此溝渕(広之丞)ハ一日も早く長崎にかへし申度、されバ船の事ハ伊藤先生及洪堂兄等の御周旋可遣候。築前(ママ)くろ崎まで船か、長崎まで船か、夫レハ広が心次第也。然るに用向がすめバ一日も止り候ハ、甚よろしからぬ事故、早※(二の字点、1-2-22)出船御セ話可遣候。
大夫(ママ)先生に御頼事、
○洪堂がよく知りておるけれども又記す。
一、長崎よりの船代、
三十四両。
一、広が出セし金、
  龍が出セし金、
右算用高、金お四分ニ割り、一分ハ大村の村瀬(三英)が出したり。洪堂ハ金がなけれバ出すものなし。のこりハ溝渕と龍馬が二ツ割ニして出すはずなり。然るに龍馬も今日ハ金がなけれバ其尻りハ伊藤先生おわづらハせんとす。
それで大兄が算用しておやりのうへ、龍馬の一分ハどふぞや御手(許)ハ御面(倒)ながら御出シ置可遣候。呼嗚(ママ)、空袋の諸生かしこみ/\て申。頓首※(二の字点、1-2-22)
   廿日
    伊藤先生
足下

底本:「龍馬の手紙」宮地佐一郎、講談社学術文庫、講談社
   2003(平成15)年12月10日第1刷発行
   2008(平成20)年9月19日第7刷発行
※底本手紙の写真のキャプションに、(東京 伊藤家文書)とあります。
※丸括弧付きの語句は、底本編集時に付け加えられたものです。
※直筆の手紙の折り返しに合わせた改行は、省いて入力しました。
入力:Yanajin33
校正:Hanren
2010年8月27日作成
2011年6月17日修正
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