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   主よ我信ず、わが信なきを助けたまへ


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 實行とならぬ思想は無價値だと云ふ言葉は屡※(二の字点、1-2-22)耳にするところである。併しこの言葉の意味は隨分粗雜で、その眞意を捕捉し難い。若し實行とは主觀が客觀(人及び物)に直接に働き掛ける事のみを意味するならば、或る種類の思想は本來實行となるまじき約束を持つてゐる。さうして實行とならずともその思想は決して無價値ではない。若し又實行とは主觀内の作用が他の主觀作用を――一つの思想感情が他の思想感情を――喚起する事をも意味するならば、凡ての眞實なる思想は必然的に實行となる。世界の何處にも實行とならぬ思想はあり得ない。
 數學上の公理は幾多の定理と系と命題とを産んだ。物理學上の法則は宇宙間に行はるゝ幾多の具體的事實を説明した。思想は常に思想を産んで細密なる連續體を形成し、遂に吾人の世界觀を構造するに至る。如何なる場合に於ても思想は力である。
 思想は力なるが故に、思想は波及する、又深みに行く。數學者又は物理學者の思想と雖も彼等の世界觀を規定し彼等の人格的生活を規定せずには措かない。況して哲學上藝術上の思想が哲學者藝術家の Gem※(ダイエレシス付きU小文字)t(心ばえ)に作用して、彼等の主觀状態を改造することは云ふ迄もないことである。故に實行とならぬ思想は無價値だと云ふ主張が、單に力――心理的の力である物理的社會的の效果を惹起す可き力ではない――力のない思想、遊離せる思想、空華なる落想を拒斥するだけの意味ならば、固よりその主張は正當である。此主張は要するに虚僞なる思想は無價値だと云ふに等しい。改めて云ふまでもないことである。
 併し凡ての力ある思想は必然的に客觀に働き掛ける性質を持つてゐると云ふ事は出來ない。固より凡ての力ある思想はその思想を懷抱する人の人格を規定する。從つてその人格が客觀に働き掛ける際の態度を何等かの意味に於いて規定する。故に間接に云へば凡ての思想は客觀に働き掛ける性質を持つてゐると云へない事はない。併し※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて客觀に働き掛ける結果となる事は、思想そのものが客觀に働きかける目的を持つてゐると云ふ事にはならない。又思想そのものが直接に客觀に働き掛ける性質を持つてゐると云ふ事にもならない。或種類の思想は先づ人格を規定して、その人格を通じて間接に客觀に作用する結果を産む。又或種類の思想は客觀に働き掛けむとする人格の意志より生れて、直接に客觀と折衝するの任に當る。若し實行とならぬ思想は無價値だと云ふ主張が第一種の思想を否認して、第二種の思想のみを是認するの意ならば、此主張の根據は躁急なる實利主義と淺膚なる巧利主義に在ると云はなければならぬ。此の如きは唯内面生活の權威を知らぬ商人のみの口にす可き主張である。
 此意味の主張に從へば、數學と物理學とは器械工業の基礎としてのみ僅に存在の理由を有する。哲學宗教は教育と社會改良との根據を與へるにあらざる限りは無用の長物である。藝術の中で、許さる可き唯一の部門は傾向藝術である。密室の中に在りて神と交通する宗教家の生活は飮酒喫煙と種類を等しくする懶惰の生活である。彼等にとりて價値のある生活は、商賣人となりて算盤をとるか、政治家となりて國政を議するか、救世軍となりて街頭に太鼓を叩くかの外にはあり得ない。

 或人は考察の生活、觀照の生活、瞑想の生活――約言すれば思想の空しきを説いて、事業と實行との生活に就く可き事を奬説する。此際に於いて問題となるものは、人間生活の理想としての思想と實行との對立である。
 思想の生活はその客觀に對する態度から云へば受納の生活である。受動の生活である。思想は(客觀と關係する點から云へば)客觀より與へらるゝ處を受納し之を材料として主觀内に於いて溌剌たる能動の態度を採る。その對象とする處は「物」としての客觀にあらずして、自己主觀裡に攝取せられたる客觀である。故に思想の内容は森羅萬象を網羅するに拘はらず、思想家の面々相接する處は寧ろ思想家自身である。從つて思想家の生活には屡※(二の字点、1-2-22)孤獨の感情、空漠の感情、遊離の感情が襲來し易い。思想家が往々自家の生活の空しきを感じて事業の生活、實行の生活を慕ひ、遂にその生活に轉移する心持は決して無理だとは思はれない。實行の生活に於いて、客觀は赤裸々に、その全面を呈露して「對象性」をとる。さうして主觀は此對象に對して能動の態度をとり、客觀は又主觀に對して溌溂として反應する。故に實行の生活は的確で、明晰で、痛快で、猛烈である。吾人は此生活に於て全人の根柢から搖り動かさるゝ機會を持つことが多い。自分も亦屡※(二の字点、1-2-22)實行生活に對する憧憬によりて思想生活の根柢を震撼される心持を經驗する。自分は此類の主張に對して相應の理解を持つてゐるつもりである。
 併し、確乎たる思想上の根柢を有せざる實行の生活も亦空しい。全體を統一する大なる力の支配の下に立たずして、きれ/″\に、離れ離れに、唯動くが爲に動く生活の惶しさを思へ。内化されず、把握されぬ空しい動亂は、唯意識の表面を掠めるのみで、砂上の足跡のやうに果敢なく消えて了ふ。實行のために實行を追ふものは、唯無數の事件を經驗するのみで、眞正に「我」を經驗する機會を持たない。吾人の周圍にウヨウヨしてゐる所謂政治家、實業家、法律家、教育者の生活――彼等の生活こそ In Abstracto に實行の生活である――の空しさを見れば誰か面を背けて逃出さぬを得よう。空漠な、遊離せる思想の生活が厭はしいやうに、根柢に横たはる大きい深い者を原動力とせざる實行の生活も亦空しい。思想の生活を實にする者は恐らくは實行の生活のみではあるまい。思想の生活と實行の生活とを併せて實にする或者が、恐らくは此兩者の奧に君臨してゐるのであらう。
 暫く自分の經驗の未だ及ばざる範圍に思索を馳せる事を許して頂きたい。宗教家の經驗するところに從へば神は愛であると云ふ。若し神が愛ならば、此神の愛を身に受けて之と交通するに餘念のない生活――瞑想のみの生活は眞正に宗教的な生活とは云ひ得ないであらう。神の愛を眞正に身に受けたる者は此愛を他の闇黒裡に蠢く同胞に光被させようとしなければならない筈であらう。約言すれば神より愛さるゝのみに滿足せずして、神と共に愛する者とならなければならない筈であらう。濟度の慾望とならず、傳道の慾望とならぬ宗教の不徹底な所以は自分にも微にのみ込めてゐる。宗教の信はその本來の性質上必然にとならなければなるまい。換言すれば宗教上の思想生活は必然に實行生活に移らなければなるまい。併し神の愛を深く心の底に味はひしめた事のない者がどうして之を他人に與へることが出來よう。傳へるとは何を傳へるのか、與へるとは何を與へるのか。光は固より照さなければならない。照すは光の本質である。併し徒に照さむと焦る闇ほど滑稽なものはない。野に出でて叫ぶ者の活動を正しき者とするは唯密室に於ける神との交通である。唯内より輝き出づる光である。
 神との交通は瞑想の生活を正しくする、又實行の生活を正しくする。瞑想の生活を實にする。又實行の生活を實にする。今自分の思想の生活は寂しい。自分は屡※(二の字点、1-2-22)孤立を感じ、空漠を感じ、遊離を感ぜずにはゐられない。今自分の實行の生活は頼りがない。自分は屡※(二の字点、1-2-22)動きながら逡巡する。進みながら疑惑する。此寂しさと此頼りなさは自分の「實なるものを實にする者」に對する、根本的實在に對する、「神」に對する憧憬である。それは、思想生活より實行生活に向ふ憧憬と解釋して了ふには、餘りに深い根柢を持つてゐる。餘りに内面的ななやみに溢れてゐる。
 自分が思想の生活と實行の生活との根柢として待望むものは Vision(直視)の生活である。Vision の生活に進めば、自分の思想生活の對象は空漠を脱して溌溂として活躍するものとならう。從つて自分の思想生活の態度も亦痛烈にして勇猛なものとなるであらう。さうして自分の實行生活は根柢を得、内容を得、統一を得るであらう。
(三、五、一七)
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 或種の思想は、その本來の性質上、主觀内に於いて、若しくは客觀の世界に於いて、或種の状態を實現するの要求として現はれる。吾人は普通此の如き特殊なる思想を呼んで理想と云つてゐる。理想は常に現實の上に臨む力として其實現を求めてゐる。現實に對して實現を迫るの力なき理想は咏嘆に過ぎない、空語に過ぎない、饒舌に過ぎない。故に實行とならざる思想は無價値だと云ふ言葉は、その意味を限定して、實現せられざる理想は無價値だと云ふ意味とすれば、その内容は遙に鮮明にして妥當なるものとなる。
 併し人のよく云ふやうに――さうしてトルストイも嘗て云つたやうに――實現せられたるものは理想ではない。理想は實現さるゝと共に理想ではなくなる。理想の理想たる所以は、それが常に現實の上に懸る力として、現實を高め淨むる力として、現實を指導して行く處にある。故に理想が理想たる限りはそれは現實と矛盾する。理想は現實を歩一歩に淨化して之を己に近接せしめながら、而も常に現實と一歩の間隔を保つて行く。實現の要求を伴はぬものは理想ではない。實現されて了つたものも亦理想ではない。實現の要求に驅られながら未だ實現せられぬ處に理想は存在するのである。
 故に實現せられざる理想は無價値だと云ふ言葉は再び改鑄するの必要がある。既に實現せられたるものは理想ではない。實現を求むる切なる要求を伴はぬ理想こそ――實現に向ふ内的必然性を含まざる理想こそ、無價値なのである。實現せられざる理想が無價値ならば、凡ての理想はその本來の性質上無價値なものにならなければならない。
 實現の結果を重視するものと、實現の意志を重視するものと――此二つの相違は人生の見方に非常な逕庭を生ずる。前者より見れば未だ結果に到達せざる思想は凡て無價値である。未だ實現せざる理想を主張する者は僞善者である。併し後者の立脚地より見れば、未だ實現せられず、未だ結果に到達せざる思想と雖も、猶ほ理想として特殊の價値を有する。此價値をあかしするは、未來を洞察する豫感の力である。實現の要求を煽る現在の心熱である。刹那刹那に新生面を開展し行く現實の進歩である。
 大なる理想を孕める者は、その理想が自分の内面に作用する力を刻々に感ずるであらう。此理想を實現するの困苦を泌々と身に覺えるであらう。さうして征服し盡されず、淨化し盡くされず、高揚し盡くされざる自分の現實に就いて堪へ難い羞恥を感ずるであらう。而も彼には直接内面の心證あるが故に、此屈辱と羞恥の感情を以つてするも、猶ほ此理想を抛擲することが出來ない。理想を負ふ者の矛盾と苦痛と自責と屈辱とを耐へ忍ぶ事は避く可からざる彼の運命である。
 併し理想を負ふ者の苦しみを嘗め知らざる者は、此間の悲痛に就いて同情を寄せる事が出來ない。彼等は輕易に理想家の内に行はるゝ理想と生活との矛盾を指摘して、直に理想そのものと理想家その人とを否定する。故に理想家は内面的矛盾の苦しみの外に、又社會の罵詈と嘲笑とをも忍ばなければならない。トルストイのやうな一生は實に理想を負ふ者の代表的運命である。多かれ少かれ、理想を内に孕めるものはトルストイの運命を分たなければならないのである。
 逃げむと欲する者は逃げよ。逃げむと欲するも逃げ得ぬ者は勇ましく此悲痛なる運命を負ふのみである。

 理想はその現實の上に――事實現在の生活の上に、百歩を進めても關はない。理想が溌剌たる要求の性質を失はぬ限り、理想は高ければ高い程、その現實に作用する力は峻烈となり痛切となるであらう。從つて現實は益※(二の字点、1-2-22)根本的に高められ淨められるであらう。
 併し大なる理想に堪へる心は又現實の卑さを端視するに堪へる心でなければならない。大なる理想はしつかりとその生活の上に根を卸して丹念に誠※[#「殻/心」、U+6164、137-3]に現實の卑さを淨化する努力を指導するものでなければならない。大なる理想は先づ現實の眞相を看破して、其處に第一の礎を築かなければならない。それは生活の進歩を一足先に見越して、まだ空な處にその基礎を据ゑようとしてはいけない。理想と現實との距離に對する鋭敏なる感覺は、理想の淨化作用を溌剌の儘に保つ爲の第一要件である。此距離の感覺を失ふ時、吾人は自分の生活に嚴峻なる鞭撻を加へるに疲れて、漸くその現實に媚び、之に慢心の理由を與へようとする。併し大なる理想に堪へると云ふ事はその人格の潛在性の大きさを證しする事にはなつても、決してその人格の現實性の大きさを證しする事にはならないのである。
 優れたる人は曰ふ、「飛躍せよ飛躍せよ」と。茲に所謂飛躍とは本質の飛躍であつて、自意識の飛躍ではない。躁急なる飛躍者に在りては、自意識が飛躍して本質が取殘される。さうして飛躍せる自意識と取り殘されたる本質とは、中に横たはる罅隙を隔てて呆然として相對する。自意識の飛躍は餘りに輕易にして、餘りに人に親しい。眞正の飛躍を望む者は本質に飛躍す可き力の充ち溢れる迄押こらへて待つてゐなければならない。
 基督は曰ふ、「終りまで待つ者は救はる可し」と。
 惡魔は曰ふ、「終りまで待つ者は腐る可し」と。

 理想は何物かを否定する、何物をも否定せざる理想は理想ではない。固より茲に云ふ否定とは存在を絶滅する事にあらずして、存在の意義を、存在の原理を更新する事である。本體論上の否定に非ずして、倫理哲學上の否定である。簡單に云へば Vernichtung(絶滅)にあらずして Verneinung(否定)である。ヘーゲルの所謂 Aufheben するのである。これを破すると共に、之れを高めて之を保存するのである。凡ての理想は此意味に於いて常に何物かを否定する。
 人生に於ける一切の惡と醜とは凡て存在の理由を持つてゐるものかも知れない。惡と醜とを絶滅しようとするは畢竟無用な、神の世界を侮辱するの努力であるかも知れない。併し自分は惡と醜とが惡なるものゝ立場其儘に肯定さる可きものとはどうしても考へる事が出來ない。此世には單純に自分一個の便宜の爲に他人を陷れてゐる者がある。此世には處女を誘拐して之を賣笑婦に賣る者がある。自分にとつては此等の讒誣者此等の誘拐者の行爲をば彼等の立場其儘に是認することはどんなにしても出來ることではない。自分は彼等の存在を見て悲憤する。自分は彼等の爲に損はるゝ者を見て涙を流す。此處に自分の全人格的存在がある。若し此等の惡と醜とを否定す可からざるものとせば、自分と云ふ者が此世に存在するのは世界の原理と矛盾するの誤謬に違ひないと思ふ。
 否定さる可きものは決して自分の外にのみあるのではない。自分は到底許す可からざる醜と惡とが自分の心の洞窟にウヨ/\として菌集するを見る。自分は自分の中に巣くう醜と惡とを見て羞恥の爲に飛上らざるを得ない。此醜と惡とを現在の儘で是認する事は自分の全人格が之を容さない。如何なる強辯を以つてするも自分の存在全體が之に反抗する。自分は全心の憎惡を以つて之を擯斥する。固より如何に之を擯斥するも自分の惡と醜とは容易に絶滅しない。併し自分は心から之を恥づる。さうして之を恥づることによりて自分の惡と醜とは一段の淨化を經た。自分の惡と醜とは少しく人間らしい「缺點」にまで高められた。之を恥づるは之を否定するのである。之を否定するは自分の全人格が彼の醜と惡との立場にゐないことを證しするのである。さうして全人格の立場を高き處にとれるが故に彼の醜と惡とも亦少しく淨められた。羞恥の誠を以つて包む事を外にして、醜と惡とを是認する事は到底考へ得ない。此の如きは全人格の經驗に反する空華の思想である。
 優れたる人の立脚地よりすれば神の世界に於ける一切の現象は凡て肯定さる可きものかも知れない。併し一切の現象が肯定されるのは一切がその優れたる立場によりて淨化されたからである。換言すればその優れたる立場によつて下層の立場が悉く征服され否定されたからである。凡ての「あるもの」は此優れたる立場によつて益※(二の字点、1-2-22)輝いて來るであらう。併し幾多の「見かた」、「考へかた」、「感じかた」は此立場によつて否定された。故に如何に一切を肯定する者と雖も野卑、奸譎、柔媚、陰險をば拒斥せざるを得ないのである。此等をも併せて肯定する途も(否定を經ずして肯定する途も)亦あるかも知れない。併し其途は現在の自分にとつて全然理解の途を絶してゐる。
 理想は吾人の本質から生れて、吾人の現實を超越して、現實の上に淨化の力として作用して、最後に現實を永遠に渡さうとする。一切の立脚地が征服せられ、一切の存在が肯定されるやうになれば理想は最早その任務を果したのである。その時こそ凡ての價値は現實となつて吾人は無理想の自在境に入るであらう。併しそれ迄は――その久遠劫の後までは、理想は常に吾人を苦しめて吾人の本質を精練淨化するのである。吾人の生活に矛盾を拵へて、吾人の生活を開展させるのである。
(三、五、一七)
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 俺は未だ究竟の意味に於いて關門を突破した時の爽快と清朗との味を知つてゐるとは云ひ難い。第一義の生活に於いて、俺のやうに鈍根な、俺のやうに迷執の多い人間は他にあるまいと思はれるほど、俺は惑つて、困つて、ひつかゝつて、進み兼てゐる。併し俺の生活にも凝集する時期と發散する時期と、關門に向つて突進する時期と少しく此關門の通過を意識して眼界の稍※(二の字点、1-2-22)開けた事を感ずる時期との交替はないことはない。併し悲しい哉鈍根の身には、打開の次に幾許もなく弛緩の時期が襲來する。從來鬱積し集中して來た心熱が、心身の小康と共に散漫に流れて、俺は暫く自分の生涯を貫く連續コンテイニユイテイの絲を見失ふ事を感ずる。此間の空しさと淋しさの感情は比ぶ可きものもない程である。俺は此淋しさに驅られて再び魂を凝集するの努力に向つて行く。さうして俺の心は徐々として――眞に徐々としてその「張り」を恢復する。
 俺は今日、自分の生涯に於ける連續と變化とを握りなほすために、過去に於ける俺の思想生活を思ひ返して見た。俺は俺の思想生活には、變化せざる多くの部分がある事を見た。連續して發展して來たと云ふよりも、寧ろその儘の姿に於いて俺の現在に殘存してゐる多くの思想を見た。俺は又久しく忘れられてゐた思想と問題とが新しい機縁に觸れて再び復活し、かくて隱現しながら俺の生涯を貫き縫つてゐる事を見た。併し俺は又俺の生活が徐々として開展し、俺の生活中心が遞次に移動してゐることをも亦認めざるを得なかつた。俺は現在の立脚地を明かにするために、暫く過去を囘顧しなければならない。

 俺の頭は小さい時から理窟つぽい頭であつた。道理に從つて生活する事は幼年時代以來俺の人格に固着した欲求である。俺は小學校の終りか中學校の始めかに、父の本箱から古い倫理學の本をとり出してこれに讀み耽り、人生の目的に就いて、人間生活の理想に就いて樣々に思ひ惑つた。さうしてその倫理書中に羅列された諸説を自分の内面的知覺に照して見た。俺にとつて唯一の根據ある欲求は、「幸福」であつた。幸福説以外の諸説は凡て空に見えた。俺は若し「幸福」の追求が倫理學上眞正に許すべからざるものであつたら堪らないと思つた。俺は幸福説の立脚地に立つて嚴肅説や直覺説を非難し、その幼い論難を大眞面目になつて當時の日記に書いた事を覺えてゐる。
 若し幸福とは吾等の本質的要求を徹底的に滿足させる事を意味するならば、俺の思想は、その形式に於いては、少年時代と少しも變らない。併し俺の問題は幸福の輪廓を棄てゝ幸福の内容に侵入した。現在の俺に興味のある問題は吾人の本質的要求は何ぞやと云ふ事である。如何にして本質的要求の徹底的滿足を發見すべきかと云ふ事である。現在の俺の考へに從へば、吾人の本質的要求は肉體に於ける個人生活の中から宇宙的内容を磨き出す事に在るらしい。此本質的要求を徹底的に滿足させる所以は、生活の基礎を「神」の上に築いて、神に於いて萬物を包容する愛の生活を送る事にあるらしい。從つて幸福に至る吾人の道には幾多の否定と戰鬪と飛躍とがなければならない。俺は今、幸福の代りに、併し幸福を究竟の意味に於いて實現するがために、「眞理」を、「神」を、「愛」を問題とせずにはゐられなくなつた。幸福を徐々として俺自身の生活に體現するために否定と戰鬪と飛躍との前途遼かなる努力を開始しなければならない事を感ずるようになつた。

 俺は中學校の終りに、學校の權威に反抗したために放逐された。高等學校の始めに當つては、一つはその反動として、一つは清澤先生の感化によつて、一時非常に内觀的になつたけれども、高等學校の末から大學時代の全體を通じて、俺の心には再び權威に反抗するの精神が燃え出した。社會と、先輩と、歴史とが、青年の自由な、瑞※(二の字点、1-2-22)しい發展を束縛する事實は――若しくは束縛すると感じた幻影は――事毎に俺の心を痛めた。「自己の權威」を主張する事が此時代に於ける思想生活の全内容であつた。高等學校に在つては、三四の勇氣ある友人の驥尾に附して所謂「個人主義」の主張者となつた。大學に在つては、思想の自律と、青年の權利とのために、華かな、興奮した(併し今から考へれば要するに空と云はなければならないやうな、)議論を書いて來た。
 凡ての生活に於いて、自由と自發とを重んじて、壓迫と強制とに反撥する意味から云へば、俺は現在と雖も「自己の權威」の主張者である。さうして自覺せる妥協の外にも猶胡魔化しの妥協を行ひ勝な自分にとつては、今でも猶「自己の權威」の主張に顧みる必要がないとは云ひ難い。併し此事は自分にとつては最早自明の眞理となつた。俺は今繰返して之を思索し、之を主張してゐるほどの内面的必要を感じない。俺の中心問題は何時の間にか「自己の權威」から「自己の内容」に轉移して居た。
 中心問題の轉移と共に俺の眼界も亦變化した。自己の生活を本質的の意味に於いて妨げてゐるものは、社會でも先輩でも歴史でもなくて唯自己自身であつた。クーノー・フイツシヤーの言葉を藉りれば、俺の生活は「自由」の問題から「救濟」の問題にその焦點を移さなければならなかつた。俺は自分の空しさに、自分の弱さに、自分の統一のなさに、嘗て經驗した事がない程の苦しみを嘗めた。生活内容の充實が何事に換へても望ましい事であつた。併し暫らくの間――可なり暫らくの間、何處に生活内容を充實する泉を汲む可きかを知らなかつた。併し今俺は略※(二の字点、1-2-22)其途を會得したと思ふ。自己を充す者は客觀的、形而上的、宇宙的、人類的内容でなければならない。實在の中に沈潛する事は徹底的の意味に於いて自己の空疎を救ふ唯一の方法である。かう考へると共に「自己」の問題は、「自己」の問題を究竟の境まで推し詰めて行くために、必然的に「實在」や「神」や「眞理」や「愛」の問題に移らなければならなかつた。
 今俺の生活は神と眞理と愛との問題を中心として旋轉してゐる。固より否定の力足らず、愛の力足らず、※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)ジヨンの力足らぬがために、此等のものは凡てまだ俺の生活の内容とはなつてゐない。併し方針だけは既に決定した。俺は今、神と眞理と愛と――誤解のないやうに一言する、換言すればこれは生命の根原とその波及の途である――此等のものを、力強く體得することを外にして、自己の内容を徹底的に充實せしむ可き何物をも知らない。之と同時に俺は久しい間――誠に久しい間俺を惱まして來た自己と他人又は個人と社會との問題を、實踐的に解決す可き緒を與へられた事を感じてゐる。兩者の完全なる融和に到達するには猶幾度かの戰ひを要するが、併し自分と他人と、個人と社會とが「神」の中に融和の地を持つてゐる事は豫感の出來ない事ではない。昨日俺は或人が、眞理のためではない、自己のためだと云つて居るのを聞いた。併し自分から見ればそれは虚構のデイレンマである。自己のためなるが故に眞理のためである。眞理のためなるが故に自己のためである。眞理を内容とせざる自己は否定に價するのみである。自己を根柢から活かす力のない眞理は眞理ではない。

 自分にとつては、歡樂も戀愛も、現實そのまゝの――換言すれば單純に現實的な立脚地から見た――姿に於いては凡て空しかつた。歡樂も戀愛も一時の忘我を與へるのみで、新しい生活の礎を置く力をば持つてゐなかつた。自分は現實の中到る處に空虚の存在を觸知せずにはゐられなかつた。甲から乙に移つても、丙から丁に轉じても、此空虚の感じは終に填められなかつた。俺の經驗した限りでは酒も畢竟は苦かつた。異性も畢竟は人形のやうに見えた。凡ての現實は、閃いて、消えて、虚無に歸する影のやうなものに過ぎなかつた。さうして俺は淋しかつた。
 イエスが驥馬に乘つてイエルサレムの都城に入らんとする時、衆くの人は其衣を途に布き、或ひは樹枝を伐りて途に布きながら、或は前に行き或は後に從ひつゝ、歡呼して之を迎へた。俺も亦俺の都城に入つて、俺の中に君臨す可き「神」を迎へるために、衣を布き、橄欖を折らむとする願に堪へない。俺の心は今統治する者なき果敢さに惱み挫折れてゐる。神に對する俺の憧憬は、明日のためではなくて今日のためである。今日の生活の餘りに空しきに堪へ難いためである。新しい光によつて凡ての現實生活を根本的に實にしたい望みが抑へ難く俺の中に湧いて來るからである。

 俺はまだ内容的に「神」を知らない。俺は努めて「神」と云ふ言葉を用ゐる事を避けたいと思ふ。併し空と山と野と海と人の心との奧に流れてゐる不思議な生命に觸れて之と共に生きる時、俺は何か神の樣なものに行逢ふ。又自分の生活の流れが開け、閉ぢ、撓み、繞り、進み行く姿を凝視して、俺の意識と意志とが後天的に之に參與する力の甚だ微弱な事を思ふ時、俺は何か神のやうなものに行逢ふ。俺は凡ての存在の奧を流れてゐるらしい此力に逢ふ毎に感激と充實とを經驗する。現在の處、「神」は俺の豫感に名づけた名で未だ信仰に名づけた名ではないけれども、此時に當つて俺の胸に湧く感激の經驗は、「神」の名によつて最もよく表現される事を感ずるのである。故に俺は逡巡しながらも猶之を神と呼ぶのである。現在俺の見てゐる神は「力」であつて「愛」ではない。もつと適當に云へば俺は未だ神の「力」の「愛」である事を明かに會得する事が出來ない。併し假令此根本的實在が惡魔であつても、その惡魔が俺の胸を充す感激の故に之を神と呼ぶのは、そんなに不當な事ではあるまいと思ふ。
 俺が「知らざる神」を信じ出してから幾年の月日を經過した事であらう。俺は今日までも猶俺の神を「知らざる神」と呼ばなければならない事を悲しいと思ふ。併し俺は蠶が桑の葉を食ふやうに、徐々に――本當に徐々に神の中に喰ひ入つてゐる。此途は如何に長くとも、此生活は遂に空にはなるまい。

 俺は八年前にスピノザを讀んだ時に、「實在の多少」、「實在の程度」と云ふ考へが本當にわからなかつた。當時の俺にとつては、問題は實在であるかないかの二つあるのみであつた。併し俺は今少しく「實在の多少」と云ふ感じを會得したやうに思ふ。俺の世界は實在の多少によつて影の濃淡疎密が差別されるやうになつて來た。秋の夜の徒然に障子に映す鳥差の影が光との距離に從つて濃淡を異にするやうに、凡ての存在、並に生活も、亦實在の多少によつて濃淡の影を異にするやうになつて來た。
 實在の少い生活から脱れたい。實在の影を愈※(二の字点、1-2-22)※(二の字点、1-2-22)濃くして行きたい。さうして最後に完全なる實在に到達したい。
(三、五、二八)
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「君の世界は小さくて、曇つてゐて、歪んでゐて、而も才はじけて浮々してゐる。併し君の魂の奧には、何物も其進行を阻む事が出來ないやうな、鞏固な、獨特な、運命と悲劇とが發展してゐるやうだ。君は君に與へられた運命のために、慢心と遊惰とを抑へて自愛しなければいけない。」
「僕も亦心竊にさう感じてゐた。此の感じは僕を謙遜にすると共に僕を傲慢にした。僕は惡魔の誘惑を恐れるやうに、此苦しくて甘い感じを恐れてゐた。併し僕は今、逡巡しながら君の言葉を承認する。君は僕の知己だ。」

「君はこれまで感心に自分の卑さに堪へて來た。君は高い理想を構成する能力と共に、自分の醜い現實を端視する勇氣を持つてゐた。さうして君は理想と現實の間に横たはる距離に對して、誠實な、敬虔な、鋭敏な感覺を失はなかつた。君の論理は誤謬に充ちてゐたが、其誤謬に充ちた論理を紡ぎ出す精神上の生活にはギヤツプがなかつた。君の思想は君の生活と等しく、緻密な連續を保つて來た。其處に大小の穿鑿を刎ね返すに足る君の思想の人格的價値があつた。然るに君も到頭待ちきれなくなつたと見えて、昨今になつて遂に一足飛をやつたやうだ。自分の醜い現實を端視する勇氣が、これまでの張りを失つたために、これまで活溌に働いて居た距離の感じが少し曇りを帶びて來たやうだ。君は自分の現實の上に、その慢心に媚びるやうな幻を描いて、醜い現實をそのまゝに肯定し始めたやうだ。」
「僕も亦心竊にその疑ひを感じてゐた。僕は今此疑ひを解くために、自分自身を檢査しなほしてゐる。僕は知己の言に感謝する。」

「君の思想には一つとして新しいものがない。君の中心思想は自己超越の要求にあるやうだが、それはカントの根本惡の思想や、ヘーゲルの自然に對する精神の思想や、オイケンの自然を征服した處に精神生活の基礎を置く考へや、飛んではニイチエの超人の思想などに、實に雄大に表現されてゐるぢやないか。さうして此等の色々の思想を根柢に於いて培つた基督教の罪惡觀は要するに君の所謂自己超越の要求の基礎ともなつてゐるぢやないか。否定によつて肯定に到達する修業の順序は、殆んど凡ての宗教で、昔から説いて説いて説き盡したところだ。理想に對する君の解釋は要するに一通りの倫理學者並みで、何の新しみをも持つてゐない。トルストイが君と同じ解釋をとつてゐると云つた處で、それはトルストイの思想中でも最も平凡な、最も黴臭い部分に過ぎない。君の求めてゐる「愛」や「神」が、耶蘇教のそれに較べて何處か違つてゐる。違つてゐるとすれば、それは君が到達し兼ねて魔誤魔誤してゐる處に、耶蘇教信者はとつくの昔に到達してゐると云ふだけの話だ。一體君の思想には何處に新しい處があるのだ。」
「全く君の云ふ通りだ。唯一つ僕に新しい處があるとすれば、僕の問題の中心がこれまで誰も考察の對象とした事のない「三太郎」と云ふ人間に在る位の處だが、三太郎と云ふ人物が土臺下らない人間だから、それは自慢にもならない話だ。僕は實際色々な人と思ひがけない處で鉢合せをして喫驚する事があるよ。若し世間の人が一人でも僕を新しいなどと思つてゐるやうなら、それは大變な間違ひだから、君がさう云つて呉れる事は、至當なばかりではなく、全く必要な事にも違ひない。
 唯僕はもう新しくならうとする心掛を捨ててしまつてゐるから、その點から批評されても、僕の大事な處を見脱されてゐるやうな氣がするだけだ。僕は新しくても古くてもいゝから唯本當の生活をしたいのだ。本當の生活が出來るやうに色んな人から導いて貰ひたいのだ。僕は昔の人の本を讀んで、自分と同じ思想に邂逅めぐりあふ事は數限りもない。時には同じ云ひ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)しにさへぶつつかつてハツとする事もある位だ。その時には先を越されたなと思つて一寸淋しい氣がするが、又思ひ直して、前になつても後になつても本當の事は本當の事だ、偉い人と同じ事を考へたのは俺の名譽だと考へると、喜ばしい、心強い氣になつて、自分の古い事に感謝するのだ。」

「君は近頃少し評判がよすぎるやうだ。一體君はどつちかと云へば怜悧過ぎる方の性質だから、いゝ氣になつて擔ぎ上げられてゐるやうな事はまアあるまいが、君は怜悧過ぎる癖にまた隨分拔作でもあるから、そのために不知不識自分自身を過信オーヴアーエスチメートするやうな事は或はないとも云へないだらう。其處が恐ろしい處だ。」
「君の云ふ通り、全く僕は少し評判がよすぎるやうだ。君も知つてゐる筈だが、僕は決して自分自身をアンダー・エスチメートし過ぎる方の性質ではない。それだのに、世間の一部では、僕が僕自身を評價してゐるよりもまだ評判がいゝんだから恐ろしい。假令一部分の人からにもせよ、自分の眞價以上に見積られると云ふ事は恐ろしい事だ。昔の偉い人は一生懸つてもその眞價を認められずに死んで了つたのに、僕は今の若さで自分の自信以上に認められてゐる。僕のやうな底の淺い者は、さうなるのが當然の運命で、當然以上の幸運なのかも知れないけれども、當人になつて見れば、今から Popular Writer になつて了つては堪らないと思ふ。之は君だけの話だが、近頃僕は時々、自分でも知らずにゐる間に、僕は今僕に許された Fame の絶頂に立つてゐるのではないかしらと思ふ事がある。僕は直にそんな事があつて堪るものかと強く此感じを打消して了ふが、併し僕は又、お前の先輩はお前よりも若くてそのフエームの絶頂に登つた、さうしてお前の年頃にはもう忘れられて居た、こんな事は現在の日本では決してあり得ない事ではないと反省しない譯に行かない。僕はそんな事を思ふと、評判のいゝのが嬉しいよりも、寧ろ不安で、淋しくて、馬鹿馬鹿しい氣がする。却々評判に浮かされて居る處の騷ぎぢやない。
 僕はそんな氣がする毎に、顧て自分の Life を思ふ。フエームはそれとして、お前のライフはどうだ、お前は今お前のライフの絶頂に立つてゐるのかと自ら質問する。さうすると即座に山彦のやうに返つて來るものは、まだだまだだ、俺のライフはまだ碌に青くさへならないと云ふ返事だ。此返事を得て僕は安心する。僕にとつて肝要な問題はフエームではなくてライフだからだ。フエームなぞは御天氣次第で昇つても降つても、僕は屹度僕のライフを高く、高く、高く、上の方に推し上げて見せる。僕は可なり注意深く僕のライフを檢査して見たが、僕の目に映ずるものは見渡す限り問題の芽、いのちの芽だけで、僕のライフが頂點に達した徴候は――況して下り坂になつた徴候などは、藥にしたくも見つける事が出來なかつた。尤も僕は近頃少し自己肯定をやり過ぎた氣がしてゐる。云つた事は嘘だとは思はないが僕はまだまだ貪慾に貯め込まなければならない時機なのに、少しの施與位は出來さうな顏をした事を極りが惡いと思つてゐる。僕があれを云ふ時には、俺があれ位の事を云つたつて世間の人も笑ふまい位の氣はあつたから、多少世間の評判を當にした氣味合ひもないとは云へないけれども、その重なる點から云へば僕を輕蔑する奴の前に自分の地歩を占めて置く必要があつたからだ。僕のライフの半熟な處は僕自身の眼に餘りはつきり映り過ぎてゐるから、少しの評判ぢや中々胡魔化しきれやしない。君の親切は誠に有難いが、此點だけは安心してくれ給へ。
 僕はもう青春と云ふ時代もどうにか通り越してしまつた。僕は此時代との別離が隨分辛かつた。僕は夢にも、戀にも――人生のあらゆる華かなものに別れて了ふやうな氣がして非常に心細かつた。併し今はもう此別離を大して悲しい事とは思はない。僕は昨今になつて頻に人間は長生しなければ駄目だと思つてゐる。人間の魂が本當に成熟するのはどうしても老年になつてからの事だ。大きい、靜かな、波のうねりの深い、見晴らしの廣い、重味のある生活は若い者にはとても味はれさうにもない。僕はロダンや、イプセンや、トルストイや、ゲーテの老年を思ふと恐ろしく、懷かしく、望みに充ちたやうな氣になる。死ぬ前にはゲーテのやうな顏になつて死にたいと云ふのが、おほ氣なくも僕の大野心だ。それだのに、今からライフの頂點に達したり、降り坂になつたりして堪るものか。日本の先輩が、これまで、早く衰へて了つたのは、彼等の心掛けが惡かつたせいだ。彼等に仕事をさせた力が、一生を貫く内面の要求ではなくて、一時的な青年の情熱に過ぎなかつたからだ。フエームに浮かされたり、酒色に耽溺したりして、直に内面の要求を見失つたからだ。内面の要求を緊乎と握つてゐる者には、老衰などは滅多に來る筈のものではない。先輩が早老だからと云つて、何も後輩がその眞似をしなければならない譯がないから、先輩が早老であればある程、僕達は晩老の新事例を開いて遣る責任があるのだ。僕は一つ晩老の模範を示してやらうと云ふ大野心を持つてゐる身だ。僕はフエームの沒落に就いて淋しさを感ぜずにゐられる程練れた人間でもないけれども、中々自信以上のフエームを甘受して一緒になつて増長してゐられる程の馬鹿でもない積りだ。」

鏡の多い部屋が俺を苦しめる。
今居る部屋がいゝのか、
他のもつと暗い部屋がいゝのか、
今の俺には本當の事が分らない。
鏡の多い部屋が、
今俺を苦しめてゐる。
(三、五、二八)
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 俺はまだ弱い。俺の生活の内容はまだ貧弱と空疎を極めてゐる。從つて俺は嚴肅シーリヤスな問題に突當る毎に、俺と傾向を等しくして俺よりも遙に大きい人を取つて、その人の内生に參ずることによつて自分の問題を廓大して見る必要を感ずる。
 俺は此間中、俺の中のドン・ホアンを檢査する必要に逢着した。さうして自分のドン・ホアンを廓大するためにステンダールの著書をとつて之を拾ひ讀みした。俺は此人の中に俺の性格と響を一つにして鳴る數多くの――誠に數多くの性質を見た。甘い憂鬱と微笑する懷疑とに包まれたその享樂主義エピキユリヤニズムも、限りなき漂泊の傾向も、利害の打算から來ると云ふよりも寧ろ本能的な羞恥と他人に煩はされざる自恣の欲求とから來る自己隱閉のこゝろも、それにも拘らず常に自己解剖の要求に促されて始終「俺」の事を語らずにゐられなかつた――俺の事を語りながらその過敏な自意識を嗤つて「忘我」の心を求めずにゐられなかつた――その矛盾も、自分を樣々の姿に變へてみなければ窮屈を感じたらしいその轉身の要求も、自分の憂鬱を底に包んで、快活な、機知エスプリに富んだ、何氣のない社交的人物となり得たその二重性格も――此等一切の性質が俺の中にその反響を見出した。ブランデスが云つたやうに、彼の第一の問題は幸福であつた。さうして彼の幸福は主として戰爭と戀愛とに於いて見出さる可きものであつた。戰爭と戀愛とが人を幸福にするのは、此等のものが人の魂に根柢からの戰慄を與へるからである。身命を賭するに足る程の實なる情熱を喚起するからである。ステンダール自身の言葉に從へば、その愛した多くの嬌美なる女達は「文字通りに俺の全生涯を充した、その次に來るものは始めて俺の仕事である。」「俺は唯俺の愛した女達のためにのみ苦勞し通した。さうして一人も戀人を持たない時に、俺は夢みながら人間の事を觀察した。若しくは歡喜の情を以つてモンテスキユーかウオルター・スコツトを讀んだ。」彼は「氣狂のやうに」女を愛した。彼は五十までの間に十二人の女を戀してその六人を占領した。その中には女優もあつた。恩人にして上官なる者の妻もあつた。此等の戀愛は大抵三年か四年の間續いた。或者は結婚によつてその戀を確かにせむ事を希望したために、ステンダールは任地を離れると共に之と別れた。或者はステンダールを操り、利用し、最後に之を捨てた。四十二年のステンダールはミラノの女マチルデから愛してゐないと云ふ宣言を聞かされたために幾度も自殺を思つた。彼は幾度か苦い經驗を重ねても猶女性を崇拜する事を罷めなかつた。さうして此等の不從順な、見え坊な女達のために經驗して來た馬鹿な眞似を悔いなかつた。――俺は(三太郎は)今此人を俺の眼の前に据ゑる。さうして自分自身の生涯を考へる。俺の中にも少からぬドン・ホアンが見出された。併し要するに俺は俺の生涯をドン・ホアンにして了ふ事が許されないやうな境遇に居り、ドン・ホアンにして了ふ事が出來ないやうな性格と要求とを持つてゐると思はずにはゐられなかつた。
 一、若し俺の貧弱なる經驗に信頼する事が出來るならば、俺は日本の何處にも「美的に精化された人デヤ・エステーテイツシユ・フエヤフアイネルテ」を醉はせるに足る程の「歡樂」の準備を見る事が出來なかつた。俺は俺の知つてゐる女性の中に「誠實」を見た、涙を見た。同情と助力とに價する程の自己教養の努力を見た。併しドン・ホアンの我儘な要求から見て「戀人」の名に價するやうな女性を見る事は出來なかつた。或者は人形らしい從順を理想とする教育によつてその個性の圭角を鎖磨されてゐた。或者は差當つての社會的經濟的獨立の要求に心奪はれて、感情上靈魂上の教養を忘れてゐた。前者には溌剌として手答のある反應が缺け、後者には包むやうな、温めるやうな、柔かさが缺けてゐた。さうして兩者を通じて、精化されたる感情と教養との缺乏があつた。性格の内面性インネルリヒカイトから來る神祕的な誘惑の缺乏があつた。思ふにドン・ホアンにとつてその呼吸に快いやうな空氣は又妖婦デイルネの養成にも適する樣な空氣でなければならない。併し現在の日本にはまだ教養のある新しい妖婦デイルネが發生してゐさうにも思はれない。ステンダールは十八の年伊太利のミラノでアンジエラ・ピエトラグルアを見た。彼の心はアンジエラに對する熱情的な戀によつて、「地上から夢の國に――最も天國的な、最も尊い戲謔圖ガウケルビルター中に高められた。」しかし當時のアンジエラには他の戀人達がゐた。ステンダールはその後十一年の間、他の女と共に居りながらもアンジエラのことが忘れられなかつた。さうして二十九の年の九月その戀は始めて或意味に於いて酬いられた。彼は始めて「幸福の絶巓」に到達した。その十一月二日彼は當時他人の妻なるアンジエラと、街の灯の下に肩を並べて歩き※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りながら、「疑ひもなく俺がこれまで持つたうちの――さうして恐らくは曾て見たうちの、最も美しい女だ」と思つた。彼等は裏街の隱れた處でカフエーを飮んだ。「女の眼は輝いた。女の顏は明暗の中に甘美な調和を現はした。」ステンダールは女の超自然的な美を恐ろしいと感じた。さうして或人間以上の存在が、例へば巫神シピツレが此姿をとつて、その貫徹す眼で人間の魂の底までも見透すやうな氣がした。――併しカツフエー・ライオンは恐らくはステンダールとアンジエラとの占む可き席を持つてゐまい。實業家と云ふもの、政治家(更に具體的に云へば大臣と代議士と)官吏富豪と云ふものによつて女にされた「紅裙」の中には恐らくはアンジエラのやうな意味の妖婦デイルネはゐまい。所謂「教育ある夫人令孃」達の中にも亦恐らくはアンジエラはゐないだらう。アンジエラの居ないのは日本の幸福である。醜惡なる事實を表現するために最も醜惡なる言語を用ゐれば、現今の日本は和製ルーズ※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ルトの發生に適してゐるが、和製ドン・ホアンの發生には適してゐないらしい。俺は唯ドン・ホアンを志す幾多の氣の毒な青年が、掃溜の中から美味を獵つてゐるのを見るのみである。俺は、單に自分の置かれた境遇の上ばかりから云つても、俺がヰーンにも巴里にも移住せずに此處にかうしてゐる限りは、此等の氣の毒な青年の中に交つてドン・ホアンの修養に努める事をよさう。敢てしないのは――最も直截に云へば――自分の趣味である。
 二、尤も俺がかう思ふのは俺の見聞が狹いためかも知れない。現にドン・ホアンを志してゐる多少の青年がある處を見れば、ドン・ホアンの對手たるに足る可き女が日本の何處かに――心當りを擧げて見たいけれども、言ひ草が野卑になる事を恐れて之を思ひきらう――現にゐるかも知れない。併し俺がドン・ホアンになりきれないのは、境遇以外更に深い性格上の根據がある事である。俺は三十を越す今日に至るまで未だドン・ホアンの歡喜を經驗した事がない。此事實は恐らくは境遇の不利益のみによつて説明し盡さる可き事ではあるまい。三十を越す今日に至るまで未だ曾てドン・ホアンの歡喜を經驗した事がない者が、今に至つてドン・ホアン修業を思ひ立つなどは餘りにおほ氣ない業である。
 固より俺は俺に寄り縋る者に對するに憐みを以つてする事を知つてゐる。俺は俺に寄り縋る者の誠實と專心とに答へるに同情と愛とを以つてする事を知つてゐる。併し寄り縋る者に對する俺の愛は俺の全身を擧げて期待し追求してゐる一大事に對しては、不幸にして本質的に何の附加する處もない些事ネーベンザツヘである。此愛は積極的に俺の本質的生活の焦點に立つ力を持つてゐないから、俺はステンダールと共に、此寄り縋る者が「文字通りに俺の生活を充した」と云ふ事が出來ない。其他の僅かな半ドン・ホアン的經驗に就いて云へば、或時は、俺は魂と魂との間に大なるギヤツプを挾みながら、肉體と肉體とが加速度をなして相接近せむとする卑しさに堪へ得なかつた。或時は、俺は異性の灼熱と專心とに對する俺の態度に優越と遊戲との微笑ある事を認めて俺自身を憎んだ。而も同時に女性の空虚と情事ラムールの寂寞とを痛むの情に堪へなかつた。要するに俺の切望してゐる魂と魂との合致は、ドン・ホアンの途によつては遂に到達し得さうにもなかつた。而も俺はこれも亦面白いと諦めて了ふ事が出來なかつた。俺の魂は酒と女とを前にして、俺の求めてゐるものは之ではないと囁かぬ譯に行かなかつた。これは俺の心にパツシヨンの熱が足りないためかも知れない。或は俺の運命が潛めるパツシヨンの火を灼熱させるやうな對手を與へて呉れなかつた爲かも知れない。孰れにしても情事の中に溢れるほどの充實を感ぜずして、空虚の悲哀に感傷し勝なものが、その生涯をドン・ホアンに捧げむとするは愚かな、卑しい、乞食らしい事である。ステンダールのドン・ホアン生活を美しくするものは、「氣が狂ふ」やうな熱情と恍惚と――もう一つ此等の底に動く憂鬱とであつた。
 三、殊に俺の性格の奧にはドン・ホアンの敵なる「哲學者」がゐる。冷靜なる客觀性オブゼクテイ※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)テイが大きく重く俺の全性格を抑へてゐる。然るにドン・ホアンの倫理的立脚地は徹底的主我主義イゴイズムでなければならない。ドン・ホアンの愛するは――彼がその熱情を傾倒し盡して異性を愛するは、自分をその愛する者の地位に置いて、專念に愛する者の生活の充實と福祉とを希求するのではない。愛する者によつて掻き鳴さるる我が魂の慄へトレモロを熱愛するのである。自分の歡樂のために他人を犧牲に供するに堪へない者は、ドン・ホアンとなる資格がない。ドン・ホアンにとつては、その愛する者は、嚴密な倫理的意義から云へば、人格ではなくて唯彼の魂にトレモロを準備するための器械である。故に自分の中に他人を見、他人の中に自分を見る者――之が客觀性の中核である――は容易にドン・ホアンを放つて、自分の衷に闊歩させる事が出來ない。逆にドン・ホアンも亦基督教的客觀主義――基督教の精神は、異教の「自然的」な精神に對して云へば要するに哲學的な精神と云はなければならない――と兩立する事が難いのである。曾てステンダールは“La Chartreuse de Parme”に於いて侯爵夫人サンセ※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)リナの恐怖を描いた。サンセ※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)リナは曾てその敵を除くために毒を用ゐた女である、而も今、自分の戀人が毒殺されむとしてゐると云ふ報知を耳にして、恐怖のために度を失つてゐる女なのである。作者は此瞬間に於ける侯爵夫人の心理を説明してかう云つた(これは俺が直接に讀んだのではない、ブランデスの中から孫引するのである)――
「彼女には何の道徳的反省も起らなかつた。これが北方の宗教の一つの中に教育された女ならば直にその道徳的反省に驅られたであらう――北方の宗教は「私は毒を用ゐた、それで私は毒によつて罰せられるのだ」と云ふ自己檢察を許してゐるから。伊太利では、悲劇的狂熱の瞬間に際して此のやうな反省をする事は、丁度、巴里で、類似した事情の下に駄洒落を云ふのと同じやうに、如何にも馬鹿々々しく、その處を得ないものに見えるのである。」
 ステンダールは此無反省な、野生のまゝな、素朴な熱情の故に、伊太利の女達を愛した。さうしてドン・ホアンの倫理的立脚地も此侯爵夫人と等しきイゴイズムになければならない。ドン・ホアンの美は彼が我慾を追ふ態度の狂熱と奔放と憂鬱とにある。約言すればドン・ホアンの生涯は異教の良心を以つてロマンテイシズムの夢を追ふ生涯である。俺は久しい間異教的良心の美に對して驚嘆の情を懸けて來た。異教的良心の純粹なる發現に――ホメーヤやソフオクレスの人物が持つてゐる敵愾心フアイントシヤフトの強健と雄大と崇高とに牽付けられて來た。此方面から――これは人の魂と人の魂との交渉に關する、極めて重大な、極めて焦點的な視點である――異教の心と基督教の心との差別を明かにする事は俺の研究の計畫の一つであつた。俺は單に知識慾の上からではなく俺の人格上の必要から、異教的良心の神祕に參じて、祕蹟を受けむことを熱望してゐた。俺の基督教的良心は曇つて病んで惱んでゐる。此病は異教的良心の接觸によつて癒されなければならなかつた。
 併し、夫ではお前は基督教的良心を捨てゝ道徳上の異教徒に改宗するかと云はれゝば、簡單に答へて云はう、俺にはそれが出來ない。出來ないところに俺の人格的存在がある。俺は男が女を讚美するやうに異教の良心を讚美する。俺は「主成分に對する酸のやうに」異教の心が俺の良心に作用する事を求めてゐる。俺は俺の人格を俺の人格の根柢のまゝに据ゑて置く。さうして異教の心が「汝の敵を愛せよ」と云ふ基督教の良心に「力」と「自然らしさ」とを與へることを求めるのである。基督教の良心は、それ自らの途によりて、獨得なる強健と雄大とに到達し得ない心ではない。彼にアヒレスやアヤスの怒のやうな「自然的」な崇高があれば、これにはカントの倫理や聖フランシスの生涯のやうな「内面的」な崇高がある。さうして基督教の「愛」の世界に於いても決してドン・ホアンの戀に比敵す可き恍惚の美を缺いてゐないのである。
 俺の中にも確かに異教徒がゐる。これを兩性の關係に引移せば、俺の中にも明かに「ドン・ホアン」がゐて心の底にその美しい「戲謔圖ガウケルビルター」を織つてゐる。併し俺の中には又「基督教徒」がゐる。さうして俺の「ドン・ホアン」と爭つてゐる。此二つのものゝ爭はまだ/\俺の心の中に協和の道を見出してゐない。併し基督教の心は客觀的な心なるが故に、當然に又擴がらむとする心である。支配せむとする心である。俺はこの公明にして遍く照さむとする心を無視して全生涯をドン・ホアンに捧げる事が出來ない。これが俺のドン・ホアンになり得ぬ根柢の理由である。
 四、最後にステンダールをそのドン・ホアネリーに驅つた根柢の動力は要するに何であつたか。彼は男と女とを問はず、その崇拜する者、その熱愛する者の前では「全然自分を忘れた。」「俺の自愛も、俺の利害も、俺の俺も、愛する者の面前では消え失せてしまつた。俺は愛する者の中に自分自身を失つた。」さうして彼は妖婦アンジエラの美しさの中に人間以上のものを見た。アンジエラは彼にとつて「崇高な」妖婦であつた。實に彼をして戰爭の中に「幸福」を發見させたのはナポーレオンに對するデヴオーシヨンである。戀愛の中に「幸福」を發見させたものはその「不從順な、見え坊な」女達に對する崇拜である。他人の上に夢を描く力、他人の上に自分の理想を投射する力、英雄を崇拜する情熱は、彼のドン・ホアネリーの根本的動力であつた。さうして彼はその愛に於いて自己を忘れ、その愛する者に於いて人間以上のものを見る事によつて「幸福」を感じた。彼のやうなイゴイストがそのイゴーの忘却によつて、その自己以上のものに對する沒入によつて、始めて幸福を發見したと云ふ事は極めて注目す可き事實である。或人はドン・ホアンの漂泊は神を求むるの苦悶であると云つた。恐らくは凡てのドン・ホアンの中心の動力と中心の要求とは此處に在るのではないだらうか。恐らくは――醜惡なる事實を表現するために醜惡なる言葉を用ゐれば――「女狩りの不良少年」や「和製ドン・ホアン」と、眞正のドン・ホアンの品位の懸絶は此處に基くのではないだらうか。
 併しドン・ホアンの忘我は刹那に閃いて刹那に消失する。ドン・ホアンの沒入は哲學的に云へば浮動ボーデンロースのものである事を免れない。固よりドン・ホアンの忘我と沒入とは直截で、端的で、充溢せるものであらう。併し全生涯を一貫す可き連續コンテイニユイテイを缺くが故に、凡ての部分を全體の基礎の上に置き、凡ての刹那を「永遠」の象徴として生きようとする者にとつては、淋しく、空しく、頼りない感じがない譯に行かない。ステンダールは頑固なる公教的教育に反抗して育つて來たために、又その時代の僞善と愚鈍とに反抗して育つて來たために、早くから徹底的な無神論者であつた。從つて戰爭と戀愛とを外にして全身を沒入するやうな生活はあり得ないと考へたでもあらう。形而上的生活の如きは空しい、虚な、退屈な、あり得可からざる生活と考へたでもあらう。併し戰爭と戀愛との外にも猶恆久な、連續的な、確實な、忘我と沒入との生活があり得ないだらうか。官能の滿足を第一の關門とする生活の外にも、猶直截な、端的な、充實した、精神の生活があり得ないだらうか。戰爭と戀愛とを外にしても、猶自己以上のものと一つになる生活があり得ないだらうか。ドン・ホアンの戀を外にしても、もつと全人類を包容する、もつと吾等の本質に深い滿足を與へる「愛」の生活があり得ないだらうか。要するに、ステンダールが勇猛に否定したやうに、「神」は果してあり得ないだらうか。
 ステンダールはその五十歳の秋、サン・ピエトロに登つて羅馬を瞰下した。太陽は美しく輝き、軟かなシロツコが知れない位に吹いて、アルパン連山の上には一二片の白雲が漂つてゐた。彼はもう直に滿五十歳になる事を思つた。「嗚呼、もう三ヶ月で俺は五十になる。それはあり得べき事だらうか。千七百八十三年……千七百九十三年……千八百〇三年……俺は指を折つてそれを數へたてる……それから千八百三十三年。五十!それはあり得べき事だらうか。直に俺は五十になるのだ。」彼は眼下の古跡を眺めながらハンニバルや古羅馬人の事を思つた。「俺より偉大な者が此年にならずにとうに死んでゐる。俺は俺の生涯を空過しなかつたか。」彼はサン・ピエトロの階段の上に腰をかけて一時間か二時間ばかり思ひに沈んだ。「俺はもう直に五十になる。もう俺が俺自身を知つてもいゝ頃になつた。俺は何であつたか。俺は何であるか。實際、俺はこれに答へる所以を知らない。」彼はその愛して來た女達との「不幸な戀」を思つた。彼が「氣狂ひのやうに」愛したにも拘らず遂に手に入れる事の出來なかつた四人の女の事を思つた。七年の間彼の全存在を充した――九年後の今日になつても猶その疵から癒える事の出來ない――マチルデの事を思つた。さうして「一體彼女は俺を愛した事があるのか」と思はずにはゐられなかつた。而も最も不幸なのは彼の「勝利」の――彼は昔、戰爭の事が頭一杯になつてゐる時分に、かう云ふ言葉を使つた――彼に齎した享樂が、彼の敗北によつて生じた深い苦惱に比べて半分も大きくない事であつた。「メンタを征服した驚く可き勝利は俺の中に唯一つの歡喜を――彼女がB氏に赴くために俺を棄てた時に、俺の中に殘して行つたなやみに比べれば百倍も薄弱な歡喜を、喚起したに過ぎなかつた」と彼は考へた。さうして彼は、一體俺は憂鬱なのか、快活なのかと自ら質した。
 固より自分の生涯に對する此の樣な疑惑は決して彼の生涯の全體を否定させるまでには募らなかつた。俺はこの事を我が偉大なるドン・ホアンの名譽のために云つて置かなければならない。その五十三歳の九月、彼はアルパン湖畔に遊んでその砂の上に、これまで戀して來た女達の頭文字を一列に書いた。さうしてその占領した女達の下に1から5までの番號を打つた。彼は曰ふ「俺は此等の名前と、彼等によつて誘ひ込まれた、驚く可き馬鹿な眞似や、たわけな眞似に就いて深く幻想トロイメライに耽つた。驚く可き、と俺は俺自身に云ふ、讀者に向つて云ふのではない。兎に角俺はそれを悔いない。」さうして「こんな事を書きながら、昨日アマリエと舞踏場でやつた長い御饒舌を思ひ出して、俺は全くいゝ氣持になつてゐる」のである。俺は此事を我が偉大なるドン・ホアンの名譽のために云つて置かなければならない。
 併し兎に角、ステンダールはその晩年になつてその生涯の淋しさと空しさに就いて疑惑を感じなければならなかつた。人生には此淋しさのない、この空しさの音信れて來ない生活がないであらうか。もつと連續した、もつとどつしりした、もつと根柢のある、さうして究竟の意味に於いてもつと充實した生活がないであらうか。俺は深くステンダールの性格と運命とに同情する。併し、要するにその生涯の終局に就いて、此疑問を置かずにはゐられない事を感ずる。

 俺は俺の中にゐる「神を求める者」を檢査するために、イエルゲンゼンの「聖フランシス」を讀んだ。此處に俺を待つものは、譬へるものもないやうに尊い、聖い魂が、惱みながらも猶踏み迷はず、右顧左眄せずに、痛快に切れ味よくその往く可き道を進んだ一生であつた。フランシスは、アツシジの富裕な、佛蘭西好きな商人の家に生れて、騎士の生活を理想とする十二世紀の末葉に育つた。彼の周圍にはプロ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ンスの Chansons de geste やアーサー王及び圓卓の騎士の歌が響いて居た。プロ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ンスの快活な智慧“La gaya scienza”が彼を捉へた。彼はアツシジの青年に交つて饗宴から饗宴に渡り歩いた。さうして夜は笛又は絃樂器に合せて歌ひながら街頭を彷徨ひあるいた。彼は自ら雜色なミンストレルの衣を拵へて之を着た。彼の富裕とその物惜みせぬ性質とは幾許もなく彼をアツシジ青年間の中心人物とした。彼は決して商家の事務に疎い者ではなかつたが、唯餘りに交游に夢中になる性質がその家人を惱ました。彼は食事中と雖も、友達が呼びに來れば直に飛出して歸る事を忘れた。併し彼はその歡樂の間にも貧しい者を忘れなかつた。一日彼は急いで店から飛出さうとして丁度其處にゐた乞食を追ひ退けた。さうして「此人が若し俺の友人から、伯爵又は男爵から遣された者ならば、その求めるものを與へられずにはゐないだらう。然るに俺は王の王、主の主から遣された此人を空手で歸した。」彼は自らかう云つて責めた。さうして此日から以後、神の名によつて彼に乞ふ者には必ず與へようと決心した。
 二十一の年彼はペルージヤとの戰に於いて捕虜となつた。捕虜中に在つても彼は元氣よく歌つたり巫山戲たりしてゐた。人の之を責める者があれば彼は唯かう答へた。「君は偉なる未來が俺を待つてゐる事を知らないのか。その時が來れば世界がひれ伏して俺に祈るのだ」と答へた。翌年捕虜から歸つて、彼の貴族的な、華美な生活は一層その度を加へた。此の如き醉歌と遊宴との生活に始めて陰影を投じたものは、彼が二十三の年に患つた重病であつた。
 その年の秋、葡萄の實の熟する頃、漸く病から癒えたフランシスは、杖に支へられながらアツシジの廓門の外に立つて、眼下に展げられた森と野と里とを眺めた。併しその輝いた色も、朗らかな空に美しい輪廓を刻む山の姿も、疇昔のやうに溢れるやうな喜びをば與へなかつた。これまであんなに若く、あんなに強く搏つてゐた彼の心臟も突然年を取つたやうに見えた。青春が逝くと云ふ感じが身慄ひのやうに彼を通つて過ぎた。彼に永遠の平和を與へる筈のものも、彼にとつて盡きざる寶と見えたものも、日の光も、青い空も、緑な野も、今は凡て價値のない、灰となり行くものになつた。フランシスは長く眺めてゐた。さうして杖に身を凭せながら徐かにアツシジに歸つて行つた。「併しコン※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ージヨンの第一歩にある凡ての人のやうに、青年は自分自身のそれと共に直ちに他人の過ちを考へた。彼は自分の中に行はれた變化を感ずるにつれて、これまで幾度も一緒に此風景を嘆稱し合つた友人の上を思つた。さうして廓門に歸りながら、彼は一種の優越感を以つて、『彼等は何と云ふ馬鹿だらう、彼等の愛するのは滅す可きものだ』とその心に思つた。」
 併し彼は此時其魂の空しさを感じただけで、病が全く癒えると共に又疇昔のやうな歡樂の生活に歸つた。さうして彼は騎士の冒險と華々しい生活とを夢みながら、獨逸勢撃退の軍に加はるためにアブリヤに向つた。途上、スポレートで熱を病むだ夜、彼は「故郷へ歸れ。其處に汝のなすべき事がある」、と云ふ主の聲を聽いて、翌曉アツシジに歸つて來たが、アツシジに歸つても彼の使命は示されなかつた。彼は又もや歡樂の生活に於いてアツシジ青年の中心に立つた。併し此世に就く心と、主に從つて命ずる「使命」を發見せむとする心との鬪ひが日毎に劇しさを加へた。二十四歳の夏、或る夕、フランシスは例にも増して盛大な饗宴を開いてその諸友を招いた。會衆は例によつて食卓を撤した後で歌ひながら街を通つた。併しフランシスは少し列から引下つて歩いた。彼は歌はなかつた。少しづゝ彼は列から後れた。さうして幾許もなくアツシジの巷の靜かな夜の中に唯一人とり殘された。此處で主が再び彼を見舞つた。此世と此世の空しきものとに疲れたフランシスの心は、今、全く他の感情を容れるの餘地がないほどな甘美に充された。彼は全く我を忘れ、時を忘れて立盡した。其處に彼を搜しに來た友人の一人がやつて來て、「ヘロー、フランシス、君は新婚の事を考へてゐるのか」と呼び掛けた。フランシスは澄んだ、星の燦いてゐる八月の夜空を見上げながら、「さうだ、僕は結婚の事を考へてゐる。併し僕の愛を求めてゐる花嫁は、君の知つてゐるどんな女よりもノーブルで、富裕で、美しいのだ」と答へた。丁度あとから遣つて來た友達の群が笑ひ出した――「それぢや裁縫屋が又仕事にありつくね、丁度君がアブリヤに出かけた時のやうに。」フランシスは彼等の笑ひ聲を聞いて心に怒つた。併し彼の怒つたのは友達の事ではなかつた。俄然として彼の從前の生活の愚かさが、その對象の缺乏が、その子供らしい空虚が、彼の眼の前に呈露された。さうして又彼の前には彼の怠つて來た生活が、眞の生活が、基督に於ける生活が、輝き渡る美しさを以つて現はれて來た。責む可きは唯彼自身であつた。「此時から、彼は自分を小さいものと思ひ始めた。」
 彼は今その友を離れて、市外の洞窟に隱れて祈つた。「嗚呼主よ、汝の道を我に示したまへ、我に汝の道を教へたまへ」と云ふ詩篇の句が幾度かその唇に上つた。併し神はまだ答へなかつた。苦悶に充ちたる魂を以つて、洞窟の寂しく暗い中に、彼はその救濟の戰を戰つた。彼が此惱みに疲れ果てゝ再び白日の下に出て來た時には、殆んど昔の面影がなかつた。それほどまでに彼は窶れた。彼は又その客を換へて貧しい者をその饗宴に招いた。貧しい者を見、その憂苦を聽き、彼等の必要を補助する事が、その日以後彼の主なる關心事となつた。さうして彼は貧しい者を恤むだけでは滿足が出來なかつた。知人の多いアツシジを避けるために、彼は羅馬に巡禮して、其處で乞食の衣を藉りて、自ら物を乞うても見た。かくの如くにして神に對する祈りを續けてゐる間に一日神からの第一の答が來た。神の意志を知らんがためには、フランシスは從來肉に於いて愛着して來た一切を厭離しなければならなかつた。さうすれば從來美しく、愛す可しと見て來たものが凡て堪へ難く苦いものとなつて、從來忌避して來た一切のものが卓越せる歡喜となるべしとの事であつた。一日フランシスは此等の言葉を瞑想しながら、一人ウンブリヤの平原に馬を驅つた。突然として彼はその前に一人の癩を病む者を見た。癩病は彼の最も忌み嫌ふ處であつた。彼は飛上がつた。彼は出來るだけの速度で逃げ出したいと思つた。併し彼は主の言葉を想起して、馬から飛び降りた。さうして病者の膿を持つた指に接吻した。彼は興奮しきつて、どうして再び馬に乘つたかも知らない位であつた。彼の心には甘美と歡喜が溢れに溢れた。かくて主の言葉の第一は充された。併し誘惑は他の途から來た。日が照り渡つて野が緑に光る日であつた。彼は例の洞窟に赴く途で、不具な、埃塗れの女乞食を見た。彼の胸の奧には「汝は此等の凡てを捨てゝ、洞窟中の祈祷にその青春を空過するのか、さうして見すぼらしい老年を迎へるのか」と囁くものがあつた。併し洞窟に到達する頃には、彼は此誘惑を征服してゐた。
 幾許もなく主の第二の答が來た。フランシスはよくサン・ダミヤノのよぼ/\な教會に行つて、十字架にかけられた基督の像の前に祈つた。或日も彼はその前に跪いて、此の如く祈りを捧げてゐた。――「偉大にして光榮なる神よ、我主耶蘇基督よ。仰ぎ願くは我に光を與へて、我が魂の暗黒を拂ひ給はむことを。まことなる信仰と、確かなる希望と、完全なる愛とを授け給はむことを。おゝ主よ、一切の事に於いて汝の光により、汝の意志に從ひて行ふを得るやうに、よく汝を知らむことを我に許したまへ。」彼が此祈りに沈んでゐた時に十字架の上から聲があつた。「いざ行け、フランシスよ、行きて余の家を建てよ。そは將に倒れむとしつゝあれば。」嗚呼祈りは終に聽かれた。神の意志は竟に示された。彼はその瞬間の壯嚴に慄へながら、十字架にかけられたる者の前に拜禮して、「主よ、歡喜を以つて我は汝の欲する處をなす可し」と答へた。素朴なるフランシスは主の命ずる處はサン・ダミヤノの修繕に在ると考へた。彼は直ちにその財布をとり出して、跪いて堂守の老僧に捧げ、飽氣にとられてゐる老僧を後にして、充ち溢れる心を抱いて、一歩毎に十字架にかけられたる者の姿を魂に刻み込みながら、其處を立去つた。「此の時より以來、主の受難の思想がフランシスの心を融かした。彼はこの時からその命の終りまで、主イエスの傷をその心に持つてゐた。」フランシスは遂にサン・ダミヤノで出家してしまつたのである。
 世俗的な父は、その家の名譽の爲に、此事を喜ばなかつた。多少の紛紜の後、父と子とは、市民環視の間に、處の司教の前で顏を合せなければならなかつた。司教は父から受けた金を返す可き事をその子に命じた。フランシスの返したものは金ばかりではなかつた。彼は又その美しい衣を脱いで裸になつた。さうして四周の人に向つて、情緒に慄へる聲で云つた――「凡ての人々よ、私の云ふ處を聽け!これまで私はピエトロ・ディ・ベルナルドーネを父と呼んで來た。今私は彼から受けたその金と凡ての衣とを彼に返す。これより後、天にいます我等の父を除いて、父なるピエトロ・ディ・ベルナルドーネと云はざらむがために。」聽衆も司教も動かされた。司教はフランシスの傍に寄つて、その法衣ケープを彼にかけた。さうしてその白い襞の中に裸なる青年を包みながら、之を自分の心臟に押しつけた。フランシスは司教の園丁が着た古い着物を貰ひ受けて、白墨を以つて其背に十字架を描いて、喜んで之を着ながら其處を立去つた。丁度その二十六の年の四月の事である。
 彼はサン・ダミヤノの修繕に用ゐる金がないために、石を拾つて自ら大工の業に從つた。老僧の好意で食事には差支へる事がなかつた。併し一日彼は、これが果して從來理想とした貧しい者の生活だらうかと考へた。さうして翌日鉢を持つてアツシジの町に乞食に出かけた。骨や、パン屑や、サラダの葉などがその鉢を充した。フランシスはむかつく思ひをしながらその一片を口にした。然るに見よ、彼の心は聖靈の甘美に充された。彼はこれ程の美味を嘗て味つた事がないやうな氣がした。喜びに醉つて彼は馳せ歸つた。さうして老僧に之から自分で自分の食事を準備す可き事を告げた。一方寺の修繕は益※(二の字点、1-2-22)進んだ。彼は燈明の油の貯を老僧に殘して置くためにアツシジの町に油を乞ひに出かけた。一日彼は昔の友達の家を過ぎた。内には饗宴の歡樂が高潮に達してゐた。彼には今の身を恥づるやうな心が起つた。彼はその家の前を數歩通り過ぎた。併し自分の弱さを愧ぢて、引返して來て友達に油を乞ひ、その前に自分の弱さを懺悔した。
 二十八の年彼は再び神の啓示に接した。二月の二十四日ボルチウンクラの會堂に於ける使徒馬太のための祭式に彼は馬太傳第十章第七――第十三節の朗讀を聽いた。さうして二年前サン・ダミヤノで聽いた聲よりも、一層明かに、一層深く彼の使命が啓示されてゐる事を感じた。馬太傳を通じて啓示されたる彼の使命は「福音に從つて生き、神の平和を萬民に齎す」事であつた。彼は神徠を感じて、「これが私の要する處だ、私が全靈を擧げて私の生涯に於いて從ふを要する處はこれだ」と叫んだ。隱者フランシスは此時から傳道者フランシス、使徒フランシスとならなければならなかつた。彼は教會の戸を出るや否や、その靴を脱ぎ、その杖を投げ棄て、折からの寒さを凌ぐために着てゐた外套を脱ぎ捨てゝ、帶の代りに繩をその腰に締め、頭巾のついた百姓の衣を着て、主の使徒としてその平和を宣傳するために、裸足になつて世界のはてまで漂泊す可き準備をした。
 この日より後も、彼の心に隱遁の願ひが音信れないではなかつた。併し彼は勇ましく傳道者としての使命を確守した。彼は隱れて神に祈るために靜かなる森や山を求めた。さうして福音の喜びを傳へるために巷に出た。神に祈る事と、神に於いて働く事とがその後の彼の全生涯であつた。彼は溢れる程の愛を以つて神の被造物を愛した。彼は單に人間のみならず、又深く自然界の事物を愛した――曾て神に往くために一度厭離した自然界の事物を愛した。姉妹なる「鳥」は喜んで彼の身邊に集り、大人しく彼の説教を聽いた。彼は又兄弟なる「太陽」、姉妹なる「月」、兄弟なる「風」、姉妹なる「水」、兄弟なる「火」、を讚美した。彼は神に在りて一切の存在を愛する事が出來た。彼の愛は又人を動かした。彼の身邊に集る者は次第に増加して來た。フランシス教團は次第に大きくなつた。彼はその教團の多くの兄弟のためにその身と心とを碎かなければならなかつた。併し教團の擴大と共に、フランシスにとつては悲しい事が起つて來た。それは法律と學者との精神が、最初の簡樸な、清素な精神を紊し始めた事であつた。フランシスは全力を擧げて此新しい傾向と戰つた。併し自然の推移は彼の力で堰き留め難く見えた。フランシスは疇昔の希望が空しくならむとするを見て、漸く寂寞の感なきを得ないやうになつた。一方には又極度なる清貧の生活が彼の健康を損つた。フランシスはその四十三年の八月、暫く隱れて神に祈るために、最も忠實なる四五人の「兄弟」と共にラ・※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ルナの山に退いた。
 彼は山に到るや、その兄弟からも離れて、一人大きな山毛欅の木蔭に建てた小舍の中に住み、朝夕只管に神に祈つた。彼の魂を惱すものはその教團に於ける兄弟の事であつた。世間が彼から奪つて迷路に誘ひ込まうとしてゐる兄弟達の上であつた。彼は教團成立の最初のやうに彼と彼の「子供達」との間に何の蟠りもなく、再び完全なる一致に於いて住むやうになりたいと熱望した。併しそれは神の許さぬところであつた。一日彼は福音書をとつて兄弟レオに三度開かせた。さうして開かれた處は三度とも基督受難の章であつた。彼は終りまで苦しまなければならぬ事を悟つた。彼は神の意志にその身を任せた。その夜フランシスは眠りを成さなかつた。天國に於ける平和と幸福との希望が漸く彼を睡眠に誘つた。彼は眠の中に天使が彼のために神の座の前に奏する音樂を奏して呉れるのを聽いた。
 聖母昇天の祝の後、彼は更に深く兄弟達と離れた處に住んだ。兄弟達のゐる處から彼の小舍に往くには、深い斷崖を過つて倒れてゐる大木の幹を渡らなければならなかつた。彼は唯兄弟レオが二十四時間内に二度、パンと水とを持つて來る事を許した。而ももしレオが呼んでもフランシスが返事をしなければ、レオはそのまゝ默つて引返さなければならなかつた。それは「フランシスが終日物を言ふ事が出來ない程歡喜に包まれる事があるから、彼がそれほど神に充される事があるから」であつた。九月十四日、十字架建立の祭日の黎明、彼は昇る日を待ちながら、顏を東に向けて、手を擧げ腕を擴げながら、祈りに祈つた。彼の祈る處は、第一に、耶蘇が受難の時に受けた苦艱を「出來る限り」自分の魂と肉體とに感ずる事であつた。第二に、神の子なる耶蘇を焦して罪人達のためにあれほどまでの苦艱を受けさせた過度の愛を「出來る限り」自分の心に受取ることであつた。此の如くにして久しく祈つてゐる間、彼は「被造物に出來る限り」神が此二つのものを彼に與へる事の確かなるを感じた。彼は大なる敬虔を以て基督の苦難と基督の限りなき愛とを瞑想し續けた。彼は愛と憐みのために、「全く耶蘇に作り變られる」事を感じた。茲に至つて六つの輝く翼を持つたセラフが天から降つて來た。セラフは十字架にかけられた人の像を支へてゐた。フランシスは歡喜と悲哀と驚異とに充されてセラフを見守つた。かくてフランシスは被造物の曾て經驗した事がないものを經驗した。彼はその肉體に基督の十字架の傷痕を受けたのである。其結果として第一に彼を充したものは從來知らなかつたほどの大歡喜であつた。基督教的歡喜の最高巓であつた。彼は「自分に惠まれた恩寵を感謝するために」讚美の歌を作つた。
 九月三十日彼はレオと共に山を降りた。さうしてポルチウンクラに歸着すると間もなく又傳道の旅に出た。併し彼の肉體は聖なる傷を受けて後益※(二の字点、1-2-22)衰弱を加へた。醫療の勸を彼は聽かなかつた。四十四年の夏、彼はこの病の中にゐて、野鼠の群に苦しめられながら、最も快活な、最も樂天的な「太陽の歌」を作つた。併し彼の健康は益※(二の字点、1-2-22)惡かつた。法皇廳の醫者達は彼に説いた――「貴君の肉體は貴君の生涯を通じて、善良な、柔順な僕で且つ同盟者ではなかつたのか」と彼等は問ふ。フランシスはさうだと答へざるを得なかつた。「さうして貴君はその返報にどうそれを扱ひなすつた」と彼等は問ふ。フランシスは、その取扱ひ方が結構なものではなかつたと云はざるを得なかつた。フランシスは悲しみに打たれて終に叫び出した――「喜べ、兄弟『肉體』よ、我を許せ。今私は喜んで汝の願望を果させよう。」彼はこれ以來少しくその生活法を變へて、醫療をも受けるやうになつた。併し時は既に遲かつた。病者はアツシジに移つて其處でその遺書を書き、更にポルチウンクラに移つて、四十五の年の一月三日の夕、「われ聲をいだしてエホバによばはり聲をいだしてエホバにこひもとむ」と云ふダ※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)デの詩を聲高らかに誦しながら終に「姉妹なる」死の手に歸した。彼が現在未來に於ける一切の「兄弟」達の爲に殘した最後の言葉は、「余の力の及ぶ限り――余の力の及ぶ以上に、彼等を祝福する」と云ふ事であつた。
 ――俺はこの人を前に置いて自分のことを考へなければならなかつた。俺は Speculum Perfectionis の前に俺の醜い顏を映して見なければならなかつた。

 俺は此「完全の鏡」の前に立つて、自分の醜さ、小さゝ、卑しさ、穢さの覆ひ隱す可きものなきを切に感ずる。曾て山中に行惱んでエホバの前に慴伏した時と同じ樣に全然何の自己辯護もなく、此人の前に平伏しなければならない事を切に感ずる。ステンダールは五十歳の秋に、「俺より偉大な者が此年にならずにとうに死んでゐる。俺は俺の生涯を空過しなかつたか」と思ひ沈んだ。俺は「俺より偉大な者が此年にならずにその眞生活に躍入した。俺は此年になるまで一體何をしてゐたのだらう」と思ふの情に堪へない。
 一、フランシスの經驗した世間の歡樂は、華かな、豐かな、青春の情熱に溢れたものであつた。併し世間の眼から見て、決して卑しく穢れたものではなかつた。傳記々者の證する處に從へば、フランシスの遊宴と醉歌との生活には、少しも淫蕩の痕跡がなかつたらしい。「異性との交りに關する一切の點に於いて彼は模範であつた。此事がその友人間に知れ渡つてゐたために、何人も彼の聞く前では、一言も卑猥な言語を發する事を敢てしなかつた。若しさうする者があれば、直ちに彼の顏は嚴肅な、峻嚴とも云ふ可き表情をとつた。さうして彼は答へなかつた。心の純潔なる一切の人と等しく、フランシスは性の祕密に對して、大なる崇敬を持つてゐた。」それにも拘らず、フランシスは此豐かな生活を空しと見、此純潔な生活を汚れたと見て、更に實なる、更に清い生活の追求に走つたのである。然るにフランシスの世間的生活に較べて、過去及現在に於ける俺の生活が何だらう。彼の生活に較べれば、俺の經驗した世間的歡樂は、遙かに貧しく、遙かに精彩乏しく、遙かに青春の情熱を缺くものであつた。併しそれにも拘らず、俺の生活は彼に較べて、もつと汚れて、もつと斑點の多いものでないとはどうして云はれよう。固より自分もフランシスと共に「性の祕密」に對して世間並以上の崇敬を持つてゐる。俺は從來如何に淫蕩なる生活との接觸に當つても、異性を弄び、異性を「買ふ」事を卑しとする自分の良心を抂げなかつた。併し純潔の理想を絶對にとり、異性の人格に對する尊敬を絶對にとる時、「買ふ」事と「遊ぶ」事との間にどれ程の距離があらう。俺の心の奧には俺の良心を裏切る樣々の慾望が常に動いてはゐなかつたか。俺のドン・ホアンが異性との何氣ない交際の間に、屡※(二の字点、1-2-22)その卑怯なる拔け路を發見しようとはしなかつたか。俺は今此詰問に對して否と答へるだけの勇氣がない。お前はその生活を穢いとは思はないか、と問はれれば、俺は確かに穢いと思つてゐると答へない譯に行かない。お前はその生活を空しいと思はないか、と問はれれば、俺は確かに空しいと思つてゐると答へない譯に行かない。然るに此の汚さと空しさに對する嘆きが、俺の心の中に出離の願を決定して了はないのは何の爲だ。フランシスは俺に比べて遙かに豐かに、清い生活を送つて居てさへも、猶專心に神を求める生活に走らずにはゐられなかつた。もつと空しく、もつと汚れた生活を送りながら、而もその空しさと穢さとを意識し拔いてゐながら、猶病葉が秋の梢に縋り付くやうに、此生活に對する未練を斷絶し得ぬ俺の心弱さと俺の決定心の乏しさとを何と云はう。
 二、フランシスにも亦人間らしい迷ひがない事はなかつた。彼は神の「使命」にその生涯を捧げようとする願を孕みながらも、猶暫くは歡樂の生活を捨て兼ねてゐた。既に神を求むる生活に躍入しながらも、時に猶「自然なる」生活の若さと快さとを囘顧するの情に堪へなかつた。既に乞食托鉢の生涯に入りながらも、亦舊友の前にその姿を恥づる念なきを得なかつた。既に使徒傳道者の生活に入りながらも、猶隱遁生活の靜かなる歡喜を慕ふ心が屡※(二の字点、1-2-22)其衷に動いた。又その晩年に至つては、教團の兄弟達と離れ行く淋しさに堪へずして、歸らぬ昔に戀々するの情を如何ともする事が出來なかつた。併し此の如き多少の迷は、彼の生涯に人間らしい親しみと温かさとを添へるのみで、大局に通ずる勇猛精神の雄々しさをば聊かも毀損してゐない。彼は實に瞻仰するに堪へたる俊爽の態度を以つて、痛快に、切れ味よく、彼の前途を待受けてゐた幾關門を踏破した。彼は世も、友も、父も、一度捨つべきものは悉く捨てゝ了つた。癩者を忌む心も、托鉢を恥づる心も、十字架を逃れむとするの心も、凡て截斷するを要する心は、ズバリと之を截りさげて了つた。彼の生涯は實に「突き拔けた」瞬間の大悦に充ちてゐた。豁然として開けたる新光景の前に躍り上る喜びに溢れてゐた。然るに俺の曇つた、歪んだ、小さい、さもしい生活は實に何と云ふざまだ。俺は究竟の意味に於いて未だ第一の關門をさへ突破してゐない。俺は人生に於ける第一の「公案」をさへ解く事が出來ずに、十幾年と云ふものを徒らに鎖されたる扉の前に立盡してゐる。人生を掘り下げる俺の勞苦は唯その時々の難易に變化があるのみで、嘗て突き拔いた瞬間の大悦をば知らなかつた。俺の眼前に展べられたる人生の姿は、恰も半盲の前に擴げられたる自然の風光のやうに、微かなる明暗の交替を現ずるのみで、未だ曾て豁然たる新風光を呈露した事がなかつた。嗚呼、彼のフランシスの輝いた姿に比べて、此鈍根の身を何としよう。
 三、フランシスの心は、世俗の生活に於いても、出離の生活に於いても、亦傳道の生活に於いても、常に充溢せる心であつた。彼は交友に耽つては食事を忘れた。彼は洞窟の中に祈ればその友人でさへ見違へる位に痩せ衰へた。彼は傳道者の使命を感ずれば、即座に帶を捨てゝ繩に代へ、靴を脱いで裸足になつた。貧者に對する彼の愛は彼自らを貧者にしなければやまなかつた。殊に晩年に於けるフランシスの生活は、丸で何人の手も屆かない程の高さに突拔けて了つた。彼の生活は深く、益※(二の字点、1-2-22)深く神の中に沈濳して、其處に溢れに溢れたる歡喜を見出した。彼は「被造物に許されたる限り」神そのものにならなければ滿足が出來なかつた。神になるとは、彼にとつては、十字架に掛けられたるイエスとなる事である。フランシスの心に宿つたものは實に宗教生活に於ける最大のアスピレーシヨンであつた。さうして彼は此の如き大望を見事に突拔いた。彼の手足に受けた聖傷ステイグマに對する科學的説明はどうであつても、十字架に對するフランシスの熱愛がその身體に生理的變化を起すまでに灼熱した事だけは疑ふ事が出來まい。古より今に至るまで、これほどまでに徹底した祈りの心を經驗した人が他に幾人ある事であらう。フランシスのやうに全人格を凝集して「神」の深みに突入し得た人が他に幾人ある事であらう。
 自分の心は充溢し難い事と凝集し難い事とを特色とする心である。自分の生活が今日以上に散漫になつて了はないのは、俺が殆んど全力を盡して自分の心を引締めてゐるからである。俺は散亂せむとする心を漸くの思ひで引纒めて、覺束なくも第一義の問題に立ち向つて行く。而も此のやうにして多少の深みを獲得した經驗も、極端に貪慾なる俺の心には、常に充足の感じを與へる事が出來ない。俺の心に注ぎ込まれる凡ての經驗は底の方で淋しい音を立てるのみで、一度も充ちて溢れる思をさせて呉れなかつた。俺の心はその薄弱なる本質に、より多くを――常により多くを誅求してやまない。此の如く要求と本質との極端なる矛盾を、むしろ要求に應ずるの力なき薄弱なる本質を、包んでゐる凡人の立脚地から、フランシスのやうな天才の――フランシスのやうな人こそ根本的の意味に於いて「天才」である――天馬空を行くやうな生涯を瞻仰すれば、實に羨しいと云ふより外の言葉もない事を感ずる。併し恐らくは此處に俺のやうな凡人の十字架があるのであらうから、自分は決して自分に與へられざるものを羨んでばかりはゐない。俺はフランシスに降された使命とは頗る種類を異にする、小さい、凡下な、併し無意味ならぬ使命が俺に降されてゐるらしい事を感じてゐる。俺は從來幾度か此凡下に生れついた身を恨んだが、今は徒らに自分の天分に就いて悲觀しようとは思はない。唯自分の堪へ難く恥かしいのは、フランシスのやうに祈つて痩せざる自分の腑甲斐なさである。凡下の身には、凡下の身なるが故に、征服を要し、否定を要し、淨化を要する惡質が菌集してゐるのに、俺は恥かし氣もなく、友人と談笑し、遊樂し飮食する生活を續けてゐる。嗚呼俺は俺の無恥が恥かしい、俺の無神經が恥かしい。
 四、此の如く考へ來れば聖フランシスと俺との間には全然共通點がないやうである。俺のやうな者が自分の性質を檢査するために聖フランシスを藉りて來るなどは、實に無恥とも大膽とも云はうやうのない企であるやうな氣がする。實際俺自身も心の底で自分の滑稽なる大膽を笑はずにはゐられない。併し精密に考へれば、器の大小の點に於ける懸絶は必ずしもその問題に於ける一致を妨げない。性格の點に於ける逕庭はその要求に於ける一致を妨げない。俺は果して聖フランシスと共通な問題と要求とを持つてゐないだらうか。
 聖フランシスは、自分の歡喜に夢中になりながらも、猶その追ひ退けた乞食のために、その身になつて考へて遣らずにはゐられぬ性質であつた。俺の人格は如何に小さいにせよ、俺にも亦此種の客觀性があつて、俺の苦惱を形成してゐる事は――從つて俺の性格には本來基督教的な心クリスチヤン・マインドがある事は、疑はれない。聖フランシスは世間的な歡樂の中に空虚を感じて出離を要求せずにはゐられなかつた。俺の態度は如何に曖昧にして微温を極めてゐるにもせよ、俺の世間的歡樂に對する畢竟の價値は要するに空虚の點に歸する。さうして出離の要求は明滅しながらも俺の衷心に固着して離れない。又聖フランシスが世間的歡樂の中に空虚を發見した究極の理由は、彼の心に永遠なるもの、眞實なるものに對する消し難き慾望があるからであつた。俺が世間的歡樂に對して空しさと淋しさとを感ぜずにゐられぬ最後の理由も亦「全體」に對する、「根本的實在」に對する、凡ての存在と融合して活きる事に對する憧憬が俺の人格の中に深く根據を据ゑてゐるからである。俺は聖フランシスの偉大と俊爽とに對すれば平伏せずにゐられぬ程に小さい。幾度繰返しても足りない程に小さい。併し俺をして聖フランシスの疾驅して通つた足跡をよろめきながら、匍ひながら、跛をひきながら、蠢き行かしめるものは、曾てアツシジの聖人を驅つたと等しく、深奧に沈潛せむとする憧憬である。生活の基礎を實在の上に、神の上に築かむとする熱望である。愛に於いて凡ての存在と――人と、自然と、神と、――一つになるまでは「自己」の幸福を完くする事を得ざる寂寥の思ひである。自分はアツシジの聖人を自分の師と呼び、先蹤と呼び、更に同胞と呼ぶ畏ろしさを恐れない。精神の世界に於けるアヒレス以上の勇猛と崇高とを以つて、「被造物に許された限り」の高さに登るのがフランシスの使命であつた。自分に出來るだけの細心と精緻とを以つて、一々の魔障を征服して、俺と等しく凡下な者のために、一生の間に經過する樣々な戰ひの小さい記録を殘すのが俺の使命であるらしい。
 俺は茲に再び俺のドン・ホアンを喚起して、彼の到達す可き究竟の生活を、「神を求める者」の到達す可き究竟の生活と比較する必要を感ずる。後者の生活にも亦寂寥と悲痛とがない事はない。否、十字架に於いて神を見たる聖フランシスの生活は實に寂寥そのもの、悲痛そのものとも云ふ可きものであつた。彼の寂寥はその限り無き愛が愛する者によつて反撥され拒斥さるゝ處に在つた。彼の悲痛はその愛のために自己を犧牲にして、その苦痛の中に灼熱するが如き歡喜を發見する處に在つた。此寂しさの中に在る愛と、此痛さそのものの中に燃える歡喜とは實に「神を求める者」の――さうして「神と共に活きる者」の本質的生活でなければならない。此の如き寂寥と悲痛とに較べれば、ドン・ホアンの寂寥と悲痛とはまだまだ微小を極めてゐる。「神」に生きる者の寂寥と悲痛とを貫く痛いやうな必然に較べれば、ドン・ホアンの寂寥と悲痛とは戲れに過ぎない。さうして兩者の生活の色調を根本的に區別するものは、彼は凡て「實」にして、此は凡て「空」に瀕してゐる事である。神に於いて生きる者の寂寥はそれ自らにいのちの表現である。然るにドン・ホアンの寂寥は「無」の深淵に臨むの戰慄である。ステンダールは其の生涯の晩年に至つて多少の寂寥を感じた。さうして生涯を空過したのではないかと云ふ疑ひを抱いた。ミケランジエロの晩年に感じた寂寥は固よりステンダールの比較にならない程大きい。さうして生涯を空過した嘆きも亦ステンダールと同日の談ではない程深刻である。併しミケランジエロの嘆きはその爲す可き事を遂げ得なかつたため、その美しい本質が伴侶を見出し得なかつたための寂しさであつた。その寂寥にはステンダールのやうに「虚無」に瀕するの空しさがない。若しドン・ホアンとして生きた者の晩年にミケランジエロが經驗したやうな大きい、深刻な寂寥がやつて來たらどうであらう。想像するも身慄ひする程恐ろしい事と云はなければならない。
 假に小賢しい現實論者に從つて、神を求めるは空な努力としても、信仰を求めるは羨ましい程呑氣な事としても、猶或人が此空なる「神」の故に、呑氣な「信仰」の故に、彼等の與り知らぬ程「實」なる、痛切なる經驗をした事だけは爭はれない。此人が感ずる悲痛も寂寥も歡喜も、彼等の小さい生涯に較べては比較にならぬ程深酷で、痛切で、幅が大きかつたと云ふ主觀的事實だけは爭はれない。約言すれば此等の「空」で「呑氣」なものを求めた人達は、小賢しい現實論者以上に、深い、複雜な、徹底した人生を經驗したことだけは間違ひがないのである。自分は人生を大きく深く經驗するために、彼等の所謂空な、呑氣なものを追求する事を恐れない。俺にとつて堪らなく恐ろしいのは、皮肉らしい顏をした現實論者と共に人生の深みに對する感覺を失ふ事である。現實論者にとつては感覺と主觀的感動との外に眞實なものが何處にあり得よう。彼等が灼熱する感覺と痛切なる主觀的感動とを準備する事實を否定するは無意味である。彼等が「空」といひ、「呑氣」と云ふは要するに自分の參加し得ぬ經驗を貶するの意味に過ぎない。
 五、然らば俺は今日以後「神を求める生活」に、「神と共に活きる生活」に餘念なく沈潛しようと堅く決心してゐるか。俺は猶この問に答ふ可き所以を知らない。俺の心の中には猶父母妻子朋友と共に活き、小さい權利を享受し主張して、小さい義務を甘受し忍從して、人間らしい享樂と悲哀と恩愛と憂慮との間に活きて行く Nat※(ダイエレシス付きU小文字)rlichkeit にひかされる心がある。俺には猶心身の快適と清爽とにひかされるエピキユリヤンの心がある。殊に俺には異性との間に於ける恍惚と歡樂と嘆息と變化との間に現實的の充實を求めるドン・ホアンの心が漲つてゐる。俺がドン・ホアンの滿足を知らぬ事は前にも云つた。併しそれは俺がドン・ホアンの衝動を感じないと云ふ意味では決してない。俺のドン・ホアンの衝動は行爲に發露せぬ前に殺戮されるのみで、俺の心密かなる記憶はドン・ホアンの屍骸に滿されてゐる。從前俺はこの性質を釋放して、公然たるドン・ホアンとして闊歩するを得ざる俺の卑怯を嘲つた。併し今俺はドン・ホアンに生涯を捧げて了ふ事が出來ないのは俺の一層根本的な性格と要求とに基く事を知るが故に、自分のドン・ホアンを討たむとする内面的鬪爭を卑怯とは思はない。併し此等の雜念が猛烈に自分の中に活きてゐる事を感じながら、自ら「神を求める者」を以つて任ずるのは餘りに口幅つたい仕業である。注意の焦點を全體に置かむがためには、先づ部分に對する未練を斷絶しなければならない。凡ての部分は一度否定されるにあらざれば、徹底的に肯定されることが出來ない。出家に堪へる者のみ眞正に神を求める者を以つて自任することを許されてゐる。俺は俺の内面にその力が蓄積される迄、此榮譽ある名稱を自ら許す資格がないのである。
 併しドン・ホアンに志す意志を否定する意味に於いては――唯此意味のみに於いては、俺はもうドン・ホアンを脱離してゐる。俺のドン・ホアンは他日或はこの否定の裏をかいて、俺を汚贖と罪惡との淵に投ずるかも知れない。さうして俺の中にゐる「神を求める者」にこの汚贖と罪惡との始末を強ひるかも知れない。俺は屈辱と苦痛との幾層を通じて――若し此汚贖と罪惡とを征服する戰ひに勝を得るならば――更に深酷な、更に痛切な人生の光景に味到するであらう。さうすれば俺の中のドン・ホアンは、恰も神の世界に於ける惡魔と等しく、否定される事によつて肯定されるのである。併し神は常に惡魔を否定するやうに、俺の中なる「神を求める者」も亦常にドン・ホアンを否定する。否定する事によつてドン・ホアンに存在の意義を與へる。此外に俺は決して俺のドン・ホアンを許容する事をすまい。此點に於いては、俺の心は既に決してゐる。
 併し俺はドン・ホアンを否定したと同じ程度で、ドン・ホアン主義の一つの變形とも見る可き Romantic Love の夢を否定したとは云ひ難い事を感じてゐる。俺は愛す可く、憐む可く、同情す可く、感傷す可くして、而も要するに俺の心を充すに堪へざる一つの魂を傍にして奧深く一つの夢想を續けてゐる。俺は此半熟なる愛憐の情を蹂躙して、俺の魂を根柢から戰慄させる樣な、他の一つの魂を待設けてゐないとは云はれない。俺の心には猶ワグネル流な悲壯と罪惡との豫期がある。俺は今此豫期を徹底的に處分す可き力を持つてゐない。併し、假令ポーロやトルストイのやうな單に「許さる可きもの」としての結婚觀が此の如き浪漫的戀愛の夢想を打破するに足らずとするも、「神」に對する憧憬と、凡ての存在と融合せむとする熱望から出發した者が此の如き浪漫的戀愛にその究竟の生活を發見し得ぬ事だけは既に現在の俺にとつても明白である。俺は浪漫的戀愛の夢が如何なる時にその對象を發見し來る可きかを知らない。又俺はその時に當つて自分の生活が、如何なる屈折を經て如何なる進路を發見す可きかを豫期する事も出來ない。自分は唯、此の如き冥搜と模索とが努力に價せざる事を知るのみである。此の如き豫想に活きる事の痴愚を極めてゐる事を知るのみである。
 最後に最も戰慄す可きは、俺の心の底の底に、凡ての存在を愛によつて包容せむとする希望が、要するに人間にとつては實現す可からざる空想ではないかと思ふ懷疑がないとは云へない事である。ステンダールは曾て其友に書を送つてルソーの「到る處に義務と徳とを見るマニヤが彼の文體をペダンチツクにし、彼の生涯を不幸にしたのだ」と云つた。さうして人と人との接觸に關するベール(ステンダール)主義は要するに次のやうなものだと云つた。――「二人の人が相互に接近する。熱と醗酵とが發生する。併し此の如き状態は悉く無常である。それは放縱に享樂す可き花に過ぎない。」俺は此快樂主義に潛む憂鬱に對して戰慄を感ぜずにはゐられない。人と人との間には遂に包攝融合の道を絶してゐるとすれば、人生の寂寥は終にどうすればいゝのであらう。俺はこれを俺自身の經驗に質して見た。俺はどうしても愛によつて他人を包容し盡した經驗があるとは云へなかつた。俺の記憶の中に在るものは要するに究竟の意味に於いて他人と融合するを得ざる孤獨の苦しさのみであつた。俺は又「神に於いて」人を愛せむとした偉大の生涯を求めた。俺は先づトルストイに逢着して新しい痛みのために飛上らずにはゐられなかつた。
 メレジコフスキーも云つたやうに、トルストイ程人を愛しようと努めた人は少い。併しメレジコフスキーも疑つたやうに、トルストイは終に人を愛する事が出來たか。彼の八十歳の長い生涯は要するに愛せむとして愛するを得ぬ悲劇に終らなかつたか。トルストイのやうな偉大な、誠實な、貫徹の力に溢れてゐた人も、猶眞に人を愛する事が出來なかつたとすれば、自分達のやうな鈍根な者がどうして愛に於いて他人を包容する事が出來よう。思へば人間の前に置かれた選擇は、他人を包容する愛が自我獨存の悲痛(又は寂寥又は自恣又は斷念)かにあらずして、愛を以つて他人を包容せんとする悲壯な、絶望的な努力か自我獨存の悲痛(又は寂寥又は自恣又は斷念)かに在るのかも知れないのである。併し俺は多少の考慮の後に、明かなる意識を以つて答へよう。假令愛に於いて他人を包容する努力は絶望的だとしても俺は猶此悲壯なる努力の道を選ぶ。ステンダールの幸福よりもトルストイの不幸を選ぶと。後者を選ばずにゐられないのは俺の性格の中に確固たる客觀性があるからである。客觀性の要求は愛に於いて他人を包容するに非ざれば徹底的に滿足する事が出來ないからである。此要求を充さうとする絶望的な努力も猶斷念と放擲とに優るからである。メレジコフスキーは其鋭利にして淺薄なる洞察を以つて――俺は此大膽なる斷定を敢てする――トルストイの本質を異教的な心だと斷じた。さうして異教的なトルストイが基督教徒らしく他人を愛せむとするのは無用な努力だと云ふ意味の口吻を洩した。併し假令トルストイの心がメレジコフスキーの説のやうに本來異教的な心だとしても、猶世界史上に於ける異教主義が基督教に轉移するには、果して異教主義そのものゝ中に此轉移を至當にする必然性がなかつたらうか。同樣にトルストイに於ける異教の心が基督教の愛を要求する處にも、猶必然性を見る事が出來ないだらうか。愛する事を得ざる者が愛せむとするのは――俺の見る處では――決して無用の努力ではない。愛の理想は假令究竟の意味に於いて實現せられぬまでも、猶刻々に此理想を懷抱する者の現實に作用して此を淨化する。愛せむとした懸命の努力の中にトルストイの生涯の意義を發見し得ぬ者は、如何に議論の精彩と微細とを極むるも要するにトルストイの本質を掴みかねたものと云はなければならない。トルストイの一生は實に偉大なる未完成の一生であつた。その惱みの強烈なのも懷かしい。その迷ひの執拗を極めてゐるのも懷かしい。トルストイは聖フランシスよりも遙かに親しい意味に於いて、自分の師であり又先蹤である。俺はトルストイの生涯を見る事によつて、愛の理想に對する疑惑を感ずるよりも、寧ろ精進の努力に對する鼓舞激勵の力を感ぜずにはゐられない。
 さうして最後に神に於ける愛の理想の決して空想に終らぬ事を證するために、「被造物」フランシスの聖なる生涯がある。固よりフランシスの高みに攀ぢる事がトルストイにさへ出來なかつた事を思へば、自分達は究竟の意味に於いて他を愛する生涯をば決して輕易に見積る事を許されない。併し被造物フランシスは遂に愛の生涯を實現する事が出來た。フランシスの生涯は遙かなる彼方に於いて愛の生涯の可能な事を自分達に例示した。自分達の心には希望がなくならない。さうしてトルストイがフランシスのやうな愛の生涯に入り得なかつたのは、要するに彼の見た「神」の性質によらなかつたか。「神」を見るにあの方面からしなければならなかつた彼の内奧の性格によらなかつたか。さうして些かも囘避せずに此性格と戰ひ盡した處に、フランシスよりはもつと親しく、もつと手をとるやうに、俺のやうな凡下の輩を導く可きトルストイ獨特の偉大と使命とがあつたのではないか。
 俺の周圍にはエホバの崇拜からマンモンの崇拜に轉移した轉倒の改宗者が少からずゐる。俺自身も亦他日此等の先輩のあとを追ふ事がないとは、神ならぬ身の斷言する由もない。併し俺の問題は未來ではなくて現在である。俺の心に「神」の要求がなくならぬ限り、俺の心に現實の生活の空しさが淋しく映つてゐる限り、俺の終生を貫くものは、曾てフランシスがサン・ダミヤノの會堂で十字架にかけられた者の前に捧げたやうな祈りでなければならない。固より俺は未だ「偉大にして光榮なる神よ、我主耶蘇基督よ」と呼ぶ事を許されてゐない。さうして此祈りは何時聽かれるかわからない。此祈りが聽かれた後になつても、フランシスのやうに使徒として傳導者としての自覺が授けられるかどうかもわからない。併し此祈りが一生聽かれないならば、俺は一生此事を祈り通すのみである。若し傳道者としての自覺を授けられないならば一生隱者として神に祈り通すのみである。さうして隱者の生涯を記録して、人類に對する愛を幾分なりとも實現するのみである。兎に角、俺は此祈りに活きる事の外、自分を眞正に活かす道を知らない――
「明暗を驅使する力よ。我が知らざる神よ。仰ぎ願くは我に力を與へて、我が魂の暗黒を拂ひ給はむ事を。まことなる信仰と、確かなる希望と、完全なる愛とを我に授け給はむことを。おゝ神よ、一切の事に於いて汝の光により、汝の意志に從ひて行ふを得るやうに、よく汝を知らむ事を我に許したまへ。」

 一月程前に俺は――詳しく云へば俺の中の羊飼ひ三太郎である。果樹園守り三太郎である――俺の中のドン・ホアンが友愛の美名の下に、親愛する同胞の手と心とを偸まむとしてゐることを發見した。俺の全心は騷ぎ立つた。俺は俺の品性の卑しさが堪らなかつた。俺のやうな奴が人格の高貴を説き、愛を説くなどは實に洒落臭さの骨頂だと思つた。俺は自分の心の中を檢査するにつれて、到底茲に書くに堪へないやうな恐ろしい、醜い思が其處に蛆のやうに湧いてゐる事を發見した。俺は此の如き醜い心を悉く對手の前に懺悔する事が出來るかどうか自分自身に訊いて見た。その小さいものは――對手から恕して貰へさうなものは――十分に否定の誠を盡して之を懺悔する事も出來よう。その大きいものは到底口にするだに堪へない。さうして俺には此大なる醜さを十分に否定し盡して之を發表するだけの人格の力がない。――之が俺自身の答であつた。俺はせめて此苦しみを日記になりとも書いて、幾分の休息を得たいと思つた。併しお前には之を日記に書くだけの態度さへ出來てゐるかと俺は再び自分を追窮しなければならなかつた。醜いものを十分に淨化するに足る程の高貴なる態度なしに、茶飮話をするやうに自分の罪過を告白する者は申分のない馬鹿である。日記に書くのも要するに自分自身の前に懺悔する事ではないか。お前には如何なる意味に於いても自分の醜さを懺悔する資格があるか。俺はないと答へない譯に行かなかつた。俺は日記さへ書けない苦しさに床にもぐり込んで呻吟した。さうして翌朝は薄暗い中に起きて、松原越しに遠く海を見渡す屋根の物干に登りながら、熱い頭を朝の空氣に冷した。此の日は丁度東京へ行かなければならない日であつた。俺は人の顏を見るのがつらいと思つた。
 此日以來俺は此の事以外の事をしたり考へたりするに堪へなかつた。其當時俺は早くやつて了はなければ義理が立たない――さうして俺自身の生計のためにも之をやつて了ふことが極めて必要な――仕事を持つてゐた。併し思ひきつてその仕事も捨てた。俺は雨の降る中を濡れながら、松林を通つたり、砂丘に登つたりして歩き※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りながら、樣々の事を思ひ續けた。併し自分に對する呪ひが頂點に達した頃に、俺の心にはドン・ホアンの權利を主張する聲が響いて來た。お前は何故自分のドン・ホアンに就いて苦しむのだ。お前は何故公然ドン・ホアンとして活きる事が出來ないのだ。お前の抱いてゐる愛の理想は要するに根據のない空想ではないか。其聲は苦しみ悶えてゐる俺をかう云つて慰めた。俺は俺の中に在る「神を求める者」と俺の中に在るドン・ホアンとを對決させる必要に迫られて來た。俺は前者を廓大して見るために、聖フランシスの傳記をとり、後者を廓大して見るために、ステンダールの著書をとつて、且つ讀み且つ考へた。兩者ともに俺の中に響を返す澤山のものを持つてゐた。此の對決は容易に決定し難かつた。俺は解決に到達する前に漸く疲れて來た。例によつて松林と砂丘と海岸とを歩き※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りながら、俺の心は屡※(二の字点、1-2-22)快い夢の中に逃れて現在の問題を避けようとした。俺のドン・ホアンは畑に麥を刈る百姓の娘の、日に燒けた、健康らしい、無智なる頭の中に、通りすがりの享樂を發見して、現在の問題から這ひ出ようとした。俺は何よりも先づ俺の心の張りの弱さが憎かつた。俺は散亂せむとする心を強ひて結束して同じ問題を考へ續けた。
 去月の二十八日――(それから今日までにもう十日を經た。俺の敍述が此處に到達するまでに當時の心持も可なり色褪せて了つた。心の感動をその儘に文字に現はさうとする者にとつては、表現のために特別の努力と時間とを要する事は、時として甚だ果敢ない約束に見える。若し心の感動が形の影を伴ふやうに、自然な、直接な、反射的な、時間を要せぬ方法で文章となつて呉れたら。)――去月の二十八日、俺は松林を通つて、砂山を越えて、海岸に出た。俺の心には漸く一應の解決が出來た。その解決は要するに未解決のまゝに戰を明日に延さうとする決心をしたに過ぎない。併し俺は此解決によつて從來「神を求める者」に與へて來た王位を一層確かにする事が出來た。俺の中に於けるドン・ホアンに一層はつきりした使命を指定する事が出來た。さうして明日の戰に備へる元氣と快活とを幾分なりとも増進する事が出來た。俺は恥づ可く、嗤う可き奴だけれども、まだ救濟の見込がない程に墮落してゐない事だけは確かだつた。――此一應の解決に到達しただけでも、俺の心は隨分嬉しかつた。丁度空が晴れて富士山が洗ひ出されたやうに遙かなる海岸線の上に浮出してゐる日であつた。午前の海は紺青の色をなして、大きく、靜かにうねつてゐた。他には誰も見る人がゐなかつたから、俺は此の嬉しさを洩すために、打寄せる波と追掛けたり追掛けられたりして戲れながら、富士山を前にして、砂の上を躍り歩いた。他人の見る前で躍る事の出來ない性分の自分にとつては、三太郎の躍る恰好は定めて珍妙だつたらうねなどと云つて冷かす友人がゐなかつたのは幸だつた。俺は明日から又職業に歸る力を與へられたのだと思つた。俺は明日から又俺の心から愛憐を感じてゐる家族のために働く力を與へられたのだと思つた。さうして俺はこの小康の嬉しさに砂の上を躍り歩いた。
 今夜俺は十日餘りの月を仰ぎながら砂丘の上に立つた。遠くに波の音がして、蛙の聲が降るやうに聽えて來る。俺は淋しさに涙ぐんだ。俺はもう俺のドン・ホアンを告白してしまつたのだ。俺は俺の親愛する友達に對するにも時としてドン・ホアンの衝動を感ぜずにゐられない事を告白してしまつたのだ。俺はもうあらゆる異性の友達を失つても之を恨むだけの資格がない。さうして決して恨むことをすまい。それより仕方がない。それがいゝのだ。孤獨なる寂しさの中に神を求めるのが俺のこれからの仕事だ。俺はその神のまだ遠い事を思つた。俺は俺の當然失はなければならぬあらゆる異性の友達の事を思つた。さうして俺は靜かな、朗かな、併し淋しい心持に涙ぐんだ。
(三、六、五)
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 俺は誠に久しい間、俺よりも偉大な者に對して心竊かなる壓迫を感じ、俺よりも小さな者に對して腹の底に輕蔑を感ずる心持から脱却する事が出來なかつた。これは偉大な者と親しむ所以でもなく、小さい者を慈む所以でもない爲に、俺は常に此心持に就いて不安を感ぜずにはゐられなかつた。此不安は俺の心に、凡ての存在と愛に於いて一つになりたいと云ふ要求を刺傷した。俺は久しい間此落付かない態度から脱却する途を求めて來た。
 俺は此苦しみによつて、凡ての人を「被造物」の點から、又「人間」の點から見る事を學んだ。「被造物」の點から見れば、偉大な者も小さい者も、苦しみ、惱み、限られた者として同一の運命を擔つてゐた。「人間」の點から見れば、偉大な者も、小さい者も、それぞれに内面に植ゑられた要求を以つて、器に應じて之を實現して行く長途の旅に於いては共通であつた。俺は此處に、偉大な者を尊敬し、小さい者を扶助して行く包容の視點を與へられてゐる事を感じた。俺は峠を一つ越したやうな氣がして嬉しかつた。さうして内心に行はれた此變化は、偉大を衒ふ者に對する特別な憎惡と、小さい者に對する特別な同情となつて現はれた。
 併し此處にも亦新しい誘惑は潛んでゐた。俺は小さい者の無智と、無邪氣と、誠實とに同情するの餘り、小さい者をその小さいまゝに、弱い者をその弱いまゝに、卑しい者をその卑しいまゝに許容する傾向に陷らむとしてゐた。さうしてその奧には、自分の小さゝと弱さと卑しさとをその儘に看過する惰弱の心を挾んでゐないと云へなかつた。誘惑は狡猾に勝利の後を覘つてゐる。今俺は此誘惑を征服する新しい戰を戰はなければならない。
 人生の意義は人間が人間を超越するところに在る。人間が眞正に人間になるにはその人間性を征服してしまはなければならない。此點に於いて俺は基督の弟子であり、カントの弟子であり、又ニイチエの弟子である。凡ての人を此長い大きい悲壯な戰ひに驅り出す事を外にして、眞正な愛はある譯がない。自己を愛する最眞の途も亦自己の惰弱を鞭つて此戰に赴かせる點に窮極しなければならない。甘やかさせたり、増長させたりするのは哲學的な愛の正反對である。俺は漸く此點を忘れかけて居た。
 固より弱い者は劬らなければならない、自分の弱さに惱む者は他人の弱さにも思ひ遣りがなければならない。併し此憐憫と同情とに溺れて眞正の愛を忘れる者は、要するに自他を損ふ者である。劬りながら、同情しながら、涙を分ちながら而も結局は小さい自己の一毫をも磨き落させずには措かない處に凡ての人類に對する哲學的な愛があるのである。憐憫と同情との名によつて、兎の毛ほどの卑しさでも假借するのは俺の恥辱である。俺の「愛」の恥辱である。
 人を愛する心は人を嘲るに堪へる心でなければならない。自己を愛する心は自己を嘲るに堪へる心でなければならない。單に自己だけに就いて云つて見ても、自嘲は強者の事である。自己憐憫は弱者の事である。固より弱く生れついた者には自己憐憫の心がない譯に行かない。併し自己憐憫から自己嘲笑に、自己嘲笑から自己超越に磨き上げるのが――カントの言葉を用ゐれば――彼の「義務」である。其處に彼の眞正な生活がある。

 新しい意味に於いて憎しみと嘲りと怒りとの自由をとりかへしたい。俺の心は今、此等のものゝ禁止によつて、多少の窒息を感じてゐる。嗚呼、新しい意味に於いて憎惡と嘲笑と憤怒との自由をとりかへしたい。
 俺は今或者を愛してゐる。此愛する者の故に、或他の者を憎んでゐる。俺の憎むのは、愛するが故に、愛する者を、憎むのではなくて、自分の愛する者を愛護せむがために、或他の者を憎むのである。憎む者を憎むが爲に憎むのである。俺の憎惡には愛の根柢がないから、愛せむとする俺の要求は此憎惡を禁止せずにはゐられない。
 固より愛せむとする要求を撤囘すれば、憎惡と嘲笑と憤怒との自由を恢復する位は實に何でもない事である。併し斯くする事によつて、俺は俺の古い人格に復歸する。自分の事を棚に上げて他人を輕蔑したり嘲笑したりする事を自慢にしてゐる張三李四の立脚地に墮落する。俺の要求するのはそんなに廉價な自由ではないのである。愛によつて淨化されたものでなければ憤怒も嘲笑も憎惡も正しくない。俺は飽くまでも此立脚地を固執する。此立脚地を固執した上で、憎惡と嘲笑と憤怒とを淨化したいのである。新しい自由によつて、朗かに、安んじて、憎んだり、嘲つたり、怒つたり、輕蔑したりしたいのである。俺は今、憎みながら怒りながら、自分の憎しみと怒りとに就いて不安を感ぜずにはゐられない。俺の生活が此曇りを脱却し得ないのは、誰の罪でもなくて、唯一切を淨化する力のない自分の愛の缺乏の罪である。
 俺は自分の家族の前に怒りと嘲りとを發表す可き相應の自由を感じてゐる。彼等の前に自由に此等の心を表現する事が出來るのは、根柢に於いて愛と理解とがある事を信じてゐるからである。殊に俺の自分自身に對して享受してゐる嘲笑憤怒輕蔑憎惡の自由は殆んど完全を極めてゐる。それ程までに俺は自らを愛してゐるのである。併し俺は他人に對しては殆んど此等の自由を享受してゐない。他人に對する俺の愛はそれほどまでに薄弱を極めてゐるのである。
 自分を愛する程完全に他人を愛するやうになりたい。自由に、朗かに、愛を以つて、凡ての人を嘲つたり、憎んだり、怒つたりして遣る事が出來るやうになりたい。

 人類を愛するために、現在の俺に許された最主要なる道は、俺自身の生活を活きて、俺から生れた思想を彼等に送る事である。併し俺には猶此外に、一々の人に就いて、一々の生活に就いて、細かに濃かな愛を送らなければならぬ一群の人が在る。俺は子で、夫で、親で、弟で、兄で、朋友であるからである。
 俺の愛の缺乏は此等の一群の人が最もよく之を知つてゐる。俺は彼等の聽く前で愛を口にするのさへ恥かしい。俺は時として、彼等の衷心からの訴へを上の空で聽いてゐた。俺は時として、彼等の愛の表現を五月蠅いと云ふ樣な心持で受取つた。凡ての人に對するにその人自身に同化した立場をとらうと思ふ心掛は、幾度も幾度も裏切られた。或時には誠實なる人の愚かなる話を聽きながら、腹の底で笑つた。或時には諄々として盡きざる話を耳にしながら、腹の底で退屈を感じた。本當に對手の心になつて聽いてゐれば――本當に對手を愛してゐれば、笑つたり退屈を感じたりする事が出來ないやうな場合にも、俺は猶腹の底で笑つたり退屈を感じたりせずにはゐられなかつた。固より俺は自分の態度をたしなめた。さうして假面ではなくて誠實な心で、眞面目に他人の話を聽くやうに努力した。併し嘲りや退屈や輕蔑が一瞬間俺の心を掠めて過ぎる事はどうにも仕樣がなかつた。若し俺を心の底から、何の蟠りもなく他人を包容する人だと思つてゐる人があるならば、それはその人の誤りである。俺の愛には曇りと固りとがある。若し俺が「いい人」ならば、それは俺の本質が「いい人」なのではなくて、俺の意志が「いい人」なのである。
 俺の周圍にゐて俺の愛を要求してゐる人は極めて少數である。併し俺は俺の愛が此等の一群にさへ行き渡り兼ねてゐる事を感じてゐる。俺は最早これ以上に此群れを大きくする事に堪へられさうにもない。俺は愛する者の群れを本當に心の底から愛する事が出來るやうに、――さうして人類に對する更に大なる愛の努力を怠らないやうに、彼等から離れて住む事を考へなければならなかつた。彼等と離れてから、彼等に對する俺の愛は、曾て彼等と雜居してゐた時よりも、次第に美しく磨かれ始めた。昨夜も亦俺は、松原の梢を見渡す砂丘の上に、月を仰いで一人立ちながら、しめやかな心を以つて、愛する群の上に遙かに愛の思を送つた。

 光る者は自ら照さなければならない。併し愛する心は必ずしも直ちに愛の實行となつては現はれない。持つ事は必ずしも直ちに與へる事になつて現はれない。愛を實現する爲には努力が必要である。光を與へるためには意志が必要である。此點に於いて自然の光と精神の光とは相違するのである。固より精神の光と雖も、内に光があれば自ら外に洩れるに違ひない。光の存在それ自らが周圍を照す事にもなるに違ひない。併しその光が十分に外を照す力を實現するためには、照さうとする意志が必要である。精神の世界に在つては、光る事と照す事とが全然同一だと云ふ事は出來ない。
 尤も偉大なる光、充溢せる光に在つては、照さむとする努力、與へむとする意志が、必然に、自然に、本能的に、恰も自然の光が自ら照すと同じやうな意味で押し出して來るに違ひない。併し微かな光、瞬ける光、逡巡せる光に在つては、光らむか照さむかが意味のあるデイレンマとして問題となる。或光はその努力を更に大きく光る方に向けなければならない。或光はその努力を廣く遠く照す方に向けなければならない。今俺は――此微かに瞬ける光は、此デイレンマに突當つてゐる事を感じてゐる。
 併し此のデイレンマの解決は誠に飽氣ない程輕易である。若し俺が俺の衷にあるだけの光を盡して照さうとした處で、俺によつて照されたものは現在の俺以上に光る譯に行かない。然るに此の俺が何だらう。此空虚な、弱小な、迷ひのみ多い俺が何だらう。固より俺の周圍を繞るものは漆のやうな闇だから、或特殊の點に就いては、或一二の點に就いては、俺も亦照す事を心掛ける必要がないとは云はれない。併し全體を貫く態度の問題として見れば、現在の俺には、光らうか照さうかと云ふ問題をデイレンマとして採用してゐる資格さへないのである。大きく光る事、貪婪に光る事が、云ふまでもなく、俺の專心なる努力の目標でなければならない。
 俺は俺自身の惱みを惱み、俺自身の運命を開拓する。此惱みと此努力とは俺を一歩づゝ人生の深みに導き、人生に對する俺の態度を徐々として精鋭にするに違ひない。俺は此惱みと努力とによつて、人生の底に動く或「力」を見、或「力」を體得する。俺は此惱みと努力とによつて、人生の底に動く深い力を次第に鮮明に確實に、全人格的に捕捉する。此力を捕捉するとは俺の衷に輝く光を次第に大きく、益※(二の字点、1-2-22)大きく掲げ出す事である。此の如くして俺の衷に輝き始める光は、俺と類似した惱みを悩み、俺と類似した運命を享受してゐる者を照すに足るものであるに違ひない。故に俺が俺自身の内面的必然性に從つて活きる事は、直ちに人類に對する俺の愛を準備し蓄積する事にもなるのである。
 さうして俺は俺の惱みと努力との經驗を表現する事によつて、直ちに俺の經驗を人類の財産とする。俺の惱みが小さければ、俺の惱みを表現したものは、人類の微小なる財産である。俺の惱みが大きくなれば、俺の惱みを表現したものは、人類の稍※(二の字点、1-2-22)大なる財産となる。兎に角に俺は表現の道によつて、俺の生活を盡して之を人類に寄附するのである。人類を愛するために、現在の俺に許された唯一の道は實にこれである。
 俺の生活は小さくて淺い。沈默の中に、遙かに深く遙かに大きい人生を經驗してゐる人が幾人もある事を思へば、俺は俺自身の事を表現するのが恥かしくて堪らない。併し自分が淺ましくてとても堪へきれなくなるまでは、俺は自己表現の努力を棄てる事をすまい。それは俺一己のためではなくて俺の愛のためである。

「君の愛せむとする意志が、それほどまでに君を束縛したり、君の生活に曇りを與へたり、君の生活を苦しくしたりするならば、君は何故それを捨てゝ了はないのだ。それを捨てれば、君の渇望してゐる自由も、清朗も、爽涼も、即座に君の手に這入つて來るぢやないか。」「それは僕の理想だからだ。もつと俗耳に入り易い言葉を用ゐれば、僕の人格に根ざしてゐる力強い要求だからだ。凡ての存在と一つに融けた生活がしたいからだ。唯、一度愛した味がとても忘れられないからだと答へる事が出來ないのが悲しい。」
(三、六、七)
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 俺は屡※(二の字点、1-2-22)理想と云ふ言葉を使つた。今の時勢では理想と云ふ言葉は、黴が生えて、尿に汚された言葉である。併し若し流行の言葉が御望みならば、要求と云ひ換へても俺の言はうとする内容はちつとも變らない。理想は人間の本質から遊離して空に懸つてゐる幻しを意味するのではない。理想の究竟の根據が人間の本質に在る事は云ふまでもない事である。理想が「なければならない」のは、人間の本質が「ならずにゐられない」からである。
 人間の精神が或方向に運動しようとして、而もその運動の傾向が精神自身に明かに意識されてゐないものを「衝動」と呼ぶとする。衝動が衝動自身の意識と結合して「要求」となるのは自然の成長である。更に現在の意識に作用して、精神の中に或「状態」を喚び出さうとする力を「要求」と呼ぶとする。その要求が人格全體の内容――最も廣い意味の人生觀――と連結を求め、又その欲求する「状態」の表象を明かにして「理想」となるのは、これも亦自然の成長である。衝動から理想に發展する經過には何等のギヤツプをも認める事が出來ない。理想を排斥して衝動を過重するのは心理的の意味に於ける初級主義エレメンタリズムに過ぎない、此意味に於いての無人格主義に過ぎない。
 繰返して念を押さう。理想とは自己の人格に根ざす力強い要求を意味するのである。

 俺は屡※(二の字点、1-2-22)、生活の連續コンテイニユイテイを求めると云ふ言葉を使つた。或人は之に對して、それは求めるまでもなく凡ての生活に連續コンテイニユイテイのないものはないと答へるかも知れない。固より「一國の選良」と考へた直その次の瞬間に、「ああ小便が出る」と感じた處で、此二つの觀念の間には、肉體及び腦髓の組織上、相踵いで起る可き充足理由があるに違ひない。併し俺がこんな意味の連續を求めてゐるのではない事は云ふまでもない事である。俺の求めてゐるのは一貫せる意志の連續である。思想と思想との緊密なる連續である。ひきくるめて云へば生活内容の連續である。俺の周圍に※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)ジヨンの連續のない藝術や、思想の連續のない論文や、無意味な飛躍に滿ちた生活が多い以上は、俺の要求は決して無意味ではないと思ふ。
「一國の選良」と云ふ觀念と、「ああ小便が出る」と云ふ觀念との間に内容上の連續があるかどうかは、名譽ある代議士諸君にきいて見なければわからない。

 俺は屡※(二の字点、1-2-22)否定と云ふ事を云つた。俺の否定と云ふのは主として歴史的の觀念である。内面的歴史――思想、人格、生命の發展――上の觀念である。故に否定される「對象」に就いて云へば、それは前に一度否定されて、後に再び肯定されてもちつとも關はない。さうして前の否定も後の肯定も共に眞實である。
 第一に生命の一部が吾人の注意の――人格的生活の――焦點に立つてゐたとする。第二に生命の全體が吾人の注意の――人格的生活の――焦點に立たなければならぬとする。第一の時代から第二の時代に移る爲には、注意の――人格的生活の――焦點が生命の一局部から生命の全體に轉じなければならぬ。換言すれば一局部が否定されて全體が肯定されなければならぬ。而る後、一度否定された一局部が、新たに肯定された全體の光に照されて、新たなる肯定を獲得することは極めて自然な事である。此意味に於いて凡ての部分は一度否定されなければ、究竟の意味に於いて肯定される事が出來ない。
 聖フランシスは神を求める熱望に驅られて、曾て愛した自然を厭離した。さうして一度神に到達した後、幾層の深さを以つて一度捨てた自然を熱愛した。

敵手を否定せむとせぬ戰は戲談である。
敵手の態度を否定せぬ怒は洒落である。
一切の存在を肯定する者にとつて、
戰は戲談である。怒は洒落である。
一切の否定を否定する者は、
又戰と怒とを去勢する。

 凡ての經驗は與へられたる刺戟と、刺戟を受取る精神との交渉によつて産れる。平凡な者の經驗に於いては、刺戟を受取る精神よりも、與へられたる刺戟の意味が重い。顯著な個性を持つ者の經驗に於いては、與へられたる刺戟よりも、刺戟を受取る精神の意味が重い。顯著な個性を持つ者の世界は、特別な意味に於いて彼自身の創造である。其處にゴーホの藝術があつた。其處にシヨーペンハワーの哲學があつた。
 若し直接外來の刺戟から離れるに從つて、藝術は生活の根を失ひ、思想は空虚になつて行くものならば、ゴーホの藝術は無根柢である。シヨーペンハワーの哲學は虚僞である。さうして理想的藝術は寫眞で、理想的の思想家は新聞記者と――某男爵のやうな實業家でなければならない。
 若し又、直接外來の刺戟をあのやうな線と色とのリズムに化成したゴーホの藝術が深く生活に根ざしてゐるものならば、直接感覺の經驗をあのやうな「世界」に創造しあげたシヨーペンハワーの哲學も亦深く生活に根ざしてゐるものでなければならない。直接外來の印象を線と色とのリズムの方面に深く掘つて行くか、思想觀念の方に深く掘つて行くかは、刺戟を受取る精神の個性による事である。此方向の相異を以つて、兩者の世界の深淺、空實を區別せむとするは理由のない獨斷である。
 個性と創造とを説く者が、さうしてゴーホの藝術を讚美する者が、思索的個性と思索的創造との意義を理解する事が出來ないのは不思議である。思索的個性と思索的創造力とを持つものは、其特性の濃厚となるにつれて、益※(二の字点、1-2-22)遠く直接外來の刺戟から離れるに違ひない。さうして現實論者には思ひもつかないやうな觀念と圖式と記號との世界に沈潛するに違ひない。カントは日常茶飯の世界からあの複雜なる批評哲學を構成しなければ、その「生活の根に」徹する事が出來なかつた。其處にカントの個性と創造と「天才」とがあつた。實際カントの哲學のやうに痛切に實生活に根ざした思想が幾許あらう。小賢しい現實論者の思想等はその傍に持つて行くさへ恐ろしい冒涜である。
「生活の根」は新聞の雜報にばかりあるのではない。手帳のはしに書いた詩にばかりあるのではない。少し複雜な思索を見れば、それは思索のための思索だ、實生活を遊離した思想だと云ふ最後屁を放つて風を臨んで逃出すものは卑怯である。

 弱い者を愛するとは、強い者を貶黜するために、弱い者の價値を實際以上に誇張して云ひ觸す事ではない。強い者、大きい者を小さくするために、故意に、世間の眼の前に、その敵を持上げる事ではない。反感を根據とする價値轉倒は何よりも先づ價値轉倒者その人の人格を低くする。
 俺は衒ふ者、僞る者、驕慢な者に對して憤激する。併し俺は偉い者、大きい者、強い者、其他あらゆる價値ある者に對して反感を持つ事を恥辱とする。反感の基礎は要するに嫉妬に在るからである。昔から今まで、優れた者の爲に陷穽を置いた樣々の陰謀は、卑怯な者の心に宿る反感と嫉妬とから産れたものであつた。反感を感ずる事は此等の陰謀者と精神上の同類となる事だと思ふと實に恐ろしい。
 俺も亦時に他人に對して反感を抱いて、此反感の故に自分自身を輕蔑する。俺は世間の人のやうに、「俺は反感を抱かせる」と云ふやうな恐ろしい言葉を、平氣になつて口にする氣にはなれない。
 反感を輕蔑する點に於いて、俺は特にニイチエの弟子である。

 俺は一つの問題を考へる時には、其時俺の頭に在る一切の記憶を遠慮せずに思索の材料に使用する。さうして其中から最も適當な表現の手段を選擇して自分の思想に形を與へる。從つて俺の文章の背後には常に俺の讀書の全量がある。俺は俺自身の思想として消化した以外の事は云はない積りだから、自分の云ふことの一々を誰彼の説と比較したり參照したりする必要を感じない。自分の讀んだ書物を裝飾として使用するなどは、最も俺に遠い誘惑である。
 併し俺は特別な意味で、俺は甲又は乙の思想を導いて呉れた人や、甲又は乙の思想の主張者として特別に俺の頭に映じてゐる人の名は、其の時氣がつく限りは默つて通る氣にはなれない。俺が他人の名を引用するは感謝又は尊敬のためである。これも亦ペダンチツクと云ふものだらうか。俺と同じやうな心持で他人の名を引用する人は外に餘りないのだらうか。

 俺は本を讀みながら、自分の要求にピタリと當嵌らない憾を感ずる事が多い。俺は本を讀みながら、自分の問題の焦點に觸れて貰へない齒痒さにイラ/\する。さうして終に讀書の生活を輕蔑して了ふ。
 併し純粹に、單獨に、自分の問題に深入しようとすると、幾許もなく、俺の思想は散漫になり、統御を失ひ、連絡を失つて、終に行衞不明になつて了ふ事が多い。さうして俺は新しく讀書の恩惠に感謝する。
 ベルグソンのやうな人が讀書を重んじないと假定しても、それは何の不思議でもない。凡ての獨創的の人は、その獨創が熟して來ると共に「學生」としての讀書の生活を離れた。併し單獨の思索を僅か十日内外さへ續ける力のないものが讀書を輕蔑するなどは生意氣である。此意味の獨立が出來ないものは何時迄經つても學生に過ぎない。卒業の見込が立たないのは心細いが、兎に角學生は學生として、覺悟を固める必要がある。俺は今俺のなすべき事は眞面目なしつかりしたスタデイである事を感ずる。俺は身の程を自覺した、謙虚な心掛を以つて、改めて大家の思想と生涯とを研究しよう。此處に、俺のやうに平凡に生れついた者の仕事がある。
 今日以後、俺には讀書の生活を輕蔑する資格がない。
(三、六、八)
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 三太郎は友人の雜誌記者に原稿を送る約束をした。彼の書かうと思ふ事は既に頭の中で形をとつてゐた。併し、愈※(二の字点、1-2-22)筆を執る段になつて、持病のやうに週期的に彼を襲つて來る Ennui が彼の内から、三月の末の重苦しい、頭を押しつけるやうな曇天が彼の外から彼を惱ました。彼の書かうと思ふ事は締切の後一週間になつても、彼が此思想を産むに際して經驗したやうな内面的節奏を帶びて再生して呉れなかつた。それで彼は苦しまぎれに、古い日記を取り出して之を讀み返した。さうして、その中から、他人に見せても大して差支のなささうな處を原稿紙の上に寫して、之をその友人に送ることにしようと決心した。此處に抄出する部分は去年の春の日記の最も抽象的な一部分である。その當時彼は或る大都會の南の郊外の、海に近い森の中に住んでゐたのである。

 山吹が咲いてから可なりになる。川を隔てた向うの廢園にはもう躑躅が咲き出した。
 自然の推移と、その生命のニユアンスに對して俺は如何に鈍い感覺を持つてゐることだらう。俺は四月と五月との生命の差別さへ碌に知らずに、「晩春」と云ふ大ざつぱな總稱の下に之を經驗して來た。
 一年の間微細な注意を以つて自然と共に生きて見たい。自然の生命の推移をしみじみと味ひ占めて見たい。

 夕暮の散歩。
 産科病院の傍から、醜い、穢い犬が二匹出て來た。そのあとから四人の妊婦が醜い姿をして苦しさうにしながら散歩してゐる。黄昏の中を、恥かし氣もなく笑ひ合ひながら散歩してゐる。
 俺は又女が憎くなつた。

 俺は死そのものよりも、死後の肉體のことを餘計氣にしてゐる。
 死骸を他人にいじられるのもいやだ。燒かれて油がジト/\ににじみ出る有樣を想像するのも耐らない。埋められて、體が次第に腐つて、蛆が湧いて行く有樣を思ふのも耐らない。肉體は牢獄だと云ふ感じが、直接の事實として深く俺の心に喰入つてゐる。
 死と共に、肉體が蒸氣のやうに發散して呉れたらどんなに安心だらう。

 經驗の再現――藝術の製作――を試みる際に、吾等はもう一度その經驗を心の脈搏に感ずる。吾等はそれを書きながら、もう一度泣いたり、笑つたり、怒つたりする事が出來る。併しその涙と笑と怒とが人を顛倒させる時に藝術はなくなるのである。藝術家はその經驗を再現する際に、如何に興奮しても強調しても構はない。併し顛倒することだけは許されない。
 それは全體の通觀を妨げるからである。
 藝術家の心には、如何なる動亂の再現に際しても、根柢に Ruhe がなければならない。

 藝術は吾等の經驗を弱めて再現するに過ぎないかも知れない。併し經驗の全體を與へるものは――全體を對象とした感情の經驗を與へるものは藝術の外にはない。吾等は人生又は事件の全體觀を持ち、全體を心から erleben するためには、藝術を俟たなければならない。若しくは自ら藝術家となつて、その經驗を心の中に再現しなければならない。

 藝術家の心の中で部分が全體となる時に――藝術家の心の中に一つの世界が出來上る時に、藝術家はその表現の要求が始めて完全に滿される事を感ずる。從つてその藝術品は客觀的にも(翫賞する者にも)亦藝術品としての意義を有する。換言すれば翫賞者は藝術家の世界に同化することが出來る。藝術家の内に湧く内部的必然の遂行が、直ちに藝術品の社會的傳達の作用を全くすることは、人生の驚く可き神祕の一である。

 吾々は茶飮話をして笑つてゐる。此時吾々は人生を經驗してゐるのである。經驗の内容は人生に相違ないのである。
 俺は障子をあけて梅若葉の梢に雀の鳴いてゐるのを見る。此時俺は宇宙を經驗してゐるのである。經驗の内容は宇宙に相違ないのである。
 併し普通の人は茶飮話をしながら、人生全體人生そのものを經驗してはゐない[#「經驗してはゐない」は底本では「經體してはゐない」]。梅若葉の梢に囀る雀を見ながら、宇宙全體宇宙そのものを經驗してはゐない。此等のものは Symbol として意識に上つて來ないからである。
 全體を經驗するには――全體を味ふには、先づ全體の意識を持たなければならない。人生そのものと人生の一内容と、宇宙そのものと宇宙の一内容とは全然感情上(直接經驗上)の意義を異にする。人生そのものは、人生の個々内容及びその總和とは殊別なる經驗の對象である。人生及び宇宙の大流轉の中に在りながら、人生そのもの、宇宙そのものを經驗せずに終る人が多い。之を經驗させるのは、宗教、哲學及び藝術である。さうして宗教及び哲學はこの全體的經驗を描寫し再現することによつてそのまゝに藝術となる。描寫し再現するとは、畢竟感覺的方便によつて精神的感動を傳へることに外ならないからである。
 哲學は經驗の概括綜合をなすのみならず、又新しき經驗の對象を提供する。此意味に於いて實の實なるものを對象とし、實の實なるものを創造するのである。斬新にして高貴なる藝術の材料を提供するのである。
 その世界觀や人生觀に現はるゝ世界の觀念、人生の觀念を對象として、深い恍惚か歡喜か絶望か憂愁かを經驗することを知らざる者は、その世界觀や人生觀がその人にとつてさへ實ならぬことを證明する。その限りに於いてその哲學は虚僞である。
 眞正の哲學は深い世界感情エルトゲフユールか、深い人生感情レーベンスゲフユールを經驗させずには置かない筈である。
(以上四項更につきつめた Elaboration を要す)

 ……俺はこんな(以上四項)ことを思ひながら「新しい路」を通つた。
 「新しい路」とはTの家を訪ふために、最近に發見した路に名づけた名である。
 柴折戸を出て畑を向うに越すと、垣根の外に沿うて細い道がある。俺は久しい間、此細路が何處に通じて居るかを知らなかつた。此の月の始め、俺は知らない道を歩く興味に促されて此道を通つた。高い木で暗くされてゐる徑を曲ると、山吹の咲いてゐる川添に出た。その川添には白桃の花が咲き、名を知らぬ灌木が芽を出してゐた。その道は一度之と直角をなす並木路と交叉して又畑の中を通る。畑には麥が青く延びて處々に菜の花の畑が交つてゐた。左手には杉林に交る高い森があつて、その梢には若い緑の芽が柔かに霞んでゐた。徑は二度、稍※(二の字点、1-2-22)廣い――電車通りに出るために田舍娘の多く通る――道と交つて、直ちに又麥と菜種との畑に入つた。それからもう一度直角をなす道と交つて、ダラ/\と田圃の間に下りた。田の畔の小川には板橋があつて、女の兒が尻まで着物をまくつて泥鰌をさがしてゐた。それから徑は又少し上つて今迄通り馴れたOへの道に出ることが出來た。…………

 俺は先ばかり急いでゐる。
 頭の中で敍述するのは創造するのだから飽きないけれども、頭の中で出來た敍述を筆にするのは熱が褪めたやうでつまらない。一句が一度に筆の先へ押しよせて來るから碌そつぽペンを紙になすらずに先の方へ進んでしまふ。それだから「あります」と書かうと思つて「あます」と書いてしまふのである。
 俺は一つの仕事をしながら、その仕事が出來上つた先のことばかり考へてゐる。だから××が出來たら、何を讀まう何を考へようなどゝ先から先へ空想するのみで××はちつとも進まない。

 俺の熱は容易に高くならない。さうして一度出た熱はいつまでもひつかかつてゐてさめてしまはない。
 俺は忘れることの出來ない男だ。過去を許すことの出來ない男だ。だから俺は何時も苦しんでばかりゐる。
 俺はよつぽど馬鹿だ。

 午前のことである。俺は死の勝利を持つて外に出た。さうして之を讀みながら廣い庭をあちらこちらした。
 俺は死の勝利を讀みながら、過去に經驗した色々の心持を思ひ出した。さうして珍らしく Contemplative な心持になつた。
 俺は時々讀みさした處に指を挾んで手にさげながら、緑に溢れてゐる自然を見た。緑の作る深い影ほど俺の心を靜かな興奮に導くものは少い。俺は梅若葉の梢を通して向うの躑躅園を見ながら、俺の Contemplation の快く汗ばむことを覺えた。
 俺は微笑した。さうして此微笑の顏は屹度いいに違ひないと思つた。それで、之を鏡に映して見たくなつたけれども、此一節を讀んでしまつてからと思つて暫く眼を本に移した。
 敍述は水死の小兒のことに移つた。俺は前のやうな心持になれなかつた。俺は俺の表情が又墮落してゐることを意識してゐた。
 一節を讀み了へて、部屋に歸つて、鏡の前に立つたら、俺の顏には妙な影があつて、ちつとも朗かになつて居なかつた。俺は惜しいことをしたと思つた――鏡に向つて自分の顏を檢査するやうな慾望を嗤ふ氣にもならずに。

 悲しみがその對象となる表象から離れて、一般的の氣分に融けてしまつた時、悲しみの氣分は一雨あつた後の土の樣にシツトリと快く俺の思索と研究との背景を形造つてくれる。俺は雨あがりの土を踏むやうな心よさを以つて、思索と研究との歩みを運んで行く。
 昨日の朝はそれが出來さうな氣分であつた。併し今朝になつたら土が乾いてもう埃が飛ぶ。俺は興醒めた心持で机の前に坐つてゐる。

 昨夜の雨がやんで、雨戸をあけると朝日が庭に影を作つてゐる。今日は春の大掃除だ。始める迄は疊をあげるのが億劫であつた。併し少しやり出したら大掃除が面白いやうな氣がし出した。それで少し頭痛がするのをこらへて、すつかり疊をあげることにした。體を動かすのが愉快であつた。手拭を頭にかぶるのも面白かつた。疊をほして日にあててゐる間、聖フランシスの本を持つて日の光の下で之を讀んだりなぞもした。
 夜久しぶりで頭の仕事をした。美學史中世の部のノートを拵へたら頭が爽かになつたから勢に乘じてH先生の「カントの宗教哲學」と云ふ論文を讀んだら十一時になつた。
 久しぶりで體と頭を動かしたせゐであらう。「爽かな心持」が又珍らしくも歸つて來た。俺は嬉しくなつた。新しい寢衣を着た上に掻卷を羽織つて外に出た。月がさしてゐる。木立が影を地上に投げてゐる。蛙の聲が頻りにきこえる。俺は嬉しくなつた。
 聖フランシスの傳説は、同感し得ず理解し得ぬ多少の斑點を含むにも拘らず、屡※(二の字点、1-2-22)俺の心を涙に誘つた。カントの哲學にあると云ふ Idealismus の精神も俺の心の中に成長しつゝあることを感ずる。
 俺は月下の庭に立つて、「熱の落ちる」やうに迷ひの落ちる時を思つた。さうして※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ールが裂かれた後のやうに新しい世界の開けて來ることを思つた。新しい世界は俺に與へられるのだ。俺は心の底に「他力」と「奇蹟」とを信じてゐる。さうして幾多の迷の後に、遂に召さるべき「恩寵」の豫定をも心密かに信じてゐるやうである。俺の心には希望がなくならない。

 俺は魂と職業とを堪へ難いまでに爭はせるのも痛快な經驗だと云つた。俺がさう考へたのは本當である。併し事實上、俺はあの問題に惱まされ通しで、此一月餘職業に手をつけることが出來なかつた。俺は Inactivity の中に苦しんで來た。
 併しこの重壓を早く卸すためにも、俺の置かれた運命を利用するためにも、俺は職業に骨を折らなければならぬ。俺は今日、再び職業に堪へる力を與へられた樣な氣がする。俺は魂と職業との爭を本當に「痛快」と感ずるだけの積極的な心持をとりかへした樣な氣がする。働くのだ、働くのだ。愚圖々々せずに働いて苦しみの汗を流すのだ。

 他人の文章を讀んで、俺には興味がないとか、共鳴を起さないとか云へば、直ちにその文章の價値を判斷し得たつもりでゐる者がある。
 併し自らを啓發するために常に準備してゐる魂でなければ――自らの中に未だ知らぬ者を求むる苦悶と憧憬とを持つてゐる魂でなければ、本當に他人の世界を理解して、之によつて高められることが出來ない。自分の現在に滿足する者や、狹隘なる自分の興味を標準として之と等しいものを他人の文章から拾ひ出さうとする者は、自分よりも高いもの深いものに對して「興味を感じ」たり「共鳴」したりすることが出來ないのが當然である。
 謙遜な心を持つて高められることを望んでゐる者は、凡ての眞實なものに對して「興味を感じ」、「共鳴を覺える」であらう。自らの小世界に滿足して倨傲なるものは、要するに他人によつて啓かれる事の出來ない無縁の衆生である。彼等によつて興味を持たれず、共鳴を覺えられないと云ふことは、決してその文章の價値を減ずるものではない。
 外物に就いて現在の自分と等しいものをよりわけることと、自分を動かし高める力として外物の價値を測ることとは大に趣を異にする。
 凡ての高いもの、深いもの、眞實なものに興味を感じ、之と共鳴を覺えるやうに自分の魂を啓いて行きたい。自分に興味を與へず共鳴を起さずと云ふ前に、それは對象の無價値なるためか、自分の心の硬ばつてゐるためかを反省して見たい。さうして眞正に無價値なるものを拒斥するに大膽なると共に、多くの價値あるものの眞價値に參じ得ざる自分の未熟を愧ぢたい。

 ××××の質問に答へて愛讀書の名を擧げて行く中に、俺は俺の心の底に流れてゐるものは大なるクラツシツクの血であることを悟つた。俺はホメーヤやソフオクレスやヨブやダ※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)デや基督や、ポーロや、聖オーガステインや、聖フランシスや、ダンテやゲーテを精神上の祖先に持つことを愧ぢない。

 俺は中學にゐて始めてバイブルを讀んだ時に、「基督涙を流し給へり」の句がどんなに俺を喜ばせたかを忘れることが出來ない。

 俺は謙遜によつて神に往くタイプの人間だ。碎かれて始めて生きるタイプの人間だ。俺の行く途は基督教徒の行く道の外にはない。俺はこのテイピカルな徑路をとるやうに定められてゐることを悲しまない。

 俺は興奮によつて足が地から離れるやうな誘惑を感ずる。俺は興奮によつて夜も眠を成さぬ程に引ずられて行くことを感ずる。俺は夢の中でも興奮が繼續してゐる夜々を經驗する。俺はゴーホが興奮を恐れた心持を稍※(二の字点、1-2-22)理解することが出來るやうに思ふ。
 併しその興奮がなんだ。馬鹿は馬鹿なるが故に興奮する。愚なる刺客は大なる政治家以上に興奮する。俺は興奮を自慢にする馬鹿と一つになつてはいけない。俺は此興奮によつて偉大なる精神内容を創造した時に、始めて、この精神的内容の故に興奮を自慢しようと思ふ。

 俺の創作は先づ短い句で來る。此句が Thema となる。書きながら此テマが開展する。俺は開展の勢に任せてテマから遠ざかり過ぎることを感ずることがある。俺は又テマに囘顧して餘りに放恣なる開展を抑へる。

 三太郎は此處まで書き寫した。さうして手が疲れたのと、夜が更けたのとでやめた。さうして内容に連鎖がないことと、樂屋落になつてゐることゝを讀者に氣の毒がりながら、郵便に出すために帶封をした。
(三、三、二六)
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 自己以外のものに生命を認める事は俺の生活を苦しくする。
 昨日、松の樹の下蔭に出かゝつてゐる菌を踏んだら、紅味を潮した白い色の、汁氣の多い、彈力のあるその肌が、俺に生命の印象を與へた。俺の心は此の生命を蹂躙したと云ふ意識によつて苦しめられた。――俺のした事の殘酷な事と、生きたものを苦しめる時に感ずるやうな手答へのある快さと。
 今朝、伊勢蝦の生きたのを買つて、肴屋から四つに切つて貰つた。さうして之を醤油と砂糖との沸騰せる汁の中に投じた。四つの片がピク/\と動いた。截りとられた足の附根が、手のない人がその腕だけを動かすやうに動いた。二つにきりさかれた頭のそれ/″\の端に在つて、二つの眼が、蟹が怒つた時のやうに眼窩から飛出してゐた。俺は眼をそむけて、直に鍋の蓋をした。
 晝にかますを燒く。あの澄んだ眼が燒けるに從つて牡蠣のやうに白くなつて行くのが悲しい。少し開いて稍※(二の字点、1-2-22)つき出した下唇の奧に、何か血のやうな紅いものが見えた。俺はこれ迄牛鍋をつつきながら、あの赤い肉を見てたまらないやうな氣がした事はあつた。併し魚類はそんなには思はなかつた。然るに俺は此處に來て、その全い形のまゝで料理される魚類を特にたまらないと思ふ。殊にたまらないのはあの頭とあの眼とである。
 新しい鮪のさし身の、食べてしまつた後の皿に殘る、あの牡丹色の血はどうだ。
 大きい蟻が追つても追つても疊の上に上つて來る。俺は蟻が人をさすやうに思ふ。特に夜寢てから床に這込まれてはたまらないと思ふ。Kちやんにきいたら、蟻は殺すといくらか上つて來る事が少なくなりますと云つた。俺は苦い、緊張した心持になりながら、精一杯殘酷な氣になつて蟻を殺して了ふ。負傷せる蟻の――怜悧にして敏捷なる蟻の――あのもがきやうはどうだ。俺は、あんなに追つてやるのに仕樣のない奴だ、殺しても殺しても仕樣のないやつだ、と一人言を云ひながら、箒をとつて、死んだり負傷したりしてゐる蟻の黒い身を掃き出してしまふ。さうして、眞劔になつて蟻の幽靈が出て來はしまいかと思ふ。蟻が疊の上に上つて來る事がやまないので、蟻との戰爭は特に苦しい。
 それでも俺は猶、旨いから蝦と鰤とを食ふのである(今日の鰤は特に旨かつた。)うるさいから猶蟻を殺すのである。
(六、二〇)
 昨日散歩の歸りに、稍※(二の字点、1-2-22)大きい蟹が電車にひかれて、半分軌道の内側に殘つてゐるのを見た。
 Kには田にも畑にも砂山にも蟹が多い。小さいのは蟻くらゐの滑稽なものから、大きいのは拇指の長さ位の幅の甲羅を持つてゐるものまで色々ある。色は白茶けたものもあれば、甲羅が黒くて鋏の赤いのもある。後者は逞しさうでいゝ心持だけれども、前者は影が薄くて、生きてゐるうちから果敢なげである。
 蟹の生命は弱いものらしい。家の傍の用水溜の中には何時でも死んだ蟹のゐない事がない。畑の畦でも田の畔でも俺は毎日のやうに蟹の死骸を見ない事がない。さうして蟹の死骸は生きたまゝじつとしてゐるやうに水溜などの底に沈んでゐることもあるけれども、大抵は甲羅と鋏と諸足とがばら/\になつてゐる。白茶けた蟹の死んだのは、晒されたやうで、見すぼらしく、哀れに、みじめであるが、黒と赤とで彩られた稍※(二の字点、1-2-22)大きい蟹が、手足處を異にして死んでゐるのを見ると、生々しくて、刺戟の強さは又格別である。
 俺は今蟹の死骸に苦しめられてゐる。俺は蟹の死骸に逢ふ毎に、なまみの無常を感じて額を曇らせずにはゐられない。谷中に墓地を見て暮してゐた時はこんな氣がする事が却て少なかつた。俺は人間の墓を見るよりも蟹の死骸を見る方が心が痛い。一つは死の記號で、一つは死そのものゝ姿だからであらう。
(七、一四)
 害蟲の驅除とは何ぞ。材木を蝕ふがために白蟻を燒くとは何ぞ。自己を養ふ爲に動物又は植物を食ふとは何ぞ。盜賊とは何ぞ。殖産興業とは何ぞ。家屋とは、邸宅とは、財産とは、需要とは、供給とは何ぞ。
 嗚呼この底止するところなき Entweder-oder を何としよう。
(七、九)
 愛するとは自分の生活を捨てゝ他人のためにのみすることか。
 自分の生活を豐かにして、その饗宴を他人に頒つことか。
 愛するとは全然自己の權利を抛棄することか。
 愛する者はその施與に資すべき自己の貯蓄を保護するの權利を有するか。
 凡そ權利とは何ぞ。
(七、二)
 今朝、味噌汁の身にするわかめを水に浸けるために、伏せて置いた洗ひ桶をあけたら、中に蟹がはひつてゐた。俺が洗ひ桶を手に持つて立つてゐるので、蟹は逃げ路に困つて暫くまご/\してゐたが、遂に一飛び飛んで水落しの中に隱れてしまつた。
 横這ひの蟹でも矢張飛ぶことがあると見える。俺は蟹の飛ぶのが自分自身のことのやうに嬉しかつた。
(九、五)
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 先月の中頃、僕の往復葉書の返事が出てゐる新聞を社の方から送つて呉れたので、一緒に載つてゐる君の「三太郎の日記」の評の第三囘を讀んだ。さうして君の態度が冷やかで君の云ふ事が僕を正解してゐないやうな氣がして不平だつたから、直に君に宛てその不平を訴へる葉書を書いた。併し母屋へ行つて古い時事を探して貰つて、その第一囘を讀んだら君の親切と好意が極めて明かになつたので、僕は君に對して不平を感じた事を自ら恥ぢて、その葉書を破いて燒いて了つた。併し本當に理解されてゐないと思ふ寂しさはどうしても除くことが出來なかつた。先日(旅行に出かける前)S君から君の批評の切拔全部を送つて貰つて通讀した時には、僕は君と差向ひになつて少し戲談交りに眞面目な話をしてゐる時のやうな氣持になつて、少しいい心持にさへなつた。併しそれにも拘らず正當に理解されてゐないと思ふ寂しさは矢張り僕の心の底に固着してゐて離れなかつた。君と僕との間では、少しの蟠まりでも裹んで忍ぶよりは、打開けて訴へ合ふ方がいい事だと思ふから、僕は――もう不平とは云はない――此寂しさを君に書いて送らうと云ふ氣になつた。それで旅行から歸つて、稍※(二の字点、1-2-22)心持の靜かになつた今日になつて、君に宛てた公開状を書き始めるのである。
 僕は近來、大膽な勇猛な、懷疑の心持などは影さへ差さない、併し不幸にして藪睨みな批評家によつて、幾度かまるで見當の違つた批評を聞かされた。彼等の或者に從へば、僕は單に修辭家に過ぎなかつた。彼等の或者に從へば、僕は生活と切り離された頭の遊戲に耽つてゐる論理の化物であつた。彼等の或者に從へば、僕は情意の作用を全然無視してゐる思想の乾物であつた。僕は此等の批評家が僕の文章の何處を讀んでゐるかを訝つた。さうして此の如き無理解を公言して憚らぬ彼等の頭の、蜂の巣の樣に穴だらけな事を憐み、彼等の人格の疎漫で無責任な事を憎んだ。而も同時に、齒牙にかくるにも足らざる輩に對して本氣になつて不愉快を感ずる僕自身を嗤はずにはゐられなかつた。さうして、僕はひつくるめて、此等の無理解の中に生きてゐるのが寂しかつた。今、君の批評を此等の批評家の批評と較べれば、僕はどれだけ君に感謝していいかわからない。君の理解は徹底してゐないまでも、決して見當が違つてゐはしない。君の僕に對する態度は友達らしい親切と好意とに溢れてゐる。君が僕の中に誠實と情熱とを認めて呉れたのは特に嬉しい事であつた。僕は僕の平生を熟知してゐる君の證言を得て、僕を才氣と論理との化物のやうに心得てゐる世間の誤解から救はれたやうな氣がした。僕は如何に君から正當に理解されてゐない事を寂しく思ふにしても――云ふ迄もない事だが、決して君を世間の批評家並に見てゐるのではない。僕は君から理解されてゐない點を述べながらも、心の底には君に對する感謝の念を失はないつもりだ。僕は先づ此事を明瞭に君に云つて置きたい。
 僕が君の批評に對して幾分なりとも不滿を感ずるのは、決して君の褒めやうが足りないからではない。僕は或點に就いては、君から身分不相應に褒められてゐる事を感じてゐる。君は僕の才氣を、僕の理解力を、僕の思索力を僕の自信以上に認めて呉れた。僕は君がもつと褒めやうを差控へて呉れたところで決して不足を云はうとは思はない。又、僕が君の批評に不滿を感ずるのは、決して君が僕の缺點を擧げてゐるからでもない。例へば、「……持前の勝氣に驅られて乘出しすぎるやうな處がある。此點に於いて著者の勝氣の十分に發揮せられたプロテスト風の文章が今の處著者の文章として最も隙のない者のやうに思はれることは自分の寧ろ著者のために悲しむ所である。」と云ふやうな言葉は、僕が知己の言として滿腹の感謝を以つて甘受するところである。又、「願くはカーライルと比較せられた事を光榮として、君の技巧に一層無意識的な偉大を藏する樣に志して貰ひたい」と云ふ言葉も――君が僕の技巧として擧げた四つの例の中で三つは單純な寫生で一つは氣まぐれの洒落だから、實例としては孰れも承認する事が出來ないけれども――僕が確に「光榮」として受納するところである。僕の不足に感ずるのは、決して此等の點に在るのではない。
 僕が君の批評に就いて不足を感ずる點は、僕が自分の友達に對して――特にも君に對して、最も要求してゐる點に就いて、僕の期待が裏切られたからである。僕は友達から自分の長所を認められる事を(固より輕蔑されては堪らないが、苟も輕蔑に至らぬ限りは)そんなに大切な事とは思はない。僕の要求するのは、何よりも先づ僕の缺點を根柢から認識して呉れることである。自分の缺點に惱み、缺點と戰ひ、缺點そのものの中に人格的價値を創造しようとしてゐる僕を、憐み、愛し、若しくは尊敬して呉れる事である。他人に同情を求める事は僕の性癖として極端に嫌ひな事であるが、凡ての乞食らしい、婦女子らしい、感情家センチメンタリストらしい臭味を擯けて、友達から自分の缺點にミツトライデンして貰ひたいとは思はない譯に行かない。僕は自分の友達の中でも、君は特に僕の缺點にミツトライデンして呉れる事が出來る人だと思つてゐた。然るに僕は君の批評を讀んで、君が存外僕の缺點を淺く見て、存外平氣で――思ひ遣りの少いガサツな手で、僕の缺點を取扱つてゐるのを發見して寂しかつた。此寂しさは、全然理解のない、寧ろ惡意を含んでゐる者に取卷かれてゐると思ふ寂しさとは固より意味が違ふけれども、君のやうに親切と好意とを持つて呉れて、君と僕とのやうに要求と思想と(人格とは云はない)が接近してゐながら、猶人と人との間にはこれほどの罅隙ギヤツプがあるかと思へば、今更ながら新なる寂しさを感ぜずにはゐられないのである。さうして此寂しさは前のものよりも、どれほど深酷で、心細いか知れないやうな氣がする。此寂しさを幾分なりとも少くするために、僕は君の前に、出來るだけ正直な心で、少しく自分の自己を語りたいと思ふ。
(一)、僕は君が僕の文章並びに人格を評して、「餘りに襤褸を出すまいとし、隙を見せまいとして」居ると云つた言葉に就いて不滿がある。さうして僕をかう解釋する事が世間で殆んど定論となりかけてゐるらしいから、僕は猶更此事に就いて沈默したくない。一體襤褸を出すまいとし、隙を見せまいとするとは、世間の前に自分の利益若しくは、名譽を防禦して、之を危險に晒すことを恐れると云ふ事でなければならない。併し僕の樂に動けない性質を此のやうに外面的に解釋してしまふのは、僕の性格の内奧にある Dialektische Natur を全然理解して呉れないものである。僕の心の中には常にテーゼアンチテーゼとがある。一つの聲がさうだと云ふともう一つの聲がさうぢやあるまいと云ふ。此二つの聲の云ふ處に詳しく耳を傾けて一一の理由をおしつめて行かなければ、僕は曲りなりにも「確かさ」の感じに到達する事が出來ない。さうして僕は此感じなしに言動する事が出來るほど無責任な人格ではないのである。僕が思想に於いては進行が遲く、實行に於いては活動が鈍いのは、主として僕の此性質に基いてゐる。若し僕の言行に襤褸が少いならば、それは襤褸を出すまいとするからではなくて、襤褸を出せないからである。若し僕の文章に隙が少いならば、それは他人に突込まれるのが口惜しさに、始めから逃げ路を用意して置くからではなくて、苟も隙が自分の眼につく限りは自ら安んずる事が出來ないからである。併しその實、僕の文章は決して襤褸や隙の少い文章ではない。少し時を經てから見れば僕の文章は僕自身の眼にさへ可なり襤褸だらけ隙だらけである。若し僕が他の人達のやうに、更に甚だしく襤褸だらけ隙だらけな事を云ふならば、それは單に僕の誤謬に止まらずして、又僕の人格の不誠實に基くものでなければならない。實際僕は不誠實にならなければ、今日以上に「放膽」な文章を書く事が出來ない。固より僕は自分の辯證的な性質デイヤレクテイツシエナツールを苦しいと思ふ。併し同時に僕はこれあればこそ世間並に上滑りして通る事から救はれてゐるのだとも思ふ。さうして要するに僕は此性質を恥かしいとも惡いとも思ふ事が出來ない。僕の樂に動けない性質を單に打算から、若しくは勝氣から來る臆病から解釋して了ふのは聊か僕を見損つたものであらう。僕は、少くとも此點に就いては、世俗の解釋よりも、もつと内面的なもつとノーブルな品性を持つてゐると自信する。僕は君からまで世俗並にしか見て貰へないのが寂しい。
 尤も此點に於いては君と僕とは大分頭の性質を異にしてゐる。君が素直に眞直に深入する事が出來るところに、僕は右に突當り左に突當りしなければ這入つて行く事が出來ない。固より僕はかうしなければ深入する事が出來ないのだから、無條件に君の往き方がよくて僕の往き方が惡いのだとは云つて了ひたくないけれども、兎も角二人の往き方にこれだけの相違があることは爭はれない。從つて君が僕の辯證的性質を理解して呉れないのは無理もない事のやうにも思ふ。唯僕の不滿を感ずるのは、君が理解しないものを理解した積りになつて、何等の懷疑的色彩もなく、斷言的に、樂に、淺く、僕の性質を片付けてゐる事である。一體事物(特に他人)を根本的に理解するのは決して容易な事ではない。君は決して此事を知らない人ではないけれども、君のやうな往き方の人は、往々自分と異つた存在に對しては此認識の困難を忘却して、存外手輕に拵へ上げた想定に存外絶對的な信憑を置き易いやうに思ふ。此事を再考して貰ひたい。
(二)、君が僕の自己沈潛の味を純粹でないと云つた事に就いても色々詳しく考へて貰ひたい事がある。此非難は僕にとつては可なり重要な非難であるが、不幸にして君の非難の内容は可なり曖昧である。君が難ずるのは僕が自己沈潛の經驗を他人に聞かせるやうに語つてゐる點にあるのか、僕の自己沈潛そのものが「人交ぜ」をしてゐる點に在るのか。前の意味ならば、三太郎の日記の大部分は最初から他人に見せる目的で書いたものであつた。それは「三太郎の日記」で「次郎の日記」ではなかつた。だから自己沈潛の經驗を語るに際して僕の意識が「人交ぜ」をするやうになるのはやむを得ない。君の所謂「周圍に對して敏感な性質」が混入するやうになるのはやむを得ない。併しそれは語らるゝ内容としての自己沈潛が始めから人交ぜをしてゐたと云ふ證據にはならないと思ふ。三太郎の日記の中には、外に純粹に「内生活醗酵の一節に結語」を置くつもりで書いた少數の文章(「山上の思索」、「生存の疑惑」等)があるが、此等の文章も猶眼に立つほど「人交ぜ」をしてゐるだらうか。猶人間並の意味で純粹を缺いてゐるだらうか。若し君の非難が僕の自己沈潛其ものゝ經驗に迄も及ぶならば、僕は即座に君の言葉を承服する事が出來ない。固より僕の自己沈潛の力はまだ/\缺乏を極めてゐる。僕は決して今日の程度で滿足してゐようとは思はない。若し僕がトルストイやゲーテなどの傍に生きてゐるならば僕は自分の沈潛の力の足りなさを恥ぢても恥ぢても足りないと思ふに違ひない。併し僕は不幸にして、見渡す限り自己沈潛のまるで出來さうもない連中の中に住んでゐる。僕は自分の沈潛の力を、純粹の點に於いても、深さの點に於いても、彼等の前に謙遜しようとは思はない。僕は唯トルストイやゲーテの前に自ら遜るのみである。
 思ふに此點に於いて君の眼を暗ましたものも亦僕の辯證的性質ではなかつたらうか。僕の心の中では純粹に他人離れのした生活に於いても猶、テーゼアンチテーゼとが相對して可なり才走つた會話を交換してゐる。君はまるで人聲がしない筈の處に話し聲がすると思つたかも知れない。その話し聲の中には時として笑ひ聲が交つてゐるのを聽いたかも知れない。さうして僕の自己沈潛には人交ぜをしてゐると思つたかも知れない。併し僕の「一人ゐる事アインザームカイト」は常に「二人ゐる事ツワイザームカイト」だから、第三者――僕の場合こそ本當に第三者である――を交へぬ場合にも猶僕の世界には話し聲が絶えないのである。僕の世界に話し聲が聽える事實は僕の自己沈潛が人交ぜをしてゐると云ふ證據にはならない。尤も僕の中にゐるテーゼアンチテーゼの會話は可なり才ばしつてゐるから、まだ/\しんみりした味が足りない。故にしんみりしてゐないと云ふだけならば僕も全然同感である。唯このしんみりしてゐないと云ふ事實を僕の自己沈潛そのものの不純にまで漫然として擴張されるのが不滿なのである。僕は君の考へ方の淺くて樂すぎる缺點が此處にも現はれてゐはしないかを疑ふ。
(三)、君が僕を「通がりの田舍者」のやうだと云つた言葉も僕には意外だつた。僕は從來隨分自分を色々な惡者に見立てゝ考へた事があるけれども未だ嘗て自ら「通がり」だと思つた事はなかつた。僕は僕がペダンテイツクだと云ふ世評を君の批評と併せて考へた。ペダンテイツクだと云ふのは多分「通がりの學者」位の意味であらう。僕は田舍者ではあるが學者ではない。此點に於いては君の評が當つてゐて世評が間違つてゐる。併し、僕の自覺に從へば、僕を「通がり」だと云ふ點に至つては君も世間も共に間違つてゐる。「通がり」と云ふ事は他人の缺點としては恕す事が出來るが、僕自身の缺點としては到底許す事の出來ないいやな性質である。勝氣な僕は君から「通がり」と云はれた事を口惜しいと思ふ。
 僕は自分の良心にかけて云ふ、僕には物知りを誇りとする氣は毛頭ない。物知りを誇りとするには僕の抱負は餘りに高過ぎる。併し僕にも知らぬを恥とする心はある。さうして僕は知らなければならぬ僅少の事までも知らない。僕は知らなければならぬ事を知らぬ恥かしさに、又口惜しさに、知識の補充をハンドブツクや百科全書にまでも求めてゐる。だから、僕の示唆を仰ぎ、僕の考察又は解釋又は講述に使用する知識には不自然な落付かない處があるには違ひない。併し自ら「通がり」となる事の嫌ひな僕は眞に鼠賊が贓品を使用する時のやうな忸怩の情を以つて、事情の許す限り控へ目に之を使用するのみである。固より讀者に問題が充溢してゐる場合には、ハンドブツクと雖も決して吾人を啓發する力のないものではない。苟も眞正に自分を啓發するものならば、僕はハンドブツクから來る示唆と雖も猶之を尊重してゐる。併しその他の點に就ては、僕は淑良なる婦女子のやうに知つてゐる事まで知らない顏をする程謙遜でこそないけれども、ハンドブツク其他から得た半可通の知識を誇説して、「通がり」を振※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)すための厭味や洒落を云つた事は決してないつもりである。貧に迫つて泥棒をする者は見え坊だらうか。無知を恥ぢて知識の補充をハンドブツク其他に仰ぐ者は、さうしてその使用を神經過敏に消極的の一面に限らうとしてゐる者は「通がり」だらうか。僕は僕に僕の大嫌ひな形容詞を與へた君と世間とを見返すために、もつと/\本を讀んで大通になつてやらうと思ふ。
(四)、「厭味」と云ひ「下品」と云ふ言葉も亦僕にとつては極めてシヨツキングな言葉である。既往は兎に角、現在に於いては、他人に對しても自分に對しても僕は此シヨツキングな言葉を輕易に使用する事を好まない。僕の生活は此點に於いて病を持つてゐるために、自らの手でも他人の手でも兎に角僕は此點に觸れられると飛び上るのである。併しそれにも拘らず、寧ろその故に、僕は唇を噛んで君の此點に關する非難を默聽してゐなければならない。僕の人格も文章も、確かに「厭味」で「下品」に相違ないからである。僕は君の言葉が眞實である廉を以つて、君の批評に不平を云ふ事は出來ない。僕の不平を感ずるのは、君が僕の「厭味」と「下品」とを輕易に取扱つて、而も此等の缺點が僕の人格に作用してゐる積極的意義を認めて呉れないからである。
 君の云ふ處によれば僕の厭味と下品とは僕の「才氣」から生れて、僕の「聰明」によつて驅逐される事が出來るほどの手輕なものらしく見える。併し僕の下品や厭味は決してそんなに表面的なところに根を卸してゐるのではないのである。固より僕は善惡、美醜、高下を甄別して心から善と美と高とを愛する意味に於いては人間並にノーブルな品性を持つてゐると信じてゐる。自ら善と美と高とに就いて惡と醜と卑とを離れむとする意味に於いても亦人間並にノーブルな意志を持つてゐると信じてゐる。此等の點に於いても下品だと云ふ非難があるならば、僕はその非難を承服する事が出來ない。併し僕には亦高きに翔らむとする心を裏切る可なり旺盛なるジンリヒ・エローテイツシユの興味がある。さうして僕の心が高きに行かうとすればするほど此二つのものゝ矛盾が――從つて又ジンリヒ・エローテイツシユの興味そのものが益※(二の字点、1-2-22)目立つて來るのはやむを得ない。僕の下品の最後の根據は、僕の人格内に於ける動物性の跳梁と、自由に「高貴」に此跳梁を肯定する事を得ざる僕の理想との矛盾に在る。此の矛盾は僕の生活に無理と、生々しさと、高いもの其ものゝ中に潛む卑しさとを拵へて居るのである。又僕には人生と自己との缺陷と矛盾とを見る相應に鋭い眼と此缺陷と矛盾とを憤激若しくは苦笑を以つて否定せむとする相應に溌剌たる倫理感とがある。從つて僕の言動には他人を刺傷する圭角が多いに違ひない。併し僕は直ちに此事を僕の厭味として承服する事を肯んじない。此事を以つて直ちに僕の厭味とする者は刺戟を受けたる瞬間の痛さにその刺戟を與ふる者を怨恨する事をのみ知つて、一應は不快なる印象の中から振返つて眞理を探し出すほどのノーブルなる品性を缺いた、執拗野卑なる賤民である。併し僕には確かに僕の圭角を包んで之を淨化する愛と温情とが足りないに違ひない。此大事なものが足りないために、僕の針には毒を含み、僕の笑ひと憎しみとにはノーブルな品性を持つた人をも猶不快にするやうな厭味が籠つてゐるに違ひない。僕の厭味の最後の根據は實に愛せむとする意志と愛するを得ざる本質との矛盾にある。愛の缺乏と動物性の跳梁と――この二つこそ僕の厭味と下品との奧深き根なのである。僕はこの二つの事を外にして僕の下品と厭味とを承認する事を肯んじない。さうしてこの二つの事は共に僕の「聰明」を以つては如何んともするを得ざる人格の病ひである。
 若し君が僕の下品と厭味との根を此處まで追及して理解して呉れたならば、恐らくは此處に君自身と共通な或ものを認めたらうと思ふ。固より君の中には僕のやうに矛盾した混雜した動物性の跳梁がないには違ひない。君の眼と心とは僕のやうに苦味に充ちてゐないにも亦違ひない。併し靈性と動物性との矛盾が混在する限り、愛せむとする意志と愛するを得ざる本質とが相剋する限り、凡ての人はそれぞれの性格に應じて樣々に姿を變へた下品と厭味とを持つてゐると思ふ。僕は君自身も亦此點に就いて苦惱を感じてゐる人だと思つてゐた。(これは君を僕と同樣な惡者に引卸さうとするのではない。人間に共通な矛盾の一面から君をも見ようとするのである。さうして此矛盾を自覺してゐる人として君の特別の敬意を表しようとするのである。)從つて僕は君から、僕の才氣の上に輕く浮ぶ、僕自身に特有な缺點として僕の人格の爛れに何氣ない手を觸れられようとは思つてゐなかつた。僕は君が君自身の内面生活に於いて苦のない人でない事は熟知してゐる。併し君には他人の苦を理解する點に於て時にガサツな(自分自身の興に乘つた)淺い率直に任せすぎる處はないか。認識者としての生活のみならず又道徳の生活に於いても、極めて輕い、極めて無邪氣な意味に於いてパリサイ人らしく無神經なところがないか。反省の餘地があるならば反省して貰ひたいと思ふ。
 最後に、自分の下品と厭味とに對する自覺は僕の生活に張りを與へてゐる。さうして休息を許さない。詳しく云へば疲勞を恢復するための小康をば與へるが、小成に安んずる意味の休息をば許さない。概括して云へば僕の缺點は常に僕を向上に驅り、僕の惡魔は常に僕を神に驅つてゐるのである。併し君は此點を認めて呉れなかつた。唯僕の「聰明」を以つて猶此等の缺點を脱却しきつてゐないのは「苦々しい」と思つてくれただけであつた。さうして君が此意味に於いて同情と理解とに乏しい例は他にもう一つある。君は著者は無意識の偉大や碎けたる心や自己沈潛を説く人だが、「然し」著者の文章には(從つてコンテキストから推せばその人格生活には)未だ此等のものゝ味が出てゐないと云つた。君の文章の論理的關係は可なりルーズだと思ふが、君の文章の直接の意味から云へば、僕は君から説く事とある事との矛盾を責められてゐるやうな氣がしない譯に行かない。併し僕は無意識の偉大や碎かれたる心や自己沈潛を自分自身の十分領得してゐる境地として説いた覺えはない。殊に碎かれたる心と自己沈潛の心とは僕が切に待望し乍らも未だ到達し得ざる境地として、三太郎の日記の中で幾度か悲嘆の情を洩らしたところである。未だ到達し得ざる境地を胸に描いて之に向つて進撃しようとするのが三太郎の日記のテマである。從つて僕の生活にも文章にも、無意識の偉大や碎かれたる心や自己沈潛の味が十分に出てゐないのは矛盾ではなくて當然である。さうして僕は此等の境地に到達する事によつて滋味の深い、垢拔けのした生活と文體とを獲得する事が出來てゐない代りに、此等の境地を待望する事によつてどれほど君の所謂「緊張」を得てゐるか、どれほど人生と自己とを見る眼にゆとりを得、どれほど自分の高慢を抑へ浮動を警め得てゐるか知れないと思ふ。固より出てゐないものを認めた點に於いて君の觀察は大體正鵠を得てゐる。併し君は出てゐないことの當然な所以も、それにも拘らず此等の待望が僕の生活を高揚させてゐる所以も、共に認識エヤケンネンして呉れなかつた。君は僕の長所を一方に數へ、僕の短所を一方に數へる、併し僕の存在の根柢から、僕の長所と短所とを併せて理解する事をばして呉れなかつた。君にはまだ僕がバラ/\な人間としか見えてゐないやうに思ふ。從つて褒められても非難されても僕の「人」は寂しい。
 僕は君が「痴人とその二つの影」を解釋したあの見方で、僕の缺點と長所との一切を理解して貰ひたかつた。著者の原質ズブスタンツは下品で、嫌味で、恐ろしく意識的で、可なり高慢で、隨分浮氣である。併し著者は此原質に甘んぜずに、自己超越の要求を抱いてゐる。故にその原質の征服が出來てゐない限り、著者の人格も文章も下品で嫌味で意識的で高慢で浮氣である。併し自己と他人との矮小と野卑とに堪へざる點に於いては著者の意志も品性も文章もノーブルである。さうして著者の生活と文章とは苦しいがために緊張してゐる。――僕は出來るならばかう云つて貰ひたかつた。さうして出來るならばロダンのケンタウリンに似たこの苦痛に、出來るだけデリケートな手を觸れて貰ひたかつた。
 當面の問題に就いて云ひたいと思つた事の中、重要なものは略※(二の字点、1-2-22)之で述べ盡した。其他一般に、友情、理解、孤獨、批評等の事に就いて云ひたい事が隨分澤山あるけれども――本當に云ひたいのは寧ろ此方にあるのだけれども、既に餘り長くなり過ぎてゐるから今度は一旦筆を擱かう。此等の事は又重ねて云ふ機會があることと思ふ。
(三、八、一三)
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 僕はこの數ヶ月の間、殆んど他人を愚かだと思ふ心と、自らを正しいと思ふ心との中に生きて來た。他人を愚かだと思ふことも自らを正しいと思ふことも、彼にとつては要するに五月蠅い、下らない心持に過ぎなかつた。併し彼は五月蠅い、下らないと思ひながらも、猶この心持の煩ひから脱却することが出來なかつた。併しこの煩ひは又彼を或新しい覺悟と要求との前に連れて行つた。今、彼は過去數ヶ月間の生活を囘顧して、此處にも脱がなければならぬ皮があつたのだと思つた。
 彼はこの數ヶ月の間、他人の生活と思想とを審判することを職業とする批評家と云ふ一團の人の問題となるべき、特殊の事情の下に立つてゐた。彼は元來自分に關する評判を獵つて讀む方の性質ではなかつた。併し又自分の眼に觸れるものまでも讀まずに素通り出來るほど超越した性質でもなかつた。或ものは彼が見付けて讀んだ。或ものは友人が持つて來て彼に讀ませた。さうして彼はそれを讀めば、批評家の云ふ意味を自分自身の自覺に照して判斷せずにはゐられなかつた。彼は批評家の批評を心の中に批評し返した。さうして大抵の批評が間違つてゐることを發見した。無邪氣な態度を以つてする者に對しては、彼は唯此人は間違つてゐると思つた。御粗末な内容を述べるに、高慢な、氣取つた、自ら高くする態度を以つてする者に對しては、何だ下らないと思つた。敵意若しくは惡意を以つてする者に對しては、下らない奴だなあとさへ思つた。此の如くにして彼は多くの批評家を心の中に輕蔑した。輕蔑せずにはゐられなかつた。
 彼は又その人自身の思想としては尊敬すべきものを持つてゐさうに見えながら、他人の批評をさせると、まるで心理的哲學的の洞察を缺いた滅茶苦茶なことを云つてゐる人があることを見た。さうしてその人がその人自身の思想をばまるで發展させずに、最も柄にない他人の批評を書き散らしてゐるのを見て惜しいやうな氣がした。彼の意見に從へば、大抵の人がその人自身の思想や感情を述べたものは、誠實でさへあれば常に多少の價値があつた。併し他人の内生に貫徹する能力を根本條件とする批評に於いては、特別なタレントのある人でなければこれを書く資格がないのであつた。彼の周圍には批評家のタレントを持つてゐる人が甚だ少かつた。さうして批評家のタレントの少い者ほど平氣で批評を書いてゐるのであつた。彼は自分も昔は此等の批評家の仲間であつたことを思つた。彼は基督教に所謂審判さばきにも似た恐ろしいことを、平氣で、面白半分に、時としてはいい氣になつてやつて來た自分を深く恥ぢた。現在の彼は、「我が審判さばきはたゞし、そはわがむねを行ふことを求めず、我を遺しし父のむねを行ふことを求むればなり、」と云ふほどの自信がなければ批評と云ふことは出來ないと思つてゐるのである。
 彼は元來貴族的な性癖を持つてゐる男であつた。從つて彼自身をも彼の周圍をも、器の大小、才幹の多少によつて評價する傾向が深かつた。この傾向は久しく彼を苦しめた。彼は近來になつて少しくこの見方から脱却することが出來たやうな氣がしてゐた。凡ての人間を同胞として見ることを學び知つたやうな氣がしてゐた。さうして實際、彼は彼の周圍にゐる無邪氣な、謙遜な人たちに對しては彼自身のプライドを殆んど除外して交つて行けるやうになつてゐた。併し彼を取卷く批評家たちに對しては、彼はこの態度を以つて對することが出來なかつた。彼は彼の批評家が丁度彼が忌避しようとするその點に中心を置いて彼を批評してゐることを感じた。而も彼等が自分よりも大きい者、高い者の立場に身を置いて彼を批評してゐることを感じた。從つて彼は大小高下の點に於いて彼等と自分とを比較して見る衝動を感ぜずにはゐられなかつた。さうして彼等が彼よりも小さく、低く、お粗末なことを發見せずにはゐられなかつた。彼は彼等を痛快にこき卸してやりたいと云ふ慾望を感じた。「自ら高くせむとする者を卑く」してやることに就いて意地の惡い喜びを感じた。此の如くにして彼は彼に關する批評を讀む毎に自分のプライドの緊張を感じた。而も亦このプライドの緊張を煩さい、下らない、馬鹿々々しいと感じて、自ら賤む心持を經驗せずにはゐられなかつた。さうして彼は結局批評家と云ふものは煩さい動物だと思つた。彼は自分もこの煩さい動物であつたことを――恐らくは特別に煩さい動物であつたことを思つて、再び自ら恥ぢた。
 彼は批評家の存在の理由を考へて見た。批評家は作家のためにのみ存在するのではない。彼は凡ての現象を理解するやうに、作家と云ふ一つの現象をも根本的に理解するために、理智的學術的の要求から批評を書くことも出來る。彼は又或作家を社會に推薦し、或作家を社會から排斥するために――社會生活上の動機から批評を書くことも出來る。從つて作家その人を聊かも内面的に啓發する力のない批評と雖も、他の方面から見て多少の效益があれば、なほ全然無意味とは云ひ得ない筈である。彼はかう考へて見た。さうして作家が自分にとつて有益であるかないかの一點からのみ批評の價値を量るのは間違つてゐると思つた。しかし作家が自分の要求に從つて批評に對する去就を決するのは彼の自由であつた。彼を啓發する批評を尊重して、彼を啓發する力のない批評を無視するのは彼の自由であつた。
 彼は(三太郎は)今自分自身の立場から自分に加へられた批評を囘顧して見た。彼等に從へば、彼は或は論理は細かだが生活に根據のないことを云ふ嘘吐きであつた。或は脱殼で早老者であつた。或は御殿樣とのさまで厭味で下品であつた。彼はこれ等の批評を省みて少數のものは當つてゐて、多數のものは當つてゐないと思つた。さうして當つてゐても當つてゐなくても要するに彼にとつてはどうすることも出來ないことだと思つた。彼は三太郎として生れて來たものであつた。彼が三太郎として生れて來たことは彼の意志ではどうする事も出來ない事實であつた。彼は唯自分の持つて生れて來たものを發展させ、淨化させるポツシビリテイを持つてゐるのみであつた。彼は發展の慾望淨化の慾望が内から盛んに燃え立つ事を願つてゐた。此等の慾望と努力とが外から誘掖され助勢されることを願つてゐた。併し彼の持つて生れたものを並べて見せようとしたに過ぎざる此等の Characterization は彼にとつて何のたしにもならぬものであつた。此等の鑑定は唯自分がそれを意識してゐない場合にのみ、警告として役立つ筈であつた。併し不幸にして彼に就いて云はれた此等の批評は、當つてゐる限りに於いては彼の意識して自ら苦しんでゐるところであつた。彼の意識してゐなかつた限りに於いては當つてゐないことであつた。彼は此等の批評に感謝すべき所以を知らなかつた。當面の問題に對して的確な、明細な批判を下す能力のないものこそ、他人の人格を丸呑みにしたやうな、大攫みな、見識ぶつた批評をしたがるものだ、と彼は思つた。
 彼は又彼自身が自分に加へたと殆んど同じ言葉で彼を是非する批評を見た。この批評には固より異議のありやうがなかつた。同時にこの批評によつては啓發のされやうも亦なかつた。
 彼自身以上に彼を知つてゐる洞察の鋭い人に出逢はぬ限り、彼が何人であるかに就いての批評は彼にとつて凡て無用であつた。彼は唯彼の現在の思想内容、現在の行き方、現在の生き方の可否に關する細かな批評を聽きたいのであつた。此等の點に關する批評は、當つてゐる者でも當つてゐない者でも、彼は尊敬と感謝とを以つて喜んで讀んだ。併し彼は不幸にしてこの方面に關しては餘り批評して貰へなかつた。多くの批評は彼を馬鹿だと云つた、若しくは感心だと云つた。併し馬鹿が馬鹿として現在どんな行き方をしてゐるか、その行き方はどこまでが身分相應で、どこからが間違つてゐるか、それをはつきり云つて呉れる人は殆んどなかつた。或人は唯自分の立場はさうぢやないと云つた。併し彼の立場と此の立場とが交叉する點まで掘り下げて行つて、其點から彼の(三太郎の)誤謬を説明して呉れるのではないから、その批評をきいても、彼は矢張りまるつきり前と同じ方針に從つて進んで行くより仕樣がなかつた。
 この數ヶ月の間、彼が批評家たちによつて學び知つたことはこんなことであつた。さうしてその結論は、現在の社會に於いて、自分の思想上の生活は甚だ孤獨だと云ふことであつた。孤獨が孤獨なだけならば、それはやむを得ざることであつた。孤獨を孤獨のまゝにそつとして置いて貰ふことは寧ろ彼の最も愛好するところであつた。併し彼は可なり多數の批評家の態度に彼の孤獨を攪亂せむとする意志を讀んだ。彼等の態度は彼の心を孤獨にするのみならず又彼を苦々しくした。さうして彼は彼等によつて苦々しくされる自分自身の心に就いて苦々しさを感じた。
 彼は彼等の態度に好意と親切とを認めることはとても出來なかつた。彼を友人らしく取扱つて、彼と共に眞理を砥礪しようとする誠意はとても認めることが出來なかつた。彼は先づ第一に何だと思ふ反抗の感情を刺戟された。それから振返つてこの感情を抑へながら、始めて此等の言説の眞理内容を檢査することが出來るのであつた。然らば彼等は自分に對して憤慨してゐるのだらうか、自分は憤慨に價するほどの不都合な人間だらうか。彼は又かうも反省して見た。彼は自分の人格が聊かも憤慨に價しないほど卑しいところも汚いところもない人格だと云へないことを悲しいと思つた。併し彼の思想を導くものが眞と高とを愛するノーブルな意志であることも、彼の思想が彼の誠實な精進の努力の所産であることも疑がなかつた。さうして憤慨に價するのは誤謬ではなくて邪惡な意志だから、自分は少くとも思想上の生活に於いては憤慨に價するほど不都合な人間ではないと信じた。若し彼自身の態度に挑發的なところがあるとすればそれは彼のプライドと自信とだけでなければならない。彼は自分の自信を當然と思つて、自分のプライドを悲しいと思つた。併し他人のプライドによつて挑發されるやうなものは、憤慨と云ふやうな公明な名に價しない反感と嫉妬とに過ぎないと思はずにも亦ゐられなかつた。彼は自分の周圍を見※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)して幾つかの反感と嫉妬とを發見したやうな氣がした。さうして何だと思つた。彼は又最も無邪氣な意味に於ける競爭心と、面白半分の調戲からかひとの幾つかを見るやうな氣がした。さうして聊か見下した意味に於いて彼等を愛する心持を覺えた。
 此の如くにして、彼は此處にもプライドの緊張を感じた。同時にこのプライドの緊張を苦々しいと思つた。
 彼は時々此等の批評に對して戰ひたいと思つた。併し第一に、彼等の態度に好意と親切とがないのだから彼と彼等との間には非常な迂路をとらなければ理解の途がないと思つた。その迂路をとつてゐるには彼の生活が餘りに忙しかつた。彼は時々俺の愛が俺の敵に及ぶその少し前に、俺は彼等との間に理解の途を發見する努力を眞面目にする氣になるのだらう、と自ら云つた。第二に、彼自身にも愛を以つて彼等と應酬し得る自信がなかつた。彼は對手に對する愛か若しくは人類のためにする公憤かに促されなければ或個人と物を云ひ合ふことをしたくないと思つてゐた。愛を以つてするには彼の人格の力が足りなかつた。公憤を發するには事件があまりケチに過ぎた。第三に、彼は彼の文章の内容を永遠に價することのみを以つて充したいと云ふ野心を持つてゐた。さうして彼の批評家と往復問答する事は永遠に價してゐさうにもないことであつた。
 七月の十五日、彼はその日記にこんなことを書いた――
「默殺する權利を許されなければノンセンスを語るに妙を得たる批評家の多い世界には生きて行かれない。公表した言説に社會的責任の附隨して來ることは勿論であるが、それは一々の云ひがゝりに正直らしく答辯してゐることによつてのみ果されるのではない。自分の思想を深くし、明かにして、それ自身に於いて徹底した表現を與へることが、要するに言説の社會的責任を果す唯一の道である。
 馬鹿な云ひがゝりを默殺せよ。これが馬鹿と共に住む世に生きて、自分の生活を本質的に發展させるための最良の智慧である。
 俺の弱點を正當に衝いた批評に對しては、敬意を表して默聽(自省)の態度をとる。餘りに下らない見當違ひの批評に對しては輕蔑の意味に於いて默殺の態度をとる。誠實な意志で半分本當な半分嘘なことを書いた批評や、餘りに重大な點に於いて俺を傷つけるやうな批評は、默殺する事が出來ない場合がある。俺は時として正當防禦のために、註釋し、又は戰鬪する必要に逢着する。
 一切のあやまつた批評を默殺することが出來るやうになりたい。凡ての誤解に對して不死身になりたい。誤解によつて傷つけられるやうな急所のない身になりたい。」
 前の意味に於いて彼に返答を強ひた批評はたつた一つあつた。後の意味に於いては、彼は幸にして沈默を破らずにすんだ。彼は此等のものを默殺若しくは顧眄して過ぎた。併し彼は此等のものを默殺することが出來ても、腹の底から無視することは出來なかつた。彼は彼の腹の何處かゞ此等の言葉によつてチクチク螫されることを感じた。さうして自分の小さい執拗と拘泥とを惡んだ。

 こんな心持をしながら彼は批評家の眞中にたつてゐた。批評家の妄評は彼を畏縮させずに彼を膨脹させた。彼を反省させずに却て彼を高慢にした。彼は自分が知らず識らずの間に、内面の生活から表皮の生活に引ずり出されて行くことを感じた。然るに彼は凡ての生活は――社會的の生活も職業的の生活も――自己の内面に於いて把握され味到されることによつて始めて自己のものとなることを信じてゐるものであつた。内化せられざる遭逢は凡て徹底した意味に於いて經驗と稱することが出來ないことを信じてゐるものであつた。從つて彼にとつて生活の第一義は、この統覺し内化し味識する人格の修錬でなければならないのであつた。凡て外部の經驗は一度此處に歸つて來て、又改めて此處から發射して行かなければならないのであつた。沈潛の道を離れることは、彼にとつては人格の死に等しいことであつた。さうして彼は今、批評家に拘泥するこゝろの中に、彼の人格の死を意味する誘惑の影を見た。二つのことを同時にすることが出來ない彼にとつて、他人を愚かだと思ふことは、少くともその瞬間に於いて、彼自身の愚かなことを忘れることであつた。自己を正しいと思ふことは、少くともその瞬間に於いて、自己の正しくないことを忘れる事であつた。他人を愚かだと思ふ事多ければ多いほど、自己を愚かだと思ふ意識が閑却されて行つた。自己を正しいと思ふ事が多ければ多いほど、自己を正しからずと思ふ意識が閑却されて行つた。彼は自分の注意の焦点が――生活の中心點が――愚かな、正しからぬ自己から、愚かな、正しからぬ他人の方へ移動して行くことを覺えた。併し彼にとつて重要な問題は、他人が愚かなことではなくて、自己が愚かなことであつた。他人が正しくないことではなくて、自己が正しくないことであつた。群小の間に在つて稍※(二の字点、1-2-22)大なることを喜ぶことではなくて、絶對の前の獨り立つて自己の眞相を正視することであつた。彼は唯其處にのみ彼自身の眞正な生活と發展とがあることを知つてゐた。唯其處にのみ愚かな、正しからぬ他人を導くべき唯一の道があることを知つてゐた。甘んじて他人を導くには、彼自身餘りに小さかつた。而も批評家に對して怒を含むことは、單に彼自身を益せざるのみならず、批評家そのものを益することでも亦ないのであつた。彼は無用の拘泥が天地と自己とを前にして玲瓏として生きむとする生活を曇らして、彼の進み行かむとする沈潛の道に妨礙を置いてゐることを悲しいと思つた。併し彼はこれを意識し之を悲しみながらも猶ズルズルとこの邪道にひかれて行くことを感ぜずにはゐられなかつた。
 彼はこの頃になつて漸く世間といふものゝ存在を眞正に意識することが出來るやうになつて來た。世間とは、すべての眞劔な努力に對して眞面目な注意と同情と尊敬とを拂はぬ者の集團であつた。しかもこの集團に屬するものは淺薄なる好奇心を以つて他人の生活を話題にし、他人の一擧手一投足にも是非の評を挾むことを特權と心得てゐるものであつた。彼はノンセンスによつて彼を怒らせる批評家をばこの意味に於ける世間の代表者と見た。彼は彼が一度平和な謙遜な友人の間に在つて修錬して來た「人間的」態度を――凡ての人間を同胞として敬愛する態度を――もう一度批評家と云ふ特殊な一群に對して試煉して來るやうに押し戻されてゐることを感じた。彼はこの試煉には見事に落第した。彼は身分不相應の高慢を以つて彼を批評してゐる言葉の内容を吟味して、唯「如何に余が汝よりも低く、小さく、お粗末であるかを見よ」と云ふ響のみを聽くやうな氣がした。さうして
「如何に余が汝よりも高く、大きく、精緻なるかを見よ」と鸚鵡がへしに叫ばずにはゐられなかつた。彼は單にこれを心の中に叫ぶのみならず、又之を文章に書いた。此等の文章を書く時、彼の眼中に在るものは唯彼を嘲罵する世界の批評家のみであつた。併し彼には此等の文章が誤つて彼の平和な交游の眼に入ることを防ぐの力は固よりなかつた。さうして彼は此等の交游に對しては、平和な、靜かな、肩の凝らぬ同胞として、穩かに交り、温かに相砥礪して行きたいと云ふ希望を持つてゐるのであつた。故に彼は一方に世間に對して威張りかへしてやりながら、一方には此等の態度が平和にして謙遜な人達を徒らに脅かすことを、すまないと思ひ、恥かしいと思ひ、不安に思つた。而も一方に不安を感じながら、猶一方に強く自己を主張せずにはゐられなかつた。此間の心持には固より矛盾があつた。併し彼はこの矛盾を意識しながらも、猶強ひられたる自己肯定の、苦い、甘い、落付かない氣分の中に低徊することを禁じ得なかつたのである。
 彼の心にこの氣分を助長したものは、決して彼に對する「世間」の批評のみではなかつた。彼の友人、同情者、同感者の賞讚も亦批評家によつて激昂させられた自己感情を甘やかした。これは固より彼の同情者の罪ではなくて、彼自身の自己中心主義の罪であつた。凡そ何人でも彼に同情と好意とを抱くものは、彼に對して惡意と反感とを抱くものよりも彼と融會の機縁が多い筈である。故に凡て此等の同情と好意とを受取ることは彼の恥とせぬところであつた。不釣合な程高い聲を出して彼に迷惑をかけてくれぬ限り、彼は常に感謝を以つて此等の好意を受けるやうに心掛けてゐた。さうして彼に對して表示されるあらゆる同情と好意とをば、何の疑察も何の逡巡もなくこれを受納れて、人と人との純粹な愛を以つて交つて行くことは、彼の理想とするところであつた。此等の點に於いては彼は正しかつた。併し彼は時として此等の同情と好意との表示を縁として、自己感情の耽溺に陷ることがあつた。牛が草を味ふが如くこれ等の賞讚を反芻して、暫く沈潛の努力を忘れることがあつた。故に彼は此等の同情者によつて心を温められることがある一方には、又内に向ふ努力を鈍らして外面を覗ふ逸樂に誘はれることも亦なきを得なかつた。彼はこの間の心裡を反省しながら、不圖彼の幼年時代の記憶を想起した。彼は「それは惡いことだよ」と教へられる時、大抵の教訓に服從することが出來た。併し「惡い子だ」、「馬鹿な子だ」と云つて叱られる時には常に非常な反抗心を起した。この事は間違ひかもしれないが、自分は全體としては惡い子でも馬鹿な子でもないと思はずにはゐられないのであつた。さうして「いゝ子だ」と云ふ賞讚は、彼にとつては餘りに多きにすぎた。彼は「いゝ子だ、いゝ子だ」と頭の中に繰返して、暫くいゝ事をすることを忘れた――彼はこの記憶と現在の事情とを比較して、自ら苦笑することを禁じ得なかつた。

 此の如くにして、彼は自分の生活が外面に向つて浮れ出さうとしてゐる自然の傾向を見た。さうして彼は内に向はむとする努力を保持するためにこの自然の傾向と戰はなければならなかつた。彼に與へられる外來の刺戟が殆んど彼を外に向はせるもののみなことを苦々しいと思つた。彼の注意を内に轉じさせるものは、どんな苦しいことでも彼には有難かつた。某月某日彼はその日記にこんなことを書いた――
「近來俺に與へられる外來の刺戟は、主として俺の Fame に關するものであつた。さうしてそれは俺に味方するものと反抗するものとの孰れを問はず、大抵は思想界に於ける俺の勢力を標識するものであつた。俺は自ら警戒しながらも、暫く俺の注意がこの末梢に集らむとする傾向を如何ともすることが出來なかつた。俺の生活が内に向ふ時、俺の中には書くに價する何物かゞ生ずる。さうしてこの記録は外部に於ける俺の勢力を擴大する機縁となる。賞讚若しくは非難が外部から俺の身邊に集つて來る。さうして俺はこれによつて暫く内に向ふ生活の進行を阻礙される。俺は丁度この時期に居た。さうして未だこの時期を脱却する力のない自分を苦々しいと思つてゐた。
 今日何氣なく新聞を讀みながら俺は俺の昔ながらの傷を刺戟する記事に出逢つた。俺は俺の身を屈したる愛によつてはじめて救はるべき二三の人の淋しい姿を思つた。さうして到底其處まで身を屈することを許さゞる俺のプライドとイゴイズムと自己憐愍とのこゝろを思つた。俺は兼てよりこゝに俺の苦しい問題があることを覺悟してゐた。俺の愛の最後に近い試煉として、遙かなる彼方に俺を待つてゐる問題として覺悟してゐた。俺は今事新らしくこの問題に觸れて心に痛みを覺える。併し俺はこの問題が俺に不斷の問題と苦痛とを提供して、俺の魂に Erhebend に作用し得ることを信ずるが故に、この運命を悲しんでばかりゐようとは思はない。さうして俺の心が外部に向つて發散せむとしてゐる時に、偶然の機會によつて再び俺の心を内に向はせてくれる「不思議な力」に感謝の情を捧げる。俺は今忙がしく仕事をしなければならない身だ。併しパツクやカリカツールや月評を背景として仕事をしてゐるよりも、俺の愛の缺乏に對するいたみと、俺と俺の愛する者とに與へられた運命の果敢さとを背景として仕事をする方がよい事である。俺は今日の新聞を見て苦しかつた。併しそれにも拘らず俺は忍辱の涙をのんでこの苦痛を與へられたことを感謝する。俺は餘りに膨れ易い性質を持つてゐるからである。」
 或時彼は又こんなことを書いた――
「周圍に向ふ心よ。汝の眼を閉ぢよ。汝の周圍にゐて汝を是非する者の殆んど悉くは愚人なり。汝を高むる者は唯汝自身の中にあり。汝自身の中に沈め。漂泊する心よ、憤激する心よ、自己を正しとせむとする心よ、いゝ子にならむとする心よ。周圍に對してあまりに敏感なる心よ。」
 併し「周圍の愚人」が容易に彼の頭を去りきらなかつた。一つの刺戟が靜まる頃には他の刺戟が來て又彼の頭を攪した。彼の注意は散亂して或は内を見、或は外を見た。自ら結束して内に向はむとする努力はどうしても焦點に集まることが出來なかつた。
 彼は振返つて彼の内面生活の状態を見た。其處には新しいものゝ認識が始らうとしてゐながら、彼には猶この認識を確實に占領すべき力がなかつた。彼は特殊の惠まれたる瞬間にのみその高みに昇つて、次の瞬間には振ひ落されてゐた。さうして心の弛緩してゐる間、彼の認識は彼自身にさへ幻影のやうに見えた。彼の故郷がその方向にある可きことは疑ひがなかつた。併し彼の心は故郷に歸ることの稀なる漂泊の人であつた。彼のその故郷に歸ることが少いと云ふ事實は、其處に彼の故郷が在ると云ふ事實を否定するものでは無論なかつた。併し故郷に永住するために全力を盡すことは彼の焦眉の問題でなければならなかつた。彼は彼自身の内面に幾多の問題の押し合つてゐることを見た。さうして徒に漂泊する心を惡んだ。彼はどうしてもかうしてはゐられないと思つた。

 或日彼は一人の友人の家で、彼に關する某の批評を見た。それは彼が曾て批評家と云うものを顧眄して過ぎた短い文章に關するものであつた。彼はその文章の中で、批評家の頭腦の穴だらけなことを憐み、彼等の人格の疎漫にして無責任なことを憎むと云つたのだつた。然るにこの男は(新しく口を出した批評家は)憎むなら憎むでいゝ、憐むと云ふのは無用だ僞りだと云ふ意味のことを云つてゐるのだつた。彼はこの男には全然俺を理解する素質が缺けてゐると思つた。憎んで憎みきれないところにこそ彼があるのであつた。憎しみから憐みに、憐みから愛に進まうと努力してゐるところにこそ彼があるのであつた。この中心的な態度を理解することが出來ずに、彼を是非するのは全然間違つてゐることであつた。彼はこの男が正直な男なことを知つてゐるために、幾分かこの男のために惜む心持になつた。併し彼の心に盛んに喚起されたものは、この男の疎漫と無責任とに對する新たなる憎しみと憐みとであつた。而も彼はこの明白なる誤謬を一寸かう思つただけで無視して了ふことが出來なかつた。彼の頭には例によつてこの小さい無理解に拘泥する心が殘つてゐて彼を不愉快にした。さうしてこの不愉快を感ずる自己に就いて、彼は重ねて不愉快を感じた。
 彼はこんな心持をしながら日の暮れ方に郊外の家に歸つた。机の上には數日前に買つて來た、チエラノのトマスの書いたアツシジの聖フランシス傳の英譯が載つてゐた。彼は世間の煩しさと自分自身の神經質から逃れたいと思ひながら、机の上の本をとつて、偶然にあけたところに讀み入つた。
 それは「聖フランシスの祈祷に於ける熱心に就いて」と云ふ章の最初の節であつた。彼(フランシス)にとつて世間は何の味ひもない物であつた。彼は既に天の甘美を食としてゐるものであつた。神聖なる歡喜が彼を人間の粗大なる關心に背かせてゐるのであつた。彼は公衆の中に在つて突如として主の來訪を受ける時には、彼の外衣を以つて小さい洞窟を作つた。若し外衣を着てゐない時には、隱れたるマナを人に見せないやうに、その袖を以つて顏を覆うた。彼は常に自分自身と傍に立つ者との間に何物かを置いて、公衆の中に立ちながらも隱れて祈るのであつた。最後に彼と他人とを隔つ可き何物もない時には、彼は自分の胸を殿堂とした。彼は自己に就いて無意識になつてゐたから、其處には唾をはくことも呻吟することもなかつた。彼は神に吸收されてゐたから、其處には烈しい息遣ひも目に立つやうな身動きもなかつた。併し森の中若しくは他の寂しき場處に於いて祈る時には、彼は歎きを以つてその森を充たし、涙を以つて大地を霑ほし、その手を以つてその胸を撃ち、時には言葉を出してその主と語つた。さうしてその存在の全骨髓を、樣々の途に於いて燔祭の犧牲とするために、無上に單一なる「彼」を、樣々の姿に於いて自らの目の前に描いた。彼の全人は祈る人といふよりも寧ろ生きたる祈りであつた。彼はその注意と愛情との全體を擧げて、彼が主によつて求むる一つのことに集中した……
 彼はこの章を讀んでこれだと思つた。彼の生活を外から内に喚び戻す唯一の途は、唯彼の批評家と自己との間に何物かを置くことであつた。世間の前に隱れて自分自身の中の祈りに――主を求むる祈りに、彼の注意と愛情との全體を集中することであつた。これは決して彼にとつて新しい智慧ではなかつた。併し現在の彼にとつては最も必要な智慧で、新らしい覺悟として新しく決定けつじやうされることを要する智慧であつた。彼はこの必要な瞬間に於いて、偶然にこの警告を與へてくれた「不思議な力」に感謝の情を捧げた。
 さうだ。批評家と世間との前を逃れること、自分の胸を殿堂とすること――これが現在の瞬間に於いて彼の生活を外から内へ喚戻す唯一の途であつた。この隱遁は決して單純なる隱遁ではない。彼はこの隱遁の中に於いて、彼にとつて最も險難な途を進まうとするのであつた。大實在に對する限りのない戀に全身を沒頭せむとするのであつた。さうして彼を批評家と世間との間に歸らしむべき唯一の途も亦此處になければならなかつた。彼と世間とは、輕蔑や憤怒と云ふやうな卑しいものではない、大なる愛憐と同情との中に於いて再會しなければならないのであつた。彼はその心の中で、俺は世間に負けたのではない、又世間を捨てるのではないと叫んだ。
 此の如くにして彼は再びその「洞窟」に歸るの決心を新たにした。併し彼の耳には猶時として世間の聲が響いて來た。さうして彼の注意がその響に奪はれる限り、依然として彼等に對する輕蔑の情を感じた。彼は批評家によつて代表される世間を「同胞」として敬愛することはまだまだ出來なかつた。彼の心には猶苦痛が殘つてゐた。

 さうしてゐるうちに、彼には更に彼の心を内に向はしむべき一つの小さい事件が落ちて來た。それは彼と彼の友人の一人との間にあつた不愉快な事柄であつた。自分は今彼の心理を闡明するために、敢てこの小さい事件を語らなければならない。
 彼には彼がレスペクトを以つて交つてゐる若干の友人がゐた。さうして彼も亦彼等からレスペクトを以つて取扱はれてゐることを感じてゐた。併し彼は時々、彼を尊敬して呉れる友人の態度に、彼の缺點をつゝついて喜ばうとする心持の影を認めることがあつた。彼はこの心持の影を認める毎に、其處に友情の限界と、動物と動物との敵意があることを思つて苦い心持になるのであつた。
 Qは彼の少數な友達の中でも平生特に重厚なレスペクトを以つて彼を取扱つて呉れる人であつた。併し彼は多少緊張した刹那に當つては、誰よりも最も多く此男の敵意に觸れることを感じた。彼はQの心の底に自分に對する敵意が暗礁のやうに固着してゐるらしいことを感じた。さうして或日彼は又何時もよりもひどく此暗礁に觸れた氣がしたのであつた。
 その日彼はQの上京を迎へるために(彼は近縣に教師をしてゐた)Pと三人で晩食を共にした。彼は或る眞面目な事件を背景としてPと戲れの言葉爭ひに落ちて行つた。Pは彼の言葉尻を捉へては、玉突のボーイが玉の數を數へるやうに一つ二つと彼の言葉のぼろを數へて行つた。彼は歌留多に熱中するものゝやうな心持を以つて、次第にその防戰に熱くなつて行つた。さうしてぼろでないものをぼろに數へられる時には、それはいけないと抗議を申込んだ。さうするとQは何時も傍から口を出して、まゐつてもまゐつたことがわからないのだからなあ、と云つた。この横槍が度重るに從つて彼は眞面目な心持で又始つたと思つた。さうして口を緘んで了つた。Pも亦言葉爭ひに倦んだか沈默してしまつた。併しQはまだやめなかつた。彼の口眞似をするために、妙な聲を出してその短い顎を突出した。さうして始めてPも彼も沈默してゐるのに氣がついたらしく、少し照れたやうな樣子をしてこれも默つてしまつた。彼は憎惡と輕蔑とを以つてQの突出した顎を見ずにはゐられなかつた。さうしてこれがこの男なのか、これが俺の友達なのかと思つた。
 彼は腹立紛れにQの態度と自分の態度とを比較して見た。彼自身の態度にQを挑發する或物がなければならないことは明かであつた。併しそれは彼の頑強、彼の高慢、彼の自恣が自ら他人を壓迫する結果になるので彼自身に他を壓迫せむとする意志がないことは、彼自身には明瞭至極であつた。彼は又、近來といへども自分の態度に、他人を飜弄せむとする興味が全然跡を絶つてゐるとは勿論いへないが、その際に於いてもなるべくシーリヤスな點を避けてゐると思つた。シーリヤスな點に觸れる限りに於いては、彼は戲謔の間にシーリヤスな忠告をしようとする目的を持つてゐると思つた。さうして凡てを通じて遊戲の氣分を失はないと思つた。彼も亦時に突掛つて行く衝動を感ずることはあつた。併しそれは頑強な者を惡む反感の性質を帶びずに、虚僞なる者空虚なる者を賤む公憤の性質を帶びてゐた。然るにQは眞直に自分の頑強を突き崩さうとする目的を以つて自分に突掛つて來るのだ、彼の態度は公憤でも忠告でもなくて反感だと彼は思つた。彼は自分の方から一度だつてQに突掛つて行く要求を感じたことがあるかと自問した。さうしてそんなことは一度だつてないと安んじて答へることが出來た。Qとの關係に於いては彼は常に受身だつた。さうしてこんな場合に於いては受身になる者よりも働きかける者の方が下等なのだ――と彼は腹立紛れにこんなことを思つた。さうしてQに口をきくことが出來なかつた。
 併し彼はこんなにしてQを輕蔑してしまふことが悲しかつた。彼は更にQその人になつてQのことを考へて見た。Qの半生の寂寥と勞苦とを思つた。彼の家族に對する慈愛と自己犧牲とを思つた。眞率な態度と敬重すべき人格とを思つた。この男からあんな態度を引き出すものは彼の交游のうちで自分一人なのかも知れないと思つた。さうしてあの敬重すべき人格からあの卑む可き態度をひき出す自分の高慢と自己主張とに就いてQに謝罪するやうな心持になる事が出來た。Qの反感は彼にとつては依然として不愉快なことに相違なかつた。併しそれはその人から云へば極めて枝葉の缺點にすぎなかつた。彼はQを許しQから許して貰ひたいやうな心持になつて、いつもよりは複雜な親しみを籠めて別れることが出來た。

 彼は彼の生活が近來益※(二の字点、1-2-22)寂寥になつて行くことを感じてゐた。彼の思想が獨立し彼の人格が明瞭に發展して來れば來るほど、彼は益※(二の字点、1-2-22)彼の思想と生活とが孤立して行くことを感じてゐた。彼が愛を理想とすれば、彼とこの理想を共にせぬ者との間に罅隙が出來た。彼が自己の人格に對する自覺を明かにすれば、彼の人格を理解せぬ者と彼との間に疎隔の感じが深くなつて行つた。さうして彼が融合の生活を求めるに比例して、彼の生活の孤立が益※(二の字点、1-2-22)甚しくなつて行くのであつた。彼は或時は、これは高きに進まむとする者のやむを得ざる運命だと思つた。或時は何處か自分の行き方に誤りがあるのではないかとも思つた。
 併し彼が自他融合の基礎を、他人の彼に對する愛と理解との上に築かうとすれば、かうなつて行くより外に仕樣がないのであつた。彼がこの立場に立つてゐる限り、Qのやうな特別に敬重すべき人格とさへ融和の途が絶してゐるに相違ないのであつた。彼は今、問題はこの根本にあることを悟つた。自ら求める心を挾んで他人に對すれば、凡ての人が彼に向つて彼自身の求めるものを悉く與へることが出來ないことは固より極つてゐる。それは恰も彼自身が他人の求めるものを悉く與へることが出來ないと同じ事である。故にこの立脚地に在る限り、自他の關係は必ず不滿、憤怨、憎惡等でなければならない。併し暫く自己の要求を除外して對象それ自身の生活を仔細に見れば、凡ての存在には彼自身の價値があり缺點があり苦惱があるに違ひない。Qは固より、ノンセンスによつて彼を怒らせる世間と批評家との類と雖も、必ず認むべき價値があり、尊敬すべきの誠實があり、同情すべきの苦惱があるに違ひがない。故に自ら求むるところなき愛を以つてすれば、彼の敵も、彼の誹謗者も、凡て親愛すべき同胞に相違がないのである。自ら求める心を挾んで他に對する者は、求めるものを與へるか與へないかの一點をのみ廓大して、對象そのものの眞生命を遮蔽する。自ら求める心を空くして他に對する者は、あらゆる存在に美と眞と誠とを認めて悉く之を愛することが出來るやうになるのであらう。彼は後の命題の眞實をば未だ知ることが出來ないものであつた。併し前の命題の眞實をば彼自身の苦しい生活に於いて味ひ知つて來た。彼は「忍辱」と云ふ言葉が新しい輝きを帶びて自分の前に復活して來ることを感じた。
 自分の生活の中心を名聲フエームに置けば、自分の名聲に不當の損害を與へる者は彼の敵に相違なかつた。自分の生活の中心を愛せらるゝことに置けば、彼を愛せぬ者は路傍の人で、彼の愛を妨げる者は彼の敵に相違なかつた。併し彼の生活の中心を他人によつて侵害せられざる「天」に置けば、彼の名聲を傷つける者も、彼の愛を妨げるものも、根本的の意味に於いて「彼」の敵ではない筈であつた。さうして求むるところなき愛の眼を以つて見れば、彼等は唯、他人に不當の侵害を與へずにはゐられないやうな、小さい病める同胞の一人に過ぎない筈であつた。彼は此處に至つて、漸く「汝の敵を愛せよ」と云ふ言葉の意味を悟つたやうな氣がした。愛する者に敵はない筈であつた。彼の敵は彼の患ある友に過ぎない筈であつた。
 彼は再び、嘗てアツシジの聖人フランシスに就いて讀んだことを想起した。彼は或る冬の日、酷しい寒さに苦しめられながら、その愛弟レオとペルーヂヤからサンタ・マリヤ・デリ・アンジエリの方へ行つた。さうしてその途々「完全なる幸福」の何であるかに就いてレオに話した。死者を蘇らせる力も、人と天地とに關するあらゆる智慧も、あらゆる異邦人を基督信者とする宣教の力も、未だ人に完全なる幸福を與へるに足るものではなかつた。完全なる幸福は唯、彼等が霙に濡れ巷の泥に塗れてサンタ・マリアの寺に辿り着いた時に、門番が彼等を拒み、彼等を打ち、彼等を罵るとしても、猶愛と快活とを以つて之を忍び、門番の打擲、拒斥、罵詈の中に神の意志を認めるところにのみあるのであつた――彼は今フランシスの言葉を領會したと思つた。忍辱に堪へるものは、完全に彼の生活の基礎を不易なるものの上に置いたものでなければならなかつた。彼の生活の基礎を不易なるものの上に築いた者に「完全なる幸福」があることは云ふまでもない筈であつた。
 彼は此等のことを思ひながら、晩秋の快く晴れた日の午後、七里ヶ濱を鎌倉の方へ歩いて行つた。鎌倉逗子の山々はもう夕靄の中に霞んでゐた。彼はあの山々の一つに、彼が心に親愛して來た一人の友の骸が埋つて居ることを思つた。彼の心の底からは、一切を包み、愛し、許したいと思ふやうな、大らかな、寛やかな心持が、この秋の日の七里ヶ濱の波のやうに靜かに搖りあげて來た。彼は今ならば一切を許すことが出來ると思つた。固よりこれはこの時だけの氣分に過ぎないことを彼は知つてゐた。彼はその親友に對してさへも憤怒と憎惡とを感ぜずにはゐられないほどの人格に相違なかつた。併し彼は、今彼の前に一つの途が開けてゐることを信じた。その途を進んで行く間には、彼を煩はしくする世間と批評家とをさへ、大きい公けな愛を以つて包容し得る日の來る可きことを信じてゐた。さうして日の光が月の光にかはらうとする不思議な光の中を何處までも鎌倉の方へ歩いて行つた。
(三、一一、二八)

底本:「合本 三太郎の日記」角川書店
   1950(昭和25)年3月15日初版発行
   1966(昭和41)年10月30日50版
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:Nana ohbe
校正:山川
2011年8月4日作成
2012年4月3日修正
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