実際あった犯罪事件というものはあなた方にとっては割に面白くないものですよ。私達法律家から見て、非常に面白いと見えるものは却ってあなた方の興味を惹かないようですし、またあなた方が特に興味をもっていられるような事件や話は、私達には余り面白くないように思われるのです。之はあなた方探偵小説作家の興味の中心と、われわれ法律家のそれとが大分隔たっているからではないでしょうか。例之たとえば、探偵小説には犯人が捕まるまでが多く描かれ、それが興味の中心となっておるようですが、法律家からいえば、犯人が捕まるまでも無論大切ですけれども、捕まってからの方が苦心をする所であり、又興味もある所なのです。それだからどうしてもあなた方がお書きになる小説とは、面白味の中心が違うわけなんですよ。

 かつて東京地方裁判所検事であり、今弁護士という職にある土田八郎氏はこう語りながら、スリーキャッスルの煙をふっと天井に向って吹くと、意味あり気に微笑して私を見た。彼がこんな事を言い出したのには理由がある。
 私はこれまでたびたび土田氏を訪問して、種々彼の取り扱った事件を聞いたのだが、実は一つも未だ小説の材料に使ったことがない。
 というのが、今も正しく彼自身でいっている通り、土田氏が頻りと面白がって語り出す実話は多くは法律問題としては面白いものではあろうが、法律に素人の私には余り面白くないものばかりだった。なるほど法律の専門家にとっては、極めて複雑な事件なのかも知れないけれども、探偵小説趣味から言うと一向に面白くない事件が多かったのである。
 たまに私が、探偵小説趣味を逆に此方こちらからすると、彼はひどく馬鹿らしそうに、
「そりゃ単純な殺人事件ですよ。問題はありませんよ」
 とか又は、
「そんな事は探偵小説には有るかも知れませんが、事実問題としては考えられませんね」
 とか、極めて簡単に片付けてしまうのが常であった。
 私の聞こうとしている趣味と、彼の趣味とが大分違っていることにこのごろ気が付いて来たと見え、今日しも亦執拗に何か材料を得ようと彼を訪ねた私に、まず初手からあっさりと来たわけなのであった。
 ところが、こんな事をいいながら彼は話をつづけた。

 今日は、多少あなたの参考になりそうな事件の話をお聞かせしましょう。尤もどの程度に面白いかは判りませんが、そこはあなたの腕次第で、勝手に例の空想でも想像でも加えたらよいでしょう。但しこの話のすべては、私が直接職務の上で関係しているのですから、当事者の名を明かにするわけには行きません。凡て仮名を用いますからその積りで聞いて頂きたいのです。
 事件は、先ず私が検事をしていた時から始まります。
 仮名ですからこう申しても、或いはすぐ思い浮べられないかも知れませんが、昭和×年の秋、須山健吉という有名な実業家の息子で、須山春一という、あの当時二十五歳の青年が、刑事事件の被告人として法廷に立った事があります。この話はあの事件から出発しますが、あの時、須山春一に対して公訴を提起したのは即ちかくいう私であります。
 事件そのものは極有りふれた珍しくないもので、それこそあなたの小説の種になりそうもありません。いや成ればむしろ、通俗小説でしょう。恋愛小説ですね。
 何分被告人の父親というのが、須山健吉といういわば上流社会の人ですから、事は極めて有名な事件になってしまいました。健吉氏の長女即ち被告人春一の姉は、某子爵の後嗣あとつぎの所に嫁いでいるし、健吉氏の夫人の弟は貴族院議員になっていますし、そうして健吉氏自身は大会社の重役です、そういう人の一人息子で、且つ××大学の学生である春一が、刑事被告人になったのですから、これは世間が騒がない方が不思議だと申してよいかも知れません。しかし事件それ自体、今申す通り甚だロマンティックですから、新聞記事には全くもってこいというわけでありました。
 事件は単純で、須山春一が、若い女に熱烈な恋をして、痴情の果、遂に之を殺したというだけの話です、尤も、「殺した」といっても、それは普通の言葉を用いたので、あれは後にも申す通りいわゆる殺人事件ではありません。私は傷害致死罪という名で起訴したのでした。
 余り有名な事件でしたから、或いはあなたは既に御察しになっていらっしゃるかも知れませんが順序ですから一応の推移をお話して見ましょう。
 一体、須山健吉という人は、全然一文無しの身の上から、腕一本で巨万の富を作って上流社会の人となったのですから、偉いには違いありませんが、どうも自分の息子の教育には失敗したようです。男女各一人ずつの子を儲け、女の方はまず無事に某子爵の家に嫁に行きました。男の子即ち春一は、中学を出るころまではまずまず無事だったのですが××大学に入学したころからいわゆるぐれ始めたらしいのです。これは余計な推測ですが、兎に角、ああいう家の一人息子だというので、無闇に甘やかし過ぎていたからではないでしょうか、××大学に入学したころから春一はカフェーの女と戯れることや、茶屋遊びを盛んにやるようになりました。健吉氏も大分これには弱ったらしいのですが、ともかく大学まで入った事ゆえ、卒業の後は早く妻でももたせて、親の力で適当な位置を見付けてやろうと思っていたそうです。
 ところが、来年はもう卒業するという前の年の秋に、春一はとうとう飛んでもない事件を惹き起してしまいました。
 勿論、道楽息子の例に洩れず、それまでにも春一はカフェーの女や、芸者等と、何のかのといわれて、随分馬鹿馬鹿しい金を使っていたようですが、今申した年の晩春ごろ、或る女にひどく熱中して、しまいには夫婦約束までしてしまったのです。
 女は当時銀座のカフェー・パローマという店に勤めていた、秋田小夜子という十九になる者で店では通常、よし子といっていたそうです。後に春一を調べた所によると、春一がはじめて小夜子に会ったのは五月の半ばころで、六月には二人はもう立派に恋人同士となっておりました。そうして二人で方々へ出かけたり泊ったりしていたようです。
 この恋の始めは春一からだったのですが、その内に女の方も夢中になって来、しまいには女の方が盛んに春一に誘いをかけては、二人で方々に出かけるという有様になったのです。
 法律家たる私はどうもこういう通俗小説になりそうな、恋愛物語がうまくお話出来なくて甚だ残念ですが、ともかく五月にはじめて会った二人はまもなく恋人になり、そうして遂に夫婦約束をするようになったのでした。
 春一の方でも確かにはじめは妻にする気だったのでしょう。妻になってくれという申込をやったのです。小夜子ははじめ春一から申込を受けた時、余り身分が違いすぎるという理由ではっきりと断ったそうですが、春一の熱情に動かされたばかりでなく、元より好いていたのですからついにこの申込を承諾しました、のみならず、それからというものは、全く、何らの支障もなく春一が学校を卒業すると同時に、その妻になれるものと信じていたらしいのです。
 尤も小夜子が死んでいるのですから、彼女の心理状態は私にはよく判りませんが、種々の状況からどうもそう信じていいと思われます。
 但し春一自身は私の前で、そんな事はない、小夜子だって真面目にそんな事を考えていたわけではない、とあく迄も主張しておりました。

 扠斯様かようなブルジョアの一人息子とカフェーの女給との恋が、円満に進んで結婚に迄行くという事は、まず一寸考えられない話です。果して春一と小夜子の上にも或る不幸が落ちかかって来ました。しかも普通以上の不幸が彼ら二人を襲ったわけです。
 二人は蜜のように甘い恋に酔いながら、七月、八月を過ごしやがて九月に入りました。この月に入ってから小夜子の身体に異常が見え始めたのです。小夜子はむしろ喜んだかも知れませんが、春一にとってはこれは非常な事件だったのでした。
 というのは、我が子の身持に対してひどく気を使っていた健吉氏夫妻は、少しも早く嫁を貰おうというので前から方々物色していたのですが、夏休中にとうとう或る法学博士の令嬢に白羽の矢を立てました。少くも健吉氏夫妻には非常に気に入った令嬢が現われて来たのです。
 私は、お恥かしい話ですが、女に真剣に恋をしたり、又されたりした経験が無いので、この場合、春一の位置にあるものが如何どうするものか、又如何いかにすべきものかよく考えたことはありません。しかしいろいろの事情を見ますと、春一は小夜子を少くも或る時代は、心から愛していたと思われますから、健吉氏夫妻の申出が、簡単に春一に受け入れられたとは、思われません。
 必ずやこの場合、親子の間には相当の永い間、争いがあったに違いありません。けれども結果から見ると、子は親に従がったのです。そうして十月ごろには、春一はもう立派に某博士の令嬢と許婚の間柄になってしまったのでした。
 問題は春一がほんとうに小夜子を思い切ったか如何どうかという事と、小夜子が黙って引き下るか如何かという事です。
 始めの問題に対しては不思議にも――或いは決して不思議でないかも知れませんが、極めて簡単に、「然り」と答えられるのです。いや、思い切ったどころか、彼は未来の妻たる令嬢に対して愛をすらももちはじめたのです。此の事は後に春一が私に対して明かにいっております。
 ところで、後の問題が容易ならぬ結末を招来したのでした。
 はじめ小夜子は春一にくどかれて(不愉快な言葉ですが、判り易いから用います)従ったらしいのです。ところが段々と女の方が恋を感じるようになり、殊に春一のたねを宿してからは彼女は全く春一のものでした。
 この小夜子の気持は後に法律問題として、犯罪の情状の問題として、非常に重大になった点ですから、あなたにも一応考えて頂きましょう。
 つまり、小夜子が真に春一を思っていたのか、或いは、カフェーの女給という職業意識で、単純にブルジョアの息子と戯れて居たのか、小夜子が死んでしまった以上、可なり真相を知るのが困難なわけです。参考のために申しておきますが、当時検事だった私は、前説を支持し法廷においても情状論としてこれを述べ、春一の弁護人は法廷において極力後説を主張してこれに反対したのでありました。尤も私だとて、必ずしも春一がはじめから小夜子を弄ぶ気であったとは主張しません。成程彼の供述の通り一時夢中になったのでしょう。けれども、小夜子の方が春一を引っかけたらしい所は全く見えなかったのです。反之これにはんし春一の弁護人は全く小夜子が凄腕の女で、妊娠したといっても誰の子だか分ったものではない、という意見を述べました。

 十月の始めまで小夜子は、恋敵こいがたきの出現を全く知らなかったようです。けれど勿論これは知らずにいるはずはありません。ふとしたことから春一の婚約の成立しそうなのを耳にしました。小夜子は黙って引き下ってはしまわなかったのです。そうしてその時小夜子のとった態度が――これは見方によって色々に考えられますが――余り穏かでなかったのです。
 ここで一寸小夜子のことを申しておきましょう。彼女の家はS県の農家で、元より豊かではありませんでした。春一と同じ年の兄があるのですが、小さい時から手におえぬ人物で早く家を飛び出して上京し、方々渡り歩いた末、やや身が堅まって自動車運転手の免許を得、或る自動車屋に雇われていたそうです。しかし国許に送金するというような稼ぎも出来ないので小夜子は十六と十二になる弟妹を残して、幾何いくらかの前借で、さきに申したカフェー・パローマに住み込んだので、パローマに来てから春一にはじめて会うまで六カ月位だったそうです。小夜子にとっては、パローマが始めての勤店で、他のカフェーには行ったことは無かったのでした。
 こんな次第で小夜子は一人で働かなければならなかったのですが、兄の清吉という男は妹がカフェーに勤めてからちょいちょい来て会っていたらしく、また小夜子の方でも何んといっても兄妹のことですから兄は兄として、気持の上では頼りにして居たのでした。ただ、清吉は運転手になってから身持がよくなく、酒は呑むし手なぐさみはするというので、小夜子の主人は無論余り清吉をよく思っていなかったようです。
 恋愛事件についてはともかくも、小夜子の性質は甚だ意志が強く、感情が烈しく可なり勝気の方だったようです。さて話を元にかえしますが、小夜子は春一に捨てられかけたと知るや否や、烈しい抗議を提出しました。無論春一に対してです。詳しい話は証拠が無いから判りませんが、残している手紙によると可なり烈しい態度を取っております。
 小夜子から春一に宛てられた手紙は、後に参考として裁判所に出されたものでしたが、いかにも、今すてられ行かんとする女の気持をよく現わして居ります。
 無論順序通り、先ずはじめには離れ行かんとする男の心をどうかして再びもとに戻そうと、必死の努力をしています。こうした情緒纏綿てんめんたる手紙が春一に数通送られています。二人で会った時も恐らくこういう態度をとっていたのでしょう。
 然るに二十日ほど経ってからの数通の手紙は内容が大分変って来ています。いよいよ駄目だと知った彼女は殆ど捨鉢の気持になっています。之には男に対する恨みが深刻に描かれています。私はこの時の小夜子の手紙、即ち春一の態度に対する多くの批難の書かれている手紙を、春一が全部完全に保存しておいたとは信じません。彼は自分に不利なものを必ず破り捨てているでしょう。だから私の見た手紙はその中の或るもの、しかも男の態度の悪い所が比較的はっきり表われていないものと考えますから実際はもっともっと烈しいものだったに違いありませぬ。
 然るに十一月半頃になってからの小夜子の手紙は又変化を示しています。之は自然の推移かも知れませんが、此のころに至って小夜子は余程の決心をしたらしく、春一に対して脅かしの手紙が送られています。つまり、もし春一がこのまま博士の娘と結婚するならば自分は直接に出向いて全部の話をしてしまう、そうして当然その結婚の話を破って見せる。というような事が主でありまして、どんな事があっても無事には結婚はさせない、というのです。或いは、腹の子の始末をどうしてくれるか、自分はこのまま死んでしまうが自分だけは死なない、必ず男を殺して死ぬとか、一生呪うてやるとかいう言葉が盛んに書かれてあります。
 彼女が最後に春一に出した手紙には、或る日時と場所を指定して、必ず会見してくれ、もしそれに従わなければ、どうするか分らない、というようなことが記してありました。
 真に死ぬほど心から男を思うている女が、その男に裏切られた場合、果してかくの如き態度に出るのが当然であるか、どうか、これは私よりもむしろあなた方にうかがいたい所です。先刻申した通り、この時の小夜子の心理状態は法廷において論ぜられたのでありますから、そういうことを考えるのは、法律家としても決して余計なことではありますまい。

 悲劇は、遂に彼女が会見を指定した日、即ち十一月二十二日の夜起りました。
 春一は、小夜子の手紙に驚いて、その日の夕方郊外の某所で会見しました。そうしてその辺を約三十分ほど歩いたそうです。それからくわしい話をするため、二人でタクシーに乗って東京から三里ほど隔たっているMという所に行き、そこのNホテルに入りました。
 彼等がNホテルに着するまでに如何なる事を語り合い、如何なる目的を以てホテルまでわざわざ行ったかということは、勿論二人以外に知っている者はない訳です。従ってその二人の中、小夜子が死んでしまった後は、ただ春一の供述を(そのまま信ずるか否かは別として)兎も角根拠にしなければならないわけです。
 二人がタクシーでNホテルに着いたのは午後七時前でした。彼らがもと楽しい時を過ごしていたころ、Nホテルにしばしば行ったことがあるのでホテルの雇人はよく彼らをおぼえていました。雇人にただしても、ホテル到着の時間は確かに七時前だったのです。
 そこで二人は直ちに一室を約束しました。ホテルでは七号室という階下の角の一室を提供したそうですが、その時春一も小夜子も出発の時間は少しもいわなかったので、ホテルの方では勿論その夜は其処で二人が泊るものと信じていたのでした。
 それから約一時間の間二人が、何を語ったか何をしたか外の者に判るはずがありませぬ。ただはじめにウイスキーと炭酸水を注文されたので係の者が、ウイスキーと炭酸水となおコップを二つ運んだきりでした。
 丁度八時過ぎに、第七号室の外に当る庭をそこの洗濯女が通りかかりました。ところが中から男女がひどく争っている声がするのです。どうもその争いが真剣らしく聞えたので(と、その洗濯女は説明しました)そっと窓下に寄ったのです。その室は鎧戸がしめてありましたが、室内の燈ですいて中が少し見えたのです。
 その時の有様についてその洗濯女はこういっております。
「鎧戸が閉めてはありましたが下してなかったので中の電気でわりによく室内が見えました。若い男女が三尺程隔てて向き合って立っています。双方ともひどく亢奮しているようでした。すると女の方が急に、
『もうこうなったら……殺しちまう!』
 というと側にあったウイスキーの罎をとって男に投げつけようとします。男はいきなり女に飛びかかってその罎をとろうとしているようでしたが、女が死力を出しているらしく男も必死の様子でした。私がはっと驚いていると不意に男が、
『貴様、殺すぞ!』
 と叫んでどちらの腕でしたか女の首に手をかけたようでしたが、全身の力をこめてつき仆したのです、私はもう恐しいのでその場をとんで廊下の方にゆき、誰か男の人を呼ぼうと立ち去りましたが、その時、室内で金物に何かが、がちゃんと烈しく打合ぶつかる音が聞えました。
 私は夢中で走って行ってボーイさんに話したのです」
 急を聞いたボーイが、七号室の所にとんで行き、戸を叩きましたが内側から鍵がかかっていて開きません。
 どうしようかと思って考えていると、中から鍵の音がして、戸が自然に開きました。髪は乱れネクタイが半ばちぎれたようなようすで春一が黙って立っていました。そうして一方を指しました。
 指された所には、ガスストーヴがもえて居てそのストーヴを枕のようにして、小夜子が仆れていたのでした。頭のまわりは血だらけです。
 春一は逃げたりまたは自殺しそうな様子もなく極めておだやかにその室におり、係官の来るのを待っておったのです。

 これから後は甚だ法律的であります。本筋通り直ちに予審判事と当時検事であった私がかけつけました。
 強制処分は予審判事の命令によって行われ、まもなく小夜子の死亡の原因についても調査その他が遂行されました。
 小夜子は中々の美人で耳かくしに髪を結っており、身体はやや大柄でした。咽喉の所にひどく抑えられた痕が残っておりましたが、致命傷は後頭部の打撲傷で、外出血よりも寧ろ脳震盪によって死の結果を惹起したものです。
 つまり春一に力任せに突き飛ばされて仰向きに仆れた途端に、壁に接していた大形のガスストーヴの鋼鉄に烈しく頭部をっ突けて、即死したものであることが判明しました。
 後に春一は私に対し、以下の如くに述べております。
「私とS法学博士の娘と結婚するという噂が知れますと、始めの中は小夜子は、頻りと私に手紙をよこしまして、そんなことは信じられない、又信じ度くもない、という様なことをいって来ました。所が暫らくたちましてから突然脅迫のような手紙をよこし出しました。又会いますと――会う場所は一定しておりませんでした――同じようなことを申します。つまり、もし私がこの儘小夜子と別れるならば、小夜子は黙って引き下らない、必ず仇討をする、その第一として私が彼女に送った多くの手紙を全部S博士方に持参して何もかもばらしてしまう、というような事を申すのでした。
 これに対して私は、いつもはっきりした返事を与えませんでした。勿論彼女のいうようなことをされては私は非常に困りますし、当時うっかりしたことを申したら、小夜子は実際何をするか判らなかったのです。
 一体小夜子という女は、所謂カフェーの女としてティピカルな女です。男なんか何とも思ってはいないんです。従って私に真実惚れていた筈はありません。第一もしほんとうに惚れているとしたら、こんな脅迫めいた文句の手紙なんか送って来られたものではないのです。私は今更あんな女に引っかかったことをひどく後悔しております。
 夫婦約束といったって勿論いいかげんなものです。こんなことは常識で考えたってよく判る話です。あんな女とほんとうに夫婦になれるわけはありません。成程御示しの通りの手紙をやったことはあります。しかしそれは、カフェーの客がカフェーの女と恋愛遊戯に耽る時にするものでお互に本気になってそんなことを考えていたわけではありません。
 腹の子だって勿論誰の子だか判ったものではないのです。芸者だのカフェーの女の腹の子をいちいち自分の子だと信じるのは余程馬鹿な男のすることでしょう。
 一言でいえばむこうがむこうだから、此方も此方だったという次第です。
 と、申しましても私のような家のものが、カフェーの女と関係して無事に別れられるとは思ってはおりませんでした。多少の金は出さなければなるまい、とは考えていたのです。然しこの度は相手の出方が如何にもひどいので、私もわざと自分から金の話には触れませんでした。
 之は少し穿うがち過ぎた推測で恐縮ですが、私の所にあんなに度々脅かしの手紙をよこしたのは小夜子一人の智恵ではないかも知れません。会ったことはありませんが、何でもひどく性質たちの悪い兄がどこかのガレージに勤めているという話ですから、多分その男の入智恵ではないかと思われるのです。其奴が後についていて、小夜子をツツいたのでしょう。私なんかはいい食い物ですからね。
 そこで段々脅かしの文句が烈しくなりますし、一方私の結婚問題も段々具体化してまいりましたので何とか女の始末をつけなければならなくなったのです。すると今度は小夜子から腹の子のために何とかしてくれなければ困る、というようなことを申して来ました。
 それは十一月の半ごろでした。
 私はいよいよ来たな、と思いました。勿論手切金の問題です。それと子供の養育費です。ただどの位小夜子が申し出して来るかということは一寸わかりませんでした。
 と同時に私としては一方大変安心はしたのです。金さえ出せば話はつく、父だってこの際相当の金は出してくれるでしょう。そうすればまずまずうまく話はつくだろうと思いました。
 小夜子からまたの手紙には一言も金のことについては触れておりません。さすがに小夜子も気がひけるのでしょう。然し時々会見を申し込んで来るので会いますと、その時は、はっきりと金のことをいうのです。或る時とうとうはっきり額をいい出しました。手切金として千円、子供の養育費として取りあえず二千円くれと申すのでした。
 私はこんな話は値切れば無論値切れると考えていましたが、ともかくそんなに急に今は出せぬと申しますと、彼女はその日ははっきりした返事はせず、そのまま別れました」
 どうです、カフェーの女に対する春一の気持は兎も角徹底したものではありませんか。ただひどくことを簡単に考えていますね。尤もこれまでの春一の供述が果してどの程度まで真実であるかどうかは別ですけれど。
 さて、犯罪当日のことについては次のようにのべています。
「小夜子から最後に来た手紙はごらんの通り、急用があるから某所に来てくれ、ということをいっているだけでこれは速達便であります。私はいよいよ談判を定めるために出かけました。そうした手切金の一部として五百円やるから、私から出した手紙をもって来てくれるように、よそからカフェー・パローマに電話をかけました。(彼女はその時店におりましたから)
 指定の場所に着いたのは午後六時ごろでした。彼女は何とか店にいって出て来たのでしょう。それから森の中を歩いたり、野の草をふみ歩きながらいろいろと語りましたが、彼女はあくまで金の問題を固執するのです。それで日は暮れるし寒くはなるので、よく行ったNホテルで話をしようじゃないかということに定まりました。勿論談判さえすめば直ぐに帰る気だったのです。
 われわれが着いたのは夜の七時ごろでした。かねて私らを知っているホテルでは、直ぐに空いていた七号室に案内してくれました。私はともかく今日こそ判然と、ことをきめようと思ったので勇気をつけるためウイスキーを注文しました。私は小夜子が酒を呑むことを知っていますので炭酸水をも注文したのでした。
 ウイスキーが来てから私はのまま三杯ぐっとやりました。小夜子も炭酸水にウイスキーを入れて呑みました。彼女は酒も煙草も平気でやる女です。これで大ていその性質がお判りでしょう。
 それから差し向いで約一時間位語り合いましたが、この時の小夜子の話は殆んど全部が金のことや、その他の物質的なことで持ち切っていました。
 つまり少しでも余計に取ろうというのです。彼女としては当然ですが、その時の態度はまるっきり淫売同然で、恋だの愛だのを少しでも捧げた男に対する様子はありませんでした。
 こうやって一時間ほどの間、小夜子は泣いたりおどかしたりいろんなまねをやりました。私はとにかくこっちからことを破っては損ですから、出来るだけ穏かにすますようすかしたり、説き付けたりしたのでした。
 私はあくまで千円以上の金は出せない、半分は今でもやるから俺のやった手紙を出せ、と申したのです。
 ところが兎に角五百円は貰っておくからといいますので、袋に入れたまま五百円を渡して、手紙を渡せと申しますと、今は無い、と答えます。それでは約束が違うじゃないか、というわけで烈しい争論になりました。すると彼女はしまいに目の色をかえて、お前のような青二才に馬鹿にされてたまるものか、何もかもどうでもなっちまえ。もうこうなったら殺しちまう! と叫びながら側にあったウイスキーの壜をとって打ってかかりました。私は驚いてその腕を押えたので烈しい喧嘩になったのです。
 いいえ、脅かしではありません。私はほんとうに小夜子が私を殺す気だったと信じます。その時もむろんそう信じました。それで私は驚いて、『貴様、殺す気か』と叫んだと思います。『貴様殺すぞ!』といったおぼえは絶対にありません。もし私がそういうのを聞いたという人があれば、それはその人の誤りです。
 取っ組合になりましてから、彼女は夢中で私に掴みかかりましたので、私は小夜子を引き離そうとしましたが、彼女が死力を出してしがみついて来るので、やむなく首を右手で下から捕えて引きはなしました。その時、小夜子がどんなに乱暴に私に食って掛ったかは御らんの通りの私の腕の傷痕でお判りでしょう。それで私は腹立ちまぎれに小夜子の首を掴んだまま力まかせに前へ突き離すと、その勢いで彼女はよろよろとよろめきながら仰向けに仆れたのです。あッという間に燃え盛っていたガスストーヴの所に頭を打っ付けて、ガチャンという音と一緒に気味の悪いさけびを一声うめいたまま動かなくなったのであります。
 はっきり申し上げておきますが、私は彼女を殺す気は少しもありませんでした。殺すといったおぼえもなければ、また殺す気もなかったのです。私はむしろ彼女を殺した所で私には何の利益もありません。否、絶対に他人に発見されぬように小夜子を殺し得れば格別、さもなければ小夜子に傷一つつけても、秘密がばれる場合です。私はそれ故、小夜子を殺そうなどと思ったことはありませぬ。もし殺す様だったら、何の必要があってホテルになど行きましょう。あの郊外の草原の中で絞殺したってすむわけなのです。全く私が自分を防ぐためと、腹立まぎれに乱暴をしたのが、この間違いを惹き起したのでした。それにその際ウイスキーを大分のんでいたのもいけなかったと考えます」

 須山春一が私に述べた所は、要するに右のようなもので、勿論警察、検事局、予審廷、公判廷と、言葉はおのおの違っておりますが法律的にいえば、全く主旨は同じでありました。

 法律的な言い表わし方をすれば、須山春一は、その犯罪の動機を明かに説明し、殺意を絶対に否認し、自己に暴行の認識あるを認めております。但し自己の暴行については多少正当防衛説を主張し他方犯行当時ウイスキーを多量に呑んでいたため、通常の心理状態になかりしことを主張しております。
 一方解剖の結果、小夜子の死は、春一の暴行に直接原因を有するものなることが明瞭になりました。
 取調に関する詳細な点を省いていえば、私は、春一に対し、事件を傷害致死罪の名によって起訴すべきものと認定し、直ちに事件を予審判事の手に移したのでした。無論被告人の供述だけを証拠にして簡単に起訴したわけではありません。種々の取調をしたのでしたが、必要がありませんから、今いったよりここには述べないことにしておきます。
 春一は予審中に保釈を許されましたが、公判が開かれたのは翌年の一月でありました。
 公判廷においても、被告人の陳情は従来と変りません。大した波瀾もなく公判は進み、やがて私の求刑すべき時がまいりました。
 私は、まず事件の経過を述べ、至ってその犯罪の明瞭なることを指摘しました。被告人に殺意はあったとは思われぬけれども(之は必ずしも被告人の陳述を全部そのまま信じたわけではありません)然し被告人の述べるが如く、正当防衛であるとは絶対に考えられない。のみならず被告人平生の酒量から見て、当時前後を忘れるような状態にあったとは信じられぬ、よって被告人は傷害致死罪の責任を負うべきものなることを主張しました。ついで情状論に入り、仮りに被告人の陳情を凡て真なりとするも、なお且つ被告人の行為は甚だ道徳に反するものである。相手が如何なる女であるにせよ、被告人の態度は一人の女人に対して余りに無責任である。しかも犯罪の日の夕方から約二時間、被害者と被告人との間に如何なる議論があったか知る由もない。成程、残された手紙によれば被害者は、被告人をしばしば脅迫してはいる。然し、それだからといって、事件の当日に被告人ののべるが如き調子で被害者が被告人に迫ったかということはいえない。更に、被告人は被害者が手切金を請求したと主張しているけれども、残された手紙には一つも左様なことが書いてない。成ほど、之は一見、有りそうなことである。然し有りそうなことだったからそうだったに違いないと誰がいえるか、被告人は請求に応じた証拠としてあの日ホテルに五百円の金を持参した事実を援用するけれども、取調の結果によれば被告人は平生三百円や五百円の金を懐中していたのであるから、この事実をもって直ちに被告人の主張を裏書するわけには行かない。
 それに被害者から被告人にあてた手紙の中には、右の如く被害者にとって甚だ不利なものもあるけれども、同時に他方被害者が純情の持ち主であったと認められていい手紙も可なりある。果してこれを被告人のいう如く、女の手くだだとのみ見てよいものであろうか。
 そもそも、真に青年を恋して、しかも被害者の場合におけるが如き立場に立った十九歳の若き女が、小夜子がとったような態度をとるものであるか如何どうか、換言すれば、小夜子が、被告人に脅迫状を送ったことによって、彼女が真に被告人を恋していたかいなかったかという判断をつけ得べきものなりや、否や。これらの問題を判定をするについては判事に、深甚の考慮を煩わしたいが、先に述べたるが如く、仮りに被害者が被告人の述ぶるが如き女であったとしても、なお且つ被告人の態度は許すべからざるものと思われる。即ち被告人の行為は正に刑法第二百五条の犯罪に該当すること明かであり、情状においても決して有利の点はないのであるから、実刑を科する必要ありと思料し、刑として被告人に対し懲役三年を求めたのでありました。
 之に対してA、B両名の弁護人より弁論がありましたが二人の弁論は殆ど同じ主旨でありました。
 彼等は先ず第一線に立って無罪論を主張しました。被告人の行為は明かに正当防衛であるというのであります。小夜子という女は被告人によこした脅迫状から見てもとても一筋縄ではいかぬ女である、しかも当夜は彼女が「殺しちまう」といった言葉を、被告人以外に聞いた者がある。(かの洗濯婆さんは証人として出廷したのです)しかしてウイスキーの罎を振り上げた所を見た、従って被告人が、もしそのままでいたならほんとうに殺されたに違いなかったであろうことをのべ、更に十九歳の女が決して腕力において青年を殺し得ざるものに非ざる事を論じ、更に液体を容れたガラス罎が立派に殺人の兇器たり得る実例を多数ひいて之を裏書しもって極力被告人無罪論を主張したのでした。
「仮りにもし有罪なりとするも」と冒頭して彼等は次いで第二線に退いて極力情状論において被告人を防禦しました。
 殊にA弁護人は、自己が検事と全く反対の意見を有するは甚だ遺憾であるとして実際、私と正反対の意見を述べました。
 彼は小夜子の人格をさんざんこき下した揚句、之を要するに被告人は小夜子の凄腕にひっかかったものである、カフェーの女などの書く手紙などというものは全く真をおくに足らず、純情の表われ所か、凄腕の殺し文句の云い表わしである。と一蹴し去り、更に、真に女が男に惚れていて捨てられた場合、自殺することは有り得るが決してかくの如く相手を脅かすものに非ずと論じ、次いで検事の疑問には直ちに解答を与え得と論じて曰く、かくの如き脅迫状を送る女は決して男を思っていたのでない。真に恋して居れば決してこんなまねは出来ぬ。と恋愛論を長々と述べ、なお金を請求したことについて検事は疑義を有せらるる如きも、前記の如きあばずれ女は勿論金の問題に来るはずである。何のために小夜子があんな脅し文句の手紙を書いたか、結局この解決に来る予備手段に違いないが、ここに気付かれぬのは賢明なる検事にも似合しからぬことだと皮肉を浴びせ、更に、当夜果して脅迫的のことをいったか如何かという点に関しては、この点について検事自身「被告者と被害者のみが知っていることである。脅迫状を出したから当夜もそういったにちがいないと誰がいえるか」と検事はいわれているが、脅迫状を出したに不拘かかわらず、会見した時脅迫的文句をいわぬということがどうしていえるかと反対し、結論として、もし小夜子に金の談判をする気がなかったなら、そもそも何がためにあの夜、被告人をさそい出す必要があったか、小夜子と雖も、脅迫状を数回出した後、あのホテルで昔の楽しい夢に耽る積りではなかったろう、と述べ、なお本件が起った以上、被告人は社会的に立派に制裁を受けている。これ以上実刑を求める必要はない、是非執行猶予の言渡を附せられたいと主張したのでした。
 一週間後に言渡がありました。
 裁判所は被告人の有罪なることを認め(この点は検事と同意見です)被告人を懲役二年に処し但し五年間刑の執行を猶予する(この点弁護人の主張を容れたものと見えます)旨言い渡しました。
 かくして一時世に騒がれた事件も終り、春一は実刑を科せられずに済んだわけなのであります。無論例の婚約は破談になってしまい、彼は暫らく謹慎してほとぼりをさますために近く外遊するというようなことがその当時ちらと新聞に出ていたようです。
 ところで私自身は、都合上、その年の六月検事の職を退いて今の職業に転じたのでした。
 何分検事時代にいろんな事件を取り扱っていたので、須山春一の事件などはとうに頭から去っていたのです。
 すると、計らずも彼の名を再び頭に浮べる日が来ました。ここに二つの新聞の切抜があります。之はその年の十月二十七日及び二十八日の某新聞紙の社会面の一部であります。

H山中の惨事
 ×月×日午前八時ごろK県H山中S村役場の小使某が所用あってH国道をN方面に向って徒歩で行く途中国道より十数丈の崖下に自動車らしきもの半ばS川に沈んでいるを発見し急いで駐在所にかけつけかく告げたので係官出張人夫等と崖下に下り漸く午後一時ごろ自動車をS川岸へ引き上げ取調べた所中に一人の青年紳士が頭部顔面を粉砕されその他外傷数ヶ所を負い死んでいるのを発見したが目下身許調査中である。運転台は殆ど粉砕し運転手らしき鳥打帽がハンドルの所にあるのみで運転手の死体は見当らず、河中に流れたものではないかと捜索している。同所は急カーヴをなした最も危険な箇所なので県では特に目標を出して注意してある所だが、H山麓の温泉場附近の自動車で最近行方不明になったものはないので、或いは東京方面より来た自動車が誤って墜落し、この惨事に出会ったものではないかということで、目下その方面を取調中である。(K電話)

惨死体須山健吉氏の息と判明
 既報H山上で自動車にて墜落惨死した紳士は須山健吉氏の長男春一(二十六)と判明した。春一はかつて刑事事件を引き起して有名になった男であるが本月二十五日東京市××区××町の自宅より附近の○○タクシーの営業用自動車(運転手高辻清=二十六歳)に乗じ山麓のM温泉までドライヴし夕方同温泉××楼で芸者数名をあげて遊興した。同夜十時ごろH山上の湖畔ホテルに赴くと称して去ったのであるが、同夕運転手高辻清も可なり酩酊していたということであるからして惨事現場崖上の国道で操縦を誤り十数丈の崖上よりS川に向って自動車諸共墜落したものと思われる。同夜湖畔より麓に下った自動車がたった一台あり現場より約半里下で一台の自動車が登って来るのに出会ったということであるから惨事の起ったのは多分二十五日の夜十一時ごろであったらしい。自動車は殆ど半分粉砕されており須山春一は落下と同時に即死したものと思われる。なお係官出張し春一の死体は解剖に附せられるはずであるが、同じ災難に会ったと信ぜらるる運転手高辻の死体は未だに発見されない。

 即ち新聞の記事によりますと、須山春一は運転手の過失により共に自動車に乗ったまま崖から落ち、運転手の死体は未だ発見されず、しかも椿事のあった日から一日おいて此のさわぎが漸く発見されたらしいのです。
 然るに次の日の新聞紙には此の事件に関する記事は掲載されませんでした。その次の日も、またその翌日も新聞紙は、この事件について全く沈黙を守っていました。御承知の通り、あのころは他に××事件が起っておりましたから、新聞紙はその事件でうずめられ、須山春一の変死事件などは世人からも直ぐ忘れられてしまったのです。
 私は、役所をやめてしまったので、変死事件の真相を知る手づるを失いましたが、実は何か詳しい報知を知りたい知りたいと思いながら焦慮していました。解剖の結果はどうか、当局者はどう見ているか、頻りに知りたかったのでしたが、役人でない私には取り調べる手段がなかったのです。
 では何故私がそんなに当局者の意見を知りたがったか、ただ単なる好奇心からか。いや、そうではないのです。
 実はあの月の末、私は奇妙な手紙を受け取ったのでした。御らんの通り封筒には差出人の名がありません。しかも大変遠くから来ています。ここで読んで見ましょう。あなた方にとっても面白いだろうと思われますから。
 そうしてこれを読めば私が何故に、あのH山中の変死事件について知りたがっていたかということが判りますから。
 土田氏はかく語っておもむろに一通の封筒を開いて読みはじめた。

 土田八郎様
 突然手紙を差し上げる失礼を御許し下さい。
 あなたは、今私が真に信頼して私の心を打ち開ける事の出来る唯一の方です。そうして、もし私の信ずる所にして誤り無くば、あなたは私の今の気持を多少なりとも理解して下さるでしょう。心からお願いします。どうか終りまで読んで下さい。私は――私が何者であるかという事は後に明かに致します――此の手紙の中で、或る犯罪事実を述べたいのです。然しその前に特にあなたに申し上げたい事があります。
 私は法律家ではありません。否、法律書の一ページをもひもといた事はありません。少くもこれから述べようとする或る事件が起るまでは。
 あなたは無論法律家です。かつて検事であり、今は弁護士です。いずれにせよ、法律家たるに変りはありません。常に法律というものを中心にしてそれを繞って生活していられるわけです。
 あなたはその法律が正義のために存在するものであるといわれるでしょう。然し果して法律は正義の味方でしょうか。法律は正しい者の味方をして、常に不正を懲しているでしょうか。或いはまた正しかった者を不正の者のためにはずかしめることはないでしょうか。いや、それが常ではないのでしょうか。
 前の場合は、まだしもいいのです。この場合正しき者は法の不公平を叫び得ます。自分の正しきことを主張し得ます。仮令たとい、終局には敗るるとも、なお且つ相手の不正を指摘することが出来るはずです。
 後の場合は、如何でしょうか。正しかった者、言い換えれば生きている間正しかった者、即ち最早死んでいて口の無い者は、如何どうしたらよろしいのでしょう。彼(もしくは彼女)を苦しめさいなんだ不正者には、法律の許す範囲において自己を防禦する術があります。然し死人に口はありません。死者は何と罵られても、はずかしめられても一言の弁解する術さえ持ち合せておりません。死者は鞭うたれても当然黙していなければならないのです。しかもその侮辱が、そのはずかしめが、その罵言が、合法的である場合に、死屍は墳墓を打ち破って躍り上りたいほどに憤怒しようとも一言も自己を弁護することは出来ないのです。これは判り切った話です。けれど、判り切ったこの話は果して正しいでしょうか。この状態はこれでいいのでしょうか。
 死屍はいくら罵られても仕方がないのでしょうか。
「死んだ者はもはや救う法はない、たとい彼(もしくは彼女)を殺した者であってもやはり人間だ、せめてその犯人の生命でも救ってやりたい」
 と、こうもしあなたがお考えになっているのならば、私はあなたを軽蔑し、法律を心から呪います。
 これはあなたが今弁護士であるから特に申したいのですが、もしここに或る男が或る女を殺してその男があなたに弁護を依頼した場合、あなたはその罪人を救うために勿論法律の許す限りにおいて、あらゆる手段をとられるでしょう。その際「法律の許す限り」において被害者たる女を、悪魔の如く罵りますか。貞淑なる少女を妖婦の如く、清浄な女を悪魔の如く、純真無垢なる花の如き可憐な少女おとめをあなたは淫婦の如く罵らなければならないのですか。
 しかもその可憐な不幸な少女は、既に墓穴に入って一言も自己の立場を弁解することが出来ず、ただただ死屍に鞭うつあらゆる冷罵侮辱を身に受けなければならないのですよ。
 あなたは敢てそれをなさいますか。
 もし「然り」と答えられるならば、私はただあなたを軽蔑するだけです。あなたに与えられた唯一の弁解はその際「弁護人なるが故に」という一語だけです。
 けれども、国家の重要な機関たる司法官までが、この侮辱罵詈を認め、又は容れた如くに信ぜられる場合、私は法の尊厳いずれにありやといわずにはいられないのです。
 仮令、如何なる理由があるとも、仮令、人一人の生命を救うがためであろうとも(しかもその人間は不正な人間であります)純潔なる少女を妖魔の如くに罵り、貞淑なる女を魔女の如くに侮辱し、しかも判決を以て天下にこれを公表するに至っては、どこに法律の善き所、正しき所が見い出されるのです? どこで法律は正義を代表しようとするのですか?
 罪ある者を誤って不当に重く罰する事は、天国に在るべき可憐な少女の魂を、地獄に陥すより遙に罪軽かるべきです。
 いわんや罪重かるべき罪人を不当に軽く処罰せんがために、清浄純潔なる少女の魂を地獄に有りと偽るに至っては、その罪正に殺人以上といわねばなりません。
 あなたはかかる事は有り得ぬといわれるでしょう。私ははっきり申します。かくの如き不幸な事件を私はよく知っております。私はこの目で見、この耳でききました。

 最早、私が何者であるかはお判りのことと思います。私はかつてあなたが検事在職当時取り扱われた被告人須山春一のために、薄命な若い一生を終った秋田小夜子の実の兄、秋田清吉というものです。
 私は自分の恥多き今までの経歴のため、親に見離されてはいますけれども、ただ妹に対する愛だけはもっているのです。不幸にして――そうです、全く不幸にして――この肉身の愛を捨て得ないために、ここに或る事件を御報告致さねばならなくなりました。
 一言で申します。妹は気の毒な女でした、私が、身持がおさまらぬので不幸な彼女は、身を売って親を救け弟妹を養わなければならなかったのです。もし私が今少ししっかりしていたなら、小夜子はカフェーに入らず従ってあんな不幸な最期を遂げなかったでしょう。それ故、私自身も彼女の死については責任を感じるのです。こう考えると、私が、妹の死屍を守るのは兄たる義務だと感ぜざるを得ませぬ。
 私はこのきよき、妹に対する兄の真実の愛という名において、国家の審判に烈しき抗議を申し込む者です。
 小夜子は純潔な少女おとめでした。彼女は今も申した通り、親や同胞のために身を売ったのです。彼女はこうしなければ生きて行かれなかったのです。彼女はカフェー・パローマの女給となりました。何が故に、この犠牲は世の中から侮辱されなければならないのですか。誰が好んでこんな犠牲になるものですか。ならざるを得なかったのです。
 彼女の犠牲の選び方が愚かであったといわれますか。それならば申します、人は食わんが為には、餓死せんとする時は、賢愚を考えておられないのです。
 彼女はかくして女給になりました。彼女に男を飜弄する腕ありと信ずるは、太陽西より出づる事を信ずるが如きものです。彼女があのブルジョアの道楽息子に会ったのは勤めてから僅か六ヶ月目です。私は小夜子が、その短い間に凄い妖婦になったとは信じませぬ、誰よりも一番よく彼女の性格を知っているのは兄の私です。彼女は断じて清浄な女でした。
 この清浄な、無垢な女を汚したのは誰ですか。
 金さえ出せばどんな女の貞操でも得られると確信する成金の道楽息子です。彼はそもそも何者です。親の脛を噛っていながら学業をよそに、狭斜きょうしゃちまたを放歌してゆく蕩児です。
 彼女が彼をひっかけたか、彼が彼女をひっかけたか、解決は実に簡単ではありませんか。
 世間の経験の浅い十九の女が、彼の妻になり得ると信じたのがそんなに不自然でしょうか。彼女が彼のような獣に恋したことは、彼女の不幸ではありますが、彼女の罪悪ではありませぬ。もし彼女に過ちがありとせば、それは兄たる私の忠告を容れなかった一点でしょう。
 私は、自分が余りに信用が無いために、小夜子に度々会う機会を恵まれませんでしたが、然し彼女が春一と仲がよくなったと知った時、極力気もちを飜がえさせようとしました。けれども之は不成功に終りました。之は不成功に終るのが当然かも知れませぬ。若き女は他人である異性に恋した以上、肉身たる兄の忠告を容れるものではないのですから。
 こうやって私は遠くから心配しながら小夜子のことを考えていたのでした。
 春一に捨てられると知った時、彼女が如何なる手紙を彼に出したか、私の与り知る所ではありませぬ。けれども彼女が春一を脅やかしたからというて、どうして彼女が春一に純情を捧げなかったといい得ますか。更に腹の子について語ったとしても、どうしてそれが不自然でしょう。
 どうしてそれが金をゆすることになるのでしょう。
 彼女は、明るい幸福な彼女、又は幸福な人妻となっている彼女を恐らくは想像しているのであろう所の、故郷の貧しい親のことを思ったに違いありませぬ。そうして、腹に子さえ儲けられてしかもその男に捨てられ、今やたった一人でそれを育てて行かねばならぬ自分を省みた時、その悲惨極まる自身の淋しい姿を鏡に写した時、どんな苦しみを味わったことでしょうか。(おお妹よ、何故お前は一言でもそのことを兄にいってはくれなかったか。この兄はそんなにまでお前に頼りにならぬと思われたのか?)
 こういう立場に立った小夜子が、春一を脅やかすことが不当でしょうか。不自然でしょうか。あなたはこの場合彼女がどうすればいいといわれるのです? 彼女に自殺せよとすすめるのですか。彼女に黙って引き下れというのですか。
 汚された貞操を如何します? 腹に宿った児をどうするのです?(誰が何といったってあれは春一の児です)
 彼女がとった態度は、女として最も勇ましく且つ正しい態度ではないでしょうか。小夜子が手紙でいっている言葉は脅かしではありませぬ。法律家はどう解釈するか知りませぬが、私は正しい言葉だと信じます。それは蹂み躙られた貞操が不正者にたいしていい得る当然の権利です。否、母として己が腹に宿れる児に対する聖なる義務に相違ありませぬ。
 小夜子が千円の手切れ金を云々したという事実を私は信ずることは出来ませぬ。然し仮りにいったとしてもどうしてそれが不当でしょう。しかし、可憐な小夜子は決して金のことをいったのではありませぬ。彼女は最後まで男の心を何とかして戻そうと勤めたのです。事を決裂させまいとあらゆる空しき努力をしていたに違いないのです。
 その一つの証拠として彼女が最後に送った速達便をあげましょう。
 彼女は何故電話を利用しなかったでしょうか。今の世の中に、相手の家に電話がある限り、急用を速達便に託す必要がどこにあるでしょう。恐らく、仮りに電話をかけても春一が電話に出ないようになっていたにちがいありませんが、小夜子がもしほんとうに男に復讐する気があれば電話を利用して、須山家の誰とでも話が出来たはずではありませんか。彼女がこの挙に出なかったことは立派に彼女が女らしさを保っていた証拠であります。
 あの不幸が起った当日、彼ら二人が郊外で何を語ったかということは勿論彼ら以外に知るものはありません。然し金の請求は勿論うそです。春一が持参した五百円は、あなたが法廷で指摘された通り正に男のトリックに過ぎません。
 あなたは被告に、殺意はなかったといわれましたけれど、何が故に彼に殺意がなかったといわれるのです。あなたは法律家であるから、そう窮屈に考えなければならないのかも知れませぬが、私は自由に考えることが出来ます。
 被告人に殺人の動機が認められぬといわれるのでしょう。成ほど被告がいった通り、ことを大きくすることは損でしたろう。しかし殺人をして殺人罪にならず、しかもそれに代えて何ものかを得るということは考えられぬことではありません。世に表われぬ動機がなかったと誰が確言できますか。
 婚約者との破談、社会的の名誉(尤もあんな獣には名誉も何もないはずですが)、これらを犠牲にしても何者かを得る、または小夜子から逃れる、ということが彼にとってより一層重大だったと思われぬこともないではありませんか。
 私とても確証がないからあれを殺人事件とは確言はしませぬ。然しそう思い得る点は十分あります。
 春一はホテルのようすをかねて知っていたのです。ホテルの室に入ってからストーヴを見たとします。わざと小夜子を怒らせることは出来たはずです。彼女に手を出させた後、かねて狙いをつけているストーヴに彼女をたたきつけたとします。これは首を絞めて殺すのとただ手段が違うにすぎません。立派な人殺しです。
 何が故に春一は小夜子をホテルにつれ込む必要があったか。それは傷害致死という罪にするためです。彼のいった如く、もし彼が小夜子を殺す気であったなら、郊外の草原ででも殺し得るでしょうか。(彼のいいそうなトリックです)私はそうは思いません。もし草原の中から小夜子の死体が発見されたならば、必ず彼は殺人罪によって処断されます。彼は何人か近くにいて、女が彼をののしるのを聞かせたかったのです。出来得べくんば女が怒るところを見せたかったのです。しかして彼はその技巧にまんまと成功しました。
 須山春一は処女をさんざん弄んで然る後これを殺し、なお且つ執行猶予になる技巧をもっていたのです。あわよくば無罪になろう、とするらしいのです。
 あなたは「それなら何故あの当時お前が出て来てくれなかったか。何故それだけの意見を述べなかったか」と申されるでしょう。
 私はその愚かさをわらわねばなりません。
 世に法律ほど危険なものはありません、一旦用いそこなったが最後いつ如何なる方法で逆手に出て来るか判らないのです。
 私は無頼の徒です。折紙つきの無頼漢です。賭博の前科もあります。この私が証人となってかりにあなた方の前に現われたとして、果してどの位の効果があるでしょう。そうして私は被害者の肉身の兄です。彼女の利益をいうことは当然だとされるでしょう。しかも私は、自ら証人として立った所で一つも具体的事実についてのべることは出来ないのですから、あの弁護士らの巧みな手段にひっかかってどんな目にあわされないとも限らないです。
 私は既にあの当時から法律を信じませんでした。それで甚だ不本意ながら、暫らく行方をくらましていたわけなのです。

 私をしてほんとうに或る計画を実行することに決心せしめたのは、あの公判廷の空気でした。私はあの時ひそかに傍聴人の間にまじっていたのです。
 私は今更、ここに又あの不愉快極まりなき法廷の有様をのべることを避けましょう。
 然し私はそこで何を見、何を聞かねばならなかったか。
 私はかつて或る小説家が、刑事事件の被害者の肉身の立場から、犯人が易々として死についたことをきいて憤慨し、抗議書を出すという小説を読んだことがあります。
 けれど私の場合はもっともっとひどいのですよ。
 私は犯人が罪を免るるを見ました。(執行猶予なら無罪も同然です)
 そうして私は、さんざん飜弄された揚句、惨殺された少女を、あくまでも罵詈ばりし、攻撃するのを聞かなければなりませんでした。
 あなたは自分の妹が殺された上、更に法廷において、その妹がさんざんに辱しめられ――恐らくは墓石も悲憤の涙で慄えるであろうような讒謗ざんぼう捏造ねつぞうとを浴びせられているのを、目の前に聞いていなければならぬ肉身の気もちを一度でも想像したことがありますか。しかもその侮辱の目的は悪人を許さんがためなのです。しかしてそれが被告人を弁護する職業にある弁護士の口から出たものであるとはいえ、国家の判決がそれを容れているのです。その判決に、何故に被告人を執行猶予にすると書いてありましたか。甚だ婉曲にですが、この辺の消息を立派に洩してあったではありませんか。
 判決は正しくないのです。判決は正義と相容れませぬ。妹はおそらく墓場で悲憤の涙にむせんでいるでしょう。私はあなたがあの法廷において堂々と述べられた通りあの意気を以て直ちに控訴せられると思いました。しかしあなたは、あの時の勢いにも似ず、判決を確定させました。無理もありません、あなたは小夜子の兄ではありませんから。

 凡そ国家が私闘を禁ずるゆえんは国家が被害者に代って正しい――然り、正しくなければなりません――裁きをするという前提をもっているからでしょう。
 もし国家が故意又は過失によってその役目を果さぬ時清き者を汚れたりとなし汚れたるものを罰しない場合、なお且つ清かりし者は黙って忍んでいなければならぬものでしょうか。
 私はそうは思いませぬ。清きままに殺された者は不正者を罰していいと思います。否、それは清浄なりし者の権利です。正しくそれは死者の権利であります。
 私は復讐してやろうと決心しました。妹に代って春一をやっつけてやろうと決心しました。どんな事があっても必ず妹の仇をとってやろうときめました。しかもある特殊な方法で! 「春一は法律を利用して逃れた。よし私も法律を利用して責任を免れてやろう」と、それは一つには春一に対して、一つには法律そのものに対する立派な復讐になるからであります。
 即ち私は春一を殺し、然も決して殺人事件として処断されぬという方法を考えなければなりません。
 この時から私は貪るように法律書を読みました。特に刑法を読みました。そうして遂にある思い付に到達したのです。
 私は先ず春一に近付かねばなりませぬ。これがためには私は顔を知られていないという利益があります。如何にして近付くか。
 私は自分の職業を利用しようと思いました。
 先ず第一に偽名してどこかの自動車屋に雇われなければなりません。それには運転手の免許証を偽造又は変造しなければなりません。これは明かに犯罪でしょうが、殺人の大罪の前には問題ではありません。しかしてこの企てには見事に成功し、私は高辻清という甲種自動車運転手の免許証を立派に持つことが出来たのです。
 ところで第一に考えたのは須山家自家用の自動車の運転手になることでしたが、これは余りに無謀です。そこで私は、須山の主人が自家用車で外出中、その家族が外出する時、どこの自動車を利用するかということを調べ、その結果自宅附近の××タクシーという高級車ばかりおく自動車屋が出入するということを極めました。
 私は隠忍しました。偽名は時が長く経過する程ばれ易いわけです。うっかり××タクシーに雇われても、春一に近づく機会が来ない中にこっちの身分がばれてしまっては折角の計画も水の泡です。私は暫らく様子をうかがっていたのでした。
 さすがに春一も世間態をはばかったか、その春は余り外出しませんでした。その中初夏になりましたが、そのころやっと出はじめるようになりました。いくらか良心がとがめていたか出はじめるころは妙に陰気な男になっていましたが、然しもう行く先は花柳の巷です。
 時はよしと、丁度運転手が一人出たのを幸い私は××タクシーに住み込んで須山の家の用を勤めることになりました。
 勿論、春一一人ではありません。健吉の妻も乗りました。然し大抵は春一が乗るのです。私は須山家から電話がかかると、他の運転手の番であっても成るべく都合して、自分が行くことにしてしまいました。
 こうやってこの夏の夕暮に、私は、殺人遊蕩児を乗せて、昼は、赤坂に、夜は柳橋に、向島に新橋にと、ビュイックやナッシュを走らせていたのです。

 機会は容易に来ませんでした。
 あの大東京の真中で、私が自分の職業を利用して、殺人罪を犯し、しかして、逃れるか又は捕えられても殺人罪に問われぬような方法を実行するのは容易なことではありません。私は隠忍に隠忍して、自分の操縦する車に、彼、春一を乗せて都会の中を廻ったのでした。
 夏の最中に、春一は山か海に出かけることと信じていましたが、世間をはばかった故か、一家の者がI温泉に出かけたにも不拘かかわらず、彼はどこへも出かけませんでした。つまり彼は公然と社会の人々に会う所を避けていたものと見えます。反之これにはんし夜遊びは平気でやっていたのでした。
 そうこうする中に、春一が外遊するという噂がきこえて来ました。もし彼が日本を離れたら万事休矣きゅうすです。私はどんなことがあっても彼が日本にいるうちにやっつけてしまわねばなりません。私は気が気ではありませんでした。
 夏も過ぎて秋の風が吹き始めました。外遊の噂はますますほんとうらしく聞えて来ます。十一月末の船に乗るとか乗らぬとかいうはっきりした事さえ耳にしました。尤も如何どういうわけか春一本人は余り外遊には気が進まぬということでした。そういえば何やら屈托があるらしく初秋のころになってから彼の顔色には余り生気がなくなって来たように思われました。
 すると九月の末ごろ、突然須山家から自動車の注文がありました。私は生憎その日、ほかの客を乗せて他処に行っていたのですが、帰って見ると未だ乗せて行った車が戻って来ていません。
 ようやく夜に入って帰った運転手に聞いてみますと、春一はその日K県のKまで遠乗りをなし、向うでは料理やに上ってひどく酔っ払い、帰りに運転手が彼を車に入れるのに、相当に骨が折れたそうです。
 私はしまった、と思いました。絶好の機会を失ったわけです。然しまだまだ機会はありそうな気がしていたのでした。

 十月二十四日の夜、突然電話が烈しく鳴り出しました。いそいで受話器をとりますと、須山からの電話です。しかも春一本人が出ていて、翌日ドライヴするから一台朝早くよこしてくれとの注文であります。私は胸をとどろかしながら、序に行先を聞いて見ますとH山麓のM温泉だとの事、私は即座に「ありがとうございます」といって電話を切りました。
 実際、あの時位有難かったことはありません。機会は来ました。しかもH山のM温泉といえばあの道は私はよく知っているのです。ただM温泉までの道は余り犯罪には向きませんが、行ったら行ったで何とかして彼を上の湖畔までさそい出せるでしょう。
 私はその夜、殆ど一睡もせずにあかしてしまいました。
 あくれば二十五日の朝です。私はかねての計画を実行する準備をしました。準備といっても着て行く外に一着の服をもって行くこととそれから帽子を余計に一つもって行くだけのことです。あとは現金ですがこれは全部懐中しました。そうして午前九時ごろに箱型のナッシュを引き出しました。
 須山家の玄関で、来たことをしらせますと、暫らく待たされた後ようやく春一が出て来ました。これは一寸珍しいことで、せっかちの春一はこれまで決して車を待たしたことはありませんでした。それで私は外に待っている間、ことによるとM行きは中止になったんじゃないかとすら危ぶんだのでした。
 此方が非常な計画を胸にいだいていたせいか、その日の春一の顔は何だかひどくいかめしく見えました。もし少し誇張したいい表わし方をすれば、決死の表情ともいえるでしょう。ともかくいつもの春一とは違って見えたのです。然し勿論これは私の気もちが通常でなかったからそう見えたに違いありません。彼は私が何者であるかも知らず、況や私の計画を知っているはずもなかったのですから。
 彼を乗せて私は大東京を離れました。
 再び自分がある不愉快な思い出をもつ帝都に戻る時なきことを希望しつつ、しかして再び春一が帝都を見ることなきを期しながら!
 午後三時ごろ車は無事に目的地に着しました。どのみち犯罪には――殊に私の行わんとする恐るべき犯罪には夜の来るのを待たねばなりません。私は春一の命ずるが儘に、××屋という家の前に車を止めました。
 すると、六時すぎて不意に春一が宿の玄関に姿を現わしました。私はやや期待を裏切られた態でしたが、彼は帰るのではなく、更に五丁ばかり上にある××楼という旅館兼料理屋へと車をつけさせたのでした。
 秋の日は暮れ易いものです。私はそこの家で夕めしを食べながら空を見ていました。温泉町の夕ぐれはあなたも知っておいでのように妙に人を感じさせるものです。しかし自分は今非常なことを決行しなければならぬと思い、一切の感傷的気分をすてて、用意にとりかかりました、この際の用意とは先ず酒を呑むことです。あなたはかつて春一がウイスキーを呑んでそれを理由に自分の罪を免れんとしたことをおぼえているでしょう。私の手もやや似ています。そうして私が二合や三合の酒を呑んでもびくともしないことは、丁度春一の場合と実は同様なのです。
 私はなるべく多勢の人々に見られるように酒をのみました。楼上で春一が芸妓を集めてめちゃめちゃな騒ぎをやっているのを聞きながら、
「運転手さん、そんなにお酒をのんで大丈夫なんですか、道は大丈夫ですか」
 と誰かがいったのをはっきり聞きました。これで私が酒をのんだことは大丈夫人の印象に残ったと見ていいでしょう。
 十時過ぎ、春一がひょろひょろになって玄関に出て来ました。私は直ちに山を下ろうとしますと彼は、
「帰るんじゃない。登るんだ、レークサイドへとばすんだ」
 というのです。凡ては地下の妹が導いてくれているんです。命に応じて私は、車の方向を逆転しました。
 あなたは、あそこの地理を御承知ですか。湖畔までは急坂ばかりでそれが右左に曲っています。そうして傍をS河の激流が岩を噛んで流れています。
 道は大抵三間位あります。そして一歩登るに従ってS河の岸は、崖下にだんだん下って行くのであります。
 昼間こそ湖畔の下の温泉との間に往復する自動車や、行人が多く通りますが、夏でもない今時分余程の物好きでなければ夜十時前後に車をとばせる者はありませぬ。
 発車してから二十分ほど経って一台のトラックが上から来るのに出会ったきり、あとは誰にも会いませんでした。
 月の暗い、星の見えない夜です。あたりは一面の山々で、道の一方は数丈の断崖、一方には人の丈ほどもあるすすきが一杯に茂っています。そうして今、私と春一との外一人もこの光景の中にはいないのです。人殺しをするのに、何という都合のよい場所、時間でしょう。
 私は登りに登りました。目的地は一番高い崖です。そこは殆んど道が鋭角をなして、屈曲しております。昼そこの地点に立つと湖が一面に見下せるのです。私はかねてこの地点を狙っていたのでした。
 その場所から約三丁ほど手前に来た時、一寸車の中をのぞいて見ますと、春一はクッションに倒れて眠っております。この状態は実は予算に入れてなかったものでした。これを見て私は意外に凡てがうまく行っていることに気づきました。私は車を一時とめてすばやく服を着かえ帽子をかえました。そうして今までつけていた服や帽子を運転台におきました。無論御察しの通り、私はあたりに人無きを見定めてから車を走らせて、自分だけ素早く飛び下りようというのです。
 ただ私がとびおりたのに気づいて、春一もとび下りては何にもなりませんから、それで車の中を見たのでした。
 私は着物を着かえていざ車を動かそうとして、醜く酔い仆れている春一の顔を見ました。このまま殺して復讐になるでしょうか。彼の知らぬ間に殺していいでしょうか。妹はそれで満足するでしょうか。
 私は極度の憎念に嘔気を催しそうになりました。爆音を立てながらいざ走ろうという時、いきなり自分の座席から手をのばして彼を突きました。殴りました。そして、
「起きろ!」
 と叫んだのです。彼はそれでもいくらか判ったと見え、
「苦しい、水を、水を」
 とうなりました。酔っ払いに水は定石でしょうがそれにしても命をとられる今、余りのんきな奴です。私はいきなり車を走らせると同時に、
「呑みたけりゃいくらでも今のませてやる。オイ、須山! 俺は小夜子の兄きだぞ、判ったか!」
 と叫びながら、ひらりと車の側にとび下りました。彼はその途端、いきなり私に掴みかかろうと立ち上りましたが、車内にがくりと仆れてしまいました。実に一瞬間の印象です。
 車はスピードを出して走って行きました。
 妙に不気味な数秒間でした。
 あたり一面はくらいのに、ヘッドライトに照された景色だけは昼のようです。そうしてその光景を展開させながら真黒な怪物が爆音を立てて驀進ばくしんして行くのです。
 私は反動で一旦土に投げ出されましたが地に伏したまま目を離たず車の走って行く方向をみつめました。
 もし、春一が車が崖から落ちるまでに飛び出しはしないか、扉をあけて出て来たらどうしよう。そうしたらとんで行って崖からつき落とすより外はありませぬ。
 自動車は猛獣のような声を立てて進んで行きます。真に息詰るような数秒間でした。
 真昼のような光景が、ぐんぐんと前に進んで行きます。それが恰度三角形になっています。だんだんその三角形が小さくなります。と見るうち、照し出された土の道は、急に先が短くなりました。あっと思う間に車は崖の尖端に行ったと見え、今まで明るかった周囲は突然暗くなり向うの空に向って異様の光が照らし出されました。
 然しそれも一瞬間でした。私はその瞬間にガラスのれる音をきいたように思います。同時に春一の悲鳴を聞いたように思います。
 次の刹那に車は前にのめり、ゴーッという音を立てて、後車輪をあげたと思う間もなく突如世界は闇にかえりました。
 私は我に返ってとびおきました。断崖から下を見ればただどうどうという激流の音が聞えるばかりです。私はそこに膝まずきました。そうして闇の中で妹の名をくりかえしよんだのでした。

 私は湖畔に出て、夜の中に向う側のT線のK駅にたどりつきました。そうして誰にも怪しまれずとうとうT線に乗じ今は日本の端の港に来ています。
 この手紙をあなたに向って出すと同時に、私は直ちに船に乗って日本を離れます。
 とりあえずS港に向けて出発し、それからは足の向く儘に諸国をまわるつもりでおります。
 私は長々と叙述をして来ましたが、最後に一つあなたに、弁護士たるあなたに対して、特にお願いがあるのです。
 私は恐らくは捕縛されないでしょう。しかしもし私が捕まったら是非共、あなたの御尽力を煩わしたいのです。
 私は殺人罪を犯しました。しかしどこに殺人という証拠がありますか?
 成程、私が小夜子の兄だという事が判れば其処に動機は見い出せるでしょう。
 けれど動機だけをもって証拠に出来ない事は、無論法律家たるあなたの知っておられるところでしょう。もし私が捕まったらこう答えるつもりです。
「私はまことに申訳ない事ですがつい好きだものですから、××楼で大分酒を呑みました。それが悪かったのです。自分では大丈夫と思ってもやはり酔が出て来たものと見え、途中で大分調子が狂ってしまいました。今から考えるとどうも車に故障があったらしいのですが、酔っていたためか気がつきませんでした。あの地点へ来た時はじめてハンドルの工合が非常に悪いのに気がついたのです。あっという間に目の前に崖が来ました。自分は殆ど本能的に外にとび出してしまいました。扉をどうしてあけたか全く夢中で覚えませぬ。私は直ぐに自首しようと思ったのですが、あまり自分の罪が大きかったので自首出来ず逃れたのです」
 業務上過失致死罪です、一番重くて三年の禁錮ですみます。かの殺人罪に比すればはるかな違いではありませんか。
 ただ私は今に至って余計な小細工をしたのではないかという事を恐れます。あの後どうなったか判りませんが、もしつかまった場合を予想するならば少くも衣服をすてるのではありませんでした。之は無論運転手も共に落ちたと思わせるための手段だったのですが、果して成功しているでしょうか。捕った場合にはいい訳のしようがないのです。私は係官が私の死体を探していることを望みます。
 あなたにお願いするのはその点です。もし捕まったらどうかあなたは全力を以て防禦して下さい。
 長々と御判読を煩わしたことを謝します。
 最後にあなたの御健康を祈ります。

 之が手紙の全部です。そうして彼秋田清吉の望み通り彼は今に至るまで捕まりませぬ。否、当局者がそもそも彼を捜索しているのかどうかすら判らないのです。
 ところで話はこれが終りではないのですよ。
 一昨日、多分あなたも知っていられるでしょうが、S弁護士という人が私を訪ねて来ました。
 彼はやはりもと検事で昔の私の同僚です。しかも、自動車事件の時地方裁判所検事局にいて親しくあの事件を調べた男なんです。
 私が一体あの事件はどうなったのかと聞いて見ますと、S元検事は次のように語りました。
「君は無論須山春一は崖から落ちて死んだと思っているだろうね。ところが妙なんだよ。解剖して見ると彼の胃の中から多量の劇薬が出て来たんだがね。非常に多くの睡眠剤と多量の×××が発見されたんだ。専門家の言によると呑んでから約一時間を経れば全く絶息するそうだ。××楼について当時招ばれた芸者を調べて見ると彼は出立まぎわに、胃の薬だと称して白い粉薬を酒にまぜてむやみに呑んでいたそうだ。
「彼に自殺の意思のあったことも明かなのだ。しかし詳しいことは判らない。家人が彼の変死を知って後、机のひき出しを見たら一片の遺書が出て来たのだがそれにはただ『死にたくなったから死ぬ。祖父のような死方はいやだ』と書いてあるばかりだった。須山家で非常に秘密にしていてこれ以上わからないのだが、君は知るまいがあの家は或る宿命的な病気の血統で呪われているのだよ。そうしてその病気は、よく隔世的に出るものなのだ。
「つまり斯ういう風に考えれば考えられぬことはない。例の秋田小夜子の事件当時、春一は自分の家に業病の血が流れていることを全く知らずにいたんだが、許されて家にとじ籠っているうちに、まあ蔵の中かどこからかその秘密の書いてあるのを見出したんだね、それが祖父の日記だか、他人の手記だか判らぬとして。そうして祖父が、だんだん身体がくずれて来て、生きた屍になって世と全く絶ち、ついに死んだということを知ったと想像することは出来る。もしくは誰かから聞いたかも知れない。ことによると彼自身の身体に他人に見えぬところにどこか異常が現われたか(尤も之はどの程度に出れば、それと定められるのか医者でないから判らないが)ともかくそのいずれかだろう。問題は、彼は車中に既に死んでいたか、頭部を粉砕されるまでなお生きていたかだね。どうもそこがはっきりしないと解剖の報告にあるんだがいずれにせよ、ごくきわどい刹那の話だ。
「まるで刑法の教科書にあるような事件さ。行方の知れない運転手についても話があるんだが目下捜査中と思うからまあ差しひかえておこうよ」
 S弁護士の話は斯うでした。
 そうとすれば事件は甚だ複雑ですが、よく判ってくる節々も出て来るのです。秋田清吉は、須山春一がだんだん陰鬱になって行ったことを記しています。それでいて夜は以前のような放蕩をくりかえしたといっています。之は心の悩みをまぎらしたわけではないでしょうか。そうしてとうとう自殺の決心をしたのです。だから実際当日いろんなことを考えていつになく暫らく秋田を待たせて決死の色をして出かけたのでしょう。
 彼は××楼でこの世の名残りに馬鹿さわぎをやったのです。そうして酔いの勢いをかりて劇薬を呑んだのではないでしょうか。
 秋田が車をとめて中を見た時は春一は殆ど絶息しかかっていたのでしょう、丁度その位の時間がたっています。秋田はただ泥酔しているとのみ考えました。そうして、
「苦しい、水をくれ」
 という最後の悲鳴を、酔ッ払いの言葉とうけ取ったのです。
 春一が秋田めがけてつかみかかろうと立ち上ったのが、実は彼の断末魔の苦悶だったのではないでしょうか。彼はそこで絶息したのではありますまいか、とすれば秋田は見事に復讐した積りで実は死体を載せた自動車が、崖から落ちるのを息を殺して見ていたことになるわけです。硝子ガラスは破れたかも知れませんが、春一が悲鳴をあげたというのは秋田の錯覚でしょう。
 ともかく春一が服薬のために死んだか、又はあの災難によって死んだか、自動車が崖から落ちる前に死んでいたか、又は少しでも息があったのか、これは法律家にとっては非常に興味のある所です。
 然し、見事に仇を討った積りでいる男にはそう思わしておくのがいいかも知れません。
 最後に一つ問題があります。それはこんな犯罪を自白している秋田が、もし捕まった場合、やはりあくまでも私は彼の頼みの通りに、殺意を否認するのが正義に合するのであるかどうかということです。
 然し、之はわれわれ法律家の問題であってあなた方探偵小説家の問題ではありませんから申し上げますまい。
 ただ私には秋田清吉は永久に捕まらないような気がするんです。それだからこんな話をあなたにしたわけです。

 土田氏の話はここで終った。われわれ探偵小説家にとっても最後の問題は大いに興味ある所なのだが、ずるい土田八郎氏は、早くも私の気もちを察して先手を打って逃げてしまったのだった。
「そうでしょう、興味はあるでしょう」
 といいたげな目つきをしながら彼は更に新しいシガレットに火を点じたのであった。
(〈週刊朝日〉秋季特別号、昭和四年九月二十日号)

底本:「日本探偵小説全集5 浜尾四郎集」創元推理文庫、東京創元社
   1985(昭和60)年3月29日初版
   1993(平成5)年3月5日4刷
底本の親本:「浜尾四郎全集 殺人小説集」桃源社
   1971(昭和46)年6月
初出:「週刊朝日 秋季特別号」
   1929(昭和4)年9月20日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月23日作成
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