人間の手を直に型にとつた石膏で造り上げたものを見た。しかし、どういふわけかそれは少しも生きた感じを与へなかつた。却つて芸術家の眼で見た人間の手の印象を元として造つたものゝ方がより多く私達に生きた手を感じさせるのである。
 私は嘗て或腕のすぐれた工匠が幾十年といふ永い間の苦心によつて造り上げたといふ日光東照宮か厳島神社かの精巧な模型を見たことがある。その精巧さには全く感嘆の外はなかつた。しかし、それは細工物としての精巧さ以外、聊かの美感をも私に与へなかつたばかりか、極く粗末な写真の絵葉書一葉ほどにも、その実景の感じを与へなかつた。
 私は又以前東京に住んでゐた頃、よくあちこちの呉服店なんかで衣裳の見本を公衆に見せつける為につとめて生き写し的人形をつくり、それに着物を着せたりパラソルを持たせたりして飾つてあるのを見た。しかし、それは私には美感よりも寧ろ醜感を与へ不快感を起させるのが常であつた。そしてよし自分の妻やこどもに着物や何かを買つてやるにしても、あんな不愉快な人形を連想させるやうな物は買ひたくないものだといふやうな事をすら思はせられた。
 模型といふものは、或意味での役に立つに相違ないが、それは多くの場合に於て却つて実物の生命の失はれたものである事は、経験が私に教へる。

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 大阪文楽座の人形浄瑠璃は、私は一度しか見ないが、いかにもすぐれた芸術価値を持つたものであると思ふ。しかし、あれに使ふ人形の造り方も、またその人形の使ひ方も、決して所謂模型的なものではない。見やうによつてはそれはいづれも不自然なものである。しかし、その与へる感じは生きてゐる。つまり生命が攫まれてゐる。それは作者と使ひ手との心が籠つてゐるからである。その心の働きが主となつてゐるからである。
 若し仮にあの人形芝居の人形が、人物の模型であつたり、それを使ふ人が努めて人間の動作に模する事を主としてやつたとしたら、おそらくそれは見るに堪へない不快感を私達に与へるであらう。
 舞楽や能や神事に用ひる仮面も、その多くは奇怪な、若くは生きた人間の顔とは甚だしく異つたものである。しかし、それだからこそ私達はむしろそれに深い興味をおぼえ、愉快な感じを与へられるのである。
 若しこゝに実在の人間の顔を模した、通俗的な意味での「生き写し」の仮面があつて、それを人が被つて見せたとしたら、どんなにそれは怖ろしく不快な事であらう。

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 世に所謂悪漢と見做されてゐる人でも、その人の面相が見るから怪異な怖ろしいものであつたら、むしろ怖ろしさは左程でないであらう。それは昔から「鬼面人を脅す」といふ諺が、どんな意味で通用してゐるかを考へてもわかる。しかし、最も怖ろしい悪漢はやさしい人、善い人、深切な人の仮面を被つたそれである。新聞記事の上では「稀代の凶漢」などと書かれてゐる人でありながら、併せ掲げられたその写真の面相のあまりにいゝ男振りであるのに驚かされるやうな事は、私達のしば/\経験するところである。
 近年ロボット(人造人間)と称するものが、一つの流行となつてゐる。私はまだ実物は見たことはないが、写真の上で見たそれはいづれもいかにも奇怪な恰好をしたものである。だがそれが却つていゝではないか。若しあれが所謂「人間の生写し」のやうに造られてゐたら、却つていかに怖ろしく、いかに不快なものであるかわからない。
 デッスマスク(死面)と称するものがある。人が死ぬと、その死顔を蝋型にとり、それを石膏にうつし或は青銅にうつして、永くその面影を伝へる料とするのである。これは一方から考へると、模型を造ることのやうであるが、しかし直接死面に接して見ると、少しもさうした感じはない。気味わるさや不快どころか、むしろそれはいひやうのない快い静かさを与へるものが多い。それは実物の顔そのものが既に死の偉大な力によつて、浄化され静寂化されてゐるからであらう。又それを撮る芸術家の心が、手が、模型を造るのだといふやうな意識を超越した崇高な厳粛な働き方をしてゐるからであらう。

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 こんな事を考へつゞけてゐると、おのづとおもひ出されるのは、かの穂積以貫といふ人の書いた『灘波みやけ』と題する随筆の中にある、有名な近松門左衛門の虚実皮膜論である。曰く、

「芸といふものは、実と虚の皮膜の間にあるものなり。成程、今の世、実事によくうつすを好む故、真の家老の身振口上をうつすとは云へども、さらばとて、真の大名の家老などが、立役の如く顔に紅脂べに白粉おしろひをぬることありや。又、真の家老は顔をかざらぬとて、立役が、むしや/\と髭を生へなり、あたまは禿げなりに舞台に出て芸をせば、慰みになるべきや。皮膜の間と云ふがこゝなり。云々」

 近松は更にこれを面白い比喩で説いてゐる。

「……さる御所方ごしよがたの女中、一人の恋男ありて、互になさけをあつく通はしけるが、女中は金殿の奥ふかく居給ひて、男は奥方へ参る事もかなはねば、たゞ朝廷なんどにて、御簾のひまより見給ふも、たまさかなれば、余りにあこがれ給ひて、其男の形を木像にきざませ、面体なんども常の人形にかはりて、其男にうのけほどもちがはず、色艶の彩色さいしきはいふに及ばず、毛の穴までをうつさせ、耳鼻の穴も、口の内、歯の数まで、寸法もたがへず、作り立てさせたり。誠に其男を傍に置きて是を作りたる故、その男と此人形とはたましひのあるとなきとの相違のみなりしが、かの女中是を近付て見給へば、さりとて生身いきみをすぐにうつしては興のさめてほろぎたなく、こはげの立つもの也。さしもの女中の恋もさめて、傍に置給ふもうるさく、やがて捨てられたりとかや。是を思へば、生身の通りをすぐにうつさば、たとひ楊貴妃なりとも、あいそのつきる所あるべし」

 これはいかにも興味の深い比喩である。近松はこの理を説明して、

「それ故に画そらことゝて其像すがたをゑがくにも、又木にきざむにも正真の形を似する内に、又大まかなる所あるが結句人の愛する種とはなるなり。趣向もこの如く、ほんの事に似るうちに又大まかなる所あるが、結句芸になりて人の心の慰みなる。云々」

と云つてゐる。
 しかし、近松のこの説明は、単に芸術に於ける技巧上の問題にのみとゞまつてゐて、真の問題の中心に触れてゐない憾がある。私はむしろ近松の用ひた此の巧妙な比喩の含んでゐる問題の中心は、近松自身云つてゐる。
「……その男と此人形とは神のあるとなきとの相違のみなりしが……」
の一点に存すると思ふ。
「たましひ」の無いのが模型の常である。而して「たましひ」の無い模型は、実物に近ければ近いほど却つてます/\実物から遠ざかつた怪物となるのである。
 要は「たましひ」を攫むか攫まないかにある。生命を捉へるか捉へないかにある。

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 これは決して単に芸術の上の問題のみではない。人間を育て上げる事について考へても、私達は痛切にそれを感ぜずにはゐられない。
 人間を育てる教育と、人間の模型をつくり上げる教育とこの二つの教育のやり方を比較して見るがいゝ。そして現代の学校教育に於て、果してそのいづれが大部分を占めてゐるかを考へて見るがいゝ。
「俺は人間の模型なんか造らうとしてはゐない。俺のやつてゐる事は、真の人間を養成する事だ」かう確信を以て答へ得る教育家をこそ私達は期待してゐるのである。
 これは更に学科について考へて見ても、真の歴史を教へる代わりに、歴史の模型を展覧せしめてそれで吾事足れりとしてゐるやうな人がありはしないだらうか。真の修身を説くつもりで、修身の模型を示すに留つてゐる人がないであらうか。植物について、動物について、生理について、国語について、その他等々……いずれも無意識に模型教育で甘んじてゐるやうな人がないであらうか。
 前にも述べた如く「たましひ」の無いのが模型の模型たる所以である。而して「たましひ」の入つてゐない模型は、それが実物に近ければ近いほど却つてます/\実物より遠ざかり、且つ人を惑はすものである。

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 私は自分の子を育てる上に、特に此点に心を悩ます。「俺は自分の子供を人間たらしめようと望みながら実は或一種の模型をつくりつゝあるのではないか」かうした反省に打たれる時、私は慄然たらざるを得ない事がしば/\ある。そして自分についてばかりでなく、妻に対して私は鋭くその反省を促すこともしば/\である。

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 だが私なんかのかうした考へ方は、甚だしい時代錯誤なのかも知れない。ロボットさへも出て来る世の中である。何でもいゝから役に立ちさへすれば、仕事をしさへすれば、それでいゝのが今の世の中なのかも知れない。そしてさういふ風に人間をつくりあげることが、今の世で一番大切な事であるのかも知れない。
 しかし、私なんかにはまださうは考へられない。

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 京都の金閣寺や銀閣寺のやうな名刹に行くと、そこには必ず案内役の坊さん達が居て、宝物やなんかの説明をしてくれる。それがいづれも型にはまつた、まるで蓄音機でも聞いてゐるやうなものである。あれなんかこそ所謂標本的若くは模型的な説明の代表である。どんなに聞かされても何の興味も、何の感情も起らない。
 むしろ聞けば聞くほど悪ママを催するのみである。無論しやべつてゐる方にも、何の感興もなく全く機械的に口を動かしてゐるに過ぎないであらう。
 ずつと以前私は誰だつたかの書いてゐたこんな笑話を読んだことがあつた。
 何でもそれを書いた人が、或古刹に行つたところ、そこには運慶と湛慶との作に成る仁王像があつた。ところがそこの案内役がそれを説明して、
「あちらがウンケイ、こちらがタンケイ、いづれも左甚五郎の作であります」
とやつたといふのであつた。
 あまりにをかしいが、いかにもありさうな話である。しかもこれに類した事は、世間にざらにありはしないだらうか。現に私達は地方の青年団とか婦人会とかいつたやうな団体の講演会などで、よくこれとあまり遠くないやうな時勢の変遷談などを聞かされて、へんな気のする事がある。
 生命の攫まれてゐない、実感の伴つてゐない説明は、往々にして却つてその事柄に対する興味を失はしめ、甚だしきは倦怠や嫌悪すらも感ぜしめる結果に終る虞がある。
 歴史を談ずるにしても、時勢の変遷を説くにしても、又徳行の模範を語るにしても、やはり何といつても第一に重んずべきは、語る人その人の実感の有無である。
 こどもに物を教へる上にも、私達は常にその一事に深い自省を怠つてはならぬと心がけたく思つてゐる所以である。

底本:「日本の名随筆39 藝」作品社
   1986(昭和61)年1月25日第1刷発行
底本の親本:「相馬御風著作集 第五巻」名著刊行会
   1981(昭和56)年6月
入力:向山きよみ
校正:noriko saito
2010年7月18日作成
2011年4月14日修正
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