先年の戦争中、私たちみんなの小さい疎開荷物には、紙、櫛、石けん、手拭、肌着、足袋、白米五合、マツチぐらゐな物が入つてゐた。小町が小さい荷物を持つてゐたとしても、櫛、紙、香料の袋、肌着ぐらゐな物しか考へられない。都を出て遠路を歩いてくるうちに、お金をすつかり使ひ果してゐたらうと思はれる。花やかだつた彼女の過去をつつんだ凡ての美しい物、歌と社交と恋愛と、その他もろもろの好い物は旅立つ日にみんな捨てたのである。彼女の心はその時もう死んでしまつたに違ひない。その他もろもろといふ言葉は近ごろ「二十の扉」でたびたび聞かされる。
ふるさとのみちのくへ行く途中で死んだ彼女とは逆に、私たちは未知の明日に向つてみんなが旅立つて行きつつある。その旅の小さい荷物の中には何が入れられるのだらう? まづ主食ではない、夜具布団でも着物でもない。私たちの一ばん欲しい物、買ひたいもの、それはおのおの違つたもので、必需品以外に、生活のうるほひとなる小さな物や大きなもの、その他もろもろであらう。疎開荷物に入れられた物や、むかしの小町の小さい包に入れられた物ではない、それ以外のもろもろの好ましい物。
四五人が寄つてお茶を飲みながら、みんなが欲しいものを言つた。虎屋の羊かんを五六ぽんとある人が小さい願ひを言つた。毛皮の外套と若い人が言つた。匂ひのいい石けん、といふ人もゐた。ラツキイを十箱ぐらゐでがまんするといふのもゐた。それはみんなが持つてゐる夢で、多少なりともその幾分は充され得る夢である。
小さい荷物もあるかなしに枯野をあるく昔の女とは違つて、私たちの毎日には何かしら好い香り、うつくしい色け、豊かな味、そんなものの少しづつでも与へられる時代となつた。それは「暮しの手帖」に書き入れられるもろもろの好い物であると言つてもよろしい。衣食足つてと言つた昔の人のゆめにも知らない今日のわれわれの生活はとぼしく裸であるけれど、その中にも出来るだけの知慧をしぼつて、夢と現実とを入れまぜたもろもろの好い物を見出してゆきたい。
底本:「燈火節」月曜社
2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
1953(昭和28)年6月
初出:「美しい暮しの手帖 三号」暮しの手帖社
1949(昭和24)年4月
※初出誌では末尾に以下の文章が続いている。
「このついでに「美しい暮しの手帖」について一筆かき添へる。
この美しいという形容詞は暮しにつくのであらうか、手帖につくのであらうか。「美しい暮し」の手帖か、美しい「暮しの手帖」かと、閑人の私は考へた。
美しいといふ言葉は、私の字びきでは、うつくし……珍奇(ウツク)シ、愛スベシ、イツクシ、形愛スベク好シ、ウルハシ、アデヤカ、キレイナリ、美麗ナリ等々である。
たぶん珍奇(うつく)しく、愛すべく好ましく、綺麗な手帖といふやうな形容詞であらうか。私はさう思つてこの「暮しの手帖」を珍奇(うつく)しみ、いとほしみ愛したいのである。「美しい暮し」というところまで行きつくのには、まだ途は遠いのであらうかと思はれる。」
入力:竹内美佐子
校正:伊藤時也
2010年10月14日作成
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