(座敷の真中に高脚の雑煮膳が三つ四つ据えてある。自分は袴羽織で上座の膳に着く。)「こんなに揃って雑煮を食うのは何年振りですかなア、実に愉快だ、ハハー松山流白味噌汁の雑煮ですな。うまい、実に旨い、雑煮がこんなに旨かったことは今までない。も一つ食いましょう。」「羽織の紋がちっと大き過ぎたようじゃなア。」「何に大きいことはない。五つ紋の羽織なんか始めて着たのだ。紋の大きいのは結構だ。(自分は嬉しいので袖の紋を見る。)仙台平せんだいひらの袴も始めてサ。こんなにキュウキュウ鳴ると恥かしいようだ。」「お雑煮をも一つ上げよか。」「もうよございます。屠蘇とそをも一杯飲もうか。おいおい硯と紙とを持て来い。何と書てやろうか。俳句にしようか。出来た出来た。大三十日愚なり元日なお愚なりサ。うまいだろう。かつて僕が腹立まぎれに乱暴な字を書いたところが、或人が竜飛鰐立りょうひがくりつめてくれた事がある。今日のも釘立ち蚯蚓みみず飛ぶ位の勢はたしかにあるヨ。これで、書初かきぞめもすんで、サア廻礼だ。」
「おい杖を持て来い。」「どの杖をナ。」「どの杖ててまさかもう撞木杖しゅもくづえなんかはつきやしないヨ。どれでもいいステッキサ。暫く振りで薩摩下駄を穿くんだが、非常に穿き心地がいい。足の裏の冷や冷やする心持は、なまゆるい湯婆たんぽへ冷たい足の裏をおっつけて寒がっていた時とは大違いだ。殊に麻裏草履あさうらぞうりをまず車へ持ていてもらって、あとから車夫におぶさって乗るなんどは昔の夢になったヨ。愉快だ。たまらない。」(急いで出ようとして敷居につまずく。)「あぶないぞナ。」「なに大丈夫サ、大丈夫天下の志サ。おい車屋、真砂町まさごちょうまで行くのだ。」
「お目出とう御座います。先生は御出掛けになりましたか。」「ハイ唯今出た所で、まア御上りなさいまし。」「イヤ今日は急いでいるから上りません。」「あなたもうそんなにお宜しいので御座いますか。この前お目にかかった時と御形容ごようすなんどがたいした違いで御座います。」「病気ですか、病気なんかもうき厭きしましたから、去年の暮にすっかり暇をやりましたヨ。今朝起きて見たら手や足が急に肥えて何でも十五貫位はありましょうよ。」「そうですか、それは結構で御座います。まアお上りなすって、屠蘇を一つさし上げましょう。」「いや改めてゆっくり参りましょう。サヨナラ。おい車屋、金助町だ。」
「ヤアこれは驚いた。先生もうそんなにお宜しいのですか。もうお出になっても宜しいのですか。マアどうぞ、サアこちらへ。(座敷へ通る。)お目出とう御座います。旧年中はいろいろ、相変りませず。」「お目出とう御座います。」「今朝もおうわさを致して居りましたところです。こんなによくおなりになろうとは実に思いけがなかったのです。まだそれでもお足がすこしよろよろしているようですが。」「足ですか、足は大丈夫ですヨ。すこし屠蘇に酔ってるんでしょう。時にきょうの飾りはひどく洒落しゃれていますな。この朝日は探幽たんゆうですか。炭取りに枯枝を生けたのですか。いずれまた参りましょう。おい車屋、今度は猿楽町だ。」
「や、お目出とう御座います。留守ですか。そうですか。なるほどこういう内ですか。」「まアあんさんちょっとお上りやす。」「いいえ急いでいますから……私の書生の頃この隣の下宿屋にいたのですが、もう十四、五年も前のことですから、この辺の様子はすっかり違っていますヨ。サヨナラ。」
「おやお珍らしゅう、もうそんなにすっかりお宜しゅう御座いますので、まアお上りなさいませ。(座敷に通る。)お目出とう御座います。旧年中は……相変りませず。」「お留守ですか。」「ハイ唯今河東さんがお出になって一緒に出て行きました。」「マーチャンお目出とう。」「マーチャンお辞儀おしなさい。このおじさん知っていますか。オホンオホンじいちゃんがネー御病気がすっかりよくおなりなすっていらしったのだからお辞儀をしなくちゃいけません。」「マーチャンはことし四つになったんでしょう、そうしてあかチャンの姉チャンになっておとなしくなったからこれをあげるヨ。」「おやいいものをいただいて、この中には何が這入ってるだろう、あけて御覧んなさい。おやいいもんだネー。オヤもうおかえりでございますか。」
「おい君しばらく逢わなかったネー。」「やあ珍らしい。まアお目出とう。」「君はいつから足が立つようになったのだ。僕は全く立たんと聞いていたが。」「なに今朝から立ったのだヨ。今朝立って見たら君、痛みなんどはちっともないのだもの。」「そうか、そりゃ善かった。大変心配していたんだヨ。もうとてもいけないだろうッて、誰れか言った位であったから。」「しかし君は何処へ行くんだ。」「そうか、それじゃ僕も一緒に行こう。」「もうひるじゃが君飯食わないか。」
「それじゃ一緒に食おう。」
「これか、新橋ステーションの洋食というのは。とにかく日本も開らけたものだネー。爰処ここへこんな三階作りが出来て洋食を食わせるなんていうのは。ヤア品川湾がすっかり見えるネー、なるほどあれが築港ちっこうの工事をやっているのか。実に勇ましいヨ。どしどし遣らなくっちゃいかんヨ。」「君はどの汽車に乗るのだ。」「僕は二時半の東海道線だが、もっとも本所へも寄って行きたいのだが、本所はずれまで人力で往復しては日が暮れてしまうからネ。」「本所へ行くなら高架鉄道に乗ればよい。」「そうか。高架鉄道があるのだネ。そりゃ一番乗って見よう。君この油画はどうだ非常にまずいじゃないかこんな書き方ってないものだ。へーこれは牡丹の花だ。これがいわゆる室咲むろざきだな。この頃は役者が西洋へ留学して、農学士が植木屋になるのだからネ。」「オイオイ君ソップがさめるヨ。」「なるほどこれはうまい。病室で飲むソップとは大違いだ。」
(ジャランジャランジャラン)
「寝台附の車というのはこれだな。こんな風に寐たり起きたりしておれば汽車の旅も楽なもんだ。この辺の両側の眺望はちっとも昔と変らないヨ。こんな煉瓦れんがもあったヨ。こんな庭もあったヨ。松が四、五本よろよろとして一面に木賊とくさが植えてある、爰処ここだ爰処だ、イヤ主人が茶をたてているヨ、お目出とう、(と大きな声をする。)聞こやしないや。ここは山北だ。おいおいあゆすしはないか。そうか。鮎の鮓は冬はないわけだナ。この辺を通るのは、どうもいい心持だ。ここが興津か。この家か、去年の秋移ろうかといったのは。なるほどこれなら眺望がいいだろう。」(大阪の連中が四、五人汽車の窓の外に立っている。)「先生お目出とう御座います。/\/\/\/\。」「ヤアお目出とう御座います。諸君お揃いで。」「今東京から電報が来たもんですからお出迎えに来たのです。」「そうですか、それは有難う御座いますが、ちょっと国へ帰って来ようと思いますから、帰りによりましょう。そうですか。サヨナラ。」
「おい車屋、長町の新町まで行くのだ。ナニ長町の新町といってはもう通じないようになったのか。それならば港町四丁目だ。相変らず狭い町で低い家だナア。」
「アラ誰だと思うたらのぼさんかな。サアお上り、お労れつろ、もう病気はそのいにようおなりたのか。」(座敷へ通る。)「アラおまいお戻りたか。」「マア目出とう。おばアさん相変らず御元気じゃナア。」「いいエおばあアはもうぼれてしもてなんのやくにもたたんのヨ。」「おいさんはお留守かな。」「おいさんは親類だけ廻るというて出たのじゃけれ、もうもんて来るじゃあろ。」「それじゃアあたしも親類だけ廻って来よう。道後どうごが奇麗になったそうなナア。」「そうヨ、去年は皇太子殿下がおいでになるというてここも道後も騒いだのじゃけれど、またそれがみになったということで、皆精を落してしもうたが、ことしはお出になるのじゃというて待っておるのじゃそうな。」「それじゃちょっと出て来よう。」「マアお待ちやお燗酒かんざけだけしようわい。おなかがすいたらお鮓でも食べといき。」「いいエもうええ。」「そんならすぐもんておいでや。こよいはうちへお泊りるのじゃあろうナア。」「こよいかな。こよいは是非ぜひ東京へ帰って活動写真を見に行く約束があるから、泊るわけには行かんが。」「そのいにお急ぎるのか。」「そうヨ、今度はちょっと出て来たのだから………とにかくうちの古い家を見て来よう。」
「オヤオヤ桜の形勢がすっかり違ってしまった。親桜の方は消えてしまって、子桜の方がこんなに大きくなった。これでこの子桜の年が二十二、三位になるはずだ。ヤア松のこずえが見える。あの松は自分が土手から引て来て爰処ここへ植えたのだから、これも二十二、三年位になるだろう。あの松の下に蘭があって、その横にサフランがあって、その後ろに石があって、その横に白丁はくちょうがあって、すこし置いて椿つばきがあって、その横に大きな木犀もくせいがあって、その横にほこらがあって、祠の後ろにゴサン竹という竹があって、その竹はいつもおばアさんのつえになるので、そのたけのこは筍のうちでも旨い筍だということであった。そのゴサン竹の傍にしょうぶも咲けば著莪しゃがも咲く、その辺はなんだかしめっぽい処で薄暗いような感じがしている処であったが、そのしめっぽい処に菖や著莪がぐちゃぐちゃと咲いているということが、今に頭の中に深く刻み込まれておるのはどういうわけかわからん。とにかく自分が二つの歳から十六の歳まで毎日毎日見たり歩いたりしていたこの庭が、今はどんなになっているであろうか、ちょっと見たいと思うけれど、今は他人の家になっておるのだから仕方がない。垣からのぞいて見ようと思うにも、川の隔てがあるからそれも出来ん。」
「ヤア目出とう。お前いつお帰りたか。」「今帰ったばかりサ。道後の三階というのはこれかナ。あしゃアこの辺に隠居処を建てようと思うのじゃが、何処かええ処はあるまいか。」「爰処はどうかナ。」「これではちっと地面が狭いヨ。あしゃア実は爰処で陶器をやるつもりなんだが。」「陶器とはなんぞな。」「道後に名物がないから陶器を焼いて、道後の名物としようというのヨ。お前らも道後案内という本でもこしらえて、ちと他国の客をひく工面くめんをしてはどうかな。道後の旅店なんかは三津の浜のはしけの着く処へ金字の大広告をする位でなくちゃいかんヨ。も一歩進めて、宇品の埠頭ふとうに道後旅館の案内がある位でなくちゃだめだ。松山人は実に商売が下手でいかん。」
「なるほどこりゃ御城山に登る新道だナ。男も女も馬鹿に沢山上って行くがありゃどういうわけぞナ。」「あれは皆新年官民懇親会に行くのヨ。」「それじゃあしも行って見よう。」(向うの家の中に人が大勢立って混雑している。その中から誰れやら一人出て来た。)「おい君も上るのか。上るなら羽織袴なんどじゃだめだヨ。この内で著物を借りて金剛杖を買って来たまえ。」「そうか。それじゃ君待ってくれたまえ。(白衣に著更きかえ、金剛杖をつく。)サア君行こう。富士山の路は非常に険だと聞いたが、こんなものなら訳はないヨ。オヤ君はここに写生していたのか。もう四、五枚出来てる?、それはえらいネー。もう五合目い来たのか。とにかくあしこの茶屋で休もうじゃないか。ヤア日本茶店と書てある。何がある。しる粉がある?。それならしる粉くれ。しきりに皆立って行くじゃないか。なんだ。日の出か。なるほど奇麗だ。赤いもんがキラキラしていらア。君もう下りるか。それじゃ僕も一緒に下りよう。なるほど砂をすべって下りるとわけはないヨ。マア君待ちたまえ、馬鹿に早いナア。(急いで下りるつもりで砂をふみはずして真逆様まっさかさまに落ちたと思うと夢が覚めた。)

      *  *  *  *  *

 目を明いて見ると朝日はガラス戸越しに少しくさし込んで、ストーブは既にきつけてある。腰の痛み、脊の痛み、足の痛み、この頃の痛みというものは身動きもならぬ始末であるが、去年の暮の非常に烈しい痛が少し薄らいだために新年はいくらか愉快に感ずるのである。アアきょうもエー天気だ。
〔『ホトトギス』第四巻第四号 明治34・1・31

底本:「飯待つ間」岩波文庫、岩波書店
   1985(昭和60)年3月18日第1刷発行
   2001(平成13)年11月7日第10刷発行
底本の親本:「子規全集 第十二巻」講談社
   1975(昭和50)年10月刊
初出:「ホトトギス 第四巻第四号」
   1901(明治34)年1月31日
※底本では、表題の下に「子規子」と記載されています。
入力:ゆうき
校正:noriko saito
2010年5月19日作成
2011年5月12日修正
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