思想問題とか、失業問題とかいうような、当面の問題に関しては、何人もこれを社会問題として論議し、対策をするけれど、老人とか、児童とかのように、現役の人員ならざるものに対しては、それ等の利害得失について、これを忘却しないまでも、兎角とにかく、等閑に附され勝である。
 しかし、このことは、一般が冷淡なる程、しかく差迫っていない問題であろうか、すでに、社会上の役割を終った老人等が、彼等の老後、貧困に陥り、衣食に窮するに至るとせば、当然、その責をこの社会が負うことを至当とするからである。これについては、別に、論ぜらるべき機会のあるとして、こゝには、独り、児童について言うことゝする。
 曾て、市街公園の名称にて、新聞に報ぜられたと記憶するが、なんでも、ある一定の時間内だけ、その区域間の自動車、自転車の通行を禁じて、全く、児童等のために解放して、小さき者達の遊園とする、計画であったと思う。あの話は、その後何うなったのであろうか。
 実に、児童等をして、交通危害に関する恐怖より、一時なりとも解放することは、彼等の身心の発達上に及ぼす影響こそ真に大でなければならぬ。
 今から、二十年ばかり前までは、市中には、まだ電車も、自動車もなかったといっていゝ。ただ馬車や、人力車が交通するにすぎなかった。だから、歩行するのに、さまで神経を労しなかった。一里や二里位の路を往復することは、なんでもなかった。しかし、これがために、今日、近距離を行くにさへ[#「さへ」はママ]、乗物を利用するのを目して、贅沢になり、惰弱になったと一概に言うことはできぬのである。なぜならば、これだけ、交通が危険のために、歩るくことに対して、少しの愉快をも感ぜず却って、恐怖を感じ、神経を過分に浪費するからである。
 大人でさえ、そうであれば、児童達が、一層、これに神経を働かせるのも察せられよう。彼等は、常に、戸外に生活しているともいえるのだ。そして、これ等の小さき者達は与へられ[#「与へられ」はママ]たる、境遇について、不平を言い、抗議することを知らない。いつも受動的であり、どんなとこにでも甘んじなければならぬ。それを考うる時、四六時中警笛におびやかされ、塵埃じんあいを呼吸しつゝある彼等に対して、涙なきを得ないのである。
 彼等にせめて、一日のうち、もしくは、一週間のうち幾何かの間を、全く、交通危険に晒らされることから解放して、自由に跳躍し遊戯せしむることを得せしめるのは、たゞそれだけで意義のあることではないか。また暑中休暇の期間だけ、閑静な処にて自然に親しませることは、虚弱な児童等にとって必要なことである。林間学校、キャンプ生活、いずれも理想的なるに相違ないが、それには、費用のかゝることであり、無産者の子供は、加わることができない。要は、適当なる社会政策の施されざるかぎり、学校か、町会などにて容易に実行されることでなければならぬ。
 これについて、富豪の宏大なる邸宅、空地は、市内処々に散在する。彼等の中には、他に幾つも別荘を所有する者もあって、たゞ一つという訳でなく、所有欲より、すべての山林、畑地の名儀にて登記し、公然、脱税せるものもあるのだ。かりに、これを借りることも、規律正しく使用するに於ては、ために一木一草を損うことなくすむであろう。
 かゝる正義の行使は、今日の社会として、当然持たなければならぬ権利である。なぜならば、児童等は、両親のものなると共に、また社会のものであるからだ。より善き社会の建設は、今日の児童によってのみなされるであろう。故に、社会は、また児童等の生活について、無関心たること能わぬのである。
 夜業禁止や、時間制により、工場はある不幸な児童等は救はれたのであるが、尚、眼に見えざる場処に於ての酷使や、無理解より来る強圧を除くには、社会は、常に警戒し、防衛しなければならぬであろう。そして、積極的に彼等がいかなる、境遇に置かれつゝあるかと認識することによって、その中の可能なるものより、速かに実現されんことを希うのである。

底本:「芸術は生動す」国文社
   1982(昭和57)年3月30日初版第1刷発行
底本の親本:「常に自然は語る」日本童話協会出版部
   1930(昭和5)年12月20日初版
入力:Nana ohbe
校正:仙酔ゑびす
2011年11月30日作成
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