あらすじ
「別離」は、別れの場面を描いた詩です。別れを惜しむ言葉が繰り返され、切ない気持ちが伝わってきます。忘れかけていた記憶が鮮やかに蘇り、過ぎ去った日々への想いが募る様子が、繊細な言葉で表現されています。詩の中に登場する「虹と花」は、美しくも儚い、別れの象徴と言えるでしょう。
さよなら、さよなら!
  いろいろお世話になりました
  いろいろお世話になりましたねえ
  いろいろお世話になりました

さよなら、さよなら!
  こんなに良いお天気の日に
  お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い
  こんなに良いお天気の日に

さよなら、さよなら!
  僕、午睡ひるねの夢から覚めてみると
  みなさん家をけておいでだつた
  あの時を妙に思ひ出します

さよなら、さよなら!
  そして明日あしたの今頃は
  長の年月見馴れてる
  故郷の土をば見てゐるのです

さよなら、さよなら!
  あなたはそんなにパラソルを振る
  僕にはあんまりまぶしいのです
  あなたはそんなにパラソルを振る

さよなら、さよなら!
さよなら、さよなら!

 僕、午睡から覚めてみると、
みなさん、家を空けてをられた
 あの時を、妙に、思ひ出します

 日向ぼつこをしながらに、
つめ摘んだ時のことも思ひ出します、
 みんな、みんな、思ひ出します

芝庭のことも、思ひ出します
 薄い陽の、物音のない昼下り
あの日、栗を食べたことも、思ひ出します

干された飯櫃おひつがよく乾き
裏山に、烏が呑気に啼いてゐた
あゝ、あのときのこと、あのときのこと……

 僕はなんでも思ひ出します
僕はなんでも思ひ出します
  でも、わけて思ひ出すことは
わけても思ひ出すことは……
――いいえ、もうもう云へません
決して、それは、云はないでせう

忘れがたない、にじと花
  忘れがたない、虹と花
  虹と花、虹と花
どこにまぎれてゆくのやら
  どこにまぎれてゆくのやら
  (そんなこと、考へるの馬鹿)
その手、そのくち、そのくちびるの、
  いつかは、消えてゆくでせう
  (みぞれとおんなじことですよ)
あなたは下を、向いてゐる
  向いてゐる、向いてゐる
  さも殊勝らしく向いてゐる
いいえ、かういつたからといつて
  なにも、おこつてゐるわけではないのです、
  怒つてゐるわけではないのです

忘れがたない虹と花、
  虹と花、虹と花、
  (霙とおんなじことですよ)

 何か、僕に、食べさして下さい。
何か、僕に、食べさして下さい。
  きんとんでもよい、何でもよい、
  何か、僕に食べさして下さい!

いいえ、これは、僕の無理だ、
    こんなに、野道を歩いてゐながら
    野道に、食物たべもの、ありはしない。
    ありません、ありはしません!

向ふに、水車が、見えてゐます、
  こけむした、小屋の傍、
ではもう、此処からお帰りなさい、お帰りなさい
  僕は一人で、行けます、行けます、
僕は、何を云つてるのでせう
  いいえ、僕とて文明人らしく
もつと、ほかの話も、すれば出来た
  いいえ、やつぱり、出来ません出来ません。
(一九三四・一一・一三)

底本:「中原中也詩集」角川文庫、角川書店
   1968(昭和43)年12月10日改版初版発行
   1973(昭和48)年8月30日改版13版発行
入力:ゆうき
校正:木浦
2013年6月19日作成
青空文庫作成ファイル:
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