ある晩方ばんがたあかふねが、浜辺はまべにつきました。そのふねは、みなみくにからきたので、つばめをむかえに、おうさまが、よこされたものです。
 ながあいだきたあおうみうえんだり、電信柱でんしんばしらうえにとまって、さえずっていましたつばめたちは、秋風あきかぜがそよそよといて、いろづくころになると、もはや、みなみほうのおうちかえらなければなりませんでした。さむさによわい、この小鳥ことりは、あたたかなところにそだつようにまれついたからです。
 おうさまは、もうつばめらのかえ時分じぶんだとおもうと、あかふねむかえによこされました。つばめたちも、ふねりおくれてはならぬとおもって、その時分じぶんには、海岸かいがんちかくにきて、をつけていました。そして、波間なみまに、あかふねえると、
「キイ、キイ……。」といって、よろこんでいたのです。
 はやつけたつばめは、それをまだらないともだちにげるために、空高そらたかがって、紺色こんいろうつくしいつばさをひるがえしながら、
あかふねがきましたよ。さあ、もうわたしたちは、つときです。どうか、遠方えんぽうにいるおともだちにらせてください。」といいました。
 なかにはとおいところにいて、まだらずにいるものもありました。そういうつばめは、むらのいいおともだちができて、「まあ、まあ、そんなにいそいで、おかえりなさることはない。」といわれて、きとめられているつばめたちであったのでした。
 あかふねは、浜辺はまべ四日よっか五日いつか、とまっていました。そして、四ほうから、毎日まいにちのようにあつまってくるつばめをっていました。もう、たくさんつばめがふねって、最後さいごには、ほばしらのうえまでまって、まったく、はいるせきがなくなった時分じぶんしずかに海岸かいがんをはなれたのです。
 たいていは、つきのいいばんはからって、出発しゅっぱつしました。なぜなら、ながうみうえをゆくには、景色けしきえなければ、退屈たいくつであるし、また途中とちゅうから、ふねをたよって、んできてくわわるものがないとはかぎらなかったからです。
 あるとき、一のつばめは、ふねろうとおもって、とおいところから、いそいでんできましたが、すでにふねってしまったあとでした。
 そのつばめは、ひじょうにがっかりしました。しかたなく、ふねとして、これにってゆこうと決心けっしんしました。それよりうみのかなたへ、わたみちはなかったのです。
 昼間ひるまは、をくわえてんで、よるになるとふねにして、そのうえやすみました。そのつばめは、こうして、たびをしているうちに、一、ひじょうな暴風ぼうふうあいました。おどろいて、をしっかりとくわえてくらそらがり、にものぐるいでよるあいだ暴風ぼうふうたたかいながらかけりました。
 けると、はるかした波間なみまに、あかふねが、暴風ぼうふうのために、くつがえっているのをました。それは、おうさまのおむかえにされたあかふねです。つばめは、いそいでかえって、このことをおうさまにもうげました。――おうさまは、ここにはじめて、みずからのちからをたよることのいちばん安心あんしんなのをさとられ、あくるとしから、あかふねすことを見合みあわせられたのであります。
――一九二六・九――

底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社
   1977(昭和52)年3月10日
   1977(昭和52)年3月10日第1刷
※表題は底本では、「赤(あか)い船(ふね)とつばめ」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:本読み小僧
2012年8月6日作成
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