あらすじ
沈みゆく街並みの階段を幾度となく駆け上がり、忘れられた椅子から漂う哀れな水の匂いを感じながら、詩人は虚しい街をさまよう。美しい車輪が静かに動き、街を見つめていた過去を思い出しては、燃え尽きる灯火の傍らで、記憶がうつろいゆくような時間を過ごす。遠い夕暮れの響きのように、去りゆく者たちは戻らない。詩人は、実体のない街を歩み、壊れた通路を駆け抜ける車輪の激しい振動に身を任せ、深い空間をさまよう。そして、はげしい炎や煙の響きが聞こえる中、詩人は倒れてしまう。悲痛なまでに歪んだ扉や支柱が沈んでいく様を見つめながら、詩人は何を思うのか。
白亜の立体も
ひたむきな断面も
せつない暗さの底へ沈みつつ
沈みつつ
翳に埋れ
影に支へられ
その階段はどこへ果ててゐるのか
はかなさに立ちあがり
いくたび踏んでみたことだらう
煙のある窓ちかく
自ら扉はひらき
そこに立ち去る気配もなかつた
忘れられた木の椅子のほとりから
哀れな水の匂ひがひろがり
脱落するしやつのあとには
あやまちのごとく風が立つた

あのふしあはせな鳶色の時間には
美しい車輪がしづかに動いて
おまへも街をみてゐただらう
ためらひがちな跫音を待ちながら
煤けたらむぷもひとつの灯をともし
そしてやはらかに燃え
まづしい家具の傍には
うつとりするやうな記憶があつたと
いまでは誰が信じ得よう
倒れる音も 出てゆく音も
遠い夕とどろきににて帰らないのか
歩かう
どこかへ行かねばならぬ
誰もみてゐない街角から
むしろ佗しい風の方向へ
実体のない街
深い空間をまたぎ
おびただしい車輪は戻つてきた
壊れた通路を捉へ
凍えた石畳を
踏みにじり走つてゐる
放埓な円心から閃く
炎や煙りの響きがきこえる
はげしい振動のなかで
何を考へようとしたのか
あやまつておまへは倒れた
かぞへきれない扉や支柱も
悲痛によじれ
水平のまま沈んでいつただらう
了

底本:「増補 森川義信詩集」国文社
   1991(平成3)年1月10日初版発行
初出:「詩集」
   1941(昭和16)年7月
入力:坂本真一
校正:フクポー
2018年7月27日作成
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