町のお祭か何かで、中津の停車場はひどく雑沓した。おまけに、雨はかなりに強く降つてゐる。私達は耶馬渓に行く軌道の方へと行つて見たが、そこにも乗客が一杯押寄せてゐた。
 漸く乗るには乗つたが、中々発車しない。あとからあとへと乗客が乗つて来る。大抵は祭礼を見に来た連中で、赤い腰巻をまくつた姐さんや、晴衣を着飾つた子供や、婆さまや、中には小学校の先生らしい人々もゐた。皆な腰をかけずに立つてゐた。
「ひどく込むわねえ。」
 かう一緒に伴れてゐた女は言つた。女の母親は小さくなつて隅の方に辛うじて腰をかけてゐた。これから山の中に入つて行かうとするのに、雨が止みさうにないのにも私達は心を苦しめた。
 耶馬渓の谷の中にも、旅舎はあるに相違ない。しかし何ういふ旅舎が私達を迎へるであらうか。汚い蒲団、暗いわびしい室、碌々言葉もわからないやうな山中の民――かう思ふと旅の興も失せかけた。
 暫くして軌道車は出た。鉄道馬車の少し早い位である。ぐる/\と、中津の町は見えてそして隠れて行つた。頼山陽の最初に滞在した寺が其処から近いといふ停車場あたりからは、杉林が段々見え出して、向うに旧知の八面山はちめんやまがその城壁のやうな姿をあらはして来た。小さな停車場は停車場につゞいた。そして一杯に乗つてゐた人達は一人下り二人下りて、これからそろ/\渓に入らうとするところにある停車場に行つた時には、もう立つてゐるものもなくなる位に車室はゆるやかになつてゐた。
 雨も小降りになつた。
「好い塩梅ね――」
 かう女は喜ばしさうに言つた。
 やがて渓はその最初の潺渓を段々その前に展いて来た。村が山に凭つたり渓に沈んだりしてゐる。深く覗かれた谷には、瀬が白く美しく砕けてゐた。
 私は此の前に来た時のことなど思ひ浮べてゐた。其時は、中津から川に添つて、暑い道を馬車で来た。福岡に男と駈落した村の娘の伴れて帰られるのと一緒であつた。娘はしほ/\としてゐて、伴れの男が氷を買つて呉れても、それを飲むにすら気が進まないといふ風であつた。可愛い眼をした娘だつた。
「おゝ好い」
 かう女が言つたので、気が附くと、軌道車は既に美しい鮎返りの瀑を前にして、今しも樋田の洞門にかゝらうとしてゐた。山には山が重なり合ひ、雲はまたその山の上に※(「分/土」、第4水準2-4-65)湧した。
 私はあちこちを女や女の母親に示した。「そら、そこの洞門の中を歩いて通つて行くんですよ。あそこに路があるんですよ。歩いて見ると、もつと非常に景色が好いんですがね。」
 段々帯岩一帯の奇岩が雨後の筍のやうに続々としてあらはれ出して来た。あるものは簇がる雲の中から、或るものは連なる峰の上から、時には松をあしらひ、時には檜の木の林を靡かせつゝ――そして渓は幾曲折しその間を流れて行つた。
 樋田から羅漢寺に来た時には、薄暮の色が既に迫つて、村や、橋や、谷や、路がぼつとぼかしの中に見えるやうになつた。霧も薄くかゝりつゝあつた。
 私は羅漢寺のある山のあたりを回顧して見たけれども、既にその髣髴をも認めることが出来なかつた。
 次第に谷は夜になつて行つた。ある停車場に着いた時には、最早渓流の白い瀬をも見ることが出来なかつた。汽車がとまると、唯水の音が淙々として聞えた。
 幸ひにも雨は晴れたらしかつた。手を窓の外に出して見た女は、
「あゝ好い塩梅に止んだわ。」
 と言つて、晴れてゐたら月がさぞ美しく渓を彩るであらうと思はれるやうな、底の明るみを持つた空を仰いだ。
「天気になりさうね。」
「なるかも知れないよ。」
 このおぼろ夜が、被衣につゝまれたやうな茫とした白い夜が私には嬉しかつた。それにさつきから気にしてゐたが、三等室には電気がついて居ながら、二等室には竟に灯が点かなかつた。
「つかないのかしら、えらい汽車の二等室ね。」かう女は私やその母親に言つた。
「闇の方が好いよ。その方が山や川が見えるよ。」
 私はかう女に言つた。さつきあれほど乗つてゐた乗客は――三等室も二等室もない程乗つてゐた人達は、何時となく下りて、私達のゐる車室には、私達三人と他に一人隅に横になつてゐる男があるばかりであつた。
 灯のない汽車は、茫とした白い夜の中を静かに走つた。川の瀬は白く、両岸には、奇岩の兀立してゐるのが微かであるが、それでも到る処に指さゝれた。これも車中に灯かげがないお蔭だなどと私は思つた。
 津民の停車場を汽車が動き出したと思つた時、一隅に寝てゐた男はふと身を起して、
「今のは津民ですか?」
「さうです……」
 窓の外を覗いたり何かしてゐたが、それと知つて慌てたらしく、そのまゝ急いで下り口の方へ行つたが、「あぶないですよ!」と女や母親が心配して声をかけるのも聴かずに、そのまゝばた/\飛んで下りた。
 女は立つて行つたが、覗いて見て、「まあ、乱暴なことをするのね、飛び下りたんですよ。」
「何うかしやしないかしら……危ないねえ。」
 かう母親も言つた。
「なアに、速力が遅いから大丈夫ですよ。」
「でも、ね、乱暴ねえ、何うかしやしないかしら、怪我でもして倒れてゐやしないかしら――」かう言つて母親はおぼろ月夜の路を窓から覗いた。
 柿坂の停車場は灯に明るかつた。それに、空には月がおぼろに見えて、山村の藁葺の尖つた屋根や、灯にかゞやいた停車場の旅舎や、周囲をめぐる山などがそれと見えた。水声はあたりに響くやうにきこえた。
 かぶと屋――かう言つて尋ねて街道筋の或る古い旅舎まで私達は行つたが、「別荘の方へ」と言はれて、宿の提灯に案内されて、雨後の泥濘の路を渓声の高い方へと私達はたどつて行つた。
 夜露にぬれた叢があつたり、田の畔のやうな足元のわるいところがあつたりして、女は度々声を立てたが、漸く私達は新しく建てたらしい深樹の中の灯の美しく見える二階屋へと案内された。
 しかし来るのが遅かつたので、二階はみんなふさがつてゐた。「まア、兎に角」と言つて通された処は、宿の人達のゐるつゞきで、其処にすら浴衣がけになつた客が既に一人控へて居た。失望したけれども、何うするわけにも行かなかつた。かうした山の中に来ては、そんな贅沢なことは言つては居られなかつた。
 しかし茶代を下した効目で、前にゐた客は、本店の方に行くことになつて、兎に角その一間は私達の占領することが出来るやうになつた。それに、宿の主人夫妻が何彼と深切に歓待して呉れた。後には、母親は「田舎の親類にでも招ばれて来たやうな気がしますね。」などと言つた。
 私は女と一緒に闇の中を渓の畔まで出て行つたりした。二階の灯は静かに新緑の中に青く見えた。
 風呂は五右衛門風呂であつた。母親は出て来て勧めたけれど「私はよすわ。」と言つて女は遂にそれに入らなかつた。女は金盥に一杯湯を貰つて体を拭いた。
 室が家の人達の室と続いてゐるので、亭主や上さんや子供達は遠慮なく私達の室に入つて来て話した。実際、母親の言葉通り、何処か田舎の親類へでも呼ばれてゐるやうな気がした。室の隅には耶馬渓焼の廉い陶器や、西行の像を焼いた玩具や、いろ/\なものが客に売るために置いてあつたが、七八歳になる男の児は、父親の此方に来て話してゐる傍に、それを持つてやつて来て、「西行さん、坊さん、西行さん、坊さん」などと言つた。
 夜は静かに更けた。水声が私達の枕をゆるがすやうにした。
 あくる朝は早く起きた。幸ひに天気は好かつた。さわやかな朝日の光線は深く谷の中までさし込んで来た。深樹の緑に置いた朝露はキラ/\と美しく光つた。
 宿の亭主は私達を案内して、山陽の筆を擲つたといふ渓の畔へと伴れて行つた。二階の客の発つたあとでは「お構ひもしなかつた。」と改めて私達をそこに導いて、津民谷で獲れた鰻などを馳走した。あつさりしてゐて旨い鰻であつた。
 帰る時には、亭主はその男の児を伴れて、停車場までわざ/\送つて来て呉れた。茶代の影響とは言へ、流石は山の中の質朴さであつた。「本当に、初め行つた時は、こんな山の中の家に泊るのかと思つたけれど、却つて呑気で好かつたわねえ、旅はこれだから面白いのねえ。」かう女は言つた。
 実際さうであつた。昨夜は福岡で大尽でもあるかのやうな派手な泊り方をした。その前の宮島でも矢張さうであつた。それがかうして質朴な山中の旅舎に泊るといふことも旅なればこそと思はれた。
 帰りには私達は窓から顔を離さなかつた。昨夜闇にすぎた谷には、目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはるやうな美しい瀬が、そこにも此処にもあらはれてゐた。津民川の流れて落ちるあたりは殊に感じがすぐれてゐた。五竜の滝は白い波頭を立てゝ見事に砕けてゐた。
 次第に私達は山を出て行つた。


 耶馬渓はしかし矢張天下の名勝たるには恥ぢなかつた。
 或はこれを球磨川の峡谷に比す、或はまたこれを熊野川の谷に比す、乃至はまた東北信飛の深い渓山に比して見る、さうして見れば、無論余りに浅い谷、余りにあはれな谷、余りに世間化した谷のやうに思はれるに相違ないが、しかしさうして比較して見るのは、初めて接した時の心持で、単にさうした比較で片附けて了ふことの出来ないやうな価値が、二度行き三度行く中に、次第に私の心に飲込めて来た。
 耶馬渓の谷は、実にその浅いのを、またはその水の瀬の平凡なのを、また斜木の少いのを病とはしてゐないのであつた。何故と言ふに、渓の特色は、価値は寧ろその岩石にあるのである。山の突兀として聳えた形にあるのである。従つて浅い谷が、潺渓とした水が却つてそれに伴つてゐるのである。
 であるから、此処では、決して急瀬奔湍の奇を見ることは出来ない。雲烟※(「分/土」、第4水準2-4-65)涌、忽ち晴れ忽ち曇るといふやうな深山の趣を見ることは出来ない。密林深く谷を蔽つて水声脚下にきこえるやうな世離れた感じを味ふことは出来ない。夏日の冷めたい清水に手も切るゝやうな快を得ることは出来ない。さうしたことを望んで、そしてそこに入つて行くものは必ず失望する。しかし渓流が処々に山村を点綴して、白堊の土蔵あり、田舎籬落あり、時にはトンネル、時には渓橋、時には飛瀑、時には奇岩といふ風に、行くままに、進むままにさながら文人画の絵巻でも繙くやうに、次第にあらはれて来るさまは、優に天下の名山水の一つとして数ふるに足りはしないか。頼山陽もさうした形が面白いと思つたのではないか。
 私は私の乗つた軌道車が、樋田あたりから夜になつて、渓を一々仔細に目にすることの出来ないのを憾んだが、しかしその車に燈火がなく、外はおぼろ月夜であつたために、却つて両岸の※(「燐の火へんに代えて山へん」、第4水準2-8-66)※(「山+旬」、第3水準1-47-74)を見得たことを喜ばずにゐられなかつた。夜に見た耶馬渓ではなくて、奇岩突兀とした耶馬渓であつた。それが私に耶馬渓に対して正しい判断を与へる有力な材料となつた。
 奇岩は一つ一つ夜の微明るい空を透して聳えて見えた。
 従つて最初行つた時に、羅漢寺の岩石も、この渓の一部であるとして見れば面白くないことはないと思つた。柿坂から新耶馬渓の奥を究めるに至つて、いよ/\さうした私の考へは肯定された。
 耶馬渓は渓全体として面白いのであつた。其処に青の洞門があり、彼処に羅漢寺があり、またその一方に柿坂のやうな、いかにも山の宿駅らしい部落があるといふ形が面白いのであつた。こゝから一つ一つ、五竜の渓を離し、点返りの瀑を離し、帯岩を離し、津民谷を離して見ては、決して単独にその勝を誇ることは出来ないのであつた。
 私は山移川の谷もかなりに深くわけて入つて見た。落合といふ村のあるあたりまで行つて見た。此処も矢張、耶馬渓の絵巻の一つのシインであるに相違なかつた。
 ことに、私は柿坂のかぶと屋の静かな一夜を忘れかねた。軌道が出来たので、その停車場の近くに新しい旅舎をつくつたが、それが丁度山陽の擲筆松といふあたりの渓潭に近いので、さゝやかな静かな渓声が終夜私の枕に近く聞えた。
 そしてその渓声は、耶馬渓の特徴を成してゐるので、決して日光あたりで聞くあの凄じい怒号でもなく、また塩原あたりで耳にするあの潺渓でもなく、また上高地あたりで聞くあの嗚咽でもなかつた。それは静かに囁くやうな渓声であつた。
 従つて、四季の中では、秋が一番美しいであらうと思ふ。紅葉の美は確かにこの谷の調和を保つであらうと思ふ。次には春が好いであらう。夏はこの谷の中はかなり暑い上に、山が浅いために虫が多く、それが灯の周囲にぱら/\と集つて来て、とても静かに坐つてゐることは出来なかつた。しかしこの谷では夏はかなりに旨い鮎が獲れた。津民谷で獲れるといふ鰻もあまりにしつこくなくて好かつた。
 私の三度目に入つて行つた時には、雨で、卯の花が白く咲いてゐた。「雨にあふもまたあしからじ卯の花の多き谷間の夕ぐれの宿」といふ歌を私は手帳に書きつけた。

底本:「現代日本紀行文学全集 南日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行
入力:林 幸雄
校正:鈴木厚司
2004年11月24日作成
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