僅々一枚か二枚の六号どうしても書けない、書けないといふ事を誇張するわけではない。書く事はいくらでもあるやうで、憤懣や希望や喜悦や悲哀は少なからず持つてゐるやうだが、それが事実余りに強く余りに見苦しいもののやうな感じさへして、書き度くないと思ふ。他人のそでにすがつても訴へ度い悲しみや……は感じてゐるけれども、「いざ云はう」となると「云つたつて仕様がない」と思つてしまふ、とつひ悲しい戯談気が出て全然取るに足りない事などを云つてしまふ様になる、と云つて心の儘を云ふべく余りに自信のない事だ。――などと云つてゐる中にいつの間にか長たらしい文句を書いてゐるやうになる。憎い奴だと云ふ気が起つて、殴つてやらうか、とまで思ふと同時に、堪らなく可愛くもなつて来る、嘘の云へない自分は自分だけで愛さう、と定めて定り切つた慰め(?)をいふやうになつて来る。
 今日は六号を書かなければならぬといふ約束だつたのがペンを取つたには違ひなかつた、これを書く事を苦しいとは思はなかつたが、なさけないことを書いてしまつた、親愛なる諸兄よ許して呉れ。

底本:「牧野信一全集第一巻」筑摩書房
   2002(平成14)年8月20日初版第1刷
底本の親本:「十三人 第二巻第六号(六月号)」十三人社
   1920(大正9)年6月1日
初出:「十三人 第二巻第六号(六月号)」十三人社
   1920(大正9)年6月1日
※題名の〔〕は、底本編集時に与えられたものです。
※「同腹異腹」と題した雑誌のコーナーへの、無題の原稿です。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年5月26日作成
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