目次
 今月、雑誌を手にとるがいなや、自分が評家の立場であるなしにかゝはらず、待ちかまへて読んだものが、三つもあつたことは大変に愉快でした。それは、「早稲田文学」の、室生犀星作、弄獅子と、「中央公論」の、広津和郎作、一時代と、そして、「改造」の、眼中の人、小島政二郎作の三篇です。今月の、「早稲田文学」の論説壇で、二人の新進作家を語るといふ、中谷博の、冒頭を今不図見たのでありますが、斯様に述べられて居ります――小説は、およそ、面白いものでなければ困る。読者は、決して、作家の親戚でも親友でもない、どれほど面白くなくとも、義理から読んで呉れる筈のものなのではない、況んや文学青年あつかひして、甘く見くびつたりさるべきものではない。さればとて読者をば、選ばれたる人々とか常に時代の尖端を切つてゐる人々とかに解しても嘘にならう。要するに読者とは、平凡な社会人を以つて構成された読書生の一群と見るが穏当であらう――と。
 さうです、いつも例へばわたし自身にしろ、面白さうなものばかりしか読みません。自分が作家生活をするようになつてからは、これではいけないと感じながらも、どんなに評判の好いものでも、つい無精になつて、十年、十五年と読み慣れてゐる作家のものより他には読みません。で、さういふ癖は改めるに如くはないと思ひましたので、むしろ読みたいものは後まはしにして、見学式な望遠鏡を執らなければ、この筆を執る意味もなくなると眼を据えて十日も前から凡てのものをぼつばつ読みはじめて、そのいちいちに就いては決して自分らしくかた寄らぬ感想を述べるつもりで居りますが、さういふ間にもやはりその三篇のことが眼の先におどつて、落つきません故、先に述べさせて貰ひます。どうぞ、わがまゝ勝手な評者と思はないで下さい。
 さて、わたしは、一月号の「早稲田文学」で、犀星作の、弄獅子をはじめは何気なく読みはじめたのです。標題を眺め、小標題を見て、詩のやうな、そして随筆のやうに凝つた作品かとおもひました。白状すると、わたしは、さつきも申したやうな次第で、室生犀星の小説が近年になつてますます薄気味悪いやうな底力がみなぎりあふれ、かれとしての芸術のうんあうにむかつて猛々しく、恰もそれはブルドツグのやうな骨組で、且つはまた、夜の大空におどる怪竜の、爪の光りか、鱗の輝きか――といふやうな、その他さまざまな好評を聞いても、つい/\無精を決めこんで居りました。詩や随筆は折にふれては愛読し、小説だつて、ずつと前には本も幾冊か買つて、おもしろく読んだことはあつたのですが、どうしたといふわけもなく何時の間にか遠ざかつて了ひました。薄気味の悪い偉い作家だなどときくと、何だかわたしは、ますますおつかなくなつて、稍ともすると蛇屋の前でも通る時のやうに逃げ出しました。やがては、それが多くの人々に尊敬されてゐる作家だと聞けば聞くほど、怕気をふるつて近寄れませんでした。薬になつても、適はぬといふ気が致したのでせう。ところが、この新年にさういふきつかけで、この弄獅子を読むに及んでは、わたしは深く前非を悔ひて、これまでそんな愚かな遠まはりをしてゐた自分を馬鹿にせずには居られなくなりました。こんなところに、こんな人生の深い悦び、否、文学のおもしろさがあつたか? と、しばしは寂しい暮しの憂鬱も忘れて、得難い酒の酔に陶然としてしんみりと宙を眺めて莨を喫しました。この文章を書く機会がなかつたら、おそらくわたしは、この美しくなつかしい文章の作者にめんめんたるおもひをこめて手紙を書かずには居られなかつたでせう。そして、その手紙のなかに、これまでのことは何卒おゆるし下さいといふやうな意味のあやまりの文句を入れずには居られなかつたでせう。
 どうも、「早稲田文学」の小説欄がふるはぬといふ評判をきゝますが、新作家のものは別段に他の雑誌よりも選択が応揚すぎるとも見へないが、それは、つまり、いろいろな事情で既成作家の力篇が載らぬといふことに違ひありません。さりながら、この弄獅子一篇は、ちかごろ文壇随一の名品とも云ふべく、理屈はさておき、わたしの知合ひの文筆に関りのない人達、つまりは平凡な読書生だつて、また高きを索める芸術家肌の人達にしろ、挙つて感心し、つゞきを待つてゐない者はひとりもありません。一概に、佳作とか、傑作とかと驚くものではありませんが、小説の一つの理想といふもののあらはれとして、読者にとつてはおそらく満足に堪へられぬ泉の水に胸を沾ほされる悦びに違ひありません。
 何かと賞めちぎることのかはりに、二三個所を抜萃して、未読の方へおすゝめ申すよすがとも為したい、且つは作者への敬意として。

 ――かういふ事実を人びとは信じることに依つて屡々人生の惨虐さを会得する筈のものであるが、僕の場合はへとへとになつて母の手を逃げるより外に、そのおしまひの場面をくらやます方法はなかつた。茶の間の時計の真白な顔がさかさまに見へ、時計は人間でないから仕合せだと思ふほど切ないものであつた。(――)僕のよくないのはさういふ折檻のあとで泣くことをしないで、只、怒つてゐるだけであつた。大地震が来るか火事になるか大水になるかしなければ僕の復讐は僕の考へ通りに行はれなかつた。僕の頭に去来するものは殺人的な考へしか浮ばなかつた。
(――)僕への打擲はまだしもそれがきぬに加へられるときは、阿鼻叫喚の凄じさがこの少女と四十女との間に、あらゆる秘術を以つて行はれたのである。きぬは、ごめんなさいといふ声と欷き声との隙間をもたない。一種の連続的な身の毛のよだつ恐怖のどんづまりの叫び声とも何ともつかぬ声をあげて、家ぢうを逃げ回るのであつた。
(――)よく見るとその顔にどことなく平常からの暢気さが早表はれて、あれほど酷い折檻を受けた少女であるとは思へない、どこか、忘れつぽい、けろりとした円い眼を鳥のやうに動かしてゐた。
 ――、痛かつたかい。
 きぬは些んの少々、涙で乾張つた顔に融けた笑ひを見せた。それが返事のかはりだつた。(――)必ずあゝされなければならない事がらが漸と済んで了つたといふ顔つきだつた。却つてそんな顔つきが僕に腹立しい忌々しい気持を起させた。(――)
 我々兄妹が折檻をされた翌朝は決つてお天気が好かつた。羅宇屋の笛が家の前で止つて母は折れた煙管の柄を修繕させるのであつた。我々の折檻を受けたあとで煙管はいつも雁首の付根から割目がはいつてゐたのである。僕はそれを何か可笑しい気持で眺めてゐた。

 特に以上の個所を抜萃したといふのではありません。全篇悉くが、斯程に類ひもなく傑れて居ります。わたしは決して、書かれて居る事件や内容に好奇の眼を特に視張るといふのではない、作者の稟質に払ふ驚異と敬意に他ならぬといふのは、おそらく吹聴するまでもなく大方の御想像を得ることと安堵いたして居ります。
 次に広津和郎作、一時代は、作者近来の佳作たることは有無ないでありませう。日頃、この作者の筆致が、素つ気ないとか、投げ遣りだとかと云はれますが、それが却つて、一種の不思議さをもつて、この作品を渾然とさせて、息をもつかせません。青年時代の一人の主人公が、一人の奇嬌な友達に悩ませられるところが、そして不思議な友情関係が主題でありますが、そして、これは実にも明朗爽やかな写実的筆致をもつて人物場面ことごとくが、まさしく浮彫に描かれて居り、写実的なものであると同時に、わたしは、こゝに至つて益々怠惰の色もなく溢れる抱擁性に接するにつけ、何か、こゝに現れてゐる主人公の友達なる人物が、われわれにとつての、人生の化身の一部であるといふやうな眼に見へぬものからの一つの象徴として出現した、一時代とは限らずに、われわれが常々人生から夢うつゝに見るものの、何かを、それは、これとこれだと見せられる感に、より多く誘はれました。この作家の筆は、一見すると他奇なきものと見られますが、どうして容易ならぬ飛躍性が充ち充ちてゐて、うつかりと、われわれが技巧的なことなどを口にしたら、こつちこそ飛んだ自業自得に陥入るであらう、長成を見逃すことになるでせう。盆栽の植木の出来栄えを芸術と見るべき他方に、天然の嵐や吹雪の中に、こゝにこそ何者にも負けぬ発展性のあることを、こんなに悠々と体得してゐる作家を、わたしは現代に見ることが出来ぬ、単なる才能や余猶ある生活などといふものが、むしろ当人を不幸にするつまらなさをおもふとき、わたしはこの作家から不断に、そこはかとなきものを教へられて、やはり自分が目下の状態で文学とたゝかつてゐることに、あきらめではないものを淙々と感じて来るのであります。

(――)さう云つてゐる中に、次のやうな考へが浮んで来たので、私は屹ツとなつて彼の顔を睨んだ。「さうすると、門野、君はかうして俺のところに転がり込んで来て、俺の生活気分を滅茶苦茶にしたが、それでは何か、それも君が俺よりえらいから、俺を踏みつけても構はんとでも思つてゐるのか?」
「待てよ」
 門野は今までより一層烈しく、掌と掌とをこすり合せながら、首を傾げて考へてゐるやうな恰好をしてゐたが、
「うん、さうさな。さう云はれて見ると、つまりさういふ事になるかな」と云つた。
 私は腹立ちながらも、噴出さずには居られなかつた。

 この一個所を抜萃しただけでも、この作がどんなに傑れた諧謔味と、また慎ましくいろいろなことを考へさせられる、何と当今の歪んだ文芸界に異彩を放つた明るく、ほのぼのと霧の漂ふた景色が、浮んで来るでありませう。わたしは、何も感傷的な読者ではないつもりです。わたしは、かれの、見得易からざる才分の、恰もゑんゑんたる春の波にもてあそばれて、恢々と、即ち、人生のための芸術の扉を開かれるのであります。“At last a hand was laid upon the door, and the bolt shot back with a slight report.(――)Then the door opened, letting in a little more of the light of the morning;”
 閂の引かれる音がかすかにきこえて
 やがて、扉は、朝のひかりを誘つて
 ――
 と、わたしは、これを読みながら、ゆくりなくも Robert Stevenson 作“New Arabian Night”を思ひ浮べて、人生と芸術の妙に、ふところを開かれるのでありました。嗚呼、芸術と人生の澎湃極みなき魔宴サバトよ、甲斐多き哉!
 小島政二郎作、眼中の人――。
 わたしの筆は、いつかうつかりときのふから政二郎論に移つてしまひました、そして、それは今こゝに収録しきれなくなりましたから別の機会にまとめませう。恰度わたしどもが小説を書きはじめようとしたころ、一歩先んじてわたしの前に歩き出した人として、わたしはかれの後姿をぢつと眺めて来たものです。眼中の人は、かれの十年前の自伝小説、山冷か時代を、終ひにたゆみなく踏み越えて、本流に棹さしました。わたしは、今こそかれの操る舟に便乗して不安もなく、次々に展開される風景を賞美することの幸ひを悦びました。恰も、ライン峡谷をさかのぼる思ひを持つて、おもしろく、この長篇小説の完成を祈らずには居られません。理屈つぽいもの、深刻なもの、六ヶしいもの、それも結構でせうが、さういふ灰色の文壇に、斯の如き一条の流れを見出すことは、これが若き批評家達から何んなあつかひを受けるかは知りませんが、おそらく多くの読書生にとつては甘露を味ふ喉の沾ひを与へしめるであらうとは、疑ふ余地がありません。わたしは、今日は何か云ふことの代りに、次の一文を翻訳して此処に掲げ、ひたすら連載を望んで止まぬと、眼中の人の作者へデヂケートする次第であります。憂鬱とか苦い顔とか、さういふものを内に畳むことの六ヶしさ、明るくなければならない、愚痴があつてはならない――わたしなどが、ついやり損つてしまふ教養と常識の楯の蔭で、かれこそは永い間辛棒に辛棒を重ねて、いや、まだこれからも戦争をつゞける、その、独りの都会人の寂しさといふものに就いては、何故かわたしは片田舎の育ちでありながら自分として想像の出来るものを、悲しや、生れながらにして持ち合せて居るのです。それが、屡々逆にほとばしつて、放埒、野蛮な槍をとつては、人に反敵つたりしたことも屡々でした。それは、ともかくとして――作者へ贈る――ライン河、舟遊案内記の一節であります。
 ――Rhein 河は、源をアルプス山中サンゴタール峠に発して、北東に向ひ Chur に北折し、スヰスの東境を限つてボーデン湖に注ぐ。更に、かくれて潮の西方より翼を伸べて台地に赴くや、忽ち支流 Aar――Neckar を合せて、どうとばかりに独仏の国境に飛沫を挙げ、Bingen 山脈を乗り越え、Bonn に達して、北ドイツ平原に至るや、漸く満身に光りを浴びて趣きぞ一変す、流れて一千三百二十六粁――こゝに、はじめて「ライン峡谷」を形成す、両岸の森林は緑に映え、葡萄園のこゝかしこ、至るところに古城砦跡の隠見して風光絶佳の妙は星霜の移り変りに事もなく、さかのぼる漫遊者の夢を沾ほしむ所以なり。
 さて、もう一辺、「早稲田文学」からはじめて――桑原至作、、戸川静子作、死生ですが、前者は都で苦学してゐる青年が農村に帰つてゆくところ、そして郷里に於ける悲惨事を描いたもので、一通りはソツなく書かれて居りました。後者は、現実の一家庭のいきさつについて、可成り強靭な粘着性のあることは窺はれるのですが、人物の出入などがあまりにごたごたとし過ぎてしまつて、非常に読み難く、そのために味ひを失つてゐます。この材料は、もう二三度書き直したら? と遺憾な気が致しました。
「行動」の阿部知二作、荒地は、仲々の力作で、わたしはこの作者のものは、これがはじめてゞすが、もつとはやくから読めば好かつたと思はせられました。植物性――といふ言葉をこの作の中に見うけましたが、全体から享ける感じも、まつたく植物性とでも云ふべき緻密な、そして、たしかに新しいと思はれる感覚が、水々しく至るところに行きわたつてゐて、云ふところの読み応へのある一篇でした。軽卒なところや、出たら目なところがなく、それでゐて、決して、ぎこちない、つまらなさなどはなく、読むに伴れて引きこまれました。知識的な美しさが、整然とした等速の下に好く統制されて、一篇の花式図をつくりあげて居ります。着々と進んで、将来のある作家だと思ひました。そしてわたしは、作家にとつては、誰れにしろ一通りの Kunstwiss enschaft の素養が如何に大切なものかといふことを、しみじみと感ぜさせられました。
 浅原六朗作、おせきのこと、は地味なもので、一見すると味気ない気もしますが、短篇小説としては、老練な冴えを示して居ります。この作者は、このやうな小篇にも、天稟的な純情を忘れずに持つてゐるところが強味で、其国無師長、自然而已、其民無嗜欲、自然而已――の風格は、たしかなのですが、どうかした拍子に、感情がもつれるとでもいふのか、わたしには好くわからぬのですが、社会的といふやうな悪鬼にとり憑かれたりすると、得体の知れぬ虎河豚になつて純情を忘れ、ハメを脱します。
 永松定作、秀才、は、文章と云ひ、ものの見方と云ひ、一概に素朴といふだけでは足りぬ程平凡で、曲がなさすぎますが、わたしは、以前から、かういふ行き方のものに、結局は人の心を誘ふものがあり、聴きはじめれば、しまひまで聞いてしまふ落つきを覚え、技巧的な文章への努力などはつまらなくもなるのです。小説は、それでも好いと思ふのであります。わたしは、この作者と知つてゐるわけではないのですが、斯ういふはなしといふものは普段でも読むと見えて、やはりこの前、この雑誌に載つてゐた、題は忘れましたが、田舎の医者のことを、とつとつと書いたものを思ひ出しました。疲れたり、書き損つたり、かと云つて、変にガツチリとしたものでもなく、斯ういふ作家は、おそらく追々とすゝんで、案外文学でない読者に、多くの友を見出すだらうといふ気が致します。
 わたし、少々疲れましたので、来月にわたつて、今月読んで、述べ損つてゐる分から、出直したいとも存じますが、そんことは図々しいでせうかしら。

去国三巴遠
登楼万里春
傷心江上客
不是故郷人
 あゝ、もういよいよ春だ。渡し舟に乗つて水族館を見物に赴くと、千種万別の魚介も、水槽の水に、尨大極まりもない大海原の夢を掬つて、生々と蘇みがえつてゐる。楊柳にたわむれる風も長閑に、岬の白い灯台のまはりを飛んでゐる鴎の群も、誘蛾灯にあつまる昆虫のやうにちいさく、こんな明るい昼日中から夜の舞踏会を待ち焦れてゐるやうに浮れて見える。天地の間、見わたすかぎり、心を傷ませてゐるのは風来の壮士わたしひとりであるかのやうな島の真昼時である。わたしは当今、ひとりで小さな島の崖ふちに住んだ。
 たまたま「新潮」の「スポツト・ライト」欄でも論ぜられてゐるが、文学といふものはまことに都合好く、どんな辺鄙なところに、どんなに貧しく暮してゐようとも、一冊の雑誌で一夜を楽しむに充分――人生を味はひ、芸術の香に酔ひ、或る時は音楽を聞くやうなおもひに走るのも御意のまゝであり、何と云つても文学ほど普遍的なものはあるまいと、わたしなど普段は、あまり読むなどゝいふことは苦手の部類の遊蕩児であるが、否応なく斯んなところに住んで見て、渡舟の舟賃さへもなくなつた日でも、雑誌といふものゝあるおかげで、そんなに悲しくもなく、どころか、それらの文字から人をなつかしみ、永遠の嘆きをなぐさめられて、今更ながら文学の妙味に感謝してゐる次第であります。まつたく、スポツト・ライト氏の云ふとほり、大衆文学も純文学も好い加減にお家騒動などは大団円として、文学全体の標準を高め、帝国の文化を促進せしめることに専念したら何んなものであらう。それにしても、先日、はるばると文藝春秋社の吉例円遊会に出席して見ると、まことにそんな騒動などは何処を吹く風かとおもはれる和気あいあいたる情景で、このやうな会合が文字どほりの吉例となつて知らず/\文芸復興の芽が育てられてゆくのであらうとおもはれ、わたしは、ウオルター・ペーターのやうに神妙な夢に耽りましたが、間もなく禁を破つて李太白のやうに酔ひ痴れ、何処を何うとほつて帰つたかも忘れました。あと、苦しくつて、一週間も寝ましたが、胸中はまことに釈然たるおもひで、何か文芸といふものに対する逞ましい亢奮が一層募つて来るのを覚えました。
 さて、今月の雑誌は今日(二月二十三日)まで読んだところ、これと云つて心を打たれるようなものには出会はなかつた。だからと云つて、一概に、つまらぬとか、退屈とかと云つてゐたら際限もなからう。活動だつて、芝居だつて、おもしろいものは、そんなに在る筈もなし、また左う胸ばかり打たれてゐたら、此方こそ参つてしまふであらうし、劇場や音楽会に行つて見ても、「あゝ、つまらん」とか「馬鹿/\しい!」などゝ叫んで席を蹴つて立去つてしまふやうな人は滅多になく、ステージに登る程度のものなら、辛棒したところで、拷問にかゝつてゐるほどの苦しみはありますまい。それは中には、百万人に一人ぐらひは非常な潔癖家もあつて――こんなものを見るくらひならば、拷問にかゝつてゐる方がましだ! などゝ叫んで逃げ出すやうな人もあるかも知れないが、それは稀代の天才か狂人の場合に他ならぬでせう。
 ゲオルク・ブランデスは、その著「ドイツ浪曼派」なる評論に於いて、時のデンマークの作家たちに向つて次のやうな一矢を放つて居ります。
 ――デンマークの文学は、ドイツのそれに比べて多くの調和を有してゐるとは云ふものゝ、それらの調和たるや多くの場合に於いて、勇気の不足から生じたものゝやうに思考される。彼等は、はぢめから墜落のおそれある高所に攣ぢ登らなかつた故に、墜落の難を脱れたに過ぎぬのだ。彼等はモンブランに登らうと敢てしなかつたゝめに、身は滅ぼさなかつた代りに、山頂の崖に咲き匂ふアルペンの花を摘みとり得なかつた。予が彼等の文学に於いて尊重せざるを得ない点は、夙に大胆なるといふ一事である。
 デンマークの文学者たちは、ドイツの文学者の屡々陥り易き、趣味及び空想の放逸を避ける特長を持つてゐる。彼等はパラドツクスを逃避し、また、それを徹底的に遂行しない。折にふれては、天馬はたまたま彼等を乗せて疾駆する。さりながら彼等は決して天上にも舞ひあがらなければ井中にも陥らない。
 ――と。
 わたしは、いま、ブランデスの如く高邁な理想的な物尺をふるつて、この感想記の掌準器ハンド・レベルに為さうといふほどの大胆さなどはなく、むしろそんな文章を読むにつけ自分自身に痛さを覚えるばかりで、誰にしろ力一杯に書いてゐるものに対して、「理想の鏡」をもつておしはからうとするやうなことは、特に同時代の作家たちに向つては云はるべくもない掟のやうなものであるが、不足を申す段ともなれば、われひとの差別もなくブランデスの言葉を享け入れずには居られません。殊にわたしは、今日など新作家の場合に多く左ういふ不満を覚えました。
「早稲田文学」で、中務保二氏の、創痍、和田伝氏の、決壊、「行動」で、平田小六氏の、雨がへし、「改造」で、坪田譲二氏の、お化けの世界、「中央公論」で、丹羽文雄氏の、岐路など、坪田氏をのぞいて、ことごとくはぢめて出遇つた作家のものでたんねんには読みましたが、特に悪作だといふわけではなく、それぞれむしろ小説らしい小説とは見えるのですが、少くも胸にひゞいて来るところがなく読むためには相当の努力が必要であるだけだつた。しかし和田氏のものなどは農村問題といふやうなことについて歴然たる主張を持ち、既に一家を成してゐる人なので私などが兎や角云ふべきものではあるまい。創痍決壊雨がへし岐路といふやうな題名(それに拘泥するわけではないが――)を見て、いかにも「文章世界」時代の自然主義から一歩も進歩してゐない不可思議を覚えるだけだつた。丹羽文雄氏は、新作家のうちでは女の描写にすぐれ、女を描いて新時代の影をうつすことに巧みな人ときいたが、この作では別段特にすぐれてゐるとは思はれなかつた。もつとも、わたしは生来斯ういふたぐひの作品には自分が不感症であるといふことは知つてゐる。斯ういふ行き方のものが、古来からの小説道の一つの本道であつて、自分などの考へは、小説家ともつかぬ邪道めいたものであらうといふ謙遜は常に忘れはしないのであるが、そして自分が少々変質的に、女嫌ひであるといふことも考慮してゐるのであるが、――ところが、さうかとおもふと、やはり何時読んでもわたしは、大家秋江や秋声のものからは汲めども尽きぬこんこんたる情味を享け入れられるのであり、時代的といふやうなものゝ姿も大家達の描くものの方に数倍の魅力と真実性を呼び起されるのである。今月なども、先に、秋声先生の「部屋・解消」といふのを読んで、これなどは、先生のものとしては特に何うといふほどのものではないのかも知らないが、夜露をうけた蜘蛛の巣が、やはらかい朝の光りに映えてゐるとでも云ひたいやうな水々しい美しさを覚えさせられたせゐか、その他の「文章世界」くさみのものが一層鼻についたのかも知れない。もつとも丹羽文雄君のこれなどは決して拙いものだとは思はぬ。好き意味での豊かなねばりに富んで、変な悪達者もなく日常経験の様々な事象を美しく書きこなす才能は充分に持ち合せて着々と大成してゆく作家ではあらう。
 坪田氏のものは以前に、何か愛読したことがあり、少年の観察に常に終始して居らるゝことに敬意を私つてゐた。いつか、中央公論社から少年を取材にした現代の作品を問はれた時、わたしは坪田氏のものだけを挙げた記憶などもあつて、このお化けの世界といふのを見出したときには、可成りのよろこびを感じながら、いちはやく読みはぢめたのでありますが、ぼつぼつと読みすゝんでゆくうちに、わたしとしては何うといふ理由わけもわからず、これは一体何としたことなのか、失望ともつかぬ何とも彼とも云ひようもない、いらいらとするやうな憂鬱に襲はれて来て如何ともやりきれなくなつて来るのであつた。描くだけのことは一通りも二通りも描かれて居り、少年の姿や心もちなどゝいふ風なものもさまざまに動かされてゐるし、特に六ヶしい材料といふわけでもなさうだし、神秘や不思議をとりあつかつたものではなく、取材としてはもともとから平明至極なものなのであるにもかゝはらず、一向に芸術的の効果といふやうなものはひゞいて来ず、これが専ら「少年」に没頭しつゞけてゐる作家のものかとおもふと、腹立しくさへなつて来るのでありました。もう少し読んだら、何か作者の意図する焦点とか、くゝりどころとかいふべき個所に出遇つて、この堕気を覆されるのかとも辛棒して、終ひに最後に至つても、いつかな憂鬱は晴らされず、わたしとしては全く不幸に終つてしまつた。あんな風に、お化けの世界ときめつけてしまつたところにも、必然性もなく、おどけたたぐひのおもしろさもなかつた。――それにしても、わたしは、いつの間にか、この作品に対して何か全く相反する期待を抱き過ぎて差し向つてゐたゝめかしら? と自分をうたがひ、若し左うであればまことに幸ひだ、と更にもう一辺読み反さうとも考へたのですが、謙遜したゞけで、どうしてもそれだけの根気は呼び起せないものでした。
 平田小六氏の、雨がへし(行動)は、いかにもまとまつて書きこなされては居るが、何も決して取材を云々するわけではないが、どうしてもわたしには、これがいまどきの新しい作家のものとは思はれなかつた。古い――といふやうな言葉をつかふのは吾ながら好もしくないのであるが、左ういふより他はない、昔の投書雑誌の佳作といふやうなもので、一向に変哲もなく、だが是位に書かれてゐれば、古いも新しいもなく、いつの時代にだつて許されるのが当然であらうし、材料次第では、時代の俎板の上で新しい議論の対照になるべき程の、ものを書きこなすといふ手晩のある作家には違ひない。
 中務保二氏の、創痍(早稲田文学)は、今、云つたやうな手腕の上でも、未だ、雨がへし程度にも及ばぬものではなからうか。だが、これは、イヒ・ローマン的な立場で、克明に生真面目に、書くべきことを順々に書いてゐるので、何のおもしろさもないけれど、微かに作者の人柄なども感じられ、斯ういふ態度で書いてゆくといふことは、やはり小説の勉強としては一番順当なものであり、手腕――などゝいふ変てこなものには顧慮する必要もなく、おひおひとすゝんでゆくうちには自然と香りなどゝいふものもあらはれ、相当の長篇作などが期待されるのではなからうか。此などもどちらかといふと長篇風のもので別に大して退屈したといふ程のこともなかつたが、あまり長くてはやりきれないとおもひ、中途で失敬したのであつたが、頁を翻して見たら、あと一二枚で終りであつた。夫故、最後の章は読み落した、――と断はつておく。
「新潮」で、榊山潤氏の、を読んだ。彼は、この作品ではこれまでのものとは稍おもむきを変へて、いろいろな人の立場から、人間の性慾といふものをとりまいて、一脈の、春らしいムードをつくりあげることに、かなりの努力をはらひ、仲々の手腕を示してゐる。客観体小説も斯ういふ方角から切り込んでゆくと、無稽な感もなく、作者の情感も自然と全篇にみなぎつて効果的であるとおもはれました。そして、作者の人柄から滲むといふべき、仄かな滋味と多少のひよう逸のある筆致で、場面/\の情景など相当のゆとりをもつて描き出されて、好もしく老練なところも見うけられるのであつた。作家の野心も或程度までは満足されたものであらうとおもはれた。どんなものを書かうと作者の態度ひとつで、地味な行き方、人生とか人間性とかといふものにぢかにぶつかつてゆくといふものゝ、強さを考へさせられるものであつた。
 林芙美子氏の、朝夕(文藝春秋)は、洋品商をひらいてゐる夫婦が、失敗してゆく経緯を描いてゐるのであるが、実際ではそんなことはないのだらうが大変楽々と、口笛でも吹きながら書いてゐるように見え、さういふ感じは好もしいのであるが、何となく情感が不足し、口笛が口笛の爽々しさにもならず、低調な通俗作品めいたものだつた。わたしは、この作家のものはほんのわづかばかりしか読んで居ないのであるが、リヽツクなおもむきといふやうなものは、それが作家の持味であればあるほど、その統御法は随分と困難なものであり、稍ともするとどつちつかずのものになつてしまふおそれが多いと、これを読んで痛感した。
 宇野千代氏の、色ざんげ(中央公論)は、余程の力作らしいが、前を読んでゐないといふことを口実にして、「改造」の、私と子供といふ方を読んだ。この作家の文章には、南国の花園に月光の射すやうな鬼気がうかゞはれ、毒を描いて花と咲かせる態の、そして凡ゆる人間に対して、おそろしくりんれつなものを、薄気味悪くふくんでゐるやうな物凄い意地の悪さが蟠つてゐるかのやうであるのだが、それを不思議な人情味で美しく覆つてしまふとでも云ふべき得難く独特な才能に恵まれてゐる。この作などを見ても、はつきりと左ういふものが感ぜられるのであつた。小賢しさを知らぬ野性的な豪快さなどもあつて、わたしは普だんから、相当に不思議な作家だと思つてゐる。
 ――――――
 このところ幾枚か紛失した。いろいろな作について未だいろいろ書いてゐるのだつた。それを声をあげて朗読などするうちに、数数なくして、どうしても見つからない。読むといふことは、少しも退儀なことではないが、平地に雲を呼んで半母音的な雄叫びをあげようとするには、やはり主義主張の楯をとりあげるより他は術もないのが道理で、単なる個人的の経緯儀をまはしてゐるのでは、結局たゞのフーコー振子の呟きを繰り返すに過ぎなくなつてしまふのである。お気の毒なのは、作家の作品ではない。
 わたしは、たまに、なつかしき東京に来て、思はず酔ひ、折角書いた原稿をなくしてしまひ、酒といふものに酔つた時は、酔はぬときよりも神経質になるものだとおもつた。川端康成の月評文などから僕に関して僕は名状しがたき不快をおぼえた。物的ならびに精神的なる、認識なし得る限りの極北に於ける、無辺なる宇宙の曠野から、一片のコスモスの花びらを引き千切つて、鉾を執らう。

 軍艦の上からひゞいて来る夕べのラツパの音が、崖の上にかゝつた弦月の光りを破つてゐた如月の或る晩――わたしはこの悩み多い一文を書き出さうと武張つたとき、御覧のごとき表題を選んだのは、どうせ自分には何んなに武張つたところで、碌なことの云へる気遣ひはなく、志願はしたものゝ容易には猛々しいフアランクスの隊員には望めさうもなく、所詮は悲しいでん々太鼓をたゝくやうなことになりはしまいかと、既にして消極的なるおもひで、云ふならば、どうやら自己弁護的なる畏怖の心から、斯様に題したまでゞ、更にまた何とも迂滑千万なことには文壇の風潮に浪曼派なる呼声の挙つてゐる勢ひを知らなかつたのである。若しも左うとはつきり気づいてゐたならば、むしろわたしは照れ臭かつたのだ。多少は左ういふ文字を見ないでもなかつたが、わたしはこの一年ばかりの間、病弱の身をもてあまして蹌々踉々と辺鄙なる村から村を流転してゐたので、新しいものをおちおちと繙く折もなかつた。わたしのふところには売り忘れたアラン・ポーの「ユリイカ」が一冊しのんでゐるだけだつた。わたしは、それを一日に二三頁読み、一枚翻訳すると発熱した。翻訳は上梓の目的だつたが、一ヶ月に十枚もあやしかつた。――それにしても新浪曼派文学の提唱の益々さかんなることは、まことに望ましく、それらの人々とは寝食を忘れても語り明したく、討死しても決してラツパを口から離さなかつた勇敢なる兵士の誠志をもつて、ロマンティシズムの中にこそ、わたしはI found the Truthユリイカ!  ユリイカ!”――Truth, と鳴らしつゞけずには居られない。
 こんな題をつけて照れ臭かつたといふのは、そんな気勢も知らずに、たゞ弱々しく題してゐたといふのが、ぼんくらだつたと後悔され、これは(一―三)これで今回で打ち切り、いつかまた改めて出直さうと思つた。そして、わたしは汗顔の至りながら、それらの評論方面のことは今日まで何一つ読んで居らず、創作の側では、読んだ範囲では歴然たる浪曼派の作品を見出し難かつた。――読むと云つても、わたしはそれが非常にのろくて、断じて選り好みや怠惰をきめ込んでゐるわけはないのであるが、月々の主なる雑誌の半分も読めぬうちに、やがて次の月となり、読み残したものは次の回へなどゝ断つたものゝまるで借金なんてものが容易に返済出来ぬと同様に、怕るべき言ひわけに化してしまつたのだ。だが雑誌は月おくれになつたつて、小説にはカビが生へるわけではないのだから、ちやんとこれらの雑誌はひとまとめにしておいて、折に触れてとりあげ、知友へは手紙でも書き度い、おゝ、屹度、この失態なりし浪曼的月評の記念を肝に命じて「わたしは約束を破つたことはない。」
 北欧の――ゴール? と云つたか、ガスコンであつたか? ちよつと堂忘れしたが、奴等のなりはひは長蛇船のかひをそろへた海賊であつた、昔々、未だどちらを向いても王国などゝいふものもなく誉れに富んだ騎士も住まず、桂冠詩人の詩集はおろか、羊の皮表紙の物語本一冊もなかつた荒海の、荒地の、ツンドラ地帯に吹きまくる嵐を衝いて掠奪と殺りくが勝負であつたイクサ人達は、偃月刀をふりかざして生きまくつてゐるのみであつたが、人間のロマンテイシズムの血は文明の深差に関はりなく、事態が非常であればあるほど限りない夢であつて、それらの海賊は、海賊ながらも全部が、詩人であつたと聞く。詩がわかるとか、ウタが好きだといふやうな呑気なものではなくつて大旅団のかしらから一兵卒に至るまでが、夫々悉く「ロマンス」の作家であつたといふのだ。彼等は凡て羊の皮に焼火箸で書いた自己の「創作集」を肌身離さず背嚢の中に蔵して、敗戦のテントの中では戦友同志に読み合せて慰め、祝勝の宴の上では、節を編んでうたにうたつた。
 で、その作品といふのは凡て自己の経験と自信と尭望とを羅列したものであつた。
「俺はこの弩で牛を百頭斃した、
 俺はこの半月刀で大木を切り倒して、敵の陣営に血路をひらいた」
 と先づ手柄を綴り、必ずそのあとに、
「だから俺はいしゆみがうまいぞ、
 半月刀術ヤタガンは五段だぞ、
 胡弓も弾けるぞ、
 碁も打てるぞ」
 これは原作のまゝなる抜萃であるが、そのやうに一概と手柄(或ひは不手柄)と、自信(或ひは嘆き)を書きつゞつたものである。尤も不手柄の記は、わずかに二三の王の作に遺つてゐるのみで、おもしろい? ものも見あたらなかつた。何故なら、どんな自信を述べるにしても、それが事実にもとづいてゐなければならなかつたのであるし、また敗戦者は討死をしなければ、リンチに依つて禿鷹の餌食にされたのであるから、詩を綴る間もなかつたのである。
「俺はラツパが吹ける、
俺は約束を守る、
俺は友を信ずる、
俺はなりはひのために言辞は弄さぬ、
俺は馬鹿ではあるが嘘は吐かぬ、
俺はカルタは切れぬが馬には乗れる、
なさけとローマンスには今でも泣くが、鉄砲も打てるし、天文と博物と芸術とに興味を持ち、酒は去年までは一升飲めたが、今はその半分で駄目だ」
 これはわたしの事実にもとづく海賊派の詩だ。先達早稲田の会で、尾崎一雄君に遇つたら、わたしが中学生の時に見るも勇敢なるラツパ卒であつたとほめてゐた。尾崎君がわたし達の中学の後輩であるといふことは知つてゐたが、その会つた時には何うしても中学生の彼を憶ひ出せなかつた。が後になつて、漸くおぼろに少年の彼と、実にも真剣めいた作家らしい悩みの雨に打たれながら勃々たる意気に炎えてゐる彼とを連想することがかなつた。以下のことだつて例を挙げて説明も出来るが、それは兎も角、読みきれなかつたといふのは決して黙殺したといふわけではなく、四五日前も知人から、福田清人氏の「脱出」、豊田三郎氏の「弔花」、中谷孝雄氏の「残夢」等について意見を求められ、少くとも今日は手にする限りの雑誌のものは隈なく読み、そんな遺憾を繰り返さぬといふところだつたので、必ずとゴツスの誓ひをもつて後日を約したのである。そればかりでなく、わたしは先月坪田譲治氏の「お化けの世界」を、まんまと読み違えて、途方もない非情な言葉を放つてしまつた。それについては、きのふ別の感想記の中に誌したのであるが、同氏がわたし達の先輩であるといふ観念から、見苦しくもわたしは、その多難なりし過去や現在に対して、作品がまた可憐至極なる少年の登場でありするので、うつかりと、僭越なる甘さを云ひはせぬかといふやうな愚かなことばかりを懸念してゐるうちに、時間に迫られ、ヤキがまはつて、悲惨なる般若の面を執つてしまつたに相違ないのだ。今月など、雑誌「作品」に見出した同氏作の「カタツムリ」など、純情小説の Pitt Diamond とも申すべく、文芸専門の雑誌でない何処の小説欄に見出しても、おそらく多くの読者の明朗なる涙を誘つて止まぬ一茎の除雪の花に違ひない。
 先輩といふ言葉には手もなくわたしは参らされるのであるが、さて自分の場合になると、おそらく万人共通だらうが、齢下の者に、齢の相違を感じた上で、べんたつ沁みたことや同情めかしきことを云ふといふ風におもはれやしないか、なんて、何つちにしろ批評的言語辞典を質屋に入れつぱなしのわたし如きにとつては、ひとのことを云ふのは大苦労に違ひないけれど、いつそ失礼だの生意気だのと慮る馬鹿神経は吹き飛して、往年の時事新報誌上に於ける覆面冠者「逸名氏」の如くサンバルトロメオの虐殺の斧を揮つた方が、何うせそれはそれとして読物である限り、おもしろいには違ひなく、お星様から見たらどちらが真かわかりもしないので、わたしだつて鬼事狂言を踊りたくなる日も来るだらうが、この程度の修業では未だ無理な腕力が余りに自明過ぎるのだ。だから新作家のことを云々するのも全く他人事ならず苦しく、指導的精神もおせつかいもある筈はないのだが、尾崎一雄君など随分と永い間まことにひた向きなる精進をつゞけて、力量だつて備つてゐるのに、何故もつと能動的にぽんぽんと書かないのだらう。志賀さんの流れに忠実なのは偉いが、いつか本誌で読んだ「擬態」などを見ると独自の翼も悠々たるものがあり、凝るといふよりも寧ろ自由に書きすゝんだ方が展かれさうなのではないか。本誌を先きに読むことを自ら約してゐるので守つてゐるのだが、犀星氏の「弄獅子」を別にすると、あれなど最も読み応えがあつた。それから往年の逸作「鳥羽家の人々」の作者、田畑修一郎君のその後の作を見ないことも寂しい。別段に比べるわけではないが、尾崎君や田畑君の質実味には誰れも劣らぬ闊歩があると期待してゐるのだ。氏等にはハメを脱すやうな不安がない。それから、また今月の「作品」に、蒼茫夢なる作を出してゐる坂口安吾君は数年前に「ふるさとへ寄せる讚歌」「木棺しの酒倉」「風博士」「黒谷村」「竹藪の家」以上五篇もの、覚えの悪いわたしが何時何処でゝも斯うと速坐に算えられるほどの万華なる佳作を書き、多くの人にも認められたにも関はらず、どうしたといふのかさつぱり気勢が挙らないのは愛読者としてまことに心細い次第だ。どこにどうしてゐるのか知らないが、あれだけ傑れた才分の作家が、たとへその後百の悪作に自信を持たうと、やがてはあれ以上(いや、あれらと同列ならば結構なんだ!)のを書き得ないとはわたしは信じられないのだ。まさか、蒼茫たる風に化してしまつたわけではなからう。まつたくわたしは何年待たうとも、せめてあれらの作品に匹敵するほどの彼独特のものを読みたく、たゞそれだけのはなしである。
 風間真一氏の川沿ひの家――(早稲田文学) は全体が力弱いのが難である。素直でアテ気のないものとして、好意が感ぜられる題材であり、作風であるのだが、説明的なことが冗長であるためと、折角の印象的な場面が薄弱になつてゐる。例へば父と子が居酒屋で落ち合ふところ、幼ななじみの女友達を花街に訪ねるところなど、描写の腕をふるつたならばと惜しまれた。
 田村泰次郎氏の暗雲の下――(同上)は、現代の青年の身動きのならぬ憂悩に歯ぎしりをして突つかつてゐる逞しい構えが、まつたく冗談事としてゞはなくわれわれの上にまでもひゞいて来る何物かゞ、さうだたしかに何とも指摘も適はぬ何物かゞ感ぜられる。小説の好悪など云つて居られぬ天空の雷獣のやうなものから、おびやかされ如何にこれに刃向ふべきかと、天狗の声を睨みあげる高時とも云ふべき、現代人の姿が新時代人としての構えの上に見られた。
 張赫宙氏の愚劣漢――(文藝)も、作の巧拙などを問ふべきいとまもなく、或る一つの社会の、たしかに厳存するであらう矛盾をつかみ出して、われわれの面前に曝したもので、やはり新しく力強い今後の文学の一方向を指さすものであらう。わたしは興味深く熱心に読まされた。わたしたちは、たゞ読んで、おもしろいといふだけのものばかりに惑はされては居られないのだ。
 中村正常氏のこの世の中は曲つとる――(文藝)は期待して読んだのであるが失望した。氏はその異才を濫用して、惨たる風に吹きまくられてゐるようだが、その本来なる爽やかなもの、底抜けの勇ましさといふやうなものは、凡ゆる吹雪に出遇へば出遇ふほど、やがて、真に底抜けの妙諦に達するものと、わたしはかねがねから秘かに氏に対しては失望せぬものを持つてゐる、噫吁戯あゝあゝ、危キ乎、高キ哉、蜀道ナンセンスノ難キハ青天ニ上ルヨリモ難シ――この道に於いてはまことに才能の濫用も是非なく、おそらくは自ら濫用のために進んで濫用す……術を用ひながら、孤高を目指すものに違ひないのだ。
 金谷完治氏の※(「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1-87-61)――(同上)は或る気の弱い青年の男女関係を描き、微笑を誘はれるところもあつて次々へ楽々と読めたが、それだけに安易に走つてゐるかたむきで、またわたしは不覚にも題名の意味が解らず興味を殺がれた。兵本書矩氏の、靭の男(同上)は、大阪商人のねばり強いところを描写したソツのないものらしいが、大分疲れて来た折からだつたので後まはしとなし、また、中野重治氏の、鈴木都山八十島(同上)は翻したところあまりに伏写が多いので終ひに失敬してしまつた。舟橋聖一氏の作では(同上)の青年たちの手帖よりも、「新潮」の敗戦図の方が実感をもつて読まれた。殊にわたしは、その第一頁のところに、何か予期しなかつた類ひの好感を持たされた。暴力といふものに対する恐怖を、過去の経験にさかのぼつていろいろと説明してあるのだが、新鮮味のある描写で、一気に興味を惑かれながら読み終へた。そして、もつと長い方が好いと思はれ、これでは冒頭の感想に照らして尻切れトンボではないかといふ気がした。それとは別であるが結末の、女の平打の簪が落ちてゐるところなど、印象的な効果ある味はひであつた。
 次に、男のナナといふ傍註の付いた藤沢桓夫氏の、虫けら(新潮)は、変態性の俳優をかき、取材としては一風変つたものに相違ないけれど、どこにもうがつたところもなく、あまりに平面的であるために単なる猟奇的ともいふべきエピソードに終つてゐる。新進気鋭の作家たちが、視野をひろく求め取材に憂きみをやつすといふのが一種の風潮かも知れぬが、多くの場合に於いて、その観察力乃至は描写力に於いて表面的にのみ流れ、これは特に藤沢氏のみを指すわけではないが、多作多難に容易に打ち克つことは敵はぬのではなからうか。稍ともすれば単なる物語の、おはなし文としても、あまりに無味乾燥なものにおちいりやすく、文芸の使命は果していづくに在りや? と読者さへもが昏迷せずには居られなくなるのだ。大衆読者は、そんなに甘く見くびられても差支へないのだらうか。芸術的な香気とか、個性的な精進などゝいふものが全く没却されて、何処に文学があり、読者の悦びが見出されるか疑問とせずには居られない。旧劇の芝居を見たつて、作者の創作的燃焼力が、あうんの彼方に感ぜられるものでない限り凡ての観客の夢を潤さぬではないか。ともかく理窟ではない。
 平田小六氏の、田園(同上)は、義憤を誘はれさうな惨たる物語であるが、これでは如何にも書き足りなく、取材に対して作者の態度が勢急すぎたのか、当然読者の胸に響いて来さうなものが迫つて来ない憾であつた。
 立野信之氏の、各人各説(同上)は、田園風景の一部ともいふべき場面に幾多の人物が現れ、厭味のない筆致で爽やかにうつし出されてゐる。わざとらしくないところに、適当なユーモラスの感も自ずと滲み出て、風景のなかに動くさまざまな人物のありさまが、むしろ絵のやうであつた。
 わたしは今日まで読んだところでは結局、長田秀雄氏の力篇、赤獅子号(同上)がいちばんおもしろかつた。物語でもこゝまでがつちりと出来あがつてゐると、まつたくたゞの読者としてもそれからそれへ興味に惑はされて、わたしは一気に読んでしまつた。そして、さすがに練達の作家だと舌を巻いた。いろいろな議論を立てゝ、取材の方面を切りひらくことはまことに結構なはなしであるが、よしや芸術的に何ら斯うといふまでもなく、何ら首をひねつてもおもしろくもない未熟なるものゝなかに、赤獅子号の如き頑然たる一篇を見出すことは寧ろ皮肉なる対照を成すおもむきではなからうか。年長作家の内に潜んだ力量といふものに、わたしは畏るべき敬意を抱かずには居られなかつた。自分のことを書くとか、書かぬとか力んだところで所詮は心胆の問題で、若気の才能なんていふものは淡雪のやうなものであり、われわれは何うしても潜水的な呼吸の中に、情熱や客気を秘めて、息の長さを養ふより他はみちがない、慌てたり、喚いたり、職業的になり過ぎたり――そんなことも人生過程の現象とか、諷刺とかなどゝ、とりとめもない古風な文人気質などは屈伏して、やはりわれわれは堪ゆべきことには堪え忍び、こつこつと寂しい山みちをよぢ登つて行くより他には文学修業の手だては在り得よう筈もないのだとか、文学は夢のやうであつても決して夢ではないものだとか、とわたしは厭に勿体振つたことを今更のごとく考へさせられるのであつた。
 それにしても、戯曲の形式といふものは、小説とは違ふ物凄い花々しさをもつたもので、云ひたいことを矢たらに生々しく放言することも慎しまなければならず、造形的なものであるだけに、異様な興味をわたしは感ずるのであつた。それは左うと、こゝまで読んだ限りでは有無もなく、この赤獅子号が何よりもおもしろかつたといふことについては、わたしは余程考へさせられるところが多かつたのである。
 何かと書き誌してゐるうちに竜頭蛇尾におち入つてしまつた。読みのこしたものや寄贈された本やまた購読した新刊書などについては別の機会に筆先を新しくして申しのべ度い。

底本:「牧野信一全集第五巻」筑摩書房
   2002(平成14)年7月20日初版第1刷
底本の親本:「早稲田文學 第二巻第三号〜第五号」早稲田文學社
   1935(昭和10)年3月1日〜5月1日発行
初出:「早稲田文學 第二巻第三号〜第五号」早稲田文學社
   1935(昭和10)年3月1日〜5月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年9月4日作成
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