いつの間にかわたしの部屋の壁には、いろいろな軍艦の写真が額になつて、あちこちに並び、本棚の上には「比叡」と「那智」の模型が飾られ、水雷型の筆立には巡洋艦「鈴谷」進水式紀念の軍艦旗とZ旗があつた。「比叡」と「那智」の模型は、それぞれわたしが拝乗の機会に浴した思ひ出の為に材料を買ひ集めて組み立てたものである。近日中にエンヂンを取り付けて競技会へ出場させて見ようと考へてゐる。わたしは去年の秋、軍港街に移ると間もなく「鈴谷」進水式拝観の光栄に浴し、続いて駆逐艦「しぐれ」特務艦「剣崎」の進水式に参列の栄を得て、ひたすら胸を躍らせ、行状の謹慎を保つた。わたしの壁の写真の中には閃く海神鉾に翻へる久寿玉から五彩のテープが舞ひ乱れ、翼の音も軽やかな数羽の鳩が放たれた瞬間に堂々たる巨体を、あはや麗かな海上へ乗り入らうとする処女艦の英姿があつた。
 わたしはさういふ自分の小さな部屋で、造船作業の為に夜を更かすことが多かつた。五分刈頭のわたしは、夜になると、街の被服商で購つて来た海兵用の白の作業服を着て、一服喫すといふ場合には、徐ろに胸のポケツトから、先頃「しぐれ」進水式の折に拝領した銀製のシガレツト・ケースを取り出し、高射砲型のライターからパチンと火をつけた。
 この横丁は街中で最も繁華な大通に側して崖際の露路であつた。全く同じ造りの二階家が数軒並んで、隣の二階にもわたしと同じやうな姿の若い士官がゐて夜更まで灯りの下で勉強して居り、そのまた隣も海兵の合宿所で時々、今日ハ手ヲ取リ語レドモ 明日ハ雲井ノヨソノ空 行クモ留ルモ国ノタメ 勇ミ進ミテ行ケヨ君――と合唱する聞くだに健やかな血の湧き立つ軍歌が響いた。わたしは何も彼も忘れるといふやうな恍惚の想ひに打たれるなどゝいふ機会に、凡そこれまで出遇つたためしもなく、終ひにはふら/\病になつてゐた折から、はじめてこの街に移り艦を眺め戦闘機を見あげ、軍楽隊の大行進に力一杯のテープを投げ……いつかわたしは何の不安も疑惑も知らぬ偉大なる感激家に化してゐた。自分のことなどには何の未練も後悔もなく、時に、遺書なりと認める必要に出会ふ折もあれば、勇敢なる杉野兵曹長のそれと同様に簡単明瞭なる一札で充分であると思はれるばかりであつた。
 それはさうと、このわたしの窓の下はそんな繁華な大通りの側面でありながら、急に暗くなつて、夜更けまで主に脚どり厳めしい兵隊靴の音が絶えなかつたが、その脚どりの中に毎晩爽やかな横笛ピツコロの練習をしながら戻つて来る者があり、余程の熱心を籠めて吹奏するらしいその節廻しがいつもわたしの夢をほろ/\と誘ふおもしろさなので、一体何んな人なのか知らと憧れて、そつと見降ろすのであつたが、一向姿は定かではなかつた。深い泉水の底に眺める鯉のやうに淡く、吹奏者の姿は忽ち闇の彼方に吸はれて行つた。
 最初にわたしがその吹奏の歌を聞きはじめたのは、未だあたりは冬の霧が深く、海の上から放たれる探照灯の翼が崖の側面にあたると、凍てついた氷山に対する稲妻のやうに見えた頃であつた。

 ピツコロと云つても専門的なものではなくて、それは何うも昔わたし達が幼い折に弄んだ銀笛の類ひであるらしい響きであつた。御存知ない方は合奏用のピツコロの音を御想像下されば充分である。兎も角あの笛の音が、夜陰の露路を単独で、ピツ、ピツ、ピツ! と鳴つて、軍歌を節付け、唱歌を習つて来る音を耳にして、凡そその吹奏者を憎む人は皆無であらう。
 二三軒先の合宿から折々聞えるところの、前記の「海兵わかれの歌」ばかりを、銀笛の吹奏者は、氷つた月のころから習ひはぢめてゐたが、彼はどちらかと云へば武骨過ぎる指先かと見えて、その一節さへもが容易になだらかには運ばなかつた。支へては出直し、間違へては歩調を直して、飽かずに続けてゐたのであるが、まつたくそれは柳に飛びつく蛙のやうな熱心ぶりで、窓の中のわたしの方がいつの間にか速かに聞き覚えて、そつと細い口笛で合奏しようとしても、一向辻妻さへ合はなかつた。それでも漸く岬の彼方に春霞みが立つて、間もなく聯合艦隊が出動すると噂がたつ頃には、あはれな銀笛の音も辛うじてわたしの口笛に合ふ程度になつた。そしてわたしはその頃今本棚の上に飾つてある軍艦「那智」の進水を目前に控へて営々と夜毎の作業に没頭してゐたが、例のライターで一喫しながら、もうあの笛の音が聞える時分だがと腕時計を見たりしてゐたものゝ、その晩に限つて何時迄待つても現れず、つい連日の疲労のあまりわたしは作業台に突伏してうとうととしてしまつたのであつた――と、突然、大分呂律の回らぬ怪し気な大声で、
「おーい、たゞ今あ……」
 と怒鳴ると同時に門口の格子が荒々しく開いて、時を移さず、あの別れの歌を叫びながら、見も知らぬ一人の水兵がわたしの部屋へ転げ込んだのであつた。彼の眼は大酔に据つて、碌々わたしの姿も見ず、
「おゝ、大塚、貴様感心に何時でも机に向つて勉強しとるな。邪魔したら済まんが、俺は今晩こそは大分酔つてしまつたぞ。ウーツ、失敬、直ぐに寝るから御免よ。」
 と云ひも終らず、さすがに服だけは脱ぐと、いきなり卓子の下に伸べてあるわたしの寝床に潜り込み、やをら頭からすつぽりと毛布を引き被つたかと見ると、忽ちごうツといふ大鼾だつた。わたしの被着かひまきは、これも錨の印のあざやかな純白の海軍毛布だつた。
 云ふまでもなく、門口の具合と云ひ、梯子段の在所と云ひ、並んだ家のかたちは寸分違はぬので、更にまた坊主頭のわたしが作業服を着てゐる有様から、水兵は有無なく自分の合宿と間違へたのである。――わたしは寄んどころなく、その隣にもう一つ同じようなベツドをつくつて、静かに灯りを消した。
「おや、大塚、貴様も寝たか。」
 やがて、水兵は闇の中でわたしに呼びかけるのであつた。
「うむ、寝た。貴様、大層酔つたな。水は枕元にあるぞ。」
 とわたしは云つたが、もう彼はまた非常な鼾であつた。わたしは妙に胸がざわめいて眠れなくなつたので、莨をとつて、そつとライターを点けた時、不図仁王のやうな腕だけがぬツと傍らに突き出てゐるのに、ハツと思ふと、その拳にはしつかりと一本の銀笛が握られてゐた。そして鼾は毛布の奥底だつた。

 明方わたしが目を醒まして隣りを注意すると、いつの間にか寝床は綺麗に整理されて、その上に「失礼、失礼」と誌した一枚の紙片が載せてあつた。その翌晩からは、ぴつたりと銀笛の音は消えて、ひそかなるわたしの楽しみもなく、わたしは専念作業に没頭するばかりだつた。
 旗艦「山城」が、一等巡洋艦「鳥海」「高雄」「摩耶」「愛宕」航空母艦「赤城」以下、第十駆逐隊「狭霧」「漣」「暁」を随へ、仄かなる春の霞みが岬の彼方に煙り初めたとは云へ、未だ如月の夢深い曙の波を蹴立てゝ、威風堂々、○○方面を指して遠洋航海の碇を巻いたのは、あの翌朝のことであつた。――何もわたくしは、あの水兵が聯合艦隊の所属であつたかと想像する由もなかつたが、それ以来杳として銀笛の音は聞えなかつた。
 艦隊は何処の国の港で春を迎へ何処の大洋の沖合で春をおくり――と市民達の噂も長く、やがて軍港の山々は緑に映え、卯の花の蕾がほころびて散り、海も山も炎える夏を迎えた。季節をたとへて金樽緑酒とも云へるものならば、おそらく街々の角なみに「艦隊入港」の歓迎旗を翻す真夏の微風に、天地も陶然として凱歌を挙げるひとときに止めを刺すと申すべきであらう。――軍楽隊の響きが遠方の空から巻き寄せると、街は一勢に鬨の声を挙げて花やかな津浪と化した。街が、そのまゝ天地を象つて、巨大なる一体の美人であつた。緑の山々は、髻に挿む玉鴛鴦と云ふべく、碧洋に浮ぶ満艦飾のちりばみは、裙に綴る金※(「虫+夾」、第3水準1-91-54)蝶と見紛ふて理の当然であつたらう。
 わたしは、ふところ一杯に五色のテープを充満して高楼の屋上から、声を限りに呼びながら双つの腕を筬のやうになげうつた。
 わたしの窓の露路までもが、夜更まで賑つてゐた。わたしは歓迎にしびれた五体を籐椅子に横たへながら、どこからか聞えるシヤムパンの音を聞いてゐた。
 わたしの本棚の「比叡」「那智」も満艦飾を装ひ、見物人が現れた。――そして最早街のどよめきも静まつたのでわたしもその飾りを降し、恰度水の季節も盛りとなつた折から、エンヂンの備へ付け工作にとりかゝつて夜を更してゐると、不図窓の下に笛の音を聞いた。いつの間にか銀笛のことなど忘れてゐたがそれは今度は銀笛ではなくてその度毎に曲り角の生垣でゞも摘みとるらしい青葉の笛の音であつたが、どうもいつかの笛の節と同様の歌を吹奏してゐるので――思はず窓をあけて「やあ」と言葉をかけてしまつた。すると、青葉の笛の吹奏者は脚を止めて、ちよつとわたしと視線を合せたが、不思議もなく取り済して行き過ぎた。全くわたしは人違ひをしたらしいのだが、自分としてはあの銀笛の人の顔を知りもしないので術もないわけなのである。青葉の笛はこの頃一人や二人ではなく、露路にさしかゝると水兵達は皆巧みに吹き鳴らして通り過ぎた。あの拙い銀笛よりも何れも聴き好かつたが、何故かわたしはあの顔も知らない水兵の笛が待遠しかつた。風流気センチメンタルといふわけではなく、わづかなる消夏の憬れである。

底本:「牧野信一全集第六巻」筑摩書房
   2003(平成15)年5月10日初版第1刷
底本の親本:「鬼涙村」芝書店
   1936(昭和11)年2月20日
初出:「読売新聞 第二〇九九七号〜第二〇九九九号」読売新聞社
   1935(昭和10)年7月24日〜26日
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年9月30日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。