ちいさなつちやぶって、やっと二、三ずんばかりのたけびました。は、はじめてひろ野原のはら見渡みわたしました。大空おおぞらくもかげをながめました。そして、小鳥ことりごえいたのであります。(ああ、これがなかというものであるか。)とかんがえました。
 どれほど、このなかることをねがったであろう。あのかたつちしたにくぐっている時分じぶんには、おなじような種子たねはいくつもあった。そして、くらつちなかで、みんなはいろいろのことをかたったものだ。
はやく、あかるいなかたいのだが、みんながいっしょにられるだろうか。」と、一つの種子たねがいうと、
「それはむずかしいことだ。だれがるかしれないけれど、あとはくさってしまうだろう。しかしたものは、んだ仲間なかまぶんきのびてしげって、いくねんも、いくねん雄々おおしく太陽たいようかがやしたはなやかにらしてもらいたい。もし、二つなり、三つなりが、いっしょにあかるい世界せかいることがあったら、たがいにってちからとなってらしそうじゃないか。」と、種子たねこたえました。
 みんなは、その種子たねのいったことに賛成さんせいしました。しかしみんながあかるい世界せかいしたったけれど、そのかいがなく、つちうえることをたものは、ただ一つだけでありました。
 こうして、一ぽんは、この世界せかいたが、るもの、くものにこころおびやかされたのであります。みんなの希望きぼうまで、自分じぶん生命せいめいなか宿やどして、大空おおぞらたかえだひろげて、幾万いくまんとなくむらがったの一つ一つに日光にっこうびなければならないとおもいましたが、それはまだとおいことでありました。
 最初さいしょ、このえたのをつけたものは、そらわたくもでありました。けれど、ものぐさな無口むくちくもは、ぬふりをして、そのあたまうえ悠々ゆうゆうぎてゆきました。
 は、とりをいちばんおそれていたのです。それは、代々だいだいからの神経しんけいつたわっている本能的ほんのうてきのおそれのようにもおもわれました。あのいい音色ねいろうたとりは、姿すがたもまたうつくしいには相違そういないけれど、みずみずしいつけると、きっと、それをくちばしでつついて、ってしまうからです。そのくせ、とりおおきくなってしげったあかつきには、かってにそのえだつくったり、またよるになると宿やどることなどがありました。そんなことを予覚よかくしているようなは、小鳥ことり自分じぶん姿すがたいだされないように、なるたけいしかげや、くさかげかくれるようにしていました。
 くちやかましい、そして、そそっかしいかぜが、つぎにつけました。
「おお、ほんとうにいいだ。おまえは、すえには大木たいぼくとなるばえなんだ。おまえのれた年老としとったおやは、よくこの野原のはらなかおれたちと相撲すもうったもんだ。なかなか勇敢ゆうかんたたかったもんだ。この世界せかいひろいけれど、ほんとうにおれたちの相手あいてとなるようなものはすくない。はじめからんでいるも同然どうぜんまち建物たてものや、人間にんげんなどのつくったうちや、堤防ていぼうやいっさいのものは、打衝ぶつかっていっても、ほんとうにんでいるのだからいがない。そこへいくと、おまえたちや、うみなどは、きているのだから、おれ打衝ぶつかってゆくとさけびもするし、また、たたかいもする。おれは、じっとしていることはきらいだ。なんでもけまわっていたり、あらそったりみついたりすることが大好だいすきなのだ。」
 は、まだうえまれてから、幾日いくにちもたたないので、ものをてもまぶしくてしかたがないほどでありましたから、こう、かぜにおしゃべりをされると、ただ空怖そらおそろしいような、半分はんぶんばかり意味いみがわかって半分はんぶん意味いみがわからないような、どきまぎとした気持きもちでいたのであります。
「しかし、おまえは、大木たいぼくになるばえだとはいうものの、それまでには、おおかみにまれたり、きつねにまれたりしたときには、れてしまおう。そうすれば、それまでのことだ。だからからだきたえなければならない。」と、宇宙うちゅう浮浪者ふろうしゃであるかぜは、かたってかせました。
 あわれなは、かぜのいうことをともかくも感心かんしんしていていましたが、
「それなら、どうしたら、わたしつよくなるのですか。」と、は、かぜいました。
 かぜは、いちだんと悲痛ひつう調子ちょうしになって、
「それには、おれがおまえをきたえるよりしかたがない。いまおまえは、まだちいさくておしえてもうたえまいが、いんまにおおきくなったらおれおしえた『曠野こうやうた』と、『放浪ほうろううた』とをうたうのだ。」と、かぜは、にむかっていいました。
無窮むきゅうから、無窮むきゅう
ゆくものは、だれだ。
おまえは、その姿すがたたか、
魔物まものか、人間にんげんか。
くろ着物きものをきて
やぶれた灰色はいいろはたがひるがえる。
 かぜは、うたってかせました。そして、つよく、つよしました。ばかりでなく、野原のはらえていた、すべてのくさや、はやしが、おどろいてさわしました。なかにも、このちいさなは、やわらかなあたまをひたひたとさして、いまにもちぎれそうでありました。
 粗野そやで、そそっかしいかぜは、いつやむとえぬまでにいて、いてつのりました。は、もはやをまわして、いまにもたおれそうになったのであります。
 このとき、太陽たいようは、るにかねて、かぜをしかりました。
「なんで、そんなにちいさいをいじめるのだ。おまえがさわくるいたいとおもったなら、たかやまうえへでも打衝ぶつかるがいい、それでなければ、よるになってから、だれもいないうみなかなみ相手あいてたたかうがいい。もうこのちいさなをいじめてくれるな。」と、太陽たいようはいいました。
 かぜは、太陽たいようかってびつきそうに、そらおどがりました。そうしてさけびました。
わたしは、このちいさなをいじめるのではありません。つよく、つよく、つよくならなければ、どうしてこの曠野こうやなかでこのちましょう。そうするにはわたしが、を、つよくするようにきたえなければならないのです。」
 太陽たいようは、あきれたようなかおつきをして、しばらくぼんやりと見下みおろしていましたが、
わたしのいうことをまもらんと、おまえを三千も四千遠方えんぽういやってしまうぞ。これから、おおきくなるまで、おまえはけっして、あんなにはげしくいてはならない。」と、太陽たいようかぜめいじました。
 かぜは、こえひくく、「放浪ほうろううた」をうたいながら、うみほうをさしてってしまいました。あとで、太陽たいようあわれなをじっとながめたのであります。
「もうおどろくことはない。おまえをくるしめたかぜとおくへってしまった。これからあとは、わたしがおまえを見守みまもってやろう。」と、太陽たいようはいいました。
 は、まれてなか予想よそうをしなかったほど、複雑ふくざつなのにあたまなやましました。そして、空恐そらおそろしさにふるえていました。
「おまえはさむいのか。なんでそんなにふるえているのだ。」と、太陽たいようは、あやしんできました。
 は、かぜかれて、からだがたいへんにつかれてきました。そして、のどがこのうえもなくかわいていたので、ただあめってくれることをのぞんでいましたが、しかし、そんなことをくちしていいもされずに、不安ふあんにおそわれてふるえていたのです。
「かわいそうに、おまえは、ものがいえないほどさむいのか。それで、ふるえているのだろう。もう安心あんしんするがいい。かぜは、あちらへいってしまった。わたしが、おまえをおもいきってあたためてやるから。」と、太陽たいようはいいました。
 そして、太陽たいようは、きゅうねつひかりをましました。そのねつくもさんじてしまいました。そして、やっとうえびたばかりのは、ちいさながしぼんで、ほそみきかわいて、ついにれてしまいました。
 太陽たいようは、そのことにはづかずに、日暮ひぐがたまで下界げかいらしていました。

 あるくににあったはなしです。人々ひとびとは、ながあいだはんしたような生活せいかつつかれていました。毎日まいにちおなじようなことをして、あさになるとはねきて、はたらき、い、そしてれるとねむることにもきてしまいました。
 みんなは、なかよくらすことを希望きぼうしていましたけれど、どうしても、このことばかりはできなかったというのは、あるひとがたくさんかねがもうかったときには、一方いっぽうではまたたいへんにそんをするというようなぐあいで、みんなの気持きもちがいつも一つではなかったから、おこるものもあれば、またよろこぶものがあり、なかにはくものまたわらうものがあるというふうで、そのあいだ嫉妬しっと嘲罵ちょうばえるひまもなかったのでありました。
「ああ、なんでおれたちは、まれてきたのだろう。まれたかいがないというものだ。毎日まいにち、こんなようなおなじことをかえしてんでしまわなければならないのか?」と、人々ひとびとはためいきをついていいました。
 はるになると、はなきました。ちょうどそのくに全体ぜんたいはなかざられるようにみえました。なつになると、青葉あおばでこんもりとしました。そして、あきがくる時分じぶんには、どこのはやしも、おかも、もりも、黄色きいろになってかぜのまにまにそれらのりはじめました。ふゆぎ、またはるがめぐってくるというふうにかえされたのであります。
 このくにには、むかしからのことわざがありまして、なつ晩方ばんがたうみうえにうろこぐものわいたに、うみなかげると、そのひとかいまれわる。また、三ねんもたつと、うみうえにうろこぐもがわいたに、そのかい白鳥はくちょうわってしまう。白鳥はくちょうになると自由じゆうそらぶことができる、白鳥はくちょうとおい、とおい、おきのかなたにある「幸福こうふくしま」へんでゆくというのであります。
幸福こうふくしまがあるというが、それはほんとうのことだろうか。」
 あるひとが、このくにでいちばん物知ものしりといううわさのたかひとむかっていました。物知ものしりはもうだいぶとしをとった、白髪しらがのまじった老人ろうじんでありました。
「それはほんとうのことだ。幸福こうふくしまへゆけば、いまこのくにでまちがっているようなことは、たとえようとおもってもられない。そのうえ、やまへゆけばがしげっている。つちればいいみずがわいてくる。いわれば、きんぎんどうてつなどがひかっている。野原のはらにははなみだれ、や、はたけにはしぜんと穀物こくもつしげっている。そこへさえゆけば、ひとねむっていてらく生活くらしがされるから、たがいにあらそうということをらない。ただ、しかしその幸福こうふくしまへいくのが容易よういでない。なみあらいし、おそろしいかぜく、また、ふかうみなかには魔物まものがすんでいて、とおふねくつがえしてしまう。だれも、まだそのしまにいったものがないが、しまには、人間にんげんんでいるということだ。また幸福こうふくしまおんなは、天使てんしのようにうつくしいということだ。むかしから、そのしまへいってみたいばかりに、かみがんをかけてかいとなったり、三ねんあいだうみなか修業しゅぎょうをして、さらに白鳥はくちょうとなったり、それまでにして、このしまあこがれてんでゆくのであった。しろとりは、そのしまにゆくと、はないている野原のはらうえうのである。またあるときは、いつもみどりいろわらないはやしなかうたい、あるときは、うつくしいおんなかたまってあいされもするというが、じつに不思議ふしぎなことだ。」
 物知ものしりの老人ろうじんこたえました。このはなしいたひとは、をみはりました。そしておどろきました。
「なぜ、こんな不思議ふしぎはなしをもっとはやく、みんなにかせてはくださらなかったのですか。」と、老人ろうじんかっていいました。
「こういうはなしは、なかさわがせるものだから、あまりしないほうがいいとおもったのだ。」と、物知ものしりはこたえました。
 このはなしは、いつかくにじゅうにつたわりひろまったのであります。
 生活せいかつ興味きょうみうしなっているわか人々ひとびとなかでは、毎日まいにちうなだれてしずんでいるものもありましたが、一めいけても、幸福こうふく世界せかいいだしたいとおもったものもありました。そして、なつうみのかなたにかたむいて無数むすうのうろこぐもうつくしく花弁はなびらのようにそらりかかったときに、げてんだものもありました。
 こうして、んだ人々ひとびとたいしては、だれもかなしいというようなかんじをいだきませんでした。このままこのくにちてしまってつちとなるよりは、まれわって幸福こうふくしまへゆくことがどれほどたのしい愉快ゆかいなことであるかしれなかったからです。
 そして、うみなかげてぬほどの勇気ゆうきもなく、いたずらに、みぐるしとしってれるようにんでしまうことが、そのうつくしいくらべたら、どんなにか陰気いんきで、またくら事実じじつでありましたでしょう?
 しずむころになると、毎日まいにちのように、海岸かいがんをさまよって、あおい、あおい、そして地平線ちへいせんのいつまでもくらくならずに、あかるいうみあこがれるものが幾人いくにんとなくありました。うみは、永久えいきゅうにたえず美妙びみょううたをうたっています。そのうたこえにじっとみみをすましていると、いつしか、青黒あおぐろそこほうめられるような、なつかしさをかんじました。
 まれには、つきひかりが、なみうえしずかにらすよるになってから、かんがきわまって、とつぜんうみなかおどらしたものもあったのです。
 まれわるという信仰しんこうが、どれほど味気あじけない生活せいかつ活気かっきをつけたかしれません。「」ということがこんなに、このときほど意義いぎのあることにおもわれたかわかりません。
なずに幸福こうふくしまわたれないものだろうか。」
 おおくの人々ひとびとなかには、うみげてしまって、はたして、ふたたびまれわるだろうかといううたがいをもったものもおります。その人々ひとびとなずに、どんな冒険ぼうけんでもやってみて、そのしまへたどりきたいものだとおもいました。そして、そのことをとしよりの物知ものしりにたずねました。
「ゆけないこともあるまいが、なにしろとおい。そのしまわたるまでにはおそろしいかぜいているところがある。また、大波おおなみ渦巻うずまいているところがある。魔物まもののすんでいるふかうみをもとおらなければならない。その用意よういが十ぶんできるなら、ゆけないこともないだろう。」と、なんでもっている老人ろうじんこたえました。
 かんがぶかい、また臆病おくびょうひとたちは、たとえその準備じゅんび幾年いくねんついやされても十ぶん用意よういをしてから、とお幸福こうふくしまわたることを相談そうだんしました。
 それからというものは、みんなははたらくことにいをました。あるものは、うみわたふねについて工夫くふうらしました。あるものは、いろいろな器具きぐについてかんがえました。またあるものは、そのしまについてからのことなどを研究けんきゅうしてあたまなやましました。しかしそのなやみは、すえ幸福こうふくることのために愉快ゆかいでありました。はやく、その未知みちしまにゆきたいものだとみんなはこころおもいました。どんな困難こんなん辛苦しんくがこののちあってもそれをけてゆこうという勇気ゆうきがみんなのこころにわいたのであります。
 太陽たいようは、あかく、がたになるとうみのかなたにしずみました。そのとき、ほのおのようにえるくも地平線ちへいせん渦巻うずまいていました。
幸福こうふくしまは、あのくもしたのあたりにあるのだろう。」と、みんなはそのほうのぞみながら、いいました。やがて、がまったくしずんで、そらいろがだんだんくらくなると、地平線ちへいせんなみあらわれて、くもいろえてゆくのをしんだのであります。
 あるのこと、人々ひとびとがいつものごとく、海岸かいがんっておきほうをながめていました。そのとき、なにか一つくろてんのようなものが、夕空ゆうぞらをこなたにかってだんだんちかづいてくるようにえたのであります。みんなはしばらく、をみはってそのものにをとられていました。
「あれは、なんだろうか。こちらにかってこいでいるようだ。」
幸福こうふくしまから、さきがけをして、こちらのくにへやってきたのではないか。」
「なんにしても、いまにいたら、すこしぐらいおきのようすがわかるだろう。」と、みんなは、くびをばしてくろいもののこのきし近寄ちかよるのをっていました。
 だんだんとそのくろいものはちかづいたのであります。すると、ちいさなふねで、それには三にんのものがっていたのであります。やっとそのふねみぎわきました。ふねからりた三にんのものは、ばかりするどひかって、ひげはくろく、頭髪かみはのびて、ほとんど、ほねかわばかりにやせおとえていたのです。
「みんなおれたちのかおをばわすれてしまったろう。十ねんばかりまえにおきて、大風おおかぜのためにとおくへながされたものだ。」と、そのなかのいちばんたかおとこがいいました。
 人々ひとびとは、十ねんばかりまえにあった大暴風雨だいぼうふううのことを記憶きおくからこしました。そして、三にんのものがいまだに行方不明ゆくえふめいであることをおもしたのであります。
「よくかえってきた。もうみんなはんだものとおもっていた。おまえたちは、幸福こうふくしまにでもすくわれていたのか?」と、群集ぐんしゅうなかから、一人ひとりがいいました。
幸福こうふくしま?」と、そのとき、三にんうち一人ひとりが、自分じぶんみみあやしむように、おおきなこえかえしました。
「そうだ。幸福こうふくしまながあいだんでいたかとくのだ。」と、群集ぐんしゅうなかから一人ひとりこたえました。
「ばかにするのか? 地獄じごくから、やっとしてきたおれたちにかって、幸福こうふくしまとはなんのことだ?おまえがたは、久々ひさびさかえってきたものを侮辱ぶじょくするつもりなのか。」と、三にんは、あおかおをしておこりました。
 みんなは、意外いがいなできごとにおどろいて、三にんをやっとのことでなだめました。
「ちょうど、ここからると、あの太陽たいようしずむ、渦巻うずまほのおのようなくもしただ。そのしまくと、三にんはひどいめにあった。あさからばんまで、獣物けもののように使役しえきされた。おれたちはどうかしてこのしまからしたいものだとおもったけれど、どうすることもできなかった。れると海辺うみべては、をたいて、もしやこの火影ひかげつけたら、すくいにきてはくれないかと、あてもないことをねがった。三にんは、ついにおかうえ獄屋ごくやれられてしまった。そして、ながあいだ、その獄屋ごくやのうちで月日つきひおくったのだ。たまたまつきかげが、まどからもれると、そのつきとおうみのかなたのふるさとをしのんだ。あるばんのこと、三にんは、そのまどからした。そして、ようようのおもいで、たすかってここまでげてきたのだ。」と、三にんは、くわしく物語ものがたりました。みんなは、年寄としよりの物知ものしりにあざむかれたことをいきどおりました。
「ああ、おれたちはばかだった。あの老人ろうじんが、自分じぶんでいきもしない『幸福こうふくしま』などというものをっているはずがなかったのだ。あの老人ろうじんを、だれがいったい物知ものしりなどといったのだ。そして、あの老人ろうじんのおかげで幾人いくにんうみなかげてんだかしれない。」
 みんなは、老人ろうじん海岸かいがんへひきずってきました。そして、みんなをあざむいたことをなじりました。すると、老人ろうじんは、案外あんがい平気へいきかおをしていいました。
むかしは、『幸福こうふくしま』だったのだ。しかし、それがいま『わざわいしま』にわってしまったのだ。それをだれがっていよう。けっして、わたしつみじゃない。」
 けれど、みんなは老人ろうじんのいうことを承知しょうちしませんでした。そしてついに老人ろうじんを三にんってきた小船こぶねせて、おきほうながしてしまいました。みんなは、これで復讐ふくしゅうがとげられたとおもいました。もうこれからは、みんな物知ものしりなどというものがいなくて、このくに人々ひとびとまよわされる心配しんぱいのないのをよろこびました。しかし、そうしたよろこびもつかのまのことでありました。
 みんなは、また、まえのようにきているのぞみをうしなってしまいました。なんのために、自分じぶんらは、こうして味気あじけない生活せいかつをつづけなければならぬのか。
わざわいしまでもいいからいってみたい。」といって、まれにはふねしていくものもありました。
 未知みち世界せかいあこがれるこころは、「幸福こうふくしま」でも、また、「わざわいしま」でも、極度きょくどたっしたときはわりがなかったからです。とにかく、みんなは、たがいに欲深よくぶかであったり、嫉妬しっとしあったり、あらそったりする生活せいかつ愛想あいそうをつかしました。そして、これがほんとうの人生じんせいであるとは、どうしてもしんしんじられなかったのであります。

底本:「定本小川未明童話全集 3」講談社
   1977(昭和52)年1月10日第1刷
   1981(昭和56)年1月6日第7刷
※表題は底本では、「明(あか)るき世界(せかい)へ」となっています。
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校正:本読み小僧
2012年9月28日作成
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