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 あるところに、きわめてなかわるい百しょうがありました。
 このなかわるこうおつとは、なんとかしてこうおつを、おつこうをうんとひどいめにあわしてやりたいとおもっていました。けれど、なかなかそんなような機会きかいはこなかったのであります。
 あるとしなつのことでありました。幾日いくにち幾日いくにちも、天気てんきばかりがつづいて、あめというものがすこしもりませんでした。そして、諸所しょしょ方々ほうぼうみずれてしまって、井戸いどみずまでがすくなくなるのでありました。
 こういえ井戸いどふかくて、容易よういみずきるようなことはありませんでしたけれど、おついえ井戸いどはわりあいにあさくて、もうみずきるのにもありませんでした。
 こうは、そのことをるとたいへんによろこびました。おつ野郎やろうめ、みずがなくなってしまったら、どうするだろう。みずまずにきていられまい。そうすれば、きっとこのむらからどこかへげてゆくか、おれのところへあたまげて、おねがいにくるにちがいないとおもいました。
 おつは、だんだん井戸いどみずすくなくなるので、でありませんでした。もしこのみずがなくなってしまったら、どうしようとおもいました。しかたがないから、どこかの清水しみずのわきるところをさがさなければならないとおもって、おつは、そのから毎日まいにち近所きんじょやまのふもとのこころあたりをたずねてあるきました。
 十五、六ちょういった谷間たにまに、一つの清水しみずがありました。それが、この旱魃ひでりにもきず、滾々こんこんとしてわきていました。これはいい清水しみずつけたものだ。これさえあれば、もうだいじょうぶだとおもって、おつよろこんでいえかえりました。
 こうは、やはりその清水しみずのあるところをっていました。どうかしておつにわからなければいいがとおもっていましたのが、どうやらおつったらしいようすなので、がっかりしました。
 こうは、どうかして、そのみずめなくしてしまうように苦心くしんしたのであります。けれど、いいかんがえがかびませんでした。そのうち、一つのかんがえがかびました。こううまいてまちかけてゆきました。

 こうまちでたくさんのあぶらいました。それをうまんでかえってきました。こう金持かねもちでありましたから、もしかねちからおつをいじめることができたら、いくらでもかね使つかかんがえであったのです。
 こううまあぶらだるをいくつもんでかえってくる姿すがたを、おつはやしかげでながめました。
「はてな、あんなにたくさんのあぶらだるをなんでこう仕入しいれてきたろう。」と、おつかんがえました。
 おつは、それとなくさとりましたから、すぐにいえかえって、おけをかついで清水しみずへゆきました。そして、れるまで、せっせといく十たびとなく、みずをくんでははこびました。そして、たるのなかみずをいっぱいれました。
 こうれるのをっていました。れると、うまいて清水しみずほとりへゆきました。そして、たるのなかあぶらをすっかり清水しみず付近ふきんながしてしまいました。こういえかえると世間せけんこえるようなおおきなこえでいいました。
うまがすべってころんだものだから、ってきたあぶらをみんなながしてしまった。」と、さもしそうにいいました。
 おつくる清水しみずへいってみると、まるであぶらがわきているようでめるどころでありません。はたして自分じぶんおもったとおりであったとうなずいて、いえかえって、みず大事だいじ使つかっていました。
 こうは、毎日まいにち、もうおついえ井戸水いどみずきた時分じぶんだが、どうしているだろうと、ようすをうかがっていましたが、格別かくべつおついえではこまっているようなようすがえませんでした。
「もっとひでれ、ひでれ……。」と、こうそらていいました。
「どうかるように、どうかかみさまあめるようにねがいます。」と、おついのっていました。
 すると、おつたくわえておいたみずきかかったころ、にわかにそらくもって大雨おおあめってきました。そして一井戸いどにはみずて、草木くさき蘇返よみがえりました。そればかりでない、清水しみずにまいたあぶらはみんななかながて、清水しみずは、またもとのようにきれいにみました。そのとしは、いつにない豊作ほうさくであったということです。

底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社
   1976(昭和51)年12月10日第1刷
   1982(昭和57)年9月10日第7刷
初出:「読売新聞」
   1920(大正9)年6月3〜4日
※表題は底本では、「神(かみ)は弱(よわ)いものを助(たす)けた」となっています。
※初出時の表題は「神は弱い者を助けた」です。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:江村秀之
2013年10月24日作成
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