あらすじ
夏休み、農場実習の合間に、生徒たちは「イギリス海岸」と名付けた場所によく遊びに行きました。そこは、北上川の西岸にある、青白い泥岩層が露出した場所です。まるでイギリスの白堊海岸を歩いているような気分になることから、生徒たちはそう呼んでいました。その場所は、かつては海の渚だった場所で、泥岩層には、昔の海の生き物の化石や、植物の化石などが残っていました。そして、ある日、生徒たちはイギリス海岸で驚くべき発見をします。それは、昔の動物の足跡だったのです。
 夏休みの十五日の農場実習(のうじょうじっしゅう)の間に、私(わたくし)どもがイギリス海岸(かいがん)とあだ名をつけて、二日か三日ごと、仕事(しごと)が一きりつくたびに、よく遊(あそ)びに行った処(ところ)がありました。
 それは本とうは海岸ではなくて、いかにも海岸の風をした川の岸(きし)です。北上(きたかみ)川の西岸でした。東の仙人峠(せんにんとうげ)から、遠野(とおの)を通り土沢(つちざわ)を過(す)ぎ、北上山地を横截(よこぎ)って来る冷(つめ)たい猿ヶ石(さるがいし)川の、北上川への落合(おちあい)から、少し下流(かりゅう)の西岸でした。
 イギリス海岸には、青白い凝灰質(ぎょうかいしつ)の泥岩(でいがん)が、川に沿(そ)ってずいぶん広く露出(ろしゅつ)し、その南のはじに立ちますと、北のはずれに居(い)る人は、小指(こゆび)の先よりもっと小さく見えました。
 殊(こと)にその泥岩層(そう)は、川の水の増(ま)すたんび、奇麗(きれい)に洗(あら)われるものですから、何とも云(い)えず青白くさっぱりしていました。
 所々(ところどころ)には、水増しの時できた小さな壺穴(つぼあな)の痕(あと)や、またそれがいくつも続(つづ)いた浅(あさ)い溝(みぞ)、それから亜炭(あたん)のかけらだの、枯(か)れた蘆(あし)きれだのが、一列(れつ)にならんでいて、前の水増しの時にどこまで水が上ったかもわかるのでした。
 日が強く照(て)るときは岩は乾(かわ)いてまっ白に見え、たて横(よこ)に走ったひび割(わ)れもあり、大きな帽子(ぼうし)を冠(かむ)ってその上をうつむいて歩くなら、影法師(かげぼうし)は黒く落(お)ちましたし、全(まった)くもうイギリスあたりの白堊(はくあ)の海岸(かいがん)を歩いているような気がするのでした。
 町の小学校でも石(いし)の巻(まき)の近くの海岸に十五日も生徒(せいと)を連(つ)れて行きましたし、隣(とな)りの女学校でも臨海(りんかい)学校をはじめていました。
 けれども私(わたくし)たちの学校ではそれはできなかったのです。ですから、生れるから北上(きたかみ)の河谷(かこく)の上流(じょうりゅう)の方にばかり居(い)た私たちにとっては、どうしてもその白い泥岩層(でいがんそう)をイギリス海岸と呼(よ)びたかったのです。
 それに実際(じっさい)そこを海岸と呼ぶことは、無法(むほう)なことではなかったのです。なぜならそこは第(だい)三紀(き)と呼ばれる地質時代(ちしつじだい)の終(おわ)り頃(ごろ)、たしかにたびたび海の渚(なぎさ)だったからでした。その証拠(しょうこ)には、第一にその泥岩は、東の北上山地のへりから、西の中央分水嶺(ちゅうおうぶんすいれい)の麓(ふもと)まで、一枚(まい)の板(いた)のようになってずうっとひろがっていました。ただその大部分(だいぶぶん)がその上に積(つも)った洪積(こうせき)の赤砂利(あかじゃり)や※(「土へん+盧」、第3水準1-15-68)※(ローム)[#「土へん+母」、57-14]、それから沖積(ちゅうせき)の砂(すな)や粘土(ねんど)や何かに被(おお)われて見えないだけのはなしでした。それはあちこちの川の岸(きし)や崖(がけ)の脚(あし)には、きっとこの泥岩が顔を出しているのでもわかりましたし、また所々(ところどころ)で掘(ほ)り抜(ぬ)き井戸(いど)を穿(うが)ったりしますと、じきこの泥岩層(そう)にぶっつかるのでもしれました。
 第二に、この泥岩は、粘土(ねんど)と火山灰(かざんばい)とまじったもので、しかもその大部分(だいぶぶん)は静(しず)かな水の中で沈(しず)んだものなことは明らかでした。たとえばその岩には沈んでできた縞(しま)のあること、木の枝(えだ)や茎(くき)のかけらの埋(うず)もれていること、ところどころにいろいろな沼地(ぬまち)に生(は)える植物(しょくぶつ)が、もうよほど炭化(たんか)してはさまっていること、また山の近くには細かい砂利のあること、殊(こと)に北上山地のへりには所々この泥岩層の間に砂丘(さきゅう)の痕(あと)らしいものがはさまっていることなどでした。そうしてみると、いま北上の平原(へいげん)になっている所は、一度(いちど)は細長い幅(はば)三里ばかりの大きなたまり水だったのです。
 ところが、第三に、そのたまり水が塩(しお)からかった証拠(しょうこ)もあったのです。それはやはり北上山地のへりの赤砂利から、牡蠣(かき)や何か、半鹹(はんかん)のところにでなければ住(す)まない介殻(かいがら)の化石(かせき)が出ました。
 そうしてみますと、第三紀の終り頃、それは或(あるい)は今から五、六十万年或(あるい)は百万年を数えるかも知れません、その頃今の北上の平原にあたる処(ところ)は、細長い入海か鹹湖(かんこ)で、その水は割合(わりあい)浅(あさ)く、何万年の永(なが)い間には処々(ところどころ)水面(すいめん)から顔を出したりまた引っ込(こ)んだり、火山灰や粘土が上に積(つも)ったりまたそれが削(けず)られたりしていたのです。その粘土は西と東の山地から、川が運(はこ)んで流(なが)し込(こ)んだのでした。その火山灰(かざんばい)は西の二列(れつ)か三列の石英粗面岩(せきえいそめんがん)の火山が、やっとしずまった処(ところ)ではありましたが、やっぱり時々噴火(ふんか)をやったり爆発(ばくはつ)をしたりしていましたので、そこから降(ふ)って来たのでした。
 その頃(ころ)世界(せかい)には人はまだ居(い)なかったのです。殊(こと)に日本はごくごくこの間、三、四千年前までは、全(まった)く人が居なかったと云(い)いますから、もちろん誰(だれ)もそれを見てはいなかったでしょう。その誰も見ていない昔(むかし)の空がやっぱり繰(く)り返(かえ)し繰り返し曇(くも)ったりまた晴れたり、海の一とこがだんだん浅(あさ)くなってとうとう水の上に顔を出し、そこに草や木が茂(しげ)り、ことにも胡桃(くるみ)の木が葉(は)をひらひらさせ、ひのきやいちいがまっ黒にしげり、しげったかと思うと忽(たちま)ち西の方の火山が赤黒い舌(した)を吐(は)き、軽石(かるいし)の火山礫(かざんれき)は空もまっくらになるほど降って来て、木は圧(お)し潰(つぶ)され、埋(う)められ、まもなくまた水が被(かぶ)さって粘土(ねんど)がその上につもり、全くまっくらな処に埋められたのでしょう。考えても変(へん)な気がします。そんなことはほんとうだろうかとしか思われません。ところがどうも仕方(しかた)ないことは、私(わたくし)たちのイギリス海岸(かいがん)では、川の水からよほどはなれた処に、半分石炭(せきたん)に変(かわ)った大きな木の根株(ねかぶ)が、その根を泥岩(でいがん)の中に張(は)り、そのみきと枝(えだ)を軽石の火山礫層(かざんれきそう)に圧し潰されて、ぞろっとならんでいました。尤(もっと)もそれは間もなく日光にあたってぼろぼろに裂(さ)け、度々(たびたび)の出水に次(つぎ)から次と削(けず)られて行きましたが、新らしいものもまた出て来ました。そしてその根株のまわりから、ある時私たちは四十近くの半分炭化(たんか)したくるみの実(み)を拾(ひろ)いました。それは長さが二寸(すん)ぐらい、幅(はば)が一寸ぐらい、非常(ひじょう)に細長く尖(とが)った形でしたので、はじめは私どもは上の重(おも)い地層(ちそう)に押(お)し潰されたのだろうとも思いましたが、縦(たて)に埋まっているのもありましたし、やっぱりはじめからそんな形だとしか思われませんでした。
 それからはんの木の実も見附(みつ)かりました。小さな草の実もたくさん出て来ました。
 この百万年昔(むかし)の海の渚(なぎさ)に、今日は北上川が流れています。昔、巨(おお)きな波(なみ)をあげたり、じっと寂(しず)まったり、誰(だれ)も誰も見ていない所(ところ)でいろいろに変ったその巨きな鹹水(かんすい)の継承者(けいしょうしゃ)は、今日は波にちらちら火を点じ、ぴたぴた昔(むかし)の渚(なぎさ)をうちながら夜昼南へ流(なが)れるのです。
 ここを海岸(かいがん)と名をつけたってどうしていけないといわれましょうか。
 それにも一つここを海岸と考えていいわけは、ごくわずかですけれども、川の水が丁度(ちょうど)大きな湖(みずうみ)の岸(きし)のように、寄(よ)せたり退(ひ)いたりしたのです。それは向(むこ)う側(がわ)から入って来る猿ヶ石(さるがいし)川とこちらの水がぶっつかるためにできるのか、それとも少し上流(じょうりゅう)がかなりけわしい瀬(せ)になってそれがこの泥岩層(でいがんそう)の岸にぶっつかって戻(もど)るためにできるのか、それとも全(まった)くほかの原因(げんいん)によるのでしょうか、とにかく日によって水が潮(しお)のように差(さ)し退(ひ)きするときがあるのです。
 そうです。丁度一学期(がっき)の試験(しけん)が済(す)んでその採点(さいてん)も終(おわ)りあとは三十一日に成績(せいせき)を発表(はっぴょう)して通信簿(つうしんぼ)を渡(わた)すだけ、私(わたくし)のほうから云(い)えばまあそうです、農場(のうじょう)の仕事(しごと)だってその日の午前で麦(むぎ)の運搬(うんぱん)も終り、まあ一段落(いちだんらく)というそのひるすぎでした。私たちは今年三度目(どめ)、イギリス海岸へ行きました。瀬川(せがわ)の鉄橋(てっきょう)を渡り牛蒡(ごぼう)や甘藍(かんらん)が青白い葉(は)の裏(うら)をひるがえす畑(はたけ)の間の細い道を通りました。
 みちにはすずめのかたびらが穂(ほ)を出していっぱいにかぶさっていました。私たちはそこから製板所(せいばんしょ)の構内(こうない)に入りました。製板所の構内だということはもくもくした新らしい鋸屑(おがくず)が敷(し)かれ、鋸(のこぎり)の音が気まぐれにそこを飛(と)んでいたのでわかりました。鋸屑には日が照(て)って恰度(ちょうど)砂(すな)のようでした。砂の向うの、青い水と救助区域(きゅうじょくいき)の赤い旗(はた)と、向うのブリキ色の雲とを見たとき、いきなり私どもはスウェーデンの峡湾(きょうわん)にでも来たような気がしてどきっとしました。たしかにみんなそう云う気もちらしかったのです。製板の小屋(こや)の中は藍(あい)いろの影(かげ)になり、白く光る円鋸(まるのこ)が四、五梃(ちょう)壁(かべ)にならべられ、その一梃は軸(じく)にとりつけられて幽霊(ゆうれい)のようにまわっていました。
 私たちはその横(よこ)を通って川の岸まで行ったのです。草の生えた石垣(いしがき)の下、さっきの救助区域の赤い旗の下には筏(いかだ)もちょうど来ていました。花城(かじょう)や花巻(はなまき)の生徒(せいと)がたくさん泳(およ)いでおりました。けれども元来私どもはイギリス海岸に行こうと思ったのでしたからだまってそこを通りすぎました。そしてそこはもうイギリス海岸(かいがん)の南のはじなのでした。私(わたくし)たちでなくたって、折角(せっかく)川の岸までやって来ながらその気持(きも)ちのいい所(ところ)に行かない人はありません。町の雑貨商店(ざっかしょうてん)や金物店(かなものてん)の息子(むすこ)たち、夏やすみで帰ったあちこちの中等(ちゅうとう)学校の生徒(せいと)、それからひるやすみの製板(せいばん)の人たちなどが、あるいは裸(はだか)になって二人、三人ずつそのまっ白な岩に座(すわ)ったり、また網(あみ)シャツやゆるい青の半ずぼんをはいたり、青白い大きな麦稈帽(むぎわらぼう)をかぶったりして歩いているのを見ていくのは、ほんとうにいい気持(きもち)でした。
 そしてその人たちが、みな私どもの方を見てすこしわらっているのです。殊(こと)に一番いいことは、最上等(さいじょうとう)の外国犬が、向(むこ)うから黒い影法師(かげぼうし)と一緒(いっしょ)に、一目散(いちもくさん)に走って来たことでした。実(じつ)にそれはロバートとでも名の附(つ)きそうなもじゃもじゃした大きな犬でした。
「ああ、いいな。」私どもは一度(いちど)に叫(さけ)びました。誰(だれ)だって夏海岸へ遊(あそ)びに行きたいと思わない人があるでしょうか。殊(こと)にも行けたら、そしてさらわれて紡績工場(ぼうせきこうじょう)などへ売られてあんまりひどい目にあわないなら、フランスかイギリスか、そう云う遠い所(ところ)へ行きたいと誰も思うのです。
 私たちは忙(いそが)しく靴(くつ)やずぼんを脱(ぬ)ぎ、その冷(つめ)たい少し濁(にご)った水へ次(つぎ)から次と飛(と)び込(こ)みました。全(まった)くその水の濁りようときたら素敵(すてき)に高尚(こうしょう)なもんでした。その水へ半分顔を浸(ひた)して泳(およ)ぎながら横目(よこめ)で海岸の方を見ますと、泥岩(でいがん)の向うのはずれは高い草の崖(がけ)になって木もゆれ雲もまっ白に光りました。
 それから私たちは泥岩の出張(でば)った処(ところ)に取(と)りついてだんだん上りました。一人の生徒はスイミングワルツの口笛(くちぶえ)を吹(ふ)きました。私たちのなかでは、ほんとうのオーケストラを、見たものも聴(き)いたことのあるものも少なかったのですから、もちろんそれは町の洋品屋(ようひんや)の蓄音器(ちくおんき)から来たのですけれども、恰度(ちょうど)そのように冷い水は流(なが)れたのです。
 私たちは泥岩層(そう)の上をあちこちあるきました。所々に壺穴(つぼあな)の痕(あと)があって、その中には小さな円い砂利(じゃり)が入っていました。
「この砂利がこの壺穴を穿(ほ)るのです。水がこの上を流れるでしょう、石が水の底(そこ)でザラザラ動(うご)くでしょう。まわったりもするでしょう、だんだん岩が穿れていくのです。」
 また、赤い酸化鉄(さんかてつ)の沈(しず)んだ岩の裂(さ)け目に沿(そ)って、層(そう)がずうっと溝(みぞ)になって窪(くぼ)んだところもありました。それは沢山(たくさん)の壺穴(つぼあな)を連結(れんけつ)してちょうどひょうたんをつないだように見えました。
「こう云(い)う溝は水の出るたんびにだんだん深(ふか)くなるばかりです。なぜなら流(なが)されて行く砂利(じゃり)はあまりこの高い所(ところ)を通りません。溝の中ばかりころんで行きます。溝は深くなる一方でしょう。水の中をごらんなさい。岩がたくさん縦(たて)の棒(ぼう)のようになっています。みんなこれです。」
「ああ、騎兵(きへい)だ、騎兵だ。」誰(だれ)かが南を向(む)いて叫(さけ)びました。
 下流(かりゅう)のまっ青(さお)な水の上に、朝日橋(あさひばし)がくっきり黒く一列(れつ)浮(うか)び、そのらんかんの間を白い上着(うわぎ)を着た騎兵たちがぞろっと並(なら)んで行きました。馬の足なみがかげろうのようにちらちらちらちら光りました。それは一中隊(ちゅうたい)ぐらいで、鉄橋(てっきょう)の上を行く汽車よりはもっとゆるく、小学校の遠足の列よりはも少し早く、たぶんは中隊長らしい人を先頭にだんだん橋を渡(わた)って行きました。
「どごさ行ぐのだべ。」
「水馬演習(すいばえんしゅう)でしょう。白い上着を着ているし、きっと裸馬(はだかうま)だろう。」
「こっちさ来るどいいな。」
「来るよ、きっと。大てい向(むこ)う岸(ぎし)のあの草の中から出て来ます。兵隊だって誰(だれ)だって気持(きも)ちのいい所へは来たいんだ。」
 騎兵はだんだん橋を渡り、最后(さいご)の一人がぽろっと光って、それからみんな見えなくなりました。と思うと、またこっちの袂(たもと)から一人がだくでかけて行きました。私(わたくし)たちはだまってそれを見送(みおく)りました。
 けれども、全(まった)く見えなくなると、そのこともだんだん忘(わす)れるものです。私(わたくし)たちはまた冷(つめ)たい水に飛(と)び込(こ)んで、小さな湾(わん)になった所を泳(およ)ぎまわったり、岩の上を走ったりしました。
 誰かが岩の中に埋(う)もれた小さな植物(しょくぶつ)の根(ね)のまわりに、水酸化鉄の茶いろな環(わ)が、何重(なんじゅう)もめぐっているのを見附(みつ)けました。それははじめからあちこち沢山(たくさん)あったのです。
「どうしてこの環(わ)、出来だのす。」
「この出来かたはむずかしいのです。膠質体(こうしつたい)のことをも少し詳(くわ)しくやってからでなければわかりません。けれどもとにかくこれは電気の作用です。この環はリーゼガングの環と云(い)います。実験室(じっけんしつ)でもこさえられます。あとで土壌(どじょう)のほうでも説明(せつめい)します。腐植質磐層(ふしょくしつばんそう)というものも似(に)たようなわけでできるのですから。」私は毎日の実習(じっしゅう)で疲(つか)れていましたので、長い説明が面倒(めんどう)くさくてこう答えました。
 それからしばらくたって、ふと私は川の向(むこ)う岸(ぎし)を見ました。せいの高い二本のでんしんばしらが、互(たがい)によりかかるようにして一本の腕木(うでぎ)でつらねられてありました。そのすぐ下の青い草の崖(がけ)の上に、まさしく一人のカアキイ色の将校(しょうこう)と大きな茶いろの馬の頭とが出て来ました。
「来た、来た、とうとうやって来た。」みんなは高く叫(さけ)びました。
「水馬演習(すいばえんしゅう)だ。向(むこ)う側(がわ)へ行こう。」こう云いながら、そのまっ白なイギリス海岸(かいがん)を上流(じょうりゅう)にのぼり、そこから向う側へ泳(およ)いで行く人もたくさんありました。
 兵隊(へいたい)は一列(れつ)になって、崖をななめに下り、中にはさきに黒い鉤(かぎ)のついた長い竿(さお)を持(も)った人もありました。
 間もなく、みんなは向う側の草の生えた河原(かわら)に下り、六列(れつ)ばかりに横(よこ)にならんで馬から下り、将校の訓示(くんじ)を聞いていました。それが中々永(なが)かったのでこっち側に居(い)る私たちは実際(じっさい)あきてしまいました。いつになったら兵隊たちがみな馬のたてがみに取(と)りついて、泳いでこっちへ来るのやらすっかり待(ま)ちあぐねてしまいました。さっき川を越(こ)えて見に行った人たちも、浅瀬(あさせ)に立って将校の訓示を聞いていましたが、それもどうも面白(おもしろ)くて聞いているようにも見え、またつまらなそうにも見えるのでした。うるんだ夏の雲の下です。
 そのうちとうとう二隻(せき)の舟(ふね)が川下からやって来て、川のまん中にとまりました。兵隊たちはいちばんはじの列から馬をひいてだんだん川へ入りました。馬の蹄(ひづめ)の底(そこ)の砂利(じゃり)をふむ音と水のばちゃばちゃはねる音とが遠くの遠くの夢(ゆめ)の中からでも来るように、こっち岸(ぎし)の水の音を越(こ)えてやって来ました。私(わたくし)たちはいまにだんだん深(ふか)い処(ところ)へさえ来れば、兵隊(へいたい)たちはたてがみにとりついて泳(およ)ぎ出すだろうと思って待(ま)っていました。ところが先頭の兵隊さんは舟(ふね)のところまでやって来ると、ぐるっとまわって、また向(むこ)うへ戻(もど)りました。みんなもそれに続(つづ)きましたので列(れつ)は一つの環(わ)になりました。
「なんだ、今日はただ馬を水にならすためだ。」私たちはなんだかつまらないようにも思いましたが、また、あんな浅(あさ)い処までしか馬を入れさせずそれに舟を二隻(せき)も用意(ようい)したのを見てどこか大へん力強い感じもしました。それから私たちは養蚕(ようさん)の用もありましたので急(いそ)いで学校に帰りました。
 その次(つぎ)には私たちはただ五人で行きました。
 はじめはこの前の湾(わん)のところだけ泳(およ)いでいましたがそのうちだんだん川にもなれてきて、ずうっと上流(じょうりゅう)の波(なみ)の荒(あら)い瀬(せ)のところから海岸(かいがん)のいちばん南のいかだのあるあたりへまでも行きました。そして、疲(つか)れて、おまけに少し寒(さむ)くなりましたので、海岸の西の堺(さかい)のあの古い根株(ねかぶ)やその上につもった軽石(かるいし)の火山礫層(かざんれきそう)の処に行きました。
 その日私たちは完全(かんぜん)なくるみの実(み)も二つ見附(みつ)けたのです。火山礫の層の上には前の水増(みずま)しの時の水が、沼(ぬま)のようになって処々溜(たま)っていました。私たちはその溜り水から堰(せき)をこしらえて滝(たき)にしたり発電処(はつでんしょ)のまねをこしらえたり、ここはオーバアフロウだの何の永(なが)いこと遊(あそ)びました。
 その時、あの下流(かりゅう)の赤い旗(はた)の立っているところに、いつも腕(うで)に赤いきれを巻(ま)きつけて、はだかに半天(はんてん)だけ一枚(まい)着(き)てみんなの泳ぐのを見ている三十ばかりの男が、一梃(ちょう)の鉄梃(かなてこ)をもって下流の方から溯(のぼ)って来るのを見ました。その人は、町から、水泳(すいえい)で子供(こども)らの溺(おぼ)れるのを助(たす)けるために雇(やと)われて来ているのでしたが、何ぶんひまに見えたのです。今日だって実際(じっさい)ひまなもんだから、ああやって用もない鉄梃なんかかついで、動(うご)かさなくてもいい途方(とほう)もない大きな石を動かそうとしてみたり、丁度(ちょうど)私どもが遊びにしている発電所のまねなどを、鉄梃まで使(つか)って本統(ほんとう)にごつごつ岩を掘(ほ)って、浮岩(うきいわ)の層のたまり水を干(ほ)そうとしたりしているのだと思うと、私どもは実(じつ)は少しおかしくなったのでした。
 ですからわざと真面目(まじめ)な顔をして、
「ここの水少し干(ほ)したほういいな、鉄梃を貸(か)しませんか。」と云(い)うものもありました。
 するとその男は鉄梃でとんとんあちこち突(つ)いてみてから、
「ここら、岩も柔(やわらか)いようだな。」と云いながらすなおに私たちに貸し、自分はまた上流(じょうりゅう)の波(なみ)の荒(あら)いところに集(あつま)っている子供(こども)らの方へ行きました。すると子供らは、その荒いブリキ色の波のこっち側(がわ)で、手をあげたり脚(あし)を俥屋(くるまや)さんのようにしたり、みんなちりぢりに遁(に)げるのでした。私(わたくし)どもはははあ、あの男はやっぱりどこか足りないな、だから子供らが鬼(おに)のようにこわがっているのだと思って遠くから笑(わら)って見ていました。
 さてその次(つぎ)の日も私たちはイギリス海岸(かいがん)に行きました。
 その日は、もう私たちはすっかり川の心持(こころも)ちになれたつもりで、どんどん上流の瀬(せ)の荒い処(ところ)から飛(と)び込(こ)み、すっかり疲(つか)れるまで下流(かりゅう)の方へ泳(およ)ぎました。下流であがってはまた野蛮人(やばんじん)のようにその白い岩の上を走って来て上流の瀬にとびこみました。それでもすっかり疲れてしまうと、また昨日の軽石層(かるいしそう)のたまり水の処に行きました。救助係(きゅうじょがかり)はその日はもうちゃんとそこに来ていたのです。腕(うで)には赤い巾(きれ)を巻き鉄梃も持(も)っていました。
「お暑(あつ)うござ※[#小書き平仮名ん、69-9]す。」私が挨拶(あいさつ)しましたらその人は少しきまり悪(わる)そうに笑って、
「なあに、おうちの生徒(せいと)さんぐらい大きな方ならあぶないこともないのですが一寸(ちょっと)来てみたところです。」と云うのでした。なるほど私たちの中でたしかに泳げるものはほんとうに少かったのです。もちろん何かの張合(はりあい)で誰(だれ)かが溺(おぼ)れそうになったとき間違(まちが)いなくそれを救(すく)えるというくらいのものは一人もありませんでした。だんだん談(はな)してみると、この人はずいぶんよく私たちを考えていてくれたのです。救助区域(くいき)はずうっと下流の筏(いかだ)のところなのですが、私たちがこの気もちよいイギリス海岸に来るのを止めるわけにもいかず、時々別(べつ)の用のあるふりをして来て見ていてくれたのです。もっと談(はな)しているうちに私はすっかりきまり悪くなってしまいました。なぜなら誰でも自分だけは賢(かしこ)く、人のしていることは馬鹿(ばか)げて見えるものですが、その日そのイギリス海岸(かいがん)で、私(わたくし)はつくづくそんな考(かんがえ)のいけないことを感(かん)じました。からだを刺(さ)されるようにさえ思いました。はだかになって、生徒(せいと)といっしょに白い岩の上に立っていましたが、まるで太陽(たいよう)の白い光に責(せ)められるように思いました。全(まった)くこの人は、救助区域(きゅうじょくいき)があんまり下流(かりゅう)の方で、とてもこのイギリス海岸まで手が及(およ)ばず、それにもかかわらず私たちをはじめみんなこっちへも来るし、殊(こと)に小さな子供(こども)らまでが、何べん叱(しか)られてもあのあぶない瀬(せ)の処(ところ)に行っていて、この人の形を遠くから見ると、遁(に)げてどての蔭(かげ)や沢(さわ)のはんのきのうしろにかくれるものですから、この人は町へ行って、もう一人、人を雇(やと)うかそうでなかったら救助の浮標(ブイ)を浮(うか)べてもらいたいと話しているというのです。
 そうしてみると、昨日(きのう)あの大きな石を用もないのに動(うご)かそうとしたのもその浮標の重(おも)りに使(つか)う心組(こころぐみ)からだったのです。おまけにあの瀬の処では、早くにも溺(おぼ)れた人もあり、下流の救助区域でさえ、今年になってから二人も救(すく)ったというのです。いくら昨日までよく泳(およ)げる人でも、今日のからだ加減(かげん)では、いつ水の中で動けないようになるかわからないというのです。何気なく笑(わら)って、その人と談してはいましたが、私はひとりで烈(はげ)しく烈しく私(わたくし)の軽率(けいそつ)を責(せ)めました。実(じつ)は私はその日までもし溺れる生徒ができたら、こっちはとても助けることもできないし、ただ飛(と)び込(こ)んでいって一緒(いっしょ)に溺れてやろう、死ぬことの向(むこ)う側(がわ)まで一緒についていってやろうと思っていただけでした。全く私たちにはそのイギリス海岸の夏の一刻(いっこく)がそんなにまで楽しかったのです。そして私は、それが悪(わる)いことだとは決(けっ)して思いませんでした。
 さてその人と私らは別(わか)れましたけれども、今度(こんど)はもう要心(ようじん)して、あの十間(けん)ばかりの湾(わん)の中でしか泳ぎませんでした。
 その時、海岸のいちばん北のはじまで溯(のぼ)って行った一人が、まっすぐに私たちの方へ走って戻(もど)って来ました。
「先生、岩に何かの足痕(あしあと)あらんす。」
 私はすぐ壺穴(つぼあな)の小さいのだろうと思いました。第(だい)三紀(き)の泥岩(でいがん)で、どうせ昔(むかし)の沼(ぬま)の岸(きし)ですから、何か哺乳類(ほにゅうるい)の足痕(あしあと)のあることもいかにもありそうなことだけれども、教室でだって手獣(しゅじゅう)の足痕(あしあと)の図まで黒板(こくばん)に書いたのだし、どうせそれが頭にあるから壺穴までそんな工合(ぐあい)に見えたんだと思いながら、あんまり気乗(きの)りもせずにそっちへ行ってみました。ところが私はぎくりとしてつっ立ってしまいました。みんなも顔色を変えて叫(さけ)んだのです。
 白い火山灰層(かざんばいそう)のひとところが、平(たい)らに水で剥(は)がされて、浅(あさ)い幅(はば)の広い谷のようになっていましたが、その底(そこ)に二つずつ蹄(ひづめ)の痕(あと)のある大(おおき)さ五寸(すん)ばかりの足あとが、幾(いく)つか続(つづ)いたりぐるっとまわったり、大きいのや小さいのや、実(じつ)にめちゃくちゃについているではありませんか。その中には薄(うす)く酸化鉄(さんかてつ)が沈澱(ちんでん)してあたりの岩から実にはっきりしていました。たしかに足痕が泥(どろ)につくや否(いな)や、火山灰がやって来てそれをそのまま保存(ほぞん)したのです。私ははじめは粘土(ねんど)でその型(かた)をとろうと思いました。一人がその青い粘土も持(も)って来たのでしたが、蹄の痕があんまり深過(ふかす)ぎるので、どうもうまくいきませんでした。私は「あした石膏(せっこう)を用意(ようい)して来よう」とも云(い)いました。けれどもそれよりいちばんいいことはやっぱりその足あとを切り取(と)って、そのまま学校へ持って行って標本(ひょうほん)にすることでした。どうせまた水が出れば火山灰の層(そう)が剥げて、新らしい足あとの出るのはたしかでしたし、今のは構(かま)わないでおいてもすぐ壊(こわ)れることが明らかでしたから。
 次(つぎ)の朝早く私(わたくし)は実習(じっしゅう)を掲示(けいじ)する黒板にこう書いておきました。
     八月八日
農場(のうじょう)実習 午前八時半より正午まで
  除草(じょそう)、追肥(ついひ)   第(だい)一、七組
  蕪菁(かぶら)播種(はしゅ)    第三、四組
  甘藍(かんらん)中耕(ちゅうこう)    第五、六組
  養蚕(ようさん)実習    第二組
(午后(ごご)イギリス海岸(かいがん)に於(おい)て第(だい)三紀(き)偶蹄類(ぐうているい)の足跡標本(そくせきひょうほん)を採収(さいしゅう)すべきにより希望者(きぼうしゃ)は参加(さんか)すべし。)
 そこで正直を申(もう)しますと、この小さな「イギリス海岸(かいがん)」の原稿(げんこう)は八月六日あの足あとを見つける前の日の晩(ばん)宿直室(しゅくちょくしつ)で半分書いたのです。私(わたくし)はあの救助係(きゅうじょがかり)の大きな石を鉄梃(かなてこ)で動(うご)かすあたりから、あとは勝手(かって)に私の空想(くうそう)を書いていこうと思っていたのです。ところが次(つぎ)の日救助係がまるでちがった人になってしまい、泥岩(でいがん)の中からは空想よりももっと変(へん)なあしあとなどが出てきたのです。その半分書いた分だけを実習(じっしゅう)がすんでから教室でみんなに読みました。
 それを読んでしまうかしまわないうち、私たちは一ぺんに飛(と)び出してイギリス海岸へ出かけたのです。
 丁度(ちょうど)この日は校長も出張(しゅっちょう)から帰って来て、学校に出ていました。黒板(こくばん)を見てわらっていました、それから繭(まゆ)を売るのが済(す)んだら自分も行こうと云(い)うのでした。私たちは新らしい鋼鉄(こうてつ)の三本鍬(ぐわ)一本と、ものさしや新聞紙などを持(も)って出て行きました。海岸の入口に来てみますと水はひどく濁(にご)っていましたし、雨も少し降(ふ)りそうでした。雲が大へんけわしかったのです。救助係に私は今日は少しのお礼(れい)をしようと思ってその支度(したく)もして来たのでしたがその人はいつもの処(ところ)に見えませんでした。私たちはまっすぐにそのイギリス海岸を昨日(きのう)の処に行きました。それからていねいにあのあやしい化石(かせき)を掘(ほ)りはじめました。気がついてみると、みんな大抵(たいてい)ポケットに除草鎌(じょそうがま)を持ってきているのでした。岩が大へん柔(やわ)らかでしたから大丈夫(だいじょうぶ)それで削(けず)れる見当がついていたのでした。もうあちこちで掘り出されました。私はせわしくそれをとめて、二つの足あとの間隔(かんかく)をはかったり、スケッチをとったりしなければなりませんでした。足あとを二つつづけて取(と)ろうとしている人もありましたし、も少しのところでこわした人もありました。
 まだ上流(じょうりゅう)の方にまた別(べつ)のがあると、一人の生徒(せいと)が云って走って来ました。私は暑(あつ)いので、すっかりはだかになって泳(およ)ぐ時のようなかたちをしていましたが、すぐその白い岩を走って行ってみました。そのあしあとは、いままでのとはまるで形もちがい、よほど小さかったのです、あるものは水の中にありました。水がもっと退(ひ)いたらまだまだ沢山(たくさん)出るだろうと思われました。その上流の方から、南のイギリス海岸のまん中で、みんなの一生けん命掘(ほ)り取(と)っているのを見ますと、こんどはそこは英国(えいこく)でなく、イタリヤのポンペイの火山灰(かざんばい)の中のように思われるのでした。殊(こと)に四、五人の女たちが、けばけばしい色の着物(きもの)を着て、向(むこ)うを歩いていましたし、おまけに雲がだんだんうすくなって日がまっ白に照(て)ってきたからでした。
 いつか校長も黄いろの実習服(じっしゅうふく)を着て来ていました。そして足あとはもう四つまで完全(かんぜん)にとられたのです。
 私(わたくし)たちはそれを汀(みぎわ)まで持(も)って行って洗(あら)いそれからそっと新聞紙に包(つつ)みました。大きなのは三貫目(がんめ)もあったでしょう。掘り取るのが済(す)んであの荒(あら)い瀬(せ)の処(ところ)から飛(と)び込(こ)んで行くものもありました。けれども私はその溺(おぼ)れることを心配(しんぱい)しませんでした。なぜなら生徒(せいと)より前に、もう校長が飛び込んでいてごくゆっくり泳(およ)いで行くのでしたから。
 しばらくたって私たちはみんなでそれを持って学校へ帰りました。そしてさっきも申(もう)しましたようにこれは昨日(きのう)のことです。今日は実習(じっしゅう)の九日目です。朝から雨が降(ふ)っていますので外の仕事(しごと)はできません。うちの中で図を引いたりして遊(あそ)ぼうと思うのです。これから私たちにはまだ麦(むぎ)こなしの仕事が残(のこ)っています。天気が悪(わる)くてよく乾(かわ)かないで困(こま)ります。麦こなしは芒(のぎ)がえらえらからだに入って大へんつらい仕事です。百姓(ひゃくしょう)の仕事の中ではいちばんいやだとみんなが云(い)います。この辺(へん)ではこの仕事を夏の病気(びょうき)とさえ云います。けれども全(まった)くそんな風に考えてはすみません。私たちはどうにかしてできるだけ面白(おもしろ)くそれをやろうと思うのです。
(一九二三、八、九、)
了

底本:「イーハトーボ農学校の春」角川文庫、角川書店
   1996(平成8)年3月25日初版発行
底本の親本:「新校本 宮澤賢治全集」筑摩書房
   1995(平成7)年5月
入力:ゆうき
校正:noriko saito
2010年9月5日作成
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