[#ここから2段組み]
お花
健二
六平
仲蔵
伍助
杉村
中年過ぎの女
五郎(肥前)
お銀
番頭一、二
松男
金一
三吉
通行人
およね
越後
豊後
陸前
サツマ
上州
マキ子
三河
岩見
井上医師
[#ここで2段組み終わり]

音楽(後のくだりのシンフォニイと同じ主題のオーヴァチュア)

音楽をバックにしてアナウンス。

アナウンスと音楽が止み、しばらくシーンとして。

不意にカーン、カーン、カーンと大なたで立木を刻む音が、山々にこだましてひびきわたる。
鋭い小鳥の声々。
時々、風にのって谷川の音がザーッと流れてくる。
――深い山奥の林の中の感じ。
「ヨッ、ホウ!」
と若い男の掛声、同時にカーンと立木の音。
その音を合図のように、少しはなれた所から、まだ成熟しきらない少女の、まるで少年の声にきこえるような堅い粗野な節まわしの歌。

お花 「やーれ」
山で赤いのは、こら
つつじに椿
それにからまる藤の花
ああ、チートコ、パートコ

やーれ
遠くはなれて、こら
逢いたい時は
月が鏡になればよい
ああ、チートコ、パートコ」

健二 相変らずのヘタクソじゃなあ、お花! おのしが唄うと、おれあ、向うずねばナタで叩つきるうごつある!
お花 あらあ、あんな事言うて……あたいの歌あ、こりでいいちうて、仲さんがほめてたのに……
健二 そんなら、後で六平の小父さんに唄うてもろうて、くらべて見ろ。仲は、ありゃ、おのしのすつこっあ、なんでんかんでん、よかきい。
お花 んなら、あんやん、唄うちみ。
健二 おりゃ、日田の山奥の木こりですばい……歌あ唄えんばってん、木を切りきりゃ、いいきのう……ヨッ、ホウ!

カーンと立木を切る音。
一方お花はゴシゴシと、小のこぎりを使いながら、
それに合わせて、

お花 「やーれ
月の出しをと、こら
約束したが
月は山かげ、主あどこに
やれ、チートコ、パートコ」

アッハハハハ、と二人が声を合せて笑う。

健二 そら、行くぞ、お花どいてろう……

カーンと打ちこんだ音でヒノキの大木がベリベリベリ、ザザザーッと倒れる音。
妹が兄に近づいて行き、

お花 こら、この汗だ、あんやん!

兄の背中を拭いてやる。

健二 (気持よさそうに)ふう! こいで丸市で入札したぶん、しめて十八本、すんだな? ここらで六平小父さんとこで昼めし食うか。
お花 落しの方へはこんどかんでも、いいか?
健二 うん、どうで仲が、筏くむ前に来るき、落しはひきうけたと云うとった。
お花 するちうと仲さんがここい来るちね?
健二 来ちゃ悪いっか? はは、さ行こ!
お花 うん……

兄弟は下生えを踏みわけながら傾斜を沢の方へくだって行く。その音……
健二がフッと立ちどまって、

健二 お花、おのしは、いくつになったか?
お花 え? なに?
健二 おのしゃ、いくつになった?
お花 あたしゃ、十八だ。なぜ、そんな事きくか?
健二 十八か。……おらが二十三。二十三の木こりが十八になった妹ばつれて山かせぎに出るちうのもおかしかけど、しょうねえ。俺にしたっておのしば、娘らしう裁縫やなんか習わせて、早うよか所へかたつけてやる仕事をさせんならんと思わんわけじゃなかばってん、俺とおのしは兄一人妹一人の二人っきりで、お父ちゃんもおしゃんも、ほかに兄弟もなかけんなあ、村の家におのし一人ば置いといて俺が山に入るわけにもゆかんき、こうして……
お花 あたしはお嫁になんか行かんばい。それに家で一人でいるよりゃ、こうしてあんやんと山で稼いでる方がズッといい。
健二 いや、俺の言うとるのは、人間なあ、誰でもうぬが生れついた境界ば忘れちゃならんちうこつたい。どうせ、俺たちゃ、山ん中で生れて山ん中で果つつ身分じゃけんねえ。
お花 あんやん、なんの事云いよるとかい?
健二 なにさ……仲蔵は、あいで、俺とは学校友達じゃし、おのしとも仲が良うて、そいで今はああして丸市製材の川師で働いとるが、もと/\あすこの親方の遠縁でな、行く行くは丸市の養子になるかもしれん男たい。俺たちたあ身分が違うさ。
お花 んだから、それがどうしたというのな?
健二 どうしたというわけじゃ無えけんど、仲蔵がおのしにどんな事云うたちうてん、そんつもりで附き合わんきゃいかんというこったい。
お花 そんつもりたあ、どんなつもり? 仲さんば、あたしが好いちゃ、悪いっかい?
健二 悪いちゃ云えんけどよ……
お花 好きな人ば、嫌うわけにゃ行かん。
健二 ……うむ、そりゃ、行かん。けんどさ、俺の云うのは……

ガサガサガサと下生えの音をさせて、二人の足音が沢に出て行く。

お花 あーい……六平の小父さあん!

六平爺がユックリと掛小屋から顔をのぞけて、

六平 おーい、お花坊と健二かよう!
健二 お茶をもらいに来たぞう。
六平 ちょうどよかった。俺もソロソロめしにしょうと思っちょったところて。さ、はいんない。
健二 (小屋に入りながら)わあ、えれえ見事なモミジたい!

ピタピタと大木の肌を叩く。

六平 フフ、この引き方で、ジョリンモクが出るとたい。佐賀からの注文でな、これば床板にするちう、町にゃゼイタクな仁のござるげな、はは、もっとも、それんおかげで俺みてえな木びきが食って行けよるとじゃけん。
健二 なんと、大ノコ一丁でこんだけの歪みしゃくった木が糸でも打ったこと、ピシリと引けるとかなあ……
六平 なあに、もう六十をすぎちゃ、気ばかり立っても腕はナエた。おのしたちの親父が生きてシャンシャン引いてた時分の板ば見せたかったのう!
お花 死んだお父っあんな、そんな、そんな腕のいい木びきだったの?
六平 うむ、健五郎は、この日田にも三人とは無え名人だった。俺なんざ、今でも、むつかしい木取りの時あ、目の前に健五郎ば置いて、どげん引目ば入れりゃよかつかい健五郎ちうて、相談しいしいやっちょるとばい。健五郎は死んでしもうたけんど、幼な友達の俺が呼べば亡霊になって、すぐに来てくるるけんなあ。
お花 小父さんの話あ、じきに亡霊の話になるけんいやだ。
六平 しかたなかろ、この小屋にゃ年中、亡霊たちが遊びに来るんじゃけん。もっとも、俺もこう老いぼれちゃ、もうへえ、亡霊の一人じゃというてもよかようなもんだい、アッハ、ハ、ハハ――。

健二もお花も声を合せて笑う。

六平 さ、茶がへえった、飲みない。

そこへ川下から、沢の浅瀬を渡って来る足音がチヤッ、チヤッ、と近づいて来て、

仲蔵 あーい、六平の小父さんよーう!
健二 ああ、仲が来た!(そっちへ呼び返す)おーい、仲蔵かよう!
六平 ほうら、お花坊のお婿さんがやって来た。
お花 なに云よるとな、小父さん!
六平 んでも、そうじゃろがい?
お花 知らんっ!
六平 どうしたな? なにをそんな怒るか?
健二 小父さん、それは、もう云わんなおって――あの……

云ってる間にも仲蔵の足音は近づいて、

仲蔵 おやおや、健二もお花ちゃんもここにおったっか、はは、ちょうどよかった! 営林区の丸材の切り出しはどうしたかと思うちね――
健二 しめて十八本、下の落しの方が四十四、五本たい。
仲蔵 よかよか。そうか、んじゃ今日の俺の役目はこれですんだようなもんたい。
六平 あい、茶ば飲みない。はは、さあっきから、お花坊がおのしをお待ちかねたい。
お花 ばか小父さん!
仲蔵 はは、いや、実あな、お花ちゃんに今度はどんなおみやげ買うち来てやろかと思うてね。
お花 おみやげなんて、あたしゃ、いらん!
仲蔵 へえ? この前はリボンとクシ買うて来てくれと言うたろうが? どうして急にいらんか?
お花 いらんけん、いらん!
仲蔵 アッハハ、なんかまた怒っちょるな? なあに、いらんちうたとて、お花ちゃんの欲しい物ぐらい俺あ知っちょるさ。リボンにクシに、反物ば買うて来てやろたい!
健二 んだが仲よ、そんなこつに金ばっかり使うて、又帰って来て丸市の親方からカス喰うのはやめにしろよ!
六平 そうだそうだ! 筑後川すじから佐賀へんにかけちゃ、舟幽霊じゃとか、人のシリコ玉あ抜く川太郎じゃとか、おしろいくさいバケモンがウンと居るけんなあ。まあまあ、おみやげよりゃ、その用心する方がよかろうたい。アッハハ!

他の三人も笑う。

お花 小父さん、木びき歌、唄うち聞かせちくれない!
六平 又はじまった。俺のヘタクソな歌ばっかり聞いてどうするか?
お花 ううん、あんやんが、あたしの歌がつまらんと言うき、上手になりてえき。ねえ唄うちくれない!
六平 そうか、そんじゃま! ……どうもしかし、ノコ使わんと出ねえのう。(と大ノコを持ち上げて大木の上にのせてノコを動かす。その音)

その音に調子を合せて、かれた寂しい、ほとんど人間らしい味の無い、山の中を風が吹き過ぎるような声と節まわしで。

六平「やーれ
山で切る木は、こら
かずかずあれど
思いきる気は
さらにない
やれ、チートコ、パートコ」

ノコギリの音

六平「やーれ
破れわらじと、こら
おいらが仲は
すぐに切れそうで
切れやせぬ
やれ、チートコ、パートコ」

ザーッ、ゴーッと岩を噛んで流れる急流の音。
その急流に乗ってギギギ、ゴドン、ギーッと音をさせて筏が流れくだって行く音。

仲蔵 (気の立ったかん走った声)そら、そら! 伍助! そっちの岩を竿で突っぱれえっ! ウンと突っぱれっ!
伍助 (竿を突っぱりながら、ほえる)おおーっ!
仲蔵 (更に遠くの後方へかけて)杉村あーっ! 手かぎで、そこの木の根っこ、こねあげろーう! トモが引っかかると筏あ、まんなかから、ぶっきるぞう! しっかりせえーい!
杉村 おいよーうっ! オーライだようーう!
仲蔵 うんと!(と竿を使いながら)よし、よし、よし! その調子だ! この瀬を出て、橋ば一つくぐりゃ、すぐと日田の盆地たい、後は居眠りしてん、筑後川へ出るけんなあ! 頼んだぞう!
伍助┐
  ├(それぞれちがった距離から)おいよう!
杉村┘
中年過ぎの女 (岸の道から呼びかける)ようーい! そこん行く筏あ、池の原の丸市の衆とちがうかあ?
仲蔵 (聞きつけて)あーい、そうたい! 丸市の仲蔵だよーう! 清水のおばしゃんじゃねえかい?
中年過ぎの女 そうだ、そうだ、そうだ!(と自分も岸の道を筏を追って小走りについて来ながら)どうもそうじゃなかろかと思うたら、やっぱし仲しゃんかあ。その筏あ、どこまで流すとなあ?
仲蔵 佐賀まで流すとです!
中年過ぎの女 そうかよう! 気をつけて行って来なよーう!
仲蔵 あいよう! そいじゃ、清水さんの親方によろしうなあ!
中年過ぎの女 (立ちどまったと見えて、みるみる遠ざかる声で)良い若えしが、三人とも、佐賀へんでおかしなオナゴなんどにのしあげたりせんごつねえ――!

仲蔵をはじめ伍助、杉村の三人が筏の上で快活に笑う声。ザザザーアと急流の響。
急に音の効果が変って鈍い、低い、陰気なダブリ、ダブン、チャブ、チャブと深夜の筑後川の水音。そこをゆっくりと筏が流れて行くギギギーッという音……

伍助 (三人とも鈍い、眠むそうな、そして少しおびえた声)暗いなあ、まるで、へえ、鼻の先い、スミぬられたみてえで、岸も見えん。
仲蔵 伍助は筑後川あ、はじめてじゃったなあ。そら、そうよ。筑後川もこの辺までくると川巾だけでも五六丁はあるきねえ。
杉村 ひと雨くるとじゃなかろか、仲しゃん?
仲蔵 そうさな……んでも、降りゃ、しめえばい。(三人は、それぞれ長い筏の持ち場に竿を持って、立ったまま話しているので遠くへかけての対話)どうしたな杉村? 寒かとな?
杉村 寒うはねえばってん――
伍助 声めふるえとるぞ、杉村あ!
仲蔵 伍助、お前だって声めふるえとるよ。ははは、さてはお前たち、誰からか聞いて来たな? 筑後川に夜筏を流しとると、舟幽霊が出て、筏の足ば止めてしまうとか何とか? フフ、あれはなあ、こういうわけだぞ、もうあと半みちも下ると、佐賀から流れて来とる江湖エコ川がこの川にあわさる。江湖川ちうのは汐入りの川で川口からジカに汐があげさげするき、俺たちゃ、そこで明日の夜あけまで待って江湖の方が上げ汐になったのば見て佐賀の方へのぼって行くだ。その、この川と合さる口のへんで水面と深みとでいろんなごつウズを廻いてね。そこへちょうど筏が乗ってしまうと、いっときピタッと止ってしもうたり、ひとつ所ばグルグル廻りはじめたりする、それを舟幽霊に止められたの、川太郎にだまされたのと言うとたい。はは!
杉村 そうかねえ……
伍助 ありゃ! あれは、なんだ? え、仲しゃんなんの声じゃろか、ありゃ?

他の二人がシーンとしてしまう。……遠くの岸の方から、人の声とも動物の声とも、なんともわからない、かすかなブワ、ワ、ワ、ワーンと響く音が暗い川面を渡ってくる。
川波の音。筏のきしり。……

杉村 なんかなあ、ありゃ?(声がふるえている)
仲蔵 うん。……なんかなあ(この声もおびえている)
伍助 (だしぬけに叫ぶ)あ、ありゃ、なんだ? 仲しゃん、ありゃ、そら、トモの方に真黒いもんが、川ん中から這いあがって坐つちよる! ほら、ほら、み!
杉村 うわーっ(叫びながら飛びあがる)
仲蔵 なんでんねえ……なんでんねえっ! ちきしよう! こんちきしようっ! なん奴だあっーつ!(ふるえ声で叫びつつ、竿をふりかぶって、トモへ向って筏の上をタタッと小走りに)

同時に、離れたトモの方でドブーンと何かが水に落ちた音

仲蔵 こんちしようつ!(ふるえ声で)なあに、へっ! 鯉かなんかが、はねたトタンに筏に飛び乗ったったい! ちきしようっ! ははは、はは!(と無理して高笑いをして)しっかりやろうぜえ、伍助、杉村あ! なあにを、お前!
伍助 ┐
   ├おいよーう!
杉村 ┘
仲蔵 はは! 誰だと思う、日田の川師だぞうっ! やーれ!(と気の立った甲高なふるえ声で歌になる)月の出しをとこら、約束したが、月は山かげ主あ、どこに、やれチートコ、パートコ! (ダブリダブリ、チヤチヤと水音とギーッと筏のツタのしまる音)

不意に明るい音の効果に変わる。
仲蔵がのびのびとした声を張りあげる。

仲蔵 おーい! 山形屋の衆ようーう! 丸市の筏が今ついたぞおーう! 日田から筏がつきやんしたよーお! 山形屋の衆よーう!

おっ! と元気の良い少年の声がそれを受けて、

五郎 筏がついたあ!(バタバタと立ちあがって二階のはしごをトントントンとおりて来て、店の間へ向って叫ぶ)
五郎 日田からの筏のついたばーい! おばしゃん、番頭さん! 仲さんの筏が今ついた!
お銀 おお、そうかい! そら早かったなあ!
番頭一 おお!(と立って表へ)
番頭二 ちょうどよかった! 松っあん、金どん、サブ!
松男┐(人夫)おい来た! ほいよ! おっと! (と
金一├手かぎの音をガタガタさせながら、表へ走り出る)
三吉┘
表は道路をへだてて、すぐに大川端で、それがちょうど上げ汐の満潮で、鼻の先に筏は横づけになっている。

お銀 (水面にひびきわたる声で)ようよ! 今度も仕切り人は仲さんじゃったかよう! 思ったよりやはやかったなあ。まあまあ、あがって一杯のんで一休みしんさい。
仲蔵 (筏の上から)お神さま、しばらくでがんした! 又お世話になりやす。この二人は、こっちへ渡すのは初めてでがんす。どうぞよろしう!
伍助 伍助でございやす!
杉村 杉村というもんで!
お銀 あいあい。あいさつは後で、ゆっくりしまつしう。まあまあ!
五郎 (チヤッチヤッと水の中にふみこみながら)仲しゃん、よう来たない!
仲蔵 わあ五郎しゃん、しばらく見ないうちに又大きうなってしもうたあ! 中学校はどうなさったとなあ?
五郎 もう二年生たあ。
仲蔵 二年生かあ、そうですかい!
お銀 これこれ五郎、お前、はだかになってしもうて川ん中へ飛び込うで、なにをすっとな、危なか!
五郎 ばってん、すぐ水あげにかかっとでっしう?
お銀 なあに、まあ一休みしてからにすつだ!
仲蔵 うんにゃ、お神さま、ちょうど番頭さんや男衆もいてござるけん、ついでに板とヌキだけは直ぐに水あげしてしまいまつす。一日置きや一日だけ重うなるだけじゃけん! 皆の衆、頼んだぞう!

番頭や人夫たち、それに伍助と杉村などが「おうっ!」と答えチヤチヤチヤと水あげの音。
その中にひときわ甲高かに聞える五郎の掛け声。
お銀がカラカラと男のように笑う。
ナタで、板やヌキをしばってあるツタをストンストンと叩き切る音。手カギをガツと材木に打ち込んで引きよせる響。
それにつれてジャブ、ジャブザブンと水の音。
人々の掛け声とはやす声。
それに混って佐賀という中都市の午前の物音。
道を通る自転車、荷車、遠くの工場のボーなど。
それらの音がしずまり、夕暮れの山形材木店の店先の風景になる。
店の前の道路を、通りすぎてゆく下駄の音。番頭二がそこらに水をまいている音。

通行人 あい、お晩で。
番頭二 お晩で。

その店の奥の土間から、カタカタと下駄の音をたてて出てくる仲蔵。

仲蔵 ああ、風呂にもいれてもろたし、久しぶりに佐賀の酒も飲んだ。やっぱしお神さま、日田の山奥の地酒よりや、町の酒はうめえです。
お銀 (帳場に坐ってソロバンの音をさせながら)相憎とうちのおやじは、博多の方へ入札に出掛けておって、酒の相手がなかけんなあ。
番頭一 なあに、仲蔵さんなあ、これから柳町へ出掛けて、酒の相手なら、いくらでもキレイな人の待っておらすけん、ハハハハ。
仲蔵 そ、そ、そんな、番頭さん……
お銀 ハハハハハ、なあに、仲さんよ、若かときやあ二度なかたい。会うてきんしゃい。相手が、あのおよねさんちゆう子ないば、私も、二三度会うて、よく知ってる。ありゃあ、芸者ちゆうたって、ここらの町のゴゴさんよりゃおとなしか子じゃけん、心配いらんたい。
番頭一 ばってんが、おとどしみたいに柳町で金ば使いすぎて材木代金にまで手ばつけて日田に帰られんごとなっちゃあお互いに困りますけんな。
仲蔵 そ、そ、そんな番頭さん……
番頭一 ┐
    ├ワッハハハハ。
番頭二 ┘
お銀 伍助さんと、杉村さんな、遊びにやいかんとなあ?
番頭二 なあに、あの二人は、夕飯はかっこみ、かつこみ、とっくの昔にとび出して行きましたたい。

お銀、番頭一、仲蔵が笑う。

仲蔵 (奥へ向いて)五郎しゃん、さあ、行きまつしう。
五郎 あ、あい。

カタカタカタと小さい下駄の音をさせて出てくる。

仲蔵 五郎さんば、いっときお借りしまつす。
お銀 そりゃあ、よかばってん、この子ば妙な所へ連れてって酒なんぞ飲ませるのは、よしにしてくんなさいよ。
仲蔵 へへ、そんな……。そいじゃ行ってきまつす。さ、五郎さん。

カタカタカタカタと二人が歩み去って行く。

お銀 (それを見送りながら)ばってんが、馴染みの芸者の所へ久しぶりに行くちゆうのに、テレくさかちうて、ああして、そのたんびに五郎ば連れて行く若い衆さんじゃけんなあ、むぞらしかねえ! ハハハハ。

番頭一、二、笑う。
夜の大川の水の上に突出すように立てられた料亭の奥座敷に、芸者のおよねと仲蔵と五郎の三人。
いきなりしっかりしたねじめの三味線の音が響き始めて、およねの歌。博多節。
これらの歌声も、すべての物音も、この場では、満潮の大川の水面に反響する。

およね 博多帯しめ
筑前しぼり、筑前博多の帯を締め
歩む姿が、ありゃどっこいしよ
柳腰
お月さんがチョイと出て松のかげ
はい今晩は。
仲蔵 はい今晩は、か。およねしゃん、あんたも、ひとつ飲みない。(卓上の盃を取って出す)
およね (三味線をわきに置きつつ)あたしは無調法ですけん、仲さん、もっと……(と酌をする)
仲蔵 (それを受けながら。……以下適当に酒を飲みつつ)いつもの事だが、うまかなあ。なあ五郎しゃん!
五郎 (これはモグモグなにか食いながら)うむ、うまか。
仲蔵 五郎しゃんに、うまかとが、わかるかな?
五郎 このエビとキントンなあ、うまか。
仲蔵 えっ? エビとキントン? そうか、ウフツフ、エビとキントンかな?
およね ホホ、もっと、じゃ、持って来てもらいまつしうか?
仲蔵 (ふきだして)アッハハハ! アッハハ、フフ、アッハハ!
五郎 なんな?
仲蔵 ハハ、俺あ、また、博多節のこつを……フフ、およねしゃんの博多節のこつを、ほめたら、よ、五郎しゃんなあ、エビとキントン……フッフフ、ハッハハ!
およね ホッホ、ホ、ホ!
五郎 (これも釣りこまれて笑いながら)ばってん俺あ……ハッハハ、そりゃ、博多節もうまかです!

それで仲蔵とおよねが声をそろえて笑いだす。障子の外の大川をギイギイと船をこいで行く男が、これも何となくこちらの笑いにつりこまれて、きげんの良い声をあげてからかう。

船頭 ワッハハハ、アッハハ、かよう! ハハ、……(歌になる――)吹けよ川風、あがれよすだれ、中のオナゴシの顔見たか、と。アハハ、はい今晩わあ、ごきげんさん、と?

その声とロの音が遠ざかって行く。

仲蔵 (まだ笑いをふくんだ声で)だけんど博多帯と言うなあ、どんな帯じやろか? 歌にまで唄うてあるんじゃから、よっぽど良か帯じゃろなあ。
五郎 仲しゃんな、まだ博多帯見たことんなかと?
仲蔵 見たことなかとです。
五郎 そんなバカな! うんが鼻の先い、いつでん見えとるのに――
およね 五郎しゃん、言うたらいけん! ホホ、まあ、まあ、こっちいおいでんさい! こっちい、さ!(五郎の両肩を背後から袖で抱いてしまう)
五郎 フフ、なにすっとな、およねしゃん?
およね じつとしてて! じっとしててな!
五郎 ばってん、くさか!
およね まあ、くさかですと? あたしが?
五郎 うん、おなごくさか! プウ……
仲蔵 ハハ、何がどうしたとな? 芸者から抱きつかれて、くさかか? ハハ。
およね くさかろばってん、いつとき、じっとして五郎しゃん。フフ、仲さん、あんたホントに博多帯見たことなかとな?
仲蔵 見たことなか。
およね そんじゃ、見たかでつしう?
仲蔵 うん、見たか。
およね そんじゃ見せてあげまつす。ばってんが柳腰じゃ、なかとです。腰はちょっとばっかい石うすんごたる。ホホ、はい。

五郎を手離してスッと立膝になる。

仲蔵 あん? なんな?
およね (腰のあたりを見せるため両袖を持ちあげた、その袖で顔を蔽うて)……亡くなったお母さんが、あたしにと云うて、たった一つ残してくんしゃったと……そんじゃけん、もう古うなって、くたびれたばってん、ホンモンの筑前しぼり、博多帯。たんとごろうじ。……おお、はずかしか。
仲蔵 (やっと気づいて、強く打たれ)ふーむ、そうかよ! それがそうかよ! なんとまあ、美しいこっかい! さあつきから見ていた。去年来た時もたしかお前しめていた――この美しかもんを、云われるまでは気がつかんとたい……人間なんてなんとまあ……
およね ヒヨッとお母さんば思い出すと、なつかしうて、なつかしうて、すると、この帯のしめとうごとなつとです。親の無い子は軒に立つと云いますけんね。五郎しゃんにも親の無か。そいでも、五郎しゃんな叔母さんのお店ば手伝いながら中学に通うとらすけん、よか。あたしなんて、こうして芸者に出とるばってん、芸だけで[#「芸だけで」は底本では「芸たけで」]立てるほどの腕は無かし、この先きどんなこつになるもんか。それを思うと心細うて、心細うて。
仲蔵 そうかなあ。どうだえ、いっそ、俺といっしょに日田に行かんかよ。山ん中で面白えこっあ何一つ無えけど、町で暮すような苦労は無えぞ。
およね でつしゅうね。……日田の、お花しゃんは、だいぶ大きうならしたとでしょうね?
仲蔵 お花……?
およね この前もあんた話しんさつた。……今度日田へお帰りの時あ、そん人にお土産にと思うて、あたしや、カンザシば二つ三つ買ってあげといた。
仲蔵 そうかい。そいつはどうも……
およね しんみりしてしもた。まっと、おあがり。はい!
仲蔵 酒はもう、よか。
およね ……そいじゃ、いつか途中までになっていた、木びき歌の続きば教えてくんさい。どうぞ、な。ああ、チートコ、パートコちうの。
仲蔵 俺あ、どうも今夜あ、駄目じゃ、酔っぱううて[#「酔っぱううて」はママ]。五郎しゃんに習うたら、ええ。五郎しゃんは、この前チヤンと、おぼえてしまって、上手たい。
およね そんじゃ、五郎しゃん。どうぞ、お願いしまっす!(三味線を取って騒ぎ歌のような調子を、二つ三つ鳴らす)こんなだったかいな?
五郎 イヤだ僕あ!
およね なしてな? なあ、お願い!
五郎 さっきの博多節の方が、よか……
およね そんじゃ、あたしが博多節ば、五郎しゃんと仲さんに教ゆっけん、木びき歌ば教えてな!
五郎 うん、そんなら。
およね そんじゃ、博多節ば、もう一つ唄いますけんね、その後で木びき歌ば唄うてなあ。
五郎 うん……
およね (三味線を弾く)
「博多帯しめ
筑前しぼり
筑前博多の帯を締め
歩む姿が
ありゃどっこいしょ、柳腰
お月さんがチョイトでて
松の蔭、はい今晩は」
今晩は、と終るか終らないのに、五郎が少年の声をはりあげて、軍歌でも歌うような勢いで、
五郎 やーれ!
およね (あわてて)あらら!
仲蔵 アッハハ、ハハ!
五郎 ばってん、こうじゃろが!
およね そうですたな、そうですたな! つづけて、五郎しゃん、つづけて!

ジャンジャカ、ジャンジャカと三味線をひく。

五郎「山で切る木は、こら
かずかずあれど
思い切る気は
さらに、ない
やれ、チートコ、パートコ」

味もそっ気もない、ただ器量一杯の声で唄う。つづいて、それを真似て、しかしたちまち芸者が座敷で唄う唄い方で、

およね 「やーれ、
山で切る木は、こら
数々あれど
思い切る気は
さらにない
やれ、チートコ、パートコ」
こうな、五郎しゃん?
五郎 ちがう! そぎゃん早う唄うちゃ駄目たい!
「やーれ!(仲蔵がクスクス笑っている)
破れわらじと、こら
おいらが仲は
すぐに切れそで
切れやせぬ。
やれ、チートコ、パートコ」

それを追っかけて鳴るおよねの三味線のひびき……
M……
このあたりまでの歌や音楽の調子は、最初は単音のそれが次第にポリフォニイになり、それが暗くなったり明るくなったりするが、いずれにしても古い日本の民謡をそのままに受け容れた、したがって基本的に単純な懐古的な調子である。今から二十年前の北九州の空気を跡づけるような色彩。
それが、このあたりから急激に、音楽の調子や楽器の編成のしかたも、びっくりするくらいに近代的な調子と色彩になる必要があろう。烈しい、混雑した、都会的な多種多様な、不協和な新しい要素が取入れられて現代的なシンフォニイにわたって行きたい。もちろん全体の主題の木びき唄の基調は底流として保持されながらである。
そして、特にこの個所の音楽で、作曲家に充分の働らきを示してほしい。そのためには、この個所の音楽に相当の時間が与えられてよい。
……音楽の流れが、しかし次第に冴え返り、美しく高まって行きはじめる。
その矢先きを意地悪く叩きつぶしてしまうような感じで。
ガラン! ガラン! ガラ、ガラ、ガラ、ガラン! と、ブリキの空きカンのタバを土間の隅に投げ出した響。

豊後 やかましいやいっ! 誰だあ、今ごろ、そんな音させやがるのはっ!
陸前 まったくだあっ! ここは、上野から下谷へかけての屋外労働者の合宿所、越後屋簡易旅館だぞっ! しかも、もうトックに睡眠時間になっていて、一同ゴネとるんだっ! 今ごろ雑音立てる奴あ、人権じうりんだぞうっ、ヘゲタレめ!
サツマ (クスクス笑いながら)へへ、屋外労働者の合宿所だってえやがる。なあに、早く言ゃあバタヤの合ヤドじゃねえかよ。ゴネとるのは睡眠時間が来たからじゃなくって、起きてると腹がへるからでえ! ヘゲタレてんなあ、人権じゃなくて人間の方だろ!
陸前 いいから、静かにしろい! そういう量見だから、てめえだちゃ、ヘゲタレだあ! これで俺たちは一人びとりさんざん手傷を負ったケダモノみたいなもんですよ。毎日々々ようやっと稼いじや暮しを立てている人間だ。いい気になって深酒をしたり宵っぱりをして、からだでもこわすと、たちまち又地下道へ逆もどりしなきゃならねえ。こうやって十四、五人、この大部屋でいっしょに寝泊まりしてりゃ、こいでもまあ仲間だ、お互いに気をつけあって、明日の稼ぎのジャマになるような事はしねえ事だ。ガアガア言わねえで早く寝ようぜ!
上州 へへへ、そら、そういうお説教をガアガアしゃべくって、人の睡眠のジャマしているのは、当のお前だねえかよ。
陸前 おっと、そうかよ!

と、フトンをひっかぶる気配、周囲の三四人が低く笑う。
それらの声にトンヂャクなく、肥前は酒に酔った調子で口の中でブツクサ言いながら、あがり口で地下足袋をぬぐ。

肥前 へつ、なにを言やあがる! へつ、何をツベコベと、きいたふうな事を言やあがるんでえ! 誰か思わん夢さめて――と言ってな、あれから二十何年とたつちまったんだ。今さらいくら思い返してみたって、どうにもこうにも取り返しがつくものけえ! へつ、くやしかったら、ばけて出て来て見ろい、およねしゃん!……

ウントシヨ、とあがるトタンに又空きカンをガランガランと言わせてしまう。

三河 (これはまじめに、低い声で)おい肥前さんよ、ホントに静かにしなよ。みんなもう寝てるしよ、それに第一、そっちの隅のマキちゃんが又からだの加減が悪いちって今夜も苦しがっていたのが、どうやらやっと落ちついたばかりの所だ。

肥前はそれには答えず、鼻歌まじりにミシミシとみんなの枕元を通って自分の寝場所に行き、フトンを引きずり出して寝仕度にかかりながら自分だけは良い心持そうに――しかしはたから聞くとくずれさびれた投げやりな調子で――低い声で唄い出す。

肥前「やーれ、月の出しをと、こら
約束したが
月は山陰、主あどこに
やれ、チートコ、パートコ」

二、三人さきに、ペタンコになって寝ているマキと言う十六七の戦災孤児の女の子が、ムックリ顔を向けて、

マキ やかましいなあ、肥前の小父さん、歌というとそれしきや知らないの? まるでお経読んでるみたいだ。よしなよ!
肥前 なあに、この、マキベえの、くたばりぞこねえめ! お前、からだの具合が悪いんだったら、黙って寝ろい!
マキ おおきなお世話だよ! くたばりそこねえであろうとなかろうと、おいら、景気の悪いのはごめんだよ。てつ! おいらが死ぬ時あ、上州の小父さんに頼んで、八木節でも唄ってもらうつもりでいるんだ!
岩見 (すぐわきのフトンの中からモグモグ顔を出して、ゴホンゴホンと咳をして[#「咳をして」は底本では「呟をして」]、マキの毒舌に笑いながら)フフ、フフ、いやあ、マキちゃんよ、お前は若えからそんなふうに言うがな、肥前さんのその歌なんてもなあ、よくよくわけのある歌だ。どこの何という歌だか知んねえが、俺あそいつを聞くたんびに、シミジミ泣けてくるぞ。なあ! 破れわらじとおいらが仲は、か……なんだか知らんけんどよ、俺なんざ、こうやって六十八年の一生のな……そりゃ良いこともあったし悪いこともあったが、今となっては、こうして病みほうけた五体の一つのほかは、なあんにも残っちゃいねえ……そん歌聞いてると、その一生の、言うに言えない、いろんな事が、足の裏からにじみ出てくるような気がしてなあ、いろんな事を思い出すような、フフ、なつかしくって、俺あ泣けてくるだよ、うむ。
マキ そんだから、おらあイヤなんだい!
岩見 そんな事言うもんじゃねえさ。もっと、へえ、唄ってくんなよ! よ!
肥前 (そんな話はロクに聞きもしないで)フン。

遠くで支那ソバのチャルメラの音……
大川の川端。ポンポン気船の[#「ポンポン気船の」はママ]発着所の近くで、その音が時々してくる。ダブリ、ダブリ、チャチャチャと水の音。
肥前はカゴをかつぎ、竿の先にカギのついたのを持って波打ちぎわを時々立ちどまったりして行く。そのうしろからマキが同じ姿でついて歩く。

肥前 いつ来て見ても大川は良いなあ。
マキ だけど今日は波がまぶしいや。
肥前 しかし、そいだけ衰弱してるのに、よく歩けるなあ?
マキ フフ、なにかにけつまづいてパタンと倒れたら、そのまま息が絶えるずら。
肥前 まるで人の事のように言わ。……マキベえは近頃、俺にばっかついて来るが、なぜだ?
マキ 肥前の小父さんといっしょだとウルサイこと云わねえからさ。
肥前 するとなにか、ほかの奴あ、お前のような男の子か女の子かわからねえようなんでも変なこと言うのか?
マキ 誰があ! こんな肺病やみの、骨と皮ばかりになって、わきに寄ると臭えずら。誰がそんな事云うもんか!
肥前 すると何がうるせえんだ?
マキ もっと身体を大事にして、早く丈夫になれだの、飯どきにゃチャンチャンと物を食わなきゃならねえだの、うるせえったら。まるでへえ、御徒町の井上先生のまわし者みてえな事ばっかし云うんだ。
肥前 そりゃしかし、マキベえの事を心配して言ってくれるんだ。みんなあれで、お前の事を好きだからな、親切気で言うてった。
マキ その親切気が嫌いだよ。おらたちみてえになっちゃってから、何が親切気だ。みんなもう早く死んだ方がいいんだよ。
肥前 そいじゃ、マキベえも早く死んだ方がいいのか?
マキ ああ。
肥前 だけんど、そいつは悪い量見だぞ! 十六や七のお前みてえな小娘が、世の中をそんなにタカをくくるのは、悪い量見だぞ。
マキ あたいが悪い量見なら小父さんだって悪い量見だ。あたいが知らなくって! ショウチュウかなんか、ひっかけた時だけ、変な歌なんか唄ってるけんど、小父さんだってホントは生きてたって何になるの?
肥前 ……。そんじゃマキベえ、二人でここからドボンと飛び込んでしまおうか?
マキ でも苦しいだろ。もういっとき待ってりゃ自然に死ぬよ。
肥前 ヘヘ、そりゃそうだ。……(と言いながら波打ちぎわのアクタを竿でつつく音をボコン、ボコンカポンと言わせて)なんだこりゃ、ゴム長の片方だ。マキベえ、お前、拾いな。

……(そして自分は流れ寄った空きカンをポコンポコンと言わせて引っかけてカゴに入れる)

マキ おっと!(とこれもゴム長をひっかけてカゴに拾い入れて、又歩きだす)
肥前 マキベえ、お前、ひるは何か食ったかよ?
マキ ううん。
肥前 やっぱし食いたかねえのか?
まき 食いたくねえよ。
肥前 俺あ、ここで休んで少し食って行くが、俺がそう云っても食うのはイヤか?
マキ なんだよ?
肥前 コッペパンだ。(紙の音をさせて、ふところからパンを二つ出して、その一つをマキに渡す)俺が食いなと云ってもイヤかよ?
マキ 小父さんが食えと言やあ食うよ! なんだい!(と腹を立てている)
肥前 フフ……じゃ食えよ。

……波打ぎわに自然に腰をおろした二人がパンをかじりはじめる。ポンポン蒸気が大川を斜めに横切って来る音。それの立てる波がザザザジャブンジャブンと寄せる音。

肥前 (パンをかみながら)……うむ、そりゃ七つや八つの子が、いきなり空襲で二親から兄弟一人残らず取られっちまやあ、そういう気にならねえとは限らねえとも言えら――
マキ ううん、ちがうよ。そんな事のためじゃ無いよ。だってあたい、あの時分は、お父っあんやお母さんや、みいんな一度にいなくなっても、それほど悲しくはなかったもん。そんな事より、買ったばかりの学校の本がカバンごと焼けちゃって、そのまんまの恰好したままキレーに灰になったのを見た時の方が、よっぽど悲しかったな。
肥前 だけどさ、空襲で家族をゴッソリ持ってかれたのは、なにもお前一人たあ限らねえ。それがお前だけが、こんなふうになっちまうのがよ、どう言うだか――
マキ うん、そりゃ、あたいにもわかんない。生れつき、そういう性分だったかもわかんないし……あれから、あたい、叔母さんちだの、伯父さんちだの、それからあっちこっちの保育園だとか収容所に行ったり、いろんな目にあった。みんな、よくしてくれた。すぐに着物をくれたり、オモチャをくれたり、食べ物くれたりするんだ。そんな着物を着さされて、そんなオモチャを抱かされて、新聞やなんかの写真をウンととられたよ。そういう時は、あたいたちは笑わなきゃならないんだ。……そいで、あたいの事を、マキとして、山の内マキと云う名を持った子供として可愛がってくれた人は一人もいやあしなかった。どこまで行っても、戦災児だ。戦災児だから、かわいそうだから、かわいそうと思わなきやならんから、かわいそうがってくれるだけだ。……いっそ、着る物や食う物なんか、どうでもよいから、いえ、言うこと聞かない時あ張り倒したっていいから、山の内マキを叩きなぐってくれる人がいてくれたら、その方がよかったかもしんない。
肥前 ……そうかなあ。そんな事もあるもんかな。俺にゃよくわからねえ。
マキ そうなんだよ。……いえさ、そうだからって、別に腹あ立てるこたあないけんどよ、ただ、それに気がついたら、あたい、なにもかもどうでもよくなったんだ。それに病気だろ。
肥前 ……まったく人間、いろいろだなあ。頭が違うように性質が違っていてよ……そいで、うまく行かねえと、みんな町ん中にもぐり込んで来て、変なふうにかたまったみたいになってよ……そいで、しまいにや申し合せたみてえに、生きたってしょうが無えと云う気がする事だけはハンコで押したように同じで、そいでもひと思いに死ねもしねえでヒクヒクと、ヘヘ、こうして川っぷちなどにやって来ちゃ、腰いかけてパンをかじったり……
マキ 小父さんのホントの名は、山形五郎というんだって?
肥前 うん? うむ。……山形の五郎か。久しい話だ、もうあれから二十年の上もたった。フフフ、九州は肥前佐賀、やっぱしこんな風な大川が流れててな、江湖エコ々々ちったっけ。いや、これほどデケエ川じゃなかったけどよ。そこい、大分県の山奥から流れて来た筏がチョイチョイ着いて、そいつが年中、つないであった。……仲さん、か。どうしたかな? 俺をつれちゃ、柳町と言うとこへ遊びに行った。うむ。……博多節というのマキちゃん、聞いたことあるかい?
マキ 無い。小父さんがよく唄う、あの変な歌じゃないだろ?
肥前 フフ、もっと良い歌だ。……そんで、その材木屋で働きながら、中学へあげてもらったりしたがな……その叔母さんがポックリ死んで、間もなく、店がつぶれた。そいから俺あ、あちこちして、門司へ出て働いていたが、身をたてるなら東京だと思って十八の時に東京に来たんだ。……そいでいろいろやった。が、うまく行かねえ。世間のせいじゃねえ。ウヌの片意地な性分のためだ。何をはじめても、直ぐに喧嘩だ。そりゃ、いつでも間ちがったことするのは上の奴で、正しいのは自分だ――そういう気がある。そういう、言わば正義病というかな、そうしちゃなんでも途中でおっぽり出す。……そいでウロウロしているうちに戦争だ。乙種だったんで召集を受けてね。いやいや戦争したんじゃねえ、つまらねえ二年の上も、馬の世話かなんかやらされてさ、いや、馬あ可愛いくて、よかった。人間がダメでな、上官――つまり下士官なんて奴らが、むやみと人の事けったりなぐったりしゃあがってね。……そいで戦争すんで戻って来たら、世の中あ、このありさま、正直者がバカを見るんだか何だかしらんけど……そこへ病気になったりしてよ。……気がついたら上野の地下道に寝てたってわけだ。……そうよなあ、全くマキベえの言う通り、もう死んでもいいようなもんだなあ。へへ……

出しぬけに直ぐ耳のそばで、川端のビール工場の午後のボーが、ウワーツと鳴り出して二人の話を消してしまう。
マキ子の病気が、ひどくなって、どっと寝こんでしまい、マキ子に好意を持っている連中が、意識不明になっているマキ子を遠まきにして見ている。この宿泊所の宿泊人達を気にかけている若い井上医師がやってきて、診察しおえて、何んとなく一同に向って、

井上 ふむ、病気そのものが、それ程ひどくなったというわけじゃないが、栄養が落ちていてなあ、これじゃ、肺病で死ななくても栄養不良で死ぬねえ。本人が生きようという気がもうないんだからどうにも医者に、手のつけようがないよ。当人がその気にさえなってくれりゃあうちの診療所に連れてって、どんどん栄養注射でもすればもち直すかもしれんがね。なにしろ、当人が一日も早く死んだ方がいいと思っているらしいからなあ。これじゃしょうがない。ええ、マキ君、聞いてるか、俺の云うこと。

マキは、死灰のように目も開けない。

井上 ごらんの通りだ。もし、すこしでも元気が出たようだったら、いつでもいいから連れて来たまえ。どっちせ、今夜、またおそくなって、来るには来てみよう。

と云って医者は帰る。
その後で、シンとしてマキの姿を見守っている者たち。

豊後 おいマキちゃん。しっかりするんだよ!
岩見 ……しょうねえなあ、マキちゃんよ、おい!

マキは返事をしない。
そこへ、一番向うの隅つこの方から、だしぬけに、
「ヤーレ
破れわらじと
おいらの仲は」

一同がひょいと見ると、肥前。

陸前 肥前。どうしたんだ急に歌をうたって? 歌のだんじゃあないじゃないか。見ろ、マキちゃん死にそうだ。

それにかまわないで肥前、

「すぐに切れそで」

豊後 よせと云ったら!

どなる。そのあとシーンとした中にクスクス低い笑い声が聞えるので、ひょいと見ると、寝てるマキが、顔に微笑を浮べている。やがてポカッと眼を開ける。

豊後 オツ、マキちゃん気がついた。どうしたマキちゃん。元気を出せよ、マキちゃんよ。

マキが、クスクス笑いながら弱い声で

マキ 肥前のおじさん、私が死ぬんだと思って、お経歌いはじめたわ。
豊後 え、お経?
と、マキが

マキ 肥前のおじさん、もう一度歌って。

それを聞いてた肥前が、ムツとした顔のまま、
「ヤーレ
破れわらじと
おいらの仲は
すぐに切れそで
切れやせぬ
アーチートコ、パートコ」
とユックリ歌いすましてから、
「およねさん!」と云った。
寝ているマキがニコニコして、

マキ およねさん? およねさんて、誰れ? え、およねさんて誰れ?

そのマキの顔に生色あり。
豊後、岩見、陸前などが……

豊後等 やあ、なんだか馬鹿に元気になったじゃないか。よし先生がああ云っていたんだから、じゃあ、このまま雨戸に乗せて、皆でかかえて、診療所にかついでいこう。

と数人。うむ、それがいいや、というんで、さっそく、マキを蒲団ぐるみに戸板に乗せて
ホラよ!
四、五人でかついで外に出る。それを見送る肥前と六十過ぎの越後。

越後 肥前さん、お前もついて行かねえか?
肥前 なに俺あ、いいだろ。
越後 うまく持ち直してくれりゃいいがね。
肥前 うん……。

どこからか、非常にたくさんの人の声で、まるで大川口に潮が寄せてくるように、木びき歌が響いてくる。
(合唱又はハミング)そのハミングのズーッと奥に博多節の三味線と歌がかすかに聞えてくるかもしれない。

底本:「三好十郎の仕事 第三巻」學藝書林
   1968(昭和43)年9月30日第1刷発行
初出:「破れわらじ」
   1954(昭和29年)11月、NHK放送
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入力:伊藤時也
校正:伊藤時也・及川 雅
2009年1月5日作成
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