その軍医は非常な甘い物好きで、始終胃をわるくして居た。所謂医者の不養生であつた。ふねが港にはいると、取りあへず其処の名物の菓子を買つて来た。さうしてそれを眺め、それを味ひ、それから一々丁寧にそれを写生した。絵の巧い人で、絵の具をさして実物大に写生した。それだけの写生帖があつて、時と所と菓子の名前と、さうして目方と価とが記された。永年のことで、菓子の種類は夥しい数に上つた。静かな航海中、用の無い時は独りその写生帳を取り出し、その美しい色や形を眺め、その味ひを思ひ出して楽しんだ。
私は少年の頃、この話を聞いて面白いと思つた。目方を記したところに、科学に関する仕事をして居る人らしいところがあると思つた。私も菓子が好きで、何時からか妙な事を始めて居た。折や箱に貼つてある菓子の名を記した小紙片、謂はば菓子の名札であるところの物、美しい絵や模様を描いた包み紙、箱の中に添へてある絵画詩歌などを書いた小箋。何でも集めるのではなくて、自分の好みに合ひ、佳いと思つたものだけを取つて置くのであつた。永い間のことで、面白いものが相当に集つた。柚餅子のやうな菓子には、鉄斎が洒脱な趣をもつた柚の絵を描いて居た。柿羊羹を台にした菓子の中の紙には、石が柿の画に詩を添へて居た。徳島の和布羊羹に付いて居た小箋にも、薄墨ずりの詩があつた。熊本の檜垣飴の中には、檜垣の嫗の歌を記した、色とり/″\の詩箋のやうな紙が幾枚もはいつて居た。所謂レッテルといふ西洋紙刷りのものではあつたが、越の雪の商標は古風な銅版画で、その店舗の様子を写して居るが、その前にある昔の無恰好な黒い四角な郵便箱が面白い。それらを布張りの洒落た菓子折の中へ入れておいた。
砂糖が不自由になつた頃、菓子好きの人が来るとそれを見せることがあつた。客は笑つてこれは御馳走だといつて面白がつた。この変な私の蒐集も、戦火のために他の一切と共に烏有に帰したが、こんな物よりも港々の思ひ出を伴つて居る菓子の写生帳は、どうなつて居るのか、時々思ひ出すことがある。
底本:「日本の名随筆54 菓」作品社
1987(昭和62)年4月25日第1刷発行
1997(平成9)年5月20日第8刷発行
底本の親本:「素白随筆」春秋社
1963(昭和37)年12月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2011年11月28日作成
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