私の妻は乳癌に罹り、築地の癌研附属病院で左胸部の切除手術を受けた。更にコバルトを照射するため、大塚の同病院の放射線科に移ることになった。私達の自動車が大塚の病院の構内に沿って左折した時、道路に面したその石垣の上に、いずれも夥しい花をつけた沈丁花が植込まれているのが、私の目に入った。一瞬、私はせ返るような、沈丁花の芳香を幻覚する。
 妻の病室は三階の三十八号室である。妻は手術後の経過は良好で、疼痛もなく、至って元気である。勿論、自分で自分に虚勢を張っている点もあろう。築地の時と同じく、妻は荷物を整理したり、事務室や、看護婦室に挨拶に行ったりして、少しもじっとしていない。が、看護婦が入って来たので、妻は漸くベッドの上に上る。看護婦は妻の脈を取り、体温計を渡して、立ち去る。
「やはり奥さまでしたのね。どちらさまかと思っていました」
 隣りのベッドの婦人が言う。五十ばかりの上品な婦人である。
「病人にならせるのが、一苦労なんです」と、私が苦笑する。
「奥さまのは、どこですの」
「乳ですの」と妻が言う。
「そうですか。私も十二年前なんですけど、やはり乳癌を患いましたの。片っぽありませんの。今度は、肋膜に水が溜るんです」
 十二年、急にその年数が私の頭に貼りついてしまった感じである。私は妻の年齢に十二を足してみる。自分の年齢にも足してみる。しかし妻の場合は、病気の発見が遅れ、腋下にも転移している。更に築地で全部剔出てきしゅつしたわけでもない。私が十二年などという年数について考えることは、ひどく甘い考え方であるといわなければなるまい。しかしまた逆に言えば、十二年の年数を経ていても、やはり再発というべきなのであろうか。つまり十二年経っても、再発の恐れはあるのか。
 一昨昨年、私はある病院に入院し、放射線の深部治療を受けた。病名は「上顎腫瘍」である。妻の病名が「乳腺腫瘍」であるところからすれば、上顎の癌というべきかも知れない。毎週一度、私は今も病院へ通っている。しかし私は少しも不安を感じていない。私が退院して、まだ満二年半を経ているに過ぎない。再発の危険のあることは十分に知っている。が、私の本心はといえば、俗にいう、けろりとしたものである。他愛のないものだ、とも一応思ってみるだけである。しかしこの婦人はいつも軽い咳をしている。頻りに紙で痰を拭っている。
 やや肥満した、温厚そうな容姿の医師が、看護婦を従えて、入って来る。
「私が奥さまを担当します」
 妻は寝台の上に坐り、着物を脱ぐ。勿論、左の乳房は切除されて直るので、妻の左胸部は扁平である。しかし切断された乳房の上皮の三分の一ほどを剥ぎ取り、それが縫い合わされているので、さして異常感はない。腋下の傷口の肉が少し盛り上っているに過ぎない。
 むしろ異様といえば、右の乳房の方であろう。私の妻は後妻で、実子はない。従って、子女を哺育したことのない妻の乳房には、少しの衰萎の兆もなかった。しかしそれは左右、二つの乳房が描いた均斉の美しさであったのである。片一方だけの豊満な隆起は、却って無気味である。不安でもある。そうして胸部全体から言えば、いかにも歪形の感じで、無慚である。
 医師は妻の首根のあたりを押え、私の方に向いて言う。
「おや、ここのは取らなかったんですね」
「放射線科の方に任せるようなお話でしたが」
「そうでしたか。じゃ、とにかく取ってしまいましょう。手術といっても、ごく簡単にすみますから」
 医師は看護婦を従えて出て行く。私はその後を追った。
「あそこのは簡単ですから。とにかく取れるだけ取りましょう。後はコバルトで焼いてしまうなり、シードをかけるなりします。シードを取り寄せる関係で、手術は明明後日くらいになるでしょう」
 私は一礼して、病室に帰る。隣りの寝台の婦人が妻に言っている。
「加納先生です。副部長さんですの」
 妻は寝台の上に仰向いて寝ている。じっと一点を見詰めながら言う。
「どうでした」
「シードとかいうものを取り寄せる関係で、手術は明明後日くらいになるらしい」
「私、何度でも切ってもらう。徹底的にやってもらう」
「そうだ。切ると言われれば、切ってもらおうね。何も彼も、病気のことは医者まかせだ」
 駅前の広場を越して、斜め真直ぐに、一本の道が通じている。私は躊躇なくその道を歩いて行く。道の両側には商店が軒を接して並んでいる。いずれの店頭にも種種雑多な商品が、豊富に積まれている。しかしどこの商店街でも見られる、中小の小売屋である。戦後、復興されたものらしく、街全体にも陰翳がなく、至って表情に乏しい。毎日、往復するのには、あまり愉しい道とは言い難い。
 しかしこの頃、私はできるかぎり歩くことに努めている。少しでも足を強くしたいからである。年寄の冷水と笑われるかも知れない。しかし妻のために、私は少しでもより健康になりたいのである。今日はひどく暖い。少し歩いただけで、私の肌はもう汗ばんでいる。
 この一本筋の街を行き過ぎると、病院の構内の東北隅に突きあたる。私は心ひそかに沈丁花の高い香りを期待していたのである。しかし今日の暖気の中には、花の香りはなかった。やはりこの花の香は、早春の寒冷な空気の中に、漂い匂うのがふさわしいのか知れない。私は病院の正門を入り、沈丁花の植込の方へ行ってみる。沈丁花の花弁の紫色はすっかり色褪せてしまっている。盛りを過ぎた花の香りは極めて儚い。
 妻の病室に入ると、妻は微笑を浮かべて起き上り、いきなり言った。
「こちら、花井先生の奥さんでしたのよ。びっくりしました」
 花井氏は関西のある大学の教授である。妻とは以前からの知合いである。また、辻本という私の友人も同じ大学の同じ学科の教授である。従って花井氏のことは、私もしばしば聞いた。
「そうか。それは、実に、偶然でしたね。辻本君とは高等学校からの、親しい友人なんです」
「そうですってね。しかし、お互に、こんなところで、お目にかかるなんて、ねえ」
 花井夫人は仰向けに臥したまま、淋しげに微笑した。
 翌翌日、午後一時五分、妻は手術室に入った。私は廊下の椅子に腰かけている。午後になると、外来患者の数は少くなり、廊下は急に閑散になる。私が腰かけている椅子の横に、担架を載せた患者運送車が置いてある。その上には妻の寝巻が裏側を拡げて、敷いてある。人の身に纏うものは、不思議にその人の風情を移しているものである。私の視線はともするとその方へ向おうとする。
 築地の病院で、妻が最初の手術を受けた時にも、私はこのように椅子に腰かけていた。しかし今の私の感情は、その時のようには高ぶっていないつもりである。少し横着な言い方かも知れないが、私は時間潰しにもなると思って、先刻の不思議な妻の心理を思い返してみる。
 先刻、妻は看護婦に附きそわれ、手術室の控室に入った。直ぐ看護婦に促され、妻は着物を脱ぎ、上半身裸になった。その時、自分から白ネルの腰巻に手をかけ、妻が言ったのである。
「これも取るのでしょうか」
 妻の着物を抱え、看護婦の後に立っていた私は、瞬間、少からず驚かされたものである。あの時、何故妻はあんなことを言ったのであろうか。築地の時は、妻は全裸体で手術台に乗せられたようである。しかし控室から手術台まで全裸で歩かせられるはずはなかろう。妻は至って気丈な性質である。が、流石に手術を前にして、妻は興奮していたのではないか。更に言えば、勝気な性質だけに、却って一種のマゾヒズム的な興奮状態にあったのではないか、とも思われなくもない。妻が哀れでならない。
「いいえ、それはいいんです」
 確かに看護婦はそう言った。妻は片っぽだけの乳房を揺りながら、直ぐ背中を見せて、手術室に入った。
 私は左の手に妻の腕時計をはめている。時計を見ると、既に一時間近く経過している。手術は至って簡単である旨を告げた、加納副部長の言葉を思い出し、少し不安になって来る。
 廊下を男の患者が歩いて来る。その顔面には小さい絆創膏が数知れず貼ってある。顔色もひどく悪い。廊下を突きあたると、その左側が地階に下りる階段になっている。突きあたりの窓からは明るい陽光が差し入っている。従ってそれと対蹠的に、階段の下方には暗い空間が開いている感じである。男の患者は明るい光線の中に歩き入ったが、直ぐ左折して、階段を下りて行く。
 それと入れ違いに、空の担架を抱えた担送夫が階段を上って来る。彼等は担架を運送車の上に載せると、一人がそれを押し、一人がその傍に附きそって、談笑しながら、私の前を過ぎて行く。暫くすると、老婦人が孫娘のような少女に抱えられ、ひどくゆっくりした足取りで階段を上って来る。老婦人が私の前を通り過ぎた頃、反対の方から、洋装の中年の婦人が歩いて来、かなり軽い歩調で階段を下りて行く。その後から、先刻の担送夫が、男の患者を乗せた運送車を押して来る。その患者の鼻腔には管が差し入れられているのが見える。二人の担送夫は運送車から担架を持ち上げると、いかにも慎重な足配りで、階段を下りて行く。先刻の男の患者が上って来た。
 初め、私はひどく閑散なように思ったが、こうして見ていると、この廊下にもなかなか人通りのあることに気がつく。階下には放射線の照射室でもあるのであろう。が、妻の方はどうなっているのか。時計を見る。二時三十分を過ぎている。あまり簡単な手術ではないようである。が、ふと、あの時「とにかく取れるだけ取りましょう」と言った、加納副部長の言葉が、私の頭に閃いた。つまり手術が長びくのは、切除する可能性の多いことを示すものではないか。思わず、喜色が溢れ出ようとする。しかし私は私の発病以来、病気は医者任せ、運は天任せ、と心に決めた。そうして自分の一喜一憂を厳しく自戒したはずではないか。私は心の冷静を取り戻すために、静かに目をつむる。
 暫くの時間が経つ。漸く私は目を開ける。丁度、その私の前を運送車が押されて行く。車の上には女の患者が乗っている。が、瞬間、私は慄然となる。その片方の目は刳り取られている。そうして、その※(「穴かんむり/果」、第3水準1-89-51)がんかに詰められたガーゼの端が覗いている。私はあわてて再び瞑目する。が、小さい絆創膏が沢山貼られていた、あの男患者の青黒い顔が目に浮かぶ。私はまた急いで目を開く。突きあたりの明るい光線の中で、二人の担送夫は担架を持ち上げ、階段を下りて行くところであった。
 時計は三時を過ぎている。既に二時間を経過したわけである。築地の時も二時間は要しなかった記憶がある。しかし気持の動揺するようなことはない。三時十分、二十分。控室の方が少し騒がしくなって来る。三十分、廊下の向うから、先刻の二人の担送夫が歩いて来るのが、私の目に入る。が、その時、意外にも加納副部長が私の前に立っている。いつ加納副部長が出て来たか、いつ私が椅子から立ち上ったか、全く記憶がない。
「奥さんの、取ったものを、お見せしましょう」
 私は副部長の後からいて行く。一室に入る。三四人の若い医者がいる。加納副部長は、例の盤の中の妻の切り取られた筋肉を撮みながら、言う。
「まだ、こんなに残っていました。随分、こしらえたものですよ。しかし、一つだけを残して、後は全部取りました」
 私は感謝の言葉が言葉にならず、頭だけを下げる。
「その一つは、強いて切り取れば、大出血をする恐れのあるところにできていましたから、それにはシードをかけておきました。つまり金の線を八本巻いてやりました。それで、大丈夫、取れると思います」
 若い医師達は妻の手術に加わった人達であろうか。机上に女の上半身が書いてある。何枚かのカードを拡げ、手術の後を検討しているようである。
「更に、手術の傷口と睨み合わせ、コバルトを掛けます」
「いろいろ有難うございました」
 私は一礼して、その部屋を出る。喜びの感情が込み上げて来る。しかし築地の診断とは少し異なる。更に加納副部長の言葉のように、全部取り除き得たとしても、再発の可能性は十分にある。妻の運命がどうなるか、もとより知る由もない。しかしともかく人事を尽し得た感じである。二時間半にもわたる医者達の努力に対して、私は感謝するより他はなかろう。自分ながらいかにも他愛ないとは思う。しかしともすると私の顔に微笑が浮かぼうとするのを、やっと制しながら、妻の病室へ私は階段を上って行く。

 この頃、私の健康状態は至って良好であると言わなければならない。妻の病気のため、逆に私の気持が高揚しているからかも知れない。食欲もかなり増した。病院で昼食をとる時など、妻を驚かしたことも一度ならずある。
 更に皮肉なことは、最近、私の性欲が回復したことである。一昨昨年、入院して放射線の深部治療を受けて以来、放射線のためかどうかは知らないが、私は性欲的不能者になっていた。ところが、先日、鶯が頻りに鳴いている朝、目を覚ますと、私の性器が機能を回復していることを知った。一瞬、私はひどく嬉しかった。まるで生命そのものが蘇って来たような、錯覚にさえ陥った。が、私の喜びは直ぐ苦笑に変った。よい年をして、全く性懲りもない話である。私はその執念の深さに呆れ返った。しかしそのことに関しては暫く措く。少くとも私がより健康になったことは事実であろう。
 しかし私の神経がかなり異常な状態にあることに気づいたのは、妻がまだ築地の病院にいる時のことである。病院へ行く途中の町角に、某温泉の案内所がある。その薄汚れたショーウィンドーの中には、大宴会場や、千人風呂の写真が飾ってある。その中の一枚の写真の、髪を洗うポーズを取った女の胸に、二つの大きな乳房がぶら下がっているのを見た瞬間、私は危く悲鳴を上げるほどの衝撃を受けた。
 以来、私は女性の胸部が気にかかってならない。ジャケツの下が左右等しく盛り上っているような場合は言うまでもない。和服の襟を固く締め合わせているような婦人に対していても、帯を解いた瞬間、ぶるんと脹れ上るであろう二つの乳房が想像され、私は不安でならない。或は私のそんな不安が伝わるものか、問われるままに、妻の病気の経過などを語っていると、殆どの婦人は、「まあ」と、左右の手でその胸を押える。すると、今度は逆に新しい恐怖が私の方へ撥ね返って来るのである。
 その中に、私の恐怖は女の乳房に限られなくなって来る。一対のもの、つまり二つが対をなしているもの総てが、気にかかって来る。女の乳房に比べると、男の乳首などというものはあって、なきに等しい。が、その一つを欠いた男の胸は、奇怪であろう。二つの目、二つの耳、二本の手足、もとより同然である。
 鳥の両翼、牛の双角、車の両輪、一足の靴、一対の鋏、飛行機のプロペラ、自動車のヘッドライト、等等、総て一方を欠いた場合を想像すればよい。ある宴席のテーブルに出された洋菓子の上に載っていた、二顆の大きな苺を見て、思わず、私は慄然となった。
 招き猫の招く手は、注意して見ていると、右の場合もある。左の場合もある。私の家の近くの蕎麦屋には、右と、左の二匹の招き猫が並んでいる。しかしいずれの場合も、勿論、片手に限られている。人間でも両手で人を招けば、ひどくおかしい。まして猫にとっては手でなく、足である。猫が両足を上げれば却って不安定であり、怪奇でもあろう。しかし私は片手だけを挙げた招き猫の恰好が、気にかかってならない。また薬缶の胴の片方にだけ口がついているのも、私にはやはり不安なのである。両口のある薬缶などというものを見たことはない。が、薬缶ののっぺりした胴が、気にかかるのであろう。やはり私の神経はかなり異常な状態にあると、言わなければなるまい。
 しかし私は決して絶えず一対のものに脅されているわけではない。勿論、大部分の時間は、そんなことは忘れている。
 毎朝私は妻を病院に見舞うため、家を出る。道には出勤を急ぐ人人が歩いている。しかし殆ど同じ方向に向って歩いているのであるから、振り返らない限り、私は人人の背中を見ていればよい。時には、空を仰いで、早春の空の色を愉しむようなこともある。
 駅に着くと、私は切符を買い、改札口を通り、フォームに立つ。電車が入って来て、停り、扉が開く。が、一歩を電車に乗り入れた途端に、私は心の中で悲鳴を上げる。一対の目が、右に、左に、前に、後に、やや高く、やや低く、私の方を向いて光っているのである。私はあわてて新聞を拡げ、その上に目を落すより他はない。
 病院の待合室には既に大勢の患者が集っている。この病院は放射線科で、病勢の進んだ人も多い。目を抜き取った人を見かけるのも、二人や、三人ではない。しかし奇妙なことに、私の気持は少しも動揺しない。私は物馴れた表情で、階段を上る。二階には大病室がある。両側にベッドが並んでいて、カーテンで仕切られている。私はそのカーテンの間を通り抜け、三階へ上り、妻の病室のドアを引く。
 妻は微笑して起き上る。私は花井夫人にも一揖し、妻の前の椅子に腰を下す。
「どうかね」
「やっと、痛いのが取れましたわ」
「そうか、それはよかったね」
「家の方、変りありません。今年も鶯、来ています」
「鶯、ね」と言ったが、私は心中いかにも苦笑が禁じ得ない。
「つい、この間まで来ていたんだが、ここ暫く来ないんだよ」
「でも、去年は四月の初め頃まで、来ていましたのにね」
「そうだったね。今年は暖冬で、山の雪が早く溶けたのかも知れないね」
「お宅へ鶯が来るんですか」
 花井夫人が静かな声で言う。その顔には、微かながら血の色がさしている。今日は気分もかなり快いらしい。
「そうよ。毎年、きまってやって来て、うちの庭の木でも鳴くのよ」
「まあ、いいわね」
 妻と花井夫人とはすっかり親しくなっているらしい。私は妻に言う。
「今日は、奥さんのお顔の色がとてもいいね」
「そう、奥さんは特殊の注射薬を、アメリカから取り寄せてもらって、注射してられるんですの」
「ええ、その注射薬は四日間しか効果がないのですって。ところが、アメリカから飛行機でどうしても二日かかるそうですから、とっても忙しいお薬ですのよ」
 多分、放射性能を持った注射薬であろう。私はその注射薬を積んだ飛行機が、アメリカの飛行場を離陸し、太平洋の上を飛翔して来る光景を想像する。更に羽田空港に待機していたオートバイが――何故か、私にはオートバイに違いないように思われる――その注射薬を積み替えるや、否や、爆音高く、疾走して来る光景を想像する。少しく甘ったるい想像かも知れない。が、それにしても、健康な世界ではあのような異常な不安を感じる私が、癌病棟の病室でこのような健康な想像をするのは、何故か。私の神経がどこか倒錯しているのであろうか。
「この注射をすると、食欲はなくなるし、とっても疲れるので、どうしても入院しなくっちゃなりませんの」
「でも、私が入院した時から見ると、随分、元気になられたわ」
「この注射はとっても高いのよ。あれから、十二年も、命を貰ったのだから、もうどうだってよいようなものだけどね」
「そんなことないわ。絶対に。でも、そんなに高いの」
「一回、一万円もするのよ」
「一万円ですって。安いもんじゃありませんか。だって、太平洋をですよ、越えて来るんでしょう。もう金銭の問題じゃありませんよ。それに、第一、奥さんの顔色がこんなによくなったんですものね」
 私は花井夫人に気休めを言ったのではない。言葉に思わず力が入ったのは、妻に、或は私自身に言い聞かせたのかも知れない。
 病室内の拡声器が妻の名を呼ぶ。妻はそれに答えてから、寝台を下り、私とともに階下へ行く。妻は絆纏を私に渡し、診察室へ入る。私は空席を見つけ、椅子に腰を下す。花井夫人の病気の性質上、私は妻の病室では煙草を慎しんでいる。早速、私は煙草を取り出す。私の眼前では、患者や、附添の人達や、その間を縫って看護婦が右往左往している。じっと一所にかたまり合って、動かない一団もいる。今が最も混み合う時間でもある。
「奥さんは、どこがお悪いのです」
 振り向くと、小柄な婦人が掛けている。が、その瞬間、私は強い衝撃を受ける。慄然という言葉の通り、私の皮膚は総毛立った。その婦人の片方の黒目が白濁し始めていたからばかりではない。ふと、その顔立が、奇怪なことに、私の亡くなった妻とひどく似ているように思われたからである。私は視線を逸していう。
「乳癌なんです」
「そうですか。とてもお元気そうですのにね」
 私はまたそっと婦人の横顔に目を遣ってみる。決して私の異常を神経の故ではない。確かに実によく似ている。というより、この婦人の顔を見ていると、亡妻の面影が蘇って来るようである。しかし私の脳裏に故人の顔立を完全に描こうとするには、やはり片方の白濁した目が、ひどく邪魔になる。逆にこの婦人が痛ましく思われて来る。
「奥さんはどこが悪いんですか」
「なんだか、顎に腫瘍とかいうものができているんだそうです」
 再び私の気持は動揺する。
「ええ、奥さんも上顎腫瘍なんですか」
「ああ、そうでした。よく御存じですね」
「私も、一昨昨年、やったんですよ」
「そうですか。それで、そんなによくおなりになったんですのね」
 婦人は心持私の顔を見上げる風で、微笑する。
「まだ、週に一度は病院へ行っているんですけれど」
「腫瘍というのは、癌ではないのですわね。でも、私、今度は目が少し悪くなりましてね」
 私は直ぐには答える言葉がない。私が通っている病院の放射線科の診察室では、いつも私の目に懐中電灯が当てられたことを思い出す。すると、上顎腫瘍は目に転移する場合があるのか。この病院の廊下でよく見かける、片目を抉りとられた患者達も、やはりそれか。が、この時、拡声器が言う。
「小池いとさん、小池いとさん、第二診察室へお入り下さい」
 婦人が立ち上った。この婦人の名が呼ばれたのであろう。
「では、失礼致します」
 婦人は一礼して、第二診察室の方へ歩いて行く。その後姿が、また不思議なほど、亡くなった妻の姿に似ている。私はまるで悪夢の中にいるような、錯覚に陥ってしまう。私の手に残されている妻の絆纏だけが、辛うじて私をこの現実の中に踏み留まらせているかのようである。
 漸く妻が診察室から出て来る。私は立ち上り、妻の肩に絆纏をかけてやる。私は歩きながら、妻に言う。
「偶然にね、上顎腫瘍だという奥さんが、僕の横に腰かけていてね」
「そう、ここには上顎腫瘍の方が沢山いますわ」
「目も少し悪いようだったが」
「そうよ、あれは直ぐ眼底に転移するらしいのよ。私のお向いの部屋にも一人おばあさんがいますわ」
「おいおい、嚇しちゃいけないよ。しかしね、素人の『らしい』話ね、つまり素人診断は、あんまり考えない方がいいようだよ」
「だって、癌の本にもちゃんと書いてあったわ」
「そうかね。ところで、今日も病院の食事を御馳走になろうかな。あれ、変においしいんだ」
「父さん、この頃、食欲ありますのね。嬉しいわ。じゃ、私は今日はてんぷらうどんにしよう」
「君だって、なかなか旺盛じゃないか」
 しかし昼食を終っても、妻は口にこそ出さないが、私を帰したがらない。私は早く帰って、仕事をしなければならないとは思う。が、私も妻の病床から離れ難い。そんなところへ見舞客が来る。私は客を残して帰るわけにはいかない。
「田口さん、パイナップルの缶詰をあけて下さい」
 見舞客が帰ると、直ぐ妻はそんなことを言う。私はまた帰りばなを失ってしまう。そんな風にして、私が漸く腰を上げるのは、いつも夕方近くなる。
 その日も、私が阿佐ヶ谷に降りた時には、街には夕靄が漂っていた。しかし夕方になっても、先頃までのような冷気は最早感じない。空には白雲が多かったが、西の空はきれいに晴れ渡っている。私はいつものように駅前の広場を渡り、わが家の方へ歩いて行く。
 ふと、私は足を停めた。青く澄んだ空の中に、柳が枝を垂れている。その柳の枝が既に浅黄色を帯びているのに気づいたからである。私は道を左に折れ、わが家へは少し遠廻りになる道を取って行く。
 この道は少し変な道である。少し行くと、あまり広くはないが墓地がある。更に行くと、片側に欅の巨木が列んでい、その反対側に温泉マークの旅館がある。そのガラス窓には、料金表が掲げてあり、その下には男女のこけし人形が並んでいる。更にその先には産婦人科兼整形外科の医院もある。しかしそんなものには私は用はない。私は旅館の角を右に曲る。つまり私は元のように西に向いて歩いて行くことになる。
 少し行くと、小高い石垣の上に、今は荒廃した二階家がある。以前には、有名な女流歌手が住んでいた。先年、肝臓癌とかで亡くなった。その庭にある、巨大な辛夷こぶしの木が私の目的なのである。果して辛夷の梢には、既に点点と蕾が白く綻んでいる。更に一輪、流石に夕空の清冽な色の中に、純白な舟型の花弁を開いてい、その梢の上に、星が一つ、初初しい光を放っていた。

 庭の彼岸桜はもう盛りを過ぎた。うららかな陽光の中を、可憐な花びらが盛んに散っている。その枝先には、花弁の散った後に残っている、赤い萼が既に目立つばかりになっている。
 椿は枝一杯に赤い花をつけている。この椿は郷里の庭の白椿の下に生えていた実生を移し植えたものである。私は或は白椿に、赤い椿の花粉が交配されたのではないかと疑っている。その色も藪椿のような素朴な赤色ではない。その形も大きく、藪椿のような深い筒状をなしていない。しかしこの椿の花は変に艶かしい。雑種特有のものかも知れない。地上にも椿の花は落ちている。俯伏せになって、既に褐色に変色しているのもある。黄色の雄蘂おしべをつけたまま、仰向けになっている、新しい落花もある。しかしこの椿の花期はかなり長い。その下枝にはまだ沢山の蕾が脹らんでいる。
 楓も赤い茎を伸ばし、赤みを帯びた緑の嫩葉ふたばを拡げた。いかにも幼く、嫋嫋しい感じである。
 門前の吉野桜も咲き始めた。昨日、私は末子に頼み、車中に持ち込める限りの大きい枝を切り取って貰った。今、浴室のバケツの中に入れてある。今年も、わが家に春が来たことを、妻に知らせてやりたいのである。妻の病室は三階にあるから、かなり眺望は利く。しかしこの辺一帯が戦災に遇ったためか、一本の樹木も目に入らない。まして春の日に咲き匂う桜花の風情など見る由もない。
 私は桜の大きな枝を持って、いつもより遅く家を出る。大塚駅に降りると、私は思い切って、桜の枝を担ぐように肩に当てる。そうして少し派手過ぎる恰好のようにも思われたが、そのまま病院の玄関の扉をあけた。
 患者達の目が一斉に私の方に注がれたように感じる。が、最早、一対の目などという、異常な感情は今の私にはない。若しもその中に片一方が潰れている目が交っていたとしても、私は少しも恐れるようなことはなかったであろう。
「春が来た。春が来た」とでも言いながら、桜の枝を担いで、歩き廻りたいような気持を押えて、私は階段を上って行った。
 妻の病室へ入る。
「まあ、素晴らしい」
 花井夫人がそう言って、上体を起こす。妻もかなり気に入ったらしく、浮浮とした口調で附添婦に言いつけ、枕許に桜の枝を飾らせる。桜の枝には薄桃色の蕾が沢山ついてい、既に数輪は綻び始めている。
「よくこんな大きなのが、持って来られましたわね」
「今年の花見は、これで我慢してもらうんだね」
「私まで、思いも寄らず、お花見させていただきましたわ」
 去年の夏、私と妻は上越高原の湯檜曾温泉へ行った。私達は涼風の吹き通る旅館の部屋で、ビールを汲み交わしながら、来年の花時に妻の故郷を訪ねようと、話を決めた。妻の故郷は山形の蔵王山麓にある。山村の春は遅く、梅も、桜も、桃も一時に花開くという。私は何故かそんな山村の春が偲ばれてならなかったのである。が、今はそれどころではない。
「なんだか、『早くあけろ、早くあけろ』って、急きたてられているようで、気持が悪いわね」
「ほんとよ。つまり逆に言えば、『まだか、まだか』ってわけでしょう。厭になっちゃうわね」
「それは何のお話」
「お向かいの部屋のおばあさんが、亡くなったんです」
「そうか。上顎腫瘍で、片目を手術した、おばあさんかい」
「そうですの。もっとも直接の原因は肺炎だったそうですけれどもね」
「そうか」
「昨日の夜中でしたわ、私は眠っていたのでしょうが、廊下が何だか騒騒しかったのを覚えています。でも、明け方、目を覚ますと、廊下はもうひっそりとなっていましたわ。そうして今朝になると、病院はいつものように正確に活動を開始しました。まるで何事もなかったようにね。でも、おばあさんの名前は、やはり名札から消えていましたの」
「ほんとに、あの足音は厭なものですのよ。どんなに眠っていても、あの足音だけは、ちゃんと知っていますからね」
「ところが、私が診察室から帰って来ると、お向かいの部屋の前に、もう蒲団や、荷物が置いてあるじゃありませんか」
「そうか、もう替りの方が来たわけなんだね」
「そうなのよ。三十人の入院希望者に、ベッド一つの割合だそうです。全く、押すな、押すなって、感じですわ」
「そう言えば、あの社長さんも、あまりおよろしくないようね」
「そうね。社長さんのお部屋は東向きでしょう。以前は、毎朝、カーテンを一杯に開いて、朝日が差し入っていたのに、この頃はすっかりカーテンも締め切って、ベッドも隅の方に寄せてしまってね」
「ほんとに、私にも覚えがあるけど、衰弱がひどくなると、外界の生生としたもの、溌剌としたものが、堪えられなくなってくるものなのよ」
 妻が私に説明的に言う。
「その方は、社長さんかどうかは知りませんが、立派な紳士で、筋向いの個室に入っていられますのよ。喉頭癌のようですけれど」
「すると、お二人とも、もう大丈夫だと言えそうですね。こんなに生生溌剌たる桜の枝を担ぎ込んで来たのに、あんなに喜んでいただけたんですからね」
「そんなら、とにかく、そういうことにさせていただいておきましょう。ねえ、奥さん」
 花井夫人はそう言って、かなり晴れやかな微笑を浮かべる。
 妻は拡声器に呼ばれ、コバルトの治療に行く。私もその後に従う。妻を待つ間にゆっくり喫煙ができるからでもある。
「今朝ね、診察室でね、私、順番を待っていましたの。その前で、五十過ぎの男の方が診察を受けていましたが、その方の鼻には管が通してありましたの」
「食道でも悪いのだろうね」
「そうでしょうね。その方がね、お医者さんに何か言われましたの。すると、お医者さんがひどく驚いた表情をなさって、『水、水を持って来てくれ』と看護婦さんにおっしゃって、看護婦さんが持って来たコップを、その方の手に持たせてね、『静かに、静かあに、少しずつ飲んでみなさい』と言われましたのよ」
 瞬間、その患者は、どういうわけか解し得ないほど、激しく瞬きをしたという。そうして恐る恐るコップを持ち上げ、水を口中に含んだ。途端に、その患者の顔がまっ赤になったともいう。しかし別に異常は起こらなかったのである。
「飲めたね。飲めたね。もう一度、少し、ほんの少し」と医者が言い、その患者は再び水を飲んだという。が、やはり異常はなかったのである。医者達、看護婦達、患者達の顔に、一斉に「まあ、よかった」という表情が動いたという。
「私もすっかり感動してしまいました。でも、お医者さんは『しかしまだ調子に乗ってはいけないよ。飲むにしても、少しずつ、ほんの少しずつだよ』と言っておられましたけれどもね」
 コバルトの照射室は地下室にある。一階の手術室の前を通り、あの廊下を突き当り、左に折れて、私と妻は階段を下りる。妻は絆纏を私に渡し、照射室に入り、片肌を脱いで、寝台に仰臥する。その肩と、首筋には、小さい絆創膏が幾つも貼ってある。コバルトを照射する範囲を示すもののようである。係りの医師が装置を終ると、急ぎ足で出て来て、扉をしめる。私はやっと椅子に腰を下し、煙草を取り出して、火をつける。
 妻が入っている照射室の扉には、「照射中開扉厳禁」という札が掛っている。私の場合には、亜鉛板を口に含み、石膏のマスクをつけた。係りの医師が同じく急ぎ足で出て行き、扉をしめる。やがて微かに把手を切る音が聞こえる。しかし放射線は全く無感覚である。却って激しい孤独感に襲われたものである。
 階段の上には、明るい春の陽光が差し入っている。その中に人の姿が現れると、直ぐ黒い影となって、階段を下りて来る。地下室には四つの照射室がある。担架に乗せられた患者も担がれて来る。老婆がセーラー服の娘に手を取られて下りて来る。ひどく覚束ない足取りである。老婆は階段を下りると、椅子の前に蹲ってしまう。
「おばあちゃん、どうかしたの」と娘が言う。しかし老婆の声は潰れていて、殆ど言葉にならない。
 階段の上に、看護婦の姿が現れる。一瞬、白い制服の裾に、明るく光線が当り、二本の脚の影を映す。清潔で好色的でさえある。私は長く忘れていたものを思い出したようで、ひどく愉しい。が、看護婦は勢よく階段を下りて来て、さっと私の前を通り過ぎる。いかにも生生溌剌とした感じである。
 医師が出て来て、妻の照射室の扉をあける。私と妻は三階の病室へ帰る。
 更に拡声器に呼ばれ、妻は一階の放射線室へ行く。乳房を切除した左胸部に、放射線の深部治療を受けるためである。
「病人といっても、これで結構忙しいものですよ」と妻は苦笑する。私の場合は、八分間ずつ、四つの方向から、上顎に照射を受けた。しかし妻の深部治療は、患部の関係からか、僅か三分間である。妻は直ぐ放射線室から出て来る。この時刻になると、待合所にはもう殆ど人はいない。庭には春の夕日が当っている。私と妻は玄関に出てみる。いきなり妻が私の袖を引いて言う。
「あの方です。ほら、今朝、初めて水が喉を通ったの、あの方ですわ」
「そうか」
 一人の小柄な男が、庭の躑躅つつじの植込みの間を、静かな歩調で歩いている。
「しかし、あの気持、何だか判るような気がするね」
「そうよ、手を後で組んだりしてね。きっと心に余裕ができたのね」
「そうだろう。よほど嬉しかっただろうからね」
「私なんかも、一時は、そのことで頭が一杯で、何を見ていても、何も目に入らなかったものですわ」
 その男の人は両手を後で組み、心もち顎を上げて、緩りと歩いている。その横顔に明るく夕日が当っていた。

 私は仕事のため、数日、妻を見舞わなかった。その間、門前の染井吉野は既に満開を過ぎた。私はそんな桜の花を見上げながら、落花を踏んでわが家を出る。隣家の庭には、紅木蓮が夥しい花をつけてい、若葉を開いた山吹の枝には、黄色い、八重の花が咲き列んでいる。
 私は御茶ノ水の病院へ行く。私の上顎には、放射線を照射した後に、孔穴ができているという。週に一回、私はそれを洗滌してもらう。それからバスで、私は妻の病院へ向かった。
 妻の病室へ入る。花井夫人は和服に着換え、寝台の上に坐っている。珍しく薄く化粧している。その枕許に、一見して学者風の紳士が立っている。妻が二人を紹介する。花井氏である。
「奥さん、今日、退院なさるの」
「そうか。それはよかったですね。もっとも、最近はすっかり元気におなりでしたからね」
「しかし、来月には、また入院して、例の注射を更に一二回、打ってもらうのだそうですが」
「その注射は、側から見ていても、大へんよく利くようですね」
「さあ、どうですか。でも、こうして一二年も、どうにか持っていれば、またどんなお薬が発明されるかも知れませんからね。それだけが頼りですわ」
 夫人はそう言って、淋しげに微笑する。或は同病者の先輩として、決して甘くは考えていないところを示したのかも知れない。しかしまた久し振りに夫君が帰って来たので、夫人は少し甘えているかとも、思われなくもない。
 廊下に、重い足音が停り、変な物音が聞こえる。夫人と妻が顔を見合わせて言う。
「あら、もう見えたのかしら」
「そうらしいわね。田口さん、一寸、見てみて頂戴」
 附添婦が扉から首を出して言う。
「やはりそうです。お蒲団が置いてありますわ」
「あなた、もう替りの方が見えたのよ」
「全く押すな、押すなの盛況ね」
「実際、この病気の患者の数は、底がないといった感じですね」
「でも、奥さんの場合なんか、めでたく退院なんだから、どんなに急き立てられても、悪い気はしないわね」
「あまりおめでたくもなさそうなんだけれどもね」
 花井氏は私と同じく決して器用とは言い難い。が、どうにか荷物をまとめ上げる。夫人は妻と別れの挨拶を繰り返し、花井氏に附き添われて退院した。
 後を附添婦に託し、妻はコバルトをかけるために、部屋を出る。
「奥さんはあまり肯定的ではなかったが、アメリカからの注射って、かなり利くらしいね。ほんとに見違えるように元気になられたものね」
「でもね、御本人にしてみれば、心の中ではどう思っていても、口では大丈夫とは言えませんものね」
「それは、そうだ」
「そうそう、そう言えば、いつか話してらっしゃった、上顎腫瘍の女の方ね、今朝、診察室で出会いましたわ」
「そうかい」
 私の亡くなった先妻によく似た女の人のことである。あの時以来、その人のことが妙に私の心にかかった。待合所などで、私はそれとなく目を配ったが、その人の姿は見られなかったのである。
「入院しておられるのだろうか」
「そう、二階ですって。おとなしい感じのよい方ですわ」
「そうだ、そんな感じの方だったね」
「顎には放射線をかけているんですって。そうして目にはね、やはりアメリカから送って来る、目薬をさしているのですって。それで、目を手術しなくてすんだって、喜んでおられましたけれど」
「そうか、目薬ね。やはり飛行機だろうね」
「そうでしょうね。でも、お気の毒に、目もまだ濁っていたし、顔色も青黒くってね、どう見ても、よい按配とは思われませんでしたわ」
 私と妻は階段を地下室へ降りて行く。入れ違いに初老の紳士が上って来る。その顔面にも小さい絆創膏が幾つも貼ってある。
「あの小さい絆創膏はね、放射線をかける範囲を示すもんだとすると、今の人も上顎腫瘍のようだね」
「そうでしょうね。とにかく、この病院には上顎腫瘍の方は多いようです」
 妻がコバルトをかけ終り、二人が病室へ帰ると、既に隣りの寝台には六十ばかりの婦人が寝ている。病状はあまり良くないらしく、顔色も勝れず、かなり痩せている。寝台のまわりには、その子息らしい年配の人達が立っている。妻が寝台に上がると、その一人が、
「母ですが、よろしくお願いします」と言う。
「こちらこそ」と、妻が挨拶を返す。
 妻の放射線の深部治療は一昨日で終了した由である。妻の今日の仕事は終ったことになる。加納副部長が入って来る。私は病室から遠慮して、いつもの露台に行き、煙草に火を点ける。
 今日は天気が好く、肌が汗ばむほど気温も高い。が、風が強く、空には土埃が舞い上っている。路上にも、歩きながら、顔に手をかざしている人、足を停め、風に背を向けて、埃を避けている人の姿も見える。この風で、今年の桜も大方は散ってしまうだろう。
 病室へ帰る。妻が小声で言う。
「あちら、胃が悪いらしい。明後日、手術なさるのですって」
 私は黙って頷く。
「お茶をいれましょう。田口さん、お湯を沸かして来て下さい」
 子供等も成人してしまい、私達の間には、改めて語るほどのこともない。しかしお茶を飲んでからも、いつもの通り、私はなかなか妻の側から離れにくい。取りとめもない雑談を交したりして、私が漸く妻の病室を出たのは、その日も夕方に近かった。
 一瞬、思わず私は足を停めた。入口の扉が開いていて、窓から夕陽が射し入っている。従って逆光線を受け、室内の光景が黒い影絵となって、私の目に映った。
 大きい病室である。十ばかりの寝台が二列に並んでいる。その上に、黒い輪郭だけの患者が仰臥している。勿論、容貌などははっきりしない。奇妙なことに、どの患者も病衣の間から管のようなものを出している。しかしその管の出ている部位はそれぞれ違っている。喉元から出ている人もいる。胸や、腹のあたりから出ている人もいる。そうしてそれぞれの附添婦が太い注射器を持って、それぞれの管の中に溶液を注入しているのである。その溶液はスープでもあろうか。果汁でもあろうか。つまり食道癌の患者達の夕食が始まっているのではないか。
 一瞬、私は慄然とした。しかし妻の発病以来、更に私の発病以来、更に溯って先妻の死以来、私の神経は衝撃を受け続けた。が、生きている以上、更に作家として生きている以上、私は自分のいかなる運命からも目を逸すわけにはいかない。私の神経は揉みくちゃにされながら、その度に太太しくなって行ったようである。
 私も、妻も、再発の危険を十分に潜めている、この病気の経験者である。これ等の人人と同じ運命が、いつ私達を待ち受けているか知れやしない。しかし私はもう先刻のような恐怖は感じない。実を言えば、私は竊かにひどく不逞な企みを思いついたからである。
 先日来、私は微熱が取れず、御茶ノ水の病院で、内科の精密検査を受けた。その結果、私の消化器管は健全であることが判った。殊に私の肝臓は、酒飲みにも似ず、至って丈夫であるという。
 従って、最悪の場合にも、私は附添婦に顧み、或は強要して、毎夕、一リットルばかりの酒か、それと相当量のアルコール分を注入してもらえばよい。酒は管から胃に入っても、私は次第に酔いを発して行くだろう。そうなれば、最早、恐しいものはない。むしろ私は楽しいのである。まして窓一面に夕陽が燦然と照り映えているではないか。私は快い酔いに乗じて、金色の夕空を翔けることも不可能ではない。
 しかし私はいつまでも廊下に立っていたわけではない。急いで立ち去ろうとした瞬間、窓の一劃に私は大きい落日を見たのである。そうして私はまるで落日の光芒に酔ったように、あらぬ考えに耽りながら、歩いていたのであった。

底本:「澪標・落日の光景」講談社文芸文庫、講談社
   1992(平成4)年6月10日第1刷発行
底本の親本:「外村繁全集 第四巻」講談社
   1962(昭和37)年3月20日
初出:「新潮」
   1960(昭和35)年8月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:門田裕志
2013年10月13日作成
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