さあ、これから宿へ帰つて「東京見物記」といふ記事を書くのだ――おいおい、タキシイを呼び止めて呉れ、何方側どちらがわだ? 何方側だ? 俺には見当がつかぬ――などゝ僕は同伴の妻に云ひ寄るのであつたが、妻君は、前の晩に友達と別れてから、わたしと手を携へて怖る/\訪れた赤坂辺のダンスホールを訪れたところが、そこで、案外にも平気で踊ることが出来たので、自信を得てしまつて、やつぱり村の野天やアバラ屋で古風な蓄音機に合せて村の友達連と踊るよりは此方の方が遥かに好もしい。また今宵は別のホールへ赴いて見よう、新しい踊りを覚へて村の友達連に披露してやりたい――と云ひ張つて、二人はスキヤ橋の袂にたゞずんでしまつた。……朝日新聞社の屋上で五彩の煙りを吐いてゐる回転灯を眺めながら僕は、この五六日来の猛烈に慌しい見物行を考へてゐる――では、御身は、これから弟のタミを呼んで、姉弟仲睦まじく手を携へて踊りに酔ふて来るが好からう、余は麹町の宿へ赴いて御身等の帰来までに、この稿を仕上げ得られゝば幸ひだから、斯く花やかに目眩しい都に出たあかつきは、万事を、この腕の時計に従つて全速力に所置しなければなるまいから――と愉快な忠告を与へて、左右に別れる。十二時までにお帰りよ、さあ、この時計を御身へ――と僕は、自身の武骨な時計を脱して妻の腕首にしつかり巻きつけ、夜半再び相まみへるまでの無事を祈る! といふほどの慎ましやかさをもつて、もう走り出さうとした彼女の車に向つて、手を振つてゐると、突然僕の耳もとをかすめて、
「チエツ!」といふ舌打ち――と、
「同情するよ。」そんな声と、そして、
「甘え野郎だなア!」
 といふ感嘆とも嘲笑ともつかぬ声が飛んだのに気づき、僕は、仰天のあまり肩をすぼませた。にわかに顔がカーと熱くなり凝つとしてゐられなくなつたので、前後の弁へもなく一つのタキシイに飛び乗つてしまつたのである。
「どちらまで?」
「……真直ぐ行つて下さい。」
 タキシイは、歌舞伎座の前を走つてゐる。――やあ、あべこべの方角へ走つてしまつた。やあ、此方へ行くのではなかつた、僕は麹町へ行く筈だつたんだ間違へた/\! などゝ今更云つたら、定めし笑はれることだらう、お祭り見物に来た田舎者だな?
「厭だな……そんなに思はれるのも――。癪に触る。」……。
「今の、歌舞伎座でせう?」
 と僕は訊ねた。
「えゝ、さうです。これつ有名な歌舞伎座です、今月の狂言は梅幸、羽左衛門、中車……」
 運転手が説明する。(厭だな……そんなに思はれるのは!)とたつた今懸念したことがどうやら実現してしまつたらしい。
(えゝ、面倒だ、いつそ、あざやかなオノボリさんになつてやれ。)余程車を止めて、口でもあけて看板を打ち眺めてやらうかと思つたが、それもあんまり空々しいので、
「他の劇場の前も通つて呉れ給へ。」
 と云つた。――実は、上京以来、僕たちは、或る友達の好意に甘へて、今月の大方の芝居を見て歩いた後だつたのである。歌舞伎座は、「葵の上」の琴に酔ひ、「十六夜」の、月もおぼろ……に、退屈し、演舞場では、折角楽しみにして行つた六代目が、病気あがりのせゐか、何うも観た眼に気勢の欠けた感じで、何となく淋しく、何とかといふ狐使ひの悪者につて長髪で現れ、祠の前で法を結んでゐるところまで観て、失敬し、帝劇のカーピ・オペラにも行つたが、リゴレトの日で(オペラは解らないから番組などは何うでも好いのだが)、ヒイキのミセス・ヘンキナが登場しないので、落胆し、ブツ/\云ひながら帰つたり、そして、最も面白かつたのが、明治座の軽羅をまとふて(この衣裳万上の傑作、推賞措くあたはざるものなり。)ヒラヒラと踊つた飯島あや子嬢の――まさしく春の野に踊る黒い蝶々の朗らかさだ。今でも僕は昆虫採集に中学生的興味を持つてゐて、田舎にゐると、これからの陽気では麗らかな日には、捕虫網をかついでひねもす野山を駆け廻る習慣だが、それで、あの踊りを見ながら、そんな愚かな夢に走つたのではあるが、若しもあんな蝶々が現れたら、あゝ自分はどんなに烏頂天になつて、吾身を忘れて、森を越へ、谷を渡り、山を飛んでゝも、追ひかけ/\、することだらう……やア、素的だ/\、ヤンヤ/\と、手の平がしびれるほど拍手した。アンコール、アンコール、アンコールと望みたい――などゝ云ひ過ぎて妻君に反感を持たれたりした、――で、それだけ方々の芝居を見て、それが一番面白かつた(これは僕ばかりではない、観客全部の大喝采なのだ。)――なんて何だか自分に哀れを感ずる――などゝ、その帰りに、その辺の薄暗い酒場に立寄つて、盃をつまみながら六ヶ敷気な表情をしたが、何う考へてもあれ爽々すが/\しく愉快で、未だに眼を閉ぢると、眼蓋の裏にあの妙なる踊り子の幻が髣髴とする位ゐなのである。序でに云ふが、この頃の小さな酒場の光りの具合は僕にとつては特別に都合が好い、何故なら僕は、気六ヶ敷い酒のみで、はぢめのうちはいつも勿体振つて、一口毎に酒をのんでは何事かを深く考へるといふ風な重々しい表情を稍暫し保つ癖があつて、屡々相手に笑はれたり、不快がられたり、軽蔑されたりするのだが、都の多くの酒場では相手の顔が判別し難い暗さであるから、そんな心配もなくなり、また、あれならば、美しき酌女ウエイトレスに関心を抱いて弄れるにしても多くの酒徒に和やかな落つきを持たせ、見る者の眼にも野卑なる思ひを感ぜしめずに済むだらう――綺麗だ! と思つた。僕自身には嘗て左ういふ懸念はないが、田舎の居酒屋で僕にとつて最も見るに忍びない光景は、白昼婦女に弄れる野卑なる酔漢であつた。それらの酔漢を眼にして何時か遊女に対しても端然たる態度を保つやうになつてゐた僕であるが、都のあの様な配光の和やかな室に於てゞあるならば、自分もあの様に美しい酌女ウエイトレスの肩や手に大らかに触れても見たい――などゝ思つたりした。都でならば、あれらのタバンでならば、静かにならば、田舎流の野卑たる酔漢を真似ても、あの手ぎわよい光りが覆ふて呉れるだらう。見得を持つて律儀を保つてゐた僕の胸に、反つて野蛮な歓喜の影が翼を拡げた。――行かう/\、これからは妻にかくれて、裏町の酒場へ忍び、それからそれへと“Tavarn's pleasure”を漁つてやらなければ馬鹿/\しい――と思つた。
 思へば、僕はあまりに忠実な亭主でありすぎた。田舎に暮し続けた日は云ふまでもなく、斯うして、都に出てすら、芝居へ行くにも、友達を訪れるにも、酒場へ行くにも、ダンスホールへ行くにも、一分一秒も妻と別々な行動を執つた験しがない。思へば、往来の人にあんな嘲笑を浴せられるのにも一理はありさうだ。そんなことは何うでもかまはないが、思へば、ほんの半夜とは云ふものゝ斯うして妻に別れて歩いてゐるなんていふことは、幾月振りであることだらう。おそらく彼女も今頃は無意識ながらにでも殆ど自分と同じやうな自然な安意さに打たれながら、若しかすると弟ではない若者と組になつて、好い気になつて踊つてゐるかも知れない。――面白い、面白い、東京は面白い……。
「もう一度銀座から出直さう。」
 僕は真面目な見物者に立返つて斯う云つたが、それは寧ろ、何処かこれから半夜の歓楽をあがなふべき適当な処を思案する予猶を自分に与へるがため――でゝもあつた。車の行列でスピードが出ないのが返つて具合が好い。
「今度は?」
 運転手に時々斯う訊ねられるのが切ない。
「大川端へ出よう、そして橋を見物して、その先は、更に考へる。」
「あれが新橋演舞場! 此方側のが来月から開場される東京劇場……」
「立派だね、国から親を呼び寄せて是非見物させてやりたいものだな。」
「お国はどちらですか、九州ですか?」
「いや、――まあ……」
「永代橋――渡りますか――」
「渡らう、そして清洲橋へ――」
 十年振りで深川通りを走る。
「はい、清洲橋――あれが明治座……」
「ちよつと此処で降して貰はう。」
 僕は欄干に凭つて月を眺めた。川蒸汽だけは昔のまゝであるらしい。月あかりでははつきりとはわからぬが――。明治座なら人形町は直ぐ近くだな。学生時分に、何年かの間自分はこの辺の住人だつたが、――小説(小川の流れ)にも書いたことがあるが、その僕が寄宿してゐた家には生意気な娘がゐて、娘に案内されて芝居を見歩いたり、この辺の河岸ぶちを散歩したりしたが、一向見当がつかない。娘が谷崎潤一郎の「あつもの」といふ小説を僕にすゝめたりして、いろ/\と僕に「下町情緒」とやらを教育したのもその頃だつた。僕は早稲田の文科に通つてゐたが、日本に何んな小説があるかといふことも知らなかつた。娘のすゝめに従つて、一葉を読み、荷風を読みしてゐるうちに次第に僕も現代小説に興味を持ちはぢめ、「新小説」「中央公論」「スバル」などゝいふ雑誌の読者になつて、潤一郎の新作を待ち兼ねたり、勇の歌を喜んだり、万太郎の作物を愛読しはぢめたりした。
「水天宮へ出て、人形町通りを下谷へ向つて走らう。」
 僕は、あの頃の思ひ出に耽りながら水天宮通りを和泉橋へ向つて走り、娘の家への曲り角に気をつけたが無論見失つた。見つけて、曲つたところが今はもう娘の家があるわけでもないのだが。
「雷門――ずつと北方まで行きませうか?」
「沢山だよ。蔵前をまはつて、日本橋へ出て、丸ノ内を一周して銀座で降りよう。」
 間もなく僕は、さつき細君と別れた――新聞社の屋根でまはつてゐる飾花灯の下で親切なタキシイに別れを告げた。
 未だ時間が早い――。未だ僕は行先きについて思案してゐる。思案が浮ばない。で、仕方がなく白木屋の近所にあるG――といふ酒場へ行つて、誰かに、素晴しい歓楽場の所在を訊ねようと思つた。僕は、此頃洋酒は苦手で具合が悪いのだが――其処は、シーク・ドランカーの井伏鱒二君や中村正常君達に依つて知らされたところなので、彼等がゐれば好いが――と念じながら走つた。――が、誰もゐなかつた。僕はぐつたりとして酌女ウエートレスの顔を眺めてゐると、義弟のタミと細君がやつて来た。麹町の宿へ電話をかけたが、未だ一度も帰らないといふので、此処へ来て見たのである――嘘つき! と、タミと細君が呟いだ。ダンス・ホールは何うしたのか? と訊ねると細君は、僕の手をとつて、おぬしと一処でなければつまらぬから……といふのであつた。
「この酒場の名前は、何処かの国の言葉で、細君がブツ/\言ふといふやうな意味なんだつて――」
「まあ、変な名前だわね――あたしも、少しブツ/\云ふやうなことに出遇つて見たいわ。」
「さつき、宿へ帰り損つた理由は後で話すが、決して僕は嘘をついたわけではなかつたんだよ。」などゝ僕は妻の肩に手をかけて懇ろに弁明したが、つとしたやうな、また不足のやうな、そして、つまらぬ健やかな苦笑を覚へてならなかつた。
 それから、三人睦まじく打ち伴れて、ダンス場へ出かけ、一時間で引き返し、僕はこのペンを執りあげた。
(三月二十六日)

底本:「牧野信一全集第三巻」筑摩書房
   2002(平成14)年5月20日初版第1刷
底本の親本:「婦人サロン 第二巻第五号(五月号)」文藝春秋社
   1930(昭和5)年5月1日発行
初出:「婦人サロン 第二巻第五号(五月号)」文藝春秋社
   1930(昭和5)年5月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年8月15日作成
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