作者
 馭者
 春子
 勝介
 壮六

(音楽)

音楽しばらく続いて、その間にアナウンス。
アナウンスやんで間もなく音楽やむ。

作者 私は三好十郎でございます。私は以前から長野県――信州の山岳地帯が非常に好きで、戦争前などは殆ど毎夏出かけましたが、殊に好きなのは八ヶ岳の裾の高原地帯で。ちょうどそれは太平洋戦争がはじまる一年前の夏のことで、やはり一人で出かけて、高原深くわけ入り、その方面でいえば、八ヶ岳の麓の人里では一番奥の、最後の部落にあたる落窪という村の旅人宿とはいっても、部屋の数四つばかりのごくさびれた内に二カ月ばかりいました。ある日のこと、午前中の仕事を終えていつものとおり、山歩きに宿を出たのですが、部落をぬけて深い谷川にかけた橋を渡ってしばらく行くと、農民道場があって、そこに各地からやって来て訓練を受けている青年達の明るい歌ごえが流れてきます。(二部合唱のうたを入れる)……それを背中に聞きながら私はやがて非常に深い原生林とカラ松と入れ交った森の中にわけ入って行きました。農民道場の歌声は次第に遠ざかり、夏だというのに蝉の声も聞えず、高原特有の肌にしみいるような静けさの中を森の小道をアテもなくスタスタと歩いて行きました。それ迄に二三度入りこんだことのある森で、三十分以上歩いて、もうそろそろ森を出ぬけてもよさそうだと思う頃、不意に近くで犬のなき声が聞える。足はその声に自然に導かれるようにしてしばらく行くと、明るいひらけたところにポカリと出ました。そのちょうど真中に、この辺りには珍らしい別荘風の――と言うのは、軽井沢あたりと違って、この辺には東京の人たちの別荘など、まだほとんどないのです、古びた山小屋が建っています。平屋建の壁は全部丸太を打ちつけた式の、なかなか趣味のいい建てかたをした家でした。垣根も柵も無いままに知らず知らずその家に近づいて、窓から中をのぞきこみました。内部は大きな広い部屋が一つあるきりの、しかし石を畳んだ暖炉があったり、ガンジョウなつくりの椅子やテエブルなどが見られて、すぐにも人が住めるようになっていますが、しかしいかにも古びはてています。人の影は何処にもみえない。どうした家だろうと思っていると、不意に横手の押上窓をガタンと開けて、一人の男が顔を出しました。この辺の百姓によくある姿をした半白の老人ですが、異様なのはその表情で、ほとんど噛みつくような、憎悪とも嫉妬ともとれる毒々しい目でこちらを睨んでいる。私は何となくドキリとして挨拶をするのも忘れて立っていましたが、彼はいつまでたっても何とも言わないで、その目で私を睨みつけているだけです。その中に家の後へでも廻っていたのか、秋田犬の系統に属する大きな犬が走って私の方に近づいて吠えはじめました。
私はいたたまれなくなって、そそくさと林の方へ立去って行きました。

(音楽)

作者 私が再びその老人にあったのは、それから四五日後のことで、そこから二三キロもはなれた山の畑の中です。そこらは切り開かれてずっと高原の一面の畑になっているところで、やっぱり犬の声で、眼をやると、畑のフチに休みながら焚火をしているお百姓がいて、見覚えのあるその犬もいる。焚火にあたってタバコを吸っているのはこの間のその老人で、今日はもう一人別に十六七の少年がわきに坐ってこっちを見ています。私はこの間のことがあるので、なんとなく老人に向って目礼をすると、先方も犬を叱りながら焚火の方へ私を招じるような態度を示し、それで私は「こんちわ」といいながら、二人のそばへ寄って行きました。老人の態度は、先日山小屋の窓から私を睨んだときとはまるで別人のように柔和で、あのときのあの老人とはどうしても思えない位でした。年は既に六十前後でしょうが、生き生きと始終ほほえんでいるような、よい眼をしていて、頭髪やヒゲは半白だが、顔の皮ふには若い者のようなツヤが残っている。……そのうち非常に香ばしい、いい匂いがしはじめたので、何だろうと思っていると、老人はそれと察したのかニコニコと眼を小さくして、焚火の灰の下をほりおこして、コンガリ焼けた饅頭のようなものをいくつかとり出して、その一つを手の平にのせてポンポンと灰をたたき落してから、私にさし出して食えというのです。何だろうと思いながら口に入れると、コンガリと焼けたソバ粉の匂いのする餅のようなもので、中に塩アンのアヅキが入っている。噛んでみると非常にうまいものです。「何ですか」ときくと「オヤキだ」という。ソバ粉をねってこうして食うのだと少年が説明しました。老人は少し歯の抜けた口を開いて気持よさそうに高笑いをしながら「水をくんでくるかの」と立上って向うの傾斜をおりて行きました。私は先日老人に会った時のことをちょっと言うと、少年は「ああ黒田の別荘づら、あそこに行ってる時のおとうに何か言ってもダメだ」そういいます。何かわけがありそうに思いましたが、それをきくのは失敬なような気がして、その日はそこでオヤキとお茶をごちそうになって私は立ち去りましたが、それ以来、その老人一家と知り合いになって、時々その家にも立ち寄るようにもなりました。その一家といっても、家族の全員はその老人とその少年と犬だけで、女気は一人もない。その家はあのカラ松林の落窪部落よりのはずれにあって、少年が黒田の別荘と言った例の山小屋までは、ほとんど半道以上も距離がある所にポツンと建っている一軒家です。老人は柳沢金吾という名前で、息子の少年が金太郎という名前だったのには思わずほほえんだことです。ただし金太郎君は金吾老人の実の子ではなく、小さい時に養子に貰われたもののようでした。金吾という老人はこの地方きっての精農家で、ことにこの地方は土地が高いせいで、秋から冬へかけて大変冷える――つまりいうところの寒冷地――その寒冷地における稲作については非常な研究と成績をあげている人である、ということがだんだんにわかってきました。居間から座敷の鴨居に、県や農会やなどから与えられた表彰状、褒状などがずいぶんたくさんかけられています。落窪の部落にある農民道場からなども農作の仕方について話をしに来てくれるようにと懇請されているらしいが、いくら請われてもそういう所へは行かないようでした。そして毎日コツコツ田圃仕事や畑仕事に精を出すだけで、ただ五日に一度一週間に一度と、あの山小屋に行っては部屋の中の掃除をしたり、古びてこわれかけた居まわりの修繕をしたり、小屋の外の畑の手入れをしたりするだけです。その山小屋とその周囲の山林は、なんでも東京の黒田という家の所有になっている、それの管理一切を老人は古くから委されているらしいようなことでした。こんなふうに私はこの一家と知り合いになっただけで、別にそれ以上立ち入るということもなく過ぎていましたが、そうこうしてるうちに夏もすぎて秋も深まってきたので、私は東京へ帰らなければならなくなり、金吾老人と金太郎君とも別れを告げ、宿屋を引きはらって東京へ戻ってきたのです。次の年もだいたいその辺に行きたいという気でいましたが、やがて時勢はますます急迫して太平洋戦争がはじまり、その間、ご承知のとおり日本はさんざんなことになって、戦争は終り、終戦の次の次の年、その秋の末頃です、もういくらか肌寒くなったころ、思いたって私は信州へ行ってみました。そして金吾老人の家へも訪ねて行きました。そしたら金太郎君は非常に立派な青年になっていましたが、金吾老人はその前年、――つまり終戦の年の次の年に、もうすでに亡くなっていました。……あの無口な人が時々私のことを話しだしたりしていたが、つい二三日、風邪ひきかげんだと寝ていた末にポクリとなくなった。その告別式の時には、非常に盛大なお葬式だったそうですが、金太郎君は私のことを大変なつかしがって、ぜひ泊っていけと何やかやとご馳走してくれるので、五六日私は泊りましたが――お墓参りもしました。お墓は部落のお寺にあるのではなくて、例の黒田の別荘という山小屋の建っていたところにありました。行ってみると山小屋はキレイに焼けおちてしまっていて、あとは柱のたっていた敷石だけが家のかっこうに残っているだけで、その片隅に金吾老人のお墓が――質素な小さなお墓がありましたが、そのお墓のちょっとわきにもう一つお墓があります。墓のおもてをみると戒名が彫ってあるのですが、その戒名の関係から女の人のお墓だとわかります。それで私は金太郎君に、「これは誰のお墓? たしかお父さんにはおかみさんはなかったと思うんだが?」ときいたら、金太郎君は、「いや、そうじゃないんですけど」と言葉をにごします。そいで私は金吾老人のお墓にまいるついでに、そのお墓にも水をあげて拝んで帰って来ました。その二人の後から例の犬のジョンが、これもションボリしてついて来ました。この犬もずいぶんの老犬になっていて、もうヨボヨボになって、よくみると眼がほとんど見えないらしい。それがトボトボ二人の後をついて家へ帰って来たのですが、その晩、火じろのわきで金太郎君から金吾老人の話をいろいろききました。しかし、いかんせん、金太郎君はまだ若くて、若い時の金吾老人の話は知らない。なんだったら「おとつあんはごく若い時から日記を書いている」と言って、古い机のひき出しにキチンとして入れてあったその――日記といっても小さな汚れた手帳で、それが五十冊近く、毎年一冊書く習慣らしくて、冊数は年数と同じなわけなんですが、それを出してくれた。ひらいてみると、粗末な日記帳で、それに鉛筆で書いてあることはほとんど作物のことや農事のことが書いてある、農事日記です。自分の生活のことはごく僅かしか書いてありません。何月何日晴とか、今日は何処そこへ誰といったとか位のことしか書いてない。しかし私はそれを全部めくってみました。と同時に[#「と同時に」は底本では「と同年に」]、金太郎君に聞くと、老人と終生仲の良かった、もと農事指導員をやっていたという、川合壮六という人が三四里はなれた町に健在だと言うので、訪ねて行って、金吾老人の若い時からのことをきくことができました。
 以下、この物語に展開されるいろいろのことは、金太郎君の話と、川合さんの話を参考にしながら、金吾老人自身が書き残した日記帳をもとにして、年代順に並べただけのものであります。ちょうど日記帳の第なん冊目――明治四十年の分です――その真ン中ごろをひらくと――ここがそうですが――八月十日晴――そしてこれ一行だけ。馬流の壮六に頼まれ、東京の黒田様の案内をして落窪の奥へ行く――

(朗読の尻にダブって、カパカパカパとダク足で歩いて行く馬のヒズメの音。やがてガタンゴトン、ギイギイと車輪のヒビキ)

馭者 (ダミ声で馬に)おおら!(ムチを空中でパタリと鳴らして)おおら!

(カパカパカパとひずめの音。――この音は背後に断続してズッと入る)

春子 (少女の浮々した声)あららっ!
勝介 (笑いを含んで)なんだな、春?
春子 だってお父様、あのそら、あすこに見えるあの山が浅間だと、さっき、おっしゃったわね?
勝介 そうだよ。
春子 あら、だって、さっきは前の左側にあったのに、今、こうやって後ろにあるわ。
勝介 はは、だって、ごらん、うっすりと煙を吐いている。このへんに、そんないろんな火山は無いさ。
春子 そうかしら。
勝介 こうして馬車に乗っていると気がつかないが、これで、この辺の道はグルグルと、えらい曲っている。千曲川がこの辺では曲りくねって流れているからね、道はそれに添っているんだから。ねえ、あのう、なんとか君――川合君だっけ?
壮六 (案内の青年。馭者のわきの席から堅くなった口調で)はい? はあ、川合壮六であります。
春子 あら! あなた可哀そうと言うお名前?
勝介 これこれ春。
壮六 いえ、あの、川合と言う苗字で、名が壮六と言う――
春子 ああびっくりした。(クスクス笑う)
勝介 (これも笑いを含みつつ)こういう子だ、気にかけないでくれたまえ。
壮六 はあ、いえ。
勝介 佐久街道でも、たしか、このへんが一番曲りくねっていたねえ!
壮六 はい、そうであります。この辺からズーッとうんの口から野辺山へかけて、はあ。
春子 あら、するとお父様、これが佐久の街道?
勝介 そうだよ。
春子 すると、このへんズーッと佐久ね?
勝介 そうだ。どうかしたのか?
春子 草笛がちっとも聞えないわね、それにしちゃあ?
勝介 草笛と?
春子 島崎藤村よ。
勝介 ああ、藤村か。
春子 小諸なる古城のほとり、よ。
勝介 うんうん、昨日のぼった――
春子 いいえ、その詩にあるの、歌悲し佐久の草笛って言うの。
勝介 詩はお父さん、わからんよ。
春子 (朗詠の節をつけて)歌悲し佐久の草笛。

(その詩の文句につづいて、トテートテー。トテトテ、トテーと明るいトボケタ音を立てて馭者がラッパを吹き鳴らす。それがあちこちの山肌にこだまして、さわやかに鳴りわたる)

春子 (びっくりして)あらら!
勝介 ほら、草笛のかわりにラッパだ、ははは!
春子 ひどいわあ!
壮六 (馭者に)おい、おい、おじさんよ!
馭者 (間のぬけたドウマ声で)あーん? なんだよう?
勝介 (壮六に)かまわん、かまわん。
壮六 (恐縮して)どうも、この小父さん、すこし耳が遠いんでして、はあ。どうも、もうちっとマシな馬車があるとよかったんですが――いえ、馬流にもゴム輪の馬車の二台ぐらい有るのです――県庁の斉藤さんからも是非それを仕立てるようにとの事でしたが、あいにく二つともこわれていまして、こんな、どうもガタクリで。
勝介 なに、結構だ。この方が、かえって気らくで良い。なに、今度は本省の方とは関係のない、まあ私用の旅行でね、県庁の方も素通りして来た位だったが、昨夜馬流に泊ってさ、考えてみると、これが附いて来ている、当人は初めからの約束で歩くと言うが、そうもならんし、それにどうせ案内の人は欲しいんで、ツイ県庁の方へ電話したら斉藤君が騒ぎ出して、どうも君にまで御迷惑をかけてしまった。
壮六 いえ、その、迷惑などとはとんでもございませんで。ホントは斉藤さんが飛んで来なきゃならんが、あいにく県農会の会議があるんで、おめえ行ってくれって――私は農事試験所の助手のようなことしていやして――はあ、いえ、おもに稲作の方のことをナニして――出身が馬流でやすもんで、はあ。
勝介 まあまあ、そう窮屈にしないでラクにして下さい。とにかく、こういうヤンチャなコブがくっついて来ておる。
春子 だってお父様、この春からのお約束じゃなくって?
勝介 (笑いつつ、それを無視して、壮六に)夏休み中にどうしても信州へ連れて行けと言うんでね、はは。いや、もともと、高い山の中で生れた子でね、わしが北海道の奥の高原に入りこんで、あの辺の林を見ていた時分――そこでまあ、生れて、育ってこれの母親は、そこでまあ死んだが――そういうわけかね、むやみと高い所が好きだ。どうしてもついて来ると言ってきかん――それに、この辺でカラ松を実生から育てて、苗木を出そうと言う仕事を見てくれと、ここの県庁あたりから頼まれていることもあり、わしもこの辺は何度も来て好きなんで、この奥あたりに時々やって来て住めるような小屋を建ててもよいと思っているもんだから、その下検分と言うかね。
壮六 そうでございますか。この辺も早く鉄道でも通ってくれると、ありがたいですが。
勝介 いやいや、いずれ小諸あたりから鉄道は通じるだろうが、これで戦争成金なんかじゃない、まあ山ばかり歩いている学者でね、まあ、貧乏人が山小屋たてようと言うには軽井沢へんよりはここらがよかろうと言うのさ。なにかね、この辺で、土地や山林を貸すとか売るという話はどんな人に相談したらよいのかね? いや、いずれそういう事になれば県の方へジカに私から話せばよい事だろうが、その前に土地のことをいろいろ聞いときたい。
壮六 はあ、それは、その柳沢の金吾――先ほど申しあげました――私よりも金吾の方がこのへんから奥のことについてはくわしいものですから、海の口から先きは金吾に案内いたさせようと思っております。同じ馬流の生れでありまして、私とは幼な友達で、ズーッと海の口のはずれで開墾に雇われて稼いでいる、しっかりした男です。
勝介 金吾君と言うのかね、そんなにこの辺のことをよく知っている――?
壮六 はい。もうズーッと、この奥で高原地の百姓したいと言うんで、そいで土地を買う金を溜めるために開墾で働らいている奴です。家が微ろくしちまって――それに、、この辺の平坦地には、もう余分の田地はありゃせんから。
勝介 そうさねえ、うむ、そりゃ、この辺の高原地はやりようで麦やジャガイモや、それから酪農、まあ北海道へんのような農業には向くかもしれん。そうかね、そりゃ、私の方でも、そういう人には会ってみたい。君の友達と言うと、まだ若い人だね?
壮六 はあ、私と同い年です。ああ、そろそろ海の口です。あの右手の崖の上の雑木林で働らいているのでがして。

(ガラ、ガラ、ガラと車輪の音、トテ、トテ、トテーとラッパ)

春子 あら、ら!
勝介 どうした春?
春子 ほら、ほら、あれごらんなさい、お父様! あすこ!
勝介 ははあ、子供たちが泳いでいるな。おお、おお!
春子 それがね、私、あの岩の上に、なんだか赤い岩が乗っているなと思って見ていたの。そしたら、ラッパが鳴ったと思ったら、その赤い岩がいちどきにこっちを向いてピヨンと飛びあがって、両手をあげて、そいで、ポンポン水の中にとびこんだの! まるで蛙だわ!
勝介 はは、いいね。この辺の子たちも!
壮六 (笑いを含んで)こういう寂しい所なもんで、よその人でも馬車でも、何を見てもハシャグんでして。
春子 私も泳ぎたくなった。泳いじゃいけないお父様?
勝介 そら、いかん! この辺の子は馴れているからよかろうが、春があの水につかったら、いっぺんにふるえあがる。冷たいのだ、ここらの水は。
春子 くやしいわあ!
壮六 さ、来やした。この上ですから――(馭者に大声で)小父さんよ、ちょっくら停めてくんない。
馭者 ああ?、停めるか? よしよし、どう、どう!(と、馬に)こうら!(馬と馬車が停る)
壮六 (馭者台から飛びおりて)直ぐでやすから、ちょっくらお待ちなして。……(小走りに崖道の方へ)
春子 どうしたのお父様?
勝介 いや、ここから奥を案内してくれると言う人が、この上で働らいているんで、呼びに行った。
春子 そう?……(又、川の方へ目をやって)
同じ千曲川と言っても、いろいろになるのね。さっきまで、あんなにゴツゴツして、流れが急だったのにこの辺は、こんなにユックリ流れてる。水かさだってずっと多いわ。いいなあ!
勝介 うむ、きれいだね。
壮六 (既に離れた、上の方で)おーい、金吾う? 金吾よーい!(それが方々にこだまする)
春子 (気持よさそうに、はじめ低音で、ひとりでに思わず知らず出て来た歌――女学校唱歌「花」)
春の、うららの、隅田川。
壮六 金吾よーい!
春子 (歌)のぼり、くだりの、舟びとが。
金吾 (かすかに、ずっと上の方から)おお――い。壮六かよーう?
壮六 はは! 俺だよう! 金吾よう!
金吾 おおよう!(それらの呼声は全部、山々にはるかにこだまして響く)
春子 (その中で、次第に声を張りあげつつ、馬車の窓わくをトントン叩いて拍子をとりながら、ウットリとして歌いつづける)かいのしずくも花と散る。――
   ――(その歌の中に)


 金吾
 壮六
 春子
 勝介
 敦子
 敏行
 鶴

(音楽)

壮六 (ポキポキと枯小枝を踏んで崖道からあがって来ながら)おい、金吾よう!
金吾 やあ、壮六かよう。うっ!(と、重い開墾鍬を小石まじりの土にガッと打ちこんで)……どうしただよ、今時分?
壮六 うん、県庁の斉藤さんに頼まれてなあ、東京の偉え人を案内して急にこっちいのぼって来ただ。……おうやしばらく来ねえ内にここはもうスッカリ開墾でけたなあこいつは、立派な畑になるぞ!
金吾 (気持よさそうに笑って)ハハ、畑だあ無え、水田にすんだ。もうへえ田ぶしんの石垣つめば、水あこの上から引けることになってるしよ。
壮六 なんとなあ――、うむ! だけんど、お前ほどタンボの好きな奴もねえなあ! こうして、ウンウン言って次ぎから次ぎと旦那衆の山あ開墾しても僅かな日当くれるだけで一坪だってウヌが田地になるわけでも無えに。
金吾 そんでも日本国のタンボはふえるべし。
壮六 そんでもさ、飽きもしねえでよ!
金吾 飽きもしねえのは、俺だけかよ? 農事試験所で農林なんとか号のモミつぶなんぞ抱いて寝たりしているなあ誰だっけ?
壮六 あっははは!
金吾 は、は、は……
壮六 おっと、かんじんの用件忘れちゃ、あかんわい阿呆め!
金吾 なあんだ、阿呆はおのしずら、ハハ。県庁から言われたと?
壮六 うん、ひとつ頼まれてくれ金吾。なんでも農林省の偉えお人だ。ううん、農林省と言ってもお役人じゃ無え、そこの山や林なんどの、ええと、顧問とかって、学者だ。黒田博士と言ってな、それがこの奥の野辺山へんを見てえそうだ。県庁の山林にいる斉藤さんのもとの先生だつう。いやいや、こんだは県の仕事で来たんではねえから命令では無えつうんだ。なんでも、この奥の良さそうな所に別荘でも建ててえような話でな。急に案内してくれろって言われてな、ここまでは俺が案内して来たが、これから奥はお前がくわしいからなあ。お前を頼んで見ようてんで、この下に馬車あ待たしてあるんだ。
金吾 へえ、すぐこれからか?
壮六 うん、頼まれてくれ。清里の方へ出て、あれから小淵沢へ抜けるか長坂へ下るか、都合で明日までかかるかもしれんが、日当はちゃんと出して下さる模様だ。俺あどうせ、落窪にちょっくら用があるからな、そこまで一緒に連れなって行って、直ぐ試験所へ戻らざならねえ。
金吾 困るなあ。もうへえ、あと二日もやれば、ここの仕事はおえるとこだからな。
壮六 いいだねえか、地面がお前、飛んで逃げて行きやしめえ、頼まれてくんなよ。それが俺の考えたなあ、お前は行く行く、この奥で百姓する男だ。そんな偉いしが別荘建てたりするのと知ってれば、又なんか都合の良え事もあらずかと思ってよ。
金吾 うん、そりゃそうかもしれんが……んでも、そんな東京のしなんずと口いきくの窮屈で俺あ、ごめんだなあ。
壮六 ハハ、なあによ、どうであんな衆から見りゃ、ここらの俺たちなんぞ、熊かなんかと同じもんずら。挨拶のしよう一つ知らなくても、かまうもんかよ。さあさ、行くべし、行くべし!
金吾 そうかあ。んでも、このマン鍬、かたずけて――
壮六 (もう崖下へ向って歩き出している)なあに置いとけまさか、トンビがその重いもん、くわえて行きやしめえ、ハハ!
金吾 (これもその後に従つて歩き出しながら)だけんど、ちょっくら、この、手でも洗わねえじゃ、泥だらけだ。
壮六 開墾百姓が泥だらけの手してるなあ、あたりめえずら! あとでええよ、馬車あ待ってんだ。(急な崖道を勢いをつけてトットと走りくだる)
金吾 だけんど、足元から鳥が立つみてえに……(これもトットットッと走りくだる)
壮六 おっとっとっと! ハハ! ああい、お待どおさまでがした!(二人が崖道を走りおりて道に出るまでの足音。それにマイクが附いて行く。それに向うから馬車の中で春子の歌う「花」の軽快な歌声――第二番の歌詞。馬車の窓べりを手で叩いて拍子をとりながら――入って来て、急速に寄る)
壮六 (それに近づいて行きながら)……黒田先生お待ちどうでございまんた。
勝介 いや、御苦労。どうかな、行ってくれるかね?
壮六 へい、参ります。これがその柳沢の……(と背後を振返る)
勝介 (それに向って)やあ、とんだ事をお頼みして、御迷惑をかけるねえ。
金吾 いえ、あの……おはつにお目にかかります。(キチンとていねいなお辞儀をしてから頭を上げて)――どうぞ――
春子 (川の方向を向いて歌っていたのが、この時フッと歌をやめて、こちらを向きながら)ねえ、お父様、あすこの――
勝介 うん?
金吾 私は柳沢、金――(と言ったトタンに春子の顔を正面に見て、ギクッとしてキンと言ったきり絶句して、あと黙りこんでしまう)
壮六 (馬車にのりながら)さあ、お前も乗りなよ金吾。どうしただい?
勝介 さあさ、こっちがいいだろう。(春子に)なんだな春?
春子 ううん、あの――(と、これはビックリして金吾を見守っている)
壮六 (馭者に大声で)小父さんよ、馬車あ出してくんな!
馭者 (耳が遠い)あん? 出すのか? よしよし、(パチリとムチを鳴らして)こうらよ!
壮六 さ金吾、乗るだよ!
金吾 うん(口の中で言って、ギシギシと馬車に乗り込む。同時にパカパカと馬が歩き出し、ギイコトンと馬車が動き出す)
勝介 すまなかったねえ、お仕事中に引っぱり出して、開墾やっとるそうだな?
金吾 は……(と、これも口の中で)
勝介 骨が折れよう、ここらの山では、えらい砂が混っとる筈だ。
金吾 は……(同様、話のつぎほが無い)
春子 ……お父様、あのね、あすこに見えるあれがタデシナじゃありませんの? あの黄色い、ビョウブみたいな格好の――?
勝介 そうさな、ここからタデシナ山が見えるかな? どうだろう君?
壮六 そうです、たしかあれがタデシナで。だなあ、金吾?
金吾 うむ……(と低い声)
壮六 お前どうにかしたんか?
金吾 いや……
壮六 急に黙りこくっちゃってさ。
勝介 いいんだ、いいんだ。ハハ……(とこれは田舎者のはにかみには馴れていて、金吾をそれだと思っている)
春子 あらら!(と言ってから口を手でふさいで下を向いてクスクス笑い出す)フフ、フフ、フフ!
勝介 なんだ? え? どうしたんだ?
春子 フフ、いえ、あの……フフ、フフ!
勝介 なにがそんなに――?
春子 だって、フフ……(父の耳元へ口を寄せて小さく)あの手! なんてまあ、ほら!あの方の――
勝介 (これもすこし小さくした声で)うん、手をと?……(向う側に坐った金吾の両手に眼をやって、これもびっくりして)おお、なるほど!
春子 ね、お父様、フフ……
勝介 うむ、こらあ大きい!(これも笑い出している)
春子 フフ、まるでミットみたい!
勝介 見事だ、うむ、ハハ!
壮六 はあ? なんでございましょうか?
勝介 いやいや、なんでもない。この、金吾君といったか、柳沢だね? この人の手があんまり、大きいもんだから、これがびっくりしてね、ハハ、ハハ! いやいや、金吾君、かくさないでもよろしい。こういう、直ぐ何でもおかしがる子だ。決して失礼な気持で笑っているんじゃない。そういう立派な手は東京あたりにはもう見られないもんだからね。
壮六 ハハ、そうでやすか。なんしろ、永いこと重いマン鍬なんど使っていやすと、ゴツくなりやして、中でも金吾のはここらでも大将でやす。
勝介 (笑いを引っこめて)いや、そういう手が日本の土地をひらいたり、山に木を植えたりしてくれるのだ、うむ!(金吾に)なにかね、君は将来この奥で高原地の農業やりたいそうだな?
金吾 ……はい、はあ。(口の中で)
勝介 結構だ。まだ若いようだが、いくつになったかね? え?
金吾 あの……(言葉が出ない)
壮六 (見かねて引きとって)二十四でやして。同い年で、私と。
勝介 そうかね、そりゃ……これからだ、すると、これから、諸君の時代だ。明治も今年は四十年だ、わしらみたいな天保生れの老骨はソロソロひっこんで、諸君が引きついでくれなくちゃならん。そうだ、寒い地方の農業、ことに高原地の農業は日本ではまだあまり研究されていない。ただなり行き次第でやられているきりでね。しかし外国ではスカンヂナヴイヤや高い土地ではスイスなどの寒い所でもチャンと農業国としてやっとる。勿論、日本では稲作というものがあるから、これは特別に研究される必要があるだろうが、しかし麦の出来る所で米が出来ないと言う道理は無い、理屈から言えばね、研究ひとつだと思う。ひとつしっかりとやってくれたまえ。私は山林やなんかの方で、チと方面は違うが、この奥でカラマツなどを種から育てて見たいと思っている。そいでまあ、別荘――と言うほどでもないが、ここらに小屋でも建てて毎年やって来てすこし本腰をすえてやりたいと思っとるんで、そうなれば君たちの研究の相談相手ぐらいにはなってあげられようかと思う。
壮六 はあ、どうぞよろしうお頼みいたします。なあ金吾!
金吾 うむ。……
壮六 実は私は試験所の方で稲作の方の勉強を主にやっとりまして、この金吾とは小さい時分から一番仲の良い友達でやすもんで、行く行くは二人で力を合わせて、この奥を開いて見べえと言う約束でがして、はあ。金吾は、もうこいで、落窪のはずれの山を二段歩ばかり買っているんでやして。
勝介 そりゃ、えらい。落窪というと――?
壮六 間もなく、その部落をこの馬車が通りますが、その先生のおいでになる野辺山が原の、ちょうど入口にあたる所でがして。
(窓の外を見て)千曲川が、もう間もなくグッと曲りこんで、この道と離れてしまいやすが、するつうと、道はのぼり一方になりやして、その登りつめた所が落窪で、そこから、野辺山が原でやして。
勝介 そうかね、じゃ都合で、私も金吾君に頼んで、その近くに山を買って小屋を建てるか、どうだね。お世話願えまいか?
壮六 そうしていただけりゃ、私らの方もありがたいわけで。なあ金吾?
金吾 うん……
壮六 (じれて)お前どうしたつうんだ? さっきから眼ば据えて、うんうんと言うきりでよ。
金吾 ふう……(今度は低くうなるような声を出す)
勝介 (笑って)まあいい、まあいい、ハハ。
壮六 (取りなすように)いえ、ふだんはこうじゃ無えんでがして。いえ、ふだんから無口な奴じゃありますが、しかし、こんなどうも。なあ金吾よ!
春子 あら!(これは先程から窓の外ばかり見ていたのが、何かを見つけて叫ぶ)あれ、どうしたんでしょう、お父様あんなに、あわてて駆け出して――
勝介 どうした?
春子 ほら、ほら、赤ちゃんの仔馬! ころぶわよ! ころぶわよ! どうしてあんなに、ピョン、ピョン駆け出すんでしょう?
勝介 うむ、この馬車を見てびっくりしたのかな?
春子 かわいそうに! ほら、けつまずいたわ! 今に転ぶわ!
壮六 (笑いを含んで)いえ、あれで、なかなか転んだりはしません。生まれ落ちると一時間位で直ぐトコトコ駆け出すもんでがして。
春子 だってあんな川原のゴロタ石ですもの下が。転んだら脚が折れてしまうわ! あんな小さい――まだ一年位きゃ経たないんでしょ、生れて?
壮六 はあ、いえ、まだ三月そこそこでやす。
春子 三月? そいじゃまだホンの赤ちゃんじゃありませんの。石の上をあんなに駆けては爪だって痛いわ、キット。なんとかならないかしら? えお父様、なんとかならないかしら?
勝介 しかし、小さくても、とにかく馬だからね。
春子 だって、かわいそうじゃありませんか! あらら! あんなにアワてて! この馬車よ。この馬車にびっくりしたのよ! ね、馬車をとめて! お願い!
壮六 (しょうことなしに、馭者に)おい、小父さんよう、ちょっくら、停めてくんない!
馭者 ああん? もっと早くやるか?
壮六 そうだあねえ! 停めてくれろつうんだ!
馭者 わあ?(とラチがあかない)
春子 かわいそうに! お父様、かわいそうだわ!(泣きそうになっている)
勝介 (困って)だが、どこまで走って行くのかね? 馬車の行く方へ行く方へと行くのだから、どうも、きりが無い。(言っている中に、やっと馬車が停って、あたりが静かになる)
春子 坊や、もう駆けるの、よしなさい! 駆けるの、よしなさい!

静かになった遠くの川原で微かに馬のいななく声。

春子 あらら! あの岩の蔭に馬がいるわ! 親馬かしら?
壮六 ああ、おふくろ馬でがす、あれが。なんだ、母親の所へ駆け出したんだ。ハハ! 小僧め、遠っ走りして遊んでいる所へ、馬車を見てたまげちゃって母親の所へ逃げ帰ったんでやすよ。途中でとまらねえわけだ。
勝介 やれやれ! ハハ、たちまち落ついて、親馬の腹に顔をこすりつけている!
壮六 ああやってまだ乳を呑むんでやす。
春子 まあねえ!(涙ぐんだ声)よかったわ! よかった!(ほとんど泣いている)
勝介 やれやれ!
壮六 ハハ、仔馬なんて、みんな、ああでがす。

川原の方で親馬がいななく声。

金吾 うう!(さぐり上げて来るような妙なのど声を出す)
壮六 なんだ金吾?
金吾 う! う!
壮六 どうしただよ、お前?
金吾 うっ! うう! ぐっ!(これは突きあげて来る、泣き声をおさえつけたための声。しかしそのためにかえってこらえきれずになって、慟哭する)おう! おう!
勝介 どうかしたのかね?
春子 どうしたの?
壮六 こうれ、金吾っ!(金吾の方へ寄って行く)
馭者 ああん? なんだあ?
金吾 うう! おお! うう!(わけのわからない慟哭はつづく)

激しい、なにか混乱したような音楽。

それがしばらく続いて、フッとしずまって消えると、今度はそれとは全く調子のちがった、静かで華麗な、たとえば鹿鳴館風とでも言えるような音楽。
(東京の青山の黒田家の応接室のマントルピースの上のフランス製のオルゴール時計から流れ出すワルツ曲)
――それがしばらく流れて……

春子 (泣き真似)うう! うう! わあ! おおんって泣くのよ。うう、わあって、まるで手離しなの、熊が吠えているようなの! そのね、そのミットみたいな手をこうして、こうやって、ううう! おおうう! おおうう!
敦子 ホホ、大げさね春子さんは、ホホ!
春子 ノン! 大げさじゃないの。オー ノン! これ、マダム・フーリエよ、学院の。オー ノン! まったくの、その通りの、ホントなの。泥だらけの手がね、私の手の五倍ぐらいあるの、敦子さん、ごらんにならないから信じられないでしょうけれど。こんだお父様に証明してもらってもよろしいわ。
敦子 どうして、しかし、そんな大きな男の人が、そんな、仔馬が親馬の所に駆け寄ったのを見たぐらいで、泣くんですの?
春子 それがわからないから、こうしてお話してるんじゃありませんか。お父様は、それはお前の貰い泣きをして泣いたんだろうとおっしゃるけど、そんな筈は無いでしょ? そりゃね、私、この夏の旅行では、はじめっからお母様のことを考えてて、ことに信州のあの辺の景色は北海道によく似てる似てるとお父様からも言われているんで、私、しょっちゅうお母様のことばっかり思っていたの。そこへ、赤ちゃんの仔馬が気が狂ったように飛び出して、どうしたんだろうと思って見ているうちに、お母さん馬の所に駆け寄ってお腹に頭をこすり附けて甘たれはじめたでしょ? 見てて私、いっぺんに涙ぐましくなっちゃった。お母様! お母様! あたしのお母様はどうして、お亡くなりになっちゃったの? と、そう思ってね、ホントに泣いたかもしれませんの。それを見てて、その金吾と言う人、貰い泣きしたんだとおっしゃるの、お父様は、そんな事ってあるかしら、あんな、まるで銅像みたいな田舎の人が?
敦子 そうねえ。……ああ! もしかすると、その人にも、もしかするとお母さんが無くて――小さい時にお母さん亡くしてて、やっぱし春子さんと同じように、その仔馬と親馬見てて、それを思い出したのかもしれないじゃありませんの? そうだわ、きっと!
春子 そうかしら? だって、それにしても、そんなことツンともカンとも感じたりするような人じゃないのよ。まるで銅像みたいな、熊みたいな、そうだわ、マダム・フーリエに言わせると、ソヴァージュってやつのお手本みたいな[#「みたいな」は底本では「みたいう」]人よ!
敦子 そりゃ、しかし、そんなような人が、かえって心の中はやさしいかも知れなくってよ、案外。
春子 そうかしら。でもそりゃ敦子さんが、その人をごらんにならないからだわ。ま、一度ごらんになってよ、とてもそんな――
敦子 だって信州の山の中の人を私が見れる道理がないわ。
春子 じゃ来年の夏、ごいっしょに行きましょうよ。その人の世話でね、お父様、山を少しお買いになったの。来年の春迄にはそこに小さな別荘建てるんですって。向うの県庁の人に頼んでチャンともう大工さんやなんかもきまっててもう今頃は、その金吾と言う人やなんかで山を開いたりしているかもしれない。ね、御一緒に行って夏一杯みんなで暮さない? 長与の敏行さんも行きたいとおっしゃるから、お宅のお兄様もいかが、きっと面白いわ。
敦子 そうね、おともしたいわ。だけど、私は来年あたり、とてもそんな遊んでなんかおれなくなるかもしれないのよ。父が横浜で生糸の貿易などに手を出したでしょ、そっちの方の手伝いに行かされるかもわからないの。商人なんかほんとにいやだわ。春子さまはいいな、こうしてお父様とばあやさんの四人きりで、やりたい事はなんでもやれるんですもの。
春子 でも近頃では父も大学と農林省だけじゃなくて、叔父さんの会社に引っぱり出されたりして、めったに内にいないの。今日なんかも、前から博覧会には一緒に連れて行ってやると約束していながら、急に群馬県の方へ出張しちゃって、上野へは敏行さんに連れて行ってもらう事になっちゃったり。
敦子 そう言えば長与様は、だいぶおそいようね。もうそろそろ半よ、十二時。
春子 あの大学生は、おしゃれだから。それに今日は敦子様と言う美人が一緒だって敏行さん御存知だから、念入りにお仕度中でしょ。
敦子 まあ、おぼえていらっしゃいまし!

ドアにちょっとノックの音がして。

鶴 (ばあやと言ってもまだ中年の女)ごめん下さいまし。
春子 ああ、鶴や、どうして? 敏行さん、まだ見えないの?
鶴 はあ。ただ今お見えになりまして……
敏行 (足音をさせて廊下口から入って来て)やあ、お待たせしました。(敦子と春子に)今日は。
敦子 今日は。(辞儀)
春子 敏行さん、御苦労様。でも随分待ったわ、ねえ敦子様?
敦子 ホホ……(静かに笑っている)
敏行 じゃ直ぐ出かけますか?
鶴 でも長与のお坊ちゃまに、お紅茶でも差し上げましてから――
敏行 いや、いらない。どうせ春さんたちのお伴だ。それに今日は上野へ行く前に銀座を案内しろと言う御註文だもの。どうせ千疋屋ぐらいはおごらされるのは覚悟しているんだから、そっちで、おっそろしく高いチョコレートかなんか飲みます。
春子 まあ、にくらしい! あんなことおっしゃるから、いいわ鶴!
敦子 ホホ……
敏行 はははは!
鶴 さよでございますか。それでは。(その前を三人が笑いさざめきながら室を出て行く)

音楽 (オルゴールの曲。今度は三十分おきの簡単な曲)

音楽 やんでチョット静かになってから、寂しい、はるかな山鳩の声が、ポッポー、ポッポーとひびく。

金吾 うっ!(と言って木の根元を切る。その音がガッ! と鳴って森にこだまする。つづけて二打ち三打ち)
壮六 (笑いを含んだ声で)なあおい金吾よ!
金吾 おいよ!
壮六 この夏、黒田さまを案内して来た馬車の中でよ、なんでお前、あんな出しぬけに泣き出しただ? うん?
金吾 ……(返事をせず木を切る)
壮六 どうしてだ? ありゃ仔馬あ見てる時だったが、この辺で仔馬見るたんびに泣いてたら、それこそ、眼なんぞつぶれるべし。……なんちつたつけ、春子さまか、あのお嬢さんが涙あ出したから、お前も泣いたのけ? うん? 何とか返答しろ!
金吾 ……(木を切る。その音)
壮六 そう言えば、あの前からおのしは、あのお嬢さんのツラばっかし見ていたなあ。
金吾 ……(木を切る)
壮六 おかしな野郎だ、おのしと言う男も。
金吾 壮六、お前もう帰れよ試験場へ。仕事の邪魔だ、そこでいつまでもゴヂャゴヂャしゃべくってると。
壮六 わっはは! 帰るともよ、はは。誰がこんな寒い所にいつまでも居るもんだ。小諸の大工が、もうへえ材木はすっかりきざみおえたから、こっちがよければ直ぐに運送に頼んで四五日中にでもここの建て前にやって来るつうから、県庁の斉藤さんに頼まれて様子見かたがた、やっち来ただけだ、俺あ。こいだけ地形が出来てれば、オーライだらず。
(枯小枝をポキポキ言わせて歩き出している)戻ったら、斉藤さんにやそう言っとくからな。
金吾 そうか、御苦労だ。あずかってある銭あ、まだ足りてるからな、そう言っといてくれ。黒田様の方に俺も手紙出すにゃ出すが。
壮六 (歩いて、ゆっくり立去って行きながら)年内にゃ、するつうと、ここに別荘が建っちまうだなあ。そいで、来春になると皆さんでおいでる。あのお嬢様も御一緒だらず、お前はここの世話やき頼まれてっからな、まあま、金吾、あの人見ちゃ泣き出して、よ、眼え泣きはらさねえ用心するだなあ!
金吾 野郎! なによぬかすっ!(大なたを、振りかぶる)
壮六 (小走りに逃げる真似をしながら)はははは! じゃ、あばよ!(遠ざかりながら)馬流のお祭りにゃ、ごっつおして待ってるから、きっと来うよう!
金吾 おう! フフ!(見送りつつ軽く笑う)
壮六 はは!(と森の奥に笑声をひびかして歩きながら、盆踊りの歌)
盆が来たのに、踊らぬ人は、木ぶつ、金ぶつ、石ぼとけ……
(そのひなびた明るい歌声が森のかなたに)
金吾 さあて!(と低く言って、再びナタを振りあげてガッと木を切る。その音)

音楽


壮六
金吾
勝介
敏行
春子
敦子
香川

壮六 (語り) その次ぎの年の春に別荘はきれいに出来あがって、その夏から黒田様御一家がズーッと毎年おいでるようになりやした。そうでやす、あれは明治の四十一年ごろですからねえ、今でこそああして、いくらか開けやしたが、その当時は野辺山かいわいには狐や狸はもちろん、八つが岳から鹿だとか、時によるとアナグマなどまで出て来たりした時分で、そういうへんぴな山の中に、いくらカラマツの植林の研究のためとは言いながら別荘を立てたりした黒田先生という方もあれで変りもんだったんでしょうな。なあに、見たとこは極く温厚な学者でしたよ。とにかく、よっぽどあの辺がお気に入ったらしい。もっとも、なんでも、その春子様というお嬢様を生んだお母さん、つまり先生の奥さんが急病で亡くなられた北海道の山の中があの野辺山の景色にソックリと言ってよいほど似ているそうで、そんなことから先生もあの土地が好きになられたとかで春子様も別荘を建てるならあの辺にしろとねだられた様子でした。……そいで最初からの引っかかりで、柳沢の金吾が別荘を建てる世話を全部やきましたが、それ以来ズーッと黒田様の山と別荘の管理をすっかり委されることになったのです。金吾は私とは同じ村の幼な友達ですが、もともと身寄の少い男で、親父というのが若い時分から山気の多い男だったそうで。金鉱探しに夢中になって家を留守にしちゃあちこちの山を飛び歩いていて、しまいには東北の山ん中で死ぬ。残された母親が金吾とその姉の二人姉弟を育てて来たんですが、苦労つづきで亡くなってしまった後は、金吾は姉の片づいた先の百姓家に引きとられて大きくなったような身分で。まあ、一日も早く一人立ちしなくちゃならんと言うんで十八九の時分から、あちこち雇われたり日よう取り稼いで金をためては、そいつでもって、どうせ高い土地は買えはしないつうので、まだ誰もつけない落窪のはずれの山を一段二段と買い込んでは開いていたのです。ちょうどその時までに五六段は自分の土地として、ボツボツとソバなんぞ蒔いていたんでやして、そこへ黒田さんの別荘が近くに建ってその世話をまかされる、同時に、黒田先生がだんだん金吾の人がらに打ち込んで来なすって、そんなわけなら小さいながら自分の家を建てたらどうだと言うので、別荘を建てた大工をまわしてやったり――いえ、金を出してもらったりはしなかったようです。金吾という男は、おとなしい人間じゃありますが、そういう、人がよくしてくれるのに甘えてわけの無い世話を受けたりすることはしない男でしてな、材木から何から、かかり一切は自分の力でやって、はじめは掘立小屋みたいな家をたてて、そこでとかく一戸をかまえた百姓で暮すようになったのです。……毎年夏になると別荘には黒田さん一家が来られます。金吾は口に出してはなんにも言いませんけれど、もう春ごろから、それを待っている様子でした。いよいよ夏が近づいて、これこれの日にそちらに行くと言うハガキが黒田さんから着きますと、金吾は馬車を仕立てて、駅の方へ迎へにくだるのです。黒田様のお嬢さんの春子様が最初お目にかかった時に、私の名前――川合壮六と言うのを可愛そうと言う名だと聞いちゃって大笑いした時から私のこともおぼえていられましてね、それを金吾も知っているもんで、そんな時はいつも私の方にも金吾は知らせてくれるんで。もっとも私は農事試験所の方が忙しいもんで、めったに野辺山までは行けませんでしたが。そうやって黒田様一家が一月二月と別荘で暮す間、金吾は自分の百姓仕事に忙しいのですが、何やかやと別荘の人たちのために引っぱり出されることも多いようでした……

高原の林に遠く近く鳴きかわす山鳩の声。
ヂャブ、ヂャブ、ドブリと泥田をかきまわす音。

勝介 (岩の多い小道を靴音とステッキの音をさせて近づいて来ながら)やあ、金吾君、精が出るねえ!
金吾 (泥田の中で水音をさせながら)これは、黒田先生いいあんべえでやす。
勝介 (立ちどまって見まわして)えらい所に水を引いたが何が出来るんかね?
金吾 へい。なんとかして水田にしたいと思いやして、去年からこうして――
勝介 ふむ、ここを水田にねえ? そりゃ、しかし、無理じゃないかな。
金吾 へえ、みんなそう言いやして、壮六などもしょせんそれは出来ねえ相談だからよせと言いやすけんど、とにかくやってみねえじゃわからねえと思いやして、まあ格好だけはつけてみやして。
勝介 でもここらは大体が赤土だろう?
金吾 はい、そんで、そいつを先ず何とかしようと、草をうんと踏んごみやして、壮六は三尺位は床土を仕込まねえじゃと言いますからわしは四尺仕込む気で、そいでまあ、色だけは大体こういうタンボべとみてえになりましたがさて、どんなもんでやすか。
勝介 (次第に釣込まれて熱心に)そうかね、そりゃ大変だ、どれどれ(と指に泥を附けてなめる)
金吾 (あわてて)そんな、この泥をなめたりなすっては、きたのうがす。
勝介 なあに、コヤシが入っとるかね?
金吾 コヤシは入れませんが、とんかく、当りでもしやすと。
勝介 なに、土というものはありがたいもんで当ったりは絶対にしない。毒のあるものでも食った時には泥を食うと毒消しになる位だ。君もなめてごらん。地味を見るにはこれが一番だぞ。ふむ(なめ試みている)
金吾 そうでやすか……(これも指をなめる)
勝介 そうさ、すこし酸性が勝ち過ぎるように思うが……灰は入れたね?
金吾 はい、ここを開く時に雑木だのボヤを二三度焼きやしたから灰は相当入ってるわけで。
勝介 うむ……でも、まあ泥はこれでもよかろう、苗を植えて見たかね?
金吾 へえ、そっちの、その囲いに一坪ばかり、寒さに強いと言うモミを――壮六が試験所でチャンと湯につけて準備して持って来てくれやしたから蒔きやした。
勝介 出たかね、芽が?
金吾 出るにゃ出やしたゾックリと、でも間もなく、みんな焼けたようにいじけちゃって、一本も育たねえんで。どうも水のタチが合わねえようで。
勝介 そうさ、水のタチと言うよりも、温度じゃないかね? 山水だからな。温度は計ったかね?
金吾 へい、水口のところ、しょっちゅう手で計っちゃいますけど、どうも、そう言えば、どんな風にしても冷っこ過ぎやして。
勝介 そりや寒暖計が一本なくちゃ駄目だ。よし、私が今度持って来てあげよう。いや今度と言うよりは、今日これから私は海の口の林さん――郵便局をやってる、カラマツの植林に熱心な、あの人んとこにチョット行くから、あすこにでも有ったら手に入れて来てあげよう。そりゃ、テッキリ水温だ。なんとか水温を上げる工夫は無いかなあ?
金吾 いろいろ私も考えやしたが――ここらでは昔っから取入れ口をこんな風にアゼを幾重にもつきやして、日光であっためる事あやっていやすけど、それ以上の工夫と言っても――
勝介 そうだ、陽のよく当る所に小さい貯水池を作ったらどうだろう?
金吾 貯水池でやすか? ふむ……
勝介 まあまあ、いろいろやって見ることだ。私も考えてみよう。なあに、一里も下にはチャンと出来ている稲作だ。なんとか作って作れない事は無い。気永がにやることだ。[#「やることだ。」は底本では「やることだ」]私はこれから海の口へ行くが、暇だったら今夜でも私んとこへやって来てごらん。もっとも、春子がああして三人も友達をつれて来ているから小屋は騒ぎだがね。まあまあ君も遊びがてらやって来るさ。
金吾 はい、ありがとうございます。
勝介 あれたちは、これから山へ登るんだと言っていたから今にここを通るだろう。じゃ私はチョット急ぐからね、ハハ、行きはよいよい帰りが怖いと言う奴でな、海の口まで行きは下り一方だからよいが、帰りはあの登りだからね、私の足だとマゴマゴしていると夜になってしまうからね。ハハ、じゃ。(歩き出す)
金吾 行ってござらして。
勝介 (遠ざかりつつ)こっちだったね?
金吾 はあい、そっちでやあす。

しばらく立って見送ってから、再び泥田をかきまわしはじめる音。山鳩の声……

そこへ林の奥から、四人の若い男女が歩きながら声を合せて歌う「札幌農大寮歌」グイグイ近づいてくる。足音、笑声、春子、敦子、敏行、香川の四人。

(歌)  都ぞ弥生の雲紫に
     花の香漂う宴の莚
     尽きせぬ奢に濃き紅や
     その春 暮れては移ろう色の

(立ちどまる)
春子 (他の三人に)ほらね、チャンとここに居たでしょ?(金吾に)金吾さん、あのね――
金吾 (水の音をさせながら、頭を下げて)今日は、いいあんべえでやす。
春子 そう、いいあんべえ、ね。(クスクス笑いながら)あのね金吾さん、あんたにチョットお願いがあるけど――その前に、この皆さん御紹介まだだったわね?
金吾 (笑いを含んで)はあ、いえ、お迎いに行ったんでやすから、皆さん存じておりやす。
春子 でもお名前なんぞ、まだでしょ? 御紹介します。これは、同じクラスで私の一番の親友の敦子様。同じクラスじゃあるけど、すべての点で私のお姉様。
敦子 あらま、大変ね。神山敦子と申します。よろしく。
金吾 へい、どうか……
春子 そいから、これは私の親戚で、大学に行って、いるような、いないような敏行君。
敏行 ひでえなあ春坊。大学と言うのは高等学校や中学とは違うんだ。単位が取れさえすりゃ通学するしないは、こっちの自由なんだ。
春子 それから、こちらは敦子さんのイトコさんの香川賢一さん。札幌の農大にいらっしゃるの。
香川 よろしく。
金吾 よろしくおたの申しやす。
香川 なんですか、これ、水田にするんですか?
敏行 おいおい、早く行こうじゃないか。
春子 そいでね金吾さん、これからみんなで八つが嶽に登りたいんだけど道がよくわからないの。それであんたに案内して行ってほしいんだけど。
金吾 八つが嶽でやすか? 今からじゃ、だけんど、皆さんの足じゃ、どうでやしょうか!
敏行 なあに、たかが一里たらずだろう、平気さあ。ああやって赤岳なんぞ鼻の先に見えてるんだもの。
金吾 いやあ、あんなふうに見えちゃいますが、登るのはグルグルと右手へ廻りこんでやして、第一、ちゃんと仕度しておいでんならねえと、あぶのうがす。
春子 敏行さんは偉らそうな事言ったって、たより無いのよ。おとついだって、この先きのちっちゃな沢を登るんだって方角がわからなくなって、しまいにベソかくんですもの。心細いったら!
敏行 バカあ、ベソかいたのは春さんじゃないか!
敦子 (金吾に)ホントに、お願いしますわ。途中まででもいいから登ってみたいの。
金吾 んでも、俺あ今日中にここを掻いとかんと困るで。
春子 だってそりゃ又明日だって出来るんじゃない金吾さん、お願い。ね!
金吾 そうでやすか。んでも、こんなナリだし……
春子 いいじゃないの。このワラジはけば、そら。さ足を洗って。(と、しゃがんで、金吾の足に手で水をかける音)
金吾 どうも。(恐縮して)いえ、いいんでやす。(しかたなくガバガバと手足を洗って上にあがる)
敦子 はい、わらじ。
金吾 へい、こりゃどうも。
敏行 (既にかなり離れた道の方から)おーい、こっちだねえ?
金吾 (わらじを穿き終りつつ、そちらへ)はーい、そっちでがあす。
春子 さ、行きましょ!

(香川、春子、敦子、金吾の順で歩き出す足音。遠くでオーイと敏行の声)

待ってよう、敏行さーん一

音楽 短かい(軽快な行進曲風の)

四人が歩きながら歌う「北大寮歌」
金吾は黙々として行列の先頭に立っている。――
(ここで繰返される「北大寮歌」の歌い方と歌の調子で登高の段階と四人の疲れ方や歩度や山の様子を暗示するように変化をつけること)

歌(第一歌詞)
都ぞ弥生の雲紫に
花の香漂う宴の莚
尽きせぬ奢に濃き紅や
その春暮れては移ろう色の
夢こそ一時青き繁みに
もえなんわが胸思いを乗せて
星影さやかに光れる北を
人の世の、清き国とぞあこがれぬ。

(快活で、テンポ早いが、最初の歌ほど早くはない。一同の足音)

春子 あらら、敦子様、こうんな綺麗な花!
敦子 ホント! はじめて見たわ、こんな可愛い花! なんと言うの、これ、金吾さん?
金吾 ああ、こいつはホントから言やあ秋口にならねえと咲かねえ花でやすがね。狂い咲きだなあ。ダズマと、この辺では言っていやす。
香川 ああ、そりゃたしか高山植物の一つだ。
敏行 (かなり離れた所から)おーい金吾君、こっちだねえ?
金吾 (それに向って)そのう、右の方でやーす!

(ザーッと谷川の水音で、すべての声が消えて)

(再び「寮歌」)

歌(第二番の歌詞)
豊かにみのれる石狩の野に
雁の音はるばる沈みて行けば
羊群声なく牧舎にかえり
手箱のいただきたそがれこめぬ
雄々しくそびゆるエルムの梢
打振る野分に破壊の葉音の
さやめく甍に久遠の光
おごそかに、北極星を仰ぐかな。

(一同かなり疲れて、ユックリした調子になっている。途中から敏行だけ歌うのをやめる)

敏行 わあ、くたびれたあ、まだよっぽどあるかねえ、中岳のてっぺん?
春子 ほらごらんなさい、意苦地なし!
金吾 (すこし先きに歩きながら)はは、まだてっぺん迄は半分も来ていませんよ。
春子 ちょっと休んで行かない、ここらで?
敏行 休もう、ふう!(ドシリ、ガサガサと草の中に身体を投げ出す)
敦子 私は平気よ。行きましょう、金吾さん(登って行く)
香川 (まだ寮歌をハミングで歌っていたのがフッとやめて)やせがまんはよせよ、敦ちゃん!
敦子 太古、太陽は女性であった!
敏行 ちえっ、チャチなブルー・ストッキング!
敦子 (歌)(と、ハアハア言いながら登って遠ざかる)待ってよ金吾さあん!

(先に行く金吾と敦子の二人と後に残った香川、春子、敏行の三人の二組にスッと別れる感じをハッキリ出す)

香川 まったく、思ったよりはあるな、ふう!

(と草の中に腰をおろす)

春子 急に寒くなって来たわ。もう日が暮れるのかしら? もう帰らない?
香川 春子さん、くたびれたんですか?
春子 ええ、ちょっとね。
香川 ここにハンケチ敷きましたよ、ちっと掛けたら?
春子 ありがと。
敏行 ねえ香川君、ゆんべの議論ねえ、あれはあれっきりになったが、僕あ、やっぱりなんだな、札幌あたりの大学の空気の中に何かしらん良く言えば詩的、ハッキリ言うと感傷的な気分があると思う。つまりトルストイとフエビアン主義を突きまぜたと言うかなあ、日本で言うと内村鑑三と安部磯雄を合せた式のさ。それが気に入らないんだ僕なぞは。社会主義なら社会主義で、もっと実際的な、たとえば片山潜や堺利彦なんかの行き方なら賛成するしないは別として、とにかく僕あわかるんだ。どんな綺麗なものでも夢のような感傷論じゃ問題にならないと思う。
香川 いやあ僕あ、そんな事言ってるんじゃないんだ。それに、札幌のうちの大学が全体として僕と同じような気分の学校と思われちゃ、大学が迷惑するよ。ただ僕は今の時代を見渡して見て、こんなように貧富の差が甚だしくなって、一部の特権者と富豪がぜいたくしている一方、そのギセイになって貧乏な階級が、あまりに多く、そしてあまりに苦しみ過ぎている。その現象を無視していてよいかと思うんだ。ただそう思うだけで、僕あ何も社会主義者じゃ無い。
敏行 社会主義者なら、まだいいと、だから僕あ言ってるんだ。感傷主義からは、なんにも生れてきやしない。なるほど、僕は法科で君は農政方面をやってるんだから、そう言う立場の違いもあると思うけどね、僕あ、やっぱり現代は力の時代だと思う。権力と金を握ったものが支配するんだし、していいと思うね。社会主義にしたってマルクスなんぞの理論など、やっぱし土台はそこに置いてあるから現実性があるんだ。
香川 それはそうかもしれない。しかしそれにしても人道主義が存在の価値を失ってはいないと思う。又永久に失う筈はない。僕が言うのは、本来平等に生みつけられた人間がだな、つまり、一例をあげると、君や僕はたまたま金持の家に生れたからこうして大学なんかに行っておれる。だのに多くの貧乏な家の子弟はだ――そう、たとえば、今の金吾君でもいい、あれで僕等と同じ年頃の青年だよ、それがただ貧しく生れついたと言うだけの理由でああして泥んこになって働らくだけで本一冊読めはしない。これは君、いかになんでもあんまり不公平すぎることを僕あ――
敏行 そんな事言ってたら、僕らは一足も歩けないし、一口も食えなくなるよ。愚だと思うな。僕はそんな事平然として、こうして二度と味わえない青春時代を楽しむね。それよりも、君が特にこんな所に来てまでだな、感傷的なお嬢さん方の前で、そ言った人道論を言い出している所に、僕あほほえましきものを感ずるね。
香川 すると何か、僕は心にも無い事を言っていると君は言うのか?
敏行 まあまあ怒りたまうな、ハハ。そこに僕は君の青春を感ずると言ってるんだ。いいじゃないか実に!
香川 そいつは君、あんまり失敬な――
春子 いいじゃありませんの香川さん! もういいわ。敏さんも少し変よ。いいじゃありませんか、そんなこと。もう帰らない? すっかり寒くなって来ちゃった。あら、敦子さんと金吾さん、どこへ行っちゃったかしら?

ザーッと風の音。水の音。
ギャアと鳥の鳴声。
金吾と敦子の足音がフッと停まる。

敦子 あら、みんなあそこで坐りこんでしまったのかしら?
金吾 そうでやすねえ。
敦子 おーい(遠くで微かにやまびこ)……聞こえないようね。もう帰りましょうか? どうせ、もうこんなに薄暗くなって来たんですもの、今日はこれ以上登れやしないんじゃなくって?
金吾 そうでやすねえ。
敦子 急に寒くなって来たわ。おりて行かない? それにね。(笑いを含んで)ああして春子さんが腰かけてしまえば、敏行さんも賢ちゃんも、それを置いてこっちに登って来たりはしないことよ。物凄いライバルだから、ほほ。
金吾 ……ライバル、でやすか。
敦子 そうなの。いえ、春さんはあの調子で無邪気一方なんだから、なんて事は無いのよ。その又、あどけ無い甘ったれ屋さんな所が若い男の人には魅力なのね。無理も無いわ、私が見たって可愛いいんですもの。麻布の春子さんのお家へは、お婿さん志願者が六人も七人も、それこそ入れ代り立ち代りつめかけてるのよ。その中から、ああしてこんな所までノコノコ附いて来る人たちですもの、敏行さんも賢ちゃんも、なかなか引きはしないわ、さ、もどりましょ。(草を踏む音をさせて坂をくだりはじめる)
金吾 へえ。……(これも歩み出す)

キイ、キイ、ギャッと鋭い鳥の声。

敦子 ああびっくりした! なんという鳥、今の?
金吾 ……はあ。
敦子 どうかなすって、金吾さん?
金吾 はあ、そうでやす。
敦子 まあ、フフ、ホホ……(しばらく黙って歩いてから)ねえ金吾さん、あんた、どうして泣いたんですの、去年の夏? なぜ泣いたの?
金吾 へ?
敦子 春子さんや春子さんのお父様とはじめてナニした馬車の中でよ。春子さんと何度か議論してもハッキリしないの。なぜそんなに泣いたんですの、あんた?
金吾 はあ。そんな、わしは――
敦子 ワアワア声をあげて泣いたってえじゃないの。いえ、それを馬鹿にしたり軽蔑する意味で春子さんも私も言ってんじゃないのよ。ただ、なぜだろうと思ってね。仔馬が可哀そうだったから?
金吾 どうも、そんな――
敦子 春子さんが泣いたから、そいで貰い泣き?
金吾 どうも――
敦子 そういう時の春子さん、綺麗でしょ? だから? 春子さんが、あんまり綺麗だったから?
金吾 そんな……もう、あの、ごかんべんなして。
敦子 ホホ、ホホ。いいわ金吾さん! フフ!

下の方から風に乗って三人の歌声が近づいて来る。「さすらいの歌」(行こか戻ろかオロラのしたをロシヤは北国はて知らず、西は夕焼、東は夜明け鐘が鳴ります中空に。)

(敏行と香川の歌声は、何か少しイライラしたようなやけくそ気味で。春子は感傷的に)

敦子 あら、あんな歌うたってるわ。いい気なもんね! (トットットッと走りくだりながら)さ、金吾さん!
金吾 へえ。おーい! (と歩きながら下へ呼ぶ)

三人の斉唱の「さすらいの歌」が急速に近づく。

音楽


 敦子
 春子
 香川健一
 金吾

音楽

敦子 (語り、中年過ぎになってからの)はい、私が敦子でございます。さようでございますねえ、あの当時、つまり明治の末から大正の初めにかけての、東京の割に良い家庭で苦労知らずに育って、高等教育を受けた私のような娘の生意気さと申しましょうか、ちょうど、イブセンの「人形の家」が、紹介されたり、「青踏」という雑誌が創刊されたり、新らしい思想が外国から盛んに入って来たりした時代の空気のせいでもございました。それに黒田の春子さんはあの調子で、何かと言えば敦子様々々々と私のことをお姉さま扱いになさいます、つい、自分にはなんでもかでもわかるような気持になっていたのですね。今から思うと冷汗が流れます。でもほかの事は、まあとにかくとして、あの頃の、金吾さんという人の、春子さんに対するあんなに深い気持を見はぐっていたことに就いては、ホントに私は自分が許せないような気がするのでございます。春子さんは、あの調子で気づかなかったのは、仕方がありません。しかしこの私は、私ぐらいは、それをわかってやらなければならなかったのです。それがわからなかった。もっとも金吾さん自身が、春子様にそれほどナニしながら、あんまり身分やなんかが違い過ぎるせいでしょうか、自分の心の上に何が起きたのか、自分でも気が附かなかったようですの、最初から望みを持つ――も持たないも無い、はじめっから、まるで諦らめている、いえ、手に入れようと望みもしないのですから、諦らめるという事も無いわけです。そういう事もあるのでございますねえ。……ズッと後になって私、樹氷というものを見たことがございます。所も同じ信州の高原地の冬のことですけど、物みなが凍てついて静まり返った零下二十度からの夜明け方にあちこちの樹の幹と言わず、梢と言わずホンの一瞬のうちにビシリと氷りついて、それが朝陽に真白くキラキラと光り輝いて、それきり春先になるまで溶けないのです。その冷たさ、美しさ、不思議さと申しましたら! 春子さんに対する金吾という人のことを思うたびに、私はその樹氷の姿を見るような気がいたします。

音楽

あれは、私と春子さんが学校を卒業した年の夏でした。又々すゝめられるまゝに、春子さんの信州の別荘に行ったのですが、その前の年の暮れに春子さんは例の遠縁にあたる敏行様と御婚約が出来ていたのです。敏行さんという方には、そのころフランス駐在の外交官をなすっている伯父さんがありまして、その方のすすめで、大学は途中でやめて法律の勉強のためパリに渡られたのですけど、それを前にして春子さまに対してタッテとの申込みでして、春子さまはあの調子で、軽々しいと言いますか、そうなれば自分もフランスに行けるからと言ったようなお気持だったと思います。お父さまは何事につけても娘さえ幸福ならばと春子様まかせ、それで、婚約が成り立って、敏行様はフランスへ出発なすって、半年もしたら春子さまを向うへ呼び寄せると言うのでした。そういう、つまり春子さまにとっては娘としての最後の夏と言うわけで、それまでの沢山の求婚者たちは、ガッかりして引きさがったわけでして、私のイトコの香川賢一もその失恋した一人でしたが、この人だけはどうしても諦めきれず、もう一度春子さんのホントの気持を聞いて見たい、なんとかして機会を与えてくれなんとかしてくれと泣くように言いますので、私から春子さまに頼みますと春子さんは例の調子で、さあさあとおっしゃいますので、春子様のお父様と春子さまと私に、香川、この四人が信州に行って、その夏を暮したのです……ちょうどそれは、別荘と自家用の炭を焼くために金吾さんが炭焼きがまを築くと言いますので、二三日前から香川は手伝いに通っていて、私と春子さんはあとから、その小川の岸に行くことになっていました……

川のせゝらぎの音。遠く山鳩の声。石の上に泥をベタベタと叩き塗る音と、時々(石を石で叩く)ドシンドシンと石で地面をならす響。

香川 (「札幌農大寮歌」をハミングしながら、それに拍子を合せて、炭焼ガマの外側に泥を塗っている)……。さあて、こっちは大体よしと。金吾君、上の方もズッと塗るの?
金吾 (声が出くぐもって聞えるのは、半出来のカマの内側にもぐり込んで、その下方を石でならす仕事をしているからである)いえ、上の方は結構でがす。それは原木を積み込んでから塗りこめるんで。
香川 じゃ、後の方をもう少しやるかな。……(と、ベタベタとまた仕事をはじめながら)これだけのカマで、一度にどれ位の炭が焼けるのかな?
金吾 へえ? そうでやすね、そこに積んである原木で大体まあ二度分ぐらい有るから、一度で先ず十俵たらずと言うとこだ。まあ四五回火入れをすれば、別荘とおらんとこの分の炭あ取れる。(ドシンドシンと石で[#「石で」は底本では「右で」]床を叩きながら)
香川 君あ、こんなカマの築き方なんか、そのほかいろんな百姓の仕事、誰に教わったの?
金吾 誰に? そうさなあ、誰に教わったと言うわけでもねえですよ。はゝ、自然に、この、見よう見真似で――
香川 そうかなあ。……僕ら東京へんで育った人間は駄目だな。
金吾 なんでやす?
香川 いや、これで僕なんぞ農科なんぞに行ってて、実習もさんざんやってるんだ。それがしかし一つ一つの実際の事になると、ほとんど役に立たないもんな。君なぞは、見てると、着々として山を買いとって、そいつを切り開いて畑は作り上げているし、小さいながら家もある。それを君あ四五年の間にやって来たと言うじゃないか。えらいと思うなあ。
金吾 えらいのなんのと、そんなこっちゃ無えですよ。わしらはそうしねば食って行けねえからしようことなしにすることだ。
香川 だからさ、僕らみたいに学校教育の中にアンカンとしてるだけでは、しょうが無いんだな。実あね、今度来てみるまではそれほどにも思っていなかったけど、例の水田ね、一昨年やって来た時、君あ、あすこにホンの十坪ばかりを囲って水を入れてジャブジャブひっかきまわしていたんだ。僕が見ても、まるで子供のママゴトみたいで、トボケタ話だと思ってたんだ。それが今度来て見たら、そうさ、あれでいくらの実も着いちゃいないけど、とにかく稲が育っているんだ。驚ろいちゃった。黒田先生もそう言っていられた。とにかく考えていては、出来ることじゃないって。
金吾 いや、わしら、考えようにも、そったら頭あ無えんだから、たゞめくらめっぽうにやって見るだけでやして。それが時には、まぐれ当りに当るだけでね。もっとも、あの稲についちゃ、半分は川合の壮六の骨折りだ。彼奴は俺のためにはるばる試験場からいろんな種もみ運んで来ちゃ、泊り込みで加勢してくれてね。奴は稲作の事にかけちゃ、あれで随分勉強もしてやすから。
香川 だからさ、その川合君の勉強にしてからがさ、直接にこゝらの土地や百姓と取りくんでする勉強と、僕等が教室で教わる学問との違いだよ。
金吾 そら、壮六と言う野郎は偉うがす。ヒョンヒョンと、いつもヨタばっかり飛ばしているが、中学校も二年ばかし行ってるしね。は、あの稲が二つ三つ花を附けた時の彼奴の嬉しがりようと来たら!
香川 そうだろうなあ……
金吾 アゼに立って、歌あ歌って盆踊りを踊り出す始末だ。しまいに、俺の頭あ、ぶっ叩きやがったっけ、はっはは。
香川 わかるなあ、その気持は。……(泥を叩く)川合君と言えば、ここんところしばらく、やって来ないなあ。(チョット歌の真似)やーれ、盆が来たのにっと。……歌がまだ習いかけだ。やって呉れないかな。
金吾 奴も忙しい身でねえ。この秋あの水田で育った稲から米の一升でも取れたら、その祝にあのタンボで酒え飲んで踊るんだなどと言ってる。……(石で床を叩きつゝ、歌の続きを口ずさむ)踊らぬう奴は、と。
香川 妙なことで、こんな所に来さしてもらって、君や壮六君などと知り合いになって、僕あ実際、思いがけない大事なことを知ったな。……(歌のつづき)木ぶつ金ぶつ。
金吾 (歌)石ぼとけえ、と。……あのう、おとどし見えた敏行さんと言う方はフランスにおいでだそうでやすね?
香川 敏行君? どうして、それを君、知ってるの?
金吾 こねえだ春子さまが、そう言ってござらした。自分も来春あたりあっちへ行くだとかって。ホントかね?
香川 ……ホントらしい。だけど、そんな事が、よく人に言える。そう言う人なんだなあ。
金吾 へ? 誰が?
香川 いや、春子さんさ。
金吾 春子さまが、どうかしやした――?
香川 いやいや、なんでも無い。……(泥を叩く。ヤケ気味に歌のつゞきの囃しを歌う)はあ、どっこいどっこい、どっこいさと? ……僕もね、学校なんぞいいかげんにして、もしかすると来春あたりブラジルに渡るかもしれない。
金吾 ブラジル? 香川さんがかね? どうしてまたー?
香川 ここらにマゴマゴしていると、人間どこまでメソメソした気持になるかわからん。われながら僕は自分の心が弱いのにはアイソがつきるんだ!
金吾 でも、ブラジルとは又――?
香川 フランスだとかアメリカだとか、僕の柄じゃ無いんだ。ブラジル移民に混って乗るかそるか、身体ごとぶっつけて働らいて見たいんだ! クソッ!(と、パタンと泥を叩きつける。歌)盆が来たのに、踊らぬ奴はあ。
金吾 (おくれて合せて歌う)……踊らぬ奴はあ。
二人 木ぶつ金ぶつう、石ぼとけ。はあ、どっこいどっこい、どっこいしょ。……(くり返しはじめる)盆が来たのに――

その歌の尻にオーバラップして遠くから女性二部合唱、(春子と敦子)の歌声が流れてくる。「ドナウ河のさざなみ」こちらの歌と向うの歌のオーバラップはしばらくつづく。

月はかすむ春の夜や
岸辺の桜、風に舞い
散りくる花のひらひらと
流るゝ川の水の面
さをさすささ舟、くだくる月影
吹く風さそう花の波

二人の歌は次第に近づいて来て、やがて疎林の間を歩む二人の足音がこちらに近づく。

香川 (それを聞きつけた瞬間に盆歌をやめている)あ、春子さんたちが、こっちへ来る。
金吾 (これも歌をやめて)へ? ……(女たちの歌声)ああ。
香川 食べる物もって後で行くと言っていたから……(二人は耳をすまして女たちの歌を聞いている)よし! どうするか、この中に隠れていてやれ!(ドタドタと足音をさせて、カマをまわって、たき口から中にもぐり込む)わあ、暗いな。
金吾 どうしやす?
香川 もうちっと、そっちへ寄れない? やあ、ここにいれば見つかりっこない。あとでびっくりさせてやるんだ。黙って黙って金吾君。(二人はクスリと笑ってシーンと静まる)
春子 (かなり離れた上の方に立停って)このへんじゃなかったかしら、敦子さん?
敦子 (これも同様)そうね。ああ、あすこよ、春子さん、ほら!
春子 ああ、もうすっかり出来あがってるわ!(ペシペシと枯れ枝を踏んで走りおりて来る)
敦子 (これも、それに従いながら)そんなに急いでは転ぶわ春子さん!
春子 まあ、可愛いカマだこと。これで炭が焼けるのね。
敦子 へえ、これがそう? 賢一さんと金吾さん、どこかしら?
春子 香川さあーん! 金吾さあーん! どこい行ったのかしら?
敦子 ああ下の川へ石を取りに行ったんじゃないかしら? 内側を石でたたむんだって言ったから。きっと、そうよ。
春子 じゃ、いっときここで待っていましょうか。やれ、うんとしょ。(草の上に座る)敦さんも、ここにお坐んなさい。
敦子 ……いやだ。
春子 あら、なあぜ?
敦子 いやだからいや!
春子 だから、なぜなの?
敦子 春さんみたいなダラシのない人のそばに坐るものか。
春子 なんだ、さっきの議論のつづき? ゆうべもその話だったし、二三日前も半日近くお説教だったのよ。ホントにかんにんして、もう、だって私はウソをついてるんじゃないのよ。
敦子 そう、春子さんは正直に言ってる。だから私は腹が立つの。
春子 敦さんのそう言う意味は、私わかるの。頭ではね。しかし、私には正直のところこうしか思えないのだから、仕方ないじゃありませんか。人間は一人々々、顔や姿がちがうように考えもちがうんじゃないかしら?
敦子 ふん、そりや、春さんはおきれいよ。
春子 あら、まあ、私がおきれいなら敦さんはおきれいの二乗! シャルマン!
敦子 じょうだん言ってるんじゃ無いのよ、私は、
春子 じょうだん言ってるんじゃ無いのよ、私も。
敦子 ま、聞きたまえ! 本気なんだ私、みすみす春さんが不幸になって行くのを私が見すごしていられると思って?
春子 どうして、しかし、私がパリに行って敏行さんと結婚するのが不幸になることになるの? 幸福と言うのは、自分が一番したいと思うことをする事じゃなくって?
敦子 ちがうの! それが、ちがうと言うの! わからないのかなあ、春さんには?
春子 だって、私がそうしたいと思って、私自身が望んですることなのよ?
敦子 ちがいます! 春さんは、そうすればパリに行けて、華やかな外交官夫人みたいな生活が出来るから、そうしたいと思っているだけで――
春子 まあ、ひどい! いくら私が浅はかでも、そんな、ただそれだけでナニするなんて――
敦子 いえ、いえさ、そりゃ、それだけだって、言やあしないそりゃ敏行さまに対してチャンとした気持が春さんに無い事は無いと思う。しかしね。しかしよ、その……敏行さんの事を、春さん、それほど思ってやしない。断言する私! 違ってたら私、あやまるわ。けど、私春さんのためにシンケンで言ってるのよ。……ね? それほど、敏行さんでなければいけないと言う程、春さんは思ってんじゃないでしょ?
春子 ……そうよ。
敦子 そら、だから、そんないいかげんな――
春子 だって、いいかげんだか、どうだかがどうしてわかるの? 男の方とはただいろいろとお附き合いをしていただけですもの、深いことは私にわかりゃしないわ。
敦子 だって自分が結婚しようとする相手、つまり男性――男として、どの人が自分にふさわしいか、つまりホントに好きかと言う事よ、それを選むのに――
春子 ですから、それがどうして私にわかるのよ? ただ、なんとなく好きだから、好きだと言うだけでしょ? 私と言うのは、そうなのよ。敦さんなど、そりゃ御自分の性質がシッカリなすっているから――いえ、お世辞じゃないの――どの方が好きでどの方が嫌、同じ好きでもこの方はこういう意味と言うようにチャンと敦さんにはわかるんでしょう? だけど私はそうでないの。ダラシがないと言われれば一言もないけど、ただ何となく好きになったり――いえ勿論、嫌いな人は、そりゃハッキリ嫌いなんだから、誰でもいいと言うわけじゃ無いけど、私に好意を持ってくださる男の方のことは、私の方でもなんとなくうれしくなるの。それだけよ。浮気なのかしら、と自分のこと思うこともあるけど、うれしくなると言うのは、そういう意味じゃないの。ですから、ホントは私はお父様が一番好きよ。だからいつまでもお父様と二人きりでおれれば、結婚なんかしなくってもいいの。しかし、そういうわけにも行かないでしょ? だから敏行さんに決めたのよ。お父様の次ぎに私の好きな男の方が敏行さんだったから。わけはそれだけなの。それ以外にはわけはないのよ。いけない? でも仕方がないの。私って、自我と言うものが無いのね。生れつきかも知れないし、甘やかされてばかり育ったせいかもしれない。とにかく、こうだもの。仕方がないじゃありませんの。……ね、もうかんにんして! もう、かんにんしてよ敦子さん!(泣いている)……私のことをそれほど心配して下さるあなたのお気持よくわかるの。それから、それほど私のことを考えて下さる香川さんのこともありがたいと思うの。香川さん、今度ご一緒にここに来て下さったのだって、どういうお気持だか位、いくら、私が馬鹿でも、ちっとはわかるわ。でも、敏行とはああしてお約束したんですし、今度父と一緒にフランスに渡ってナニすれば私はもう敏行の妻なんですから。……ね、かんにんして敦子さん! 香川さんにも、かんにんして下さいって、あなたから、よく言ってね!
敦子 …………
(相手の言葉のあまりの真卒さのために、なにも言えなくなっている。遠くで山鳩が啼く。……クスンと言わせて涙をすすりあげて、言葉だけは元気よく)いいわ! 春さん、もう泣かないで。わかった!
春子 わかった? かんにんしてくれる?
敦子 (不意に涙声になって)かんにんしてあげる。でもね、じゃ、ここに居る間だけでも香川に、春さん、やさしくしてあげてね。お願い。
春子 うん。(泣き出している)うん!
敦子 なんなの、泣き出したりして? さ、じゃ、川の方へ行って見ましょ。ね、もう言わないから、ほら、春さん!(手を引いて立たせる)フフ!
春子 フフ!(泣き笑い。二人肩を抱き合って、下の方へ、下生えを踏んで歩み去る。……その消えて行く足音)

山鳩の声。川波の音が風に乗って流れて来る。

香川 ふっ! ……(ガサガサと言わせて炭焼ガマから這い出す)ふう! ……(立って、二人の後姿を見ていたが、やがてカマをめぐつて五六歩あるき、なんとなくビタビタと泥の肌を叩く)うむ。……金吾君!
金吾 ……(カマの中でゴトリと言わせるだけ)
香川 おい、金吾君!
金吾 ……へえ?(くぐもった声)
香川 聞いたろ君も、今の二人の話?(返事なく、カマの中でコトンと音)……へっへ! そうなんだよ僕は。……そいで春子さんを追っかけて来たんだ。へっ! 滑稽だよ! え、金吾君、滑稽に見えるだろ僕は?
金吾 そんな……(ゴトゴト言うが、くぐもって聞えぬ)
香川 いや、そこから出て来てくれるなよ。今、君から見られたら、死にたくなっちまう僕は。ね、滑稽だろう、こういう男、金吾君?
金吾 香川さん、そんなこと……(ゴトゴト言う。ドシンと鈍く石で床を叩く)
香川 僕あ、ホントにブラジルへ行くよ! 望みを失える男、海を渡る! いいだろ? ねえ、金吾君?
金吾 そんな……(ドシン、ドシンと石の音)
香川 (それに合せて、支離めつれつな調子で歌「五丈原」)

祁山きざん悲秋の風ふけて
陣雲くらし五丈原
零露れいろあやはしげくして
草枯れ 馬は肥ゆれども……
(「零露の文は」の所からオフになって)

敦子 (中年)その時の賢一さんの胸はさぞつらかったろうと思います。しかし、その時、私と春子さんの話をその賢一さんといっしょに聞かなければならなかった金吾さん、そしてそういう事はオクビにも出せなかった金吾さんが、黙って一人で暗い炭焼ガマの中で石を叩いていた気持を思いますと、私は何と言ってよいか胸がつぶれるような気がするのです。

ドシン、ドシン、ドシンという石の音。

それに合せて歌う香川の歌声が表へ出て来る。

…………
蜀軍の旗ひかりなく
鼓角の音もいましづか
丞相じょうそうやまいあつかりき。

(二) 清渭の流れ水やせて
むせぶ非常の秋の声
夜は関山の風泣いて
やみに迷うか、かりがねは
…………


 勝介
 春子
 船客一(男)
 同二(女)
 同三(フランス人の女)
 同四(フランス人の男)
 ボーイ 他に三人ばかり
 金吾
 壮六
 お豊
 おしん
 喜助

音楽

「ジャアーンと鳴りひゞく大銅羅の音。しばらく鳴ってから、やむ。」

「やむのを合図にデッキに並んだ管絃楽隊から『螢の光』の曲が起る。」

「ゆっくりとハトバを離れはじめた一万トン級の汽船の船内の物音。――ゴーと言うような鈍い響に、クリッ、クリッと何かの滑車の音、タタタとデッキのタラップを走りおりる船員の靴音、それに舷側に並んでハトバの見送り人と別れを告げている十人あまりの船客の気配と、そのそばを通り過ぎて行く船客やボーイの足音、港内を走るハシケのホイッスルの響きなど。」

「風の向きがスッと変って、『螢の光』が低くなって、ハトバの見送人たちのざわめきが聞える。(距離あり。しかも、これはグイグイ遠ざかって行って、間もなく消える。)
――すべてが浮々と華かな欧州航路の巨船の出港の響。」

見送人 (遠くで、ガヤガヤと不明瞭に)ウワア……ばんざあーい! ばんざあーい!
船客男一 (叫ぶ)ばんざあーい!
船客女二 ホホ、ホホ、ごらんなさいまし。みんなまるで踊りあがっているわ!
春子 さようならあ、敦子さまあ! さようならあ!
勝介 あはは、もう聞こえはしないよ、春。
春子 敦子さまとばあやが、並んであんなにハンカチ振っていますわ! さようならあ!
船客女三 (フランス人、変な発音で)ばん、ざーい! (フランス語で)Comme c'est beau, Adieu Japon. !
船客男四 (フランス人。フランス語で)Oui, ce paysage ressemble ※(グレーブアクセント付きA小文字) un immense jardin fleuri, Adieu Yokohama !
勝介 これで横浜も、いっとき見おさめだ。だが、私などが、アメリカに渡った時分にくらべると、ここらも立派になった。船などもあの頃の三倍以上の大きさだ。
春子 お父様、私……フランスへなんか行きたくなくなった。よそうかしら。
勝介 はは、今になって馬鹿なことを。あんなにパリに行きたがっていたくせに。
春子 ええ、そりゃパリは見たいけど。
勝介 はは、敏行君が首を長くして待っている。マルセイユまで迎えに出ている筈だ。
春子 でも、敦子さんがいないんじゃつまらない。
勝介 よっぽど気が合うんだねえ、あの人と。
春子 ごらんなさい、敦子さんも泣いていらっしゃるわ。
勝介 それよりも、そら、お前こそ涙を拭きなさい。はは、パリで待っている御亭主よりお友だちが恋しいなんて、いつまでもそういうネンネでは困る。そらそら、その花をよこしなさい。重いだろう。また、長与さんでも島津でも、よくまあこんなに花をくれたもんだ。
春子 農林省の方も下すったのよ。こっちの、これ。
勝介 やれやれ。と、しょと。
春子 あら、敦子さん、こっちへ向いてお一人で歩き出したわ。
勝介 うん。もうよしてくれりゃ、いいにな。しかし良いお嬢さんだ。きれいだし、春なぞより、かしこそうだし。
春子 そうよ、私よりズーッと、おつむが良いの。
勝介 結婚はまだなさらない――?
春子 いえ、もうお相手はきまっているの。来年早早お式ですって。
勝介 すると今度春が戻って来れば、若奥さん同志が出合うわけか。まあまあ、ここで別れるのがお互いの娘時代に別れるわけか。泣けてくるのも無理はない。
春子 お父さまは、直ぐにそうやって人をからかう!
勝介 ははは、だが、敦子さんと言えば、あのイトコの、香川君――と言ったね、去年の夏、信州に一緒に来た――あれは、その後フッツり見えないが、どうしたろう?
春子 香川さんは、……去年の暮れに、ブラジルにお渡りになったんですって。
勝介 ブラジルとね。そう言えば、そんなことも言っていたようだったな。いや、それもいいだろう。若い者はそれぞれに思い切ってやって見ることだ。
春子 (クスクス笑って)信州の La grandeぐらんど mainまん お元気かしら?
勝介 グランド・マン? なんだ?
春子 大きな手。
勝介 ああ金吾君か。はは、いや、あれは又あれで立派だ、うむ。私がやりかけていたカラ松の苗床の世話いっさいを委せて来たが、あの男ならばチャーンとそいつをやりおうせてくれるだろうと安心できるから妙だ。どう言うのかね? どこと言ってチットも目立たない人間だが――
春子 でもあの人のことを思いだすと、なんだか私、すぐおかしくなるの。
勝介 ふふ。ああいう人間が、しかし、目立たない所でコッコツやっているから、この世の中は成り立っているかもわからんぞ、うむ。お父さんの山林の仕事なぞも、いくら勉強したとしてもパッと人目に立つことなんぞ先ず無い仕事でね、似たような事だね。森や林を人は見るが、それを植えた人間のことは思い出しもしない。おかしなものだ。今度の旅行も、春を敏行君に手渡すためか、その後でスイス寄りの森林地方へ視察に行くためか、わからんようなものでね。誰から頼まれたわけでもないのに御苦労さまなと思うこともある。
春子 だけど、私はお父さまのそういう所が大好き! えらいと思う!
勝介 はは、ただ己が娘の賞讚のみが、黒田勝介の勲章なんだなあ! はは! もっとも、もう己れが娘ではなくて、長与敏行夫人と言うべきかな?
春子 まあ、ひどい!

「ジャーンと再び銅羅の音が鳴りひびく。」
ボーイ (小走りに靴音をひびかして寄って来て)ええ、黒田様――でございましたね? 船室はスッカリ片づけをすませましたから、どうぞ。お紅茶は食堂にいたしましょうか、それとも船室の方へお持ちいたしましょうか?
勝介 やあ、ありがとう。そうさね、部屋の方へ貰おうか。
ボーイ 承知いたしました。では――(去る)
春子 あら、ハトバの人たちが、あんなに小さくなった。もう敦子さんも見えないわ。これでずいぶん早く、もう、走ってるのね?
勝介 部屋へ行こうかね。
船客女三 (フランス語)Adieu Japon !
船客男四 (フランス語)Laurence, tu pr※(アキュートアクセント付きE小文字) f※(グレーブアクセント付きE小文字)res le chocolat, n'est ce pas ? Allons au salon.
春子 オールヴォア、横浜! アツコさま!
勝介 はは、さあ、こういう船旅が二十日あまりつづくわけだ。ごらん春、かもめがあんなに追って来る――

(娘の腕を取ってデッキを歩き出す)

「ウォー、ウォーと吠えるような汽笛が鳴り出して、あたりの物音の全部を消してしまう。」

「その汽笛が鳴りやむのと同時に、それとはおよそそぐわない調子の三味線の爪びきの音がポツンポツンと鳴り出す。……その背後に(隣室)酔ってブツクサ言っている男女の声」
喜助 「お豊を出せえ! お豊を出せったら!」
おしん 「まあそんな事云わねえで、飲みなんし」
その他ハッキリは聞えない。

お豊 (爪びきで低音で歌う米山甚句。三味線も歌もそれほどうまいとは云えない)溶けて、流れて、三島へ、くだる……
壮六 (酔っている。歌をひきとって)富士の白雪……(棒のように歌ってから、あとは、節をつけないでどなる)朝日で溶ける! ウソだい! 溶けるもんけえ! 溶けて流れて三島へ――なんぞくだるもんけえ。そったら事あ大嘘だらず、馬鹿にしさって!
お豊 (三味線をわきに置いて)まあまあ壮六さんよ、そんなに怒るもんじゃありませんよ。いつもあんなに機嫌の良い人が、今晩は、はなっから荒れっぱなしだなし。
壮六 へっへ、これが荒れずにいられるか。歌の文句でもよ、富士のお山に積りに積った雪でさえもだ、朝日が照れば溶けるつうだ! だのによ、だのに、女の心はなぜ溶けねえ、豊ちゃんの前だがよ?
お豊 なぜ溶けねえと言いなしてもさ――だからさ、その春子さんというお嬢さんは金吾さんのそういう気持、まるきり御存知ねえと言うじゃありませんの? 朝日が照りゃこそ雪も溶けようけんど、知らねえもなあ、これ、しょうねえわ。
壮六 しょうねえと言えば、しょうねえわい。はじめっから、あんまり身分が違いすぎら。峯の白雪、麓の氷と言うけんど、まるでどうも、当の金吾の野郎が、まるでへえ、オコリに取っつかれたみてえに、その春子さまにおっ惚れたくせにそいつをおっ惚れたんだとは自分でも気が附かなかった加減が、うん。あれから今日まで四年近く、こんだけ仲の良い俺でさえ、そうとハッキり気が附かなかったんだ。それがさ、おとどし俺もカカもらったし、金吾お前も嫁もらえと、馬流の姉さんともども、いくらすすめてもイヤだつうんで、なぜだてんで、問いつめ攻め立ててるうちに、そいつがわかって来た。可哀そうともいじらしいとも、しまいに俺あ腹あ立って来てなあ。
お豊 (ホロリとして)ほんとにねえ!
壮六 はじめっから、手のとどかねえ高根の花だ。大の男でねえかよ、思いきりよく嫁取りする気になってくれと、附きに附いて言うが、へえ駄目だあ、あんまり言うと怒り出す始末でね。今度も、実あ久しぶりに俺あ、試験場が四五日休みになったんで落窪の奴の所に行って見ると、雪に降りこめられた一軒屋の火じろにもぐり込んだまま春子さまがフランスから送って来たエハガキをマジリマジリと見てけっかるじゃねえか。酒でも飲まさねえとこいつ今に気が狂うと思ったもんで、ひっぺがすようにして、こうして海尻くんだりまで連れて来たわな。
お豊 エハガキをねえ? だって、その春子さんと言う方あ、向うでお婿さんと御一緒でしょうが? それがヌケヌケと金吾さんにヱハガキを送るとは――いえ、御当人は御存知ないのだから仕方は無いけどさ――でも、いかになんでもムゴイわねえ!
壮六 だらず、お豊さん? 俺の言うのも、それだわな! そりゃ、知らない事だと言ってもだ、こんだけの金吾の思いが、ツンともカンともまるっきし通じねえと言うのは、あんまりムゴイぜ。いくら身分ちがいとは言っても、こっちは若い男で、向うは女だらず? え? おなごの心なんて、そったら冷てえもんかよ、豊ちゃんの前だが?
お豊 だけんど、どうしてまた、あんだけしっかりした人が、選りによってそんなお嬢さんなどに思い附いたもんだろうねえ? ほかに良い女が居ないわけじゃ無いだろうに――、
壮六 だからよ、ひとつなんとかしてくれよ、頼まあお豊ちゃん! お前はこうやってツトメこそしているが、内のおかつの学校友だちで、気心はチャンと知れてら。おかつも豊ちゃんなら金吾さんのお嫁さんにゃ打ってつけだと言うしよ。うっちゃって置けば男一匹、気ちげえになっちまわあ。お豊ちゃん、よろしくひとつ頼んます!
お豊 そんな事言いなしたとて、困りますよう! こんな事と言うもんは、そうそう考えた通りになるもんでねえんだから。
壮六 そんな事言わねえで、頼まあ豊ちゃん! 金吾をひとつ、男にしてやってくんなんし! そいで、春子さまなんずの情知らずを見返してやってくれ。こん通りだ!
お豊 あれ、そんなお辞儀をされたりしちゃ、困りやす。お前酔ったな壮六さん?
壮六 酔っちゃいる。だけんど、こいつは酔ったまぎれに言ってるこっちゃねえのだ。うるさく言うようだが――
喜助 (一つ置いた隣りの室から、酔った声)うるせえよっまったく! よそ土地の人間が、海尻へんまで出ばって来て、土地の女をくどかなくともいいだろう?
おしん まあまあ、喜助さん、そんな大きな声出さずとも――(あとはよく聞えぬが、いろいろ言いなだめている)
喜助 大きな声は地声だあ! 誰だと思う――お豊を出せ! お豊を連れて来うっ!
おしん お豊ちゃんは、だから、今お座敷に出ているから――
喜助 お座敷と? へっ、芸者々々と芸者づらあしても、二枚監札のダルマだねえか? 気どるねえ! 第一、農事試験につとめているかなんか知んねえが、馬流へんの小僧っこに、この土地を荒されてたまるけえ!
おしん まあまあ、喜助さんよ、ひとつ飲んで――(と、こちらへ聞えるのをはばかって、しきりとなだめて静まらせる。ガタンと言わせ、ブツクサ言いながら酒を飲むらしい)
壮六 (こちらでは、カッとなったのをおさえて、かえって低い声になって)ふふ、馬流の小僧というのは俺がことか? どうも、さっきから、なん度からめば気がすむんだ?
お豊 まあまあ、かんにんして壮六さん。喜助と言ってね、この町でバクチ打ったりして、うるさい奴だから、がまんしてね。
壮六 うむ。……(酒を飲む)金吾は、どこに行きゃがった?
お豊 酔いをさましてくると言って、裏へ出やしたようだったけど――(酌をする)
壮六 そんでなあ豊ちゃん、まじめな話だ。おかつもそう言うんだ。ひとつ、なんとかしてやっちゃくれめえか。よ! その――

(そこへ、廊下をミシミシと音をさせて近づいて来て、ガラリと障子を開けて入って来る金吾)

お豊 ああれまあ、金吾さん。すっかり雪いかぶっちゃって――(ハンカチで頭の雪を払ってやる)そんなに降って来たのかねえ。
金吾 (ノッソリと食卓のわきに座りながら)うむ、今夜あ大分積りそうだ。
壮六 飲め金吾! いや、こっちの大きいので飲め! 豊ちゃん、酌をしてくんな。そいでちったあ、お前も酔え!
金吾 いや、俺あ、もうたくさんだ。これ以上酔ったら帰れなくなっちまう。
壮六 見ろ、そう言う量見だ、お前は! そう言う量見だからヱハガキなんぞ抱いて泣きっ面あかくことになるんだ、馬鹿! 今夜帰れなかったら、ここに泊りゃええのだ。なあ豊ちゃん、泊めてくれるなあ?
お豊 ほほ、そりゃあね、お泊りになる分には、おかみさんに話せば――
壮六 な金吾よ! だから、もっと飲め! クヨクヨするなって! なにもお前、世間に女あ一人っきりじゃ無えや!
金吾 そんな、もう、かんべんしてくれ壮六。お前酔っとるよ。
壮六 俺が酔っとるなら、お前は血迷って、タブラかされてるんだ。今も豊ちゃんと話してたとこだ。春子さまなんてお嬢さんはな、ありゃお前、言わば見た目ばかりパッと綺麗な銀流しだあ! なんにならず、あんな女が! 諦らめろ、よ! 第一お前、あの人あ、もう人の奥さんだ!
金吾 又それを言う。そったら事あ無えと言ったら! 諦らめるにもなんにも、そんな事、はなっから俺あ考えた事も無えだから。
壮六 だら、嫁え貰えよ金吾。それが正の事なら、嫁え貰って見せろい!
金吾 そねえな無理な事言ったとて、へえ、そんな――
お豊 だけんど、どんなお人だかねえ、その春子さんと言う人? あんたから、それほど思い附かれるなんて、うらやましいみたいだ。
金吾 そ、そ、そんな、お豊さん! ちがうと言ったら、俺あ、そんな――
壮六 見ろっ! ケツ! そう言われただけで、まるっきし顔の色変えちまって、そのテイタラクだ! 俺あ腹が立つんだ、クソ! 馬鹿クソ野郎の金吾め、立って見ろ! なんだあんな情無し女の一人や二人! そもそもだな、そもそも、この――(ホントに怒って食卓の上の皿小鉢をガチャガチャ言わせて、立ちかける)
お豊 まあまあ壮六さんよ!
喜助 (隣室)やかましいやいっ! 馬流へんのドン百姓が、コナカラ酒にくらい酔やがって、てっ、やかましいぞっ!
おしん 喜助さん、そんな、あんた――
壮六 なによおっ!(カーッとなって)畜生め、さっきから黙って聞いてりゃ、馬流のドン百姓がどうしたとっ? (ガタン、ピシンと障子を押し開けて廊下へ)出て来う、相手になってやらあ! バクチ打ち野郎! 出てうせろっ!
喜助 ようし!(これもガラッ、ピシリ、ドタバタと廊下に飛び出した音)ドン百姓だからドン百姓と言ったんだっ! 野郎っ、海尻の喜助を知らねえかっ!(と、いきなりパシンと壮六の顔をなぐつた音)
おしん あれ、誰か来てえっ! 喜助さん、よして!
壮六 (ドタンと倒れて)やりやがったな、畜生っ!
喜助 やったが、どうした! この、これでもかっ! ドン百姓! こらっ!(喧嘩はこの方が数段うまいようだ、ひどく酔っている壮六をつづけざまになぐりつけて、馬乗りになる)
壮六 ううっ! ちしょうっ! ううん!(と唸って手足をバタバタさせる)
お豊 やめてっ! 喜助さんっ、そんな、酔ってる人を、そんな、やめてっ!
喜助 へっ、ドン百姓のくせに、きいた口を叩くからよ! やいっ、起きて見ろ、この!(と又なぐる)
金吾 おい、喜助さんとかよ、もうやめねえか!壮六あ酔ってるんだ。
壮六 うう! うう!
喜助 へっ、お前の連れかよ? だら、こん野郎つれて帰れ。酔うんだったら、そこらのドン百姓なんず、てめえんちの火じろに水っぱなでも垂らして酔ってりゃ、よからず、壮六だか、じんろくだか知らねえが、この――(ガツンと又なぐる)
金吾 お前、喜助と言うんか?
喜助 そうよ、それがどうんた?
金吾 この壮六つうもんは、俺の仲良しの朋輩だ。よくも、そいつをなぐってくれたな。
喜助 へっ、なぐったが、どうしたつうだ?
金吾 こうしたつうんだ!(言うなり、相手をひっつかんで、ウッ! と叫んで投げ飛ばす)くそうっ!
喜助 わっ!(ドシン、ガタン。ベリベリベリと鳴ったのは喜助の身体が障子を破って襖の所まで飛んで行った音)
金吾 野郎っ!(又とびかかって行く)
喜助 うっ! わあっ 畜生っ!
お豊 金吾さんっ! 金吾さんっ! もうやめてっ! もうかんにんしてあげてっ! 金吾さんっ!
金吾 野郎っ、この!
喜助 うう! ふう! うう!(のびてしまったらしい)
おしん もう、こらえてっ! 金吾さんっ! 誰か来てえっ! 誰か来てくだせえっ!

あとは金吾が一人であばれる音。ドシン、ベリベリベリッ、ドサン、ガチャンと、まるでイノシシがあばれるような物音。……
それが、壮六のために喜助にたいして怒りを発したためと言う度を越してしまうほど続く。……
やりどの無い胸中の熱のままに獣があばれるのである。


音楽


 金吾
 お豊
 喜助
 壮六

音楽

信州のテーマ音楽(冬の)

火じろにたき木のはぜる音。

火じろのわきで藁でナワをなっている音がシャリシャリ、シャリとつづく。

戸外にヒューと吹雪いている響。

お豊 ……(ペシペシとタキギを折りくべながら)また吹雪が来るようだなし。
金吾 うむ。……(ナワをなう)
お豊 金吾さんはこんな一軒家で一人きりで暮して、よくまあ寂しくないわねえ? 私あ、来るたんびにそう思う。夜なんぞおっかねえ事あ無えかなあ?
金吾 馴れてやすからね。
お豊 いくら馴れてはいてもさ、こんな山奥だもの、変なもんが出て来たりしやしめえかという気はなさらねえの?
金吾 変なもん! バケモンかなし?
お豊 バケモンちうわけじゃねえけど、みんな言いますがな、アミダガダケの天狗さんにさらわれるの、モモンガアが出るのって。
金吾 ふふ、天狗さんやモモンガアにゃまだ逢わねえが、タヌキはちょくちょく来るなあ。二三日前も朝になって見たら、裏口んとこの雪の上一杯に足跡が附いていたっけ。梅鉢みてえな足跡でね。
お豊 へえ、タヌキ、ねえ。
金吾 今に一匹つかまえてお豊さんにタヌキ汁ごちそうするかな。
お豊 だましに来るとですかねえ?
金吾 だましに? 誰をな?
お豊 あんたをさ。
金吾 はは、俺なんずをだましたって、なんにならず?
お豊 そいでもタヌキやキツネは人をばかすとでしょ?
金吾 さあ、どうかな。タヌキやキツネよりや人間の方がよけいに人をばかすんじゃねえかなあ。借金の言いわけだとか、道楽の言いのがれにキツネにばかされたふりをする人間がいっぺえ居るようだからなし。はは、キツネの方じゃ濡れぎぬ着せられて、大きにクシャミこいてるかもしれんて。現に、ここの裏口にやって来るタヌキなんずも、今年みてえな珍らしい雪降りで、根雪になると山奥にゃエサが無くなるんで、食いものさがしにここらへんまでノコノコ出てくるだけだ。
お豊 やれやれ安心した。
金吾 うん、なにが?
お豊 いえさ、私なんずも大きに、こうやってチョイチョイここに来るのが、キツネが金吾さんだましに来てるように思われてんじゃないかと思っていたからさ。ふふ!
金吾 じょ、冗談言っちゃいけねえ、お豊さん。こうやって御馳走さげたりして来てくれちゃ、洗たくしたり、ほころび縫ったりしてくれるお前を、そんな――ありがてえと思ってるんだ俺あ。
お豊 (苦笑して)ふ! でも、考えて見るとかわいそうだわね。
金吾 うん?
お豊 いえさ、そのタヌキがさ。おなかすいてたまらなくなったのに里に出るのを、人をだましに来たかとイヤがられる。タヌキに生れついたのが運が悪るかった。
金吾 そりゃ、言ってみりゃ、そんなもんだが――
お豊 は、は!(沈みこんで行きそうな自分の気を引き立てるように、明るく笑って)私なんずも、いつまでも笹屋に出ていると、キツネだなんて言われるからさ。こんな歌、金吾さん知ってる?(いきなり、投げやりな調子で歌い出す「チンタオ節」)海尻よいとこと誰が言うた、うしろはハゲ山、前は川、尾のないキツネが出るそうな、僕も二三度だまされたあ、ナッチョラン! はは、へえだ。誰があんた、両親そろって、しあわせに育った人間が飲屋の女なんかになるもんですか。家は貧乏身よりはチリヂリ、あっちもこっちもナッチョランかっ、尾の無いキツネにもなりますがな!
金吾 ……(なにか胸をつかれて返事が出来ず、シャリシャリと繩をなうだけ。戸外に吹雪の音)……
お豊 ……でも、こんな私みたいな女ごが、こうやってしげしげと押しかけてやって来たりするの、金吾さん迷惑でしょうね?
金吾 と、とんでもねえ――俺あ、どんだけ助かっているかしれねえんだ。ただ俺の方じゃ、なんのお礼も出来ねえんで、すまんと思ってね。
お豊 (苦笑して)お礼がほしくって来ているんじゃありませんさ。ただね、私がこうやって来ていると、世間じゃ直ぐに、今の尾のないキツネと言うやつでね、笹屋のお豊がばかしに通っていると言うんですよ。シトをバカにして。ばかす気なら、いくら私だって、もうちっと金が有るとか様子の良い人に目をつけますよ。金は、まあ、大してお有りじゃ無いようじゃし、そんなにゴツイ大きな手をしてヌーッとばっかしている人だらず?
金吾 (思わず笑い出す)はは、まったくだあ、はは!
お豊 やしょう? ふふ。第一、人をばかすような甲斐性がありゃ、僅かばかしの借金にしばられて笹屋なんておかしな家に、三年も四年も誰がつとめているもんかな。これでも身うけをして女房にしてやろうという人の一人や二人はいやすからね、トックの昔に足を洗っている筈だ。
金吾 んだが、全体その笹屋の借金と言うなあ、お豊さん、どん位あるのかな?
お豊 なあに、千円とちょっとですけどな。
金吾 千円か。……俺のところにも、春になりゃ小麦の代が取れるから、千円ぐらいは出来ねえこたあねえ。
お豊 受出してくれようとおっしゃるの、あんた?
金吾 やあ、そういうわけじゃねえけど、お豊さんつとめている気が無ければ、いつまでも気の毒だから――
お豊 でも、そういう話をする時は、みんな男の人は女房になってくれとそう言って――
金吾 いやいや、ちがうんだ。俺あ、そういう事を言ってんじゃねえ。そうじゃ無え。ただ俺あ、お豊さん好きだからよ。いや、そ、いやさ(と、ツイ好きという言葉を使ってしまって、うろたえる)好きと言ったって、俺あ、ただこの――へえ、女房なんて、俺ア駄目だあ。
お豊 でも、壮六さんは、あんなふうにあんたのこと心配して――
金吾 壮六はなんと言ったか知らんけど、あやつは一人がってんの野郎でなし、俺にゃ女房もつ気は無えです。そったら身分で無えもの。
お豊 身分? 身分たあ、なんの事なの?
金吾 (ますますあわてて)いや、その――こんな所に、こんな風に暮していて、女房だなんて、お前――へえ、駄目だ俺あ。(と既に言っている言葉が意味をなしていない)
お豊 ……(ちょっと黙っていてからポツンと)その黒田の春子さんのこと?
金吾 うっ?
お豊 春子さんのことがあるから?
金吾 そ、そんな、困るよ。そんな事あ無えです! 大体そんなお前――そんな事言ってもらっちゃ、俺あ、まあいいけんど、春子さまに御迷惑をかけることになっちゃ――もう御主人もちゃんといらしゃるだから。
お豊 その御主人と仲よく、花の都のパリで、それこそ派手な暮しをなすっているんでしょ? にくらしいわねえホントに! その、エハガキと言うのを見せてちょうだい金吾さん。
金吾 困るよ、そんな――
お豊 だって、そうなんでしょ?
金吾 なにが?
お豊 春子さんのためなんでしょうが?
金吾 だから、なにがよ?
お豊 あんたがおかみさん貰わねえのがよ? ……(返事なし。ビューと戸外の風の音)え、そうでしょ?
金吾 そんな――

ヒューと戸外の風の音。やがてその音の中から男の叫び声が近づく。

喜助 うわあ、ちしょうめ!(と、これは風をののしって)おおい、柳沢金吾う! やい、金吾う! ここ開けろいよう! 早く開けろうっ!
お豊 ……(声を聞きつけて金吾と顔を見合せていたのが)あら、壮六さんじゃないかしらん?
金吾 え、壮六――? ……(戸口に行く)
喜助 (外で)早く開けろう、阿呆め! 寒くてならねえわい、早く開けろう!(戸を蹴る)
金吾 (戸を開けながら)誰かね?
喜助 (ガタピシと押入るように土間に入って来ながら)わあ、なんしろ、えれえ雪だあ、降るのはやっとやんだが、見ろ膝っ小僧まで雪だらけだ。へっへ――誰でもねえ、喜助だあ、海尻の喜助だよう。しばらくだなあ、金吾!
金吾 喜助さんつうと、お前は、あん時の――?
喜助 そうよ、笹屋でおのしに取って投げられた喜助だい。へへ、今日はそのお礼を言いにやっち来たぜえ。
金吾 そらあ、しかし、あん時はお前があんまり壮六ば叩きなぐるもんで、見るに見かねて俺あ、ただナニしただけで別に悪気あ無かったこって――
喜助 へっ、悪気がなくて、どうしてシトのこと三間も投げとばせるけえ? はは、あん時あ俺あ、じょうぶ酔っていたからな、どんなあんべえで取って投げられたのか、わからんかった。今日はハッキリ勝負を附けべえ。まあま、急ぐ事あ無えや。覚悟うすえてユックラとやるべし。やれどっこいしょと。(あがりばなに腰をかける)
お豊 そいつは、しかし喜助さん、そりやムチャだわ
喜助 いよう、やっぱし来てたな、お豊、外から入って来てまっ暗だもんで見えんかった。どんなあんべえだ、キツネの談判は?
お豊 なによ、人聞きの悪い事言わんとおいて
喜助 そんでも、ここの金吾をだましに通ってるつうでねえかもっぱらの評判だぞ。あっはは!
お豊 そんな事どうでもええけど、いつかの叩き合いなら、あんたの方がよっぽど悪いよ、酔っていておぼえは無えかもしれないけど、なんでもねえ事言いがかりをつけて、馬流の壮六さんのこと、あんたあ、馬乗りになって、なぐつたと言ったら! アッと言う間に三、四十はなぐつた。そいで、金吾さんが、あんたを突き飛ばしただけだわよ。それを根にもって、こんな所にまで仕返しに来るなんてあんたもバクチの一つも打とうという人が量見の狭い話じゃねえの。
喜助 量見が狭いか広いか知らねえがこんで唯の仕返しじゃねえのだ。その証拠に、これを見ろ、ハッキリ勝負を附けた上からは、後はうらみっこ無しという事で一緒に飲もうと思って、こうして一升さげて来てるだ、な、いいか? そもそも俺も以前は宮角力では大関まで取った男だ。それがいくら酒えくらっているとは言うじょう、あんなにわけなく投げ飛ばされたと言うのが、どうにも腑に落ちねえのだ、角力四十八手の表にも裏にも、あんな手はおいら知らねえ。アッと言う間にオガラのように投げっ飛ばされて目えまわしたつうのだ。何がどうしただか、そこんとこが腑に落ちねえじゃ、どうにも気色が悪くって、おさまりが附かえのよ。さあ、やるべえ金吾、仕度しろい!
お豊 へえ、男なんて、おかしな事に血道をあげるもんだなし。
喜助 男だあ無え、喜助さまだ、血道をあげてるのは。俺あそったら人間だ。得心も行かねえで投げっ飛ばされっぱなしては、気色が悪くって、この喜助は人中に出られねえんだ。よ、金吾、この土間でやるか、それとも外に出るか?
金吾 こらえてくれろ喜助さん。わびろとあらばわびるからよ。
喜助 くそ、わびてなんぞほしかねえや! おのしも男だらず? だら、来いよ!
お豊 馬鹿だねえ、そんな――よしてちょうだいよう!
喜助 馬鹿は先刻承知だい! さ、来う!
金吾 こらえてくれ、あん時あ、壮六もお前も俺も酔っていただから――
喜助 ようし、だら、この酒え先きに飲んじまって酔った上でやるべし。さ! おい、お豊、その茶わん、取ってくれ。
お豊 (カチャリと音させて茶わんを出してやりながら)ホントに、そんな阿呆なことやめにして、気持よく飲んだらええ。(一升徳利のセンをスポンと抜いて、ゴボゴボと注ぐ)
喜助 おっと! そっちにも酌してくれ
金吾 弱ったなあ
喜助 弱ったと言うアイサツはあるめえ。グッと飲めい! さあ飲めい! ほらよ!(相手に無理につづけざまに飲ませて自分もゴクゴクと飲む)よ、お豊、お前も飲んでくれさあ!(と酌をする)
お豊 私あよござんすよ
喜助 よござんさねえよ、こんで、もともとの起りと言うは、お前だかんな、
お豊 へえ、どうして、さ?
喜助 しらっぱくれるのはやめにしろい。そうだねえか、先ず第一番にこの俺がお前におっ惚れてよ、あんだけ笹屋に通いづめて言うこときけ言うこときけで、いくらそ言っても聞かねえで、四十八センチぐれえの肱鉄砲くらわしときながらよ、そのお前が、どこが好いだかこの金吾に惚れちゃって、さていくら通って来ても、様子がいまだにモノにならねえくせえや。これ又片想いで、そこら中べた一面にイソのアワビだらけで、なんてまんがいいんでしょとくらあ、へっ! さ、もっと飲め、金吾!(金吾の茶わんに酒をつぐ)
お豊 まあ、ふふ!(と、喜助の怪弁に思わず笑う。金吾も失笑)
喜助 つまり、そのモツレだなあ、元はと言いば――と思っているのが、そこが畜生のあさましさだ。お前は大きに、この金吾に惚れている気でいるなれど、ホントはこの俺に惚れてんだぞ。人間自分の事あ自分にゃわからねえもんだ。かわいや、なんにも知らねえわやい、と言うのがあるんだ馬鹿、お豊、お前がホントに好きなのは金吾じゃなくて、この俺だぞ。気をつけろい!
お豊 そう、そりゃ、ありがたいわねえ。じゃま、私のホントに好きな人にお酌をしましょ。(と、この場の始末を笑い話にしてしまえそうなので、笑って言って酌をする)
喜助 (それを受けて)冗談いってんじゃねえんだぞ俺あ。まじめだぞ。イヤだイヤだと好きなだけ言ってろてんだ。もう一年もしたら、お前はチャーンと喜助の女房でおさまっているべし。てへへ……村の娘と畑の芋は、かぶり振り振り子がでける、と言ってな。てへへ、俺が予言をしておくぞ。俺あ今でこそ、へえ、バクチなんぞ打っているが、もとはと言えば、年期を入れた大工だ。そうなったら俺あチャーンと大工をかせいで、可愛がってやるからな。安心して、子供の十人も産めよ、てへへ。なあ金吾、どうだ?
金吾 はは、そうだそうだ。
喜助 そうだそうだなんずと、俺が酔って言うと思って心安く言うと聞かんぞ。てめえと勝負をつけるつうのは、まだ諦らめちゃいねえからな、……んだからよ、俺あ言ったんだ。野郎め、今日こそ白か黒か決着をつけべえと思って海の口で一升買って、ここさやって来てたら、水車の所で郵便屋の辰公がうしろから来て喜助さんどこさ行くと言うから、落窪の柳沢金吾をぶっ殺しに行くんだと言ったらよ、このトックリをジロジロ見やあがって、一升ばっちじゃ殺すわけにゃ行くめえなんずと言やがって、人の事、本気に取らねえや、シャラクセエ郵便屋め、そんで俺あ――(とベラベラやっている内にヒョイと思い出して)そうだっけ辰公がことづけやがったっけ、ええと、キレエなエハガキだ……(と、モジリの外とうのポケットをモガモガとさがして)ああこれだ。フランスはパリから柳沢金吾あてつう。この雪じゃおいねえから、お前そこい行くなら届けてくれと言やあがった。ほい、届けたぞ。(とエハガキを金吾に渡す)
金吾 そりゃ、すまんかった。どうも……
お豊 フランスのパリから――? 又その春子さんから来たのね、どれどれ?(と覗きこんで来る)
金吾 お豊さん、そのランプに、ちょっと火を入れてくれ。

(言われるままにお豊が、わきの釣りランプにマッチをすって火をつける音)

喜助 すっかりもう夜になったな。だけんど、外がイヤに明るくなったようだが、どうしただ?(ドシドシと土間に足音をさせて、戸をガタンと開ける)うわあ、まるでこりゃ、まっぴるまよりや明るいや。いつの間に、お月さんが出やあがったい! たあ! 吹雪いてると思うと、お月さんだ。どうしただい、気ちげえ天気め!
お豊 (ハガキの文句を読む)……きれいな字だねえ「私は主人と共にイタリイに、来ています。か、これがそのヴェニスの――」
金吾 いいよ(とハガキをひっこめ、ふところに入れる)
お豊 あら、読ませたっていいじゃないかな。じゃけんだなし。
金吾 そういうわけじゃねえけんどよ――
喜助 (振り返って)どうしただい? まあ来て見ろいつの間にか良いお月さんだ。雪に照りかえってキレイだと云っても!
お豊 くやしいねえ! 人の気も知らないでさ、主人とイタリイに来ています! よくまあ、そったら事を書けたねえ!
金吾 そ、そんな、そんな事あ無えと言ったら! そったらお前――そんな事を、お豊さん、言ってもらっちゃ困るんだ。
お豊 いえさ、その春子さんと言うのが、とにかく人間ならば、ですよ――あら、どうするの金吾さん、そんな冷酒を口飲みなんぞして、あんた――?(金吾が立ったまま徳利から口飲みをする音がゴクゴクゴクと聞える)
喜助 どうしたつうんだ? いよう金吾、やるなあ。よし、その調子で勝負をつけべえ! さあ来い!(これは張切って土間をドシンドシンと言わせる)
金吾 ふう!(と、あおりつけた酒の息を吹いてからカタンと徳利をあがりくちに置き、土間におりる)ちょっくら、俺あ――
喜助 さ、来るか!
金吾 喜助さん、かんべんしてくれろ!(言って、喜助のわきをすり抜けて戸外へ)
お豊 どうしたの金吾さん?(これも急いで下駄をつっかけて土間へおりる)
喜助 外でやるか? ようし、雪の上で取っ組み合いも、おもしれえ!(戸外に飛び出す。ザクザクと雪を踏む音。その時は既に金吾もザクザクと足音をさせてかなり遠ざかっている)……待て待て金吾! どけえ行くんだ? おーい!
お豊 (これも戸外に出て来ている)金吾さあん! どけえ行くのう! 金吾さあーん!
喜助 全体どうしたつうんだ、あん奴あ?
お豊 その、黒田さんの別荘さ行くのよ。おおかた。
喜助 え、黒田さんの別荘と? こんな晩になって、この雪ん中を、気でもふれたか? ああれ、見ろ足跡だけで、もう姿あ見えねえや!

音楽 (短かく)

音楽やんで、すこし離た所から三味線の爪弾きの音。

壮六 いや、もう酒あ、いらん。……そうだったのけえ。そこまで金吾が春子さまのことをナニしてるとは――それほどまでのナンだとは実あ俺も思っていなかった。豊ちゃん、お前の気を引いたりしたなあ、俺が悪かったかんべんしてくんな。
お豊 いえさ、わびたりされちゃ、私が困るよ。そりゃ金吾さんの事をナニしたのは、はじまりは壮六さん、あんたから言われたからの事だけんど、私あツイ本気であの人を好きになっていただからなあ。又、いい人だもの。いじらしいと言うか、いえさ、あんな気心の良い人を、それほど迷わせちまった春子と言う人が面憎くて、ようし、意地でも私が金吾さんをこっちい向かせて見せずと思い込んだのだわ。向うがどんな良い女だか知らねえが、私も女ごだ、チャーンと振り変えて、見返してやらず。そう思ったの。それがね……その、喜助と一緒に金吾さんの歩いて行った足跡が、裏白な雪の上にポツポツと点々になってるのば見ててね、フラフラとついて行って見る気になってさ……喜助さんも一緒について来たの、やけに明るいお月さんでなあ。二人でトットと附いて行くと、やっぱし足跡は、あの黒田の別荘の方へつづいている、そんで、別荘のわきまで行って、そっちを見ると、別荘の窓の外の降りつもった雪の上に、どうしただか金吾さん、うつぶせにスッポリぶっ倒れている。
寄って行くと、ウーウーとうなっていたっけ。さっき、あおりつけた酒の酔いが出て、そこへ馳け出したもんで苦しくなってぶっ倒れた様子だ。喜助さんが助け起して、肩を貸しながら戻るさんだんになったが、私がヒョイと見るつうと、金吾さんがうつぶしに倒れた所が人間の形にポカリと凹んでいる。それを斜めに月が照らしてるもんでまっ黒に見える。まるで金吾さんの魂が、うつ伏せになって泣いてるようだ。……それ見ていて、私あ、こりゃ駄目じゃと思った。私の負けじゃと思った。……こんだけ、その春子さんつう人を思いこんだ人の心が、私なんずがどう懸命になったとて、もう、どうならず? 私あ、もう手を引きやす。無念じゃが、手を引く。わかってもらえるかなあ壮六さん。私の気持? ホンマに思い込んだつうのは、ひでえもんだ。金吾さんの気持は、もうへえ、法返しが[#「法返しが」はママ]附かねえわ。私あ、そう思いやす。

音楽


 金吾
 壮六
 春子
 敏行
 鶴
 乗客一
  〃二
  〃三
 出札(駅員男)
 改札(駅員女)
 若い女一
  〃 二

音楽

田舎のごく小さな駅の待合所近くの物音。――すこし離れた所で汽関車を走らせている汽笛とエキゾーストの響。「オーイ!」と駅員の呼声、ガタンと転てつ器を落とす音。

乗客一(男) 東京までの切符一枚、
出札(男) 新宿までですね? ……(ガチャンと音をさせる)
乗客一 上りは、間もなく来ますね?
出札 ええ、もう直ぐだ。
乗客二 (若い女)松本行、一枚くだせえ。
出札 松本だね?(ガチャン)はい。

(他にも二人ばかり居る乗客たちの靴や下駄の音がタタキに響く)

改札(男) (カチカチと鋏の[#「鋏の」は底本では「鉄の」]音をさせて)上りの方も下りの方も改札しやすから、入って下さい。(言いながら、ボツボツと改札口を通る四五人の乗客の切符に鋏を[#「鋏を」は底本では「鉄を」]入れる。それらの足音。全部すんで少し静かになる)
金吾 (待合所の入口の方から歩いて来て)あの、下りの列車は、こんだいつ頃になりやしょう。
改札 下りは上りが発車してから一分もしねえで到着ですよ。
金吾 そうでやすか。
改札 あんた、乗らねえのかい?
金吾 いや、俺あ人を待ってやすんで、はあ。……(と、そこを離れて、待合所を出て、砂利の上を歩いて、わきの柵の方へ行く)

同時にゴーッと音をさせて上り列車(と言っても大正時代の小さな汽車)が入って来る音。汽車が停り、それに伴ういろいろの物音……

壮六 (汽車から飛び出して来て)ああ、いたいた! おい金吾う!
金吾 おゝ壮六! どうしただい、おのしあ?
壮六 おおかた、お前が此処さ来ていると思った。どうだ、まだ黒田様あ、おつきんならねえか?
金吾 うん、まだだ。お昼前から待っているが、どうしただか――
壮六 下りが直ぐに着く筈だから、それかもわからねえ。お前からハガキもらったんで、俺もいっしょに出迎えに来ようと思っていたが、試験場の用事でどうしてもニラザキまで、これから行かなくちゃならんでな。
金吾 そうかよ。
壮六 黒田様みえたら、俺からもよろしくと申し上げてくれろ。いずれ近いうちに一度行かあ。(発車の合図の汽笛)おっと! そんじゃ金吾、汽車あ出るから――(と汽車の方へ走りかけたのをチョッと立どまって)海尻のお豊ちゃんに、こねえだ会ったらな。こんだ笹屋よして嫁に行くんだと。その片づいて行く相手が誰だと思う? はは、例の喜助だあ!
金吾 え? 喜助んとこへ?
壮六 金吾さんとこへ、いくら押しかけても、ことわられたから、しかた無えから喜助へ行くつうんだ。
金吾 そ、そんな、そりゃ――
壮六 わっはは! でも、そう言いながら豊ちゃん、涙あこぼしてたっけよう。ええ女だなあ、ありゃおっとと! (あわをくって、既に、動き出している汽車を追って、飛び乗る)……あばよう!
金吾 うん! ……(ガタン、ゴロゴロと汽車が出て行く)

汽車の音、遠ざかり、消える。あたり静か。
金吾それをチヨット見送っていてから、ゆっくり砂利を踏んで歩き出す。――駅前の茶店の店先あたりで、誰かが弾いている大正琴の「男三郎の歌」の曲が、ちぎれちぎれに近くなる。

そこへ下り列車の音が近づいて来る。

それを聞きつけて再び待合所の方へ早足にもどって行く金吾のザクザクという足音――列車駅に入って来て停る。その物音と人声。

四五人の乗客がプラットフォームに降り立って足音をさせながら改札口に来て切符を渡して待合所を通りぬけて出て行くザワメキ。

乗客三(男) これ、乗越したんですがね、いくら払えばいいかね?
改札 精算は向うの窓へ行って。(言っている内に乗客たちの足音が消えて、そこへ近づいて来る女の靴音と下駄の音)
金吾 ああ、春子さま、こっちでやす!
春子 (近づいて来ながら)あら、金吾さん!(後ろを振返って)鶴や、荷物はそのままでいいから、嬢やに気をつけてね。
鶴 はい、はい。
春子 しばらく、金吾さん。
金吾 はあー……(呆然として相手を見つめて立つ)
春子 ずいぶんお待たせしたんじゃありません? いろいろナニしてて、汽車が二つもおくれてしまって。お元気?
金吾 はあ、その……
春子 ホホ、私の顔に何か附いてて?
金吾 いえ――
春子 これ鶴や。こちらが金吾さん。
鶴 おはつにお目にかかります。よろしく――
金吾 はい、どうぞ――あのう、お二人さまだけで?
春子 あ、そう。私たちだけ。主人は後で来るの。あのね、荷物が、あすこに二つあるんですけど。
金吾 承知しやした。わしが持って行きやすから、向うのあの馬車にお乗りなして。(と自分はプラットフォームに出て重いカバンを二つ運びに行く)
若い女一 (駅前を通りかかった土地の女。連れの女にヒソヒソ声で)わあ、ごらん竹ちゃん、きれいなシトだなあ。まるで花みてえだ!
若い女二 ほんとに! 華族さんかなんかかな? なんと言う洋服だろ、あれ?
若い女一 どこさ行くのかな? ああ、あの馬車に乗るだな。
春子 (待合所の外の砂利を踏んで馬車の方へ。鶴の下駄の音もそれにつづく。マイクは彼女たちを追う)……ああ、ゴム輪の馬車にしてくれたわね。ありがたいわ。以前みたいに普通のだったら、どうしようかと心配していたのよ。ガラガラやられると嬢のオツムに響きやしないかと思ってね。
鶴 さようでございますか。
春子 これなら大丈夫だわ。あら、よく寝入ってしまったわね?
鶴 ゆれるので、かえってお気持がいいのでしょうか?
春子 鶴やくたびれたでしょう、重くて。さ、乗りましょう。(馬車に乗る。ギイギイと音。そこへ、カバンを持って金吾が近づき、そのカバンを馬車の上にのせる。ガタンというその音)
春子 金吾さん、ゴム輪のにして下すったわね。ありがたいわ。
金吾 はい、いえ。……なるべく前の方の、その座ぶとん敷いたとこにおかけになって。ええと……(改って、お辞儀をして)……お帰りなさいやし。
春子 え、なあに?(と言ってから、相手のリチギにホロリとして)……はい、たゞ今、帰りました。(しかし直ぐにおかしくなって笑いを含みながら)いえね、向うから帰って来て直ぐおたよりしようと思いながら、ツイ今までごぶさたしていて。二年ぶりになりますかしら、こちらに来るの?
金吾 いえ、ちょうど三年になりやす。
春子 そんなになるかしら?
金吾 馬車あ、すぐに出しやすか?
春子 どうぞ。

金吾が馬車のたずなをほどき、馭者台に乗りこむ音。

金吾 おおら!(馬のひずめの音と、馬具のどこかに取りつけた土鈴が微かに鳴って、ギイと馬車が動き出す)

小さい町の子供たちが二三人でヤーイと呼ぶ声。犬がちょっと吠える。――(田舎の小駅を囲んだ小さい町並みの感じ)――やがて町並を出はずれて、馬はダク足に駆けはじめる。

春子 あら、以前よりはずいぶん早いわね。

音楽 (第一回の馬車行の所で使ったのと同じものを使う。たゞし、こゝでは、あの音楽を二つに切って二回に使ってよろし。音楽の間、セリフなし)
春子 ねえ金吾さん。
金吾 はい?
春子 あの方、その後お達者? そら、かわいそう――壮六さんと言った?
金吾 達者でやす。よろしく申し上げてくれろって、はあ。
春子 そう。……いいわねえ、この辺は。山も川も以前の通りだし、住んでいる人たちも変らない。東京へんの変りようと言ったら。フランスに居る頃から私、今年の春もどって来てからも、まるで、目がまわるみたいだったわ。やっと私、ここに来て見るものがチャント見えるの。なんだか生れ故郷にたどりついたような、ヤレヤレと言った気がするの。
金吾 そうでやすか。……
鶴 奥様のお生れになったのが北海道の山の中で、この辺とよく似た所だとかって伺っていますから、キットそう言った――
春子 そうね、そのせいかもしれないけど――ごらん、鶴や、この下を流れて[#「流れて」は底本では「洗れて」]いるのが千曲川。向うの、あのそれ、ズーッと奥に、うっすり煙のかかった山ね。あれが浅間。
鶴 そうでございますか。きれいでございますねえ。私はこういう所は生れて初めてでして、なんか、夢でも見ているような気がいたします。
春子 そうね、私もはじめてこの辺に来た時には、そんな気がしたわ。頭はハッキリしていながら、なんか気が遠くなるような、ね。あれは学校を卒業する前の年だったから、ええと、もうあれで七八年になるわ。

鶴に抱かれた幼児が半ば目をさましてクスンクスンとグズリはじめる。

鶴 おおよしよし。
春子 よちよち、敏ちゃん、そろそろ、おしっこじゃないかしら?
鶴 いえ、汽車を降りる直ぐ前におしめ代えましたから。ほら、直ぐまたおねんねです。(幼児グズっていたのをやめる)
春子 あら、寝んねしながら笑ってるわ、この子は。夢でも見てるのかしら?
鶴 そうでございますねえ。

窓の外、かなり離れた川原で馬のいななく声。

春子 (そちらを振返って)ああ馬だわ。……仔馬は近ごろ居ないの、金吾さん?
金吾 仔馬でやすか? いや、いるにゃいやすけど、当才の奴ア、もうだいぶ大きくなっちまって。
春子 そう。……(鶴に)いえね、最初にここに来た時に――川原を飛びはねている小さな小さな仔馬を見たのよ。それを思い出したの。私がそれを見て泣き出したの。するとお父さまが――(言っている内に涙声になっていて、そこで、こらえきれなくなって言葉を切って泣き出す。)
鶴 ……奥様、どうなさいました。
春子 いいの、いいのよ鶴や。(涙声)あの時はノンキに歌なんか歌っていた春子が、今こうして敏子という赤ん坊持って、同じ道を、やっぱり金吾さんの馬車で行ってる。……お父さまがごらんになったら、なんとおっしゃっただろう?
鶴 でも奥さま、そんな事を今おっしゃっても――
金吾 あのう、どうかなさいやした――?
春子 (すこし笑って見せて)いえね金吾さん、昔のこと思い出して……そいで父のこと――(言っている内に又泣き出す)
鶴 (少しおさえた声で金吾に)いえね。お父様がパリでおなくなりになって――それを思い出しなすって。
金吾 え? すると、あの黒田先生、なくなられたんで? へえ!
鶴 おしらせしなかったんですか?
金吾 へえ。いや……そうでやすか。
春子 ……悪るかったと思います。おしらせもしないで。でも、あの時分は、いろいろ取りこんでいて――それに外国のことだし――おさわがせしてもと思ったり、ツイね。……いえ私にしたって父がいなくなったって事、身にしみてそう思うのは、今日が初めてみたいなものよ。ほんと!(涙声の中から、わざと笑って見せるような明るい言い方で)……お父さま、春はもう赤ちゃん持ったりしてるけど、まだ小さい娘だわ。……(静かに泣く)

遠くで馬のいななき。……しめやかに黙した人たちを乗せて馬車がギイギイ、パカパカシャンシャンと行く。

音楽(信州のテーマ)

近くで山鳩の声。
二人の足音が来て停る。

金吾 ごらんの様に、こっちの三枚分だけがうまく行って、こうやって育ちやした。
春子 まあねえ。お父さまが、どこからか見ていて、喜んでいらっしゃるわ。
金吾 でも、向うの五枚はあの通り消えちゃったり苗の先が焼けたようになって、しくじっちまったんでやす。おらのやり方が行きとどかねえんで。
春子 そんな事はありません。カラ松の苗は金吾君にまかせて来たから安心だ安心だと、向うでも船の中でもお父さんおっしゃっていたの。ただ、しかしこれまで成功したことは一度も無いから、今度も多分ダメだろうと思う。それを金吾さんが自分のセイだと思いちがえて、すまながってでもいると気の毒だって、言い暮していらした。それがこうして三枚分も立派に育てて下さって――父に代って私からお礼申します。ありがとう金吾さん。
金吾 そ、そんな春子さま――わしは唯、黒田先生に言いつかった通りにやって来ただけでやして。現に、こっちの三枚は砂地が乾いているから、ヒデリの時は水をやるように、向うの五枚は流れに近いからあんまりやらんようにと言われていやして――ところが、夏の末ごろになって流れが涸れて来ると、地面の乾き具合が逆になってしまう。その証拠に、こっちの三枚の苗が妙に焼けが来たようになって、すこし葉落ちがはじまるんで。こいつは、水をくれてやるのアベコベにするのがホントでねえかしらなどと迷ったり、俺あアワを喰ったが、待て待て、先生のおっしゃった通りやらないかんと思って、その通りにつづけやした。したら、次の年の春になって見ると、向うはあの調子だが、こっちの分はしっかりした新芽がギッチリ出やした。やれやれと思ってね、黒田先生の研究と言いやすか、学問の力はえれえもんだと、そう思いやした。俺あ、なんにも理屈はわからねえ、ただ馬鹿の一つおぼえで、そん通りにやっただけでさ。
春子 ほんとにねえ。……今となっては、お父さんの残して行って下すったものの中で、この三枚の苗畑が一番しっかりしたと言うか……しっかりしたものだという気がするの。私なんぞ、お父さんの一人娘でいながら、フラフラと、いつまでたってもたより無い弱虫で、しょうがない! そうなの。イクジなし! 現に久しぶりにこゝに来ても、病気でもないのに、五日も六日も眠ってばかりいて、それが目的の此の畑を見に来るのが、今日まで延びちまったんですから。
金吾 そらあ、だけんど、向うでのお疲れやなんぞ、この、お疲れが一度に出たんでやしょう。
春子 そうかしら。とにかく、もう、溶けるように眠いのよ。もっとも、小屋はあの通り静かだし、敏子はこゝの所おとなしいし、それに夜になると金吾さんが、泊りに来て下さるから、安心するのね。当分私、東京へは帰らないで[#「帰らないで」は底本では「帰らなで」]、こゝで暮そうかしら?
金吾 そうでやすねえ。……ちょっと、この草んとこにお掛けやしたら。
春子 ……ありがとう。(かける)
金吾 ……御主人はなかなかおいでにならねえようで――?
春子 敏行? そうね、直ぐ追いかけて来るような事も言ってたけど、なにしろ、気の変りやすい人で。それに、フランスから帰ってから、セメント山の事業に手を出して、忙しがっているの。
金吾 セメント山でやすか。
春子 いえ、山と言っても極く小さい所らしいけど、それでもお金が随分かかるらしいのね。株式とかにするそうだけど、でも社長になるためには、金を集めなきゃならないとかでね、夢中なの。
金吾 だけんど、お一人じゃ御不自由でがしょうに?
春子 え? ああ敏行? ううん、私なぞ居ない方がかえってノウノウと飛びまわれて、いいんでしょ。
金吾 ……香川さんとおっしゃった方あ、その後お元気で[#「お元気で」は底本では「お先気で」]やしょうか?
春子 賢一さんね、ブラジルでコーヒー園をやっていらっしゃるそうだけど、私の方へはちっともお便りないの。敦子さんの方へは、たまあにハガキなど来るそうだけど。
金吾 そうでやすか。……敦子さまは、すると相変らずおたっしゃで?
春子 えゝ、結婚なさって、横浜にお住いなの。そりゃお仕合せでね。しかしまだお子さんが無くて敏子を可愛がって下さるの。一週間に一度ぐらい来て下すって――昔からのお姉さまで、いい方だわ。いまだに私はなんのかのと心配ばかりかけて――私って、ホントにしょうが無いのねえ。(何を思い出したか、ホロリと涙声になっている)

山鳩の声が二つ三つ。

その声の中から出しぬけに男の声。

敏行 おーい! 春子う! おーい!(呼びつゝ山の傾斜を駆けおりて来る。急速に近づく足音と声)ちっ、こんな所にいたのか、何をしているんだあ?
やあ金吾君、相変らず元気だね?
金吾 ああ、これは敏行さま、しばらくでがして――
春子 あなた、いつ、こっちへ、いらしたの?
敏行 やあ、はは! いつと言って、今さ、鶴やに聞いたら、この方角だと言うからね。
金吾 知らして下さりゃ、駅までお迎えにあがるんでしたのに。
敏行 いや、急にやって来たもんだからね。でも駅にちょうど人力があってね。二人引きを頼んだら早かった、はは。さ、小屋へ帰ろう。こんな所に突っ立っていてもつまらん。
金吾 フランスからお帰りになった御挨拶もまだ申し上げてなくて――お帰りなさいやし。
敏行 やあやあ。なにね。どうも忙しくって、はは、さあさ行こう。
春子 ねえあなた、ごらんなさいまし。これがそのカラマツの苗畑ですの、金吾さんが守って下さった――
敏行 え、なんだ?
春子 そら、お父さまが、よく言いなすってたじゃありませんの? 金吾さんが三四年もの間チャント世話を焼いて下さって、立派にこうして苗木が育っているの。ありがたくって私――
敏行 そうか。そりゃ大変だったろう。そいで、こいだけの苗木、いつになったら売り出せるの? 全体でどれ位の値になるんだい?
金吾 そうでやすねえ、まだこいで後二年位は見てやらねえと――そうでやす、わしはまだ値段のことなぞよく知らねえんで。
敏行 ええと、これ全体で何段歩位あるかな? 苗木を売つて、どれ位の利廻りになるんかな、地代に対してさ?
春子 だって、この畑はそんな意味でお父さんお買いになったんじゃないわ。カラマツを育てて見ようと言う、つまり研究のために――
敏行 わかっている。しかしもう既に時代は研究という時じゃないしね。第一、お父さん亡くなられたんだから、それもおしまいで。
――実はね春子、私の山の方の株式に大至急、どうしてもまとまった金が要るんでね、勿論長与の方の家庭なぞも一切合切金にした。しかし、それでも少し足りないんでなあ、ここの山林と、そうだあの小屋はちょっと買手は附くまいが――この畑なども一応金に変えたいと思って、急にこつちへ来たんだ。あんたも気持よく賛成してくれ。ここらの地価などどうせ大した事はあるまいが、どんなもんかねえ、金吾君?
金吾 そうでやすねえ。どうも私にゃ――
春子 それは、あなた、それは困るわ。お父さまのナニだし――そりゃ麻布の土地家屋をああして二重に抵当に入れたりなさるのは、まあ仕方がありませんけど、ここの山林や小屋や、この畑は、いけません。
敏行 はは、女にゃわからんよ。私の山が当れば――当るに決っているがね――ここらの山林なぞ千町歩だってソックリ買えるさ。まあまあまかせて置きなさい。
春子 いけません! それだけは、かんにんして! そいじゃ私、お父さまに申しわけが無いの、ねえ金吾さん!
敏行 そうか。……しかし、言っとくが、黒田家の現在の主人はこの私だ。私は私の好きなようにする。承知しといてほしい!
春子 そんな――事おっしゃったって――お願いですから。
敏行 (ガラリと調子を変えて、笑って)はは、まあいいて。心配しなさんな、はは、私も男だ。なあ金吾君!
金吾 はあ。……
敏行 さ行こう。そいで直ぐ一緒に東京に帰ろう。
春子 え、直ぐ帰るんですって?
敏行 ああ、その気で私は何の仕度もして来ないんだ。
春子 ですけど、それはしかし――だって麻布には、まだイザベルさんがいらっしゃるんでしょう?
敏行 又はじまった。こんな所で焼餅かね? イザベルはもう出したよ。大丈夫だ。
春子 いえ、そういう意味で言っているんじゃありません。あの方だって、はるばるフランスからあなたを慕って来た方なのに、そんな追い出すなんて――
敏行 お前はあの女を何だと思っているんだ? ありゃ、パリで食いつめて、そいで日本に金もうけにやってきただけの女だぜ。僕はただ、その道具になっただけさ。
春子 それでは、しかし、あんまり人情の無い――
敏行 だけどあんな女と一つ家にはいられないから、出してくれと頼んだのはお前だったんじゃないか? それをその通り、出したとなると又そういう事を言う――
春子 いえ、私の言うのはそんなんじゃ無いの。同じ女同志として、いくらなんでも、はるばるやって来た方をですね、出て行ってもらうにしてもそんなムゴイ事を――
敏行 まあま、その話は後でゆっくりしよう。それとも何かね。東京に帰るのは、どうしてもイヤかね? どうしてもいやならイヤで、私もそのつもりで――
春子 どうしてもイヤだなどとは言ってないじゃありませんか。
敏行 そいじゃ問題ない。まあま、心配しないで私にまかせて大船に乗った気でいるんだ。はっははは! ああ金吾君どうした?(振返って)金吾君! 一緒に君も帰ろう。
金吾 はあ、いえ……(離れた所をついて来る)
敏行 浮かない顔をするなあ。どうしたんだ? はっははは?

山鳩の声

音楽


 春子
 敦子
 木戸(次郎)
 横田
 金吾
 喜助
 お豊
 林
 男一
 男二

音楽

春子 いえ敦子さん、みんな私が悪いの、あなたのおっしゃる事なぞ、昔からズーッと、聞こうとしなかった、この春子が悪いのですから、すべては自業自得ですの。
だのに困ったことのあるたんびに、あなたの所にやって来ちゃあなただけでなく、こうして木戸さんにまで御心配をかけるなんて虫が良過ぎると思うの。ごめんなさいね敦子さん、木戸さんも、どうぞかんにんして下さいね、だって、ほかに、行くところが無いんですもの。
父の親戚は、もうほとんど無いし、一二軒残っているのはみんな岡山の方にいるんだし、長与の方の親戚はみんな私の事なぞかまってくれないの。また、敏行がああして自動車をのりまわしたり、帝国ホテルで株式の創立総会を開いたり。
ハデな事ばかりしているのを見ていれば、誰にしたって、その蔭で私たちがこんなに困っているとは思わないでしょう。敦子さん、あなたにはこれまでホントの事を言わなかったけど、今日は言ってしまいます。父が私のために残してくれた財産は、もうスッカリ敏行のために使われてしまったの。麻布の家は幾重にも抵当に入っているし、渋谷の方の土地は売り払ってしまったし、それから株券だとか宝石や貴金属なども一つも残っていません。そしてあの人はああして新橋の方にその芸者の人にうちを持たせて、いつもそこに泊っていて、麻布の私たちの所には月に二三度、それもチョット立ち寄るだけで、この三、四か月あの人と私、落ちついて話したこともありませんの。内の生活費なども、もうズーッと渡してくれないので、困ってしまいましてね、もうしばらく前から、まだ残っていた私の着る物やなんぞを売り払って食べているようなありさまなの。それも、しかし、大かた無くなって、鶴やまでが自分の着物を売ったりしてくれているの。私がこんなにダラシがないばっかりにみんなに心配かけるんです。出入の御用聞なぞまで、あんまり永いこと払いがとどこうっているために、来なくなってしまって……(涙声のままで低く笑って)フフ、この間などもね、敦子さん、あなたが敏子に持って来て下さったウエイフアね、あれを――お夕飯の時に、ほかに食べるものが無いものだから、あれを御飯の代りに私と鶴やと敏子でおつゆと一緒に食べたのよ。そしたら、敏子は、もうドンドン御飯食べるでしょ、御飯が無いと我慢できないのね、ウエイフア投げ出してね、エイフア、ばっちい、エイフア、ばっちい、マンマちょうだい、マンマちょうだいって――
敦子 (こらえきれずになって、涙声で怒りだす)ちょ、ちょっと、もうよして! もうよしてよ春子さん! あなたと言う人は、まあ、なんてえ人なの! そうやって、ホントに――笑ったりして、それが、どうしておかしいの!
春子 いえ、おかしいわけじゃないんだけど、あんまり――
敦子 春子さんの馬鹿! あなた、ホントの馬鹿になってしまったんじゃないの? いくらなんでも、あんなまるで神さまみたいな敏ちゃんにまで、そんなイヂらしい思いをさせて、よくもまあ、あなたは平気でやってこれたのねえ?
春子 でも敏行が、寄り付かないんですから――
敦子 敏行さんは、あれはもう悪漢よ。話にゃならない。私の言うのは、あなたが、どうしてそんな事になるまでイケボンヤリと坐っていたのって言うの、食べるものが無いなんて――なぜ今まで私にだまっていたのよ? それを思うと、あなたが憎らしくなる。
春子 だって、これまでだって、敦子さんにはお世話になりすぎているんですもの。そうそう言えはしないじゃありませんか。……悪かったら、ごめんなさいね。それにもうすこし待ったら、もうすこし待ったらと言う気があったのね。いえ、敏行のこと。そりゃ、セメント山なぞに手を染めるようになってから、ずいぶんガラが悪くなったにゃ、なったけど、しかし根っからの悪い人じゃないのよ。パリ以来私にはズットやさしくしてくれたし、現在でもシンは私たちのことを思ってくれているの。ただ、あの人の周囲に、なんと言いますか、山師のような人が三人も四人も附いていて、そういう人からいいように操つられていると思うの。悪漢なんて、そんな、敦子さんのおっしゃるような人じゃ無いの。
敦子 ごらんなさい、あなたはいつもその調子だ。そんなひどい目に合っても目がさめない。いえ、そりゃね、誰にしたって御主人の事業の都合でどんな貧乏も我慢しなきゃならない時はあるわ。
私の言うのはその事じゃないの。パリで結婚式をあげてから三月もしたら、もう変な女の人と遊び歩いたり、あの人はしたそうじゃないの。そいで日本へ帰って来てからも、イザベルなんて人が追いかけて来て、ゴタゴタと附きまとうし、それがやっと片附いたと思ったら、もう芸者の人やなんかが二人も三人も出来ている。
全体、あなたのような、やさしい、美しい奥さんがあるのに、敏行さん、なにが不足なのよ?
春子 そんな事私にはわからないわ。でも私はこんな女で、なんにも面白い所が無いもんで、敏行すぐに怠屈するらしいのね。
敦子 そんな、そんな馬鹿な、あなたそいじゃ、まるで――
木戸 (それまで黙々として聞いていたのが、敦子をおさえて)まあまあ敦子、そんな、お前のように、そう一気にまくし立てても、しかたがないじゃないか。いや春子さん、私なぞにはどうも人さまの家庭内の事や、御主人の、その女出入のことなぞ、深いことはわかりませんけどね、ただ敦がしばらく前から、大分心配していましてね、御主人の山の事業と私の貿易とは性質がちがいますから、くわしい事はわからないけど、男が一つの事業にのりかかって夢中になって、そのために家屋敷まで叩き売ると言った気持は、わかるんです。問題は御主人のセメント会社が、先行き望みの持てるようなチャンとしたものかどうかですね。それさえしっかりしていれば今一時苦しいのは、こりゃ仕方のない事で。しかしどうも、その会社自体が少しおかしいと言う気がするんです。たしかその山は秩父の方でしたね。
春子 はあ。なんでも寄居から三峰の方へ入って行った所だそうで。
木戸 そいで、御主人に附きまとっている山師みたいな人と言うのは、何と言う――?
春子 私の知っているのは小笠原と言う人と、横田と言う人ですの。小笠原と言うのは、とても乱暴みたいな、豪傑肌と言いますか。横田と言う人は、極くおとなしそうな人ですけど。
木戸 小笠原と横田ね。
春子 敏行はその横田さんの方を信用しているようで、実は、現在も横田さんは主人に言いつかって、信州に行っている筈ですの。なんでも、会社創立の払込金の敏行の分がまだかなり残っているとかで、そのため先日から金をかき集めているんですけど。それに信州の土地家屋を売り払うために、横田さんに委任状を持たせて行かせたんですの。なんですか、その金が払い込めないと、刑事問題とかにもなりかねないとかで……
木戸 いや、私の心配するのも、そういうような点でしてね。そうか、とにかく、大至急なんとか手段を取るように考えてみましょう。
敦子 ちょっと待って春子さん、だって信州の別荘や土地は、あれはあなたの名儀になっているんじゃなくって?
春子 ええそうなの。でも、しかたが無いから、あたしの実印やなんかも持って行ってもらったわ。
敦子 いけない! それごらんなさい春子さん。あなたと言う人はホントにまあ! だってあれはあなたのお父さまのお心のこもっている土地で、たしかカラマツの苗畑もあったし、売り払ったりしては、いけないのじゃないの?
春子 ええ、だからなんとかしてあすこだけは父のために残して置きたいと、ホントに私、泣いて敏行に頼んだんですけど、どうしても、ほかに手段が無いと言うの。だから仕方なく――
敦子 それにあそこは柳沢の金吾さんに保管を頼んであるんでしょ? 金吾さんだから、それこそ大事にかけて守ってきたにちがいない――すると今ごろは金吾さんはその事で困っているんじゃないかしら? そう、キットそうだ! 可哀そうに金吾さん! まあ、あなたと言う人は、ホントになんと言う! それで、その土地を売って、どれ位の金をこしらえようと言うの? もっと早くその事を、どうして言ってくれなかったのよ! 全体、金高はどれくらいなの?

音楽(唐突な、激しい、短ブリッジ)

横田 (ねばりのある、しかし決定的な調子で)金高がいくらなのかと今更言われても、どうもしようが無いんだ。私もこうして黒田さんから一切をまかされて信州くんだりまでやって来て、こうして宿屋に泊りこんでまで事を片附けにかかっているんだから、話を急ぐんでねえ。要するに、買手は誰でもかまわない。百円が五十円でも高い方に売ろうと言うわけでね、もうこれ以上くどい話を伺っても無駄ですよ。
林 いや横田さん、お忙しいところをお手間をとらせてすみませんが、さっきも申し上げたように、そのパリで亡くなられた黒田先生とはカラマツの事で懇意にしていただきましてな。わしは郵便局をやっていながらズーッとカラマツの養殖については骨を折ってきてる人間でしてな、で、この柳沢金吾君はその黒田さんから畑や山林の管理をまかされて一生懸命でやってきた男で、この度、どういう御事情かわからないが、それが売りに出されて、他人の手に渡ると黒田先生に申しわけが無し、自分も身を切られるように辛い、と、私に泣きついてきたんで、まあ、わたしもこうして一緒につれそって来たようなわけでやして、どうかひとつ――
横田 林さん、そんな事を何度言われても、もう仕方がありません。海の口の轟という地主が別荘、山林、畑すっかりで六、〇〇〇円で買おうと値をつけているんだから、この柳沢君か、この人が三千や四千の金を並べてくれても、考える余地が無いわけでしてな。せめて同額の六千円出そうという事なら、考えて見てもよいが、私はもともと十円でも二十円でも高く売払ってきてくれと言われて来ているのだから、そういう事を言われても問題にはならないんだ。どうかもうお引取り下さい。
金吾 どうか、そこんところを、何とかお願い申しやす。いえ、今現金は三千円しか持って来てないが、残りの三千円は三月も待って下されば、何としてでも持って参りますから、どうぞ曲げて私にお売りやして! この通り、お願い申しやす!
横田 それがね、私個人としては待ってあげたくても、黒田さんの方ではその金額が明日にも入要なんでね。まあ、あきらめて下さい。そんなに買いたければ、その内に轟さんから買いもどすんですなあ。もっとも、あの人もなかなかの人らしいから、その時に値段は倍か三倍位つりあげるだろうがね。とにかくもう帰って下さい。私はこれから役場へ行って登記の書類をそろえなくちゃならんから、失礼。……(立ちあがって床の間の方へ行きカバンを開け閉めして外出の仕度をする気配)
林 ……どうも――柳沢君よ。失礼しよう。
金吾 (泣くように)ホントにお願い申しやすから……

(返事なし。舌打ちをしながらガタピシ仕度をする横田)

林 さあ金吾君。……失礼しやした。
金吾 へえ。……(二人が立上ってションボリ座敷を出て廊下を歩む)

ザアと川の流れの音。道端の水車の音が、ギイ、ゴトン、ドサン、ザアと響いて、林と金吾が歩いて行く足音。

林 ……仕方が無え、あきらめるんだなあ。
金吾 へえ。
男一 (手車を引いてギイ、ガラガラとやって来たのが)ああ林さん、あんたが、海尻に現われるのは珍らしいなあ。どちらへ?
林 やあこりゃ。ちょっと、そこの立花旅館だ。どうかな。この秋は?
男一 はい、先づ先づと言うとこで。ごめんなして。(ガラガラと遠ざかる)
林 ごめんなして。……(あとは二人が又黙々と歩いて行く)
金吾 ……林さん、俺あ辛いんでがす。あの別荘と山林と畑は何とか俺の手で守らねえと、黒田先生に対して申しわけがねえんでやす。身を切られるように、つらい。
林 そりゃ、よくわかるが……問題が金の事でなあ。それもいっとき余裕があれば、私の手でも何とかしてあげたいが、なにしろああ急いでいては仕ようが無い。どうもへえ……諦める他に無えなあ。……じゃ私あ、ちょくら寄って行く所があるから、ここで。
金吾 そうでやすか。どうも、とんだお手数をかけやして、いずれ又――

角を曲って遠ざかる林の足音。

ションボリ歩く金吾の足音。ギイギイ、コトンと水車が近づき、それが遠ざかる。……川波の音。それが、フッと消える。

喜助 (離れた所から寄って来ながら)よう、金吾、どうした?
金吾 おお喜助さん。
喜助 どうも、その顔色じゃ、話あうまく行かなかったな?(家の方を振り返って)おーい、お豊よ! 金吾が戻って来たぞう!
お豊 (クスンクスン言う赤子を抱きながら出て来る)あい。金吾さん、そいで話はどうだったかいな?
金吾 駄目でやした。直ぐにも六千積まねば、明日にも轟さんの方へ登記をすましちまう様子だ。
お豊 弱ったな。……まあま、おかけなして。
喜助 そうか。畜生め、金が仇たあ、この事だなあ、うむ。どうだ金吾、お前も男だ。その黒田さんの別荘も山林も、ここんとこで一度サッパリ諦めるわけには行かねえのか? そのうちに金え溜めて轟から買い戻せばええのだ。え、諦らめろ!
金吾 そう言ってくれるお前の気持はありがたいと思うが、喜助さん、俺あ、どうしても諦らめるわけにゃ行かねえのだ。
喜助 駄目か?
金吾 馬鹿だと、俺のこと笑ってくれろ。
喜助 ……ようし! よしっ! お豊、金え出せ。内にある金、一文残らず、洗いざらいすっかり出せ!
お豊 だって、内にゃ百円とちょっとしか無えよ。まだ三千円から足りないと言うのに、百や二百じゃお前さん――
喜助 グズグズ言わずに、出せいっ……
お豊 (帯の間から財布を出して)だけんどさ、どうしようと言うの、これんばっち――
喜助 (それを引ったくって)俺に五六十はあらあ。途中で百円ばかり借りて行くと。じゃな、俺あチョックラ出かけて来るからな、どうで夜になるだろうが、首尾が良ければ明日の朝までにゃ落窪へ行くからな。朝になっても俺が行かなかったら駄目だったと思って、あきらめてくれ。ちっ、何をクソ、畜生め!
お豊 どこへ行くんだよ、お前さん?
喜助 馬流の地蔵堂だ。今日はたしか出来てる筈だ。
畜生め、今日と言う今日は、場のもなあキレーにかっちゃげて来て見せるからな。
お豊 するとお前、あれに行くんだな。
喜助 そうよ。お前と世帯を持って以来フッツリと断って来たが、今日だけは見のがしてくれ。うぬがためにブツん、じゃ無えんだ。金吾がこうして青くなってるのを見すごしておけるもんけえ。
千と二千とまとまった金だ。これ以外に拵える手は無えんだ。
お豊 だって警察があぶないよ!
喜助 なあに後になってつかまったって、そいつは覚悟だ。けっ! 行って来らあ。金吾、内に帰って当にしねえで待っていてくんな!(そのまま、トットッと小走りに立去って行く)
金吾 そんな、喜助さん! おーい、喜助さあん! 困ったなあ、お豊さん!
お豊 ふっふ!(これは、もう諦らめて笑っている)いいんですよ金吾さん。こうと思ったら、人がとめたってとまる人じゃありませんさ。
金吾 すまねえなあ、あんたらにまで、こんな心配かけて。だけんど、喜助さんつう人は、良い人だなあ!
お豊 ふ! 良いんだか悪いんだか、ああいう人だ。
金吾 すまんなあ。実あ川合の壮六が居てくれりゃ、多少は相談にも乗ってくれていようが、ちょうど半月前から試験場の用事で青森の方へ出張してて――とんだ、どうも、あんたらに苦労をかけやす。
お豊 なあに、そんな事あ、相みたがいだ。だけんど考えて見りゃ不思議な縁でやすねえ。私のことで壮六さんとあんたが喜助と喧嘩してさ、その後、私がこうして喜助んとこにかたづいて、もう、こうして子供を二人も抱いてらあ。そいで、あんたはいまだにそうやって黒田の春子さんのために苦労して――
金吾 いや、今度の土地の事は春子さまなんかよりゃ、死んだ黒田先生のこの――
お豊 嘘うつきな金吾さん。わしにはチャーンとわかりやす。春子さんだわ。いえいえ、そいつを、からかおうと言うんじゃねえ。だけんどさ、お前と言う人も、なんてまあと思ってよ。
金吾 お豊さん……すまねえ。……俺あ、阿呆だあ。

夜の林の方から、フクロウが鳴いて、ションボリ帰る金吾の足の下でプチプチと枯小枝の音。
ザーッと風。

男二 (信濃追分節の一節を低音に「浅間山さん、なぜ身をこがす」と歌いつつ近づいて来て)あい、お晩で。
金吾 (沈んだ声)お晩で。(二人すれちがって、男二は又歌で遠ざかり、金吾は自分の小屋の方へ、ガサガサ、ピシリと歩く。フクロウの声)

やがて小屋につき、戸をガタコリ、ゴトリと開ける。

敦子 (内から)ああ、金吾さん? やっと帰って来たのね?
金吾 ふえっ? どなたで――?
敦子 (立って土間をこちらへ来て)神山の敦子よ。お忘れになって? 敦子ですよ。
金吾 ああ、敦子さま! そ、そ、それが、どうして今ごろ――?
敦子 御挨拶は後でします。そいで、その春子さんの別荘と山林や畑は、もう売れてしまったんですの? いえ、私ね、春子さんからその話を聞いて驚ろいて、飛んで来たの。え、売れてしまったんですの? 私、こうしてここに五千円準備して来たんだけど、これで間に合うかしら? いえ、あれが売れてしまっては、春子さんも、あなたもお気の毒だと思ってね。
金吾 いえ、あの、まだ――その、あがりなして、敦子さま! 俺あ、へえ、あの、ありがとうござりやす。――(と、支離めつれつに言っている内に涙になって、フラフラッとして土間にドシンと尻餅をつく)
敦子 あら、どうなすったの金吾さん! しつかりしてね、どうしてそんな――
金吾 俺あ、俺あ、俺あ、――(と涙で何を言っているかわからなくなる)

音楽


豊子
春子
敏子(幼い少女)
喜一(少年)
お仙(少女)
幼児(ウマウマと言うだけ)
喜助
村人一(男)
村人二(女)
金吾
村人三(男、市造、青年)
村人四(男、中年)

お豊 (語り。中年過ぎてからの)
はあ、私がお豊でやす。そうでやすねえ、あれは大正年間でやしたから、もうだいぶ昔のことで、細かいことはみんな忘れてしまいやしたけんど、黒田の春子さまが、その次ぎに落窪に見えた時のことはハッキリおぼえていやすよ。へえ、忘れようと思っても忘れられるものじゃ無えです。実あ私はそん時まで春子さんと言う方とまだ一度も会ったことはなかった。ただ話に聞いて憎らしがっていただけでやして。それが、そん時、はじめて、思いもかけねえヒョンな事で出くわしたんでやすから。……そうだ、初めから話さねえと、わからねえ。
そんでね、そういったわけで黒田さんの別荘やなぞが売りこかされようとしている所へ東京から敦子さまがお金を持ってかけつけて下さってね――いえ、内の喜助も金吾さんのために金を拵えてやるんだと言って変な場所へ飛び出して行ったんですけどね、アベコベにきれいに巻きあげられてしまって、丸裸かになって帰って来ましたっけよ。ハハ、私の亭主と言うものは、そったら人でね。でも心配なので次ぎの朝、金吾さんの家へ行って見ると、その敦子さまが見えていて、そのお金と金吾さんの金を合せて、さっそく先方の横田とかいう人にかけ合って買い取って春子さんに戻してやったのですと。
例の通りの金吾さんですわ。もっとも、あれから、たしか五六年、もっとになるかなあ、その間フッツリ春子さまは別荘にはおいでにならんかった。後から聞くと、春子さんの御主人の敏行さんと言うのが、なんたら株式会社のことで間違ったことをしていたのがバレちまって牢屋に入れられなしたそうで、それに就いては何でも悪い奴等が取りついて、いいようにしていたと言いますわ。そんなことで春子さんは、あちこちとサンザン苦労をなさって、そりゃひでえ目に会ったそうでやす。
しかしそんなことは後になって知ったことで、その当時は私なんず、そうやって一人で春子さんの別荘や山を守っている金吾さんがいじらしくて、春子さんが憎らしいだけでね。私は喜助の所に片附いて以来、もうその頃子供が三、四人いやしてね、喜助はあれ以来バクチの方はフッツリ断って大工の仕事に身を入れて稼いじゃくれましたがね、なんしろあの気性だし、子供は多いし、まあま食べるに困るという事もない代りに、金が溜るという事も無え。なんてえ事は無い、気楽な貧乏世帯で。はあ、そうでやす。柳沢の金太郎はわしの末っ子で、あれは、その後、金吾さんが、俺の所に養子にくれろと言いやしてね。俺あ一生女房もらわねえから子が出来る当てがねえ、んだから、お豊さんお前の生んだ子に俺の後を取らせてえと、そう言ってくれやして、はあ。そんで名前も俺に附けさせろつうので金吾の金を取って金太郎とつけてくれやした。もっとも、これはもっとズット後の話でやして……そんなわけで六、七年、春子さんはフッツリこちらへは見えなかったが、その間金吾さんは百姓仕事をコツコツやりながら黒田の別荘の世話をズーッとつづけていやしたから、腹ん中じゃ、しょっちゅう春子さんの事は考えちゃいたんでやしょうが、口に出しちゃ、春子さんのハルとも言わねえ。そったら人でやす。その間、春子さんの方は、薄情と言いやすか、ハガキ一本よこさねえような加減でやしてね……するうち、六、七年たって、そうだ、あれはもう小海線の汽車が海の口まで開通していやして、だいぶ便利になっていたっけが、私あちょうど用があって、海尻の内から、駅の向うの左官屋へ行っての帰り途でやした。もう秋口で、夕方おそくなったんで、もう寒うがす。急いで帰ろうと村はずれの権現さんの曲り角の所まで来ると、すこし薄暗くなった中に二、三人、人立ちがしていやす。

すこし離れた所を千曲川が流れる水の音。
道を急ぐお豊の下駄の音。

村人一(男) どうしたつうんかなあ? こんな所にいつまでも倒れていて、もう日が暮れるがなあ。
村人二(女) だって、どっか加減が悪いずら?(そこ倒れている人に向って)なあお前さま、どうしただ? よ? どっか悪いのかい?

かすかに女の唸る声。お豊の下駄の音とまる。

村人一 とにかく様子が、このへんの者じゃ無え。汽車でやって来ただなあ。
村人二 可哀そうにさ。こんな小さな子まで連れて――ねえよ、あんたさん! どうしただよ?(女の低く唸る声。……子供に)おめえ、どっから来ただい?
少女 (七、八才位の)あっち。
村人二 これ、おめえのおっかあかよ?
少女 うん。
村人一 ガタガタふるえていら。寒いのけ?
少女 ……寒いよう。
村人二 二人とも、よっぽど弱っているようだなあ。
お豊 どうしやしたかね?
村人二 (振向いて)……ここで行き倒れみてえになっていてね。なんにも口いきかねえから!
村人一 おんや、喜助さんとこのお豊さんだねえか?
お豊 ああ、油屋の旦那でやすか。一体どう言う――?
村人一 女の乞食だあ。
村人二 いえ、こりゃ乞食だあ無えわ、ナリはきたねえけんど。
村人一 まあ似たようなもんだ。どうも汽車がしけてから、こんな変な連中が入りこんで来て、土地の者あ、おいねえや。下手に同情したりすると、かかり合いになって、とんだ迷惑受けることがあるしな。馬流の方じゃ土方みてえな行倒れを助けてやったら、それがドロボウだったっちわあ、まあま、うてあわねえこった。お豊さんのお神さん、お先いごめんなさい。うっかり引っかかっていたら、日が暮れちゃったな、こりゃ!(言いながら立去って行く)
お豊 (村人二に)どうしたんでやすかねえ? 小さい子までいるのに――。
村人二 病気かなんかで、弱り切っているだなあ。こんなにふるえていら。
お豊 どうしたよ、あんたさんら? よ? どうしたよ。
村人二 駄目だ。さっきから、いくら聞いても返事をする力も無えふうでね、そんじゃ、おらあ村の駐在が居たら、そう言って置いてやら。……(下駄の音をさせて立去る)
お豊 ……困ったなあ。どうしたよ。あんたさんら? ええ? こんなところに寝ていると病気になりやすよ。この道は今ごろから、めったに人通りは無えだから。なあ?

女が低く唸る。

お豊 どっか、おなかでも痛えのかい? どうしただよ? ……弱ったなあ。どこさ行くだよ? どこもこりゃ弱った。(ザーと川波と風の音)……あんたあ、どこから来たよ? これはあんたのお母ちゃんかよ? うん? えらくふるえて――、寒いのかよ?
少女 (幼い弱い声で)お母ちゃま、お母ちゃま。
お豊 お母ちゃま。……困ったなあ、どうすりゃいいだか。(ザーと風の音)
少女 (泣くように)寒いよう。寒いよう。
お豊 弱ったなあ。(これも泣きそうになっている。風の音。その風の音の中から、カタカタと手車の音が近づいて来る)
村人三 (若い男)あれ、喜助大工の姉さんでねえかい。どうしやした?
お豊 ああ、森の市造さんだな。いえね、こうやって女ごしと小さい子が行倒れていてね。病気らしい。
村人三 ほうかい! ふうーん。

音楽(寂しい田園のテーマ)

幼児がまわらぬ舌で、「ウマウマ、ウマウマ!」という声。

喜助 (上りばなに腰をかけて煙管でシキイを叩きながら)喜一よ、おっ母あはまだもどらねえか? ちょっと見て来う。
喜一(少年) あい。……(コトコトと土間を歩いて表へ。その背中で幼児が「ウマウマ、ウマウマ」)
喜助 まだ晩飯の仕度もしてねえに、用たしに出すといつもこれだクソ! お仙はどけえ行った? お仙よ?
お仙 (幼い少女、裏口のへんから)あい。俺あ飯たいてんだよ。
喜助 そうか。どれ、俺が見てやらず。(立ちあがる)
喜一 (表で)ああおっ母あが帰って来た、帰って来た!(呼びかける)どうしただよ。おっ母あ?(それに向ってゴロゴロガタンと手車の音が近づいてくる)
お豊 市造さん、どうもありがとうよ。喜一よ。お父つあんはまだ帰らねえか?
喜助 (表へ出て行きながら)お豊、おせえなあ! あん、どうしたつうんだ? なんだ、そりゃ?
お豊 あのなお前さん、権現さんの前んとこでこのが行き倒れててね。見るに見かねたから、ちょうど市造さんが通りかかったで、頼んで連れて来た。こんな小さな子まで連れててね。
市造 喜助さんの小父さん。お晩でやす。
喜助 市造君かよ。ふむ、女だな、乞食かよ?
お豊 乞食だあねえようだが、なんでもえらく弱っている様子でね。これ、あんたさん!
喜助 そうか。どうも、しょうねえなあ!(とブツクサ言いながら、しかし手の方は車の上から女をかかえるようにして助けおろし、家の中へ)
お豊 市造さん、すまなかったなあ!
市造 それじゃ俺あこれで、(ゴトゴトガタンと車を引いて立去って行く)
喜助 それ、お前、しっかりするんだぞ!(と女をかかえて上り口をあがって)お豊、とんかく奥へ蒲団[#「蒲団」は底本では「薄団」]しけい!
お豊 あいあい。喜一、この子をちょっと見てるだ。お仙はどけえ行った?(言いながら手早くフトンをしく気配)
喜一 お仙はメシたいてら。
お豊 ほうか、そらえらいわ。(喜助に)お前さん、はい!
喜助 ようし、やれどっこいしょ! なんだか馬鹿にふるえてるなあ?

女が低く唸る。

お豊 なんか病気だあねえかと思うが――お医者に見せねえでいいかな?(女にフトンをきせる)
喜助 そうよなあ。
お豊 ああそうそう、左官屋は明日はきっとこっちに廻ってくれると、
喜助 そうか、そらよかった、……そうさな、俺あ、じゃ、古池先生呼んで来べえ。何がどうしただか、万事はそれからの事だ。(立つ)
お豊 そいじゃ、そうしてくんな。
喜助 (土間におりながら)とんかく、しかし晩めしの仕度早くしろい。みんな腹あ空かして、うるさく言ってら。(足音が表へ出て行く)
お豊 坊主よこしな。(長男の背から幼児を抱き取る「[#「「」は底本では「(」]ウマウマ!」それをあやしながら、立って)お仙よ、どうしただ? どれどれ。
喜一、その子を見ててやるだよ。
喜一 うん。
少女 (弱い声で)お母あちゃま! お母ちゃま!

短い音楽(朝の小鳥の声などが混って)

お豊 (金吾に向って)……そんなわけでね金吾さん古池先生が間もなく来てくれてね、しんさつしてくれたっけがこれは、格別どこも病気だあ無え、ただえらく疲れて、総体にからだが弱りきっている、当分こりゃユックリ休ませねえとホントの病気になるそうな。そいで、私あオモユなんど呑ませたりして、そいで今朝になって、やっと少し口いきくようになって、オチクボに行くんだオチクボに行くんだと言っているようだから、いろいろ聞いていると、金吾さん、お前の名をおっしゃるでねえか、私あ、びっくりしてねえ! まさか黒田の春子さんがこんなナリをして今頃こんな所で行き倒れているなどと誰が思うかな。しかも、それをこの私が助けて来るなんて、まあ! 因ねんと言うかなあ、どうにも、たまげちゃってなあ!
金吾 まったくだあ。どうもホントに――
お豊 そいで早速、郵便屋の辰さんに頼んであんたの方に知らせてやったが、その後でさ、喜助はあの気性だろ、金吾がせっかく落ちついてナニしている所へ又々春子さま、やって来てイタぶりにかかる! てめえが良い目を見てる時あ振り返りもしないでいて、落ち目になると、よっかかりにうせると言ってね。なんでもええから直ぐに出て行ってもらえ、叩き出しちまえと、いきり立つ始末でね。はは、いえさ、私にしたって、昔の事を思い出すと、あんな事で春子さんをシンからうらんだ事があるからのし、初めて会っても、あんまり虫が良すぎるという気がして、正直、憎らしかったわな。やっぱし、私あ、これまで焼餅やいていたんだね、だけんど、ああして乞食みてえになって、弱り込んで、泣いてお礼を言っている人を見ると、まるでへえ、あどけないと言うかなあ、なんか、子供みてえに良い人だもん、憎らしがってなぞおれはせん。みんな、春子さんのせいじゃ無え。運が悪い。そのせいだって気がしてなあ。……(鼻をクスンと鳴らして)わしまで泣いちゃった、うん。
金吾 すまねえ、お豊さん! どうも、こんなにお前に心配かけて、俺あ何と言っていいだか――この通りだ。
お豊 あれ、なあによ、ふふ、そういうつもりだあ無えよ。とんかく、オチクボに連れてって、よくめんどう見てやってくんなんし。
金吾 別荘の方へ連れて行くべえ。こうして、そこの芳平さんとこでゴム輪のリヤカア貸してくれたしな。フトンは、こっちのお借りして行くか。喜助さんにゃ、よろしく言ってな。
お豊 近えうちに、こっちからも行きやす。途中気をつけてな。子供さんは、どうしやす?
金吾 俺がおぶって行っちまうべ。じゃ、ま、いろいろと――

音楽(第一回に出た千曲川のテーマと同じものを使用)[#「使用)」は底本では「使用」]

千曲川添いの街道を、幼少女を背に負い、春子をのせたリヤカアを引いて歩いて行く金吾のじかたびの足音。時々、川波の音。……

春子 (リヤカアの上に横になってウツラウツラと眠っていたのが低く唸る)ああ、ああ……
金吾 (立ちどまって)どうしやした、春子さま!
春子 敏ちゃん! 敏ちゃん!
金吾 敏子さまは、こうしてわしがおぶって、よく眠っていやすから。
春子 ……(金吾の言葉が聞こえたのか聞えないのか、又ウツラウツラ……それを見て金吾歩きだす)

間……(信州のテーマ)

前方からこちらへ向ってカパカパカパと馬のひずめの音がして、村人四(男)が近づいてくる。

村人四 (中老)やあ、金吾さんだねえかよ。
金吾 ああ藤作の小父さんでやすか。いいあんべえで。
村人四 どうしただい? 病人かなし?
金吾 いえ、その……(言っている内に、双方立ちどまっての話では無いので、リヤカアの音と馬のひずめの音とはすれちがって忽ち引き離されて行く)ごめんなして。……(しばらくして、今すれ違った馬が歩きながらヒヒーン、ヒヒーンといななく)
春子 (その声にビクッと眼がさめて)お、お父さま! 助けてお父さま、助けてちょうだい! お父さま!
金吾 春子さま、どうしやした? 春子さま!
春子 ああ金吾さん。どうしたんですの? ここ、どこ?
金吾 金吾でやすよ。信州でやすよ。海の口だ。これから別荘へお連れしやすから、どうか安心して、
春子 ああ、(と安堵のといきをついて)あの、お豊さんという方は――?
金吾 お豊さんがあんたさまを助けてくれて、そいで俺の方に知らせてくれたんで、こうして俺あ迎えに来たんでやす。
春子 そう、ホントに……今、なんか仔馬が鳴かなかった?(あたりを見まわす)
金吾 へえ、鳴きやした。
春子 私……なんか、お父さんと一緒に、あの馬車で行ってたの。夢を見ていたのね。ふう。……(とといきをついて周囲を見まわす)
金吾 そうでやすか。(言いながらリヤカアを引いて歩む)
春子 ……ホントに金吾さん、すみません。こんな御心配かけて。……私、東京では、もう、どうしようもなかったの。敦子さんにはあんまり度々御心配をかけたし、悪くってもう行けなかったの……そいで、あなたの事を思い出したの。そいで、フラフラとこちらにやって来たの。かんにんしてね。
金吾 いいんでやす。いいんでやす。そんなに口きいちゃ疲れるから――
春子 いえ、もういいのよ。……山も川もこの道も昔のまま――ね。……お父さまと、一番最初、馬車で行って、二度目も三度目も、それから……そこを又、あなたに引かれて、こんなリヤカアに乗って通る。金吾さん……私って、しようの無い、えてかってな女ね。
金吾 そんな、春子さま、そんなこと――
春子 ……罰が当ったのよ。罰が当った。――

この時、遠くから風にのって流れて来る秋祭りのハヤシの笛と太鼓の浮き立つような音。

春子 あら、なにかしら――?
金吾 この奥の村でそろそろ祭りだから、ハヤシの稽古だ。(歩みつづける)
春子 ……ああ!(と魂の底から出てくるような嘆声)いい音! ……(ハヤシが高調にかかる)……お父さん! (しみじみと泣き出している)お父さん! 春子を許して、お父さん!

リヤカアのきしり。金吾の足音、祭りばやし。


春子
金吾
敏子(幼女)
横田
石川
敦子

E 静まりかへった高原の夜の、山小屋の暖炉にパチパチと薪木がもえる音。ボウ、ボウとふくろうの声。
E その静けさの底から、はじめは、それと聞きわけられぬほど微かに、次第にハッキりと浮き立って流れてくる祭りのハヤシの音。(これは後まで断続して聞えてくる)……
春子 ……(溜息をつくように)良いわねえ金吾さん! これが人間がならしている笛や太鼓かしら? ……軽い、一人々々はねを生やした小さな人たちが、山奥に集ってならしているんじゃないのかしら?
この間から毎日ウトウトしながらそう思って聞いているの。……薄衣を着た仙女たちがマジメくさった顔をして笛を吹いたり太鼓をたたいたりしているの。私もそのお仲間にならして貰って、笛でも吹いていたい。もう人間はたくさん。くたびれちまったの。
金吾 ……あんまり話をするのはよして、もうやすんだ方がよくはねえかな。
春子 ううん、こうしてあなたとこんなことを話していると、とてもいい気持。明日から起き出して、私もこのまわりの畑仕事でもしようと思うの。
金吾 やあ、それは、春子さまにゃ駄目でやしょう。
春子 どうして? だって私は寝ながらそう考えていたのよ。もう東京へなんぞ帰らないで、ここで私金吾さんにお百姓の仕事ならって、暮そうって――駄目?
金吾 いやあ、駄目と言うわけじゃねえけんど――いえここでお暮しになるなあいいが、百姓仕事は俺がやってあげるから。
春子 ……そう、私はなんにもやれない人間だわ。東京に居れば居るで、みんなのじゃまになるし、ここにやって来ると金吾さんの厄介もので、あなたに守って貰わなければ何一つ出来ない。(涙声)そこで、山奥へ行って仙女になりたいなぞと考えているのだから。
金吾 困りやす、そんなまた、泣いたりなすっちゃあ、そういうつもりで俺あ言ったんじゃねえんで。俺がちゃアんと何でもしやすから、春子さまは安心していりゃええ。それで俺あ、――わしあそれで、喜んでそうしたいんじゃから、それがわしのつとめじゃから。
春子 ありがとう、金吾さん。
金吾 はは。(相手の気を変えさせようと思ってかるく笑って)山奥で仙人が笛太鼓鳴らしてとおっしゃると、あれで敏子さまもあんたさまのお子さんでやすかねえ、今日の昼間、このうらの山へ蝶々つかまえに俺が連れて行ってやしたら、似たようなことを言ってやしたよ、はは。
春子 そうお……(ふり返って、奥の寝所で寝ている少女の方を見て)ああ、あんなによく眠っているわ、ここへきてから、あの子はホントに元気になった。いえ、この四、五年、父親から抱いて貰ったりしたこともない子でしてね、金吾さんが父親のような気がするんじゃないかしら、どんなこと言ってって?
金吾 今聞えてるはやしがやっぱし聞えてきたんでやす。すると敏子さまが、あれは誰が鳴らしてると聞くでね、俺が下の村の若いしたちがならしてる、というと、違う、あれは山奥で小人がならしてるんだ、と言いやしてね、そいで、あのはやしに合せて敏子さま、グルグル踊るようなことなさりながら、おじちゃん歌えと言ってね、なんと言ってもきかねえから、俺あ盆踊りの歌あうたったはは、
春子 そう、木ぶつ金ぶつと言う、あれね……(低い泣声を出して、しみじみと泣いている)……
金吾 春子さま、困りやすよ、そんな泣いてばかりいると、また身体悪くなさるから――
春子 ……(涙をふいて、カラリと明るい声で)ホホもうなかない、かんにんしてね、木ぶつ金ぶつはこの私だわ。こうしてさんざん苦労してやってきながら、その苦労が身にしみてだんだんかしこくなるということがないのよ。苦しい目にあうと、ただ苦しいだけで、どこかしらそれが上すべりをしてしまって、ボンヤリとただないているだけ、自分で不感症かしらと思うことがあるの。この六、七年にしたって、世間並から言えばずいぶんいろいろな目にあってきているのに、ただボウーッとして一つ一つのことは忘れちゃったようになってる。あれから敏行が会社の株式をゴマ化したとかで牢屋に入って一年半ばかり、小笠原さんや、横田などの言うとうりになって、ずい分いろんな目にあったの、しまいに敏行を助ける金をつくるためだというので、千葉の方へ行って芸者に出たりまでしたのよ、それから銀座の方で、割烹料理屋につとめたり、しまいに秩父の方の、そのセメント山の事務所の留守番をやらされたり、それで敏行がやっと牢屋から出てきたかと思うと病気になってね、その入院の費用を稼ぎ出すために、また銀座へ戻って、する中に、敏行の病気が治ったと思ったら、あの人は別の女の人と行方知れずになって、その後横浜にいるといいますけどね、セメント会社の方は、いつの間にか横田が社長のようなことになって……この六、七年をふり返ってみると、ホントに言うに言いきれないひどい目にあってきたわけなの。だのに、どういうんでしょう? そういう苦労はただ辛いだけで、ホントはちっとも身にしみないの、ただもう、体が弱りに弱るだけで、なにか自分の生活はここでこうしているこの生活だがはっきりわからないけど、どうも今自分がひどい目にあったり、相手にしているおかしな男の人などはみんな嘘で、別にどこかに私のホントの暮しはある、私のホントの相手の男の人は別にどこかにいる、そういう気がするの。そう思うと、きっとなくなったお父さまのことを思い出すのよ、だもんだから私を相手にする男の人が、すぐ私のことをつまらながるのね、すぐあきるの、面白くない、お前は空っぽだ、そう言うのよ、その筈だわ、からっぽですもの、わかる私の言うの、金吾さん。
金吾 俺にゃよくわからねえ、どうも。
春子 それで、そうやってさんざんな目にあって、その間、この敏子を抱えて、その間、二度も三度も里子に出したりしましたけどね、ずいぶんつらかった。敦子さんのことは年中思い出したけど、それまでにあんまり御心配をかけたんで、もうお世話になるのが心苦しくて、敦子さんの所へは行けないの、あの方のことだから、そりゃ私のことを心配して下さって、近頃では私の行先々を追っかけ廻すようにしていらっしゃる。でもどうせお目にかかってもまた心配をかけるだけだから悪くって、逃げ廻ってきたの。敦子さん今頃怒ってらっしゃるわ。ホントにすまないと思う。
金吾 そうでやすか。
春子 する中、ひょいと、ここのことを思い出したんで、それからあなたのことを思い出したんで。そしたら、ここに来れば、そしてあなたにあえば、そこにお父様もいらっしゃるような気がしたの。それでフラフラと汽車に乗ったのよ。それがしかし、二三日前から体の調子が悪いのと、お金がなくて食べるものを食べていないものだから、汽車を下りてすぐああして、わけがわからなくなって、お豊さんに助けていただいたんです。ホントに何と言っていいか――お豊さんて方、それから御主人の喜助さんですか、いい方たちだわね。
金吾 はあ、ありゃいい夫婦だ。俺なんずも、あの人達が居るんで助かってやすよ。
春子 敦子さんといい、ああいう人達といい、それから金吾さん、私の知っている人にはいい人がいっぱい居るわ。だのに、どうして私という人間は、いつまでも、しようが無いんだろう?
金吾 いつか一緒においでた鶴やさんというばあやさんはどうしてやす?
春子 鶴や? あれも、いい人間でね、でもそんなわけで私があちこちしてる間に、甥をたよって浜松の方へ引っこんでしまったの。
金吾 そうでやすか。
春子 ……(遠くの祭りばやしが調子を高める)私ね、ここにずうっと居さしてほしいように思うんだけど? そいで、だんだんにお百姓の仕事をあなたに教わろうと思うの。
金吾 いや、そりゃ、春子さまが居てえと思うだけおいでなしたらええ。この別荘は春子さまのものじゃから。
春子 だって、そんな……でも安心した、ここに居さしてね、金吾さん。

祭りばやしの音が、湧き立つように流れてくる。

それが、明るい、さわやかな、信州の音楽のテーマに変って――

よく晴れた、昼前の山荘をとりまく林に、小鳥たちが囀り騒ぐ音。

敏子 (快活な調子で)お母ちゃま、こんなきれいな花!
春子 (明るい快活な調子になっている)まあ、きれいね。敏ちゃん、あんまり向うへ行くんじゃないのよ。お母あちゃまはおじちゃんの加勢と、お昼の御飯の仕度がありますからね。あんまり遠くへ行くんじゃないのよ。
敏子 はあい!
春子 やれ、どっこいしょ。(金吾が刈り込んだソバの木の束を集めて、軒下へ運んでいる)
金吾 (ソバの木を刈り込みながら、これも明るい声で)春子さま、もうそりゃいいだから、すこし休んでござらして。あんまりいっぺんにそんなことするとくたびれる。
春子 なに、まだ平気よ。だけど夜はもうあんなに寒いのに、昼間こうして天気がいいと、まだなかなか暑いのね。ほら、こんな汗。
金吾 でやしょう? でも、これから一日増しに寒くなって、日が短かくなりやす。ここ当分百姓は目が廻るように忙しくてね、はは。
春子 でも、この別荘のぐるりを、こんなに金吾さんが切り開いて、こうやってソバをまいたりして下すっているの、これまで何度も何度も目には入れていながら、ホントに見たのはこれがはじめてよ。ありがたいわ。これをどうすればおソバになるんですの?
金吾 はは、なあに、これをよく乾してね、それをたたいて、みでふるいわけてから、ついて殻をとってね、それを水車へ出して粉について貰いやあ、ソバ粉になりやす。シンソバというのはうまいもんでね、こんだ早速俺が打ってあげべえ。
春子 お百姓の仕事というものは、いいわねえ。
金吾 なあに、いいも悪いも毎年同じことであたり前すぎるようなこってやすから、馬鹿にでも出来やすんで。
春子 いえ、ウソがないから。私しみじみそう思うの、ホントに私、ボチボチでいいから金吾さんにお百姓の仕事習っていきたいわ。そうすればキットお父様も何処かで喜んで下さる。
金吾 はは。そりゃ、黒田先生は喜ばれやすよ。
春子 私、なんだかとてもいい気持。敏子もああして、あなたにすっかり馴染んでくれたし――ああそうそう、もうそろそろお昼だわ。御飯がかけっぱなし。(ソバ畑をソソクサと別荘の方へ歩きながら)金吾さん、じゃすぐお昼御飯にしますからね、お仕事はそれ位にして、手を洗ってちょうだい!
金吾 はい、はい。
春子 (別荘の表ドアを開けながら)敏ちゃんや、もうすぐお昼御飯だから遠くへ行くんじゃないのよ。
敏子 (こちらで)はあい!
金吾 敏子さま、えらいきれいな花があっただなあ。
敏子 おじちゃん、歌、うたって。
金吾 また歌か。おじちゃんは歌は、へえ、駄目だから。
敏子 駄目、うたってよ。盆のうた、うたってよ。
金吾 盆のうたか、しようねえなあ――じゃうたいやすよ。ヤーレー(敏子が小さい両手で手拍子をとる音)はは、ヤーレ、盆が来たのに、踊らぬ奴は木ぶつ、金ぶつ、石ぼとけ、ヤレ、ドッコイ、ドッコイ、ドッコイショ!
敏子 ヤレ、ドッコイ、ドッコイ、ドッコイチョ!
(手をたたいて)もう一度!
金吾 やれやれ、もう一度か、ヤーレ、盆が来たのに――(そこへ森の彼方から、おーいと呼ぶ男の声がかすかに聞える。しかし、それが耳に入らぬままに金吾は歌い続ける)踊らぬ奴は、木ぶつ、金ぶつ、石ぼとけ、ヤレ、ドッコイ、ドッコイ、ドッコイショ!(そのうたにかぶせて森の彼方から近づいてくる男の呼声が、おーいと近づく)
敏子 あら、誰か来たよ。
金吾 ……(すでにその時には彼も誰か来る音に気がついて、そちらを見る。林の中をふみしだきながら、畑のふちへ出て来る男二人の足音)
横田 (畑のフチに立停って、ニヤニヤと笑い出す)はは、へへへ、やっぱりここに来ていたね。おい君ィ!(と金吾に向って)なんとか言ったっけ、金――金助、いや金吾――さんだったっけか、暫くだったねえ。
金吾 ええと、あんたは――ああ、あん時の――横田さんでやしたね。その節はいろいろお世話になりやして。
横田 いやあ、ははは。あん時あ黒田君に頼まれて、ここの土地を売り払いに来ただけでね、別にお世話になったと言われても、へっへっへ、どうだいその後? (連れの男をふり返って)石川、それじゃな、お前は馬車の所に引返して、そう言っといてくれ。間もなく駅までまた戻るから、いっ時待っていてくれって。
石川 へい。だけど、社長だけで大丈夫ですかね。
横田 なあに、たかが女子供だ。お前は向うで待っててくれ。
石川 へい、そいじゃ(森の中を、もと来た方へ引返して行く)
横田 ははははは(畑を突っ切って別荘の方へ歩いて行きながら)金吾君、春子は別荘の中だろ?
金吾 え、春子?
横田 なんだ? はは、なる程、呼びすてにしたのがいけないかね、へっへへ、なる程君にとっちゃ変に聞えるかも知れんな。しかし、あれから七、八年たっているんだぜ。世の中は動いているよ。今じゃ、この私がセメント山の社長でね。黒田さんは引退しちゃって、今は何処に居るかな。春子が私のなにをしてるか、当人は言わなかったかね? この間からヒョイと居なくなったんで、えらい探して、へへへ、やっぱしここに来ていた。すまんが、君あいっ時見ないふりをしててくれ給え。
金吾 ……(石になって立っている)
敏子 (火がついたように叫びながら、別荘の中に駈け込む)お母あちゃま、お母あちゃま、こわいよう! お母ちゃま!
横田 はははは(足音をさせて別荘のドアの方へ)
春子 (その奥から出てきながら)え、どうしたの、敏ちゃん――? あっ!(呆然と横田と相対して立つ)
横田 はっははは、やっぱりここだったなあ。さあ春子、すぐ東京に帰るんだ。
春子 あの、そんな、そんなことおっしゃっても、もう私は――
横田 まあいい、まあいい。つまらないことを考えると、またろくなことはないぜ。まあまあ、こんな所で話もできない、中へ入ろう、おい(春子の胸をつくように、別荘の中に入って行き、ドアをバタンと閉じる)
金吾 あ、春子さま! ……(二、三歩思わず歩き出すが、立停って、そのドアの方をじっと見つめている。間……その閉ったドアの奥から、火がつくように敏子が泣き出した声が聞える。それをききながら、石のように立っている金吾)

激しい音楽。

敦子 (音楽がやむと、その尻にかぶせるようにして、叩きつけるような涙声で)だから金吾さん、ですから、どうしてあなたはその時、春子さんを力ずくででも引とめて下さらなかったのよ。どうしてそれを指をくわえて、あなた見ていたんですの。
金吾 (弱りきっている)敦子さま、そうおっしゃられても、俺にゃどうも。それにその後の春子さまの身の上のことを俺あよく知らなかったし、横田さんと言う人が、春子さまのどういう人に当るのか、見当がつかなかったし……
敦子 横田は、あれはゴロツキよ。セメント会社を小笠原と言う男と組んで、すっかり乗っとってね。敏行さんをふみつけにした挙句、ウロウロしている春子さんをつかまえて、さんざんこき使ったり、利用したりした挙句に、お妾さんみたいに扱っているのよ。そんなあなた、遠慮なんかしなけりゃならない相手じゃないのよ。
金吾 だけんど、だら、春子さまがどうしてああ言われて、その場から東京に一緒にお帰りになったんですかね。
敦子 春子さんという人はそういう人なの。人がいいというのか、馬鹿といっていいか、強い力で押されると、押されたとうりになるの。それは金吾さん、あなただってわかっているんじゃないの。ホントに、私はね、この二、三年、春子さんのことや敏ちゃんのことが心配になって、次から次とあの人の後を追かけ廻すようにしてきたのよ。ところが春子さんの方じゃ、逃げるの。そりゃね、私にあんまりこれ迄心配をかけてきたので、もうすまないからと言うんで逃げ廻ってる春子さんの気持は私わかるの。しかしそういう風にして逃げ廻っているために、なお一そう、私に心配をかけているということには気がつかないの。そういう馬鹿な人なのよ。そいで、この間ね、やっと横田たちの秩父のセメント山の事務所に、春子さんが住みこんでいると言う話を聞きつけたんで、私出かけて行ったの。そしたら、事務所と言うのは名ばかりで、まあ汚い飯場ね、そこの飯炊き――女中さんみたいなことをやらされていたらしい。ところが、私が行った時にはもう春子さん、そこには居ないで何処か行っちまったと言うの。そいで仕方がないから、東京の心当りをあちこち探した挙句、ヒョイと気がついて、もしかするとこちらへ春子さん来たんじゃないかと思ったんで、私あわててやって来たの。そしたら汽車で海の口でおりたら、ちょうど、駅の前であのお豊さんにばったり逢って、そいでこれこれでお豊さんが春子さんを助けてあげて、春子さんは今、金吾さんがお世話をして別荘だと言うじゃありませんの。やれやれと思ってね。そいで、いそいそしながらやって来てみたら、昨日横田が現われて、春子さんたちを東京へ連れて行ってしまった後。あなたはそうやっていろりの傍でぼんやり坐っているじゃありませんの。何ということなの。これじゃお豊さんだって、きっと腹を立てる、いえ、私の言うのはね、私が折角はるばるやって来たのが、ムダになったからじゃないの、それから、春子さんがまたまた東京でひどい目にあうからというだけのためじゃないの。私が、ホントに腹が立つのは、あなたのことよ。何故あなたはそうなの。そういう風になってたよって来た春子さんが、とにかくその気でここに来ているんですから、何故金吾さん、あなたはそれをここに引とめておかないんですか。あなたはそれだけ春子さんのことを考えている人でしょ、それなら春子さんに対して何かの権利がある。それにあなたは男でしょ。そいで春子さんは結婚したり、それからその後いろんな男の人と何やかやあって、そいでみんな失敗した人なのよ。それが乞食同様になってあなたをたよってきた。そしてここに住みつきたいと言ったそうじゃありませんか。よしんば、それをあなたが、あなたのおかみさんにしてしまったって、喜こぶ人こそあれ、どこからも何も言う人はない筈じゃありませんの。それをあなたはなぜ、横田なんぞに連れて行かせてしまったの。あなたは全体、なんですか?
金吾 敦子さま、もう何にも言わねえで! 俺あつらいです、俺あつらいです。
敦子 何がつらいの? お豊さんも私と同じようなことをそう言って、やれやれ、これで金吾さんのためにもいいことがおきるずらと喜んでいたのよ。あなたは一体男じゃないの?
金吾 ……(怒り泣きに泣いている)
敦子 それにね、春子さんという人は――私はあの人のことはもう切っても切れない大好きなんだけど、あの人はバカで、ホントに平凡なつまらない人なのよ。百人女が居れば、八十九番目位の、ホントに平凡な人なのよ。それをあなたは金吾さん、ムヤミとあの人のことを思ってるもんだから、とんでもなく立派な、自分なぞには及びもつかない女の人みたいに思っているんだ。そいで自分で近よれないでいるんだ。あなたの春子さんはあなたの胸の中にしかいないのよ。ホントの生きている、あの春子さんは、どんな男の人でも言いよれば、誰にでも子供らしく簡単になびいて行く、たよりない、弱い、何処にでもいる女よ。なぜあなたは、それ程思っている人が、ここへその気で来たのに、ここにいつ迄も居さして、そいであなたのおかみさんにしてやらなかったの。女からはそんなことは言いだせやしません。しかし春子さんはその気で来たんだと思う。あなたはバカだ。そいで御自分がこうやって不幸になって、そして春子さんまで不幸にしているんだ。金吾さんあなたはバカだ。私はくやしいの。
金吾 ……ウー(唸るように泣き出し、火じろのわきの畳に打伏し、それにかじりついて泣く)こらえてくだせえ、敦子さま、俺あ、バカだ、春子さまもこらへてくだせえ、うー、あああ、うー、うー

戸外を晩秋の風が、ビューッと鳴って過ぎる。

音楽


 壮六
 喜助
 お豊
 金吾
 金太郎(幼児)
 辰造
 山崎(塾長)
 生徒一
 その他生徒達六七人

音楽

壮六 (老年になってからの、語り)わしは後になって金吾から聞きやしたが、神山の敦子さまがその時、こうおっしゃったそうです。「金吾さん、あなたは春子さんのことをそれだけ命にかけて思っている人です。それならば、春子さんに対して男としての権利があるわけじゃありませんか。そこへ乞食のようになった春子さんが、ここであなたと一緒に暮す気でやって来たのに、それを、またまた東京の横田なぞにちょろりと連れて行かしてしまう。それというのが、あなたが春子さんをあんまり立派な女の人だと思ってあがめ奉っているからじゃありませんか。しかし、ホントの春子さんは、ごく普通の、何処にでもいる弱い女ですよ。あなたはどうして春子さんをここに引きとめてあなたのおかみさんにしてくれなかったんですか!」そう言って、泣き狂いに畳を叩いて金吾を叱ったそうです。物事にはどうも潮時というものがあるようですねえ。その、そん時に金吾と春子さまの仲に潮がさして来ていただなあ、それを金吾が潮に乗りはぐった。そうとしきゃ思えねえ。いえ、そん時も敦子さまに襟首をつかまれるようにして、金吾は春子さまの後を追っかけて東京へ行ったんでやす。しかしその時にはもう、春子さまが何処に連れて行かれただか、いくら探しても見つからなかった。金吾はがっかりして、痩せ衰えて東京から戻ってきた……いや、その後も、三年に一度、また二年に一度といったふうに、春子さまは落窪の方へヒョックリ現われちゃ、また東京へ舞い戻る、ということを繰り返してござらしたが、その間、あの方も東京で、いろんな目に会っていたようで、時によると、ホントの乞食のように落ちぶれて、病気になったりしてやって来たり、かと思うと、とんだ成金の奥さんみてえに着飾って、ニコニコしてやって見えたり、また時によると、妙な三百代言みてえなご亭主とも旦那ともつかねえ男と一緒にやって来たり。つい、向うの境涯の潮先と金吾の方の潮先とが出会うということがねえだなあ。そうしちゃ春子さまはまた東京へ戻って、何やら勝手な暮しをなすってるようだし、そうやって十年の余も過ぎてしまって、世の中は大正から昭和に入りやしてね。すると、金吾の方でも、もう四十をとうに過ぎて、春子さまのことを考えても、カッとなることも、ダンダンとなくなる。それだけに、気持の底には深く深くあの人のことを思いながら、まあ嵐が過ぎて、海が凪いだような状態といいやしょうか、それはそれでわりに落ちついた十何年でやした。いやあ、金吾にとっちゃ、そうは言っても、雨が降っても風が吹いても思うのは春子さまのことで、年中、辛いことだったでやしょうが、しかし金吾という男は、胸の中がどんなに苦しくても、そのために身をもち崩したりするような奴じゃなかった。いや、胸の中が苦しけりゃ苦しい程、百姓仕事に打ち込んで働らくことで、その苦しさをこらえようとしていたとも言えやす。だもんだから、金吾の家の農事はグングンとうまくいきやしてね、田地も山林が二町歩、畑や田圃を合せて二町歩の上にもなりやして、ことに高原地の水田にかけちゃ、ここらきってのいい百姓になりやして、県や郡から賞状をもらったり、しまいには国から勲章も二つばかりもらいやした。それやこれや、金吾の家にも嬉しいことの一つや二つはその間もありやしてね……これはその一つで、現在の金吾のあの家が建ちあがった年のことを、俺あはっきり覚えていやす。あれはなんでも昭和に入ってしばらくした出来秋のことだ。そうだ、海尻の喜助とお豊さんのことは御存じでやすね。喜助はその後、大工の頭梁で堅気で稼いできた、面白い気性の男でやして、あそこのお豊さんが、もと若い頃、金吾の嫁になりたがっていたことがあってね、それがつい、金吾が春子さんのことがあって嫁をとる気がねえもんだから、まあ諦めて喜助ん家へかたづいたんだが、その後あの夫婦と金吾も、わしも仲よくやって来やした。そんな関係で、金吾がまあ自分はこうやってせっせと百姓やって、田地も五六町出来た、しかし女房をもたねえから後をゆずる子供がねえ、その後とりに、お豊さんの生んだ息子を養子に呉れと言いだしてね、お豊さんと喜助も喜んでね、それで男の子の一人を養子にやるという話になって、それが今の、あの金太郎君でやすよ。すると喜助がね、俺の息子が金吾の家の後とりになるだから、その引出物に金吾の家があんまりひでえから、ちゃんとした家に建て直してやるべえと言い出しましてね。どんどん事を運んで立派な家を建てちまった。その家が建て上って、びらきの日に、俺と喜助夫婦とそれから金太郎と金吾、そこへ喜助ん家の子たちが他に二人ばかりよばれて行ってね、ちょうど天気もいいし、刈り上げたばっかりのかどの田圃のド真ン中に莚を敷いてね。そこにみんなすわりこんで御馳走を食ったり、酒をくみかわして、きれいに出来上った家を眺めようつうだ。よく晴れ上った秋の日の昼さがりで、こういう時の酒はうめえもんでね、すぐに酔いが発しやすよ、はは。
壮六 (その話の中の、つまり四十四、五の壮六になって、酔って明るく笑う)はっははは、はっははは。何しろ、いい気持だ。おい頭梁、喜助頭梁、お祝に一つ手をしめべえ。お前ひとつ音頭をとってくれ。
喜助 (これも酔っている)ようし! そんじゃ、やるかな。ホントから言やあ、金太が音頭をとるんだがな、なあ金太。
金太 (幼児)ウマ、ウマ。ブウブウ。ウマ、ウマ。(お豊、金吾、壮六、この三人が声を合せて笑う。はっははっは!」[#「はっははっは!」」はママ]
金吾 金太も飲むか?
お豊 金吾さん、この子に酒なんず飲ましたら大変だわ。
金吾 なあに、今日だけはええずら、いくらちっちゃくとも親父の息子だ、なあ喜助。
喜助 おうとも、今日はこやつが正客だい、飲め飲め――
お豊 だってお前さん――
金太 プウ、ウマウマ、ウマウマ。
金吾 そうら、当人が飲むんだと言ってら。さあ金太、うまいぞ、あんしろ、ああんしろ。
金太 ウマウマ……(口にもっていかれた盃からピチャピチャいわして酒を飲む)
壮六 わあ、ええ呑みっぷりだあ! さすがだ、はは、はっは!
喜助 よしよし、ははは!
壮六 とんかく立派な家が建った。なあお豊さん、喜助なんつうものは、バクチの腕にかけちゃ、南佐久一番の下手ッかすだが、大工の腕となると長野県第一だい。
(お豊、金吾、あっははは)
喜助 何を! バクチの腕が落ちたのは、もう十年の余もぶたねえからだ。もとはと言えば、海尻の喜助つうもんは、おめえ、丁とはりゃ丁、半とはりゃ半、
壮六 そいで、年がら年中とられてばかりいただから世話あねえ、なあ、お豊さん。
お豊 ホントによ、ははは。
喜助 何がホントによ、だ。俺がバクチを打たなくなったのも、おめえだち女房子が可愛いいからのこんだぞ、あははなんてバチが当るぞ。
壮六 知らねいと思って威張ってやがら。お豊さんてえおかみさんの大きなお尻にとって敷かれの、バクチ場なんぞに出入りしてると、夜になるとお豊さんにツネられるから、それがおっかなくてバクチよしたんだ、てへへ。
喜助 なんてえまあ、この壮六という野郎は、年中口に毒のある野郎だ。そもそも、この俺とお豊の仲なんつうもんは――
壮六 はっは、おもて向きは亭主関白の位で、うら向きは女房関白の位だらず。どうだいお豊さん。だらず?
お豊 はは、馬鹿なことを言うもんでねえよ。
壮六 あっはは、なあ喜助、だからそのおもて向きでいくべ。さあ一つしめるから音頭をとってくれ、よ!
喜助 ちしょうめ! ようし、じゃ、ま。(莚の上に坐り直して大声をはり上げる)
信濃の国は南佐久の百姓、柳沢金吾、同じく長野県農事指導員川合壮六、海尻は大工喜助の女房お豊、次に柳沢金吾の後とり息子金太郎! 大工頭梁喜助がお手を拝借しやす! ようおっ!(すごい掛声とともに喜助の拍手に、他の三人が和して、明るい強い手拍子でシャン、シャン、シャンシャシャン、シャンと手をしめる)はい、おめでとう!
壮六 はい、おめでとう! さあ喜助頭梁、一ぱいいこう。お豊さんも飲みない、金吾も飲め。(と、次々と酌をしながら)冗談はヌキにして、今日は俺あホントに嬉しいぞ、頭梁、俺あ嬉しいぞ!
金吾 いや、こりゃ……(つがれた酒を飲みほして)こんだ俺に酌をさせてくれろ、喜助さん、それからお豊さん、それから壮六よ、どうも俺あいつも口不調法で、礼一つ言わねえが、こんたびはありがとうがす。こんとおりだ。(ガサガサといわせて莚に頭をつける)
お豊 そんな、金吾さんよ、そんな――(言ってる間に、女心でせぐり上げてくる。涙声で)そんな他人行儀な。
喜助 あっはは、あんなこと言ってやがら。
壮六 いや、まったくだあ。喜助頭梁、このお豊なんていうおかかは、こりゃいい女だぞ。へへ、おめえには過ぎもんだぞ、こん畜生め!
喜助 あっはは、羨ましけりゃ呉れてやらあ、何がこの――
金太 ウマウマ、ウマウマ――
金吾 (涙声で)金太郎、ウマウマか。よし、このオトト食え。
壮六 ホントに呉れるか、頭梁。ホントに呉れるかよ、このおかみさん?
喜助 呉れてやらあ。そもそもこのお豊なんつう奴は、俺におっ惚れてな、どうしてもかかあにしてくれつうてきかねえから、俺が女房にしてやった女ごだ、なあお豊、だらず?
お豊 そうだよ、そうだよ、ははは。馬鹿だねえ。
喜助 そうれみろ。よし、そんじゃ俺が一つお祝いに踊りをおどってみせべえ。よっく見ろ、盆踊りなんずの古くさい踊りじゃねえや。この間、松本の寄り合いで習ってきたばっかりの、南洋の土人踊りだい。よく見てろ!
お豊 あらお前さん、着物みんなぬいで、どうしようというの?
喜助 土人だから素ッ裸だあな。体のいいとこを見せてやら。いいか、みんなで手を叩け。(いきなり刈田の上を素裸で踊り出したらしい。手拍子で胴間声でうたいながら)色は黒うても、南洋じゃ美人――
壮六・金吾 あはは、あはは。(歌の拍子に手を叩いて、はやす)
お豊 あらまあ! はっは!
金太 ブ、ブ、ブ、バア――

この時、離れた林の小道をこの場へ出抜けた所から「うまい、うまい、うまい!」という男の声が聞えて来て、パチパチパチパチと拍手。

お豊 (そちらを見て)ああ郵便屋の辰造さんがやって来たよ。
壮六 よう辰公、よくやって来ただなあ。
辰造 (菅笠をかぶって、わらじをはいて、大きな郵便物の袋を肩に下げた、中年過ぎの郵便屋。手を叩きながら近づいて来て)こんにちは。どうしただよ、まあ! ああ、喜助頭梁? 俺あ、何かヘンな歌が聞えると思って、林を抜けてそこまで来ると、素ッ裸で踊ってる奴がいるだねえか。てっきりこいつあ、アミダが岳から飛び出してきた天狗が、天狗の舞いをやらかしてると思ってな、ちゃあ、たまげたい!
壮六 あはは、今日はな、喜助頭梁が金吾の家を建ててくれてな、それが建ち上っただからそのお祝いにこうやってみんなで一杯飲んでるんだ。
辰造 そうかよ、なある程、こいつあ見事に出来上っただなあ、ふうん。屋根の工合と、門口の取りつきのかっこうなんず、こりゃ何とも言えねえや。
喜助 え? 辰公、お前にそれがわかるかい?
辰造 へへへ、わからなくって。おらあこんでも、ここら中の三四箇村は降っても照っても歩いてんだぞ。そうさなあ、南佐久中で、こんだけ工合のいい門口の百姓は家五軒とはねえずら。
喜助 こん畜生! こいつはわかるだな。ちゃっ、やい!(辰造にかじりつく)
辰造 わあーっ、素ッ裸でかじりつくたあ、何てえこったあ。これが女ごならええけんど、喜助頭梁じゃゾッとすらあ。
喜助 色は黒いが、南洋じゃ美人だぞ、こんでも。よし、お前、俺の仕事がわかるんだから、一杯飲め、さ、さ。(と茶碗を渡す)お豊、酌をしろ。
辰造 ヘヘ、そいつはありがたいが、今俺は職務執行中につき酒はいただきやせん。
喜助 職務執行中につきたあ、何だい?
壮六 あはは、郵便屋さんが、郵便を配達してるつうこったい。
喜助 そんじゃ辰造、おめえ海の口のすぎやで、鞄下げたままちょくちょくかぶってるなあ、ありあなんだい?
辰造 ありゃ、チュウと言うてな、酒のうちにや入らねえよ。
喜助 チュウかよ、そんだら、こいつはトウだ。
辰造 トウ? トウたあ何だや?
喜助 トウたあ、般若湯のトウだ、お薬だい、ははは、さあ飲め。
辰造 お薬か。そんじゃ頂かざあなるめえ、オットット――(ついでもらって、ゴクゴクと一気に飲む)ふう――うめえトウだ。
金吾 ははは!(他の一同も笑う)

その笑い声の内に、林の方から、こちらに向って近づいてくるラッパ鼓隊の七、八人の足音。ラッパ鼓隊とは言いながら、ラッパはなく先頭の三人が肩から吊した小太鼓を二本のバチでバババン、バババンと叩きならして、それに歩調を合して進んでくる。

壮六 ――やあ、農民道場の衆たちがやって来た!(言ってるうちに生徒たちの足音が間近になる)
塾長 全たーい、止れっ!(足音がピタリと止り、太鼓の音やむ)ええ私どもはそこの農民道場の者たちですが、本日は、柳沢家の御新築が出来上っておめでとうございます。かねてわれわれは、農を以て国の基となすという信念にもとづいて、百姓の勉強している者でありますが、かねてこの土地第一の立派なお百姓である、ご当家の柳沢金吾さんに対して、敬意を抱いているものでございまして、本日こうやってまかりこして、その敬意の一端を現わすことの出来たのは、大変光栄であります。塾長山崎と申しますが、一同を代表して、一言……それではお祝いに、道場の歌をみんなでうたいます。はい、一、二、三!

バババン、バババン、バババン、バンと小太鼓の前奏がちょっとあって、八人ばかりの青年が明るくうたい出す。二部合唱、農民道場の歌。(前出)

壮六 どうもありがとう山崎さん。そいから生徒さん方も、どうもありがとうよ。
喜助 たはっ! みんなよく来た。農民道場かなんか知らんが、こいでみんな百姓の息子ずら。ひとつ頼むからここの金吾に負けねえ位にいい百姓になってくれよ。さあさ、一杯いこう!
生徒一 (茶碗を持たされて)しかし、わしら、まだ酒は飲めねえんで。
喜助 なあに、酒が飲めねえようじゃ、いい百姓になれねえぞ。塾長さんが居たって配慮するこたあねえ。さあ、飲め飲め。お豊、酌しろ。

生徒たちが笑いさざめく声。

壮六 (金吾に)金吾、お前も何とか一言挨拶しろい。
金吾 そうか……(立ち上って、何か言おうとするが、うまく言葉が出て来ない) ええと、どうも皆さんありがとうございやす。ええと……(金吾の言葉をきこうと一同がシーンとする)あのう、俺あ口不調法で、そんじゃ、お礼のしるしに、下手クソだけんど歌を一つうたいやすから、かんべんなして……

一同が拍手。小太鼓がすり打ち。それがピタリとやんで、いきなり胴間声を張り上げる。下手な黒田節。下手ながら、喜びに溢れた器量一杯の節廻しで。

「春の弥生の朝ぼらけ、よもの山々見渡せば、花ざかりかも白雲の、かからぬ峰こそなかりけれ、かからぬ峰こそなかりけれ……」

ワァーッと一同喊声、太鼓のすり打ち。

喜助 ひゃーっ、へんな歌知ってやがるな、なんてえ歌だ?
金吾 俺あ下手だあ。黒田節と言ってな、別荘の黒田先生から俺あ習ってな。
壮六 黒田先生の黒田節か、そうか。
辰造 黒田先生の黒田――ふうん、ええと、ほい、しまった。たしか黒田つう人からここの柳沢君に手紙が来てたぞ。それを届けに来ていながら、何つうこったよ。たは!(郵便袋をガチャガチャと開けて封書をとり出す)ほい! 柳沢金吾君、郵便だ。
喜助 ちゃーっ、職務職務、執行中だい。うまく思い出しやがった。
金吾 どうもそりゃ――(封書をうけ取って裏を返してみる)ああ!
お豊 金吾さん、春子さんから手紙な? どうしていやすかね、元気かね?
金吾 うん、俺あちょっくら……

歩み出している。刈田を踏んで畔にのぼり、自宅の庭場を横切って、新築した家の裏にまわる。その足音。

壮六 (マイクは金吾について行くので、壮六の声はオフになって)金吾う! 何処さ行くだい?
金吾 ……(ビリビリと封書の封を破いてレター・ペーパーを引き出し、パリパリと開いて読む。その間も向うの刈田での、人々のざわめきと、時々叩かれる小太鼓の音)……(向うで、喜助が何か言った声がして、「あはは、あはは」と一同が笑いさざめく声……)
壮六 (足音をさせて近づいて来る)どうした金吾?
金吾 おう壮六……
壮六 春子さまの方から、何かそう言って来たかよ?
金吾 うん……
壮六[#「壮六」は底本では「吾六」] どうしたつうんだ?
金吾 困った……これ読んでくれ。(レター・ペーパーを壮六に渡す音)今度は、逆に敏行さんの方からおどかされて、金をはたられてる模様だ。弱ったなあ、どうすればいいだか。それに、そこに敏子の身柄についても困ったことが出来ましてと書いてある。その事だがな、何でも敏子さまを芸者にするとか、お妾にするとかって横田って男がいろんなことを言うらしい。
壮六 ……うん、これだけの手紙じゃ、俺にあくわしいことはわからねえが、とにかく困っていなさるようだな、うん。
金吾 壮六、俺あこれからすぐ東京へ行ってみべえ。
壮六 えっ、そりゃしかし、お前が行ったとて、どうで問題は金のことだらず。
金吾 いや、金はちったああるしな。とにかく、すぐにちょっくら行ってくら。
壮六 だけんどなあ金吾、こんなこと言うなあなんだけんど、春子さんという人は、おめえにとっちゃ今となっては、まるで、魔物がとっ付いてるようなもんだぞ。もういい加減に夢さまして、棄てておきゃいいんだ。
お豊 (金太郎をかかえて近よってくる。その足音)どうしやした、金吾さんも壮六さんも? 春子さまから、また何か言って来たかね。
壮六 ……うむ、なんでもお嬢さんの敏子さまが叩き売られるとか何とかでな、そいで金吾が、これからすぐ東京へ行って来るつうけんどな、いかに何でも春子さまつう人も、虫がよすぎら。てめえが結構やってる間はふり返ってもみねえやつが、困ったときだけ、なんのかんのと言ってくる。金吾もほどほどに相手になってりゃよからず、なあ、お豊さん。
お豊 そうさなあ――
壮六 それに、今すぐ立つと言うが、今日という今日はああやって喜助頭梁をはじめ、新築祝いでみんな集って来てくれているだからなあ。
金吾 そりゃ、おのしの言うとおりだ。だけんど、俺あどうでもちょっくら東京さ行ってみねえと、どうも気になって――
お豊 金吾さん、どうしても行くだかい?
金吾 お豊さん、どうも、へえ、申し訳ねえけんど、喜助さんにゃ、よくわびといてくんな。
お豊 (しみじみと)四十づらさげて、へえ、まるでガキだなあ、おめえという人も。
金吾 お豊さん、相すまねえ。
お豊 しようねえ、行って来なんし。今日んところは、俺がちゃんと皆さんに言っときやすから、しょうねえ、行って来なんし。
金吾 ありがとうがす、皆の衆には悪いけんど――じゃ俺あ、このまま出掛けるだかんな。ちょうど一時半の汽車に乗りゃ、今夜東京に着けるだから、――(ガタガタと裏口から上って、タンスの抽出しから財布などをつかみ出し、また下りて下駄を出してはく)壮六、すまねえ。後は頼むからな。
壮六 馬鹿たれが、ホントにまあ……
金吾 農民道場の衆たちにもよろしく言ってな。喜助さんが腹あ立てねえように、お豊さん、どうかひとつ――そんじゃ……(カタカタと裏の背戸から林の小道へ出て走るようにして出て行く。向うの刈田で小太鼓のすり打ちとともに農民道場の生徒たちの合唱歌が湧きおこる)
お豊 (立って見送りながら)金吾さんつう人も何というこったかなあ。
壮六 (これも見送りながら)今日というめでてえ日に、あの馬鹿野郎……(二人の嘆息をかき消して、明るいうち開けるような「農民道場の歌」が高原一帯にこだまする)

その合唱の中に――


 金吾
 魚屋(中年男)
 鈴(女中)
 浜子
 石川
 おかみ
 敏行
 清乃
 敏子
 号外売り

音楽

東京の街路を、けたたましい号外うりのベルの音が走り去って行く。号外うりの声「満洲事変の号外! 満洲事変の拡大の号外! 満洲事変が拡大したぞうっ!」ずっと遠くでもベルの音。

それらをかすめてガーッと市内電車の音が過ぎる。

やがて立停っていた下駄の音が大通りを曲って、山の手の屋敷町の方へ入って行く。(金吾)……

塀の内からラジオの声「……ガガガ、ガアガア、本月十八日、満洲柳条溝にて鉄道線路が爆破されて以来、十九日には関東軍れい下の皇軍の奉天入城に引きつづき事態は益々拡大のちょうこうを示し……ガガガ――」

金吾の下駄の音はそれを引離して歩いて行く。

向うからギ、ギ、ギといわせて中年の魚屋が荷をかついで近づいてくる。

金吾 あのう、ちょっと伺いやすが、千九百五番地というのはこのへんだと思いやすが――
魚屋 (立ちどまって)千九百五番地だって? 九百五番地なら、この左手の四五軒が五番地だがね。なんという内だね?
金吾 黒田さんという内でやすけど――?
魚屋 黒田? 黒田なんて内は無かったなあ。
金吾 そこの内にいる春子さまというんでやすけど、さっきからいくら捜してもわからねえんで。
魚屋 春子さんというと、その内の御主人かね? いくつ位の人かね?
金吾 もう四十を越した人で、十六七の敏子さまという娘さんと御一緒だろうと思いやすけどね。
魚屋 わしはこの辺でもう二十年も魚屋をやっていて、たいがい知らねえ事あ無えけんどなあ……ああ、もしかするとあの内かな? いやね、もうあれは十五六年も前になるかな、たしか黒田さんという学者の人が住んでいたことがあった。さしみが好きでよく取ってくれたっけが――しかしそれだと、もうあれから二代ぐらい代変りで、今では石川さんという標札が出てるよ。なんでもセメントとか軍需品の工場かなんかやっている内だ。又なんだか知らんが満洲へんでゴタゴタが起きたらしいんで、そ言った内では景気が良いらしいや。そこのほかにゃ心当りはねえな。ま、そこい行って聞いてごらんなさい。
金吾 そうでやすか。石川でやすね?
魚屋 (カタカタと歩き出し乍ら)うむ、直ぐそこのあの角の内だ。
金吾 どうも、ありがとうございやして……
(下駄の音をひびかしてそちらへ近づき、門前に立ちどまって、ちょっとためらっていてからオズオズと敷石道を玄関へ)……ええ、ちょっくら……(言いかけてから、呼鈴を見つけて押す。奥でブザーの鳴る音)
鈴 ……(ちょっと間があって、足音をさせて玄関の内に出て来て、ドアを開ける)……いらっしゃいまし。
金吾 ええ、今日は、ごめんくださいまし。ええ、こちらは黒田様という方の――
鈴 え、黒田様――と申しますと?
金吾 あのう――わしは柳沢金吾というもので、はい、長野県から参りました柳沢と申すものでございますが、こちらに黒田様という方がいらっしゃるとかで――?
鈴 いえ、こちらは石川と言いまして――黒田さんというのは、どういう? それは、もしかすると、横田さんのおまちがいじゃございませんかしら?
金吾 横田さんでがすか?
鈴 こちらは石川名儀になっていますけど、ホントの御主人は横田でございまして――。
金吾 いえ、黒田にまちがいはねえんでやすが――(話がトンチンカン)
鈴 それでは、ちょっとお待ちくださいまし、奥で伺って参りますから[#「参りますから」は底本では「参まりすから」]
金吾 どうも、すみませんです。(女中が廊下を奥へ歩いて行く足音――マイクはそれに従って行く)……
鈴 ……あのう(言いかけた言葉をたち切って奥座敷の障子の内から、けんだかなヒステリックな女の声)
浜子 石川さん、あんたがいくらそんな事を言ったって横田の気持はもうトックにあたしから離れて、柳橋の梅代の方にいっちゃっているんだから、なんのかんのと言ったって、もう駄目だわよ。今更になってそんな仲うど口をきくのはよしてちょうだい。
石川 そりゃしかし浜子さん、そりゃちがう。社長はいよいよ満洲で戦争がはじまったんだから、セメント山もセメント山だけど、鉄の方に手を出すつもりで、関東軍の大どこと引っかかりをつけてくれるような軍人をつかまえようというんで目下血まなことに[#「血まなことに」はママ]なっているんだから、柳橋の方に入りびたりになる暇なんぞ全然ないですよ。十日や二十日こっちへ寄らないからと言って、浜子さんのように気を立てることは要らないと思うんだ。
浜子 そりゃ石川さん、あんたが横田という人間をよく知らないから、そんな事言うんだ。私は十四年以来の仲ですからね、あの人がここの先の黒田敏行という人に取り入って、とうどうセメント会社を乗取って、今じゃその敏行という人はすっかり落ちぶれているそうよ。――そういう横田の裏も表も私は知りつくしているんだ。ずるいと言っても、まるであんた――この家にしたってそうじゃないの、私をこうやってかこって、第二号邸で自分の持物でいながら名儀をあんたのものにして、あんたは西洋館の方に住まわせているというのが、自分のおかみさんへのカモフラージュだけじゃ無い、税金のがれのためなのよ。そういう人間なの横田というのは。
石川 はは、それはあなたの焼餅半分の邪推だ。社長はそんなチッポケな人物じゃないですよ。
浜子 へっ、そりゃあね――
鈴 あのう、奥様……(障子の内の二人が、ピタリと黙る)
浜子 ……なんだえ鈴や?
鈴 お客様が見えたんですけど、なんですか柳沢さんとか言う、田舎の方のようですけど――
浜子 横田のお客さんだったら、今おりませんからと、そう言いなさい。
鈴 いえ、あの、黒田さんにとおっしゃいまして――
石川 え、黒田?(立ってガラリと障子を開けて出てくる)黒田に会いたいと言うのは変だねえ? 用事は、それで?
鈴 いえ、まだそれは伺いませんけれど――
石川 よし、私が行って見よう。(ドシドシと歩んで玄関の方へ。女中もそれに従って行く。マイクも)……やあ、いらっしゃい。
金吾 ああ、これは――
石川 柳沢さんと言うんですか? 黒田という人に会いたいそうだが、ここは石川で、何かのまちがいじゃないかね?

(浜子も玄関に出て来る足音)

金吾 でも番地がこちらさまなもんでやして。わしは信州の南佐久から上京して参りやした――
石川 ああ、野辺山の黒田さんの別荘の管理をやっている――? 以前、私も社長について行ったことがある。それがしかし、急にどうしてここに――?
浜子 どうしたの、この人?
金吾 春子さまから手紙が参りやして。所がこちらになっていやすんで。
浜子 おっほほほ!(だしぬけに哄笑する)ははは! なんてえ事なの! そりやあんた、婆やの春のことじゃないの。はは! 春子さまか、笑わせるよホントに、どうしたのあんた!
金吾 はい、いえ、私あその方にお目にかかりたいと思いやして――
浜子 (笑い声を不意に引っこめて、どなりつける)冗談じゃないよ! 飯たき女中などに逢いに来るのに、えらそうに玄関から来る人があるかね! 人を馬鹿にして。台所口の方へ、おまわり、失礼な! 大体あの春やはこないだ出て行ってもらったからね。もうここの内にも居やあしませんよ。さあさあ引きとって下さい。いくら田舎者の物知らずと言っても程があるよ。鈴や、玄関はちゃんとしめて、波の花でもまいといて!

たち切るようにギー、ドシンとドアがしまる音。それを背にションボリと門を出て行く金吾の足音。遠くで市内電車の響。

鈴 ……(カタカタと下駄の音を小走りに追いかけて来て)あの、ちょっと!
金吾 あ、さきほどは失礼いたしやして。
鈴 すみませんでした。黒田さんなどとおっしゃるもんですから気が附かないで。春やさんなら、四五日前に、もとの御主人とかで妙な方が訪ねて見えましてね、それが奥様の気にさわって直ぐに出て行けとおっしゃって、春やさん出て行ったんです。ちょっとお知らせしようと思って。
金吾 そりゃどうも御親切さまに[#「御親切さまに」は底本では「御親さまに」]。で、春子さまはどちらへおいでになったんでやしょうか?
鈴 さあ、私よくは知らないけど、いつか春やさん言っていたわ、烏森の小倉という置屋さんに娘がいるとかって、なんだったら、一度そこへ行って聞いてごらんなさいな。
金吾 娘というと敏子さまでございやしょうか?
鈴 敏子? さあ、それはよく知りませんけど。
金吾 烏森の小倉――そいで置屋と言いやすと、どういう?
鈴 (軽く笑って)新橋のね、芸者屋町で、小倉というのは芸者屋さんのことです。いえ私もハッキリ知らないけど、新橋へんで聞けばわかるんじゃないかしら。古くからの芸者屋さんだと言っていたから――

芸者屋町の昼さがりに、稽古三味線が鳴っている。宴会その他での調子ではなく、もっときびしい感じの(長唄)連れびき。「よっ!」「はっ!」などの烈しい掛声。

おかみ (いい年配の、サラリとした物言いだが、シンにしっかりしたもののある。微笑をふくんで)烏森の小倉だなんて言われて、これで私んとこもこの土地じゃ古い内ですからねえ、こんな事でいいかげんな話の附けようをするわけにゃ行かないんでして、そこの所は、黒田さん、ごかんべんなすって下さいまし。
敏行 (おそろしくふけて卑屈な調子で)だけどねえ、おかみ、私は敏子の実の父親だ。それがなん度も出むいて来て、こうして戸籍とう本までそろえてなにしているんだから、ここらで話をきめてもらってもよいと思うがね。
おかみ ええ、ええ、それを疑うわけじゃありませんよ。けどね、二三日前、あの子のおっ母さんが見えて下すったそうで。私はお目にかかりませんでしたけどね、なんでも敏ちゃんを出すのを望んでいらっしゃらないような口ぶりだったそうで。そこへあなたが、こうして丸抱えの話などを、おせきになっても、私の方でもハイそうですかでお受けはできないんですよ。そりゃ敏ちゃんて子は、おあずかりして以来見ていますと三味線や踊りも筋が良いようだし、気立てはあの通り、あたしたちも、出すんだったら内からと思って楽しみにして――今もああやってお師匠さんが見えて何かやっているようですけどね。ですから、いずれにしろ話がきまればお金の方はいつでも準備してございますけど、今言った通り、お内のほうでいろいろになっているようでは今が今と言われても――
敏行 そりゃね、可愛いい娘を芸者に出そうというんじゃから、いろいろの訳があるのは当然で――私も事業が手ちがいつづきの上に二度も三度も病気になったりしてね、そいで、今度、浜の方に貿易の仕事の口があってね、満洲でこうして事が起きると、これが機会だからね、一度上海に渡って見たいと思う。つまりその旅費やなんか、この際どうしても少し金が要るんでね、ひとつ、おなじみ甲斐に何とか都合をつけてもらえないかねえ?
おかみ いろいろ御事情がおありなことはわかります。けど、なん度も申し上げるようですけど、こんな話は無理をすると後で困ることになりますんで。ですから、その実のおっ母さんとお話し合い下さってそちらの話がかたまってから手つづきをさせてもらいましょう。それまでは敏ちゃんの方は私の方で責任をもっておあずかりして仕込むことだけはちゃんと仕込んで置きますから。
敏行 そうかねえ。金が実は大至急にいるんじゃが。弱ったねえ……もしかすると、その横田の方だな――なんでも敏子のことを聞きつけて、あれの身がらを柳橋の方へソックリ連れて行きたいと言ってるそうだが――横田から、こちらへ金でも出てるんじゃないだろうね?
おかみ (むっとするが、さりげなく笑いにまぎらして)ほほ、そりゃ、そういう話もちょっと有りますがね、しかしそんな事はこれから一本でお座敷に出ようという子の前人気みたいなもので――ですけど、横田さんから金をもらったために私がこんな話をしているように取られちゃ、いかになんでもこの小倉の内ののれんが可哀そうじゃございますまいかねえ。旦那も一昔以前はここいらであれだけ羽ぶりをきかした方なのに、それがそういう事をおっしゃりはじめると話がおもしろくなくなっちまうんですけどねえ。じゃ本人を呼んで一度聞いて見ましょう[#「見ましょう」は底本では「見ょしまう」]。本人は横田さんの話も嫌がっているようですけど、お父さんのあなたのお話も、なんですかあまり喜こんじゃいないようですよ。
(ポンポンと手を叩く)
清乃 (若い芸者。次ぎの室から)はい。……(と言って出て来て)御用ですか?
おかみ あのねえ……あら清乃ちゃん、あんた田口の御宴会の方、お約束だったろ?
清乃 はあ、あれは三時ですから。
おかみ でも、そろそろ髪ゆいさんの方へでも行ってなにしないと。あのね、裏の座敷でみんな、お稽古だろ。敏子ちゃんにチョイとこっちへ来てちょうだいと、そ言って。
清乃 あら、敏ちゃんなら、さっきチョット裏から出て行ったんですけど。お客さんが見えて。
おかみ お客? すると又おっ母さんでも来たの?
清乃 いえ男の人ですけど。あたしが取り次いであげたから――なんですか、田舎言葉の、ゴツゴツした。そいで敏子さまにお目にかかりたい、敏子さまと言うんですの。柳沢の金、なんとかって。
敏行 え? 柳沢の金吾が?
清乃 はあ、とても人の良さそうな――で敏ちゃんにそう言ったら、敏ちゃん飛びあがるようにして一緒に裏から出かけたんですから、公園の方へでも行ったんじゃないでしょうか――

音楽(昭和十年ごろのフォックス・トロットのレコード曲。烏森を芝公園の方向へ出はずれる辺の町通りの喫茶店からの)

金吾の下駄の音と敏子のポックリの音が並んで行く。

敏子 (十六位になっている。昂奮している)あのね、清乃ねえさん[#「ねえさん」は底本では「ねえんさ」]が金吾々々と言うんだけど、はじめわからないの! そいでヒョイと覗いたら、金吾小父さんだわ! びっくりしちゃった!
金吾 (敏子の美しい姿を見上げ見おろしながら)いやあ、わしもぶったまげやした。あのちっちゃな敏子さまが、こんなイカクなっていようとは夢にも思っていなかっただから!(二人の会話は、まるで久しぶりに逢った仲良しの子供が話しているようにあどけない)
敏子 ほほ! 私そんなに大きくなった?
金吾 大きくなりやした! はは!
敏子 金吾小父さんも、とても――(と金吾の横顔をマジマジと見て)あの、髪の毛が白くなっちゃったわ!
金吾 はは、そりゃもう、しょうがねえでさ。
敏子 ほら!(と金吾の頬に手でさわる)こんな、おヒゲまで白くなって――(不意に涙声になる)まっ白だわあ!(オイオイ泣く)
金吾 (あわてて)これこれ人が見るだから、そんな敏子さま!
敏子 (涙声のままで快活に笑い出す)小父さん、今でも盆踊りの歌、うたってる?
金吾 木仏金仏でやすか? 歌いやすよ。敏子さま、あれが好きだったなあ。
敏子 そいから山奥の小びとのお囃し、聞こえてくる?
金吾 はは、聞こえてきやす。
敏子 行きたいな信州へ! あたしね、今、小倉にこうやってあずけられていてね、おかみさんはとても良い人だし、芸ごとを習うのもイヤじゃないんだけど、とにかく芸者になるんでしょ。急にイヤになることがあるの。おさらいなんかしてる時にヒョッと信州思い出すと、三味線なんか放りだしてしまって駆け出して小父さんとこに行きたくなるの。
金吾 そうでやすか。……いや実はお母さまから手紙がきやしてね、敏子さまが芸者になると書いてあるもんで、俺あ心配になって、こうやって出てきやしたけどね、お母さまは今どこにいらっしゃるんで? 麻布の石川さんという内にも行きやしたけんど、そこにもいらっしゃらねえし、そこの女中さんから教えられてこっちへ来やした。
敏子 お母さん、三四日前にチョッと私んとこに寄ったわ……小父さん、この向うへ渡りましょ。向うが公園でね……(二人が急ぎ足で電車道を横切って行く足音)ほら、一杯木があるでしょ? あたしつらくなると時々ここへ来ちゃ、お母さんや小父さんのこと考えてるの。このベンチに掛けない?
金吾 (並んでベンチにかける)……そいで、お母さまはどこへ行かれたんでやしょう?
敏子 それが私にもハッキリ言わないの。横浜の敦子小母さまの所に行くんだとか、秩父のセメント山の方へ寄るとか言ってたけど。横浜の父がああして私の事でチョイチョイ来るし、それから横田の小父さんがお母さんをいじめるので、あちこち逃げまわるようにしているのね。
金吾 すると敏子さまを芸者に出すという話は?
敏子 お母さんは反対なの。だのに父がどうしても金が要ると言ってね。以前知り合いだったとかで私を小倉へ連れてきてね、いえ、まだ、こうしてあずけられているだけだけど。そこい横田の小父さんが私のことで金を出そうと言うんだけど、父は昔自分が使っていた人なのでそれを嫌がっているのね。母は間に立って、もうどうしていいかわからなくなって困っているようなの。くわしい事は私にはわかんないわ。
金吾 とにかく俺あ春子さまに一応お目にかかって、そんで俺あ、これから敦子さまのお内へ行くか、秩父の方へ行って見るか、とにかく俺あ出来るだけの事はしやすから。とにかく敏子さま、これはな――(いいながらふところの財布から金を取り出して)ここに三千円ありやす。こりゃ、あなたさまの事で春子さまにお渡しする気で持ってきた金で、あんたさまにお渡ししときやすから、その芸者屋のおかみさんにお渡し下さるなり、俺にゃそったら事わからねえから!
敏子 でも、こんな大金、私困るわ。お母さんに渡して。
金吾 いや春子さまにゃ春子さまに、まだもうすこし持っていやすから、御遠慮はいらねえ。
敏子 だって小父さん、お百姓してこんな大金ためるの大変でしょ? どうして、そんな?
金吾 なに、どうしてもヘチマも無え。実あこんだ敏子さまを見たトタンに俺あハッとしてな、はは! 俺が春子さまにお目にかかった時と、今の敏子さまは、爪二つと言ってもソックリだあ。こうして話していても春子さまと話しているような気がしやす。はは、そんでよ、だから――
敏子 そう? 小父さんは、そうやって――(又涙声になる)あのね、小父さんはもしかすると私のホントのお父さんじゃなくって?
金吾 え? ホントのお父さん? そんな事あ無え。敏子さまのお父さまは敏行さまと言う立派な――
敏子 立派な父が、自分の娘を芸者に売ったりするかしら? お母さんだって私の小さい時から父からはいじめられてばかりいるわ。私ときどきそう思う、小父さん、どうして私のホントのお父さんになってくれなかったの?
金吾 そんな事お言いやしても。とにかく、この金はしまっといて下せえ。
敏子 だって私がお金いただいても、どうしていいかわかんないから、母さんにそう言って――
敏行 (それまでにゾウリの音を忍ばせてベンチの背後に来て立聞いていたのが、寄って来て)春子には後で私から言うから、その金は私に貸しといてくれないかねえ?
敏子 あら、お父さん! いつの間にここへ?
敏行 へへ、金吾君が訪ねて来て二人でこっちへ来たと言うからね後をつけてきたが、夢中になって気がつかないようだったな。
金吾 こりゃ、敏行さまでやしたか。しばらくお目にかからねえで。
敏行 やあ、はは、君あ相変らずお元気のようだね。私は、ごらんの通り、もういけないよ。今では妻や子供にも捨てられてしまったようなテイクラクでね。
敏子 嘘っ! 嘘だわ! お母さんや私を捨てたのはお父さんじゃありませんか。おめかけさんが二人もいたのを忘れたと思つて? そして今は又私を芸者にしようとしている。よくもそんな大嘘を!
敏行 まあまあ。お前なぞにはなんにもわかりゃしないんだ。いや金吾君、いろいろわけがあってね。はは、春子のあとで一緒に暮していた女とも別れてね。いや人間落ちめになるとみんな離れて行くもんだ。横田なんて奴が今じゃハブリをきかしてな、春子などもその後いろいろ男を渡り歩いて、間に、横田のめかけみたいになった事もあるらしいがね、それもこれもこっちに金が無いのだから仕方がない。ただこの敏子にまで横田がサツビラを切って手をかけようとしている。こいつだけは、いかな私も我慢がならないんだ。察してくれたまえ金吾君。だから本来この子を芸者なぞには出したくないんだがね、私も今のままではしょうがないんで、ちょうど浜の方に口があるし、御存じの満洲がああだしな、乗るかそるかもう一度やって見たい、それでどうしても五六千いるんだ。どうだろう、その金を一時拝借させてくれないか。勿論私が立ち直ったら二倍にしてお返しする。その代り――代りと言っちゃなんだが、この敏子も芸者にしないですむし、春子のことも一切君におまかせしてもいい。どうだろう?
金吾 へえ、そりゃ私の方はどうせ使ってもらうつもりで持って来たものでやすから!
敏子 駄目っ! 小父さん、こんなお父さんの言うことなぞ真に受けては駄目よ!
敏行 はは、さっきからお前が言ってたホントの父親ではないと言うわけか? 金吾君、人間も落ちぶれると自分の娘から、こんなことまで言われるよ。まあいい、何とでも言いなさい! どうだな金吾君、私を助けると思って、それだけの金そっくり貸してくれないか?
金吾 へえ、そりゃ、私あ、かまわねえんでがすが!
敏子 駄目、小父さんっ! そんな事しては駄目よっ! そうよ、私は憶えているの! 小さい時から母さんや私が、お父さんからどんなひどい目に会ったか! 忘れるものですか! それが今さら、又々そんなうまい事を言って小父さんをしぼり取ろうとしたって、私が許さない! お金を貸してはいけないのよ、小父さん! そうよ、私のホントのお父さんは、この金吾小父さんよ! 小父さんが私のお父さんよ!
敏行┐へっへへ。
金吾┘まあま、敏子さま!
敏子 お母さんが、この人のためにどんなに苦しんだか! お父さんなんか大嫌い! 私のホントのお父さんは金吾小父さんよっ!(怒り泣きに泣く)

すこし離れた街角を号外売りの鈴の音が、けたたましく通りすぎる。

(音楽)


 敦子
 鶴
 春子
 金吾
 村山(工員)
 源次(事務長)
 古賀(工員)
 助三(工員)
 須川(工員)
 嘉六(工員)
 小母さん
 その娘(十六歳)

音楽

鶴 ほんとに敦子さま、お宅の方にうかがいますと、奥様は御病気で入院なすっているとおっしゃるじゃございませんか、びっくりいたしましてねえ。
敦子 (ベッドをきしませて)いえ、私の病気なんぞ、ホントはなんでもないの、実は、満洲でああして戦争みたいになっちまって、主人は商売のことで先日から朝鮮の方に出かけて、その留守にツイ私もお店の方に加勢に行ったりして少し無理をしたのね。ちょっと風邪をこじらしたような加減で、いっそ入院しちゃって身体を休めちまおうと思ってね、もう熱も大分引いたし、大したことはないのよ。でもホントによく訪ねて来て下すったわねえ、十何年になるかしら? そいで春子さんにはお逢いになって? 私はかけちがって、もうズーッと逢ってないけど、たしか麻布の横田さんの方に同居しているとかって?
鶴 それがもう。そこにはいらっしゃいませんので。――実は私が上京しましたというのが、先日春子さまからおはがきをいただきまして、敏子の身の上のことについて困ったことが起きているといったような事が書いてございまして――敏子さまは、そういってはなんでございますが、お小さい時からなんですか自分の娘のような気がいたしておりますので、もう心配で心配で、そいで思い切って出て参りましたようなわけで。そしたら、敏子さまはお父さまの手で、間もなく芸者にお出になるとかって。
敦子 え、芸者に? 敏ちゃんが? だって、あの子は、その市川の方の、先に里子に出されていた内に手伝いで働いていると――
鶴 私も実はそうとばかり思って、市川の方へも行ってみたんでございます、したら――
敦子 だって、敏行なんて人が、今さらあの子を芸者に出すなんてこと、出来る道理は無いじゃありませんの! いえ敏行さんは、ズーッとこの横浜の野毛あたりに住んでいるそうでね、一度私も行き会ったことがあるの。なんか、とてもガラの悪い女の人と一緒でね。とにかく、永いこと春子さんたちに対してあんなシウチをつづけた人が今さら敏ちゃんをそんな――それで春さんは全体それに対してどうなすったの?
鶴 その春子奥様が今どこにいらっしゃるか、わからないので困るんでございます。いえ、初めから話さないと判りません。で、私、そのハガキにあります麻布の元のお内へ参ったんでございます。したら、今は石川さんという表札が出ておりまして、そいでこれこれだと申しましても、誰も相手になってくれないんでして、しまいに何かおめかけさんといったふうの年増の人が出て来まして、もう出してしまった飯たき女中のことなぞわかりませんよと、そう言ってどなりつけるんですよ。しかたがありませんので、今言った市川の内へ参りました。すると、敏子さまは暫く前に横浜のお父さんが連れてお帰りになって、新橋の芸者屋さんに預けられているというじゃございませんか。それで私、新橋のそのおぐらという家へ行ったんでございます。可哀想に敏子さまはもうすっかり芸者の下地ッ子におなりで、久しぶりに私をみて、いきなりオイオイお泣きになりましてね。(鼻をつまらして)それで、いろいろお話をうかがったんですけど、ちょうど私の行きました前の日に、信州の柳沢の金吾さんがたずねていらしたそうで。
敦子 え、金吾さんが?
鶴 はい。それで金吾さんもあちこち春子さまを探しなすっても、やっぱり会えないそうで。そいで三千円とかのお金を敏子さんに渡して下さったそうですけどね、そこへちょうど敏行さまがお見えになって、その金をそっくり自分に貸してくれとおっしゃったそうで。敏子さまは泣いて反対なすったそうですけどね、金吾さんはしかたなくその金を敏行さまに渡してしまいなすったそうでございます。それで、まあ、敏子さまが金吾さんにお母さまは、もしかすると横浜の敦子おばさまの方か、秩父の方かもしれないとおっしゃったそうで――。ですから実は私、こちらへうかがいませば金吾さんとも会えるかもわからないと思いながら参ったのでございます。
敦子 そう! そうだったの。すると金吾さん、秩父の方へ先きに行ったかもしれないわね。いえ、敏ちゃんの事は私の方で引うけました。どうせ主人がもう四五日もすれば戻って来ますしね。いえ、案外にそういう所の名の知れた芸者屋さんなどでは、そういう事でいい加減な事はしないものです。大丈夫、私にまかしといてちょうだい。ただ、金吾さんはそうやって、勝手もよく知らない東京をウロウロして、ひどい目に逢って可哀想にねえ……なぜ、真っすぐここへやって来てくれないのかしら?
鶴 やっぱり、なんじゃございませんでしょうか、敦子奥様にはこれまであんまり御面倒をおかけしているので、そうそうは来にくいのではないでしょうか? 春子奥様にしても同じことだと存じますけど……
敦子 春さんはあれは特別よ。何をそんなにウロチョロしているのだろう。横田なんていう人からいいようにされて来たことだって、どうも様子が、以前、敏行さんが病気になった時なぞに、横田からお金を何度か借りたのね。それを返せ、返せなければその代りにと言うので春さん、さんざんこき使われたり、いいようにされた。それから、うちの主人の話では、横田がセメント会社を乗り取る時に、株式のことやなんかで、ずいぶんいかがわしいことをしたらしいの。敏行さんが、それを訴えるとかいうことになったこともあるらしいのね。その時の事情を春子さんが知っていて、これが訴訟事件にでもなると、春子さんがノッピキのならない証人になるかも知れないと横田の方では思っているらしいのね。なに、春さんはそんなことを、それ程深く知っているものですか、かりに知っていても、そんな手ごわいことのできる人じゃないのよ。ところが横田の方では、それを恐がっていて、その為に春さんをおさえつけて、世間の表面へ出てこないよう、出てこないようにしているらしいの。秩父のセメント山の事務所なぞに押しこめられたりしていたのが、やっぱりそういうわけらしいの。今度もあるいは春子さん、あすこじゃないかしら。ずうっとせん、春子さんをたずねて私も一度行ったことがあるのよ。そりゃひどい所でね、事務所なんて言うよりまあ土方の飯場だわね。働いているのも荒くれた人たちばかりで、場所だって、あなた、いきなり山の横腹をたちわって、その片隅にその事務所があるんだけど、鉱石を運ぶ、あれはケーブルと言うんですかね、昼も夜もえらい音がしててね……。

敦子の言葉にダブって、ケーブルで鉱石を運ぶ音が、ガラガラガラガラ、ガラガラガラガラ、ガラガラガラ。そして時々、何処かでジャーッという音が、谷あいに反響して聞える。

石ころだらけの道を、こちらから金吾が歩いて行く下駄の音。

村山 (若い工夫、酔っている。ゆっくりとこちらへ歩いて来ながら草津節)……お医者さんでも、草津の湯でもドッコイショ! 惚れた病いは、コリャ、なおりやせぬよ、チョイナチョイナ。
金吾 あのう、ちょっくら、うかがいますが――
村山 (立止って、ジロジロ見ながら、まだうたっている)……惚れた病いも……なんだよ?
金吾 東洋鉱山株式会社つうのは、こちらでございやしょうか?
村山 東洋鉱山? うん、そうだよ。
金吾 ええと、で、事務所はどちらでございやしょうか?
村山 事務所はそこだが、今日は山祭りの休みで居残った連中だけで一杯飲んでるから、仕事の話は駄目だろうぜ。
金吾 いえ、あの、春子さま――黒田春子という人が居りやしょうか?
村山 春子――さま? 女かよ? ここは男ばっかりで女はいねえなあ。何をやる人だい?
金吾 さあ、それは、はっきりしませんが――
村山 ああ、炊事場のお春さんかあ! 春子さまだなんて言うからわからねえじゃねえか。お春さんなら居るよ。あすこだ。
金吾 そうでやすか、どうもありがとうござりやした、そいじゃ――(歩き出す)
村山 (歌のつづき)……惚れた病いもなおせばなおる、ドッコイショ、好いたお方と、コリャ、添やなおる、チョイナ、チョイナ――(反対側に消えて行く)

マイクは金吾の足音について行く。飯場小屋の内部から、人々の笑いさざめく声。

金吾 (板戸をノックする)ごめんなさいやし。あの、ちょっくらごめんなすって。

返事はなく、内部で若い工夫二三人が「コリャ、コリャ」と言って、茶碗酒を飲むらしい音。

金吾 ええ、ごめんなすって。ちょっくらごめんなすって(板戸をノック。返事なし)ええと――(仕方なく、板戸をソッと引き開ける音。それに向って、内部からいきなり五六人の工夫達が酒に酔って騒いでる声がぶっつけるように)
源次 (事務長)ははははは、さあさあお春さん、一杯飲めよ。今日は山祭りの無礼講だ。こんで男っばかりだからな、ふだんはお春婆さんだが、今日はたった一人の女ごで、言ってみりゃ女王様だあななあ、古賀。
古賀 ははは、まったくだい。なあに、こいでもお春さんなんてえ女は、暫く前まで社長の第三号か、第五号の想い者だったんだ。鶯鳴かせた春もあるという婆さんだかんな、ははは。
助三 さあさ、お春婆さんよ。飲みな飲みな、え?(茶碗に酒をつぐ音)
春子 (しいられた酒でもうかなり酔っている)いえ、もう、私はいけませんからかんべんして下さいよ。
須川 なあに、いけないなんて嘘うつけ! さあ飲めよ。
嘉六 お春さんが飲み残したら、俺が加勢してやろうじゃねえか。なあよ!
金吾 ああ、春子さま!
春子 え? ……(土間の隅の板椅子から入り口に立っている金吾を見て、フイにそれと気がついて)ああ、金吾さん!
金吾 春子さま!
春子 金吾さん、あなたはどうしてこんな所へ――?
金吾 お手紙をもらいやして、そいであちこち探しまわって――
春子 そう、それは……(立上つてそちらへ行きそうにする)
源次 え、なんだって? なんだ?(と、金吾へ向って立上る)君あ、なんだ? 何しにやって来た?
金吾 へ、こんちは。俺はこの春子さまの知り合でがして――
古賀 春子さま? なんだ、笑わすなよ、へへへ。
助三 なんだい、この男? もしかするとなんじゃないかえ、事務長。いつか社長がこの婆さんに虫がついているとかちった、そいつじゃねえのか、この男は?
春子 いえ、そんな、これはあの、金吾さんといいまして、あの――
源次 (金吾に向って)金吾――そいで、何しに君あやって来たんだい?
金吾 いえ、別に……ただ、この春子さまの、わしあ親戚みたいなもんでやして――
源次 しかしねえ、このお春さんは、ここの社長から僕が預かっている人でね、誰が来ても渡しちゃならんと言われているんだから、僕には責任があるんでね。まあまあやって来たんだから、こうやって会うだけは会わせるが、二人だけの話はよしにしてくれよ。僕が後で、社長から叱られるからね。なに、この人の一身上のことでは心配しなくてもいいよ。この事務所で、炊事だとか、つくろいものなぞをやってもらっていてね。今日は山祭りでみんなこうして一杯飲んでいるんで、お春さんにも一口飲まして、まあ愉快にやってるんだ。君もどうだ、一杯。
金吾 へえ、どうも。わしあどうも不調法で――
源次 そうか、そいじゃまあ――おい、みんな、お春さんも景気よく飲もう、さあさあ。え、飲めよお春さん、遠慮するなよ、おめえ、いける口じゃねえのか。
春子 事務長さん、かんべんして下さいな。私あ、もう――
源次 だってお前、さっきまでさされた酒はいくらでもカプカプ飲んでたじゃねえか。この、ええと、金吾さんとかが現われた途端に飲めねえというのはどうしたんだよ。今更そんな様子ぶったってしょうがねえぜ。さあ、飲めよ!(近寄って行き、茶碗を持たせて、ゴボゴボと酒をつぐ)さ、飲んでくんなよ、さあ!(春子の茶碗に手を持ちそえて、無理じいに飲ませる)
春子 あ! アプッ、アプッ!
助三 事務長、まあいいじゃねえか。高い酒をそう無理に飲ませなくたって――どれどれ俺が助けてやるか。
源次 (助三の出した手と、同時に横面をピシリパシッとなぐりとばして)何をしやがるんだ、俺がさした酒だ、すけてくれと誰が言ったい。さあ飲みなよ、お春さん!
春子 ええ、飲みますから――あの飲みます(泣くように言って、茶碗から飲む)
源次 ははははは。(須川と嘉六も笑う)
嘉六 (いきなり、胴間声をはり上げて、木曾節をうたいはじめる。手を叩きながら――後半は須川もそれに和す)
木曽のナ、なかのりさん、木曽の御嶽さんはナンジャラホイ、夏でも寒い、ヨイ、ヨイ、ヨイ。

(源次と古賀、一緒にはやす「アラ、ヨイヨイヨイのヨイヨイヨイ」)

須川 俺あ踊るぞ! おい、お春さん、いっしょに踊ろう。
古賀 ようよう! お春さんも踊れよ。
春子 もうかんべんして下さい、もう!
古賀 だって、この間も踊ったじゃないか。さあ、立てなきゃ、俺が腰をこうやって抱いてやらあ。
(春子の体にしなだれかかったらしい)
源次 あははは、一緒に踊れよお春さん。へっ、君も踊らねえか。なあおい、このお春っていう人には、親戚なんか誰もいやあしねえ事を俺あチャンと知っているんだぜ。もとの亭主の、その黒田とかなんとかいう男から頼まれて君あ来たんだろう。そうだろう?
金吾 いえ、ちがいやす!
嘉六 とにかく踊れ、踊れ。え?
助三 だって、もういいじゃねえか、お春さんこんなに酔っぱらっているんだから――
古賀 おい助三、お前、へんにこいつに同情するようなことばっかり言うな、どういうわけだい?
助三 だって、あんまり、むげえじゃねえか。
須川 おい、婆さんよ――木曽のナ――(春子の体を横だきにして、土間に足音をひびかせて踊りはじめる。踊りと言っても、ヨタヨタと板椅子にぶっつかったりしながら)
春子 かんべんして下さいよ。あの、かんべんして――(須川の手をふりもぎった拍子にヨロヨロッとして、源次の方へヨロケてくる)
源次 クソッ、このアマ! 気どるない!(つきとばす)
春子 あっあれ!(ドタドタドタと土間をよろけて行き、ヒィッと言って、ドシンとあお向けにひっくりかえる)
金吾 ……(さっきから、我慢に我慢をしていたのが遂に激発する)春子さまに対しておめえ何をするだ!(源次にとびかかって行く)この!
源次 なに、くるか貴様、ようし、ふざけやがって!(パシッとなぐる)
金吾 春子さまに対して、うむっ! この野郎!
源次 ようし! ちきしょうっ!(殴る、打つ、そして取ッ組み合い)おい古賀、須川、嘉六!

後は六人の男達が放っ[#「放っ」はママ]どなり声と、打つ、殴る、蹴るの乱闘の音。板椅子や、テーブルなどのベリベリとこわれる音。暫く続くが、こちらは四人で金吾は一人なので、そう長くは続かず、袋叩きにあった金吾は土間にノビてしまう。

源次 野郎、ざま見やがれ。
古賀 (パシッパシッと二つばかりまた殴って)フウ――。事務長、こいつ、どうしましょう?
源次 そうさな、ここにころがしといちゃ邪魔っけだ、みんなで引っ担いで、県道の角まで行って、おっぽり出してくるか。
須川 おっ、けい! こら!
嘉六 と、どっこいしょ! まさかケガはしめえなあ、ケガしてると後がうるせえからなあ。
源次 なあに、ただ気絶しているだけだい、早くしろ!
古賀 と、どっこい!(古賀と助三と、須川と嘉六が気絶している金吾の手と足を持って、ヤッショイ、ヤッショイ、ヤッショイと、ドタドタ、ゾロゾロと小屋を出て、小走りに瓦礫の上を立去って行く。マイクはそれについて行く)
春子 (背後から)金吾さーん、しっかりして、金吾さーん!
源次 んおめえはここに居るんだ!

(マイクはこの二人を引きはなして、金吾を抱えた四人が、瓦礫の上をトットットットットッと行く、それについて行く。ヤッショイ、ヤッショイ、ヤッショイ)

古賀 おい、ここらでよかんべい。
須川 よし、一、二の三と!(四人が金吾の体を県道上に投げ出した音、ドシン)
嘉六 ここなら、自動車が来てもひかれねえから大丈夫だい、はっは。
古賀 さあ、戻ろうぜ。(もと来た方へ歩き出す)
助三 大丈夫かなあ、今の――?
須川 大丈夫だよ。さあ、もう一杯飲もう。

(四人が石ころの上をまたもとの小屋へ戻って行く足音)

ケーブルの音が、カラカラカラカラカラ、ガラガラジャーとあざ笑うように響く。

そこへ町のおばさんと、十六七の娘が通りかかる草履と下駄の音。

娘 あら、ここに誰か、人が寝てるだ。
おばさん え? ふーん、もうこんなに暗くなってきたのに、どうしたんだかなあ? ああ、ここの飯場の工夫が、今日はたしか山祭りで、酒盛りをやるんだって言ってたから、酔いつぶれて寝てるだよ。
娘 のんきな人だなあ。
おばさん ははは、さあ早く行くべ。(二人は立去って行く)

そこへ、カタカタカタと下駄の音がして、人が近づく。

鶴 (離れた所から寝ている金吾を認めて、立止って薄暗がりをすかして見ている)
金吾 うーむ。うーむ。
鶴 あのう――どうかなすったんですか? もし!
金吾 うーむ。(唸る)
鶴 どうかなすって――(近寄ってきて)もしもし、あなた――
金吾 うーむ。春子さま! 春子さま! 俺あ――
鶴 え? ……あの、あなたは――(こごみこんで、金吾の肩に手をかけて)ああ! あなたは柳沢の、金吾さんじゃないんですか? どうなすったんです、金吾さん。こんなところで、あなたどうなすったんですか?(金吾の上半身を助けおこす)わかりますか? あたし、鶴やですよ、わかりますか。あたし、黒田様のところにずっとせんお世話になっていて、信州にも二三度行きました。ばあやの鶴やですよ。
金吾 うーむ、あつつ、つ!(と唸ってやっと少し我に返った様子。ギクンとして)ああ、鶴やさん。

響きわたるケーブルの音。


 お豊
 轟(中年)
 壮六
 お仙
 林
 お妻
 喜助
 村人(三人ばかり、中の一人は若い女)
 闇の中の声(男四人ばかり)

音楽
お豊 (語り。中年過ぎの)そいで、金吾さんは、セメント山で酔っぱらった工夫たちに、さんざん叩きなぐられて気絶していたところを、春子さんの内で以前ばあやさんをやっていた鶴やさんに助けられ、そのあくる日またその飯場に行ったそうでやすけどね、もうどうしても春子さんに会わしてくれないんですと。で、それから横浜の敦子さまの方へ廻って、又、秩父の方へ行ってみると、春子さんはもうそこにはいなかったそうで。ウソかホントか、事務所の人の言うのには、前から春子さんに同情していた工夫の人と二人で駈け落ちをしたんだと言いやす。ガックリして金吾さん信州へもどって来てね。急に十も年をとったように、いっとき寝こんでしまった、……「お豊さん、敦子さまがこれまでなんどもおっしゃった通り、春子さんは、つまらねえ女だ。俺あ今度こそそれが骨身にこたえてわかった。だのに、俺あ、その春子さんを、心からうっちゃることが出来ねえ」……そう言って金吾さん――しみじみ溜息をつきましたよ。あれは昭和六七年ごろだったかなあ、――その時分、満洲事変が起きて、それからその次の年には上海事変が起きる。そいから、たしか五・一五事件たらいうこともその年に起きて、そんで満洲国がでける。国際連盟を脱退するの、二・二六事件というのもありやしたね……そいから蘆溝橋で戦争が始まって、日支事変が焼けひろがる。へえ、わしらには何のことやらわからねえ、どえらいことがバタバタとつづいて起きて、今から思うと何のことはねえ、太平洋戦争がおっぱじるまで、思い出してみると一息だったような気がしやすよ。その間、ここら山ん中でもいろんなことが大分変ってね、息子や親父を出征さしたり戦死さしたりした家も多かったが、一番大きなことは食糧増産々々々々で、あっちでもこっちでも、えらく開墾の仕事がはじまった。それについて落窪の実行組合で、落窪はずれの山を共同耕作で開墾しようという話になったのを、金吾さんがうんと言わねえので、話がえらくもめやした。というのが、その山の真ン中へんに、黒田さんの別荘があってね、金吾さんにしてみれば、それを取りつぶされるのは、つらい。金吾さんは、ふだんはおとなしいが、一たんこうと思うとなかなかきかねえしね。実行組合では、村の旦那衆がガアガア言うし、川合の壮六さんは言うまでもねえ、郵便局の林さんなぞが間に入ってくれたり、しまいに海尻の大地主さんで轟さん、この人は県会議員にもなった人で、このへんの、まあ、一番えらいしだったが、そういう人の所まで話が行ってね、そりゃゴタゴタしやした。……

轟 (中年の男)いやあ川合君――だったね、あんたの言うことも一応はわかるが、ご存じの通り、満洲国は出来上った。支那事変はああしてグングン奥地にまでひろがってしまう。こういう際に地方に住んでいるわしらとしては、国民の主食を確保するということに全力をあげなきゃならない。そういう際にだね、山林を開拓して、主食を生産しようとする下からの民意をだな、おさえるということはできないな。
壮六 いえ、それが轟さん、何度も言葉を返すようで失礼でございますが、その柳沢金吾という男は、別に食糧の増産に反対してるわけじゃねえんでがして、あすこの林を切り払ってしまうと、あの下の段の落窪の水田の水の調子がすっかり狂ってしまって収穫が半分以下になりやしないかと心配していやすんで。
轟 しかしねえ、今君の言ってる、あの落窪の山林の下の七八町歩の水田というのは、あらかた私の家の田地でな。いや、私にはあの上の山林を切り払うと水の加減がどうなるか、というような細かいことはわからないがね、何れにしろ、それがよくても悪くても、自分の田地なために、これ以上立ち入ったことをいうのは工合が悪い。
壮六 いえ、それは私も存じておりやすが、金吾の言いますのは、あの水田が誰の持物であろうと、上の林を切れば荒れるにきまっとる。それを知っていながら、みすみす僅かなソバ畑なぞを作るために、山を開墾したりは出来ないと、こう言いやすんで。
轟 しかし、この間、落窪の実行組合の人がやって来て、ちょっと言ってたが、その柳沢君というのには、あすこの山林を開拓させたくないというわけが、他にもあるんだそうじゃないか? ――なんでもその自分が管理をしてる別荘とかに手をつけさせたくないとかいった――
壮六 いえ、轟さん、そりゃあなたさま、そんな……いえ、そりゃそういうわけもあるかも知れませんが、金吾という男は、そういう自分だけの理由のためにですなあ、国家が命じている事柄に対して反対をぶつような男じゃねえんでがして――
轟 ははは、まあ、それなら実行組合の考えに従ってやるんだなあ。こういう時勢になってくると君、なんといっても、国民精神を総動員しなきゃやっていけない。今度部落の人達に逢ったら、私からもなるべく事を荒立てないように、そう言っとくがね。私なども県会で時々妙なことを言われる位で、理くつが通っているいないに関係なく、自分の意見をあまり強く押し出していると、下手をすると国賊だなんと言われるからね、ははは。

音楽(信州の夏のテーマ)

川合壮六が海尻の町を急いで歩いて行く、その靴の音。犬がちょっと吠え、小さい子が、ワアーイと言って飛び出してきたり、少し大きな男の子が「勝ってくるぞと勇ましく……」とうたう声など。壮六歩いて行く。遠くの方から、ドン、ドン、ドンと急調の太鼓の音。それに合せて、かすかに歌の声が聞えてくる。(流行歌)

壮六 (歩きながら、家の前に立って、向うを眺めているお豊を認めて)やあ、お豊さん、こんちは。
お豊 (ふり返って)ああ壮六さん、いつこっちへ上ってきやした?
壮六 いや、今朝やって来やしてね……(遠くを見て)何の騒ぎかな?
お豊 出征する人が、今駅をたったんでね、この町からも森の市造さんだとか、落窪からも一人出たんだと。
壮六 そうかねえ。いよいよどうも戦争もだんだんひろがってきたようだなし。
お豊 まあ、おかけなして。(家の中へ)お仙よ! お仙、壮六のおじさん見えただから、お茶を出すだよ。
お仙 (十八九の娘)あい。
壮六 いやいや、今日はおら急ぐんで、そうしちゃおれねえ。
お仙 壮六のおじさん、おいでなんし。
壮六 やあお仙ちゃん、すっかりきれいになっただなあ。
お仙 いやだ、おじさんたら! ふふふ、(奥へ引込む)
お豊 あの調子でね、なりばかり大きくなっても。
壮六 はは、ところで、喜助頭梁は、今日は?
お豊 ああ、あの人は今日は仕事の話で落窪まで行ってね、そいで、ついでに金吾さんとこに寄るつうんで、例のもめてるつう開墾の話で、喜助はいきり[#「いきり」は底本では「いきなり」]立ってね、今日は落窪の実行組合の顔役衆のところへ談じこむんだと言って出かけやしてね。
壮六 そうかよ。実は俺もやっぱしその用事でな、今日はそこの轟さんの所へ寄って、今迄お願いしてみたども、あの衆もいろいろわけがあって、これ以上調停役に乗り出す気はねえちってな。そいでまあ、俺あこれから海尻の郵便局の林さんとこへ寄って話をして、それから落窪の実行組合の人たちに逢えれば逢って話をした上で、今夜金吾の所さ行って、泊りこんでようく話をつけべえとこう思ってな。
お豊 そうかね。おめえさんが行ってくれりゃ安心だ。
お仙 (上り端に茶を出して)壮六のおじさん、お茶でやんす。
壮六 あい、ありがとうよ。(茶碗をとって、立ったまますする)
お豊 家の喜助がまた酒でも飲んだとなると、どんな乱暴なことしでかすかわからねえ人だから――
壮六 なあに、あんで性根をとっぱずすような頭梁じゃねえ。そんじゃ俺ら急ぐからな――(と飲みおえた茶碗を上り端において)お仙ちゃんよ、今にこのおじさんが、いいおむこさん探してやっからな、磨きあげて待ってろよ、ははは。
お仙 壮六おじさんの馬鹿!
お豊 みろ壮六さん、馬鹿なんてお嫁さんがあるかよ、ははは。
壮六 そいじゃな。
お豊 あい、よろしく頼んます。

(お豊のせりふにダブって、出征兵士を送る太鼓の音が次第に近づき、遠くで「ばんざーい」という人々の声がして、やがてそれらの音が次第に遠ざかる)

(街道をトットットットッと歩いて行く壮六の靴の音。やがて川波のひびき、壮六の速度は早いので、前に歩いて行ってる人の下駄の音がだんだん近づいて来て)

壮六 おお、そこに行くのは海の口の林さんじゃねえでがすか?(追いつく)
林 (ふり返って、見迎えて)やあ、これは川合君、珍らしいなあ。
壮六 今日は郵便局は休みでやすか?
林 いやあ、そうじゃねえが、落窪の鈴木の伜が入隊でな、駅まで送りに来た。
壮六 そらあ、ご苦労さまで。鈴木さんというと、実行組合の組合長でやしたね?
林 うん、そうだ。ありゃ俺の遠い親戚にあたっててね、ふだんおだやかな男だがな、この間、それ、満洲国へ村中入植した、あの大河内村の連中と逢いに行ったりしてな、それ以来、ここらの高原農業も満洲なみにやらねえじゃならんとか言いだしてね、そこへ二番目の伜に赤紙が来てな、すっかりどうもカーッとなっちまって。実は例の柳沢金吾君の問題なんぞも、どうもだんだん折合いがつけにくくなって、わしも間に入って困っているんだ。
壮六 実はそのことでやす林さん。わしは轟さんに今逢ってきやして、いや轟さんも、実はこれ以上間に入るわけにもいかねえてなことで、それに、落窪の水田が大方轟さんの持田であるために、あの方の立場もなかなか複雑なようでやしてね。金吾という奴が、ご存じの悪気はねえ奴でがすけど、何しろ一徹でがして。とにかく、こんなことでやっさもっさやってると、今にどんなことが起きるかわかりやせん。この御時世にそれじゃ申し訳がねえので、金吾には俺から、よくそう言って、ちっとは折合いをつけさせようと、そう思いやしてね。実は金吾があすこの山を開拓するについて反対してると言うのが、あの別荘から山林、名儀は金吾のものにずっとなっていやすけどね、本人はやっぱし黒田様から預っている料見でいやすんで。
林 なんせ実行組合の方では、今日明日にでも組合の決議をして、明日が日からでも開墾の鍬入れをしようと息まいているだから、下手をすると力づくの争いが起きかねない。どうもこんなことになるというのが、金吾君が、せっせと百姓をして、ああやって人の手をつけねえ奥地で立派な水田持ちになったのを、黒田さんとの関係が出来たからだと、みんな見るだなあ。羨しがって、焼もち半分に、憎んでいた。そこへこうやって供出々々ということになって、金吾君は黙ってドシドシ割当以上の供出をやるしな。左様さ、どうで金吾君の供出も、落窪の供出全体の率になることだから喜んで居りゃええのに、あふられちゃってハタが迷惑だと思う。どうも人間というものは一筋繩で行かねえものだ。そこへさ、ははは……(淋しく笑って)黒田さんの別荘の、あの春子つう人を金吾君が好きになってるのばなんか怪しからんことのように見るだなあ。黒田の別荘を開墾したくねえという金吾君の気持を、それに引っかけて、取るだ。こいでみんな男と女で、自分達だって折があれば、ひっついたの、惚れたのはれたので、いい加減やらかす癖に、他人のそういう事は、イヤらしく見えるもんだ。そんなことが話がもつれる原因として小さくねえさ、ははははははは。

喜助 (海の口の町はずれの居酒星「杉や」の店の前の縁台で五合ますからジカに酒をあふりながら、荒れている)なあおい、杉やのお妻さんのおかみさん。そいつはみんな焼餅だべ、そうじゃねえか、世の中の人間には、男と女と二色しか居ねえや。男が女に惚れたり、女が男に惚れたりすることは当り前で、それがなくっちゃ人間の種が絶えべえ。馬鹿にしくさって、金吾が黒田の春子さんにおっ惚れたのが、何がいけねえんだ!
お妻 (中年のおかみさん)まあまあ喜助さんよ、内の店先でいきまいてみたってどうならず? まあきげんよく飲んでくんなんし。
喜助 山を開墾しようと言う話に、そういう焼餅根性を持ち込んで、一人の人間が正しいことを言ってるのば、みんなで押しふせようとするのは、なんだ? 果ては、金吾にだけは肥料の配給をよせだなんて言いはじめる。これがヒガゴトでなくて、世の中にヒガゴトが有るか? そいで俺あ実行組合に談じこんでやろうと思って出かけて来ただ。したら、組合のえらがたは、みんな留守だと言やあがって、ようやっと、一人だけ畑に出てるとこを掴まえていくら話しても俺にゃよくわからねえちって逃げを打たあ。あんまりシャクにさわるんで、そいつをひっぱたいて俺あ引上げて来たとこだ。ちしょうめ、ムシャクシャしてならねえんだ!
お妻[#「お妻」は底本では「壮六」] だけんど、そんな事で落窪の衆をなぐったりなすったりしていると、又、やれ、仕返しだなんて、ますます事がこんぐらかりやしないかねえ。近頃じゃ、なんかと言うと直ぐに国策だ国策だで、ちょっと何かすると駐在まで乗り出して、人の事を国賊だと言ったり、村八分にするだなんとおどかしたり、うるさい世の中になってきたからなあ?
喜助 人間が正しい事をしてるのに、何の怖え事があらす? 国策だとでも国賊だとでも何とでも言いな! ただなあ、百姓に肥料の配給をとめるつうのは、大工からノコギリを取り上げるのと同じで、捨ておけねえぞ。な! そういう事をやってええのかお妻さん、返答しろ!
お妻 そんな事、わしに言ったとて、困りやすよ。

外の道を一二の村人が通る。「お晩でやす」「お疲れさんで……」などの声。

壮六 (靴音をさせて近づいて来て)おお、喜助棟梁、こんな所でどうしたんだ。
喜助 ああ壮六かよ。なあに、金吾のことでな、今落窪の実行組合の世話役を一人ひっぱたいて来たとこだ。あんまり話がわからねえんで。
壮六 ひっぱたいた? そんなムチャな――いや、後で話さあ。こいからお前どうする? 俺あこれから金吾んちへ行くが?
喜助[#「喜助」は底本では「善助」] じゃ俺も一緒に行くか。金吾んちで一杯のみなおしだ。ちしょうめ!
壮六 ……(金を出してそこに置いて)おかみさん、おやかましう。代はここに。さ、棟梁! 大丈夫かよ?
喜助[#「喜助」は底本では「善助」] なあに!
お妻 そりゃどうも。だいぶ呑んでるで気をつけてな。

「お晩でやんす!」と言って通り過ぎて行く少女。

音楽(信州のテーマ、静かな)

遠くでフクロウの鳴声。

いろりばたで、めしを食い終えた茶碗や箸の音がして。

金吾 壮六、もう汁はいいかい? まだあるぞ。
壮六 いや、俺あもうたくさんだ。喜助棟梁が目えさましたら食わしてやれ。……見ろま、棟梁すっかり酔いつぶれて寝こけてら。腹あ立ってるもんで酒がよく廻るだ。
金吾 喜助さんと言い――(大鉄びんから茶をつぎながら)お前と言い、俺の事じゃいつも心配かけてすまねえなあ。
壮六 なあに心配はいいが、どうだ、ここらで何とか話をまとめねえと、どうにもおいねえがなあ。お前も言うだけの事は言っただから、どうだ、黒田の別荘だけは手をつけねえという事にして、あとは勝手に開墾させるという――言って見れば妥協だが、今の御時世なんつもんは、一切合切軍部軍部で、ここらの実行組合の世話役なんず、言って見れば軍部だかんな、長い物にゃ巻かれろだ。
金吾 うむ。だけんど、そうするとしても別荘にゃ、ふだんは誰も住んでねえしな、ああしておくのは食糧増産の国策に反すると言ってるだから、あすこを残して開墾してくれと言っても組合でウンとは言うめえ。
壮六 そりゃ話のつけようだ。俺がちゃんと話をつけて見べえ。
金吾 俺あ駄目だと思う。そんで万一あすこが取りつぶされちゃったら、今後又春子さまがこちらに見えた時、どこに置いときゃええだ?
壮六 そうなったら問題ねえ、このお前んちに置きゃええよ。
金吾 そ、そんなお前、そんな事あ出来ねえ!
壮六 はは、お前という男も、なんとまあ、ふふ……

その時、不意に、この家のハメ板や窓に向って周囲の林から小石がふって来てカタッ、カタッ、バラ、バラガタンと激しい音。

金吾 おっ!
壮六 なんだ?(再び石が飛んで来て戸板に当る)……どうしたつうんだ?(立って土間におりる。戸をガラリと開け)何をさらすだっ!(庭端にとびだして闇に向って叫ぶ)おーい、村の衆、つまらねえ事あ、よしてくれえ! 話をつけには明日にでも俺が行くだから、そんな事あ、よせいっ!
闇の中の声 ……(いっときシーン、としていてから)ヘッヘヘヘ、柳沢金吾の助平ぢぢい! 色きちげえめ……
闇の中のもう一つの声 大工の喜助を出せえっ! 今日はよくも村のもんをなぐつたなあ! 仕返しをしてやるから、喜助を出せえっ!
金吾 ……そんな、そりゃ、皆の衆!(と思わず庭場へとび出して、林へ向って叫ぶ)俺が、おめえたちに、どんな悪い事をしただ? 話があれば聞くだから、そんな……この開墾の事だって、ここを切り開いてしまえば、水の筋が変ってしまって、この下の水田は駄目になるぞっ! 黒田様の土地が欲しけりゃ、俺あ村へ寄附してもええだ。なんで俺が国賊だ?
闇の中の声 へっへへ、色きちげえめっ!(バラバラと石がふってくる)
金吾 あっ、っ!(石の一つが額口にあたった)
壮六 あ、いけねえ! 切れたな? 金吾、お前ひっこめ、よ(闇へ)おーい、金吾はお前たちの石で頭あ割られたぞっ! つまらねえ事あ、よせっ! さ、金吾、内ん中へ、へえるんだっ!(金吾を引っぱる)
金吾 (引きずられながら叫ぶ)俺が、どんな悪い事ばしただ? 村の衆、聞かしてくれろ! 俺がどんな事したれば、こんな目に会うんだあ!

暗い林の中でケラケラと笑い声。

烈しい音楽。


 壮六
 金太郎
 金吾
 敦子
 お仙
 春子

音楽

壮六 (語り、老年の)そうでやす、共同耕作問題ではひどいゴタゴタがあったが、結局は、黒田の別荘だけを残して開墾してもらいたいということを金吾の方から折れて出て、開墾がはじまったが、あの頃のそういう事というものは大概そうだったが、はじめ四五町開いただけで、あとはウヤムヤに放りっぱなしになってしまった。
黒田の春子さんはその後も東京辺であちこちしていろんな目に逢いなすったそうで、お嬢さんの敏子さまは横浜の敦子さま御夫婦のお世話で芸者にはならずにすんだようで、その間もたまあに春子さんは金吾のところに見えたようで、一番しめえに見えたのは、そうだ忘れもしねえ、太平洋戦争が始まった年だったから昭和の十六年だ。なんでも東京でひどい病気になられたそうで、その後の養生をこっちでさせてえつうので敦子さまと敏子さまが連れて来さしってね、その春の末から秋まで別荘で寝たり起きたりしていなすった。その間、金吾は例の通り、ちゃんとめんどう見てやってね、一生一度、半年近く春子さまとシンミリ暮したわけだ。
はは……(と寂しく笑って)といっても、金吾もその時は白髪の方が多いジジイになったし、春子さんも、もういい年で、すっかりやつれてしまいなすってね、それに、病気がひどい熱病だったそうで、それ以来、どういう加減か、頭がすっかりぼけてしまって、どうにかすると十二三の子供みたいになっちまった。それまでの苦労があんまりひどかったせいもありやしょう。何を見てもすぐにおびえる風でね、ただもうお豊さんの娘のお仙ちゃんや、その弟で金吾の後取りの金太郎、これはもう十四五になって金吾の内へ来たっきりになっていたが、この金太郎やお仙ちゃんを相手にして、まるで小さい子のように遊んでばかりいなすってね、それに東京からこっちへ来る時に拾って来たという犬をえらく可愛がっていやしたっけ。そういう、罪が無いと言えば罪の無い、まあ気の毒なようなお人になってしまってね、金吾は、まあそれのお守りみてえな事だったなあ……。

遠くまた近く、夏の終りのすがれた山鳩の声がひびく。

金太郎 (よくとおる少年の声で、働きながら歌う「農民道場の歌」)……見よひんがしの朝ぼらけ……
金吾 よいしょ!(とこの二人は林のはずれの、狭い稲田に刈り倒して並べてある稲の束を、金吾はまとめて束る、金太郎はそれを二つに割ってサヤに干している。その稲の束を扱うサヤサヤ、サヤサヤという音が継続する)
金太 やれ、どっこいしょ! やれ、どっこいしょ! へえ、もうあとちっとでおしめえだ。
金吾 ははは、そうよ、なんぜ田圃が小せえからの。金太よ、もう少しそうっと割って掛けねえと、米粒がおっこちるぞ。
金太 あい。こうかや?
金吾 そんだ、そんだ。金太もだいぶ上手になった。こうやって稲を刈ってな、サヤにかけて干すのは、ただ乾かすだけじゃねえんだぞ。こんで、根は刈りとっちまったが、まだ幹には養分があってな、それをさかさにしてこうやってかけておくと、まだこれからだって稲の粒は大きくなるだ。
金太 あのな、お父ちゃん……開拓農場の方じゃ、トラクターをまた一台入れたよ。この間なんぞ、駅前の雑木林をひっくりかえしてたらトラクターがデングリ返ってな、そこら中はねくり廻ってあばれたよ、あははは。
金吾 あははは、まあまあ怪我人がでねえようにするこった。
金太 春子おばさんが、あのトラクターの音ば、えらく恐がってね。この間も、遠くの方であれがしはじめたら、俺と二人で蝶々つかまえてたのが、いきなり駈け出して逃げたっけ。
金吾 そうか。病気のせいで頭あ馬鹿になっちゃってるんだから……
金太 うん、まるで、へえ、ちっちゃい子みてえだ。今、なにしてるかなあ。
金吾 ははは、きんにょから、東京から敦子さまがみえて下すってるし、そこへ今朝っから海尻からお仙ちゃんが遊びにきてくれるし、ご機嫌だらず。俺だちも、ここ終えたら今日は早く引上げて別荘の方へ行くべ。
金太 敦子さんのおばさんもいい人だなあ。きんにょ、別荘についたらな、罐詰だとか、そいからお菓子なんずを、俺と春子おばさんに次から次とあけてくれてな、そしたら春子おばさんが出されるものを、はじから食べちまって、しまいに食べこぼしたら、敦子おばさんがとても叱ったぞ。したらな春子おばさんがメソメソ泣き出して詫まるんだ。したら、敦子おばさんがかんべんしてやったら、春子おばさん、すぐにニコニコして、とても甘ったれてな。おばさん達は、あれは親戚かい?
金吾 (何か胸を打たれて、ちょっと黙って)……ううん、親戚だねえが、小せえ時からの仲よしでな、ははは。ちょうど海尻の金太のおっかあやお父うと[#「お父うと」は底本では「の父うと」]俺の仲のようなもんだ。

遠くで山鳩の声。それにまじって、林の奥から、はしゃいで駈け廻りながらこちらへ近づく犬の吠声。

金太 ああ、ジョンが来たよ。どうしたんかな?
金吾 うむ……
金太 ああ、敦子さんのおばさんがこっちへやって来た。
敦子 (林の小道をこちらへ近づいて来ながら)ああ、ここにいたのね。金太郎さんも加勢?
金吾 こりゃ敦子さま、ここを終えたら俺たちも別荘の方へ行ってみずと思っていやしたが……
敦子 (笑いながら)いえ、別荘の方はお仙ちゃんがお寿司なんぞ持って来てくれたもんですから、春子さん嬉しがって、大騒ぎでね。そいで、みんなで山へ登るんだ、山へ登るんだと言ってきかないもんだから、こうやって引っぱり出されて来たの。したら、途中にきれいな花が咲いていると言って、お仙ちゃんと二人で夢中になっちゃって。でも金吾さん、昨日からこっち、しみじみお礼も申しませんけど、おかげさまで春さん、見違える程元気になったわね。当人があの調子だから、世話がやけたでしょうね。
金吾 ははは、なあに、俺の言うことはハイハイちってなんでもよくきいて下さるんじゃから。
敦子 でもホントによかった。敏ちゃんが知ったら、どんなに喜ぶだろう。
金吾 敏子さまは、その後お元気でやすかねえ?
敦子 あの子も連れてくりゃよかったわね。あんたの事を懐かしがってね、どうしても一緒に行きたいと言ってたけど、暫く前から内で、銀座の裏に支店みたいなものを出してね。私の甥の杉夫という子にそこをやらせることになっていましてね、その下で敏ちゃん、会計や帳簿を預かってやってるの。近頃世の中がこの調子でゴタゴタと、絹物の変動が激しいもんだから、一日も手を離せないもんですからね。だけど、暫くぶりでここへ来てみると、ここらはいいわねえ。静かというのか、耳の奥が何かしらキューンと鳴るような気がする。東京や横浜の近頃なんて騒々しくてね、戦争はだんだん拡がる一方だし、食べるものや飲むものは不自由になって来たし、ガアガア、ガアガアと、まるで気違い病院ね。久しぶりにこうして、ここにしゃがんでいると、なんか狐が落ちたような気がしますよ。
金吾 そうでしょうねえ。
敦子 金太郎ちゃんも、もうすっかり一人前のお百姓だわねえ。偉いわね。
金太 ふふふふ。(嬉しそうに笑う)
金吾 なあに、ナリばかり大きくても、へえ、お仙ちゃんがやって来ると、忽ち姉弟喧嘩をはじめるだから。(金太郎笑っている)
敦子 ああ、思い出した。この稲田は、あのそれ金吾さん、ずうっと以前、私達がはじめてここに来た時分、あんたが水田にするんだと言って、水を入れてかきまわしていたあの田圃じゃなくって?
金吾 そうでやす、あん時あ、黒田先生にも随分お手数をかけやして、でもまあやっとこうして、僅かばかりでもお米がとれるようになりやしてね。
敦子 そう、考えてみるとほんの二三年前のような気がするけど、あれから三十年の上もたっちゃってるのね。忘れないわ、たしかあなたがここを掻いている時に、春さんや私や、そいから敏行さんや、そうそう、あれはイトコの香川も一緒でしたっけ。八ツ岳へ登るんだと言ってここを通りかかってさ。案内に無理やりあなたを引っぱって行ったことがあったっけ。歌をうたったね、そうそう――札幌農大のうた――(ウロ覚えの歌の節で)
都ぞ、弥生のくも紫に――
金吾 (後をつけてうたう)都ぞ弥生の雲紫に――覚えていやす、ははは。
敦子 尽きせぬ香りに濃き紅や――(歌ってる内に涙声になって、うたえなくなってしまう)ばかねえ、若い時というものは。あの人もこの人も、人の心も知らないで――私もこうしておばあちゃんで、金吾さんもおじいさんになった。
金吾 まったくだなあ、ははは。(寂しく笑う)
お仙の声 (林の奥から若々しい)おーい、敦子おばさあん!
春子 (その尻に乗って、子供のようにはしゃいだ声)おーい、敦子さまあ!(二人はこっちへ走って来るらしい)
敦子 (ふり返って)そらそら、春子さんの極楽トンボがとんでくる。あの人だけが若い時分とおんなじよ。
金太 おーい!
お仙 (ハアハアいって近づいてきて)敦子さんのおばさん、こら、こんなダズマ!(犬のジョンがワンワンと駈け廻って吠える)
春子 こら、ジョンや、そんなにじゃれついてはいけませんこれジョン! 敦子さん、これごらんなさい、私のダズマの方がお仙ちゃんよりずっと多いわ、ね、金吾さんほら!
お仙 春子おばさんたら、私が見つけると飛びかかってきて先にとっちまうんだもの、ははは。
敦子 まあそう、キレイだわねえ、何とこの色!
春子 これ敦さんにあげる、そいから半分金吾さんにあげる、金太ちゃんにはこの飴玉あげる。
敦子 あら、春子さん、どこに隠してもっていたの!
春子 ははは、狡いでしょう私。
お仙 金太、もう、ここのかり干しすんだかや?
金太 うん(いいながら、春子から貰った飴玉を口に放りこんで、ガリガリ噛る)
金吾 さあて、これでよしと。
春子 あのね金吾さん、これから私達みんなで山へ登るの、ご一緒に連れて行ってくれない?
金吾 山でやすか。
敦子 あら、まだ覚えているわ。(春子に)でもねえ春さん、山はよしたらどう? もう今日は遅いんだし――
春子 あら、どうして? そんなこと言わないで連れてってよ、ねえ金吾さん。
敦子 それよりも春さん、ずうっと昔、これとおんなじようなことがあったのを覚えてる? みんなで八つ岳に登るんだと言って、ここで金吾さんにネダって、案内してもらったこと?
春子 そうお? そんなことあったかしら……(頼りなさそうに言う)
敦子 春さんはなんでもかでも忘れて[#「忘れて」は底本では「忘れれて」]しまうのね。
春子 ごめんなさいね、敦さん。私、頭が悪いでしょ、思い出せないの。
敦子 (相手が泣きそうな声を出すので慌てて)いいの、春さん、いいのよ、何て顔をなさるの。いいのよ。
春子 ごめんなさいね、私がこんなだから……
敦子 そいじゃ金吾さん、どうせ山なんて登れはしないけど、そこらの谷の登り口辺へでも連れて行って下さらない?
金吾 じゃ行きやすか、金太郎お前も来るかや?
金太 うん、行くべ。
春子 (忽ち嬉しがって)どうも、ありがとう。さあ、お仙ちゃん、行きましょう。金太ちゃんが一番先に立って。ジョン、おいで!(もう既に駈けぬけた犬が向うで吠える)
敦子 あらら、げんきだわね。(歩き出す)
金吾 ははは。金太よう、そう駈け出すでねえ。(呼びながら、歩き出している)

ザアーャ[#「ザアーャ」はママ]と風の音。
遠くで山鳩の声。
風に乗って急に谷川の音が激しくなる。

金太 (先に立って、草に蔽われた小道を元気よく登って行きながら、うたう)見よひんがしの朝ぼらけ……
お仙 金太よ、急ぐでねえよ。そんなに早く歩けねえだねえか。
金太 姉ちゃんなんか、町ばのもんな駄目だなあ。これ位のとこ、そんなに歩けねえのかよ。
お仙 金太なんず、野辺山の人間になったら、まるで、へえ、山猿だ。
金太 俺が、山猿なら、姉ちゃんなず、芋虫だ。なあ敦子おばさん。
敦子 (ハアハア言いながら、登ってきたのが)ほっほ、山猿に芋虫? お仙ちゃんが芋虫なら、私なぞ石ころね。これっぱっち登っても息が切れて、おばあちゃんはもう駄目、ここらで休んでいかない?(言いながら草の中に腰を下してしまう)
金太 へえ、こんなところで休んでたりしてたら、山へなんか行かれるもんかよ。ここはホンのまだ、新しい県道のすぐ上だぞ。
お仙 へえ、そうかよ? 新しい県道はこんなところへ出てるのか?
金太 姉ちゃんなまだ知らねいかよ。ほれ見ろ、すぐ下が県道だが。
お仙 あれまあ、ほんまだ。
金太 春子おばさまとお父ちゃんはどうしたずら? 呼びに行ってこうか?
敦子 ああ、金吾さんと春さんは、さっきの曲り角を右に行ったんじゃないかしら。ほっときなさいよ。どうせそんな遠くへは行けやしないわ。
金太 だってあれを右に[#「右に」は底本では「石に」]行くと、川の上のえらい崖っぷちに出るぞ。
敦子 なに、金吾さんがついているから大丈夫。ああ、いい風――金太ちゃん、さっきうたっていた歌は、あれは何のうた?
金太 うん? ああ、あれは農民場道の衆たちがうたう歌だ。
敦子 そうお、いい歌ね、元気のいい。おばさんも歌をひとつ教えてあげようか?
金太 うん、教えて。

激しい谷川の水の音。
その谷に臨んだ崖の上に、金吾と春子が出て来た足音。

春子 ああ、くたびれた。こんなに私の足は弱かったのかしら。ちょっと休んでいかない金吾さん。
金吾 春さん、こっちへ坐りなして。そこは危い、下はえらい崖だから。
春子 (ヒョイとふり返って叫声をあげる)あっ! まあえらい谷底になっているのね。落っこちたら粉微塵だわ。
金吾 はっは、だからこっちへ坐りなして。(春子のために草をないでやる)
春子 敦さんや金太ちゃんや、お仙ちゃんは何処へ行ったかしら?
金吾 どうも、道を真っつぐ行ったらしいで。なあに、どうでそう遠くは行かねえんでがしょう。
春子 そうお。ああ、やれやれ何という、いい風が吹きあげてくるのかしら。

その谷の風に乗って、遙かに敦子と金太郎とお仙のうたう「北大寮歌」の歌声が[#「「北大寮歌」の歌声が」は底本では「北「大寮歌の歌」声が」]流れてくる。歌詞をうたうのは敦子だけ。金太郎とお仙はメロディーをつけている。

金吾 ああ、敦子さま達がうたっていやす。
春子 いい声! 何の歌だろう?
金吾 札幌の大学の歌でやす。都ぞ、弥生の――(一節をうたってみる)
春子 ああ、思い出したわ。札幌農大の寮歌、そうだ。思い出したわ。そうそう、あれはいつ頃だろう、ねえ金吾さん。私が女学校を卒業した年の夏だったかしら。あのそれ、ここにみんなでやって来て、あなたに案内して貰って、八つ岳の途中まで登った。そう、あの時には敏行や香川の賢一さんもいらした。思い出したわ。
金吾 はは、そうでやす。あれからもう随分になりやすねえ。
春子 敏行……香川さん……敦子さま……どうしたんだろう、そうだ、いえ、あの――
金吾 なんでがす?
春子 (何のキッカケもなく不意に涙声になって)駄目ね、私って――違ってる。みんな違ってるの。そうだ[#「違ってる。みんな違ってるの。そうだ」は底本では「遅ってる。みうだ」]、あの時、ホントは私が一番好きだったのは金吾さんだったのよ。そうなのよ。だのにどうしたんだろう、私って、自分の行きたいところへはどうしても行けないんだわ、そうだ、私はあの時に、金吾さんのお嫁さんになってりゃよかった。(とりとめのない、子供らしい、しかし、それだけにひどく真卒にひびく)それが駄目だわ、私と、それからホントの私の間に何かはさまっている。年中それが邪魔するの。そしてそっちの方へ行けない。どうしても私は、私のホントにしたいようには出来ないのよ。死んでしまえば、こうではないかも知れないわね、何故かしら?
金吾 いやあ春さん、そんなことはもうお考えにならねえで。せっかくこうやって、体が丈夫におなりなしたんだから、もうなんでもいいから、もうのんびり構えて――いい歌だなあ!
春子 (涙声)ほんと! まるで沁み入るようだわ。

その間も継続していた「北大寮歌」が大きくなり急速に近づき、敦子達三人の所へマイクが戻る。器量一杯にうたっている三人。

敦子 (うたい終って)やれやれ。
金太 おばさん、いい声だなあ! 姉ちゃんよりはうまいや。
お仙 金太め、すぐそったらことを言う。おらよりおばさんの方が歌あうめえのは当りめえずら。
敦子 ははは、もうこんなおばあちゃんになっちゃ駄目。もとはね、歌は、春子おばさんがうまかった。
お仙 だけんど、春子おばさんや金吾おじさんは、なかなかやってこねえなあ。
金太 きっと、崖っぷちの方だぞ、呼ばって見べえか?

その金太郎のセリフの尻にかぶせて、下の県道の奥から、急速に近づいてくるトラクターの、ガラガラという、ちょうど機関銃を打ちまくるような激しい音。

敦子 あら、何なの?(ふり返る)
金太 ああ!(これもふり返って)県道をトラクターがやってくらあ、ほらほら!
敦子 ひどい音ねえ!
お仙 春子おばさん、恐がってるずら?
金太 なあに、崖の方なら聞こえやしねえや。

急速にすうっとマイクが飛んで、途中でトラクターの音が一たん消えて、それから風に乗って、また反響がついて激しくなったトラクターの音を伴なって、マイクは崖っぷちの春子と金吾のもとへ寄る。

春子[#「春子」は底本では「敏子」] あっ! 戦争がやってくる! 金吾さん、どうしよう戦争がやってくるわ!(飛び上って叫ぶ)
金吾 (これも立上って、春子を抱きとめながら)春さん大丈夫だ。あれはトラクターでね、そんな恐がらなくても大丈夫でやすから――
春子 金吾さん、恐い、逃げましょう、戦争がやってくる!(金吾の腕の中で、身をもがく)
金吾 大丈夫でがす、あれはトラクターだ。そんなに恐がらなくっても、ここでそんなに暴れると、崖から落ちるだから、ここへ落ちれば粉微塵になって死んでしまう。
春子 え?(死ぬといわれて、キョロンとして)死ぬ?(崖の下を覗いてみる)金吾さん、あのね、私もう死んだ方がいい。私死ぬ。恐いから、あんなに戦争がやってくるから――
金吾 死ぬ……そんな春さん、そんなことしちゃいけねえ、あんたが死んだりすると、それこそ敏子さまや敦子さまや、それから――
春子 敏子? ああ、敏子はね、敦子さんの甥の杉夫という子と結婚することになっているの。好き合ってね、だから敏子のことは安心なの、心配いらない。私はもう死んだ方がいいの、生きているとみんなに心配ばかりかけて――だから死ぬ、離してよ。
金吾 いやあ春さん、あんたが死ねば俺も――
春子 金吾さんも死ぬ? 一緒に死んでくれる
金吾 ……(春子の顔をジッと見つめている)死んでもようがす。
春子 うれしいわ!
金吾 だけんど、すると敦子さまや、敏子さまや、その杉夫つう人や、そいから俺んとこの金太郎だとか、お豊さん、壮六、喜助……みんな泣きやす。死んじゃならねえ。
春子 泣くの、みんな?
金吾 泣きやす。
春子 でも、ああして戦争がくるのよ……

(カタカタ、カタカタとトラクターが行く)

金吾 戦争が来たって何が来たって、死んじゃならねえ、みんなが泣くだから。
春子 だって、ほら!……

そうやって、崖の上に相抱いて震えながら耳をすまして立っている二人。

それに向って吹きあげてくる谷川のひびきと、再び風の加減でガラガラと迫ってくるトラクターのひびき。


 敦子
 金吾
 お仙
 金太郎
 春子
 敏子
 杉夫
 木戸
 男の声

音楽

敦子 (語り、中年過ぎの)はあ、その時のことは、春さんと金吾さんからずっと後になって聞いたんですの。私が県道の傍で金太郎ちゃんやお仙ちゃんなどと歌っている間に、その奥の崖の上で、金吾さんと春さんが、もうちょっとのところで、崖から飛び下りて死ぬところだったのです。つまり、年のいった金吾さんと春さんが、まあ、心中するところだったわけですねえ。
……まるで小さい子供のようになってしまった春さんの頭が、なんと思ったのでしょうか、急に若い時分から私がホントに好きだったのは、金吾さん、あなただった、と言ったそうです。そして、私という女は自分のホントに好きな人のところへは、生きてる間は行けない、だからここで一緒に死のうと言ったそうです。そいで金吾さんもフラフラッとその気になったそうですの。
そいでも二人が死ぬと、敏ちゃんや私や、そいからお豊さんや壮六さんが悲しがるから死んではいけない、と金吾さんがそう言うと、春さん一とき考えていたそうですけどね。そこへトラクターの音が、まるで機関銃のようにひびいてきて、そいで春さん、ホントに恐がって、戦争がくる、戦争がくると言って、また崖からとび下りようとしたそうですけどね、その音をきいてこらえている間に、谷底へとび下りるキッカケをなくして、死なないですんだそうでしてね。何のことはない、春さんがあんなに恐がっていたトラクターの音から心中するのを助けて貰ったようなものだ、と金吾さんは寂しそうに笑っていましたっけ。
人間生きているといろんなことがあるもんですね……まあ、そんな風にして私は落窪で二三日暮して、一人で横浜へ帰って来ましたが、そうです、あれから二月も経たない、その年の暮に真珠湾攻撃ということがあって、いよいよ大戦争が始まってしまいました。あちらもこちらも、上も下も、もう、てんやわんやと言いますか、息もつけないような有様の中で、すべてのことが変って行きました。でもまあ、あんなに戦争を恐がっている春さんのためには、野辺山にああして過ごしていられれば何よりだと思っていましたところへ、またヒョンなことで、こちらへ春さんが出てきてしまうことになったのです。
それは、敏子ちゃんをあんな風にして、新橋の置屋から私の手許に引きとって以来、私の主人の貿易の方の店の方に、会計その他の仕事をやらせて四五年たちましてね、それは綺麗な娘さんになりましたが、恰度私達夫婦に子供がありませんので、広島の方の私の親戚から杉夫という甥を引取って養子にしてありましてね。
その杉夫に私達の内を継がせるということで、恰度暫く前から出していた銀座裏の支店を杉夫に委せてやらしていまして、そこへ敏子ちゃんを会計係として置いてあったのですが、この杉夫と敏ちゃんが、想いあうようになりましてね、それが両方とも浮いた気持でないということがよく分ったものですから、近い将来に結婚させてあげようと思っていたんです。
春さんにも相談しましたら、春さんも大賛成で……そこへ大東亜戦争が始まる。で学生時代に肋膜をやったりしていたために、兵隊の方はなかった筈の杉夫に、急に召集令状が参りましてね、仕方がありません、一週間ばかりのうちに、広島の部隊に入隊するということになったんですが、さあ、そうなって困ったのは杉夫と敏ちゃんのことで、杉夫の方はこの際結婚のことは一応破談にして入隊すると言います。
しかし敏ちゃんの方は、この際、ぜひ結婚式をあげてくれと言って、泣いてたのむ始末で、両方で自分の考えを言い張って、どうしても話がまとまりませんの。
春さんに相談したくても、遠い信州で、それに頭があんな風になっておいでだし、横浜の敏行さんに相談したくても、これはもう、よりつきもしない有様で、そういってる間にも、広島の部隊に入隊しなければならない日は迫ってきます。
どうにも決めかねて、とにかくにもというので、野辺山の春さんの方へそう言ってやったのです。しますと……。

凍てついてゴツゴツした小道を、春子、お仙、金太郎、金吾の四人が、駅の方へ急いで行く足音。先頭にジョンが駈け廻りながらついてきながら、時々吠える。
ビューッと風の音。

金吾 そいじゃな、お仙ちゃん、お父うやおっかあによくそう言ってくれろ。春子おばさんがどうしても東京へ行くと言ってきかねえから、俺あ二三日ついて行ってくるからちってな。
お仙 でも、こんなに戦争恐がっとるおばさんが、どうしてそんな東京へ戻りてえずら? よしゃいいにな。
金吾 それがな、敦子さまから手紙が来て、ほら、お前も知ってる敏子さんがお嫁に行く筈になっていた杉夫つう人が、今度出征するそうでな、いや敦子さまの方では、別に上京して来いなんずとは言って来てねえが、春子おばさん、どうしても上京するつうてきかねえから。金太は海尻の内で待っててくれ。どうで帰りには、海尻の方で降りて、一緒にこっちへのぼって来べえ。
金太 どうしたんかなあ、おばさん、きんにょも俺が、東京へなんぞ行ったって、大戦争が始まったんだから、恐えことばかりだから行くな行くなって言うとね、しまいに泣くだよ。私は死んだって東京へ行って、敏子やそのお婿さんに逢うだと。
お仙 しょうがねえなあ。(先に行く春子に声をかける)おばさん、そんなに急いで行くと、ころびやすよ。
春子[#「春子」は底本では「敏子」] (ふり返りながら)お仙ちゃん、だって急がないと、汽車に乗り遅れるわ。
お仙 なあに大丈夫よ。野辺山なら下りの汽車が来る迄、上りの汽車は待ってるだから。
金太 お姉ちゃん、おばさんの手を引いてやれよ。
お仙 おい、(春子に近づいて、手を引いてやる。ジョンがずっと先で吠える)
金太 お父ちゃん、その荷物俺が持つべ。
金吾 なあに、荷物はいいから、そうさな、この金でな、お前先に行って東京――新宿までだ。新宿までの切符を二枚買っといてくれ。そいから、お前とお仙ちゃんの海尻迄の切符を二枚だ。
金太 あい。
金吾 そいからな、大がい今頃はトラクターは動かさねえが、どうにかすると駅の前あたりでやってることがあらあ。あれを見せると、おばさんまた恐がるからな、トラクター居るかいねえか、見てくれ。見たらな、引返して知らしてくれりゃ、わきの道から停車場に入るからな。
金太 あい!(元気よくかけ出して行く)
春子 あら金太さん、何処へ行くの?
金太 先に行って切符買っとくだ。(遠ざかり行く金太郎の声の後を追って、ジョンがワンワンと吠えながら)
春子 ジョン! ジョン!

(少し離れたところを列車がゴウーッ、シュッと通りすぎて行く音)

お仙 あっ、汽車がきた!
春子 あっ、恐い! 戦争がやってくる!
金吾 ほら、始まった。(傍へ行って片手を握って)春さん、戦争だねえ、汽車でがすよ、汽車だ。
春子 金吾さん、恐い!
お仙 だから、そんなに恐いんだから、東京へ行くのはよしにしたらええのに、なあ、おばさん。
春子 お仙ちゃん、そんなこと言わないで、私を東京へやって。敏子に私言わなければならないことがあるの。恐くなんかない、恐くなんかないから。
お仙 しょうねえなあ。

ビッューとすべての音を吹きとばして行く風の音。

駅で発車しかけた列車の機関の音。

金吾 (上りの列車に春子と共にのって、その窓から、下りの列車にのっている金太郎とお仙に向って)そいじゃお仙ちゃん、金太よ、俺あ行ってくるからな、海尻の父ちゃんやかあちゃんにはよろしく言ってな。
金太 あい!
お仙 そいじゃ行っておいでなし。春子おばさん、又すぐこっちい来るだよ!
春子 お仙ちゃん、金太ちゃん、あの――金吾さん、私恐い!
金吾 (その春子の肩をしっかりと抑えて)恐くなんかねえ、春さん、こらあ汽車だ。こら、ただの汽車だから、恐くなんかねえ!
(それらの声をかき消すように機関のエキゾーストと、バァーと鳴りひびく汽笛。
同時に、上りの列車が動きはじめる。それに向って、お仙と金太郎が「行っておいでなんし」、「おばさーん」と言ってるらしい声。)

進行する列車の、ガァッー、ガタ、ガタ、ガタ、というひびき。それが、おびやかすようにしばらく続く。

金吾 へえ、わしには何にもわからねえんでやして、春さんがどうしても東京へ行くだちって、仕方がねえんで、俺あ、へえ、ただこうして、お連れしてきただけでやす。へえ、途中も大変でした。飛行機の音だとか、変な音をきくと、戦争がくる、戦争がくるって、ガタガタ震えなさいやしてね、駅からここ迄来る間にしたって、何度もおびえてかけ出す始末でね。へえ、よっぽどくたびれなしたと見えて、敏子さまのお顔を一目見るなり、こうして寝こけちゃったような有様。俺あ、へえ、この人をここへ連れてくるだけの用事でやって来やしたんで、皆さんからそんなこと言われても、俺には、へえ、何と返答していいんだかわからねえんでやすよ。
敏子 (二十一、二の立派な女性になっている。一生懸命な調子で)金吾おじさん、おじさんから今更そんな、他人行儀なご挨拶をききたいとは私思わないんです。私はもうずっと以前から、金吾おじさんのことをホントのお父さんだと思っているんです。ことに、こうして母が頭を悪くしているんですから、私の一身上のことに関しては、金吾おじさんのおっしゃるとおりに、私しようと思うの。ホントにお願いですから、どうしたらいいか、はっきり言って下さい。杉夫さんは明日の朝早く、広島に立たなくちゃならないんです。だのに杉夫さんも敦子おばさんも、木戸のおじさんも、なんにも返事をして下さらない、ひどいわ、ひどい!
敦子 まあまあ敏ちゃん、あんたがそんなに一人でジレテも問題が問題で、誰にもハッキリ言えないのよ。だからまあこうして、もう時間もないし、しかたがないからみんなでこうやって一ツ部屋に集ってことを決めようとしてるんですからね。まあまあ……ごらんなさい。春さんはこうして、眠ってしまったし、ホントによっぽどくたびれたのね。まあ、一ときすれば眼が覚めるだろうから、そしたらやっぱし、春さんの意見がこの際一番大事だろうと思うの私は、それを一とき待っていましょう。
敏子 だってお母さんは、何をいい出すかわからないし、大体事柄がのみこめやしないと私思うの。
杉夫 (しっかりした語調で)だけど敏ちゃん、この問題については、僕と君との当時者の意見が一番大事だと思う。それがもうきまっているんだから、もう問題はないんだ。
敏子 だから杉夫さん、私は――
杉夫 だから僕は、こういう際に君と結婚することは問題にならんし、この際、今迄の君との婚約も一応取消したいと言ってるんだ。
敏子 すると私はどうなるんです?
杉夫 でも、出征するのは僕なんだから――
敏子 だって私はね、杉夫さん――
木戸 そうだ、出征するのが杉夫で、そして現在出征するというのが、どういうことを意味するか……とにかくその覚悟がなければなるまい、今となっては。まあまあ敏ちゃん、そこのところは、あんたも察してあげなくちゃならんと思う。わしらとしても、杉夫が、木戸家の養子になって、私達の後を継ぐ人間であるためにこれ以上のことは言えない。まあ、この際は一応結婚は取消すということにしておくのが一番よくはないかね。
金吾 しかし木戸さん、敏子さんがこれだけおっしゃっているというのはですね、よくよくの、この――
敦子 金吾さん。あなたのおっしゃろうとすることは私にはわかるけど、しかしね、今主人の言った、この際そういうわけにはいかないんで、いえ、これの親は――母親だけですけど、広島の田舎に居ましてね、まあ、こういうことについても、ホントから言えば相談しなきゃならないんでしょうけど、実は向うでも、まあ何から何まですっかり私達に任せてありましてね、こんだ入隊する前に母親とも逢って行くわけなんですけど……私達はこれ以上のことは言えない。
敏子 (その場の空気におされて、涙を流している)しかしおばさん、すると私はこのあと、どうして行けばいいんです? どうして生きていけばいいんですの?(畳に泣き伏す)
杉夫 (気持をおしこらえたまま)敏ちゃん、君がそう言ってくれる気持はありがたいと思う。しかし、その君の気持を僕は受けられないんだ。それをわかってくれ。今わからなければ、二年か三年たってから必ずわかってくれると思うんだ。
敦子 (傍を見て)あら、どうしたの春子さん? 眼が覚めた?(春子がムックリと起き直る気配)
春子[#「春子」は底本では「敏子」] うん。(子供のように頷く)
金吾 どうしやした、春さん?
春子[#「春子」は底本では「敏子」] (子供が読本でも読むように、非常に単純な言い方で、スラスラと殆ど一息に言う)……いいえ、私は眠っちゃいません。みんな聞いているの。私は敏子の母親です。敏ちゃん、私はね、頭が馬鹿だけど、私はあんたのお母さんよ、だから、私の言うとおりにしてね、あなたは杉夫さんと結婚しなくてはいけません。杉夫さんもなんでもいいから敏子と結婚しなくてはいけませんよ。
杉夫 だけど、僕はもうすぐ出征しなくちゃならない人間です。
春子[#「春子」は底本では「敏子」] 出征なさろうと、何をなさろうと、そんなことどうでもいいの。あなたは敏子をお好きでしょ? 戦争に行くのでなければ、結婚したいと思っているのでしょ?
杉夫 ええ、そりゃそうです。
春子[#「春子」は底本では「敏子」] それならば結婚して下さい。私は敏子の母親です。その、私が言うのです! すぐに結婚して下さい。
敦子 でもねえ春子さん、必ず死ぬということを考えないでは戦争には行けやしないのよ、杉夫がもしそうなったら、敏ちゃんは後に残ってどうするんですか。結婚式を挙げたばかりで敏ちゃんの方は未亡人。みすみす不幸の中に落ちることになるのよ。
春子 どうしてそれが、不幸に落ちることになるの、敦さん? お願いだから、私の言うとおりにして頂戴。だって私なんぞ、ホントはこの金吾さんと一緒になればよかったのよ。それを、つまらない、余計なことばっかり考えたり迷ったりして、そうしなかった。そいで、私は幸福になったの? 敦さん、私は私と同じようなことを、この敏子に繰り返させたくはないの。人間だから、誰にしたって明日が日にでも死ぬかもわからない。杉夫さんが出征して、一ときしたら死ぬとしても、それはその時のことで、私知らない。敏子は杉夫さんと結婚しなくちゃいけません。そいで五日でも六日でも、その広島の方について行って、ご一緒に暮すの。それが一番よ、敏子、それが女の道よ。いえ、女にはそうしかできないのよ、ホントは。そうしかしてはいけないのよ、わかってね。木戸さんも、みなさんも私の言うことわかってね、お願いですから。私と同じようなあやまちを、敏子にさせてはいけないのよ、お願いしますからね!

(一座がシーンとしてしまう)

杉夫 (激した心を抑えて)ありがとう、お母さん! ……僕は敏ちゃんと結婚します!(ビシリと言う。あたりはシーンと[#「シーンと」は底本では「シーと」]する)

表の通りで、メガホンから「訓練警戒警報発令! 訓練警戒警報発令!」と叫ぶ男の声がひびいて、やがて遠くから警戒警報のサイレンの音が不気味にひびきわたる……シーンとした間。

敏子 ……お母さん、ありがとう!(泣き出す)お母さんありがとう。

敦子も泣きだしている、二人の女の泣声にまじって、木戸と金吾と杉夫も泣いてるようで洟をすすりあげる音。春子だけがキチンと坐って、サイレンの音を聞いているようだ……

敦子 (語り)ホントに不思議なような気がいたします。そうやって、子供のようになってしまった春さんの言うことに誰も抗弁することができなかったのです。それはもう理屈やなんかではありませんでした。もう誰が何といってもテコでも動かないような、何かしら厳かなような態度だったんですの……それで万事が決って、その晩身内の者だけが集まって、氷川様でかたちばかりの結婚式を挙げ、してその翌朝[#「翌朝」は底本では「習朝」]、杉夫と敏ちゃんは入営見送りを兼ねて、二人で広島の方へたって行ったのです。その後、春さんは私のところに引とり、金吾さんは家のことがあるので、いつまでも東京に居るわけにはいかないので、信州へ戻って行きましたけど、妙でございますねえ、その晩の結婚式の間も、それから家へ戻ってささやかな披露の酒もりをしている間も、春さんは殆ど一言も口をきかないで、ただ嬉しそうにニコニコしていましたが、その眼がしょっちゅう金吾さんの方を見ているのです。そして、なにか夢を見るような、ボウーッと上気したような薄あかい顔をして、それはそれは美しい眼をして金吾さんの顔ばかり見ているんですの。春さんとは私長いつきあいでしたけど、あんなに綺麗なあの人の顔を、それまで見たことがありません。その様子が、なんですか、今結婚式を挙げているのが自分の娘の敏子と杉夫じゃなくて、ご自分と金吾さんだと思っているんじゃないかという気がしたんですの。ずうっと後になって春さんからききましたら、やっぱり私の思ったとおりで、あの時結婚式を挙げてるのは自分と金吾さんで、そして翌る朝、杉夫と敏ちゃんを見送りに行きながらも、新婚旅行に出掛けるのが、ご自分と金吾さんのような気でいたんだと言います。なんだか、おかしいような話ですけど、私はそれを聞いても笑う気にはなりませんでしたの。


[#ここから2段組み]
 金吾
 金太
 敏行
 警備員一
    二
 男一
  二
  三
 女一
  二
 警官
 老爺
 老婆
 中年男
 中年女
 通行人
 三十男
 別の男
 男
 警防団員一
     二
     三
[#ここで2段組み終わり]

いきなり空の一角にブーンと遠い爆音があって、それに向って近くまた遠く打ちあげる高射砲の猛烈な爆音。それが暫く続いて、やがて間遠になる。大きな駅の、すぐ外にある地下道の入り口近く、そこを防空壕がわりに、声をひそめてうつ伏せていた、二十人ばかりの乗客達が、それまでシーンと息を殺していたのが、やっとモゾモゾと動き始めた気配。咳をする声など。

男一 やれやれ、もう敵機は退散したんですかね?
警備員 もうちょっと待っていて下さい、はっきりしないから。

(遠くで空襲の状態をアナウンスしているラジオの声。言葉は明瞭ならず)

男二 え? 南方洋上に空母二――か・[#「・」はママ]
男三 航空母艦が来てるのかね?
男二 どうもはっきりしねえなあ。
警備員 駅の舎屋のてっぺんの拡声機が、この間の空襲でやられちゃったもんですからね。
男一 もう戦は負けてるんだからよ、いい加減に、手を挙げたらいいんだよ、まったく。
女一 (中年すぎのしっかり者)何をおっしゃるんです! 今頃そんなことを言う人は国賊です。いえ、スパイだわ!
警備員二(靴音をさせて近づいて来ながら)山下君ご苦労。今のは偵察機だったらしいや。
男二 そいじゃ、もう、出て行っていいんですね?
警備員二 そうだなあ――航空母艦が来ているようだから、下手をすると小型機がつっこんでくる恐れがあるんじゃないかなあ。とにかく、まだ、警報解除にはならないんですからね。
警備員一 俺あ、ちょっと水飲んでくるからね。
男二 しかしどっちせ、こんな所に居たって、いよいよおっことされるとなりあ、おんなじようなことなんでしょう。
女二 でもまあ、あなた、解除になるまでここに居た方が安心ですよ。

(黙ってコンクリートの上を歩き出している足音一つ)

金吾 さあ金太、
金太 うん。(二つの靴音が表へ向って)
警備員二 おい君君、もう一ときここに居た方がいいよ。
金吾 へえ、いいえ――
警備員二 第一、省線も停まっちゃったし、都電もまだ動いちゃいないよ。
金吾 いえ、わしあ、すぐそこだから。金太、早う来う。
金太 あい。(急いで立去って行く二人の靴音)

(……シーンとした大通りを、二人が急ぎ足に歩いて行く)
金太(あたりのあまりの静けさに、少し声をひそめるようにして)お父ちゃん。
金吾 おい。
金太 じょうぶ、静かだなあ。誰も通らねえし……いつもこうかや、東京は?
金吾 そんなこたあねえ、ふだんはここらは大勢の人が通ってるしな、電車だとか自動車がワンワン通ってるだ。空襲だから、こうだべ。
金太 春子おばさんの居る所はなんつうとこだい?
金吾 銀座つうところの裏だがな、そこに敏子さまが留守番をしている店があってな、そら、敦子おばさんの内の支店だ。
金太 だけど春子おばさん、どうして野辺山の方へ来て暮さねえかな。したら空襲なんず、ねえのに。
金吾 うむ、俺もこの前にこちらへやって来た時に、そう言ってすすめたし、敏子さまもそうしてくれちって、じょうぶ言ったがな、どうしても銀座のその店に居るつうだ。なんでも敏子さまのご亭主の杉夫さんつうのがな、出征しちゃった後、去年敏子さまに赤ン坊が生れてな、そいで、その赤ン坊と敏子さまを守ってやるのは、出征してる杉夫つう人に対する自分の義務だと、そう言ってな。
金太 ……あ、えらあ火事があったな? こっちの左の方だよ。
金吾 うーむ。こらあ空襲でやられたんじゃねえかな。
警防団員(そこに立っていたのが、カギ棒をガツンと石の上について)おいおい君たち、何処へ行くんだ?
金吾 あのう……銀座の方まで行きやす。
警防団員 けど、まだ警報は解除になっていないんだから危いぜ。
金吾 へえ、どうも……(歩き出す。焼跡の木や煉瓦ガツン、ガツンと叩いている音が近づく。それに警防団員が歩みよって)
警防団員 おいおい爺さん、もういい加減にして諦めたらどうかね、え? こうやって鉄棒だって溶ける位な熱で、ここいら一帯焼えたんだ[#「燃えたんだ」はママ]。いくら金庫に入れといたからちって、物が紙幣だろうが。灰になっているにきまっているよ。
老爺(かみつくように)中のものは紙であろうと何であろうと焼けねえという保証つきの金庫だぜ、クソッ!
警防団員 そりゃお爺さん、ここらが焼けている最中の熱度、おめえさん知らねえからだよ。
老爺 へん、人のことだと思って、君はお安く言うがね、わしあこれでも息子を二人、南方に出征させているんだぜ。君みたいな、ここいらでマゴマゴしている人間はそれでもよかろうが、息子を二人兵隊にとられてる人間だ俺あ。それが財産のありったけを入れてある金庫位、助けてもらうのは当然じゃないか、何を言ってやがるんだい!(ガンガンと焼け材木を叩く)
警防団員 息子が二人出征したからって、何もいばるねえ。今となっちゃ、戦線だろうと、ここだろうと同じこった。南方あたりじゃ戦争なんかしねえで、芋を掘って昼寝してるそうだぜ。
老爺 へへへ、何を言ってやがる。この腰抜けめ!
警防団員 何を、気ちがい爺いめ!(口先だけは、今にも叩き合いの喧嘩にでもなりそうな調子だが、それほどの元気もない。それを聞きすてて、金吾と金太郎は歩く)
金太 ……いやだなあ、お父ちゃん。田舎の方がいいなあ。
金吾 うむ……
老婆(衰えたシャガレタ声で)あのねえあんた方、これを買ってくれませんかねえ、これはあのこわたりの珊瑚珠ですけどね。
金吾(びっくりして)何でやす?
老婆 こわたりの珊瑚珠ですけどね、買って下さいよ。金はいりません。なにか食べるものを持っていらっしゃったら、なんでもいいから、少しでいいからそれを下さいな。いえ、小さい孫が病気でしてね、何とかして牛乳を手に入れようと、いくらそこら中を探し歩いても見つからないし、オモユでもと思っても一粒もお米はないし、もうこうなったら何でもいいんですから――
金吾 そうでやすか……そいじゃ、これを――(と懐から袋を出して、その中からホシイをつかみ出す)金太、そこに紙があるべ。
金太 あい。(紙の音)
老婆 ああっ! ありがとうございます! ありがとうございますよ!
金吾 たんとは上げられねえ。……いえ、珊瑚珠なんず貰ってもしょうがねえから、ようがすよ。
老婆 ありがとうございますよ!(手離しでオイオイ泣き出す)これで孫が助かります。そいじゃ――

(その紙包を両手で持って、泣きながら、横丁を走って去る)

遠くで、ダダーンと高射砲の音。また歩き出す金吾と金太郎。

金太 ……いやだなあ、お父ちゃん。
金吾 うむ……(歩いて行く二人の足音。このあたりからボツリボツリと通りすぎて行く人の気配がしはじめる)
中年の男(これは酔っているのか、やけくそなのか、フラフラと歩いて来ながら、衰えた、しかし、何か投げやりな声で歌をうたって、金吾達とすれちがって行く)ああ、ああ、あの声でエ……(二節ばかり歌って、ひどい嘲笑をこめた声で)天皇陛下ばんざーいっ!
金吾 ……(立止って)ええ、ちょっとうかがいやすが、銀座の方へはこちらへ行ったら出やしょうか?
警官 銀座? そうさねえ、この電車の線路について真すぐ行くと新橋の省線のガード下をくぐるから、そしたら左に折れて行くと銀座だ。
金吾 どうもありがとうございやした。(また二人は歩いて行く。そこへだしぬけに、近くで空襲警報のサイレン。遠くで、言葉のはっきりしないラジオの叫び)
警防団員二(ちょっと離れた所で)待避! 待避だ! 待避!

あわただしく駈け出した二三の靴音。

通行人(男)だけんど、空襲警報はもうさっきから出しっぱなしになっていて、そんでまたサイレンだから、警報解除じゃねえかなあ?
警防団員二 そんなこたあ、近頃めちゃめちゃになってるんだよ。なんでもいいから待避するんだあ!
金吾(小走りに走りながら)金太、すぐ、あそこに見える横穴にとびこむんだ。
金太 よし!(二人トットと走ってどての横に掘った穴にとびこむ)ふうっ。
金吾 やれやれ!
三十男(穴の奥から)敵機を一機でも東京の空に侵入させねえなんて、えらそうなことを言ったのは、誰だっけ? 一機や二機のダンじゃねえや。まるでてめえんちの座敷ン中みたいに、ぞろぞろと入ってくるんだかんな。軍部々々と言ったって、近頃じゃそこいら界隈の軍人なんて、戦争するよりも参謀本部に集まっちゃ、物資だとか酒なんか貰って帰ってるそうだかんな、処置ねえの、テンハオだよ。ヘヘ。
別の男 何を言うかっ、俺が憲兵だと知ってそんなこと言うのか、貴様!(ビシッ、バタッと殴りつける。それが穴の中にこもってひびく)
男 まあまあ、そんな――
中年女 いま空襲中なんですから、そんな――
金太 お父ちゃん、ここ出ようよ。
金吾 そうさな……(二人そっと穴を出て、急ぎ足に歩いて行く)
金太 俺もう、東京はいやだ。春子おばちゃん見つけたら、一緒に、すぐ信州へ帰ろうよ、お父ちゃん。
金吾 うん、そうすべ。金太、おめえ腹へったずら?
金太 ううん、平気だ。
金吾 いや、今の内に少しなんか食っとかねえと。水はあったな、そうだ、その水筒の水を飲んで、仕方がねえ、歩きながらこのホシイば食っていかず。さあ食え。
金太 お父ちゃんも食え。(言いながら、水を飲んで、ホシイを噛む)
金吾 ああ、省線の通ってるガードってえのはこれだ。左つうから。……ああ、ここなら、この前来た時通った。金太こっちだ。そこの角を曲って、ちょっと行った、もうすぐだ。(二人小走りに急ぐ。遠くの空を、異様な、ザアーッと言うような爆音がこちらに向って近づいてくる)
金太 あれ、何だろうな、お父ちゃん?
金吾 電車が動き出したかな?……(言ってる間にも爆音は近づいて来て、空を蔽うような激しさになる)
警防団員の声 (近くで)艦載機がやって来たぞう! 艦載機だ! 待避! 待避! 艦載機だあ!(バタバタバタ、バタバタバタ、と人々が待避する物音)
金吾 金太、駈けるだ! すぐ、あのそれ、それが敦子さまの店だから――(二人が駈け出して、その店の前)
警防団員三 待避だ! おい君、何をボヤボヤしてるんだ、伏せろ。おい君、こら!
男 あーん?(おそろしく、間抜けた声を出した老爺がいる)
警防団員三 伏せろ、馬鹿、危い!

(言う言葉にかぶせて、急速に迫ってきた低空の艦載機の爆音と、それからうち出す機関銃の掃射音と、それが屋根やコンクリートにはね返る音。それが一瞬の内に、突風のように通りすぎて行く)

金吾 金太、そこの内の横にとび込め! おい、あんた、ここに立って居ちゃあぶねえ、それっ!
(その老爺が妙な叫び声をあげるのを引っ抱えて、ころげるように、横路地にとび込む)
警防団員三 まだ来るぞう! まだ来るぞう!
男 (ボウボウ声で)なんだよ、何をするんだ、おい君イ。
金太 だってまだ来るだよ。危ねえよ。
金吾 ここにジッとしてるだ。金太、この人の手をつかまえていろ。

(再び艦載機の一群が、ガアーッと低空をなめて、機関銃の発射音と共に、この上をとびすぎて行く)

(あと、シーンとして何の物音もしない。遠くで、ダダーン、ダダーン、ダダーンと、無駄に乱射される高射砲のひびき)

金吾 金太、何ともなかったかや?
金太 うん、大丈夫だ。
男 ふん、へっへ、うーむ。(唸り声とも笑い声ともつかぬ声を出す)
金吾 あんた、何ともなかったかね? ええ、――おっ!(口の中で声を出して暫く相手を見守っていたが)……ええと、あんた、もしかすると、敏行さんじゃねえんでやすかね? 黒田さんの敏――ああ、やっぱりそうだ!
敏行 あん? 誰だよ?わしは黒田敏行だが、そういう君は――?
金吾 やっぱりそうでやした。柳沢の金吾でやすよ、信州の。
敏行 ……ああ、柳沢金吾君か。そうか、どうも――すると君も、なにかね、春子や敏子に逢いにやって来たのか? そうか。わしあ、さっきここに来たんだが、この内には春子も敏子もだあれも居ないよ。
金吾 そうでやすか、するつうと、春さんや敏子さんの行った先はわからねえんでやすかね?
敏行 なあに、壁にな、なんか置手紙のようなもんがピンで止めてあって、なんでも市川とか保土ヶ谷とか、書いてあったが……金吾君、君はなにか食べるものを持っていないかな? わしあ、この二三日、実になるようなものをなんにも食ってないもんだから、もう腹が減って、腹が減って……
金吾 そうでやすか、ちょっくら待ってくんなして。(リュックサックの紐をほどいて、リュックを開けながら)金太おめえこの中に入ってな、その敏子さんの置手紙というやつ――壁に貼ってあるそうだ、それを探して来てくれろ。
金太 あい!(立って横路地の、その店の横にひらいた戸口をガタガタ開けにかかる)
金吾 そうだ、とにかく中へちょっくら入りやしょう、さあ!(リュックをさげてそれに従う)
敏行 なんか食べるものさ。あったら、とにかく早く、なあ君!(まるで乞食のような言い方で、二人に続いて戸口を入る)
金吾 (入った裏口の、たたみの土間の上りがまちに[#「上りがまちに」は底本では「上りがままちに」]リュックを置いて、その中から竹の皮包の握り飯をとり出す)そいじゃ、これをお食べなして。春さんや敏子さまやそいから横浜の敦子さまにも食べさせべえと思って持ってきたやつで――。
敏行 (ひらかれた竹の皮包の握り飯を一目見るなり、ガタガタふるえる手で、つかみかかるように、その二つばかりをとって、いきなりかぶりつく)あ、こらあ君、白米の握り飯じゃないか! こうあ――あ、ふう―― うむ――(歯を鳴らし、ピチャピチャと音をさせて、むさぼり食う)
金吾 ……(その有様をジッと見ながら)そんな急がねえで、急いで食うとノドに詰まる。
敏行 うむ、うむ――(言ってるそばから、ノドに詰まったようで、眼を白黒させて、グウッグウッと音をさせる)
金太 (内から戻って来て)お父ちゃん、これがそうじゃねえかな?
金吾 よし。(金太の渡す紙切れを受とって)いけねえ、ノドに詰めた。金太、そこらに水はねえか?
金太 うん?
金吾 ああ、そこの棚のヤカンをちょっと取ってみろ。
金太 (ヤカンの音をさせて)ああ、へえってらあ、あい。(と、ヤカンを持って来て金吾に渡す)
金吾 さあ、これを飲みなせえ。(敏行につきつける)
敏行 う、う――(ヤカンから口飲みをして)
ふうーっ!
金吾 (敏行の背中をトントンと叩いてやりながら)あわてねえで。
敏行 どうも、すまん、なんと言ったらいいか、金吾君、ありがとう、ホントに――(少し落ちついてムシャムシャと音をさせて握り飯を食う)
金太 (置手紙を読んでいたのが)ああ、こらあやっぱり、敏子さんが書いていったもんだ。市川の方へ行ってから、保土ヶ谷へ廻ると書いてあらあ。
金吾 金太、声を出して読んでくれ、父ちゃん眼鏡忘れた。
金太 あい、読むよ「ここに来て下さる方に書いて行きます。昨夜の空襲の時に、お母さんが一郎をおぶって、すぐそこの学校の地下室に待避したのですが、いつまで経っても戻ってこないので、探しに行っても、もう誰も居りません。いつも空襲がひどくなって、いよいよとなれば、市川のハナワの方へ逃げて行くのだと、言い言いしていましたから、そちらへ行ったのかも知れないと思いますし、また、もしかすると、保土ヶ谷の奥に疎開している敦子おばさまのところへ行ったのかもわからないので、私もそちらへ行ってみます。市川と、保土ヶ谷の所番地は次の通りです。敏子」そんで、所番地が書いてあるよ。
金吾 そうか……
敏行 うー、ふん、うー――(はじめ、妙な唸り声を出すので、またノドでも詰まったのかと思って金吾と金太郎が見ると、そうではなく、口のはたに飯粒をくっつけたまま、ボロボロ、ボロボロ大粒の涙を流して、泣き出している)おう!
金吾 敏行さん、どうしやした?
敏行 おう、う……(手離しで、オイオイと、ただ泣く)
金吾 ……どうしたんでやすか?
敏行 ……(やっと泣きやんで)金吾君、君の勝だ、いかになんでも、わしももうここまで落ちてはなあ。昔から君という男を、あれだけ馬鹿にしきって、ふみつけにしてやってきたこのわしという人間――この人間の正体がこれだよ。そういう君から、こんなさ中に握り飯を貰って、ガツガツと食っている。笑ってくれ金吾君。春子のことにしたって、春子はむかし、わしの妻で、そいで子までなした仲だが、そして一方君は、それをながめて指をくわえて口惜しいおもいをして来たろうが、今にして思うと、春子という女は君のものだったんだよ。形の上では、わしの女房だったかも知れんが、ホントのわしの妻だったことは、一日だって一刻だってなかった。わしあ、あんなことで、あれ達を捨てて、ほかに二人も三人ものへんな女を渡り歩いて、挙句、上海へもちょっと渡ったが、仕事はうまくいかん、帰って来てみると、行く所もなくなってるし、その中に空襲だ、横浜で焼け出されてな、ウロウロしている中に、ヒョイと、敏子に赤ン坊が生まれたという噂を耳に入れてね、どういうのか、こいでも人間の内かなあ、その孫の顔を一目見たいような気がしてな、そいで尋ね尋ねて、こうやってここまで辿りついて、そいで君に逢ったら孫のことも敏子のことも春子のこともおっぽり出してこうやって握り飯に噛りついているのだ。ガキだ。だのに君はそうやって相変らず、春子や敏子が何処に行ったか、そいつを心配している。君の勝だよ。春子は君のおかみさんだ、そんで、その赤ン坊は、わしの孫じゃなくて、君の孫だ。ひとつ、よろしく頼むよ。わしあ、ここいらで、消えてなくなろう。(立上って、フラフラ戸口を出て行く)
金吾 敏行さん! そんな、あんた――そいで、あんたさんはこれから何処へおいでになりやす?
敏行 ははは、いや、群馬県の方にちょっとした縁故があるからな、そこへでも行く。
金吾 そうでやすか、そいじゃ、これは失礼でがすが、この残りの握り飯は持っていって下せえ。
敏行 そうかねえ、すまんなあ、そいつは。おかげで助かった。――そいから今言った、市川と保土ヶ谷というんだが、春子たちの行った先ならそれは市川の方じゃないかな。わしあ、そう思う。保土ヶ谷へんは、わしあ昨日通って来たが、空襲で危くてなあ。
金吾 そうでやすか、そいじゃいずれ、わしあ――
敏行 そいじゃ、まあ……(フラフラと歩いて路地を出て行く)……
金太 ……そいでお父ちゃん、これからどうするだい?
金吾 そうさなあ――じゃ、市川の方へ先ず行ってみるか?
金太 春子おばさん、赤ン坊をおぶってるというからな、そいで、どけえ行ったずら? 可哀想に!

遠くで、ダダーン、ダダーン、ダダーンと続けざまに高射砲の音。

音楽


 壮年
 少年(浮浪児)
 金吾
 中年の男
 若い男
 青年
 春子
 中年の女
 若い女
 駅員(上野)
 金太
 お仙
 お豊
 駅員(海尻)

音楽(いきなり激しい)

プツンと音楽がやむ。
壮六 (語り、老年)ええ、金吾と金太郎は敏子さんの置手紙にある市川まで歩いて行ってみたそうでやす。金吾はそこの家にはずっと先に一度、行たことがあるので先方でも覚えていてね、そいで春子さんのことを訊くと春子さんはもうずっと来ねえが、おとついだか、敏ちゃんがやって来て、お母さんが一郎をおぶったまま行方ゆきがたが知れなくなったので、こちらへ来たんじゃねえかと思ってやって来た。そう言って、いや、来ねえと言うと、すぐまたその足で横浜の方へ行くと言って立去った。そう言ったそうで、仕方がないので金吾もそこそこにそこを立去って、保土ヶ谷の、その敦子さんの方へ行ってみたそうだ。したら、そこにも春子さんは姿を見せてねえ。横浜の空襲の時に、敦子さんの家が爆弾をうけて、そのとき、敦子さんは足を怪我をなすったそうでね、まだ寝てたそうな、その枕元で敏子さまは看病をしながらオロオロしていやしたそうな。仕方ねえので、こっちから運んで行った米だとか麦だとかを、そっくり置いて、その次の日にそこを飛び出した。金吾はどうしても春子さんを探し出す気でいただ。で金太郎と二人で東京へ引返してな、なんでも一度新宿へ出て、やっとのことで汽車の切符を一枚買って金太郎だけを信州に先に返した。東京で一緒にそうやって連れて歩いていて若い子にもしものことがあっちゃあならんと思ったらしい。どうも様子が、金吾はその時、どうで春子さんは空襲にやられて死んだらしい、そんならば俺も東京で死んでもいいと思ったらしいんですねえ。……それからますますひどくなってくる空襲のさ中をまた市川へ行ってみたり、銀座の店に戻ってやしないかと思って、そちらへも行ってみたり、それから以前の黒田家の家に、春子さん立廻ってはしないかと思って、麻布のその石川の家に寄ってみたり、そうしといては、また保土ヶ谷へ引返しては、また東京へ出るというようなことで、二日も三日もあちこちと駈けまわったらしい。その時のことは、後になって金吾にきいても詳しいことは話さなかった。話そうにも、そこら前後のことは金吾自身もはっきりとは覚えていねえような様子でしたよ。とにかく三日過ぎたか、夜も行きあたりばったりの軒下や防空壕などでちょっと眠るという有様、もうグタグタにくたびれ果てて探しまわったが、どうしても春子さんは見つからねえ。もう諦める他に仕方がねえという気になったが、そいでもまだ一日、二日ウロウロしたそうだがね。もう、どうしてもこれ以上しょうがねえつうんで、そん時に金吾が辿り着いていたのが上野駅だそうでやしてね、待っていれば、どうやら切符が手に入るらしいので、とにかく一度信州に戻ってから出直そうという気になってね、ガックリして、駅の行列の尻についてタタキの上に坐っていたそうだ。もう夜になっていたそうでね……

空襲によくあっていた頃の、上野駅の夜の構内。人の歩く気配や、離れたところの雑音などがしているが、すべてのものが疲れはて、沈黙しがちで、遠くでアウンスされる声も沈んで明瞭さを欠く。「ガアガアガア……次の信越線列車は九時三十分に発車の予定でございますが、乗車券をお持ちの方は改札口左手の方に行列……(不明瞭)……乗車券をお買求めの方は切符売場に並んで下さあい……
少年 (といっても浮浪児らしく、ザラザラした太い声で)おい、おじさん、なんか食物があったらくんなよ、何でもいいからよ、豆でも何でもいいからよ、少しくんなよ、ねおじさん。
金吾 (疲れはてている)でも俺も、ねえから……
少年 そんなこと言わねえで、なんでもいいからよ、ちょっぴりでいいからよ。
金吾 (ポケットから音をさせて、少し豆を出して渡す)大豆の炒ったのが、ホンの少しきやねえ。
少年 ありがとう、おじさん、ありがとう、なむあみだぶつ。(真剣にそう言ってお辞儀をしながら、すでに炒豆を口の中に放りこんでバリバリと噛んでいる)
金吾 ふふふ……(相手がなむあみだぶつと言ったのでおかしくなってちょっと笑いながら)君はなにかい、いつもここらに居るのかい?
少年 そうだよ、家は焼けちゃったし、しょうがねえもん。
金吾 そうかよ――君はこの辺で、そうさなあ、もういい年のおばさんで、ちっちゃな赤ン坊をおぶった、そうだ、少し頭が馬鹿になってるような人だがな、そういう人を見かけなかったかね?
少年 そんな人なら一ぺえ居るぜ。
金吾 え?(ちょっとギョッとするが、すぐにガッカリして)……いや、わしの探しているのは春――春さんと言うて、春子と言うおばさんがな、おぶっている赤ン坊は、一郎と言って――
少年 おじさんのおかみさんかい?
金吾 いや、そうでねえが、ちょっと親戚でな。
少年 わからねえなあ……おじさん切符はあるのか? なけりゃおいらが手に入れてやろうか、代を二倍ばっか出してくれると手に入れてきてやるよ。
金吾 そうかよ、実はまだ買ってねえんだ。ええ、小諸から小海線で野辺山という所まで行きたいんだがな、じゃひとつ頼むから、金を――
少年 いや、おじさんから豆を貰ったんだからお礼の代りに、金は切符をもってきってやってからもらやいいよ。そいじゃ待ってな、ここ動いちゃ駄目だぜ。動くともう見つからなくなるからな。

(言うなり、トットットットと駈け出して去る)

この時、同じ構内の別の行列のへんで、五六人の男女が口々に騒ぐ声。
かなり離れているので、はっきりとはしないが、「どうしたんだよ?」「こんな所でそんなことを言ってもしょうがねえじゃねえか!」「気が変になったんだい!」「怪我したな!」等々がやっと聞える。それらの声の中で、女の声が何か叫んでいるが、「お願いです、私は……」だけで、あとは言葉がはっきりしない。

中年の男 (金吾の後に坐っていた)なんだ? どうしたんだい?(向うから歩いてきた人に問いかける)なんですかね、え?
若い男 (向うから歩いて来ながら)なあに、気の変になった女だ。
中年の男 まったく、こんなに家が焼けたり、人死が多いと、頭も変になるなあ。僕なんかもうどうにかなっちまいそうだ。ねえあんた。
金吾 そうでやすねえ。
若い男 なんでも、どっかで頭を打たれたか、胸の辺を怪我でもしたらしいや。
中年の男 ああ、いやだいやだ。

その間に、少し静かになっていた向うの人立ちの間から、女の叫び声で、「私は野辺山へ行くんです! 切符を一枚下さい! 野辺山へ行くんですから、私に野辺山までの切符を一枚、お願いですから!」と言う声がきこえる。

金吾 おっ!(叫んで、とび上り、そちらへ向って駈け出す。そのトットットットという靴音)あの――ちょっとごめんなして、ちょっと!
青年 (金吾から突きとばされて)何をしやがるんだ!
金吾 ちょっくらごめんなして!(人々をかきわけて、前へ進む)
春子 野辺山へ行くんです! お願いですから!(声もかれ、疲れはてて、喘ぎながら叫ぶ)
金吾 あ! は、は、春さん! 春さんだあねえか!
春子 え? どなた? ああ、き、き、金吾さん? あなた。金吾さん! ああ……(唸って、ガッカリして前のめりに倒れかかる)
金吾 春さん、しっかりして。俺だ、金吾でやす。しっかりして!(金吾の腕の中で気を失う春子。その背中にくくりつけられた赤ン坊の一郎が、眼を覚して、ウ、ウーン、ウ、ウーンとぐずる)
中年の女 (わきに居たのが)やれやれ、よかった! あんた、家の人ですかね? なんか、この人は胸を打ったかなんかで、ひどく弱っていますよ。あんた、しっかりしなさいよ、家の人が来てくれましたよ!
金吾 どうもありがとうございました。春さん、金吾だ、しっかりするんだ。
中年の女 この水を飲ましてあげなさいよ。
若い女 (わきに居たのが)赤ちゃんをほどいてやらないと無理だわ、どれどれ。(紐をほどいて、一郎を抱きとってやる。その一郎が「ウーム、ウーム」という声)
金吾 どうもありがとうございやす、どうも――(中年の女が渡してくれた水筒から、春子に水を飲ませながら)春さん、しっかりするんだ、金吾でやすよ。
春子 うーむ、うーむ!(唸る)
駅のアナウンス みなさん、高崎行の列車が間もなく出ますから、切符をお持ちの方は改札口に並んでくださーい、高崎行の列車が出ますから――
中年の女 あれっ、高崎行が出る。そいじゃあんたがた、大事にしてな。
金吾 (水筒を返しながら)へえ、どうもありがとうございやした、助かりやした。(その水筒を受けとって、中年の女はコトコトコトと走って去る)
金吾 (若い女に)どうもすまねえ、そいじゃその児を、おらが――
若い女 そうですか、どうか、あの、大事にね。(一郎を渡す)
金吾 どうもありがとうさん。(若い女が、これも小走りに去る。そこらの人々の騒ぎ、騒ぎの中に金吾が、春子を寝せたタタキのわきのリュックの上に一郎をそっと寝せてから)春さん! 春さん! わかりやすか? 俺だ、金吾だ。
春子 (やっと気がついて、弱い声で)ああ、金吾さん、どうしたの、ここ何処?
金吾 ここは上野の駅だ。
春子 あの、それで一郎は? 一郎はどうしたの?
金吾 坊やはちゃんとここで無事で寝てるだから心配しねえで。どうして春さん、こんな所にいやした? いや俺やな、あんた方を探しに、四、五日前に信州から出て来て、銀座へ行ったが誰もいねえし、そいから市川へ行ったり、保土ヶ谷へ行ったりしても、あんた居ねえしな、いくら探しても見つからねえもんで、とうどう、とにかく一度、信州に帰るべえと思ってね、そいでここに来て並んでたとこだ。
春子 そうお、どうもありがとう金吾さん。私はね、なんですか、さっぱりわからないけど、空襲が恐くって、そいで一郎に怪我をさしてはいけないと思ってね、そいで市川の方へ行こうと思ったけど、その途中でまた空襲があるし、道がわからなくなってしまって、そいでね、そいでね、仕方がないから野辺山の[#「野辺山の」は底本では「野返山の」]あなたの所へ逃げようと思って、ここで、もうおとついか昨日からさんざんナニしてるんだけど――(メソメソ泣きはじめる)
金吾 泣かねえでもいい、春さん、泣かねいでも、もう俺がちゃんとこうしているのだから、大丈夫だ。春さん、どこも何ともねえだね? 怪我はしてねえな?
春子 ううん、でも胸のここんとこが痛い、この間の空襲の時に、なんか落ちてきて、ここへあたったの。
金吾 え? ええと――(着物をはだけて見て)おおこいつは、もしかすると骨が――ここが痛いかね?
春子 うん、少し痛い、でも大したことはないの。一郎は元気?
金吾 元気だ、ほら。
春子 おお、よかった! 私はどうでもいいけど、この子に怪我をさせたら、敏子や、それよりも杉夫さんに対して申訳ないと思ってね――食べるものだって、この子にはずうっと牛乳を買ってやったりなんかして――よかった!
金吾 そうでやすか。そうだ、春さんおなかがすいてべえ、ええと……(リュックの紐をといて、その底から紙包みをとり出して、竹の皮を開ける)握り飯が二つ三つある。これを食べなんし。
春子 ううん、私はちっとも食べたくない。金吾さん、食べなさい。
金吾 だって、ズーッと、春さん、何にも食べていねえんでがしょう。今の内にちょっと食べておかねえと――
春子 そうお、そいじゃ……敏子や敦さん、変りないかしら?
金吾 無事でがす、敦子さまは横浜の空襲で足をちょっと怪我しなすったが、大したことはねえ。敏子さまはそれの看病やなんかで保土ヶ谷にござらしてね。
春子 そう、やれやれよかった。でも金吾さん、私たちこれからどうしたらいいの?
金吾 そうでやす……ええ、この坊やのことがあるから一度保土ヶ谷へ行かざあなるめいが――
春子 でも、このまま野辺山へ[#「野辺山へ」は底本では「野辺力へ」]汽車で行っちまえないかしら。私もう恐いの。どうせ敏子も敦さんも、後から野辺山へ来ればいい。
金吾 だけんど、とにかく保土ヶ谷じゃ、みんなで心配なすっていやすから、こうやって、あんたや坊やが助かったことだけは知らせねえと――
春子 でも、それはすぐ葉書か電報でも出して知らせりゃいいんじゃない?
金吾 そうだなあ。……そうする方がいいか? そうだな……
浮浪児の少年 (トットットットと駈け戻って来て)あい、おじさん、切符だぜ。松本行しきゃねえとさ。少し高いが二百円くれ・。[#「・。」はママ]
金吾 こりゃどうも、ありがとうよ。そうかよ、そりゃありがたかった。(と、金を出して少年に渡しながら)ところがねえ、ねえ君、すまんが、もう一枚、切符を頼まれてくれねえかねえ。小諸まででも松本まででもどうでもいいんだ。
浮浪少年 だけど、もうねえと言ってたがなあ。
金吾 お願えだ。このな、親戚のおばさんと、この赤ん坊を信州へ連れて行くんでね、助けると思って、よ。
浮浪少年 あーん? 怪我したのかい、おばさん? うわあ、かわいい顔してるなあ、この赤ン坊。
春子 お願いします、ね。
浮浪少年 よし、そんじゃ手に入れてきてやるから、待っていな。なあに……

少年が駈け出そうとした途端に、だしぬけに遠くの方からひびいてくる空襲警報のサイレン。サイレンは次々と、リレーで近づいてくる。

春子 あ、空襲だ。
浮浪少年 ヘヘヘ、来やがったな。へっ。(あざ笑いながら、立って耳をすましている。それに向って駅の事務室の辺からラジオ。「ガガ……B29の大編隊、南方洋上より帝都に侵入しつつあり、ガ、ガ、キイキイ」言ってるそばから、ダダーンダダーンと高射砲のひびきがはじまる)
てへへへ、だしぬけだぜ。警戒警報なしだ。おい、おじさん、なんだかこらあ、でっけえぞ。ここに居ると危ねえから、そこを出て、右へ行って、あの段々を上ってね、あの上の山へ行ってなよ。なあに、切符が手に入ったら、そっちへ行ってやるからね。
金吾 ありがとう! 頼むよ。そいじゃ春さん、さあ!(春子を助けおこす。そうしてる間も、遠くで爆弾の落ちる音。とうの昔に少年は駈け去っている)
春子 私はいい、私はいいから金吾さん、一郎を――
金吾 よしっ、この子はこうやって、リュックに入れて、俺がこうやって背負うから。さあ春さん、こっちだ。そら、えらい人だから、俺の手を離すでねえだよ。
春子 金吾さん、恐い!(二人は小走りに駅の外へ出て行く。七八人の人も、なだれを打って駅の外へ。ただし、みんなくたびれはて、しかも空襲には馴れているので、殆ど声はあげないで「あっ!」「こっちだ!」「山へ逃げろ」などの叫び声と、ダダダダダと走る足音だけ)
春子 金吾さん! 金吾さん!(二、三間先に駈けぬけながら)
金吾 春さん! 春さん! あんまり先へ行くでねえ! 俺から離れるでねえ! それを右へ行くだ、その階段を上って、そうだ。
春子 金吾さん、一郎に気をつけて!

言ってる間にも、投下される爆弾の地ひびきと、それの間を縫って落ちてくる焼夷弾のカラカラカラカラという音。それに向って発射される高射砲のとどろきなどが、殆ど耳を聾せんばかりに鳴りはためく。

金吾 春さーん! 右へ上るだ!
春子 (ずっと先の方で)金吾さーん!

ダダーン、ガラガラガラ、ズシン、   ダダーンとすべての物音を叩きつぶすように爆音が鳴りはためく。それが暫く続いて……

だしぬけに、すべての物音が消えて、シーンと静かになる。
やがて、遠くの方で、誰か、かすかに「うー、うー」と何かを呼んでいる……

海尻駅の大時計の秒刻。コツ、コツ、コツ、コツ……、駅の事務所の中の駅員の声。「はあ、海尻駅でやすよ。はあ、海尻でやす」

金太 (誰も居ないベンチにかけて、低い声で歌をうたっている)勝って来るぞと、勇ましく、誓って国を出たからは……
お仙 ……(道の方から下駄の音をさせながら、待合へ入って来て)金太よ、まだ待っていたかよ?
金太 ああ姉ちゃん、どうしたんだ?
お仙 どうもしねえ、お前を迎えに来たんだねえか。みんなもう夕めしを食うんだから帰るべ。そうやってお前は、東京から帰って来てからこっち五日も六日も、毎日昼すぎになると駅さ来て、おじさん帰るのを待ってるが、帰る時が来れば、おじさん、ちゃんと家に寄ると言うんだから――
金太 そんでも汽車が、もうひとつ、すぐ着くだから、それを見て帰らあ。お姉ちゃん、先に帰れ。
お仙 おめえってば、すぐそったらこと言う。汁が冷えっちまうてば。(言ってるところへ改札係の駅員が来、ガチヤン、ガチヤンと改札口をあける、と同時に下りの列車が近づいてくるひびき)
金太 そら見い、汽車が来た。
お仙 あら、そうだ。(汽車がひびきを立てて、プラットフォームに入って来て止り、四五人の乗客が降り、みな黙々として改札口を出て行く足音など)
金太 お父ちゃん、乗ってねえかなあ?
お仙 そら見ろ、今日はもう駄目だ。
金太 あ! お父ちゃんだ! お父ちゃん戻って来た!
お仙 ああ!(その二人のいる所へ向って、ションボリと砂利を踏んで近づいてくる金吾の足音)
お仙 お帰りなんし、金吾おじさん!
金吾 (低く)うむ……
金太 お父ちゃん、どうしただよ? 春子おばさん、見つかったのか?
金吾 う、うむ……(三人が家の方へ向かって駅を出て歩き出している)
お仙 どうしたの、おじさん、その首にかけてる白い箱、それなあに?
金吾 うむ……
金太 春子おばさん、見つか――(ハッと気が付いたらしく)え?お父ちゃん、これ、これが春子おばさんかい?
お仙 え? 春子おばさん、死んだのかい?
金吾 …………(無言でスタ、スタ、スタ、スタと歩く。金太郎もお仙も黙りこんでしまって、コトコトコトとつづいて歩く――間。かすかな音楽を流してもよかろう)

三人の足音が、お豊の家の門口に近づいて――

お豊 (家の中から)さあさあ、みんな飯だ、飯だ。お仙や金太はおせえなあ。さあさ――ああ、帰って来た、帰って来た。どうした――おや、金吾さんも帰って来た!
お仙 あのなあ、お母ちゃん――(いきなり手離しでオイオイ、オイオイ泣き出す)
金太 春子おばさんはな――(これも姉の泣声につられて、オイオイ泣き出す)
お豊 するつうと――(ト胸をつかれて口を開けて立つ)
金吾 お豊さん、いま帰りやした。これが春さんの……(首からさげた木箱をゴトリと上りくちに置く)
お豊 (ふるえる声で)まあ、上りなんして――(ゴト、ゴトと金吾が上にあがって、囲炉裏端に坐る)
お豊 お仙、金吾おじさんにお茶出すだ。
お仙 あい。(涙声)
お豊 金太も上れ。そいから安三、お千代なんずは、そらそら、飯ば食え。(それらの小さい子たちがお膳に坐って箸などを取る音)
金吾 ……喜助頭梁は?
お豊 喜助は二三日前から仕事で小諸に行きやした。
金吾 そうかよ。……(無感情にポツリと話し出す)……空襲にうたれてな。いや、俺あやっと、この人ば上野の駅でみつけてな、そいで、こっちへ一諸に逃げて連れて来る気で、切符も手に入ったども、そこへまた、えらあ空襲でな。いや、その前から、なんか空襲の時に、瓦なんか落ちてきて胸をうってな、あばら骨が折れたんじゃねえかと思う。弱っていたが、上野の山まで連れて行く間、別に何ともなかったが、林の中で寝せて、そいから、焼夷弾だとかなんかが落ちるの何のと言って――春さん恐がって俺の手にかじりつくからな、俺あ、いよいよ燃えてきたら、また引っ抱えて逃げべえと思って、飛行機の方ばっか見ていたら、その中に俺の手を握ってる手がヒョッとゆるんだので覗きこんでみたら、もう、へえ、いけなかった。……そいで俺あ、それば抱えて、一度警察に頼んどいてな、そいから横浜へ赤ン坊をおぶって飛んでって、敏子さまや敦子さまに知らせて、赤ン坊は敏子さまに渡してな、そんで敏子さんとまた引返して、形ばっかりのお葬をして、お骨は俺がこうやって貰って帰ってきた……お豊さん、いろいろ、この人のことについちゃ、ご心配をかけやした。
お豊 金吾さん、そんな――(声がふるえている)
お仙 お母ちゃん、どうしてそんなにふるえるの?
お豊 何をおらがふるえてるだ、ふん、この子は何を言うだか、ふん、へ……(笑いかけるが、その笑いがだんだん泣き声になって、しまいにオイオイ、オイオイと手離しで、大声をあげて泣き出す)
お仙 お母ちゃん――(これもまた泣き出す)
金太 なんだい、お母ちゃん!(これも泣き出す。あとの二人の子も茶碗を放り出して、オイオイ、オイオイ、泣き出す。まるで家中が泣声の合唱で一ぱいになる)
金吾 お豊さん、金太郎、お仙ちゃん、そんな……

その五人の泣声のうちに――

音楽


 敦子
 金吾
 敏子
 杉夫
 金太
 一郎(幼児)
 作者

音楽1

音楽2 その尻にダブって「信州のテーマの冬」の音楽。音楽やんで、林を過ぎる風の音。

敦子 ……(ため息をつくように、しかし既に老年に近い枯れた人柄になっていて、言葉の調子は明るい)やれやれ。やっとまあ戦争もすんで、こうしてみんなでそろって野辺山の春さんのお墓のところにたどりついたわけねえ。やれやれ! 金吾さん、ほんとに、いろんな事がありましたね。
金吾 (これも、今はもう落ちつき、寂しい句調ながら暗くはない)そうでやす敦子さま、ハハ。すこし掛けやしたら? お足がそれではつろうがしょう?
敦子 いえ、こっちの腰の筋がどうにかなったそうでね。右の足より一寸ばかり短かくなったので、びっこを引くけど、もう痛くもなんともないの。敏ちゃんこそ、一郎を負ぶい通しじゃ大変だろう。いっとき、おろしなさいよ。
敏子 いえ、いいんですの。
一郎 (幼児。この子は最後まで時々幼児の言葉で何か言う)お母あちゃん。あんよ、あんよ!
金吾 いやあ、あの時、空襲の中を俺がリュックに入れてかけだした坊やが、こんなに大きくなるもんでがすねえ。
敏子 金吾おじさんには、お母さんと言い、この子はこの子で、命を助けてもらった。あたしはホントに何と言えばいいでしょう?
敦子 まったくね、何と言えばいいだろう? こうやって春さんのお墓の前で敏ちゃんと一郎と金吾さんと私と、それに金太郎ちゃんに杉夫……さてね、お互いに今さら何と言っていいだろうねえ?
金吾 はは、そうでやすよ。そいでも、敏子さんと坊やがこうして元気でいて、杉夫さんが無事に復員して来なすったのは、何よりでがした。
敦子 いえね、戦争がすんで直ぐ、こちらへお墓参りにと思っていたけど、何やかやと、ゴタゴタしていてね、そこへ四五日前に杉夫が戻って来て、いえ、まだ外地に渡っていなかったので早かった。そいで何はともあれ、あなたにもお目にかかりたいし、春さんにも逢いにこようと言うので、やっとこうして来たの。だけど、金吾さん、良い場所にキレイなお墓をたてて下すったわ。
金吾 いや、あれこれ考えやしたが、ちょうど焼け残りの石で昔黒田先生が別荘の暖炉を築くために選びなすった石がありやしたからね、海の口の石屋に頼んで刻んでもらって、俺がおぶって来やした。ハハ。
敏子 小父さんが、おぶって――?(涙声になっている)
敦子 ……だけど、誰だか知らないけど、別荘もキレイに焼いたものね? 誰が火をつけたのか、わからずじまいですって?
金吾 開墾の事やなんかで村の者たちから私あ憎まれていたしな。それに近ごろのこの辺にも妙な流れもんが入りこんで来て空家に入って火をもしたりしやすからね、村の者がしたとも限らねえ。今さら、そんなことをセンサクしてもしようがねえから捨てて置きやす。
敦子 そうよ、それでいいかもしれない。春さんのお父さんがお建てんなって、それから春さんが一生の間、やって来ちゃ、泣いたり笑ったり……金吾さん、あんたもここに来ちゃあ、いろんなことがあったわね? それがこうして焼けてしまって、残っているのは敷石と、春さんのお墓だけ、サッパリして、いいかも知れない。
金吾 そうでやすねえ。だが、この石にしたって、もう四五年もすると、ここら草が生えて、埋まって見えなくならあ、ハハ。

(一郎が何かグズグズ言う声)

音楽3 はるかはるか遠くの方で若い男の声で、明るい嘆きのような単調なメロディだけを歌うのが流れて来る。……

敦子 あれは何だろう?
金吾 開拓農場の方で何か呼ばわってるようだ。こんな負け戦さで、ああいうたちも気の毒に、たまらねえ気がするらしいて。
敦子 でしょうね。

そこへ林の奥からジョンのワン、ワンとほえる声が近づいて来て、その後から杉夫と金太郎が水オケをさげ、下ばえを踏んで近づいて来る。

金太 こらジョン! ジョンよ!
敦子 さ、水が来た。金太ちゃんも杉夫も御苦労さま。
金太 一番キレイなとこ汲んで来たよ。
杉夫 いやあ、僕はこのへんは初めてなんですけどね、谷の深いのには驚ろいた。川まで二百メートル位くだるんだから。
敏子 でしょう? 私も初め来た頃びっくりしたわ。
杉夫 それに、なんですかねえ、気圧が低いせいかな、馬鹿に気持は良いくせに頭がボーッとして夢でも見ているような気がする。
敦子 それに気が附いたのは、杉夫。こういう所に春さんも私も若い時分に来て歌を歌ったり、ボーッとして、そいで金吾さんを見たんだわ、ハハ。
杉夫 (金吾に向って)小父さん、今さらお礼も変ですが、どうもいろいろとありがとうございました。
金吾 なにがな?
杉夫 いえ、その、なにがと言うわけでは無いんですが、いろいろ、お母さんの事や敏子のことや、そいからこの一郎の事だとか、何から何まで、この……
金吾 いやあ、ハハ、ようがすよ。
敦子 春子さんにお水をあげましょうよ。さ、敏ちゃんから。
敏子 はい。……(ヒシャクで水を墓石にかける音をさせて)
お母さん、敏子です。お母さん、敏子ですよ。(涙声)……さ、一郎、あんたも水をかけるの。これ、おばあちゃんよ。一郎のおばあちゃんよ。(幼児の手に持ち添えて水をかける。「ばあちゃん! ばあちゃん!」と一郎の声)……お母さん、これがあんたの孫の一郎です。(一郎が、プウプウ、プウと言う)
敦子 (涙声)それから杉夫、お参りしなさい。
杉夫 はあ。……(墓に水をかける)お母さん!(軍靴のカカトをカチッと鳴らしてから低い声で)一週間前に復員して参りました。こうして敏子と一郎と一緒いますが、みんなお母さんのおかげです。
敦子 そいから金太郎ちゃん、あんたも春子おばさんに水をあげてやってね。
金太 うん。……(水をかけて)おらだよ、春子おばさん。
敦子 そいから、金吾さん。
金吾 (静かに歩を移して二三間離れていたが)……なに、俺あ、ええ、敦子さま。
敦子 そう? そいじゃ……(二度三度と水をそそいで)春さん、熱かったわねえ。……水をかけてあげる。……(又水をそそぐ)

遠くでキッ、キッと鋭どい小鳥の声。

敏子 あら、きれいな蝶々! 今ごろ蝶がいるのかしら?(一郎がその蝶に向って手を出してプウ、プウと言う)
金太 春子おばさん蝶々が好きで、おらといっしょに追っかけて歩いたっけ。
敦子 金吾さん。
金吾 (金吾四、五間はなれた所から)はい。……(なんとなく答えて、こちらを見て立っている)
敦子 (低い声で)敏ちゃん、見てごらん、金吾さん寂しそうだ。
敏子 (これも低声)ええ。……(プウ、プウと一郎の声)

離れて立った金吾の姿を、こちらの四人がジッと見ている。サヤサヤと吹過ぎて行く風の音。

音楽(エレジックなテーマの。しかし暗くはない。場合によっては歌詞のない男声のみの二部合唱であってもよかろう。テーマを充分に押し出して。……やがて音楽を下に持って――。[#「――。」はママ]

作者 ……「そうでやす、そんな時、春子おばさんの墓に水をかけながら、すこし離れて立った父の方を見ていたら、どこからか飛んで来た白い蝶が一匹、ヒラヒラとそこらを飛びまわりやした。それを見ているうちに俺あ、なんだか、春子おばさんが出て来て、父のぐるりを飛びまわっているような気がしたんです。……するとそんな時、春子おばさんの好きだった祭りばやしが山の奥から響いてくるのを聞いたような気がしやした。あれは俺の空耳だったのかもしれねえ。しかし、もしかすると奥の部落ではやしの稽古がホントに始まっていたかもしれねえ。……(その祭ばやしが、はるかに鳴りはじめる)とにかく、そうやって、春子おばさんの墓を囲んで敦子おばさんと敏子さんと一郎という坊やと杉夫さんと俺と、それから父とで、ずいぶん永いこと立っていやした……」(祭りばやし)
金太郎君が私にそう語りました。

表へ出て来る祭りばやし。

……金太郎君は既に二十を越した立派な青年になっていて、それが今は亡くなった養父の金吾老人を思い出させるような質素な、ガッシリとした百姓姿をして、草に埋れかけた二つの墓を見やりながら、ポツリポツリと語るのです。その足もとには、もう老犬になったジョンが、そのほとんど盲いた目で、何を見るのか黙々として坐っていました。その時蝶が飛んでいたという墓のほとりには、既にどこを見ても蝶の影も、花の姿もありません。ただ、秋の半ばの水気のなくなった草の中に、春子という人の石の墓、それから、それと直ぐわきに並びもしないで、二間ばかりも離れた所に、金太郎君が建てたという金吾老人の墓が静まり返っているだけでした。

音楽

……それは私が金吾老人のことを聞きに、最後にそこへ行った時のことで、これでいよいよ東京へ帰るというので、スッカリ帰り仕度をしてから、金太郎君の家を辞し、お別れにもう一度と思って、金太郎君とジョンといっしょにお墓参りに寄った時のことです。その足で私は野辺山の駅へ出て汽車で帰って来たのですが……
金太郎君の話では金吾老人がその時「なあに四、五年もたてば、こんな石ころなんず草の下に埋まってしまって誰も気がつかなくならあ」と言ったそうですが、そうです、この私にしても一度東京へ帰れば、もう再びこの二つの墓に参る折もないだろうと思いながら、別にかけてあげる水も無いままに、その墓石にソッとさわってみました。秋の陽を浴びた石は、いくらかぬくもりを保ちながら、しかし底の方から冷々とつめたい。どういう美しい人であったのか、その春子という人を私は遂に見ないわけです……。金吾老人は終戦の次ぎの年の秋ごろ二三日風邪をひいて寝ているうちに、誰も気が附かぬうちに亡くなっていたそうです。安らかな、すこし微笑んでいるような死顔だったそうで……ほとんど一生を唯一人の人に想い入って、その他のことを思うことのできなかった男、そういう事に男の一生をかける事が、幸福であるか不幸であるかさえも考える余裕もなく、その生涯を泣き暮し、しかもその晩年に於ては始終明るくニコニコと頬笑んでばかりいて、もうピタリと泣かなかったそうですが……そういう、愚かしい、むやみと手の大きかった男――そういう男が私の手の下の石の下に眠っているのだ、と、そう思ったのです。

音楽

……ヒョイと気がつくと、高原はもう夕闇に包まれて茫々と暮れかけています。汽車の時間も、もう僅かしか無い。おどろいて私は歩き出しました。金太郎君とジョンが言葉もなく後からついて来ます。(踏み分けられる秋草の音)
……遠い風が私たちのうしろから吹きすぎて行きます。目を放って向うを見ると、既に刈り終った四五枚の水田に切り株が点々と闇の中に没しています。その彼方には黒々とニジンだように見えるカラ松林がつづいています。
その水田を開いたのも、そのカラ松林を植えたのも、みな金吾老人のあの大きなミットのような手であることを、話で聞いて私は知っていました。

遠くでボーッと汽車の汽笛。そして喘ぎのぼる列車の響。

……「ああ汽車が来たようだ。そいじゃ金太郎君、ここで失敬します」と私が言うと「ああ、そいじゃどうかお大事に」と金太郎君は小道の角で立ちどまりました。ジョンの姿が見えないので、どうしたのかと思っていると、その時、今立去って来た黒田の別荘跡の方角から、ジョンが鳴くような声がして来ました。
「はは、ジョンの奴は、どうしたんでやすか、オヤジが死んでから、時々あの墓場のわきへ行っちゃ遠吠えをやらかす癖が附いちゃって――あれがそうでやす」金太郎君はそう言って寂しく笑いました。

その犬の乾いた、引きのばした遠吠の声。

……私はしばらくそれを聞いていました。

(列車の響近づき、汽笛の音がジョンの声をかき消すようにボーウ、ボーウと高原一帯に遠くこだまして鳴りひびく、大の遠吠。更に汽笛。)……やがて、私は、金太郎君に別れを告げて、既に薄暗くなった秋草の小道を駅の方へ急ぎました。

音楽

底本:「三好十郎の仕事 別巻」學藝書林
   1968(昭和43)年11月28日第1刷発行
底本の親本:「樹氷」ラジオ・ドラマ新書(上・下)、宝文館
   1955(昭和30)年10月1日第1刷発行
初出:「樹氷」ラジオ・ドラマ新書(上・下)、宝文館
   1955(昭和30)年10月1日第1刷発行
※この作品は、1955(昭和30)年4〜8月にかけて、NHKから計二十回ラジオ放送されました。親本のあとがきによれば、十一回目はそれまでのまとめで、内容的にはこのファイルにある十九回分がすべてです。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※複数行にかかる中括弧には、けい線素片をあてました。
※見出し前後の行アキ、字下げ、アキの不統一は、底本通りにしました。
※拗促音の小書き如何を含む仮名遣いは、底本通りにしました。
※疑問点の訂正にあたっては、親本を参照しました。
入力:伊藤時也
校正:伊藤時也・及川 雅
2010年5月14日作成
2011年4月2日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。