其処で、私は、眠ている祖母の傍に行って揺って起こそうとした。すると母は、『お前、昼眠をせんで起きているのか、頭に悪いから斯様熱いのに外へは出られんから少し眠て起きれ。』といって、また其儘眠ってしまった。私は、張合が抜けて父の室に行って見ると、新聞を読んでいた父もいつしか眼鏡をかけたまゝ、手枕をして眠っている。私は、父を揺り起そうとした。すると、『うるさい。少し眠かしてくれ。』といったぎり、また眠ってしまった。私は、全く、孤独であった。
熱い烈しい日光を冒して外に出て見たが、眼が眩むように、草も木も、すべてだらりと葉を垂れて、眤と光っている。此の平和の村は、何処の家も昼眠をしていると見えて、誰も、外に出ている人の姿を認めなかった。
『斯様、暑い日に外へ出るのはお前ばかりだ。』といった母の言葉が思い出された。
私は、語ろうと思ったけれど、友達がなかった。独りで桑圃のある方へ歩いて来ると、おはぐろ蜻蛉が、一疋頭の上を舞っている。私は、このおはぐろ蜻蛉は、どんな気持で、此の烈しい日光の中を飛んでいるかと思って、暫らく立止って眺めていると、極めて落付いて安心して、自分の考えるまゝに自分は自由に平気で飛んでいるのだといわぬばかりに、ひら/\と頭の上を飛んでいた。其のような、蜻蛉の飛んでいる様子を見た時に、私は見逃すような穏しい子供でなかった。常に、『これはいゝあんばいだ。こんなおはぐろ蜻蛉が下に降りて飛んでいることはない』と心は躍って、きっと工夫して帽子で捕えるか、細い棒で叩き落したものである。
また草の繁った中に入って、チッ、チッ、チッと啼いている虫の音を聞き澄して捕えようと焦ったものだ。自分の踏んだ草が、自然に刎ね返って、延び上った姿、青い葉の裏に、青い円い体に銀光の斑点の付いている裸虫の止っているのも啼く虫と見えて、ぎょっとしたこと、其の時の小さな心臓の鼓動、かゝる空溝に生えている草叢にすら特有の臭い、其等は、今、こうやって机に向っていると、まざ/\として目に見え、鼻に来る覚えがする。
けれど、平常ペンを採っていて、この色、この臭いを今考える程強く書いたことはなかった。
また、かゝる日に自己の興を求めて殺生した事実について考えさせられたこともなかった。
真面目に自己というものを考える時は常に色彩について、嗅覚に付て、孤独を悲しむ感情に付て、サベージの血脈を伝えたる本能に付て、最も強烈であり、鮮かであった少年時代が追懐せられる。故に、習慣に累せられず、知識に妨げられずに、純鮮なる少年時代の眼に映じた自然より得来た自己の感覚を芸術の上に再現せんとして、努力するのは、蓋し、茲に甚大の意義を有することを知からである。
(七月八日)