紋の大柄も小柄も。絵羽の羽織はそれからずつと後のものだつた。大島の着物と羽織。これらはすべて新調の品で、そのほかに今まで着なれた物、紫の矢がすりと不断着の銘仙やお召の羽織なぞ相当の数になつた。帯どめは金具つきの物、うちひも、しぼりの丸ぐけ、桃色や濃いあさぎの丸ぐけ。半襟はその頃はまだ無地のちりめんは、少女用の緋ぢりめん桃いろちりめんのほかはなく、みんな多少とも刺繍がしてあり、白襟にまでぬひがあつた。コートはまだ毛おりの物はなく、お召の無地や絞柄のもの、あづまコートと言つたのである。足袋は地方の裕福な家では二十年分ぐらゐは持たせたさうであるが、東京の普通の娘たちはよそゆき十足位、ふだんの十足も持たせればよい、ふだんのはキヤリコでなく木綿の生地であつたやうに覚えてゐる。肌着とお腰、ネルお腰、今も昔も人間にもつとも必要な品で、親切な母親ほどたくさんの数を持たせた。それから手拭五六本、タオル二三枚、出入りの人たちに時々出す手拭は十枚分を一反に巻いたのが三巻もあれば充分である。それに、箪笥の中に入れるのを忘れたが、浴衣五六枚、紺がすり二枚、ちぢみ中形五六枚位は欲しかつた。お重かけは大小とも入用、ちりめんの風呂敷三枚位、ふだん用のメリンスの物三枚ほど、お勝手用木綿の物大小と、四布と五布の木綿風呂敷二三枚。紙は半紙、糊入、封筒、巻紙、花紙、すこし持たせてもかさばる物、そのほかの小物となれば数限りなく、細かく考へるとどうしても七荷のお荷物になるから、考へない方が無事なのである。以上は箪笥の中や小抽斗の中だけで、鏡台の中の櫛道具、油、香水、化粧品いろいろと石けん、針ばこの中の針、糸、へら、鋏、硯箱の中の筆や墨、そんな事を心配してゐると、頭が熱くなる。
 かうして書きつけるとひどくかさばるけれど、昔の母親たちはみんな心がけて娘の着物や小物類は三年も五年もの時間をかけて揃へる、そして嫁入りの時には礼服やよそゆきの好い着物、諸道具だけ買へば間に合つたのである。そんなわけで、むかし嫁に行つた人たちは先づすくなくとも此処に書いたお荷物の半分か三分の二ぐらゐは持たせられたのだ。私のやうな昔の人間の手もとにも今大きい鋏と爪きり鋏、そろばんや物差、火のし、鏝ぐらゐは残つているが、電気ごてやアイロンの現代には、古い火のしなぞ何処かに隠れてしまつた。物は割合に長くきずつかずに残つてゐるけれど、それらの持主のむかしの嫁たちは長い年月のうちに死ぬものもあり、体も心も疲れ弱つたもの、あるひは大そう利口になつたもの、心のひねくれたもの、又のびのびと素直に老年になつたものや、いろいろである。両親や仲人たちは若い時だけの相談相手で、その後の彼女のためには良人と子供たち、それに良人の働いてゐる世界とが彼女をとり巻くのである。もう今では日本の花嫁たちは七荷や十三荷の荷物は入らない。たつた一部屋か二部屋の生活では一つの洋服箪笥と机本箱が並べられるかどうかも疑問である。花嫁はただ健康と知性と真実心と、それに或る日の予備にすこしのお小づかひを持つて行つてほしい。しかし予備になんて言ふことは昔の人の考へることで、さういふのが老婆心といふのであらう。お小づかひがなければ共かせぎをすればよろしい。

底本:「燈火節」月曜社
   2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
   1953(昭和28)年6月
入力:竹内美佐子
校正:林 幸雄
2009年8月17日作成
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