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美術を介したる人間のかたちに於ては、
静安なのが肉体の第一の美である。
――アングル随想録


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一九二八年六月七日(熱海)

 大いなる熱が私を解放した。私は再び鎔和フユゼされた人間だ。いま霧のなかから静かに私の前にたち現れるのは、私のかつて知らなかつた新たな廻転をもつ世界である。その世界にはまだ何一つとして名のついてゐる物はない。この私が多分すべてを名づける者になるであらう。が今のところ私はただ、眼の前にひろがつてゆく此の限りない無秩序を愉しい期待の眸で眺めるだけだ。……いま私は、限りない無秩序と書いた。もう此処に過誤があるのではないか。私は果して、正しく無秩序と呼ばるべきものをさう呼んだのだらうか。いや、さうではない――決して。私は四囲から穏かに微笑みかける世界の顔にあまえて、つい不遜な言葉を使つてしまつたのだ。(人間にとつて、記憶といふものを全く剥脱することは大そう難しい事のやうである。見よ、私の再生にとつて大切な今この瞬間にさへ、古い記憶は薄ぼけた汚点となつて忍び込んで、それはやがて私の内奥の全体に蔽ひひろがらうとする気配を見せるのだ。私は畏れなければならない。)
 私は再び何ものによつても汚されてはならない。
 現在の私の世界は、一つの平面の上に単調な布置を形づくる幾つかの色と形とから成つてゐる。ここに私が単調といふのは、それらがお互ひに何の観念的な聯繋れんけいをも強ひられていないからだ。然しそこには、何といふ調和が憩うてゐることだらう。秩序なぞは欲しいとも思へないほどの静かな調和が。……私は平和をたのしむ。私は平和をたのしむ。

 朝の食卓で、私は牛乳の壺をひつくり返してしまつた。今そのときのことを思ふとひどく可笑しい。流動する固体といふものがあるだらうか。私は十本の指で、そのこぼれ広がつた牛乳をひと所に集められるものと信じた。私はその通りにした。私の努力にもかかはらず、牛乳はテーブルクロスにすつかり吸ひとられてしまつた。食事のあとで私は百合さんにこつそりと、そのほんの瞬間の心の動きを話してみた。百合さんは無言で聴いてゐたが、やがてたつたひと言おだやかに笑み崩れながら言つた。
「私にはよく分りませんわ。けれど卯女さまがただお羨しい。……」

六月十七日

 一週間も降りつづいた雨で私はまた元気をなくして、ベッドのなかで暮すやうになつた。妙に白つぽく明るい部屋。雨は部屋の中までははいり込まない。コチンと凝固したやうな室内。ただこの冷たさ、この冷たさをどうしよう。この海辺の温泉町の気温が雨に敏感なのか、それとも熱病のあとの私の神経が冷気に敏感なのか。百合さんはお医者様を呼ぶ必要はないといふ。私の体温はほんの少しばかり上つたのに過ぎないから。けれどもしこんな微かな雨気が私の皮膚にこれほど悪い影響を与へるやうなら。……私はまたしても自分の身体について神経質な不安に落込まないわけには行かない。

(午後)
 いま熱つぽい睡りから覚めたところ。にもかかはらず、気分はしつとりと静まつてゐる。私は自分の二の腕を眺める。乳白の皮脂の間にはもう美しい淡紅が入りまじつてゐる。私は部屋の一隅に百合さんの姿をまさぐる。その百合さんの眸が時をり本の頁から私の方へさまよふのを私は知つてゐるのだ。不安を消すために、夏よはやく来ておくれ。

六月二十四日

 やつぱり雨のせゐだつた。熱は百合さんが二階から降りて来て、「雨は今しがた岬をまはつて沖の方へ消えて行きましたよ」と告げた言葉とともに、面白いやうに平熱にかへつた。もう雨は来ないだらう。私は健康になるだらう。もうひとつ嬉しい事。――明日の朝から二階の部屋へ移るのださうである。ヴェランダの窓から海を見ることをお医者様が許して下すつたのださうである。

六月二十五日

 朝この部屋にベッドを移す。下の部屋ではまるで気のつかなかつたベッドの新鮮さ、この清らかさ。この部屋がそれだけ明るいのだらう。日かげは九時頃すこし窓硝子の隅のところに見えたきりで消えてしまつた。今は午後。かすかな、音も立てないぬか雨。湿気が身体に障るからといつて鎖された窓は、そのうへ厚ぼつたいダンテルで蔽はれてゐる。まるで眼かくしのハンカチのやうに。私はもうすつかり慣れてしまつたので、今ではさほど鬱陶しいとも思はない。
 今朝百合さんの肩にすがりながら初めてこの部屋へ上つて来たときの話では、窓の外は海や港を見晴らすヴェランダださうである。そして私は晴れた風のない午前にはヴェランダに出ることが許されたのである。

六月二十六日

 昨日は朝のお茶を済ませてからこの部屋へお引越しをしたのだつた。私はそのとき自分の脚がひどく弱くなつてゐるのに初めて気がついた。私は百合さんにりかかるやうにしてやつと階段を昇つたのだつた。そして部屋へはいるとすぐベッドに倒れてしまはなければならなかつた。……

(昼すぎ)
 私は何時間眠つたのだらう。疲労はかなり恢復したやうである。夕暮だ。百合さんは枕もとの小卓で、さつきから長い手紙を書いてゐる。鈍い海光がカーテンの隙間から天井を濡らしてゐる。

六月二十八日

 昨日の朝十時すぎ、百合さんが私のために佛蘭西ふらんす窓を一ぱいに開けて呉れたので、一歩だけヴェランダに踏み出してはみたが、それなりあわてて眼をしつかり抑へて部屋の中へ駈けもどつてしまつた。静かな朝だつた。私は何を見たのだらう。いや何も見はしなかつた。ただ何かしら、ひやりとした反映が私の額を射たのだ。海?

(その午後)
 先刻うとうとと睡つた時、なんだか海の夢を見たやうな気がする。尤もそんな気がするだけのことで、忘却の彼方に沈んでしまつてゐる海に何の形も色もありやう筈はないのだけれど。……
 それより、もし本当に私が夢を見はじめたのなら、私は何よりもそれを畏れなければならない。忘却を出る門が再び夢へと導くものならば、私にはそんな門は要らない。むしろ私はよろこんで自分の忘却をこそ完成しよう。その完成がそれ自身大きな組立てであることを私は知つてゐる。

六月三十日

 百合さんは私が海を怖がつてヴェランダへ出ないのを微笑みながら咎める。私は「御免なさい」といふ笑ひ方をする。この部屋に移つた翌る日から、私は午前中だけソファに起きてゐることにした。私はうつとりと眼を細めてその間ぢゆう睡つてゐる。私は百合さんに訊く、私が小猫に似てゐはしないかと。百合さんは優しくうなづく。

七月一日

 私がついこの間から始めた此の日記のやうなものは、中味をんだあとの薬包紙をまるめずにとつて置いて百合さんの万年筆で書いてゐるのだ。はじめの二三度は、百合さんがヴェランダで編物をしたり、お台所で食事の支度をしたりしてゐるひまに書いて、ベッドの間に挟んで置いた。百合さんはぢきにそれを見附けた。私は禁められはしまいかとびくびくしてゐたがそれは反対だつた。それどころか百合さんは紙を綴るために小さな虫さしピンをさへ呉れた。その代り一日に三枚だけといふ約束で。けれど三枚は書けない。こんな小さな紙だけれど、そんなに書けばきつと私は疲れるだらう。随分字を忘れてまだるつこい。不思議なことに私の指先はあまりふるへない。

七月二日

 私はこの日記を自分の体温表のやうに書く。指にまだ力がないので、字は不規則な形を描いてゐる。

七月四日

 私の朝のメニュ。――パン一片、ミルク、鶏卵、葡萄酒小量。この葡萄酒は昨日から加へられたもので、父がU博士と相談のうへ送つて下すつたものだとの事。父は忙しくて当分こちらへは来られない由。今朝使ひの子供の粗相そそうで卵が割れてしまつたので、食事が九時半になつた。体温が二分もさがつて気持のいい朝だつた[#「だつた」は底本では「だつだ」]。それに耳のせゐだらうか、今朝は海の音がはつきりと聞えた。膝の上に日射しを迎へるため百合さんに頼んで窓掛を少しだけ引いて貰つた。それで私は港の一部を見ることができた。今度は私が海へ出掛けて行つたのではなしに、海に窓まで来て貰つたのだから私はちつとも怖くはなかつた。港は緑いろに笑つてゐた。港といつても此の半島の幾つかの温泉地を連絡する小つぽけな汽船が出入するだけのものだといふ話。ちやうど私の見かけた白い汽船は、マストに青い小旗をヒラヒラさせて出て行くところだつた。

七月五日

 昨日は白い汽船のことを書いた所でやめてしまつた。私はもう少しあの先を書かなければならない。本当はあの青い小旗が眼にはいつたとき私が急にナイフを落したので、百合さんがびつくりして窓掛を下してしまつたのだつた。私の胸はドキドキいつてゐた。後で聞いたことだが、そのとき私は何か叫んださうである。私は熱の出るのを怖れて、午前中から臥床にはいつてしまつた。熱は出なかつた。

(午後三時)
 今朝目がさめてから昨日のことをゆるくり[#「ゆるくり」はママ]考へてみた。忘却といふことがある。もしかすると私の平静は(ここに幸福といふ字を使つてはいけない。私はいま自分が幸福かどうかといふ事すら意識しないで日を送つてゐる)――ただ忘却に依つてあるのではないかしら。忘却はその中に身を包まれるとムッとするほど温かい霧のやうなものに想像される。そして人は何か或るものを眼にとめたり意識したりするとき、ふとその物が霧を透して過去の或る記憶に合図するのを感じることはないだらうか。そしてこれは悪い合図だ。私はあのとき、汽船の青い小旗のすぐ近くへ登つて行く一つの人影を見た。その姿が私の記憶に合図したのだ。私はいそいで自分を忘却の底へと突き落した。私の前額にはネットリと汗があつた。……

七月九日

 昨日から再び色の調和が私に帰つて来てゐる。昨日も今日も私は昼間ベッドにはいらない。その代り柔らかな心地のいいソファが私の住家だ。私はここから部屋の中の物を順々に眺めて暮す。

(夕暮)
 私は色の変化に突然気づいた。階下したの部屋にはなかつたものだ。この部屋は生きた光を持つてゐる。それは海からぢかに此処まで流れて来る。何ものにも吸ひとられずに生きてゐる光。この光は影を持つてゐる。それが色に先づ奥行を、次に変化を与へるのだ。――おだやかな平面の調和が崩れる。もつと複雑な調和が新たに結ばれる。……私は新しい発見の前に眼くるめく。私は心の足もとのよろめくのを感じる。この新しい調和の世界へ踏み入ることは私にとつて過分だ。私はまだ堪へられないだらう。眼を閉ぢよう、眼を閉ぢよう。

七月十日

 私はできることなら平和のうちに自分の再生を完成したい。私の現在生きてゐる世界の幼い調和を形づくつてゐる形と色とに、私は知らず識らずに少しづつ陰影を許し与へてゐるやうである。これが不正な仮借かしゃくでありませんやうに。……百合さんと海についての長い会話。私にとつて海は大きな興味である。現在の私にとつて、海は朝夕にやや高まる潮音だけに過ぎない。聴く海。正しさを失はない為には、私は耳によつて海を理解するより他に途はない。私は百合さんの話をただ遠い国のお伽噺のやうに聞いただけだ。

(午後)
 四時ごろになるときつと私は船の汽笛をきく。その頃になると私はきつとマントルピースの上の置時計を眺める。その大理石の女身像はただ白いのではない。その灰白は刻々に変化する。影の量が移りかはる。空気の湿り工合によつてもそれは影響される。……私は生命のことを考へてゐるのだ。

七月十三日

 私は間違つてゐなかつた。私が大理石の像にみつめてゐたのは生命のヴィジョンだつた。私は間違つてゐなかつた。いま午後四時すこし過ぎ、ひだが次第に暗く紫色へ移つてゆく女身像をみつめながら、私は自分の胸のあやしい高鳴りに耳を澄ます。

 ああ私ひとりの力にはこれは重すぎます。夜になつて電灯の光が部屋を一つの平面に変へてしまふと、あの女身像は冷たい薄笑ひを浮べた石に還つてしまふのです。私はまだ弱く、私の身うちの力は私一人を支へるのがやつとです。私は一あしも先へ踏み出してはならないのでせうか。ああ私一人の力にはこれはあんまり重すぎます。……百合さんは私の枕のうへに顔をさしのべ、私の涙を丁寧に拭きとつて呉れる。私は幼児のやうに百合さんの眼にすがりつく。(夜九時)

七月十四日

 今朝私は百合さんに頼んであの時計を私の眼のとどかない所に置いて貰ふことにした。危機は去つた。私はもう人間について思ひ煩ふまい。私は再び快活に色彩ある画面のなかへ駈け入らう。

七月十六日(父の手紙)

 卯女子よ
 百合さんからの手紙でおまへがもう長い手紙が読めるやうになつたことを知りこの手紙を書く。私がこれまで一通の手紙もおまへに書かなかつたのは医者の注意もあり私も怖れてゐたからだ。その代り私は百合さんに度々手紙を書き、百合さんからはそのたびに詳しい返事が来た。今朝とどいた手紙は私を心から微笑ませた。その中で百合さんはおまへがどんなに羨しい幼児であるかを書いてゐる。私の見るところではおまへはおまへの恢復期を賢く暮してゐるやうだ。このことは百合さんも力を籠めて書いてゐる。これは私をよろこばせる。私は昨日長い旅から帰つて来た。誰も私を迎へる者のないガランとしたこのアトリエに。あてどもなくさまよひ歩いた信濃の山々。夏近い太陽は何度か私を圧し伏せようとした。私は闘つた。私は自分のスケッチの一タッチ毎にどれ程の熱情を感じてゐたかをおまへは想像することができるか。おまへは私の第二の青春を祝つてくれるか。
 だが今この部屋にゐて私の情熱は一脈の清冷を感じはじめた。私は静かに思ふことができる。今年にはいつてからの目まぐるしい変転。おまへのお母さんの突然の死、おまへの理由のわからぬ熱病。私はおまへを百合さんに托して旅に出た。私は百合さんがおまへの容態について書きよこす長い手紙を宿々で受け取りながら本当に長い旅をした。間もなく私はおまへが危険状態を脱し、恢復期の美しい道程に上つたことを知つた。それから後のおまへの状態はひどく私の注意を惹くものだつた[#「だつた」は底本では「だつだ」]。何故といつておまへの生命の呼吸はあまりにも私のそれに似通つてゐたからだ。二つの生命がお互ひに知ることなしに全く同じ相にあつたとも言へよう。昨夜とどいた百合さんの手紙は私のこの想像を殆ど決定的のものにした。私はおまへと同じく幼児だ。私は再び世界を築かうとする者だ。
 私と長い旅を共にした風景画は間もなく私の手を離れるまでになつた。間もなく私はおまへ達と一緒に熱海で暮すことができよう。それから私の夏の住家として軽井沢に小さな家を契約してゐる。八月になつたらその家へ移らうと思ふ。その家がおまへの気に入るかどうか。アトリエの隅におまへが学校時代に描いた画が二三枚埃まみれになつて転がつてゐる。おまへは随分お行儀の悪い林檎を描いたものだ。そらそら気をつけないと卓子から転げ落ちますよ! ……私は少し昔のことを沢山に書きすぎたやうだ。おまへも私も幼児のやうに天を眺めてゐるのだつたつけね。百合さんに色々の心遣ひのお礼を言つておくれ。

七月十八日(卯女子の返事)

 お手紙ありがたう御座いました。あんまり長かつたものですから百合さんに読んでもらひました。御免下さい。おしまひの所にあるお言葉に甘へて卯女は何も申上げません。ただ卯女も、今しがた睡りから覚めた幼児が崩れた積木を積み直すやうに、自分の世界を組み立ててをりますとだけ申上げませう。軽井沢によい家が見附かりました由、何よりも嬉しく存じます。それからこれは内証ないしょですけれど百合さんはお父様のお手紙を読みながら泣いてゐたやうです。私は百合さんの眼へ眸をやることはできませんでしたけれど、声が顫へてるのがよく分りました。私は泣きませんでした。この手紙は百合さんの手紙の中に同封させて貰ひます。

七月十九日

 熱病とは何であらう。あらゆる記憶を塗りつぶし、失はしめ、そして私にこの白い肉体と淡紅の血脈とを遺して、突然姿をくらましてしまつた熱病とは! 百合さんの話によれば彼はこの六ヶ月のあひだ記憶ばかりか私のありとある意識を失はさせてゐたのである。刻々の苦痛や悦びを訴へる感覚すらもが殆ど麻痺してゐたのださうである。やつと一と月ほど前から私に戻つて来た意識は、数ヶ月に亘る空白の彼方に旧い記憶を空しく手探り求めるばかりだ。ああ、ただ空しく。だがそれでいいのだ。私はもう記憶には用はない。忘却の世界はひろいひろい沙漠の彼方に一塊の白堊はくあの塔になつた。無表情なその塔はもはや私に何事も話し掛けはしないだらう。そして此処に十八歳の肉体が……私はそれだけで充分なやうな気がする。

七月二十一日

 あらゆるものの中で海はとりわけ私にとつてたくさんの陥穽かんせいに満ちてゐる。私はともすれば飜る波の一襞ひとひだにも古い記憶の合図を見るのだ。それはあの白堊の塔に閉ぢ込められた死者たちの棺衣がふと風にひらめくのでもあらうか。私がこのあひだ初めて窓ごしに港をひと目見たとき感じた驚きはこれだつたのであらう。一人の船員が青い小旗の方へとマストを昇つて行くところだつた。海と人と――今こそ私は何もおぼえてはゐず、はつきりした想像をする力も関心もないが、何かしらそこからぼんやりと私に呼びかける声があつたやうである。私はこれ以上はつきり書く術を知らない。そしておそらく私が少しでも過去の記憶の出現について書くのはこれが最後だらう。私は二度とふたたびこんな愚かな真似をしてはならぬ。

七月二十二日

「卯女子!」
 朝食ののちの快い休息をソファに楽しんでゐた私が、どうして扉の向ふ側にあんなにハッキリと父の声を聴き分けることができたのか、私は知らない。忘却の深い深い底の方からその声だけがエーテルの一つの気泡のやうにすばやく浮び上つて来たのである。私はいきなり膝の上の手布を撥ねのけて扉へ走つた。扉は開いた。私は全く久し振りで父を見た。私の眸は父の濃い顎鬚にすがりついた。父はしつかりと両手で私を抱きしめた。私は父の肩ごしに美しく笑み崩れた百合さんの顔へ、多分涙とともに微笑みかけた。

七月二十四日

 父が私たちと一緒に暮すやうになつてから私達の生活も変つた。私は午後の数時間を父と日当りのいいヴェランダで過すことになつた。静かな対話の時間。父は余りたくさんは話さない。父は私と話すときでも海を見ながら話す。私はどういふものか父と一緒に居て眺める海には先だつて頃よく見たやうな合図の閃きを感じない。父は海の色について話す。私は素なほにうなづき返す。とぎれとぎれの会話。百合さんは窓の中の書卓から時をり眼をあげて父や私と微笑みかはす。

七月二十五日

 父は書架をヴェランダに立てて海に向つてゐる。私は父の傍で溶かされてゆく色彩を眼で追つてゐる。会話は昨日よりも一層稀に交される。――
「卯女子、お前はあの岬の下の海が持つてゐるこの色に気がついたかい。」
「いいえ、お父様。……でもじつと見つめてゐますと、段々見えて参るやうですわ。……もしかしたらそれは、今しがた岬のはづれに浮び出た白い雲の落す影ではございませんこと?」
 父はブラシで丁寧にヴェル・ヴェロネーズを伸しながら答へる。
「お前の見方は正しいとも言へる。しかし本当は、この色についてはあの雲だけを注意しない方がいい。これは画面で言ふとこの右寄りのあたりに群がつてゐるさまざまのかたちが混り合つて生れ出た、説明のできない調子なのだから。……」
 それからまた暫くたつてから、父はふとブラシを休めて私を振り向いて言つた。
「かうしてじつと流れる雲や飜る波やを見てゐると、お前は物語を思ひはしないかね。もし物語を思つてゐるのなら、その同じ眸でお父さんの画を見るのはおやめ。お父さんの画は――その線の一つ色彩の一つもが何も物語つてはゐないのだから。私は記憶のつながりは言ふまでもなく、記憶のしるしさへもすつかり棄てた人間なのだから。私は画家なのだから。……」
 私はびつくりして父の顔を見上げた。物語? それは私にとつて何といふ思ひがけない言葉だつたらう。私は自分全体がぐらつと揺れ動くのを感じて、暫くは何も言へなかつた。何を言ふべきだらう。父はあの波間に閃いたことのあるあの記憶のきざしについて語つてゐる。父はどうしてそれを知つたのだらう。父も私と同じものを見たのであらうか。もしさうでないならば、父がそれを見てとつた場所といへば此の私の瞳孔の中より外にはない筈なのだが!……数分たつてから、私は顫へる声を抑へてやつとのことで答へた。
「私は、私はその画家になりたうございますの。」
 私は私の手の甲のうへに温い父の掌を感じた。……

七月二十六日

(午後三時)少し長くヴェランダに居たせゐか軽いめまひがしたので臥床に横になつたが、その間にうとうととしたらしい。目が覚めるとじつとりと額に汗をかいてゐたが、気持は見ちがへる程爽やかで快かつた。ヴェランダで百合さんの響きのいい笑ひ声がした。それが如何にも面白さうなので跳ね起きてピジャマのまま飛び出して見たら、これはどうした事か、父のパレットに百合さんの毛糸の鞠がくつついてゐた。百合さんはクックッと笑ひながら取らうとするが、糸をよごさずに巧く取らうとするのでなかなか取れない。あべこべに解けた糸までがベタベタと絵具の上にくつつく。父は傍に立つて穏かに笑ひながら見てゐた。百合さんは私の姿を見ると雛罌粟ひなげしのやうに紅くなつた。私はその百合さんをひどく可愛らしいと思つた。

七月二十七日

 昨日の夕方の汽車で父は東京へ帰つた。ヴェランダに小さな卓子を用意してお別れのお茶を三人でいただいてゐたとき、父は私に一冊の鼠色の本をくれた。それがこの本だ。アングル随想録。私の恢復の第一のしるし。はじめて許された読書!

七月二十九日

 暑すぎる時には日覆を半ば引いて、ヴェランダの午後の一時間あまりを『アングル』とともに過すのが私の日課になつた。私の足もとには百合さんの毛糸の鞠が転がつて。……あんなに好きだつたフランス語も不思議なほど忘れてしまひ、今ではもう殆ど思ひ出すこともできない位なのだが、それでもこの本のつつましい忠実な訳者のお蔭で、行と行の間に優しい原文の息吹きを時をり感じることのあるのはひどく嬉しい。何よりも古典を貴ぶことを知つてゐたこのすぐれた画家の言葉を伝へたこの本を、私の恢復期の読物にと与へた父の気持も私にはよく分る。大いなる熱によつてすべてを失つた私が先づ何から始めるべきかについて、父が無言で指し示してくだすつた道がここにある。この本はまつたく私を楽しませる。私は傍に百合さんの居ることも忘れて、毛糸の鞠が足くびに触つたのにびつくりして跳び上つたくらゐだ。

七月三十一日

 午後になるとヴェランダでの読書。『アングル』の鼠色の表紙の親しい感触を指の腹に感じながら何といふ和んだ気持。今まで読んだところでは、色彩についての章が一番ふかく私の心をとらへた。デッサンについてのアングルの感想は深い啓示に満ちてゐる様に思へるのだが、どうも私の心のすべての弦を一どきに鳴りひびかせると迄は行かないのである。私の眼の下には緑色の海が揺れてゐる。午後二時になるときまつて港を出てゆく小さな汽船がある。海辺から丘の中復にかけてひろがつた温泉町の静かないとなみ。思ひもかけない崖や家の背戸から時をり真白な湯気が立ち昇る。……すべてこれらは父がその短い滞在中に画板の上にとり入れた懐しい風景だ。私は父が画家として私を顧みながら語つた幾つかの言葉を思ひ出す。私は海や町の湯気を眺め、それから色彩についてのアングルの言葉を読む。とりわけ、私は岬のはずれの波の色を注意して眺める。父がヴェル・ヴェロネーズをその襞々ひだひだに塗り畳んで行つたあの波の秘密を。アングルの言葉、――「生ける肉体中には白いものは皆無である。何一つ絶対に白いものは無い、総ては相対的だ。白さで輝く婦人の側へ一葉の紙片を置いてみよ!」

八月一日

 海を見る朝々。アングルを読む昼さがり。その間に私の想ひは日ごとにととのつて行くやうだ。私は海の色が一日一日と深まるのを感じる。

八月六日

 明日は軽井沢へ移る日だ。百合さんは此の家の爺やを相手にお支度に忙しい。私は何も出来ないから、ぼんやりと窓の外を眺めてゐる。つややかな椿の葉が眼にしみるやうだ。(壁にかけてあるロートの『浜辺』は忘れずに羽根蒲団の間に入れること。)

八月九日(軽井沢)

 昨日の朝この家に着いたきり、父と百合さんの勧めで晩方まで臥床の中におとなしくしてゐたので、まだ此の土地については何も知らない。今朝九時すぎはじめて庭に向いたバルコンへ出てみた。海辺の温泉町と此の高原とでは何といふ物珍らしい違ひ方だらう。一昨日おとといまで私を包んでゐたムッとする様な大気。流れようともせずにホッと現はれてはまた消えてゆく白い雲。岬や海や、赭土しゃど切崖きりぎしや旅館の窓や、そして船までもがみんな睡つたやうに静まり返つてゐるあの温泉町。私の病身も半年ものあひだ養つてくれたあの温泉町。そこではすべてが色彩を息づいてゐたのに、この爽やかな高原では私は何の色彩も感じない。此処は何といふ透明な感じだらう。私は自分が盲目になつたのを感じ、耳が急に鋭くされたのを感じる。すべては流れてゐる。私はその流れる響を聞く。彼処の緑いろの海の代りに此処には青々と流れる山脈がある。家々の傾斜した屋根から屋根へと風が流れてゐる。動物が、樹立が流れてゐる。空気までもが薄青く流れてゐる。……

 午後の数時間はその暑気で私を楽しませる。私は暑気なしには生きて行けないのを感じる。暑さの中では私は物象があまり速く流れるのを感じない。豊かな色彩感がふたたび私に還つて来る。……

八月十三日

 この数日のあひだ私は全く自分の耳に蓋をして暮した。尖つた聴覚のためまた熱が上りはしまいかと怖くなつたのである。百合さんもすつかり心配してわざわざ父に頼んで東京のお医者さまに電話を掛けたほどだつた。お医者さまの言葉では私の健康の為には温泉地よりも高原の方がずつと適してゐるのださうである。私にしてもこの数日の状態が不自然な神経の尖りやうのせゐだといふ事はおぼろげながら気がついてゐる。風物のあんまり急すぎた変化が私の心をおびえさせたのだ。熱は出なかつた。そして昼間の数時間私はひどく幸福である。

八月十四日

 いや、すべてはさう激しく流れてはゐない。ただ、淡い色彩のゆゑに凝固した感じが少いだけだ。画布トワールの上には薄つすらと絵具が溶かされてゐるのに過ぎない。そして多分そのためなのだらう、画面にこまかく揺れうごくものの影が多くなつてゐるのは。
 山の雲と海の雲とは同じではない。海の雲には線がなくて色彩だけである。山の雲は先づ何よりも先に線で描かれなければならぬ。そしてこの後者は私が今まで知らなかつたものだ。

八月十六日

 此処に来てからはじめて父の画室へはいつてみた。父の画室は離れのやうになつてゐるガランとした明るい部屋だ。熱海で試みられた数枚の画がまだ完成されないままで入口の隅に置いてある。それらの色彩画にくらべると父が今描いてゐるのは何といふ違ひ方だらう! 大きな画布の上には入りまじつた線だけがはつきりと見える。色彩はその奥につつましく流されてゐるだけだ。私はおどろく。線とは何であらう。高原に来て線を感じたのが私だけでないといふのはどうした事だらう。

八月十八日

 私の大好きな絵、ロートの『浜辺』を久し振りでしみじみと眺める。気がついたこと、――線は色彩の境目ではない。それは色彩の基調なのだ。この土地の色の無い透明な空気が私にそれを覚らせる。

八月十九日

 高原に移つてから一ぺんも手にしなかつた『アングル』を読む。私の指は自然とデッサンの章をひらいた。実を言ふと今まで私にはデッサンといふものがよく呑み込めてゐなかつたのだ。私は色彩に夢中になり過ぎてゐたのだ。それに私は肉づけだけで彫刻が出来るものと思ひ込んでゐたのである。そんな私にとつてアングルの言葉は初めのうちは過分のアンファーズに満ちてゐる様に感じられた。(実際私が熱海でこの本に親しんでゐたときも、この章だけには何かしら縁どほいものを感じてゐた。)さうだ、この章は如何にも多くのアンファーズに満ちてゐる。それはアングルがこの章にこそ一番つよい熱意をもつてゐたからなのだ。アングルはデッサンに生きた画家だつた。私はその一句ごとにびつくりする。一くぎりをおえるごとに私は深い息をつく。
 アングルの言葉。――
「熱情さへも線によつて現はさるべきである。」

八月二十日

 熱情さへも線によつて現はさるべきである。――
 昨日書きつけて置いた言葉をもう一ど此処に。私はこの言葉が気に入つたのではない。私は怖いのだ。

八月二十三日

(午後)私はこの二三日本当にぼんやりして日を送つた。父も平生よりはずつと無口になつたやうだ。そして私にはその理由が少しばかり分るやうな気がするのだが。……百合さんだけが相変らず快活だ。編物をしながら窓ごしに、庭に遊びに来てゐる小犬と仲よくお話をしてゐる。そのくせ私がまた熱を出しはしまいかと、内々ひどく心配らしい。口に出してこそ言はないが、夜なかなど時々自分のベッドから抜け出して私の額に手を置いてみるのを私は幾度か知つてゐる。

八月二十四日

 父は一日ぢゆう画室にとぢ籠つてゐる。百合さんは百合さんで歌を唄ひながら編物をしたりお料理をしたりしてゐる。私は独りぼつちで画集をみたり雲を眺めたり、時をりはアングルを読んだりしてゐる。食堂で私たちは平和である。父は黙つてはゐるが優しい。

八月二十八日

 父の画は殆ど完成したらしい。私には父のちよつとした態度でそれがわかる。今日は昼食のまへ父は珍らしく街へ出掛けて行つてチーズと草花を買つてきた。まるで忘れてゐたような葡萄酒を久しぶりで飲むためだつた。この二三日私の心はひどく晴々としてゐる。それはただの平和だけとは言ひにくい。何か私の心に映るものがあり、それがひろびろと私の心一ぱいに微笑んでゐるのだ。すつかり身体が恢復したせゐだらうか。心のなかに新らしい世界がひらけたためだらうか。このあひだぢゆう私を怖がらせてゐたアングルの言葉が今では幸福の泉だ。私は日に何べんとなくあの言葉を読み返す。何かが私を待つてゐるやうな気がする。何かしら明るい予兆をささやく声を私は聞く。何だらう。私にはわからない。……

九月三日

 平和な日々が続いてゆく。みんなが笑ひながら生活してゐる。家ぢゆうの空気に幸福の匂ひがする。私たちはみんなよく仕事をする。私は仏蘭西語のお稽古をはじめた。

九月八日

「今日のお茶はお庭でいただきませうつて。」
 画室から帰つて来た百合さんが私にさう告げた。暑い日射しを庭一ぱいに感じながら、私は臥床の中で全く無心だつた。私は黙つてうなづいた。二三日まへから私は午睡をとる習慣がついてゐたのである。その代り夕暮どきを庭で父や百合さんと過すことにしてゐた。これは私の健康に望ましい結果をもたらすやうであつた。それよりもまづ注意しなければならないことは私が明るい外光の中に単純なうつら心地で住めなくなつたことである。くつきりとした明暗、それを劃つてゐる濃い線のほかに、全く性質の異つた線の存在を私は次第にはつきり了解しはじめたのである。休むために、静まるために夕暮の風がふたたび流れはじめる影の多い黄昏を、私は白昼よりも意味ぶかく、生命に満ちたものに感じはじめたのである。いささかの推察が許されるならば、力強い真昼の外光にひたつて育てられる幼児の心から私は次第に脱け出し、もつと混み入つた陰影や気分の息づく(推移にみちた)夕暮どきの方をよろこぶやうになつたのではないかしら。……私のペンよ、おまへは私の意志に反して走る。私が書きとめて置かうと希ふことは、そんな事柄ではなかつたのではないか。私はもつと別のことを書かなければならないのに、私のペンはあらぬ方へと逃れる。……

(その夜)
 私はまたペンをとる。家の中は静かである。画室の幸福な静かさが私の部屋までも聞えて来るやうだ。高原の秋は早い。私の心はもう煖爐だんろの美しい焔へとしみ入るやうだ。私は温かい心から父の画室の静寂を祝福する。私は書かなければならぬ。……
 私は快い午睡から目ざめた。室内はまだ明るい光に満ち、天井の白さが眼に眩しいほどではあつたが、あたりは妙にシンとしてゐた。私は寝すごしたのかと思つた。私はすこし前に百合さんの告げた庭のお茶のことを思ひ出したのである。私はいそいで身仕度をしてバルコンの扉口まで降りて行つた。そこからは卓子のある庭の一隅がよく見える。父と百合さんはもうそこに坐つてゐた。葉蔭を漏れる光が妙に緑つぽく、卓の上の乳壺の白い膚がうるんだやうに浮きあがつて見えた。私の見たのはそれだけである。だのに何かしら不図私の足をその場にとめさせるものがあつた。私は出て行くのをためらつた。そのとき父の手がごく自然に百合さんの肩へと伸びてゆき、百合さんのうなじが心もち前の方へ傾いた。私は(なぜか)思はず室内へ駈け戻つた。気がついたとき、私は自分の寝室へ昇る階段の下に佇んで、しつかりと両腕で乳房を抱きしめてゐた。私は明るく光るものの姿を見た。愛? それは外光によるものではなく、それは色彩をもたなかつた。私にはそれが全くわからなかつた。同時に私にはそれがよくわかつた。私はすべてのものの一時に私に還つて来るのを感じた。それは記憶の帰還であつたらうか。私は知らない。私は自分の胸のゆたかにふくらむのを感じ、私は生命の闕語の美しく満たされるのを感じた。私はまつたく安らかであつた。……

底本:「雪の宿り 神西清小説セレクション」港の人
   2008(平成20)年10月5日初版第1刷発行
底本の親本:「神西清全集 第二巻」文治堂書店
   1962(昭和37)年6月21日
初出:「文藝 第五号」
   1930(昭和5)年2月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2012年1月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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