(みんな、同じことだ)
それでも壮い漁師は、その女房がまだどこかに生きていて、ひょっこりと帰って来そうに思われた。
(運じゃ、運がよかったら、助からんこともない)
浪の音が穏かにざあざあと云うように聞えて来た。それとともに、波の静な海がどうしてあんなになるのだろうと思った。その考えはやがて海の上を駛っている船へ往った。
(何かにつかまって、泳いでいるうちに、助けられたかも知れない)
そうだとすると、五日や十日では判らない。壮い漁師は小づくりな眼に黒味の多い細君の顔を眼前に浮べながら歩いた。
道の両側になった樹木の枝には、凄惨な海嘯の日の光景を思わすように、ぼろぼろになった衣服や縄ぎれが引っかかっていた。それを見ると壮い漁師の心は暗くなった。
(いくらなんでも、これじゃ)
町の後になった丘の中腹には、海嘯のために持って往かれた発動機船や帆前船が到る処にあった。
(やっぱり死んだのか)
壮い漁師は溜息をついた。と、その眼の前へふらふらと寄って来た物があった。それは向うから来た女で、壮い小づくりなその顔が月の光に浮んでいた。
「おう」
壮い漁師は飛びつくようにして女のほうへ往った。女は眼に黒味の多い女房であった。
「生きてたのか、おまえは」
壮い漁師の心は歓喜に顫えていた。
「おれは、あれから探しまわった」
壮い漁師は夢中であったが、その女はそのままするするとすれちがった。
「おい、どこへ往く」
壮い漁師はあの騒ぎのために気が狂って己の顔を忘れているのではないかと思った。
「おい、俺だよ、おれだよ」
壮い漁師は女房の名を呼んだ。
「――、家はそっちじゃない、どうしたのだ」
壮い漁師は女房の肩に手をやろうとした。と、女はちらと揮りかえった。そして、所天の顔を見て莞としたが、そのまままた見えなくなった。
底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第四巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月22日作成
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